学 校 も 夜 の 職 場 ( 米 軍 部 隊 の 警 備 員 )にも 出 る 気 にならず 家 に 留 まりながら 動 く 政 局 に 耳 を 尖 らせていた 我 が 家 にはラジオもなかったが ラジオのニュースは 寸 分 違 わぬ 声 だけを 繰 り 返 し 新 聞 も 出 なかったのでニュース



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はファクシミリ 装 置 を 用 いて 送 信 し 又 は 訪 問 する 方 法 により 当 該 債 務 を 弁 済 す ることを 要 求 し これに 対 し 債 務 者 等 から 直 接 要 求 しないよう 求 められたにもかか わらず 更 にこれらの 方 法 で 当 該 債 務 を 弁 済 するこ

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Transcription:

第 5 章 戦 乱 を 経 験 して 私 が 経 験 した6 25 1950 年 6 月 25 日 この 日 は 日 曜 日 なので 昼 寝 をした 後 外 に 出 てみると 町 内 の 人 たちが 通 りに 出 ており 三 々 五 々 集 まって 話 を 交 わしていた 38 度 線 から 人 民 軍 が 南 侵 している というラジオ 放 送 があったというのである しかし 我 が 国 軍 が 反 撃 し 撃 退 してい るというのだった の やんじん 家 の 前 の 鷺 梁 津 駅 大 通 りでは 軍 用 車 両 からサイレンの 騒 々しい 音 と 共 にマイ クを 通 して 外 泊 休 暇 将 兵 は 即 時 所 属 部 隊 に 復 帰 せよ という 放 送 を 繰 り 返 しな がら 疾 走 していた 6 25 前 にも38 度 線 では 人 民 軍 と 国 軍 の 間 で 局 地 戦 が 繰 り 広 げられ 衝 突 事 し ん そ ん も 件 が 時 折 あり 当 時 国 防 長 官 だった 申 性 模 は ソウルで 朝 食 をとり 平 壌 で 昼 食 をとって 北 進 統 一 ができる と 大 声 を 上 げていたので 大 したことはあるまいと 思 っていた しかし 気 になって 日 曜 なので 市 内 に 出 て 光 化 門 世 宗 路 の 通 りに 出 て みた 依 然 として 軍 用 ジープからは 外 泊 休 暇 将 兵 は 即 時 所 属 部 隊 に 復 帰 せよ 傀 儡 軍 が 南 侵 し 各 地 で 我 が 国 軍 はこれを 撃 退 し 北 進 しているので 国 民 の 皆 さん は 安 心 して 職 場 を 守 って 下 さい というマイク 放 送 しながら 通 りを 疾 走 していた 放 送 局 でもこれと 似 た 内 容 の 李 承 晩 大 統 領 の 録 音 談 話 文 を 繰 り 返 し 放 送 して いた 私 は 鷺 梁 津 の 家 に 帰 り 別 に 考 えるでもなく 一 日 を 過 ごした 6 26 日 月 曜 日 は 平 常 通 り 学 校 に 行 くと 校 内 の 雰 囲 気 が 落 ち 着 かず 欠 講 もあ りすぐ 家 に 帰 ると 部 隊 ( 米 軍 警 備 勤 務 )にも 出 かけなかった 依 然 としてラジ オからは 国 軍 は 南 侵 人 民 軍 を 勇 敢 に 撃 退 しているので 国 民 の 皆 さんは 安 心 し て 自 分 の 仕 事 に 専 念 してください という 放 送 を 繰 り 返 していた 従 って 何 か 大 事 になるだろうと 懸 念 された 人 民 軍 が 議 政 府 まで 占 領 しソウルに 進 撃 中 だとい う 噂 も 広 がっており 避 難 しないといけないという 人 もおり 人 心 が 浮 ついていた 我 々 兄 弟 もお 互 い 情 報 と 意 見 を 交 わし 今 後 我 々 家 族 はどうすればよいかについ ては 今 日 の 夜 (6 26)になって 相 談 しようということで 皆 寝 床 に 入 った 6 27( 火 )の 朝 早 く 起 きて 通 りに 出 てみると 迷 彩 服 で 偽 装 し 武 装 した 軍 人 たちを 一 杯 乗 せて 軍 歌 を 歌 いながら 北 に 向 かう 軍 のトラックが 列 をなして 騒 々しかった 兄 の 燮 はこのような 落 ち 着 かない 日 の 朝 早 く 出 勤 ( 京 畿 中 学 )したが 私 は 10

学 校 も 夜 の 職 場 ( 米 軍 部 隊 の 警 備 員 )にも 出 る 気 にならず 家 に 留 まりながら 動 く 政 局 に 耳 を 尖 らせていた 我 が 家 にはラジオもなかったが ラジオのニュースは 寸 分 違 わぬ 声 だけを 繰 り 返 し 新 聞 も 出 なかったのでニュースはただ 街 を 往 来 す る 口 コミニュースの 噂 だけだった ところが 夕 方 になっても 学 校 に 出 勤 した 兄 は 帰 ってこなかった 家 族 全 員 が 夜 遅 くまで 待 ったが 遂 に 何 の 消 息 もなかった その 頃 兄 の 家 族 は 鷺 梁 津 駅 前 に 住 んでいた その 家 は 兄 が1947 年 に 結 婚 し 父 が 買 ってくれた 家 で 鷺 梁 津 駅 前 に 兄 の 従 兄 弟 の 義 妹 の 家 の 隣 であり 三 部 屋 の 畳 の 間 と 台 所 の 日 本 人 が 住 んでいた 約 25 坪 の 家 屋 だった 当 時 鷺 梁 津 の 兄 の 家 族 は 兄 夫 婦 と3 歳 になった 聖 愛 生 後 2ヶ 月 の 長 男 聖 憲 そして 我 々 夫 婦 の6 人 だった 6 28 28の 漢 江 橋 爆 破 前 日 (6 27)から 雨 が 降 り 出 しておりうら 寂 しい 夜 だった しかしぐっす り 寝 ていた 真 夜 中 に 稲 妻 のような 閃 光 と 同 時 に 天 地 が 振 動 する 爆 音 に 眼 が 覚 め た 私 は 原 子 爆 弾 がどこかに 落 ちたのではないかと 思 った あたふたと 服 を 着 込 んで 外 に 出 てみた 町 内 の 人 たちも 外 に 出 てきて 身 をすくめながら 緊 張 と 恐 怖 の 雰 囲 気 に 包 まれていた 駅 前 の 大 通 りには 雨 に 濡 れた 軍 服 を 着 て 三 々 五 々と 歩 き 元 気 なく 唇 を 閉 じたまま 南 方 に 歩 いている 敗 残 兵 頭 に 包 みを 載 せて 行 く 女 性 た ち 背 中 には 包 みを 背 負 いその 上 に 赤 子 を 座 らせて 行 く 人 たち 母 の 手 を 握 り 泣 きながら 引 っ 張 られて 行 く 子 供 家 族 の 名 前 を 呼 ぶ 高 声 文 字 通 り 阿 鼻 叫 喚 の 通 りだった これら 避 難 民 たちの 話 によれば 払 暁 に 漢 江 橋 は 爆 破 されて 絶 たれ その 漢 江 橋 を 通 り 過 ぎた 数 多 くの 避 難 民 と 車 が 漢 江 に 落 ち 橋 の 前 後 で 数 多 くの 避 難 民 たち が 負 傷 したというのである 後 日 の 報 道 と 記 録 によれば 漢 江 橋 は28 日 朝 方 2 時 30 分 頃 人 民 軍 の 南 進 速 度 を 遅 らせるために 国 軍 工 兵 隊 が 漢 江 橋 と 京 仁 線 京 釜 線 の 鉄 橋 など 漢 江 の5ヶ 所 の 橋 を 爆 破 したのである 漢 江 以 北 から 南 側 に 避 難 する 道 が 閉 ざされてしまっ たのである 真 っ 暗 な 明 け 方 の 時 間 なので 橋 が 断 ち 切 られたことも 知 らず 前 だけを 見 て 急 いでいた 車 両 避 難 民 牛 車 に 乗 っていた 多 くの 避 難 民 たちが 一 瞬 のうちに 漢 江 に 水 葬 され 負 傷 した 者 は 数 知 れなかったのである 漢 江 に 落 ち 込 んだ 避 難 路 11

の 群 集 は 行 きも 帰 りもできない 立 場 になったのである 伝 馬 船 を 借 りて 乗 り 渡 江 したが 余 りに 多 くの 人 と 荷 物 を 積 んで 乗 ったため 船 が 沈 没 して 水 鬼 神 になった 人 も 少 なくなかったという 6 25 開 戦 当 時 10 万 余 名 だった 国 軍 兵 力 は 漢 江 を 超 えて 水 原 に 集 結 した 将 兵 は2 万 5 千 名 に 過 ぎなかったという 38 度 線 から 人 民 軍 に 押 され 後 退 した 国 軍 は 漢 江 橋 が 既 に 断 ち 切 られてしまい 南 に 後 退 する こともできないまま 漢 江 以 北 でばらばらに 分 散 し 軍 服 さえ 脱 ぎ 捨 て 避 難 民 の 群 集 隊 列 に 入 って 南 下 するなど 阿 修 羅 場 を 作 り 出 したという 漢 江 橋 を 余 りに 早 く 爆 破 した 作 戦 誤 謬 に 対 する 避 難 民 の 世 論 が 沸 きあがると 高 等 軍 法 会 議 は1950 年 9 月 15 日 漢 江 橋 梁 爆 破 責 任 者 だった 工 兵 監 に 死 刑 宣 告 して9 月 21 日 処 刑 した 彼 はただ 上 部 の 命 令 を 遂 行 したことで 死 刑 を 受 け たのである 沸 き 立 つ 世 論 を 鎮 めるために 誰 かに 責 任 を 被 せなくてはならなかっ たのである その 工 兵 監 は 生 け 贄 にされただけなのである この 漢 江 橋 は 鷺 梁 津 の 我 が 家 から 約 700mほどだったから 早 朝 橋 の 爆 破 音 と 閃 光 は 原 子 爆 弾 が 爆 発 したものと 錯 覚 してしまうほどだった 当 時 我 々 兄 弟 の 家 族 は6 名 だったが 兄 は 前 日 学 校 に 出 勤 したまま 消 息 がなく 私 の 妻 は 出 産 月 が 近 く 分 娩 のために 木 浦 の 実 家 に 一 月 前 の5 月 に 下 っていた 従 って 漢 江 橋 が 絶 たれた6 月 28 日 早 朝 に 家 に 残 った 家 族 は 兄 嫁 と3 歳 になる 姪 の 聖 愛 と 生 後 2ヶ 月 になった 甥 の 聖 憲 の4 名 に 過 ぎなかった 兄 嫁 も 当 時 21 歳 の 新 妻 で 我 々 家 族 の 行 動 の 決 定 は 私 がとる 他 なかった 夜 が 明 けて 避 難 先 を 探 し てみようと 裏 山 に 登 り 見 渡 すと 幼 い 甥 姪 たちと 身 を 隠 すような 処 はなかった 人 民 軍 は 既 にソウルに 入 城 したという 噂 を 耳 にしただけ 漢 江 橋 向 う 側 のソウル の 明 け 方 は 漢 江 橋 が 爆 破 された 後 は 嵐 の 前 の 静 けさそのものであった 再 び 家 に 戻 り 兄 嫁 と 相 談 してみたが お 互 いに 頼 りないだけで 良 い 対 策 は 出 てこなかっ た 町 内 の 隣 人 たちも 避 難 の 包 みをまとめた 人 もおり もう 少 し 見 守 ろうという 人 もいて 十 人 十 色 それぞれだった ところで 故 郷 に 避 難 したとしても 車 は 賃 借 す ることなどとても 考 えることもできない 時 代 であり 列 車 も 運 行 が 停 止 していた 3 歳 の 子 供 と 生 後 2ヶ 月 になった 幼 児 を 背 負 って 木 浦 まで7 百 里 の 道 を 行 くこ となど 考 えることさえできなかった 勿 論 前 日 出 勤 した 兄 の 帰 りも 予 測 すること ができず 頼 りないばかりだった このようにためらうばかりだったが 汽 車 が 水 原 まで 運 行 しているという 噂 が 耳 に 入 った 私 は 水 原 まで 歩 いてゆき 水 原 から 汽 車 に 乗 って 避 難 しようと 兄 嫁 に 話 し 決 断 を 下 した 勿 論 家 具 布 団 などの 所 帯 道 具 は 全 て 残 しておき 朝 9 時 頃 聖 愛 ( 兄 の 長 女 )は 12

私 が 背 負 い 聖 憲 ( 兄 の 長 男 )は 兄 嫁 が 背 負 って 水 原 に 向 かって 避 難 路 を 辿 った 避 難 民 の 隊 列 に 混 じって 歩 き 始 めたのである 水 原 の 到 着 は 午 後 1 時 頃 だったと 思 う 水 原 駅 に 到 着 すると 列 車 は 停 車 していたが 訊 ねてみると 何 時 どこに 出 発 するか 分 からないということだった 軍 当 局 の 指 示 があれば 行 く 先 と 時 間 が 決 め られるというのである 我 々は 乗 り 込 んで 入 り 車 内 に 席 をとった 何 時 何 処 に 行 くか 分 からない 汽 車 に 閉 じこもって 汽 車 が 出 発 する 時 まで 待 っ ていた これは 二 人 の 子 供 を 背 負 って7 百 里 の 道 を 歩 いて 行 くことは 地 獄 の 旅 に なるであろうし 途 中 旅 人 宿 に 泊 まってゆく 旅 費 もなかったので 野 宿 をする 他 な く 幾 日 か 待 つことがあっても 汽 車 で 行 く 方 法 の 他 はなかった そして 人 民 軍 が 遠 からず 漢 江 を 超 えて 南 下 するであろうことは 明 白 だが 唯 一 の 輸 送 手 段 である 汽 車 が 限 りなく 水 原 に 留 まっていることはできないと 判 断 し たのである 同 じくこの 汽 車 が 釜 山 に 行 くとしても 太 田 で 降 りるとか 釜 山 まで 行 ってから 光 州 などに 行 く 方 法 が 水 原 から 木 浦 までおよそ10 余 日 かかる 徒 歩 行 進 よりは 賢 明 だと 判 断 したのである 約 1 時 間 ほど 待 っていると この 汽 車 は 木 浦 に 出 発 するというのであった 不 幸 中 の 幸 いに 出 会 ったのである 汽 車 が 出 発 するというので 我 も 我 もと 避 難 民 たちが 入 り 込 んできて 客 室 は 足 を 上 げる 隙 間 もなく 列 車 の 屋 根 上 にまで 避 難 民 たちが 上 り 載 せた 列 車 は 牛 の 歩 みで 動 き 出 した 記 憶 がはっきりしないが 木 浦 には 夜 中 に 到 着 し 私 は 務 安 洞 の 妻 の 実 家 に 入 り 兄 嫁 の 家 族 は 竹 橋 洞 の 丘 にあった 兄 嫁 の 実 家 に 行 くことになった 後 日 聞 いた 話 では 水 原 から 我 々が 乗 った 汽 車 が6 25 後 の 最 後 の 列 車 だったと いう 万 一 その 汽 車 に 乗 り 込 めなかったら7 百 里 の 避 難 路 が 無 事 だったか でな ければソウルにもう 何 日 か 留 まっていれば 人 民 軍 治 下 の 粛 清 と 戦 乱 の 中 で 飢 え のため 生 き 残 れたかどうか 分 からないことだった 危 うくも 死 地 の 地 獄 から 脱 出 できた 状 況 を 思 い 返 してほっとしている 木 浦 を 人 民 軍 無 血 占 領 木 浦 の 妻 の 実 家 に 一 ヶ 月 前 に 下 ってきて 初 児 の 分 娩 を 待 っていた 家 内 とも 会 い 避 難 の 日 々を 過 ごした ところでソウルを 占 領 した 人 民 軍 は 大 田 の 韓 米 防 御 線 を 突 破 し 嶺 南 ( 慶 尚 道 )と 湖 南 ( 全 羅 道 )の 二 つの 地 方 に 進 撃 してきた 韓 米 連 合 軍 は 湖 南 の 防 御 は 放 棄 し 大 邱 釜 山 の 洛 東 江 以 南 の 橋 頭 堡 だけの 防 御 作 戦 に 集 結 した 湖 南 に 南 進 した 人 民 軍 の 一 部 の 少 数 部 隊 は 無 敵 地 帯 を 南 下 しソ ウルに 入 城 した20 余 日 後 の7 月 24 日 に 無 血 無 敵 で 木 浦 に 侵 入 した 13

人 民 軍 が 全 州 を 経 て 南 下 を 続 けている 情 報 が 伝 えられた7 月 20 日 頃 木 浦 の 警 察 海 軍 基 地 の 軍 人 たちは 人 民 軍 が 侵 入 する4,5 日 前 に 釜 山 などに 撤 収 又 は 逃 げてしまった 木 浦 は 無 政 府 の 真 空 状 態 だった 大 韓 民 国 の 貨 幣 ( 金 )も 通 用 されず 店 も 殆 ど 門 が 閉 ざされた 従 って 私 が 留 宿 避 難 している 妻 の 実 家 も 食 料 がなくなっていき 妻 の 分 娩 が 今 明 日 中 なのだが どのように 対 処 するのかが 当 面 の 問 題 だった 苦 悩 の 中 市 内 の 通 りに 出 ると 妻 の 実 家 の 裏 の 平 和 劇 場 横 に 政 府 保 有 の 米 穀 倉 庫 の 門 が 壊 れており 通 りかかった 人 たちが 米 俵 を 我 も 我 もと 奪 い 取 って 行 く 演 劇 場 だった 私 もあれやこれやと 考 えて 躊 躇 していたが その 倉 庫 に 飛 び 込 んでいき 米 俵 を 持 ち 上 げ 背 負 って 妻 の 実 家 に 持 ち 帰 った 今 考 えると 25 歳 の 若 者 だったが 80kg 内 外 の 米 俵 などを 背 負 って 細 腕 の 私 の 力 で2, 300mを 走 ってきたのは 不 思 議 だと 思 う 泥 棒 行 為 の 一 種 だが 当 面 の 食 糧 難 は 解 決 されたのである もう 一 つ 差 し 迫 ったことは 人 民 軍 が 木 浦 を 占 領 することは 時 間 の 問 題 だが そうなると 米 軍 が 爆 撃 をするはずで これに 備 えて 市 内 の 中 心 街 から 逃 れなくてはならなかった しかし 霊 岩 に 行 くにしても 今 明 日 の 分 娩 を 控 えた 妻 は 同 行 できる 筈 もなく 更 に 近 所 に 行 けるような 親 戚 や 親 友 の 家 もなかっ きむまくとん た 窮 余 の 策 として 山 亭 初 等 学 校 勤 務 の 時 親 しかった 同 僚 の 教 師 金 莫 同 とい う 親 友 が 町 外 れに 住 んでいる 部 屋 一 間 を 借 りて 産 婦 の 妻 をそこに 移 し 分 娩 に 備 えた 予 想 した 通 り 人 民 軍 は24 日 早 暁 平 穏 裡 に 木 浦 に 進 入 した 引 き 続 き 午 前 11 時 頃 長 女 の 聖 蘭 が 呱 々の 声 を 上 げた 私 が 人 民 軍 の 木 浦 進 入 の 日 を 50 余 年 が 流 れた 今 日 でも 記 憶 しているのは 上 のような 経 緯 からなのである 当 時 私 が 泊 っていた 木 浦 の 離 れにも 人 民 軍 が 市 内 に 入 って 来 たという 噂 が 伝 わった 私 は 恐 ろしかったが 好 奇 心 から 市 内 に 出 てみた ひやひやして 不 安 な 気 持 ちを 静 めながら 木 浦 の 五 つ 角 に 来 ると 人 民 軍 の 歩 哨 が 長 銃 を 持 って 立 ってい た 18,9 歳 程 度 の 青 少 年 が 泥 水 で 斑 になった 軍 服 を 着 たままぼんやりした 姿 だった 検 問 検 索 もなかった 務 安 洞 の 妻 の 実 家 に 入 り 裏 の 避 難 の 家 に 行 ってみ ると 妻 が 女 児 を 出 産 していた 共 産 軍 が 占 領 した 木 浦 市 は 米 軍 の 爆 撃 もなく 言 論 も 絶 たれ 通 りに 出 歩 く 市 民 も 別 になく 沈 黙 の 都 市 になっていた 人 民 軍 が 占 領 して 一 週 間 も 過 ぎない 内 に 朝 鮮 労 働 党 人 民 委 員 会 木 浦 市 党 が 組 織 されるという 噂 だった その 人 民 委 員 会 市 党 幹 部 の 中 で 総 務 の 責 任 者 である 幹 部 課 長 には 師 範 学 校 同 期 で 木 浦 北 橋 初 等 学 校 教 師 だった 盧 日 燮 君 が 選 任 されたという 噂 も 入 っ てきた 14

その 親 友 を 訪 ねていき 共 産 党 社 会 での 職 務 を 訊 ねてみようかと 思 い 考 えても みたが まだ 南 北 の 勝 敗 が 曖 昧 だった 情 勢 から 軽 率 なことだと 思 えた 大 邱 釜 山 の 洛 東 江 の 両 側 では 生 死 の 戦 闘 が 繰 り 広 げられていることは 生 半 可 なまま 皆 知 っていた 義 勇 軍 の 隊 列 に 私 が 泊 まっている 務 安 洞 の 妻 の 実 家 の 前 には 霊 岩 の 姜 某 氏 が 住 んでいたが そ の 人 は 労 働 党 に 加 入 していた ある 日 彼 の 家 に 行 ってみると 人 民 委 員 会 で 義 勇 軍 を 募 集 しているので 一 緒 にその 義 勇 軍 に 行 こうというのだった 私 は 人 民 軍 が 占 領 したソウルから 避 難 してきた 人 間 なので その 要 求 を 拒 絶 すると 反 動 分 子 と 烙 印 を 押 されることは 明 らかだった 私 は 彼 の 要 求 に 応 じて 翌 日 の 夕 方 木 浦 で 集 め られた 数 百 名 の 義 勇 軍 の 隊 列 の 一 員 として 光 木 間 の 新 作 路 に 沿 って 北 進 した 行 く 先 も 分 からず 目 的 地 も 知 らなかった 木 浦 で 募 集 され 夜 道 を 歩 いてきた 所 謂 義 ひょんぎょん 勇 軍 の 隊 列 は 務 安 を 過 ぎ 玄 慶 面 の 某 部 落 に 駐 屯 した することもなく 寝 起 きし て 朝 飯 を 食 べると 社 会 主 義 の 理 論 教 育 と 人 民 軍 軍 歌 を 歌 うのが 日 課 だった と ころでどこで 誰 が 調 達 したのか 飯 に 玉 葱 (タマネギ)のおかずは 欠 かさず 支 給 さ れた 2,3 日 が 過 ぎても 何 の 変 わった 活 動 もなかった 彼 らの 上 部 指 針 が 下 り てこなかったのである 後 日 推 測 したことだが 当 時 (1950 年 8 月 中 旬 頃 ) 人 民 軍 は 韓 米 連 合 軍 と 追 いつ 追 われつの 洛 東 江 戦 闘 に 没 頭 した 政 局 で 別 の 人 力 が あっても 武 装 させ 戦 わせる 銃 もなく 食 料 もなかったのであろう 集 められた 義 勇 軍 を 活 用 する 立 場 でもなく 指 令 を 出 す 考 えもなかったものと 思 われる 私 は 玄 慶 に 留 まっていた 翌 日 監 視 が 緩 んだ 隙 に 乗 じて 木 浦 に 単 独 脱 出 帰 宅 し た やはり 木 浦 の 実 家 に 戻 ってみると 私 が 倉 庫 から 持 ち 出 した 食 料 も 残 ってい た 食 料 を 売 る 場 所 もなく 流 通 する 通 貨 ( 金 )もなかった さて 生 きる 道 と 行 く 処 は 故 郷 の 霊 岩 以 外 になかった しかし 木 浦 霊 岩 の 海 へ ちゃん 蒼 里 を 往 来 する 発 動 船 は 閉 ざされてから 暫 く 経 っており 陸 路 のバスの 往 来 もありえなかった 妻 が 産 後 二 週 間 (14 日 ) 過 ぎたが 百 余 里 の 道 を 歩 いて 行 くことはできなかった 進 そ ん げ 退 両 難 の 日 々だったが 噂 を 頼 りにしてここ( 務 安 郡 )から 霊 岩 の 聖 溪 里 を 往 来 する 渡 し 舟 が 往 来 していることが 分 かった 避 難 生 活 は 霊 岩 で 当 時 も 産 婦 は 出 産 後 三 週 間 (7 日 3=21 日 ) 前 に 活 動 すると 駄 目 だという 15

のが 通 例 であった 産 後 三 週 間 になった8 月 6 日 これで 渡 し 場 に 向 けて 出 発 し た そこまでは 義 母 が 産 婦 ( 妻 )のために 赤 子 ( 聖 蘭 )を 背 負 ってくれた 一 行 は 我 々 夫 婦 と 幼 児 そして 康 津 が 故 郷 の 義 父 妻 の 弟 の 総 勢 5 名 は 一 路 渡 し 場 に 到 そ ほ 着 すると 噂 どおり 栄 山 江 の 向 こう 側 に 西 湖 面 聖 溪 里 を 往 来 する 渡 し 舟 があった 我 々 一 行 はその 渡 し 舟 に 乗 船 して30~40 分 後 に 聖 溪 里 に 上 陸 した 下 船 して 一 行 の 行 軍 は 続 き 霊 岩 の 海 蒼 に 到 着 すると 夕 暮 れだった 又 渡 し 舟 に 乗 って 都 浦 側 の 海 蒼 里 で 下 船 した 船 から 下 りると 一 人 の 青 年 が 都 浦 面 治 安 隊 員 と 自 称 し 我 々 一 行 の 行 く 先 を 検 問 して 私 を 都 浦 里 治 安 隊 本 部 まで 連 行 した 私 は 日 帝 時 代 からの 警 察 官 派 出 所 で 解 放 後 大 韓 民 国 警 察 署 支 所 の 建 物 だった 処 に 人 民 共 和 国 都 浦 治 安 隊 という 看 板 が 掛 かった 建 物 に 連 行 された ここで 私 の 身 分 木 浦 からここに 越 してきた 動 機 目 的 など 約 1 時 間 ほど 尋 問 してから 釈 放 してくれ た 私 は 解 放 後 左 翼 団 体 か 又 は 当 時 左 翼 を 反 動 分 子 などと 呼 んでいた 反 共 団 体 や 機 関 に 加 担 した 履 歴 がなく 大 学 の 在 学 生 だったので 引 き 止 めなければならない 理 由 がなかったのであろう 木 浦 から 来 た 我 々 家 族 の 一 行 はその 間 海 蒼 で 待 つことにしていたので 海 蒼 に 行 った 皆 私 がどうなっているだろうかと 心 配 して 待 っていた このような 苦 行 そんぶる の 道 を 経 て 仙 佛 に 到 着 したのは1950 年 8 月 14 日 の 真 夜 中 だった 故 郷 ( 仙 佛 )での 避 難 生 活 6 25 戦 争 が 勃 発 してから 約 3ヶ 月 ぶりに 故 郷 の 家 に 帰 り 着 いたのである 勿 論 人 民 共 和 国 治 下 の 故 郷 だったが 祖 父 までご 存 命 だった 中 で 子 供 の 心 配 も なく 比 較 的 平 穏 な 避 難 生 活 だった 心 配 して 苦 労 していた 燮 も 帰 ってきた 兄 は 漢 江 橋 が 爆 破 された 前 日 の6 月 27 日 勤 務 先 の 京 畿 中 学 校 に 出 勤 していたが その 日 に 人 民 軍 により 義 勇 軍 支 援 という 名 目 で 登 校 する 前 に 職 員 を 引 き 連 れ 北 に 向 かったという 兄 も 私 が 所 謂 義 勇 軍 隊 列 から 隙 をみて 玄 慶 から 抜 け 出 してき たことと 同 じく 引 っ 張 られて 行 き 北 行 の 隊 列 から 逃 げ 出 してきて 帰 ることがで きたのである 仙 佛 までの 道 を 約 一 週 間 歩 いて 到 着 したのだが いうまでもなく 苦 難 の 行 軍 だったのであろう 野 宿 風 塵 の 帰 郷 の 道 だったのであろうが これを 詳 しく 聞 いた 記 憶 も 残 っていない さて 来 てからは 大 変 苦 労 して 知 りたいことも あったが その 主 人 公 はこの 世 を 去 ってしまったのでこれ 以 上 のことは 分 からな い このように 南 韓 の 数 多 くの 青 少 年 は 捕 虜 になり 義 勇 軍 というレッテルを 付 け 16

た 軍 服 で 引 っ 張 って 行 かれ 飢 餓 と 疾 病 で 犠 牲 になった 人 途 中 で 脱 出 すること ができたかと 思 うと 北 韓 から 父 母 兄 弟 又 は 妻 子 と 永 遠 に 生 き 別 れになった 人 な ど6 25は 地 上 で 広 げられた 地 獄 の 悲 劇 だった しかし 私 は 祖 父 母 までお 仕 えした 立 場 で4 寸 ( 従 兄 弟 ) 5 寸 ( 甥 姪 ) 内 の 一 族 が 集 まって 生 活 する 故 郷 で 過 ごしたので 心 置 きなく 戦 乱 の 中 で 平 穏 な 日 々 を 送 ることができた 6 25は 南 北 数 十 万 人 の 軍 人 たちが 殺 し 殺 され 世 界 戦 史 に 類 例 のない 惨 事 だ ったが それよりも 昨 日 まで 近 い 隣 人 が 一 夜 の 内 に 一 方 はブルジョア 反 動 分 子 と 呼 ばれて 息 を 潜 めていた 隣 家 が 急 に 革 命 勇 士 になり 所 謂 反 動 分 子 を 粛 清 す るのに 威 勢 がよかった 月 が 変 わって 国 軍 が 北 進 し 人 民 軍 が 退 却 するや 世 相 は 逆 転 し 反 動 分 子 の 粛 清 に 先 頭 に 立 っていた 勇 士 たちは 山 中 に 消 え 去 り 村 に 残 っ ている 人 たちは 附 逆 者 ( 反 逆 に 加 担 した 者 )である いや 違 うと 葛 藤 する 世 相 は 暫 く 続 いた しかし 私 の 避 難 場 所 である 故 郷 仙 佛 ではそんな 葛 藤 がなく 戦 乱 中 でも 平 穏 な 日 々だった 私 が 仙 佛 で 避 難 帰 家 する 前 に 共 産 党 又 は 人 民 軍 側 と 見 られる 人 たちが 我 が 家 の 黄 牛 を 強 奪 して 行 ったという 当 時 黄 牛 一 匹 は 農 村 では 相 当 な 財 産 だったから 物 質 の 損 失 はあったが この 戦 乱 中 にその 程 度 の 被 害 は 耐 えることができた UN 軍 仁 川 に 奇 襲 上 陸 しかし 心 中 までは 穏 やかではありえなかった UN 軍 と 人 民 軍 の 戦 勢 はどうな っているのか? 人 民 共 和 国 の 世 相 がどうなるのか? 大 韓 民 国 の 世 相 になるの だろうか 誰 も 分 からない 五 里 霧 中 の 日 々だった 流 言 飛 語 や 噂 もいろいろだっ た 釜 山 有 力 者 などの 一 部 市 民 たちは 日 本 に 避 難 のため 荷 造 りしている UN 軍 も 釜 山 から 撤 収 する 船 舶 が 待 機 中 だ などの 噂 も 広 がっていた ラジオニュー スも 新 聞 も 見 ることができないのでただ 呆 然 として 一 日 一 日 を 送 る 他 はなかっ た 8 15の 光 復 節 も 過 ぎ 極 めて 厳 しかった 暑 さと 長 雨 も 終 わった 仙 佛 では 避 難 の 秋 夕 の 名 節 もたいして 変 わりもなく 迎 えた( 秋 夕 陽 暦 9,26) ところで 秋 夕 名 節 の 後 (금산 일가인 연하 동철) 錦 山 一 家 である 年 下 の 東 チョル( 東 杓 氏 の 弟 当 時 20 歳 ) 族 叔 が 仙 佛 に 訪 ねてきた 人 民 委 員 会 ( 人 民 共 和 国 ) 幹 部 等 と 同 志 の 青 年 等 は 入 山 しているのでゲリラ 遊 撃 隊 として 同 行 しようという 要 請 17

であった 私 は 新 婚 家 族 の 所 帯 主 でまだ 学 生 の 身 分 だから 難 しい と 丁 重 に 断 って 別 れた その 方 のその 後 の 消 息 は 不 明 である 霊 岩 邑 では 共 産 党 員 たちが 退 却 しながら 放 火 した 炎 の 煙 が 空 高 く 立 ち 上 るの が 仙 佛 の 部 落 からも 見 えた うぉる 月 後 日 分 かったことだが UN 軍 が 仁 川 上 陸 奇 襲 作 戦 で9 月 15 日 仁 川 沖 合 いの み 尾 島 に 上 陸 し 砲 台 を 構 築 して 仁 川 に 奇 襲 上 陸 し 19 日 にはソウル 市 内 に 進 撃 したのである 人 民 軍 は 洛 東 江 辺 に 総 力 を 集 結 し 釜 山 橋 頭 堡 のUN 軍 を 釜 山 沖 に 追 い 込 み 南 侵 を 仕 上 げるため 死 闘 を 繰 り 返 していたが UN 軍 の 仁 川 上 陸 で 北 からの 侵 略 物 資 供 給 が 遮 断 され 退 却 路 も 遮 断 されたのである 南 北 戦 局 が 逆 転 した 事 実 を 知 ると 人 民 軍 治 下 の 南 韓 共 産 党 の 活 動 の 先 頭 に 立 っていた 人 たちが 肝 を 潰 して 智 異 山 などの 山 岳 地 帯 に 逃 走 する 局 面 が 繰 り 広 げられたのであった 仙 佛 に 蟄 居 していた 我 々はUN 軍 の 仁 川 上 陸 とソウル 収 復 の 事 実 を 知 るよう になったのはUN 軍 が(9.15) 仁 川 上 陸 作 戦 に 成 功 しソウルを 再 び 掌 握 した 10 月 初 旬 頃 だったと 思 う 収 復 したソウル ソウルに 上 京 ソウルを 収 復 し 汽 車 も 往 来 することが 分 かると 鷺 梁 津 の 我 が 家 はどうなった か ソウルはどんな 姿 なのか? 心 配 だった 人 民 委 員 会 と 治 安 隊 が 逃 げた 後 は 彼 らに 抑 圧 されていた 青 年 たちが 素 早 く 組 織 した 大 韓 青 年 団 に 代 替 され 気 勢 が 上 がっていた 彼 らは 所 謂 反 逆 者 を 粛 清 報 復 して 治 安 空 白 期 間 に 過 渡 的 な 治 安 権 も 掌 握 した 人 民 委 員 会 の 治 安 隊 に 取 って 代 わったのである 私 は 都 浦 青 年 団 長 から 身 分 証 と 通 行 証 の 発 布 を 受 け 海 蒼 から 発 動 船 で 木 浦 に 行 きソウル 行 き 汽 車 で 上 京 した ソウルまで15 時 間 余 りかかったことを 覚 えて いる 駅 毎 に 停 車 し 停 車 時 間 も 機 関 士 の 思 いのままだった ある 駅 では 機 関 士 が 降 りてマッカリを 飲 み10 分 余 り 停 車 してから 出 発 する 場 合 もあった 鷺 梁 津 駅 で 降 り 先 ず 我 が 家 に 入 ってみた 手 付 かずのまま 残 して 出 かけた 家 具 寝 具 衣 類 は 勿 論 火 掻 き 棒 一 つも 残 っていない 空 間 だけだった 恐 らく 通 りかかった 避 難 民 や 避 難 できなかった 住 民 たちの 布 団 になり 衣 服 になったの か 漢 江 橋 はUN 軍 が 爆 破 された 部 分 を 繋 いで 車 両 の 通 行 だけが 許 され 歩 行 はで きない 状 態 だった ソウル 市 内 に 入 る 人 は 身 分 証 又 は 通 行 許 可 証 をもった 人 だけ を 渡 江 させていた 私 は 都 浦 で 作 ってきた 大 韓 青 年 団 証 明 書 を 提 示 すると 通 され 18

通 江 待 機 していたトラックの 運 転 士 にお 願 いしてこれに 便 乗 して 市 内 に 入 って いった 約 50 万 の 人 口 で 混 み 合 っていたソウル 市 内 は 人 跡 も 少 なく 商 家 やビ ルはがらんとして 空 いた 空 間 は 冷 え 冷 えとして 街 路 は 爆 弾 を 受 けた 建 物 の 破 片 とゴミが 残 っている 廃 墟 の 都 市 だった まだ 避 難 民 の 帰 家 が 許 されず 住 宅 もビル もすっかり 空 家 だったが 場 末 には 住 民 が 住 んでいる 家 もあった さむちょん 6 25 前 兄 嫁 の 兄 の 家 族 が 住 んでいた 三 清 洞 の 家 にも 行 ってみた やはり 人 の 気 配 のない 空 家 だったので 母 屋 の 壁 に 大 きな 文 字 で 書 かれた 便 箋 が 一 枚 貼 ってあったのが 眼 に 飛 び 込 んだ 준아!(チュンや!) 私 来 ました 帰 ります 又 戻 って 来 れば 会 いましょう 短 い 内 容 だった 兄 嫁 の 兄 ( 趙 成 允 )は 日 本 の 拓 殖 大 学 を 出 て 殖 産 銀 行 代 理 として 木 浦 で 勤 務 していて(6 25 前 にソウル 本 社 に 転 勤 し ソウルの 三 清 洞 に 住 んでいた ところで6 25の 時 家 族 を 残 したま ま 越 北 ( 引 っ 張 られて 行 ったのか?)し 家 族 は 南 下 した この 紙 切 れは 人 民 軍 がソウルを 占 領 した 時 以 北 からソウルに 来 てUN 軍 が 仁 川 に 上 陸 し 北 進 するや 再 度 北 に 後 退 しながら 自 分 の 子 供 名 義 にして 家 族 たちに 残 して 行 った 痕 跡 メモ だったのであろう その 後 その 家 族 たちが 再 会 する 機 会 はなくソウルに 残 して 行 った 家 族 たちは 私 の 兄 嫁 の 他 には 皆 その 行 方 と 生 死 が 分 からず 彼 の 父 母 即 ち 私 の 兄 嫁 の 父 母 たちはこのようにして 子 息 たちはばらばらに 別 れたまま 大 田 に 避 難 して 農 作 業 をして 住 んでおり 6 25の 時 別 れた 子 女 たちとは 再 会 もできな いまま 老 齢 でこの 世 を 寂 しく 去 った ソウルをUN 軍 が 再 び 収 復 したのは9 月 29 日 で 私 がソウルに 来 たのは 秋 夕 (1950.9.26)を 過 ぎて 肌 寒 くなった10 月 初 めだったと 思 う ソウル に 留 まりながらぶらぶらしていて 飯 はどのようにして 解 決 したのか 思 い 出 せな い ともかく 別 に 用 事 もなく 人 民 軍 が 占 領 し3ヶ 月 後 にはUN 軍 ( 韓 米 軍 )が 再 び 占 領 する 何 度 かの 血 戦 で 荒 涼 落 莫 たるソウル 市 内 での 無 為 な 日 々を 過 ごしてい た 何 故 か 家 に 帰 らず 人 も 別 になかった 廃 墟 のソウルでぶらついていたのか 思 い 出 せない 田 舎 に 行 っていると 外 部 の 情 勢 が 分 からないので 戦 局 と 時 局 の 趨 勢 を 見 守 ってみようという 心 情 だったのであろう 幹 部 候 補 生 に 志 願 ある 日 (10 月 10 日?) 光 化 門 の 通 りで 幹 部 候 補 生 募 集 の 広 告 を 見 たの である 選 抜 試 験 日 は10 月 15 日 3ヶ 月 教 育 後 少 尉 任 官 募 集 人 員 未 詳 19

の 内 容 だった 6 25 勃 発 後 公 務 員 や 学 生 などの 身 分 証 がない20 歳 前 後 の 青 年 たちは 通 りで 軍 人 や 戦 闘 警 察 隊 に 強 制 徴 集 される 時 局 であり 現 役 軍 人 や 憲 兵 又 は 警 察 官 は 絶 大 な 権 能 を 欲 しいままにして 藉 を 働 く 厳 しい 時 期 だった 釜 山 大 邱 などでは 数 多 くの 中 学 生 たちが 軍 番 もない 学 生 義 勇 軍 として 募 集 され 浦 項 の 戦 闘 で 戦 死 した 時 だった 私 は 当 時 26 歳 の 青 年 であるから 何 時 軍 人 に 召 集 さ れるかも 分 からなかった 何 時 軍 人 に 引 っ 張 られるかも 分 からない 時 機 なので 一 兵 卒 として 入 隊 するよりは 将 校 になりたいとの 考 えから 陸 軍 幹 部 候 補 生 試 験 に 応 試 することを 考 えたのだと 思 う う る じ ろ 試 験 の 日 になり 当 時 乙 支 路 2 街 にあった 清 溪 初 等 学 校 試 験 場 に 行 くと 数 千 余 名 の 応 試 者 が 集 まってきた 1950 年 6 25 直 前 の 人 口 が 約 170 万 だった ソウル 市 内 には 住 民 も 少 なかったが どこから20 歳 前 後 の 多 くの 青 少 年 が 集 ま ってきたのか 奇 妙 な 現 象 だった 彼 らは 皆 私 と 同 じ 考 えで 応 試 場 に 来 たのかも 知 れなかった その 多 くは 受 験 生 が 入 る 教 室 もなかったのでその 学 校 の 運 動 場 に 両 腕 の 間 隔 で 整 列 させられた そしてA2 版 の 大 きさの 試 験 問 題 紙 と 下 敷 きが 一 枚 ずつ 配 られた 冬 にさしか かった10 月 15 日 (?) 受 験 者 たちは 地 面 に 座 って 下 敷 きを 膝 の 上 に 置 いて 試 験 紙 に 答 案 を 全 部 書 くと 試 験 監 督 の 軍 人 が 集 めて 回 った 試 験 が 終 わった 後 の 合 格 発 表 は 10 月 27 日 ソウル 駅 広 場 でするというので 10 時 に 集 合 せよ ということだった 発 表 の 日 ソウル 駅 広 場 に 行 ってみると やはり 数 千 名 が 合 格 発 表 を 見 ようと 集 まっていた ところで 発 表 は 事 情 により 仁 川 で 行 うことになったのである 隊 列 を 組 んで 仁 川 港 に 数 千 名 が 徒 歩 で 引 率 され た 仁 川 港 に 到 着 すると 丁 度 仁 川 港 に 停 泊 中 だった 米 海 軍 のLST 輸 送 船 で 発 表 があり 全 員 乗 船 せよということだった 全 員 が 乗 船 するとLST 船 の 門 が 閉 じ 船 は 正 に 出 港 したのである 一 時 間 ほど 航 海 した 頃 合 格 者 の 名 前 を 呼 んだ 私 の 名 前 も 呼 ばれた 運 命 の 岐 路 の 瞬 間 だった LST 船 が 釜 山 埠 頭 に 入 港 すると 軍 人 たちが 出 てきて 合 格 者 不 合 格 者 を 問 わず 釜 山 の 巨 濟 島 の 新 兵 訓 練 所 に 引 率 さ れ 不 合 格 者 は 新 兵 訓 練 所 に 強 制 徴 集 収 容 されたのである 今 になってみると 人 権 蹂 躙 であり 不 法 詐 欺 行 為 ではなかっただろうか 戦 時 中 だったから 抗 議 するこ ともできない 時 期 だった 陸 軍 総 合 学 校 生 活 私 はここ 巨 濟 島 新 兵 訓 練 所 で 一 ヶ 月 基 礎 訓 練 を 受 けた ここ 巨 濟 新 兵 訓 練 所 は 20

元 々 大 規 模 な 家 畜 檻 だったものと 見 られるが 軍 で 収 容 し 臨 時 の 新 兵 訓 練 所 とし て 急 造 したものである 中 でも 通 路 の 両 側 に 稲 藁 の 莚 とマットレスを 敷 き 毛 布 一 枚 ずつ 配 布 され 内 務 班 の 宿 所 だった 私 は 陸 軍 総 合 学 校 第 25 期 に 入 校 した この 陸 軍 総 合 学 校 とは 解 放 後 6ヶ 月 の 短 期 士 官 学 校 があり 大 韓 民 国 政 府 が 樹 立 した 後 に2 年 制 の 士 官 学 校 も 創 設 さ れていたが 6 25 事 変 が 勃 発 するや 彼 ら 士 官 生 徒 は 皆 前 線 の 小 隊 長 として 出 征 させ 戦 時 の 短 期 士 官 ( 将 校 ) 教 育 学 校 で 釜 山 東 萊 に 陸 軍 総 合 学 校 を8 月 1 日 付 けで 開 校 した 即 ち 人 民 軍 に 押 されて 全 ての 政 府 機 関 が 大 邱 釜 山 から 浦 項 洛 東 江 の 橋 頭 堡 を 死 守 するのだが 決 戦 が 繰 り 広 げられている 時 だったので 落 ち 着 いて3,4 年 間 の 教 育 をさせた 指 揮 将 校 を 生 産 する 余 裕 はなかったのであ る 消 耗 品 の 将 校 と 呼 ばれていた 小 隊 長 の 充 当 が 焦 眉 の 急 だったのである このように 創 設 された 陸 軍 総 合 学 校 は 釜 山 東 莱 高 等 学 校 と 東 莱 女 子 高 の2つ の 校 舎 を 使 用 していたのだが 我 々25 期 候 補 生 は 東 莱 高 等 学 校 の 教 室 が 内 務 班 という 名 前 の 宿 所 だった 約 30 名 単 位 の 一 区 隊 が 一 教 室 を 内 務 班 として 使 用 した 教 室 の 板 の 間 に 稲 藁 を 置 いてマダリ( 敷 布 団 か)を 敷 いたのが 寝 床 で 掛 け 布 団 は 毛 布 二 枚 が 与 えら れた 朝 6 時 に 起 床 すると 敷 布 団 と 毛 布 は 四 つ 折 にして 整 頓 しなければならなか ったが その 敷 布 団 を 畳 むと 中 に 入 れる 藁 の 屑 のゴミが 出 てきて 教 室 ( 内 務 班 ) にごみが 立 ち 込 めた 飯 は 食 事 当 番 がバケツ(ばけつ アルミニュームの 水 筒 )に 飯 と 豆 もやし 焼 き 魚 の 配 給 を 受 け 並 んで 座 り 待 っている 候 補 生 のアルミニューム 椀 に 飯 と 汁 物 を 各 々に 盛 り 配 っていった その 食 事 当 番 は 交 代 で 当 番 をしたが 当 番 の 順 番 は 互 いに 待 ち 焦 がれた 当 番 だった 食 事 当 番 の 時 は 自 分 の 飯 椀 には 飯 をかちんかち んに 押 えて 他 のものよりは 量 をより 多 く 盛 り 食 べることができたためである 食 事 が 終 わると 各 自 の 食 器 は 総 合 学 校 だった 東 莱 高 等 学 校 横 の 溪 谷 に 行 き 洗 い 内 務 班 に 持 ち 帰 った 不 可 思 議 なことの 一 つは そのように 粗 末 で 不 潔 な 食 生 活 と 零 下 4,5 度 の 夜 中 に 暖 気 どころか 冷 たい 板 の 間 で30 余 名 の 寝 食 生 活 でも 風 邪 や 食 中 毒 のよう なものは 知 らず 約 4ヶ 月 を 無 事 に 乗 り 越 えたのは 事 実 である 万 一 今 の 軍 隊 の 営 内 生 活 がこれと 同 じなら 言 論 界 と 社 会 で 大 騒 ぎを 引 き 起 こしたであろう 若 さ と 精 神 力 はこのように 適 応 力 が 強 靭 であったと 痛 感 してもいる 訓 練 と 学 習 実 習 は 屋 内 講 堂 などの 空 間 がなかったので 屋 外 の 山 野 や 溪 谷 が 学 21

科 と 実 習 の 教 育 場 だった その 教 育 場 に 行 き 来 する 時 は 列 を 作 って 駆 け 足 で 往 復 し その 道 端 には 露 天 商 人 が 多 かったがその 中 でも 飯 椀 にこんもりと 飯 を 盛 り 道 端 に 長 く 露 天 飯 売 りが 列 をなしていた 走 りながらも 見 えるのはその 露 天 商 の 白 飯 椀 だった 今 もその 時 露 天 商 の 盛 った 白 飯 の 記 憶 はありありと 残 っている 初 級 将 校 一 人 育 て 上 げるには 普 通 3,4 年 の 時 日 がかかるのである 制 式 訓 練 から 各 個 戦 闘 個 人 火 器 ( 小 銃 )の 操 作 と 射 撃 術 そして 指 揮 法 分 隊 小 隊 中 隊 戦 闘 読 図 法 など10 余 科 目 を 習 熟 しなければないためである ところで3ヶ 月 の 当 時 総 合 学 校 はその10 分 の1の 短 時 日 に 促 成 する 最 速 の 士 官 ( 将 校 ) 学 校 だった 6 25の 時 唯 一 の 個 人 武 器 だったM1 小 銃 実 弾 射 撃 訓 練 だけ 見 ても1 日 10 発 の 実 習 に 過 ぎなかった 6 25が 勃 発 して 将 校 が 不 足 するや 一 般 士 兵 の 上 等 兵 ( 兵 長 )の 中 から 選 抜 して 少 尉 に 任 官 したが これを 現 地 任 官 将 校 と 呼 んだ これらは 大 部 分 初 等 学 校 卒 業 者 だった 戦 争 は 始 まったが 日 帝 が 退 いた 後 軍 で 利 用 される 地 図 がなく 米 軍 は 日 帝 の 時 作 られた 地 図 に 地 名 などの 文 字 はローマ 字 に 変 えて 印 刷 し 指 揮 官 たちに 配 布 した 韓 国 軍 にもその 地 図 を 配 布 したが 現 地 任 官 された 小 隊 長 中 隊 長 の 中 には その 地 図 の 内 容 や 地 名 も 読 めない 将 校 が 少 なくなかった 戦 争 中 にどんな 未 知 の 深 山 幽 谷 にいても 自 分 の 位 置 を 確 認 し 敵 地 の 位 置 と 方 向 を 知 らねばならないが これには 地 図 とコンパスが 基 本 である ところで 小 隊 長 中 隊 長 などの 将 校 が 読 図 法 ( 地 図 を 判 読 する 法 )も 知 らない6 25の 時 の 韓 国 軍 の 水 準 と 戦 闘 力 を 推 測 することができるだろう 前 線 小 隊 長 として 配 置 される とにかく 私 は 陸 軍 総 合 学 校 第 25 期 生 徒 として1951 年 3 月 31 日 に 訓 練 を 終 了 し4 月 1 日 に 一 線 部 隊 に 配 置 された 私 は 卒 業 直 前 通 訳 将 校 選 抜 試 験 に 合 格 し 通 訳 将 校 として 配 置 されることが 分 かっていたが 配 属 された 第 五 師 団 本 部 に 同 期 30 余 名 が 引 率 された ところで 当 時 時 正 に 中 共 軍 の 第 5 次 大 攻 勢 にU N 軍 は 再 び 押 されて 数 多 くの 兵 力 を 失 うようになるや 通 訳 将 校 や 経 理 将 校 とし て 配 置 する 余 裕 はありえなかった 私 が 配 属 された5 師 団 本 部 が 位 置 する 江 原 うぉんとん 元 通 里 冠 くぁん で 垈 里 に 到 着 し 当 時 5 師 団 長 の 閔 機 植 少 将 に 配 属 申 告 式 を 行 った 師 団 長 の 申 告 式 訓 示 は 初 めての 言 葉 を 今 も 記 憶 している 貴 官 らは 消 耗 将 校 である 生 命 に 執 着 せず 祖 国 のために 忠 誠 を 果 たせよ 大 22

部 分 20 歳 前 後 のあどけない 初 年 将 校 たちに 訓 示 の 最 初 の 挨 拶 の 言 葉 で 殺 伐 さ を 感 じたが 一 面 現 実 を 率 直 に 表 現 したものとも 思 われた 私 は 師 団 本 部 食 事 官 補 職 を 受 けた 食 事 官 とは 一 線 後 方 の 師 団 本 部 で 飯 を 用 意 して 配 食 する 責 任 将 校 であり 前 線 戦 闘 部 隊 の 小 隊 長 とは 異 なり 生 命 の 危 険 もな く 飯 も 十 分 に 食 べることができる 職 責 だった 何 時 何 処 で 求 めたのか 分 からなか ったが 日 本 人 が 使 っていた 大 きな 鉄 で 作 った 風 呂 桶 の 釜 が 飯 を 炊 く 釜 だった 食 事 の 時 は 同 期 性 が 訪 ねてきたものだが 飯 とお 粥 を 振 舞 うこともあった ところで 食 事 官 補 職 も 僅 か20 余 日 で27 連 隊 第 1 中 隊 第 1 小 隊 長 に 転 属 し た 小 隊 長 として 任 命 されると 同 時 に 連 絡 兵 1 名 と 専 任 下 士 官 を 初 め32 名 の 小 隊 員 を 指 揮 して 人 民 軍 が 占 領 していた 高 地 を 第 2 小 隊 と 共 に 進 撃 し 占 領 した 進 撃 占 領 はしたが 米 軍 の 焦 土 化 砲 撃 で 敵 は 既 に 北 方 後 方 に 駆 逐 されて 防 護 高 地 に 後 退 し 我 々1,2 小 隊 は 無 血 無 戦 闘 で 高 地 を 占 領 したに 過 ぎなかった 戦 闘 で 敵 地 を 占 領 して 留 まる 時 は 小 隊 長 や 中 隊 長 などの 指 揮 官 は 直 ちに 敵 軍 の 奇 襲 又 は 逆 襲 に 備 えて 四 方 防 護 の 兵 士 を 配 置 し 陣 地 を 構 築 しなければならな い 従 って 敵 情 を 調 べて 四 方 防 護 のため 兵 士 を 配 置 するべく 第 2 小 隊 長 と 共 に 高 地 を 視 察 していた ある 高 地 で 二 人 の 小 隊 長 が 前 方 を 眺 めている 時 敵 陣 から 銃 弾 が 飛 んできた 第 1 弾 が 私 の 横 に 並 んで 立 っていた 第 2 小 隊 長 の 心 臓 に 的 中 し たのである 私 はその 銃 声 と 反 射 的 に 高 地 の 後 方 にうつぶせたが 私 の 顔 と 心 臓 にも 熱 い 血 が 流 れてきて 血 まみれになった 随 ってきた 私 の 連 絡 兵 が 走 りより 何 処 を 負 傷 したかと 尋 ねて 調 べたが 私 はどこにも 銃 弾 を 受 けた 痕 跡 は 探 してもな かった 私 の 顔 が 熱 い 血 で 染 まったのは 横 の 第 2 小 隊 長 の 心 臓 に 当 たった 銃 弾 の 傷 跡 から 噴 き 出 した 赤 い 血 だったのである 二 人 の 小 隊 長 が 並 んで 立 っていたが 何 故 敵 の 狙 撃 手 は 第 2 小 隊 長 を 先 ず 射 撃 したのだろうか? それも 運 命 の 瞬 間 だっ たのか? 第 2 小 隊 長 の 名 前 も 今 では 思 い 出 せないが 彼 は 私 と 同 じく 陸 軍 総 合 学 校 の 同 期 生 で 小 隊 長 も 同 時 に 任 命 を 受 けた 彼 は 高 等 学 校 3 学 年 で 総 合 学 校 に19 歳 の 歳 で 入 学 し 前 線 の 小 隊 長 として 配 置 されたのである 彼 は 蔚 山 の 富 裕 な 家 庭 出 身 で 少 尉 に 任 官 するや 当 時 高 級 将 校 たちが 権 威 誇 示 の 一 つとして 流 行 していた 赤 皮 の 半 長 靴 を 履 き 雨 衣 (レインコート)も 一 般 官 給 品 ではなく 高 級 雨 衣 を 買 っ て 着 ていた 我 々の 高 地 を 退 却 した 人 民 軍 の 狙 撃 手 が 近 くの 高 地 の 林 の 中 から 我 々を 銃 撃 したのだが 高 級 の 靴 と 雨 衣 で 飾 った 彼 を 高 級 将 校 として 粗 末 な 服 23

装 の 私 は 彼 の 連 絡 兵 又 は 副 官 と 誤 認 したのである 敵 の 狙 撃 手 は 彼 の 胸 を 照 準 し たのであろう 彼 の 亡 骸 は 後 送 され 国 立 墓 地 に 埋 葬 されたが 今 では 彼 の 軍 番 も 名 前 も 思 い 出 せず 心 から 冥 福 を 祈 るだけである 彼 は 良 くは 祖 国 を 守 った 殉 国 の 勇 士 であり 個 人 としては 悲 運 な 時 代 に 生 まれ 美 しい 青 春 の 夢 も 果 たすことができずこの 世 から 消 えた 犠 牲 者 だったのである 虎 の 代 わりに 人 民 軍 兵 を 上 のように 我 が 小 隊 は 人 民 軍 の 高 地 を 無 血 占 領 するや 引 き 続 き 人 民 軍 が 後 退 いんじぇ そ ふ ぁ した 防 護 陣 地 への 攻 撃 命 令 が 下 った その 高 地 は 我 々が 占 領 した 麟 蹄 郡 瑞 和 里 に 位 置 した 高 地 から 約 1km 北 方 の 高 地 だった 私 は 我 が 小 隊 を 率 いて 中 間 の 溪 谷 を 過 ぎ 人 民 軍 防 護 高 地 の3 部 稜 線 まで 米 軍 野 砲 の 掩 護 砲 撃 の 中 で 迅 速 に 進 撃 し た ところでここからひっそりしていた 高 地 に 人 民 軍 の 銃 撃 があり 手 榴 弾 が 投 げ られ 始 めた 士 兵 たちは 敵 高 地 3 部 稜 線 でうつぶせになったまま 動 こうとはしな かった 小 隊 長 として 私 は 責 任 感 と 焦 燥 感 に 押 され うつぶせになったまま 微 動 だにしない 小 隊 員 たちの 踵 の 近 くにカービン 銃 を 撃 って 進 撃 を 強 要 した このよ うに 死 を 覚 悟 して 敵 の 防 護 高 地 を 登 ってゆくと 敵 兵 は 皆 退 却 してしまい 深 く 掘 られた 防 護 濠 にも 敵 兵 はいなかった 何 時 の 間 にか 陽 は 暮 れて 暗 くなる 時 間 だっ た 敵 地 を 占 領 して 直 ちにしなければならないことは 四 周 防 護 のために 兵 士 の 配 置 をすべく 私 は 夢 中 であちこちの 地 形 地 物 の 偵 察 をするため 飛 び 回 った ところ が 横 に 従 っていた 連 絡 兵 が 小 隊 長 脚 を 負 傷 しています と 叫 んだ その 連 絡 兵 の 声 を 聞 いて 左 側 の 脚 を 見 るとズボンの 股 下 が 血 だらけになって 靴 の 中 は 血 がいっぱいだった 私 は 銃 弾 を 受 けて 痛 みも 分 からず 兵 士 の 配 置 に 夢 中 で 飛 び 回 っていたが 銃 傷 を 受 けたことが 分 かったその 時 から 痛 みがきて 体 を 動 かすこと ができなかった 私 は 四 周 防 護 に 兵 士 配 置 も 完 了 できないまま 連 絡 兵 に 寄 りかか って 急 傾 斜 の 高 地 から 滑 り 落 ちるように 転 がり 降 りて 溪 谷 の 平 地 まで 降 りた 戦 闘 中 の 負 傷 兵 は 連 隊 衛 生 兵 を 呼 んで 応 急 処 置 を 受 け 担 架 に 乗 せられ 護 送 される システムだったが 衛 生 兵 も 横 にはおらず 連 隊 本 部 に 連 絡 する 通 信 網 もないので 連 隊 本 部 までは 歩 かなければならなかった 連 絡 兵 に 背 負 われ 後 方 の 連 隊 本 部 が ある 険 しい 高 地 まで 登 って 行 くこともできなかった やむを 得 ず 連 絡 兵 の 肩 に 寄 りかかって 溪 谷 の 道 に 沿 って 後 方 の 我 が 軍 の 部 隊 まで 歩 いていった 溪 谷 の 道 を 500mほど 歩 いて 行 った 時 急 に 長 銃 を 担 いだ 人 民 軍 服 装 の 二 人 が 現 れた 我 々 二 人 は 武 器 を 持 って 降 りてくる 力 もない 非 武 装 の 丸 裸 だった 否 応 なく 人 民 24

軍 に 銃 殺 されるのかと 一 瞬 思 った しかし 瞬 間 的 に 私 は 右 の 手 で 右 側 のズボンの ポケットに 手 をいれ 拳 銃 を 引 き 出 すまねをしながら 手 を 上 げろ! と 叫 んだ 意 外 にも 人 民 軍 の 二 人 は 手 を 上 げ 静 止 するではないか! 連 絡 兵 に 命 じて 人 民 軍 の 武 装 解 除 をさせ 回 収 した 銃 二 挺 は 連 絡 兵 が 担 いだ そして 私 は 人 民 軍 捕 虜 二 人 に 交 代 で 背 負 わせ 約 1km 後 方 の 連 隊 本 部 高 地 に 到 着 した 私 は 非 武 装 の 負 傷 者 を 座 して 二 人 の 人 民 軍 を 捕 虜 として 捕 まえ 彼 らの 背 に 負 ぶさって 後 方 に 移 送 さ れ 生 き 残 った 幸 運 に 逢 ったのである 虎 の 背 でない 敵 の 人 民 軍 の 背 に 負 ぶさって 死 線 を 脱 出 したわけである 人 民 軍 二 人 は 捕 虜 として 連 隊 本 部 に 引 き 継 ぎ 私 は 負 傷 将 兵 護 送 車 両 に 載 せら いんじぇ そ ふ ぁ れ 麟 蹄 郡 瑞 和 里 から 蔚 山 に 後 送 され 臨 時 治 療 を 受 け 釜 山 第 3 陸 軍 病 院 ( 釜 山 国 民 学 校 校 舎 )に 入 院 した ここで 診 断 された 負 傷 名 は 左 側 大 腿 部 貫 通 傷 だった 即 ち 左 側 太 股 を 銃 弾 が 貫 いていった 傷 である 同 じく 幸 いなことに 太 股 の 骨 の 間 で 横 を 貫 通 したが 骨 は 傷 ついてないが 神 経 が 損 傷 を 受 け 左 側 の 脚 が 麻 痺 するだ ろうという 外 科 医 の 診 断 だった 第 3 陸 軍 病 院 では 約 1ヶ 月 は 病 床 に 寝 たまま 傷 と 神 経 の 治 療 を 受 け 神 経 は 元 に 戻 ることはないが 傷 は 完 治 して 松 葉 杖 をついて 外 出 もできるようになった 1951 年 7 月 末 頃 入 院 してから 約 3ヶ 月 ぶりに 病 院 の 治 療 は 終 わり 傷 病 軍 人 たちが 待 機 する 援 護 隊 (839 部 隊 )という 傷 痍 軍 人 集 合 部 隊 に 移 動 した ここ 援 護 隊 は 傷 病 軍 人 たちの 治 療 程 度 と 状 態 に 応 じて 原 隊 復 帰 する 者 と 除 隊 する 者 を 分 類 審 査 する 待 機 部 隊 だった 傷 が 正 常 回 復 してな くても 運 身 活 動 をすることができる 人 は 後 方 勤 務 部 隊 に 復 帰 させ その 後 方 勤 務 もできない 人 だけ 除 隊 させ 殆 ど 活 動 に 支 障 がない 完 治 者 は 一 線 部 隊 に 復 帰 させ た 私 は 現 役 復 帰 か 除 隊 対 象 かの 分 岐 点 の 線 上 にいた 現 役 除 隊 して 家 路 へ ところで1951 年 7 月 頃 には6 25 戦 局 が38 度 線 北 方 での 戦 闘 が 膠 着 状 態 に 陥 ると 休 戦 協 渉 が 提 起 されていた これによって 傷 痍 将 兵 は 大 量 に 除 隊 され た 私 の 除 隊 もそのお 陰 で 困 難 がなくなった 一 時 起 居 していた 木 浦 の 妻 の 実 家 に 松 葉 杖 をついて 訪 ねて 行 った 皆 死 んでいた 人 が 生 きてきたように 喜 んで 迎 え てくれた 妻 の 実 家 で 二 晩 休 み 妻 と 共 に 松 葉 杖 をついて 祖 父 父 母 がいる 故 郷 に 戻 ってき たのである やはり 家 族 たち 特 に 母 は 失 っていた 家 族 に 再 び 会 ったように 再 会 の 涙 で 喜 んでくれた 25