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接 支 払 制 度 を 活 用 するか 意 思 を 確 認 する 確 認 に 当 たっては 次 の 各 号 に 掲 げる 事 項 について 書 面 により 世 帯 主 の 合 意 を 得 て 代 理 契 約 を 締 結 するものとする (1) 医 療 機 関 等 が 本 市 に 対 し 世 帯 主

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(3) 下 水 道 接 続 のみとなる 配 管 工 事 (4) 浄 化 槽 設 備 の 工 事 (5) 解 体 工 事 (6) 市 等 の 他 の 補 助 制 度 ( 国 が 実 施 するエコポイント 制 度 を 除 く )を 利 用 する 工 事 (7) 前 各 号 に 掲 げるもののほか 市 長

も く じ 1 税 源 移 譲 1 2 何 が 変 わったのか 改 正 の 3 つ の ポイント ポイント1 国 から 地 方 へ 3 兆 円 規 模 の 税 源 が 移 譲 される 2 ポイント2 個 人 住 民 税 の 税 率 構 造 が 一 律 10%に 変 わる 3 ポイント3 個 々の 納

Transcription:

駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 1 號 平 成 22 年 10 月 (95) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 木 村 誠 司 はじめに チベットの 学 説 綱 要 書 (grub mtha )の 重 要 性 については 今 さら 説 明 の 必 要 もないであろう 数 ある 書 の 中 でも ジャムヤンシェーパ Jam dbyangs bzhad pa(168-1722) 作 (GK, 略 号 については 以 下 の 注 ⑶ 参 照 )と チャンキャ lcang skya(1717-86) 作 (GTh 略 号 については 以 下 の 注 ⑺ 参 照 ) の 学 説 綱 要 書 は 利 用 頻 度 も 高 く 評 判 も 高 い ⑴ GTh の 毘 婆 沙 師 (Vaibhāsika) 章 に 関 しては すでに 池 田 錬 太 郎 氏 に より 内 要 概 観 が 提 示 されている また GK は 毘 婆 沙 師 章 を 含 め 全 編 に 渡 り ホプキンス 氏 (J.Hopkins)が 訳 註 研 究 している ⑵ それ 故 今 更 筆 者 が 扱 う 必 要 などないのかもしれない しかし ホプキンス 氏 の 研 究 には 残 念 ながら 学 的 成 果 が 十 分 に 反 映 されていない 面 がある そこで 本 稿 におい て その 点 を 加 味 して 簡 単 な 報 告 をしてみたい ⑶ なぜ 毘 婆 沙 師 の 章 を 取 り 上 げるのかというならば 筆 者 の 個 人 的 関 心 のた めと 言 うしかない 仏 教 の 理 解 は 毘 婆 沙 師 の 理 解 に 比 例 するという 想 いが 強 まってきているので その 一 助 としてジャムヤンシェーパを 読 んでみたい と いうだけのことである とはいえ 今 の 筆 者 に 十 分 な 読 解 が 出 来 るわけでもな い 先 人 の 研 究 を 参 考 にして 内 容 の 一 端 を 紹 介 するにすぎない 以 下 は 極 めて 簡 単 な 途 中 報 告 とご 理 解 してもらえれば 幸 いである Ⅰ では 以 下 に 毘 婆 沙 師 章 の 概 要 を 示 そう ホプキンス 本 では pp.208-2 に 相 当 する ただし 筆 者 には 未 だに 不 明 な 点 も 多 いので 暫 定 的 な 訳 をつけるしかなかった 箇 所 もある その 点 は 今 後 訂 正 していく 始 めに 内 -32-

(96) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) 容 科 段 (sa bcad)を 提 示 し 若 干 の 解 説 を 加 え 理 解 出 来 た 範 囲 で 特 徴 を 述 べてみたい 内 容 科 段 Ⅰ. 人 無 我 の 細 疎 を 確 定 する 学 説 の 解 説 (gang zag gi bdag med phra rags gtan la dbab pa i grub mtha bshad pa) ⑷ (f.29/6-386/) I-a. 常 一 自 在 の 我 はないことを 確 定 する 学 説 の 解 説 (rtag gcig rang dbang can gyi bdag med gtan la dbab pa i grub mtha bshad pa) (f.295/1-335/) I-a-1. 毘 婆 沙 師 の 語 源 的 解 説 (sgra bshad)(f.295/1-5) I-a-2. 毘 婆 沙 師 の 区 分 (bye ba)(f.295/5-309/5) I-a-2-1. 毘 婆 沙 師 の 区 分 に 関 する 道 理 ( thad ldan) ⑸ (f.295/5-30/3) I-a-2-2. 毘 婆 沙 師 の 区 分 に 関 する 誤 解 の 否 定 ( khrul ba dgag pa) (f.30/3-309/5) I-a-3. 学 説 の 流 儀 の 解 説 (grub mtha i lugs bshad pa)(f.309/5-33/5) I-a-3-1. 主 張 法 一 般 論 ( dod tshul spyir bstan)(f.309/5-317/2) I-a-3-1-1. 根 本 (gzhi)(f.309/5-312/1) I-a-3-1-2. 道 (lam)(f.312/1-31/) I-a-3-1-3 果 報 ( bras bu)(f.31/-317/2) I-a-3-2. 各 論 (khyad par du bshad pa)(f.317/2-335/) I-a-3-2-1. 二 諦 (bden gnyis)(317/3-318/) I-a-3-2-2. 三 蔵 (f.318/-320/5) I-a-3-2-3. 知 覚 (mngon sum)(f.320/5-321/) I-a-3-2-. 因 果 (rgyu bras bu)(f.321/-322/2) I-a-3-2-5. 知 の 形 象 (shes rnam)と 五 位 (gzhi lnga)(f.322/2-325/) I-a-3-2-6. 仏 (sangs rgyas) の 色 身 (f.325/-326/) I-a-3-2-7. 各 部 派 の 独 自 性 (f.326/-335/) 以 上 が 内 容 科 段 とその 箇 所 である 次 に その 中 味 をスケッチしてみよう I-a-1. 毘 婆 沙 師 の 語 源 的 解 説 では 部 派 名 の 由 来 が 示 される 次 のよう に 言 う 典 籍 は 毘 婆 沙 論 海 (Bye brag bshad mtsho) = 大 毘 婆 沙 論 Māhāvibhās a, Bye brag bshad chen po に 準 じ 内 容 の 説 き 方 は 実 体 (rdzas)の 区 別 を 多 く 論 じる -31-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) (97) その 両 者 を 通 じて 毘 婆 沙 師 = 区 別 論 者 ⑹ と 命 名 された gzhung bye brag bshad mtsho i rjes su brangs dang/brjod bya chad tshul rdzas kyi bye brag mang du smra ba gnyis ka i sgo nas bye brag smra bar btags te/ (f.295/2-3)(ホプキンス 本 p.208 に 英 訳 あり) チャンキャの GTh ⑺ には 類 似 する 記 述 がある 毘 婆 沙 論 海 または 大 毘 婆 沙 論 という 典 籍 に 準 じる 者 あるいは 三 時 (dus gsum, trikāla)の 実 体 (rdzas)を 区 別 して 論 じるので 毘 婆 沙 師 というべきであ る bye brag bshad mtsho am bye brag tu bshad pa chen po zhes bya ba i gzhung gi rjes su brangs pa am/dus gsum rdzas kyi bye brag tu smra bas bye brag smra ba zhes bya ste/(f.107/2-3) (この 部 分 は はじめにの 注 ⑵の 池 田 論 文 p.2 に 訳 されている ) I-a-2 の 区 分 は 部 派 分 裂 の 次 第 を 論 じる 箇 所 である 重 要 性 は 理 解 出 来 るものの 現 在 の 筆 者 の 素 養 が 及 ばない 分 野 であるので 如 何 なるコメントも かなわない (ホプキンス 本 pp.209-222 には 図 等 も 提 示 され 詳 しく 説 明 され ている また 塩 見 佳 正 チベットにおける 部 派 仏 教 理 解 についての 一 考 察 BSGT 第 VIII 章 に 用 いられる 部 派 資 料 印 度 学 仏 教 学 研 究 1-2, 1992, pp.911-909 も 参 照 ) 次 に I-a-3 以 降 では 教 義 に 入 る 一 般 論 では 根 本 (gzhi), 道 (lam), 果 報 ( bras bu)の 3 点 から 論 述 がなされる この3 点 は 蔵 文 大 辞 典 では 一 切 乗 の 見 解 修 習 果 報 に 結 び 付 く すなわち 根 本 たる 見 解 を 確 定 し 道 たる 修 習 によって 体 得 し 果 報 たる 菩 提 を 得 るという3つを 具 えていること と 解 説 されている 他 派 においても 根 本 道 果 報 の 下 に 一 般 論 は 進 む ⑻ 各 論 中 の I-a-3-2-1 ここでは 毘 婆 沙 師 と 聖 典 に 準 じる 経 量 部 は 倶 舎 論 Abhidharmakośabhās ya と 一 致 する 二 諦 説 を 説 くが 論 理 に 準 じる 経 量 部 はそれと 異 なると 指 摘 される 後 者 は ダルマキールティ(Dharmakīrti) の 量 評 釈 Pramān avārttika に 準 じる 二 諦 は チベットの 毘 婆 沙 師 研 究 に おいても 重 要 な 問 題 であった また 従 来 ダルマキールティの 二 諦 は 戸 崎 宏 正 仏 教 認 識 論 の 研 究 昭 -30-

(98) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) 和 5 年 pp.61-66 や 松 本 史 朗 仏 教 論 理 学 派 の 二 諦 説 上 中 下 南 都 仏 教 5-7 1980-1981 E.Steinkellner: Is Dharmakīrti a Mādhyamika? Earliest Buddhism and Mādhyamaka, 1990 pp.72-90 に 代 表 されるように 経 量 部 唯 識 派 中 観 派 のラインで 言 及 されることが 多 かった しかし 毘 婆 沙 師 の 二 諦 説 等 を 視 野 に 入 れなければ 真 の 問 題 解 決 には 至 らないであろう 筆 者 自 身 その 認 識 を 持 ち 得 たのは 極 最 近 のことであって 不 明 を 恥 ずるしかない この 点 を 鋭 く 指 摘 しているのは 秋 本 勝 氏 である 秋 本 氏 は おそらくダルマキー ルティの 存 在 の 定 義 はヴァスバンドゥ サンガバドラ スティラマティに 至 る 三 世 実 有 の 議 論 の 展 開 過 程 のなかで 生 まれたものであると 筆 者 は 考 えたい ( 仏 教 における 存 在 の 定 義 櫻 部 健 博 士 喜 寿 記 念 論 集 初 期 仏 教 からアビダ ルマへ 2002, pp.33-3)と 述 べている 氏 は 二 諦 とはいわないが 思 想 的 に 密 接 に 絡 んでいることは 確 かである 他 にも 二 諦 にまつわる 問 題 は 多 い ⑼ I-a-3-2-2 三 蔵 では アビダルマが 仏 説 か 否 か 等 が 論 じられ その 位 置 付 け 等 が 示 される ⑽ 次 の I-a-3-2-3 知 覚 では 知 覚 から 自 己 認 識 (rang rig, svasam vedana)が 除 外 されてる ⑾ I-a-3-2- 因 果 では 六 因 が ごく 簡 単 に 示 される I-a-3-2-5 知 の 形 象 と 五 位 では 感 官 から 生 じる 知 (dbang skyes blo)は 無 形 象 であるが 極 微 (phra rab, paramān u)の 積 重 をもの(dngos, bhāva) と 知 る (dbang skyes blo ni rnam med kyi/phra rab bsags pa dngos su rig/ f.322,l.2)とあり 無 形 象 知 識 論 (nirākārajñānavāda)が 示 され 所 知 (shes bya, jñeya)として 五 位 が 説 かれる ⑿ I-2-3-2-6 仏 の 色 身 は 筆 者 の 知 識 不 足 で 実 のある 報 告 は 何 も 出 来 ない (ホプキンス 氏 は この 箇 所 を featurs of a Buddha(p.23-2)と 訳 している ) ⒀ 最 後 の I-2-3-2-7 各 部 派 の 独 自 性 は 毘 婆 沙 師 をさらに 細 分 化 した 各 部 派 の 説 を 論 じているようである (ホプキンス 氏 は この 箇 所 を unique features of -339-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) (99) the individual schools(p.2)と 訳 す ) ⒁ 以 上 極 めて 雑 駁 な 報 告 しか 出 来 なかった ホプキンス 氏 の 労 作 も 十 分 に 使 い こなせていない ただ 同 氏 の 著 作 は 原 典 との 対 応 がしにくいという 恨 みが ある その 点 を 配 慮 しただけのメリットはあるかもしれない いずれにしろ 本 稿 は 研 究 の 足 場 作 りという 意 味 しか 持 ち 合 わせていない 出 来 る 限 り 情 報 を 整 理 し 自 らの 指 針 となるような 注 を 付 すことを 心 がけたが 雑 然 とし 使 用 には 煩 である 感 を 否 めない 備 忘 録 として 活 用 して 頂 ければ これに 過 ぎた ることはない 注 ⑴ 学 説 綱 要 書 全 般 に 関 しては 御 牧 克 己 チベットにおける 宗 義 文 献 ( 学 説 綱 要 書 )の 問 題 東 洋 学 術 研 究 21-2, 1982, pp.179-192 参 照 また ジャムヤンシェー パとチャンキャ 学 説 綱 要 書 の 記 述 スタイルについて 松 本 史 朗 チベットの 仏 教 学 について 東 洋 学 術 研 究 20-1, 1981, pp18-19 では 私 見 によれば 知 識 の 豊 富 さではジャムヤンシェーパに 一 歩 を 譲 ったチャンキャは その 思 考 の 集 中 度 において 彼 を 凌 駕 したのである と 述 べている 山 口 瑞 鳳 チベット 下 1988, pp.120-121 も 参 照 ⑵ 池 田 錬 太 郎 lcan skya 宗 義 書 における Vaibhās ika 章 について 日 本 西 蔵 学 会 会 報 25, 1979 pp.1- J.Hopkins: Maps of the Profound, Jam-yang-shay-ba s Great Exposition of Buddhist and Non-Buddhist Views on the Nature of Reality, Ithaca,New York,2003 ホプキンス 氏 は ジャムヤンシェーパの 偈 を root text とし 訳 を 与 え 自 注 には 適 宜 触 れるだけである また 同 氏 は ガクワンペルデン(nGag dbang dpal ldan)と いうモンゴル 人 学 僧 の GK 注 等 も 利 用 しているが(pp.6-8 参 照 ) この 人 物 については ホプキンス 氏 の 情 報 は ほとんどなく 筆 者 もまた 何 も 知 ることはない ⑶ 底 本 として The collected works of jam-dbyan s-bz ad-pa i-rdo-rje, vol.1, New Delhi, 1973 を 使 用 した ジャムヤンシェーパの 学 説 綱 要 書 は 大 学 説 綱 要 書 grub mtha chen mo と 呼 ばれているが( 松 本 史 朗 チベット 仏 教 哲 学 1997,p.36)その 正 式 タイトルは テキストによれば 学 説 解 説 自 他 全 学 説 深 義 明 解 普 賢 国 太 陽 経 理 大 海 有 情 希 求 達 意 Grub mtha rnam bshad rang gzhan grub mtha kun dang zab don mchog tu gsal ba Kun bzang zhing gi nyi ma lung rigs rgya mtsho skye dgu i re ba kun skong(gk)である 前 掲 注 ⑵のホプキンス 本 ( 以 下 ホプキンス 本 )p.5 に は GK 具 名 の 英 訳 がある 教 義 的 説 明 に 入 る 前 に 仏 教 部 派 の 分 類 大 乗 仏 教 との 関 わりについて 興 味 深 い 記 述 があるので 紹 介 しておきたい 一 般 に インド 仏 教 は 毘 婆 沙 師 経 量 部 (mdo sde pa, Sautrāntika), 唯 心 派 (Sems tsam pa,vijñāptimātra) 中 観 派 (dbu -338-

(100) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) ma pa, Mādhyamika)の 者 に 分 類 され 学 説 綱 要 書 もそれに 従 って 論 述 が 進 む (この 点 については 前 掲 の 松 本 本 pp.35-36 参 照 梶 山 雄 一 仏 教 における 存 在 と 知 識 1983, p.1 も 参 照 なお GK も GTh も 中 観 派 の 後 に 密 教 を 説 く)ジャムヤンシェー パも 例 外 ではない 彼 は こう 述 べている 経 と 理 によって 自 部 = 仏 教 の 学 説 はと 設 定 される 自 部 において 毘 婆 沙 師 経 量 部 中 観 派 唯 心 派 つに 数 を 確 定 し(ホプキンス 本 p.192 に 英 訳 あり) lung rigs kyis rang sde i grub mtha bzhir bzhag pa dang/ rang sde la bye mdo dbu sems bzhir grangs nges te/(f.280/5-6) これに 対 し 次 のように 異 説 が 示 され 否 定 されている クンシェーケンポ(kun shes mkhan po)は また 毘 婆 沙 師 中 に 経 量 部 を 認 めるので 学 説 を3つとし チベットのある 者 は 犢 子 部 (gnas ma bu ba,vātsīputrīya)を 毘 婆 沙 師 から 別 にして 学 説 を5つと 主 張 する 彼 らは 錯 乱 しているのである kun shes mkhan pos kyang/bye smra i nang du mdo sde pa dod pas grub mtha gsum byas pa dang/bod kha cig/gnas ma bu ba bye smra las gzhan byas te grub mtha lngar dod pa rnams khrul te/(f.283/5-6) ホプキンス 本 p.193 に 英 訳 がある クンシェーケンポ と 筆 者 が 訳 した 部 分 は [Dak-tsang Shay-rap-rin-chen]the author of knowing All Tenents とする 確 かに タ クツァンパ stag tshang pa(105-?)の 学 説 綱 要 書 学 説 一 切 知 離 辺 成 就 Grub mtha kun shes nas mtha bral sgrub pa 北 京 200, 民 族 出 版 社 和 青 海 民 族 出 版 社 朕 合 出 版 p.8,ll.12-13 には 外 境 論 者 唯 心 派 無 自 性 論 者 3つにも ま とめられる don sems ngo bo nyid med gsum du ang du// とある しかし その 直 前 には 自 部 は 毘 婆 沙 師 と 経 量 部 と 瑜 珈 行 派 と 中 観 派 のつである rang sde bye brag smra ba mdo sde pa//rnar byor spyod pa dbu ma pa dang bzhi// と 明 言 してい る 故 に ジャムヤンシェーパの 批 判 は 不 当 なものであろう なお タクツァンパに ついては 松 本 史 朗 stag tshan pa の Tson kha pa 批 判 について 日 本 西 蔵 学 会 会 報 28,1982,pp.11-1 参 照 さらに 次 のような 興 味 深 い 記 述 もある 毘 婆 沙 師 においても 大 衆 部 (Phal chen sde pa, Mahāsan gika) の 諸 経 と 大 乗 は 一 致 するので 大 乗 を 認 めている 者 が 1 部 いることは 明 らかなのである 論 理 に よって 証 明 されているからである その 時 期 の 一 般 的 な 毘 婆 沙 師 と 犢 子 部 も 大 乗 経 において 無 実 体 (dngos po med pa,avastu) を 説 くことそれは サ ンキャ 派 (Grangs can, Sām kya) 等 の 外 道 の 見 解 たる 常 住 なる 実 体 を 否 定 することである という 意 図 を 承 認 しているからである bye smra la yang phal chen sde pa i mdo dag dang theg chen mthun pas theg chen dod pa kha shes yod par mngon te/rigs pas sgrub pa i phyir te/de dus kyi bye smra spyi dang gnas ma bus kyang theg chen gyi mdo las dngos po med par gsungs pa de grangs can sogs mu stegs lugs rtag dngos dgag pa yin zhes -337-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 )(101) dgongs pa len pa i phyir dang/(f.291/5-6) 毘 婆 沙 師 と 大 衆 部 そして 毘 婆 沙 師 と 犢 子 部 は 対 立 関 係 にあった 印 象 が 筆 者 には 強 い 大 乗 仏 教 大 衆 部 起 源 説 については S. Charoenstriset 大 乗 仏 教 起 源 説 の 問 題 を めぐって:Kusana 王 朝 における 仏 教 を 中 心 として 印 度 学 仏 教 学 研 究 57-1, 2008, pp.398-395 に 研 究 史 が 簡 潔 に 示 されている Charoenstriset 氏 は 大 乗 仏 教 は 部 派 仏 教 の 中 で 共 存 していた と 結 論 するが 袴 谷 憲 昭 氏 の 仏 教 教 団 史 2002 には 言 及 がない 有 部 と 大 衆 部 の 考 え 方 の 相 違 を 鋭 く 示 すものとして 池 田 錬 太 郎 信 仰 に 対 する 有 部 の 立 場 について 日 本 仏 教 学 会 年 報 67,2002,pp.28-33 参 照 毘 婆 沙 師 と 犢 子 部 の 我 を 巡 る 論 争 は 倶 舎 論 Abhidharmakośabhās ya の 破 我 品 (ātmavādapratis edha)( 破 我 品 の 梵 名 については 李 鐘 徹 世 親 思 想 の 研 究 釈 軌 論 を 中 心 としてー 2001,p.11 の 注 ⑴ 参 照 )を 見 れば 一 目 瞭 然 である 多 くの 研 究 がある が ここでは 先 駆 的 な 業 績 として 櫻 部 健 破 我 品 の 研 究 大 谷 大 学 研 究 年 報 12,1960,pp.21-112 船 橋 一 哉 称 友 造 阿 毘 達 磨 倶 舎 論 明 瞭 義 釈 破 我 品 大 谷 大 学 研 究 年 報 15,1963,pp.1-61 最 近 のものとして 村 上 真 完 人 格 主 体 論 ( 霊 魂 論 )- 倶 舎 論 破 我 品 訳 註 ( 一 ) 塚 本 啓 祥 教 授 還 暦 記 念 論 文 集 : 知 の 邂 逅 仏 教 と 科 学 1993,pp.271-292 同 人 格 主 体 論 ( 霊 魂 論 ) 倶 舎 論 破 我 品 訳 註 ( 二 ) 渡 辺 文 麿 博 士 追 悼 記 念 論 集 : 原 始 仏 教 と 大 乗 仏 教 下 1993,pp.99-10 D.James: Indian Buddhist Theories of persons/ Vasubandhu s Refutation of the Theory of a Self, Rep. 2005, London を 挙 げ ておく)この 記 述 からは 部 派 同 士 の 関 係 が 単 純 に 割 り 切 れるものではないことが 伺 える いずれにしろ 筆 者 には 全 く 未 知 の 分 野 なので 簡 単 な 紹 介 に 止 める ホプキ ンス 本 pp.19-206 にも 詳 しい 説 明 があるが 活 かせなかった ⑷ 人 無 我 を 論 じるのが 毘 婆 沙 師 (f.29/6-335/)と 経 量 部 (f.335/-386/) 法 無 我 を 論 じるのが 唯 識 派 (f.397/-611/6)と 中 観 派 (f.61/2-1077/)とされる 人 無 我 と 法 無 我 については 船 橋 尚 哉 煩 悩 障 所 知 障 と 人 法 二 無 我 仏 教 学 セミナー 1,1965, pp.52-66, 早 島 理 人 法 二 無 我 論 瑜 伽 行 唯 識 派 における 南 都 仏 教 5,1985, pp.1-18 池 田 道 浩 声 聞 独 覚 の 法 無 我 理 解 を 可 能 にする 論 理 日 本 西 蔵 学 会 会 報 9,2003, pp.27-35 櫻 井 智 造 タルマリンチェン 造 Bodhicaryavatāra 注 釈 rgyal sras jug ngogs における 人 法 二 無 我 論 日 本 西 蔵 学 会 会 報 7, pp.19-30 参 照 GK では 経 量 部 を 実 有 (rdzas yod)の 我 がないことを 確 定 する 学 説 (f.295/1)と 呼 び 毘 婆 沙 師 の 人 無 我 と 区 別 しているが その 意 味 は 判 然 としない ただ rdzas(dravya)については 現 銀 谷 史 明 毘 婆 沙 部 (bye brag smra ba) における 存 在 の 分 類 日 本 西 蔵 学 会 会 報 7,2002, pp.3-17 でも 問 題 視 され 次 のよ うな 貴 重 な 報 告 がなされている 毘 婆 沙 部 の 存 在 論 についてのゲルク 派 の 見 解 には rdzas yod は rdzas su yod pa の 単 なる 省 略 形 なのではなく 指 示 対 象 を 異 にする 概 念 であるという 認 識 があっ たわけである (p.1) 同 氏 は rdzas yod を 実 体 存 在 rdzas su yod pa を 実 体 として 存 在 するもの と 訳 す(p.1) また 佐 古 年 穂 倶 舎 論 における dravya について 江 島 恵 教 博 士 追 悼 論 集 空 -336-

(102) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) と 実 在 2001, pp.37-50 では rdzas に 対 応 する dravya に 関 して 以 下 のように 述 べる このように 説 一 切 有 部 は dravya を 独 自 のあり 方 をするもの とみなし 存 在 要 素 (dharma) という 語 では 十 分 に 示 すことのできない 個 別 性 を 強 調 する 場 合 にこの 語 を 用 いているのである それに 対 して 経 量 部 / 世 親 は 実 体 性 を 強 調 して 批 判 を 加 えている ここに 両 者 の 大 きなズレが 生 じているものと 考 えら れる(p.7) さらに 齋 藤 直 樹 氏 は 佐 古 氏 の 論 文 に 言 及 しないものの dravya を 単 一 体 と 訳 す ( 齋 藤 直 樹 自 性 の 特 異 性 倶 舎 論 に 表 れる 説 一 切 有 部 の 教 学 上 の 基 礎 概 念 印 度 学 仏 教 学 研 究 5-2, 2006, pp.930-92, 特 に( 注 ⑷ 参 照 ) 齋 藤 氏 は 三 世 実 有 論 の svabhāva 自 性 に 対 しても 実 体 的 に 把 握 することに 警 鐘 を 鳴 らしている ( 注 ⑾ 参 照 ) 氏 は svabhāva には 生 成 体 という 訳 を 与 えている ( 注 ⑷ 参 照 ) 同 氏 の 見 解 には 賛 意 を 表 するが 簡 単 に 自 性 = 自 相 としている 点 には 同 意 出 来 ない 術 語 間 の 異 同 については 検 討 すべき 点 は まだ 多 いと 思 われる 現 銀 谷 氏 は 佐 古 氏 の 論 文 にも 触 れている しかし rdzas を 実 体 と 訳 す 以 上 ゲルク 派 の rdzas を 実 体 と 理 解 しているということになる 筆 者 も 本 稿 では 実 体 と 訳 すが かなり 抵 抗 のある 訳 語 である 現 時 点 では dravya を 存 在 上 同 レベルのものの 独 自 性 という 意 味 と 捉 えている いずれ dravya(=rdzas)に 関 する 網 羅 的 な 研 究 をしてみたい その 意 味 で 有 部 のみの 実 在 概 念 を 研 究 するだけで は 不 十 分 であろう 村 上 真 完 何 が 真 実 であるかーウパニッシャドから 仏 教 へ 東 北 大 学 文 学 部 研 究 年 報 2, 平 成 6 年 pp.1-53 において 村 上 博 士 は 倶 舎 論 の dravya とヴァイシェーシカ 学 派 のそれは 異 なる と 明 言 されている (p.3, p.37, p.38, p.51 の 注 ) dravya についての 研 究 は 古 くは 金 倉 円 照 印 度 諸 哲 学 の 真 理 觀 と 仏 教 宮 本 正 尊 編 仏 教 の 根 本 真 理 昭 和 31 年 pp.390-399 がある 有 賀 弘 紀 ヴァ イシェーシカ 学 派 の 実 体 資 料 についての 考 察 情 報 共 有 資 料 群 の 視 点 からー 印 度 学 仏 教 学 研 究 50-2, 2002, pp.961-957 も 資 料 的 な 情 報 は 提 示 する 有 部 とヴァイ シェーシカ 学 派 の 関 わりの 深 さは 注 ⑶の 梶 山 本 1983,pp.3-5 に 説 かれている ホプキ ンス 本 では rdzad,dravya を substantialities と 訳 す(p.208) ⑸ 一 応 道 理 と 訳 したが 正 確 なものか 自 信 はない ホプキンス 本 では collect divisions と 訳 す(p.209) ⑹ 池 田 錬 太 郎 氏 は 区 別 について ここでいう 区 別 して とは 有 部 の 人 の 論 師 が 三 世 実 有 説 についてそれぞれ 異 なる 解 釈 をしたことを 指 しているのである と 述 べて 論 師 の 区 別 と 指 摘 している( チベットにおけるアビダルマ 仏 教 の 一 断 面 dus gsum rdzas grub( 三 世 実 有 ) 説 を 手 懸 りとしてー 日 本 西 蔵 学 会 会 報 29, 1983, p.11) しかし 筆 者 は 物 事 の 区 別 という 体 質 的 なニュアンスを 表 していると 理 解 している なお 袴 谷 憲 昭 氏 は Vaibhās ika を 選 別 論 者 と 訳 す 白 黒 をはっ きりさせる Vaibhās ika の 体 質 を 明 示 する 訳 語 である 詳 しくは 袴 谷 憲 昭 唯 識 思 想 論 考 2001, pp.2-70 の 序 論 参 照 また 同 選 別 学 派 と 典 拠 学 派 の 無 表 論 争 駒 沢 短 期 大 学 研 究 紀 要 23, 平 成 7 年, pp.5-51 も 参 照 ⑺ 底 本 として Śata-pit aka series vol.233, Delhi, 1978 Buddhist Philosophy Systems を -335-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 )(103) 使 用 した チャンキャの 学 説 綱 要 書 の 正 式 タイトルは 学 説 規 定 牟 尼 教 須 弥 山 の 麗 飾 Grub pa i mtha rnam par bzhag pa i Thub bstan lhun po i mdzes brgyan (GTh) である ホプキンス 本 p.5 に GTh 具 名 の 英 訳 がある ⑻ 蔵 漢 大 辞 典 (Bod rgya tshig mdzod chen mo) 民 族 出 版, 1985, p.221 の gzhi lam bras gsum の 項 には theg pa thams cad kyi lta sgom bras gsum la byar ba ste/ gzhi lta ba gtan la phab pa dang/lam sgom pas nyams su blangs pa/ bras bu byang chub thob pa bcas gsum/ とある GK では 経 量 部 の 一 般 論 も 根 本 道 果 報 で 説 き (f.339/)(テキストの 39 は 350 のミス) 唯 識 派 でも 同 じである(f.33/1) GTh で は 毘 婆 沙 師 (f.125/2)( 前 掲 注 ⑵の 池 田 論 文 p.1 参 照 ) 経 量 部 (f.15/2) 唯 識 派 (f.319/3)も 根 本 道 果 報 で 一 般 論 を 説 く 中 観 派 の 説 明 箇 所 には 見 出 せなかっ た 単 なる 見 落 としなのかもしれないが gzhi lam bras とまとまった 形 での 記 述 は 発 見 していない ただ GTh には 中 観 派 に 関 して 次 のような 1 文 があった 学 説 の 主 張 法 に 根 本 たる 見 解 の 確 定 法 と それに 依 存 して 二 諦 の 優 れた 規 定 法 と 道 の 優 れた 歩 み 方 と 優 れた 果 報 を 説 明 するつがある grub mtha i dod tshul la/gzhi i lta gtan la bebs tshul dang/de la brten nas bden gnyis kyi rnam par bzhag pa byed tshul khyad par dang/lam bgrod tshul gyi khyad par dang/ bras bu i khyad par bshad pa ste bzhi/(f.666/3-) なお gzhi には 根 本 説 一 切 有 部 の 根 本 (mūla)と 5 位 の 位 (vastu)という 2つの 意 味 がある という 指 摘 がある 白 館 戒 雲 (ツルティム ケサン) アビダル マ 研 究 に 関 わるチベット 文 献 からの 二 三 の 情 報 加 藤 純 章 博 士 還 暦 記 念 論 集 アビ ダルマ 仏 教 とインド 思 想 2000, pp.7-75 根 本 については 榎 本 文 雄 根 本 説 一 切 有 部 と 説 一 切 有 部 印 度 学 仏 教 学 研 究 7-1, 1998, pp.00-392 参 照 同 論 文 に 対 す る 反 論 として 八 尾 史 説 一 切 有 部 という 名 称 について 印 度 学 仏 教 学 研 究 52-2, 2007, pp.897-890 がある 袴 谷 憲 昭 仏 教 教 団 論 p.29 の 注 にも 榎 本 氏 へのコメント がある ⑼ 二 諦 は 毘 婆 沙 師 にとっても 重 要 な 問 題 である その 点 については 池 田 錬 太 郎 チべットにおけるアビダルマ 仏 教 の 特 色 東 洋 学 術 研 究 21-2, 1982, pp.135-136 参 照 ただ 二 諦 が 倶 舎 論 の 段 階 では 付 随 的 な 問 題 であった という 趣 旨 のご 意 見 には 同 意 出 来 ない 確 かに ヤショーミトラの 注 釈 をみると 二 諦 も 云 々 というこのことは 諦 についての 傍 論 として 説 かれるのである (dve api satya itiprasam genedam ucyate, ed by U.Wogihara,p.52,l.8 'di ni bden pa'i zhar la smos pa yin no// 北 京 版 Chu,18/6)( 訳 は 櫻 部 健 小 谷 信 千 代 倶 舎 論 の 原 典 解 明 賢 聖 品 1999, p.62 をそのまま 借 用 した)とあるので 二 諦 は 付 随 的 な 問 題 とされている しかし prasam ga(prasan ga)は 傍 論 と 訳 してよいのだろうか そう 訳 すのが 一 般 的 に 承 認 されていることは 知 っているが むしろ 必 然 的 問 題 と 訳 すべきな のではないだろうか 池 田 氏 が 自 説 の 根 拠 として 注 26)で 示 す 平 川 彰 博 士 の 説 一 切 有 部 の 認 識 論 北 大 文 学 部 紀 要 2, 1953, pp.1-15 の 注 11)には 確 かに 二 諦 説 は 四 諦 説 に 付 随 的 に 取 扱 われているが という 文 言 はある しかし 同 博 士 は p.5 で この 二 諦 説 は 有 部 の 存 在 論 を 正 当 に 理 解 する 鍵 である と -33-

(10) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) も 述 べ 二 諦 説 を 付 随 的 とは 評 価 していない 故 に prasan ga を 傍 論 と 訳 すの は 誤 解 を 招 くことにならないだろうか いずれにしろ この 訳 語 の 是 非 を 論 じるため には 筆 者 には 語 学 的 素 養 がない チベット 語 訳 も 含 めて 検 討 したい 例 えば H.A.Jäshke: A Tibetan-Engjish Dictionary は zhar la を following,succeeding と 訳 すの で prasan ga の 訳 語 zhal la を 付 随 的 というニュアンスで 捉 えている また ケードゥ プジェー mkhas grub rje(1385-138)の 7 部 荘 厳 心 の 闇 を 払 うもの Tshad ma sde bdun gyi rgyan Yid kyi mun sel, Varanasi, 1988 には zhal la ongs pa(prasan ga) の 意 味 の 考 察 という1 段 がある (pp.37-379) 内 容 は 判 然 としない しかし 冒 頭 に その 論 証 因 の 所 証 を 確 定 する 前 に 遍 充 を 確 定 することが 基 本 となる de sgrub kyi bsgrub bya nges pa i sngon du khyab pa nges pa i gzhir gyur pa/(p.37, ll.21-22)という1 文 があった これは prasan ga の 付 随 的 なイメージとは 異 なって いる 筆 者 には 考 察 の 余 地 ありと 思 われた 今 はここに 感 想 めいたことを 記 して おくことしか 出 来 ない なお 注 ⑹の 袴 谷 本 p.661 には prasan ga について 若 干 のコ メントがある 二 諦 の 問 題 は 経 量 部 とも 絡 んで 論 じられている GK の 記 述 を 見 ておこう 翻 訳 官 シェルリン(sher rin)は 毘 婆 沙 師 と 経 量 部 の 2 部 による 勝 義 の 主 張 の 仕 方 は 全 く 同 じである というし ある 者 は 毘 婆 沙 師 と 経 量 部 の 2 部 によって 二 諦 の 主 張 の 仕 方 は 全 く 矛 盾 している ということも 不 適 当 である なぜなら ケードゥプ 一 切 智 者 の 7 部 難 所 解 の 如 く 聖 典 に 準 じる 経 量 部 (lung gi mdo sde pa) と 毘 婆 沙 師 の2つは 倶 舎 論 のように 主 張 するが 論 理 に 準 じる 経 量 部 (rigs pa i rjes brang gi mdo sde pa)のそのようではない 主 張 の 仕 方 を 後 に 説 明 するからである lo tsa ba sher rin gyis sde gnyis kyis don dam dod tshul gcig kho na zer/la las sde gnyis gyis bden gnyis dod tshul gal ba kho na zer yang/mi thad de mkhas grub thams cad mkhyen pa i sde bdun gyi dka grel ltar/lung gi mdo sde pa dang bye smra gnyis mdzod ltar dod la/rigs pa i rjes brang gi mdo sde pa de ltar min tshul og tu chad pas so//(f.317/3-5) (シェルリンについては 何 らの 情 報 もない また ケードゥプジェーの 7 部 難 所 解 に 該 当 する 論 理 学 書 を 筆 者 は 知 らない ただ 彼 の 7 部 荘 厳 心 の 闇 を 払 うもの pp.79-9 には 二 諦 が 詳 しく 論 じられている その 中 には 次 の ような1 文 がある 反 論 者 は 量 評 釈 で 説 かれるように 目 的 達 成 能 力 が 勝 義 諦 に 遍 充 されるなら 壷 等 も 勝 義 諦 となるべきであるとしても それは 不 合 理 である なぜなら この 典 籍 の 経 量 部 の 二 諦 の 規 定 と 倶 舎 論 における 中 略 説 明 は 同 じである 故 に そして そこ 倶 舎 論 では 壷 と 水 のよう なものは 破 壊 と 考 察 によって それであると 把 握 する 知 を 捨 てるので 壷 等 は 世 俗 であると 説 明 する 故 にである と 言 う これは 経 量 部 に 分 派 を 認 め ないので 不 合 理 である don byed nus pa la don dam bden pas khyab na bum pa sogs kyang don dam bden par gyur dgos na ang/de mi thad de/gzhung di i mdo sde pa i bden gnyis kyi rnam gzhag dang/mdzod las/ zhes bshad pa dang -333-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 )(105) dra ba i phyir dang/der bum pa dang chu lta bu bcom gzhig gis der dzin gyi blo dor ba i phyir kun rdzob yin ces bshad pa i phyir ro zer to/ di ni mi thad de/ (p.82,ll.5-12)) この 後 GK は 毘 婆 沙 師 等 の 二 諦 説 を 説 明 し 論 理 に 準 じる 経 量 部 の 二 諦 説 は 経 量 部 章 (f.339/-33/2)で 説 く そこでは こう 述 べている 毘 婆 沙 師 と 経 量 部 共 通 なもの または 聖 典 に 準 じる 経 量 部 の 主 張 の 仕 方 は 倶 舎 論 の 如 くであることにより 説 明 し 終 えたが 経 量 部 自 身 の 独 自 なもの または 論 理 に 準 じる 自 流 の 二 諦 の 主 張 の 仕 方 は 勝 義 において 目 的 達 成 能 力 があ るものが 勝 義 諦 勝 義 として 成 立 するもの 自 相 と 設 定 される そのような 能 力 のないものが 世 俗 諦 世 俗 として 成 立 するもの 共 相 と 設 定 される...bye mdo thun mong ngam lung gi rje brang gi dod tshul mdzod ltar yin pas bshad zin la mdo sde pa rang gi thun mong min pa am rigs pa i rje brang rang lugs kyi bden gnyis dod tshul ni/don dam par don byed nus pa/don dam bden pa dang/don dam du grub pa dang/rang mtshan du jog/de ltar mi nus pa i chos kun rdzob bden pa dang/kun rdzob tu grub pa dang/spyi mtshan du jug ste/ (f.339/6-30/2) これ 以 降 ダルマキールティの 量 評 釈 知 覚 pratyaks a 章 の k.3 に 基 ずく 記 述 が 続 く この 偈 については 金 子 宗 元 量 評 釈 現 量 章 第 三 偈 のチベット 訳 を 巡 っ て 日 本 西 蔵 学 会 会 報, 1999, pp.31-39 参 照 また don byed nus pa(arthakriyāsāmarthya) の don(artha)を 筆 者 は 目 的 と 訳 したが 金 子 氏 は 結 果 対 象 とし 目 的 という 訳 語 を 排 除 する 筆 者 は チベット 人 学 僧 と 同 じく 量 評 釈 第 2 章 量 成 就 pramān asiddhi 章 を 最 重 要 な 章 と 看 做 すので 同 章 で 論 じられる 解 脱 こそダルマキールティの 目 的 と 考 えている それを 踏 まえれば don byed nus pa も 解 脱 に 関 わる 概 念 であると 思 われるので don (artha)を 目 的 と 訳 した 金 子 氏 には 従 わないのであるが 文 献 的 に 証 明 出 来 て いるわけではない 今 の 段 階 では 独 り 善 がりの 解 釈 でしかない 機 会 があれば 考 察 してみたい なお 金 子 宗 元 Arthakriyāsamartha の 解 釈 を 巡 ってー 量 評 釈 現 量 章 第 三 偈 を 中 心 としてー 曹 洞 宗 研 究 員 研 究 紀 要 28, 1997, pp.5-73 参 照 また 前 掲 注 ⑷の 現 銀 谷 論 文 pp.9-13 には 二 諦 が 論 じられているし pp.8-9 では 経 量 部 と 毘 婆 沙 師 の 存 在 論 が 比 較 され ドゥラ にも 言 及 されている なお ドゥラの 存 在 についての 先 駆 的 報 告 として 高 田 順 仁 ドゥラ(bsDus grwa) 書 における 存 在 規 定 密 教 学 研 究 22, 平 成 2 年 pp.1-16 がある さらに 毘 婆 沙 師 と 経 量 部 が 二 諦 説 を 共 有 していたことが インド 撰 述 文 献 からも 論 証 されている (Shoryu Katsura On Abhidhrmakośa VI. インド 学 報 2 1976, p.28 参 照 その 意 義 については 御 牧 克 己 経 量 部 岩 波 講 座 東 洋 思 想 第 八 巻 インド 仏 教 1 1988, pp. 239-20 でも 触 れられている) ホプキンス 本 では 注 釈 も 使 って 論 じられている(pp.233-23) 注 b,d における satya(bden pa)is taken as meaning sat(yod pa) という 指 摘 は 重 要 であろう この 点 については 櫻 部 建 小 谷 信 千 代 倶 舎 論 の 原 典 解 明 賢 聖 品 1999, p.65 の 注 ⑼ 小 谷 信 千 代 チベット 倶 舎 学 の -332-

(106) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) 研 究 チムゼー 賢 聖 品 の 解 読 平 成 7 年 p.300 の 注 53, および 前 掲 平 川 論 文 p.15 の 注 11) 参 照 なお ジャムヤンシェーパには 倶 舎 論 密 釈 論 牟 尼 宝 珠 庫 蔵 三 時 勝 者 願 意 一 切 明 Dam pa i chos mngon pa mdzod kyi dgongs grel gyi bstan thub bstan nor bu i gter mdzos dus gsum rgyal ba i bzhed don kun gsal と い う 注 も あ る (collected works, vol.10 に 所 収 )そこでは 以 下 のように 述 べている 倶 舎 論 の 偈 に あるものが 破 壊 された 時 それの 認 識 がなくなるもの ま た 知 によって 他 の 要 素 が 除 かれた 時 その 認 識 がなくなるもの 例 え ば 壷 や 水 のようなもの それが 世 俗 有 であり そうでなければ 勝 義 有 であ る とある 世 俗 有 の 定 義 (mtshan nyid,laks an a)はあるのである なぜなら あるものが 破 壊 されたり 知 によって 他 の 法 (chos, dharma)が 個 々に 除 かれた 時 それを 把 握 する 知 がなくなる ような 法 それが 世 俗 諦 の 定 義 であり 世 俗 有 の 範 囲 (tshad)だからである 例 えば 壷 や 壷 の 中 の 水 のようなものであ る 壷 はハンマーで 破 壊 されるなら 壷 という 認 識 は 捨 てられる 壷 の 水 も そ の 水 の 色 香 味 触 が 個 々に 除 かれるなら 水 であると 把 握 する 認 識 は 捨 て られるからである その2つが 主 題 である それを 世 俗 諦 と 述 べる 理 由 はある 世 俗 とは 言 説 的 な(tha snyad pa, sām vyavahārika)な 有 染 汚 と 不 染 汚 な 知 に よって 把 握 されるものであるが その 側 面 で 真 実 たる 世 俗 諦 と 述 べられからであ る プールナヴァルダナ(Gang spal) 注 において 他 の 世 間 的 なもの( jig rten pa, laukika)によって 把 握 されるようなもの そのようなものが 世 俗 諦 であ る 世 俗 かつ 言 説 の 真 実 が 世 俗 諦 である ( 北 京 版 No.559, Nyu, 192b/7-8)と 説 かれているし 王 子 (rgyal sras ma) ヤショーミトラ 注 においても 世 俗 諦 はある その 世 俗 たる 言 説 の 有 染 汚 と 不 染 汚 の 知 によって 把 握 するから 世 俗 諦 である ( 北 京 版 No.5593, Chu, 185a/7-8)と 説 かれているからである 倶 舎 論 自 注 においても 他 ならぬ から 世 俗 諦 なのである の 間 で 世 俗 諦 が 述 べられているのである ( 北 京 版 No.5591, Ngu, 9a/2) 世 俗 有 の 範 囲 も 成 り 立 つ あれこれの 言 説 有 であるからである 王 子 ヤショーミトラ 注 において 世 俗 有 というのは 言 説 有 なのである (Chu,185a/2)と 説 かれている からである 分 類 するなら 2つある 色 形 (dbyibs, sam sthāna)の 世 俗 たる 壷 等 と 集 合 体 (tshogs, sam caya)の 世 俗 たる 水 等 の2つがあるからである さら に 2つある 他 の 世 俗 に 依 存 するものと 実 体 (rdzas, dravya)に 依 存 するも のの2つがあるからである 勝 義 諦 の 定 義 はあるのである なぜなら 何 であれ 破 壊 と 知 によって 除 かれ ても それを 把 握 する 知 が 捨 てられないそんな 法 が それの 定 義 だからであ る 倶 舎 論 の 偈 において そうでなければ 勝 義 有 である と 述 べられ ているのである 定 義 例 (mtshan gzhi)は 色 受 想 思 等 の 心 所 つまり 諸 々の 独 立 体 (rang skya ba)が 勝 義 諦 なのである それらは 破 壊 されても 知 によって 解 体 されても 色 受 等 の 認 識 は 捨 てられないのである 自 相 によって 成 立 しているからである 王 子 ヤショーミトラ 注 において 受 想 思 等 -331-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 )(107) も 実 有 にほかならないと 看 做 すべきである (Chu, 185a/3)と 説 かれているから である 勝 義 有 の 範 囲 でもあるからである 受 等 が 主 題 である それを 勝 義 諦 と 述 べる 理 由 はある 勝 は 聖 者 の 智 慧 であるが その 義 = 対 象 として 有 る ので 勝 義 であり かつ 諦 と 述 べられるからである 倶 舎 論 の 自 注 におい て それは 勝 義 として 有 るので 勝 義 諦 なのである (Ngu, 9a/-5)と 述 べ られているし プールナヴァルダナ 注 において 勝 は 出 世 間 智 であり その 義 として 有 る 対 象 が 勝 義 なのである (Nyu, 192b/7)と 説 かれているからで ある 分 類 するなら 2つある 色 受 等 の 自 相 有 為 と 無 為 の2つがある 自 相 有 為 にも5つある 自 相 の 五 薀 があるからである 3つもある 自 相 の 色 と 自 相 の 最 終 時 の 刹 那 と 受 等 の 知 3つがあるからである (f.1067/2-1069/) 以 上 未 紹 介 と 思 われるので 長 々と 私 訳 を 提 示 したが 紙 数 の 関 係 で 原 文 転 写 は 省 いた 内 容 は 十 分 に 理 解 出 来 ていない 特 に 定 義 (mtshan nyid) 定 義 例 (mtshan gzhi)の 訳 語 には 問 題 がある ( 福 田 洋 一 初 期 チベット 論 理 学 における mtshan mtshon gzhi gsum をめぐる 議 論 について 日 本 西 蔵 学 会 会 報 9, 2003, p.16 参 照 ) チベットの 二 諦 を 詳 しく 論 じた 論 文 もある 現 銀 谷 史 明 二 諦 と 自 性 ーチベットにお ける 倶 舎 論 解 釈 の 一 断 面 東 洋 学 研 究 39, 2002, pp.13-156 では 批 判 的 観 点 から 二 諦 が 論 じられる 吉 水 千 鶴 子 ゲルク 派 による 経 量 部 学 説 理 解 (1) 二 諦 説 成 田 山 仏 教 研 究 所 紀 要 21, 1998, pp.51-71 は 膨 大 な 資 料 を 駆 使 した 示 唆 的 な 論 文 である 倶 舎 論 の 二 諦 を 扱 う 際 には 必 ず 参 照 すべきものと 思 われる また Anne.C. Klein: Knowledge and Liberation, Ithaca, New York, 1986, pp.33-88 は 筆 者 の 知 る 限 り チベットにおける 毘 婆 沙 師 経 量 部 の 二 諦 を 論 じた 最 も 早 い 先 駆 的 な 業 績 である なお ジャムヤンシェーパの 倶 舎 論 注 の1 部 は すでに 注 ⑹の 池 田 論 文 p.11 に 紹 介 されている ⑽ 次 のような 文 言 が 始 めにある 7 部 アビダルマ(mngon pa sde bdun)は 世 尊 によって 説 かれたものに 他 なら ない なぜなら 阿 羅 漢 達 によってまとめられたからである 例 えるならば 経 や 律 のように 確 定 したことを 世 尊 が 部 分 的 に 説 いたものをカーツヤーヤニ プトラ(ka ta i bu) 等 が1つの 立 場 にまとめたのである...mngon pa sde bdun bcom ldan das kyis gsungs pa kho na yin te/dgra bcom pa rnams kyis bsdus pa i phyir/dper na mdo sde dang/ dul ba lta bu nges bcom ldan das kyis sil bur gsungs pa ka ta i bu sogs kyis phyogs gcig tu bsdus pa yin te/(f.318/5-6) 7 部 アビダルマについては 白 館 戒 雲 七 部 アビダルマ(mngon pa sde bdun)とい う 呼 称 の 出 典 について 印 度 学 仏 教 学 研 究 3-2, 199, pp.836-838 参 照 7 部 アビダルマは 六 足 発 智 に 対 応 する 六 足 と 大 毘 婆 沙 論 との 微 妙 な 関 係 に ついては 佐 々 木 閑 六 足 と 婆 沙 論 印 度 学 仏 教 学 研 究 52-1, 2002, pp.353-38 の 精 密 な 研 究 を 参 照 ⑾ 毘 婆 沙 師 が 自 己 認 識 を 認 めないことについては 倶 舎 論 智 品 (jñāna- -330-

(108) ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 ) nirdeśa)の 以 下 のような 記 述 も 参 考 になる 世 俗 知 は 自 己 の 集 合 体 (kalāpa, tshogs) 以 外 の 一 切 法 を 無 我 から 知 るだろ う 一 切 法 無 我 と sām vr tijñānam svasmāt kalāpād anyān sarvadharmān anātamato jānīyātsarvadharmā anātmana iti/(abhidharmakośabhās yam of Vasubandhu ed. by P.Pradhan,Tibetan Sanskrit Woks Series vol.viii, 1975, p.05, ll.2-3) kun rdzob shes pas ni rang gi tshogs las gzhan pa i chos thams cad ni bdag med pa o//zhes bdag med pa nyid du shes par gyur ro//( 北 京 版 No.5591, Nyu. 59b/6) より 鮮 明 な 自 己 認 識 批 判 は ヤショーミトラ(Yaśomitra)の 注 にある それ 有 境 自 身 は それの 境 にならない 自 分 自 身 に 働 くのは 矛 盾 している からである 実 に 剣 の 刃 (asidhārā, ral gri i so)はそれ 自 身 に 切 られないので ある na sa eva tasya vis ayo bhavati. svātmani vr tti-virodhāt. na hi sa < iv < asi-dhārā tasya < iva chidyate. (Sphut arthā Abhidharmakośavyākhyā the work of Yaśomitra, ed. by U.Woghihara, 1989, rep.of 1936, p.631, ll.6-7) gang gi phyir bdag nyid las byed pa gal bas yul can gang yin pa de nyid de i yul ma yin te/ral gri i so de nyid kyis mi gcod pa. ( 北 京 版 No.5593, Chu.30a/2-3) この 部 分 に 関 しては 櫻 部 健 小 谷 信 千 代 本 庄 良 文 倶 舎 論 の 原 典 研 究 智 品 定 品 200, pp.76-78, 川 崎 信 定 一 切 智 思 想 の 研 究 平 成 年 pp.89-90 参 照 インドの 主 な 別 注 も 見 ておこう まず スティラマティ(Sthiramati) 注 にはこうある 境 は 有 境 とは 別 である 自 分 自 身 に 働 くのは 矛 盾 しているからである 指 先 (sor mo i rtse mo)と 剣 の 刃 は それ 自 身 によって 触 れられないし 切 られない ように yul ni yul can las tha dad de/rang gi bdag nyid la bya ba gal ba i phyir sor mo i rtse mo dang ral gri i so ni de nyid kyis mi reg cing mi gcod pa bzhin no// (Tattvarthā, 北 京 版 No.5875, Thu. 69a/5) プールナヴァルダナ (Pūrnavardhana) 注 は 以 下 のごとく スティラマティ 注 と 同 文 で ある 境 は 有 境 とは 別 である 自 分 自 身 に 働 くのは 矛 盾 しているからである 指 先 と 剣 の 刃 は それ 自 身 によって 触 れられないし 切 られないように yul ni yul can las tha dad de rang gi bdag nyid bya ba gal ba i phyir sor mo i rtse mo dang ral gri i so ni de nyid kyis mi reg cing mi gcod pa bzhin no// (Laks an ānusārinī, 北 京 版 No.559, Nyu. 293b/2) 注 ⑶の 梶 山 本 には 本 稿 で 紹 介 した 智 品 の 説 明 (p.10)や 大 毘 婆 沙 論 におけ -329-

ジャムヤンシェーパ 作 学 説 綱 要 書 毘 婆 沙 師 章 についての 報 告 ( 木 村 )(109) る 自 己 認 識 批 判 が 示 されている(p.11) また 梶 山 雄 一 訳 注 論 理 のことば 中 公 文 庫 昭 和 50 年 pp.35-36 にも 自 己 認 識 批 判 が 提 示 されている その 趣 旨 は 自 分 自 身 に 働 くことの 矛 盾 であるから 紹 介 した 諸 注 釈 と 一 致 する ⑿ 無 形 象 知 識 論 が 後 代 のようにそのまま 毘 婆 沙 師 に 適 用 出 来 るのか 否 か について は 福 田 琢 倶 舎 論 における 行 相 印 度 学 仏 教 学 研 究 1-2, 1992, pp.180-18 竹 村 牧 男 説 一 切 有 部 と 無 形 象 知 識 論 印 度 学 仏 教 学 研 究 39-2, 1990, pp.568-565 が 論 じ る 形 象 が 知 と 一 体 となるという 意 味 で 有 形 象 ならば 知 は 自 己 認 識 することにな る それ 故 無 形 象 と 自 己 認 識 否 定 は 論 理 的 に 連 関 するであろう 一 般 的 な 説 明 は 前 掲 注 ⑶の 梶 山 本 pp.6-11 参 照 極 微 については 八 事 が 実 際 には 20 の dravya から 成 ることを 確 認 した 優 れた 研 究 がある 佐 々 木 閑 有 部 の 極 微 説 印 度 学 仏 教 学 研 究 57-1, 2009, pp.932-926 ⒀ 前 掲 注 ⑼の 池 田 論 文 p.135 参 照 ⒁ 次 のような 文 言 がある 各 部 派 独 自 の 主 張 法 を 説 くが 根 本 (rtsa ba)の 部 派 を3とする 流 儀 の 個 々 の 主 張 は sde ba so so i thun mong min pa i dod tshul rtsa ba i sde ba gsum du byas pa i lugs kyi so so i dod pa ni/(f.328/1) 補 記 (お 詫 び) 筆 者 は 量 の 大 備 忘 録 に 関 するメモ 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 研 究 年 報 平 成 20 年 pp.198-187 において sa bcad( 科 段 )のローマナイズ 訳 出 典 等 を 報 告 したが 科 段 について 先 行 業 績 があることを 失 念 していた 科 段 は 西 蔵 仏 教 基 本 文 献 第 1 巻 東 洋 文 庫 1996, pp.2- にチベット 文 字 で 掲 載 されていた また イーキムンセル に 対 する 批 判 的 な 言 及 が 吉 水 千 鶴 子 ゲルク 派 の 経 量 部 説 理 解 (2) 普 遍 実 在 論 仏 教 文 化 論 集 2000, p.25 にあることも 忘 れていた この 場 を 借 りて 非 礼 をお 詫 びしたい 2010/06/28 脱 稿 -328-