イエスさまの 誕 生 マタイの 福 音 書 1 章 16 節 ~25 節 2015 年 12 月 20 日 ( 日 )クリスマス 礼 拝 説 教 皆 さん クリスマス おめでとうございます 皆 さんは 毎 朝 の NHK 朝 ドラ 朝 が 来 た は ご 覧 になって おられますでしょうか 視 聴 率 およそ25%と 言 われております ので きっと この 中 にも 幾 人 かの 方 々は ご 覧 になっていらっ しゃる 方 が おられるのかも しれません 主 人 公 アサの 明 るく 積 極 的 で いつも 前 向 きの 姿 勢 を 朝 一 番 で 見 てから 一 日 の 行 動 を 始 めることは 私 たちにとって 新 鮮 な 一 日 のスタートと なるのかも しれません 一 方 アサのご 主 人 の 新 次 郎 は 優 しいことだけが 取 り 柄 で 三 味 線 ばかり 弾 いていて 仕 事 に 対 する 意 欲 に 乏 しく 消 極 的 な いわゆる やさ 男 なのですが これがまた ドラマを 盛 り 上 げております このクリスマスを 境 いにして 長 い 間 心 の 傷 と なって 来 た 親 友 との 問 題 も 解 決 し いよいよ これから アサ の 有 力 な 助 っ 人 としての 役 割 を 果 たして 行 くことになりそうで 面 白 くなって まいりました 聖 書 の 中 に この 新 次 郎 と 同 じような 人 物 が 登 場 いたして おります イエスさまの お 父 さまの ヨセフさんです 今 年 のクリスマス 私 たちは イエスさまのご 降 誕 を 待 ち 望 む アドベント 第 一 主 日 には イエスさまのお 母 さま マリヤのこと
第 二 主 日 には 旧 約 聖 書 に 預 言 されているイエスさまご 降 誕 の こと 第 三 主 日 には イエスさまのご 降 誕 を ずっと 待 ち 望 んで 来 て 大 喜 びをした シメオンのことを 学 んでまいりました 今 日 は イエスさまの お 父 さまである ヨセフさんに スポットを 当 ててみたいと 存 じます 初 めに ひとこと お 祈 りさせて いただきます 皆 さま どうぞ 目 を 閉 じて 心 を イエスさまに 向 けてください 父 なる 神 さま 御 子 イエスさま 聖 霊 なる 神 さま こうして 私 たち が あなたの 前 に 跪 いて クリスマス 礼 拝 を 献 げることが 出 来 ま すことを 心 から 感 謝 いたします どうぞ あなたさまが 私 たち の この 礼 拝 を 導 き 支 え 祝 福 してください 感 謝 して イエスさまの 尊 い 御 名 前 によって お 祈 りいたします アーメン マタイの 福 音 書 1 章 16 節 ヤコブに マリヤの 夫 ヨセフが 生 れた キリストと 呼 ばれる イエスは このマリヤから お 生 まれに なった ヨセフさんは もう 初 めから 冷 たい 仕 打 ちを 受 けることになって しまって おります 聖 書 は イエスさまは マリヤから 生 まれたのだと 証 言 して おり まして ヨセフさんの 立 場 は イエスさまがお 生 まれになった 後
マリヤの 本 物 の 夫 と なったのだと 証 言 して いるからです 聖 書 は ヨセフさんを イエスさまのお 父 さまとしないように 細 心 の 注 意 を 払 って いるのです マタイの 福 音 書 1 章 17 節 それで アブラハムからダビデまでの 代 が 全 部 で 十 四 代 ダビデから バビロン 移 住 までが 十 四 代 バビロン 移 住 から キリストまでが 十 四 代 になる アブラハムが 活 躍 していたのは およそ 紀 元 前 1800 年 頃 と 言 われております ダビデが 活 躍 していたのは 丁 度 紀 元 前 1000 年 頃 ですので その 間 は およそ 800 年 間 となります バビロン 移 住 は 紀 元 前 587 年 ですので およそ 400 年 間 その 後 イエスさまの ご 降 誕 までは およそ 600 年 間 です 全 部 足 すと およそ 1800 年 間 の 歴 史 となります その 1800 年 間 は 14 代 ずつ 三 つに 分 けて 書 かれてありま す 7という 数 字 は 聖 書 では 神 さまの 完 全 性 を 表 わして おり まして その2 倍 の14は 神 さまの 完 全 性 が 十 分 であることを 示 し 2 倍 を3 回 繰 り 返 すと6 倍 となり 6は 私 たち 人 間 を 表 わし ております
また この14 代 という 数 字 は イエスさまが ダビデの 血 筋 で あることを 意 識 させようと しております へブル 語 の 子 音 を 4 + 6 + 4 = 14 と 続 けて 行 くと ダビデから イエス さま までの 血 筋 が つながる というわけ なのです これは 旧 約 聖 書 の 中 に 私 たちの 救 い 主 は ダビデの 血 筋 から ご 降 誕 されると 預 言 されているから なのです マタイの 福 音 書 1 章 18 節 イエス キリストの 誕 生 は 次 のようで あった その 母 マリヤは ヨセフの 妻 と 決 まっていたが ふたりが まだ いっしょに ならない うちに 聖 霊 に よって 身 重 になったことがわかった マリヤの 処 女 妊 娠 という 言 葉 が 話 題 になることが あるの かも しれません この 言 葉 は 正 確 では ありません 正 確 には マリヤの 聖 霊 による 妊 娠 なのです 聖 書 は ヨセフさんが イエスさまの お 父 さまではない という 事 実 を 明 確 に 記 しております 当 時 の 結 婚 制 度 は 先 ず 家 と 家 とが 結 婚 について 合 意 いた します 次 に 花 婿 側 の 家 から 花 嫁 側 の 家 に 花 嫁 料 が 払 われ
ます そして 両 家 の 婚 姻 が 公 表 されます その 後 1 年 間 花 婿 も 花 嫁 も それぞれの 両 親 のもとで 別 々に 生 活 いたします 1 年 後 に 花 婿 と 花 嫁 とは 一 緒 に 生 活 を し 始 めます その 間 花 婿 と 花 嫁 とが 会 うということは ほとんど ありません でした 婚 約 者 である マリヤの 妊 娠 を 聞 いて ヨセフさんは 悩 みました 自 分 には 全 く 身 に 覚 えが 無 かったからです 当 時 のヨセフさんとマリヤは 丁 度 思 春 期 の 頃 の 新 次 郎 と 小 学 生 の 頃 のアサのようでありましたでしょう 当 時 の 結 婚 適 齢 期 は 男 性 が18 歳 女 性 が12 歳 で あったからです マリヤに 恋 人 がいたとは 思 えない 不 注 意 が 重 なって 誘 惑 を 受 けてしまったのか 或 いは レイプという 犯 罪 に 巻 き 込 まれて しまったのか ヨセフさんの 心 は 千 々に 乱 れて 行 くのでした マタイの 福 音 書 1 章 19 節 夫 のヨセフは 正 しい 人 であって 彼 女 を さらし 者 には したくなかったので 内 密 に 去 らせようと 決 めた ここには ヨセフさんは マリヤの 夫 では あるけれども イエス さまの お 父 さまではないということが 明 確 に 記 されております 正 しい 人 とは ここでは 当 時 の 法 律 や 慣 習 をキチンと 遵 守 する 人 という 意 味 です 当 時 の 法 律 や 慣 習 によりますと 婚 約 期 間 中 に このような 事 件 が 起 きてしまった 場 合 には 花 嫁 を
石 打 の 死 刑 に 処 することが 第 一 で 第 二 は 離 婚 状 を 書 いて 裁 判 所 に 提 訴 すること そして 三 番 目 が その 離 婚 状 を 二 三 人 に 示 して 密 かに 花 嫁 を 去 らせることになっておりました ヨセフさんは この 三 番 目 を 選 ぼうとして いたのです マタイの 福 音 書 1 章 20 節 彼 が このことを 思 い 巡 らしていたとき 主 の 使 いが 夢 に 現 れて 言 った ダビデの 子 ヨセフ 恐 れないで あなたの 妻 マリヤを 迎 えなさい その 胎 に 宿 っている ものは 聖 霊 に よるのです ヨセフさんは 悩 みました ヨセフさんの 人 生 は いつも このよう に 貧 乏 クジばかり 引 いて 来 た 人 生 であったのです いい 人 でした 優 しい 人 でした 優 柔 不 断 でした よそさまへの 思 いやり に 満 ちた 人 でありました でも ただ それだけで ありました そんなヨセフさんが 神 さまに 選 ばれて 神 さまに 用 いられて しまったのです ヨセフさんが 悩 み 込 んでしまって 思 い 巡 らしていたのは 当 然 であったと 聖 書 は 記 しております 聖 霊 による 妊 娠 なんて あり 得 ない ということが この2 千 年 間 大 きな キリスト 教 への つまずきと なり 続 けて まいりました
でも どうでしょうか もし 神 さまが 私 たちを 救 うために 御 子 を 私 たちの 住 むこの 世 界 に 遣 わしてくださったのだということを 信 じることが 出 来 るのであれば 聖 霊 による 妊 娠 を 事 実 として 受 け 入 れることも さほど 難 しくは ないのでは ないでしょうか マタイの 福 音 書 1 章 21 節 マリヤは 男 の 子 を 産 みます その 名 を イエスと つけなさい この 方 こそ ご 自 分 の 民 を その 罪 から 救 ってくださる 方 です 当 時 は 生 まれてから 八 日 目 に その 子 に 名 前 を 付 けることが 父 親 としての 義 務 でありました ところが ヨセフさんの 場 合 には 神 さまからのメッセンジャーが 夢 の 中 に 現 れて 生 まれて 来 る 子 の 名 前 を 指 示 されてしまったのです これは ヨセフさんにとっては 父 親 としての 面 目 丸 つぶれで しかも そのことは イエスさまの 本 当 の お 父 さまは 神 さまで あられるのだ ということを 証 明 されてしまったことになります さらに ヨセフさんは 人 々の 面 前 で その 子 の 名 前 を 発 表 しな さいと 指 示 されて しまったのです それは ヨセフさんが イエスさまの れっきとした 父 親 である いわゆる ててなしご なんかでは ないのだ ということを 社 会 的 に 公 認 させるためで あったのです
イエスという 名 前 は 太 郎 君 のような 当 時 は ごく 一 般 的 な 名 前 でした 旧 約 聖 書 に 登 場 して 来 る ヨシュアというリーダー や ヨシヤという 王 さまも 皆 イエスさまと 同 じ 名 前 でした 私 の 民 とは 一 体 誰 のことでしょうか それは 今 世 界 中 に 住 んでいる クリスチャンたちのことです その 罪 から とは 一 体 何 のことを 言 っているのでしょうか 聖 書 で 罪 という 言 葉 が 使 われる 時 は その 意 味 は イエス さまに 背 を 向 けて 歩 みたくなってしまうという 私 たちの 生 まれ ながらの 性 質 のことを 指 しております 救 ってくださる とは 一 体 どんなことを 指 しているのでしょ か それは イエスさまに 在 って 歩 みたくないという 私 たちの 状 態 から 私 たちを 解 放 してくださる そして 罪 の 状 態 に 在 っ た 私 たちが その 結 果 として 犯 して 来 てしまった 数 々の 失 敗 や 罪 からも 解 放 してくださるのだ という 意 味 なのです マタイの 福 音 書 1 章 22 節 この すべての 出 来 事 は 主 が 預 言 者 を 通 して 言 われた 事 が 成 就 する ためで あった 旧 約 聖 書 は 最 初 から 最 後 まで イエスさまを 指 し 示 している のですが 中 でも イエスさまの ご 降 誕 の 預 言 としては 12 月
の 第 一 週 に ご 一 緒 に 学 んだ イザヤ 書 の 7 章 14 節 と 9 章 の 6 節 と7 節 とが 一 番 有 名 な 預 言 と なっております マタイの 福 音 書 1 章 23 節 見 よ 処 女 が みごもっている そして 男 の 子 を 産 む その 名 は イムマヌエルと 呼 ばれる ( 訳 すと 神 は 私 たちと ともに おられる という 意 味 である ) これは 旧 約 聖 書 の イザヤ 書 の7 章 14 節 からの 引 用 です 神 は 私 たちと ともに おられる という 言 葉 には 四 つの 意 味 が あります 第 一 は イエスさまが 完 全 な 人 間 となって 私 たちの 住 む この 世 界 に やって 来 てくださったために 私 たちにとっては 目 には 見 えなかった 神 さまが 明 らかに 見 えるようになったのだ という 意 味 です 第 二 は 神 さまが 天 にいらっしゃるだけなのであれば 私 たちに とっては 遠 い 存 在 でしか なかったのに その 神 さまが 私 たち 人 間 と 同 じになられて 私 たちと 同 じ 肉 体 を 持 って 私 たちの 世 界 に やって 来 てくださったために 私 たちは 神 さまに 触 れ 神 さ まの 声 を 聴 くことが 出 来 るようになったのだ という 意 味 です 第 三 は イエスさまは 私 たちと いつも 一 緒 に 歩 んでいて
くださるのだ という 意 味 です 第 四 は イエスさまは きのうも 今 日 も いつまでも 変 わらな い 御 方 で あられるのだ という 意 味 です マタイの 福 音 書 1 章 24 節 ~25 節 ヨセフは 眠 りから さめ 主 の 使 いに 命 じられた とおりにして その 妻 を 迎 え 入 れ そして 子 どもが 生 まれるまで 彼 女 を 知 ることが なく その 子 どもの 名 を イエスと つけた この 言 葉 は イエスさまの ご 降 誕 までは ヨセフさんと マリヤ とは 一 緒 に 生 活 を 始 めては いたけれども 夫 婦 関 係 は 持 た なかった ということを 意 味 しております そして イエスさまの ご 降 誕 以 降 は ヨセフさんと マリヤとは 普 通 の 夫 婦 関 係 に 入 ったのだ ということも 意 味 しております 西 暦 649 年 に 開 催 された 教 会 会 議 の 議 事 録 には マリヤの 永 遠 の 処 女 性 が 決 議 された と 記 されてはおりますが その 教 義 は 聖 書 に 記 されていることとは 異 なっております 私 たちの 中 には 自 分 は ヨセフさんと 同 じように いつも 貧 乏 クジばかり 引 いて 来 たのだ と 思 っていらっしゃる 方 が もしかすると おられるのかも しれません
その 貧 乏 クジが もし イエスさまという クジであったのなら そのクジは 大 当 たりの 宝 クジで 何 億 円 などという 金 額 では とても 表 わすことが 出 来 ないほど 高 い 価 値 のある 当 たりクジ であったのだ ということを 私 たちは 後 になって 振 り 返 って 見 た 時 に 初 めて 解 るもの なのです お 祈 りさせていただきます 父 なる 神 さま 御 子 イエスさま 聖 霊 なる 神 さま 御 言 葉 を ありがとうございました あなたの ご 栄 光 を 賛 美 いたします 私 たちは イエスさまの お 父 さまの ヨセフさんと 同 じように これまで いつも 貧 乏 クジばかり 引 いて 来 た 者 で あるのかも しれません でも その 貧 乏 クジが イエスさまの ご 降 誕 である のなら 私 たちは 大 喜 びで あなたを 賛 美 いたします 私 たちを 取 り 囲 む 現 実 の 世 界 は 厳 しさに 満 ち 溢 れたものと なってしまっておりますが その 真 っ 只 中 に 在 って イエスさま あなたが 私 たちと ご 一 緒 に 歩 み 私 たち ひとりひとりを 励 まし 続 けていてくださることを 感 謝 いたします イエスさまの 尊 い 御 名 前 によって お 祈 りいたします アーメン