2009 第 一 事 件 2006 年 (ワ) 第 6484 号 謝 罪 及 び 損 害 賠 償 請 求 事 件 原 告 王 子 雄 ほか39 名 被 告 日 本 国 第 二 事 件 2008 年 (ワ) 第 18382 号 謝 罪 及 び 損 害 賠 償 事 件 原 告 呉 及 義 ほか21 名 被 告 日 本 国 意 見 陳 述 書 東 京 地 方 裁 判 所 民 事 第 13 部 御 中 原 告 ら 訴 訟 代 理 人 弁 護 士 中 山 1 加 害 と 被 害 を 問 う (1)はじめに 当 代 理 人 は 本 件 訴 訟 の 代 理 人 とともに 原 告 131 名 ( 第 一 次 111 名, 第 二 次 20 名 )が 国 を 被 告 として, 民 間 人 空 襲 被 災 者 を 軍 人 軍 属 等 と 差 別 し, 何 らの 救 済 をなさず, 放 置 してきたことへの 謝 罪 と 賠 償 を 求 めている 東 京 大 空 襲 訴 訟 ( 東 京 地 方 裁 判 所 平 成 1 9 年 (ワ) 第 5951 号, 平 成 20 年 (ワ) 第 6297 号 )の 代 理 人 でもあります 同 東 京 大 空 襲 訴 訟 は, 民 事 第 44 部 に 係 属 しておりますが, 本 年 5 月 21 日 に 結 審 に なり, 判 決 日 時 は 追 って 指 定 となっています 同 訴 訟 において, 国 は, 戦 争 被 害 ないし 戦 争 損 害 は 国 民 はひとしく 受 忍 しなけれ ばならない との87 年 の 最 高 裁 第 二 小 法 廷 判 決 ( 戦 争 被 害 受 忍 論 )を 引 用 し, 同 原 告 らの 主 張 についての 事 実 認 否 を 行 わず 事 実 関 係 に 関 する 証 拠 調 べも 一 切 不 要 である とし, 書 面 審 理 のみでの 早 期 の 棄 却 を 主 張 しました しかし, 同 訴 訟 においては, 裁 判 所 は, 国 の 主 張 を 退 け, 東 京 大 空 襲 の 実 相 について 作 家 の 早 乙 女 勝 元 氏, 同 原 告 らの 凄 惨 な 空 襲 体 験 の 極 限 状 況 からの 精 神 的 負 荷 について の 医 学 的 な 立 証 証 人 として 精 神 科 医 の 野 田 正 彰 関 西 学 院 大 学 教 授, 軍 人 軍 属 等 と 民 間 人 一 般 戦 災 者 との 差 別 の 不 条 理 についての 歴 史 研 究 者 の 池 谷 好 治 氏, 東 京 大 空 襲 によって
同 原 告 らが 侵 害 された 憲 法 上 の 権 利 についての 憲 法 学 者 内 藤 光 博 専 修 大 学 法 学 部 教 授 の 4 名 の 専 門 家 証 人 の 尋 問 及 び 同 原 告 ら 本 人 尋 問 を 実 施 しました 本 件 訴 訟 においても, 被 告 国 は 事 実 の 認 否 をなさず, 原 告 らの 請 求 は 全 て 理 由 がない と 主 張 し, 速 やかに 棄 却 されるべきであると 主 張 しています 被 告 国 は, 本 件 訴 訟 でも 日 中 共 同 声 明 5 項 に 関 する 最 高 裁 平 成 19 年 4 月 27 日 第 一 小 法 廷 判 決 を 引 用 し, 戦 争 賠 償 の 請 求 は, 中 国 国 民 の 日 本 国 及 びその 国 民 に 対 する 請 求 権 も 含 むものであるとし, 中 華 人 民 共 和 国 政 府 がその 放 棄 を 宣 言 したもの であるとし, 日 中 間 においての 個 人 の 請 求 権 の 問 題 は 既 に 解 決 済 みであると 主 張 してお りますが, 被 告 国 の 引 用 する 最 高 裁 判 決 は, 東 京 大 空 襲 訴 訟 で 引 用 している 戦 争 被 害 受 忍 論 ( 戦 争 被 害 受 忍 論 の 見 直 しを の 朝 日 新 聞 2009 年 3 月 4 日 付 私 の 視 点 欄 の 当 代 理 人 の 掲 載 原 稿 を 添 付 )と 同 じく 旧 憲 法 的 人 権 感 覚 に 基 づく 判 断 であり, 到 底 歴 史 の 審 判 に 耐 えうるものでなく 見 直 しが 求 められるものです 当 裁 判 所 においても 被 告 国 のかかる 不 当 な 主 張 に 組 されることなく, 十 分 な 審 理 と 事 実 調 べを 実 施 されるべきであることを 強 く 求 めるものであります (2) 東 京 大 空 襲 の 先 行 行 為 としての 重 慶 大 爆 撃 土 屋 公 献 代 理 人 は, 甲 第 10 号 証 弁 護 士 魂 ( 現 代 人 文 社 )で, 中 国 の 無 辜 の 民 を 政 戦 略 爆 撃 などと 言 って,200 回 以 上 も 爆 撃 し 続 けた 重 慶 大 爆 撃 は,アメリカ が 日 本 を 攻 撃 するとき, 東 京, 大 阪 などの 大 都 市 だけでなく, 全 国 の 地 方 都 市 への 無 差 別 爆 撃 となって 日 本 民 衆 に 災 厄 がかかり, 果 ては 原 爆 が 投 下 された 現 在, 東 京 空 襲 に 対 する 損 害 賠 償 の 裁 判 が 始 まっている 重 慶 の 被 害 に 対 する 裁 判 と 東 京 空 襲 の 被 害 の 裁 判 が 軌 を 一 にして, 同 時 平 行 で 裁 判 を 進 めることは 有 意 義 であり, 現 代 的 な 意 味 を 持 っ ていると 言 うことができる と 指 摘 されています 甲 第 1 号 証 前 田 哲 男 著 戦 略 爆 撃 の 思 想 ( 凱 風 社 )で, 日 本 軍 が 重 慶 爆 撃 に 当 た って 採 用 した 戦 術 は, 第 二 次 大 戦 中 および,それ 以 後 の 地 域 戦 争 において 米 軍 が 採 用 す る 原 則 とまったく 変 わりない 同 時 にそれは20 世 紀 後 半 の 核 抑 止 戦 略 のなかに 生 き 続 けている 思 想 とも 同 根 のものである, 日 本 軍 が 重 慶 爆 撃 で 先 例 をつくった 重 慶 の 思 想 は 踏 襲 され, 日 本 の 都 市 住 民 に 降 りかかってきたのである 都 市 そのものを 爆 撃 目 標 とし, 地 上 進 行 作 戦 とは 別 個 に 遂 行 され,かつ 対 人 殺 傷 兵 器 を 多 用 する-この 戦 略 爆 撃 の3 要 件 とその 組 織 的, 反 復 的, 持 続 的 な 攻 撃 方 法, 日 本 軍 ( 主 に 海 軍 航 空 隊 )に 開 発 され, 戦 時 首 都 重 慶 に 対 して 試 みられた 志 気 の 征 服 をめざす 戦 略 爆
撃 の 思 想 の 本 質 であった と 指 摘 されています 国 際 法 に 違 反 する 重 慶 大 爆 撃 が 先 行 行 為 ( 原 因 )となり, 米 軍 の 東 京 大 空 襲 をはじめ とした 日 本 各 都 市 への 空 爆, 原 爆 投 下 と 繋 がり, 日 本 の 空 襲 被 災 者 にも 甚 大 な 被 害 を 与 える 結 果 となったことは 歴 史 的 公 知 の 事 実 であります 本 件 訴 訟 は 重 慶 大 爆 撃 での 加 害 行 為 によって 中 国 民 衆 への 甚 大 な 被 害 を 与 えた 事 実 と ともに 同 爆 撃 が 東 京 大 空 襲 をはじめとした 米 軍 の 空 爆 による 空 襲 被 災 者 の 被 害 をもたら しものであることを 問 う 意 義 も 有 する 訴 訟 でもあります (3) 重 慶 大 爆 撃 と 東 京 大 空 襲 の 被 害, 被 害 者 の 思 いは 同 じである 東 京 大 空 襲 の 証 人 尋 問 で 早 乙 女 勝 元 氏 は, 東 京 大 空 襲 が 一 夜 にして 奪 ったものは, 人 の 命, 財 産, 住 居 と 街 並 みを 含 む 生 活 基 盤 そのもの, 未 来 への 希 望 の 全 て ( 要 旨 )と 証 言 されました 本 件 第 一 事 件 の 第 6 回 口 頭 弁 論 で 原 告 鞠 天 福 さん( 原 告 番 号 2)は 重 慶 爆 撃 の 状 況 に ついて, 太 陽 や 空 を 覆 うほどの 火 炎 や 濃 い 煙 が 全 重 慶 の 町 を 包 み 込 んでいったのです まるで 町 全 体 が 爆 撃 され, 燃 えているようでした 私 たちの 町, 私 たちの 家, 私 たち の 友 人,すべてがなくなってしまいました と 陳 述 されています 日 本 軍 の 重 慶 大 爆 撃 で 奪 ったものも 東 京 大 空 襲 で 奪 われたものも 同 じであり, 被 害 の 深 刻 さ, 被 害 者 の 苦 しみ, 悲 しみ, 被 害 者 の 思 いは 同 じであります 東 京 大 空 襲 の 原 告 131 名 中, 片 腕 切 断 等 の 自 ら 重 傷 を 負 った 者 は7 名, 父 母 の 双 方 又 は 一 方 を 失 った 者 は104 名 おり, 孤 児 になった 未 成 年 者 は55 名,うち 一 人 ぼっち で 残 された 者 は21 名 にのぼっています 本 件 第 一 事 件 でも 重 慶 大 爆 撃 で 両 親 を 殺 された 鄧 華 均 さん( 原 告 番 号 5), 父 を 殺 さ れた 危 昭 平 ( 原 告 番 号 15), 羅 漢 ( 原 告 番 号 16)さん, 右 顔 に 重 傷 を 負 った 趙 茂 蓉 ( 原 告 番 号 32)さん, 右 足 切 断 の 万 泰 全 ( 原 告 番 号 14), 周 永 冬 ( 原 告 番 号 21) さんをはじめとした 原 告 らの 被 害 態 様, 被 害 の 甚 大 さ, 深 刻 さは 東 京 大 空 襲 の 被 害 と 共 通 しております 重 慶 大 爆 撃 の 原 告 らの 被 害 も 東 京 大 空 襲 の 被 災 者 の 被 害 も 被 害 当 日 にとどまるもので はなく, 戦 後 現 在 までその 傷 は 癒 されることなく 継 続 しています 重 慶 大 爆 撃 で 父 の 体 がばらばらになり 遺 体 すら 残 らなかった 危 昭 平 さんは, 父 のこ とを 思 い 出 すと, 今 でも 涙 が 出 てきます 日 本 政 府 が 無 差 別 爆 撃 を 謝 罪 しないため に, 癒 されない 父 の 魂 は 今 もさまよい 続 けています ( 甲 第 4 号 証 の2)と 陳 述 され
ています 鞠 天 福 さんは 私 は 今 でも, 火 災 の 火 を 見 たり, 消 防 車 が 鳴 り 響 く 音 を 聴 くと, 体 が 硬 直 したり, 何 も 考 えられなくなります 頭 のなかに, 爆 撃 と 燃 え 上 がる 炎,そして 家 族 がもがきくるしむ 悲 惨 な 光 景 が 浮 かびあがり,なかなか 心 が 平 静 にもどらないのです と 陳 述 されています 東 京 大 空 襲 訴 訟 の 証 人 尋 問 で 精 神 科 医 の 野 田 正 彰 氏 は 空 襲 被 害 者 の 多 くが, 高 齢 者 になってから, 凄 惨 な 空 襲 体 験 の 極 限 状 況 を 想 起 し, 再 び 苦 しんでいる 原 告 らの 精 神 的 負 荷 は 国 を 含 む 共 同 体 で 背 負 わない 限 りこれを 軽 減 することはできず, 死 者 に 対 する 慰 霊 と 生 き 残 った 者 に 対 する 補 償 が 不 可 欠 である と 証 言 されています ポッダム 宣 言 を 受 諾 し, 終 戦 をむかえた 日 本 政 府 の 戦 後 の 第 一 の 任 務 は, 戦 後 処 理 戦 後 補 償 責 任 をはたすことでした 憲 法 は, 前 文 で 政 府 の 行 為 によって 再 び 戦 争 の 惨 禍 が 起 こることのないようにする ことを 決 意 してこの 憲 法 を 確 定 すると 謳 っています 内 外 の 戦 争 被 害 者 に 対 して 戦 後 補 償 責 任 をはたそうとしない 被 告 国 の 主 張 は, 平 和 主 義, 基 本 的 人 権 の 尊 重 を 基 本 原 理 としている 憲 法 の 理 念 とは 相 いれません 鞠 天 福 さんは, 戦 争 は 中 国 や 重 慶 市 民 に 多 大 な 苦 難 をもたらしただけでなく, 日 本 人 に 対 しても 大 きな 被 害 をもたらしました 重 慶 大 爆 撃 や 東 京 大 空 襲, 広 島, 長 崎 の 原 爆 投 下 による 惨 劇 は 二 度 と 繰 り 返 してはなりません 日 中 両 国 の 人 民 は 手 をとりあって 戦 争 に 反 対 し, 私 たちは 一 衣 帯 水 の 燐 国 日 本 と 子 孫 の 代 に 至 るまで 友 好 関 係 を 保 ってい くことを 心 から 願 っています とも 陳 述 されています 裁 判 所 が 憲 法 の 理 念, 国 際 人 権 水 準, 正 義 と 公 平 に 則 り, 本 日 意 見 陳 述 された 第 二 事 件 原 告 の 呉 及 義 さんをはじめとした 鞠 天 福 さんらの 本 件 訴 訟 の 原 告 らの 訴 え, 願 いに 耳 を 傾 けられ 人 権 擁 護 の 砦 としての 役 割 を 発 揮 されることを 求 めます