62 発 行 : 小 平 市 立 図 書 館 平 成 22 年 3 月 問 合 せ: 小 平 市 中 央 図 書 館 187-0032 小 平 市 小 川 町 2 1325 042-345-1246 平 成 21 年 12 月 22 日 撮 影 小 平 グリーンロード 狭 山 境 緑 道 の 小 平 市 内 の 部 分 開 通 を 契 機 に 小 平 市 内 一 周 緑 道 構 想 が 練 られ 玉 川 上 水 緑 道 野 火 止 用 水 緑 道 狭 山 境 緑 道 小 金 井 公 園 を 結 ぶ 延 長 21キ ロメートルを 昭 和 56 年 7 月 に 緑 の 回 廊 とした 現 在 は 緑 道 全 体 を 小 平 グリーンロードと 呼 び 平 成 16 年 に 美 しい 日 本 の 歩 きたくなる 道 500 選 に 認 証 されるなど 季 節 を 感 じながら 安 心 して 散 策 することができる 道 として 親 しまれている 狭 山 境 緑 道 部 分 は 小 平 ふるさと 村 を 中 心 とした イベント 散 策 路 でもある 昭 和 57 年 11 月 21 日 撮 影 狭 山 境 緑 道 昭 和 49 年 4 月 東 京 都 によって 水 道 道 路 ( 注 ) の 都 立 小 金 井 公 園 - 小 平 駅 南 口 3.5キロメートルが 緑 道 自 転 車 道 化 された 以 後 整 備 が 進 められ 現 在 では 狭 山 境 緑 道 として 都 立 狭 山 公 園 から 武 蔵 野 市 にある 境 浄 水 場 までの 延 長 10.5キロメート ルが 完 成 している 花 小 金 井 南 町 から 田 無 界 隈 を 望 む の 昭 和 57 年 撮 影 の 写 真 が 人 気 番 組 ちい 散 歩 (テレビ 朝 日 で 放 映 )の 平 成 21 年 11 月 17 日 の 回 で 紹 介 された 注 : 水 道 道 路 (すいどうどうろ) 主 に 上 水 道 に 供 される 原 水 または 浄 水 の 輸 送 管 を 埋 設 した 土 地 の 上 に 設 けられた 道 路 平 成 21 年 12 月 22 日 撮 影 昭 和 56 年 11 月 1 日 撮 影
図 書 館 の 謎 ミステリー7 マヘンドラ プラタプへの 旅 2 <マヘンドラ プラタプの 世 界 連 盟 運 動 の 拠 点 は 本 当 に 小 平 にあったのか?> 周 辺 人 物 を 追 う 間 にも 引 き 続 きプラタ プ 自 身 の 資 料 がないか 調 べていましたが 著 者 だけからのアプローチでは なかなか 関 係 資 料 が 見 つからず 歯 がゆい 思 いでい ました その 頃 インターネット 上 で 検 索 できる 全 国 の 大 学 図 書 館 が 所 蔵 する 図 書 雑 誌 の 総 合 目 録 データベースである NACSIS Webcat の 中 に 連 想 検 索 機 能 を 持 つ Webcat Plus ができました 早 速 利 用 して レファレンスに 有 効 なこと がわかりました 通 常 の 蔵 書 検 索 で 内 容 の 中 に プラタプ について 書 かれた 本 を 探 すのは 至 難 の 業 ですが この 連 想 検 索 がう まくヒットする 場 合 があり プラタプの 場 合 は 昭 和 動 乱 期 の 回 想 : 中 谷 武 世 回 想 録 ( 中 谷 武 世 著 上 下 巻 泰 流 社 1989 年 ) の 上 巻 の 目 次 情 報 の 中 に マヘンドラ プ ラタプと 共 に という1 章 を 見 つけること ができました しかもこの 資 料 は 小 平 市 中 央 図 書 館 に 所 蔵 されていたのです これを 読 むと 大 川 周 明 ボースなどと 接 触 してい ることがわかります 大 正 14 年 には 松 本 楼 でプラタプの 歓 迎 会 が 開 かれ ボース 大 川 周 明 中 谷 武 世 酒 井 忠 正 伯 爵 や 当 時 の 衆 議 院 議 長 海 軍 大 将 などが 参 加 してい ます 大 川 周 明 ボースの 著 作 や 彼 らに 関 する 資 料 も 探 し 始 めました 都 立 図 書 館 から 取 り 寄 せたのは 革 命 亜 細 亜 の 展 望 ( 中 谷 武 世 ボース 著 萬 里 閣 書 房 昭 和 5 年 )と いう 非 常 に 古 い 本 です (このころは 都 立 図 書 館 も 古 い 本 を 貸 してくれました )この 本 の 序 文 はプラタプが 書 いており 90 頁 ~ 127 頁 には 宗 教 家 及 び 革 命 家 としてのマ ヘンドラ プラタプ の 項 があり プラタ プ 自 身 についてや 彼 の 周 辺 事 情 がなんと なくわかってきました また 大 川 周 明 関 係 の 資 料 のひとつとして 大 川 周 明 関 係 文 書 ( 大 川 周 明 関 係 文 書 刊 行 会 芙 蓉 書 房 出 版 1998 年 )があり これも 取 り 寄 せ 調 べ てみました 書 簡 集 のページを 丹 念 に 見 て いきますとプラタプから 大 川 周 明 宛 の 書 簡 があり その 中 の 一 通 は 1940 年 9 月 2 日 の 日 付 で 東 京 府 国 分 寺 私 書 箱 十 世 界 連 邦 日 本 支 部 より となっていたのです なんとなく 小 平 とのつながりがあるような 気 もしてきましたが 小 平 との 関 係 はどの 本 にも 記 述 は 見 つけられず 調 査 は 無 理 か なとも 思 い 始 めました そのようなとき 古 文 書 室 で 地 域 資 料 に 詳 しい 職 員 にこの 話 をしていた 折 に 古 文 書 整 理 にいらしていた K さんがこの 話 を 小 耳 にはさみ 友 人 が 何 か 知 っているかも しれないといって 帰 られたということを 聞 きました
藁 にもすがる 思 いで 夕 方 K さんにお 電 話 すると 電 話 の 傍 らにいらしたご 主 人 が 話 のやりとりを 聞 いているうちに 急 に 自 分 に 心 当 たりがありそうだと 急 きょ 電 話 を 代 わりご 主 人 よりお 話 を 伺 うことになり ました 聞 けばご 自 身 が 小 学 生 の 頃 道 を 歩 いているインド 人 を 見 かけたことがあっ て 友 人 たちのうわさで 元 インドの 王 族 だ ったとかの 話 しをしていたこと また 住 ん でいた 場 所 もだいだいわかるとのこと 思 わぬ 展 開 にびっくりするやら 驚 くやら その 後 K さんからもっとくわしく 接 した ことがあるという H さんを 紹 介 され はや る 心 で 連 絡 を 取 りましたが 既 にお 亡 くな りになっていました 仕 方 なくまた K さん にお 願 いして S さん O さんを 紹 介 してい ただき おふたりからお 話 を 伺 うことがで きました S さん O さんとも 突 然 の 図 書 館 からの 電 話 とその 内 容 にびっくりされた ようです プラタプの 本 部 は 確 かに 小 平 にあったの です 場 所 としては 現 在 の 中 央 公 園 の 玉 川 上 水 をはさんだ 反 対 側 のあたりになります 本 部 は 木 造 の 平 屋 の 家 屋 でインド 人 の 秘 書 がおり K さんが 見 たのはこの 人 だった のではないでしょうか この 秘 書 の 人 は 小 平 第 二 小 学 校 の 運 動 会 にも 来 ていたという ことで 地 域 にもとけ 込 んでいたようです 集 会 などもあり 人 の 出 入 りが 結 構 あり O さんもたびたび 遊 びに 行 ったそうです S さん O さんの 了 解 を 得 て 質 問 者 の 方 に 紹 介 し 直 接 お 話 をお 聞 きしていただくこ とにしました その 後 質 問 者 の 方 が 来 館 され 参 考 室 で 取 り 寄 せた 資 料 をみていただいたあと O さん 宅 へ 向 かわれました その 後 何 日 かし て 突 然 図 書 館 にいらした O さんから 質 問 者 の 方 に 渡 したというプラタプの 写 真 を 見 せていただきました この 質 問 を 受 けたときから 質 問 者 の 方 のお 名 前 には 見 覚 えがあり もしかしたら 小 説 家 の M さんかなと 思 っていました 来 館 された 折 のお 話 で 連 載 されている 新 聞 小 説 ( 室 蘭 民 報 )の 取 材 とわかりました その 後 マヘンドラ プラタプについて 掲 載 された 新 聞 のコピーを 送 っていただきま した 新 聞 小 説 は 室 蘭 民 報 に 平 成 14 年 4 月 20 日 から17 年 8 月 21 日 まで 毎 週 末 朝 刊 に 連 載 されていて 平 成 18 年 9 月 に 海 洞 (KAIDOU)アフンルパロの 物 語 ( 三 浦 清 宏 著 文 藝 春 秋 )として 出 版 され ました この 小 説 は 関 東 大 震 災 から 戦 後 の 復 興 まで 激 動 の 昭 和 を 生 きた 室 蘭 のあ る 家 族 の 栄 枯 盛 衰 の 物 語 で アメリカ 留 学 から 帰 国 した 主 人 公 清 隆 の 精 神 的 遍 歴 を 壮 大 なスケールで 描 いています この 中 に プラタプのエピソードも 何 箇 所 か 盛 り 込 ま れています 日 本 を 拠 点 として 中 村 屋 のボースなど とインド 独 立 運 動 を 行 っていたプラタプは 第 2 次 世 界 大 戦 に 際 して 日 本 の 軍 部 と 意 見 が 合 わず 小 平 に 隠 棲 した 格 好 となったよ うです 歴 史 上 の 人 物 が 小 平 で 活 動 して いた 事 実 があったことに 非 常 に 驚 いた 調 査 事 例 でした
おたのしみ 会 図 書 館 では 年 に1 回 12 月 に通 常 のおはなし 会 の 拡 大 版 として おたのしみ 会 を 開 催 しています おたのしみ 会 ではは 普 段 のおはなし 会 では 使 用 しない16ミリフィルムの 上 映 や 大 型 絵 本 などを 使 って 子 どもたちに 楽 しんでもらっています 16ミリフィルムの 上 映 では まよなかのだいどころ どろんこハリー など 絵 本 の 原 作 があるものを 選 んで 上 映 し 大 型 絵 本 ( 普 通 サイズの紙 芝 居 の 約 3 倍 )は くまのコールテンくん ぐり とぐらのおきゃくさま などクリスマスの 雰 囲 気 にぴったりな 絵 本 の 読 み 聞 かせをして います また 中 央 図 書 館 ではペープサート( 紙 人 形 劇 )を 行 なったりと それぞれの 図 書 館 で 工 夫 を 凝 らしたイベントを 実 施 しました そして おたのしみ 会 の 最 後 には としょかんサンタがが 登 場 して 子 どもたちにプレゼント を 配 りました ( 前 回 のおたのしみ 会 では 四 館 でとしょかんサンタが 目 撃 されたとのこと) それぞれの 図 書 館 で 時 間 をかけた 手 作 りのプレゼントを 用 意 しています 12 月 には 各 館 へおたのしみ 会 巡 りをしてみるのも 面 白 いかもしれません としょかんサンタ 現 る! おたのしみ 会 プレゼント 集 学 校 図 書 館 の 紹 紹 介 小 平 市 立 花 小 金 井 南 中 学 校 花 小 金 井 南 中 学 校 では 生 徒 数 が 増 えたため 現 在 図 書 室 は 仮 住 まいですが 図 書 委 員 を 中 心 に 図 書 紹 介 新 聞 やポップ 図 書 室 利 用 の 宣 伝 ポスター 作 り 朝 読 書 の 呼 びかけを 行 っていま す 図 書 館 協 力 員 が 在 室 の 日 は 朝 10 時 から 利 用 でき また 図 書 ボランティアさんのご 協 力 もあ って 放 課 後 開 館 (16:30 まで)も 週 4 日 ほどできるようになり 貸 し 出 し冊 数 が 大 幅 に 増 えま した 今 年 7 月 から 新 たに 読 書 マラソンチャレンジ の 取 り 組 みも 始 まりました 中 学 3 年 間 でリストの 図 書 ( 様 々な 分 野 から130 冊 )や 自 分 の 好 きな 図 書 を 読 んで 東 京 から 大 陸 経 由 で パリを目 指 す2 万 ページの 旅 です 生 徒 は 自 分 の 目 標 をそれぞれれ 立 てますが すでに 数 名 が2 万 ページ 達 成 しました また 市 立 花 小 金 井 図 書 館 と 連 携 ご 協 力 いただき 読 書 活 動 や 総 合 学 習 調 べ 学 習 の 授 業 も 進 めています 中 学 時 代 に 多 く 図 書 に 親 しんでもらうための 様 々な 活 動 をこれ からも 計 画 しています
図 書 館 だより 付 録 平 成 21 年 度 行 事 報 告 絵 本 の 読 み 聞 かせ 実 践 講 座 中 央 図 書 館 5 月 14 日 5 月 28 日 6 月 4 日 ( 木 ) 参 加 人 数 延 べ48 人 小 学 校 などで 子 どもたちに 絵 本 の 読 み 聞 かせを 行 っている 方 これから 実 演 の 予 定 のある 方 を 対 象 に 図 書 館 員 が 実 演 をまじえて 話 をしました 第 1 回 は 絵 本 の 選 び 方 や 実 演 にあたって 気 をつけたいこと 第 2 3 回 は 参 加 者 の 皆 さんに 絵 本 の 読 み 聞 かせをしていただき 助 言 アドバ イスをしました 大 人 のためのおはなし 会 7 月 9 日 ( 木 ) 参 加 人 数 20 人 上 宿 図 書 館 11 月 12 日 ( 木 ) 参 加 人 数 10 人 喜 平 図 書 館 ふだん 子 どもたちが 楽 しんでいる 昔 話 や 創 作 の おはなしを 大 人 の 方 に 楽 しんでいただきました プログラム 若 返 りの 水 ( 日 本 の 昔 話 ) こねこのチョコレート ( 創 作 ) 恐 いものなしのジョヴァンニン(イタリア の 民 話 ) ふしぎなオルガン( 創 作 )など 夏 休 み 家 族 一 日 図 書 館 員 中 央 図 書 館 地 区 館 7 月 26 日 ( 日 ) 午 前 9 時 から 正 午 参 加 人 数 9 家 族 20 人 夏 休 みの 一 日 図 書 館 の 仕 事 を 家 族 で 体 験 していただきました 夏 休 み 図 書 館 ボランティア 体 験 講 座 中 央 図 書 館 8 月 17 日 ( 月 )~8 月 20 日 ( 木 ) 参 加 人 数 延 べ68 人 市 内 の 小 学 5 年 生 から 大 学 生 を 対 象 に 書 架 整 理 やポスター 作 り を 経 験 するボランティア 体 験 の 講 座 です 児 童 文 学 紀 行 講 座 絵 本 で 旅 するイタリア 講 師 図 書 館 職 員 中 央 図 書 館 9 月 3 日 9 月 10 日 ( 木 ) 参 加 人 数 延 べ93 人 旅 の 絵 本 Ⅱ 安 野 光 雅 著 福 音 館 書 店 旅 の 絵 本 Ⅱ イタリア 編 ( 安 野 光 雅 著 福 音 館 書 店 ) を 愉 しみながら 図 書 館 員 が 案 内 役 となって 描 かれた 風 景 の 中 に 隠 された 謎 を 追 いました 絵 本 や 児 童 文 学 は もとより 名 画 建 築 人 物 などたくさんの 発 見 があり 新 たな 絵 本 の 魅 力 に 出 会 えたことと 思 います 展 示 会 中 央 図 書 館 2 階 展 示 ギャラリー はらだたけひで 絵 本 原 画 展 9 月 19 日 ( 土 )~11 月 18 日 ( 水 ) 裏 面 に 続 く
児 童 文 学 講 演 会 私 の 歩 んできた 道 講 師 岩 崎 京 子 さん( 児 童 文 学 者 ) 小 川 西 町 図 書 館 10 月 29 日 ( 木 ) 参 加 人 数 45 人 かさこじぞう ポプラ 社 いわさききょうこぶん あらいごろうえ 花 咲 か や かさこじぞう の 作 者 であり 日 本 を 代 表 する 児 童 文 学 作 家 の 一 人 である 岩 崎 京 子 さんに 作 家 活 動 のエピソードや 江 戸 時 代 を 舞 台 にした 物 語 の 魅 力 子 どもたちへの 思 いについて 語 っていただきました 福 祉 講 演 会 障 がい 児 と ともに 育 つ おやじたち 講 師 平 井 秀 夫 さん ( 町 田 おやじの 会 代 表 ) 小 川 西 町 図 書 館 11 月 21 日 ( 土 ) 午 前 10 時 半 から 正 午 参 加 人 数 23 人 障 がいのある 子 どもをもつ 父 親 たちの 苦 悩 と 喜 びについての 講 演 でした 児 童 文 学 講 演 会 絵 本 にえがかれた 家 族 講 師 市 村 久 子 さん 花 小 金 井 図 書 館 11 月 26 日 ( 木 ) おおきなおおきなおいも 参 加 人 数 37 人 赤 羽 末 吉 さく え 福 音 館 書 店 幼 稚 園 教 育 の 中 から 生 まれた 絵 本 おおきなおおきな おいも ( 福 音 館 書 店 )の 原 案 者 である 市 村 久 子 さん に 絵 本 から 見 える 家 族 像 についてのお 話 をしていた だきました 児 童 文 学 講 演 会 赤 毛 のアン が 生 まれるまで~ 村 岡 花 子 の 生 涯 ~ 講 師 村 岡 恵 理 さん(エッセイスト 赤 毛 のアン 記 念 館 村 岡 花 子 文 庫 主 催 ) 中 央 図 書 館 12 月 10 日 ( 木 ) 参 加 人 数 92 人 赤 毛 のアン の 訳 者 村 岡 花 子 さんを 祖 母 に もつ 村 岡 恵 理 さんは 赤 毛 のアン が 出 版 されるまでの 経 緯 などについて 村 岡 花 子 さ んの 生 涯 を 通 じてお 話 されました 中 央 図 書 館 1 階 では アンの 家 の 模 型 の 展 示 も 行 いま した アンの 家 の 模 型 村 岡 恵 理 さん 講 演 の 様 子 民 話 講 座 アーサー 王 伝 説 を 訪 ねて 中 央 図 書 館 平 成 22 年 2 月 27 日 3 月 6 日 3 月 13 日 ( 土 ) 午 後 2 時 から4 時 講 師 井 村 君 江 さん( 第 1 回 第 2 回 ) 池 田 正 孝 さん( 第 3 回 ) 展 示 会 中 央 図 書 館 2 階 展 示 ギャラリー 赤 毛 のアン と 村 岡 花 子 11 月 21 日 ( 土 )~ 平 成 22 年 2 月 17 日 ( 水 )