論 文 要 約 伊 関 友 伸 自 治 体 病 院 の 歴 史 住 民 医 療 の 歩 みとこれから ( 三 輪 書 店 ) 本 論 文 は はじめに おわりに のほか 全 7 章 で 構 成 する はじめに は 研 究 の 動 機 研 究 目 的 研 究 の 視 点 などについて 記 述 している 本 論 文 の 主 要 なテーマは 自 治 体 病 院 の 存 在 意 義 である 自 治 体 病 院 の 非 効 率 さは 様 々な 場 面 で 指 摘 される 非 効 率 な 自 治 体 病 院 を 全 て 廃 止 すべきと 発 言 する 医 療 関 係 者 も 少 なくない その 一 方 自 治 体 病 院 の 現 場 に 入 ると 行 政 からの 財 政 支 出 が 多 いことだけで 病 院 を 全 て 廃 止 すべきものでは ないことも 感 じていた 自 治 体 病 院 の 存 在 意 義 について 歴 史 的 な 事 実 やデータを 示 して 考 察 することが 必 要 という 考 えに 至 った 第 1 章 は 明 治 初 期 ~ 中 期 の 公 立 病 院 の 隆 盛 と 衰 退 の 動 きについて 論 考 する わが 国 に おける 本 格 的 な 西 洋 医 療 の 導 入 は 明 治 維 新 を 契 機 とする 明 治 政 府 の 西 洋 医 学 推 進 の 動 き に 呼 応 して 地 方 においても 佐 賀 福 井 金 沢 などの 諸 藩 が 相 次 いで 病 院 を 設 立 した 1871 ( 明 治 4) 年 の 廃 藩 置 県 以 降 各 県 において 公 立 病 院 を 設 立 する 動 きが 進 み ほとんどの 府 県 に 病 院 が 設 立 されることとなった しかし 当 時 西 洋 医 学 はぜいたく 品 であり 富 裕 層 のものであったことから 政 府 の 緊 縮 財 政 と 財 政 の 中 央 統 制 の 強 化 府 県 衛 生 事 務 の 警 察 部 への 移 管 歳 出 の 抑 制 を 求 める 地 方 議 会 の 圧 力 などにより 収 支 の 均 衡 が 求 められ 一 転 して 廃 止 が 相 次 ぐことになる 1883( 明 治 16) 年 には 357 院 あった 公 立 病 院 の 数 は 1923( 大 正 12) 年 には 71 院 まで 減 少 し 公 立 病 院 のない 県 は 18 県 に 及 んだ( 1923 年 内 務 省 衛 生 局 年 報 ) 廃 止 された 公 立 病 院 は 民 間 に 払 い 下 げられたり 篤 志 家 の 寄 付 が 期 待 できる 日 本 赤 十 字 社 に 寄 付 され 赤 十 字 病 院 となった 論 文 においては 明 治 期 の 公 立 病 院 の 廃 止 について 国 の 安 上 がり 医 療 政 策 として 批 判 する 議 論 に 対 して 当 時 の 漢 方 医 を 含 めた 医 師 数 の 多 さや 道 府 県 市 町 村 財 政 の 分 析 か ら 公 立 病 院 の 政 策 順 位 は 低 かったことを 指 摘 している 第 2 章 は 明 治 末 期 大 正 期 昭 和 前 期 の 医 療 の 社 会 化 運 動 から 戦 時 医 療 体 制 への 動 き について 論 考 する 明 治 末 期 から 大 正 期 に 入 り 産 業 の 発 展 と 共 に 国 民 の 間 の 貧 富 の 差 が 拡 大 健 康 問 題 は 貧 困 により 生 じる 最 大 の 支 障 となった 医 療 の 進 歩 を 広 く 全 ての 人 が 享 受 できることを 目 指 す 医 療 の 社 会 化 の 運 動 が 起 きる 減 少 の 一 途 をたどっていた 公 立 病 院 も 低 所 得 者 層 を 対 象 とした 病 院 診 療 所 や 結 核 療 養 所 乳 児 保 護 のための 産 院 などが 新 たに 設 置 される 1911( 明 治 44) 年 には 貧 困 層 を 対 象 に 医 療 を 提 供 する 東 京 市 施 療 病 院 と 広 島 市 立 施 療 病 院 が 開 設 される 1914( 大 正 3) 年 には 肺 結 核 療 養 所 ノ 設 置 及 国 庫 補 助 ニ 関 スル 法 律 が 制 定 され 東 京 大 阪 神 戸 の 3 市 に 対 して 結 核 療 養 所 の 設 置 が 命 じられた 1917( 大 正 6) 年 に 大 阪 市 に 市 立 刀 根 山 病 院 が 設 置 されたのを 始 めとして 全 国 17 都 市 に 結 核 療 養 所 が 設 けられる その 後 都 市 部 を 中 心 に 貧 困 低 所 得 者 層 を 対 象 とした 病 院 や 乳 児 保 護 のための 産 院 など 病 院 の 開 設 が 相 次 ぐ 1911( 明 治 44) 年 9 月 民 間 人 の 鈴 木 梅 四 郎 が 社 団 法 人 実 費 診 療 所 を 設 立 し 東 京 の 京 橋 木 挽 町 で 実 費 診 療 を 開 始 する 実 費 診 療 所 は 中 産 階 級 以 下 の 所 得 層 が 高 額 の 医 療 費 支 出 により 貧 困 層 に 陥 らない 防 貧 を 目 的 に 安 い 費 用 で 医 療 を 提 供 することを 目 指 し た 鈴 木 の 実 費 診 療 所 は 多 くの 患 者 を 集 めたものの 開 業 医 の 反 対 もあり 新 たな 実 費 診 療 所 の 設 立 ができなくなった 全 国 の 市 町 村 からの 強 い 要 望 もあり 市 町 村 からの 実 費 診 療 1
所 設 立 の 申 請 は 認 可 されることとなった 1923( 大 正 12) 年 からは 実 費 診 療 事 業 に 対 し て 簡 易 保 険 積 立 金 の 低 利 貸 付 が 行 われる 市 町 村 の 経 営 する 実 費 診 療 施 設 は 1935( 昭 和 10) 年 ごろまでには 全 国 85 か 所 に 及 んだ 一 方 農 村 部 では 産 業 組 合 法 に 基 づいて 医 療 利 用 組 合 ( 現 在 の JA 厚 生 連 の 前 身 )をつ くり 安 い 価 格 で 質 の 高 い 医 療 を 受 けようという 動 きが 起 きる 1928( 昭 和 3) 年 青 森 県 在 住 の 岡 本 正 志 は 農 村 が 疲 弊 し 娘 の 身 売 りが 相 次 ぐ 中 で 医 療 費 が 高 く 手 遅 れとなっ て 死 亡 診 断 書 を 書 いてもらう 時 しか 医 師 に 診 てもらうことができないことに 強 い 問 題 意 識 を 持 ち 有 限 責 任 東 青 信 用 購 買 利 用 組 合 を 設 立 し 東 青 病 院 の 運 営 を 始 める 苦 労 の 末 東 青 病 院 は 大 成 功 を 収 める 東 青 病 院 に 刺 激 されて 青 森 秋 田 岩 手 群 馬 新 潟 など 全 国 に 相 次 いで 医 療 利 用 組 合 による 病 院 診 療 所 が 設 立 される また 1938( 昭 和 13) 年 に は 健 兵 健 民 政 策 の 一 環 として 地 域 レベルの 医 療 保 険 である 国 民 健 康 保 険 法 が 施 行 され 国 保 組 合 直 営 の 医 療 機 関 が 設 置 される 1942( 昭 和 17) 年 には 戦 時 の 医 療 提 供 体 制 に 関 する 法 律 である 国 民 医 療 法 が 成 立 し 特 殊 法 人 として 日 本 医 療 団 が 発 足 する 医 療 団 は 結 核 の 予 防 と 撲 滅 無 医 地 域 の 解 消 医 療 の 向 上 と 普 及 を 綱 領 として 医 療 機 関 を 組 織 的 に 運 営 することを 目 指 した さらに 戦 時 中 に 起 きた 医 師 不 足 に 対 応 するため 官 立 医 学 専 門 学 校 ( 青 森 前 橋 松 本 米 子 徳 島 )の 新 設 が 行 われた 公 立 の 医 専 の 設 立 も 相 次 ぎ 1945( 昭 和 20) 年 の 時 点 での 公 立 医 専 は 18 校 ( 北 海 道 庁 女 子 秋 田 県 女 子 福 島 県 女 子 横 浜 市 山 梨 県 山 梨 県 女 子 名 古 屋 市 女 子 三 重 県 岐 阜 県 女 子 大 阪 市 奈 良 県 和 歌 山 県 兵 庫 県 広 島 県 山 口 県 高 知 県 女 子 九 州 医 学 歯 学 鹿 児 島 県 )に 及 んだ 公 立 医 専 の 相 当 数 が 戦 後 国 立 公 立 医 科 大 学 として 存 続 している 第 3 章 は 昭 和 戦 後 復 興 期 の 医 療 再 建 の 動 きについて 論 考 する 第 二 次 世 界 大 戦 の 敗 戦 後 日 本 国 憲 法 が 制 定 され 新 たに 社 会 権 が 保 障 される 中 で 自 治 体 病 院 は 国 民 に 医 療 を 提 供 するための 中 核 的 な 施 設 として 次 々と 設 置 される 1948( 昭 和 23) 年 5 月 医 療 制 度 審 議 会 は 医 療 機 関 の 整 備 改 善 に 関 する 答 申 を 行 う 戦 災 により 多 数 の 医 療 機 関 が 損 耗 している 中 で 国 民 に 医 療 を 提 供 するために 公 的 医 療 機 関 を 速 やかに 設 置 すること 公 的 医 療 機 関 の 経 営 の 主 体 は 原 則 として 都 道 府 県 等 地 方 自 治 体 たらしめることとした 1950( 昭 和 25) 年 には 医 療 機 関 整 備 中 央 審 議 会 が 全 国 的 な 医 療 機 関 の 体 系 化 を 図 るこ とを 骨 子 とする 医 療 機 関 整 備 計 画 を 決 定 する 病 院 は 病 床 の 整 備 目 標 をその 種 類 ごと に 定 め 都 道 府 県 ごとに 中 央 病 院 地 方 病 院 地 区 病 院 を 配 置 する 配 置 に 当 たっては 都 道 府 県 立 病 院 を 中 心 とする 公 的 医 療 機 関 を 中 核 として 考 慮 することとされた しかし 都 道 府 県 立 病 院 の 新 設 は 財 源 の 不 足 から 限 定 的 であった 戦 後 大 きく 数 を 増 やした 医 療 機 関 として 市 町 村 の 国 民 健 康 保 険 直 診 病 院 診 療 所 が ある 急 激 なインフレの 中 で 医 療 費 は 闇 価 格 並 の 診 療 報 酬 が 慣 行 化 し 保 険 による 報 酬 とは 比 較 にならないほどの 差 を 生 ずることになった 医 療 機 関 も 保 険 による 診 療 を 歓 迎 せ ず 保 険 外 の 一 般 患 者 としての 受 診 を 求 める 傾 向 が 強 くなった 使 えない 国 保 というこ とで 国 保 加 入 者 が 保 険 料 を 納 めず 国 保 組 合 は 滞 納 が 急 増 した 事 業 を 休 止 する 国 保 組 合 が 相 次 ぐ 中 で 国 保 直 診 病 院 診 療 所 を 持 つ 組 合 は 組 合 自 ら 医 療 を 提 供 できる 強 みから 国 保 事 業 を 休 止 することなく 続 けられ 国 保 事 業 崩 壊 の 防 波 堤 として 大 きな 役 割 を 果 たし た 国 や 都 道 府 県 も 国 保 制 度 の 維 持 のため 国 保 直 診 病 院 診 療 所 の 設 置 に 補 助 金 を 出 す などの 支 援 を 行 った その 結 果 敗 戦 直 後 の 1945( 昭 和 20) 年 には 99 院 にしか 過 ぎなか った 自 治 体 病 院 は 国 民 皆 保 険 が 達 成 される 1961( 昭 和 36) 年 には 自 治 体 病 院 の 数 は 都 道 府 県 立 284 院 市 町 村 立 病 院 853 院 (その 相 当 数 が 国 保 直 診 施 設 )の 合 計 1,137 院 に 達 2
するまでに 至 った 当 時 市 町 村 立 病 院 の 設 立 が 相 次 いだ 要 因 の 一 つに 医 師 の 雇 用 が 比 較 的 容 易 なことが あった 敗 戦 で 外 地 の 軍 医 や 開 業 医 が 本 土 に 引 き 揚 げて 来 たことに 加 え 戦 争 中 に 多 数 設 立 された 医 学 専 門 学 校 の 卒 業 生 が 医 師 として 医 療 現 場 で 勤 務 することになった このた め 国 内 の 医 師 は 過 剰 状 態 になった その 大 きな 受 け 皿 となったのが 地 方 の 市 町 村 立 病 院 であった 第 4 章 は 昭 和 高 度 成 長 期 について 国 民 皆 保 険 達 成 後 の 自 治 体 病 院 の 試 練 について 論 考 を 行 う 戦 後 国 民 に 医 療 を 提 供 するための 中 核 的 な 施 設 として 次 々と 設 置 された 自 治 体 病 院 であるが 国 民 皆 保 険 を 達 成 した 1961( 昭 和 36) 年 ごろから 逆 風 が 吹 く 1957( 昭 和 32) 年 武 見 太 郎 が 日 本 医 師 会 の 会 長 に 就 任 する 武 見 は 強 い 政 治 的 な 権 力 を 使 い 戦 後 の 日 本 の 医 療 に 大 きな 影 響 力 を 及 ぼした 人 物 である 武 見 は 開 業 医 の 意 見 が 強 く 反 映 された 日 本 医 師 会 の 政 治 力 を 使 い 自 治 体 病 院 に 対 して 厳 しい 姿 勢 で 対 応 する 1963( 昭 和 38) 年 に 医 療 制 度 調 査 会 が 出 した 最 終 答 申 は 日 本 医 師 会 に 関 わりの 強 い 委 員 の 人 選 が 行 われたこともあって ( 公 的 医 療 機 関 という 現 行 医 療 法 上 の 制 度 は) 国 公 立 の 医 療 施 設 の 整 備 が 急 速 に 行 なわれ また 国 民 皆 保 険 を 迎 えた 今 日 においては その あり 方 は 基 本 的 に 再 検 討 されるべき という 開 業 医 を 主 軸 とした 医 療 体 系 の 強 化 の 方 向 が 示 される 1962( 昭 和 37) 年 には 医 療 法 の 改 正 による 公 的 病 院 の 病 床 規 制 が 議 員 提 出 法 案 として 成 立 する その 後 わが 国 の 病 院 の 新 設 は 私 的 医 療 法 人 が 中 心 となる 1961( 昭 和 36) 年 に 956 病 院 であった 自 治 体 病 院 の 数 ( 一 般 病 院 )が 1990( 平 成 2) 年 の 1,020 病 院 と 約 1.07 倍 しか 増 えていないのに 対 し 1961( 昭 和 36) 年 に 2,745 病 院 だった 私 的 病 院 は 1990 ( 平 成 2) 年 には 6,399 病 院 に 約 2.3 倍 に 増 えている( 厚 生 労 働 省 医 療 施 設 調 査 ) 診 療 報 酬 も 開 業 医 に 対 して 高 く 公 的 病 院 に 厳 しい 傾 向 が 続 いた このような 中 自 治 体 病 院 は 生 き 残 りをかけて 旧 自 治 省 ( 現 総 務 省 )との 関 係 を 深 めて いく 1960( 昭 和 35) 年 自 治 体 病 院 が 特 別 地 方 交 付 税 ( 地 方 交 付 税 の 約 4% 程 度 を 占 め る)の 対 象 となる 特 別 地 方 交 付 税 の 対 象 となることで 地 方 自 治 団 体 自 治 体 病 院 は 金 額 的 には 少 額 であったものの 安 定 した 運 営 財 源 を 確 保 することになる 1977( 昭 和 52) 年 には 自 治 体 病 院 の 運 営 経 費 が 普 通 地 方 交 付 税 ( 地 方 交 付 税 の 96% 程 度 を 占 める)の 対 象 となる 地 方 交 付 税 の 裏 付 けもあり 地 方 自 治 体 の 一 般 会 計 から 自 治 体 病 院 会 計 への 繰 入 金 は 一 貫 して 増 加 の 傾 向 を 示 す その 一 方 自 治 体 病 院 が 地 方 交 付 税 の 対 象 となるためには 財 務 状 況 が 明 確 にされてい ることが 必 要 とされた 1963( 昭 和 38) 年 の 地 方 公 営 企 業 法 の 一 部 改 正 により 職 員 数 が 100 人 以 上 の 自 治 体 病 院 に 財 務 規 定 の 一 部 を 適 用 する 制 度 が 設 けられ 1966( 昭 和 41) 年 改 正 では 病 院 事 業 全 てに 財 務 規 定 が 当 然 に 適 用 されることとなった 病 院 事 業 を 地 方 公 営 企 業 法 の 対 象 とすることで 企 業 会 計 による 独 立 採 算 制 となる 一 方 救 急 医 療 やへき 地 医 療 公 衆 衛 生 活 動 などの 政 策 的 な 医 療 については 一 般 会 計 から 繰 入 が 行 われることが 明 確 化 された 第 5 章 は 昭 和 安 定 成 長 期 から 平 成 バブル 期 の 自 治 体 病 院 について 論 考 を 行 う 国 民 皆 保 険 の 達 成 と 経 済 の 高 度 成 長 により 国 民 の 医 療 需 要 が 高 まる 地 方 の 自 治 体 病 院 診 療 所 で 勤 務 していた 医 師 が 都 市 部 に 移 住 し 開 業 を 行 う 動 きが 強 まる 特 に 影 響 を 受 けたの が 交 通 の 便 の 悪 い 地 方 に 医 療 を 提 供 するために 設 立 された 国 保 直 診 診 療 所 であった 1955 ( 昭 和 30) 年 には 3,156 施 設 あった 国 保 直 診 診 療 所 が 1969( 昭 和 44) 年 には 1,462 施 設 に 半 減 する 3
医 師 不 足 に 対 応 するため 1970( 昭 和 45) 年 に 秋 田 大 学 医 学 部 が 戦 後 初 めて 新 設 されて 以 降 医 科 大 学 の 設 立 が 相 次 ぐ 1972( 昭 和 47) 年 7 月 日 本 列 島 改 造 論 を 掲 げて 田 中 角 栄 が 内 閣 総 理 大 臣 に 就 任 する 同 年 11 月 田 中 総 理 の 指 示 を 受 けた 自 民 党 文 教 部 会 医 学 教 育 チームは 無 医 大 県 を 1976( 昭 和 51) 年 度 までになくすこと( 一 県 一 医 大 )を 盛 り 込 んだ 医 師 養 成 長 期 計 画 をまとめる 日 本 列 島 改 造 論 自 体 には 無 医 大 解 消 政 策 そ のものは 書 かれていなかったが 大 都 市 の 過 度 の 集 中 を 解 消 する 有 力 な 手 段 として 大 学 の 地 方 分 散 が 提 案 されていた 医 科 大 学 は 当 時 の 総 合 大 学 の 学 生 運 動 の 激 しさから 学 生 運 動 への 対 策 として 国 立 の 単 科 大 学 として 新 設 された また 1972( 昭 和 47) 年 には 不 足 する 地 方 の 医 師 不 足 に 対 応 するため 都 道 府 県 が 出 資 者 となり 自 治 医 科 大 学 が 設 立 される 自 治 医 科 大 学 の 設 置 や 1970 年 代 に 医 科 大 学 の 新 設 が 相 次 いだことから 地 方 の 医 師 不 足 問 題 はやや 落 ち 着 きを 見 せる 1981 年 には 第 二 次 臨 時 行 政 調 査 会 ( 第 二 臨 調 )が 設 置 され 医 療 費 の 抑 制 が 重 要 な 課 題 とされる 医 療 費 の 抑 制 のため 医 科 大 学 の 定 員 抑 制 政 策 が 取 られる 1985( 昭 和 60) 年 には 地 方 行 革 大 綱 が 閣 議 決 定 され 地 方 自 治 体 においても 行 政 改 革 が 重 要 な 課 題 と なる 行 政 改 革 が 国 をあげた 課 題 となったものの 自 治 体 病 院 は 職 員 の 増 員 が 図 られ 医 療 の 内 容 の 充 実 が 図 られていく これは 1962( 昭 和 37) 年 の 公 的 病 院 の 病 床 規 制 が 継 続 されたことにより 私 的 病 院 の 数 や 病 床 が 急 激 に 増 加 していたこと 私 的 病 院 の 一 部 は 脱 税 や 乱 診 乱 療 で 国 民 からの 批 判 を 受 けていたこと 過 剰 な 診 療 行 為 を 行 う 可 能 性 が 少 な かった 自 治 体 病 院 診 療 所 への 国 民 の 信 頼 が 高 かったこと 当 面 の 行 政 改 革 の 対 象 として 国 立 病 院 があり 地 方 自 治 体 は 国 立 病 院 の 受 け 皿 として 期 待 されていたため あえて 自 治 体 病 院 を 行 革 の 対 象 としなかったことが 考 えられる 職 員 数 も 地 方 自 治 体 の 一 般 管 理 部 門 の 地 方 自 治 体 の 職 員 定 数 が 厳 しく 抑 制 されている 中 で 病 院 の 職 員 数 は 1974( 昭 和 49) 年 の 職 員 数 を 100 とすると 1988( 昭 和 63) 年 が 146 となるなど 増 加 傾 向 にあり 他 職 種 に 比 べても 増 加 率 は 最 も 高 い 状 況 にあった 第 6 章 は 平 成 期 の 橋 本 行 革 以 降 の 新 自 由 主 義 的 行 政 改 革 の 時 代 の 自 治 体 病 院 について 論 考 を 行 う 1996( 平 成 8) 年 三 重 県 の 事 務 事 業 評 価 システム の 導 入 以 降 全 国 で 行 政 評 価 を 導 入 する 動 きが 広 まる 行 政 評 価 を 通 じて 自 治 体 病 院 事 業 への 一 般 会 計 繰 出 金 の 多 さが 問 題 として 表 面 化 してくる 自 治 体 病 院 の 運 営 形 態 を 変 え 経 営 能 力 を 向 上 さ せて 繰 出 金 を 縮 減 しようという 動 きが 起 きる 1999( 平 成 11) 年 には 三 重 県 病 院 事 業 が 地 方 公 営 企 業 法 の 全 部 適 用 を 行 い 病 院 事 業 庁 を 設 置 する その 後 都 道 府 県 の 病 院 事 業 を 中 心 に 全 部 適 用 を 行 う 自 治 体 が 相 次 ぐ 自 治 体 病 院 への 一 般 会 計 繰 入 金 を 縮 減 する 流 れは 続 き 1997( 平 成 9) 年 度 の 7,634 億 円 から 2007( 平 成 19) 年 度 の 6,960 億 円 ま で 金 額 で 674 億 円 約 9%の 削 減 が 行 われる 2004( 平 成 16) 年 新 しい 医 師 臨 床 研 修 制 度 の 導 入 を 契 機 に 全 国 的 な 医 師 不 足 が 起 き る 地 方 の 自 治 体 病 院 などに 医 師 を 派 遣 していた 大 学 医 局 の 機 能 が 弱 まり 医 師 が 引 き 揚 げられる 動 きが 起 きた 特 に 自 治 体 病 院 の 影 響 は 大 きく 経 営 を 大 幅 に 悪 化 させ 病 院 を 廃 止 したり 指 定 管 理 者 制 度 を 導 入 する 自 治 体 病 院 が 相 次 ぐことになる 2007( 平 成 19) 年 には 総 務 省 が 公 立 病 院 改 革 懇 談 会 を 設 置 懇 談 会 の 議 論 を 元 に 公 立 病 院 改 革 ガイドライン 策 定 経 営 効 率 化 再 編 ネットワーク 化 経 営 形 態 の 見 直 し の3つの 視 点 に 立 った 改 革 を 一 体 的 に 推 進 することが 求 められることになった 経 営 の 効 率 化 と 時 代 の 変 化 に 対 応 した 医 療 機 能 の 再 編 が 求 められているのが 現 在 の 自 治 体 病 院 の 現 状 と 言 える 第 7 章 では これまでの 議 論 を 踏 まえて 自 治 体 病 院 の 存 在 意 義 について 論 考 を 行 った 4
行 政 組 織 である 自 治 体 病 院 は 単 に 医 療 を 提 供 するだけでなく 地 域 における 医 療 や 社 会 問 題 を 解 決 する 施 設 組 織 として 存 在 すること 設 置 の 意 義 が 明 確 であれば 自 治 体 病 院 は 成 長 する 一 方 収 支 の 均 衡 だけを 求 められても 自 治 体 病 院 は 衰 退 すること 政 治 の 影 響 を 受 けやすいことを 指 摘 した その 上 で 自 治 体 病 院 の 存 在 意 義 を 図 表 で 整 理 し 民 間 法 人 の 独 占 排 除 自 治 体 病 院 が 立 地 する 地 域 の 医 療 費 地 域 差 指 数 が 低 い 傾 向 行 政 の 医 療 福 祉 健 康 づくり 政 策 との 連 動 のしやすさ バッファー( 緩 衝 器 )としての 役 割 など 意 義 があることを 指 摘 した さらに これからの 地 域 における 医 療 の 課 題 を 国 民 の 超 高 齢 化 への 対 応 個 人 の 孤 立 ( 社 会 的 な 連 帯 意 識 の 欠 如 への 対 応 ) 国 民 皆 保 険 制 度 の 維 持 であると 指 摘 自 治 体 病 院 は 問 題 解 決 のモデルとなることが 期 待 されることを 指 摘 した その 一 方 自 治 体 病 院 には 職 員 定 数 の 問 題 など お 役 所 体 質 が 存 在 し 体 質 を 変 えて いかなければ 時 代 の 変 化 に 対 応 できず 衰 退 していく 可 能 性 が 高 いことを 指 摘 した 最 後 に 地 域 の 医 療 のあり 方 を 考 える 自 治 体 病 院 の 危 機 は 国 民 の 医 療 に 対 する 意 識 を 変 革 す る 一 つの 契 機 となる 可 能 性 があることを 指 摘 している 5