極大型であり それは 大規模 長期継続 集 落 遺跡なのであるから時期ごとの数量を描き 出すことは困難である せいぜい すでに崩壊 し去った数多の遺構に思いを馳せるのみである そもそも大規模であれば それが 過度な集 住 ということでなくても なぜ大規模な集落 遺跡が成立したのか その背景は何なのか と いう単純な問題設定で十分ではないかと考え 犬山扇状地 八王子 二タ子 猫島 大地 台地 大塚 野口 北出 7m 6m 5m 朝日 松ノ木 森南 2m 阿弥陀寺 4m 3m 志賀公園 2m 1m 西志賀 海岸線 名古屋台地 確度の高い河道 確度の低い河道 微高地 0 2km 図3 濃尾平野南部における弥生中期前半の遺跡分布 等高線 河川 海岸線は想定 土地条件図をもとに調査データを加味して作成 弥生集落史の地平 その2 凹線紋系土器期以前の弥生中期 財 愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター 2004.3 25