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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

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ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

創世記5 創世記2章4節b~25

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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

ミドラーシュ(4月27日)

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

牧会の祈り

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

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2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

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2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

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このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

Hebrew Midrash No.11 山上の説教 の舞台設定に隠された神の秘密 ベレーシート (1) ヘブル ミドゥラーシュ の今後の取り組み ヘブル ミドゥラーシュ例会 は 2014 年 8 月から始まって二年半になります 今回 (2017.2) の例会で第 11 回目を迎えます これまでの主

Microsoft Word - ◎中高科

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

牧会の祈り

牧会の祈り

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

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ヘブル人への手紙1章

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

十字架に関するへブル的考察 キリスト教といえば 十字架 です 今回はこの十字架と またこれに関わった幾人かの人物に関するへブ ル的考察を試みてみました 1. 十字架 祭司長たちや役人たちはイエスを見ると 激しく叫んで 十字架につけろ 十字架につけろ と言った ピラトは彼らに言った あなたがたがこの人

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記


2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

バプテスマのヨハネが逮捕されました その詳細はこのマルコの福音書 6 章に記されていますが ここではイェシュアが福音を宣べ伝え始めるきっかけとなっているように記されています つまりヨハネが捕らえられることと イェシュアがガリラヤに行って福音を宣べ伝え始めることには何等かの結びつきがあるということです

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2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

あるそうです 彼についても聖書に記された名はこれのみです アンデレ そしてこの ピリポ ギリシャ語名が連続して記されたこの事実は イスラエルの民に繋がる異邦人に対する神のご計画が繰り返しによって強調されていると考えられます 神は決してイスラエルだけを選んでおられるわけではないのです 神のご計画はイス

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

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2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

(1) 処 女 降 誕 (2)イエスの 歴 史 性 (3) 福 音 の 3 要 素 (4)イエスの 死 後 の 状 態 (5) 昇 天 (6) 再 臨 * 今 回 は (4)イエスの 死 後 の 状 態 を 取 り 上 げる * 死 んでから 復 活 までの 3 日 間 をどのように 過 ごされたの

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2017 年 9 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 11 回第 3 の警告 (3)- 励ましの言葉 - 第 3 の警告 (3) について学ぶ Ⅰ. 信者の救いに関する確信 (9~12 節 ) 1.9 節 Heb 6:9 だが 愛する人たち 私たちはこのように言いますが あなたがたについ

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(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

シリーズ キリストの再臨と終末の預言 -No.2( 改訂 ) キリストの空中再臨と教会の携挙 ( その二 ) 教会の 携挙 についての聖書的根拠 ベレーシート 前回は シリーズ キリストの再臨と終末の預言 の第一回目として キリストの空中再臨と教会の携挙 について学びました このことはとても重要な教

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

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に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

付録 C の 1 Page 1 of 9 10/26/2003 付録 C クリスチャン ギリシア語聖書における Kyrios 新世界訳聖書は ギリシア語 Kyrios( ) をさまざ

とは言えないような気がします 弟子達もすぐには主の復活を信じることが出来ない人達だったのです この人達はどうして主の復活を信じるようになったのでしょうか この最初の弟子達の証言によってイースターのメッセージが全世界に告げられていったことは事実です それだけにこの最初の弟子達が復活の信仰を持つようにな

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

マルコの福音書のヘブル的考察 黙れ 出て行け マルコの福音書 1:23~28 はじめに今日はイエス キリストの十字架の死からの復活を祝う イースター という祭りの日にあたり 世界中の教会でこれにちなんだ催しや取り組みがなされています ところで皆さんは イースター という名前の意味を御存知でしょうか

ます しかしこれでは義に飢え渇いているとはとても言えないのではないでしょうか また自分の生活を振り返って こう質問してみてください 自分は果たして毎日をどんな基準によって歩んでいるだろうか と 神から見て何が正しいことかを考え その義に従って義の道を歩もうとしているか それとも義のことはあまり考えず

2 公 生 涯 に 入 られる 前 に バブテスマのヨハネがイエスのために 道 備 えをしましたが まさに そのよう な 関 係 にある 二 つの 箇 所 と 言 えます 節 をより 詳 しく 教 えるためにこの 系 図 がその 前 に 記 さ れているということです 並 行 箇 所 :

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2016 年度 成長 カリキュラム表 155 号単元 25 イスラエル王国単元目標イスラエル建国の歩みをたどりながら 神に従うことを学ぶ月日週題聖書箇所主題 10/2 10/9 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 アドベント 少年サムエル 救い主の道備え

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2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

2 神はイスラエルをぶどうの木 ぶどうの実にたとえられました 神に選ばれたイスラエルは 本来その実を結ばせるべき存在でした しかし 聖書は次のように語っています エレミヤ書 2:21 わたしは あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに どうしてあなたは わたしにとって 質の悪い雑種のぶど

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

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エルサレムの見張り人としての召命 イザヤ書 からの説教 (No.11) 聖書箇所 62 章 6 7 節 ベレーシート マタイの福 書の 1 章 1 節を開くと アブラハムの 孫 ダビデの 孫 イエス キリストの系図 とあります そこに登場する三 の 物 アブラハム ダビデ イエス キリスト に共通するキーワードは何かと問われた時 何と答えるでしょうか おそらく悩むのではないかと思います その答えは エルサレム です 今回は前回の続きです 前回は 神のみこころの中 にあるのは エルサレム であることを学びました エルサレム という神の都の名称に隠された秘密 それは 神のご計画のヴィジョンとそこにある神のすべての祝福 を意味しているということです (1) アブラハム 神から わたしの す地へ け ( 創世記 12 章 ) と われて召し出された彼が 信仰によって義とされる ( 同 15 章 ) 前に 彼はエラムの王ケドルラオメル軍を破り 甥のロトとその家族 そして彼らの財産を取り戻したときに いと き神の祭司であったシャレムの王メルキゼデクを通して神の祝福を受けました ( 同 14 章 ) そしてアブラハムはそのメルキゼデクに対して戦利品の 10 分の 1 を彼にささげました その出来事が意味することを 私は い間 悟ることができませんでした それはなぜかと うと 神のご計画の中 に エルサレム というキーワードがあることを 私は知らなかったからです 創世記 14 章でアブラハムを祝福した シャレムの王メルキゼデク という 物は シャレム つまり エルサレム の王であり祭司なのですが ヘブル の 紙 7 章によれば 彼は もなく もなく 系図もなく その 涯の初めもなく いのちの終わりもなく 神の とされ いつまでも祭司としてとどまっている と紹介されています ( ヘブル 7:3) そのような 物はとても珍しいというか この世ではあり得ない存在です 受 前のイェシュアが旧約時代においてなんどかこの世に登場しているのです 今回はそれについて学ぶことはしませんが 聖書箇所だけを記しておきます 1シャレムの王であり 祭司のメルキゼデク ( 創世記 14 章 ) 2アブラハムを訪れた三 の の中のひとり ( 創世記 18 章 ) 3エリコを前にしてヨシュアの前に現われた抜き の剣をもった主の軍の将 ( ヨシュア記 5 章 ) ここに共通していることは 登場した 物が礼拝を受けているということです 御使いならば 御使いは礼拝 されることを拒否するはずですが ここで登場した存在は アブラハムから そしてヨシュアから礼拝を受けた 存在であるとすれば それは受 前のイェシュアでしかありません アブラハムの 涯において エルサレムと関係するのは創世記 22 章に記されている出来事です モリヤの で息 のイサクを全焼のいけにえとして神にささげよ という神の命令は アブラハムにとって信仰の最 の 試練でしたが アブラハムはそれに従います その信仰が試された地である モリヤの が エルサレム で 1

した アブラハムはここで神のヴィジョンを たのです ヴィジョンとは神のご計画の究極です 詳しくは前回 のプリントを参照のこと (2) ダビデ ダビデが全イスラエルの王となって最初にしたことは エルサレムを 都としたことです ダビデはエルサレムのシオンの丘に契約の箱を運び込み 新しい礼拝を始めました 契約の箱 は神ご の臨在の象徴です 詩篇 132 篇 13 節には 主はシオンを選び それをご 分の住みかとして望まれた これはとこしえに わたしの安息の場所 ここにわたしは住もう わたしがそれを望んだから と記されています (3) イェシュア ダビデの であるイェシュアは 初臨において エルサレムで 字架の贖いの死を受けられ そして三 に死から甦り 再びそこに戻ってくることを約束されて天に帰られました そこから再びエルサレムに帰ってこられたとき メシア王国が実現します このときにはっきりと形をとって現わされるのが 御国の福 です イェシュアはもともとこの 御国の福 を告げ知らせるためにこの世に来られたのです このように アブラハム ダビデ そしてイェシュアを貫いている鍵は エルサレム です しかもそこはメシア王国のセンターであり 次のステージである天から降りてくる 新しい都エルサレム の舞台でもあるのです その内実は かつてエデンの園にあったものが回復されるのです 表わされている表象は若 異なりますが 内実はエデンの園そのものなのです エデンの園 は 新しいエルサレム と同義なのです 神の救いの歴史において常にこだわり続けているのが エルサレム であり エデンの回復 なのです そしてそれが神のマスタープラン ( 神の不変のご計画 ) であり それが必ず実現するというのが 御国の福 ( 御国の良きおとずれ =Good News) です 神の国はあなたがたのただ中にある ( ルカ 17:21) とイェシュアは われましたが それは今 まだ からし種 程度のものです 種であったとしても それはやがて ほどに成 するのです 1. 主がエルサレムの城壁に置かれる 張り そこで今回は 前回に続いてイザヤ書 62 章から エルサレムの城壁の上に置かれた 張り とその務め について取り上げてみたいと思います 新改訳改訂第 3 版 イザヤ書 62 章 6 7 節 6 エルサレムよ わたしはあなたの城壁の上に 張り を置いた 昼の間も 夜の間も 彼らは決して黙っていてはならない 主 に覚えられている者たちよ 黙りこんではならない 7 主がエルサレムを堅く て この地でエルサレムを栄誉とされるまで 黙っていてはならない (1) 張る という語彙 ここで語られているのは 神である主がこだわり続けている エルサレム に対してです 張り とは 2

どんな のことを うのでしょうか またその務めとは何でしょうか ヘブル語で 張る という意味を持つ語彙が四つほどありますが その中で重要なのは以下の三つです 1 シャーカド שׁ ק ד 張る 覚めている 18 回 2 ツァーファー צ פ א 張る 監視する 84 回 3 シャーマル שׁ מ ר 守る 張る 気をつける 469 回 三つの語彙を ると ダントツに シャーマル が多く使われていますが 張る という概念をより正確 に理解するためには 他の つの語彙の理解も重要だと考えます ちなみに イザヤ書 62 章 6 節に使われてい る 張り は動詞 シャーマル の分詞形です 第 に シャーカド ק ד) (שׁ を てみましょう イザヤ書でこの語彙が使われているのは 1 回のみです む しろ この語彙の意味がよく理解できる例としては エレミヤ書 1 章 12 節があります 1 章はエレミヤの召命の記事が記されています ここから多くの が 私はまだ若くて どう語っていいかわかりません というエレミヤの 葉に励まされて主の召しを受け取られる が多いようです しかしエレミヤは若いのですが 重要な資質をもっていたのです 11 節に エレミヤに対する主のことばにそのことが 唆されています エレミヤ 何を ているのか そこでエレミヤは います アーモンドの枝を ています と すると主は よく たものだ わたしのことばを実現しようと わたしは 張っているからだ と ったのです ここで主はエレミヤに よく たものだ と感嘆の声を上げています 主はエレミヤに 何を ているのか という問いかけに エレミヤは アーモンドの枝を ています と答えています 語訳は アーモンド を 巴旦杏 ( はたんきょう ) と訳しています 関根訳はここを 覚めの の枝が えます と訳しています アーモンドの を 覚めの と訳していますが 張りの とも訳せます そして 主はエレミヤに よく たものだ ( 新改訳 ) と っています 新共同訳はそこを あなたの るとおりだ と訳しています つまり 主と同じところに を向けているという意味で よくぞ たものだ と感 して っているのです エレミヤと主の思いが つになって 同じ 向を ていることに対して 主はことのほか喜んでいるというニュアンスです これは 張り としての姿勢 を教えています アーモンド ( 別名 あめんどう 巴旦杏 ) は 1 2 頃に他の に先 って冬の眠りから醒めて芽を出し 花を咲かせます それゆえ 覚めの とも呼ばれるのですが これはまさに よみがえりのいのちの初穂 を象徴しているのです 重要なことは エレミヤも主も神の の回復 ( よみがえり ) の実現のために 注意を払い 関 を持ち を覚まして 張っているのです 第 に ツァーファー פ א) (צ を てみましょう イザヤ書で使われている箇所を てみると まずは 21 章 5 節で 卓を照らす燭台に 灯をともす という意味で使われています 52 章 8 節では 主の 張り が るべきものを て 声を張り上げて共に喜んでいます その るべきこととは 主がシオンに帰られることです ところが 56 章 10 節では 張り としての務めが 難されています それは 張り が眠りをむさぼっているからです そのために盲 のように 張るべきものが えず おしの のように吠えることもできない 3

とあります 盲 であること おしであることは 張り の務めにおいて致命的 陥です つまり この語彙 には 張り としての務め の重要性が語られています 第三に シャーマル מ ר) (שׁ を てみましょう この語彙は この務めは 神からの召しであり 常に 継 続的な務め であるという意味で 守る という が強調されています 分の気の向いた時にすれば良いという務めではなく 24 時間体制の使命的 覚が求められる務めなのです ですから 神からの召しがなければできない務めと えるでしょう そして たことについて を恐れることなく語らなければならない 決して黙っていてはならない務めだということです シャーマル は 1の神と同じ 向を ている姿勢と 2のその務めの重要性を合わせ持った意味が含まれていると えます 2. 張り が 張るべきこととは何か それは 神のマスタープランとも うべき神のご計画であり エルサレム という場において実現される 御国の福 です メシアの再臨によってもたらされる 良きおとずれ なのです このことにひとたび が開かれると 聖書が語っているメッセージの はまさにこのことだと確信できるのです 聖書の数多くのピースがこの を中 にして散在しているのです これが聖書の主題だと確信し それを伝えるためには それを論証するための構えが必要になって来ます つまり 相当の聖書の勉強が必要となります 聖書全体に流れている主題とはいったいなにか 私が卒業した神学校は きよめ派 と われる神学校であったために どうしても教理的な聖書神学が樹 してしまいます つまり ホーリネス こそ 聖書全体を貫いている主題であることを様々な領域から検証し 論証されなければなりません そうすることで 教団としてのアイデンティティが確 するのですが 教会の歴史的伝統が強い場合には 確 した理解の型紙から抜け出すことは容易ではありません 理解の型紙は 聖書を理解していく つの道しるべともなっているために それを打ち破るには相当の確信と勇気が必要となります 場合によっては 神学的戦いを余儀なくされるでしょう (1) 御国の福 への気づき 神の導きは私たちの思いや考えを越えて働いています 特に 重要な事柄への導きは時にはいつから始まったのか 明確ではないこともしばしばです 2014 年の 2 に 連盟の牧師会が静岡でもたれました そのときの 霊性の回復セミナー で 私は使徒の働き 20 章から 神の恵みの福 と 御国の福 があることに気づかされたので そのことを扱いました 神の恵みの福 は 和解の福 とも 字架の福 とも呼ばれますが 御国の福 についてはこれまで盲 でした 前者と後者の区別がついておらず ごっちゃになっていたのです 聖書を瞑想し 置換神学と個 的救いの強調の弊害を感じながら ヘブル的視点から聖書を横に読み続けてきました その間 不思議な出会いを経験しながら導かれてきましたが 混乱の原因の つとして 伝道 上主義に った聖書理解もひとつの理解の型紙となっていることに気づき始めました 初代教会の福 の理解 そして使徒パウロの福 の理解には つの があること つまり 御国の福 の中に神の恵みの福 が位置づけられて 4

いることに気づき始めました 福 を伝えて く場合に重要なのは 個 の体験 個 の信仰のあかしです これはイェシュアの 字架の恵みの福 のもつ性格です 罪の赦しの確信 神の どもとされた確信 分中 ではなく神中 の き をもたらす神の愛と恵みの経験を に える形に すなわち き であかししていく必要に迫られるのです しかし 御国の福 はあかしできません これは神の約束を信じることであり しかも独りよがりではなく 聖書によって論証することが求められます 使徒パウロは エペソの教会を建て上げて く上で 彼は 神の恵みの福 をあかしすると同時に 御国の福 を語り続けました しかも 余すところなく とあります 新改訳改訂第 3 版 使徒の働き 20 章 24 27 節 24 けれども 私が 分の るべき 程を り尽くし 主イエスから受けた 神の恵みの福 をあかしする任務を果たし終えることができるなら 私のいのちは少しも惜しいとは思いません 25 皆さん 御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を あなたがたはもう 度と ることがないことを いま私は知っています ( 御国 を 御国の福 と訳すこともできます ) 26 ですから 私はきょうここで あなたがたに宣 します 私は すべての たちが受けるさばきについて責任がありません 27 私は 神のご計画の全体を 余すところなくあなたがたに知らせておいたからです パウロほどに神の恵みの豊かさをあかしした はいません そして この恵みが与えられたのは キリストの測りがたい富を異邦 に宣べ伝える ためである使命を 覚していました 分に対する救いも 罪の赦しも いやしも働きも すべて神の恵みとして経験したことを彼はあかししています と同時に彼は い間隠されてきた 御国の福 の奥義を啓 された でもあります キリスト教会は主にある ひとりに対して 分が経験した神の恵みの福 をあかしする (testifying) ことを 掛けてきたと思います 単なる知識ではなく きたあかし となることを勧めてきました それは正しいことであり 間違ってはおりません しかし 落としてきたものがあるのです それが 御国の福 を宣べ伝え (preaching) 教え伝える(teaching) ということです (2) 御国の福 は 神のご計画全体におよぶ 5

しかし 御国の福 は 27 節に されているように 神のご計画全体 におよぶ 瞰的な内容を含んでいます しかもパウロは それを 余すところなく知らせておいた と述べています 余すところなく と訳されたギリシア語は 退く ひるむ 避ける という意味の ヒュポステッロー (ὑποστέλλω) と それを否定することばで表現しています 難しいという理由で 語ることを ひるんだりはしない と っているのです この視点が聖書の正しい理解を えて きます 知らぬ地でも地図をもって歩くことになるので 分の思いや判断で迷路に ったりする失敗が少なくなるのです パウロのいう 御国の福 は イェシュアがイスラエルの に向けて語った福 です この福 は 旧約のアブラハム契約 モーセ契約 ダビデ契約など 預 者が語ったように 終わりの にメシアによって実現する神の統治 ( 配 ) の到来によって実現し 完成する福 です しかもそれはこの地上において に える形で実現します 御国の福 は イェシュアの再臨によって実現する メシア王国 ( 千年王国 ) であると同時に 次のステージをも含んでいます つまり 黙 録 21 22 章に描かれているような永遠の御国 ( 新しいエルサレム ) が備えられています (3) 御国の福 は エデンの回復 と同義 御国の福 は エデンの園 の回復です エデンの園 に隠されている啓 と 永遠の御国 に隠されている啓 に整合性がなくてはなりません エデンの園 についての秘密は別の機会に取り上げたいと思いますが 黙 録 21 章に登場する 新しいエルサレム の規模は 辺が 12000 スタディオン (2220km) の 体です それが新しい天から新しい地に降りて来るのです 地上のどこに降りて来るかと えば それは少なくとも エルサレムを中 としているはずです おそらく聖書の舞台は中東であることから 右の図が参考になるかもしれません ベアハリート 聖書の全体像を語り続けることは 容易なことではありませんが 天が開けて神の偉 さを垣間 ることができるのです そして 私たちの き着くところをしっかりと描けることによって 私たちに与えられている望みが確かなものとなっていくのです 使徒ペテロは あなたがたのうちにある希望について説明を求める には だれにでもいつでも弁明できる 意をしていなさい (Ⅰペテロ 3:15) と述べています ここに 張り としての召しが語られているのではないでしょうか 2014. 12.21 6