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名古屋芸術大学研究紀要第 33 巻 (2012) 2. 日本語の母音の長短の判断に対する母音の F0 変動の影響 F0 の変動と言った場合 可能性としては F0 の下降と F0 の上昇の 2 つが存在する 2 母音に F0 の下降がある場合 F0 に変動がない場合と比較してその母音は長音だと感じられやすくなる ([5], [8]) また この影響は語内の位置( 語頭 語末 ) によらず観察される 一方 F0 の上昇については語内の位置が影響することが指摘されており 語末の F0 上昇は F0 下降と同様に長音の判断を促進するが 語頭の F0 上昇は F0 下降とは逆に長音の判断を抑制すると報告されている [8] つまり 語頭における F0 の上昇は他とは異なったふるまいをするというわけである こうした語頭における F0 上昇の特殊なふるまいに対して [8] は F0 の下降は位置にかかわらずアクセント核の存在の手掛かりとなり 語末の F0 上昇は平叙文と疑問文等の区別に関与することからともに弁別的であるが 語頭における F0 上昇は日本語 ( 東京方言 ) において余剰的であることを指摘し こうした機能的違いが語頭の F0 上昇の特殊性を生み出した可能性を論じている [8] の実験の被験者はすべて東京方言 ( 語頭の F0 上昇が弁別的ではない すなわちアクセント型や高起式 低起式のようなカテゴリの違いにマッピングされない方言 ) の話者であったが 仮に [8] が論じているように 母音の長短の判断に対する F0 上昇の影響の方向性と語頭における F0 上昇が弁別的であるか否かが関連しているならば 語頭の F0 上昇が弁別的ではない方言であれば東京方言と同様の傾向が 逆に語頭の F0 上昇が弁別的である方言では東京方言とは異なる傾向が観察されるはずである 本研究では [8] において指摘された語頭における F0 上昇の特殊性について これが東京方言以外の方言 特に 語頭の F0 上昇が弁別的な方言においても当てはまるかどうかを [8] と同じ刺激のセットを用いた実験を通して明らかにする 3. 知覚実験 3.1. 被験者 15 名の日本語話者が実験に参加した 被験者の出身地域は 愛知県と三重県がそれぞれ 6 名ずつ 大阪府が 2 名 和歌山県が 1 名であった このうち 愛知方言においては語頭において高起 低起といった式による対立が見られないため 東京方言と同じく語頭の F0 上昇が弁別的ではない方言 ( 以下 関東型とする ) として 三重 大阪 和歌山の各方言では 飴 ( 高高 ) と雨 ( 低高 ) のような式による対立が存在すると考えられるため 語頭の F0 上昇が弁別的である方言 ( 以下 関西型とする ) として扱うこととする 3 2 実際には 下降と上昇を組み合わせた起伏型のような複雑な変動もありうるが 一般的に日本語のアクセント イントネーションで生じる F0 変動という観点から 以下では F0 の変動としては上昇または下降のみを扱うこととする 3 三重方言も大阪方言や京都方言などと同様に式 ( 高起式 低起式 ) を有する方言である [10] 実験前に高起 低起のミニマルペアを用いて産出および知覚における区別を確認したところ 今回実験に参加した関西型方言の被験者はいずれも式の対立を有していた 134

語頭における F0 変動と母音の長短の知覚 3.2. 刺激 [8] の実験においては /mamama/ という 3 音節語の語頭の母音の持続時間および語頭音節の F0 開始点を操作した刺激が用いられた 刺激には平坦 (F0 変動なし :200 Hz で固定 ) F0 下降 (300 Hz から 200 Hz まで下降 ) F0 上昇 (150 Hz から 200 Hz まで上昇 ) の 3 系列であった [8] と条件を揃えて比較するため 本研究の刺激もこれと同様になるようにした 具体的には [8] で用いられたものと同一のトークン ( 静岡出身の 30 代の女性の日本語話者が発音した平板型の無意味語 /mamama/) から 以下の手順で刺激を作成した 4 まず [8] と同じ方法により第 1 音節目の母音 a の持続時間を 10 ms 刻みで 88 ms から 188 ms まで延長し 短母音 (/mamama/) から長母音 (/marmama/) に至る音声連続体を作成した そうして出来上がった音声連続体のそれぞれの音声の F0 開始点を praat [11] により変化させ 平坦 下降 上昇の 3 系列を作成した 平坦系列の F0 は 200 Hz から開始し そのまま語の終点まで 200 Hz で固定された 下降系列の F0 は 300 Hz から開始し 第 2 音節目の母音の開始点で 200 Hz となるよう線形下降するように設定された 上昇系列の F0 は 150 Hz から開始し 第 2 音節目の母音の開始点で 200 Hz となるよう線形上昇するように設定された 第 2 音節の母音開始点以降の F0 は 下降 上昇系列ともに 200 Hz のまま固定された 3.3. 手順被験者は静かな部屋で個人ごとに実験を受けた 被験者は刺激を聞き それが マママ と マーママ のどちらに聞こえるかを 2 択で回答した 1 回の試行は 1 つの刺激から構成され 各試行はランダムな順序で計 10 回ずつ提示された 実験は練習と本番の 2 部構成で 練習では音声連続体の両端の刺激 ( 最も短母音に聞こえるものと 最も長母音に聞こえるもの ) のみが 本番ではすべての刺激が提示された 3.4. 結果関東型方言と関西型方言に関して 各系列において刺激が長音だと判断された率をそれぞれ図 1 および図 2 に示す また 表 1 は被験者別および平均の 50% 判断境界値を系列ごとに示したものである 図から明らかなように 関東型 関西型ともに母音の長音判断率は第 1 母音が長くなるほど上がっていっており 母音の長短の判断には母音持続時間が重要な知覚的手がかりとなることが見て取れる F0 変動の影響を調べるために系列ごとに平均の 50% 判断境界値を見てみると 下降系列が最も判断境界値が低く 平坦はその 4 トークンの提供を快く承諾してくださった瀧口いずみ氏 儀利古幹雄氏に感謝申し上げる 同一のトークンに対して同様のピッチ操作を加えて刺激を作成しているため 本研究の刺激は [8] で用いられたものと同じものだと見なすことができる 135

名古屋芸術大学研究紀要第 33 巻 (2012) 次で 上昇系列は最も判断境界値が高いという順序となっており この点も関東型 関西型方言に共通していた 被験者の回答 ( 長音 短音 ) を依存変数 第 1 音節の母音持続時間 ( 連続変数 ) F0 の変動 ( 名義変数 : 上昇 平坦 下降 ) および方言グループ ( 名義変数 : 関東型 関西型 ) を独立変数とするロジスティック回帰分析により分析したところ F0 の変動の主効果は有意であり (W 2 = 58.552, df = 2, p < 0.001) 多重比較(α = 0.05/3 = 0.017) の結果 判断境界値の差はすべてのペア間で有意であった また 方言グループの主効果が有意であり (B = -0.617, W 2 = 32.306, df = 1, p < 0.001) 関西型グループの方が刺激を長母音だと判断しにくい ( 平均の判断境界値が高い ) と言えることが明らかとなった 5 また F0 の変動 方言グループの交互作用は有意ではなく (W 2 = 1.636, df = 2, p = 0.441 (n.s.)) 今回の実験においては判断境界値に対する F0 変動の影響の出方が方言グループによって異なるとは言えないことが明らかとなった 第 1 音節の母音持続時間の主効果は 当然のことではあるが 有意であった (B = 0.124, W 2 = 1141.687, df = 1, p < 0.001) 以上のように 関東型 関西型の両グループとも 下降系列は平坦系列と比べて長音だと判断されやすく F0 下降が長音の判断を促進するという [5] や [8] の指摘を支持する結果となった 同様に 両方言グループともに上昇系列は平板系列と比べて長音だと判断されにくく 語頭においては母音の長短判断に対する F0 下降と F0 上昇のふるまいが異なるという [8] の実験結果と同様の傾向が観察された これは 語頭において 同じ F0 の変動であるにもかかわらず F0 下降は長音の判断を促進するのに対し F0 上昇は長音の判断を抑制するという [8] の指摘が 東京方言以外の方言においても当てはまることを意味する 語頭の F0 上昇が長音の判断を抑制することに関して [8] は語頭における F0 上昇の機能に基づく説明をしている この説明が正しければ 本研究の関東型グループでは F0 上昇が長音の判断を抑制する ([8] の実験結果と同じ ) 傾向が観察されるのに対し 関西型グループでは F0 上昇が長音の判断を促進する傾向が観察されることが予測されたが 実験においてはどちらの方言グループにおいても F0 上昇は長音の判断を抑制する方向に働いていた 6 5 ただしこれは被験者が十数名程度である今回の実験結果においてそうであったということであり 必ずしも一般的なことであるとは限らないので注意が必要である これ以外の分析結果についても同様である 6 被験者によっては上昇系列の方が平坦系列よりも判断境界値が ( 若干ではあるが ) 低くなっている場合があったが そのような例は関西型だけではなく関東型の被験者にも見られるものであったため あくまでその被験者個人の特徴であり 語頭における F0 上昇の弁別性の違いに結び付けることは難しいものだと考える 136

語頭における F0 変動と母音の長短の知覚 図 1. 関東型方言話者の各系列における長音判断率 図 2. 関西型方言話者の各系列における長音判断率 表 1. 被験者別の各系列における判断境界値 137

名古屋芸術大学研究紀要第 33 巻 (2012) 3.5. 考察本研究では 語頭における F0 変動の影響に関して 東京方言以外の方言の話者を被験者とし F0 下降と F0 上昇の間にふるまいの違いが観察されるかどうかを調べた 結果として [8] が指摘するように F0 変動がない場合と比べて F0 下降は長音の判断を促進するのに対し F0 上昇は長音の判断を抑制するという傾向が観察された 本研究の被験者は東京方言以外の話者であったことから [8] が指摘したこの傾向は東京方言以外にも当てはまると言ってよいであろう 7 以上のように [8] の指摘は事実としては蓋然性が高いものだと認められるが こうした現象が生じる理由に関する [8] の説明については 再考する必要がある すでに述べたように [8] は語頭の F0 上昇が東京方言において余剰的である ( 弁別的ではない ) ために 語頭での F0 上昇のみが特殊なふるまいをする可能性を指摘している この説明に基づくと 語頭において F0 上昇が弁別的な方言の話者であれば語頭での F0 上昇は特殊なふるまいをしない すなわち F0 下降と同様に長音の判断を促進する方向に働くことが予測される これに基づけば 本研究の被験者のうち 関西型グループの被験者は F0 が上昇する系列において F0 が下降する系列と同様に長音の判断をしやすい ( 判断境界値が下がる ) ことが予測される しかしながら 本研究の実験結果はそのようにはならず むしろ [8] で行われた東京方言話者に対する実験と同様の結論が得られた このことから [8] の余剰性に基づく説明は現象をうまく説明できないことになり 別の何らかの説明が求められることとなるであろう 4. 結論本研究では 日本語 ( 東京方言 ) の語頭長音の知覚において F0 下降は長音の知覚を促進するが F0 上昇は逆に長音の知覚を抑制するという指摘が 東京方言以外の話者についても当てはまるかどうかを知覚実験により調べた その結果 本研究の被験者の方言は先行研究とは異なるものであったが 先行研究の指摘通り 語頭長音の知覚において F0 下降は長音の知覚を促進するが F0 上昇は逆に長音の知覚を抑制するという結果が得られた 謝辞本稿は科学研究費補助金 ( 若手研究 (B): 研究課題名 韻律情報が長音の知覚に与える影響に関する実験音声学的研究 課題番号 :23720205) の助成による研究成果の一部である 7 ただし 被験者ごとの判断境界値を見てみると すべての被験者が同じ傾向を示しているというわけではなく F0 の変動の影響を非常に強く受ける者もいれば ほとんど影響を受けない者もいた よって 本研究での F0 変動の影響に関する議論は ある程度まとまった量のデータを取った時に観察される平均的な傾向として捉えるべきものである 138

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