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Transcription:

Title 心の経営 Author(s) 奥, 健一郎 Citation 鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要, 3: 119-132 Issue Date 2012-03-01 URL http://hdl.handle.net/10232/13004 http://ir.kagoshima-u.ac.jp

奥 : 心の経営 論 文 心の経営 奥 健一郎 鹿児島大学稲盛アカデミー教授 The Management of Thinking OKU Kenichiro Professor, Inamori Academy, Kagoshima University キーワード : 稲盛 心 リーダーシップ マネジメント 倫理 Ⅰ. はじめに なぜ 経営 が今 重要なのか? 米国の9.11に端を発したイスラムとの果てしなき戦争は泥沼と化し 金融経済を重視するというその方針は サブプライムショックに端を発する出口の見えない経済不況を引き起こした 一方欧州ではギリシャ経済の破たんに始まるユーロの暴落で 同じく危機的状況を迎えている ペレストロイカによるロシアの失敗 中南米諸国のデフォルト 日本のバブル崩壊 アジア通貨危機 そして米国の崩壊から欧州危機と 世界は順を追ってその経済状況に混乱をきたし 今や地球全体が これまでの過去の清算と反省を迫られているようにも見える もちろん 各国とも手をこまねいて見ているわけではない 思い切った改革と経済政策を打ち出し 事態の打開を図ろうと懸命に動いてもきている しかしながら現実は 依然として厳しい状況が続いているのが現状である この点 競争戦略論で著名なハーバード大学のマイケル ポーターと 一橋大学の竹内弘高は その共著 日本の競争戦略 の中で 堅実なマクロ経済政策や安定した政治体制や法体制等は 経済繁栄の潜在成長力を規定する要因にはなるとしながらも 日本を例にその状況を分析し 以下のように結論を導きだしている 応急措置やマクロ経済的な微調整だけでは 日本経済の活力を取り戻すことはできない そのような試みはすでに実行されたし 失敗を繰り返してきた たとえば日本銀行は 短期利率をほぼゼロに抑えてきた 公共投資に始まり 減税 銀行救済のための資本注入 経営破たんに陥った企業救済のための政府融資 地域振興券にいたるまで 合計 1.5 兆円にのぼる景気刺激策が打ち出されたが ほとんど効果を上げていない 何をやっても全く効果がないといった状況である こうした事態の原因は 日本を苦しめる問題が マクロ経済を超えた より根本的なところに根ざしていることにある すなわち 個々の産業において日本がどのように競争していくのかという ミクロ経済的な問題なのである (1) 富が実際に創りだされるのは ミクロ経済レベルなのである つまり 高付加価値の製品やサービスを効率よく作り出すことができるかどうかにあるのであり この能力こそが 119

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) 高い賃金水準や資本効率を支えることができるのである したがって 経済繁栄は 国の競争力をミクロレベルで向上することができるかどうかによって決まる 政府の政策や民間企業の活動が互いに影響を与え合うのも このようなミクロ経済レベルにおいてである 日本が抱える真の問題は競争に直接関わるミクロ経済に存在するのであって 史上最大規模といわれるマクロ経済的な景気刺激策をいくら打ち出したところで解決される問題ではない 生産性向上のための土台となるのは 相互に関連し合う二つのミクロ経済的要因である 一つは 企業のオペレーションや戦略の高度化を図ることであり もう一つは ミクロ経済的なビジネス環境の質を向上させることである 技術開発やマーケティングに対する取り組み方等 企業が自ら競争していく上で必要な要素の高度化を図ることが 最終的にはその国の生産性の向上につながる つまり 企業の生産性が向上しない限り 国の生産性も向上しないのである (2) さらにドラッガーは そもそも経済学者は経営の力が経済に与える影響に関してあまりにも無知であるとし ゆえに経済学が経営に対する誤解を生じさせてきたとして 以下のように述べている 企業とは何かと聞けば ほとんどの人が営利組織と答える 経済学者もそう答える だがこの答えは 間違っているだけでなく的はずれである 経済学は利益を云々するが 目的としての利益とは 安く買って高く売る との昔からの言葉を難しく言い直しているにすぎない それは企業のいかなる活動も説明しない 活動のあり方についても説明しない 利潤動機には意味がない 利潤動機なるものには 利益そのものの意義さえ間違って神格化する危険がある 利益は 個々の企業にとっても 社会にとっても必要である しかしそれは企業や企業活動にとって 目的ではなく条件である 企業活動や企業の意思決定にとって 原因や理由や根拠ではなく その妥当性の判定基準となるものである (3) これらの点に鑑みた場合 社会の責任を単に政治や行政だけに帰するだけでは およそ事態は変わらないと思われる もはや時代の流れは加速する一方であり 実際に個々の企業においても 気づくと気づかざるとにかかわらず 次々と変革を迫られているのが現状なのである 今日の社会において 経営のあり方全般を問い直さねばならない理由がここにある 以上の観点から本稿では 今日の経営の混乱を招いている その 根本的原因 を明らかにし 合わせて 現在の日本航空の改革を行っている稲盛和夫氏 ( 以下 稲盛と略す ) の成功事例を通じて 現代における経営変革の核心部分を述べることとする さらには 稲盛の主張する経営哲学や手法を 独自の創意工夫を加えることで顕著な成果を挙げている ( 注盛和塾企業 ) のケースを取り上げ その普遍的有用性についても明らかにすることとする 盛和塾 - 稲盛和夫氏の経営哲学 手法を学ぶ目的で1983 年に設立された経営者勉強会 現在 国内外に64 塾 約 7000 名以上の経営者で構成される 120

奥 : 心の経営 Ⅱ. 心を高める経営を伸ばす 1. マネジメント と リーダーシップ の相違 では 前項で述べた その根本的要因とは何なのであろうか? いうまでもなく企業を変革するためには リーダーシップは不可欠である それは新たに起業し 発展させていこうとする場合でも同様である しかしながら現状は リーダーシップが大事といいながら やっていることは マネジメント だけであったり あるいは 一見 リーダーシップ の重要性を指摘しながら その中身は マネジメント と混在したり さらにはリーダーシップとマネジメントを同義で扱っていたりすることが 非常に多い 一般的にマネジメントとは J.P. コッターによれば 1 2 3 企画立案と予算策定組織化と人材配置職務遂行上の問題のコントロールと解決 の一連の営みの総称として定義される ゆえに 欧米のビジネススクールでも これらが理論化されたものを教授され あるいはケーススタディを通じて会得する といったことがほとんどである 通常 経営とは何かと問われた場合 人々がイメージするのもこれである これに対し リーダーシップとは J.P. コッターによれば 1 2 3 組織の方向を決定する人材をその方向へ整列させるモティベーションを高め その方向へ邁進させる といったことに対する一連の営みで定義されるからである これらを比較してわかるとおり マネジメントとリーダーシップとは全くの別物であることがわかる さらには 組織の方向を決定づけ 社員をそのベクトルに揃え かつやる気を高めるといったこれらの要素を見ても分かるとおり リーダーの持つ人間としての器量や力というものが 特にリーダーシップを遂行するに当たっては 大きく問われてくることになる ここに 稲盛のいう心を重要視する経営の最大の理由がある 稲盛自身 欧米のビジネススクールに見られる経営手法を 決して否定しているわけではない 両者はともすると対比的に見られがちであり マネジメントの手法に通じた人たちから見ると心の経営とは奇異に見られがちであるが むしろ リーダーたる経営者は 戦略立案 (=マネジメント) と現場指揮 (=リーダーシップ) の両方の能力を兼ね備えていなければならず それに共通する土台となるものこそが経営者の持つ人格である とするのが 稲盛の主張である 121

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) 稲盛は言う 物事を解決していく際に 自分の会社全体が見えず 重箱の隅をつつくように細かいことで社員を注意し 叱るということばかりしていたのではいけません また逆に マクロのことだけを考えていて 重箱の隅にたくさんゴミがたまっている つまりミクロのことが分かっていないというのでもどうにもなりません 特に 中小企業の経営者は 自分の会社のマクロもミクロも分かるようにならなければならないのですが これは実際には大変難しいことです その忙しさたるや大変なものなのですが あえてマクロとミクロの両方を掛け持ちしながら 両方を見ていくような すさまじい努力をしなければ 経営者として自分の会社を守っていくことはできません 確かに戦略 戦術を練るために 社長室の椅子にどんと座って考え事をする必要もあるかもしれませんが 現場が分かっていなかったのではどうにもなりません ですから 私は現場に走り 現場を見て そして引き返してきては 社長室の机に向かって物事を考えるということを反復していました このことを 戦争を例に説明してみましょう 将軍が 後方陣地にいるばかりで現場に行ったこともない 口先だけで部下を指揮する人間であっては 決してその部隊は強くなれないと思ってきました また同時に 最前線だけで撃ち合うだけで 戦略戦術がないのでは戦争にも勝てないと考え マクロとミクロを両立させるよう 努めてきました 最近 現場が分からないで経営ができるか 現場に全ての解がある という趣旨の いわゆる現場主義を説いた本がよく出版され そう考える人たちも増えているようです 一方 立派な経営をしていくには経営の専門家が必要だと言われ 日本の大学を優秀な成績で卒業した人たちがアメリカの経営大学院を目指す例も依然として多くあります そして 例えばハーバード大学の経営学のマスターコースでも出れば いっぱしの経営者として処遇されることになります アメリカでもハーバードのMBA 取得者は 待遇が格段に違い 大会社に入って優遇されると聞きます そういう人たちが後方陣地の参謀室 つまり経営企画室などにとじこもり 理屈ばかりで経営を推進していくことが重要視されていますが 私はこれをおかしいと思っています そういう勉強をしてきた連中なればこそ 現場にたたき出し 現場の飯を食わせ 現場のミクロをわからせた上で 作戦参謀をさせることが必要ではないかと思います よく勉強をし すばらしい経営戦略 経営戦術 つまりマクロを教わってきたからこそ 自分から進んででも現場に出て 泥だらけになって現場のミクロを理解する そうなれば鬼に金棒となるはずです 高度な経営学を身につけ さらに 現場の仕事をやらせてください と 自分からいうくらいでなければ 真の経営者にはなれるはずがありませ ん (4) 以上のことに鑑みても 稲盛が 経営戦略や その戦術等からなるマネジメントと 現場で陣頭指揮を執り ビジョンを語り かつ率先垂範でけん引していくリーダーシップの両方が経営には不可欠である としているのは明らかである 122

奥 : 心の経営 2. 心を高めることの重要性 ではなぜ それらに共通する土台となるものが経営者の持つ人格であり これが最も重要となるのかというと 端的に言えば 心が高まると正しい判断が下せる からである 企業の業績とは いうまでもなく 事の大小を問わず 経営者が下した判断の累積がもたらす結果である である以上 経営者は常にベストな判断を下す必要があり ゆえに そのための確固たる基準というものが求められる それは マネジメントとリーダーシップの双方で 同じことが言える ところが 一般的には その経営判断を求められた場合 その場限りの損得勘定を判断の基準にすることがほとんどなのが現状である 経営者は大きなお金を動かすことが可能であるがゆえに どうしてもそうなりがちなのである そして 当面の自分にとって損か得かといった利己的な欲望でもって判断をしてしまったがために それが後になって 往々にして大きな損害を被ってしまったという結果になりやすいのである 一方で 会社が小さいうちはうまく治めていたはずの経営者が 会社規模が大きくなるに従って経営者としての役割を果たせなくなる ということも往々にしてある それは その集団のリーダーの人間性が 組織の発展に合わせて高まっていかなかったがために起こったことだともいえるのである ゆえに ここに 常に心を高め続けなければならない大きな理由がある 心を磨き 立派な人格を創るように努めることで 初めて その場限りの次元の低い損得勘定ではなく 人間として何が正しいのか? という基準に立脚した正しい判断が可能となるのである これが 真に人々から信頼されるリーダーになるための不可欠な条件であることは言うまでもない 結果として 経営の舵取りを誤ることなく 事業を伸ばしていくことができるのである 3. 心とは何か 医学的に見た場合 心は大脳辺縁系 視床下部あたりにあり ここで心の状態が微量伝達物質 ( ホルモン ) に変わるといわれている そして その伝達物質は 内分泌系から細胞 遺伝子 DNAにまで到達し DNAの働きに影響を及ぼす そこでの伝達物質からDNA までの変化は かなり詳しく解明されているが 心から物質へと変わる瞬間は 心そのものが科学的に完全に解明されてないので 最初から ブラックボックス として取り扱われている しかしながら 少なくとも 稲盛自身が考えるところの心の構造を土台に稲盛は心の経営を実践し そしてそれが結果として 京セラにしても KDDIにしても JALの改革にしてもことごとく成功を修めているという 厳然たる結果 を出している以上 必然的に 稲盛の主張する心の構造には 多分に真理が含まれているといわざるをえない そこで ここでは 稲盛自身の考えや 彼が心の研究をするに当たり参考にした中村天風 ( 以下 天風と略す ) の研究をもとに 心とは何か? ということについて 以下 形而上学的に その概論につき述べることとする 心を大きく3つに分類すると 本能心 理性心 霊性心 の3つに分けられる 本 123

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) 能心とは 闘争心 食欲 性欲 嫉妬など 自分の肉体や生命を守ろうとする心のことである 私たちは通常 この本能心を判断基準にして ものごとを決めていく場合が多い しかし それでは動物と大差なく また判断を誤ることにもなる しかしながら 一方で本能心の抑制というのは非常に困難である というのも 本能心なくして 人間は生きることができないからある ゆえに ともすれば次から次へと止めどもなくでてくるこの本能心をどうすれば最小限に抑えることができるか ということが重要になってくる ゆえに 物事を推理し判断する理性心というものが その人の心において どれくらいの部分を占めているか ということが不可欠となってくるのである そして稲盛は この理性心を使うためには 太陽の光をレンズで集めるように焦点を絞り込むことが必要であると説く 天風は どんなことにも どんなときにも 常に真剣に気を込めて考えることを 有意注意 と称し これに反して 音がしたから振り向くといった 意識しない場合を 無意注意 と定義づけている 人間には習慣性があるため 何年もこの有意注意を続けていると レーザーのように焦点が絞られ 問題を見た瞬間に理性心が働き 物事の核心をつくことができると稲盛は説く ゆえに この日常の有意注意が いざ という時の判断力を左右する そして 毎日トレーニングされた注意力と洞察力を身につけ 研ぎ澄まされた神経をもって正しい判断ができる人を 俗にいう切れ者と称するのである 次に霊性心であるが これは 理性心よりも はるかに超越した正確さを持つ心である この心は 何らかの論理的推理推測を行うことなく 瞬間的に生ずる 迅速かつ極めて正確な判断をすることができるもので 陽明学にいう良知と この根本においては同一である 4. 心の構造と機能 以上の概論をもとに 現在の稲盛が考える最新の心の構造図を挙げ その説くところを述べることとする ( 図 1 参照 ) ( 図 1) 心の構造図 良心 理性高次元の真我 本能 感情 低次元の自我 魂 感性 ( 五感 ) 知性 124

奥 : 心の経営 稲盛によれば 心の構造の一番奥には 良心や理性 愛と調和に満ちた 高次元の真我 が存在する 良心の呵責に耐えかねて という言葉は 悪いことをした時自分の中にある良い心が気咎めを受けるという意味であるが その時の良心が真我にあたる この真我の外に 我々の命を維持するために必要な 本能 が存在する そして この本能の外側に 好き嫌いや喜びや怒りなどといった 感情 があり またその勘定の外には 見る 聞くといった五感に伴う 感性 があり さらにその外側には 知性 が存在している というのである そしてこの中で 本能と感情を合わせたものが 自我 であり その 自我 と中心の 真我 を合わせたものが いわゆる 魂 である 人間というのは 赤ん坊として生まれ 何年か経って 自分は誰それという名前の人間だ と認識する ではその間生きていなかったというと そうではない しかも大人が笑いかけ 手を振るのに 赤ん坊は応えているのである これは 自我と真我とで成り立っている魂のなせる業であるとも考えられる 稲盛がいうところの 心を高める というのは 要すればこの図にある低次元の自我を抑え 高次元の真我を発揮させる ということに尽きる すなわちビジネスの世界では どうしても 自分の会社にとって損か得か? 自分自身が儲かるか儲からないか? といった本能のレベルで判断することが多い あるいはメンツや名誉などといったことで判断を下している いくら賢明な人であっても 最初から真我はもちろん 知性で考えられる人は そういない どんな人でも これは自分が儲かりそうだと 本能的に反応するわけである その上で 戦略 戦術を組もうという時になって ようやく知性を使い始める ゆえに その時 覆っている自我があまりに強ければ 誤った判断をし 失敗してしまうことになる 欲むき出しで判断をするから ろくでもない結果を招いてしまうのである 5. リーダーシップと 感化力 最初に リーダーシップの営みというものを組織における一定の方向性 すなわち 経営理念やビジョンを設定する そして 人材を そのベクトルへ合わせ 整列させる 人材をモティベートし 意欲を高揚させる の3つに集約した すなわち企業理念を 高次元の真我 すなわち利他の精神で打ち立てると 心の奥底にある魂を揺さぶられるようなものであるだけに 社員の中で いわば強力な 磁場 というものが形成されるのである ゆえに その磁場の中でベクトルが合わさると 社員の意識が格段に高まり 稲盛のいうように 1+1が5にも10にもなり 何倍もの力となって 驚くような成果を生み出す こうして 経営者の思いが高次元で現実化していくのである 思考が現実化する というと 何や摩訶不思議な感じもするが エネルギーや光というのは物質化して現象するということを発見したのが アインシュタインの相対性理論である それは E=mc 2 の式に集約される Eはエネルギー mは質量 cは光の速さを現す すなわちエネルギーというのは 質量と光の速さの二乗を掛け合わせたものだ という意味である この式を見ても分かるとおり エネルギーは物質へと変換でき 両者は密接な関係をもっていることがわかる また 光は波の性質も持っている 携帯電話の電波も その一種である そして 光の 125

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) 波には周波数がある 振動数ともいい 1 秒間にゆらゆらと揺れている回数である この光の波のエネルギーは E=hvの式で現される エネルギーはE 振動数がv( ニュー ) そして hはプランク定数と呼ばれる一定値である この式から 振動数が大きければ大きいほどエネルギーが高い ということが言える 心の波についても このようなシンプルな関係が存在すると考えられる 高次元の真我で感じる すなわち 感動 というバイブレーションは ものすごいエネルギーを生み出す ということである これからも 高邁な企業理念を打ち立て それを社員へと浸透させることがいかに大切か ということが分かる このことを企業のリーダーシップで考えてみると リーダーシップとは 人を巻き込む力であり 人を感化させる力であるということができる 一言でいえば 感化力 である すなわち リーダーが その思いと人間性とで社員を感化させ そのビジョンで感化させ 全体が 燃える集団 となり その目標に突き進んでいくからこそ その企業は健全な発展を遂げ 結果として利益を生むことができるのである この点 20 世紀最高の経営学者といわれるP ドラッカーも 企業にとって利益とは 目的 ではなく 企業が存続するための 条件 である と述べているが その言わんとするところは同一である 6. 経営 12 か条の意味するもの この点に鑑みた場合 稲盛塾長の 経営 12か条は 非常に実践的である ( 図 2 参照 ) すなわち それは リーダーシップについて必要なものは何か? といった知識の羅列ではなく どのようにすれば それは達成できるのか? という具体的実践に力点が置かれているからである 例えば 第 1 条は ( 図 2) 経営 12 か条 1 事業目的 意義を明確にする 公明正大で大義名分の高い目標を立てる 2 具体的な目標を立てる 立てた目標は常に社員と共有する 3 強烈な願望を心にいだく 目標達成の為には潜在意識に浸透するほど強く持続した願望を持つこと 4 誰にも負けない努力をする 地道な仕事を一歩一歩堅実にたゆまぬ努力を 5 売上げは最大限に経費は最小限に 6 値決めは経営 値決めはトップの仕事 お客も喜び 自分も儲かるポイントは 1 点である 7 経営は強い意志で決まる 経営には岩をも穿つ強い意志が必要 とある 大義名分とは 公のために尽くす崇高な目的のことを意味する たとえば京セラでは 全従業員の物心両面の幸福を実現し 人類 社会の進歩発展に貢献する を企業理念として掲げている またこうして利益を上げることが 結果として株主の利益にもつなが 8 燃える闘魂 経営にはいかなる格闘技にも勝る激しい闘争心が必要 9 勇気を持ってことにあたる 卑怯な振る舞いがあってならない 10 常に創造的な仕事を行う 今日より明日 明日より明後日と常に改良改善を絶え間なく続ける 創意工夫を重ねる 11 思いやりの心で誠実に 12 常に明るく前向きで 夢と希望を抱いて素直な心で経営する 126

奥 : 心の経営 るのである 社長一人の あるいは役員一族のために働け! と号令をかけたところで 社員が本気で働いてくれるわけではない 大義というのは 前述した心の構造図の 良心に近いものである 公正で正義があり 崇高な目的をリーダーが掲げ それに本気で殉じようとする思いと姿勢があれば それは必ず 社員にも伝わるのである 真我にある良心にダイレクトに訴えることで みなが働くことに喜びを見出し 素晴らしいエネルギーが生まれ 磁場が形成されていくのである その上で 第 2 条にあるとおり 具体的な目標を立てる ただ単に ノルマを達成しろ! できない奴はクビだ! などとハッパをかけるだけでは 調子がいい時はまだしも 結局は長続きもしないのである 次に第 3 条の は すさまじいほどの思いを経営者が持つことが大事であることを意味している この経営者の姿勢が 社員を感化させる上で非常に重要であるのはいうまでもない これは 第 7 条の とセットになっている すなわち 強烈な願望と強い意志がセットになって 素晴らしい経営ができる ということである この 意志 というのは 第 8 条にいう 闘争心 とは 意味が異なる 闘争心というのは あくまで自分や相手あってのものであり 相対的な心であるが この意志というのは さきほどの心の構造図にある真我に付随する 絶対的なものである すなわち意志とは頭で考えて出てくるものではなく そういう絶対的な気持ちがどこからか自然に湧いてくる というものなのである であるからこそ みんながもうダメだ というような局面でも 絶対に可能性があると信じきることができるのである これは人間の 強情 といった感情とも異なる 一種の信念であるといってもよい 具体例として アメリカのキング牧師を取り上げてみる 彼はあの偉業を成し遂げる中 常に嫌がらせや脅迫を受けていた もし 彼に強い意志がなかったならば この運動は大事だ でも命は失いたくないし 怖い と 常に本能心と理性心の葛藤に悩まなければならない しかしながら 人間の意志というのは これをも統率する絶対的なものである 彼には この強い意志があればこそ あの偉業を成し遂げたということができる しからば この強い意志を出すためには どうすればいいのか? 稲盛哲学は ここでも実践的である 前項で有意注意の重要性を述べたが この有意注意というのは 単に判断力を研ぎ澄ますものだけではなく この意志の統御という観点からも 絶大な威力を発揮する すなわち この 日頃の有意注意の実践ということが 人 127

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) 間の意志を統御することにつながるのである 以上のような観点から見た場合 稲盛塾長の経営 12か条は リーダーシップにおいて最も重要な 人を感化させ 巻き込む 力ということにおいても 単なる知識の羅列ではない 非常に実践的なノウハウであるということができるのである 7. 盛和塾での実践例 以上 心の経営ということについて述べてきたが 最後に 企業理念をどのようにすれば浸透させることができるのか? ということについて述べることとする その企業の理念やフィロソフィを創ったはいいが 実際には それがなかなか企業には浸透しない というような事例は 顕著にあることである そこでここでは これまでの盛和塾企業の事例研究を通じて 企業理念を浸透させていくうえで 非常に効果があった HPCシステム という事例を紹介することとする HPCシステムとは Human Power Creation System( 人間力創発システム ) の略称で 従業員の意義ある人生の達成と永続的な事業の発展を目的とした人材育成プログラムである このシステムは 株式会社ガイアシステムの代表取締役会長 渕上智信氏によるところが大きい 渕上氏は1993 年 盛和塾に入塾 長年にわたり盛和塾大阪の世話人も務めていた その渕上氏が当初 稲盛のフィロソフィを基とした自社の経営理念を社内に浸透するために苦心した結果開発されたのが この HPCシステム である それが一般的にも非常に有効であることが分かり 後に販売するに至った 企業内の人材育成プログラムは アメリカで開発されたものが多いが その内容は 理論的かつスキル志向が強く 知識優先の座学がほとんどである また 経営者が社内で勉強会を開いても 従業員にとっては強制的と受け取られることも多々ある 場合によっては 経営者が熱くなればなるほど 正しい理念を伝えれば伝えるほど 従業員が抵抗し心を閉ざすことも多々ある 対してこのシステムの考え方は 稲盛哲学の核心は社業の生成発展のためにあるのみならず 従業員一人ひとりの幸せな人生を達成し そのことを従業員とわかちあっていくことにある とする そして 従業員一人ひとりの中にある 人として何が正しいかの判断基準 = 良心 を開く体験の場を提供し その体験を通じて経営理念を府に落とし さらに社員同士の絆を深め社内の磁場が高まり 全員参加の経営が実現していくというものである HPCシステムのプログラムの特徴は 以下の三点である 1 2 3 体験型であること専門知を必要としないこと自主的に継続できること そして 通常の研修とHPCシステムの比較表が図 3のⅠである このシステムの特色として 座学による詰め込み学習ではなく 全てが体験型で 自分 128

奥 : 心の経営 自身で腑に落とすものである ということが言える 従業員の意識が主体的になり 意欲が生まれ チーム力 = 磁場が向上していくことが可能となる 次に このHPCシステムには メディアエデュケーション マインドシェアリング ビジネスシェアリング アクティブラーニング の4つの基本プログラムが存在する メディアエデュケーションとは 映像を活用したプログラムである 映像を使う利点は 五感を通じた体験で情報を届けることができ 従業員の心が動くことと 短時間で より多くの従業員と学びを共有できることが挙げられる マインドシェアリングとは 仕事以外のテーマで心と心の本音の対話をする情のプログラムである 具体的には 一人ひとりの生い立ち 今の悩み 将来の夢 など 社員同士がお互いに一人の人間として向き合い 自身の弱みをさらけ出し 等身大で人とつながり合っていくのである そして 従業員は仕事を通して信頼できる絆を作ることが可能となる ビジネスシェアリングは 仕事のテーマで本音の対話をする理のプログラムである テーマで今の社内の問題を明らかにし 従業員が主体的に当事者として改善していくきっかけをつくる 従業員の意見は 売上を伸ばす 経費を下げる 生産性を向上させる の3 つのカテゴリーに分かれる それ以外にも 商品開発における自由闊達なアイデアが生まれ 柔軟な経営を実現していくことが可能となる アクティブラーニングは コミュニケーションスキルの向上を目的としたロールプレイングのプログラムである アクティブラーニングでは 一人約 15 分のロープレイで コミュニケーションスキルの上達を図り 従業員に やればできる という自信を得させるのを目的とする そのために 自分のコミュニケーションの発達課題を同じ職場で仕事をしている仲間と本音で伝え合うという相互研鑽のプログラムである そして これらHPCシステムの4つの基本プログラムを稲盛哲学の相関図が図 3のⅡである すなわち 映像で学びを深める メディアエデュケーショ ( 図 3) Ⅰ 一般の研修と HPC システムの比較 通常の研修 HPC システム ノウハウ 提供しない 全て提供する プログラム運営 専門知が必要 専門知は必要ない 継続性 外部講師に依存 社内で継続的実践が可能 学び方 知識型 ( 座学 ) 体験型 ( 腑に落とす ) 従業員の意識 受動的 主体的 ( 実践当事者 ) 従業員の意欲 一過性 継続 チーム力 ( 磁場 ) 向上しにくい 向上する Ⅱ HPC システムの4つの基本プログラム プログラム内容 稲盛フィロソフィ メディアエデュケーションマインドシェアリングビジネスシェアリングアクティブラーニング 社内で映像上映会 心を高める 過去の偉人の人生から 普遍的 素直な心をもつな考え方 ( 理念 ) を学ぶ 利他の心を判断基準にする 映像の感想を従業員同士で対話 ベクトルを合わせる 仕事以外のテーマで本音の対話 環境を創る( 丸テーブル 5 人 大家族主義で経営する 1 チーム 進行役 間接照明 仲間のために尽くすネクタイを外す リラックスで 信頼関係を築くきる音楽を流す 時間帯により 本音でぶつかれ適度なアルコールも許可など ) 常に創造的な仕事をする 仕事のテーマで本音の対話 売上極大 経費極小 従業員の意見をプロジェクトチ 有言実行でことにあたるーム化し実践 楽観的に構想し 悲観的に計画し 楽観的に実行する コミュニケーションスキル向上 能力を未来進行形でとらえるを目的としたロールプレイング 反省ある人生をおくる コミュニケーションの発達課題 小善は大悪に似たりを同じ職場の仲間から本音で伝 有意注意で判断力を磨くえあい 相互研鑽 129

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) ン プログラム は 過去の偉人やドキュメンタリー映像を通じて 心を高める 素直な心をもつ 利他の心を判断基準にする ベクトルを合わせる ことになる 心と心の本音の対話の マインドシェアリング プログラム は 大家族主義で経営する 仲間のために尽くす 信頼関係を築く 本音でぶつかれ を体得することにつながる 一方 従業員の本音を生かした戦略立案の ビジネスシェアリング プログラム では 常に創造的な仕事をする 売上極大 経費極小 有言実行でことにあたる 楽観的に構想し 悲観的に計画し 楽観的に実行する を目指すこととなる コミュニケーションスキルの弱点克服を達成する反復練習のプログラムである アクティブラーニング プログラム では 従業員同士がお互いに発展課題を伝え合うため 能力を未来進行形でとらえる 反省ある人生をおくる 小善は大悪に似たり 有意注意で判断力を磨く ことにつながる 8.HPC システムを採用した盛和塾企業の実例 以上 このシステムの概要を述べたが 日本の盛和塾企業においても実際に多くの企業が導入し 顕著な成果を出している 今回 この調査を行うにあたりインタビューを行った盛和塾企業は 以下のとおりである これをも含めた詳細な分析は 今後もさらに研究を進める予定である 株式会社イボキン高橋克実氏 ( 代表取締役 ) 山崎喜博氏 ( 取締役経営企画室室長 ) 吉田朋子氏 ( 経営企画室課長 ) 豫洲短板産業株式会社 森 晋吾 氏 ( 代表取締役社長 ) 福本 博美 氏 ( 管理部課長 ) 竹内マネージメント株式会社 榎本 伸二 氏 ( 代表取締役社長 ) 岩本 仁志 氏 ( 取締役 ) コマニー株式会社 塚本 幹雄 氏 ( 代表取締役社長 ) 塚本 清人 氏 ( 代表取締役副社長 ) 塚本 健太 氏 ( 取締役 HPC 推進室 責任者 ) 株式会社マルエイ澤田栄一氏 ( 代表取締役社長 ) 130

奥 : 心の経営 上海ローライ有限公司 ( 中国 ) せつ薛 いひん 偉斌氏 ( 総裁 ) 調査の結果 共通する顕著な効果と改善点は 以下のとおりである (1) コミュニケーション能力の向上社員が本音で語りあい 風通しの良い社風をつくることは実際難しいが このシステムを導入することにより これが格段に向上した (2) 結束力の向上経営者と従業員との結束という縦の関係のみならず 従業員同士が結束するという横の関係にも顕著な効果があった これにより 会社全体の結束力が飛躍的に向上した (3) アメーバ経営の向上アメーバ経営を行うにあたっては フィロソフィとの両立が不可欠である アメーバ経営を導入した企業がここで腐心している事例は多いが この両立が可能となった (4) リーダーシップの向上 HPCシステムを遂行する上ではトレーナーの養成が不可欠である この過程の中で 必然的にリーダーシップが育まれることとなる (5) 改善点このシステムは トレーナーの質によって その可否が左右されることが非常に多いということである ゆえに トレーナーの養成にあたっては 多くの時間と環境整備が不可欠であり そこには更なる工夫の余地があるように思われる 9. 結論 稲盛の説く経営理念と手法は 従来のビジネススクールの手法と対比して捉えがちであるが それは リーダーシップとマネジメントの対比と類似している むしろその両方が経営者には必要であり それを遂行する共通の土台として経営者の心の向上が不可欠であるとするのが 稲盛の主張するところである また 稲盛の説くフィロソフィや企業理念を社内に浸透させる具体的手段としては 社内での輪読や座学での勉強会 コンパといったことが一般的である むろんそれらは必要不可欠な手段であるが さらに効果的に浸透させ 企業力を向上させるには さらなる工夫の余地があると思われる HPCシステムは その目的を達成する上で 非常に効果的なシステムであるということができる 131

鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要第 3 号 (2011) 引用文献 (1) 日本の競争戦略 6ページ ( マイケル ポーター / 竹内弘高ダイヤモンド社 ) (2) 日本の競争戦略 161~162ページ ( マイケル ポーター / 竹内弘高ダイヤモンド社 ) (3) マネジメント基本と原則 14ページ ( ピーター ドラッカーダイヤモンド社 ) (4)[ 盛和塾 ] 通巻第 109 号 20~23ページ塾長講話 正しい判断をする 参考文献 [ 盛和塾 ] 通巻第 102 号塾長講話 経営のこころⅢ-いかにして心を高めるか- 成功法則は科学的に証明できるのか? ( 奥健夫著総合法令出版 ) 運命を拓く ( 中村天風著講談社文庫 ) 成功の実現 ( 中村天風述日本経営合理化協会出版部 ) 研心抄 ( 中村天風著財団法人天風会刊 ) 王陽明伝習録 ( 王陽明著中公クラシックス新書 ) 稲盛和夫の実学 ( 稲盛和夫著日経ビジネス文庫 ) 働き方 ( 稲盛和夫著三笠書房 ) 成功への情熱 ( 稲盛和夫著 PHP 文庫 ) 稲盛和夫のガキの自叙伝 ( 稲盛和夫著日経ビジネス文庫 ) アメーバ経営 ( 稲盛和夫著日本経済新聞社 ) 君の思いは必ず実現する ( 稲盛和夫著財界研究所刊 ) 心を高める経営を伸ばす ( 稲盛和夫著 PHP 刊 ) 敬天愛人 - 私の経営を支えたもの ( 稲盛和夫著 PHP 文庫 ) 人生の王道 - 西郷隆盛の教えに学ぶ- ( 稲盛和夫著日経 BP 社 ) 132