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書 評 Peter Merseburger, Theodor Heuss. Der Bürger als Präsident, Deutsche Verlags-Anstalt, 2012 爲政雅代 なぜ今, テオドーア ホイスTheodor Heussなのか ペーター メルゼブルガー Peter Merseburger が自由主義者で初代連邦大統領ホイスを取り上げたことは, 読者の注目を惹き付けた というのも, 彼はこれまでシュマッハー, ブラント, アウクシュタインら左派の人物ばかりを取り上げてきた著名なジャーナリストであったからである このためにその理由を探るべく, 本書にはドイツ国内でマスメディアを通じて広く関心が向けられた ドイチュラントラジオ dradio では3 回にわたって特集が組まれ, そのうち2 回は著者本人との対談であった (1) また, これはケーラー, ヴルフと連邦大統領の辞任問題が続き, 連邦大統領制の意義 や 連邦大統領の品格 が社会で大きく議論されたことと無縁ではない (2) その議論に対してメルゼブルガーは本書の序言で 連邦大統領とは権威を示し, 国家の方向性を導くような人間であるべきだが, そのような条件は誰もが満たせるわけではないだろう (15 頁 ) と述べ, 一定の回答を提示している つまり, 本書はこれら一連の動きに触発されたものと理解できよう ただし, 現在のドイツ社会において連邦大統領制への関心が高まってきてはいるが, ホイスがどれほど人びとの記憶に残る政治家であるかと言えば, 疑問は残る 敢えてそのホイスを取り上げ, 社会に対して連邦大統領制の出発点からその意義を問いかけようとした本書の姿勢こそが, 昨今の議論の深刻さを表している, と評者は見るのである 他方で, ホイスが連邦大統領制の基盤を形成し, まさに 模範的な連邦大統領 の役割を担った点に疑いはなく, 研究者のあいだではホイスへの関心は増すばかりである (3) 実際に, 近年のホイス研究では大きなプロジェクトが進行中である 連邦大統領テオドーア ホイス財団 Stiftung Bundespräsident Theodor-Heuss-Haus は膨大に残されたホイスの書簡を整理し, テオドーア ホイスシュトゥットガルト叢書書簡集 全 8 巻を刊行予定であり, すでに6 巻が出版されている (4) また, 財団の関係者で書簡集の編者の一人でもあるエルンスト ヴォルフガング ベッカー Ernst Wolfgang Becker による伝記 テオドーア ホイス 極端な時代に生きた市民 も 2011 年 に出版されている (5) この研究状況を踏まえれば, 本書を取り上げる意義は以下の 2 点であろう まず1 点目は, 本書の参考文献を一見すれば明らかであるように, 既に挙げた書簡集やベッカーの伝記のみならず, これまでのホイスに関する研究書に十二分に依拠して書かれていることである つまり, 最新の研究をも網羅したホイス研究の集大成としてこの伝記を位置づけることができる 97

そして2 点目は, これまでのホイスの伝記が抱えた問題を解消した点である すなわち, 従来のホイスの伝記は彼に縁のある人物に委ねられ, いわゆる 身内 による執筆に偏っていた (6) その結果, 客観的な判断の欠如や, あるいは意図的に触れられない部分があるといった問題があったことが否めない 今回 身内 ではないメルゼブルガーが筆を執ったことで, この問題は大きく解消された この点については, 以下で適宜示唆する では次に, 本書の内容を具体的に検証し, 批評を加えてみよう 本書は全 672 頁, 全 11 章 ( 序章含む ) から構成されており, 詳細な参考文献リストや注もある 各章には時代性やホイスの活動の特徴を表現するタイトルがつけられている ( 実際には本書の各章に番号は付けられていない 本稿では便宜上, 序章, そして,1~10 章と分類する ) また, ホイスが生きた4つの時代に分類すれば, 帝政期は1~4 章, ワイマール期は5~6 章, ナチス期は7 章, 戦後期は8~10 章となるが, そのうち 250 頁程度が戦後期に割り当てられ, ここに大きな比重が置かれている まず,1 章ではシュヴァーベン地方にあるホイス家の自由主義の系譜が中心に描かれる 1848 年革命で地域の指導者的立場であった曾祖叔父や, 副官として参加した祖父が語られ, とりわけ曾祖叔父はホイスにとって理想像となったことが示唆される また, 民主人民党 (DVP) に属する父親は 1848 年革命の精神を引き継いでおり, 家庭では子供たちを自由主義的な理念のもとに教育した 他方でホイスが文学や芸術への関心を高め, ユーゲントシュティールの街ダルムシュタットへ旅行するなど, 政治のみならず, 文学, 芸術と幅広い視野をもって育った様子が描かれ, 自由主義者で文人政治家であったホイスの原点がこの時代にあると本書が指摘していることに注目したい 2 章ではその少年がミュンヘン大学に進学するが, 彼はフリードリヒ ナウマン Friedrich Naumann の思想に惹かれ, 博士号を取得するとその信奉者として文芸活動を始める なお, 本章はホイスへの言及もさることながら, ナウマンの自由主義的帝国主義や社会的帝政の思想に大きく頁を割いているのが特徴と言えよう ナウマンがヴィルヘルム2 世による建艦政策や植民地政策を支持し, これがもたらす経済的な繁栄のなかで, ヴィルヘルム2 世がユンカーと対峙して労働者を国家に統合し, 将来の社会的皇帝になることができる と考えていたことが指摘される ホイスは自著のナウマンの伝記で ナウマンがヴィルヘルム2 世を信じようとしていたと誤解するほど馬鹿げたことはない (66 頁 ) と記していると付け加えてはいるものの, ホイス研究で触れることが敬遠されていると判断できるナウマン思想の帝国主義的な要素に言及している点は, これまでの研究にない斬新さである 3 章ではナウマンが創刊し主宰した週刊誌 ヒルフェ Die Hilfe の編集者として活躍し, 故郷ハイルブロンで自由主義者として奮闘するホイスが中心となっており, さらには国民経済学者ゲオルク フリードリヒ クナップ Georg Friedrich Knapp の娘であり, 職業婦人でもあったエリー クナップ Elly Knapp との 近代的な結婚生活 などが語られる 新米編集者ホイスは ヒルフェ 98

の附録 ( 文芸欄, 投稿欄など ) を担当するが, 彼の民主主義的価値観がその活動の動機となってい ることが窺われる ナウマンの希望もあって文芸欄が拡充されるのであるが, ホイス自身も 民主 主義は政治的な意味だけではなく, 文化的, 哲学的な意味においてもである (85 頁 ) と, その重 4 4 4 要性を強調しており, 特に, アメリカの民主主義は 人民の最も価値のある健全な形態を生きるこ と (83 頁, 強調は評者 ) であると引き合いに出す ここにはホイスが 生活形態としての民主主 義 Demokratie als Lebensform (7) と語る民主主義理解への原点が見られる 4 章では帝政期に関する記述で最も重視すべき部分である 本章では, この時期におけるホイ スの見解を読み取ることが可能であり, 第 1 次世界大戦の足音が聞こえるなかで, ホイスがドイ ツ帝国の取るべき方向性をどのように見据えていたかが明確に示されている ホイスは 1912 年 よりヴュルテンベルク最古の新聞 ネッカー新聞 Necker-Zeitung の編集をエルンスト イェック Ernst Jäckh より引き継ぎ, その傍らで故郷ハイルブロンを選挙区としてヴュルテンベルク邦議会 選挙に出馬し落選という経験もする また, 開戦後は肩の脱臼により兵役に就くことはなく, ジャー ナリストとしての活動に専念する ネッカー新聞 における彼の論評は, 祖国愛からのナショナ ルな主張を展開はするが, 芸術などについてはナショナルな傾向を拒絶するといった具合であり, 彼の主張においてアンビバレントな部分が出現することをメルゼブルガーは描き出す ただし, 著 者はとりわけ愛国主義的なホイスの言動を強調し, 東方への拡大が戦争目的である (173 頁 ) との見解を紹介している さらに,1915 年に出版されたナウマンの 中欧論 をホイスが絶賛し た点も加え, 当時の彼の大ドイツ主義的な傾向を強調している このような指摘は従来の研究で大 きく扱われなかった部分であり, ここに切り込んだことに大きな価値があろう 5 章では敗戦から激動のワイマール共和国へとドイツ社会は変わり, そのなかでホイスの活動も 多様化する 実際に, ワイマール期はホイスにあらゆる活動の機会が与えられた時期と言える と りわけ, 本章で注視すべきは, ホイスの人間関係, そして, 大ドイツ主義との関係性の 2 点である ナウマンの死後, ホイスの人間関係はイェックとのつながりが中心となる 先行研究では帝政期か らワイマール期にかけてのホイスの活動にとって重視される人物は何よりもまずナウマン, 博士論 文の指導教授ルーヨ ブレンターノ Lujo Brentano, 義父のクナップとされるが, イェックこそが, ナウマンを除く他の 2 人以上にホイスのキャリア形成や思想に大きな影響を与えた, という事実を 本書は示唆している イェックはドイツ工作連盟 Deutscher Werkbund での活動, 雑誌 ドイツ政 治 Deutsche Politik の編集, ドイツ政治大学 Deutsche Hochschule für Politik での活動など, ホイ スのパトロンであるがごとく様々な機会を与えた 評者が特に指摘したいのは, イェックは大ドイ ツ主義と深く関係を持っていた, ということである 彼はドイツ トルコ協会 Deutsche-Türkische Vereinigung を設立し, ナウマンの中欧論と見解を一にしていた イェックが深く関与したドイツ 工作連盟や雑誌 ドイツ政治 はソフト パワー外交の一翼を担っており, 文化政策の側面から大 99

ドイツ主義を主張した メルゼブルガーが指摘するように, ホイス自身も独墺合邦を熱心に支持し, 合邦を禁止したサン ジェルマン条約に対して 我が国家の発展の目的としての大ドイツ主義は揺るがない (204 頁 ) と述べており, 当時の 典型的なドイツ人 の一人として大ドイツ主義を擁護した 4 章と同様に5 章におけるこれらの指摘も, 過去の研究では取り上げられにくかった部分であり, 本書の価値を高めるものである 6 章も引き続きワイマール期が舞台であるが, ナチスの脅威が迫りくるなかでのホイスの政治的なスタンスが中心となっている まず, 帝国議会選挙での落選を何度か経験した後に,1924 年にようやくホイスはドイツ民主党 (DDP) の議員として活動を本格化させるものの, 新人議員にできる仕事はそれほど多くはなく, 活動の場を模索する苦労を経験した また, 次第に増大するナチスの脅威に対して, 彼は著書 ヒトラーの道 Hitlers Weg を出版することで社会へ警鐘を鳴らす ホイスがナチスを ラッカーを塗って磨き上げたヴィルヘルム時代の店ざらし品の大売り出し (289 頁 ) とヴィルヘルム時代の復古版かのごとく批判した点をメルゼブルガーは評価している しかし他方で, 来る年に化けの皮が剥がれる政治家はヒトラーだ (291 頁 ) とのホイスの見解にも触れ, 彼がナチスの危険性を過小評価し, 見誤っていた証拠だと著者は指摘している 7 章ではワイマール共和国崩壊への道が始まり, ホイスが自らに 決して私の生涯から消すことができない (297 頁 ) と言わしめた全権委任法への賛成がまず論点として挙げられる メルゼブルガーはこのホイスの行為について, 帝国議会開催 2 日後の3 月 24 日, 彼は議会の無力化に賛成し, 帝国議会によって法律を公布し, 憲法を無効にさせる権限をヒトラー政権に認めてしまい, 国民と帝国の危機の除去に関する法律 に賛成することで将来の褐色の独裁者に見せかけの合法性を与えてしまった (296-7 頁 )( 著者の錯誤 24 日は公布日で, 投票が行われたのは 23 日 評者 ) と論じている ただし, 全権委任法への賛成票をめぐる背景についても多面的な分析を加え, 単なる善悪二元論ではなく, 賛成を投じたドイツ国家党のメンバーを中心とした当時の状況を精査することで, ナチスの脅威が迫るなかで彼らが賛成という重い決断を下した苦悩にも触れている その後のナチスの政策について, とりわけホイスが外交政策上の大ドイツ主義 ( 独墺合邦, ズデーテン併合など ) を支持した点について, メルゼブルガーはこれを単なるナチスへの迎合とは判断せず, ヴェルサイユ体制へのドイツ人の攻撃の一つであったと解釈している さらに本章では, ナチスに完全に同調することはなく, 抵抗運動に完全に身を投じることもなく, それまでの人間関係に助けられ, 国内亡命者としてナチスの圧力をうまくすり抜けて生き残ったホイスの様子が描かれる 抵抗運動については, ホイスがこれに関わったと主張する研究者と, 関わりを持たなかったとする研究者で議論が分かれているが, メルゼブルガーは後者の立場をとっていると言える 8 章は占領期にあたり, ここではジャーナリスト活動, ヴュルテンベルク バーデン州の文部大臣就任, 政党活動, 議会評議会への参加と, 多岐にわたる仕事に忙殺されるホイスの姿が強調され 100

る そのなかでも特に取り上げるべき点は, 彼が 仲介者 Mittler としてドイツ自由民主党(FDP) の結党や基本法の制定に尽力したことである 1948 年 12 月, およそ 100 年前にフランクフルト国民議会開催への道を切り開いた歴史的な町ヘッペンハイムで FDP が結党され, ホイスは党首に選出される 彼は常に分裂の危機にある自由主義者たち, 特にナショナルな傾向を持つ右派を牽制しながら結束させ, しかし 褐色の代わりに赤色を上塗りしている (406 頁 ) と主張することで, ソ連地区の自由主義者とは一線を画して西側地区で自由主義者を FDP 結党へと向かわせた これは, ホイスの仲介者としての活動が反映された結果であった また議会評議会では, 西側ドイツ国家の暫定性よりも安定性を重視して基本法前文の起草をおこない, これが ホイスによる傑作 とカルロ シュミット Carlo Schmid に称賛された点が紹介されている そして,1949 年 9 月, ホイスはコンラート アデナウアー Konrad Adenauer の小連立政権の選択によって初代連邦大統領となった メルゼブルガーは彼の連邦大統領就任について, ワイマール共和国初代大統領エーベルトが 何の前例も知らない状態から職務を作り上げた のと全く同じだったが, エーベルトとは異なって 言葉以外に何の実権も持たない なかで職務に就いた, と連邦大統領の特徴を指摘する (451 頁 ) 9 章からは連邦大統領としてのホイスの活動が描かれている 全く無名であったホイスが初代連邦大統領に就任したものの, 継承すべき伝統も従うべき前例もないなかで 研修中の連邦大統領 Bundespräsident in Ausbildung として職務を作り上げることから本章は始まる このため, 連邦大統領の職務をめぐって時にはアデナウアーと対立もするが, 助言を与える存在にもなっていく 大臣任命権, 閣議への参加, 国歌の制定などでアデナウアーと対立することも多々あったが, ユダヤ人問題などではアデナウアーにホイスが助言を与え, 有益な相談相手となっていた点が紹介される 同時に, 再軍備をめぐって連邦憲法裁判所へ所見を請求した問題にも触れ, 最終的には連立政権を支える一人としてホイスが政府の指示に従って行動した点が指摘される また, 言葉だけが彼が世論に向けて使用することが許された手段であり, この手段が 過去を忘却することに反対する活動 に活かされた 特に, ホイスは 集団責任 Kollektivschuld ではなく, 彼独自の 集団による恥辱 Kollektivscham という言葉によって, 未だナチスに関わった責任性を受け入れることができない世論を考慮に入れつつ, しかしあくまでもドイツ人が決して忘れてはならない犯罪性を強調し, 過去への反省をうながした そして, 著者はこの姿勢や言葉こそが, 過去の克服への道を切り開いたとしている ただし, ナチス支配下における グレーゾーン や, 党員であってもナチスの完全な同調者ではない可能性を知るホイスの姿勢が, 時には忘却に反対するその姿勢とのあいだに矛盾を生み出したことも指摘されている 10 章は大統領 2 期目のホイスを扱っている 連立政権の保証人 として大統領に就任したホイスは, 超党派の大きな支持を受けて再選された 本章の前半では 1955 年に国家主権を回復したドイツ連邦共和国の大統領として, 外国訪問を精力的にこなしていくホイスの姿に触れることができ 101

る ただし, 歓迎ムードのなか迎えられる訪問国もあれば, 敗戦国の国家元首として冷たい視線に晒された経験も紹介される そして, 本章の後半は大統領後継者問題をめぐるアデナウアーとホイスの対立が中心となっている ホイスはアデナウアーが提案した基本法の改正によって連邦大統領の任期を延長することに断固反対し, それは ドイツ民主主義の無能の証拠 (577 頁 ) だと言って憚ることはなかった アデナウアー自身の立候補案に対しても, 国政上の懸念 (580 頁 ) と語り, 後継者問題は迷走するのであるが, このような動きに対して著者は アデナウアーだけでなく, ホイスの時代も終わりを迎えていた (582 頁 ) との評価を下している つまり, 19 世紀の人間 であったホイスもアデナウアーも,20 世紀の社会に生きる若い世代が共感できない存在になっていたのである 最後に, 結びにおけるメルゼブルガーのホイス評を敷衍しながら, 本書全体を評者の観点からまとめてみよう ホイスはドイツ民主主義の成熟に決定的な存在 (605 頁 ) であり, 民主主義の父親ではないとしても, 民主主義の教育者であった (605 頁 ) とメルゼブルガーは括っている 常に政治と文学のあいだで揺れ動き, 政治家になりきれなかったとされるホイスだからこそ, 世論が納得できる 言葉 によって民主主義を説き, 教育することができた, と評者は理解する この点において, 特に, 連邦大統領としてのホイスに関するメルゼブルガーの評価は妥当であろう また, 著者は ホイスは非政治的な大統領では全くなかった (605 頁 ) と述べ, アデナウアーに不足した部分をホイスが補って変化させる メタ政治 Metapolitik を展開したと主張している 連立政権の要として, ホイスはアデナウアーや連邦政府と連携するだけでなく,FDP にも目を配り, まさに 政治的な大統領 として行動したことは本書のなかで多く紹介されるところである 大統領は基本法で政治的な中立性が求められているが, 大統領の存在そのものが政治的な立場であることは間違いない この矛盾をどのようにうまく調和させるかが, 今日までの歴代大統領の課題でもあり, ホイスが初代大統領としてその課題に果敢に取り組んだありさまが, 著者によって詳らかにされている ただし評者には, 本書で非常に強調された大ドイツ主義を中心とした ナショナルな 方向性をどのように解釈するのかという疑問が残る 著者の ナショナリストでもあったが, 民主主義者でもあった といった表現 (8), あるいは, 大ドイツ主義を主張し, ナチスに反対する 典型的なドイツ人 との評価が, 果たして適切なのであろうか (9) この問題はホイス研究で解明されていない間隙でもあり, この部分に大きく切り込んだ点は本書の大きな功績ではある しかし結局, 本書では戦後におけるホイスの大ドイツ主義へのスタンスなどに一切触れられていないことから, ホイスが後に大統領としてどのようにこの問題に向き合ったかは明らかではない 自由主義者であってナショナリストでもある 典型的なドイツ人 が, 戦後社会でも抱き続けたナショナリズムをどのようにコントロールし, 民主主義をどのように受容したか ホイスを通じてこのプロセスが究明さ 102

れた時に,20 世紀のドイツ社会が孕んできた矛盾や問題に光が当たるように評者には思えるのである ドイツでは伝記が常に書店の棚を賑わせており, 人びとが歴史に触れる多くの機会を提供している そして, このメルゼブルガーの伝記は, 専門家の歴史研究だけでは伝えきれない市民ホイスの姿やその時代の臨場感を余すことなく伝えている 彼の筆によってホイスを通じて政治史のみならず文化史も浮き彫りとなり, 読者はホイスとともにドイツ史の情景を見て歩くことが可能である 残念ながら, 本書では人名, 地名, 年号, 組織名などに細かいミスが非常に目立つ しかし, これらのミスを忘れさせてくれる歴史の面白さが本書のなかに展開されているのである すなわち本書は人間味あふれるホイス像を描き出し, 歴史研究への挑戦ともいうべき語りで構成されている そして, その語りが伝えるものはサクセス ストーリーを歩んだホイスではなく, 苦労を重ね, 時には政治家としての能力の欠如に苦しむただ一人の市民の姿であった 家庭では妻エリーに愚痴をこぼし, エリーを失った後には毎日, 親友の妻であったトニー シュトルパー Toni Stolper に手紙を書いて話し相手を求める彼は, ごく普通の一般的な市民そのものである また, 敗戦国ドイツで連邦大統領とは名ばかりであり, カーテンもない窮屈な建物から執務を開始した彼の姿はみすぼらしくさえあった この書物のなかにいるホイスはこれまで描かれてきた聖人君子ホイスではなく, 人間味のある等身大の 市民ホイス の姿である 追記 :2013 年 9 月 30 日, 技術史 環境史の歴史家として著名であるヨアヒム ラートカウ Joachim Radkau によって伝記 テオドーア ホイス ( 全 640 頁 ) (10) が出版された 本稿でその内容を参照することはかなわなかったが, 技術の発展 に先見の明を持った市民大統領としてホイスが描かれていることが従来にない大きな特徴であり, この点において他の伝記とは一線を画している このように, ホイスへの関心は今も高まるばかりである 註 (1) 2012 年 12 月 13 日放送の第 1 回目の対談は以下の通り http://www.dradio.de/dlf/sendungen/interview_ dlf/1948587/(2013 年 6 月 29 日閲覧 ) また,2012 年 12 年 23 日放送の第 2 回目の対談は以下の通り http://www.dradio.de/dkultur/sendungen/ lesart/1956583/(2013 年 6 月 29 日閲覧 ) (2) 近年の大統領辞任問題については, 以下の文献を参照されたい 拙稿 メルケル政権における連邦大統領の辞任問題について, ドイツ研究 第 47 号,2013 年 (3) Vgl., Hans-Peter Schwarz, Von Heuss bis Köhler, in: Robert Chr. van Ooyen, Martin H. W. Möllers (Hrsg.), 103

Der Bundespräsident im politischen System, Wiesbaden 2012, S. 286. (4) Stiftung Bundespräsident Theodor-Heuss-Haus (Hrsg. u. bearb.), Theodor Heuss Stuttgarter Ausgabe Briefe, München 2007-2012. (5) Ernst Wolfgang Becker, Theodor Heuss. Bürger im Zeitalter der Extreme, Stuttgart 2011. (6) ホイスの伝記には以下のものがあるが, ボットは連邦大統領時の個人秘書であり, ハム ブリュッヒャーはホイスが支援した FDP の議員である また, ヴェルヘルトはドイツ政治大学での教え子である つまり, 全員が生前のホイスに何らかの関係があった 身内 である Hans Bott, Theodor Heuss in seiner Zeit, Göttingen, Zürich 1966; Hildegard Hamm-Brücher, Gerechtigkeit erhöht ein Volk. Theodor Heuss und die deutsche Demokratie, München 1984(H.H. ブリュッヒャー テーオドア ホイスにみるドイツ民主主義の源流 関口宏道訳, 太陽出版,1990 年 ); Hans-Heinrich Welchert, Theodor Heuss. Ein Lebensbild, Bonn 1953. また, この他には財団や政治教育センターなどが作成したカタログやパンフレットなどでホイスの生涯を知ることが可能である (7) ホイスにおける 生活形態としての民主主義 という概念については, ブリュッヒャー前掲書,125 ~ 128 頁を参照のこと (8) http://www.welt.de/kultur/literarischewelt/article112011194/theodor-heuss-war-der-beste- Bundespraesident.html(2013 年 6 月 29 日閲覧 ) (9) http://www.dradio.de/dkultur/sendungen/lesart/1956583/(2013 年 6 月 29 日閲覧 ) (10) Joachim Radkau, Theodor Heuss, München 2013. 104