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知識と組織制度についての考察 ポランニーの知識論の観点から * 赤尾充哉 < 要約 > ナレッジ マネジメントの文献に対して, 野中郁次郎らが提示した暗黙知の概念がもたらした貢献は大きいと言える しかし, 彼らの暗黙知の概念が, その源流であるポランニーの暗黙知と異なるということがしばしば指摘されている そうした指摘によれば, 前者はまだ言語化されていない知識を指しており, 後者は知識を利用する際の方法が暗黙的であることを指しているという ポランニーの概念に従えば, 共通の実践に基づく企業内 企業間の知識のフローを理解することができる 企業内外の望ましいフローを促進し, 企業外部への望ましくないフローを抑制するためには, 実践に基づく組織の捉え方が不可欠である こうした点に光を当てることは, ナレッジ マネジメントと組織制度の議論にとって有用だと思われる < キーワード > 暗黙知, 知る行為, 生産的探求, 実践のコミュニティ, 実践のネットワーク 1. はじめに 今日の企業経営にとって知識の問題が非常に重要であることはしばしば指摘されている 知識経済の時代と呼ばれることもある 知識の観点から企業経営を考えるナレッジ マネジメントの分野では, 野中郁次郎らが提示した暗黙知の概念がしばしば用いられ, その影響力は非常に大きいと言ってよいだろう しかしながら, 野中らの暗黙知の概念に対する批判も少なくない 特に, 野中らの暗黙知は, その源流にあたるマイケル ポランニー (Polanyi, Michael) の概念と異なっているという指摘がしばしば見られる もっとも, ナレッジ マネジメントの文献に対する野中らの概念の貢献を考えれば, 野中らの概念がポランニーのそれと異なっているということ自体に問題があるとは言えない だが, 双方の概念に沿ったときに企業経営についての異なる観点が導き出されるとすれば, そしてポランニーの概念に沿った考え方が重要な含意を持っているのであれば, それが見過ごされてしまうことには問題がある こうしたことから本稿では, 両者の相違が企業のマネジメントや組織制度の設計にどのように関わるのかについて考察する 以下ではまず, 野中らのフレームワークとそれに対する批判をレビューする 次に, ポランニ * 関東学院大学経済学部専任講師 ( 平成 24 年度慶應義塾大学大学院商学研究科助教 ( 有期 研究奨励 )) 1

ーの知識論を検討し, その要諦を明らかにする その後, ポランニーの知識論に沿って企業経営 の問題を考えたときに, どのような課題が浮上するかについて検討する 2. 野中らの知識創造理論 野中らは, 知識には暗黙知と形式知の 2 種類の知識があると論じる 暗黙知とは 特定状況に 関する個人的な知識であり, 形式化したり他人に伝えたりするのが難しい ものだという 一方 形式知とは 形式的 論理的言語によって伝達できる知識 だという このとき野中らは 認識 論の次元については, マイケル ポランニーの 暗黙知 と 形式知 との区別によっている と述べている 1 そして組織は, 暗黙知と形式知の社会的相互作用 すなわち両者の 双方向的 にスパイラルに 行われる 知識変換 を通じて, 知識が 創造され拡大される という 2 こ のことを野中らは組織的知識創造と呼んでいる 組織的知識創造は具体的には,SECI プロセスと呼ばれる 4 つの段階を経て為されるという 第一の段階は 共同化 プロセスである これは, ある個人の暗黙知を他者に伝達することで, 暗黙知を共有するプロセスである 第二の段階は 表出化 プロセスである これは, 言語や明 示的な概念で表現することで, 暗黙知を形式知に変換するプロセスである 第三の段階は 結合 化 プロセスである これは, 形式知を組み合わせることによって新たな形式知を創造するプロ セスである 第四の段階は 内面化 プロセスである これは, 行動や実験を通じて形式知を身 につける, つまり形式知を暗黙知に変換するプロセスである こうしたプロセスが繰り返される ことによって, 組織の知識はより高度なものになっていくという 3 野中らはさらに, 組織的知識創造にとって場が非常に重要であるという 場とは 共有された 文脈 あるいは知識創造や活用, 知識資産記憶の基盤 ( プラットフォーム ) となるような物理 的 仮想的 心的な場所を母体とする関係性 を表すものである 4 この場が SECI プロセスを 実際に駆動させる媒介 触媒 となるという 5 さらに彼らは SECI プロセスの 4 つの段階に応じ て, 重要な場のタイプが異なると述べている 共同化のプロセスに対応するのは, 対面コミュニ ケーションによる経験共有の場としての 創発場 である 表出化のプロセスに対応するのは, 言語化のためのディスカッションを行なう場としての 対話場 である 結合化に対応するのは, サイバー システム上で形式知を取り扱う システム場 である 内面化に対応するのは, 実践 的な学習の場としての 実践場 であるという 6 こうした場を適切に用意し活発化させること が, 組織的知識創造のためのマネジメントの重要な課題だというのだ こうした野中らの知識創造理論に対する批判もある 特に, 暗黙知の概念についての批判がし 1 Nonaka and Takeuchi (1995), 邦訳, 88 頁 2 Ibid., 邦訳, 90-91 頁 3 Ibid., 邦訳, 91-105 頁 4 野中 紺野 (1999), 161 頁 5 Ibid., 167 頁 6 Ibid., 169-174 頁 2

ばしば見られる たとえば Schreyögg and Geiger (2005) はこのように述べる ポランニーの暗黙知は 個々人の行為の隠された背景を形成する個人的なスキルあるいはケイパビリティ であって, 暗黙知と形式知というのはそもそも質的に異なるものであり, 両者を相互変換するという論理は定義により成立しないという 7 また,Tsoukas (2005) も類似する批判を展開している 知識が実際にどのように用いられるかをよく見ると 実際には個人的判断と暗黙のコミットメントに基づいている ため, 体系化された知識はポランニーが言うところの 個人的な係数 を含むと述べている 8 つまり, ポランニーの暗黙知の概念は, 知識を利用する方法における個人的 暗黙的な側面を指す概念だというのである それに対して, 野中らの暗黙知は まだ言語化されていない知識 を指しており, 時間さえかければいずれ言語化され伝達されるかもしれない知識だという 9 このように, 野中らの暗黙知の概念は, その源流であるポランニーの概念と大きく異なっていることが指摘されている それではポランニーの暗黙知の概念は より厳密にはどのように理解されるべきなのか 以下で詳しく検討しよう 3. ポランニーの知識論 Tsoukas (2005) によると, 近代科学が要求する明示的な演繹は, 前提から結論が自動的に導き出されるようなものだという また, 結論から前提へ還元可能, 言い換えれば全体から要素へ還元可能なものであるという 10 一方ポランニーの知識論では, 分解された要素があるだけでは全体を知りえないし, 全体として理解されていることを要素に分解して理解することはできないと捉えているという 11 したがってポランニーによれば, 知る行為には 目的を助ける状況のあらゆる特定の要素を選択し, それらの要素を 統合する という人為的な行為が必要である しかもそれは, うまく行うための方法を感じ取るための 無意識の試行錯誤 を必要とする ヒューリスティックな努力 だという 12 こうした無意識の試行錯誤やヒューリスティックな努力という点で, 知る行為は個人的 暗黙的な側面を持つのである ポランニーは知る行為を以下のように説明する 知ろうとする対象が直接的に知りえないという意味で遠位項にあるとする このとき人は, 直接的に感じ取ることのできる諸要素のような近位項にあるものを用いて, 対象を知ろうとする このとき, 近位項にある様々な要素を統合して対象を知るのだが, その方法というのは個人的で暗黙的である こうした統合を, ポランニーは 7 Schreyögg and Geiger (2005), p. 303 なお, この点については榊原 (2006a, b) も参照されたい 8 Tsoukas (2005), p.142 9 Ibid., p. 154 10 Ibid., p. 147 11 Ibid., p. 147 12 Polanyi (1962), p. 62 3

創発と呼んでいる 13 こうした知る行為は以下の 4 つのプロセスを繰り返すことによって為される まず近位項にある諸要素を通して, 遠位項にある対象に注意を向ける ( 機能的側面 ) 次に, 遠位の対象において生じているだろう出来事に対応して, 近位の諸要素のレベルで生じる出来事を感知する ( 現象的側面 ) 次に, 感知した近位の出来事が, 遠位の対象のどういった出来事を表しているのかを解釈する ( 意味論的側面 ) そしてこうした近位と遠位との間の往復を繰り返すことで解釈に修正を加えていき, 遠位の対象と近位の諸要素の関係を確立させていく その結果, ある程度双方の関係性を確立させたときに, 包括的に理解しているという状態に至る ( 存在論的側面 ) この状態に至ったとき人は物事を知っているのだという 14 このことを図示したものが図 1である 図 1: ポランニーの知識論 Cook and Brown (1999) や Tsoukas (2005) の解釈に従えば, 既存の知識はこうした知る行為のガイドあるいはツールとして用いられる 言い換えると, 既存の知識は近位項に位置づけられると言える 加えて Cook and Brown (1999) は, 知る行為が新たな知識を求めているようなものの場合, それは生産的探求であるという その場合, 既存の知識をツールとして用いるがゆえに, 知る行為は既存の知識に規律付けられるという そしてまた, 生産的探求の結果もたらされた新たな知識は, 今度は他の知る行為のツールとなると述べている 15 そのように考えてみると, その人がこれまでの生産的探求によって獲得してきた知識によって, 生産的探求の方法や方向がある程度方向づけられるのである そのため, 知る行為におけるスキルは, その人のこれまでの実践の経 13 この点については,Polanyi (1966) 第 2 章 ( 邦訳, 55-91 頁 ) で詳しく論じられている 14 この点については,Ibid., 第 1 章 ( 邦訳, 15-53 頁 ) で詳しく論じられている 15 Cook and Brown (1999), p. 388 なお, 生産的探求はジョン デューイ (Dewey, John) の概念である ポランニー自身もデューイに依拠し, 創造的独創的に科学的発見をする 探求者たちの社会 を論じている (Polanyi (1966) 第 3 章, 邦訳, 93-151 頁 ) 4

験によって異なるものとなると言える こうした観点から野中らの知識創造理論を考えるとどうなるだろうか 野中らが SECI モデルを説明する際に用いるホームベーカリー製作の事例を,Tsoukas (2005) はポランニー的な視点から再解釈している それに従えば, 野中らの言う 共同化 プロセスは, 相手が示すガイドを参考にしながら, 結局は自らが実践して試行錯誤の末に知識を獲得したのだと解釈されるべきであり, 暗黙知がある人から別の人に移転したという捉え方は適切ではないという また 表出化 プロセスは, 知る行為のガイドとしてのコンセプトを形成するだけであり, それは知っていることそのものではない コンセプトを受け取った相手は, それをガイドとしながら, 自分で実践して知識を獲得するのだという 16 4. 暗黙知概念の相違と組織制度の問題 以上のように, 野中らに基づけば, 知識には暗黙知と形式知の 2 種類があり, 両者の相互変換を通じて知識が伝達され, それによって知識が創造される 一方, ポランニーに基づけば, 既存の知識や感知した感覚などの諸要素をもとに, 対象を解釈しようとする試行錯誤的な実践を通して, 対象と諸要素の関係を確立していく こうした知る行為は, しばしば個人的で暗黙的な側面を伴う, ということになる この両者の差異は単なる認識の違いにも思われるかもしれない しかしこのことが組織制度の問題に大きく関わるのであれば, 企業経営にとって重要な差異となる それでは組織制度の点でどのような差異が生じるのであろうか 以下, この点について Brown and Duiguid (2001) の論考に沿って議論する 野中らのような 2 種類の知識が存在するというパースペクティブに基づけば, 暗黙知は粘着性の問題につながり, 形式知は漏洩性の問題につながるという 17 ここでの粘着性とは組織内部での知識フローの難しさを表すものであり, 漏洩性とは組織外部への望ましくない知識フローを表す言葉である しかしながら 2 種類の知識に粘着性と漏洩性の問題を割り当てる議論には問題があるという なぜなら こうした議論の難しさは, 種類によって粘着的であったり漏洩的であったりすることではなく, 同じ知識が粘着性と漏洩性の両方の性質を示しうること 18 だからだ つまり 組織内部で伝達できない概念, 洞察, 発明, および実践が, 競合他社に容易に伝達するかもしれない 19 という問題に取り組むには, こうした知識そのものの属性に焦点を当てるのでは不十分だというのである そのため, 知識自体の固有の属性という点で知識の慣性を扱うよりも, 知識が粘着的であったり漏洩的であったりするコンテクストあるいは環境を見ることのほうが, より実り豊かだと思われる 20 と Brown and Duiguid (2001) は主張している 16 これは Tsoukas (2005), pp. 154-157 において, ホームベーカリーの事例に照らし合わせて詳しく論じられている 17 Brown and Duiguid (2001), p. 203 18 Ibid., p. 199 19 Ibid., p. 199 20 Ibid., p. 200 5

また彼らによれば, コンテクストに焦点を当てる社会的 文化的な研究はこれまでもあったが, それらも依然として問題を抱えているという それらはしばしば, 組織内部は外部で作用するすべての力からいくぶん自由になっている というモデルを提示するが, このモデルは 内部のフローを説明するのには有用だが, 内部の予期しない粘着性は扱えない という またこうした研究は, 組織間が 文化的に分断されている としており, そのため外部には知識がフローしにくいといった説明をする しかし実際の企業経営を考えてみると, 粘着性の証拠がもっとも理解しにくく見えるのは, まさしく企業内部において であるし, 知識は企業間で漏洩する という 21 つまり 上述のような説明は, 組織境界が存在すること自体が既に問題を解決していると言っているようなものであり, 現実には粘着性の問題も漏洩性の問題もそれだけでは解決しえないのである それではポランニーの概念に基づくとどうなるだろうか その場合, 共通の実践を経験してきた人々の間では, 知る行為はある程度同じように規律付けられていると考えられる それゆえ, 共通の実践を有する人々の間では知識はフローしやすい その意味で 実践は共通の基盤を作る 22 と Brown and Duiguid (2001) は指摘する しかし, 同じ組織内であっても全ての人が共通の実践を有するわけではない それゆえ, 組織内部のサブセットとして, 実践のコミュニティ が生じているという 彼らによれば, 実践のコミュニティの内部では比較的知識はフローしやすいが, 異なる実践のコミュニティ同士の間では知識はフローしにくい これが組織内部で生じる粘着性の理由だという それゆえこうした現象は組織が分業形態を取る限り, 必然的に生じるものだという 23 逆に, 同じ組織に属さない人々の間で, 共通の実践を持つこともありえるという 類似する業務を行っている人々はある程度共通の実践を持っているだろう Brown and Duiguid (2001) は, こうした人々の関係を 実践のネットワーク と呼んでいる 実践のネットワーク内では ほとんどの人は他の人を知らない, あるいは出くわさない 場合であっても, 多くの知識を共有することができる つまり, 様々な実践のネットワークが垂直統合された組織を水平的に横断し, その境界をはるかに超える のであり, こうしたネットワークに沿って知識はフローしうる のである これが漏洩性の理由だという 24 このように, ポランニーの知識論に基づいて考えると, 企業の内部か外部かという境界設定と, 知識がフローする境界は異なるものになる ( 図 2) 21 Ibid., p. 200 22 Ibid., p. 205 23 Ibid., pp. 204-205 24 Ibid., pp. 205-206 6

図 2: 企業境界と実践の境界 このように考えると, 知る行為の暗黙で実践を必要とする性質上, 知る行為を促進するためには, 組織のサブセットは準自律的である必要があるように思われる というのも一方では, 知識を理解し, 新たな知識を生み出すための方法は, サブセットである実践のコミュニティ内部に特有のものになるため, 組織全体としてマネジメントすることは難しいからである その一方で, 実践のコミュニティ間での知識のフローをコーディネートする必要性は高まるため, 完全に自律的であることは望ましくない その意味で準自律的である必要がある したがって, そうした準自律的なサブセット間のコーディネーションをサポートする組織制度をいかにして設計するかについての議論が急務となる 古くから経営学の文献で議論されてきたような, 分業を効率的にする組織構造の設計だけでは, こうした問題に対処できない 実践の観点から見ればむしろ, 分業が知識フローの粘着性をもたらしていると言えるが, これは避けられないものである 企業横断的な組織構造や人材のフローは, こうした問題の解決に関わっているのは間違いないが, そうした取り組みは, 試行錯誤的な実践を前提として慎重に設計されるべきだろう また,Brown and Duiguid (2001) も指摘しているように 25, 個人動機に焦点を当ててモチベーションを高めるような組織制度も, 単に組織と個人と間の分離を調整することを目的とするのであれば, 不十分だと思われる それだけでなく, 組織内部のサブセット間のコーディネーションに個人を向かわせるようなインセンティブ制度も必要となる しかもそれは, 単なるサブセット間の政治的な対立を解消するためのものではなく, サブセット間の相互学習に向かわせるものとして設計されなければならない 野中らの言う場の概念は, この問題を部分的に解決するだろう たしかにサブセット間のコミュニケーションが, こうした相互学習を促進するということはあるかもしれない しかし, 実践が知識フローの基盤となるのであれば, 必ずしも知識の粘着性の問題をコミュニケーションの頻度や対面性が解決するわけではない もう一つの重要な問題は, いかにして企業外部への知識の漏洩を防ぐかということである こうした漏洩は, 直接的に情報を伝達しなくても, 共通の実践に基づいて企業外部の人間が理解す 25 Ibid., p. 208 7

ることによって生じるかもしれない そうなると法的な意味での所有や雇用契約に基づく企業境界は, 知識の漏洩を防ぐ壁としては機能しないかもしれない Teece (1986) の PFI フレームワークは, 知識の漏洩を防ぐと同時に, 知識のコーディネーションを促進するために, 無形の重要な補完資産は内部化すべきだと提示しているが, 内部化しただけでは漏洩性の問題も粘着性の問題も解決されていないのである また漏洩の問題は同時に, 企業外部からいかにして知識を流入させるかという問題とも関わってくるだろう 企業外部と実践のネットワークでつながっているような個人は, 知識の漏洩が生じる点でもあり, 知識の流入が生じる点でもある 知識の企業外部への望ましくない漏洩を防ぎ, 知識の企業外部からの望ましい流入を促進するには, 企業外部の主体との関係をサポートする制度も必要となるだろう これは一方では契約やモラルハザードの議論を必要とするが, もう一方では実践のネットワークをうまく取り込むような工夫も必要となるだろう 5. おわりに 本稿では, 野中らの暗黙知の概念と, その源流であるポランニーの暗黙知の概念が大きく異なることを確認し, 双方に基づいた場合の組織制度の考え方の相違を整理した ポランニーの概念に従えば, 共通の実践に基づく企業内 企業間の知識のフローを理解することができる そしてそれによって, 企業経営と組織制度の設計についての重要な課題がいくつか浮き彫りになった 野中らのナレッジ マネジメントの分野に対する貢献はけして小さくはないが, さらなる理論の発展のためには, ポランニーの知識論に基づいた議論にいまいちど光を当てることは, 大いに有用だと言えよう なお, 本稿では具体的な方策について論じることはできなかった これが本稿の限界であり課題である ポランニー的な知識の観点から論じられた組織制度の議論を精査することが, 課題として残されている 参考文献 [1] Brown, J. S. and P. Duguid (2001), Knowledge and Organization: A Social-Practice Perspective, Organization Science, 12(2), pp. 198-213. [2] Cook, S. D. and J. S. Brown (1999), Bridging Epistemologies: The Generative Dance between Organizational Knowledge and Organizational Knowing, Organization Science, 10(4), pp. 381-400. [3] Nonaka, I. and H. Takeuchi (1995), The Knowledge-Creating Company: How Japanese Companies Create the Dynamics of Innovation, Oxford.( 梅本勝博訳 知識創造企業 東洋経済新報社,1996 年 ) [4] 野中郁次郎 紺野登 (1999) 知識経営のすすめ : ナレッジマネジメントとその時代 筑摩書房 [5] 野中郁次郎 紺野登 (2003) 知識創造の方法論 : ナレッジワーカーの作法 東洋経済新報社 [6] Polanyi, M. (1962), Personal Knowledge, Chicago.( 長尾史郎訳 個人的知識 脱批判哲学をめざして ハーベスト社,1985 年 ) [7] Polanyi, M. (1966), The Tacit Dimension, London. ( 佐藤敬三訳 暗黙知の次元 : 言語から非言語へ 紀伊国屋書店,1980 年 ) 8

[8] 榊原研互 (2006a) ナレッジマネジメントの可能性と限界 組織的知識創造理論の批判的検討 十川廣國 榊原研互 高橋美樹 今口忠政 園田智昭著 イノベーションと事業再構築 慶應義塾大学出版会,39-80 頁 [9] 榊原研互 (2006b) ナレッジマネジメントにおける知識概念 ドイツ経営経済学における知識概念論争 三田商学研究 49 巻 1 号,115-129 頁 [10] 榊原研互 (2007) ナレッジマネジメントにおける知識選択の問題 ドイツ経営経済学における科学論的考察 三田商学研究 50 巻 3 号,121-136 頁 [11] Schreyögg, G. and D. Geiger (2005), "Reconsidering Organizational Knowledge, Skills and Narrations." in Schreyögg, G. and J. Koch (eds.), Knowledge Management and Narratives: Organizational Effectiveness through Storytelling, Berlin, pp. 291-312. [12] Schreyögg, G, and D. Geiger (2007), "The Significance of Distinctiveness: A Proposal for Rethinking Organizational Knowledge", Organization, 14(1), pp. 77-100. [13] Teece, D. J. (1986), Profiting from Technological Innovation, Research Policy, 15(6), pp.285 305. [14] Tsoukas, H. (2005), Complex Knowledge: Studies in Organizational Epistemology, Oxford. 9