日本血栓止血学会誌 第18巻 第6号

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日本血栓止血学会誌 第18巻 第6号

平成20年5月20日

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血液学的検査 >> 2B. 凝固 線溶関連検査 >> 2B380. 検体採取 患者の検査前準備 検体採取のタイミング 記号 添加物 ( キャップ色等 ) 採取材料 採取量 測定材料 B 3.2% クエン酸ナトリウム ( 黒 ) 血液 2 ml 血漿 検体ラベル ( 単項目オーダー時

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図 B 細胞受容体を介した NF-κB 活性化モデル

血液学的検査 >> 2B. 凝固 線溶関連検査 >> 2B400. 検体採取 患者の検査前準備 検体採取のタイミング 記号 添加物 ( キャップ色等 ) 採取材料 採取量 測定材料 B 3.2% クエン酸ナトリウム ( 黒 ) 血液 2 ml 血漿 検体ラベル ( 単項目オーダー時

10,000 L 30,000 50,000 L 30,000 50,000 L 図 1 白血球増加の主な初期対応 表 1 好中球増加 ( 好中球 >8,000/μL) の疾患 1 CML 2 / G CSF 太字は頻度の高い疾患 32

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凝固活性化機構とその制御機構;DOACを理解するための凝固反応の基礎

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平成14年度研究報告

6. 治療法非典型溶血性尿毒症症候群と診断されれば 血漿交換 血漿輸注療法が行われ 唯一の治療であった 非典型溶血性尿毒症症候群に対して 補体 C5 に対するモノクローナル抗体であるエクリズマブが 2013 年 9 月に本邦でも保険適応となり 治療効果が期待されている 7. 研究斑血液凝固異常症等に

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2004年度日本経団連規制改革要望

ただ太っているだけではメタボリックシンドロームとは呼びません 脂肪細胞はアディポネクチンなどの善玉因子と TNF-αや IL-6 などという悪玉因子を分泌します 内臓肥満になる と 内臓の脂肪細胞から悪玉因子がたくさんでてきてしまい インスリン抵抗性につながり高血糖をもたらします さらに脂質異常症

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1) 自己免疫性後天性 F13 欠乏症では 出血を止めるために F13 濃縮製剤を注射することが必要である ただし 自己抗体によるインヒビターや免疫複合体除去亢進があるので 注射した F13 が著しく早く効かなくなるため 止血するまで投与薬の増量 追加を試みるべきである 2) 自己免疫性後天性 F8

64 血栓性血小板減少性紫斑病 概要 1. 概要血栓性血小板減少性紫斑病 (TTP) は 1924 年米国の Eli Moschcowitz によって始めて報告された疾患で 症状は 1) 細血管障害性溶血性貧血 2) 破壊性血小板減少 3) 細血管内血小板血栓 4) 発熱 5) 動揺性精神神経障害を

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検体採取 患者の検査前準備 検体採取のタイミング 記号 添加物 ( キャップ色等 ) 採取材料 採取量 測定材料 F 凝固促進剤 + 血清分離剤 ( 青 細 ) 血液 3 ml 血清 H 凝固促進剤 + 血清分離剤 ( ピンク ) 血液 6 ml 血清 I 凝固促進剤 + 血清分離剤 ( 茶色 )

られる 糖尿病を合併した高血圧の治療の薬物治療の第一選択薬はアンジオテンシン変換酵素 (ACE) 阻害薬とアンジオテンシン II 受容体拮抗薬 (ARB) である このクラスの薬剤は単なる降圧効果のみならず 様々な臓器保護作用を有しているが ACE 阻害薬や ARB のプラセボ比較試験で糖尿病の新規

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インスリンが十分に働かない ってどういうこと 糖尿病になると インスリンが十分に働かなくなり 血糖をうまく細胞に取り込めなくなります それには 2つの仕組みがあります ( 図2 インスリンが十分に働かない ) ①インスリン分泌不足 ②インスリン抵抗性 インスリン 鍵 が不足していて 糖が細胞の イン

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( 様式甲 5) 学位論文内容の要旨 論文提出者氏名 論文審査担当者 主査 教授 大道正英 髙橋優子 副査副査 教授教授 岡 田 仁 克 辻 求 副査 教授 瀧内比呂也 主論文題名 Versican G1 and G3 domains are upregulated and latent trans

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別紙様式 (Ⅱ)-1 添付ファイル用 商品名 : イチョウ葉脳内 α( アルファ ) 安全性評価シート 食経験の評価 1 喫食実績による食経験の評価 ( 喫食実績が あり の場合 : 実績に基づく安全性の評価を記載 ) 弊社では当該製品 イチョウ葉脳内 α( アルファ ) と同一処方の製品を 200

064 血栓性血小板減少性紫斑病

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脳卒中エキスパート 抗血栓療法を究める

したことによると考えられています 4. ピロリ菌の検査法ピロリ菌の検査法にはいくつかの種類があり 内視鏡を使うものとそうでないものに大きく分けられます 前者は 内視鏡を使って胃の組織を採取し それを材料にしてピロリ菌の有無を調べます 胃粘膜組織を顕微鏡で見てピロリ菌を探す方法 ( 鏡検法 ) 先に述

153 きく 実際ほとんどの DIC 診断基準において重要検査項目として採用されている ただし FDP や D-ダイマーは 感度は高いが特異度は低い点に注意が必要である 例えば 深部静脈血栓症 肺血栓塞栓症 大量胸腹水 大皮下血腫などでもしばしば上昇するので注意喚起が必要であろう 4. 血小板数 図

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063 特発性血小板減少性紫斑病

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288 自己免疫性後天性凝固因子欠乏症 概要 1. 概要血液が凝固するために必要なタンパク質である凝固因子が 先天性や遺伝性ではない理由で著しく減少するため 止血のための止血栓ができにくくなったり 弱くなって簡単に壊れやすくなり 自然にあるいは軽い打撲などでさえ重い出血を起こす疾病である ここでは

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報道発表資料 2006 年 6 月 21 日 独立行政法人理化学研究所 アレルギー反応を制御する新たなメカニズムを発見 - 謎の免疫細胞 記憶型 T 細胞 がアレルギー反応に必須 - ポイント アレルギー発症の細胞を可視化する緑色蛍光マウスの開発により解明 分化 発生等で重要なノッチ分子への情報伝達

目次情報




佐臨技 新入会員研修会 データの見かた 読みかた 凝固検査

vi アハ ート2 アハ ート3 アハ ート4 アハ ート5 アハ ート6 アハ ート7 アハ ート8 アハ ート9 アハ ート10 アハ ート11 アハ ート12 アハ ート13 アハ ート14 アハ ート15 アハ ート16 アハ ート17 アハ ート18 アハ ート19 アハ ート20 アハ

くは不育症プラス特異的自己抗体をもって APS と定義するシンプルな構造になっているこ と 続発性または二次性という用語は使用せず それぞれに合併した APS と表現すること を推奨している点です APS の症状 APS の頻度の高い症状として 脳 心臓 肺などの動静脈血栓症 習慣流産 血小板減少

序 プリンシプル血液疾患の臨床 シリーズ( 全 4 巻 ) の最終巻である本書では, わかりやすい血栓 止血異常の診療 をテーマとした. 近年において血栓 止血領域の理解は目覚ましい進歩を遂げており, またそれに伴って種々の新規薬剤も登場し, きわめて興味深い診療分野となっている. しかしながら一方

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図表 リハビリテーション評価 患 者 年 齢 性 別 病 名 A 9 消化管出血 B C 9 脳梗塞 D D' E 外傷性くも幕下出血 E' 外傷性くも幕下出血 F 左中大脳動脈基始部閉塞 排尿 昼夜 コミュニ ケーション 会話困難 自立 自立 理解困難 理解困難 階段昇降 廊下歩行 トイレ歩行 病

64 血栓性血小板減少性紫斑病 概要 1. 概要血栓性血小板減少性紫斑病 (thrombotic thrombocytopenic purpura:ttp) は 1924 年米国の Eli Moschcowitz によって初めて報告された疾患で 歴史的には1) 消耗性血小板減少 2) 微小血管症性溶

プラザキサ服用上の注意 1. プラザキサは 1 日 2 回内服を守る 自分の判断で服用を中止し ないこと 2. 飲み忘れた場合は 同日中に出来るだけ早く1 回量を服用する 次の服用までに 6 時間以上あけること 3. 服用し忘れた場合でも 2 回量を一度に服用しないこと 4. 鼻血 歯肉出血 皮下出

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ADAMTS13 活性が著減する定型的 TTP として ADAMTS13 遺伝子異常に基づく先天性 TTP( 別名 Upshaw-Schulman 症候群, USS) と ADAMTS13 対する IgG IgA あるいは IgM 型の中和ないし非中和自己抗体による後天性 TTP が知られている こ

困ったときのQ&A

HIT とは Heparin-Induced Thrombocytopenia ( ヘパリン起因性血小板減少症 ) ヘパリン療法のまれな合併症であり 血小板が活性化されることで血小板減少症や 血栓形成促進状態を誘導される病態 デビットソン内科学原著第 1 版医歯薬出版株式会社より一部抜粋

頻度 頻度 播種性血管内凝固 (DIC) での使用 前期 後期 PLT 数 大半が Plt 2.5 万 /ml 以下で使用 使用指針 血小板数が急速に 5 万 /μl 未満へと低下 出血傾向を認

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第四問 : パーキンソン病で問題となる運動障害の症状について 以下の ( 言葉を記入してください ) に当てはまる 症状 特徴 手や足がふるえる パーキンソン病において最初に気づくことの多い症状 筋肉がこわばる( 筋肉が固くなる ) 関節を動かすと 歯車のように カクカク と軋む 全ての動きが遅くな

『保守の比較政治学』

「             」  説明および同意書

診療科 血液内科 ( 専門医取得コース ) 到達目標 血液悪性腫瘍 出血性疾患 凝固異常症の診断から治療管理を含めた血液疾患一般臨床を豊富に経験し 血液専門医取得を目指す 研修日数 週 4 日 6 ヶ月 ~12 ヶ月 期間定員対象評価実技診療知識 1 年若干名専門医取得前の医師業務内容やサマリの確認

一次サンプル採取マニュアル PM 共通 0001 Department of Clinical Laboratory, Kyoto University Hospital その他の検体検査 >> 8C. 遺伝子関連検査受託終了項目 23th May EGFR 遺伝子変異検

目次 Ⅰ. 総論 ( 止血と凝固 線溶機序 ) 1. 血小板による止血機構 2. 抗血小板療法 1 トロンボキサンやプロスタグランジンに関係する薬剤 2 c-amp や Ca イオン濃度に関係する薬剤 3. 凝固機構外因系凝固内因系凝固 4. 凝固阻止機構 5. 線溶機構 6. 線溶阻止機構 7.

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301128_課_薬生薬審発1128第1号_ニボルマブ(遺伝子組換え)製剤の最適使用推進ガイドラインの一部改正について

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My DIARY ベンリスタをご使用の患者さんへ

( 様式甲 5) 学位論文内容の要旨 論文提出者氏名 論文審査担当者 主査 教授 花房俊昭 宮村昌利 副査副査 教授教授 朝 日 通 雄 勝 間 田 敬 弘 副査 教授 森田大 主論文題名 Effects of Acarbose on the Acceleration of Postprandial

汎発性膿疱性乾癬のうちインターロイキン 36 受容体拮抗因子欠損症の病態の解明と治療法の開発について ポイント 厚生労働省の難治性疾患克服事業における臨床調査研究対象疾患 指定難病の 1 つである汎発性膿疱性乾癬のうち 尋常性乾癬を併発しないものはインターロイキン 36 1 受容体拮抗因子欠損症 (


背部痛などがあげられる 詳細な問診が大切で 臨床症状を確認し 高い確率で病気を診断できる 一方 全く症状を伴わない無症候性血尿では 無症候性顕微鏡的血尿は 放置しても問題のないことが多いが 無症候性肉眼的血尿では 重大な病気である可能性がある 特に 50 歳以上の方の場合は 膀胱がんの可能性があり

第5章 体液

53巻6号/TNB06‐10(委員会報告)

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血栓止血誌 18(6) : 550~554,2007 I 屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈屈 1 Overview of thrombosis and hemostasis in clinical medicine * 齋藤英彦 Key words: thrombosis, hemostasis, blood coagulation, platelet, fibrinolysis 興 Point 興 1 出血や血栓は日常臨床上しばしば見られる症状である. 出血は皮膚の紫斑, 鼻出血, 歯肉出血, 外傷からの出血, 消化管出血, 血尿など身体の色々な部位に起こる. また, 血栓は急性心筋梗塞, 脳梗塞, 下肢深部静脈血栓症など生命にかかわる疾患の原因である. 出血と血栓は, 診療科を問わず広く見られる重要な症状 症候である. 臨床血栓止血学 は出血性疾患と血栓性疾患の原因, 病態, 診断, 治療, 予防を研究する学問分野であり, 血液 と 血管 を対象とする. 血管生物学や動脈硬化の研究とも近い関係にある. その特徴は, 基礎科学の研究成果をいち早く臨床へ応用することと臨床各科に横断的である点である. 逆に, 臨床血栓止血学の研究が止血機序や血液流動性維持機構の解明に大きく貢献 した点も特筆すべきである. つまり基礎と臨床が密接に連携して発展してきた分野である. 出血性疾患や血栓性疾患は, 止血機序, 血液凝固機構, 血管内血液流動性機序の異常を原因としているので, 疾患の正しい診断, 治療, 予防のためにはこれらの機序を理解することが前提である. 2 1 止血は血管壁と血液成分 ( 血小板, 血液凝固因子, 線溶因子 ) の複雑な相互作用の結果である. 血管壁が損傷した時に一番初めに起きるのは局所の血管収縮である. これは血流を低下させて失血を抑える働きをするが, 微小血管以外では止血に大きな役割を果たさない. 同時に, 露出した血管内皮の下にあるコラーゲン線維に, 血小板が粘着, 凝集して速やかに血小板 * 名古屋セントラル病院 453-0801 名古屋市中村区太閤 3-7-7 Nagoya Central Hospital 3-7-7, Taiko, Nakamura-ku, Nagoya 453-0801, Japan Tel: 052-452-6683 Fax: 052-452-3190 e-mail: hidehiko.saito@jr-central.co.jp

齋藤英彦 : 臨床血栓止血学オーバービュー 1 止血機構 a VII- VIIa - a vwf a a 2 血液凝固機序 血栓となり傷口を塞ぐ ( 一次止血 ). つぎに血液が組織液と混じることにより組織因子を引き金として血液凝固が起こり, トロンビンが生成する. トロンビンはさらに血小板を凝集させるとともに血小板血栓を包むように強固なフィビリン網を作り血栓を補強する ( 二次止血 ). 一方, 活性化した血小板表面には血小板第 3 因子 (PF3) が発現して凝固反応の場を提供する. このように血小板と凝固とは共同して止血を促進する. 時間とともに血管壁が修復されると, 線溶により止血栓は溶解除去されてもとの正常な血管壁にもどる. 3 正常な血小板は正常な血管内皮細胞に粘着したりお互いに凝集したりすることはなく血中を循環する. しかし, 傷害により露出した内皮下のコラーゲン線維や動脈硬化巣などに接触すると, 膜表面の糖蛋白 (GP Ib/IX など ) がフォンヴィルブランド因子 (vwf) を介して結合する. 結合により情報が細胞内に伝達されて, 血小板は活性化され次には GP IIb/IIa を介してフィブリノゲンを 糊 として血小板同士が粘着 ( つまり凝集 ) する. 血小板の粘着 凝集には膜表面の各種の GP がレセプターとして大きな役割を果たし, それに対する抗体は抗血栓薬

日本血栓止血学会誌第 18 巻第 6 号 V, PS APC PC NO t-pa PCC, PSS, APCC 3 血液流動性維持機構 として臨床応用されている. 4 2 凝固は, 血中の凝固因子が連鎖的に反応して可溶性のフィブリノゲンを不溶性のフィブリンに転換する反応である. 昔, 凝固反応は複雑で理解しにくいと敬遠されたが, 現在の細胞内情報伝達経路や免疫反応に比べればはるかに簡単である. 凝固因子にはローマ数字の番号がつけられている. 多くの因子 (XI, X, IX, VII, プロトロンビン ) はセリンプロテアーゼの前駆体として血中に存在し, いったん活性化されると酵素として次の因子 ( 基質 ) を活性化して反応は連鎖的に進む. 最初の刺激が小さくても各ステップで増幅されて爆発的に大量にトロンビンを生成する仕組みである. 反応にはカルシウムイオンを必要とする. 活性化された因子はローマ数字の右下に小文字の a(activation) をつけて表現する ( 例 : 活性化 X 因子 =Xa). また一部の因子 (V, VIII, 組織因子 ) には酵素作用はなく補助因子として働く. プロトロンビン,VII, IX, X の 4 因子は肝臓において産生される時にビタミン K を必要とするために, ビタミン K 依存性因子と呼ばれる. 生体内における凝固の引き金は血液が組織液と混ざることである. 組織因子は血液と接する組織や細胞 ( 血管内皮, 心内膜, 血球 ) には存在せず, 血管外膜, 心筋, 脳, 消化管粘膜に豊富にある.VII 因子は組織因子と複合体を作ると活性化される. 次いで VIIa- 組織因子複合体は X 因子と IX 因子を活性化して Xa および IXa 因子とする. さらに VIII 因子の存在下で IXa は X 因子を活性化して大量の Xa を作る. なお VIII 因子は血中で vwf と複合体の型で存在するが,vWF は VIII を安定化する作用を持つ. 次に Xa は V 因子の存在下でプロトロンビンをトロンビンとする. トロンビンはフィブリノーゲンをフィブリンに転換する. 最後にフィブリンは XIII 因子の働きにより架橋されて安定化フィブリン ( 強固なフィブリン ) 網となる. なおトロンビンは XI 因子をフィードバック活性化し,XIa による IX 因子の活性化を促進する. 一方, 血液を組織液が混ざらないように採血してもガラス試験管に入れると凝固する. この時には XII 因子, プレカリクレイン, 高分子キニノーゲンがガラス面と相互作用して凝固が始まり, 組織因子なしに凝固する. しかしこれらの先天性欠乏症では出血傾向が全く認められないために, この経路 ( 内因系 ) は止血反応には殆

齋藤英彦 : 臨床血栓止血学オーバービュー 1 出血性疾患の成因による分類 1. 血管壁の異常単純性紫斑, 老人性紫斑, アレルギー性紫斑病,Schönlein-Henoch 紫斑病, ステロイド紫斑病,Cushing 症候群,Ehlers-Danlos 症候群など 2. 血小板の異常 a. 減少症 : 特発性血小板減少性紫斑病 (ITP), 薬剤性血小板減少症, 血栓性血小板減少性紫斑病 (TTP), 急性白血病,MDS, 再生不良性貧血,SLE など b. 機能異常 : 薬剤性血小板機能異常症, 多発性骨髄腫, 尿毒症, 血小板無力症,Bernard-Soulier 症候群など 3. 血液凝固の異常ビタミン K 欠乏症, 抗凝固薬服用, 血友病 A, 血友病 B,von Willebrand 病その他の先天性凝固因子欠乏症など 4. 線溶の異常前立腺手術,t-PA やウロキナーゼの投与, 先天性 α2- プラスミンインヒビター欠乏症, 先天性 PAI-1 欠乏症など 5. 複合異常肝疾患,DIC など 2 血栓性疾患の危険因子 1. 先天性危険因子アンチトロンビン欠乏症, プロテイン C 欠乏症, プロテイン S 欠乏症,Factor V Leiden, など 2. 後天性危険因子癌, 外科手術後, 長期臥床, 妊娠, 経口避妊薬, エコノミークラス症候群など ど関与しないと思われる. 5 正常の血管内で血液が流動性を保つのは, 血流, 血管内皮細胞の抗血栓性 ( 3), 線溶のためである. トロンビンは, 主としてアンチトロンビンおよびプロテイン C-トロンボモジュリンの二つの系により不活性化される. 前者のトロンビンのアンチトロンビンによる結合 中和は単純であるが, 後者は複雑である. トロンビンは血管内皮上のトロンボモジュリンと結合すると単に中和されるのみならず, トロンビン-トロンボモジュリン複合体は血中のプロテイン C を活性化する. 活性化プロテイン C は次に凝固 V, VIII 因子を選択的に不活性化する. この反応にプロテイン S が必須である.V, VIII 因子はトロンビン生成に必要な因子であるので, トロンビンは自分で自分の首を絞めることになる. 一種の negative feedback 機構である. また, 血管内皮細胞は,NO, プロスタサイクリン,t-PA( 組織プラスミノゲンアクチベーター ) を産生 分泌することにより血管拡張, 血小板凝集抑制, 線溶亢進をもたらして血液流動性を維持する. 6 1 2 止血機構の破綻による出血性疾患と血液流動性維持機構の障害を原因とする血栓性疾患がある. 出血性疾患 ( 1) は, 止血機構の何処に異常があるかにより,1) 血管壁の異常,2) 血小板の異常,3) 血液凝固の異常,4) 線溶の異常, と 5) 複合異常の 5 つに分けられる. それぞれに先天性と後天性の疾患があるが, 頻度は後者が圧倒的に多い. 血栓性疾患 ( 静脈血栓症, 動脈血栓症 ) には, 先天性と後天性の危険因子がある ( 2). 血栓症は複合要因により起こることが多いので,

日本血栓止血学会誌第 18 巻第 6 号 先天性の場合にも何らかの後天性 ( 環境 ) 要因が加わって発症するのが普通である. 稀な先天性血栓性疾患の代表はアンチトロンビン, プロテイン C など生理的抗凝固因子の欠乏や V 因子の異常 (Factor V Leiden) であり, 深部静脈血栓症を起こす. 後天性危険因子には, 癌, 妊娠, 経口避妊薬, 手術後の臥床, 長時間の飛行機旅行 ( エコノミークラス症候群 ) などがあり, 下肢静脈血栓症の頻度ははるかに多い. このように臨床血栓止血学の対象疾患は, 内科, 外科, 産婦人科, 整形外科など多岐にわたる. 7 歴史的には, 血友病を始めとする出血性疾患の成因, 診断, 治療の研究が 20 世紀になり盛んとなり, その後 20 世紀の後半になって血栓性疾患の研究が始まった. 生活習慣病としての血栓症の重要性は悪性腫瘍と並び今後益々大きくなることが予想される. 8 臨床血栓止血学は基礎研究の成果を基盤として各診療科にまたがる疾患を対象とする大変に興味のある分野である.