ことをはたと思い出します クリスマスは キリストのミサです ミサは礼拝することですが 具体的 にはイエス キリストがご降誕されたことを記念して この方を礼拝します 1A 肉体を取られる神先ほど読んだ箇所は 紀元前 734 年から ユダにアハズという王がいた時に 預言者イザヤに与えられた数々の預言の中

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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

人には 非日常性が必要です いつもの生活ではなく これは見たことがない 聞いたことがないという意外性 あるいは奇跡と言ってよいでしょう いつも自分のできること していること中で生きているならば 虚しさが残り 死に至ります しかし これまで経験しなかったこと 知り得ないことを知れば そこに命があり 希

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

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2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

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* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

創世記5 創世記2章4節b~25

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

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2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

Taro-プレミアム第66号PDF.jtd

牧会の祈り

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

牧会の祈り

ヘブル人への手紙1章

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

な声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った ここに上れ この後 必ず起こる事をあなたに示そう (1) ヨハネは 7 つの教会への手紙の啓示を聞いた後 天の御座の幻を見た 1 その後 私は見た とは 時間の流れを示す言葉である (2) 招きの言葉がかかった 1 一つの開いた門があった * ヨ

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

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Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

PowerPoint プレゼンテーション

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

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2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

幸せに見せているようで幸せではない いや その見せているところが表面的で 偽善的であるた め 心の底では全く幸せではないことに気づき 落ち込んでしまうということですね 1B 神の子 救い主を豪語する独裁者 1-5 これは イエスがお生まれになった時の状況でもそうでありました 1 4 節を読んでみまし

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

のはよいものの 何か別のことを行なっているようで結局 同じところに行き着くことがあります 思い出すと 私は高校生の時に勉強に行き詰まりました それで落ち込むことが多くなったのですが 主の憐れみで 推薦入試で 大学に早めに入学できたのです それで私は思いました これで やり直そう 大学生になったのだか

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

牧会の祈り

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05


(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

的な考えが DNA のように組み込まれています しかし その可能性をいっさい排除するのが このヨブ記であります ヨブは 潔白で正しく 神を恐れ 悪から遠ざかっていた (1 節 ) とあります 彼は大富豪だったのですが しかし 息子や娘たちが祝宴を行って その一日の終わりに 一人一人のために動物のいけ

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

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聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

Microsoft Word Japanese.doc

ることができない信仰の弱い者 もう言葉にならないようなうめきや渇きや絶望を心に抱えている それで苦しんでいる そこで倒れようとしている そういう者のそばに すっと入ってきてくださって 今隣に座っていい? と やさしく 具体的に 一緒に座ってくださって 私に寄りかかってきなよ と 私に頼っていいよ と

何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

たと聞いて 一緒に集まった 22:35 そして彼らのうちの一人の律法の専門家がイエスを試そうと尋ねた 私が救われるためにどうしたらいいの 教えて -- そういう気持ちがなかったんです 22:36 先生 これも偽善的な態度でした 先生と言う時 結局教えてください どうしたらいいの 知らせて けれどそう

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は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

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Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

03 Ⅱ-1 配偶者等からの暴力に関する認知度

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

付録 C の 1 Page 1 of 9 10/26/2003 付録 C クリスチャン ギリシア語聖書における Kyrios 新世界訳聖書は ギリシア語 Kyrios( ) をさまざ

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6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

Rev 11:19 それから 天にある 神の神殿が開かれた 神殿の中に 契約の箱が見えた また いなずま 声 雷鳴 地震が起こり 大きな雹が降った 1これは 鉢の裁きが始まる前の天の神殿の状況描写である 2 默 15:1 は それを引き継いでいる (2) 天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た 1

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Taro-クリスマス礼拝メッセージ

Taro-小学校第5学年国語科「ゆる

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牧会の祈り

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

この預言によると メシヤ つまりイエス キリストは ダビデの王座に着き 裁きと正義によってこの王国を治めて確立します ダビデの王座は地上のものでした 地上における過去と未来のあるものでした この預言はまだ成就されていません 2. イザヤ書 11: :1 エッサイの根株から新芽が生え

Transcription:

イザヤ書 9 章 6-7 節 思いを超えた助言 1A 肉体を取られる神 2A 肩にある主権 1B 不思議な助言者 2B 力ある神 3B 永遠の父 4B 平和の君 3A 平和の統治 本文 私たちは クリスマスを預言したイザヤの言葉を読みたいと思います 6 ひとりのみどりごが 私たちのために生まれる ひとりの男の子が 私たちに与えられる 主権はその肩にあり その名は 不思議な助言者 力ある神 永遠の父 平和の君 と呼ばれる 7 その主権は増し加わり その平和は限りなく ダビデの王座に着いて その王国を治め さばきと正義によってこれを堅く立て これをささえる 今より とこしえまで 万軍の主の熱心がこれを成し遂げる 私たちは クリスマスの時期に近づきますと 礼拝に通っているクリスチャンが1パーセント未満と言われているこの日本でも 主イエス キリストの降誕をほめたたえる讃美歌があちらこちらから聞こえてきます 教会の外に出れば これまでは全くイエス キリストとは無縁の日常世界が広がっていてもこの時期だけは どこでもイエス様をほめたたえているという不思議な感覚に襲われます そして 不思議にこの時期には人々の心が少しだけ寛容になります 誰かに何かをしたい とか 非日常の出来事があってもそれを快く受け止める心の広さがあるような気がします 私たちは 対立の時代に生きています 国と国の対立 民族と民族の対立もあれば 家族における対立 職場の中での対立など これまで仲間だと思っていた者たちの間での分裂があります このような緊張の中に生きていると 人々の心がすさんできます 閉塞的になります 多くの人が自分の世界の中にこもっていきます そして 必要がないのに心を忙しくさせ 駆り立てられるようにして生きています その日常に 非日常が入ってくることがあります 例えば 人の死があります 時に人の死は癒しをもたらし 平和をもたらします なぜなら 人の命や死という根源的な部分 私たちが生きていることそのものに直面する時に 私たちが持っている違いや対立がそれほど大事なものではないことを知るからです けれども 人の誕生も同じ効果があります その赤ん坊を見る時に 私たちは自分が置き去りにしていた大切なこと 価値ある 1

ことをはたと思い出します クリスマスは キリストのミサです ミサは礼拝することですが 具体的 にはイエス キリストがご降誕されたことを記念して この方を礼拝します 1A 肉体を取られる神先ほど読んだ箇所は 紀元前 734 年から ユダにアハズという王がいた時に 預言者イザヤに与えられた数々の預言の中の一つです 時は アッシリヤという大国がパレスチナの地域にどんどん勢力を増していった時のことです これまでこの地域にある諸国が対立していたところ メソポタミヤ地方からのこの巨大な国に対抗するため 軍事的な連合を組む動きが起こってきて騒がしくなってきました そして 北イスラエルとシリヤが連合しました そして南のユダをも一つにして戦おうとしたのです そこで北イスラエルとシリヤは ユダを攻めに行きました そして また攻めようとしていたところ 預言者イザヤがアハズのところに行き 自分の幼い男の子を連れて行って そのようなことは起こらない 神が共におられるからだ と預言しました そしてイザヤは 正義と平和をもって世界を治め このような国々の争いをやめさせる王がダビデの王座から現れると預言したのです 主みずから あなたがたに一つのしるしを与える 見よ 処女がみごもっている そして男の子を産み その名を インマヌエル と名づける (7:14) インマヌエルとは 神が共におられるという意味です 神が共におられることを表すために 男と女の夫婦の関係 性行為によって生まれる子ではなく 処女から生まれると宣言しました 赤ん坊なのですが その子は神ご自身による子であり 神ご自身であられます その子を見る時 確かに人の子なのですが 神の御子でもあられるのです そしてイザヤは改めて この偉大な約束を告げます それが今読んだ 9 章 6 7 節でした 6 節を見てください ひとりのみどりごが 私たちのために生まれる ひとりの男の子が 私たちに与えられる ひとりの嬰児 小さな赤ちゃんです けれども この方は神の御子として与えられます ここで 男の子 と訳されていますが 単に 子 と訳せばよいでしょう 独り子が 私たちに与えられる と訳しても良い言葉です 次に出てくる名が ことごとく神のみに属する性質が出てきます ひとりの嬰児が 神の御子であるのだというのがここでの預言なのです 天地を創造された神である方が その独り子を人の赤ん坊として私たちに与えられた という意味なのです 2A 肩にある主権ですから 神が人としてお生まれになります そして この方がイスラエルのベツレヘムで生まれ ナザレという村で育ったイエス様であられます だから 私たちにとって 世界にとってイエスこそが平和をもたらす方であられ 私たちに平和と救いをもたらしてくださいます 1B 不思議な助言者 多くの人が 平和 平和と言って叫んでいます けれども 聖書では平和は 自分の権利や主 張を通すのではなくて いっさいの主権がこの方にかかっているのだ ということを認めるところか 2

ら始まります 主権はこの方にあり とあります 自分の意見 自分の経験 自分の主張 自己実 現など すべてが自分の方に主権があるのです いいえ 二千年前にお生まれになったイエスに 神は主権を置かれました この方に自分の主権を移譲する時から 私たちには平和が訪れます いろいろな名でこの方は呼ばれます 一つは 不思議な助言者 です まず 不思議 という言葉に注目しましょう ここのヘブル語 ペレ は 奇しいこと 驚くべきこと という意味です 人の考えに及ばないこと ということです 目が見たことのないもの 耳が聞いたことのないもの そして 人の心に思い浮んだことのないもの 神を愛する者のために 神の備えてくださったものは みなそうである (1コリント 2:9) ですから 不思議という言葉が聖書で使われる時は 人ではなく 神にのみ使われます 考えてみてください この地球と宇宙を造られた方が赤ん坊としてお生まれになり 人の形を取られたことだけでも あまりにも及びもつかないことです 私たちキリスト者は すばらしい知らせをどうにかして伝えたいと願います そこであらゆる知恵を用いて 周囲の人々に分かってもらおうとします けれども 自然には決して受け入れられるものではないのです あまりにも私たちの思いを超えたものであり 主の慈しみによる働きかけがなければ 人は決してイエスに近づくことはできません その驚くべき御業をもって私たちに助言されるのが イエス キリストです 英語では ここは ワンダフル カウンセラー Wonderful Counselor となっています すばらしいカウンセラー と英語の聖書を日本語に訳すこともできます 確かに 主はすばらしいカウンセリングをしてくださいます けれども 多くの人は 自分に最善をもたらすこの助言に耳を傾けず 自分に災いをもたらしています 私たちは常に 何らかの助言を受けながら生きています 自分独自の考えで生きていると言っても 実はそれは他の誰かの助言あるいは意見である場合が全てです 詩篇第一篇には 悪者の助言ではなく 主の言葉によって生きる人の姿が描かれています 幸いなことよ 悪者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず あざける者の座に着かなかった その人 まことに その人は主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ その人は 水路のそばに植わった木のようだ 時が来ると実がなり その葉は枯れない その人は 何をしても栄える ( 詩篇 1:1-3) ここの はかりごと というのが カウンセリング 助言のことです 人を駄目にしてしまう助言が世には満ちています その中で 地中に埋まった宝のように知恵を見出すことができたら 幸いです 助言 アドバイス カウンセリングというものを 私たちは 自分の話を聞いてくれる というものに摩りかえています そして自分の考えや感じていることに同意してくれないのであれば そのカウンセラーはどうしようもない人だと言って 去っていきます 助言 神からの助言はいまお話ししましたように 自分の考えを真っ向から否定することもあるのです いや 自分の今までのあり方を 3

正すことなくして どうして平和の道を歩みだすことができるでしょうか? イエス様の助言を読みます わたしはあなたに忠告する 豊かな者となるために 火で精練された金をわたしから買いなさい また あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい また 目が見えるようになるため 目に塗る目薬を買いなさい わたしは 愛する者をしかったり 懲らしめたりする だから 熱心になって 悔い改めなさい ( 黙示 3:18-19) 忠告するという言葉が 助言 カウンセリングです イエス様の助言は 火で精錬された金 自分が裸であることを隠すための白い衣 目が見えるようになるための目薬なのです そして 愛による叱責であり 懲らしめであります そして悔い改めによって平安が与えられます 2B 力ある神そしてこの方は 力ある神 です 指導者を立てて 引きずり降ろすことのできる力をもった神です この天地万物を一瞬にして瓦解させることのできる神です この方が マリヤの胸に抱かれているのです 3B 永遠の父そして なんとこの方が 永遠の父 と呼ばれています イエス様は 何度もご自身と父なる神を同等の方とされました わたしと父とは一つです ( ヨハネ 10:30) そして十字架に付けられる前の夜 弟子ピリポが尋ねました 主よ 私たちに父を見せてください そうすれば満足します イエス様は言われました ピリポ こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに あなたはわたしを知らなかったのですか わたしを見た者は 父を見たのです どうしてあなたは 私たちに父を見せてください と言うのですか ( ヨハネ 14:8,9) イエス様を見たら 父なる神を見たのです この父なる神が 永遠の父 と呼ばれていることに注目してください もし 皆さんの中に次のことがはっきりしたら 次の質問に明確に答えを得ているとしたら 全き平安を得ます 自分が求めている満足 平安 充足 理解 これらのものがすべて与えられます 過去 現在 未来についての質問です 一つは 自分はどこから来たのか であります なぜ 自分は生まれたのか? という問いであります ヨブという人は 私は裸で母の胎から出て来た また 裸で私はかしこに帰ろう (1:21) 私たちは世に誕生してから いろいろな洋服を来ておめかしをして外出するように いろいろなものを身につけて人の前に出ていきます けれども それはありのままの自分ではないのでいつか崩れます 自分がどこから来たのか これを知れば自ずと今 あるものの存在意義が分かります 今 ここに自分がいることの意味がわかります もう一つは 自分はどこに行くのか です これは未来のことです 死んで終わりだと私たちは 思いこんでいます あるいは漠然と 何かどこかの世界に行くのか と思っています けれども は 4

っきりしていないので 何の目的や目標をもって生きていけばよいか分からないのです そしても う一つは なぜ 今 生きているのか? であります 現在の自分です この三つを知るためには 永遠を知らないといけません 神のなさることは すべて時にかなって美しい 神はまた 人の心に永遠への思いを与えられた ( 伝道者 3:11) 今 食べて生きていく動物とは違って 私たち人間には永遠への思いが与えられています 自分が生まれるのは もちろん母親の胎からです けれども 母親が自分を造ったのではありません 誰なのか? それが あなたを造られた神なのです あなたは 神によって造られたのです このことが分かれば すべての理由が与えられます そして世界も神によって造られました 初めに 神は天と地を創造された この世界が神のために存在しているのです そしてもう一つ 死んだ後どうなるのか? そして 人間には 一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように ( ヘブル 9:27) 死んだ後に 必ず裁きがあります 生きている時に行ってきたすべての事柄を清算する時があります 会社で評定という制度があると聞いていますが 人の評定は限界があります 誰にも知られなかったこと その隠れたことをすべて含めて 神の前で裁かれるのです だから この裁きにおける私たちの負い目を担うために キリストが十字架で処罰を受けてくださり それによって神の前に大胆にでていくことができるようにしてくださいました このことが分かれば 自分は神という目標の中で生きることなのだ と分かります これは 世から離れて世捨て人のようになれ ということではありません スポーツ選手にもクリスチャンがいます サッカーなどで ゴールにボールを入れた後に祈りを捧げる人がいるでしょう その人にとって 点数が一番ではないのです 神に栄光を帰することが全てなのです それは 将来 この方から報いを受けることを知っているからです そして今 主が自分を支えていてくださっています わたしに聞け ヤコブの家と イスラエルの家のすべての残りの者よ 胎内にいる時からになわれており 生まれる前から運ばれた者よ あなたがたが年をとっても わたしは同じようにする あなたがたがしらがになっても わたしは背負う わたしはそうしてきたのだ なお わたしは運ぼう わたしは背負って 救い出そう ( イザヤ 46:3-4) 自分が人生という重荷を負って 自分の人生を運んでいく疲れる生活ではなく 背負ってくださり 運んでくださる方がおられます 永遠についての過去 現在 そして未来をはっきりと知れば 今の私は大胆に 私は今 生きています 私は満足し 全き平安をもっています と確信をもって告げることができるのです このことを言わせてくださる方がキリストです 使徒パウロは あなたがたは キリストにあって満ち満ちて ( 完全 ) なのです ( コロサイ 2:10) と言いました 5

4B 平和の君そして最後の呼び名が 平和の君 です 先ほども話したように 私たち人間は平和を求めますが 平和の君を求めようとしません 自分が主権を持ちたいと思っている限り 自分の欲求 自分の願望と 自分の主張だけが前面に出るために平和は来ません 自分の主権を 平和の神に移譲しなければいけないのです 3A 平和の統治そしてイザヤ書 9 章 7 節を読んでください その主権は増し加わり その平和は限りなく ダビデの王座に着いて その王国を治め さばきと正義によってこれを堅く立て これをささえる 限りない平和が この方が世界を治めることによって訪れます 平和について イエス様は対立を避ける形でもたらすことはありません わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません わたしは 平和をもたらすために来たのではなく 剣をもたらすために来たのです ( マタイ 10:34) 剣をもたらす と言っています 私たちが思いつく平和とは まったく異なる形で 驚くような形で与えられます それは 私たちの心にある戦う心 自分を主張し 自分を追及したいその心を切り取る剣として来られます 自分が欲しがるものが与えられないので それを得ようと必死になるその願望を イエス様は取り除かれます 十字架につけられたキリストは 私たちの心を突き刺します そこには 私というもの 自己にある罪の一切が付けられているからです このキリストを仰ぎ見る時に 私たちはただ キリストの前にひれ伏して 自分の心に主となって入ってきてくださることを願うのです そして 自分というのが実は平和を妨げる最大の敵であったことに気づくのです だから真の平和をもたらすために イエス様は剣を持ってこられます そして この世界も悪くなっています イエス様は再び来られます 口からの剣をもってこられますが それは世界が争っている 世界が不正を行っている 世界が神に逆らっているその反逆に終止符を打つために戦われるのです そして ここに書いてあるように恒久の平和を地上にもたらしてくださいます それゆえに 私たちは赤子のイエス様に目を留めるのです 自分というものが前面に出ている 時 この方を眺めて恥ずかしくなるのです 主が与えようとされているのは 私たちがへりくだり 主に自分を変えていただくよう恋願い そして砕かれて 柔和な者とさせていただくことにあります 6