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1 発行所 発行人植村英晴編集人蒲生俊宏 日本社会事業大学社会福祉学会東京都清瀬市竹丘 3 丁目 1 番 30 号日本社会事業大学社会事業研究所内電話 042(496)3050 印刷所株式会社共進電話 03(3331)0950 発行 2009 年 1 月 1 日 会事業研究日本社会事業大学社会福祉学会社八号九社会事業研究第 48 号 十四〇〇社会事業研究 大会テーマ福祉人材養成の軌跡と展望 - 社会福祉学部教育の 50 年 - 巻頭言大会テーマ講演 社大での学び 思い出と社会保障制度研究大会テーマシンポジウム 福祉総合大学を目指す社大の学部教育に期待されるものとは何か 会THE STUDY OF SOCIAL WORK ISSN 二教員研究報告 知的障害関係施設における従事者養成過程と史資料の整理保存のあり方に関する研究 新規開発福祉実践モデルの普及 定着に関するプログラム形成評価法の開発 児童虐待の援助のあり方についての考察 ~ 平成 18 年に死亡した事例の分析をとおして~ 分科会 子ども家庭と支援 障害者と支援 1 社会福祉とコミュニティ 養成 研修 自主企画分科会 1 高齢者と支援 障害者と支援 2 ソーシャルワークとチーム ネットワーク 自主企画分科会 2 ポスター ビデオセッション 大会テーマ投稿論文 学生研究奨励賞受賞論文要約 祉学福学社会業大会事日本社

2 社会事業研究 The Study of Social Work NO. 48 日本社会事業大学 社 会 福 祉 学 会 もくじ Ⅰ 巻頭言 植村英晴 2 Ⅱ 第 47 回社会福祉研究大会報告 1 大会テーマ講演 社大での学び 思い出と社会保障制度研究 田多英範氏 4 2 大会テーマシンポジウム 福祉総合大学を目指す社大の学部教育に期待されるものとは何か シンポジスト 佐藤与志夫氏 渡邊豊氏 長谷川洋昭氏 司 会 阿部實 19 3 教員研究報告 3 1 知的障害関係施設における従事者養成過程と史資料の整理保存のあり方に関する研究 蒲生俊宏 37 3 2 新規開発福祉実践モデルの普及 定着に関するプログラム形成評価法の開発 大島巌 42 3 3 児童虐待の援助のあり方についての考察 平成 18 年に死亡した事例の分析をとおして 宮島清 46 4 分科会 4 1 子ども家庭と支援 山﨑佐季子 末道大作 小山菜生子 松岡是伸 53 4 2 障害者と支援① 松谷直美 比留間有紀子 森地徹 村岡美幸 川村博文 64 4 3 社会福祉とコミュニティ 乗松央 麓正博 宮秋道男 84 4 4 養成 研修 金井直子 菱沼幹男 高木剛 97 4 5 自主企画分科会① 稲葉宏 108 4 6 高齢者と支援 長谷部雅美 三輪秀民 111 4 7 障害者と支援② 吉田滋 大曽根邦彦 118 4 8 ソーシャルワークとチーム ネットワーク 綱きみ子 木戸宜子 梨本しげみ 大櫛重光 125 4 9 ポスター ビデオセッション 城戸裕子 加藤純 稲葉宏 128 4 10 自主企画分科会② 佐藤久夫ゼミ企画 147 Ⅲ 大会テーマ投稿論文 Ⅲ 1 福祉人材養成と福祉の心 谷川和昭 Ⅲ 2 障害者自立支援法をめぐる議論と経済政策との関連性についての考察 高阪悌雄 Ⅲ 3 児童養護専門職養成に関する一考察 保育士 児童指導員のこれから 中島健一朗 Ⅲ 4 虐待を受けた高齢者夫婦と養護者 その親族 への支援 服部安子 Ⅲ 5 社会主事 笠島角次郎の軌跡 佐竹要平 Ⅲ 6 がん患者の就労 雇用支援に関する提言 病とともに歩む人が 自分らしく生きていくために 桜井なおみ 市川和男 後藤悌 清水美宏 村主正枝 柳澤昭浩 山本尚子 Ⅳ 2008 年度学生研究奨励賞受賞論文要約 宮下穣 山上枝里子 190 Ⅴ 2008 年度日本社会事業大学社会福祉学会 木田 賞受賞者 学生研究奨励賞受賞者 196 Ⅵ 日本社会事業大学社会福祉学会事業報告 2008 年総会資料 197 第 47 回社会福祉研究大会プログラム 207 地方集会 215

3 巻頭言 ソーシャルワークの理論化 体系化に向けて 日本社会事業大学社会福祉学会会長日本社会事業大学社会事業研究所所長 植村英晴 日本社会事業大学社会福祉学会は 日本社会事業大学の学部 大学院生 卒業生 および日本社会事業大学を囲む地域福祉連絡会等の環稀有する皆様方の研究 実践の交流を目的に創設され 今回で第 47 回を迎えました 本年は 50 年前に日本社会事業大学が 2 年生の短期大学から 4 年制大学と移行した記念すべき年であり 福祉人材養成の軌跡と展望 社会福祉教育の 50 年 を大会テーマとしました 短大から 4 年制大学への移行は さまざまな方の支援協力があって実現いたしました 日本社会事業大学 50 年史に検討 論議された様子を見ますと 1957 年 ( 昭和 32 年 )7 月に出された 日本社会事業短期大学 4 年制昇格及び拡充案 に 4 年制大学必要性を次の3 点にまとめられています 1 現在社会事業の各分野の指導者は概ね旧大学程度の教養を持つものが多い 将来これらの人々の最小限の後継者だけに問題を限ってみても その必要数はきわめて多数に上り この補充を偶然の機会に求めることは出来ない 2 現在公私社会事業に生じつつある幾多の難題を解決し 本事業を向上させるためには 単に若く勝つ安価な 直ぐ間に合う人を養成するのではなく 日常の仕事の中に本事業の科学化 合理化の方策を自ら研究 工夫し得る人を供給する必要がある 3 現在他の若干の総合大学には社会福祉学科があるので 特に単科大学を新設する必要がないように思われるが 何れも多くの難点があって 必ずしも社会事業の専門教育に最適のものと称しがたく 結局 単科大学が必要となる 現在の学生にとっては 社会事業よりもソーシャルワークのほうがなじみやすいと思われますが ソーシャルワークの科学化 合理化の方策を自ら研究工夫する人を供給する必要があるというのは現在も重要な課題です このような報告が50 年前になされていたことは 日本社会事業大学の先見性 先導性を示すものと思われます また 日本社会事業大学 50 年史には 木田先生がその推進役を担われたと記載されています なお 皆様もご存知かと思いますが 日本社会事業大学社会福祉学会木田賞および学生研究奨励

4 賞は 木田先生のご遺族の寄付による資金などを原資として昭和 36 年に始まり 本年で44 回目となっております そして 本年を含めて 83 人が木田賞 43 人の学生及び 4 グループが学生研究奨励賞を贈呈されています 木田先生の本大学への貢献に対しまして改めて謝意を表したいと思います 現在 社会福祉の分野は 診療報酬 薬価低き下げ 介護報酬の引き下げ 給付抑制 後期高齢者医療制度 障害者自立支援法の施行等困難な課題に直面しています これらの課題については 根拠に基づいたデータを用意し 提案論議をしていく必要があります 社会福祉は 実践無くしては成り立ちません 本研究大会を通して 日頃の実践や研究の成果が発表され 論議され 具体的な提案となって実を結ぶことを期待いたします また 学会参加の皆様方が 社会福祉研究 実践の推進に尽力されますとともに 日本社会事業大学社会福祉学会の更なる発展を祈念いたします なお 社会福祉学部教育の50 年を記念する第 47 回社会福祉研究大会において 熊本県知事として また 本学卒業として社会福祉の発展に多大な貢献をいただいた潮谷義子さんに名誉博士号が贈呈されました 中心よりお祝い申し上げますとともに 今後のますますのご活躍を祈念いたします

5 大会テーマ講演 社大での学び 思い出と社会保障制度研究 流通経済大学 経済学部経済学科 教授 経済学部長 学部 1965 年卒 田 多 英 範 氏 ご紹介をいただきました流通経済大学の田多で ジュメをご用意いたしました Ⅱ部になりました す 第5期生です 今日は輝かしい伝統をもったこ らこれをご覧いただきながら僕の話をお聞きいた の学内学会にお招きいただき ほんとにありがと だきたいと思います うございました 蒲生さん 数間さん あるいは 僕を推薦してくださった方をはじめ関係者のみな Ⅰ 社大での学び 思い出 さんに感謝申し上げます 最初の電話の時に80分時間をやるから何か話な いかといわれ 考えました 考えてみましたら 僕 1 社大への入学 社大での学び ①入学 に話せることは1つしかありませんでした 社会保 まずは入学のことです 障制度に関することのみでした そこで正直に社 僕は 1942 年に中国の山西省大同で生まれまし 会保障制度についてだったら少し話せるが 社会 た 中国3大石窟の1つである雲崗の石窟があると 福祉制度や社大の学部教育等についてはまったく ころです 石炭でも有名です 終戦とともに父の 話せないのですが それよいですか と蒲生さん 故郷である九州大分県の山村に戻ってきました に伺いますと それでよい 社大での学び 思い そこで高校まで過ごしました 県立竹田高校を 出と社会保障制度研究 というタイトルではどう 安保闘争で騒然としていた 1960 年に卒業して 1 ですか と再提案されました それなら という 年浪人して社大に入学しました なぜ社大を選択 ことで喜んでお引き受けしたという次第です したかを考えてみますと 授業料が低かったこと そこで 早速本題に入ります 今日は大会の案 と父との関連が大きいように思います 社大は厚 内にも書きましたように 大きく2つのことをお話 生省立といわれていた私立大学でしたので 授業 しするつもりです 最初のⅠ部は 社大での学び 料は国立と同額でした それが非常に魅力的で 思い出 です これはさらに 3 つに分け 1 つは社 あったことはいうまでもありません また 父は 大への入学と思い出 2 つめは社大卒業後 3 つめ 1951年に社会福祉主事として福祉事務所に勤める が流通経済大学での研究 教育についてを軸にお ようになりました 母に聞きますと 51 年の 2 月 話ししたいと思っています ただし まさに思い に試験があってこれに合格したのだそうです 新 出話ですから レジュメは用意しておりません も 生活保護法が施行されたのが 1950 年の 5 月で 社 うひとつのⅡ部は 社会保障制度とは何かについ 会福祉事業法が施行されたのが 1951 年 6 月ですか て僕が今まで考えてきたことを まず理論史風に ら ちょうどその中間の時期です 多分 父は社 捉え 次にそれを前提に日本でその社会保障制度 会福祉主事として現任訓練を受け 仲村優一先生 がいつ頃どのようにして創られてきたか をやや などのお名前を存じ上げていて 社大のことを 具体的にお話ししたいと思っています これはレ 知っていたのではないかと思います その父の影 4

6 響で僕も地方公務員 社会福祉主事になることを漠然と想像して社大を選択したように思います 1961 年に日本社会事業大学社会福祉学部に入学し 65 年に卒業しました 同期生は100 人ほどでした 入学と同時に文京区の原町 ( いまは千石町 ) にありました社大の寮に入りました ご存じのように 当時社大は原宿にありましたので 巣鴨の寮から大学に通っていました 寮のことはよく覚えていますが キャンパスに関してはあまり行かなかった教室よりよく通ったグランドの方を覚えています こう見えましても僕は大学の野球部に所属し そのグランドで野球をしていたからです 決してうまくはなかったし うまくなろうという意欲もなく 遊びのつもりでやっていました 走るのも遅いし 守備はおそらく一番下手だったでしょう ですから 1 塁手です でも打つのは平均くらいにはありましたので 打順は2 番か3 番でした 左ききの僕が打った球はグランドのとなりの神宮中学校の校庭にしばしば塀越えをして入っていました 日大獣医学部や国際基督教大学とリーグを作っていました 残念ながら 自慢できるような活躍をしたという記憶はまったくありません 2 寮生活のこと次いで寮のことです 野球を除けば僕にとって社大の生活とはほぼ即寮生活のことでした その寮はいまの東洋大学のすぐ近くにありました 個室というものはなく 2 人から 4 人 6 人部屋になっていました 寮に入るや麻雀を覚え 昼間は寝ていて夕方におき 夜中に活躍するという生活を続けました お陰で麻雀には習熟しまして 当時はほとんどすべてのパイを指で触るだけで何のパイだか分かっていました 麻雀をしていた部屋は静養室でした 2 階の 玄関からみて一番奥まったところにありました その静養室の真ん前が8 号室でした その8 号室にある人がいました やせっぽで真っ黒なふさふさとした髪の毛を真ん中で分けた いかにも秀才然とした先輩がいたのです その彼が当時寮長でもあったのですが われわれの麻雀に対して寛容でなく 寮生大会で麻雀は何時以降禁止という規則 を提案したりしたと思います 僕らはそんなことは無視して麻雀を続けていました 麻雀に厳しかったその髪ふさふさの やせぽっちの青白き秀才が日本社会福祉学会の現会長の古川孝順さんでした このときから彼との長いつきあいが始まりました その寮には潮谷愛一さんという先輩もいました いつもにこにこしていてほんとに優しい人でした 僕らが入学したときにはすでに有名なカップルとなっていました そのお相手が熊本県知事をされた潮谷義子さんです 今回の大会で名誉博士号を授与されるようですね おめでたいことです 当時は南里さんといっていました 有名な美男美女のカップルでした その後おふたりは結婚して別府の施設で働いており 僕は夏休みのような長期休暇で帰郷する度にお宅にお邪魔していました それから何年かして彼の方がアメリカに留学します その時義子さんは大分県の職員となりました 大分県の職員になった頃義子さんはじつは僕の家から県庁に通っていたのです どのような経緯でそうなったのかいまではまったく記憶がありませんが 当時僕の家は大分市にあり 母と妹の 2 人だけで住んでいましたので 下宿してもらったのです 今日もしかしたらその潮谷さんにお会いできるかもしれない と期待してやってきました 寮生活で知り合ったその他の人等についても話してみたいことはいっぱいありますが 時間がありませんので省略します このように僕は寮生活しか知りませんので 当時大学で活躍していたであろう 大橋謙策さん 学長の学生時代についてはまったく知りません 触れたいのですが 残念ながら材料をまったく持ち合わせておりません 3 社大での勉強 3 番目にやっと社大での勉強のことです 社大の先生たちは木田徹郎先生 吉田久一先生 小川政亮先生 五味百合子先生 仲村優一先生 竹中和郎先生等多士済々でした 2 年生の後半になると これまでの寮生活を反省し これからのことを考えるようになりました

7 少し勉強しなければという思いが強くなったのです そこで 最もきつい勉強をさせるゼミだ と学生の間で評判の高かった副田義也先生のゼミを選びました 副田先生は大学院の修士課程を終えたばかりでしたので まだ 20 歳台後半で 若さに満ちあふれていました それからは副田先生の下で 副田ゼミと先生が主催していた研究会 社会構造研究会でそれなりに勉強しました この研究会には先輩の横山和彦さんや もう亡くなりましたが筑波大学に勤めていた吉田恭爾君 家政大学の本間真宏君等がいました 僕が研究者の道を歩むようになったのは この副田先生の影響だといっても過言ではありません 副田先生にはいまでもご厚誼をいただいています 昨年 内務省の社会史 という 4,500 ページもの研究書を東大出版会から出版されました 73 歳でですよ すごいですね 僕も先生の爪の垢でも煎じて飲んで もう少し勉強を頑張ってみようかと思っています 2 社大卒業後社大卒業後についての話に変わります 1 大学院そのうち 4 年生になりました 社会事業を理解するには経済学の勉強をしなければならないのではないか と漠然と考え 当時経済学を教えに社大に来られていた三潴先生を頼って東京教育大学に学士入学しました ここで学部 3 年生からやり直し そのまま大学院に行き経済学の勉強をしました 教育大学には学部 2 年 修士課程 2 年 博士課程 6 年と計 10 年間通いましたから社大よりはこちらの方がずっと長かったです でも教育大卒という感じはありません 帰属意識はむしろ20 歳前後の時の社大にあります しかし 学問的にはここで徹底的に教え込まれました 美濃部亮吉 大島清 三潴信邦 暉崚衆三 長坂聡 榎本正敏といった錚々たる先生たちから 経済学的なものの見方 考え方等を教授していただきました 社会保障制度や福祉国家に対するいまの僕の理解 考え方はほとんどこの時期 に培われたものだと思っています 振り返ってみますと 僕は社大の時 教育大の時をつうじてじつによい教育を受けたと感謝しています 社大を選び 教育大を選択したことを後悔することはまったくありません 2 就職このように非常によい教育を受けながら 研究職への就職はなかなか決まりませんでした ですから博士課程を裏表 6 年もやったのです そこで就職のチャンスを広げるために福祉系大学にも応募できるように とまことに邪な考えで はじめて社会保障 社会福祉に関わる論文を書きました それが 戦後社会福祉理論の検討ー孝橋正一 社会事業の基本問題 批判ー という論文でした 1976 年 3 月の日本社会事業大学社会福祉学会編 社会事業研究 第 15 号に載せてもらいました これは僕にとって大きな事件でした それだけに 社会事業研究 という雑誌には親近感を覚えています 論文は孝橋さんご自身にもお送りしました きちんとはがきでお返事をいただきました 後生大事にもっていたのですが いまは紛失してしまい ありません 厳しいお叱りを受けるのかと思っていましたら 孝橋さんご自身からはむしろやさしい励ましの言葉をいただき 感激したように記憶しています しかし 孝橋さんのまわりの方からは田多はマルクスの窮乏化論を知らない と激しくやられました 日本福祉大学の宮田和明さん (1977 年 ) 大阪社会事業短大の佐武弘章さん (1978 年 ) 同志社大学の三塚武男さん (1979 年 ) から反批判されました これらの反批判に応えて書いたのが 社会福祉論の方法 という論文でした これは吉田久一先生の退職記念論文集 社会福祉の形成と課題 ( 川島書店 1981 年 ) の中の 1 論文です 論争はこれだけでは収まりませんでした 次いで 当時孝橋さんが所属していた東洋大学での教え子中里操夫さんたちから批判されました これは 考橋編 現代社会福祉政策論 ( ミネルヴァ書房 1982 年 ) の第 4 章で 4 万字を超える本格的なものでした これらに対してさらに鉄道弘済会の 社会福祉研

8 究 第 33 号 (1983 年 ) に 孝橋一般論的社会事業論の根本問題 を載せ 応戦しました 論争のお相手をしてくださったいずれの方にも直接お会いしたことはありません 宮田さんはいま日本福祉大学の学長をやられているようですね 今度 9 月に第 4 回目の日中韓社会保障国際会議を日本福祉大学で開催し 彼にご挨拶をいただくことになっていますので そこでお会いすることになると思います その時孝橋批判の昔話が出てくるのでしょうか このように社会保障 社会福祉に関する僕の処女作は 僕自身の予想にまったく反して結構華々しい論争という形をとることになってしまいました でも 就職は全然うまくいきませんでした 3 社大と流経大の公募そこで次いで就職の話です あるとき社大で経済学の教員を募集していることを先輩の横山和彦さんから聞きました 僕は一も二もなく応募しました 何人かの応募者がいたようですが 最後の2 人に残ったと聞いています その時いうまでもなく 最後の 1 人になることを強く期待していました しかし最終的に社大の教員になったのは残念ながら僕ではなく 後に学長になられた京極高宣さんでした ということは その時京極さんではなく僕が残っていたら あるいは田多学長なんていうことがあったかもしれない ということでしょうかね また その頃非常勤講師をしていた流通経済大学に専任教員の公募がありましたのでやはり応募したのですが これも駄目でした 落とされたにもかかわらずその翌年も 経済的なそして何よりも精神的な安定のために流通経済大学で非常勤を続けていました そういう僕を当時の学長がみていて 公募人事で落とされたにもかかわらず本学のためにきてくれている ありがたいことだと解釈してくれ あれを採ろうじゃないか といってくれたそうです そのお陰で翌年の1978 年に晴れて専任教員となれました 何が幸いするか分かりませんね まさに人間万事 塞翁が馬という感じです 僕は公募人事で最終の 1 人に選ばれて採用されたという経験を残念ながら一度ももっていないのです そういう意味で僕は僕を拾ってくれた流通経済大学には足を向けて寝られないくらいに大きな恩義を感じています 4 社会福祉理論研究会 社会保障研究会次は 1 人前の研究者になってから感じた教育と研究について触れてみます 研究は個人でやるものだといういわれ方をしてきましたが 僕は必ずしもそうは思いません 個人の力は限られているから研究会を通して耳学問もしながら自分の研究を高めていくのが現在ではいいのではないか と思います そういう意味で研究会は研究者にとっては重要なものだと思っています その研究会のことを少しお話しします 社会事業研究 の論文の後 古川さんが書かないかといって誘ってくれた有斐閣の 社会福祉の歴史 ( 昭和恐慌と社会事業立法 1977 年 ) 等が縁となって一度切れていた社大の人たちとの関係が復活しました この復活をきっかけとして 1979 年に横山和彦さんと古川孝順さんと僕の 3 人で社会福祉理論研究会を立ち上げました 原宿の社大が会場でした 玄関正面の階段を上ってつき当りの 2 階の 1 室でした 月 1 回の頻度で 夏や春には合宿もやりました 多くの人が参加しました この研究会は 社大が清瀬に移転した後は東京都老人総合研究所 国士舘大学等々ジプシーのように転々としていましたが 15 年くらい前からは早稲田大学を固定会場としていまでも続いておりまして 北海道や大阪からも来てくれる人がいますが 主としては首都圏の主要大学から研究者が集まってくれています 現在出席者は常時 2,30 人くらいですが 登録メンバーは 70 名を超えています もしかしたら関東地域では最大の研究会かもしれません 本学の北場先生も同研究会の主要メンバーですが 彼とのつながりもじつはこの研究会を通してのものでした 研究会のメンバーに社会保険庁の村上貴美子さんがいました 1981,2 年頃に厚生省 50 年史を作るので手伝って欲しいといわれまし

9 た その50 年史編纂室の室長が北場さんだったのですが 僕らを北場さんに紹介してくれたのが村上さんで お手伝いしたのは早稲田大の土田武史さんや立教大の菅沼隆さんなど全部研究会の仲間でした 北場さんは初めの頃は社会保障の歴史をよく知らなかったようですが あっという間にわれわれに追いつき 追い越してしまいました つくづく優秀な人だなと感じました その彼がいまは社大の先生になり 著書も何冊か書き この点でもわれわれを追い越してしまいました 研究会にはいつも出てきて積極的に発言をしてくれています その後 1980 年代後半期に研究会で 日本には社会保障の歴史をきちんと書いた研究書がないからこれを書こうではないか という話をし みんなの同意を得て 数年かけてまとめ上げてできたのが1991 年に学文社から出しました 日本社会保障の歴史 です 現在でも類書はなく売れています 現在第 8 刷りになっています その経験から 2 つのことがいえると思っています 1つは 研究会に出るのなら 続けて出席しなければ意味がないということです 2つ目は 研究会をやるのなら続けることが大事だ ということです みなさんも研究会に出席することがあると思います 出席しても 何かの事情で休まなければいけないことができると サボらざるを得ませんね 基本的にはそれをやってはいけないのです よほどのことがない限りサボってはいけません 研究会は 1 回くらいサボっても何も影響が出ません でも一度欠席すると こんどはもっと重要でない理由でサボるということになり さらにもう 1 回と欠席が続くようになり 結局は行かなくなります 研究会に出席するのなら腹をくくってサボらないようにして欲しいと思います 研究会自体も続けなければ意味がありません 続けるためには中心になる人が研究会を引っ張っていくために相当な努力をしなければなりません 何年か前に 日本福祉大学の二木立さんに研究会で話をしてもらったことがあります 30 年も続い ている研究会だといいましたら 彼はびっくりしていました たしかによく続いているな と我ながら感心しています 以上がⅠ 部です 次いでⅡ 部に入ります Ⅱ 社会保障制度研究 A 社会保障理論略史研究者になってからこの方ずっと社会保障制度とは何か 福祉国家資本主義とは何かばかりを考えています 今日は そのなかの社会保障制度とは何かについて 考えているところを若干披露し みなさんのご感想でもお聞かせいただければ と思います 1 貧困理論の貧困まずは社会保障研究の一般的な状況についてふれておきます 1950 年代に近藤文二さんは 高橋長太郎さんという経済学者の 社会保障制度と所得分配 という論文から社会保障制度にかんする日本の学問研究の遅れを深く反省しなければならないといっている一文を引用して 社会保障の経済理論については欧米もまたわが国と同様 今日なお理論の貧困を示しているといわねばならない ( 近藤文二 社会保障 東洋書館 1952 年 ) と内外の社会保障研究の貧困状況を嘆いていました それから30 年たった1980 年代になって こんどは隅谷三喜男さんが 社会保障の理論については 昭和 20 年代に盛んに論じられたが 必ずしも納得のいく理論は与えられず 今日社会保障の研究は決して少なくないが 理論追求の熱意はむしろ後退したといってよい それは納得のいく理論が存在するからではなく 今日も依然として社会保障の理論は< 貧困 >である ( 社会保障の理論形成 社会保障講座編集委員会編 社会保障講座第 1 巻 総合労働研究所 1980 年 ) と日本の社会保障研究の< 貧困 >を批判しました

10 さて それからさらに30 年近くたった21 世紀のいま このような理論状況は改善されているでしょうか おそらくほとんどの人が 状況は全く変わっていないというのではないでしょうか 最近盛んになっている東アジア福祉国家論を見るにつけ その感を強くします 2 つ例を挙げてみましょう みなさん 東アジア福祉国家論を読んだことがありますか 福祉国家 国家福祉 社会保障 社会福祉 福祉等々がごっちゃにされ 区別されていません 福祉国家と社会保障制度が同じであるはずがないですよね 同じ論文の中であるときは福祉国家 あるときは社会保障 また他の時には社会福祉 あるいは福祉というように区別されないで使われています 読んでいると頭が混乱します もう 1 つの例はたとえば韓国の生活保護制度や中国経済計画期の労働保険制度です これは社会保障制度ですか じつはこれを社会保障と区別して論じている人はあまりいないように思います 韓国の生活保護制度は日本でいえば救護法と同じで 制限主義的な制度です また 労働保険制度は所得再分配の制度ではなく むしろ分配そのもので 保険ともいえない制度です こういうのを社会保障制度というわけにはいかないですよね 最近本格的に社会保障を論じたものは 工藤恒夫 資本制社会保障の一般理論 ( 新日本出版 2003 年 ) くらいではないでしょうか 理論追究の熱意が後退しているという隅谷さんの警告は今なお有効だといえるでしょう 寂しい限りです このようにどうもいまでも社会保障理論は貧困だと思わざるを得ません 2 社会保障制度の新しさは? そこで改めて社会保障とは何かを問いましょう その解を求めるには先人たちがどのような議論をしていて どのようなところまで解決しているかをみるのが便利でしょう 温故知新です こういう風に思って少し昔の本を読んでみますと 意外にいいことをすでに先人たちはいっているのです いいことをいっている人として紹介したい最初の人は山中篤太郎さんです かれの 社会保障の経済理論 ( 東洋経済新報社 1956 年 ) という本をご存じですか ここで山中さんは社会保障制度を 社会保険制度と公的扶助制度との複合体の上に成り立つ1 体系である と規定したうえで 社会保険と社会扶助とが一つになるということは どう一つになったのか すなわち一つになったということは社会保障が社会保険と社会扶助に分かれることを意味するのか または両者のいずれでもない第三者になったということか という問題を設定し 社会保障制度の解明を試みました 山中さんはそれにたいして社会保険でもなく公的扶助でもない第三者になったということを意味する と考えざるを得ない としました 社会保険なり社会扶助なり以上の何物か これまでなかった何物かをどう発見するかによって 社会保障に対する評価はおのずから変わってくる 何物も追加されたものなしとあれば あえて社会保障を論ずる必要はないはずである といっています そして 社会保障制度について新しい第三のものが発見できなければ あえて社会保障を論ずる必要はないであろうというのです まったく同感です 50 年前のこの問題提起に対してわれわれは十分に答えられるでしょうか どうも否定的な答えしか出てこない感じがするのですが みなさんはいかがですか さてわれわれは 従来の救貧制度や社会保険制度との違いを確認するために 社会保障の新しさをみつければならないところにいまたちいたりました われわれはこの作業をおこなわなければならないのですが このばあいも便利なのは やはり先人たちの議論をみてみることだと思います みてみましょう a 国民すべてに ( 普遍性 ) 社会保障制度の新しさの第 1は 多くの研究者 ほとんどの研究者が指摘していることですが 国民すべてを対象にしていることです これはみなさんもあまり異存はない と思います たとえば

11 1950 年代に社会保障制度審議会は 社会保障とは すべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすること と規定しました 平田隆夫さんもその著書 社会保障 ( 評論社 1958 年 ) で 社会保障の適用範囲は普遍的である といっています さらには平田冨太郎さんも 社会保障は すべての国民の最低生活を 確保する措置の総体である と論じています このようにほとんどの研究者が救貧制度や社会保険制度と違った社会保障制度の特徴としてこの普遍性について触れています 社会保障制度の重要な特性ですね かつての恤救規則や救護法が制限主義的であったのに対して 一般的 普遍主義的になったとされる所以です このことは改めていうまでもなく みんなが知っています しかし そうなのだけれども このことをどれだけ強く意識しているでしょうか 先に例としてあげた韓国の生活保護制度論のような議論も多く 僕は相当に懐疑的です 問題はなにゆえ 制限主義だったものから一般扶助主義に変わるのか ということです 残念ながら先人たちはこの点を明らかにしていません あとでもみますが 制限主義的救貧制度が対象としていたのは身寄りのない高齢者や子供が中心でしたね こういう状態があるときから一般扶助化します ここであるときというのは 日本では第 2 次世界大戦後ですし アメリカでは大恐慌期 イギリス ドイツでは第 1 次世界大戦後からということになります それぞれの時期に成人の失業が大量化するのですが それが大量化して貧困が大衆化すると 身寄りがないとか何歳以上だとか以下だとか 病人だけだとかなんとかいって制限していられなくなるのですよね こうなると しようがない 貧困ならば誰でも ということになるのです 貧困が大衆化するという事実があったから制限主義から一般扶助主義に変わる と考えてよいと思います b 生存権保障 ( 権利性 ) 次は平田冨太郎さんです いうまでもないで しょうが 本学の学長を務められた方です 1950 年に出版された彼の 社会保障えの途 ( 前野書店 ) でかれは 社会保障は国民生存権の実現を意図して 所得の再分配を通じ 国家がすべての国民の最低生活を全体として確保する措置の総体である と捉えました 末高信という方も同じ時期に同じことをいっています 本学の小川政亮先生も同じですね ただ 小川先生の有名な 権利としての社会保障 ( 勁草書房 ) は 1964 年に出ており 少し後です 僕は小川先生の授業の単位は取りました でもほんとのことを小さな声で言えば 授業には 1 回も出ませんでした 友人のノートを借りて試験に臨んだだけでした いま考えてみると このご本が出る前後の時期ですから いろいろなことが聞けたのではないか といま相当に残念がっています エスピン アンデルセンという研究者が脱商品化を指標にして比較福祉国家論を展開し 1990 年代以降日本においても圧倒的な影響力で一世を風靡したように思われますが 彼の脱商品化概念は社会権を数値化するために開発したものですね ここでいう生存権のことです このようにこの生存権保障も誰でもが認めると思います この生存権保障が 旧来の救貧制度や社会保険制度にみられなかった社会保障制度の第 2 の基本的特徴です いいかえれば 生存権が認められていない制度は社会保障制度とはいえないことを意味します この社会保障制度の特徴をしっかりと意識していれば たとえば先ほど触れた韓国の生活保護制度等を社会保障制度として論ずることに慎重にならざるを得ないのではないでしょうか この生存権保障というのは かつて近藤文二さんがいみじくもいっていましたように 資本主義社会では本来は認め難いものです なぜなら みなさんもよくご存じのように 資本主義は自己責任が基本的イデオロギーですが 生存権というのは社会責任主義を意味するもので 自己責任主義とはまったく対立する概念だからです 社会保障制度を勉強する際には 資本主義と対立する生存

12 権がなぜ いつ資本主義社会に取り込まれるのか を考えなければならないのです ただ この点の解明をこれらの先人たちはおこなっていません c 制度の統合 ( 体系性 ) また 上に上げた平田隆夫さんは 社会保障制度の概念について フランスのラロックやILO の社会保障概念を吟味したうえで 従来の社会保険 社会扶助 公的救護等とは異る特質をもつ 社会保障制度は その適用範囲が普遍的であること その取り扱う危険は包括的であることの 2 点をふれ さらに社会保険 社会扶助 公的救護等は 整合または統合の原則の上に立っている ものである としています これまでこの研究者は学界でもあまり注目されてこなかったように思いますが 非常によいことをいっています もっと注目されてしかるべき研究者だと思います 平田氏は 社会保障制度が統合の原則に立っていることこそが従来の救貧制度や社会保険制度とは異なる点だとしっかり押さえています 隅谷三喜男氏も救貧対策と防貧対策との統合だと捉えました 公的扶助制度と社会保険制度とが協同して貧困に立ち向かうのが社会保障制度で 救貧制度とは違うのです また社会保険制度とも異なるのです よく社会保障のばあい社会保障制度体系といわれるでしょう 社会保障制度のばあいは体系的である必要があるのです 救貧制度や社会保険制度はそれぞれは単独で存在し得たのですが 社会保障制度は公的扶助と社会保険制度がそれぞれ別個に存在することは許されないのです 相互につながって協同しあう関係にならなければなりません なぜかについてはあとでみます 先人たちはこの点をそれなりに意識しています しかし残念ながら なぜそうなるかについてはこれらの先人たちは明らかにしていません 公的扶助と社会保険との統合ということはよくいわれることですが みなさんはこの点を強く意識されているでしょうか 社会保険制度と社会保障制度とを区別しない人が多くなっていないで しょうか いまの研究者はこの点の意識が非常に弱くなっているように思います 以上の 3 点が社会保障制度の基本的な特徴で 救貧制度や社会保険制度と異なる点だといって良いと思います 別のいい方をすると この 3 点を備えていないばあいには社会保障とは呼ばない方が良いということでもあります またこの 3 つの特徴は 決して独立したものではなく 社会保障制度という1つの制度のそれぞれ別の側面だと考えられます d 体制安定装置あと 1 点 これは必ずしも制度の属性ではなく むしろ制度の機能といった方が良いものです 近藤文二氏はその著書 社会保障 ( 東洋書館 1952 年 ) で 社会保障制度は 資本制社会が自らの崩壊を防止せんがため 賃金の再分配を通じて社会的に国民の最低生活を保障せんとする制度 であるとし 社会保障制度を社会の体制安定装置だとする理解を示しています この点もいまではあまり意識されなくなっているように思われますが 社会保障制度に関する重要な論点です 最近はよくセーフティネットという言葉が使われますが 僕は社会保障制度に関してこの用語を使うことを必ずしも歓迎しません あれは基本的にサーカスという曲芸を見せる現場で使われるものをいいますね たとえば綱渡りを演ずるばあい 万が一あるかもしれない踏みはずすという事態に備えたものですね 綱渡りを演ずる個人の危険に対処するものです 社会保障制度は決して個人の危険に対処するものではありません 社会の危険に対応するためのものです そのためには個人の危険にも対処しなければなりませんから 個人の危険へも対処しますが 社会の安定確保に関する限りでの対処ではないでしょうか 1990 年代以降の保守化した状況の中で貧困が放置されてきたことなどはこのように考えないとうまく理解できないように思います 国防は defence または Security ですが これは国

13 内の安定を外部から脅かされるときその外敵に対して暴力的に対抗するものですね Social Security は国内の安定を内部から脅かされるとき その敵になりかねないもの 具体的には貧困ですが これに対して政治的経済的に統合するもの といういい方が可能になるでしょう ということは 社会の安定を脅かすような大きな社会問題 貧困問題が発生したことを意味するはずですね それはどのような事実を指すのでしょうか この点を近藤氏は必ずしも明示しておりません 3 再定義さて 以上のように 先人たちは社会保障制度の基本的な 3 特徴をきちんととらえていたということになります ただ 先人たちの議論は これらの3 点なり4 点なりを統一的に説明し かつなぜそのようになるのかの解明をしていない という問題をもっています 要するに社会保障制度を必然にするのは何か ということが必ずしも明らかにされていない ということです なぜ 国民を普遍的に 国家の義務としてその生存権を統合的な 体系的な制度で保障しなければならないのか を説明できていないのです そこで これらの諸問題を片付けなければならないのですが その処理は a b cの 3 つの属性が統一的に説明され しかもその統一的に説明された同じものがdを必然にするようなものでなければならないでしょう 社会保障制度は一般に貧困対策といわれます それはそれで正しいと考えます しかし 制限的とされる救貧制度も貧困対策です したがって たんに貧困対策といってもここでの解答にはなりません この貧困対策がa,b,c をもたらし かつdをも必然とするものでなければなりません dを考えると この貧困問題が社会の安定を揺るがすほどに大きくなっていることが考えられます 社会の安定を揺るがす貧困問題で これを処理するのにa b cが必要となるようなもの ということになります それはもはや身寄りのない 高齢者や子供の貧困にとどまらない もっと大がかりな貧困であろう と思われます そういう大がかりな貧困といえば 成人の貧困をもたらす失業の大量化しか考えにくいのです 失業が大量化するということは 貧困は社会および家族の中核をなす労働力人口 生産年齢人口にまでおよぶということを意味します いうまでもなくこれは大きな社会問題となります このような失業者数が一定程度以上に増えると 必ず社会の秩序を乱し 社会の安定を揺るがします このように失業に起因した貧困問題が社会の安定を揺るがすほどにまで深刻化すると もはやこれを個人の責任だとして放置することは政治的にできなくなり 社会の安定確保のため国家が前面に出てきて直接この失業貧困者を救済せざるを得なくなります こうして国民一般を対象に社会責任主義としての生存権保障が始まります このような生存権保障は救貧制度のみ あるいは社会保険制度のみでは財政的にも制度的にも対応できず 必ず失業保険制度を間に入れて両制度は体系的に統合されます このような対応をしつつ社会の安定を図るわけです 福祉国家資本主義の成立でもあります これでなぞが解けたと思います 社会の安定を揺るがすような失業 貧困問題が起きると その安定のために国民一般を対象にその生存権を保障するべく体系的な制度を創設する これが社会保障制度です こうみてきますと 社会保障制度とは 国民の生存権に基づいてその最低限度の生活を国家が保障し もって資本主義社会の安定を図る制度であり 救貧制度と防貧制度とを統合した制度である となるのではないしょうか ( 拙著 現代日本社会保障論 光生館 1994 年 ) B 日本における社会保障制度の確立ついで 以上のような意味での社会保障制度が日本ではいつ どのようにして創られたのか を

14 みなければならない順番になりました しかしその前に 戦前の救貧制度や社会保険制度をどうみるかを明らかにしておかなければなりません 戦前日本には恤救規則や救護制度といった公的な扶助制度がありました 1922 年には健康保険法 1938 年に国民健康保険法が制定されました 39 年には船員保険制度 41 年には労働者年金保険 ( 厚生年金保険 ) 法が制定されました このように 公的扶助制度も社会保険制度もいくつかあったわけですね これらの制度が社会保障制度といえるかどうか ということです そこで これらの戦前の制度に上で見たような 3 つの特徴が見られるか否かを見てみましょう まず 対象ですが 公的扶助制度は国民一般を対象としていたでしょうか 制限主義的といわれており 普遍的に国民全部を対象とはしていませんでしたね 普遍性はもっていなかったということになります これはすぐに結論が出ました 権利性はどうでしょうか 公的扶助制度にはこれも認められていませんね 社会保険制度はどうでしょうか これには権利性はあることはありました しかし この権利性はいわゆる権利性ではありません この権利は保険料というお金を支払った見返りとして得られるもので 特定の事故に遭遇したばあい保険金の支払いを受けるという保険商品を保険料という代価を払って買ったもので むしろ商品経済的な売買契約だといってよいものです ここで生存権といっている権利性は 決して保険料や税といった何か代価を支払っていなければ得られないといった性質ものではありません したがって社会保険制度に権利性を求めるわけにはいかないのです つまり 権利性もなかったということになります 最後に体系性です 公的扶助制度の対象者は生産年齢人口を外した身寄りのない人でしたね 他方社会保険制度は生産年齢にある者で しかも雇われて働いている人のみを対象としていました ここでまったく異なった人たちを対象としていたのですから 両制度は何の関係ももちようがあり ませんでした 両者は併存するのみでした したがって両制度の統合といった体系性もありませんでした このように 戦前の制度は社会保障制度の 3 特徴である普遍性 権利性 体系性のいずれも備えておりませんでした 戦前の制度は社会保障制度ではなかったという以外にないのではないでしょうか 前置きはこれくらいにして 戦後の日本でいかにして社会保障制度が創られていったのか をみてみましょう その際には 先ほどから強調しています普遍性 権利性 体系性 がいかに付与されていったか を確認していけばよいことになります 1 一般扶助制度へ ( 普遍性 ) 先ほどみた最初の論点である普遍性がいつどのようにして確保されたかをみましょう 出発点は現代的な公的扶助制度の創設です なぜ公的扶助制度からはじめるかといいますと 大量失業 それに起因した貧困の大衆化に直面したにもかかわらず 日本は当時失業保険制度をもっておらず 公的扶助制度で対応する以外なかったからです また 現に公的扶助制度で対応しました 説明するまでもないことだと思いますが 第 2 次世界大戦後の日本は経済が極度に疲弊していて その中に引き揚げ者や軍人の復員が重なり失業者がひしめき その上に稲作が未曾有の凶作に見舞われ 国民の多くが飢えに直面していました 戦後すぐの失業者数の統計はないようですが 1000 万人前後の人が失業状態にあったと思われます そこで 彼らに対して何らかの対応をしなければ社会は混乱しかねなかったのです 事実 終戦直後は 労働運動や社会運動が解放されたことも手伝って あちこちで赤旗がたなびいていたようです とくに 1945,46 年の生産管理闘争や 47 年の 2 1 スト等は大がかりでした 日本政府はこれを抑えきれなかったようです GHQも日本を統治するに当たってこの貧困の大衆化を重視し 貧困者

15 対策を至急講ぜよと日本政府に指令しました 12 月 8 日の SCAPIN404 です そこで日本政府はまずは生活困窮者緊急生活援護要綱を 45 年 12 月 15 日に閣議決定してこれに対処しようとしました 現物 現金給付を通じて貧困者の生活を支えました 閣議決定ということは法律にするほどの時間的な余裕がなかったことを意味します したがって救護法など従来の制度を残したまま 緊急にこの問題に対処したということを意味します この間のことについては菅沼隆さんの 被占領期の福祉政策分析 ( ミネルヴァ書房 2005 年 ) と百瀬孝さんの 緊急生活援護事業の研究 1945 ~ 46 年 ( 私家本 2007 年 ) がいいですね ここで注目していただきたいのは同要綱の対象者です そこで対象者としてあげられているのは まず第 1 に失業者であり ついで戦災者 海外引揚者 在外留守家族 傷痍軍人とその家族 軍人遺族等で著しく生活に困窮した者とされたのです 戦前の恤救規則や救護法とはまったく違いますね つまり働ける人をもその対象に加えたのです というより 貧困の大衆化を背景に大量失業者が存在していたので これらの人をも救済の対象に加えざるを得なかったのです 公的扶助制度は戦前の制限主義から決別しました 先輩の杉村宏さんはこの要綱を戦前の救護法等の延長上に位置づけられるものに過ぎないという性格付けをしています ( 現代の貧困とく的扶助 財団法人放送大学教育振興会 1998 年 ) が 僕はまったく違うと思っています 次いでGHQのSCAPIN775を受けて1946 年 9 月に旧生活保護法ができ 50 年には新生活保護法が制定されました 通説でもこれで現代的な公的扶助制度ができた とされます ここで押さえておくべきことは 制限主義から一般主義へと公的扶助制度が変わった ということです つまり第 1の普遍性が確保されたのです 福祉 3 法体制の確立ここで福祉 3 法体制について触れておきましょ う この公的扶助制度はいまも触れましたように労働能力をもったものをもその対象に含めました したがってその制度の目的に当然自立がうたわれることになりました 自立の見込みのない者を救済しておいて自立を目標に掲げることはないでしょう 新生活保護法には明確に自立助長がうたわれています しかし その前から自立助長は当然うたわれていました たとえば 百瀬孝さんの研究によれば 生活緊急援護要綱でも厚生省の局長名で 自立生活をすすめるよう命じた といいます 当然のことだと思います その自立助長のためのサービスは 健常な成人 児童 身体障害者とでは自ずと異なります 児童は18 歳になるまでは健全に育成することが児童特有の自立助長サービスです 身体障害者についてはリハビリや補助的道具を使いながらの職業訓練等が自立のための独自のサービスということになります その自立助長のそれぞれのサービスが公的扶助制度から独立して 1947 年に児童福祉 49 年に身体障害者福祉制度ができました もちろん直接的には戦災孤児対策であり 傷痍軍人対策であったわけですが GHQとの関係もあって 制度は一般的な制度として創られました 身体障害者福祉法の成立が遅れたのは もっぱらGHQの対日占領政策によるものでした 以上のように第 1の普遍性との関連から福祉 3 法体制が確立するのです 児童福祉制度と身体障害者福祉制度の創設過程については村上貴美子さんの 占領期の福祉政策 ( 勁草書房 ) が参考になります 2 生存権保障としての社会保障制度へ ( 権利性 ) 旧生活保護制度は一般救助制度になってはいたが 欠格条項をもっていたし 民生委員が現業員として働いていました また 不服申立の制度も備えていなかったし さらに憲法 25 条との関係も不明確でした これらが旧生活保護法の実施過程で問題とされ 結局は50 年に新生活保護法に取って代わられました この新生活保護法は 憲法 25 条を前面に出し これを実現するためのものと性

16 格づけました こうして日本の公的扶助制度は明確に生存権保障のための制度とされ 権利性が付与されたのです このことについてはあまり異論はないと思います ほとんどの研究者がそういっています この点についてはむしろそうでないというニュアンスの議論がないほどですね ではなぜ生存権が承認されたのでしょうか これは決してそのようなイデオロギーをもっていた議員が憲法に25 条を書き加えたからではない と考えます 生存権のイデオロギーはすでに戦前からありましたし 憲法や法律には明記されないばあいもあります したがって 憲法に書かれたということが最も重要なことではなく むしろ労働力を持っている 働ける人をも公的扶助制度の対象にした というか せざるを得なかったことの方が重要だと思います 従来は身寄りのない高齢者か子供が中心でしたので 制限的でしたし また慈恵的 恩恵的なものでした ところが働ける者までその対象に含めました このことを年齢を基準にして考えてみてください 救済の対象が高齢者と子供だったところから働ける人も含めたということはすべての年齢層を対象にしたということになるでしょう 制限が取り払われたわけですね 誰でもということになります 貧困であれば誰でも公的扶助の対象にするということは 国家が生活困難に陥っているもの誰でも救済することを意味するわけですから それ自体事実上生存権を承認したことを意味します ただ 制度としてこれが整備されるには若干の時間が必要となるばあいもあるわけです 緊急援護要綱も旧生活保護法も普遍性は確保していたけれど まだ生存権保障にまでは踏み切っていませんでした でももう時間の問題だと思います これが憲法や法律に明記される ということになるのでしょう したがって生存権を保障するようになったのは 失業者に代表される労働力を持ったものを救済せざるを得なくなったからだということになると考えます こうして第 2 の特徴である生存権も制度として保障される仕組みができました 3 公的扶助制度と社会保険制度との統合 ( 体系性 ) 1946 年に旧生活保護法が制定されました その法案を審議する過程で 公的扶助制度に対して深刻な問題が2つ提起されました 1つは財政的な問題で 当時の膨大な失業者等の貧困者をすべて国家財政によって救済するとすれば膨大な財源が必要で とうてい国家財政がもたないのではないか という問題です 2つは倫理的な問題で こうして国が貧困者を救済すると国が怠け者を生み出す 惰民を養成するという問題でした この問題指摘は受け入れられ 結局旧法に失業保険制度を早期に創るべしという付帯決議が付けられることになりました 以上は立教大学の菅沼隆さんの研究によっています こうしてこの 2 つの問題に対応するものとしてその翌年の47 年に日本ではじめて失業保険制度が創られました 財政的な問題としては保険料が新に追加され 倫理的な問題に対しては事前に自分で対処することにしたというように それぞれに対応しました ここで注意していただきたいことが 3 点あります 1つは 失業保険制度が公的扶助制度 生活保護制度との関連で創設されたということです たんに失業者がいっぱいいたから失業保険制度を創ったというのではないことです 2つめは 財政的に税のみではやっていけず 保険料をも徴収することになったことです 3つめは 制度的に両制度がつながったことです 失業保険制度はどこの制度でも給付は期限付きです 当時の制度では180 日でした これを超えて失業状態にあれば 同じ人が生活保護制度に移らざるを得ないですね このように両制度は制度的につながりました 短期失業者は失業保険制度で長期失業者は公的扶助制度でその生活を支えるようになったのです 財政的にも制度的にもどちらか 1 つの制度ではなく 2 つの制度で協同して対処するものとして制度が創られはじめたのです つまり 大量の失業 貧困者を救済しようとしたら 公的扶助制度だけでもあるいはまた社会保険制度だけでも対処しき

17 れず 結局両制度が協同しなければこの問題に対処できず 統合されることになります 社会保障制度の第 3 の特徴がこのようにして付与されてきました 1920 年代から30 年代のドイツ 30 年代のアメリカでも 失業保険制度が公的扶助制度 生活保護制度との関連で創設されました 1920 年代から30 年代のイギリスのばあいはすでに失業保険制度をもっていましたから 失業保険制度で失業 貧困問題に対応するのですが これまたすぐに限界に突き当たり 失業保険制度が公的扶助化していきます いずれのばあいも 財政的に公的扶助制度だけではとうてい間に合わず 社会保険の保険料を追加しなければならず 制度的にも失業保険制度のみでは長期失業者に対処できず 公的扶助制度で補完しなければならなくなるのです このような関係があるがゆえに 両制度はつながり 協同しあわなければならないことになり したがってまた社会保障制度は体系的にならざるを得ないのです このように失業保険制度は社会保障制度体系にとって必要不可欠な制度です 日本では失業保険制度が非常に軽視されていますが もっと重要視されなければいけない と僕は思っています 僕は最近 失業保険制度のないところに社会保障制度はない といってよい と公言するようになりました 僕の知っている限りそうなのです ですから失業保険制度をもっていない国で社会保障制度に類似した制度があるばあいには大いに注意して分析しなければなりません 4 医療 年金保険制度の体系的制度への編入さて 最後は戦前から制度として存在していた医療保険制度や年金保険制度がいかに体系的な制度に組み込まれていったといえるのか をみておきましょう 制度の防衛から改善へ 1945 年の終戦時から数年間は経済混乱の時期でもあり インフレが燃えさかったときでもありましたので 社会保険制度は崩壊の危機にさらされ ていました 報酬月額や保険料率を改定したりして収入増を狙い 保険料を低く抑えるために年金額を低く設定したりして対応してきました ともかく 制度の防衛一本槍でした 医療 年金保険制度の公的扶助制度との関連しかし 1950 年代になりますと あるいは朝鮮戦争の特需によって経済が復興してきますと はじめて防衛的な対応ではなく若干拡充的な改革がおこなわれてきます 健康保険制度と厚生年金保険制度の1953 年の適用業種の拡大です あるいは年金については受給者が発生してきますので 全面的な改定も 54 年におこないました さきほどみましたように社会保険制度が公的扶助制度と関係をもつようになりますと それは当然戦前からあった医療や年金保険制度にも影響を与えることになりますが とくに54 年の厚生年金保険制度の改正の時にその影響がみられます この時年金を従来の報酬比例のみから報酬比例と定額部分の 2 つで構成するようにしました この定額部分は最低生活保障 平等といった社会保障理念から導かれたものでありましたし その金額も生活保護制度の保護基準が強く意識されて決められたものでした このように医療 年金保険といった社会保険制度も体系的な制度へと組み入れられていくようになります 本格的には国民皆保険 皆年金の時ですが 分立型の確定国民皆保険 皆年金をみる前に 日本の社会保険制度の特徴といわれる分立型ができたいきさつからみておきましょう 1953 年に厚生年金保険は健康保険制度とともに適用対象事業を格段に広げ 土木 建築 教育 研究事業や通信 報道事業等 サービス業や農民以外はほぼ誰でもこの制度に加入しなければいけなくなりました 社会福祉事業もこの時初めて厚生年金と健康保険制度の強制適用の対象事業となりました ところが 当時の厚生年金の年金額はひどく低い水準でした たばこのピース一箱分だとする回顧談もあるくらいで 生活保護費より低かったの

18 です この時期よりもずっと後の1962 年になってからも社会保障制度審議会から あまりに低すぎて魅力あるものとなっていないので可及的すみやかに引き上げろと勧告されたほどでした この低水準の厚生年金に加入するかどうかの選択を迫られたのが私学の教職員でした 私学の教職員は 戦前から財団法人私立中等学校恩給財団 (1924 年 ) という共済制度をもっており 戦後の52 年にはその適用対象を中等学校だけでなく 任意でしたが 大学から幼稚園までの全私学の教職員にまで拡大し 名称も財団法人私学恩給財団と変更したばかりで それなりの資金を蓄えていました そこに厚生年金保険への教職員の適用問題が起こってきたわけです しかし 公立学校の教職員との均衡を求めていた私学の教職員は その年金額があまりに低すぎましたので 厚生年金保険に加入する意欲が湧きません 恩給財団の資金を元に厚生年金ではなく 公立学校の教職員と同じくらい高い給付をおこなう別個の制度を新に創りたいと考えました こうしてできたのが私学共済です これができると次から次に新たな共済ができていくことになります 1954 年には市町村共済 ( いまの地方公務員共済 ) ができ 1956 年に公共企業体 ( いまのJR JT NTT) 職員等共済 1958 年にはさらに農林漁業団体職員共済ができました これで公的年金は 船員保険 厚生年金 国家公務員共済 私学共済 市町村共済 公共企業体職員等共済 農林漁業団体職員共済の 7 つの制度で構成されることになりました 農林漁業団体共済以外の各種共済組合は短期の医療保険をももっていましたので 公的医療も 組合管掌と政府管掌の健康保険制度 国民健康保険 船員保険 国家公務員共済 私学共済 市町村共済 公共企業体職員等共済の 8 つの制度で構成されるようになりました こうして日本の公的医療や年金制度には乱立型とか分立型といわれる特徴が生まれることとなりました 国民皆保険 皆年金体制の確立ところが このようにこの時期各種共済組合が 7つ 8つの年金や医療保険制度ができたのですが それでもなおこれらの制度に加入できない人が多く残っていたのです 1955 年当時 公的年金では自営業者が加入する制度がありませんでした また厚生年金は 5 人未満の事業所は強制加入ではなかったなどから 全体の3 分の2が未加入の状態におかれていました 公的医療でも国民健康保険制度は設立が任意であったためとくに都市での設立が遅れていました 当時 20 万人都市であった新潟市より大きな都市はまったく設立していなかったそうです また健康保険制度も 5 人未満の事業所は強制加入ではなかったため 全体の3 分の1が未加入でした この未加入者問題は 当時の最も大きな社会問題であった二重構造問題とぴったり重なり 二重構造問題と合わせて未加入問題の解決が迫られていました しかも 政治的に当時は左右の社会党が優勢で 保守党の自由党や民主党は押され気味でした そこで これに対抗するために 自由党と民主党は合同し 自由民主党を 1955 年末に結成した このときから与党 自民党は社会保障政策を重視するようになり まずこの時の課題であった公的医療 年金の未加入問題に取り組みました 自民党初代総裁で当時の首相鳩山氏は 1956 年には60 年までに国民皆保険を実現するといい また自民党を結成するや国民年金制度を提案したりしました 56 年に地方で敬老年金が創られたことから刺激を受け 57 年には厚生省内に国民年金委員をつくり 国民年金制度創設へ具体的に動いていきます こうして 1958 年に国民健康保険制度を大改正し 59 年に国民年金法を制定して 1961 年に国民皆保険 皆年金体制を整えました 医療も年金も 既存の制度に加入している者以外はすべてを国民健康保険制度と国民年金制度に加入させて 国民皆保険皆年金を実現しました ですから この両制度は被用者も自営業者も加入する 奇妙な制度となっていました 高所得者 低所得者すべてを含めて公的医療制度 公的年金制度に加入させ 医療保障 老後所得保障を実現し

19 ようとしたわけです こうして日本的な皆保険 皆年金体制が生活保護制度との関係を強く意識して創られました 医療は短期の制度でしたから生活保護を受けている者は公的医療制度から外しましたが 年金は長期にわたる制度で 貧困は長くは続かないはずだということから 国民年金制度に加入させた上で保険料の免除規定を設けて 貧困者に対応しました さらにボーダーライン層も存在するわけで これに対しても保険料免除 あるいは減額措置等も考慮されていました こうして どちらかというと二重構造の底辺に位置する人たちに医療および年金を保険という仕組みで保障しようとする国民皆保険 皆年金体制ができあがりました ここで 注意しておいていただきたいのは 皆保険という仕組みです 僕の理解では この 皆 と 保険 とは相両立しない性質のものです 保険は保険料を納入する人のみを対象とし 制限的です いうまでもなく 皆 はそのようなこととは関係なくまさに 皆 です この相矛盾する関係を矛盾しないように処理した いいかえれば低所得層をこの制度に組み入れるために必要とされたのが国庫負担です 国庫負担を投入することによってこの対立する関係を両立させ これで日本的な社会保障制度体系の基本的な骨格を確立したのです こうして医療保険制度も年金保険制度も社会保障制度体系の中に組み込まれたのだ といえるのではないでしょうか 以上が 社会の安定を実現するために 先ほど触れた 3 つの特性を備えた社会保障制度が日本においてできあがっていった過程です これで僕の話は終わりますが 最後に一言付け加えておきます 以上の話は時期的にはかなり古いものばかりでしたので みなさんは何と古めかしい話をするのか とお思いになったかもしれません でも じつは古い話ではないと思います そうではなく 社会保障制度の基本 あるいは根本の話だと思っています たしかにこれだけでは今日の社会保障制度を十分に理解することはできないと僕も思います 社会保障制度はとくに 1990 年代以降かなり大幅に変容してきています その変容についてはごく簡単にメモだけを示しておきました これらの変容も 上に触れた基本を押さえておかないと変容自体が分からないのではないでしょうか どういうものからどういうものに変わったのかが分からなければ変容は分からないからです 最近の社会保障制度の変容を捉える上でも いま基本に立ち返るべきだ という意味を込めてこのような話をしました 長い時間お聞きいただき ありがとうございました

20 大会テーマシンポジウム 福祉総合大学を目指す社大の学部教育に期待されるものとは何か シンポジスト 秋田けやき会 やすらぎホームけやき 施設長 佐 学部 1972 年卒 藤 与志夫 氏 新潟県社会福祉協議会 生活支援課 課長代理 渡 学部 1988 年卒 院専門職 2008 年卒 邊 豊 氏 田園調布学園大学 人間福祉学部 助教 学部 1998 年卒 院前期 2005 年卒 司 会 長谷川 本学社会福祉学部教授 社会福祉学部長 阿 部 洋 昭 氏 實 シンポジウムの司会進行を勤めます学部長 然たる学部を卒業し第一線の福祉の現場で仕事を の阿部です 私も本学学部の 13 期 1973 年に卒業 している人です 本学のカリキュラムが 1970 年代 した者です の半ばに 類構想 というかたちで 2 学科を残 阿部 第一日目のプログラムに シンポジスト3名の略 しつつ 利用者別に 児童 家庭 障害 地 歴を記載しています 福祉総合大学を目指す社大 域 成人 いうかたちで 学科制ではなく 類 の学部教育に期待されるものとは何か という という考え方の教育に切り替わった時期がありま テーマで シンポジウムを行います ここに掲げ す そこから 今の 福祉計画学科 福祉援助 た 福祉総合大学 の意味は 学部だけで総合大 学科 各科の原型ができあがっています それ以 学にしようということではなく 1958 年に短大か 前の教育を受けた人をお一人 それから 類構想 ら 4 年制の大学になり 今年が学部 50 年です に基づく教育を原宿で受けて その後 現場で仕 新キャンパスである清瀬への移転を経験し 社 事をして 専門職大学院に入院した人を探しまし 会福祉学研究科 という 研究大学院の修士課程 た ですから お一人は 純粋な原宿時代の卒業 その後 修士課程完成年度に博士課程ができ 4年 生です お一人が 大学院を含めて 原宿時代の 前に 福祉マネジメント研究科 というかたちで 最後と清瀬キャンパスに移ったあとの両方がわか わが国初の福祉専門職大学院ができました る人 それから 純然たる学部教育も今の清瀬 そのほか 通信教育課程やスキルアップのため の各種研修講座など 学部を卒業したあと 多様 キャンパスで受けて 大学院に入院した人という かたちで 3 名にお願いしました なスキルアップのためのフォローアップ事業を展 原宿時代の代表選手は 現在 秋田県の社会福 開し 卒業生の生涯にわたる社会福祉の専門職と 祉法人秋田けやき会のやすらぎホームけやきの施 しての資質の向上を図っています シンポジウム 設長をしている佐藤与志夫さんで 1972 年 3 月に では このスタートラインを形成するのは学部教 卒業した方です 渡邊豊さんは 1988 年に学部を 育だととらえ 学部教育への期待や要望について 卒業し 2007 年に専門職大学院に入院して 原宿 話をしてもらえればと思っています 類体制に基づく教育 と清瀬の両方がわかる方で 3名のシンポジストにお願いした理由は 二つあ す 長谷川洋昭さんは 純然たる清瀬キャンパス りました 一つは 両大学院ができたので 学部 の人といいますか 1998 年に学部を卒業し 2004 を卒業して専門職大学院に入院した卒業生 学部 年に比較研究科の前期課程に入院し 2005 年に修 を卒業して 社会福祉学研究科に入学した人 純 了した方です 19

21 公式の学部 50 年史は 日本社会事業大学五十年史 に書いてありますので 本日は シンポジスト 3 名の個人史から見た体験的学部教育史を素材にして 今後の学部教育の在り方について フロアの皆さんと話し合いたいと考えています 進行としては お一人 20 分程度話をしてもらい その後 まとまって質疑応答とし 時間どおりに終わるように 進行の協力をよろしくお願いします それでは 佐藤さん よろしくお願いします 佐藤秋田から来ました佐藤です 私が社大で過ごしたエピソード的なことから話をします 私は 今秋田で特別養護老人ホームの施設長をやっています この施設の説明をします 秋田県では 老人福祉総合エリア という構想があり 県南地区 中央地区 県北地区に各一つ 老人福祉の総合エリアを作る考え方のもとで進められていました やすらぎホームけやき は 中央地区の秋田市御所野ニュータウンという 比較的新興住宅街に建てられている施設です 特別養護老人ホームが 100 床あります 認知症の専用棟が 40 床 一般棟が60 床 ショートステイが20 床 デイサービスセンターが定員 45 名 ヘルパーステーション 居宅介護支援事業所 地域包括支援センター それにケアハウスが100 床 秋田市から委託を受けて 地域センターのような 御所野交流センター ( 御所野ふれあいセンター ) も経営しています 平成 9 年 4 月にオープンしました 私は オープンのときから勤め始め 現在 12 年目に入った施設で老人福祉現場の実践をやっています 私が社大に入ったのは 42 年前の昭和 42 年ですから 随分たったとつくづく思っています 今まで全く考えたことがなかったのですが 今回のことで自分が社大で過ごした 10 年間について整理し 秋田に帰ってからのことも整理するいい機会を与えてもらったと思っています 学生時代が 5 年間 大学の職員として 図書館に勤務したのが 5 年間で ちょうど 10 年です 18 歳から 28 歳までの私にとって日本社会事業大学は 自己形成そのものだったような感じを受けて います その 10 年間 私は 原宿 という一つの共同体から一歩も抜け出すことなく ずっとそこにいました 清瀬に移ってから何回か来たことがありますが こんなにすばらしく 私たちが学んだ原宿校舎はこのような校舎ではありませんでした けれども その原宿校舎には 私にとっては非常に懐かしい思い出があります 私たちのときは まだ 国立 1 期校 国立 2 期校 という制度があった時代です 私が社大を選んだ動機は不純で 授業料が安かったので選んだ気がします 本音を言うと 社会福祉は これからのいろいろな意味での大事な仕事になるんだな と 心の片隅では思っていたのですが 何しろ授業料が安い大学を探さなければいけませんでした その当時 社大の年間の授業料が1 万 2 千円と国立大学と同じだったので選び 社大を受けたら合格になりました 入試科目は 今と全く違うと思います 英語 国語 数学もありました それと社会科が 2 科目で 国立大学入学のために勉強している学生が受験した学校ではないかと思います 受験番号は 33 番 講堂で試験を受けました 私は秋田の田舎育ちですから 東京は怖い所だと 特に ラッシュになると電車に乗るのは大変だということで 社会科が 2 科目のときに 終わる時間の 1 時間前には退席できるので とにかく早く帰らなければいけないと 会場をあとにしたことを覚えています あとで職員になってからわかったことですが 成績は 受験番号と同じ 散々 だったようです ちょっとどこかにぶら下がったのだと思っています 今もそうだと思いますが 私が入学したときは 女性が非常に多く 合格者は 100 名定員でも 120 名ぐらいだったと思います その中の半数以上の人が現役ではなく 私はたまたま運よく合格しました 最初にかけられた言葉を ショックで今でも覚えています 佐藤くん はい 君 資本論 を

22 読んだことある? いや 知ってますけども 君 それを読まないで社大に入ってきたの? このときのショックは非常に大きなものがありました そのことがあって 俺は絶対それは読まないようにしよう と思ってきました 原宿は あの地で学んで あの地で働いて あの地を去って秋田に帰ったので 私にとっては本当に青春の原点です 私の今あるものは あそこで育ててもらったものだと思っています 社大に入ってきた同期たちは 目的意識を持って入学してきた人たちが多かったように 私は感じています たとえ私のように明確な目的意識を持たなくても その時代の価値観に対して 思いや自分なりの考えを持って入学してきた人が多くいたと思います そういう意味では 原宿時代のものは 私の人生に大きく響いています 私たちが入学した昭和 42 年に 杉森先生が教員として入ってきました 今でも非常に懐かしく感じています 当時の教員はほとんどそうだったと思いますが 杉森先生は 授業はもちろんですが アフターファイブもよく世話をしてくれました 先生のうちに学生が集まって いろいろな勉強やゼミを学んだ経験は 今でも心の中に残っています 今日は このあとに木田賞と学生研究奨励賞を受ける人がいると思います 杉森先生が学生たちの奨励賞の基になったという話を聞くと 杉森先生が学生を一生懸命育てた功績が生きていると 私なりに感じています 社大に入学してから 自己実現 全面発達 というキーワードを頻繁に耳にすることで とても新鮮なものを感じました 自分なりにその意味をそしゃくして その後のさまざまなことに出合ったときに自分自身の中で問い返すこれらの言葉は われわれの時代の者にとっては 一つの指標だと思います ぶれない姿勢 と書きました 社大で出会った多くの先生や友人たちは 自分なりの考え方というのか 生き方 志に通じるものが 学生時代から地道に継続されています それが 今現在に 至っても生きています まさにぶれない姿勢が 私たちの世代はあった気がします 学生時代のことで一番心に残っているのは 社会調査です 私は 杉森先生と仲村先生が栃木県烏山市の隣町の馬頭町で農村調査をした際に 手伝いをしたことがあります そのあと 神奈川県藤沢市で 精神薄弱児 の実態調査をしました その調査が 今の私にとって大きな意味を持っています 私たちは 実態 現実を見る機会がなかなかなかったのですが 社会調査の中で現実 実態を目の当たりにしました そこが今の私の大きなバネになっています 私は案外調子がいい性格ですから 馬頭町の農村調査のときは 日中はなるべく行かないようにしました 1 回目に日中に行ったら こんな忙しいとき来て 何するんだ という言い方をされたので 夜 行きました 夜 行くと お酒が出ます それも一つの楽しみでした 1 軒の家の人には 婿に来ないか という話もあり いろいろな話をその中で聞くことができ 実態がよくわかりました 帰ってから 調査に行った人たちと一緒にいろいろなことを話し合う機会がありました 先生を交えて侃々諤々と議論したことが 今の私にとって大きな財産になっています そこに私の原点があると言っても過言ではありません 私の人生の中で 社大の封鎖という大きな事件があったことも事実です いろいろな考え方がありますが 社大の封鎖が 自主的な 権力を入れないかたちで終了することができたことは 職員もそうですが 先生方をはじめ 学生 それから多くの先輩達のいろいろな知恵が総集されて出来たということではないかと 今 つくづく感じています 本来は大学を4 年で卒業しますが もう1 年残りたくて残っていたら 杉森先生から 社大の図書館で職員を探しているようだから 君 どうかね ということで 5 年生のときから アルバイトを兼ねながら 図書館で仕事をさせてもらいました そのときの自分がやった仕事をひもといてみた

23 ら いろいろな文献集など いろいろなものが今も残っているようです 自分が残した精神薄弱児に対する文献目録 高齢者福祉の文献目録といったものを閲覧すると 今でも思い出すのが 全国に埋もれた 社会福祉調査研究資料の発掘と収集の展示会 をやらせてもらったことです 全国のいろいろなところから 社会福祉に関する調査 あるいはいろいろな公になっていない本を 社会福祉を学んでいる大学の図書館 という力でたくさん集めた経験があります それがNHK テレビに取材され 松嶋先生がちょうどその画面に映っていたことが 今でも記憶に残っています 私の18 歳から28 歳という人間形成の原点が ここ原宿に生まれ育まれました 28 歳になったとき 無性に家に帰りたくて 居ても立ってもいられなくなりました 家内は教員でしたが 辞めてもらい 秋田の先輩の紹介で 秋田県厚生協会 という法人の高齢者施設に勤めました 私が今ある原点が またそこに一つ見えます 3 月 30 日に秋田に着き 4 月 1 日から特別養護老人ホーム高清水寿光園という 秋田県で最初に設立された特養に勤めました 4 月 9 日の朝 横手市方面にある田舎の実家の母が冷たくなっていました 前から特別病気をして伏せていたわけでもありません 朝起きたら冷たくなっていたので 突然死 みたいなものですが 52 歳でした 帰ってたった 1 週間でした もう少し早く亡くなっていれば 私は社大に残っていたのかなという考え方もありますが 母が私を迎えてくれるきっとこれが最善の道だったと今は思っています 秋田に帰るという何とも言われぬ思いがあり 居ても立ってもいられずに帰ると 母親の死が 第一番目に大きくありました そのときから 私の考え方が大きく変わっていきました 今というこの一瞬を大事に生きていくことが いかに大切なことか! 今という時間は 決して戻ってこない だから 一瞬一瞬を大事に生きていくことが 大切なことではないだろうか このことを強く感じ 自分の仕事や生活に思い をはせるようになりました これが私の人生の中で 本当に大きな支えです 今という人生を支えられる人になっていきたいと考えるようになりました 高清水寿光園に 3 年勤め そのあと知的障害児の施設に移り 長く勤めました 52 年から 55 年までのたった 3 年間ですが 高清水寿光園で 特に上司である施設長からいろいろ言われたことが 一番勉強になり 今でも私の心の中に残っています 当時の秋田県は 県及び市の奨学金で社大で学んだ人たちが 現場に帰ってまた頑張る 給費の制度 がありました 私が帰った当時は 給費生の人たちが 県や市の社会福祉関係の重要なポストに就いていた時代です ですから 社大を見る目が 今とは若干違っていました 私は10 年間という東京生活を終えて秋田に帰りましたが 社大の卒業生ということで 私に対する目は 針のむしろに座るという感じを受けるぐらい 本当に厳しいものがありました 今は廃刊になっていますが 老人福祉 という月刊誌がありました 高清水寿光園に勤めて 2 年目に ボイラーマンや寮母主任と一緒にグループを組み 特別養護老人ホームにおける洗濯に関する一考察 という論文を懸賞論文に出したら たまたま入選しました 賞金は施設で使うことにしましたが そのときに 多分施設長がほめてくれるものだと思っていたら 施設長が言ったのは 君ならこのくらいのことができるのは当然だ もっと志を高く持って臨んでください という言葉でした 私のあまのじゃく的な考え方を見透かしたような言い方で とてもありがたかったと思っています 私自身が社大に学んだことが いろいろな意味で 今 かなり大きなベースとなって残っています 今 私は100 名以上の職員を抱えています 職員研修のときに言う言葉です どんな経験でも無駄なものは何一つないんだ 自覚して仕事に取り組む姿勢が重要である 若いときに一番大事なことは 自分の好きな仕事をするということではなく

24 て 人生経験が浅い若い人には 自分がどんな仕事に向いてるかということよりも むしろ自分のやっている仕事を好きになるということのほうが 大事なことではないか やはり目標を持って仕事をしていくということが 大事ではないのかと思います 自分の携わっている仕事とは 私の人生の目的の中で この仕事というものが合っているんだ どんな仕事でも それが一生懸命前向きに進んでいくと だれか人のためになる 福祉の仕事というのは やはり人と人とのかかわり合いの中で成立しているはずです しかも 人に幸せになってもらいたいという思いがある援助技術体系じゃないかと 私は思っています 私は還暦を迎える時期に来ています あとのお二人は 昭和 41 年生まれ 昭和 47 年生まれで 私だけがどうして20 年代なのか 30 年代の人を呼んでくれればよかったのに と思っています 私は昭和 23 年生まれですから ちょっと差があり過ぎると思いますが それでも 社大で学んできたことのベースが 私の中に大きく残されています そのことが 今の私をつくってくれたと思っています この思いを伝えていくことが 歴史の伝達になっていくと思っています こういうところで話せることでもありませんが やはり大事なことではないかと思っています 今 私が一番抱えている問題は 若い人たちが 私たちの仕事場にたくさんいます でも とても悩んでいます そして やりがいがある仕事だ と 皆さんが言っています けれども やりがいだけではなかなか続けることは難しい時代になってきています 福祉の仕事の基本は 相手の気持ちをくんで 思いやりを持ってやっていくことではないか お互いを思いやれる社会 人とのつながりを大切にできる社会 それが今 まさに求められているのではないか しかし 現実を考えると だれしもが孤独だったり 人とのつながりが希薄だったり やりきれない閉塞感を持っています いろいろな事件を考 えると そこにいろいろな原因があるのではないか だからこそ 人の命の大切さ 家族の愛 両親の愛 親子の会話など 人間として生きていくうえで当たり前だと言われていたことに 少しスポットを当てていくべきではないか 私が年を取ってきたからそう思っているのかな とも思いましたが 考えてみると それが私の原宿時代からの原点だった気がします 自分の思うように人生や人を変えることはできません しかし 自分の人生の中で たった一つ自分の責任で変えることができるのは 自分自身であると思います より高く より大きな観点から変わっていくことが 1 回しかない自分の人生に対する最大のポイントではないかと思います そういう意味を持って 私はこれから後輩を育てていきます そこのキーワードを皆さんから教えてもらい こちらにいる新しい学問を学んだ先端にいる人たちの助言 指導を仰ぎながら お土産をたくさん持って秋田に帰りたいと思っています 阿部ありがとうございました 佐藤与志夫さんは 4 年前に本学学内学会賞である木田賞の実践賞を受賞しています 続いて 渡邊さん よろしくお願いします 渡邊皆さん こんにちは 渡邊です どうぞよろしくお願いします 佐藤さんの話を聞いて 世代は違うものの共通するところもあったり 長谷川さんにおいても 同じように世代は違いますが やはり共通するところがあると思います 専門職大学院で学ぶため 新潟県社会福祉協議会を 1 年休職して復帰しました 生活支援課 というところで 日常生活自立支援事業 成年後見制度 福祉サービスの苦情解決 高齢者総合相談 生活福祉資金 と 新潟県社会福祉協議会の中でも直接援助的な業務を一手に引き受けています そういう業務を任された理由には 専門職大学院で 1 年間学んできたので 渡邊 しっかりやってくれ という期待が込められていると自分では

25 理解しています つい先日は 生活福祉資金のリバースモーゲージを利用したい高齢者の自宅を福祉事務所や地元の社会福祉協議会の人とともに訪問し 事情を伺いました この制度では新たに不動産鑑定などの知識も必要になってきます 業務で必要とされる知識の範囲も広がってきています 私は 昭和 41 年生まれではなく 昭和 38 年生まれです この 3 年の差の謎はどこにあるのか 実は3 人に共通していることですが 5 年で卒業しています そこが一点です あとは 一浪して大学に入ったことと 自分でやりたいことがあったので 大学を卒業してもあえて就職をしないで 1 年やりたいことをやりました 新潟県出身の学部卒の先輩丸山 ( 仁 ) さんが 私のことを 超イチリュウ と言うのですが イチリュウ の リュウ は 流れる ではなく 留まる の 一留 です 1 年大学に残り 卒業後も自分の志を持って活動しましたが 同じ学部の同級生や先輩 また先生方にもいろいろ相談しながら 最終的には自分で道を決めていきました 振り返ると 自分では間違っていなかったと思います そういう人生を選択する幅というか 自由な部分が 自分の学部時代はかなりあったと思います 一方で 去年 1 年間 専門職の大学院生とはいうものの 松窓寮で学部生と生活をともにしました 今 清瀬に松窓寮がありますが その前は文京区にありました 両方の松窓寮に入寮したのは 多分私が初めてだと思います 寮生である学部生とともに生活していると まじめだな というのが率直な感想です 自治寮ということで それぞれ学部生が役割を持ちながら 寮の運営をしています 見た目には汚いかもしれませんが 毎週水曜の夜 10 時になると みんなで集まって 寮の掃除をします こういう電灯を見ると思い出しますが 私は整備部に所属していて 蛍光灯が切れると換えたりしますが みんながさまざまな係を担いながら 寮を運営しています 自分自身の学部時代もそうでしたが 原宿のキャンパスでいろいろなことをしながら みんな一生懸命でした ある寮生を見ると いくつもサークルに入っている 大学祭があると実行委員で頑張っている 授業についても 当時は 学校にいないで 実習とか 自分なりのテーマを決めて活動している部分がありました これはデメリットとして感じるところもありますが 社会福祉士の資格制度が私の卒業後にできました 今の大学にはそれに対応した授業がありますが 出席を取ることが前提になっていて 原宿時代の大学に比べるとかなり窮屈に感じます 私の学部時代は 先生が 渡邊は 今こういうことに取り組んでいるから まあいいか というかたちで 多少授業を欠席しても最終的には何とか上げてくれる配慮をしてもらいました 先生方は 学生を割と自由にさせてくれました とても感謝しています 実習先もかなり幅がありました 私は横浜の寿町で実習をしました 実習初日の9 時ぐらいから 地域の人と焼酎を飲んでいました 酔っ払って ちょっとこれ 相談員さんのところに帰れないな という感じで 酔いが何とかさめる夕方まで 寿の人とずっと一緒に過ごしたことがあります それでも 実習先の職員の村田 ( 由夫 ) さんは認めてくれて まず そういうふうに入っていくことが大事なんだ と 実習をさせてくれました そういう中で 私は寿町に住民票を移しドヤで住むようになりました それがどんどんエスカレートして 年間を通じて地域のことを知らなければいけないとこだわり 4 年で卒業できたのですが 結局 5 年間いました そんなところを認めてくれたのが阿部先生で 今も時々 あ 寿の渡邊くんね と言われたりします 思い込んだら それをどんどん突き進んで行っていましたが それを受け止めてくれる同級生や先輩がいたり 遠くできちんと見てくれている先生がいました 新潟から全然知らない東京に来て しかも寿町のような所は新潟にはありませんでし

26 たから すごく刺激的ではありますが そういう所に住民票を置いて生活するという冒険に対して いいんだよ と後押しをしてくれる安心感がとてもありました 私は いずれ新潟に戻るつもりでした 新潟という所を見たときに 何をテーマにしていくかで 結局 地域福祉に行き着きました 新潟の地域を考えると 過疎の問題に直面しました 大橋 ( 謙策 ) 学長の研究室を訪ね 過疎地に興味があると先生に相談したら 多分その場で紹介状を書いてもらったと思います 書いた先が 島根県瑞穂町 ( 現在の邑南町 ) の社会福祉協議会でした 私は関東エリアとか新潟 東北 北陸をイメージしていたのですが そこに日高 ( 政恵 ) さんという 福祉活動専門員の方がいるから そこを訪ねていきなさい そこへ行くんだったら 知夫里島 ( 隠岐諸島 ) の公民館の職員で 社会教育に一生懸命な方がいるから そこも訪ねなさい と 大橋先生に言われました 全然土地勘がなかったのですが わかりました と行くことになりました 貧乏な学生でしたから ずっと各駅停車で訪ねていきました 瑞穂町の社会福祉協議会は 最寄りの駅から歩いて半日です 私がとにかく歩いていったら 一遍車で通った人がまた戻ってきて 車に乗せてくれました 半ズボンに大きなリュックサックをしょっていくものですから 結局 日高さんの家に数泊お世話になりながら 専門員の私生活も含めて 社協の活動を勉強させてもらいました そのあと 知夫里島を訪ねましたが 当然そこでも数泊ホームステイしました その中で 丸ごと地域に根差して業務を展開しているソーシャルワーカーの熱意に触れ 本当に自分自身がそういうことを志していきたいと考えました 学部時代に文献研究を十分にしなかった反省点はありますが 全然予想もしない地域に行き学べたことがきっかけになって 自分として本当に心 の底から地域福祉の方向に進んでいきたいという道が見えてきたような気がします また 当時は 他大学から非常勤講師として多くの先生方が来ていました その先生方がそれぞれの大学で持っているゼミの合宿に入れてもらい 早稲田大学の横山 ( 宏 ) 先生からは新潟県十日町市の公民館活動や 明治学院大学の河合 ( 克義 ) 先生からは岩手県沢内村 ( 現在の西和賀町 ) の医療福祉活動を知る機会に恵まれました 本当に多様な現場で学んだことが 今も学び続けられるというか 自分自身そういったものを思い起こしながら掘り下げていける いい学びの場になりました 学部の先輩で 国の生活保護のあり方を検討する会の委員になっていた横浜市のケースワーカー大川 ( 昭博 ) さんとも 授業で夕張炭鉱の話題が出て じゃ 一緒に行こう ということになりました 冬になると学割と冬季割引きが利いたので 20 日間ぐらい 夕張や礼文島に行きました 礼文島では 漁師の家にホームステイし 漁の手伝いもしながらいろいろ学んできました とにかく いろいろなフィールドワーク活動をやることができたのが 本当に自分にとって財産になっています そういう面では 今の学部生は 窮屈だ という言い方をすると失礼かもしれませんが かなりカリキュラムに縛られているところがあるのではないでしょうか 人材を育成していくという視点で 今後はここの部分で幅が出てくるといいのではないかと思います 新潟県社会福祉協議会に 新潟の福祉系大学を出て数年という職員がいます 彼が私の発表レジメを事前に見てアンダーラインを引いたのが 予備校化? と 少人数制を生かした一貫性のある教育の追及 です どうしてアンダーラインを引いたのか 昨日聞いてみました 新潟に福祉系の大学が複数あるけれども その大学がまとまって新潟の福祉を高めていこうということよりも それぞれが社会福祉士試験の合格率がどのくらいかというところで競い合っているように感じる

27 そればかりに先生たちが神経質になっているようで 学部生とすれば もっと先生が研究していることをいろいろ聞きたいし また教えてもらいたいところがある ほかの福祉系の大学ともいろいろ交流したい そういう面が心残りで終わった 4 年間だった と言っていました 少人数制を生かした一貫性のある教育の追及 では 25 年前にお世話になった大橋先生や阿部先生が現在も社大で教鞭を執っていることは 卒業生にとってみると 本当に心強いです 新潟の大学では割と先生の異動があり どの先生をよりどころにしていいのかつかみきれないまま卒業してしまったということです 渡邊さんは 卒業して何十年もたつのに 恩師と呼べる先生がいて いいですよね と 20 歳も年が違う職員から言われました こういう面が 社大が今まで大事にしてきたところであり これからも大事にしていってもらいたいところでもあります 社大は清瀬にありますが 日本全国の福祉系の大学 例えば新潟にある複数の福祉系の大学を束ねる役割というか そういう部分もこれから力を入れてもらえると 卒業してそれぞれ地方で頑張っている我々も 何か関わりができます 期間限定でもいいので 社大主催で地方で 夏季セミナー とか 日本社会事業大学林間学校 などがあるといいんですが 私の場合は 去年 1 年間休職して社大に来ましたが 来たくてもなかなか踏み出せない人もいます 地方の大学と社大がうまく連携しながら 地方の人材のスキルアップを図る役割を果たしてもらえると 現場にいる者にとっては とてもありがたいと思います 阿部長谷川さん よろしくお願いします 長谷川田園調布学園大学の長谷川洋昭です よろしくお願いします 佐藤さん 渡邊さんと共通したところが多く みんな勉強熱心 かつ愛校心旺盛です その結果 5 年で卒業している 一留 の人です 私も受験番号はよく覚えていて 4426 番で す その番号を見つけたときの喜びは 今もしっかりと覚えています なぜ私が そもそも福祉を目指し始めたかです 初めは 福祉は ボランティア とか 優しい人が施しをする というイメージしか持っていませんでした 高校生のときに何か職業を選ばなければいけないといろいろと考えている中で 非行少年やヤンキーと言われている人たちが 当時は腹立たしい存在として浮かんできました どうして非行少年と言われる人は 弱い者いじめをするのか 自分勝手な振る舞いをするのか よし なら俺が警察官になって 彼らを取り締まってやるぞ 法学部に入って 自分は警察官になるぞ そして非行少年と言われてる子たちをとっつかまえてやる という思いで 初めは警察官を志望しました しかし 受験に失敗しいろいろと本を読んでいるときに ある本に出会いました それが 司法福祉論 です この 司法福祉 という分野があることを 浪人のときに初めて知りました いろいろと考えていくうちに 彼らにも もしかしたらいろいろな事情があるのではないか 今 彼らの目の前の言動で判断しているけれども もしかしたら彼らだけの責任ではないかもしれない 仮に自分が警察官となって とっつかまえた 彼らが裁判を受け 少年院なり刑務所に入ったとしても 数年たったら私たちの隣の部屋に住む 私たちが住んでいる地域に戻ってくる そのことに気付いたときに 私が今まで彼らを見ていた憎しみや批判的な部分から 必要なものが見えてきました それが教育であり さまざまなかたちでの福祉的な支援です そして浪人をして大学を選ぶときに 法学部はすっぱり私の頭の中にはなく これは社会福祉学部一本で行こうと いろいろ調べました やはり費用面で初めは引かれて本学を選びました 初め 社会事業 とは 聞いたことがない言葉だったので これは土木事業でもするのかなと躊躇しました 親からも おまえ ちょっと変な大学に行くんじゃないか という心配もされました

28 しかし 東京で学べることも非常に大きく 東京に出るといろいろな生の情報がリアルタイムで来るのではないか そういう魅力もあり 社会事業大学を選びました 松窓寮に入ることになりましたが 初めは非常に不安でした もしかしたら おい 長谷川! コーラでも買ってこい! など 何か使い走りをさせられるとか 先輩からいろいろと言われるのではないかと びくびく上京しました そのびくびくは 初めは的中しました 入寮コンパで目の前に置かれたものは 1 人 1 本の一升瓶で 私の場合には 兵庫県出身長谷川洋昭さん と 黒々と筆文字で書いてありました これはえらいところに来たな と思いつつも 先輩たちが受け入れてくれる 歓迎してくれる気持ちが伝わって これはやっていけそうだなと安心しました 寮では 週に 1 回掃除の時間があります 掃除の時間が始まると 上級生が率先してほうきを持ち 雑巾を持ち バケツに水を入れて動き出します 4 年生の先輩が 便所の床にひざを突いて雑巾掛けをしていました そういう姿を見たときに あ これは先輩にやらせちゃいかん 俺たちも頑張らんといかん と 1 年生同士で話をしました 先輩たちより先に 先輩たち以上に動こう そういうところで 先輩たちの背中から 率先垂範 ということを学びました 寮生活はとても楽しく その中でいろいろな出会いがありました 昔卒業した顔も見たことがない先輩が 両手いっぱいのお酒を持って寮を訪ねてきます 災害用ハンドスピーカーを持って おい これから酒を飲むから 全員集合! と言うのです 時には夜 12 時を過ぎるときもありました はた迷惑なのですが ただでお酒が飲めるという下心もあって 先輩が待つ部屋に行きました すると先輩が 福祉とはなあ と いろいろな理想 現実 葛藤を私たちに話してくれます それを聞けるのが非常にうれしい ああ 寮に来てよかったな 社大でよかったな という思いがいろいろありました 寮は 分野は違えども同じ志を持った人たちが それぞれのフィールドからいろいろなものを持ち寄って角逐し合う すばらしい学びの場 出会いの場でした 今 寮でのいろいろな語らいを思い出す中で一つよく覚えているのが 本学の 50 周年記念式典です 天皇 皇后両陛下もいらっしゃって 大変大きなイベントでした この日の夜 同期 先輩 後輩 仲のいい者が十数名部屋に集まり この大学の 100 周年のときには 俺たちがそれぞれの分野で この人あり と言われるような存在なれるように 今から頑張ろう 100 周年は 俺たちが主役になれるように頑張ろう と 静かに杯を傾けた思い出が残っています 職業を選択するときに 入学してから考えたのは少年院の先生 法務教官です 彼らに対しての矯正教育 更生保護を考えていこうと 東京家庭裁判所の 東京少年友の会 に学生会員として入りました 試験観察の少年たちと合宿やレクリエーションをやったり 子どもたちとかかわって この子どもたちから冷たい仕打ちも受けながらも 実際の学びをやっていきました その他 BBS 会に入り 少年院のレクリエーション活動をやりながら 大学で学んだことは当然ありますが 現場に出て フィールドから学ぶところも非常に多かったと思います 現場が大事だ フィールドから学んでいかないと 福祉というのは本当にわからない ということを教えてくれたのは 寮の先輩です 私たちが 大学に入って これからどういうふうに勉強していこうか といろいろと模索しているときに ある先輩が おまえら 福祉の勉強したいんだろ 福祉を勉強するんだったら どんな分野でもまず貧困の現実っていうものを肌で知っとかないとだめだ よし! 今からサンヤに行くぞ と言いました サンヤと聞いても どういう字を書くのかも判らない そういうレベルでした 台東区日本堤にある日本最大のドヤ街の山谷地区です 先輩にそこに連れていかれました すると私の目に飛び

29 込んできたのは 血反吐を吐きボロ雑巾のように道に横たわる人でした これはショックでした この人たちと色々話がしたい と 一ヶ月に何度かは土木作業員の格好をして通うようになりました そして 山谷の玉姫公園で一緒にたき火を囲み おっちゃんたちがどこからか集めてきたビール ウイスキー 焼酎などをごちゃ混ぜにしたわけのわからない液体を一緒に飲みながら 私自身は吸わないたばこも一緒に口だけでふかしながら おっちゃんたちとのかかわりを大切にしてきました そういうところで現場から学ぶことの大切さを実感し 今は大学でこの様なことも学生たちに伝えようとしています 結局就職したのは 新宿の青少年福祉センターです ここは児童養護施設 児童自立支援施設 少年院を出た子ども 家庭裁判所などから試験観察に来た子どもたちが 働くことを通して自立を目指す施設ですが そこに大学 5 年生のときに住み込み就職というかたちで入職しました 卒業論文は そこでの実践 彼らとのかかわりを基に 拙いですが自分なりに書けたと思います 働いているときは 私自身が若かったこともありますが 日に日にころころ変わる子どもたちの喜怒哀楽の感情と付き合っていく かかわっていく日々は毎日が大変でしたが 非常に楽しかったです 私がそういう楽しい職場を離れ なぜ大学に来たかというと 春日部のある暴走族の子が入ってきたときに 長谷川さん 俺の話を一番聞いてくれた大人は 俺のことをブン投げた埼玉県警のお巡りだった と言いました そのことを聞いて 私はふと昔のことから今までを振り返りました 私が今仕事でかかわっている子どもたちは 警察 裁判所 少年院 児童養護施設など いろいろな施設 機関を経てきた子たちです でも本当に葛藤して 悩んで 彼らが魂のこもった言葉をかけてほしいタイミングは 司法的な流れで言うと 一番始めの警察官ではないかと思います これまでは少年院から出てきた子ばかりを相手にしていたので 子どもが迷っている そのとき に 言葉をかけられる立場に就きたいと思い 29 歳のときに思い切って退職し 警察官を志望しました 高校生の時の私は憎しみを持って非行少年を見ていましたが これからは今までの経験と技術をもって 彼らの気持ちがわかる少年警察官になろうと決意しました そして トラックの運転手や土木作業員 日雇い労働などをやりながら 頑張って公務員試験に見事合格! どこの県警とは言えませんが 五つ 六つ受かりました 警察官の制服に袖を通すこともできましたが しかし最終的には不採用となってしまいました それは 私自身が高校生のときに司法的な段階を経験してきた経歴があること その他もろもろあり 残念ながら夢がかなうことはありませんでした 大学を出たての人よりも よほどあの子たちの気持ちがわかるだろうという自負もありました せっかく合格したのにと しばらくは失意の底で これから社会に対してどう貢献していけばいいのかと考えているときに 私の家内から 同じ 社大生 で松窓寮女子部の出身ですが どうせここまで勉強したのだから 大学院でもう一度勉強してみたらどうですか というアドバイスもあり 本学の博士前期課程に入学しました こちらで指導して下さったのが 阿部 ( 實 ) 先生でした 阿部先生は 私が学部の 1 年生のときの基礎ゼミの先生です 私は 先生は第一希望ではなく第三希望でしたが なぜか阿部先生になってしまいました そしてマスターでも指導を受けました 大学院に入って 初めてこの大学の先生方のすごさを遅まきながら知ることになりました 学部のときはどうしても受け身で こちらの階段教室等でも 見られていないと思い違う本を読んでいたり 何かいろいろとこそこそしていましたが 大学院は受け身ではありません 自分から学ぼうとして目的を絞ってきますから 本当に必死になって学んでいくときに 改めて社大の持っている包容力とか力強さを実感しました 阿部先生の厳しい しかし 愛情あふれる指導

30 のもと 2 年間で修士を終え 期せずとも教職の道に行くことになりました 今は 社会福祉士養成にかかわっています 自分としては 学生のときは実習生 働いているときはそういう実習生たちを受け入れる実習指導者 今は大学教員として学生たちを送り出すという三つの立場を経験しているので それぞれの気持ちを受け止めながら これから未来ある学生を立派なソーシャルワーカーとして育てていきたいと思います 以上が 私の個人的な社大のエピソードです 阿部 これが社大の教育の成果だ という 熱き思いはよくわかりましたが 質問を受ける前に 一言ずつお答えをお願いしたいものがあります うちの大学は 対外的にも学内的にも 厚生労働省から委託を受けている状況の中で 常に先導的 開拓的教育モデルを目指すカリキュラムの改革をやって 学生をうまく育て上げることに努力しています シンポジストの 3 人にとって 皆さんが受けてきた教育の中で それぞれ40 年前 30 年前 20 年前を考えたときに 今から振り返ると 社大の学部の教育は こういう面でその時代を考えると先進的なことをやっていたということを挙げてもらえれば 存じます 佐藤 40 年ほど前のことなので もう忘れていると思いますが 社大の中で 私自身が一番得たことは すばらしいスタッフがいたことです 先ほど 学生時代のことはよく話しましたが 図書館の職員になってから大学の先生ともお付き合いをし 大学教師と職員という立場の経験をしています その中でいろいろ学んだことは 熱い思い がすごくありました 社大の先生は特にそうですが 授業の時間だけではない時間に対しての思い入れのほうが むしろ非常に多くあったのではないかと思います 社大の給料はそんなよくありませんでしたが よくあれだけ飲めたというぐらい飲んでいました 今はもっとお金があるはずですが そういうことができないのは どこが違うのかと思います 皆さんは現場に出ていますが 私にとっても 社会調査実習 というフィールドワークが 非常に大きな財産で それが原点だ というお話をしました 渡邊さんも長谷川さんも フィールドワークのかたちは違いながらも いろいろなところで体験しています お二人は寿町とか山谷での体験でしたが 原点があって それぞれ社大生は どこに原点があろうと 思い が一つにつながるところが 線としてあるのかと思います そういうことが これからの社大にとっては大事なことです 福祉に携わる者の根本的なマインドがあり その中で ものすごく包容力があって それぞれの学生の主体性を活かして いろいろな動きの中から指導 助言をしてくれる先生が周りにいました そして 遠くから見つめて 決して見捨てない包容力があった という言葉に なるほどと思いました 渡邊さんの言葉 長谷川さんの言葉 時代が違うにしても それが社大の線として残っているのではないかと思います われわれは 常に人を相手にする仕事に行き着き その中で何が大切かを 社大のバックボーンとしてきっちり残していけるかということです ただ 時代に合った 要請に合ったいろいろな教科とか問題はあるにしても そこだけはしっかりとバックボーンとして持って これからも進んでもらえればありがたいと思います われわれ社大を卒業した者としては 決してマイナスということは考えていません できたら われわれみたいな人間を もう少しうまく重宝に活用するネットワークのシステム作りを これからしていくことも大事なことではないかと思っています いろいろな意味で卒業生がいっぱいいて いろいろな福祉の実践現場で頑張っているので そういう人たちをうまく活用して そういうものを伝えていくことが これからの学生を育てていく上にとって 大事なことかと思います 先ほどから松窓寮の話が出ていて 社大の歴史は残っている われわれがいたときのものが 今

31 の世代までまだ続いている感じを受けますが 今は果たしてどうなのかわかりません ただ このお二人にとっては 社大の松窓寮の精神が残っている感じを受けました そういう守るべきことは 守るようなことを これからも継続してもらえればありがたいと思います 阿部それでは 渡邊さん 渡邊社大が原宿から清瀬に移っても 社大としての学生と教員とのコミュニティーのよさは 引き継がれていると思います また いろいろな実践現場を紹介してもらいましたが みな優れた実践現場であり そこにいる優れた指導者を 先生方がうまく紹介し導いてくれたところがあります 一方で 私自身の反省点としては いろいろなフィールドワークが地方だったので 授業に出ないことが多くて 非常にすばらしい研究 実践をした先生がたくさんいたのに 学部時代にはなかなか学びきれなくて 大変もったいなかったという後悔があります それについては 去年 1 年間 専門職大学院で学んだことを契機に 現場に戻り埋れてしまうのではなく 理論面も引き続き学びながら実践していきたいと思います 社大には本当に優れた先生方がいて 自分にとっては学びきれなかったことが 学部時代を振り返ると反省点としてあります 長谷川卒業してから 社大の先生 社大の教育の良さを知って もったいなかった もっと勉強すればよかったと思っている人はいっぱいいると思います 今後は 専門職大学院というすばらしい組織もありますので どんどん卒業生が戻ってきて さらにパワーアップして それぞれのフィールドに帰ってもらえればと思います 私は この大学には学生に受け継がれている文化が色濃く残っているといつも思います それは生活の場面であり 人間関係 学びの場でもあると思いますが そのような文化を学生に意識してもらい 守るべきもの 受け継いでいくものは何か そしてそこに乗せていくものは何かというものを ぜひとも新しい今の学部の人にも考えてもらいながら続けていってもらいたいと思います これは 私も外に出てから社大には色濃い文化があったことを 今まで行ったいくつかの学校との比較で感じました 例えば フィールドワーク実践の一つであるボランティアでも 学生たちは探し方がわからないのです 提供された資料を見て その提供された情報を選択していく学生が非常に多く 自分から探していくとか ボランティアを募集していなくても ちょっとやらせてください と 自分から相手にお願いしてということが 非常に欠けていると感じました 先ほど私は山谷の話をしましたが いくつかの学校の学生を実際に山谷に連れていきました 5 6 人の学生ですが 一緒に行ってたばこを吸って すばらしいおっちゃんたちの香りを嗅ぎながら交わり 語り合うことを実施しました 今までは 長谷川が一緒に来ていましたが これからは皆さんが新しい人のつながりを使って 今度は後輩にバトンタッチをしてください そしてこの学校で また皆さんが新しいフィールドを作る文化を皆さんが作っていってください と 学生には言いました 夏にはすばらしい香りを発しているおっちゃんたちですが 冬になると みぞれが降る中 毛布もかぶらずひっくり返っているおっちゃんがいます そういうところに学生が行ったことがあると 今後冬に雪が降っていても ホワイトクリスマス! とか まあ ロマンチックな日ね! と 単純に浮かれられなくなります 雪が降っている外を見ると あっ 今日はおっちゃんたち凍えているだろうな と 想像力がついていきます 願わくばそれを同じ世代である学生が そのような文化を継承していってほしいと思います そういうことを社大で学んだので 今度はそれを私自身が別のところで種をまくように意識して学生とかかわっています 阿部ありがとうございました まとめて ご意見なり ご質問なりを受けます 何かありましたら 手を挙げてください 市川私は 本年度初めて 通信教育科で社会教

32 育主事を学んでいる市川です 今日は 皆様方の本当にすばらしいお話を聞けて感謝しています 一つだけ 女性の声が一つも聞けなかったことがとても残念でした 皆さんは本当にすばらしいですが 女子学生の多い社大ですから やはり女性の声をどうしても聞きたいと思います 20 分ずつ 3 人ならば 15 分ずつ4 人でもいいので ぜひ今後は 女性を 1 人でもいいので そちらに立たせていただければと思いますのでよろしくお願いします 阿部そのほかに何かありますか 小林今年から編入生で入ってきた 3 年の小林です 今 お話を聞いていて 大変充実した内容の話ではありましたが 最後に阿部先生から質問のあった 厚生労働省から委託を受け 努力をしている大学として 3 人の方々が受けられた授業と今の社事大の授業は だいぶ違っているのではないかと思います 出席の取り方にしても 自由から規制に向かっています チェックやカードリーダー リアクションペーパーなどでの出席のチェックも厳しくなっていますし 先生方自身からも ちょっと忙しくて大変だ という声が聞かれる現状です その中で 社事大の持ってきた文化のよさとかそういうものも 私自身はとてもよく感じられますが 施設長の佐藤さんからのお話で やりきれない閉塞感とか 現代の世の中で 最後の長谷川さんの中に 社会福祉教育のモデルとしての存在感を発揮できるかは 今 ここからの努力が必要 と書かれています 私も 社事大に期待を持って入ってきた者として その辺のところを皆さんからお聞きしたいと思います 佐藤私は 今 特別養護老人ホームで働いていますが 現場の実態を含めてお話しします 私のところは 老人福祉法 と 介護保険法 の二つの法律のもとにあります 介護保険は事業ということで 今までの私どもには 非常になじみの薄い 契約 という概念でいろいろな人たちと接しています その契約の中で 当然やらなく てはいけないものが あまりにもあり過ぎます いろいろな面で 説明責任は当然あります 納得して 署名 捺印をしてもらいます 契約書を交わし 重要事項の説明書も交わします 例えば身体拘束の場合は なぜやらなければいけないかということもすべて書いてあるし やるとすれば 当然 利用者にも説明して納得してもらいます たとえそれが 家族から頼まれたことであっても 所定のルートでやらなければいけないし それの廃止に向けての努力がいかにされているのかも記録に残していかなければいけません いろいろな面で 今 介護現場に入ってきた人たちは 本当にやりがいを持って 生身の人間としてお年寄りの世話をする中で いろいろなものを学び取ったり 人生の先達から学び取るとか 要するに 介護という仕事にやりがいを持っていること以上に 記録とかいろいろなことに押されてしまって その中でやりがいがだんだんうせてしまって 現場からいなくなってしまいます つまり志と意欲を持っているのに 手応えを感じる前にやめてしまうというのが現状です われわれは 1 人の人間を一人前に育てるために 1 年近くかけて マン ツー マン体制で 社会福祉士 介護福祉士を指導しています 現実はそのような努力をしてマンパワーを養成しています 今まで 規制緩和 とか 適正化 という言葉で表わされる中で いろいろなことが成されてきましたが それが今 また見直されて その動きの中で振り回されています われわれの現場でも 例えば 重度加算 栄養ケアマネジメント 身体拘束の問題 ケアプランの問題 いろいろな場面においてデスクワーク的なものが非常に多くなっているのが現状です 契約ということで お互いが納得のうえでやっているので こちらがサービスの中でうたっていることは 当然やらなければいけません また やっているというだけではなく 記録で残してきちんと証明されなければいけません 多分 これからの介護福祉士とか社会福祉士の教育の中では 記録 という問題が 非常にクローズアップされ

33 てくると思います そこが 今 われわれが非常に悩んでいるところです 夢を多く語れなくなっている現場があります そこのところを何とか変えていくような方策を 例えば施設長という経営 運営の立場にある者が これから考えていく むしろ もっと早く考えていかなければいけないことだったかもしれません 本当に今 福祉界の緊急の課題として考えていくべき時期に来ていると思います 熱き思い やりがいのある仕事の場であるという中にとどまってほしいという思いが 非常に強くあります そのための具体的なものは何かということを 早急に作り出さなければいけないと感じています 阿部 3 人のシンポジストの方の話を聞いていると 福祉の仕事をしていくうえで 最も基本となる社会福祉 ( ソーシャルワーク ) の価値 福祉マインドで必要とされるものは 社大の教育を考えたときに 正規のカリキュラムの中で形成されたかというと きっかけになるものはあったかもしれませんが ある意味で文字化されない部分なので いろいろ調査実習を通じたり あるいは 現在で言うと 渡邊さんがいろいろなところの体験学習をしているということですが 例えば インターンシップに基づくカリキュラムであるとか 厚生労働省 あるいは埼玉県等に学生が行っています 渡邊さんの時代だと 自主的にやらなければならなかったことを システム的に教育の中に取り組む試みはしています また 佐藤さんから 今 自分がやっている仕事を好きになれ というお話がありましたが そういう問題に関しても 福祉の仕事を人生の目的の一つに掲げて生きていくことを考えたときに 入学した段階から卒業するまで きちんと自分自身で主体的に達成目標を掲げて 4 年間 充実した学生生活と教育を受ける者を 側面的に援助するかたちで ポートフォリオに基づく教育をはじめとして 教員 1 人が 1 学年 7 人から8 人ぐらいの学生を担当して そういうことに関する相談に乗る教育システムを導入しています 佐藤さんとか渡邊さんから見たときに そういう正規のカリキュラムの中で教育できるものと 学生の主体的な活動を考えたときに 教員のアフターファイブのボランティア活動も必要です また 学生同士の教育意欲を総合的に考えないと ソーシャルワーカーの教育はうまくできません うちの大学の大きな悩みは 総合大学というかたちで 大学院が二つと通信課程ができて 全体的な動きはうまくいっていると思います しかしながら 例えば教育スタッフが増えたかというと 必ずしも事業規模に見合う教育スタッフが確保できていない状況もあります わかりやすく言うと 原宿時代の教員の負担と 清瀬に移って 両大学院ができて 通信課程ができたことを考えると アフターファイブ前の昼間の負担が 講義だけでも 少なくとも 2 倍になっていると思います その中で 出欠を厳しく取れ とか 授業評価とリアクションペーパーを取って 学生の意見を踏まえて 次の講義をしなさい ということもありますので カリキュラムは原宿時代と比べて相当充実しましたが 学生が自主的に育っていくことを考えたときに 仮に学生同士の教育力とか アフターファイブの教員との関係を考えると 頑張ろうとは思いますが 相当難しい状況に来ています 今日 話したような仕組みとか 教員に アフターファイブで学生と 3 時間ほど付き合ってください とか 授業が5 時 50 分で終わるとは考えるな ということは 要するに 9 時まで 清瀬のキャンパスで自主的な授業をやると考えるのは 学生は無理なので 大変なことだと思います 3 名のシンポジストの方たちに 今日 お話しいただいた 福祉マインドとかソーシャルワークの価値は 理論的にも実践的にも 基本です そこからスタートしますので それを学部の 4 年間の教育の中で どういうかたちで取り組んでいくかということを真剣に考えないと 原宿時の優秀な佐藤さんとか 渡邊さんとか 長谷川さんとか そういう学生が育っていくかどうかは 自然の流れ

34 に任せていたのでは なかなか難しいと思います 今日の話を聞いて改めて感じましたが そういうものは 場合によると 清瀬に移転してきてから 学生の間で希薄化しているかもしれません むしろ そういうことを教育するという話になると 学部で行くと 総合科目 が 1 年生にあります これは 市民の公開講座を兼ねたかたちになっています ここに 今はたった3 人ですが 本学の学部の卒業生を呼んで 1 年生に話をしてもらう機会を 3 回だけ持っています むしろ 今日の話とかを聞いていると 思い切った話ですが 同窓会等にお願いして こういう話を継続的に 福祉の専門という うちの教育で知識を身に着けてしまう前に 1 年の入学直後とかホットなときに まとめて土曜日の午後とか 1 日を使ってお話をしてもらうことも 一つのこれからの社大の教育の課題かなと思います こういう教育ができるのは 逆に言うと それだけの人材を輩出してきた社大でないとできないので 社大の教育の特色を出すことを考えても そういうことを本格的に考える時代状況なのかと思いました A 話をさせてください 阿部どうぞ A 私は 佐藤さんが生まれた年に社大に入学をした一人です 私の同級生は 44 人で 食べることが大変重要なことでした 朝はコッペパン お昼は水団 夕食はトコイモという時代でした 寮も 15 畳の部屋で 8 人が寝起きをしている状況でした 2 階が男性で 男女共用の時代でした 先ほど 福祉現場へ行っているとか 寮生活の状況の話がありましたが それらは われわれの学生時代のことが そのまま受け継がれている印象を受けました ただ われわれの学生時代は 学問としての社会福祉はそれほど発展してない時代で 例えばケースワークにしても 仲村先生がアメリカに行く前ですから いいケースワークというのは 竹内愛二さんの本を読まされた程度の授業でした しかし そのころの社会事業専門学校は われわれの心を育てた感じがします 今日のようなシ ンポジウムには 学生が全員出てくるのは当たり前ですが われわれが学生時代は 先輩が来ると その先輩をつかまえて どんな仕事を どんなふうにやっているのか を聞いて いろいろと自分の学習の参考にしました 先ほど阿部さんが言ったように 先輩たちを集めて 後輩たちに話を聞かせることは ぜひ必要だと思います ここに学生がいるとすれば 大いに仲間に こういう際には 出席すべきだ と宣伝してもらいたいと思います 阿部ありがとうございました それでは まとめに代えて お一人 3 分くらいでお願いします 佐藤社大は60 余年で 私が社大に入学してから 40 年ちょっとたちますので いろいろな実践を積み重ねてきて それだけの実践内容 バックボーンを持っている先輩諸氏がいっぱいいます その先輩諸氏の力を利用しない手はないだろうと思います 関東近辺にもたくさんいるので 手弁当で 電車賃だけで来てくれる人もいると思います そういう人たちをもっとうまく活用していくべきです 阿部先生の言われるように 心に福祉マインドをきちんと培っていく 続けていくことが 社大の大事なことではないかと思います 今は 大学そのものの中では 時代に沿ったかたちのカリキュラムが組まれていると思います それは 専門的なことを研究している先生方にお任せしても せっかくあるわれわれ卒業生たちの財産を もう少しうまく使ってもいいのではないかと つくづく思っています うちの利用者の皆さんに おめえたちは戦争を知らない 貧乏を知らない 神仏を知らない という言葉を言われたときに ものすごいショックというか あっ と思って 考えさせられました それは これから老人の年代に入る我々団塊の世代への警告のように聞こえました それからは 敬老の日には 必ず戦争の話を式辞の中に入れて お話しさせてもらいます 私が今大事にとりくんでいるのは 私たちの施設を利用している老人の人たちから 自分達の歩んできた人生やその中で培ったこと 伝えたいことを聞かせてもらうこと

35 です 今のうちに聞かないと あといなくなってしまいます そういうものを大事にしていきたい そういうことを面々と伝達していくことが 歴史につながっていくのではないかと思います そういう意味で 先輩たちの財産を大事に活用していくことも これから考えてもらえればありがたいと思います 渡邊今日 専門職大学院の同期生が何人か来ています 私は職場に入って 20 年目で 去年 1 年間休職して学びましたが 自分にとって大変勉強になりました 専門職大学院には 20 代から 60 代までさまざまな地域 さまざまな現場から集まっています ただ 残念ながら 1 年間学び復職を保障されている人は少なく 多くは職場を辞めているので 卒業して また新たに自分で職場を探さなければなりません 中には自身で 社会福祉士として開業を目指している人もいます 専門職大学院が リカレント教育の場として本来の目的に合ったかたちで 1 年間学んで 再び現場に戻って さらに現場でリーダーとして役割を果たしていく仕組みになれば なおさらのこと 社大が持つ売り物としての価値が高まると思いますので そういった現場の職員が不安なく専門職大学院で学ぶことができる仕組み作りを大学からもどんどんアピールしてもらいたいと思います 長谷川先ほど 編入 3 年生の小林さんから 存在感 という言葉はどういうことなのか という意見がありましたが 多分このシンポジスト 司会の阿部先生を含めて いろいろ発言した中のOB の力の結束が集約されて この存在感は出てくるのではないかと 私自身 今話をしているうえで感じてきました 私自身は社会福祉士養成の場にいますが 社大の歌詞の 社会の福祉誰 ( た ) が任ぞ というフレーズは 私が大学に入って校歌を歌ったときに ほかにもいい部分はありますが これは本当に社大生の社会的役割を一言で表している部分ではないかと思いました 私はレジュメに 肩ひじを張らない程度の使命 感と責任感 そして矜持 と書きましたが 大風呂敷を広げてしまうと 社会の 国民の負託にこたえる義務がある とまで私は思っています それは 社会のために何かを成したい それは誰が見ていなくても 誰が知らなくても そういう思いで社大の諸先輩方はやってきたのではないかと思います よく今は 福祉の現場はハードワークだ とか それに見合った賃金が支払われない といった理由で 学生が福祉学部を志向しない状況になっています でも それは昔からそうでした 昔から制度がない中で そこに支援を求める人がいるから 私たちの諸先輩方は腰をかがめて 手を差し伸べて そういうことをやってきたと思います そこで 現場の職員 教員がどれだけ学生と夢を語れるかということが これからは非常に大切になってくると思います ソーシャルワーカー ( 社会福祉士 ) の養成教育に関して 確かに私の講義でも出席を取っています その私も学生時代は当然サボって いろいろなところで遊んだり デートをしたりしました そういうゆとり ハンドルの遊びの部分から得るものは 非常にたくさんありました 今はどこの学校も 同じ出版社の 社会福祉士養成テキスト を使っています 学生のかばんからのぞいている教科書を見ると みんな同じものを持っています 勤務校と同じ路線に社会福祉士の養成校はいくつかありますが 学校が違っても どこの学校のどの学生も みんな同じ教科書を使っているのです そういうことで 多様な価値観を醸成できて 広くて深い視野を持ったソーシャルワーカーを本当に養成できるのでしょうか 少し薄ら寒い 憂鬱な気分になっています このままでは 金太郎あめのように同じようなソーシャルワーカーが生まれるのではないかと思います しかしながら 国家試験に合格しなければいけないジレンマがあることが 社会福祉士養成現場の一つの現状ではないでしょうか

36 最後に 私は学生によく 仕事を選ぶということは 生き様を選ぶことだ と話しています これからも自分のフィールドで 自分の守備範囲はがっちり守って頑張っていきたいと思います B 阿部先生 一つだけ質問させてもらえませんか 阿部どうぞ B 編入 3 年生のシロトです 先ほどのポートフォリオですが 1 人の先生が 7 8 人の学生の面倒を見る というお話でしたが 私は編入生で 編入生にはポートフォリオがないのではないかと思いますが ありますか 阿部去年から始めて 2 年生までしかありません 4 年間継続するということで 事実上は 3 4 年生は ゼミの先生がポートフォリオを踏まえて指導をするかたちになっているので ポートフォリオを持っているのは 現学部で行くと 2 年生までです B 私もゼミに入っているので ゼミの先生もいますが できることなら 編入 3 年生にもその機会を与えてほしいと思います なぜかというと 私も福祉現場に立ってきて 燃え尽きそうになって もう1 回こうやって勉強をしに来ています たくさん現場経験を積んでいる先生も多いと思うし 深く研究している先生もいると思うので いろいろな先生方のお話も聞きたいと思います ゼミの先生以外にもかかわっていきたいので 今後 検討してほしいと思います 先生方も大変だと思いますが よろしくお願いします 阿部学部長としては 弁解しておかなければいけないと思ったのは 渡邊さんのレジュメの 2 枚目 社会福祉学部教育への期待 というところで 社会福祉士資格取得のための予備校化 という指摘もありましたが 日本社会事業大学社会福祉学部に関しては 決してそういうことはありません 本学の学部のカリキュラムは あくまでも社会福祉士を全員に取らせることが基本です プラス 保育士 精神保健福祉士 介護福祉士 高校の福 祉科の教員免許 スクール ソーシャルワーカー わかりやすく言うと 127 単位が本学の基本的な卒業に必要な最低履修単位です 介護福祉コースだと137 単位になりますが そのうち 社会福祉の受験資格にかかわる科目は 46 から48 単位です 実際は 社会福祉士プラスアルファで卒業しますので 多くの学部の卒業生は 卒業するまでに150 単位前後を取得しています 受験資格のための科目が 卒業するときに 4 年間で取得した単位の 3 分の1とします 残り 3 分の 2 の 100 単位ぐらいは 基本的には自分で選んだコースとか 資格課程とか そこの勉強をしているので ほかの大学に比べると 予備校化 というのは 教養教育委員会 というのがあり ソーシャルワーカーを育てるのに教養教育をしなければならないということも本学の場合はあるので そこは誤解のないようにお話しさせてもらいました 結果的に 国家試験から行くと 参考までに言うと 今年の直近の社会福祉士の国家試験ですが ようやく卒業生 228 人全員が受験しました 全国でもほかにはないと思います 228 人全員が受験して 142 人が合格したので 合格率が 62.3% で 約 3 分の2の学生が国家資格を取得したうえに それぞれ保育士であるとか 介護福祉士 精神保健福祉士 教員免許 そういうものを取得して卒業しています 本学では 少なくとも 予備校化 という感覚をとらえたら うちの大学では 先生方から学部長としては総すかんを食うという それだけの見識のある学部の先生方がそろっているので そこは 安心していただければと思います なお 参考までに言うと 原宿時代には 社会科の教員免許と養護学校の教員免許があって 清瀬に移転したときに 社会福祉士だけでいい ということで 教員免許はやめましたが 福祉科の教員免許ができたので それを復活して 来年度からは 特別支援学校 ( 旧養護学校 ) の教員免許が取得でくるようになります 福祉と教育の連携 特に教育のこととなると 福祉のことにかかわり

37 ますので いくらか新しい目を出せればということで 単に社会福祉士の受験資格対応というカリキュラム改革ではなくて 学部のカリキュラム改革を検討中です そのときに いろいろと今日 お話を聞いたか たちで 先輩方が持っている英知を 学部教育に反映できるような仕組みも考えたいと思っていますので その際には 協力をお願いします まとめになったかどうかわかりませんが 本日のシンポジウムは これで終了します

38 教員研究報告 司会 : 矢部正治 ( 専門職大学院准教授 ) 報告 1: 蒲生俊宏 ( 学部准教授 ) 知的障害関係施設における従事者養成過程と史資料の整理保存のあり方に関する研究 報告 2: 大島巌 ( 学部教授 ) 新規開発福祉実践モデルの普及 定着に関するプログラム形成評価法の開発 報告 3: 宮島清 ( 専門職大学院准教授 ) 児童虐待の援助のあり方についての考察 ~ 平成 18 年に死亡した事例の分析をとおして~ 矢部それでは 教員研究報告 に入ります 最初は 蒲生俊宏先生から 知的障害関係施設における従事者養成課程と史資料の整理保存のあり方 に関する研究 の報告です よろしくお願いします 知的障害関係施設における従事者養成過程と史資料の整理保存のあり方に関する研究 蒲生俊宏 蒲生昨年度もそうですが 本大会事務局長をしています 私が事務局長として研究報告するのは いかがかな というのはあったのですが 文科省関係の補助金をいただいていまして テーマも本学の社会福祉学部が50 周年という歴史的なテーマでもありますので 若干前座のようなものですが 話題提供できればと思います 資料の1ページから3ページに 科研費 ( 科学研究費補助金 ) の申請のときの書類にちょっと手を入れたものがあります この中には 具体的な研究の成果は織り込まれていません 一方で 研究の枠の中で作業をしているわけですが 例えば 近江学園の昭和 20 年代の写真を整理して きれいに指紋などを取って保存し 再生 が可能になるようにデジタル化の作業をしたりしています お見せしようとすれば 2 千枚近くの写真記録がありますが 公開をどのようにしていくか どう共同利用していけるのかというルール作りも研究の課題の中に織り込んであります まだ一部を除いて皆さんにお見せできる段階にないので 中途半端な報告になってしまうかもしれません また一方では これまで10 名程度の知的障害関係の施設実践に従事者として長く携わってきた人にインタビューしているのですが 同様な事由がありまして これを文字としてどう生かしていくのかということについても検討の段階です 科研費の応募にあたっての書式が 1 2 3

39 となっていまして 今日はそこに若干の中間報告を含めて皆さんにお示しします タイトルが少し長いのですが 知的障害関係施設における従事者養成過程と史資料の整理保存のあり方に関する研究 と 二つの要素が入った研究です 下段の 史資料の整理保存のあり方 については 前学長の京極 ( 高宣 ) 先生が研究代表者として科研を取ってくれました その辺りで私も作業に入って それがまだ完了しないという事情があって それもこの中に入れたいということで 二つの要素が入ったタイトルになっています 資料の1ページに研究の動機が書いてあります 日本の知的障害関係施設についての歴史研究は というところで 歴史研究に取り組もうという若い人たちがあまりいないのが大きな課題です そんなこともあって 名前としては残っていますが 研究会としてはほとんど活動できていない状況になっています 精神薄弱者施設史研究会 は 1973 年に発足しました 条件としては 戦前に創立されて 現在 (1973 年 ) も運営されている 9 施設 を対象として研究を開始しています 創設年が古い順に並べますと 一番古いのが 1891 年 ( 明治 24 年 ) の滝乃川学園です 当初は孤女学院という今日で言えば 女の子だけの児童養護施設 のようなかたちで始まるわけです これが当時の言葉で言いますと 白痴の子どもたちを対象にした教育的な営為 を開始していくのです 以後 関西で白川学園 桃花塾 埼玉県で久美愛園 もともと伊豆大島にあって 八王子にもできた藤倉学園 旧筑波学園は 現在 茨城県で筑峯学園というかたちで東京都の委託も受けています 兵庫の三田谷治療教育院 千葉の八幡学園 広島の六方学園 この 9 施設が 対象施設になっています 施設史研究会の研究は 資料にも書いてあるように分析視点ごとに研究が進んでいます 施設教育思想 は 主に施設創設者のことです 滝乃川学園で言えば 石井亮一の教育思想等の分析です 二番目は 対象者 という言葉を使っています が 対象論 も含めて どのような人たちを営みの対象として考えてきているのか 実際はどうなのか 政策的なものとの関連も含めます 三つ目は 私が今 関心を持っている 従事者研究 です 主にこれまでは 本学名誉教授の吉田久一先生等も含めて滝乃川学園の初期の保母さんの聞き取りといった作業が 大きなボリュームではないですが 継続されています 次が 財政研究 です これは 戦前につきましては 施設は非常に苦労した部分です 今日のような制度はほとんどない中で施設経営に直面していたわけですから 例えば滝乃川学園にしても 初期のほとんどの収入は アメリカを中心にした海外からの寄付金で何とか生き延びていたという表現が妥当です 公的な部分との駆け引き等を含めた 財政研究 です 建築計画 は あまり聞きなじみがないかもしれませんが 研究グループの中に建築関係専門の研究者がいて 施設構想というか 子どもたち 利用者の生活の支援をどう見通していくかということは 建築の計画にかなり反映しているということで 先ほどの九つの施設 特に初期に造られた施設等についての改 移築 全面的な引っ越しについての建築計画から どのような構想が展開して当初の要素との絡みの中で造られているのかを分析しています 次が 教育方法 そして 地域社会との関係 です 一番最初の滝乃川学園について言うと 戦前期の無医村の中にできたということで 学園の医師が地域医療に当たっていました 旧筑波学園は 就学の猶予 免除が当然だった時代に 地域の小中学校に働き掛けて ほとんどの子どもたちに学籍を取らせて 施設から地域の小中学校に通学をさせていた事実がありました 最後に 日課 がありますが 日課 というのは難しいです それぞれの施設の事情とか 子どもたちの年齢 いろいろな条件によって日課という様式が可能になるわけですが 日課 についての分析はなかなか進んでいません これは 本学の学内学会にもとても関連の深い

40 五味百合子先生が編著者の 社会事業に生きた女性たちその生涯としごと の 1 冊目の表紙を持ってきたものです この中で 五味先生は この書の中には第一と第三のタイプの女性たちが採り上げられ と書いています 第一 というのは 自分が社会福祉の事業を立ち上げられたタイプ と言っています 第三のタイプ というのは 妻として いわゆる内助の功のようなかたちで 社会事業を作ってきた夫を支えたタイプ と示されています この書の中には第一と第三のタイプの女性たちが採り上げられ いつもそうであるように第二のタイプ 要するに創設者でもないし創設者を支えた妻でもないけれど 無名ではあっても実質的に子どもたち 今の言葉で言えば 利用者 との日常のやり取りを作り上げてきた人たちです その 第二のタイプの人々を登場させることができませんでした そのことの心の痛みを育てて いつかそういう女性たちが発掘され その豊かな心情を底辺で燃焼させ真実に生きた歩みのあとが残されることを切に願っております という指摘を73 年にされています 私はこれをやりたいのです モチベーションとしては 五味先生の指摘に心が動いた というのでしょうか 私は こちらにお世話になる前に 入所型施設での児童指導員の経験もありまして そうだな と思わされました 研究の対象は 先ほど施設史研究会の対象については九つ示しましたが 私がこの研究の中で研究対象として考えている施設を 若干皆さんにイメージしていただきたいと思います 日本知的障害者福祉協会が出している月刊誌で 昔は 愛護 現在は さぽーと からの写真をいくつか紹介します これは 滝乃川学園創立 10 周年記念 の頃の写真だと言われています 私が施設史研究会の作業の中で 新座にある立教大学の保存書庫で アメリカの聖公会が出している洋書を許可を得てたぐっていて その中でたまたま見つけた写真です 下のほうに小さい子どもたちが座っています 上 のほうには少し大きくなった女の子たちが立っています みんな女性です というのは 当初 石井亮一の施設構想は女性でした 明治 24 年に濃尾大震災にあって そのときに親をなくした子どもたち 特に女の子たちが 醜業者より人身売買の憂き目に遭っていたということを耳にした石井は 当時 現在の立教女学院の教頭をしていたのですが 日本人が組織し始めたキリスト教関係の救済の事業に身を投じていったということで孤女学院は開始されました 後ろのほうに立っている人たちのほとんどは 濃尾大震災から助けられてきた女の子たちです 下のほうの小さい子どもたちは その後滝乃川学園として 当時の言葉で 白痴児 の募集を掛けた中で新たに入園してきた子どもたちの姿です 滝乃川学園は 早くに保姆養成部を組織しています これは 明治 30 年ごろの写真だと言われています 滝乃川学園は 濃尾大震災で孤児になった子どもたちの将来を考え 一方で 当時まだ今のような知的障害関係施設という状況にありませんので 実際に学園で働く職員をどうするかということでも苦労しました その中で 保姆養成部という組織を作って ここで孤女たちを含めて将来教員 あるいは保母 その他女性として自立できるような養成をしていく組織を立ち上げました 今 私ども社会福祉学部でも多様な実習形態を持っています 社会福祉士もありますし保育士もありますし 介護等もあります その中で 滝乃川学園の養成部では 手を使う作業についての実習も積極的に取り入れていたようです ほかにも 教育学の講義とか 最近映画にもなった石井亮一さんの奥さんの筆子さんが フランス語を教えて語学の教育もしていました その一方で 印刷の実習とか 養蚕の実習といった手作業を盛り込んだ実習をしていたようです 1910 年に出された滝乃川学園の 学園のまとゐ に 保姆養成部の紹介があります この種の教育を施すにあたって 最も必要を感ずるは 本園趣旨を遵守して職務に忠実なる教員 保母の一言なり 年少の女児を教養し 職を習得するための教

41 育終了ののちは 教員養成部において心理教育等の学理と応用等を行わしめ かつ一方では助手 見習いとして実務に従事させしむ ただし 年少者といえども 児童の遊び相手等 年齢にふさわしき務めあり ということで 実際に濃尾大震災の関連の子どももそうですが 石井亮一等を含めた職員との関係の中で 事情のある子どもが新たに保姆養成部に入ってくるということもあったようです これは 1938 年に出された 滝乃川学園のその日その日 の中にある保姆養成部の卒業生である本庄春枝さんの言葉です お父様は けんかをすることと他人の悪口を言うことを絶対に禁じていらっしゃいまして そのような席に出会わした場合には いかなる事情にせよ手を出してはならない と戒められていました いよいよ卒業いたしまして いざ 実地に学園の生徒さんの教育保護の任に当たらんとするに際しましては 信仰と愛 そして最新なる科学の力 この三つのものなくしては 到底この尊い使命を全うすることはできません 都会に住むごみごみしたところの子どものことは 特にお気にかけて たとえ1 日でもよいから 空気のよいこの谷保へその子どもたちを連れてきてあげたい と申しました と回顧しています ごみごみした都会の子ども というのは 実際の中ではどこを指しているのか具体的に確定はできませんが 徳永恕等との交流も示唆されていますので かなり経済的に大変だった時期の状況との交流などもあったと私どもは考えています 生活も含めて保姆養成部に養成される人たちがいた 要するに 昼も夜の生活も含めてというところから こういったことが可能だったのかと思います 私が次にターゲットにしている施設の一つが 昭和 21 年創設の近江学園です これは 以前 柏樹社から出版されていましたが 2003 年にNHK 出版から復刊として この子らを世の光に が出版されています その写真をもってきました 糸賀一雄先生の写真です 糸賀先生が昭和 43 年 9 月 18 日に亡くなるわけですが その前日に滋賀で初任者の保母さんに対して研修をやっていました その内容を起こしたものが 愛と共感の教育 という本になっています 今年の入学式に 大橋 ( 謙策 ) 学長がこの中から引用したのかわかりませんが 無財の七施 を紹介されていました その糸賀先生が 無財の七施 を講義されている途中で倒れて 翌日に亡くなったのです いろいろ作業をしていたら 当時の 糸賀一雄著作集 を整理した社会福祉法人大木会という組織が滋賀県にありますが そこの前理事長が 蒲生さんが講義で学生さんに使うのであれば 一部分テープを録音していいよ という許可をくれたので この場には学生さんも多いので 皆さんにも糸賀先生の肉声をこれから 3 分ほどお聞きいただきます ( 糸賀 ) けれども人間が人と生まれて人間となる それは本来社会的な存在であるといいますけれど その社会的存在となっていく道行きというものをわたしたちは問題にしなければならない これを教育というのです 人と生まれて人間となる その人間というのは 人と人との間と書くんです 単なる人 個体ではありません それは社会的存在であるということを意味している 関係的存在であるということを意味している 人間関係こそが人間の存在の根拠なんだということ 間柄を持っているということに人間の存在の理由があるんだということ こいうことなんです ですから 人間となるということは社会的な存在であることを証明してゆくことになるということなんですね 生きるということは 社会的な存在として生きるということでなければならないんです ただ 本当に共感できるかどうかは年季がかかります 人間的愛情が 教育的愛に高まっていくというのには接触の年月がかかります 年月がかかりますけれども 人間的な愛情というものがだんだんと昇華されていきます そしてやがて わたしたちの心に本当の愛 人類における愛 ある

42 いは自分をもみつめる愛 そういうものが成長してゆくわけなんです もちろん一挙に到達はできませんでも それが人間となってゆく道行であるならば わたしたちは必ずこの道を歩みたい また 歩まねばならないし 歩むに違いないその道なんです 本来わたしたちはそういうものを持っているんですから そう歩むに違いないのです わたくしは 愛情の育ちと教育愛への高まりということをいったのですが これは わたくしは今理屈をいっている 皆さんとともに その理屈が理屈でなくて 自分の本当の心の動きまでに育つ 何年かかってもいいじゃありませんか もう その道行も目標もはっきりしているんだから 何年かかってもいいから あわてず急がす 本当にわが心の中に愛を育てていきたいと思います 愛というのは 育つのです 愛がもともとあるから育つのです 愛はどこからか金で買ってきたようなもんじゃないんです どこからかくっつくものでもない しかし 愛が育つのには いわゆる 愛憎 の中の愛情というものがまず育ってこなければなりません 蒲生糸賀先生の肉声です ただ この中には糸賀先生が私淑していた木村素衛の宗教哲学というか 教育哲学が反映されているのではないかと思います 亡くなる前日の講演でした これは 同じように この子らを世の光に の扉の写真の一つですが 昭和 24 年の写真です 近江学園の表坂で写生をしている子どもたちの写真です 非常にいい表情だと思って うちの学部のある先生と飲みながら いや 先生 すごいいい顔しているんですよ と話をしましたら その先生に 蒲生さん それまで浮浪児だったりして食べられなかった子どもたちが 食べられるようになったら いい顔になるのは当たり前じゃない 言われまして 鋭い指摘だと思いました 一方では そこに何があったのか と その先生の指摘に真っ向から挑んでいけるような研究をしなければいけないと肝に銘じながら いつも眺めている写真です もう一つは 国立秩父学園です 昭和 33 年に作 られて 今月初めに記念式典に行ってきました うちの学部と一緒で 今年創立 50 周年を迎えています これは 第一期の養成所です 今もありますが 保護指導職員養成所の第一期生の入学式の写真です 真ん中に座っているのが 初代施設長の菅修先生です 左から 2 人目の女性は 藤倉学園の園母として活躍された 川田はな先生です 真ん中の辺りに養成部に入学したての一期生の学生が並んでいて 本学とのかかわりも深い田ケ谷先生の顔も見えます 高橋彰彦先生の顔も若いころのままです 私の研究のテーマは 糸賀一雄研究 でも 石井亮一研究 でもなく 先ほどの笑顔を支えたと思われる人たちです いわゆる 第二のタイプの女性たち をフォローしたい その1 人として もう亡くなられましたが 初田春枝先生です 初田先生は 近江学園の田村一二先生が作った石山学園から24 時間生活を支え 子どもたちの学習を支えました ある時期 請われて秩父学園の創設に加わりましたが その後近江学園に戻られ 結局若くして亡くなられた人です これは 吾亦紅 ( われもこう ) というタイトルの初田先生の追悼文集です これからの作業の一つとして これは たまたま近江学園が出している 南郷 という昔の手刷りの雑誌ですが こういったものも分析の対象にして整理をして なおかつ内容の吟味をするということがあります いたずらで しつけとは と書いたのは 糸賀一雄先生が あるとき学園の職員の奥さんたちを集めて 皆さん しつけとは何だと思いますか と尋ねたそうです 皆さんは しつけ と言われたら どういうふうに定義するかわかりませんが そのときの糸賀先生の答えが しつけ とは 雰囲気を作ることだよ と言ったそうです 戦前の滝乃川学園の本庄春枝さんも含めて 雰囲気を作る といったことが一つのキーワードだと思います この真ん中に座っている方が 初田春枝先生と

43 同期に近江学園で保母兼教員として働いていた人で 勉強のない国 という本を初田先生らと書かれた方のうちの 1 人です この先生にも既にインタビューを行いまして また今度 滋賀県の大津の対岸ぐらいにお伺いする予定です 左側は 大木会の前理事長だった三浦 ( 了 ) 先生です この辺をどう総合化できるかが 非常に大きな鍵ですし 史資料の公開と共同利用をどう進めていくか というのも大きな鍵ということで 続けて作業をしています 研究結果の報告ではなくて ほとんど紹介のようになってしまいましたが 前座みたいなところで失礼させていただきました 矢部どうもありがとうございました 限られた時間ですが 質問を受けたいと思います よろしいですか 新規開発福祉実践モデルの普及 定着に関するプログラム形成評価法の開発 大島 巌 新規開発福祉実践モデルの普及 定着に関するプログラム形成評価法の開発 の中間報告をいたします この研究は 昨年度から文科省の科学研究費の基盤研究ということで取り組みを始めたものです 学内共同研究にも位置付けていただいて このタイトルは 今年度の共同研究のテーマとして位置付けたものです 学内共同研究として社大の多くの先生方に関わって頂いています 先生方の関わっているそれぞれの社会福祉実践プログラムがブラッシュアップされてより良いものになるにはどうしたらいいかという狙いを含めて共同研究を進めています 研究プロジェクトの目的を整理しました よりよい福祉実践プログラムを構築するための科学的根拠に基づくアプローチです そのアプローチ法を共有化して 関係者の間で知見を共有する さらに そのアプローチ法を実践現場の中で適用できるものにしていくことです 背景ですが 最近 10 年ぐらいの間 科学的根拠に基づく という言葉がはやり言葉になりました 初めに 医療の世界で 科学的根拠に基づく医療 という言葉が出てきて それを後追いするようなかたちで 科学的根拠に基づく看護 とか 科学的根拠に基づくソーシャルワーク とか 科学的根拠に基づく臨床心理 とか いろいろな言葉があります その実践領域をまとめて 科学的根拠に基づく実践プログラム (EBP) が位置付きます 今回取り扱っているものは 主に EBP の領域です このアプローチの仕方で 科学的根拠に基づく というのは 効果を上げるということと裏返しの関係にあって 効果的なプログラムモデルを位置付けていくことが重要です どういう取り組みをすれば効果が上がるのか ということに注目して どういう取り組みをしたらいいのか という部分を 効果的な援助要素 という形で定式化して行こうと考えています 効果的な援助要素 をまとめたものを フィデリティ評価尺度 でまとめて行こうとする国際的コンセンサスがあります 効果的なプログラムモデルを作成する上で もう一つプログラム理論を用います プログラム理論に関しては のちほど簡単に説明します 背景の 2 番目ですが 日本の状況を眺めてみますと プログラム評価を進めていくのが難しい状況があります まず 日本の関係者の間で 科学的プログラム評価法 とか 科学的根拠に基づく実践 に対する関心が薄い 最近は 介護保険

44 とか 自立支援法 などで新しいプログラムがどんどん導入されていますが それらのプログラムの多くは 実践の積み重ねの上に成り立っているというよりは むしろ行政主導で お役人のデスクプランとして出てくることがかなり多いのです その原因となっている大きな要素として ソーシャルワーク関係者の間に 福祉実践プログラムの効果として何を求めていくのかについてのコンセンサスが形成されていないのではないかと考えています これに対して アメリカではここ15 年ぐらいの間にプログラム理論が生み出され 注目されるようになっています プログラム理論というのは 社会プログラムがどのような効果をもたらすのか どのような要素が効果に影響するのかに関する明確な見通しを与える因果関係や プログラム要素に関する一連の仮説群であり プログラムの設計図です その中身として プログラム効果に関する因果関係を示す インパクト理論 と どういうプログラムの働きをすれば効果をもたらすのかというプログラム要素に関する プロセス理論 からなっています 個別プログラムに対して プログラム理論をよく吟味することによって よりよいアウトカムを生み出す優れた実践プログラムの構築が期待されるのです アメリカのプログラム評価の最も標準的なテキストであるロッシのテキストにプロセス理論とインパクト理論が示されています プロセス理論には プログラムのサービスを利用者にどのように届けていくのかというサービス利用計画と 届けるためのプログラムの組織をどうしたらいいかに関する組織計画があります インパクト理論では プログラムがどのような結果 効果に結びつくのかを事前に予測しながら枠組みを作ります 具体的なものはのちほど出てきますのでご覧ください EBSC( 効果的福祉実践モデル構築プログラム評価アプローチ研究 ) と呼んでいるプロジェクトの実施計画ついて述べます EBSCというのは 科学的根拠に基づくソーシャルケアという意味です 本学を中心に 社会福祉実践プログラムにかかわ るさまざまな領域の関係者から構成されています この研究会の中で集中的な議論を重ねながら 各領域の社会福祉実践プログラムにプログラム評価の理論と方法を適用して それらがより効果的なプログラムに発展するためのアプローチ法を検討して 関係者間で協議することを目指しています それと共に 効果をもたらすプログラムを生み出す大きなネックになっているアウトカムの評価方法を検討します どのようなものを効果と見なしていくのかということに関しての検討を行います 可能なら社会福祉実践にかかわる多くの関係者が共有できるアウトカム指標を作り出そうと構想しています それぞれの領域で重要な位置付けを持ついくつかのプログラムを取り上げて 検討したアプローチ法を適用して より優れた効果をもたらすプログラムに発展する可能性について検討します この検討結果を踏まえて 日本の社会福祉実践プログラム領域に適合できて より効果の上がるプログラムモデルの開発 構築に有効なアプローチを提案して福祉関係者が合意形成を図ることを考えています 取り上げるプログラムは 高齢者領域の中では 児玉桂子先生が取り組んでいる 認知症高齢者環境福祉プログラム 東洋大学の小林良二教授の 高齢者退院支援プログラム があります 児童 思春期福祉領域では 藤岡孝志先生が取り組んでいる 被虐待児回復援助者支援プログラム 山下英三郎先生が取り組んでいる 引きこもり ニートへの就労支援プログラム さらに 昨年報告した 中学校精神保健福祉早期介入プログラム があります 障害者福祉領域では 佐藤先生や植村先生に取り組んで頂いている 就労移行支援事業 があります 精神保健福祉領域は 退院促進支援事業 日本型包括型地域生活支援プログラム ACT 心理教育プログラム です このような構成で それぞれのプログラムがよりブラッシュアップして鍛え上げられていくプロ

45 セスをサポートするアプローチ法を生み出していこうとしています 研究のプロセスは 六つのステージから構成されています 昨年度から取り組みを始めて これまでの段階では 第三ステージに近いところまでたどり着きました 本日の報告では 第一ステージ 第二ステージ 第三ステージのさわりぐらいまでの取り組みを紹介します 第一ステージは 効果的モデル構築のためのアプローチ法の検討と合意形成 です そもそも どのようによりよいプログラムにしていく方法を生み出したらいいのか ということについての合意形成を図らなければ この議論が成り立ちませんので 各領域の先生が集まって その方法に関する合意形成を図る作業をします その前に その枠組みを示して それについての合意形成を図ります それと同時に アウトカム指標についての検討を行うのが第一ステージの仕事です 第二ステージは 予備的プログラム評価調査の実施 で 制度モデル 既存モデルに対する予備的なプログラム評価を個別プログラムで行うことです 効果的なプログラムとその他のプログラムとの比較から 効果的なプログラム要素を事例的 質的分析によって明らかにします 第三ステージ以降は 第一ステージ 第二ステージの結果を踏まえて さらにはプログラム理論を適用する中で 暫定的により効果的であろうと思われるモデルを提示します それをマニュアル化し そのマニュアルに従ってスタッフ研修を行います 第四ステージで 全国プログラム評価調査 を行います 私どもの作り上げた効果モデルを全国に提示して そのプログラムに関心を持った人たちの研修会を開き 私どもの提案する暫定効果モデルについて議論しながら お互いに共有化する作業を行います それを約 1 年間それぞれの現場で実践し 1 年後に集まって そのやり方がうまくいっていたかどうか どういう成果 効果をもたらしたのかを検討します 第五ステージは その結果を踏まえながら 全国的な取り組みをしてデータが集まってきますので 量的な調査を行ってより効果的なプログラムモデルに関する提案モデルを作ります 第六ステージは 以上のプロセスを踏まえて 取り上げるプログラムが複数ありますので それぞれのプログラムがより良いプログラムに成長する方法論を整理して より効果的なプログラムを作り上げるためのアプローチ法について明らかにします 具体的には 実施マニュアルとか様式集からなるツールキットを確立して社会福祉関係者の皆さまに提案できればと思います 実証研究的には まず予備的プログラム評価という質的な事例研究で 効果の上がっている実践事例の訪問調査等をして 効果的な要素は何かを検討します その上で 量的な実証研究として全国プログラム評価調査を行い量的な分析を行います その一方で プログラム評価理論を作り上げていきます その評価理論をさらにいいものにしていくという中で プログラムモデルがより精緻化させて行きます 単に理論を作るだけではなく 既存の先行研究がありますので 関連領域の文献なども踏まえながら理論を作り上げていく作業を行います 全国プログラム評価調査では まず暫定効果モデルに基づいて スタッフに対する研修会を開催してプログラム内容について共有化を図ります そして 1 年間 暫定効果モデルに基づくプログラムを実施して頂きます 評価としては アウトカムの評価とプロセスの評価を行います アウトカムの評価に関しては 私どもが今作りつつある共通アウトカム指標を用いて プログラム開始前後で評価します また 暫定効果モデルに基づいて そのモデルにどのくらい適合しているのかについてのフィデリティ評価を行います 研究組織としては 高齢者プログラム班 児童 思春期プログラム班 障害者プログラム研究班 精神保健福祉プログラム研究班 からなり それぞれのグループが合同研究会として 全体の

46 流れを検討する 企画早発研究班 を組織します 予測される結果と意義は 社会福祉実践各領域のプログラムに共通する効果的なモデル構築のためのアプローチ法を確立させ その実施方法をガイドラインやツールキットの形で社会福祉関係者の間で共有すること 各個別社会福祉実践プログラムの効果的モデルが構築され 各領域でのプログラムの発展が期待されること です 現在取り組んでいる状況を報告します 第一ステージの活動に関しては このモデルに関して四つの領域の関係者からなる研究会を開催して 概ね共通認識が得られています アウトカム指標作成については かなり詰めた議論をして 合宿形式で 1 日かけて議論することも何回かやってきました アウトカム指標の開発に関しては 実践プログラムにかかわる関係者の間では エンドポイントとなるようなアウトカム指標の設定がなかなか難しい しかしながら 効果的なモデル 効果的なプログラムを作っていこうと思うと 何をもって効果とするのか ということに関しての合意形成が不可欠です そこを打開していく道として 一つヒントにするのが 健康関連 QOL という考え方です QOL( 生活の質 ) というのがここ15 年ぐらいの間に急激に注目されるようになってきました 保健医療の世界で ターミナルケアの領域では 援助して変化をもたらしたことに注目して 健康関連 QOL という尺度を作成しています 福祉の世界でもそういうものがあってもいいのではないかと思います 福祉関連 QOL という尺度を同様に作成できないかと考えました その内容としては 生活の質 社会機能 利用者の皆さん方の意識にかかわる項目です ゴール設定にあたって いくつかの領域ごとにゴールが異なると考えました 脱施設化のように生活の基盤を変えるという目標 社会的な役割 機能を拡大していく目標 緊急的生存権というか 身体 生命の安全確保と危険の回避という目標 地域生活を維持安定させ生活を広げていく目標などです 第二ステージ 第三ステージの 活動とその成果 ですが 第二ステージ 第三ステージの課題 としては 最終的に暫定効果モデルを作成するということです まず 対象とする実践プログラムの実情把握を行うことが必要です 全国に普及しているようなものであれば 郵送調査などで状況把握をします まだ始まったばかりのものであるとすれば 暫定的なヒアリングを行います 研究班ではその様式を用意します その上で 第一弾のプログラム理論を作る どのような理論を作ったらいいかという様式を用意する その理論に基づいて予備的プログラム評価調査を行います その調査票の様式を用意します それから よい成果 よい実践を行っていると考えられる活動 5 から 20 団体ぐらいに対する訪問聞き取り調査を実施します どのような調査を行ったらいいのか その実施バイタルを用意します 聞き取り調査の結果を事例報告書 事例表のかたちでまとめる様式を用意します その事例報告書や事例表を読み合わせて 研究グループの中で共有化を図ります フォーカスグループを中心に行います その中で 効果的なプログラム要素のリストを作ります それをどう作ったらいいのかの様式を作っていきます その暫定リストに基づいて第二弾目のプログラムの様式を用意します そして その理論に基づいて また暫定リストの改定を行い 暫定リストに対する現場の皆さん方の意見を聞きます その前に 実施方法をある程度作ります そのうえで 実施マニュアルを作ります また 実施マニュアルに基づくフィデリティ評価尺度を作成します 現在 退院促進支援事業 と 就労移行支援事業 についての取り組みが 先行して進んでいます この二つのグループは 少し先導するかたちでほかのグループにモデルを提供しています それぞれのグループのプログラム理論を示しています 最後に現在の取り組みの成果と課題のまとめです まず 退院促進支援事業班 就労移行支援事業班が先導して 研究が進展しています 退院促進支援事業班 就労移行支援事業班が開発した第 Ⅲ

47 ステージまでのアプローチ法を 他のプログラム班に適用する取り組みを進め 随時 そのアプローチ法を改定しています このアプローチ法は 既に普及が進んでいる福祉実践プログラムのみならず 新規に開発するプログラムに対しても適用可能であることが示唆されつつあります 暫定効果モデルの作成に当たって 日本の既存プログラムでは 評価可能性アセスメント (evaluability assessment) を まず最初に行う必要があり 評価可能性 の低いプログラムについては 実証的なプログラム評価調査の結果以上に研究者が独自にプログラム理論の作成を進め 効果モデルを構築する必要性があると考えられます 以上で報告を終わります ありがとうございました 児童虐待の援助のあり方についての考察 ~ 平成 18 年に死亡した事例の分析をとおして~ 宮島 清 次に 宮島清先生の 児童虐待の援助のあり方についての考察 ~ 平成 18 年度に死亡した事例の分析を通して~ ということで 昨年度の共同研究事業の中で行われたものです よろしくお願いします 宮島宮島です よろしくお願いします 大島先生の報告は とても規模の大きいものですが 私の研究は非常にちまちましたところで 逆にそういうところを狙っていくのが私の役割かと思います 私は もともと現場で実践してきて 今は専門職大学院で実務者教員として働いています まず 児童虐待を考えるときに とんでもないことをするひどい親だな 無責任な親だな と理解されることが多いと考えています その親の過酷な あるいは無責任な行動によって辱められ 痛め付けられ 非常に厳しいところを通らされているかわいそうな子ども そのような状況がありながら 動かない行政 があるという構造で児童虐待は語られてきました 大体 マスコミの報道によってさまざまな動きが出てきたことから こういう傾向が出てきているのではないかと思います マスコミの果たした役割は 非常に大きなものがありますが それ故に 偏ったものが出てきているのではないか と いうのが 私の問題意識になっています 今の児童虐待防止法は平成 12 年にできましたが 戦前の昭和 8 年にも旧法として児童虐待防止法ができました このときも明治の終わりから 大正 昭和の頭にかけて さまざまな虐待があり それが新聞に報道されました その報道の結果 世論が非常に盛り上がって 児童保護が必要だ という問題意識が出て旧法ができました 全く同じような流れによって 昭和の初めにできた法律と平成にできた法律には共通点があります ただ それ故にさまざまな偏りとゆがみが生じているところがあるのではないか 市民に求められるものは 発見であり 通告であり 行政に言うけれども 行政がきちんと動かないのは とんでもないぞ という声が基本的なパターンになっています 最近読んだ本に 江戸時代の 捨て子 の本があります それによると 江戸時代は 捨てた親よりも 見つけたにもかかわらず何の手立てもしなかった一般の人のほうが 量刑が重いという研究もされています 現代においては 市民として 隣人として責任を持って初期対応するというよりも すべてを 通告 ということで そういったやるべきことを置き換えているという傾向がある

48 のではないかと考えます その結果 行政に求められるものがどういうものになったかというと 通告を放置しないんだ ということです そして 速やかな安全確認をする ひどい親に対しては 毅然とした態度をする そうなると 親子の分離が非常に増えてきますので その受け皿を確保しなければならないという流れになってきました 平成 12 年にできた 児童虐待防止法 は 3 年後の見直し と言われたわけですが 実質的には 4 年後の見直しでした そしてまた 3 年後の昨年度に見直しがされました 中身は 発見を促進する 通告を促進する 虐待をされている児童が この時点では通告の対象になっていたのですが 疑いでも通告をしていいんだよ というかたちになりました 教育とか福祉にかかわる者については もちろんソーシャルワーカーも入ると思いますが 特別に発見しやすい立場にあるということで 努力義務が改めて明記されています また 通告しても それが保育所とか学校とか何らかのプライバシーにかかわる情報を得ているわけですが そこで 通告しても守秘義務違反ではないということが定めらました 発見 通告 の促進だけではなくて 速やかな安全確認 と 一時保護 を行うために さまざまなことが規定されています 通告を受けて安全確認をすることが定められていますが 近隣に聞き込みをしていいですよ むしろ しなさい ということが書かれています あとにトラブルが生じますので 最初は 警察に協力できる という規定だったのですが しなければならない という規定に改められています また これは児童虐待防止法には書いてありませんが 昨年の冬の段階で 児童相談所の運営指針のほうに 安全確認まで 48 時間以内である という明確な時間設定がされるようになりました 今回の改正によって 安全確認をすることを 前は 努める という表現が使われていましたが はっきりと しなければならない という義務に なっています あとは 児童相談所が呼び出しをする 来なければ 再呼び出しをする という規定が設けられました また 強制的な立ち入り調査 以前から立ち入り調査は決められていたのでが 鍵を壊してはいけない ということになっていました しかし 裁判所の承認が必要になりましたが 鍵を壊して入っていいですよ と 臨検 という表現が使われていますし 今度は 捜索 も規定されています また 地域で子どもたちの状況をつかんで 見守りをしたり対応をする組織を立ち上げることになっています それが 最初は できる というものだったのが しなければならない というかたちに定められ 改正するようになっています この状況について 私自身は必要なことだったと思っています さまざまな悲惨な事件があったということで それは防がなければいけないという認識を一つにしています 実際 日本でこの 20 年ぐらいに起こった歴史的な事実だったと思います しかし この施策の流れによって偏りが生じているという問題意識を私は持っている と 言いましたが 現場において失ってきているものがある 偏ってきているものがある 大切にされなくなっているものがあるのではないか という問題意識を持っています まさに それは 矢部先生が最初に話した 現場からソーシャルワークが失われてきているんだ といった危機感を感じています 実際の 児童虐待防止法 については 先ほど言ったような点だけではなくて 例えば第 4 条に 総合的な施策を国も地方公共団体もしなければいけません そのために体制整備が必要だ ということが明記されています しかし それに対する一般の注目度は非常に低いものですし 実際にそういう体制整備がなされていません 平成 18 年と19 年の市町村における児童担当の職員数は 市町村の合併等があった関係もありますが 大幅に何百人という単位で減っています 大

49 体 市町村に 1 名しかいませんので 市町村数が減ると 対応の人員そのものが削減されて この状況とは全く逆のことが実際は起こっていると言えます そういった問題意識から 今回はちょっと調べ事をしたということです ちまちましたやり方だ と言いましたが やったことはこの二つのことです 一つについては 難しいことですが 平成 18 年に亡くなった子どもの全数をとりあえず調べてみようと思いました 二つ目は この死亡事例の中で どうしても丁寧にもう少し見てみたいといういくつかの事例について 事例研究をしてみようと思いました しかし 両方とも 非常に情報が得られないものです たとえ 自治体の職員でも 自分の都道府県 市町村にいればできるかもしれませんが そうでなければ 検証委員会か何かに入って行う以外に方法がない問題です それでどうしようかと考えるわけですが 方法としては 警察庁の統計を調べて 実際に何人ぐらい死んだのか確認してみよう そして これに相当する事例について 新聞報道がインターネット上に再録されています インターネットの情報はちょっと危ないと思いますが 何々新聞の何日 ということが明記されている情報を拾い上げて 記事を一つ一つ読んで それを表にしてみました こちらについては 社会的にも非常に注目された事件です 裁判結果などはその後の報道に出ていますので 現場から来た教員として ソーシャルワーカーの視点で再吟味してみようというアプローチ方法を採ってみました ここに 問題意識 と書きましたけれども こういった死亡事例の検証は厚生労働省でもやっています しかし 私はこれに対して ちょっと問題だな と思っています 既に3 年か4 年連続してやっているのですが かなり深いものが出ています 私がこの調査をやったときには まだ同じ年度の18 年の調査が公表されていませんでした しかし この 3 月ぐらいに公表されました それを自分でやったものと比べ てみましたけれども だいぶ大風呂敷ですが 国の調査はレベルが浅いな と 勝手に思いました というのは すばらしい吟味をちゃんとしているのですが メンバーが 3 4 年代わっていないです そうすると 視点が固定化されているので コメントなどが平板になってきているな という感じがします 厚生労働省という立場 その研究班でもなければ こういった実際の検討はできません でも それをやることがある一部の研究者だけに独占されているとも言えると思います そうすると そのメンバーがずっと代わらないと 同じ見方しかできないのではないかということです 十分でないにしても 別の見方 別の視点でこういうレビューをしてみることは 私は必要だと思いますので ちまちましたものでも続けていこうと考えています ちなみに 厚生労働省は年度でやっています これについては 年でやっています そこで 必ずしも数は一致していません 数というのは 警察庁の 少年事件の概要 というところで拾いました 検挙された事件 虐待によって その被害児童数を取り上げています 今回分析した平成 18 年では 59 件ありました 平成 17 年は 38 件 平成 19 年については 37 件が報告されています そして その数に相当するものを新聞記事から拾ったわけですが 数はほぼ一致しました ただ 両者が本当に一致しているかどうかはわかりません 新聞で拾えたものの数と たまたま警察庁が発表したものの数が一致したということですから 実際は入れ替わっている事例も少なからずあるかもしれないと思っています ただ それ以外に手立てがないものですから これを頼りに60 余りの事例を子どもの年齢 死因 加害者等について調べてみました それがこの表です 実は 資料の 6 ページに一覧表を掲載しましたので ご覧ください これを作るために とにかく記事をよく読んで その記事についてコメントを書いていったというものです ここに 数字が 分類 と書いてありますが これは身体的な虐待だな これはこういう分類だな ということ

50 で入れています ここの脇に印がありますが 実は印が四つありまして それが詳しくケースレビューをした事例です 全体で 62 事例 ケースレビューが4 事例です まず a b c と大きく三つに分かれましたが 半分以上の32については 心中 育児ノイローゼ 精神疾患を持っている保護者 ということで そういう状況が間違いなくあります 心中が非常に多いということに改めて気付きました いわゆるイメージどおりの虐待という身体的な暴力は18 件 ネグレクトに分類されるものは12 件でした 死亡原因については 重複していますので より常識的なものを拾うというかたちを採りました 記事を読んでみますと 身体的暴力とネグレクトは重複していますので どちらかわからないものもありますが 主要な原因の方に分類しました ただしこの辺は 見分けがつきにくいところもあります そして 心中が非常に多い と言いましたがその中でも 育児ノイローゼや精神疾患が絡んでいるものがかなり多い さらにその中でも 加害者がお母さんであるものが非常に多い ということがわかります 心中の場合は お二人とも死んでしまうこともあるので その場合いったいどちらがやったのかわからないということで 不明 というものもあります 虐待の統計を見ますと 実母 が一番多いという結果が発表されています では お母さんが悪いのか ということですが そうとはいえません 厚生労働省の統計を見てもそうですが 実のお母さんが育てているのが一番多いから 多いのは当たり前です 児童相談所の統計等ですと お母さん自身が 私のやっていることは 虐待でしょうか といった自分からの告白 相談についても1 件というカウントになりますので 当然 お母さんの虐待が多い というのは 当たり前のことになります 心中の加害者でも お母さんが一番多いから お母さんが悪い ということではないことを踏まえておきたいと思います 次は 暴力と年齢の関係ですが 大阪の岸和田市の事件がおこって 年齢が高いことを持って安心材料として受け取ってはいけない と言われるようになりました 確かにそう思いますが 数の上からすれば 学齢以上は非常に少なくて 2 人でした 学齢の 2 人のうち 1 人は 畠山 ( 鈴香 ) 容疑者が橋の上から投げ落とした事件です この他は全て乳幼児です 明らかに乳幼児のリスクが高いと言えます 次はネグレクトですが この場合非常に多いのは 出産後すぐに遺棄したもので 明らかに目立ちます 印象にも残るので 3 分の1が多いか少ないかは難しいところですが 私は非常に多いと思います 出産後すぐに遺棄したというのが 4 件程ありました 暴行もあり 食事を与えない のが 2 件 暴行の記載はないけれど 無視 放置 衰弱 が 5 件ありました よく言われる 車中に放置してパチンコをしていた というのは 業者も気を付けるようになったし 社会的認知がつきましたので減っていますが 残念ながらこの年にも1 件発生しています 新生児遺棄が3 分の1を占め 放置されたり 食事を与えないで衰弱する場合が3 分の2を占めると言えます あと ネグレクトで思ったのは 年齢別に拾ってみると やはり乳児が非常に多いということです この年に限ったことかもしれませんが もう一つの山が 3 歳ぐらいです 言葉がある程度はっきり言えるようになってくる年齢辺りに もう一つの山が少なくてもこの年にはありました これらを見ていくと マスコミ報道によって とんでもない親が 暴力を振るう いうイメージを抱いている私たちですが実際のところは そのために強制的な力の介入 鍵を壊しても入るということが 本当に必要な対応なのだろうか それが必要かもしれないが それが本当に中心的なことなのだろうか と いうことを思わされます 本当に必要なことは 親子心中への対策を進めること 新生児遺棄への対策を進めること 母子家庭の生活を安定させるための施策を進める

51 こと ( 暴力的な内縁の夫 交際相手から母子を守ること ) 施設に入っていた子どもも多いわけなので 離れていた親子が一緒に生活するときの支援を丁寧に行うこと 3 歳ぐらいの子どもが 言葉が達者だからといって 年齢不相応な要求をする結果 暴力が起こったり ほったらかしにして閉じ込めてしまうということから考えれば 子育ての無知や孤独な子育てへの対策をすること 子育て支援と虐待防止は 全然別のものではありません 中には 育てることが難しい親の場合もあります それは 決して倫理に反することではなくて きちんと人に託す 離れて暮らす という選択肢を与えることも重要なことです 必ずしも 介入権限の強化が中心にあるのではないと考えます ちなみに この年だけだったのか ということにならないために 本当は 19 年 今年もやりたいと思いますが 残念ながらまだ出来ていません 結構時間がかかる作業なので 夏休みに取り組むつもりですが 実は今朝 今年の 6 月にどんな話題が報道されていたかを拾ってみました まず 6 月 6 日に報道されたものですと 山梨県の学校の女子トイレに生後間もない男児の遺体が捨てられていた というものがありました 6 月 7 日は 犯行時ではなくて裁判があったということですが 小学校 4 年生を自宅でお母さんが首を絞めてしまった というものです 犯行時は心神喪失だったということで 不起訴処分になっています 6 月 17 日は 虐待が 4 万件を超えた という厚生労働省の発表が報道されました 21 日は 暴力団の男が子どもを預かっていたけれど お使いに出したけれど 間違ってきた 何で間違えた と怒って 火で熱したステンレス製のお玉を押し付けたり 熱湯を掛けた事件です これなどは 典型的な虐待です 次は 宇都宮市の事件で 3 歳の子どもを 30 歳のトラック運転手の男が投げ付けた事件です この男は 昨年 7 月に 次女の保護責任者遺棄致死で刑務所に入って出てきた男です 今回は こう やって殴ってしまったわけです 1 月の事件発生時の記事を見ると 浅川 ( 達也 ) 容疑者が刑期を終えるまでの間 子ども 6 人を保護した県中央児童相談所によると 保護終了後も職員が月に 1 回程度 同容疑者宅を訪問 養育について相談に乗っていたという 家族や近隣住民 子どもが通学する学校などからは 同容疑者が子どもを虐待していたなどの相談はなかった とされていますがこれも 実は引き取りケースだったということです 今日の新聞の38 面には 小学校 3 年生の長男を絞殺したとして 3 月に逮捕された人は 刑事責任能力に問題あると判断して不起訴処分になった とありました 今年の6 月だけのものを追っても 18 年の調査内容とほぼ一致する状況があります この辺を19 年 20 年と続けてやっていきたいと思います 時間がないので この他の事例ではできませんが 細かい分析を この四つの事件についてはやりました これについては 授業でも採り上げていくつもりですので ここでは一つだけを拾ってみます 事例研究の方法については 新聞報道の記事をいったん取って それから受けた印象と あとの裁判の記録など 報道がたくさんある事例ばかりですから その情報を組み合わせて実際には どういう内容だったかを見たうえで これを比べるということをやってみました 例えば 北海道の苫小牧市の事件は 21 歳の女性が 2 人の子どもを育てていました 過去に次男は死んで 4 歳と1 歳半の子どもを養育していました 実は この母親が11 月ごろに家を空けて 1カ月ぐらいあとに帰ってきたら 4 歳の子どもは 家にあった生米とか生ごみとか ケチャップとかマヨネーズをなめて生き延びていた 1 歳半の子どもは既に死んでいました 死んでいた子どもの死体を愛人宅の物置に隠したという ひどい事件です とんでもない という行政関係者のコメントが載っていました 21 歳のお母さんは とんでもない人 と描かれています

52 しかし これをソーシャルワーク的によく見てみれば 4 歳の子どもを最初に産んでこの時 21 歳ですから 妊娠したときは 16 歳で 17 歳ぐらいで産んでいたことがわかります その後 2 人の子どもも産んでいるので 現在 21 歳ということは 17 歳から21 歳までずっと いつも妊娠していたか新生児を抱えていたことが明らかです 間の子は事件性はないとされましたが死んでいました 実は この母子は生活保護を受けていたのですが 2 人は保育所に入っていました 保育所に入っていたけれども このお母さんがきちんと送り迎えをしないというので 退園させられています そこでこの母親は なおさら養育できなくなったので 夏にもう 1 回 保育所の入所申請をしたけれど いっぱいだ ということで断られています そのあと どうにもならなくて 9 月になってこの女性は 子どもを育てられないから 預けたい と市役所に言ってきます 実際に相談に行ったところ この女性は自分で秘密を抱えることができずに 全部本当のことを言ってしまうので 交際相手がいる と その交際相手がいるので 面倒が見られない と言いました あと 夜のアルバイトを始めた と言っています そのために 交際相手がいるのなら 児童扶養手当は打ち切りです と アルバイトを始めたのなら 生活保護は打ち切りです と言われて もう どうでもいいや となって放置して 1 カ月後に死んでいるという事件です 生活保護が打ち切りになるとか保育所に入れなかったことはやむを得ないことだとしても その時点で これだけのハイリスクがあるということが きちんとアセスメントされていない その視点からきちんと聞き取りがされていないといったところに この事件の発生を防げなかった真の原因が間違いなくあると考えます 警察的な介入でしか救えない事例も確かにあります 病的な性格傾向を有する保護者の事例 同居男性による暴力 実子でも同居していなかった期間が長い事例 性的な関係の強要がある事例 などがそれに当たります しかし 本気で 子どもを守ろうとしたときに 家族支援こそ必要であり このような場合 ひどい親 といった見方が むしろ妨げになります 今の事例などは 親の素行によって子どもへの支援を遮ってはならない だめな親に対する甘やかしであると見えたとしても 親の身勝手な SOS であろうとも 子どもを守るためには いったんはそれを受け止めることが必要です ほかの事例を見ても 必ずチャンスはあります 自分から相談した事例が 実にたくさんあります ただ 相談したところできちんと受け止められていません チャンスをふいにしたうえに 死に至っています それは 児童相談所に限ったことではなく むしろ保育所とか福祉事務所の窓口で多く認められます そういったことを直視して そこをやるのが本当に大事です 保護者をも子どもと同様に救い出すことが必要です 排除しないことが必要です 力による介入だけでは 子どもの命を守ることはできません このことがきちんと認識されないといけません あとは いろいろな事例分析の中から さまざまな安易に使われている 見守り という言葉の実質を考えてみよう とか 訪問をするとき 何故反発を受けたのか その意味を考えてみよう とか アセスメントの視点はどうか といったことを考えています 今日は紹介しなかった事例などでも 保護者の状態はいつも変化していて いいときもあれば 悪いときもあります 変化は 波を打ちながら進むものです 波をずっと打ちながら 悪い状態でもある一定のレベルよりも上に行ったときが本当の安定です どうしてもありがちですが 点でだけ安定を見るようなことがあってはならないし いい変化も悪い変化も絶えず一本の線ではなくて 並行して起こることもあります そういったことも十分に気を付けなければいけません 一番大事なのは 平板な理解で 悪い親 と 親の個人的な資質とか問題行動を認めさせて 親をプログラムに乗せるというところから自由になることです そこに関心が集中している現在の虐待

53 対応の在り方そのものを疑問に思うことです 社会構造が 不安定な家庭状況を生み出している その貧困の連鎖がずっと続いている中で虐待が起こっている そのことをきちんと見据えて 現在の政策などを研究し直すことが大切だと思います 非常にアバウトなものなので まだ 言い切っていいかどうか 疑問とか指摘もあると思いますが 事例の中では 少なくても仮説のレベルでは こういう点を言ことができると考えます 以上です 矢部ありがとうございました 宮島さんと私で 児童虐待について 2 人でどこかで話したことがありますが 同じような視点で非常に専門職大学院らしい指摘だ と お互いに納得し合いました 質問ありますか よろしいですか これからもわれわれの仲間として ともに頑張っていきたいと思います どうもありがとうございました それでは 午前中の教員発表の時間を終わります ( 終了 )

54 各 分 科 会 か ら の 報 告 子ども家庭と支援 家庭の危機的状況を表すバロメーターとし 2. 動物虐待 から 動物福祉 に視点を広げる ての動物福祉 ことの利点 先行研究のまとめ それでは 動物虐待 からより幅広い 動物福 祉 に視点を広げる利点とはどのようなものであ ろう 視点を広げることには主に三つの利点があ 日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科 博士後期課程 山 﨑 ると考えられる これらは ①セーフティネット 佐季子 の拡大 ②情報提供時のアクセシビリティの向上 1. そして③ 動物虐待 の定義の不一致からくる混 はじめに 近年 多くの先行研究は 動物虐待と子ども虐 乱を防ぐという三点である ①については 動物 待が関連していることを示唆している(DeViney, 虐待にとどまらず より幅広い動物福祉を危機的 Dickert, & Lockwood, 1983; Hutton, 1983; Robin et al., 状況にある家庭のリスク要因にすることにより 1984; Zilney & Zilney, 2005) 修士論文ではパイロッ 動物虐待から更なるセーフティネットの拡大が望 ト研究として 子ども虐待と動物虐待の関連性に める ②に関しては 動物虐待が違法行為であり 関する研究が今後どのような方向で焦点付けを行 報告をはばかる者もいる可能性があることが考え えば良いかという今後の研究の方向付けを目的と られ より幅広い動物福祉という枠組みで情報収 した 今回は 修士論文において浮き彫りにされ 集を行ったほうが 報告者も報告しやすいという た可能性の一つとしての 家庭の状態のバロメー ことが考えられる 最後に③に関しては 諸研究 ターとしての動物福祉 という仮説に焦点を当て 者間において動物虐待の定義に関する合意がない ることとする 修士論文においては 比較群にお のが現状であることから 提示されているほとん いて 動物の喪失として最も多く挙げられたのが どの動物虐待の定義を網羅する上位概念である動 老衰と病気であるのに対して 児童養護施設群に 物福祉を枠組みに利用したほうが 用語の定義の おいては老衰 病気が喪失の理由として認められ 不一致からくる混乱をある程度防ぐことが期待で ず 最も多かった理由が事故と遺棄であったり 情 きる 緒障害児短期治療施設のセラピストへのヒアリン グにおいて 被虐待児により動物が不適切に扱わ 3. れているケース ケアの欠如 過剰な餌やりなど 研究の目的及び概要 本研究は 動物の福祉は子どもの危機的状況に が認められ 明白な動物虐待にとどまらず 動物 関連するという仮説のもと 子どもが危機的状況 の福祉の全般的な欠如が子どもの危機的状況に関 にある家庭における動物福祉の調査を行い 動物 連していることを示唆する結果が認められた のどのような危機的状況がどの程度子どものリス ク要因になるのかなどを調査し 家庭における動 物福祉と子どもの危機的状況の関連性を明らかに 53

55 する 具体的には 子どもが危機的状況にある家庭における動物の福祉の調査を行い, 子どもの危機的状況のアセスメントツールとして使える 家庭における動物福祉のチェックリストを作成することを目標とする 本報告においては 動物福祉及び子ども虐待と動物福祉の関連性に関する先行研究のレビューの結果を報告し 動物福祉という概念を明らかにし 先行研究が示している子どもの危機的状況の早期発見のために注目すべき動物福祉の側面を明らかにする 4. 動物福祉とは? 動物福祉の研究には主に三つのアプローチがある これらは1 苦痛などの動物の主観的経験に重点を置くfeeling-based approach 2 動物が生物学的観点から正常に機能しているかに重点を置くfunc- tioning-based approach そして3 動物が本来の自然の環境にいることと動物がそのような環境において自然にとっている行動の一連を表現する自由の有無に重点を置く nature-based approach である これらの様々なアプローチが物語っているように 動物福祉の定義は様々である 例えば Curtis (1987) はhierarchy of needs (Maslow, 1970) の枠組みを用いて動物の福祉を満たすニーズを類型化している これらはヒエラルキーの下から 栄養面 健康管理などの生理学的なニーズ 天候 捕食動物による被害や環境にかかわる安全に関するニーズ そして生理学的 安全に関するニーズに当てはまらないもので 欠如しているとフラストレーション 恐怖 不快感などをもたらす要素である行動的なニーズである 一方 Webster(2005, 10) は 動物福祉を フィットで心地よく感じているさま とし フィットネス ( 怪我や病気の有無など身体的に良好な状態 ) と心地よさ ( 刺激に対する生理的反射と感情的反応 ) に重点を置いている しかし 動物福祉の定義を実践に応用する際には このような概念的な表現では不十分で 現場で用いることのできる規則に置き換える必要がある (Webster, 2005) そこで 最も国際的に実践に応用されている (British Society of Animal Science, 2007) 動物福祉の枠組みであり 上記の様々なアプローチや定義を包括するような位置にある動物福祉の枠組みとしてはしばしば挙げられるものが Five Freedoms (Farm Animal Welfare Council, 2004; RSPCA, n.d.) である Five Freedoms は五つの項目により動物福祉という概念を網羅している これらは 1 飢えと渇きからの自由 ( 新鮮な水と適切な食餌により保障 ) 2 不快感からの自由 ( 動物が休める適切な場所を確保することで保障 ) 3 怪我 病気 苦痛からの自由 ( 怪我 病気の予防及び早期発見の診断と治療により保障 ) 4 通常の行動を表現する自由 ( 適切なスペースや環境及び同種の動物の存在により保障 ) 5 恐怖や抑圧からの自由 ( 心理的苦痛を回避するような状況により保障 ) である 上記で紹介した動物福祉の定義やFive Freedomsが示すように 動物福祉とは 端的に説明してしまえば 動物の身体的ニーズと心理的ニーズなのである 本研究においては 便宜上動物虐待と動物福祉の関連を次のように定義する 動物虐待は 動物の福祉が著しく脅かされている状態であるが ここで用いた 著しく という表現の定義には 研究者間で考え方に差が認められる しかし 動物虐待が 動物福祉が脅かされている状態であることには変わりがないので 動物虐待 を 動物福祉の欠如 の下位概念として捉える 動物虐待 がどの程度の 動物福祉の欠如 までを網羅しているかということに関しては 上述したように様々な見解があり 動物虐待 と単なる 動物福祉の欠如 の間の境界線においては合意が形成されていないというのが現状である ここをグレーゾーンとする 5. 先行研究先行研究においては 子ども虐待と動物福祉の関連性を示唆するものもある 例えば Robin et. al (1984) の研究においては 非行少年及び被虐待児の群では 49% の子どもたちが ペットに関する世話などの責任を全て子ども本人が負っていたと回答したのに対し 虐待されていない子どもたちの

56 群では 22% の子どもたちがペットに関する全責任を負わされていたということが報告されている 更に Carlisle-Frank & Flanagan (2006) の研究においては 動物虐待を行ったことがない配偶者の 54% がペットの日常的な世話に参加する傾向があり 動物虐待を行ったことがある配偶者の13% が世話に参加する傾向があることが報告されている これらの先行研究の結果から 子ども一人にケアが任されていて 家族構成員の多くがペットのケアにかかわっていないという傾向は 動物に目を配る者が少ないということを意味し それだけ動物のケアが欠如し 基本的ニーズが満たされにくい傾向にあるという可能性が推測される これに加えて Fitzgerald (2005) の研究においては インタビュー参加者の26 人中 15 人が ( 元 ) パートナーにペットを遺棄するように脅されたと回答し 実際参加者 26 人が飼育していたペットのうち 54 頭が処分され 17 頭が行方不明になったという結果が報告されており 遺棄のような明らかな動物虐待とみなされない行為も家庭における危機的状況に関連していることを示唆する結果が報告されている 同様に Zilney & Zilney (2005) が行った動物福祉機関と子ども家庭サービス部局のクロスレポーティングの研究においても 子ども家庭サービス部局が実際に動物福祉機関にリファーラルを行ったケースは16 件であったが 家庭内にいた動物の状況が思わしくないケースは16 件をはるかに上回っていたことが明らかになっている 動物のウェルビーイングが物理的に脅かされているケースが 12 件 (1.8%) 不適切な環境における飼育が 73 件 (10%) 排泄物の不適切な処理が 32 件 (4.3%) 動物に怪我の痕跡が発見されたケースが4 件 (0.5%) 動物に問題行動が見られたケース = 36 件 (4.8%) あった 更に Carlisle-Frank & Flanagan (2006) の研究では 動物虐待が認められなかった家庭においては 92.1% が動物を室内の生活空間 ( リビングなど ) で飼育していたが 動物虐待が認められた家庭においては 56.5% が動物を室内の生活空間で飼育していたことが報告されており 環境要因や問題行動などといった動物福祉の側面も家庭の 危機的状況に関連していることも示唆されている 一方 動物福祉の研究においては 全米の動物科学関係の教職員に対する産業動物の福祉に関する意識に対するアンケート調査のFive Freedoms の各項目に該当する項目において 80% 以上の参加者が賛成 大いに賛成した中 通常の行動を表現する自由に関しては 賛成 大いに賛成した割合が 50%-60% 代であった したがって 動物福祉をバロメーターとして用いるためのチェックリストを作成する場合 先行研究によると 遺棄 環境要因 問題行動 不適切なケア ( 不適切な行為 行為の欠如 ) などが 子ども虐待が行われている家庭において認められる動物の福祉を欠いた状態であることが示唆されているが 国際的指標であるFive Freedoms の通常の行動を表現する自由に関しては 今後研究が必要であることが示唆されている 6. おわりに子ども虐待と動物虐待の関連性に関する研究の中には動物福祉全般と子ども虐待の関連性を示唆するものが認められる このようなことから 動物福祉に注目することが子ども家庭福祉において有益であるということが考えられる しかし 動物虐待から動物福祉に枠組みを広げた関連性に関する先行研究は存在しないので このように枠組みを広げた実証研究が必要であるということが提示できる 引用文献 1)Broom, D.M. & Johnson, K.G. (1993). Stress and Animal Welfare. Dordrecht: Kluwer Academic Publishers. 2)Carlisle-Frank, P. & Flanagan, T. (2006). Silent Victims Recognizing and Stopping Abuse of the Family Pet. Lanham: University Press of America. 3)Curtis, S.E. (1987). Animal well-being and animal care. Veterinary Clinics of North America: Food Animal Practice, 3, )DeViney, E., Dickert, J., & Lockwood, R. (1983).

57 The care of pets within child abusing families. In R. Lockwood & F.R. Ascione (Eds.), Cruelty to Animals and Interpersonal Violence. (1sted., pp ). Indiana: Purdue University Press. 5)Duncan, I.J.H. & Fraser, D. (1997). Understanding animal welfare. In M.C. Appleby & B.O Hughes (Ed.), Animal Welfare. (1sted., pp ). New York: CABI Publishing. 6)Farm Animal Welfare Council. (2004). The Five Freedoms. Retrieved May 14, 2007, from 7)Fitzgerald, A. (2005). Animal Abuse and Family Abusive Power. New York: The Edwin Mellen Press. 8)Heleski, C.R., Mertig, A.G., & Zanella, A.J. (2004). Assessing attitudes toward animal welfare: a national survey of animal science faculty members. Journal of Animal Science, 82, )Hutton, J.S. (1983). Animal abuse as a diagnostic approach in social work: a pilot study. In A.H. Katcher & A.M. Beck (Eds.), New Perspectives on our Lives with Companion Animals. (1sted., pp ). Philadelphia: University of Pennsylvania Press 10)Maslow, A.H. (1970). Motivation and Personality. New York: Harper & Row. 11)Robin, M. Bensel, R.W., Quigley, J. & Anderson, R.K. (1984). Abused children and their pets. In Anderson, R.K., Hart, B.L. & Hart L.A. (Eds.), The Pet Connection, (1sted., pp ). Minnesota: Center to Study Human-Animal Relationships and Environments. 12)Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals. (n.d.) Animal Welfare Assessment. United Kingdom: Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals. 13)Webster, J. (2005). Animal Welfare Limping Towards Eden. Oxford: Blackwell Publishing. 14)Zilney, L.A, & Zilney, M. (2005). Reunification of child and animal welfare agencies: cross-reporting of abuse in Wellington County, Ontario. Child Welfare, 84, 居場所の構成要素と必要性 フリースクールでの社会福祉実習を通して 日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士前期課程末道大作 1. 研究の目的 視点生活を送る上で 人間関係が落ち着いている ことから生じる 居心地の良さ を持つ場 ( 居場所 ) は重要となる それは P. タウンゼントの相対的剥奪概念を発展させた社会的排除概念とも密接に関係すると考える 居場所とは 広辞苑 ( 第 6 版 ) によれば いるところ とされているのみであるが 現在においては 職住分離や それによる第 3 空間の発生 教育機関の誕生 コミュニケーション手段の多様化 交通機関の発展等によって 居場所 = 家庭 地域 と単純には考えられない状況を生み出しており 居場所概念に変化がみられる また 居場所に対する社会的価値観の強制力から社会的排除が生じている場合を見逃してはならない 本研究では 居場所を 自己実現の達成が保障され ( 参加できる場 ) 自己実現が達成できると信じることのできる場 ( 安心できる場 ) と定義し 居場所の必要性とその構成要素を検証する そこで フリースクールを取り上げたのは 家庭 地域社会 学校が 幸福を提供する機関とは裏腹の不利益をももたらしてしまう事実に着目をしたからであり 学校の役割が大きくなった現在において 不登校によって学校に適応できないことが社会生活を送っていく上での大きな障壁となっているからである 子どもたちの感じている苦しさは 不登校に対してだけではなく そこから生じる周囲の偏見からも生まれている つまり 不登校生個人を問題視するだけではなく 社会生活全体に焦点をあてた対応も必要である 2. 研究の方法及び倫理的配慮ソーシャルインクルージョン概念を用いて居場所の必要性を考察し ( 理論研究 ) フリースクール ( 以下 A) における社会福祉実習 ( 期間 :2007 年

58 6 月 ~ 2008 年 3 月 週平均一日 ) を通して居場所 の構成要素を抽出した ( 調査研究 ) なお 社会福 祉実習は 日常の子どもたちの様子等を知り 居場所の全体像を描くため 主に参与観察法および自然観察法によった また 倫理的配慮として発表に際して事前に社会福祉実習先に承認を得た 3. 本研究におけるフリースクールの概念フリースクールの フリー とは 自由 や 無料 ( 低額 ) を意味しており フリースクールの概念も多様であるが 本研究においては概念を次のように限定して用いる 吉田重和 (2004) i は フリースクールを 近代学校と呼ばれる社会化 国家化の社会的装置が共有する本質的特性 ( 中略 ) から 子どもたちを解放することを目指す教育の運動体 と定義している 本研究では 吉田の定義を踏まえて フリースクールを 不登校の子どもたちを対象として 自由 を理念として掲げて 自己実現を目的とした教育を提供することを目指す運動体 と定義する 4. 研究結果 1 フリースクールの必要性に関す る一考察 ソーシャルインクルージョン ( 社会的包含 ) は 社会的排除に対して その解決策として登場した考え方である ii 不登校によって 社会的排除の状態となった時 社会とのつながりを形成していく基盤として ( ソーシャルインクルージョンを展開する上で ) 居場所が必要であるとの仮説を立てた 仮説の検証については 今後の課題ではある i ii iii 吉田重和 (2004) 複線化する日本におけるフリースクールとメインストリームとの関係性 イギリスタイプからオランダタイプへ 早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊 12 号 -1 厚生労働省 社会的な援護を必要とする人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会 報告書 (2000) 炭谷茂 (2007) 新しい社会福祉の建設を目指して 日本におけるソーシャルインクルージョンの確立 仏教福祉学 No15.16 ソーシャルインクルージョンの概念化を進めるには 経済体制 (> 雇用制度 ) 法制度 社会哲学等の根本のあり方についても問い直さなければならず そのために 新しい 社会システムとしてのソーシャルインクルージョンである 図 は あくまでもソーシャルインクルージョンの一部を仮に具現化したのみで 時間軸等の考察も必要である が 社会とのつながりが切断された状況にある個人が ストレートに地域社会において ひとつの主体をもった個人として活躍する あるいは自己実現が可能な状況へと生活をコントロールしていく とは考えにくい よって この仮説をもとに 個人を社会的排除状態から社会的に包含していくシステムとしてのソーシャルインクルージョンを作図した 図参照 iii このシステムは 個人を社会的に包含していくための 居場所 ソーシャル サポート ネットワーク ( ソーシャルキャピタル ) ソーシャルアクション 福祉教育 の必要性を示している 5. 研究結果 2 フリースクールAの構成要素の分析 (1) 空間 時間基本的な環境整備はもちろんであるが 気持ちに余裕の生まれる空間であることが重視されていた 年齢等を問わず共に生活を送る空間がある なお 近隣の公園や公民館を利用することによる空間の広がりもみられる 時間の経過は 居場所での安心感 所属感へとつながっている また 子どもたちの人生を考察し 未来に配慮する活動も行われていた (2) 仲間興味 関心の違いからグループもできるが メンバー構成は様々に変化し 学校生活とは異なる特徴である 特に 異年齢で構成されるグループは学校生活ではほとんどみられないし 講師やボランティアという形で様々な人との出会いと 出会いによる成長がある また 信頼 と 期待 による 頼める関係 が仲間意識と関連していることも実感できた (3)Aでの生活 子どもたちが学ぶもの具体的なイベントでは 準備 本番 終了後 それぞれの段階で子どもたちの成長がみられた 子どもたちの興味 関心に合わせた各種講座やゲーム大会 食事会等が行われており それは生活が営まれていることを意味する さて 現公教育と比較した場合に 参加の自由がAの特徴のひ

59 とつとなる そこで 自由 に着目して子どもたちの学ぶものを考察した まず 多様な仲間とのかかわりによる1 人間関係の形成方法を学ぶ また その人間関係は 自由 を基にして形成されることによって2 自由 の意味を学び さらにその 自由 は 他者の尊重とともに自らが尊重されることによる3 自由 による 自己肯定 を生み出す また 自由 には 自己決定という責任がともなうことから4 自由 を上手く使うことによる 自立 を学ぶこととなる 自由 をもとにした 自立 の機会は等しく与えられるので 5 平等 について考えるきっかけともなる (4) ソーシャルワーク機能ソーシャルワーク機能の担い手として スタッフ ( 直接 子どもたちと関わる職員 ) を挙げて考察する まず 不安等を抱えて訪れた子ども 家族とつながるための役割がある ( 仲介機能 ) また 不安感の解消のための働きかけをする ( カウンセリング 権利擁護 ) し 大人としての役割や仲間としての役割もあれば 子どもと保護者の間にある認識の差を考慮して その認識の差を埋める役割 ( 代弁機能 ) を果たすこともある 不登校体験のつらさを理解し ( 共感 ) 子どもたちが気持ちを整理し語れるようにすること ( 傾聴 ) も求められる ( ケースワーク ) また 各行事の提案 調整等を行い子どもたちが安心して過ごせる環境づくり 家族や社会資源の調整 ( エコロジカルパースペクティブによる環境調整 ) も求められる さらに 積極的に社会に働きかける活動 ( ソーシャルアクション ) も求められ それらの情報をミーティング等において子どもたちに提供している 子どもたちが主体となってソーシャルアクションを展開することもある また A は 運動体 として活動をし それが子どもたちからの信頼や周囲の理解につながっているし 積極的な運動とその運動の開放性が社会資源 支持者 ( 人 モノ ) を集めることともなっている ケース会議においては 子どもたちの状況を共有し相対的な見方に努めている ( アセスメント チームアプローチ ) 子どもたちの発するサインを見逃さず反応し 求め ているもの 必要なものを提供する また子どもたちの訴え等の発見 対応 ( アウトリーチ等 ) をする ミーティング等では あなたならできる ( ストレングス視点 ) という励ましや子どもたちの意見を尊重することによって子どもたちに自信が生まれるし ( エンパワーメント ) 子どもたちへアドバイスをされることもある ( 教育機能 ) 6. まとめとして生態学的な視点から考察すれば 公教育機関とフリースクールはほぼ同位置に存在し 同価値である よって 学校やフリースクール等は 子どもたちにとって選択的に存在すべきことがわかる しかし フリースクールが選択肢として存在するためには 公教育としての法的裏づけのある機関とは異なる努力が求められる つまり 社会的価値観が影響するため フリースクールの取り組みでは子どもたちを 守る 姿勢だけでは 守りきれない 現実があり あらゆる差別と偏見に立ち向かう 挑戦 が常に求められることとなる ソーシャルアクションは ソーシャル サポート ネットワークの構築等を基として展開をされることによって 無謀な挑戦 ではなく 効果的に作用することになる ここにソーシャルインクルージョンの展開にとっての居場所の必要性がある 居場所の構成要素については ソーシャルインクルージョンとのかかわりで考察することにより ある程度限定されるが 本稿での構成要素の相互関係は 子どもたちが学ぶ環境としてひとつのあり方を示しているにすぎない 現実には 様々な理由でAを退会する子 あるいは入会しない子がいる つまり 学校に適応できない子がいるのと同じようにフリースクールの活動に満足しない子もいるわけであり 各構成要素の質 ( 内容 ) については考察を進めなければならない 最後に 実習においては 様々な機会をいただいたが 一人ひとりの子どもたちやその家族が抱えている背景 心理的変化の把握等が不十分に終わってしまったこと 統計的資料を提示していないこと フリースクールに関する歴史的変遷を十分に考慮していないこ

60 と等々 反省点が多くあり今後の課題となった くのことを学ばせていただいた 実習においてお しかし フリースクールの取り組みに少しでもか 世話になった皆様に深謝し 本研究をまとめさせ かわれたことは 私の今後の財産であり スタッ ていただく フの皆様と子どもたちの懸命な活動 成長から多 ޓ ᣂߒ ળ ࡓߣߒߡߩ ࡖ ߥࠆᢥൻ ଔ୯ ฦ ળ Ḯ ᯏ ቇ ࠍㅢߒߚ ℂ ߩଦㅴ ዬ႐ᚲ Ꮖታ ߩน ᕈ ᔃᗵ ฦ ળ Ḯ ᯏ ឃ 㒰 ฦ ળ Ḯ ᯏ ࡖ ࠨࡐ ࡀ ߩ ਇ Ꮕ ࡖ ࠕ 㧔ࠕ 㧕 ࡖ ࠕ 児童養護施設におけるソーシャルワークの ቅ ちらかというと虐待を受けていても親への信頼感 期待感を持ち 絶対的存在として立場を崩さない 実態と課題 適正な養育環境を必要とする子どもほど 内面的 小 山 菜生子 2005 年院前期卒 旭児童ホーム 部分で自分自身の気持ちが揺れ動き 不安定な状 松 岡 是 態になっていると言える 伸 2005 年院前期卒 名寄市立大学 子どもを取り巻く人間関係や社会関係で関わる 1 はじめに 人々とのあいだでは 様々な行為が絡み合ってい 近年の児童虐待の増加は 本来児童養護施設が る この中で子どもの最善の利益をいかに確保し 担うべき役割 機能 そしてミッションにも大き 家族間調整などをして保護者の養育意欲 能力 な影響を与え 子どもや親たちに対する支援や援 環境を向上させていくかが 子どもへの支援 援 助関係ではいくつもの混乱がみられる 例えば子 助などにおいて重要であると考える どもにとって親という存在は 成長と発達をする そこで本研究では子どもや親などのクライエン 過程において様々な意味で影響力がある 虐待を トシステムに注目し そのつながりの状態などを 受けた子どもは親を憎む気持ちをもちつつも ど 把握していくなかで 専門職者がどのように支援 59

61 や介入 援助していくかを明確にしていくことを目的とする これらのことから子どもの最善の利益をソーシャルワークという観点からどのように具現化していくかを検討する際や 子ども 親などに対する専門的な援助関係の形成 そして適切な支援 介入のあり方などを検討する際の一助となると考えている また専門職種が連携し子ども並びに家族を支えていくあり方を浮き彫りにすることも本研究の意義がある 2. 研究の方法 ( 分析の枠組み ) 本研究はM 児童養護施設 ( 以下 M 施設とする ) のファミリーソーシャルワーカー (FSW) がかかわったケースについて援助過程に沿って検証していく その際 日常生活における子どものケアへの着目は必要最小限とし 親及び親子関係へのかかわりに注目していく 親子関係へのかかわりとは主に 1M 施設と親とのやりとりの場面 2 子どもとの会話 3ケースカンファレンスである なお本研究におけるケースの活用に関して施設長の許可を得 また記述に関しては ケース記録やメモ書きなどを資料として利用し人物が特定されないように配慮した 3. 事例 ; 虐待を受けていたAと実母 養父との関係について事例の概要 A( 男児 ; 入所時 7 歳 ) は 小学校 3 年生の 1 月から小学校を卒業するまでM 施設に入所していた 施設入所の理由は 実母と再婚した養父からの身体的虐待である 養父は A の頭部を殴り 数針縫う怪我を負わせてしまった これによって病院からの通報を受け 児童相談所 ( 以下児相とする ) がAの一時保護を決定した 一時保護後すぐに 実母と養父はともにAの家庭引き取りを希望した しかし問題の発生状況からAの児童養護施設への入所が妥当と判断され 施設入所に至った Aは小学校卒業を機に家庭復帰となった 家庭復帰後の養育環境 状況ともに特にAと養父との関係もうまくいかず 家庭復帰 1 年を経過した頃に再び施設入所となった (1)Aの児童養護施設入所入所時 この親子に対する支援 援助計画では 1 児相での面会 2M 施設での面会 3Aと実母 養父との外出 4 自宅への外泊 5Aの家庭復帰という段階を踏んで親子関係を調整していく予定であった しかしM 施設入所後 面会は実母と養父との個人的都合を理由に突然のキャンセルが多くなり 面会の実施自体がままならない状況となった また 突然に A の引き取りを要求するような電話を児相にかけることがあり 期待と不安を持って待っていた面会の突然のキャンセルなどによりAに心的混乱が見られていた また実母と養父は引き取りを希望しつつも もう帰ってこなくてよい などと拒否する態度を見せたりしてA をさらに混乱させた このことから M 施設 児相との間で支援調整が行われた Aの成長と発達にとっては実母 養父とのかかわりは良くも悪くも今後大切であるとし Aと実母 養父との関係を切ることなく 現状においては両者のあいだに定期的に接点を持たせていくという方針となった 両者の関係性を維持 向上させるため 実母と養父との連絡がとれなかったり 面会日の調整がうまく進まない場合はFSWが A を連れて家を訪れ 在宅での面会を行った その後実母と養父を交えたカンファレンスがM 施設で開催され 家庭復帰をこの時までにと期間を設定するのではなく M 施設を活用しつつAを家庭で養育できるようにしていきましょう という施設側の見解を実母と養父に伝えた しかしながら 小学校卒業が間近になると 実母と養父は Aが中学生になるから という理由で引き取りを強く要求してくるようになった M 施設と児相は Aの家庭復帰は早いと考えながらも家庭復帰を検討した 第 1にAの状況である Aは施設入所当

62 初は心的な混乱も見られたが 少しずつ生活に慣れ小学校でも友達ができ 学校を欠席することもなく 小学校卒業時にはいろいろな場面において安定してきた様子がうかがえた 第 2に 実母と養父の養育における能力 意欲 環境などの状況である 実母と養父の養育能力は特段に低いわけではなく なんとか彼らなりにイメージする親としての役割を果たそうとしている 不確実ながらも Aの心的状況や人間関係 社会関係が安定してきたこと 実母と養父の養育意欲が見られることなどをプラスの要因ととらえ そして実際に一緒に生活できるかそれぞれに考えてもらうためにも Aは小学校卒業と同時に家庭復帰となった 中学入学の準備は実母が熱心にやっていた (2)Aの退所と家庭復帰 Aの退所後 Aと家庭 学校での状況などの把握を児相の担当ワーカーが中心に行い M 施設にも状況報告して連絡を取り合った M 施設もAとその家庭とのかかわりを維持するため 定期的な家庭訪問の実施 学校の長期休暇に施設の行事に誘うなどしていた 実母と養父は M 施設とのかかわりに消極的で 担当ワーカーやFSWが家に出向いてもAと会う機会も得られなかった Aが退所し半年が経過した頃 M 施設に実母が電話をかけてきて Aが大変でなんとかしてほしい もうM 施設に連れて行ってもらいたい と訴えた FSWは 詳しく話を聞きたいので自宅へお伺いします と 訪問したい旨を伝えた 実母は 助かります と言い FSWの申し出を受け入れていた しかし数分後 (Aと家庭は) 大丈夫です なんとかがんばれるから と養父が電話をかけてきて その日の訪問は中止となった この後 2 週間に 1 ~ 2 回ほど実母 養父と連絡をとるようになった このような電話のやり取りのなかでAの様子を訪ねると 特に養父の方は まあ 大変だけど Aはそんなにできが良くないのはわかっているから (Aの状況は) すぐにどうこうならないから ( 良くならないから ) というようなAに対する考え方や 時には (Aの ことを ) わかっていても イライラしますよね とAの行動に対して不満をいうようになっていた この定期的な電話連絡は 主に養父のAに対するストレスなどを発散する場となっていた M 施設退所後 連絡もままならなかった家庭に対して 連絡を取れる環境を作ることができ 以前と比較し家庭の状況が施設側もわかるようになっていった 施設からの行事への誘いにもAが参加するようになった AはM 施設に来ると 家に帰りたくないような素振りを見せていた また夕方 Aを迎えに来る養父は冗談めいて しばらく帰ってこなくていいよ などとの言葉掛けを職員やAの前でした M 施設では これらの様子を見ても 家庭を中心に支援 援助していく方針を示した それは施設などの資源を活用し 実母と養父の養育能力 意欲 環境の維持 向上を目指すためであった FSWはAの成長の変化を実母と養父に伝えたり 実母 養父の養育に対する不満や不安などをできる限り引き出して聞いた このようにしてそのつど親子関係のおおまかな輪郭を捉え 適切で程よい関係をさぐるような関わりを続けていった そうした中から 養父からAを ひどく怒ってしまった Aとの関係が苦しい との相談が持ちかけられるようになった FSWは養父の主訴に傾聴するとともに 児相に家庭状況を報告し 連携体制を整えてこの家庭を再び在宅で支援していく準備をはじめた これは 家庭復帰の際十分に話し合えずあいまいになってしまったことでもあった (3)Aの家庭からの再入所このような折 再びAが一時保護された ( この時担当ワーカーは変わっていた ) 理由は まず 一時保護所の行事に A が参加した際に A が ( 自宅に ) 帰りたくない と言ったこと さらに 日帰りの行事であるにもかかわらず Aが自分の着替えを詰めたバッグを持っていたことであった ( なぜこのような準備をしたかは不明 ) Aを一時保護したことを児相の担当ワーカーから知らされた養父は激怒し 児相との話し合いにも応じな

63 かった そのためM 施設が仲介に入り 結果としてAは M 施設に再入所となった FSWは養父に対し入所の目的を明確にし 施設入所の同意を得ようとした まず A 自身が現在どのような状態で日々を過ごしていたのか 家族をどうのように思っていたのかなどを入所中に聞いてみたいと伝えた 養父も同様の気持ちを持っており Aが何を考えているのかわからないことが苦しいのだ と訴えた 次に AをM 施設から現在通っている中学に通学させることを伝えた 養父は一時保護所で登校できなくなっていることを心配していたので入所に対して了解した そして 家族分離が親子関係を維持させるためだと理解してもらえるよう すぐに面会を設定した 面会の目的は 第三者 ( ワーカー ) が同席しているという公平な場の中で 互いの気持ちを理解し合うことである 面会でAは 養父を見ることができず ビクビクしている様子で まともに話すことが出来ない だが養父はAに自分のAへの思いを必死に伝えた このような面会を数回重ね 平日はM 施設 週末は自宅で過ごすという期間を経て約 2ヶ月後家庭復帰した 不安を FSW に話すまでになっていた (2) 関係の継続性の重要性 Aとその家庭に対するかかわりの継続が重要である 地域の機関や児相の支援が必要であるがある程度の期間 担当ワーカーやFSWが関与することが必要である 例えば児相と養父が 2 回目の一時保護で話し合いができないとき仲介役となったM 施設のFSWは Aの初めての施設入所からかかわってきた人物であった 養父とFSWはA の養育の難しさ わかりづらさなどを共有しやすい関係になっていた 養父を単に 虐待者 としてみているわけではないことが養父にも伝わり このままAが一時保護所にいるより M 施設に入所させた方が良いと言える結果を引き出すことができた わずかながらでもなんらかの家庭へのアプローチの結果であった これらから 当然のこととして援助 支援開始から終結までかかわりを続けることのなかに 家庭の 生活 に着目した 縦のマネジメント が重要であると言える 4. 考察 (1)Aと家庭へのかかわり Aに対する実母と養父の言葉や行為は Aの心理面や行動などへの影響力がある 各機関は家族分離を経て Aとその家庭との関係を維持させようとした 面会では 実母 養父とAとの力関係や A の生育歴などから第三者 ( ワーカー ) を配置し 力関係を緩和し互いを理解するような関係形成が重要であった Aの家庭復帰後 施設は家庭とのかかわりがとりづらいなかで Aの家庭を孤立させないようにかかわった 一般的には施設退所により かかわりは終結したと言える しかし施設側はAの家庭が地域で孤立しないよう 電話をかけたり行事へ誘うなどして関係を持とうとした これが 家庭 ( 実母 ) の SOS の声を受け止めることにつながり 養父も拒否的な態度からAに対する養育の不満や 5. まとめ事例から 1) 家庭に対する 関係性 かかわり を継続することが重要であり かつ2) 家庭での生活に着目した 縦のマネジメント が必要となった このふたつは相互に関連してはじめてワーカーの行為が専門的かかわりになったと言える そしてこの専門的行為こそソーシャルワーク実践のひとつである これによりAの最善の利益を確保することを可能としつつ 家族間の調整を実現できる さらにクライエントシステムを中心とした相談援助展開をすることができ 家族構成諸個人のエンパワメントを高めていくことができると考えることができる 児童養護施設でのソーシャルワーク実践での課題としては 事例分析の結果で析出されたような 子どもと家庭に対するかかわりと縦のマネジメントがかかわり方として明白化されていないと言え

64 ることである 参考文献 資生堂社会福祉事業財団編(2008) 世界の児童と母性 (VOL.64) STARS( 資生堂児童福祉海外研修同窓会 ) 編集委員会編 (2008) ファミリーソーシャルワークと 児童福祉の未来 子ども家庭援助と児童福祉の展望 中央法規 松岡是伸小山菜生子 (2008) ソーシャルワークの機能と役割に関する一考察 児童養護施設の実践事例をもとにして 名寄市立大学 紀要 第 2 巻

65 障害者と支援 1 アッシャー(Usher) 症候群の盲ろう者の就労継続支援のあり方 日本社会事業大学専門職大学院 2008 年卒大学院研究生松谷直美 Ⅰ. 研究目的アッシャー症候群の盲ろう者に接してきたこれまでの支援活動の中で 支援者の一人として様々な相談業務に携わってきた 順調に仕事を続けていた聴覚障害者が視覚障害を発症し 視野狭窄や視力の低下を伴いアッシャー症候群となり それまで担ってきた業務に支障をきたし職場の配置転換の後 職場を去らざるを得ない状況に至る その後も手話を知らない家族とはあまり会話はなく 唯一社会とのつながりは同じ障害をもつ仲間達であった さらに 視力低下とともに聴覚障害者とのコミュニケーションも困難となり 視力障害を発症した後には将来の希望をなくし自らの障害を受容するまでに時間を要し 人生をあきらめて自宅で悶々とした生活を過ごす状況に至る または 自分の障害を受け入れようとする中で精神障害を発症する人もあり また障害者同士支えあうことで 障害を受け入れる人もいる そして 多くの盲ろう者は 就職を希望し 社会とのつながりを求めている 筆者は 盲ろう者の支援活動をとおして この苦悩を間近で実感し その叫びを直に受け止めてきた このような体験を通して アッシャー症候群の盲ろう者に対する就労継続支援に着目した 本研究は アッシャー症候群の盲ろう者である Aさんの就労継続の取り組みを明らかにすることによって 盲ろう者の就労継続支援のあり方について明らかにすることを目的としている Ⅱ. 研究背景視覚障害と聴覚障害の重複障害者を一般的には盲ろう者と呼称されている しかし 身体障害者福祉法をはじめとした関係法では 視覚障害と聴覚障害が重複しているという状態については 触れられていない そのため盲ろう者という状態について 法律上の定義がなく視覚障害と聴覚障害についての基準がそれぞれ独立して存在するだけである 盲ろう者は 1 視覚障害の後 聴覚障害の重複障害になった盲ベースの人 2それとは反対に聴覚障害の後 視覚障害の重複障害になったろうベースの人 3その他の人と三つのタイプに大きく分ける事ができる 2のタイプに含まれる先天性聴覚障害の後 進行性の視覚障害である 網膜色素変成症 を合併するアッシャー症候群は 盲ろうになる病因の第一位である 全ての聾の子どもたちのうち約 3% から6% はアッシャー症候群であり そして 難聴の子どもたちも同率のアッシャー症候群があると云われている 盲ベースの盲ろう者は視覚障害者として ろうベースの盲ろう者は聴覚障害者として生き それぞれ障害者団体にも参加しているが 実際には活動への参加が困難なこともあり 障害の狭間で取り残されていた 1991( 平成 3) 年 視覚障害と聴覚障害を重複する当事者組織として ( 社福 ) 全国盲ろう者協会の創立した その当事者組織の中でも アッシャー症候群の盲ろう者については 具体的な取り組みも施策もほとんど無く 障害者福祉から取り残されている状況である 厚生労働省が2006 年に実施した身体障害者実態調査において盲ろう者の数は 全国に 22,000 人と推計されているが アッシャー症候群の盲ろう者については その数も把握されていない

66 Aさんの場合 眼科医から 網膜色素変性症 神 練施設に入所し 日常生活訓練 点字 パソコン 経萎縮 と診断され 徐々に視野が狭くなり 将 調理等 職能訓練 さおり織 を受けその後 家 来的には見えなくなると説明された その後 A 族の協力を得ながら在宅就労を試みるが就労には さんは 自分の障害を受け入れることができず 結びついていない 現在 作業所への通所を望ん 普段吸わないタバコの煙で部屋中を充満させ 怒 でいるが コミュニケーションの問題で通所が出 りと悲しみで畳を叩いて苦悩する日々であった 来ない状況である このように アッシャー症候 一般的には 聴覚障害者には聴覚障害者相談員 群の盲ろう者は 視力障害が進むと退職に至りそ 視覚障害者には視覚障害者相談員が存在し 当事 の後の就職は極めて困難である 者同士のカウンセリングにより ショック期 混 乱期 適応への努力 適応期を経ることができる Ⅲ 研究方法 しかし 視覚障害 聴覚障害の重複障害者の盲 本研究は 視覚障害が進行しているにもかかわ ろう者に対するこのような相談員 ピアカンセ らず就労が出来ているAさんの協力を得て 平成 ラーの支援体制が整っていないため 障害の進行 19 年 8 月 平成 20 年 2 月まで就労について調査研 に伴い心理的 精神的な不安期間は長期化してい 究を行った Aさんは遠隔地に居住するため最初 る現状である は電子メールで連絡をとった A さんと電子メー 就労は 豊かな人生を送るのに必要な経済的な 自立の実現に不可欠な手段であり また 自己実 ルの交信を繰り返しながら 生年月日 生育暦 障 害状況 生活環境等を把握した 現や社会との関わりを持つことで 生きがいにつ その後 A さんの自宅を実際に訪問して 就労 ながる重要な役割を果たすものである 盲ろう者 経過 作業内容 作業工程などを調査した さら に対する障害者施策のあり方に関する研究 厚生 に 就労先の雇用主を直接訪問し 現在の A さん 労働省平成 12 年度 においても ① 40 代弱視難聴 の障害特性に対応した業務内容 職場の環境 情 男性は 仕事がしたい ② 30 代弱視ろう男性は 報提供などについて調査した 特に アッシャー 単一障害 聾 だけなら仕事も出来るが盲ろう者 症候群の盲ろう者 A さんの職場内での配慮や職場 では仕事は出来ない ③ 20 代弱視ろう男性は 賃 環境等を調査し 職場での取り組みの状況をきめ 金が安いが他の仕事もないので仕方なく作業所に 細かく調査した また A さんの主治医の了解を得 勤めているなどの報告がなされている て意見も聴取した なお この調査を行うにあたって A さん本人 NPO 法人サポートネットワーク夢 かなえたい が平成 19 年に実施した就労支援事業の報告等で および雇用主に調査の趣旨を十分説明し 了承を 50 代男性の盲ろう者のことを述べている この人 得た上で実施した なお 調査 聞き取りあたっ のコミュニケーション方法は 音声 筆談 手話 て A さんとの基本的コミュニケーションは手話 触手話であった ろう学校卒業後 一般企業に就 によって行った A さんおよび雇用主の調査項目は 次の通りで 職する 網膜色素変性症を発症し 進行性の視力 低下のため配置転換となり その後 やむを得ず ある 退職に至る 現在 就労を望みハローワークで適 1 A さんの調査項目 性検査を受けたりしながら就職活動をしているが ①性別 年齢 住所 就労に至っていない また コミュニケーション ②障害の状況 視力 聴力 は手話 触手話 手書き文字である 40 代男性の盲 ③視覚障害発症時期 ろう者の場合 ろう学校卒業後 一般企業に就職 ④生育歴 例 ろう学校卒業など する その後 網膜色素変性症を発症し視力低下 ⑤コミュニケーション方法 のためやむを得ず退職に至る その後 障害者訓 ⑥家族構成 例 誰とくらしていますか 65

67 ⑦入社時期 例 平成3年 視力の活用 ⑧雇用形態 例 パート 正職員など ⑪会社の配慮 触覚 残存視力の活用する業務 ⑨通勤方法 例 電車など 内容 照明の高照度 拡大文字の指示書等で ⑩仕事の内容 ある ⑪会社の配慮 例 会社が協力してくれること ⑫同僚の支援 朝礼時の内容を手話 筆談 拡 ⑫同僚の支援 例 同僚が協力してくれること 大文字 で伝える ⑬業務の指示方法 例 筆記 手話など ⑬業務の指示方法 拡大文字の指示書を利用す ⑭移動 歩行訓練 る ⑮日常生活 趣味 料理など ⑭移動 歩行訓練 視力低下とともに歩行訓練 2 雇用主の調査項目 を受けている ①設立年等 ⑮日常生活 趣味 電子メールの交換 パチン ②事業内容 コ等がある ③従業員数 料理 黒色のまな板を利用して料 ④障害者雇用状況 理は可能である ⑤Aさんとのコミュニケーション方法 A さんのコミュニケーション方法は 残存視力を ⑥Aさんへの業務の指示 使った見える範囲に表した手話を読み取る接近手 ⑦Aさんの就労継続に向けた取り組み等 話である また 薄暗い場所では手話通訳者の手 を触って手話を読み取る触手話である 眼科医か Ⅳ 結果 ら 網膜色素変性症 神経萎縮 と診断され 徐々 アッシャー症候群の盲ろう者 A さんの就労 生 に視野が狭くなり 将来的には見えなくなると説 活全般 就労を継続するとりくみの内容について 明され 信頼のおける手話通訳者と二人三脚で歩 A さんと雇用主等に聴取した結果は 次のとおり 行訓練を受け単独で通勤している さらに視力低 である 下に伴い通勤経路の電柱に帯状の蛍光塗料を付け 1 A さんの調査結果 る等周囲の配慮の下 職場への通勤が可能となっ ①年齢40代 女性 遠隔地居住 ている ただし 慣れない場所や薄暗い場所を歩 ②障害 視力 右目 0.08 左目 0.05 視野5度 く場合は介助が必要である 視力低下にともなっ 以内 視野狭窄進行中 聴力 先天性聴覚障 てAさんの残存視力と触覚を活用するなど 職場 害 1種1級 では業務上の配慮が行われている コミュニケー ③視覚障害発症時期 小学校低学年時から物に ぶっかる状況にあった ションの機会が限られ 孤独な状況にあるAさん の社会参加の方法として友人との電子メール交換 ④生育歴 寄宿舎で生活し ろう学校卒業する がある また 趣味のパチンコ等は精神面の安定 ⑤コミュニケーション方法 手話 触手話 拡 を図るためのものである さらに 黒色のまな板 大文字等である の上に魚や野菜等を乗せコントラスをはっきりさ ⑥家族構成 独居であるが親族は徒歩で行ける 地域に居住している せきることで料理が可能である 疾病当初から関 わっている信頼のおける協力者として 手話通訳 ⑦ろう学校卒業後入社し勤続 25 年である 者の存在は極めて大きい ⑧雇用形態 正職員である 2 雇用主の調査結果 ⑨通勤方法 徒歩3分と近いところに居住し 単 独で歩行通勤は可能である ①設立 昭和 56 年3月 創業当初から重度障害 者雇用を進めてきた また 個々の障害特性 ⑩仕事の内容 器具の梱包業務等 触覚 残存 66 を配慮した業務に展開している

68 ②事業内容 金属製品加工 アクリル製品加工 できる取りくみ等である 雇用主は 会社創業当初から知的 肢体 内部 製造等が主な事業である ③従業員 103 名 そのうち障害者 15 名である 聴覚障害等様々な障害者を受け入れてきた 障害 ④障害者雇用 知的障害者 6名 身体障害者 特性を理解した雇用主の取り組みが盲ろう者の就 労継続を可能としている 特に 工場内照度の上 聴覚 肢体8名 内部障害1名 ⑤Aさんとのコミュニケーション方法 筆談 限値 750 ルクスを採用することは視覚障害を理解 拡大文字 手話等で行っている また 手 している さらに 作業台の照明を通常の照度よ 話の分かる職員を配置し情報提供を行ってい り 2倍程度の高照度 1150 ルクス にしている 同 る 時に フォークリフト運行中は拡大文字のカード ⑥Aさんへの業務の指示 指示書の利用 筆談 を掲示して安全を確保している さらに手話の分 る職員を配置することで情報保障を行っている 拡大文字 手話等である ⑦Aさんの就労継続に向けた取り組み等 工場 このような職場環境の整備がアッシャー症候群盲 内 図1 手元照明を高照度化している ろう者の就労継続を可能にしている 触覚を活用 フォークリフト運転中 危険回避カード 図 した業務となっていることも就労を継続できてい 2 を掲示する 触覚 残存視力を活用した る要因である 業務内容にする 出勤時の名札を触覚で区別 図1 工場内の高照度化と通路の整理 図2 リフト運行中の危険回避カード に支障をきたし 障害特性を配慮した配置転換で Ⅴ 考察 重度の視覚障害と聴覚障害のあるAさんが民間 仕事を継続できる場合もある しかし 多くの場 企業で就労できている理由は Aさんの就労に向 合 就労を諦める盲ろう者が多い このような状 けた意欲 地域の関係者の支援 雇用主の配慮の 況の下 Aさんは①歩行訓練を受ける②通勤でき 3点に集約できるので これらのことについて述 るところに居住する③余暇活動を行う④電子メー べる ルで外部との交流をする等 就労を継続するため 1 Aさんの就労継続要因 の努力をしている また 他者とのコミュニケー 徐々に視力低下 視野狭窄が進むアッシャー症 ションが困難となり唯一精神的な安定を図れるの 候群の盲ろう者の場合 単独での通勤が困難にな は 電子メールでの交流である また 単独で行 り家族による通勤に向けた協力の下 就労できる えるパチンコを趣味とすることで精神の安定を図 場合もある また 徐々に視力低下が進行し業務 り 社会の構成員の一員として就労に向け意欲を 67

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