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- みいか ありたけ
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1 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 使 行 録 を 中 心 に 鄭 英 實 Intellectuals of the Late Choson period and the Formation of Arai Hakuseki s Image the Envoys Travel Accounts to the Japan JEONG Youngsil Arai Hakuseki ( ) was an Edo-period Confucian scholar. He was involved with politics as a Confucian scholar during the time of Tokugawa Ienobu, and known for having effected various political reformations. In particular, he sought to establish equal diplomatic relations with Korea and revised the reception of the Korean emissaries. It is necessary to realize that this decision was not made with sufficient negotiation between the two countries, but rather something Hakuseki forcibly established on his own. Naturally, the records of the Korean emissaries contain entries in which Hakuseki is harshly criticized, which in turn reflect the historical background of the Korean intelligentsia s attitude towards Japan at this time. This research explores the Korean awareness of Hakuseki, its formation, and if it changed over time primarily through Korean documents. キーワード: 朝 鮮 通 信 使 1711 年 辛 卯 正 徳 通 信 使 使 行 録 新 井 白 石 国 諱 論 争 はじめに 朝 鮮 外 交 の 改 変 を 主 導 した 新 井 白 石 ( )は 江 戸 中 期 の 学 者 であり 日 本 史 上 では 珍 しく 儒 者 として 政 権 運 営 に 関 わった 人 物 である 白 石 は 甲 府 城 主 徳 川 綱 豊 の 家 臣 であったが 綱 豊 が 5 代 将 軍 綱 吉 の 養 子 に 定 められるとこれに 従 って 江 戸 に 入 城 5 年 後 の 宝 永 6 年 (1709) 綱 豊 は 名 を 家 宣 と 改 め 六 代 将 軍 の 座 に 就 いた これ 以 後 白 石 が 幕 政 で 大 きな 位 置 を 占 めるようになるのである 白 石 は 家 宣 の 全 面 的 な 支 持 を 受 けて 正 徳 の 治 と 呼 ばれる 改 革 政 治 を 行 った 1) 彼 は 現 在 豊 かな 1) 宮 嶋 道 生 徳 川 家 宣 ( 秋 田 書 店 1998 年 ) 195 頁 参 考 79
2 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 儒 学 知 識 をもとづいて 様 々な 改 革 を 行 った 人 物 として 高 く 評 価 されている 2) 一 方 韓 国 における 白 石 研 究 は 主 に 通 信 使 聘 礼 改 変 をめぐる 諸 議 論 が 扱 われている それによれば 白 石 の 主 張 は 朝 鮮 との 同 等 な 外 交 関 係 を 求 めるという 面 では 評 価 されるべきものとしても その 改 変 の 過 程 は 朝 日 両 国 の 協 議 を 経 ずに 白 石 の 一 方 的 な 強 要 により 行 われたと 指 摘 されている 3) 近 年 では 当 時 の 朝 鮮 の 知 識 人 が 白 石 をどうとらえていたかを 考 察 する 研 究 も 出 されている そのう ち 李 豪 潤 氏 は 新 井 白 石 と 雨 森 芳 洲 朝 鮮 からの 視 線 ( 石 堂 論 叢 45 輯 139~173 頁 )において 当 時 の 朝 鮮 人 による 評 価 は 今 日 の 学 界 とは 違 って 白 石 が 高 く 評 価 され 芳 洲 はさほど 評 価 されていな かったとし その 根 拠 として 通 信 使 の 使 行 録 を 取 り 上 げている しかし そこで 用 いられた 資 料 は1711 年 の 辛 卯 正 徳 通 信 使 副 使 任 守 幹 による 東 槎 日 記 1719 年 の 己 亥 亨 保 通 信 使 製 述 官 申 維 翰 による 海 游 録 1748 年 の 戊 辰 寛 延 通 信 使 従 事 官 曺 命 采 による 奉 使 日 本 時 聞 見 錄 の 3 件 の ごく 一 部 に とどまっている そのため 朝 鮮 知 識 人 による 白 石 評 価 にはなお 多 くの 課 題 が 残 っていると 考 えられる そこで 本 稿 では 1711 年 の 辛 卯 正 徳 通 信 使 が 往 来 した 際 の 時 代 背 景 などを 踏 まえたうえで 海 行 総 載 をはじめとする 通 信 使 の 使 行 録 及 びそれ 以 外 の 知 識 人 の 記 録 など もっぱら 朝 鮮 側 が 書 き 残 した 新 井 白 石 関 係 資 料 を 取 り 上 げ 当 時 の 朝 鮮 の 人 々が 認 識 した 白 石 像 の 形 成 変 化 の 推 移 を 考 察 したい 一 1711 年 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 来 日 1709( 宝 永 6 ) 年 2 月 幕 府 の 五 代 将 軍 綱 吉 の 訃 報 が 対 馬 を 通 じて 礼 曹 に 届 いた 続 いて 4 月 幕 府 は 対 馬 に 通 信 使 の 招 聘 を 命 じ 1710 年 4 月 対 馬 は 朝 鮮 王 朝 に 対 し 通 信 使 が1711 年 5 月 に 出 発 し 7 8 月 には 江 戸 へ 入 城 できるよう 要 請 している ここに1711 年 5 月 15 日 朝 鮮 王 朝 は 幕 府 の 六 代 将 軍 徳 川 家 宣 の 襲 職 を 祝 うため 趙 泰 億 を 正 使 任 守 幹 を 副 使 李 邦 彦 を 従 事 官 とした 辛 卯 通 信 使 を 派 遣 する 当 時 の 通 信 使 のもようは 正 使 趙 泰 億 の 東 槎 録 副 使 任 守 幹 の 東 槎 日 記 正 使 所 属 の 押 物 通 事 金 顯 門 の 東 槎 録 合 計 3 種 の 使 行 録 から 確 認 することができる 4) 朝 鮮 通 信 使 の 主 な 目 的 は 将 軍 の 襲 職 を 祝 うことであるが 辛 卯 正 徳 の 際 は 日 本 側 の 諸 聘 礼 改 変 要 請 が 国 家 の 自 尊 心 にかかわる 問 題 と 見 なされ 使 行 が 終 わるまで 様 々な 雑 音 が 絶 えなかった 前 例 を 重 視 する 朝 鮮 側 としては 日 本 の 要 請 は 容 易 に 受 容 しがたい 懸 案 と 認 識 されたばかりか 外 交 主 導 権 を 日 本 側 に 奪 われたと 判 断 されたようである 2) 宮 嶋 道 生 新 井 白 石 ( 吉 川 弘 文 館 1989 年 ) ケイト.W.ナカイ 新 井 白 石 の 政 治 戦 略 ( 東 京 大 学 出 版 会 2001 年 ) 3)정응수 新 井 白 石 の 朝 鮮 通 信 使 儀 礼 改 定 について ( 日 本 文 化 學 報 第 24 集 2005 年 ) 鄭 章 植 1711 年 通 信 使 と 朝 鮮 の 對 應 ( 日 語 日 文 學 硏 究 第 40 集 2002 年 ) 李 成 厚 辛 卯 通 信 使 硏 究 ( 金 烏 工 科 大 學 校 論 文 集 第 16 集 1995 年 ) 林 性 哲 朝 鮮 通 信 使 往 還 における 日 本 側 の 接 待 問 題 ( 釜 山 外 国 語 大 学 論 文 集 第 3 集 1985 年 ) 4)テキストとしては 次 のものを 用 いた 趙 泰 億 東 槎 録 : 大 系 朝 鮮 通 信 使 第 四 巻 ( 明 石 書 店 1993 年 ) 所 収 本 任 守 幹 東 槎 日 記 : 同 上 金 顯 門 東 槎 録 :김양수 조선후기 외교의 주인공들( 朝 鮮 後 期 外 交 の 主 人 公 たち) ( 白 山 資 料 院 2008 年 ) 所 収 本 80
3 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) 日 本 側 が 要 求 した 聘 礼 改 変 要 請 は 大 きく 四 つの 項 目 に 分 けられる 一 つ 目 は 若 君 ( 家 宣 の 子 )に 対 す る 礼 式 の 簡 略 化 である 通 信 使 を 要 請 するまで 聘 礼 改 変 に 対 して 何 の 通 告 もなかった 対 馬 は 通 信 使 が 漢 城 を 出 発 する 直 前 若 君 には 礼 単 ( 贈 り 物 )を 贈 らないこと 若 君 に 拝 礼 をしないこと また 礼 曹 は 執 政 執 事 近 侍 京 尹 に 書 契 と 礼 単 を 贈 らないこと という 聘 礼 改 変 案 を 東 萊 府 に 通 報 してきた 5) 日 本 側 の 急 な 聘 礼 改 変 要 請 は 朝 廷 に 激 しい 議 論 を 呼 び 起 こしたが 日 本 に 着 いた 後 で 摩 擦 が 起 こるのを 気 づかい 結 局 日 本 側 の 要 求 どおり 処 理 している 6) 二 つ 目 は 将 軍 の 国 王 号 回 復 である 通 文 館 志 の 国 書 式 には この 国 王 号 問 題 に 関 して 次 のよ うな 記 録 が 見 える 初 稱 日 本 國 王 崇 禎 丙 子 倭 使 平 智 友 來 請 改 稱 大 君 康 熙 己 丑 關 白 源 家 宣 獻 地 於 倭 皇 爲 湯 沐 邑 倭 皇 悅 之 命 復 其 王 號 辛 卯 信 使 陛 辭 後 倭 使 雨 森 東 來 請 依 舊 例 稱 王 朝 廷 許 之 己 亥 又 因 島 主 之 言 復 稱 大 7) 君 ( 初 めは 日 本 国 王 と 称 したが 崇 禎 の 丙 子 年 (1636)に 倭 使 である 平 智 友 が 来 て 大 君 と 改 称 することを 要 請 した 康 熙 の 己 丑 年 (1709)に 関 白 である 源 家 宣 徳 川 家 宣 が 倭 皇 天 皇 8) に 領 地 を 献 上 し 湯 沐 邑 としたところ 倭 皇 がこれを 喜 んで 王 号 をまた 使 うように 命 じた 辛 卯 年 (1711)に 通 信 使 が 王 に 離 京 のあいさつを 告 げた 後 倭 使 である 雨 森 東 ( 芳 洲 )が 来 て 旧 例 に 倣 い 王 と 称 することを 懇 請 したので わが 朝 廷 がこれを 許 可 した また 己 亥 年 (1719) に 対 馬 島 主 の 言 によって 再 び 大 君 と 称 するようになった ) この 記 録 は 日 本 国 王 号 の 変 遷 過 程 を 略 述 している ここにもあるように すでに1636 年 以 前 に 将 軍 を 王 と 称 した 前 例 があるため この 時 の 通 信 使 が 出 発 する 直 前 国 王 号 に 関 しても 日 本 側 の 要 請 を そのまま 受 け 入 れることになった 三 つ 目 は 宴 会 での 諸 礼 式 簡 素 化 である 辛 卯 正 徳 通 信 使 派 遣 の 際 新 井 白 石 は これを 将 軍 の 権 威 を 高 める 絶 好 の 機 会 と 考 え 両 国 の 最 も 敏 感 な 部 分 を 改 定 することにより 国 内 外 に 徳 川 政 権 の 権 威 を 5) 粛 宗 実 録 三 十 七 年 二 月 二 十 日 条 に 先 是 萊 館 裁 判 倭 言 于 譯 官 曰 江 戶 執 政 執 事 近 侍 京 尹 等 處 禮 曹 所 贈 禮 物 令 一 倂 除 弊 譯 官 問 其 由 則 以 爲 禮 曹 禮 物 乃 參 判 所 贈 抗 禮 非 便 云 且 曰 關 白 之 儲 君 時 無 定 封 貴 國 別 幅 與 三 使 臣 拜 禮 贈 物 亦 令 一 倂 除 去 矣 本 府 擧 其 説 以 聞 禮 曹 覆 奏 以 爲 諉 以 抗 禮 不 便 顯 有 輕 侮 之 意 不 可 不 令 首 譯 責 諭 而 乙 未 信 使 時 無 儲 君 處 禮 物 者 以 關 白 死 而 儲 君 繼 立 故 也 今 則 有 子 而 稱 以 時 未 定 封 減 除 禮 物 者 未 知 其 由 亦 不 可 全 廢 令 廟 堂 稟 處 從 之 とあるのを 参 照 6) 任 守 幹 東 槎 日 記 辛 卯 五 月 十 五 日 / 癸 卯 の 条 に 初 倭 人 請 除 其 若 君 以 下 禮 單 朝 議 以 爲 此 是 兩 國 交 際 間 禮 節 則 不 可 因 一 差 倭 之 言 遽 爾 除 去 令 萊 府 書 問 對 馬 太 守 答 言 東 武 之 令 如 此 非 渠 所 知 云 廟 議 迄 未 歸 一 或 言 不 可 一 徇 其 言 使 操 縱 在 彼 正 使 及 臣 具 言 禮 單 雖 賫 去 而 彼 若 拒 而 不 受 則 非 但 納 侮 倭 人 或 稱 禮 曹 參 判 通 書 彼 之 執 政 爲 恥 云 彼 若 堅 持 此 説 終 然 退 却 則 勢 將 難 處 不 如 減 除 之 爲 得 宜 且 當 初 書 幣 出 於 一 時 之 權 宜 今 雖 除 之 無 損 國 軆 不 必 強 而 與 之 從 事 官 稍 有 異 議 而 上 從 臣 等 之 言 詢 于 大 臣 竟 除 禮 單 とある 7) 通 文 館 志 国 書 式 8) 湯 沐 邑 は 沐 浴 の 費 用 に 供 える 特 定 の 采 地 周 代 天 子 より 特 に 諸 侯 に 賜 わり 其 の 邑 の 収 入 を 以 て 湯 沐 の 資 とし 斎 戒 自 潔 の 用 に 備 えた 後 世 天 子 皇 后 公 主 にも 此 の 制 がある( 大 漢 和 辞 典 大 修 館 書 店 1957 年 ) 81
4 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 誇 示 しようとした 朝 鮮 側 に 対 する 接 待 の 簡 素 化 や 将 軍 の 国 王 号 回 復 など 強 力 な 通 信 使 諸 規 定 改 変 を 主 導 したのもそのためであった こうして 白 石 は 宴 会 での 接 待 を 簡 素 化 して 国 家 財 政 を 節 約 する 一 方 両 国 の 対 等 な 関 係 の 構 築 を 求 めたのである 9) 対 馬 島 主 から 宴 席 での 儀 礼 改 定 を 要 求 する 書 信 を 受 けとった 朝 鮮 側 は 前 例 を 無 視 する 要 求 には 対 応 できないとの 返 事 をする しかし 対 馬 島 主 からの 要 請 はその 後 も 続 き 結 局 朝 鮮 側 は 対 馬 の 要 請 を 受 容 することになった 四 つ 目 は 国 書 での 犯 諱 問 題 である 江 戸 での 国 書 伝 命 式 も 無 事 に 終 わり 11 月 11 日 幕 府 の 回 答 書 をもらった 朝 鮮 側 は 回 答 書 に 中 宗 ( 朝 鮮 王 朝 第 11 代 の 王 )の 諱 である 澤 の 字 が 使 わ れているばかりか 書 封 外 式 も 前 例 と 違 うことに 気 がついた さっそく 対 馬 島 主 に 国 書 の 改 書 を 要 求 し たが 10) 回 ってきた 答 えは 朝 鮮 側 の 国 書 にも 家 光 の 光 の 字 があるため 書 き 改 めることはできないと いうものだった 三 使 臣 はすぐ 日 本 側 の 主 張 に 反 論 を 申 し 立 てるなど 速 やかな 解 決 を 求 めたが 朝 鮮 側 の 国 書 を 先 に 改 書 しない 限 り 日 本 側 の 改 書 もしないという 幕 府 の 堅 い 政 策 に 変 わりはなかった 11) 使 臣 団 は 帰 国 を 保 留 しながら 最 後 まで 幕 府 と 交 渉 を 行 ったが 日 本 に 滞 在 している 通 信 使 には 不 利 な 状 況 で あった 結 局 正 使 趙 泰 億 は 日 本 側 に 国 書 の 返 却 を 要 求 する 一 方 朝 廷 にこれまでの 事 情 を 報 告 すると ともに 改 書 した 国 書 を 要 請 する 上 啓 を 出 す 翌 年 (1712 年 ) 1 月 24 日 朝 鮮 王 朝 は 国 書 を 改 書 して 対 馬 へ 送 り 2 月 12 日 書 き 改 められた 両 国 の 国 書 がやっと 交 換 される しかし 帰 国 後 三 使 臣 は 幕 府 の 要 求 に 適 切 に 対 応 できなかったという 理 由 で 官 職 剥 奪 のうえ 都 城 外 に 追 放 される 12) 幕 府 が 伝 えた 聘 礼 の 改 変 案 は 確 かに 前 例 を 破 る 措 置 ではあったが 対 等 な 外 交 を 行 うための 改 変 と 見 れば 朝 鮮 を 一 方 的 に 無 視 する 措 置 というわけではない しかし 交 渉 による 協 議 の 過 程 を 無 視 したま ま 既 存 の 協 定 事 項 に 対 して 一 方 的 な 改 変 要 請 を 行 っていることが 両 国 の 間 に 危 機 を 呼 び 起 こす 原 因 に なった 以 上 辛 卯 正 徳 通 信 使 派 遣 の 目 的 や 当 時 両 国 間 に 激 しい 議 論 を 呼 び 起 こした 四 つの 争 点 について 述 べた この 時 の 日 本 に 対 する 朝 鮮 側 の 不 信 感 は 朝 鮮 を 出 発 する 前 日 本 側 の 急 な 聘 礼 改 変 要 請 により すでに 醸 成 されていたと 思 われる 二 新 井 白 石 に 関 する 朝 鮮 知 識 人 の 記 録 1711 年 辛 卯 正 徳 通 信 使 さて 朝 鮮 側 に 残 っている 白 石 に 関 する 記 録 は 合 計 14 種 の 文 献 から42 件 の 記 事 を 見 出 すことができ る 作 者 の 日 本 経 験 の 有 無 により 日 本 に 対 する 認 識 の 違 いが 予 想 できるため まず 著 者 の 日 本 経 験 の 9)정응수 新 井 白 石 の 朝 鮮 通 信 使 儀 礼 改 定 について ( 日 本 文 化 學 報 第 24 集 2005 年 ) 10) 任 守 幹 東 槎 日 記 国 書 請 改 始 末 辛 卯 十 一 月 / 十 一 日 の 条 に 受 回 答 國 書 于 關 白 殿 内 午 後 歸 館 所 拆 見 則 書 辭 別 無 可 改 處 感 字 下 犯 中 廟 御 諱 書 封 外 式 亦 違 前 例 通 于 島 主 使 之 改 送 とある 11) 任 守 幹 東 槎 日 記 国 書 請 改 始 末 辛 卯 十 一 月 / 十 七 日 の 条 に 是 夜 島 主 長 老 到 館 所 先 送 諸 奉 行 來 言 曰 今 日 島 主 見 執 政 力 圖 而 國 王 以 爲 書 式 軆 重 不 須 更 論 朝 鮮 國 書 先 犯 我 國 諱 復 書 決 不 可 改 使 臣 但 須 賫 去 自 朝 鮮 先 爲 改 送 然 後 可 以 改 之 云 蓋 源 家 二 字 有 同 氏 族 偏 諱 之 説 非 所 可 論 且 定 行 期 於 再 明 不 可 不 發 行 矣 とある 12) 以 上 注 2 ) 所 掲 鄭 章 植 論 文 218~219 頁 82
5 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) 有 無 による 分 類 が 必 要 と 思 われる 白 石 の 場 合 はほとんどの 記 事 が 通 信 使 の 使 行 録 に 集 中 しているた め 13) 時 期 による 白 石 像 の 変 化 の 推 移 を 追 究 することができるであろう さらに 白 石 に 直 接 会 って 書 か れた 記 録 と 間 接 的 に 得 た 情 報 にもとづく 記 録 は その 正 確 さにおいて 違 いが 予 想 されるため これも 区 別 して 考 える 必 要 があると 思 われる 以 下 本 章 では1711 年 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 来 日 の 背 景 及 び 経 緯 を 考 慮 しながら 著 者 の 日 本 経 験 の 有 無 によって また 来 日 した 通 信 使 のうちでも 白 石 に 直 接 会 った 経 験 の 有 無 による 分 類 を 行 い 朝 鮮 側 の 記 録 に 見 られる 新 井 白 石 像 とその 変 化 の 推 移 について 検 討 したい 14) まずは1711 年 白 石 に 直 接 会 った 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 記 録 から 考 察 する 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 使 行 録 は 現 在 正 使 趙 泰 億 の 東 槎 録 副 使 任 守 幹 の 東 槎 日 記 正 使 所 属 の 押 物 通 事 金 顕 門 の 東 槎 録 の 3 種 が 確 認 されており 15) 合 計 22 件 の 記 事 に 白 石 の 名 が 見 える ここでは 優 れた 文 人 として 白 石 の 詩 才 を 述 べる 一 方 諸 聘 礼 改 変 を 主 導 した 人 物 として 白 石 が 注 目 されている 16) 著 者 生 没 年 著 作 名 記 事 件 数 備 考 趙 泰 億 東 槎 録 3 謙 齋 集 年 辛 卯 通 信 使 正 使 任 守 幹 東 槎 日 記 13 遯 窩 遺 稿 年 辛 卯 通 信 使 副 使 金 顕 門 東 槎 録 年 辛 卯 通 信 使 正 使 所 属 の 押 物 通 事 辛 卯 通 信 使 の 最 高 責 任 者 として 派 遣 された 趙 泰 億 は 普 通 の 使 行 録 が 日 記 のように 日 ごとに 記 録 を 残 していることと 比 べて 毎 日 作 った 漢 詩 だけをただ 順 番 どおり 書 き 残 している 東 槎 録 に 見 られる 漢 詩 は 日 本 の 文 人 たちと 詩 文 唱 和 を 行 ったとき 作 られたものが 多 いため 交 流 の 相 手 を 尊 敬 しながら 正 使 として 日 本 のすぐれた 文 化 人 に 友 誼 を 表 明 している 傾 向 があり 白 石 に 対 しても 白 石 の 詩 に 接 し てその 詩 才 を 称 賛 する 作 品 を 感 動 を 込 めて 作 っている 17) 13) 拙 稿 朝 鮮 後 期 知 識 人 から 見 た 雨 森 芳 洲 ( 千 里 山 文 学 論 集 関 西 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 第 83 号 2010 年 ) 参 照 朝 鮮 側 に 見 られる 雨 森 芳 洲 に 関 する 記 録 は 芳 洲 が 真 文 役 ( 朝 鮮 では 記 室 と 称 する)として 朝 鮮 通 信 使 の 日 本 往 来 に 関 わり 始 めた1711 年 から19 世 紀 初 頭 にかけ 使 行 録 をはじめ 一 般 外 交 資 料 集 類 書 歴 史 書 など 27 種 の 文 献 か ら109 件 の 記 事 が 存 在 する 14) 拙 稿 辛 卯 正 徳 の 朝 鮮 通 信 使 使 行 録 とその 性 格 ( 千 里 山 文 学 論 集 第 84 号 関 西 大 学 大 学 院 文 学 研 究 科 2010 年 ) 231~247 頁 15) 金 顕 門 は 白 石 に 関 して 6 件 の 記 事 を 残 しているが 白 石 がいつ 通 信 使 を 訪 ねたといった 単 純 な 事 実 関 係 しか 記 して いないため 今 回 は 検 討 を 省 略 する 16) 松 田 甲 氏 は 新 井 白 石 の 詩 と 朝 鮮 信 使 ( 日 鮮 史 話 第 二 編 朝 鮮 総 督 府 1927 年 )において 白 石 の 詩 才 を 絶 賛 す る 通 信 使 の 記 録 を 整 理 している 17) 東 槎 録 に 白 石 來 訪 至 再 又 以 詩 稿 印 本 見 惠 仍 索 余 沿 途 所 作 略 寫 十 數 首 歸 之 兼 寄 一 律 晁 卿 去 後 得 斯 人 光 價 東 南 擅 席 珍 乍 接 紫 芝 如 夙 昔 高 吟 白 雪 覺 淸 新 疎 才 豈 有 瓊 琚 報 交 誼 要 憑 縞 紵 親 海 外 奇 聞 歸 可 詑 武 城 文 敎 近 彬 彬 とある 83
6 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 任 守 幹 は 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 副 使 であり 漢 城 を 出 発 した 5 月 12 日 から 釜 山 に 戻 ってくる 翌 年 2 月 25 日 まで 計 276 日 のうち193 日 の 旅 程 を 東 槎 日 記 に 書 き 記 している 東 槎 日 記 には 合 計 13 件 の 記 事 に 白 石 が 登 場 し 朝 鮮 文 人 が 書 き 残 したすべての 新 井 白 石 関 係 資 料 42 件 のうち 約 2.5 割 を 占 めている その 最 初 の 記 録 は10 月 17 日 のものである 18) 夜 浜 崎 に 着 いた 使 臣 団 は 初 めて 白 石 に 面 会 した この 際 白 石 は 前 日 三 使 臣 がみずからの 詩 集 白 石 詩 草 に 序 文 を 書 いて くれたことに 謝 意 を 表 している 19) 三 使 臣 は 新 井 白 石 に 会 う 前 すでに 彼 の 漢 詩 に 接 し 序 文 まで 書 いて いたのである 20) この 序 文 が 書 かれた 経 緯 は 任 守 幹 の 東 槎 日 記 江 関 筆 談 序 に 詳 しく 見 ることがで きる 曩 余 之 往 也 對 州 人 雨 森 東 中 途 進 詩 卷 請 吾 輩 而 序 之 問 之 則 筑 後 守 源 璵 之 作 也 詩 頗 淸 高 可 觀 三 使 各 爲 文 而 贈 之 及 抵 東 武 一 舍 地 源 璵 迎 見 致 款 曲 留 館 中 也 數 來 就 之 相 與 筆 談 道 兩 國 交 驩 之 意 間 以 諧 笑 一 日 凡 數 十 百 紙 雖 矢 筆 而 書 之 往 往 有 可 傳 者 歸 到 下 關 阻 風 淹 滯 懷 思 無 聊 出 裝 中 故 紙 編 而 次 之 名 曰 江 關 筆 譚 21) ( 私 が 日 本 に 行 った 時 対 馬 の 人 雨 森 東 芳 洲 が 途 中 で 詩 巻 を 持 ってきて 私 たちに 序 文 を 作 っ てほしいと 頼 んだ 尋 ねると 筑 後 守 の 源 璵 新 井 白 石 の 作 であった 詩 がとても 清 高 で 見 る べきものがあったため 三 使 臣 はそれぞれ 文 を 作 って 彼 に 贈 った 東 武 の30 里 近 くに 至 ると 源 璵 が 出 迎 えに 来 て 丁 寧 に 応 対 するのみならず 館 所 に 留 まる 間 に 何 回 も 来 て 私 と 筆 談 を 行 った 両 国 の 交 歓 の 意 について 述 べ 冗 談 を 交 えることもあった 一 日 およそ 数 十 百 枚 思 いついたまま に 書 いたが 他 に 伝 えるべきものも 数 多 くあった 帰 路 下 関 に 至 って 風 波 に 阻 まれてしばらく 滞 留 する 間 あまりの 無 聊 に 苦 しんで 旅 装 から 古 紙 をとり 出 し 編 集 して 順 番 を 正 し 江 関 筆 談 と 名 づけた ) 白 石 の 詩 文 集 を 通 信 使 に 渡 したのは 同 門 の 雨 森 芳 洲 であった 白 石 を 先 輩 としてその 才 能 を 尊 敬 して いた 芳 州 は 白 石 の 詩 文 を 朝 鮮 の 文 人 に 見 せることで 日 本 人 の 詩 文 の 水 準 を 認 めてほしかったものと 思 われる 三 使 臣 も 白 石 の 詩 文 を 高 く 評 価 し 序 文 を 作 るばかりか 朝 鮮 にも 持 ち 帰 り 白 石 の 著 作 が 朝 鮮 にも 知 られるきっかけを 与 えた 22) 18) 任 守 幹 は 白 石 と 初 めて 出 会 ったのを10 月 17 日 と 記 録 しているが 金 顯 門 の 記 録 では 確 認 できない 逆 に 金 顯 門 は 通 信 使 が 江 戸 に 入 城 して 3 日 目 の10 月 20 日 に 初 めて 白 石 が 登 場 し 三 使 臣 に 会 ったと 記 録 されているが 任 守 幹 の 記 録 にそのことは 見 られない 19) 東 槎 日 記 日 記 補 従 使 所 録 刪 節 / 十 七 日 に 陰 晩 發 過 神 奈 川 夕 抵 河 崎 地 屬 武 藏 州 蜂 須 賀 飛 驒 守 隆 長 支 待 呈 檜 重 新 井 筑 後 守 源 璵 自 江 戶 來 見 以 前 日 詩 集 序 製 送 事 略 致 謝 意 是 日 行 六 十 里 とある 20) 三 使 臣 の 白 石 詩 草 序 文 ( 製 述 官 李 礥 正 使 趙 泰 億 ) 跋 文 ( 副 使 任 守 幹 従 事 官 李 邦 彦 )は 正 徳 二 年 刊 本 の 巻 頭 に 掲 載 されている 同 書 は 富 士 川 英 郎 他 編 詩 集 日 本 漢 詩 ( 汲 古 書 院 1985 年 ) 第 一 巻 に 影 印 が 収 められる 21) 任 守 幹 東 槎 日 記 江 関 筆 談 序 22) 申 維 翰 海 游 録 肅 廟 四 十 四 年 戊 戌 正 月 日 の 条 に 乞 序 於 昆 侖 學 士 公 時 以 病 閣 筆 硏 出 架 上 白 石 詩 草 一 卷 示 余 曰 此 乃 辛 卯 使 臣 所 得 來 日 東 源 璵 之 作 也 語 多 卑 弱 差 有 聲 響 君 今 與 此 人 相 對 可 以 褊 師 敵 之 然 余 意 日 東 地 廣 聞 其 山 水 爽 麗 必 有 才 高 而 眼 廣 者 不 與 使 館 酬 唱 之 席 而 得 君 文 字 雌 黃 之 有 如 葵 丘 盟 不 無 一 二 心 背 者 則 是 可 畏 已 君 勿 謂 培 婁 無 松 柏 而 忽 之 卽 千 篇 萬 什 驟 如 風 雨 可 使 鉅 鹿 諸 侯 惴 恐 不 可 使 一 孟 獲 心 服 余 敬 謝 曰 甚 84
7 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) この 記 事 によると 白 石 は 使 臣 たちと 和 気 藹 藹 とした 雰 囲 気 で 筆 談 を 行 っており 他 の 日 にも 白 石 は 様 々な 文 人 たちと あるいは 一 人 で 通 信 使 の 滞 在 先 を 訪 ねている 23) 任 守 幹 は そうした 日 々を 回 想 し ながら 書 物 に 編 んでおり 詩 文 の 唱 和 を 通 じた 親 交 ぶりをうかがうことができる しかし こうした 記 事 の 背 後 には 実 は 国 諱 問 題 という 深 刻 な 亀 裂 が 横 たわっていた 日 本 の 回 答 書 から 中 宗 の 諱 の 文 字 澤 が 見 出 されて 両 国 が 激 しい 交 渉 に 入 ってからの 記 録 には 白 石 に 対 する 否 定 的 見 解 がはっきりと 見 えている このことに 関 して 任 守 幹 は 奉 行 及 雨 森 東 來 言 國 書 改 送 事 諸 議 皆 以 爲 難 源 璵 亦 以 爲 朝 鮮 國 書 中 光 字 亦 犯 我 國 先 王 之 諱 外 24) 面 封 式 亦 是 國 俗 通 行 之 例 似 難 變 改 云 即 作 書 邀 源 璵 璵 托 病 不 來 ( 奉 行 と 雨 森 東 芳 洲 が 国 書 を 書 き 改 めて 送 ることに 関 して 伝 えてきたが 皆 の 意 見 は 難 しいと いうことだった 源 璵 白 石 によれば 朝 鮮 の 国 書 が 光 の 字 を 使 っているのも 我 が 国 の 先 王 の 諱 を 犯 している 封 筒 の 表 書 きも 我 が 国 のしきたりだから 変 更 は 難 しい とのことである すぐに 源 璵 に 手 紙 を 送 って 面 会 を 求 めたが 源 璵 は 病 気 を 口 実 にして 来 なかった ) と 記 録 している 白 石 の 病 気 もただの 言 い 訳 に 過 ぎないというのである 白 石 に 会 って 直 接 交 渉 しよう とした 朝 鮮 使 臣 たちは 11 月 17 日 国 書 の 改 作 が 決 定 した 後 白 石 に 関 して 次 のように 記 録 している 似 聞 源 璵 以 關 白 潛 邸 之 舊 出 入 臥 内 所 言 皆 從 與 執 政 大 不 相 能 執 政 相 模 守 則 以 吾 輩 之 言 頗 以 爲 然 請 改 避 諱 一 款 關 白 面 許 聽 璵 言 輒 變 致 令 事 機 如 此 蓋 源 璵 者 能 解 文 字 故 今 番 新 定 節 目 皆 璵 所 講 定 而 相 模 守 甚 惡 之 至 欲 刃 殺 云 以 日 昨 書 邀 而 托 病 不 來 者 觀 之 其 情 狀 可 見 矣 25) ( 聞 いた 話 によると 源 璵 白 石 は 関 白 将 軍 家 宣 の 潜 邸 時 代 からの 旧 臣 であり 寝 室 にまで 出 入 している 関 白 は 白 石 の 言 うことにすべて 従 うため 執 政 老 中 の 土 屋 政 直 とは 仲 が 良 く ない 執 政 相 模 守 は 我 らの 主 張 に 同 意 して 諱 を 避 けるべく 要 請 を 行 い 関 白 から 直 接 許 可 を 得 た ところが 関 白 は 源 璵 の 話 を 聞 くやただちに 許 可 をひるがえしたため 事 態 がこのようになってし まった 思 うに 源 璵 という 人 物 は 文 章 に 巧 みなため 今 回 新 たに 儀 式 の 次 第 を 定 めるのにもす べて 源 璵 が 考 えて 決 めてしまった 相 模 守 は 白 石 を 非 常 に 憎 んで 刀 で 殺 そうとしているとのこと である 昨 日 手 紙 を 送 って 会 おうとしたが 病 気 を 口 実 にして 来 ないのを 見 てもその 実 情 がわかる ) ここでは 将 軍 家 宣 が 白 石 の 言 いなりになっていること 老 中 土 屋 政 直 は 朝 鮮 側 に 好 意 的 であること 愧 無 以 奉 斯 言 とある 23) 東 槎 日 記 に 次 のような 記 事 が 見 える 日 記 補 従 使 所 録 刪 節 / 二 十 六 日 : 雨 源 璵 來 呈 野 風 香 一 小 合 請 以 八 分 寫 天 爵 堂 藏 修 遊 息 居 八 字 欲 爲 懸 板 云 許 之 出 外 廳 求 見 軍 官 所 佩 劍 及 弓 矢 以 天 字 弓 六 兩 箭 示 之 不 能 開 弦 見 軍 官 輩 引 彎 大 加 驚 歎 云 日 記 補 従 使 所 録 刪 節 / 二 十 八 日 : 陰 夜 雨 源 璵 來 候 高 玄 岱 等 八 人 亦 來 24) 東 槎 日 記 国 書 請 改 始 末 十 一 月 / 十 三 日 25) 東 槎 日 記 國 書 請 改 始 末 / 十 七 日 85
8 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 その 土 屋 政 直 が 白 石 を 憎 み これを 殺 そうとしていることなどが 語 られている これは 伝 聞 であるから 必 ずしも 事 実 とは 限 らないが 少 なくとも 任 守 幹 が 白 石 の 行 為 を 独 断 的 なものと 考 え それによって 両 国 間 に 重 大 な 外 交 問 題 が 起 こったとことが 語 られている 以 上 は 白 石 に 関 する 任 守 幹 の 記 録 である 任 守 幹 はそもそも 白 石 に 対 してストレートな 評 価 はしてい ないものの 白 石 についてのイメージは 優 れた 文 人 という 好 感 とともに 朝 鮮 との 外 交 交 渉 の 背 後 で これを 操 作 する 者 という 反 感 が 共 存 していると 思 われる 三 新 井 白 石 に 関 する 朝 鮮 知 識 人 の 記 録 1719 年 己 亥 享 保 通 信 使 以 後 次 に 新 井 白 石 と 会 ったことのない 通 信 使 の 記 録 を 中 心 に 考 察 してみよう 資 料 は 今 のところ1719 年 己 亥 享 保 通 信 使 の 記 録 から 4 件 1748 年 戊 辰 寛 延 通 信 使 の 記 録 から 2 件 最 後 に1763 年 癸 未 宝 暦 通 信 使 の 記 録 から12 件 合 計 18 件 が 確 認 される 文 献 数 に 比 べて 記 事 の 件 数 は 多 いとはいえないが 白 石 は1716 年 第 八 代 将 軍 徳 川 吉 宗 の 就 任 に 伴 って 失 脚 しているから 公 的 な 政 治 活 動 を 退 いた 後 にも 通 信 使 の 記 録 に 持 続 的 に 登 場 していることになる 前 章 で 見 た1711 年 辛 卯 正 徳 通 信 使 によって 形 成 された 白 石 のイメージが 以 後 朝 鮮 の 知 識 人 の 間 にどのような 形 で 継 承 され ま た 変 化 したのかをたどってみたい 年 己 亥 享 保 通 信 使 の 記 録 1719 年 4 月 1 日 辛 卯 正 徳 通 信 使 のわずか 8 年 後 八 代 将 軍 徳 川 吉 宗 の 将 軍 襲 職 を 祝 賀 するため 己 亥 享 保 通 信 使 が 日 本 にやってきた この 時 の 通 信 使 が 残 した 使 行 録 のうち 現 在 まで 伝 わっているの は 正 使 洪 致 中 の 海 槎 日 録 製 述 官 申 維 翰 の 海 游 録 副 使 所 属 の 子 弟 軍 官 鄭 後 僑 の 扶 桑 紀 行 従 事 軍 官 備 局 郎 庁 金 潝 の 扶 桑 録 で 合 計 4 種 になる 26) このうち 白 石 に 関 する 記 録 は 鄭 後 僑 の 扶 桑 紀 行 を 除 く 3 種 の 使 行 録 に 見 出 すことができる 27) 白 石 が 通 信 使 往 来 に 直 接 関 わった 前 回 に 比 べ て その 記 事 の 数 がかなり 減 っていることになる 著 者 生 没 年 著 作 名 記 事 件 数 備 考 洪 致 中 海 槎 日 録 1 正 使 申 維 翰 1681-? 海 游 録 2 製 述 官 金 潝 1691-? 扶 桑 録 1 従 事 軍 官 備 局 郎 庁 26)テキストとしては 次 のものを 用 いた 洪 致 中 海 槎 日 録 : 大 系 朝 鮮 通 信 使 第 五 巻 ( 明 石 書 店 1995 年 ) 所 収 本 申 維 翰 海 游 録 : 海 行 摠 載 第 一 巻 ( 民 族 文 化 推 進 会 1975 年 ) 所 収 本 鄭 後 僑 扶 桑 紀 行 : 京 都 大 学 図 書 館 蔵 本 金 潝 扶 桑 録 : 総 合 文 化 研 究 所 紀 要 第 六 巻 ( 同 志 社 女 子 大 学 総 合 文 化 研 究 所 1989 年 ) 所 収 本 27) 鄭 後 僑 は 芳 洲 をはじめ 日 本 の 文 人 たちと 詩 文 を 唱 和 するとともに 日 本 の 学 風 に 関 しても 感 想 を 述 べている し かし 彼 は 芳 洲 に 関 しては 8 件 の 記 事 を 残 しているにもかかわらず 白 石 に 関 しては 何 も 記 していない 86
9 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) まず 正 使 洪 致 中 は 前 回 の 通 信 使 における 国 書 改 作 論 争 に 関 し 林 家 と 白 石 が 対 立 した 経 緯 を 説 明 し た 後 林 信 篤 は 年 老 いているが 純 粋 謹 厳 で 和 平 を 主 張 しており 白 石 とは 違 うように 見 受 けられる 28) と 述 べ 白 石 に 対 する 拒 否 感 を 婉 曲 に 表 明 している 一 方 従 事 軍 官 金 潝 は 製 述 官 申 維 翰 と 筆 談 を 交 えた 雨 森 芳 州 について 紹 介 しているが 白 石 については 芳 州 の 同 門 としてしか 言 及 していない 29) 洪 致 中 も 金 潝 も 白 石 を 一 応 認 識 はしていたが 林 信 篤 や 雨 森 芳 州 を 説 明 するための 周 辺 的 人 物 として 扱 ってい ることになる 30) 一 方 申 維 翰 は 18 世 紀 初 頭 の 日 本 社 会 を 網 羅 した 観 察 記 録 として 評 価 される 海 游 録 の 附 聞 見 雑 録 で 白 石 についてこう 記 録 している 源 家 宣 爲 關 白 時 稍 解 文 嘗 於 私 邸 與 源 璵 遊 學 故 擢 用 源 璵 參 決 國 政 源 璵 者 才 足 以 識 古 文 爲 詩 頗 有 聲 響 有 白 石 集 行 于 世 木 順 庵 名 貞 幹 博 學 修 行 源 璵 雨 森 東 輩 皆 其 門 弟 也 聞 源 璵 者 本 以 微 品 爲 家 宣 所 寵 官 至 筑 後 守 挾 其 才 華 變 更 制 度 辛 卯 回 書 犯 諱 爭 執 時 源 璵 主 事 林 信 篤 者 不 能 矯 其 非 凡 所 主 張 多 執 異 議 宗 室 大 臣 皆 怨 之 今 關 白 入 承 之 後 卽 黜 源 璵 親 近 信 篤 故 璵 之 黨 友 一 時 廢 錮 不 敢 與 於 儒 官 酬 唱 之 席 雨 森 東 以 璵 之 同 學 尚 在 絶 島 記 室 嘗 曰 白 石 公 若 至 今 秉 權 吾 輩 亦 有 彈 冠 之 望 云 云 ( 源 家 宣 徳 川 家 宣 が 関 白 であった 時 は 少 し 文 章 がわかった かつて 私 邸 で 白 石 とともに 学 問 を 修 めたため 源 璵 白 石 を 抜 擢 し 国 政 の 意 思 決 定 に 参 与 させた 源 璵 という 人 物 は 古 文 を 十 分 理 解 できる 才 能 をもち 作 詩 もすこぶる 評 判 が 高 く 白 石 集 が 世 に 行 われている 木 順 庵 木 下 順 庵 は 名 を 貞 幹 といい 博 学 で 徳 行 を 修 めたが 源 璵 と 雨 森 東 雨 森 芳 洲 らはみなその 門 弟 である 聞 くところによると 源 璵 は 微 門 出 身 だったが 家 宣 の 寵 愛 を 受 けて 筑 後 守 ま で 出 世 し 自 分 の 才 能 にまかせて 制 度 を 変 更 した 辛 卯 通 信 使 の 際 日 本 側 の 回 答 書 に 朝 鮮 国 王 の 諱 を 犯 したことにより 争 論 が 起 こると もっぱら 源 璵 がこの 問 題 を 主 導 した 林 信 篤 鳳 岡 はその 過 ちを 矯 正 することができなかった およそ 源 璵 が 主 張 することに 対 しては 異 議 が 多 く 宗 室 大 臣 みなこれを 怨 んだ 現 在 の 関 白 吉 宗 が 江 戸 に 入 って 将 軍 職 を 継 いだ 後 すぐさま 源 璵 を 退 けて 信 篤 を 親 しく 近 づけるようになった その 故 源 璵 の 仲 間 は 一 時 官 途 をふさがれ 儒 官 や 交 際 の 席 にあずかることができなくなった 雨 森 東 は 源 璵 の 同 門 であったため 今 もなお 対 馬 の 記 室 である かつていうには もし 白 石 公 が 今 まで 権 力 を 握 っていたなら 我 らにもまた 出 仕 の 希 望 があったかもしれない と ) このように 申 維 翰 は 白 石 が 国 政 に 参 与 するまでの 経 緯 と 文 人 としての 才 能 その 師 弟 関 係 林 鳳 岡 28) 海 槎 日 録 10 月 / 初 3 日 に 辛 卯 國 書 争 詰 之 時 林 則 多 主 從 便 改 搢 之 論 而 無 権 故 不 能 見 舊 卽 今 两 家 門 生 便 成 黨 論 毎 事 不 相 合 而 林 則 見 其 爲 人 年 老 淳 謹 議 主 和 平 似 與 源 璵 不 同 矣 とある 29) 扶 桑 録 六 月 三 十 日 辛 未 の 条 に 島 主 又 請 製 述 官 故 進 去 則 使 雨 森 東 出 待 於 外 廳 以 筆 談 酬 酢 以 還 雨 森 東 號 稱 芳 洲 而 與 白 石 源 璵 同 爲 受 學 於 木 順 菴 能 文 能 詩 且 通 漢 語 及 朝 鮮 語 主 張 島 中 文 書 便 是 島 主 記 室 一 島 稱 以 院 長 者 也 且 有 両 子 能 文 端 雅 矣 とある 30) 姜 在 彦 조선통신사의 일본 견문록( 朝 鮮 通 信 使 の 日 本 見 聞 録 ) (한길사 2005 年 )252 頁 を 参 照 87
10 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 との 対 立 徳 川 吉 宗 が 襲 職 してからの 状 況 という 事 柄 に 絞 って 記 録 を 残 しており 事 実 関 係 においても かなり 正 確 な 情 報 を 記 している 申 維 翰 は 洪 致 中 や 金 潝 と 違 って 白 石 の 文 人 としての 才 能 にも 十 分 注 目 している 特 に 白 石 の 漢 詩 については 肅 廟 四 十 四 年 戊 戌 正 月 日 31) において 描 写 されるように これをかなり 高 く 評 価 していた 以 上 1719 年 己 亥 享 保 通 信 使 の 記 録 をめぐって 考 察 した 1719 年 はまだ 前 回 の 聘 礼 改 変 をめぐる 論 争 の 余 波 が 残 っており 白 石 はその 事 件 を 引 き 起 こした 主 たる 原 因 として 取 り 上 げられている わずか 8 年 しか 過 ぎていないが 白 石 はすでに 回 顧 の 対 象 となっており 白 石 を 訪 ねてわざわざ 面 会 したとい う 記 事 も 見 あたらない 年 戊 辰 寛 延 通 信 使 の 記 録 1748 年 の 戊 辰 寛 延 通 信 使 行 は 第 九 代 将 軍 徳 川 家 重 の 将 軍 襲 職 を 祝 賀 するため 日 本 にやってきた この 時 従 事 官 として 来 日 した 曺 命 采 は 毎 日 の 日 程 や 感 想 などをまとめた 奉 使 日 本 時 聞 見 録 の 中 で 2 ヶ 所 白 石 に 言 及 している 著 者 生 没 年 著 作 名 記 事 件 数 備 考 曺 命 采 奉 使 日 本 時 聞 見 錄 2 従 事 官 その 記 事 は 次 のとおりである 島 中 有 雨 森 東 者 號 芳 浦 能 詩 文 善 解 三 國 之 語 與 白 石 源 璵 爲 同 門 生 曾 在 關 白 家 宣 之 時 源 璵 得 志 而 與 森 東 慨 然 有 變 俗 之 意 高 騖 一 世 自 許 以 國 中 人 豪 及 源 璵 敗 森 東 歸 于 故 鄕 落 拓 不 遇 32) ( 対 馬 に 雨 森 東 なる 人 物 がおり 号 を 芳 浦 という 詩 文 に 秀 で 三 国 日 中 韓 の 言 葉 を 善 く 解 した 白 石 源 璵 新 井 白 石 と 同 門 生 だった かつて 関 白 家 宣 の 時 源 璵 が 出 世 し 雨 森 東 と ともに 慨 然 として 風 俗 を 変 える 志 を 持 った 時 代 を 高 邁 に 過 ごし 一 国 の 豪 傑 と 自 負 した 源 璵 が 敗 れるに 至 って 雨 森 東 は 故 郷 に 帰 り 不 遇 な 状 態 に 陥 った ) 富 士 一 岳 卽 國 中 之 祖 宗 名 山 也 氣 之 所 毓 必 有 奇 傑 者 生 而 以 文 學 詩 律 翹 楚 其 中 者 不 過 如 白 石 源 璵 伊 藤 惟 禎 輩 若 而 人 而 已 此 外 雖 有 某 某 所 稱 俱 無 足 可 記 惟 舜 首 坐 爲 號 者 ( 姓 藤 原 名 肅 又 號 惺 窩 ) 以 播 摩 細 川 之 人 聰 明 好 文 倡 明 性 理 之 學 性 且 峭 剛 於 人 無 許 可 33) ( 富 士 山 は 国 中 の 祖 宗 となる 名 山 である 気 の 育 つところには 必 ず 豪 傑 が 生 まれる しかし 文 学 と 詩 律 に 優 れる 者 は 白 石 源 璵 新 井 白 石 と 伊 藤 惟 禎 伊 藤 仁 斎 ら 数 人 に 過 ぎない これ 以 外 に 某 某 の 称 える 人 もいるが 記 録 に 値 する 者 ではない ただ 舜 首 坐 藤 原 惺 窩 と 呼 ばれる 31) 注 22 参 照 32) 奉 使 日 本 時 聞 見 録 聞 見 総 録 / 對 馬 島 33) 奉 使 日 本 時 聞 見 錄 聞 見 總 録 / 総 論 88
11 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) 人 物 は( 姓 は 藤 原 名 は 肅 また 惺 窩 と 号 す) 播 摩 細 川 の 出 身 で 聡 明 で 学 問 を 好 み 性 理 学 を 提 唱 した 天 性 は 気 高 く 剛 直 で 人 をむかみに 認 めることはしなかった ) 曺 命 采 も 前 回 の 使 臣 たちと 同 様 わりあい 淡 々と 白 石 に 言 及 している しかし 事 実 とは 異 なる 部 分 が 時 折 り 見 られる 実 際 芳 州 は 白 石 が 失 脚 した 後 にも 真 文 役 を 引 き 受 け 1719 年 己 亥 享 保 通 信 使 の 応 接 を 担 当 しており 1719 年 の 使 行 録 だけでも51 件 の 記 事 に 登 場 している また 曺 命 采 の 記 録 を 見 ると 白 石 の 政 治 家 としての 面 より むしろ 文 人 としての 面 が 注 目 されてい る かつて 白 石 に 言 及 する 際 必 ずと 言 っていいほど 触 れられた 聘 礼 改 変 事 件 の 記 事 が 見 えなくなったの もそれを 物 語 っている このように 白 石 に 対 する 朝 鮮 側 の 認 識 は 時 間 を 経 るにつれて 政 治 家 として のイメージは 弱 くなる 一 方 で 文 人 としての 白 石 に 興 味 が 持 たれるようになってくる 年 癸 未 宝 暦 通 信 使 の 記 録 1763 年 幕 府 の 十 代 将 軍 徳 川 家 治 の 将 軍 襲 職 を 祝 賀 するため 正 使 趙 曮 副 使 李 仁 培 従 事 官 金 相 翊 をはじめとする 癸 未 宝 暦 通 信 使 が 来 日 した 次 回 の1811 年 辛 未 文 化 通 信 使 の 場 合 は 易 地 聘 礼 に より 対 馬 で 国 書 を 交 換 しているため 江 戸 を 往 来 した 使 臣 団 としてはこの 癸 未 宝 暦 通 信 使 が 最 後 とな る 著 者 生 没 年 著 作 名 記 事 件 数 備 考 趙 曮 海 槎 日 記 2 正 使 南 玉 日 観 記 3 製 述 官 元 重 挙 和 国 志 3 書 記 成 大 中 日 本 録 3 青 城 雑 記 1 書 記 癸 未 宝 暦 通 信 使 の 使 行 録 は 中 人 階 層 の 活 発 な 著 作 活 動 に 伴 い 正 使 趙 曮 の 海 槎 日 記 を 含 めて 合 計 10 種 という 膨 大 な 量 にのぼっている 34) そのうちで 白 石 に 言 及 した 記 録 は 正 使 趙 曮 の 海 槎 日 記 に 2 件 製 述 官 南 玉 の 日 観 記 に 3 件 書 記 元 重 挙 の 和 国 志 に 3 件 書 記 成 大 中 の 日 本 録 に 3 件 青 城 雑 記 に 1 件 合 計 12 件 が 見 出 される 癸 未 通 信 使 の 正 使 として 来 日 した 趙 曮 は 日 本 の 社 会 や 事 物 に 対 する 関 心 が 深 かった 実 際 対 馬 から サツマイモの 種 子 と 水 車 を 導 入 するのみならず 対 馬 および 日 本 の 地 図 を 手 に 入 れて 模 写 するなど 当 時 の 日 本 を 積 極 的 に 観 察 した 人 物 であった 35) 趙 曮 は 日 本 における 朱 子 学 の 由 来 に 関 しても 次 のような 記 録 を 残 している 34) 正 使 趙 曮 の 海 槎 日 記 製 述 官 南 玉 の 日 観 記 書 記 成 大 中 の 日 本 録 元 重 挙 の 和 国 志 乗 槎 録 金 仁 謙 の 日 東 壯 遊 歌 漢 学 通 事 呉 大 齡 の 東 槎 日 記 通 事 李 彦 瑱 の 松 穆 館 燼 餘 稿 ( 日 本 途 中 所 見 ) 軍 官 閔 恵 洙 槎 録 作 者 未 詳 の 癸 未 随 槎 録 の10 種 35) 李 成 厚 조엄과 김인겸의 대일관 연구( 趙 曮 と 金 仁 謙 の 對 日 觀 研 究 ) ( 論 文 集 7 集 金 烏 工 科 大 學 校 1986 年 ) 89
12 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 我 朝 人 姜 睡 隱 沆 被 拘 四 年 其 時 有 僧 舜 首 座 者 相 與 從 遊 始 開 文 敎 舜 首 座 俗 名 藤 歛 夫 號 惺 窩 其 弟 子 宋 昌 山 昌 山 弟 子 有 木 貞 幹 號 順 菴 者 多 有 敎 訓 其 弟 子 鳩 巢 者 以 理 學 名 源 璵 號 白 石 雨 森 東 號 芳 洲 者 皆 能 文 而 貞 幹 不 剃 髮 不 火 葬 欲 從 華 制 見 放 而 死 源 璵 遵 其 師 説 又 欲 變 國 俗 36) 亦 廢 死 ( 我 が 王 朝 の 睡 隱 姜 沆 は 4 年 間 日 本 に 抑 留 された その 時 舜 首 座 という 僧 と 交 友 して 初 めて 文 教 ( 朱 子 学 )を 開 いた 舜 首 座 は 俗 名 を 藤 斂 夫 号 を 惺 窩 といい その 弟 子 に 宋 昌 山 松 昌 三 松 永 尺 五 がいる 昌 山 の 弟 子 には 木 貞 幹 木 下 順 庵 という 者 がいた 彼 は 号 を 順 菴 といい 多 くの 教 えを 残 した その 弟 子 である 鳩 巣 室 鳩 巣 という 者 は 理 学 をもって 名 を 知 られた 源 璵 号 は 白 石 雨 森 東 号 は 芳 洲 は ともに 文 章 に 優 れていた 師 である 貞 幹 は 剃 髮 や 火 葬 を 行 わず 中 華 の 制 度 に 従 おうとした そのため 追 放 されて 死 んだ その 後 源 璵 も 師 に 従 って 風 俗 を 変 えようとしたが また 廃 されて 死 んだ ) 趙 曮 は 姜 沆 に 始 まる 日 本 の 朱 子 学 の 流 れを 紹 介 し 白 石 と 芳 洲 を 優 れた 学 者 として 評 価 している こ の 記 録 にもいくらか 誤 りが 見 え 特 に 木 下 順 庵 が 剃 髮 や 火 葬 を 行 わなかったため 追 放 されたというのは 土 佐 の 野 中 兼 山 と 混 同 しているのではないかと 思 われる しかし このような 誤 謬 は 大 部 分 の 使 行 録 に 多 少 なりとも 見 られるもので ここではむしろ 日 本 の 朱 子 学 史 を 客 観 的 に 叙 述 しようとする 態 度 に 注 意 したい 書 記 元 重 挙 の 和 国 志 は 他 の 使 行 録 が 日 記 形 式 をとり 主 に 個 人 的 見 聞 を 整 理 しているのに 対 し 見 聞 とともに 日 本 文 化 に 関 する 総 合 的 な 資 料 収 集 を 試 みている 元 重 挙 は いわゆる 北 学 派 実 学 者 たち と 緊 密 な 交 流 を 行 ったため 和 国 志 は 彼 ら 北 学 派 実 学 者 らの 日 本 観 形 成 に 直 接 影 響 を 与 えたといって も 過 言 ではない 実 際 元 重 挙 の 記 録 は 様 々な 実 学 者 らの 書 物 に 引 用 されている 37) 1719 年 1748 年 を 経 て 少 なくなった 聘 礼 改 変 の 記 事 は 1763 年 の 場 合 かなり 詳 しい 記 述 とともに 白 石 批 判 の 根 拠 として 用 いられている 特 に 元 重 挙 は 武 州 本 末 38) と 学 問 之 人 39) の 条 で 白 石 を 軽 挙 妄 動 で 傲 慢 な 人 であったため 周 囲 から 怨 みをかい 不 幸 な 晩 年 を 過 ごした 政 治 家 として 描 写 して いる また 我 朝 通 信 の 条 では 聘 礼 改 変 について 次 のように 述 べている 時 有 源 璵 者 貴 寵 用 事 職 爲 太 學 頭 専 管 交 隣 辭 令 源 璵 因 言 語 發 怒 随 事 欠 敬 使 臣 不 得 居 已 先 以 状 馳 啓 朝 廷 乃 改 光 爲 克 以 遺 之 使 臣 留 馬 島 受 答 而 回 時 家 宣 獻 食 邑 於 倭 皇 倭 皇 悅 使 復 称 王 36) 海 槎 日 記 六 月 / 十 八 日 戊 戌 37) 元 重 挙 著 朴 在 錦 訳 和 国 志 (소명출판 2006 年 ) 7 ~13 頁 参 照 38) 和 国 志 武 州 本 末 に 源 璵 以 文 學 進 于 家 宣 致 位 執 政 勸 家 宣 請 于 倭 皇 受 王 號 欲 變 服 色 改 官 名 一 遵 華 制 然 璵 矜 傲 自 用 性 實 狠 愎 又 作 事 無 漸 在 職 者 咸 不 悅 遂 搆 璵 欲 殺 之 宣 菫 得 減 其 律 止 於 流 刑 國 中 有 職 者 咸 惜 璵 輊 脱 妄 率 遽 失 有 爲 之 機 云 という 39) 和 国 志 学 問 之 人 に 林 信 篤 與 源 璵 分 門 相 角 而 信 篤 溫 厚 愛 人 璵 剛 愎 自 用 欲 奪 林 氏 之 權 而 自 主 文 事 多 所 變 亂 終 以 此 敗 如 辛 卯 返 翰 時 改 書 式 事 及 我 國 通 彼 文 字 中 使 諱 康 光 綱 等 字 是 也 大 抵 木 之 徒 挾 才 而 少 徳 若 言 學 問 則 林 與 木 俱 未 也 但 林 重 厚 謹 畏 所 以 能 永 其 後 也 という 90
13 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) 故 國 書 中 改 大 君 爲 王 日 本 答 書 亦 稱 国 王 40) ( 当 時 源 璵 新 井 白 石 という 者 が 寵 愛 を 受 けて 権 勢 をふるった 官 職 は 太 学 頭 になり 交 隣 の 法 令 をもっぱら 担 当 した 源 璵 は 言 語 のこと( 国 諱 事 件 )で 怒 りを 発 し 事 ごとに 不 敬 な 態 度 を 示 した 使 臣 たちはやむをえず 先 に 状 啓 をもって 朝 廷 に 急 ぎ 報 告 した すると 朝 鮮 の 朝 廷 は 光 の 字 を 克 に 直 してそれを 送 った 使 臣 たちは 対 馬 にとどまり 回 答 書 をもらって 帰 国 し た この 時 家 宣 は 倭 皇 に 領 地 を 献 上 したところ 倭 皇 は 喜 んで 再 び 王 号 を 使 うよう 命 じた そのため 国 書 の 中 の 大 君 という 称 号 を 王 に 改 めた 日 本 の 答 書 でもまた 国 王 と 称 した ) 元 重 挙 の 記 録 は 当 時 の 国 諱 事 件 や 王 号 問 題 の 経 緯 を 簡 潔 にまとめた 内 容 であるにもかかわらず 白 石 への 批 判 的 視 点 が 目 立 っている この 記 録 はこれまでとりあげた 記 録 とは 違 い 白 石 に 焦 点 化 した 叙 述 を 行 っているという 特 徴 があり 強 硬 な 政 治 家 としてのイメージが 強 調 されている 文 人 としての 評 価 が 見 えないことも 注 意 される 1682 年 壬 戍 天 和 通 信 使 の 製 述 官 成 琬 の 子 孫 である 成 大 中 は 1763 年 癸 未 宝 暦 通 信 使 の 書 記 として 派 遣 され 靑 城 雜 記 の 醒 言 で 白 石 の 生 涯 について 次 のように 記 している 日 本 源 璵 號 白 石 幼 以 神 童 稱 與 源 家 宣 學 於 木 貞 幹 我 曾 伯 祖 翠 虛 公 入 日 本 璵 贄 詩 而 謁 翠 虛 序 其 卷 許 之 以 太 白 之 才 於 是 璵 名 喧 國 中 關 白 遂 倣 太 白 金 鑾 殿 故 事 召 焉 然 日 本 官 並 世 襲 而 璵 源 氏 庶 也 官 則 未 有 以 階 也 及 家 宣 入 爲 關 白 不 次 用 璵 置 諸 帷 幄 璵 雖 才 藝 絶 人 然 暴 升 專 權 衆 皆 嫉 之 林 道 春 始 爲 日 本 文 職 子 孫 世 執 其 柄 一 國 文 士 盡 出 其 門 而 亦 失 柄 於 璵 莫 之 亢 也 趙 泰 億 奉 使 入 日 本 璵 儐 焉 與 之 筆 談 泰 億 亦 遜 其 敏 談 間 適 中 其 忌 怒 而 去 遂 爲 使 事 梗 我 國 書 契 偶 犯 源 諱 璵 乃 故 犯 我 諱 以 相 當 泰 億 爭 之 則 出 我 書 契 以 抵 之 仍 迫 之 行 泰 億 遂 以 辱 國 抵 罪 家 宣 死 璵 亦 廢 斥 終 身 林 氏 復 專 文 柄 然 璵 之 徒 並 才 子 也 至 今 推 璵 爲 宗 誦 之 不 衰 其 集 之 至 於 我 李 槎 川 秉 淵 亦 愛 其 唐 調 而 嘗 效 之 41) ( 日 本 の 源 璵 は 白 石 と 号 する 幼 少 のころから 神 童 と 称 され 源 家 宣 徳 川 家 宣 とともに 木 貞 幹 木 下 順 庵 の 門 で 学 んだ わが 曾 伯 祖 父 の 翠 虚 公 成 琬 が 日 本 に 行 った 時 源 璵 が 詩 文 ( 陶 情 集 )を 持 って 尋 ねてきた 翠 虚 公 はその 本 の 序 文 を 書 き 李 太 白 ほどの 才 能 があると 認 め た かくして 源 璵 の 名 は 国 内 に 知 られるようになり 関 白 は 李 太 白 の 金 鑾 殿 の 故 事 にならって 彼 を 招 聘 した しかし 日 本 の 官 職 はすべて 世 襲 であり しかも 源 璵 は 源 氏 の 庶 子 であったため 官 を 昇 ることはできなかった 源 家 宣 が 関 白 になるに 及 んで 源 璵 を 特 進 させ 幕 府 内 に 置 いた 源 璵 は 並 はずれた 才 能 の 持 ち 主 ではあったが にわかに 高 い 地 位 に 上 がり 権 力 をふるったため 周 囲 の 者 はみなこれを 憎 んだ 林 道 春 林 羅 山 が 初 めて 日 本 の 文 教 政 策 を 担 って 以 来 子 孫 が 代 々 その 職 掌 を 握 り 全 国 の 文 士 はすべてその 門 から 輩 出 していたが これまた 源 璵 に 権 力 を 奪 われ 40) 元 重 挙 和 国 志 我 朝 通 信 41) 成 大 中 靑 城 雜 記 醒 言 91
14 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 対 抗 することができなかった 趙 泰 億 (1711 年 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 正 使 )が 使 臣 として 日 本 に 行 った 際 源 璵 はこれに 応 接 し 筆 談 を 交 わした 趙 泰 億 も 彼 の 才 能 にはかなわなかった ところ が 筆 談 のさなか たまたま 忌 避 に 触 れると 源 璵 は 怒 って 帰 ってしまったので 使 臣 の 任 務 に 支 障 をきたすことになった たまたまわが 国 の 書 契 ( 国 書 )が 源 氏 の 諱 字 を 犯 すと 源 璵 はなん と 故 意 に 朝 鮮 側 の 諱 字 を 犯 してこれに 対 抗 した 趙 泰 億 がそれに 抗 議 すると 源 璵 は 朝 鮮 側 の 書 契 を 取 り 出 して 抵 抗 し 朝 鮮 側 を 圧 迫 した こうして 趙 泰 億 は 帰 国 後 国 を 辱 めたという 理 由 で 処 罰 された 家 宣 が 死 ぬと 源 璵 も 失 脚 して 生 涯 を 終 え 林 氏 が 再 び 文 教 政 策 を 独 占 するようにな った しかし 源 璵 の 弟 子 たちはみな 才 能 ある 人 物 で 今 に 至 るまで 源 璵 を 宗 主 として 尊 び その 文 章 を 誦 読 するのをやめない 源 璵 の 文 集 がわが 国 に 伝 わると 槎 川 李 秉 淵 も 源 璵 の 詩 に 唐 詩 の 格 調 があることを 愛 で それに 倣 って 詩 作 したこともある ) 日 本 国 内 に 名 を 知 られるきっかけになった 成 琬 との 出 会 い 42) 辛 卯 正 徳 の 際 の 応 接 と 国 諱 問 題 失 脚 後 の 状 況 など この 記 事 は 白 石 の 人 生 を 朝 鮮 との 接 点 に 注 目 しつつ 再 構 成 している なかでも 白 石 の 死 後 朝 鮮 でその 詩 文 が 読 まれていることを 伝 え 詩 人 としての 力 量 が 強 調 されている 点 は 18 世 紀 後 半 日 本 の 文 化 に 対 する 朝 鮮 知 識 人 の 認 識 の 変 化 を 物 語 っているように 思 われる また 成 大 中 のこの 記 事 は 朝 鮮 側 が 書 き 残 した 白 石 関 系 史 料 のうち その 生 涯 を 最 も 詳 しく 描 写 したものの 一 つとなっている 以 上 1763 年 癸 未 宝 暦 通 信 使 の 記 録 をめぐって 考 察 した 全 体 的 な 特 徴 として 白 石 のことがまと まった 記 事 としてとりあげられるようになった 点 聘 礼 改 変 への 言 及 が 再 び 見 られるようになった 点 が 挙 げられる 記 録 者 による 傾 向 の 差 もあるが 詩 人 としての 白 石 を 評 価 する 一 方 聘 礼 改 変 をめぐって 白 石 を 批 判 する 傾 向 も 強 くなる 朝 鮮 外 交 において 強 硬 な 態 度 を 示 した 専 横 な 政 治 家 というイメージは この 頃 にはすでに 定 着 していたようである 四 一 般 文 人 の 記 録 白 石 に 関 する 記 録 は 使 行 録 以 外 にも18 世 紀 後 半 から19 世 紀 初 頭 にかけて 編 纂 された 文 集 や 類 書 から も 見 出 すことができる 特 に 日 本 を 訪 問 したことのない 人 物 の 記 録 は 当 時 朝 鮮 の 知 識 人 が 使 行 録 から 何 を 読 み 取 ったか 一 般 に 白 石 がどのような 人 物 としてとらえられていたのかを 示 すものとして 貴 重 である 著 者 生 没 年 著 作 名 著 作 の 分 類 記 事 件 数 李 徳 懋 青 荘 館 全 書 文 集 2 成 海 応 研 経 斎 全 集 文 集 2 李 圭 景 1788-? 五 洲 衍 文 長 箋 散 稿 類 書 1 42)このことの 経 緯 は 新 井 白 石 折 りたく 柴 の 記 上 ( 松 村 明 校 注 岩 波 文 庫 1999 年 )71~72 頁 に 詳 しい 92
15 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) 朝 鮮 後 期 の 実 学 者 として 知 られる 李 徳 懋 は 代 表 的 な 北 学 派 実 学 者 である 朴 趾 源 や 洪 大 容 と 交 わり 早 くから 日 本 や 中 国 西 洋 に 深 い 関 心 を 示 した 人 物 である このような 関 心 は 青 荘 館 全 書 の 中 の 豊 かな 日 本 情 報 として 現 れており その 範 囲 は 日 本 の 政 治 学 問 法 律 経 済 など 社 会 全 般 に 広 がって いる 文 學 則 新 井 白 石 ( 卽 源 璵 新 井 氏 ) 木 下 菊 潭 高 天 漪 三 宅 觀 瀾 ( 名 緝 明 ) 桂 義 樹 伊 藤 蘭 隅 ( 名 玄 堅 ) 雨 森 伯 陽 ( 名 東 ) 祗 園 紹 卿 簗 田 景 鸞 服 子 遷 ( 名 元 喬 ) 平 子 和 ( 名 玄 中 ) 宇 三 平 星 野 小 平 太 等 諸 君 皆 以 文 章 名 于 海 内 者 43) ( 文 学 では 新 井 白 石 (すなわち 源 璵 新 井 氏 ) 木 下 菊 潭 高 天 漪 三 宅 觀 瀾 ( 名 は 緝 明 ) 桂 義 樹 伊 藤 蘭 隅 ( 名 は 玄 堅 ) 雨 森 伯 陽 ( 名 は 東 ) 祗 園 紹 卿 簗 田 景 鸞 服 子 遷 ( 名 は 元 喬 ) 平 子 和 ( 名 は 玄 中 ) 宇 三 平 星 野 小 平 太 などの 諸 君 は みな 文 章 をもって 全 国 に 名 を 馳 せている 者 で ある ) これは 日 本 を 代 表 する 文 人 たちを 分 野 別 に 分 けて 紹 介 した 記 事 の 一 部 で 白 石 は 文 学 に 分 類 され ている ここに 名 前 が 挙 げられている 人 物 は 日 本 国 内 でもその 実 力 を 認 められている 人 材 であると 言 えるが その 中 で 白 石 の 名 が 最 初 に 挙 げられていることから 日 本 の 学 問 における 白 石 の 位 置 づけがわ かる 李 徳 懋 はまた 次 のように 記 している 時 源 璵 以 文 學 進 致 位 執 政 勸 家 宣 請 于 倭 皇 受 王 號 變 服 色 遵 華 制 不 見 用 而 竄 死 木 貞 榦 號 順 菴 博 學 能 詩 門 人 鳩 巢 以 理 學 名 源 璵 號 白 石 雨 森 東 號 芳 洲 貞 榦 欲 變 國 俗 不 剃 髮 不 火 葬 從 華 制 言 不 行 而 流 放 以 死 源 璵 有 才 膚 淺 遵 師 説 而 矜 己 傲 物 亦 見 廢 以 死 雨 森 東 亦 失 所 悒 悒 終 於 馬 州 記 室 林 信 篤 與 源 璵 分 門 相 角 信 篤 溫 厚 愛 人 璵 剛 愎 自 用 欲 奪 林 氏 之 權 由 此 而 敗 44) ( 当 時 源 璵 白 石 は 文 学 により 出 仕 し 執 政 にまで 昇 りつめた 家 宣 に 倭 皇 に 対 して 王 号 を 受 け 服 飾 を 変 え 中 華 の 制 度 に 従 うよう 要 請 すべく 勧 めたが 採 用 されず 不 遇 な 死 を 遂 げた 木 貞 榦 木 下 順 庵 は 号 は 順 庵 博 学 で 詩 をよくした 門 人 の 鳩 巢 室 鳩 巢 は 理 学 で 名 を 知 られた 源 璵 号 は 白 石 であり 雨 森 東 号 は 芳 洲 である 貞 榦 は 風 俗 を 変 え 剃 髮 や 火 葬 を 行 わず 中 華 の 制 度 に 従 おうとしたが 建 議 は 採 用 されず 追 放 されて 死 んだ 源 璵 は 才 能 はあるが 浅 薄 で 師 の 説 に 従 いつつもおのれを 誇 り 傲 慢 で これまた 廃 されて 死 んだ 雨 森 東 もまた 居 場 所 を 失 い 鬱 々として 対 馬 の 記 室 として 終 わった 林 信 篤 と 源 璵 は 門 派 を 分 かって 互 いに 対 立 した 信 篤 は 温 厚 で 人 を 愛 したが 源 璵 は 頑 固 で 他 人 の 意 見 を 受 け 入 れず 林 家 の 職 権 を 奪 おうとしたが そうした 理 由 で 敗 れてしまった ) 43) 李 徳 懋 青 荘 館 全 書 盎 葉 記 5 / 日 本 文 献 44) 青 荘 館 全 書 蜻 蛉 國 志 1 / 人 物 93
16 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 第 4 号 この 記 事 では 白 石 を 権 力 闘 争 の 中 で 生 き 敗 れた 人 物 として 描 写 しており きわめて 単 純 化 された 白 石 像 になっている 雨 森 芳 洲 についても 同 様 に 居 場 所 を 失 い 鬱 々として 対 馬 の 記 室 として 終 わった で 済 ませている このような 人 物 のとらえ 方 には 朝 鮮 王 朝 における 士 人 間 の 激 烈 な 権 力 闘 争 が 反 映 して いると 思 われるが いずれにしても 李 徳 懋 の 記 事 はこれまで 通 信 使 の 記 録 にもとづき しかも 政 治 家 白 石 の 負 の 側 面 をひどく 強 調 したものとなっているのが 印 象 的 である 45) なお 1763 年 の 癸 未 宝 暦 通 信 使 書 記 の 成 大 中 の 子 である 成 海 応 は 成 大 中 の 死 後 翠 虗 公 墓 誌 46) と 成 氏 世 譜 下 を 著 した 成 大 中 を 称 える 文 書 であるため 内 容 はもっぱら 通 信 使 としての 行 跡 に 集 中 している そこでは 日 本 の 優 れた 文 人 として 白 石 と 芳 州 の 二 人 だけをとりあげ 傑 才 の 士 として 高 く 評 価 している おわりに 本 稿 では 著 者 の 日 本 訪 問 経 験 の 有 無 や 白 石 に 直 接 会 った 経 験 の 有 無 により 関 係 資 料 を 分 類 したうえ で それぞれの 記 述 内 容 を 考 察 した 朝 鮮 後 期 知 識 人 の 白 石 認 識 はおおむね 次 のようにまとめられるで あろう まず 1711 年 の 辛 卯 正 徳 通 信 使 の 記 録 で 注 意 されるのは 国 諱 問 題 の 発 生 を 起 点 に 白 石 への 評 価 が 大 きく 変 わることである それまでは 白 石 の 詩 文 を 称 賛 していた 彼 らは 諸 聘 礼 改 変 問 題 とりわけ 国 諱 事 件 をきっかけとして 政 治 家 白 石 の 強 引 な 要 求 に 困 惑 するようになる もちろん 帰 国 の 途 次 彼 らは 白 石 との 詩 文 応 酬 を 回 想 して 江 漢 筆 録 を 編 んでいることからすると 詩 人 白 石 に 対 する 敬 意 は 失 わ れていなかったが この 時 の 外 交 問 題 は 三 使 臣 が 帰 国 後 に 朝 廷 から 処 罰 されたこともあり その 後 政 治 家 としての 白 石 像 を 方 向 づけるものとなった 徳 川 吉 宗 の 将 軍 襲 職 により 白 石 は 政 治 の 舞 台 から 退 くため その 後 の 通 信 使 が 白 石 に 面 会 する 機 会 は なかった 1719 年 の 己 亥 享 保 通 信 使 は 前 回 からわずか 8 年 しか 過 ぎていないが 白 石 に 関 する 記 録 は 少 なく 内 容 も 聘 礼 改 変 を 記 す 中 で 簡 単 に 言 及 される 程 度 にすぎない これは 白 石 が 当 事 者 ではなか ったことからして 当 然 のことといえようが 前 回 の 通 信 使 がこうむった 苦 い 経 験 により 白 石 を 想 起 す るのを 意 図 的 に 避 けたためでもあったと 思 われる ついで1748 年 の 戊 辰 寛 延 通 信 使 になると 聘 礼 改 変 事 件 に 関 する 記 録 が 見 えなくなり 文 人 としての 一 面 が 再 度 強 調 されるようになる そして 最 後 の1763 年 癸 未 宝 暦 通 信 使 の 際 には 白 石 の 事 跡 が 改 めてとりあげられ 聘 礼 改 変 をめぐる 記 述 が 増 えるとと もに 政 治 家 としての 白 石 を 批 判 する 筆 致 が 目 立 つようになっている 一 方 訪 日 経 験 のない 文 人 たちは もっぱら 通 信 使 の 使 行 録 によって 記 述 しているためであろう 白 石 を 文 章 に 優 れた 人 物 として 評 価 しつつも 政 治 家 としての 白 石 に 対 する 批 判 的 感 情 は 弱 まっていない 45) 研 経 斎 全 集 巻 10の 翠 虗 公 墓 誌 に 源 璵, 雨 森 東 倭 之 所 稱 秀 傑 才 士 也 歎 慕 公 彌 深 甞 從 信 使 問 公 在 否 座 中 人 曰 今 歳 已 千 古 人 矣 璵 曰 僕 得 海 外 之 交 吊 墓 中 之 人 可 慟 也 已 有 子 乎 曰 有 二 子 璵 曰 公 帰 國 之 日 以 僕 一 慟 達 其 子 雨 森 東 尤 重 公 編 東 槎 酬 唱 錄 とある 46) 研 経 斎 全 集 巻 48の 成 氏 世 譜 下 に 肅 宗 壬 戌 倭 人 請 信 使 金 公 錫 胄 聞 公 名 卽 白 上 充 白 衣 製 述 官 以 行 及 爲 倭 人 作 詩 倭 人 皆 驚 其 神 速 源 璵 雨 森 東 其 傑 也 歎 慕 公 彌 深 とある 94
17 朝 鮮 後 期 知 識 人 と 新 井 白 石 像 の 形 成 ( 鄭 ) もちろん 記 録 者 の 性 格 や 関 心 の 違 いにより 記 事 内 容 に 個 人 差 があることは 考 慮 すべきであるが 朝 鮮 の 国 情 を 無 視 した 強 硬 な 政 治 家 というイメージ 自 体 は 朝 鮮 後 期 知 識 人 の 脳 裏 にずっとつきまとって いる 聘 礼 改 変 問 題 は 朝 鮮 と 日 本 の 外 交 問 題 として 朝 鮮 知 識 人 側 に 長 く 記 憶 され それが 白 石 の 負 のイメー ジを 決 定 づけた しかし それにもかかわらず 彼 らは 詩 人 としての 白 石 の 力 量 は 認 めざるをえなかっ た いわばアンビバレントな 評 価 が 同 居 しているわけであるが そのような 白 石 像 が 形 成 される 過 程 は 決 して 単 純 ではなく 本 稿 で 跡 づけたような 歴 史 的 経 過 を 経 て 朝 鮮 知 識 人 の 中 に 定 着 したことに 注 意 す べきであろう 95
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