的 な 効 果 を 読 んで 手 を 打 つ 現 実 家 であった 本 多 の 存 在 が 大 きかった 明 治 32 年 8 月 3 日 文 部 省 は キリスト 教 主 義 学 校 に 対 して 宗 教 教 育 及 び 宗 教 儀 式 を 禁 じ 違 反 するときは 上 級 学 校 進 学 や

Size: px
Start display at page:

Download "的 な 効 果 を 読 んで 手 を 打 つ 現 実 家 であった 本 多 の 存 在 が 大 きかった 明 治 32 年 8 月 3 日 文 部 省 は キリスト 教 主 義 学 校 に 対 して 宗 教 教 育 及 び 宗 教 儀 式 を 禁 じ 違 反 するときは 上 級 学 校 進 学 や"

Transcription

1 横 浜 プロテスタント 史 研 究 会 報 NO. 56 横 浜 プロテスタント 史 研 究 会 横 浜 市 栄 区 柏 陽 27-9 岡 部 一 興 方 TEL FAX Eメール ホームページ 本 多 庸 一 信 仰 と 生 活 氣 賀 健 生 本 多 庸 一 の 信 仰 生 活 日 本 にキリスト 教 を 定 着 させることに 生 涯 をかけた 人 生 それが 本 多 庸 一 の 一 生 であった 同 時 代 人 の 山 路 愛 山 は 何 とも いえず 豪 かった 人 と 本 多 を 評 しているが 何 も 説 明 していないようで 実 は 最 もよく 本 多 を 物 語 っ ている 偉 大 な 常 識 人 本 多 庸 一 は 淡 泊 率 直 輪 郭 が 大 きく 懐 が 深 く 不 思 議 な 説 得 力 があって ことに 当 たっては 融 通 無 碍 で 筋 だけはシッカリ 通 す 天 声 長 者 の 風 格 を 備 えた 人 物 であった この 本 多 庸 一 を 理 解 する 鍵 は 二 つ 第 一 に 人 格 に 於 い ても 人 柄 に 於 いても 大 きい 人 第 二 に 明 治 人 明 治 45 年 明 治 の 終 焉 と 共 に 昇 天 した 本 多 は そ の 発 想 に 於 いて その 行 動 に 於 いて まさに 明 治 時 代 人 であった 本 多 庸 一 は 弘 前 で 津 軽 藩 の 重 臣 の 家 に 生 まれ 当 時 の 藩 中 のエリートとしての 教 育 を 受 け 弱 冠 20 歳 にして 一 藩 の 命 運 を 担 って 明 治 維 新 動 乱 の 渦 中 に 奔 走 した 新 時 代 の 明 治 3 年 藩 命 によって 横 浜 に 留 学 し 洋 学 を 修 めるために 宣 教 師 ブラウン 及 びバラにつ いて 学 ぶが バラ 宣 教 師 の 自 分 を 迫 害 して 追 い たてようとする 日 本 および 日 本 人 のために 声 涙 と もにくだって 祈 る その 真 摯 な 熱 誠 にまず 打 たれ その 人 格 に 惹 きつけられ それを 生 み 出 すキリス ト 教 の 世 界 に 足 を 踏 み 入 れる そこで 神 の 前 に 置 かれた 人 格 の 尊 厳 と 平 等 を 教 えるキリスト 教 を 理 解 する さらに 進 んでその 上 に 立 つ 近 代 市 民 社 会 の 倫 理 と 論 理 を 知 るに 及 んで これがなければ 日 本 の 国 は 救 えないと 確 信 するに 至 る こうしてイ エスを 救 世 主 と 信 じるに 至 って 明 治 5 年 5 月 3 日 23 歳 にして J. H. バラから 受 洗 する この 本 多 の 入 信 過 程 は 明 治 初 期 の 士 族 のキリ スト 教 徒 に 見 られた 理 念 型 と 称 すべきもので 私 がキリスト 教 を 信 ずるに 至 った 強 い 動 機 は 我 が 祖 国 のためということであり キリストを 聞 いて 真 に 日 本 を 救 うものはこれであることを 知 った と 自 ら 述 べている さて 明 治 7 年 宣 教 師 イングを 伴 って 故 郷 弘 前 の 帰 り 明 治 19 年 に 至 る12 年 間 政 治 宗 教 教 育 に 活 躍 する まず 東 奥 義 塾 の 経 営 と 教 育 にあた り 弘 前 メソジスト 教 会 を 中 心 としてイングと 共 に 伝 道 を 進 める そして 政 治 結 社 共 同 会 によっ て 青 森 県 の 自 由 民 権 運 動 を 指 導 し 県 議 会 委 員 更 に 議 長 となり 宿 敵 だった 津 軽 と 南 部 を 和 解 させ 名 議 長 とうたわれた そして 仙 台 メソジスト 教 会 で 一 年 間 牧 会 をした 際 東 京 英 和 学 校 即 ち 後 の 青 山 学 院 の 校 主 として 招 聘 され 約 一 年 後 明 治 22 年 教 育 宗 教 の 視 察 を 目 的 として 第 一 回 の 訪 米 の 途 にいくが 政 治 に も 視 線 が 向 いていた と 自 ら 語 っていた 間 近 に 迫 った 国 会 開 設 弘 前 の 支 持 者 たちも 彼 の 出 馬 を 期 待 していた ところがこの 時 の 議 員 法 は 聖 職 者 に 国 会 議 員 の 資 格 を 禁 じたので 政 治 にも 宗 教 に も 豊 富 な 意 欲 を 持 っていた 本 多 は その 二 者 択 一 に 直 面 し 大 いに 煩 悶 する そんな 或 る 日 列 車 禍 危 機 一 髪 の 危 機 を 危 く 回 避 し 九 死 に 一 生 を 得 たことを 転 機 に 政 界 を 断 念 するという これは 有 名 な 本 多 庸 一 の 劇 的 回 心 の 場 面 であるが より 内 面 的 な 本 人 の 精 神 的 信 仰 的 道 程 については 無 論 分 析 の 埒 外 であろう こうして 政 治 を 捨 てて 伝 道 者 教 育 者 として 帰 国 し 青 山 学 院 長 となるが その 前 年 の 明 治 22 年 に 大 日 本 帝 国 憲 法 が 翌 23 年 には 教 育 勅 語 が 発 布 される 即 ち 天 皇 制 絶 対 主 義 の 論 理 的 倫 理 的 基 礎 が 固 まってくる このような 当 時 の 一 般 の 意 識 を 代 表 したのが 井 上 哲 次 郎 の 教 育 と 宗 教 の 衝 突 で そこでは 要 するにキリスト 教 は 非 国 家 主 義 で あり 教 育 勅 語 の 精 神 に 反 するというのであった この 時 本 多 は 事 の 重 大 性 をいち 早 く 見 抜 き キリ スト 教 陣 営 の 先 頭 に 立 って 論 陣 を 張 ったのであっ た 明 治 23 年 から40 年 に 及 ぶ17 年 間 の 青 山 学 院 長 時 代 は 原 則 論 に 忠 実 な 理 想 家 であるよりも 大 局 1

2 的 な 効 果 を 読 んで 手 を 打 つ 現 実 家 であった 本 多 の 存 在 が 大 きかった 明 治 32 年 8 月 3 日 文 部 省 は キリスト 教 主 義 学 校 に 対 して 宗 教 教 育 及 び 宗 教 儀 式 を 禁 じ 違 反 するときは 上 級 学 校 進 学 や 徴 兵 猶 予 などの 特 典 を 剥 奪 し 各 種 学 校 に 格 下 げするこ とを 発 表 した いわゆる 文 部 省 訓 令 第 十 二 号 事 件 である これに 対 して 本 多 はキリスト 教 学 校 の 代 表 として 対 政 府 折 衝 を 続 け 約 2 年 で 訓 令 の 実 質 的 棚 上 げをかちとり 青 山 学 院 をはじめキリスト 教 主 義 学 校 を 存 亡 の 危 機 から 救 ったのであった 日 清 日 露 戦 争 に 際 して 本 多 は 宗 教 人 として は 行 き 過 ぎると 思 われる 程 の 政 府 協 力 をしたが それはキリスト 教 が 現 実 の 政 治 に 対 して 決 して 無 関 心 非 協 力 でないことを 実 践 によって 示 したもの であった 殊 に 本 多 は メソジスト 教 会 の 維 持 と 青 山 学 院 の 経 営 という 宗 教 活 動 のいわば 政 治 面 における 責 任 を 負 っていた それは 宗 教 本 来 の 次 元 におけるたてまえよりも むしろ 現 実 の 政 治 社 会 の 枠 内 での 計 算 を 必 要 とする 立 場 であった 本 多 はしばしば 教 育 政 治 家 と 評 され 非 難 され た 然 し 彼 の 一 貫 して 歩 み 続 けた 道 は 信 仰 と 政 治 教 会 この 世 の 接 点 であり 避 けてと 通 ることので きない 条 件 の 交 渉 の 場 であった 本 多 の 果 たした 役 割 はこのすれすれの 線 を 確 保 安 定 させることで あり それはとりもなおさず 本 多 にとってはキ リスト 教 の 日 本 社 会 への 定 着 を 意 味 することに 他 ならなかったのである そのために 本 多 は 場 合 に よっては 手 を 汚 した 妥 協 もした いずれ 誰 かが 負 わねばならない 言 うに 言 われぬ 重 荷 を 負 った のであった 本 多 庸 一 の 感 慨 生 等 逆 流 に 半 生 に 浮 べたる 者 幸 いにして 少 しく 国 家 のことに 関 するを 得 たり 榮 余 りありと 云 うべし 国 家 と 天 皇 に 対 する 本 多 の 忠 誠 心 は 腹 の 中 か ら 帯 刀 して 生 まれたる 身 に 御 座 候 という 士 族 の ナショナリズムに 根 ざしていた 従 ってそこには 時 の 政 府 に 対 する 協 力 を 直 ちに 愛 国 心 の 発 露 と 考 える 平 均 的 明 治 人 の 意 識 構 造 が 見 られたとして も また やむを 得 ざるところであったというべ きであろう さて この 後 明 治 40 年 にはメソジスト 三 派 が 合 流 して 念 願 の 日 本 合 同 メソジスト 教 会 が 成 立 し 本 多 はその 初 代 監 督 になる 彼 の 畢 生 の 大 仕 事 こ そ メソジスト 監 督 としての 晩 年 の5 年 間 に 凝 縮 されていたのであった 本 多 はメソジストの 祖 ジョ ン ウェスレーにならい 寝 食 を 忘 れて 監 督 として の 伝 道 旅 行 に 明 け 暮 れた 明 治 43(1910) 年 エディ ンバラの 世 界 宗 教 大 会 に 於 いてアジア 代 表 として 演 説 した 本 多 は その 遣 わされた 宣 教 師 の 縦 し 忠 実 に 吾 人 を 導 くも 彼 等 を 送 りたる 本 国 が 戦 争 の 準 備 に 汲 々たるが 如 きは 沙 汰 の 限 りなり と 喝 破 し 満 場 粛 然 として 水 をうったようになったとい う 本 多 の 見 識 の 一 面 であった 明 治 40 年 3 月 26 日 長 崎 での 西 部 年 会 を 指 導 中 病 を 得 て 同 地 で 客 死 した 63 歳 であった 関 東 学 院 50 年 の 坂 田 祐 院 長 からのプレゼント5 回 海 老 坪 眞 はじめに: 坂 田 祐 の 家 系 父 母 の 家 系 明 治 元 年 : 戊 辰 の 役 で 会 津 武 士 : 賎 が 嶽 七 本 槍 の 一 人 平 野 権 平 長 泰 の 子 : 中 村 富 造 を 父 とし 白 虎 隊 中 隊 長 日 向 外 記 の 娘 ミヱを 母 とする 次 男 : 祐 は 秋 田 県 鹿 角 群 大 湯 村 ( 現 : 十 和 田 町 )で1878( 明 治 11) 年 2 月 12 日 に 誕 生 中 村 祐 坂 田 祐 の 足 跡 出 来 事 抜 粋 1896( 明 29) 年 6 月 14(18 歳 ) 向 学 心 に 燃 え 東 京 に 向 かい 翌 15 日 に 八 戸 一 泊 その 夜 三 陸 大 津 波 に 遭 遇 したが 無 事 1898( 明 31) 年 8 月 1 日 (20 歳 ) 陸 軍 教 導 団 騎 兵 科 入 隊 近 衛 騎 兵 連 隊 配 属 田 中 正 造 が 天 皇 に 直 訴 の 時 近 衛 騎 兵 として 馬 上 から 見 た 1902( 明 35) 年 4 月 20 日 (24 歳 ) 東 京 YMCAの 説 教 会 に 勧 誘 され 聴 いた 説 教 は 木 村 清 松 師 即 日 求 道 者 YMCA 会 員 となる 1903( 明 36) 年 5 月 3 日 (25 歳 ) 四 谷 バプテスト 教 会 で 受 浸 : 基 督 者 となり 半 年 後 : 霊 南 坂 教 会 の 東 京 伝 道 学 校 入 校 と 内 村 鑑 三 著 伝 道 の 精 神 を 購 買 読 書 1904( 明 37) 年 6 月 8 日 (26 歳 ) 日 露 戦 争 では 奉 天 大 合 戦 従 軍 翌 年 凱 旋 金 鵄 勲 章 功 7 級 授 与 1906 年 4 月 27 日 (28 歳 ) 栃 木 県 足 尾 町 の 坂 田 チエと 結 婚 1909( 明 42) 年 9 月 (31 歳 ) 第 一 高 等 学 校 入 学 1911 年 10 月 1 日 に 内 村 鑑 三 門 下 生 ( 白 雨 会 に 所 属 ) 1912 年 7 月 第 一 高 等 学 校 卒 業 同 年 9 月 に 東 京 帝 国 大 学 入 学 34 歳 :1915 年 7 月 9 日 同 校 卒 業 (37 歳 ) 母 校 の 東 京 学 院 で 働 く 1919( 大 8) 年 1 月 27 日 (41 歳 ) 中 学 関 東 学 院 設 2

3 立 し 初 代 院 長 就 任 校 訓 人 になれ 奉 仕 せよ 設 定 1962 年 14 回 高 校 卒 業 アルバム1 頁 には 人 になれ 奉 仕 せよ の 次 に その 土 台 はイエ ス キリスト 也 と 明 記 されてある 前 年 11 月 7 日 には 院 長 が 瀬 戸 内 海 での 福 音 丸 乗 船 下 船 直 後 某 旅 館 で 同 様 の 趣 旨 を 述 べているのは 恩 寵 の 生 涯 209 頁 にある 1932( 昭 7) 年 (54 歳 )~1946( 昭 21) 年 (68 歳 ) 捜 真 女 学 校 々 長 兼 務 1937( 昭 12) 年 4 月 21 日 (59 歳 ) 神 奈 川 県 庁 で 御 真 影 拝 受 御 真 影 奉 検 日 誌 記 述 開 始 警 戒 警 報 空 襲 警 報 があれば 深 夜 でも 自 宅 ( 南 区 庚 台 )から 駆 けつけねばならなかった 1945 年 1 月 26 日 奉 護 ノ 御 安 全 ヲ 計 リ 県 当 局 ノ 指 示 ニヨ リ 県 立 第 一 第 三 中 学 校 ト 共 ニ 港 北 区 田 奈 国 民 学 校 奉 安 殿 ニ 奉 還 午 前 九 時 学 院 ヨリ 自 動 車 ニテ 出 発 とある 1941( 昭 16) 年 12 月 8 日 (63 歳 ) 大 東 亜 戦 争 勃 発 1945 年 5 月 29 日 横 浜 大 空 襲 で 木 造 校 舎 及 び 霞 ヶ 丘 教 会 全 焼 院 長 顔 面 火 傷 同 年 8 月 15 日 大 東 亜 戦 争 無 条 件 降 伏 敗 戦 証 書 を 生 徒 一 同 が 天 皇 の 放 送 を 聞 き 終 った 時 配 属 将 校 が 声 を 荒 げて 日 本 は 負 けたのではない と 徹 底 抗 戦 を 叫 んだが 院 長 が 毅 然 とした 態 度 で 否 定 し 皆 に 動 揺 しない 様 言 った と(2005 年 12 月 8 日 刊 横 浜 大 空 襲 と 関 東 学 院 88 頁 ) 1945( 昭 20) 年 10 月 7 日 (67 歳 ) 院 長 宅 で 霞 ヶ 丘 教 会 主 日 礼 拝 再 興 私 は10 月 18 日 に 平 壌 から 復 員 28 日 の 主 日 礼 拝 から 出 席 しはじめた 1949( 昭 24) 年 4 月 (71 歳 ) 関 東 学 院 大 学 発 足 1959 年 4 月 神 学 部 設 置 1965( 昭 40) 年 4 月 (87 歳 ) 関 東 学 院 院 長 退 任 勲 三 等 青 色 桐 葉 中 綬 章 受 領 1966( 昭 41) 年 5 月 17 日 (88 歳 ) 坂 田 祐 著 恩 寵 の 生 涯 待 晨 堂 より 出 版 1969( 昭 44) 年 11 月 1 日 (91 歳 ) 関 東 学 院 創 立 50 周 年 記 念 式 に 出 席 1969( 昭 44) 年 12 月 16 日 老 衰 により 早 朝 召 天 (91 歳 ) 従 四 位 叙 任 同 月 27 日 にグレセット 記 念 講 堂 で 学 院 葬 三 ツ 沢 墓 地 の 坂 田 家 の 墓 地 に 埋 葬 毎 年 召 天 日 には 墓 前 礼 拝 継 続 中 私 と 院 長 との 間 での 得 難 い 体 験 プレゼント: 1945 年 8 月 15 日 に 大 東 亜 戦 争 敗 戦 : 私 は 同 年 10 月 18 日 朝 鮮 平 壌 から 復 員 帰 国 1 週 間 後 に 関 東 学 院 と 霞 ヶ 丘 教 会 の 焼 跡 に 立 つ 茫 然 自 失 帰 途 久 保 山 の 坂 で 院 長 から 海 老 坪 君 だね ハイ 7 日 程 前 に 復 員 して 今 学 院 と 教 会 の 焼 跡 を 見 てえ 帰 る ところです 教 会 は10 月 からワシの 家 で 始 めたか ら 来 なさい が 契 機 で 教 会 生 活 再 開 以 下 に5 回 も 受 けた 恩 恵 出 来 事 を 述 べる Ⅰ)1947( 昭 22) 年 8 月 29 日 : 友 人 山 本 融 兄 と 単 立 伝 道 所 開 設 に 当 って 会 衆 用 の 椅 子 の 件 で 院 長 宅 を 夜 二 人 で 尋 ね 六 浦 校 地 に 青 空 放 置 の 長 椅 子 を 伝 道 所 の 為 に 戴 けないでしょうか と 単 刀 直 入 にお 願 いした 所 即 刻 承 諾 された 翌 日 二 人 は 大 八 車 で 磯 子 区 丸 山 町 7 番 地 迄 運 び 9 月 12 日 ( 金 )19 時 から 伝 道 集 会 を 開 始 した 2 年 継 続 Ⅱ)1947 年 末 には 伝 道 者 へ 召 命 も 定 まりつつあっ た 時 院 長 から 内 村 鑑 三 著 伝 道 の 精 神 を 戴 いた 伝 道 者 になるなら5 回 読 め! ならなけ れば 返 本 せよ! と 本 の 表 紙 には 1903( 明 治 36) 年 5 月 T. Nakamura(注 中 村 祐 ) と 署 名 あり 中 表 紙 には 1947( 昭 22) 年 祝 クリス マス プレゼント 海 老 坪 眞 君 と 院 長 が1903 年 5 月 3 日 に 基 督 教 徒 になった 頃 ご 自 身 が 伝 道 者 になる 決 意 した 心 境 を1903 年 5 月 23 日 の 日 記 に 余 は 伝 道 師 となり 終 生 福 音 の 為 に 働 かん と 決 心 せり とあり 同 年 10 月 6 日 東 京 伝 道 学 校 (注 霊 南 坂 教 会 )に 入 学 し 開 校 式 に 参 列 す 伝 道 学 校 に 入 学 するに 決 心 したるは 余 が 自 活 自 給 をなし 得 るを 以 てなり 爾 来 毎 日 午 前 中 は 士 官 学 校 に 教 鞭 を 取 り 午 後 は 伝 道 学 校 に 通 学 せり と 恩 寵 の 生 涯 頁 にある その 貴 重 な 本 をプレゼントされた 今 は 坂 田 記 念 館 に 展 示 されている Ⅲ)1950( 昭 25) 年 4 月 : 日 本 基 督 教 神 学 専 門 学 校 2 年 生 になった 頃 学 費 稼 ぎに 友 人 白 浜 三 次 郎 兄 の 斡 旋 でソロバン 塾 の 開 設 準 備 中 の 時 期 に 親 友 佐 々 木 晃 兄 を 通 じて 院 長 に 知 られ 学 院 から 奨 学 金 を 卒 業 迄 上 げるからソロバン 塾 はす るな と Ⅳ)1953( 昭 28) 年 伝 道 者 になって 京 都 バプテスト 教 会 伝 道 師 3 年 の1956 年 1 月 : 勇 躍 単 立 開 拓 伝 道 に 使 命 を 感 じていた 頃 学 院 で 宗 教 主 任 とし ての 招 きを 受 けて 横 浜 で 開 拓 伝 道 をする 事 とし た 際 に 院 長 から 借 家 を 探 したら 家 賃 は 学 院 奉 仕 資 金 から 援 助 する と 有 難 いお 言 葉 で 開 拓 伝 道 開 始 したのは1956 年 11 月 25 日 以 後 土 地 取 得 仮 会 堂 兼 牧 師 館 献 堂 した1965 年 9 月 迄 援 助 を 受 3

4 けた Ⅴ)1960 年 4 月 24 日 : 按 手 礼 会 議 でパスした 際 の 祝 会 で 丁 重 なご 祝 辞 を 戴 いだき 内 村 鑑 三 著 の 聖 書 注 解 全 書 17 巻 をプレゼントする と 但 し これは5 回 読 めとは 言 われなかった 最 後 に 余 談 二 つ 1) 私 の 縁 戚 の 北 見 徳 五 郎 老 人 が 院 長 は 昔 中 村 祐 と 言 わなかったか と 問 われたので その 通 り と 答 えたら 北 見 老 人 は 日 露 戦 争 当 時 中 村 祐 の 部 下 だった と そこで 私 は 院 長 に 北 見 徳 五 郎 と 言 う 人 を 覚 えていますか と 申 し 上 げたら 暫 く 考 えて 北 見 は 日 露 戦 争 の 際 のワ シの 部 下 だった と そして その 北 見 を 何 故 知 っているのか と 問 われたので 私 の 縁 戚 です と 答 えた 所 是 非 逢 いたい との 希 望 に 私 の 父 も 日 露 戦 争 で 騎 兵 隊 員 として 従 軍 しました ので 私 の 家 に 来 て 下 さい と 申 し 出 で 暫 くし て 三 者 会 談 ( 快 談?)が 実 現 し 楽 しく 語 り 合 っ ていた 最 後 に 歌 ったのが 道 は 六 百 八 十 里 と 言 う 日 露 戦 争 当 初 の 軍 歌 であって 三 人 は 意 気 投 合 して 大 きな 声 で 歌 っていた 2)それから 数 年 後 坂 田 創 兄 が 買 い 求 めたテー プレコーダー:ソニー360に 院 長 が 録 音 したのも 道 は 六 百 八 十 里 であり 後 日 坂 田 創 兄 から 聞 かせて 頂 いたが それを 今 は 聞 くことは 出 来 な いのは 残 念 至 極 因 みに 道 は 六 百 八 十 里 の1 節 は 道 は 六 百 八 十 里 長 門 の 浦 を 船 出 して はやふたとせの 故 郷 の 山 を 遥 かに 眺 むれば 曇 り 勝 ちなる 旅 の 空 晴 らさにならぬ 日 の 本 の 御 国 の 為 と 思 いな ば 露 より 脆 き 人 の 身 は ここが 命 の 捨 て 処 2 節 以 下 略 A. H. キダーと C. A. カンヴァース 伝 道 と 女 子 教 育 に 捧 げた 生 涯 小 玉 敏 子 今 から100 年 以 上 前 に 来 日 し 東 京 と 横 浜 でそ れぞれキリスト 教 伝 道 と 日 本 の 女 子 教 育 に 生 涯 を 捧 げ 日 本 の 土 となった 二 人 の 宣 教 師 について 考 察 したい アンナ キダー(Anna H. Kidder ) アンナ H キダーはニューハンプシャ 州 アマー ストで 生 まれ 13 歳 のときに 両 親 と 共 にヴァーモ ント 州 ピーチャムに 移 転 同 州 のカレドニア ア カデミーで 教 育 を 受 けた 2000 年 8 月 人 口 665 人 のピーチャムを 訪 れた 筆 者 は この 村 の 歴 史 に 詳 しい 男 性 にキダーが 属 していた 会 衆 派 の 教 会 と その 墓 地 に 案 内 された キダー 家 の 人 々のイニシャ ルを 刻 んだ5 個 の 墓 石 の 前 に 立 つ 墓 碑 の 正 面 に ANNA H. DAUGHTER OF BENJAMIN AND ELIZA KIDDER MISSIONARY TO JAPAN FROM 1875 TO HER DEATH IN TOKYO と 刻 まれていた 東 京 の 染 井 霊 園 に 有 志 によって 建 てられた 墓 があるアンナ キダーの 墓 碑 に 出 会 うことを 予 期 していなかった 筆 者 は 感 無 量 であっ た 交 通 機 関 が 発 達 しておらず 不 自 由 な 生 活 を 強 いられる 異 郷 の 地 での 伝 道 に 生 涯 を 捧 げた 彼 女 を 故 郷 の 人 々が 誇 りに 思 っていたことを 実 感 し た 郷 土 史 家 は 筆 者 がはるばる 日 本 から 訪 れたこ とを 知 り アンナ キダーの 働 きが 無 駄 ではなかっ た と 感 慨 深 そうに 言 った 後 日 その 男 性 から 送 られてきたメモに キダー はピーチャムの 会 衆 派 教 会 に1855 年 に 加 わり 1872 年 4 月 にロードアイランド 州 プロヴィデンス のバプテスト 教 会 に 転 会 とある また カレド ニア アカデミーでは キダーは1855 年 58 年 59 年 60 年 61 年 63 年 の 秋 学 期 に 在 籍 したと 記 録 されている という この 中 等 学 校 カレドニア カウンティ グラマー スクールは 1797 年 12 月 1 日 ピーチャムに 開 設 された 1897 年 8 月 11 日 と12 日 の2 日 にわたっ て 創 立 百 周 年 記 念 行 事 が 行 われ 式 典 でキダーの 手 紙 が 披 露 された 40 年 前 にこの 学 校 で 受 けた 教 育 に 感 謝 し 母 校 に 対 する 愛 と 誇 りを 表 明 同 窓 生 が1 年 に1ドルずつでも 寄 付 して 母 校 発 展 のた めの 基 金 を 作 る 事 を 提 案 している また 記 念 行 事 の 費 用 に2ドル 基 金 設 立 の 手 始 めに2ドル 送 っている しかし この 長 い 伝 統 を 誇 るピーチャ ム アカデミーは 1960 年 代 後 半 の 教 育 界 の 変 化 や 統 合 の 波 に 押 されて 1971 年 廃 校 に 追 い 込 ま れる カレドニア アカデミー 卒 業 後 キダーはまず ヴァーモント 州 で 初 めて 公 立 学 校 の 教 壇 に 立 ち ヴァージニア 州 北 カロライナ 州 フロリダ 州 な 4

5 どで 黒 人 を 教 えた その 後 さらに ロードアイラ ンド 州 プロヴィデンスの 黒 人 孤 児 院 で 数 年 間 教 え る このプロヴィデンスでユニオン バプテスト 教 会 に 転 会 し 婦 人 バプテスト 外 国 宣 教 師 協 会 に よって クララ サンズと 共 に 最 初 の 独 身 女 性 宣 教 師 として 日 本 に 派 遣 される 1875 年 11 月 2 日 アンナ キダーとクララ サ ンズは 横 浜 に 上 陸 した サンズは ネーサン ブ ラウンを 助 けるために 横 浜 に 留 まり 神 奈 川 県 下 で 伝 道 活 動 に 従 事 したが キダーは 1873 年 10 月 来 日 翌 年 から 東 京 で 活 動 していたジェームズ アーサーを 助 けるために 東 京 に 行 き アーサーが 始 めた 女 子 の 学 校 を 引 き 継 ぐ この 学 校 は 外 国 人 居 留 地 の 外 駿 河 台 鈴 木 町 22 番 地 ( 森 有 礼 の 所 有 地 )に 開 設 されたので 当 時 の 日 本 の 法 律 に 従 っ て 東 京 府 に 提 出 された 書 類 では 校 主 は 日 本 人 で キダーは1 英 学 教 師 にすぎなかった しかし 萬 朝 報 の 死 亡 記 事 ( 大 正 2 年 11 月 25 日 )には 三 十 八 年 間 我 国 に 在 りて 基 督 教 の 宣 伝 と 女 子 教 育 の 為 めに 尽 瘁 せし 駿 河 台 英 和 女 学 校 校 主 エー エッ チ キッダー 女 史 と 書 かれ 同 日 の 死 亡 広 告 に 本 校 前 校 長 ミス エッチ キッダ とあり 宣 教 師 会 議 の 報 告 書 には Miss Kidder, Principal と 記 載 されている 35 歳 で 来 日 したキダーは 73 歳 で 永 眠 するまで 女 子 教 育 と 伝 道 と 社 会 福 祉 にすべてを 捧 げた こ の38 年 間 に 病 気 療 養 のため1 度 帰 国 したほかは 他 の 宣 教 師 たちが 避 暑 に 出 かける 時 にも 東 京 に 留 まり 彼 女 の 家 であり 仕 事 場 である 駿 河 台 の 学 校 を 離 れなかった キダーの 後 に 校 長 となったホイットマンは1917 年 に 死 去 次 のカーペンター 校 長 の 時 代 1921 年 3 月 に 駿 台 英 和 女 学 校 は 惜 しくも 閉 鎖 された クララ カンヴァ ース(Clara A. Converse, ) クララ カンヴァースはヴァーモント 州 南 部 の グラフトンで 農 業 を 営 む 父 ニュートンと 母 メア リーの8 番 目 の 子 供 として 生 まれた 父 ニュート ンは 物 堅 い 清 廉 な 人 母 メアリーは 慈 しみ 深 い 信 仰 の 人 で 人 は 外 の 顔 かたちを 見 主 は 心 を 見 る と 教 えた とくに 神 を 敬 い 人 を 愛 して 世 のた めに 尽 し 人 の 心 の 友 となる という 母 から 受 け た 精 神 はクララの 一 生 を 貫 いた 小 学 校 卒 業 後 ヴァーモント 州 師 範 学 校 に 進 学 1873 年 6 月 に 卒 業 し 16 歳 でグラフトンの 小 学 校 教 師 になった しかし さらに 教 養 を 高 める 必 要 を 感 じ 1876 年 ヴァーモント バプテスト 協 会 によってサクストンズ リヴァーに 創 設 された 中 等 教 育 機 関 ヴァーモント アカデミーに 入 学 する 対 象 となるのは9 年 生 から12 年 生 現 在 の 日 本 の 中 学 3 年 から 高 等 学 校 3 年 までの4 年 間 である この 学 校 は 幾 多 の 困 難 を 乗 り 越 えて 現 在 も 私 立 の 進 学 校 として4 年 制 の 教 育 を 行 なっている 創 立 と 同 時 に 入 学 した 生 徒 の 中 には クララ カン ヴァースのように 3 年 で 卒 業 した 者 がいる 1879 年 にヴァーモント アカデミーを 卒 業 した カンヴァースはスミス カレッジに 進 学 し 83 年 に 卒 業 ヴァーモント 州 視 学 を1 年 つとめた 後 ヴァーモント アカデミーの 教 師 となる 単 に 学 識 や 能 力 が 優 れていたばかりでなく その 信 念 に 満 ちた 魂 をゆさぶらずにはおかない 人 柄 が 学 生 たちに 及 ぼす 感 化 は 顕 著 で 校 長 や 学 監 の 信 頼 も 厚 く 前 途 に 期 待 をかけられていた カンヴァー スも 母 校 を 愛 し 熱 意 をもって 誠 実 につとめていた ところが しばらくすると カンヴァースは 自 分 には 何 か 他 になすべきことがあるのではないか と 感 じるようになった 何 度 も 祈 り ついに 心 に 決 めたことは 宣 教 師 になることであった 熟 慮 の 末 1889 年 5 月 カンヴァースは ヴァーモント アカデミーに 辞 表 を 出 し 婦 人 バプテスト 外 国 宣 教 師 協 会 に 宣 教 師 志 願 を 伝 えた それは ネーサン ブラウンの 夫 人 が 教 育 宣 教 師 派 遣 の 要 請 をした 直 後 であった 1890 年 1 月 横 浜 に 向 かう 船 で カンヴァース は 病 気 療 養 を 終 えて 帰 任 するキダーと 同 室 にな り 日 本 における 宣 教 活 動 女 子 教 育 についてさ まざまなことを 学 ぶ ミス キダーのようなしっ かりした 思 慮 深 い 人 物 に 親 しみ 得 たことは 宣 教 師 として 自 分 に 与 えられた 数 々の 恩 恵 のしかも 最 初 の 一 つである とカンヴァースは 述 べている 横 浜 では 英 和 女 学 校 を 創 設 したブラウン 夫 人 が 出 迎 え 山 手 居 留 地 67 番 のブラウン 夫 人 宅 に 案 内 する 裏 手 にある 印 刷 所 の2 階 が 少 女 たちの 教 室 兼 寄 宿 舎 であった ブラウン 夫 人 の 助 手 をつ とめるエイミー コーンズ( 山 田 千 代 )から 日 本 語 の 手 ほどきや 日 本 の 風 俗 習 慣 横 浜 の 町 の ことを 学 び カンヴァースはさっそく 聖 書 を 教 え 始 める ところが 同 年 9 月 ミセス ブラウン はウィリアム アシュモアと 結 婚 して 中 国 伝 道 に 旅 立 ったので カンヴァースは33 歳 で 英 和 女 学 校 5

6 校 長 となる 1891 年 12 月 山 手 34 番 に 校 舎 が 落 成 し 移 転 校 名 を Mary L. Colby Home に 変 更 した また Truth Seeking を 日 本 語 に 訳 し 捜 真 女 学 校 という 校 名 を 公 表 した 捜 真 女 学 校 は 山 手 34 番 で 順 調 に 発 展 したが さ らなる 発 展 のためにより 広 い 校 地 が 必 要 とされ また 校 地 の 真 下 にトンネルができるため 1910 年 に 現 在 の 神 奈 川 区 中 丸 に 移 転 した 関 東 大 震 災 の 折 に 所 要 のため 町 に 行 ったカンヴァースは 翌 日 無 事 に 学 校 に 戻 り 校 舎 が 無 事 なのを 見 て 安 心 した かねてから 退 職 を 申 し 出 ていたカンヴァースは 1925 年 7 月 ようやく 後 継 者 アナベル ポーレー を 得 て 35 年 間 の 校 長 職 に 終 止 符 を 打 った その 後 は 名 誉 校 長 として 学 外 から 捜 真 を 見 守 り 1935 年 1 月 24 日 山 田 千 代 と 卒 業 生 たちに 見 守 られて 召 天 した 三 ツ 沢 墓 地 の 墓 からは 今 でも 捜 真 の 校 舎 がよく 見 える 讃 美 歌 のルーツからスピリチュアルへ 英 米 の 讃 美 歌 における 口 承 伝 承 の 流 れ 竹 内 智 子 始 めに: 今 回 は ヨーロッパ 文 化 の 基 層 ケルトに 遡 るバラッドを 背 景 に ケルト キリスト 教 から イギリスの 宗 教 改 革 を 経 てアメリカのスピリチュ アルの 誕 生 までを 通 史 的 に 辿 る また ケルト キリスト 教 との 関 連 でキリスト 教 音 楽 のルーツにも 触 れたいと 思 う Ⅰケルト キリスト 教 と 初 期 キリスト 教 音 楽 ケルトとは かつてヨーロッパのほぼ 全 土 に 分 布 し 2500 年 以 上 の 歴 史 を 持 つケルト 語 の 文 化 圏 を 指 す 詩 を 重 要 視 したケルトは 職 業 詩 人 バル ドを 養 成 し あえて 文 字 を 使 わず 口 承 にこだわっ た 古 来 から 諸 宗 教 がそうであるように 声 に 出 すことに 特 別 な 意 味 があったのだ ケルトの 宗 教 は 自 然 崇 拝 で 霊 魂 不 滅 や 輪 廻 転 生 を 信 じた 中 でもケルトの 伝 統 が 色 濃 く 残 るアイルランドに おけるキリスト 教 の 布 教 は 5 世 紀 に 聖 パトリッ クにより 土 着 の 文 化 を 尊 重 しながらなされ 分 散 的 禁 欲 的 な 東 方 修 道 制 を 基 盤 にした 修 道 院 文 化 が 開 花 する ケルトの 世 界 観 を 表 現 した 独 特 な 装 飾 写 本 が 生 まれ 文 学 が 口 承 の 語 り 口 を 生 かす 形 で 文 字 化 された そして 学 問 に 優 れた 僧 達 はヨー ロッパ 大 陸 に 渡 り 200 以 上 の 修 道 院 を 創 設 する アイルランドがキリスト 教 を 自 らの 文 化 に 主 体 的 に 融 合 させた 点 は 異 文 化 受 容 の 観 点 から 注 目 に 値 する 初 期 キリスト 教 は 地 中 海 交 易 と 共 にロー マの 公 認 以 前 にガリアのケルト 社 会 に 入 っていた と 推 測 される 例 えば 写 本 の 装 飾 は コプト 教 イスラム 教 や 北 方 ヴァイキングの 影 響 も 受 けてい るように 文 化 の 重 層 性 を 示 している 音 楽 は 口 承 伝 承 の 為 楽 譜 が 存 在 せず 9 世 紀 のローマのグレゴリオ 聖 歌 の 強 制 によりガリア 聖 歌 が 衰 退 してしまい 正 確 に 把 握 することは 困 難 である しかし 初 期 グレゴリオ 聖 歌 のネウマ 譜 の 中 や 今 日 まで 歌 い 継 がれてきた 歌 唱 の 中 に 痕 跡 を 認 めることが 出 来 る ( 譜 例 :ネウマ 譜 鑑 賞 :ゲー ル 語 聖 歌 金 曜 日 の 悲 歌 )キリスト 教 音 楽 のルーツは 古 代 エルサレム 神 殿 における 詩 編 唱 に 遡 る ユダ ヤ 教 イスラム 教 ヒンドゥー 教 の 伝 統 的 聖 歌 に も 共 通 の 特 徴 は 西 洋 に 調 拍 子 和 声 が 現 れる 以 前 の 単 旋 律 で 口 承 伝 承 であることだ また 音 と 音 の 間 のプロセスが 大 切 にされ 旋 律 は 絶 えず あるもの に 向 かって 動 くが 解 決 点 はなく 朗 唱 との 関 連 で 旋 律 より 言 葉 の 抑 揚 が 反 映 される ( 鑑 賞 : 神 殿 の 詩 編 唱 ユダヤ 教 の 旧 約 朗 唱 コプト 教 聖 歌 シ リヤ 正 教 聖 歌 ビザンツ 聖 歌 イスラム 教 クルアーン 朗 唱 ヒンドゥー 教 サーマ ヴェーダ)これらは 本 質 的 に 霊 的 な 音 楽 で 霊 が 鼻 から 入 り 鼻 腔 で 共 鳴 して 響 きが 増 すと 倍 音 を 作 り 一 種 のトランス 状 態 を 起 こす その 時 霊 は 声 となって 身 体 から 離 れ 再 び 霊 的 世 界 に 帰 って 行 く 霊 とは 実 際 は 息 のことである 身 体 の 力 を 抜 いて 息 を 通 し 共 鳴 が 起 こると 身 体 は 楽 器 になる このプロセスは 発 声 の 原 理 である と 共 に 砂 漠 の 隠 修 士 の 修 行 に 共 通 する 身 体 的 宗 教 的 体 験 でもある このような 音 楽 を オラン ダの R.スチュワート 博 士 は モード 的 音 楽 と 定 義 し 初 期 キリスト 教 と 共 にヨーロッパに 入 り ガリア 聖 歌 スペインのモザラベ 聖 歌 ミラノの アンブロジア 聖 歌 等 に 継 承 されたことを 実 証 更 に15 世 紀 のフランドルの 多 声 聖 歌 にも 可 能 性 を 探 って 演 奏 を 重 ねている ( 鑑 賞 :オケゲム ミサミミ ) Ⅱイギリス:バラッドの 伝 統 とピューリタンの 出 現 古 期 ~ 中 期 英 語 期 (AD1100 頃 ~1500 頃 ):ケルトの 口 承 文 学 はイギリスに 継 承 され 吟 遊 詩 人 ミンス トレルは アーサー 王 物 語 のような 英 雄 叙 事 詩 を 朗 唱 し 広 めた ( 鑑 賞 : アーサーの 名 のもとに )また 11 世 紀 ノルマンの 征 服 後 フランス 語 が 公 用 語 とな 6

7 る 一 方 庶 民 の 言 葉 である 英 語 のバラッドが 発 展 する 口 承 の 民 衆 詩 バラッドは キャロルのよう に 時 に 踊 りを 伴 い 歌 われた ( 鑑 賞 : Edi beo thu ) バラッドの 基 本 は4 行 詩 で 1 行 毎 交 互 につく4 3の 強 勢 が 快 活 なリズムを 作 り 物 語 りを 効 果 的 に 伝 える (バラッド 律 : バーバラ アレン 鑑 賞 : ライ 麦 畑 を 通 り 抜 け ) 庶 民 に 馴 染 みのこのリズムは 歌 い 易 く 後 に 讃 美 歌 に 継 承 された 作 者 不 詳 の 長 い 詩 は 変 種 を 生 み また 元 来 個 人 の 感 情 は 表 現 せずに 聞 き 手 の 想 像 力 をかき 立 てる 客 観 性 によって 人 間 共 通 のテーマが 浮 かび それへの 共 感 が 次 ぎに 伝 える 力 を 生 み 出 す 口 承 において 声 は 力 の 源 だ 声 には 息 や 音 色 高 低 があり それらが 言 葉 に 生 命 を 吹 き 込 み 真 意 を 伝 えて 聞 き 手 の 心 を 動 かす 名 もない 個 人 の 声 が 重 なるうち それはや がて 個 人 の 感 情 を 越 えて 多 くの 人 に 共 感 を 与 える 普 遍 的 な 声 に 純 化 する バラッドのこのような 特 質 は 庶 民 の 意 識 を 高 め 時 代 への 批 判 精 神 を 生 ん だ チョーサーは カンタベリー 物 語 の 中 で 庶 民 に 生 き 生 きと 世 相 を 語 らせ ウィクリフは 禁 を 犯 して 聖 書 の 英 訳 に 挑 み 教 会 の 富 を 批 判 して 市 民 運 動 に 影 響 を 与 えた ルネサンス 前 夜 である 近 代 英 語 期 英 国 ルネサンス 期 (AD1500~): ヘ ンリー8 世 に 始 まる 宗 教 改 革 により イギリスは 国 教 会 を 樹 立 する 典 礼 はラテン 語 から 英 語 に 変 わり 英 訳 聖 書 も 完 成 する 一 方 主 教 制 を 残 すな どカソリックと 折 衷 的 な 面 もあり 音 楽 もカソリッ ク 時 代 との 断 絶 がなく 穏 和 で 典 雅 である ( 鑑 賞 : タリス If Ye Love Me ) 印 刷 術 は 英 語 の 綴 りの 固 定 化 と 標 準 語 の 発 展 を 促 し 詩 は 日 常 会 話 に 近 い ブランク ヴァースで 書 かれるようになる 言 葉 を 媒 介 にルネサンスが 開 花 した 印 刷 された ブ ロードサイド バラッド は 瓦 版 のような 役 目 を 果 たし ペドラーが 当 時 流 行 のバラッドの 節 にの せて 歌 いながら 売 った バラッドは 聴 く から 読 む 文 学 に 移 行 し 始 める ( 鑑 賞 :ダウラント ご 婦 人 方 の 素 敵 な 小 物 )ロンドンでは エリザベス 女 王 の 保 護 を 受 けて 演 劇 が 興 隆 する シェイクスピアは 庶 民 に 馴 染 みのバラッドを 劇 に 巧 みに 取 り 入 れ 観 客 との 一 体 感 を 計 った 音 楽 は 中 世 以 来 この 世 に 調 和 をもたらすと 考 えられ 演 劇 は 人 間 を 観 察 してその 多 様 性 を 肯 定 した そこには 混 沌 か ら 調 和 へ 向 かうルネサンスの 方 向 性 がある しか し それはあくまで 虚 構 に 過 ぎないと 批 判 したの がピューリタンだ 彼 らはカソリックのメアリー 女 王 期 にジュネーヴに 亡 命 し カルヴァンの 影 響 を 受 けてエリザベス 女 王 期 に 帰 国 するが 国 教 会 の 腐 敗 を 批 判 し 中 でも 徹 底 した 改 革 を 迫 った 分 離 派 は 厳 しい 迫 害 を 受 けてオランダに 亡 命 する 多 くの 難 民 を 受 け 入 れていた 大 学 町 ライデンに12 年 間 済 んだ 後 貧 困 やアイデンティティの 問 題 か ら 再 び 新 天 地 を 求 め アメリカに 旅 立 った Ⅲアメリカ: 詩 編 歌 ~スピリチュアルへ ピューリタンのアメリカ 移 住 : 後 にピルグリム ファーザーズと 呼 ばれるピューリタンは 1620 年 北 米 プリマスに 上 陸 する 彼 らはオランダから 政 教 分 離 の 思 想 を 取 り 入 れ 信 者 以 外 も 公 民 と 認 め るなど 民 主 的 な 社 会 を 目 指 し インディアンに 助 けられながら 二 代 目 総 督 ブラッドフォードの 時 に 植 民 地 を 安 定 させた 音 楽 は カルヴァンが 唯 一 礼 拝 音 楽 と 認 めた 詩 編 歌 である アメリカに 持 ち 込 んだ エインスワース 詩 編 書 (1612)は カ ルヴァンの 仏 語 詩 編 を 英 訳 した スタンホールド とホプキンス (1562)を 元 にアムステルダムで 出 版 した 完 全 訳 で 蘭 仏 の 詩 編 歌 や 世 俗 曲 も 含 む 39の 旋 律 が 付 く ( 譜 例 :オリジナル 詩 編 7 ) 単 旋 律 菱 形 音 符 小 節 線 伴 奏 無 しで 彼 らは 律 動 的 に 軽 く 歌 い 厳 しい 植 民 地 生 活 の 中 で 喜 びの 糧 とし たと 言 われる リズムは 馴 染 みのバラッド 律 が 基 本 で 家 庭 でも 聖 書 を 声 に 出 して 朗 唱 し 盛 んに 詩 編 を 歌 った 1630 年 後 続 のピューリタンがボストン 中 心 に 大 規 模 移 住 を 開 始 し 神 政 政 治 による 社 会 を 確 立 してアメリカの 中 枢 を 築 く 1636 年 には 優 秀 な 牧 師 養 成 の 為 ハーヴァード 大 学 を 設 立 し 人 文 主 義 の 学 問 と 共 に 口 語 文 学 の 伝 統 を 生 かした 文 章 表 現 や 演 説 法 を 教 えた 音 楽 は その 頃 には 世 俗 音 楽 も 愛 好 され 教 会 の 詩 編 歌 も2 3 声 に 変 化 し 北 米 初 の 出 版 物 ベイ 詩 編 書 (1640)が 出 版 された また 楽 譜 の 読 めない 移 民 が 増 えた 為 先 唱 の 様 式 が 取 り 入 れられ エリザベス 朝 以 来 の 習 慣 である ファソラミ 唱 法 で 歌 った 先 唱 のリーダーに 習 い 繰 り 返 し 歌 ううち 装 飾 が 付 き 旋 律 が 変 化 し 始 め 素 朴 な 詩 編 歌 はやがて 各 移 民 の 民 謡 と 混 合 してよ り 多 彩 な 民 謡 的 讃 美 歌 に 変 容 する ( 鑑 賞 : 先 唱 例 詩 編 19 ) ピューリタン 社 会 と 音 楽 の 変 容 :ニューイング ランドで 発 展 したピューリタン 社 会 は 次 第 に 不 寛 容 さを 増 し 次 世 代 の 教 会 離 れの 問 題 を 抱 えた ことに 加 え 経 済 の 発 展 に 伴 う 世 の 中 の 変 化 の 中 7

8 で 行 き 詰 まりを 見 せる また18 世 紀 にはヨーロッ パから 啓 蒙 思 想 などの 新 思 潮 が 入 り アメリカに もユニテリアン 派 やエマソンの 自 然 主 義 哲 学 が 興 隆 し 影 響 力 を 強 めた それは 教 会 の 伝 統 や 物 質 主 義 から 離 れ 個 人 と 自 然 を 土 台 とする 思 想 で 後 にエコロジーや 民 主 主 義 に 関 連 するアメリカ 独 自 の 思 想 として 建 国 の 精 神 にも 継 承 された 一 方 讃 美 歌 の 世 俗 化 を 危 惧 した 聖 職 者 達 は 教 会 音 楽 の 統 一 を 目 指 して 楽 典 書 や 歌 唱 学 校 を 作 る が 皮 肉 にも 後 者 はW.ビリングスのような 個 性 的 な 作 曲 家 による 新 しい 音 楽 の 発 信 地 となる ま た 都 会 ではヨーロッパ 音 楽 が 発 展 し 地 方 では 多 くの 民 謡 的 讃 美 歌 が 生 まれ 南 部 で 多 数 発 刊 され た 歌 集 は 信 仰 復 興 運 動 に 活 用 された ( 譜 例 : アメー ジング グレイス ) 特 にアイルランド 系 移 民 が 多 い アパラチア 地 方 は 民 謡 の 宝 庫 で 多 くの 民 謡 的 讃 美 歌 を 生 んだ ( 鑑 賞 : バーバラ アレン 讃 美 歌 への 変 容 : 英 国 ~テネシー~ジョージア 天 国 の 鳩 ) 信 仰 復 興 運 動 (18~19 世 紀 )とスピリチュアルの 誕 生 :ピューリタンの 伝 統 が 崩 れると 直 接 的 宗 教 体 験 を 求 める 気 運 が 高 まり 各 地 で 信 仰 復 興 運 動 が 起 こる 中 でも J. ウェスレイのメソジスト 運 動 は 音 楽 を 重 視 した 国 教 会 司 祭 としてアメリカ 伝 道 に 向 かう 船 中 で 出 会 ったモラヴィア 兄 弟 団 に 感 化 されて 回 心 し 英 国 で 野 外 伝 道 を 開 始 する 口 承 文 学 の 伝 統 から 英 国 では 特 に 非 国 教 会 系 の 牧 師 が 演 劇 的 語 り 口 の 説 教 で 民 衆 の 心 を 捉 えてい たが ウェスレイはケルト 文 化 の 色 濃 いウェール ズにも 頻 繁 に 出 かけて 熱 弁 をふるった 個 人 の 内 面 や 霊 的 体 験 を 重 視 し 弟 のチャールズや I. ワッ ツによる 自 由 訳 の 新 しい 讃 美 歌 を 用 いて 多 くの 人 を 導 いた 特 にワッツの 曲 はバラッド 律 の 生 き 生 きとしたルズムが 特 徴 だ ( 譜 例 : もろ 人 こぞりて ) ウェスレイのアメリカ 伝 道 はホワイトフィールド が 引 き 継 ぎ 大 都 市 から 教 区 を 越 えて 西 部 まで 及 んだ 独 立 戦 争 後 西 部 の 荒 野 で 行 われたキャンプ ミーティングでは 宗 派 を 越 えて 貧 困 層 が 集 まり 共 同 生 活 をしながら 熱 狂 的 終 末 預 言 の 説 教 を 聞 き 盛 んに 自 由 訳 や 民 謡 的 讃 美 歌 を 歌 った その 熱 気 の 中 で 生 まれた 音 楽 が 白 人 霊 歌 だ バラッド 律 の 讃 美 歌 からアメリカ 独 自 の 音 楽 スピリチュ アルが 生 まれたのだ それは 後 に 加 わった 黒 人 達 も 共 に 歌 ううち 次 第 に 黒 人 の 感 性 に 引 き 寄 せら れて 変 化 した 黒 人 霊 歌 の 誕 生 である ( 譜 例 : 黒 人 霊 歌 への 変 容 ヘブライの 子 供 達 ) 黒 人 の 口 承 伝 承 の 歴 史 は 西 アフリカ 周 辺 で 活 躍 した 吟 遊 詩 人 グ リオに 遡 る ( 譜 例 : クンバイヤ ) 奴 隷 の 過 酷 な 境 遇 から 生 まれた 黒 人 霊 歌 は 信 仰 に 重 ねて 現 実 の 解 放 への 強 い 望 みを 表 現 してい る ( 譜 例 : 馬 車 よ 揺 れよ ) 彼 らにとって 歌 うことは 神 と 出 会 い 解 放 を 感 じることの 出 来 る 宗 教 体 験 で あり シンコペーションのリズムの 中 に 生 の 原 動 力 を 秘 めていた それは 連 帯 意 識 を 育 み 後 の 公 民 権 運 動 を 成 功 に 導 くような 力 をもっていた 私 達 は 黒 人 霊 歌 から 人 間 の 尊 厳 を 聴 くことが 出 来 る ( 鑑 賞 : 深 い 河 ) 移 民 の 国 アメリカの 音 楽 の 源 泉 は 讃 美 歌 と 各 国 の 民 謡 と 黒 人 霊 歌 である 多 くは 口 承 伝 承 で 5 音 音 階 繰 り 返 し 即 興 生 体 験 的 歌 唱 など 共 通 の 音 楽 性 を 持 ち その 流 れはやがてジャズを 生 み ジャンルを 超 えたアメリカ 独 自 の 音 楽 を 形 成 する 宗 教 も 宗 派 を 越 えた 共 通 の 神 意 識 で 統 合 しようとする 公 共 宗 教 の 傾 向 が 見 られる 多 様 性 と 統 合 のバランスが 今 後 の 課 題 だが 異 文 化 の 融 合 を 果 たしている 音 楽 から 学 ぶ 点 は 多 いだろう 終 わりに: 通 史 的 客 観 的 視 野 により 文 化 の 重 層 性 を 理 解 することが 出 来 る 今 回 取 りあげた 口 承 伝 承 における 歌 唱 とは 身 体 的 宗 教 的 体 験 で あり 結 果 的 に 個 人 を 離 れる 客 観 性 を 秘 めている 声 が 霊 であるとすれば 霊 的 なものは 限 りなく 客 観 性 の 中 にあると 言 えるかもしれない ヘボン 博 士 に 導 かれた 二 人 の 男 中 川 嘉 兵 衛 と 中 川 愛 咲 松 岡 正 治 明 治 学 院 大 学 教 授 の 中 島 耕 二 先 生 と 目 黒 の 新 栄 教 会 の 記 念 式 でお 会 いしたのは 平 成 25 年 の 秋 の ことである 新 栄 教 会 の 一 信 徒 でありながら ヘ ボン 博 士 より 直 接 の 薫 陶 を 受 けた 私 の 先 祖 の 中 川 嘉 兵 衛 の 話 をすると 中 島 先 生 が それではこの 研 究 会 で 話 をしてみたら と 言 って 下 さり 今 日 を 迎 えることができた 中 川 嘉 兵 衛 から 数 えると 私 は5 代 目 になる 私 の 祖 母 ( 加 藤 美 亜 )が 新 栄 教 会 のオルガニストの 一 人 として 長 く 奉 仕 しており 折 に 触 れて 嘉 兵 衛 のことを 話 してくれていたので 心 に 残 る 存 在 であった 母 の 従 兄 弟 にあたる 香 取 国 臣 さんが 自 らも 長 らく 製 氷 業 界 に 携 わっておられたが 中 8

9 川 嘉 兵 衛 の 事 をコツコツと 調 べられ 中 川 嘉 兵 衛 伝 を 纏 められた 出 版 にあたっては 明 治 学 院 の 秋 山 繁 雄 先 生 や 大 島 貞 夫 先 生 の 協 力 が 大 き かった 大 島 先 生 は 明 治 学 院 の 学 生 部 長 もされて いたが 愛 咲 の 孫 の 中 川 嘉 雄 氏 とは 竹 馬 の 友 で あり 愛 咲 の 妻 の 光 (ミツ)を 知 る 貴 重 な 生 き 証 人 であった 中 川 嘉 兵 衛 は1817 年 ( 文 化 14 年 ) 三 河 国 伊 賀 村 に 誕 生 している 16 歳 の 時 京 都 に 出 て 儒 学 者 巌 垣 東 園 の 塾 に 入 り 塾 頭 になった この 間 学 んだ 漢 学 の 素 養 が 後 年 諸 官 庁 に 提 出 する 諸 届 や 申 請 書 の 作 成 に 役 立 ったと 思 われる 1854 年 ( 嘉 永 7 年 )の 開 国 を 契 機 に 世 の 中 の 動 きも 日 毎 にあわただしさを 増 し 先 見 の 明 がある 人 は 陸 続 と 開 港 地 横 浜 に 集 まってきた 嘉 兵 衛 もその 中 の 一 人 だった 嘉 兵 衛 は 横 浜 に 出 て 医 師 のシモンズに 認 められ 乳 牛 を 飼 い 牛 乳 の 販 売 も 行 った 其 の 後 イギリス 公 使 館 のコック 見 習 いとなり イギリス 兵 からパンの 製 造 方 法 を 習 い 当 時 は 珍 しい 万 国 新 聞 に パン ビスケット 販 売 横 浜 元 町 一 丁 目 中 川 嘉 兵 衛 という 広 告 を 出 し 我 が 国 の 広 告 第 一 号 とも 言 われた 嘉 兵 衛 が 江 戸 に 来 て イギリス 公 使 館 (オルコック)の 料 理 人 として 雇 われ 公 使 の 信 頼 を 得 横 浜 のイギ リス 兵 団 の 食 料 賄 方 を 請 け 負 った 事 も 大 きな 転 機 であった 嘉 兵 衛 はヘボン 博 士 の 来 日 の 安 政 6 年 には42 歳 であったから ヘボンの 来 日 前 には 既 に 横 浜 に 来 ていたものと 思 われる ヘボン 博 士 との 出 会 いは 嘉 兵 衛 が 眼 病 を 患 い 診 療 治 療 を 受 け 辞 去 しよ うとした 時 ヘボン 曰 く あなたの 病 気 は 治 った しかしいまだ 恐 ろしい 病 気 が 潜 んでいる しかし この 本 を 読 めば 治 る と 言 って 渡 されたのが 漢 訳 の 聖 書 であった 嘉 兵 衛 は 其 の 後 求 道 者 となり 1874 年 ( 明 治 7 年 )7 月 写 真 家 の 下 岡 蓮 杖 等 と 共 にバラ 師 より 洗 礼 を 横 浜 の 海 岸 教 会 で 授 かっ ている 夫 人 の 隆 子 は 一 年 後 の1875 年 タムソン 師 より 洗 礼 を 受 け 熱 心 な 信 徒 となっている 嘉 兵 衛 がヘボン 博 士 より 学 んだ 事 は 沢 山 あった 1. 医 療 にはこれから 氷 が 沢 山 必 要 となり 食 料 の 保 存 には 氷 は 欠 かせない 2. 牛 肉 はこれからの 日 本 人 にとって 大 切 な 食 料 となること 3. 世 界 には 未 だ 日 本 で 行 われていない 事 業 があ ること 石 油 の 発 掘 もその 一 つである 事 4.イエスキリストを 信 じ 自 分 と 同 じように 他 人 を 愛 する 事 嘉 兵 衛 はクリスチャンとなり イギリス 公 使 に も 信 用 され 横 浜 の 英 国 駐 留 軍 の 食 料 納 入 業 者 に 指 定 された 英 国 は 生 麦 事 件 の 後 居 留 民 保 護 の ため1863 年 ( 文 久 3 年 ) 横 浜 山 手 に 陸 軍 海 軍 800 名 を 駐 留 させていた 赤 いラシャの 服 を 着 てい るので 日 本 人 は 赤 隊 とか 赤 トンボとか 呼 んでい た 駐 屯 地 は20 連 隊 が 主 であったので トゥエン ティを 訛 ってトワンテ 山 と 呼 んでいた ミルク パン 肉 など 当 時 の 日 本 の 食 生 活 で はあまり 縁 のないものが 多 かった ヘボン 博 士 よ り 肉 の 保 存 には 氷 が 良 いと 教 えられ 医 療 にもこ れから 氷 が 必 要 になると 教 えられ 彼 は 氷 の 販 売 に 本 格 的 に 取 り 組 む 決 心 をしたのである 当 時 氷 は 大 変 な 貴 重 品 であり アメリカのボストンから 天 然 氷 が 運 ばれ 販 売 されていた 嘉 兵 衛 は 国 内 各 所 ( 富 士 山 麓 日 光 岩 手 青 森 )で 採 氷 を 試 み るが いずれも 失 敗 した 嘉 兵 衛 はそれにひるむ ことなく 採 氷 の 適 地 を 探 していた 運 命 は 不 思 議 な 糸 で 繋 がっているものである 嘉 兵 衛 に 北 海 道 の 五 稜 郭 が 採 氷 の 適 地 であると 教 えてくれたのは イギリス 人 の 探 検 家 であり 動 物 分 布 の 境 界 線 が 日 本 では 津 軽 海 峡 にあるとし た ブラキストン 線 命 名 者 であるブラキストンで あった ブラキストンは 北 海 道 の 鳥 類 の 読 み 方 をヘボン 博 士 に 教 わった 事 も 分 かっており ヘボ ンーブラキストンー 嘉 兵 衛 の 繋 がりが 日 本 の 氷 業 の 発 展 に 大 きく 貢 献 していることが 分 かる 嘉 兵 衛 はブラキストンの 指 導 の 下 五 稜 郭 の 濠 を 清 掃 し 亀 田 川 より 清 流 を 引 き 入 れ 天 然 氷 の 採 氷 に 成 功 したのである これが 我 国 製 氷 の 始 まり であり 函 館 氷 竜 紋 氷 などの 名 前 で 販 売 さ れ 嘉 兵 衛 の 製 氷 業 は 軌 道 に 乗 ったのである 開 拓 使 の 許 可 を 得 て 1873 年 ( 明 治 6 年 )には 採 氷 は 年 間 1200 屯 に 達 し 東 京 横 浜 に 氷 を 運 び 東 京 の 越 前 掘 には 仮 氷 室 も 設 置 した 嘉 兵 衛 は 其 の 後 北 海 道 開 拓 使 の 殖 産 事 業 に 関 与 し 肝 油 や 魚 の 缶 詰 の 一 手 販 売 を 行 った 北 海 道 開 拓 使 庁 で 醸 造 したビールを 氷 室 で 貯 蔵 し 日 本 で 初 めて 上 野 公 園 でのビール 販 売 を 行 い 東 京 人 を 驚 かせたという 記 録 も 残 っている 1872 年 ( 明 治 5 年 ) 函 館 氷 は 宮 内 庁 御 用 達 を 受 けている ボストン 氷 は1873 年 に 撤 退 した ヘボン 博 士 の 辞 書 編 纂 に 携 わった 岸 田 吟 香 と 嘉 9

10 兵 衛 は 親 しい 間 柄 だったと 思 われる 吟 香 の 文 章 にも 元 町 に 住 む 中 川 嘉 兵 衛 氏 とは 親 しき 間 柄 にて 云 々 という 記 述 もある 日 本 石 油 の 社 史 に も 記 されているが 新 潟 地 区 の 石 油 採 掘 調 査 を 当 時 の 民 部 省 に 中 川 と 岸 田 吟 香 の 連 名 で 提 出 そ れは 漢 学 の 素 養 を 感 じさせる 文 体 だったという 新 潟 で 採 油 した 油 はアメリカに 検 査 に 送 られ 良 質 のものと 判 明 しているが この 調 査 もヘボンの 斡 旋 で 行 われた 嘉 兵 衛 は 牛 肉 の 販 売 には 苦 労 したが 助 けてく れる 人 も 居 た どうしても 牛 の 屠 場 が 東 京 に 必 要 となり 旧 知 の 港 区 白 金 の 堀 越 藤 吉 に 頼 み 今 の 明 治 学 院 のそばに 屠 場 を 作 る 事 が 出 来 た 1872 年 には 明 治 天 皇 が 牛 肉 を 試 食 され 同 年 10 月 には 僧 侶 も 率 先 して 牛 肉 を 食 するようにという 勅 命 が 出 て 肉 食 文 化 は 大 衆 のものとなっていったのである 嘉 兵 衛 は 幕 末 より 明 治 中 期 まで 開 花 商 人 の 先 駆 者 の 一 人 として 活 躍 した 彼 は 自 分 の 事 業 の 成 功 はヘボン 博 士 のお 陰 であると 終 生 その 恩 を 忘 れず 機 械 製 氷 の 会 社 を 長 男 佐 兵 衛 が 設 立 する 年 80 歳 の 生 涯 を 終 えた 中 川 愛 咲 は1867 年 ( 慶 応 3 年 )9 月 6 日 嘉 兵 衛 の 二 男 として 函 館 に 生 まれた 1878 年 11 歳 の 時 タムソン 師 より 受 洗 1881 年 築 地 大 学 校 に 入 学 1885 年 東 京 一 致 英 和 学 校 を 卒 業 1886 年 ヘボン 博 士 夫 人 の 一 時 帰 国 に 随 行 し 欧 米 の 大 学 に 留 学 するスタートを 切 った ヘボン 博 士 は 愛 咲 を 神 学 の 道 に 進 ませたかったが 愛 咲 は 神 学 には 進 まず 医 学 の 道 に 進 んだ 愛 咲 の 留 学 は ヘボン 博 士 の 指 導 と 紹 介 の 力 が 大 きく 短 期 間 に 多 くの 有 名 大 学 に 学 び 卒 業 していることに 驚 かされる それらの 大 学 とは プリンストン 大 学 コロンビ ア 大 学 ニューヨーク 市 立 大 学 エジンバラ 大 学 ウィーン 大 学 ベルリン 大 学 であり 1893 年 に 愛 咲 は 帰 国 している 1895 年 ( 明 治 28 年 ) 愛 咲 は 伝 染 病 研 究 所 で 北 里 柴 三 郎 の 助 手 を 務 め 多 くの 論 文 を 残 している 北 里 はドイツ 語 が 専 門 で 英 語 があまり 得 意 ではな く 中 川 愛 咲 がそこを 上 手 に 補 佐 したと 言 われて いる 愛 咲 は3 年 間 の 在 職 後 1898 年 ( 明 治 31 年 ) 31 歳 の 若 さで 仙 台 第 二 高 等 学 校 の 衛 生 学 法 医 学 の 講 師 に 就 任 翌 年 教 授 に 昇 進 した 教 員 の 肩 書 の 多 くが 帝 国 大 学 卒 業 の 医 学 士 で あるのに 対 し 愛 咲 の 肩 書 のみが 米 国 の 大 学 卒 を 示 す ドクトルメデチネ であり ひときわ 異 彩 を 放 っていた 愛 咲 の 指 導 で1902 年 ( 明 治 35 年 )には 東 洋 一 と 称 せられた 細 菌 研 究 室 が 作 られた 愛 咲 の 仙 台 の 活 動 の 中 で 医 学 を 教 える 中 で 出 会 った 清 国 の 留 学 生 周 樹 人 ( 魯 迅 )に 影 響 を 与 えたことは 特 筆 すべき 事 だった 仙 台 における 魯 迅 の 記 録 を 調 べる 会 があり 魯 迅 がなぜ 医 学 の 道 を 捨 て 文 学 や 国 民 運 動 の 道 に 走 ったかが 調 査 されている 愛 咲 は 授 業 の 合 間 に 自 分 の 幻 灯 機 で 日 清 戦 争 のスライドを 写 し 説 明 していた 清 国 の 兵 が 縛 りつけられ 虐 殺 される 場 面 を 日 本 人 だけ でなく 清 国 人 も 喜 んで 観 ている 様 子 に 心 を 痛 め 本 国 へ 帰 り 国 民 運 動 に 走 る 決 意 を 固 めたのである 正 に 愛 咲 がそのきっかけを 作 ったのである 1905 年 ( 明 治 40 年 )の 東 北 帝 国 大 学 創 設 の 年 愛 咲 は40 歳 の 若 さで 突 然 辞 表 を 提 出 し 受 理 され た 愛 咲 の 退 職 理 由 は 神 経 衰 弱 であったが 真 の 理 由 は 愛 咲 の 孫 の 中 川 嘉 雄 氏 によると 奥 様 の 光 の 結 核 の 療 養 のためだったという 退 官 後 は 大 磯 で 今 は 大 磯 小 学 校 の 一 部 となっている 広 大 な 土 地 で 悠 々 自 適 の 生 活 を 送 った そして1921 年 ( 大 正 10 年 )53 歳 の 生 涯 を 終 えた 墓 地 は 青 山 霊 園 1 種 第 20 号 ロ18 番 2 号 で 中 川 嘉 兵 衛 中 川 隆 子 中 川 一 族 の 墓 石 と 共 に 眠 っている 人 の 運 命 が 神 に 導 かれた 偉 大 な 人 物 との 出 会 いによりこれほどにも 開 花 することを 私 は 改 めて 痛 感 した 嘉 兵 衛 は 氷 をはじめとする 新 しい 産 業 を 日 本 に 興 し 愛 咲 は 欧 米 の 最 先 端 の 医 学 を 学 び 日 本 の 医 学 の 発 展 に 大 いに 貢 献 した ヘボン 博 士 に 導 かれた 二 人 の 男 の 生 涯 をたどり 私 は 神 の 恵 みと 人 の 縁 に 想 いを 馳 せた 今 後 も 嘉 兵 衛 と 愛 咲 を 中 心 とした 人 との 出 会 いのドラマを 掘 り 下 げ ていきたいと 思 っている 最 後 に 東 北 大 学 にお ける 愛 咲 の 活 動 は 今 まで 不 明 だったが 北 里 大 学 名 誉 教 授 の 田 口 文 章 博 士 により 解 明 されてきた 事 を 改 めて 感 謝 したい 若 松 賤 子 が 出 会 った 女 性 たち 矯 風 会 活 動 をとおして 尾 崎 る み 若 松 賤 子 が 文 筆 活 動 以 外 に 心 血 を 注 いだものと して 婦 人 矯 風 会 を 中 心 とした 社 会 活 動 があった ここでは 若 松 賤 子 が 活 動 をとおしてどのような 女 性 たちと 出 会 ったかを 見 てみたい 10

11 1. 横 浜 禁 酒 会 と 京 浜 婦 人 大 祈 祷 会 早 くから 貿 易 拠 点 のひとつとして またキリス ト 教 の 拠 点 のひとつとして 発 展 を 遂 げた 横 浜 では 他 の 地 域 に 先 駆 けて 禁 酒 運 動 が 展 開 された 明 治 8 年 6 月 には 奥 野 昌 綱 を 議 長 牧 野 銃 太 郎 を 副 議 長 とする 横 浜 禁 酒 会 が 設 立 されたが 奥 野 の 述 懐 によると 牧 野 が 禁 酒 の 掟 を 破 ったためにこの 会 は ほぼ 瓦 解 の 有 様 となり 間 もなく 休 眠 状 態 に 陥 った 一 方 明 治 16 年 の 全 国 福 音 同 盟 会 の 際 に 婦 人 大 祈 祷 会 が 開 かれたのを 機 に その 後 もせめて 東 京 と 横 浜 で 同 様 の 集 いを 継 続 しようという 声 があが り 毎 年 春 には 横 浜 秋 には 東 京 で 京 浜 婦 人 大 祈 祷 会 が 開 かれることになった 西 洋 婦 人 3 名 日 本 婦 人 3 名 からなる 委 員 会 が 準 備 を 担 当 し 毎 回 300~400 名 もの 参 加 者 を 集 めたという 伊 藤 秀 吉 は 日 本 廃 娼 運 動 史 (1931)で 京 浜 婦 人 大 祈 祷 会 を 基 とし て 東 京 婦 人 矯 風 会 が 誕 生 したと 述 べ ているが 教 会 で 指 導 的 立 場 にある 女 性 やミッ ションスクールの 女 性 教 師 らが 地 域 を 超 えて 連 帯 するネットワークがこの 頃 すでに 形 成 されていた ことは 注 目 に 値 する 明 治 15 年 6 月 にフェリス 女 学 校 を 卒 業 し 母 校 の 教 師 となっていた 若 松 賤 子 がどのような 形 で 京 浜 婦 人 大 祈 祷 会 に 関 わって いたかは 不 明 だが 少 なくとも 教 え 子 らと 共 に 積 極 的 に 出 席 したことであろう 2.レビット 夫 人 の 来 日 と 東 京 婦 人 矯 風 会 の 誕 生 1874 年 11 月 に 米 国 オハイオ 州 クリーブランドで 誕 生 し た キ リ ス ト 教 婦 人 矯 風 会 (Woman s Christian Temperance Union, WCTU)は 年 々そ の 活 動 範 囲 を 広 げ 1883 年 には 世 界 キリスト 教 婦 人 矯 風 会 (World Woman s Christian Temperance Union, WWCTU)が 設 立 された 世 界 中 の 政 府 に 禁 酒 の 請 願 書 を 提 出 するという 任 務 を 負 った 初 代 特 派 員 としてレビット 夫 人 (Mary Greenleaf Clement Leavitt, )がハワイ やオーストラリアを 経 て 来 日 したのは 明 治 19 年 6 月 のことである この 時 レビット 夫 人 の 受 け 入 れにあたった 中 心 人 物 が 誰 かは 不 明 だが アメ リカ 人 宣 教 師 らが 何 らかの 形 で 関 わったことは 確 かであろう 6 月 7 月 には 東 京 と 横 浜 で 十 数 回 9 月 10 月 には 関 西 地 域 で 三 十 数 回 の 演 説 会 を 行 った 後 レビット 夫 人 は 神 戸 から 船 で 清 国 へと 向 かった 明 治 17 年 12 月 には 西 周 津 田 真 道 加 藤 弘 之 といった 明 六 社 関 係 者 が 中 心 となって 大 日 本 節 酒 会 が 設 立 されるなど 日 本 でも 飲 酒 の 害 について の 認 識 が 高 まりつつあったが レビット 夫 人 の 影 響 力 はすこぶる 大 きなものであったといえよう 特 に 女 性 たちの 反 応 は 鋭 く かつ 素 早 いものだっ た 東 京 では 明 治 19 年 7 月 24 日 に 明 治 女 学 校 で 婦 人 矯 風 会 設 立 の 準 備 会 が 開 かれており 横 浜 では 外 国 婦 人 等 が 万 国 婦 人 禁 酒 会 の 支 部 設 立 を 望 む 声 を 上 げた しかしながら 準 備 活 動 を 率 い ていた 木 村 鐙 子 がコレラで 急 逝 したため 矢 島 楫 子 を 会 頭 とする 東 京 婦 人 矯 風 会 が 設 立 されたの は 同 年 12 月 になってのことだった また 横 浜 禁 酒 会 はレビット 夫 人 来 日 の 刺 激 によって 休 眠 状 態 から 目 覚 め 同 年 秋 頃 から 新 たな 活 動 を 開 始 し たものと 思 われる 3. 東 京 婦 人 矯 風 会 との 関 わり 若 松 賤 子 と 婦 人 矯 風 会 活 動 の 最 初 の 接 点 は 確 認 出 来 るものとしては 明 治 19 年 7 月 17 日 に 木 挽 町 厚 生 館 で 開 かれることになった 女 学 雑 誌 社 主 催 のレビット 夫 人 による 女 学 の 演 説 会 の 通 訳 を 引 き 受 けたことである 女 学 雑 誌 第 29 号 ( 明 治 19 年 7 月 15 日 )には 傍 聴 は 女 子 に 限 り 通 弁 は 横 浜 フエリス 女 学 校 の 島 田 かし 姉 に 委 頼 し 我 姉 妹 諸 子 をして 一 婦 人 尚 よく 為 すあるに 足 るの 実 を 観 をしへ せしめ 且 つ 諸 子 に 切 要 なる 数 多 の 教 を 聴 かしめん ことを 望 む 本 誌 愛 読 の 姉 妹 は 一 人 をも 多 く 伴 ひ 来 館 あらんことを 希 ふ と 記 されていた これに 先 立 ち 横 浜 でもレビット 夫 人 の 演 説 会 は 何 度 か 開 かれているので 若 松 賤 子 はそのいず れかに 足 を 運 んだに 違 いない 毎 日 新 聞 は6 月 25 日 に 横 浜 居 留 地 ヘイス 学 校 に 於 て 禁 酒 演 説 会 が 開 催 されたと 報 じているが ヘイス 学 校 がフェ リス 女 学 校 のことだとすれば その 演 説 会 では 若 松 賤 子 が 通 訳 を 務 めた 可 能 性 さえ 考 えられる 7 月 17 日 の 演 説 会 では 実 際 には 新 栄 女 学 校 の 第 1 回 卒 業 生 である 渡 瀬 かめ 子 ( 旧 姓 相 田 )が 通 訳 をした 若 松 賤 子 が 急 に 体 調 を 崩 したため 彼 女 の 敬 愛 し 玉 ふ 友 人 である 渡 瀬 かめ 子 がピンチ ヒッターを 務 めたという このような 人 脈 も 京 浜 婦 人 大 祈 祷 会 の 賜 物 といえるかもしれない 東 京 では11 月 9 日 に 虎 ノ 門 教 会 でようやく 新 た な 会 合 が 持 たれ 牧 師 の 大 儀 見 元 一 郎 が 議 長 を 巌 本 善 治 が 書 記 を 務 めるなか 41 名 の 参 加 者 に よって 発 起 人 や 規 約 委 員 の 選 出 が 行 われた 発 起 人 は 矢 島 楫 子 をはじめとする22 名 規 約 委 員 は 矢 11

12 島 楫 子 海 老 名 みや 湯 浅 はつ 佐 々 木 とよ( 豊 寿 ) 青 木 まさ 三 浦 りう 本 田 じゆんの7 名 である これらの 中 にも また12 月 6 日 の 発 会 式 で 選 出 さ れた 役 員 にも 若 松 賤 子 は 含 まれていないが 翌 明 治 20 年 7 月 現 在 の 会 員 一 覧 神 奈 川 横 浜 の 部 に は 横 浜 百 七 十 八 番 地 フェリス 女 学 校 の 住 所 で 島 田 かし 平 野 はま 青 山 いく 富 山 雪 佐 藤 てつ 浜 口 なみ 星 野 幸 松 田 きみ の8 名 の 名 前 が 記 載 されている 島 田 かしは 若 松 賤 子 の 当 時 の 本 名 平 野 以 下 は 教 え 子 たちである 設 立 当 初 の 東 京 婦 人 矯 風 会 の 役 員 に 名 前 を 連 ね てこそいないが 若 松 賤 子 が 婦 人 矯 風 会 の 活 動 に 興 味 を 持 ち 積 極 的 に 関 わっていたことはいくつ かの 事 実 から 明 らかである ひとつは 横 浜 禁 酒 会 雑 誌 第 3 号 ( 明 治 22 年 1 月 19 日 )の 魔 睡 剤 と 題 され 若 松 賤 子 述 と 記 された 文 章 だが こ れには 左 の 一 編 ハフエリス 女 学 校 時 習 会 に 於 て 演 述 されしを 同 会 員 の 筆 記 せし 者 なり という 前 文 がある 魔 睡 剤 とは 酒 や 煙 草 や 阿 片 その 他 の 中 毒 性 の 高 い 物 質 を 指 しており 若 松 賤 子 は 米 国 の 科 学 者 の 書 物 に 基 づいて 論 述 している 明 治 21 年 11 月 に 横 浜 禁 酒 会 雑 誌 が 創 刊 された 際 同 会 は 創 立 2 年 で 会 員 500 名 と 記 されている 同 会 幹 事 がフェリス 女 学 校 で 習 字 と 美 術 を 担 当 し しげる た 林 蓊 であることから 考 えて 若 松 賤 子 も 当 然 会 員 になっていたと 思 われる 時 習 会 では このよ うな 科 学 的 な 話 題 も 扱 い 聴 衆 に 新 たな 知 識 を 提 供 していたことがわかる もうひとつは ラマバイ 女 史 (Pandita Ramabai, )との 交 流 である インドの 社 会 改 革 家 である 同 女 史 は WCTUのウィラード 会 頭 の 紹 介 により 明 治 21 年 12 月 19 日 アメリカからインド に 帰 国 する 途 上 で 日 本 に 立 ち 寄 り 禁 酒 演 説 やイ ンドの 女 子 教 育 の 窮 状 を 訴 える 演 説 を 行 った 12 月 21 日 には 横 浜 共 立 女 学 校 とフェリス 女 学 校 で 演 説 している 日 本 滞 在 期 間 は2 週 間 ほどであった が 日 本 を 発 つ 前 に 病 褥 に 在 った 若 松 賤 子 を わざわざ 見 舞 ったという 女 学 雑 誌 第 143 号 の 記 事 からは 二 人 が 短 期 間 に 強 い 絆 を 結 んだことが 窺 われる また 巌 本 善 治 との 結 婚 を 目 前 に 控 えた 明 治 22 年 7 月 1 日 には 横 浜 住 吉 教 会 で 開 かれた 一 夫 一 婦 建 白 書 についての 集 会 で 若 松 賤 子 は 起 草 委 員 の ひとりに 選 出 されているが 委 員 のほとんどは 横 浜 禁 酒 会 の 会 員 であったと 思 われる 4. 主 要 メンバーのひとりとして 活 躍 結 婚 後 若 松 賤 子 はさらに 積 極 的 に 東 京 婦 人 矯 風 会 に 関 わった 明 治 22 年 12 月 7 日 の 同 会 年 会 で は 改 選 議 員 のひとりに 選 ばれており 翌 明 治 23 年 2 月 24 日 にはWWCTU 第 二 代 特 派 員 のアッケ ルマン 女 史 (Jessie Ackermann, )を 小 島 清 子 と 共 に 横 浜 で 出 迎 え 本 郷 竹 町 会 堂 での 演 説 会 では 通 訳 も 務 めている 小 島 清 子 の 夫 で 当 時 東 京 府 議 会 議 員 を 務 めていた 小 島 官 吾 は 廃 娼 運 動 における 巌 本 善 治 の 同 志 であった 東 京 婦 人 矯 風 会 には 夫 婦 そろって 社 会 活 動 に 精 を 出 した 者 が 少 なくない なお 佐 々 城 豊 寿 は 婦 人 白 標 倶 楽 部 を 組 織 して 積 極 的 に 対 外 的 な 活 動 を 展 開 した が 若 松 賤 子 も 同 倶 楽 部 の 一 員 として 他 団 体 との 同 盟 運 動 や 衆 議 院 傍 聴 規 則 に 対 する 陳 情 などに 携 わっている 明 治 25 年 9 月 13 日 には WWCTU 第 三 代 特 派 員 としてウェスト 女 史 (Mary Allen West, )が 来 日 した この 頃 若 松 賤 子 は 転 地 療 養 のために 王 子 村 に 転 居 するような 状 況 で 特 派 員 の 受 け 入 れや 通 訳 などを 行 うことは 出 来 なかった ウェスト 女 史 は 北 海 道 東 北 横 浜 東 京 関 西 と 全 国 各 地 で 計 97 回 もの 演 説 会 を 行 い 延 べ4 万 人 以 上 を 動 員 するという 驚 異 的 な 働 きを 見 せた が 残 念 なことに12 月 1 日 に 金 沢 で 客 死 した 金 沢 東 京 横 浜 の 各 地 で 葬 儀 が 行 われ 12 月 18 日 には 厚 生 館 で ウェスト 嬢 追 悼 大 演 説 会 が 開 か れた ウェスト 女 史 の 死 は 多 くの 人 々に 悼 まれ 彼 女 の 願 いであった 全 国 的 組 織 の 設 立 は 翌 明 治 26 年 4 月 3 日 の 日 本 婦 人 矯 風 会 総 会 において 実 現 されることとなったのである 明 治 26 年 11 月 には 廃 刊 した 東 京 婦 人 矯 風 雑 誌 に 代 わって 新 装 の 婦 人 矯 風 雑 誌 が 刊 行 され たが 同 誌 奥 付 には 編 集 委 員 一 覧 の 筆 頭 に 若 松 賤 子 の 本 名 岩 本 かし 子 が 置 かれている 誌 面 改 訂 にあたって 多 くの 貢 献 をしたのではないか と 考 えられる 明 治 29 年 2 月 10 日 若 松 賤 子 はその 生 涯 を 閉 じ たが 婦 人 新 報 第 14 号 には 故 巌 本 夫 人 かし 子 の 君 と 題 する 弔 文 が 掲 載 された 晩 年 の 療 養 生 しばしば 活 中 においても 会 頭 矢 島 かじ 子 氏 屡 君 の 病 やまひ 褥 を 訪 ひて 其 意 見 を 求 め 君 も 亦 病 を 忘 れて 其 事 の 為 に 計 り 益 を 成 す 事 を 就 さしめたること 再 三 ならずと 云 ふ と 記 されており 矢 島 楫 子 の 信 頼 に 応 えるべく 最 期 まで 尽 力 したことがわかる 婦 12

13 人 矯 風 会 の 活 動 をとおして 出 会 ったさまざまな 女 性 たちによって 若 松 賤 子 の 世 界 は 大 きく 広 がり より 豊 かなものになったと 考 えられる 追 悼 恩 師 佐 藤 和 夫 先 生 遠 藤 香 まだ 多 くのことを 伺 い たかった もっと 教 えて 頂 きたかった 高 校 2 年 の 日 本 史 の 授 業 が 佐 藤 先 生 と の 出 会 いです 冬 場 の 教 室 に 入 っていらっしゃると 窓 を 開 けろ 空 気 を 入 れ 替 えろ と 大 きな 声 で 生 徒 に 言 います お 弁 当 の 匂 いと 化 粧 にちょっと 興 味 のある 女 子 校 生 の 教 室 は 異 様 な 匂 いだったのでしょう 先 生 はすぐに 淡 々 と 授 業 していらっしゃいました 礼 拝 説 教 の 話 は いつも 田 中 正 三 と 足 尾 銅 山 鉱 毒 事 件 でした 高 校 3 年 の 担 任 は 佐 藤 先 生 でした 志 望 大 学 の 受 験 に 失 敗 した 私 に 大 学 の 二 次 試 験 や 専 門 学 校 を 受 験 することを 勧 めて 下 さいました 先 生 の 進 路 指 導 がなければ 現 在 の 私 いなかったことでしょう 社 会 人 になり 再 び 学 びを 始 めレポートを 書 き 先 生 に 読 んでいただくと 赤 ペンでびっしりと 細 かく 添 削 をして 下 さいました そしてこの 会 で 勉 強 を することを 勧 めて 下 さいました 先 生 は 教 職 を 早 めに 退 かれ 研 究 者 として 活 躍 さ れていました 水 軍 史 では 多 く 論 文 を 書 かれてい ました また 市 民 講 座 の 講 師 としても 活 躍 されて いました 私 の 叔 母 と 父 がある 市 民 講 座 に 参 加 すると 偶 然 に 講 師 は 佐 藤 先 生 でした それ 以 来 先 生 と 父 は 交 わりを 深 めていきます 父 子 共 に 先 生 にお 世 話 に なりました 先 生 が 病 に 倒 れられてからは 私 より 父 が 手 紙 で 連 絡 を 取 っておりました 先 生 は 手 が 不 自 由 になっ たために 書 き 物 はお 孫 さんがパソコンでお 手 伝 い をされていたようです 体 が 不 自 由 になられても 研 究 に 対 する 熱 意 は 変 わらずにおられました また 先 生 はお 酒 がお 好 きで 父 に 次 に 一 献 を とよく 言 っておられました その 約 束 も 果 たせず 終 いです 佐 藤 先 生 は 私 にとって 高 校 の 先 生 である 以 上 に 尊 敬 する 研 究 者 です もう お 話 が 出 来 ないのが 残 念 でなりません 心 よりご 冥 福 をお 祈 り 致 します [ 付 記 ] 遠 藤 香 さんに 宛 てた 奥 様 の 佐 藤 弘 子 さんからの 手 紙 を 付 け 加 えさせて 頂 きます お 手 紙 ありがとうございます 平 成 26 年 8 月 29 日 肺 炎 心 不 全 で 亡 くなりまし た 覚 悟 はしていましたが 本 人 もがんばり 家 の 中 は 歩 いていました 天 気 のいい 日 は 車 いすで 近 くの 公 園 に 行 くのを 楽 しみにしていました 9 年 間 よくがんばってくれました 皆 さまによろしくお 願 い 致 します ( 佐 藤 弘 子 さん 記 ) 石 川 潔 さんの 働 き ヘボン 先 生 を 伝 える 島 田 貫 司 石 川 潔 さん( 生 まれ 帰 天 )80 才 のご 生 涯 75 才 頃 肝 臓 癌 に なられ 切 除 もできない 治 療 薬 もない せめても 病 の 進 行 をおくらせる すべて を 神 にゆだねて 一 日 一 日 を 大 切 に 生 きられた 一 見 恰 好 の 良 い 老 人 で 病 人 と は 思 えない 姿 で 横 浜 駅 近 くで 私 と 時 々 逢 っていた 石 川 さんの 半 生 はまさにヘボン 博 士 の 顕 彰 日 本 滞 在 33 年 間 の 働 きを 後 世 に 残 したい 伝 えたい 生 活 だった 又 香 辛 料 の 評 論 をし 道 楽 として 四 季 を 感 じさせる 香 料 を 加 え 独 自 調 合 の 八 いろと んがらし を 大 ファンの 銀 座 鳩 居 堂 製 の 便 せんに 俳 句 を 筆 書 きし 同 社 特 製 の 封 筒 に 入 れて 配 布 さ れていた 病 身 となられた 石 川 さんは あと 何 日 神 様 から 生 かしてもらえるか ご 家 族 と 友 人 方 の 支 えにいつも 感 謝 感 謝 と 逢 うたびに 口 ぐせに 語 っ ておられた 何 年 かけて 調 べられてこられたのか ドクトル ヘボン 関 連 年 表 ヘボンの 誕 生 からヘボンの 葬 儀 追 悼 会 の 日 まで (A4 版 165 頁 1999 年 10 月 17 日 ) 本 屋 にない 本 を 作 り 1 冊 1000 円 でバッグに 詰 め て 販 売 していた 完 成 した 本 は 数 年 間 家 の 中 に 置 き 本 屋 の 倉 庫 と 化 したそうだ 2000 年 2 月 号 の 国 会 図 書 館 月 報 本 屋 のない 本 にこの 書 が 紹 介 され 大 変 喜 んでおられた 書 評 の 13

14 永 村 泰 代 さんは 一 外 国 人 の 死 を 悼 む 記 述 を 読 む と ヘボンが 果 たした 役 割 が 感 じられる 興 味 深 い 本 といわれた 年 表 といっても 年 月 日 と 簡 単 な 事 項 が 書 いてある 年 表 ではない ヘボンの 活 躍 はも ちろん 当 時 の 日 本 の 歴 史 的 事 件 横 浜 で 起 きた 事 柄 等 を 絡 め 詳 細 に 記 述 され またヘボンに 関 係 する 人 物 の 略 歴 等 を 随 所 にちりばめ 読 み 物 として も 楽 しめ ヘボン 研 究 に 有 用 な 資 料 集 となっている 石 川 さんは 病 とつき 合 いながら 来 日 150 年 を 記 念 して 前 述 の 関 連 年 表 に 手 を 加 えた 新 本 の 執 筆 に 日 夜 励 まれた 2009 年 出 版 に 向 かっての 執 筆 調 査 病 気 を 忘 れて 講 演 するなど 頼 まれる と 何 処 でも 行 かれたそうだ 新 たな 実 像 にせまる 感 動 の 大 作 ドクトル ヘボンのこと 読 み 物 年 表 仮 題 ヘボンの 誕 生 からヘボ ンの 葬 儀 追 悼 会 の 日 まで ドクトル ヘボン の 働 きとその 時 代 の 状 況 を 読 み 物 風 に 解 説 した 年 表 の 執 筆 に 熱 中 原 稿 を 送 りA 5 版 上 製 カバー 装 丁 本 568ページ 定 価 未 定 版 下 まで 出 来 上 がった が 病 を 心 配 されたご 家 族 の 強 い 希 望 をうけ 未 完 成 となる 出 版 社 に 多 額 な 費 用 を 支 払 い 中 止 され た 実 に 残 念 2013 年 9 月 8 日 ご 長 女 泉 さんが 横 浜 指 路 教 会 の 創 立 記 念 日 に 受 洗 されてとても 喜 んでおられた そして9 月 21 日 ヘボン 先 生 の 命 日 教 会 の 集 会 室 で 横 浜 プロテスタント 史 研 究 会 の 月 例 会 に 石 川 さ んは 病 院 を 抜 け 出 して 発 表 した それを 知 った 多 くの 友 人 が 出 席 いつもの 倍 以 上 の 出 席 者 に 向 かってヘボンの 写 真 昔 の 写 真 など 拡 大 パネルを 背 にして 語 られた 生 前 葬 儀 この 世 での 最 後 の あいさつを 交 わされた 感 があった 石 川 夫 人 は 毎 日 病 室 を 見 舞 われ 衰 弱 していく 夫 との 地 上 での 別 れを 語 り 合 い いつも 私 たちの 中 に 神 さまがい て 下 さると 云 っておられた 私 の 健 康 を 思 い 今 の うちにと 横 浜 プロテスタント 史 研 究 会 に 招 いて 下 さった 岡 部 さん 会 員 の 方 々 藤 掛 牧 師 教 会 の 方 々に 感 謝 されていた 石 川 さんはヘボン 先 生 の 働 きに 常 に 感 謝 顕 彰 の 証 しとして ヘボン 先 生 第 二 の 住 居 跡 に1949 年 10 月 18 日 に 建 立 された 記 念 碑 の 掃 除 とミニ 集 会 を 提 案 された 2000 年 から 阿 部 志 郎 氏 を 会 長 に 参 加 者 8 人 ~15 人 ヘボンが 来 日 した10 月 の 第 三 土 曜 日 の 午 後 に 清 掃 を 行 なってきた 未 完 成 石 川 潔 著 読 みもの 年 表 ドクトル ヘボンとその 時 代 1 ヘボンの 誕 生 から 横 浜 上 陸 まで 2 神 奈 川 宿 内 の 成 仏 時 を 仮 寓 としての 生 活 3 横 浜 居 留 地 で( 英 語 塾 開 講 和 英 語 林 集 成 編 纂 ) 4 聖 書 の 和 訳 事 業 を 開 始 5 BLUFF( 山 手 )に 転 居 ( 塾 はジョン バラに 託 す) 6 療 養 のためヨーロッパへ 7 聖 書 翻 訳 完 成 し 明 治 学 院 開 校 と 指 路 教 会 献 堂 8 米 国 での INKYO 生 活 のため 帰 国 ヘボンの 日 々の 出 来 事 を 日 付 によって 丁 寧 に 詳 述 まるでヘボンの 息 づかい 声 が 伝 わり 彼 の 歩 いている 足 音 が 聞 こえてくるようだ 当 時 の 横 浜 の 町 の 様 子 がはっきりと 映 し 出 されている 本 書 によってわたしたちはヘボンと 同 時 代 を 生 きる というすてきな 体 験 をすることになる この 年 表 の 早 期 出 版 を 願 いたい 再 び 石 川 さん を 多 くの 方 々の 心 の 中 に 生 かしたい 研 究 発 表 リスト(その38) 第 356 回 伊 藤 泰 子 凛 とした 教 育 者 伝 道 者 小 宮 珠 子 第 357 回 海 老 坪 眞 坂 田 祐 院 長 と 関 東 学 院 50 年 坂 田 院 長 からプレゼント5 回 第 358 回 吉 馴 明 子 戦 争 末 期 の 在 日 朝 鮮 人 教 会 と 田 中 剛 二 第 359 回 徐 正 敏 3 1 独 立 運 動 とキリスト 教 第 360 回 小 玉 敏 子 A. H. キダーと C. A. カンヴァ ス 伝 道 と 女 子 教 育 に 捧 げた 生 涯 第 361 回 竹 内 智 子 讃 美 歌 のルーツからスピリチュアルへ 英 米 の 讃 美 歌 における 口 承 伝 承 の 流 れ 編 集 後 記 今 回 の 号 から 発 表 要 旨 の 原 稿 を400 字 詰 5 枚 か ら10 枚 までと 変 更 しました それによって 発 表 者 の 表 したいことが 少 しでも 広 がればと 思 って 変 えました 佐 藤 和 夫 氏 は 1981 年 10 月 発 足 当 時 からの 会 員 でした 研 究 会 に 関 わって 下 さいました 石 川 潔 さんはヘボン 関 係 の 発 表 をよくして 下 さいました お 二 人 に 感 謝 するとともに ご 家 族 の 上 に 主 の 慰 めがありますようにお 祈 りします ( 岡 部 一 興 記 ) 14

平 成 34 年 4 月 1 日 から 平 成 37 年 3 月 31 日 まで 64 歳 第 2 章 労 働 契 約 ( 再 雇 用 希 望 の 申 出 ) 第 3 条 再 雇 用 職 員 として 継 続 して 雇 用 されることを 希 望 する 者 は 定 年 退 職 日 の3か 月 前 まで

平 成 34 年 4 月 1 日 から 平 成 37 年 3 月 31 日 まで 64 歳 第 2 章 労 働 契 約 ( 再 雇 用 希 望 の 申 出 ) 第 3 条 再 雇 用 職 員 として 継 続 して 雇 用 されることを 希 望 する 者 は 定 年 退 職 日 の3か 月 前 まで 定 年 後 再 雇 用 職 員 就 業 規 則 01- 一 般 -00006 平 成 13 年 4 月 1 日 改 正 03- 一 般 -00030 平 成 15 年 12 月 4 日 改 正 06- 一 般 -00117 平 成 18 年 4 月 1 日 改 正 09- 一 般 -00109 平 成 21 年 4 月 1 日 改 正 10- 一 般 -00258 平 成 22 年 6 月 30 日

More information

Taro-08国立大学法人宮崎大学授業

Taro-08国立大学法人宮崎大学授業 国 立 大 学 法 人 宮 崎 大 学 授 業 料 その 他 の 費 用 に 関 する 規 程 平 成 19 年 3 月 30 日 制 定 改 正 平 成 19 年 9 月 10 日 平 成 20 年 3 月 25 日 平 成 21 年 1 月 29 日 平 成 21 年 9 月 3 日 平 成 21 年 11 月 27 日 平 成 23 年 3 月 30 日 ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 規

More information

 

  障 害 者 政 策 委 員 会 第 2 小 委 員 会 ( 第 3 回 ) 資 料 一 覧 資 料 1-1 論 点 4 15 24 条 所 得 保 障 等 ( 年 金, 諸 手 当, 経 済 的 負 担 の 軽 減 等 )について に 関 する 厚 生 労 働 省 資 料 1 資 料 1-2 論 点 4 15 24 条 所 得 保 障 等 ( 年 金, 諸 手 当, 経 済 的 負 担 の 軽 減

More information

平 成 22 年 12 月 第 5 回 定 例 会 (11 月 26 日 招 集 ) 会 期 日 程 表

平 成 22 年 12 月 第 5 回 定 例 会 (11 月 26 日 招 集 ) 会 期 日 程 表 平 成 22 年 12 月 第 5 回 定 例 会 (11 月 26 日 招 集 ) 会 期 日 程 表 平 成 22 年 12 月 第 5 回 水 俣 市 議 会 定 例 会 会 議 録 目 次 平 成 22 年 11 月 26 日 ( 金 ) 1 日 目 ⑴ 平 成 22 年 12 月 7 日 ( 火 ) 2 日 目 平 成 22 年 12 月 8 日 ( 水 ) 3 日 目 平 成 22

More information

47 高 校 講 座 モ オ モ 圏 比 較 危 述 覚 普 第 章 : 活

47 高 校 講 座 モ オ モ 圏 比 較 危 述 覚 普 第 章 : 活 46 高 校 講 座 モ オ モ 型 新 古 前 材 広 前 半 筆 覚 推 追 求 従 推 流 丁 寧 追 次 ぞ 押 捉 筆 析 構 造 後 半 始 旧 友 賀 状 転 例 図 察 深 成 子 親 友 先 周 々 方 身 選 成 長 偏 覚 性 直 今 作 エ 解 深 講 師 吉 田 光 ポイ 空 虚 二 第 二 1 2 3 第 1 好 2 3 第 章 : 活 第 章 : 活 47 高 校 講

More information

Microsoft PowerPoint - 報告書(概要).ppt

Microsoft PowerPoint - 報告書(概要).ppt 市 町 村 における 地 方 公 務 員 制 度 改 革 に 係 る 論 点 と 意 見 について ( 概 要 ) 神 奈 川 県 市 町 村 における 地 方 公 務 員 制 度 改 革 に 係 る 検 討 会 議 について 1 テーマ 地 方 公 務 員 制 度 改 革 ( 総 務 省 地 方 公 務 員 の 労 使 関 係 制 度 に 係 る 基 本 的 な 考 え 方 )の 課 題 の 整

More information

Taro-iryouhoken

Taro-iryouhoken 医 療 保 険 制 度 2014 社 会 保 障 法 1 国 民 皆 保 険 国 民 皆 保 険 医 療 保 険 全 体 図 国 民 共 済 制 度 健 康 民 間 労 働 者 公 務 員 等 保 家 族 険 自 営 業 者 無 職 他 国 民 健 康 保 険 1961( 昭 36) 年 4 月 ~ 2 健 康 保 険 制 度 の 被 保 険 者 と 被 扶 養 者 (1) 強 制 被 保 険 者

More information

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1 独 立 行 政 法 人 統 計 センター( 法 人 番 号 7011105002089)の 役 職 員 の 報 酬 給 与 等 について Ⅰ 役 員 報 酬 等 について 1 役 員 報 酬 についての 基 本 方 針 に 関 する 事 項 1 役 員 報 酬 の 支 給 水 準 の 設 定 についての 考 え 方 独 立 行 政 法 人 通 則 法 第 52 条 第 3 項 の 規 定 に 基 づき

More information

平成16年年金制度改正 ~年金の昔・今・未来を考える~

平成16年年金制度改正 ~年金の昔・今・未来を考える~ 第 2 回 社 会 保 険 料 労 働 保 険 料 の 賦 課 対 象 となる 報 酬 等 の 範 囲 に 関 する 検 討 会 平 成 24 年 9 月 20 日 資 料 1 通 勤 手 当 について 1 これまでの 通 勤 に 要 する 費 用 に 関 する 考 え 方 では 通 勤 手 当 の 金 額 が 実 費 弁 償 的 に 算 定 される 場 合 でも それは 通 常 使 用 者 が 負

More information

私立大学等研究設備整備費等補助金(私立大学等

私立大学等研究設備整備費等補助金(私立大学等 私 立 大 学 等 研 究 設 備 整 備 費 等 補 助 金 ( 私 立 大 学 等 研 究 設 備 等 整 備 費 ) 交 付 要 綱 目 次 第 1 章 通 則 ( 第 1 条 - 第 4 条 ) 第 2 章 私 立 大 学 等 ( 第 5 条 - 第 15 条 ) 第 3 章 専 修 学 校 ( 第 16 条 - 第 25 条 ) 第 4 章 補 助 金 の 返 還 ( 第 26 条 ) 第

More information

平成16年度

平成16年度 平 成 28 年 度 町 県 民 税 申 告 書 の 書 き 方 ( 説 明 ) ご 自 分 で 申 告 書 を 記 入 される 方 はこの 書 き 方 を 参 考 に 申 告 書 に 記 入 のうえ 申 告 会 場 にお 持 ちくだ さい 申 告 期 限 は3 月 5 日 です 説 明 をよくお 読 みになり それぞれ 記 入 のうえ 申 告 相 談 日 においで ください この 申 告 をされないと

More information

                         庁議案件No

                         庁議案件No 庁 議 案 件 No.1 平 成 24 年 4 月 24 日 所 管 市 長 公 室 企 画 部 件 名 関 西 広 域 連 合 への 加 入 について 経 過 現 状 政 策 課 題 対 応 方 針 今 後 の 取 組 ( 案 ) 関 係 局 と の 政 策 連 携 関 西 広 域 連 合 の 概 要 複 数 府 県 により 設 立 される 全 国 初 の 広 域 連 合 として 平 成 22 年

More information

スライド 1

スライド 1 平 成 28 年 度 市 県 民 税 の 計 算 方 法 ( 鳥 取 市 ) まず 計 算 の 全 体 の 流 れを 示 すと 以 下 のようになります 総 所 得 金 - 所 得 控 除 = ( 千 円 未 満 切 り 捨 て ) 課 税 標 準 所 得 割 の 税 率 6% 所 得 割 の 税 率 4% 算 出 調 整 税 控 均 等 割 所 得 割 - - + 控 除 除 = 算 出 調 整

More information

Taro-事務処理要綱250820

Taro-事務処理要綱250820 大 分 県 沿 岸 漁 業 改 善 資 金 事 務 処 理 要 綱 第 1 章 総 則 ( 目 的 ) 第 1 条 知 事 は 沿 岸 漁 業 改 善 資 金 の 貸 付 事 務 を 円 滑 に 処 理 するため 沿 岸 漁 業 改 善 資 金 助 成 法 ( 昭 和 54 年 法 律 第 25 号 ) 沿 岸 漁 業 改 善 資 金 助 成 法 施 行 令 ( 昭 和 54 年 政 令 第 124

More information

国立大学法人 東京医科歯科大学教職員就業規則

国立大学法人 東京医科歯科大学教職員就業規則 国 立 大 学 法 人 東 京 医 科 歯 科 大 学 育 児 休 業 等 規 則 平 成 16 年 4 月 1 日 規 則 第 3 3 号 ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 規 則 は 国 立 大 学 法 人 東 京 医 科 歯 科 大 学 職 員 就 業 規 則 ( 平 成 16 年 規 程 第 2 号 以 下 就 業 規 則 という ) 第 37 条 第 2 項 の 規 定 に 基 づき 国

More information

2. ど の 様 な 経 緯 で 発 覚 し た の か ま た 遡 っ た の を 昨 年 4 月 ま で と し た の は 何 故 か 明 ら か に す る こ と 回 答 3 月 17 日 に 実 施 し た ダ イ ヤ 改 正 で 静 岡 車 両 区 の 構 内 運 転 が 静 岡 運

2. ど の 様 な 経 緯 で 発 覚 し た の か ま た 遡 っ た の を 昨 年 4 月 ま で と し た の は 何 故 か 明 ら か に す る こ と 回 答 3 月 17 日 に 実 施 し た ダ イ ヤ 改 正 で 静 岡 車 両 区 の 構 内 運 転 が 静 岡 運 地 本 業 務 ニ ュ ー ス J R 東 海 労 静 岡 地 方 本 部 NO.1 8 2 0 1 2 年 6 月 1 9 日 発 行 者 : JR 東 海 労 静 岡 地 方 本 部 山 本 繁 明 申 6 号 に 関 する 幹 事 間 折 衝 を 開 催!! 6 月 15 日 地 本 は 静 岡 車 両 区 に お け る 構 内 運 転 士 に 対 す る 誤 支 給 及 び 戻 入 に つ

More information

別 紙 第 号 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 議 案 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 を 次 のように 定 める 平 成 26 年 2 月 日 提 出 高 知 県 知 事 尾

別 紙 第 号 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 議 案 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 を 次 のように 定 める 平 成 26 年 2 月 日 提 出 高 知 県 知 事 尾 付 議 第 3 号 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 議 案 に 係 る 意 見 聴 取 に 関 する 議 案 平 成 26 年 2 月 高 知 県 議 会 定 例 会 提 出 予 定 の 条 例 議 案 に 係 る 地 方 教 育 行 政 の 組 織 及 び 運 営 に 関 する 法 律 ( 昭 和 31 年 法 律 第 162 号 )

More information

川越市幼稚園就園奨励費補助金交付要綱

川越市幼稚園就園奨励費補助金交付要綱 川 越 市 幼 稚 園 就 園 奨 励 費 補 助 金 交 付 要 綱 川 越 市 幼 稚 園 就 園 奨 励 費 補 助 金 交 付 要 綱 ( 平 成 21 年 7 月 3 日 決 裁 )の 全 部 を 改 正 する ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 要 綱 は 保 護 者 の 経 済 的 負 担 の 軽 減 を 図 るため 私 立 幼 稚 園 又 は 無 認 可 幼 稚 園 に 在 園 する

More information

第 63 回 ( 平 成 26 年 度 ) 横 浜 文 化 賞 選 考 委 員 会 日 時 平 成 26 年 8 月 22 日 ( 金 ) 午 後 2 時 ~ 場 所 市 庁 舎 2 階 応 接 室 次 第 1 開 会 2 開 会 あいさつ 横 浜 市 副 市 長 渡 辺 巧 教 3 委 員 紹 介

第 63 回 ( 平 成 26 年 度 ) 横 浜 文 化 賞 選 考 委 員 会 日 時 平 成 26 年 8 月 22 日 ( 金 ) 午 後 2 時 ~ 場 所 市 庁 舎 2 階 応 接 室 次 第 1 開 会 2 開 会 あいさつ 横 浜 市 副 市 長 渡 辺 巧 教 3 委 員 紹 介 第 63 回 ( 平 成 26 年 度 ) 横 浜 文 化 賞 選 考 委 員 会 会 議 録 日 時 平 成 26 年 8 月 22 日 ( 金 )14 時 ~15 時 40 分 開 催 場 所 市 庁 舎 2 階 応 接 室 出 席 者 窪 田 吉 信 委 員 長 並 木 裕 之 副 委 員 長 新 井 鷗 子 委 員 稲 田 奈 緒 美 委 員 逢 坂 恵 理 子 委 員 佐 々 木 謙 二

More information

平 政 種 郵 便 物 認 可 信 無 埋 般 触 機 可 能 面 幅 繋 待 道 口 ギ 握 定 友 共 感 現 揺 ぶ 趣 志 向 析 展 揺 ぶ 始 博 爆 博 ネ 無 料 ゾ 閉 鎖 室 建 物 空 移 = ゴ 続 難 夢 室 校 病 院 東 六 木 降 湾 ガ 熱 狂 渦 巻 6 員 録

平 政 種 郵 便 物 認 可 信 無 埋 般 触 機 可 能 面 幅 繋 待 道 口 ギ 握 定 友 共 感 現 揺 ぶ 趣 志 向 析 展 揺 ぶ 始 博 爆 博 ネ 無 料 ゾ 閉 鎖 室 建 物 空 移 = ゴ 続 難 夢 室 校 病 院 東 六 木 降 湾 ガ 熱 狂 渦 巻 6 員 録 平 政 種 郵 便 物 認 可 連 載 誘 致 紹 介 電 沖 縄 落 戻 背 景 説 西 南 沖 縄 美 素 晴 ゴ 礁 起 伏 富 形 然 恵 6 平 太 求 先 寒 ピ 下 依 存 球 バ ァ 続 春 軍 崎 移 苦 境 直 面 千 ァ 幅 太 統 頼 呼 模 風 媚 豊 遺 産 紀 6 紀 拠 豪 族 墓 掘 井 戸 深 遺 跡 実 際 十 切 モ 隠 計 認 獲 ギ 応 述 対 青 先 候

More information

スライド 1

スライド 1 社 会 保 障 税 一 体 改 革 における 年 金 関 連 法 案 について 年 金 機 能 強 化 法 案 (3 月 30 日 提 出 ) 国 会 提 出 時 の 法 案 の 内 容 1 基 礎 年 金 国 庫 負 担 2 分 の1の 恒 久 化 2 受 給 資 格 期 間 の 短 縮 (25 年 10 年 ) 3 産 休 期 間 中 の 社 会 保 険 料 免 除 4 遺 族 基 礎 年 金

More information

根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監 査 教 育 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 市 町 村 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部

根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監 査 教 育 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 市 町 村 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 1 部 改 案 旧 照 文 昭 和 百 傍 線 部 改 部 改 案 現 服 服 管 研 修 研 修 罰 罰 附 附 総 総 休 懲 戒 服 管 研 休 懲 戒 服 研 修 修 福 祉 益 保 護 福 祉 益 保 護 根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監

More information

東久留米市訓令乙第   号

東久留米市訓令乙第   号 東 久 留 米 市 就 学 援 助 費 事 務 処 理 要 綱 ( 目 的 ) 第 この 要 綱 は 就 学 困 難 な 児 童 及 び 生 徒 に 係 る 就 学 奨 励 についての 国 の 援 助 に 関 す る 法 律 ( 昭 和 3 年 法 律 第 40 号 ) 学 校 給 食 法 ( 昭 和 29 年 法 律 第 60 号 ) 及 び 学 校 保 健 安 全 法 ( 昭 和 33 年 法

More information

<947A957A8E9197BF8253817C8250816082532E786C73>

<947A957A8E9197BF8253817C8250816082532E786C73> 資 料 1 資 料 2 資 料 3 資 料 4 資 料 5 資 料 6 保 護 観 察 新 規 受 理 人 員 の 推 移 資 料 7 ( 千 人 ) ( 昭 和 24 年 ~ 平 成 17 年 ) 80 70 60 保 護 観 察 処 分 少 年 50 40 30 20 10 保 護 観 察 付 執 行 猶 予 者 仮 釈 放 者 0 少 年 院 仮 退 院 者 24 年 30 35 40 45

More information

Q5 育 児 休 業 を 請 求 する 際 の 事 務 手 続 は? A5 育 児 休 業 を 請 求 しようとする 職 員 は, 育 児 休 業 承 認 請 求 書 ( 様 式 第 1 号 )に 子 の 氏 名 や 請 求 する 期 間 等 を 記 入 し, 育 児 休 業 を 始 めようとする1

Q5 育 児 休 業 を 請 求 する 際 の 事 務 手 続 は? A5 育 児 休 業 を 請 求 しようとする 職 員 は, 育 児 休 業 承 認 請 求 書 ( 様 式 第 1 号 )に 子 の 氏 名 や 請 求 する 期 間 等 を 記 入 し, 育 児 休 業 を 始 めようとする1 1 育 児 休 業 について Q1 育 児 休 業 とはどのような 制 度 ですか? A1 子 が 満 3 歳 に 達 する 日 まで, 一 定 の 要 件 を 満 たした 職 員 が 任 命 権 者 ( 宮 城 県 教 育 委 員 会 )の 承 認 を 受 けて,その3 歳 に 満 たない 子 を 養 育 するため, 職 務 に 従 事 しな いことを 可 能 とする 制 度 です 仕 事 と 育

More information

区議会月報 平成19年4-5月

区議会月報 平成19年4-5月 し ぶ や 区 議 月 報 平 成 19 年 4~5 月 499~500 * 目 次 1 4 月 の 議 一 覧 1 2 4 月 の 委 員 活 動 のあらまし 等 (1) 議 運 営 委 員 2 (2) の 議 2 3 5 月 の 議 一 覧 3 4 平 成 19 年 第 1 回 臨 時 のあらまし (1) 概 要 4 (2) 議 決 等 件 数 4 (3) 議 決 等 の 内 容 5 5 5 月

More information

m07 北見工業大学 様式①

m07 北見工業大学 様式① 国 立 大 学 法 人 北 見 工 業 大 学 ( 法 人 番 号 6460305000387)の 役 職 員 の 報 酬 給 与 等 について Ⅰ 役 員 報 酬 等 について 1 役 員 報 酬 についての 基 本 方 針 に 関 する 事 項 1 役 員 報 酬 の 支 給 水 準 の 設 定 についての 考 え 方 当 該 法 人 の 主 要 事 業 は 教 育 研 究 事 業 である 役

More information

(2) 広 島 国 際 学 院 大 学 ( 以 下 大 学 という ) (3) 広 島 国 際 学 院 大 学 自 動 車 短 期 大 学 部 ( 以 下 短 大 という ) (4) 広 島 国 際 学 院 高 等 学 校 ( 以 下 高 校 という ) ( 学 納 金 の 種 類 ) 第 3 条

(2) 広 島 国 際 学 院 大 学 ( 以 下 大 学 という ) (3) 広 島 国 際 学 院 大 学 自 動 車 短 期 大 学 部 ( 以 下 短 大 という ) (4) 広 島 国 際 学 院 高 等 学 校 ( 以 下 高 校 という ) ( 学 納 金 の 種 類 ) 第 3 条 学 生 生 徒 等 の 納 入 金 に 関 する 規 則 平 成 15 年 12 月 16 日 規 則 第 19 号 沿 革 1 平 成 17 年 5 月 17 日 改 正 2 平 成 17 年 10 月 3 日 改 正 3 平 成 18 年 1 月 25 日 改 正 5 平 成 21 年 9 月 16 日 改 正 7 平 成 22 年 2 月 12 日 改 正 9 平 成 23 年 12 月 6

More information

財団法人○○会における最初の評議員の選任方法(案)

財団法人○○会における最初の評議員の選任方法(案) 一 般 財 団 法 人 生 産 科 学 研 究 奨 励 会 定 款 第 1 章 総 則 ( 名 称 ) 第 1 条 この 法 人 は 一 般 財 団 法 人 生 産 科 学 研 究 奨 励 会 という ( 事 務 所 ) 第 2 条 この 法 人 は 事 務 所 を 福 岡 市 東 区 松 香 台 1 丁 目 10 番 1 号 におく 第 2 章 目 的 及 び 事 業 ( 目 的 ) 第 3 条

More information

平成25年度 独立行政法人日本学生支援機構の役職員の報酬・給与等について

平成25年度 独立行政法人日本学生支援機構の役職員の報酬・給与等について 平 成 25 年 度 独 立 行 政 法 日 本 学 生 支 援 機 構 の 役 職 員 の 報 酬 給 与 等 について Ⅰ 役 員 報 酬 等 について 1 役 員 報 酬 についての 基 本 方 針 に 関 する 事 項 1 平 成 25 年 度 における 役 員 報 酬 についての 業 績 反 映 のさせ 方 日 本 学 生 支 援 機 構 は 奨 学 金 貸 与 事 業 留 学 生 支 援

More information

Taro-H26改正_溶け込み_中学授業

Taro-H26改正_溶け込み_中学授業 鳥 取 県 私 立 中 学 校 生 徒 授 業 料 減 免 補 助 金 交 付 要 綱 ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 要 綱 は 鳥 取 県 補 助 金 等 交 付 規 則 ( 昭 和 32 年 鳥 取 県 規 則 第 22 号 以 下 規 則 とい う ) 第 4 条 の 規 定 に 基 づき 鳥 取 県 私 立 中 学 校 生 徒 授 業 料 減 免 補 助 金 ( 以 下 本 補 助 金

More information

(6) 事 務 局 職 場 積 立 NISAの 運 営 に 係 る 以 下 の 事 務 等 を 担 当 する 事 業 主 等 の 組 織 ( 当 該 事 務 を 代 行 する 組 織 を 含 む )をいう イ 利 用 者 からの 諸 届 出 受 付 事 務 ロ 利 用 者 への 諸 連 絡 事 務

(6) 事 務 局 職 場 積 立 NISAの 運 営 に 係 る 以 下 の 事 務 等 を 担 当 する 事 業 主 等 の 組 織 ( 当 該 事 務 を 代 行 する 組 織 を 含 む )をいう イ 利 用 者 からの 諸 届 出 受 付 事 務 ロ 利 用 者 への 諸 連 絡 事 務 職 場 積 立 NISAに 関 するガイドライン 第 1 章 総 則 1. 制 定 の 趣 旨 NISA 推 進 連 絡 協 議 会 は NISA 推 進 連 絡 協 議 会 に 参 加 する 業 界 団 体 等 に 属 する 金 融 商 品 取 引 業 者 及 び 金 融 機 関 等 ( 以 下 NISA 取 扱 業 者 という )が 取 り 扱 う 職 場 積 立 NISAについて 適 正 かつ

More information

― 目次 ―

― 目次 ― 相 互 援 助 活 動 北 本 市 目 的 北 本 市 以 下 子 育 中 保 護 者 安 心 子 育 援 助 活 動 子 育 援 助 行 人 協 力 会 員 援 助 受 人 依 頼 会 員 会 員 間 相 互 援 助 活 動 支 援 会 員 資 格 協 力 会 員 北 本 市 在 住 歳 以 上 心 身 健 康 育 児 性 別 問 理 解 熱 意 方 資 格 依 頼 会 員 北 本 市 在 住 勤

More information

就 業 規 則 ( 福 利 厚 生 ) 第 章 福 利 厚 生 ( 死 亡 弔 慰 金 等 ) 第 条 法 人 が 群 馬 県 社 会 福 祉 協 議 会 民 間 社 会 福 祉 施 設 等 職 員 共 済 規 程 に 基 づき 群 馬 県 社 会 福 祉 協 議 会 との 間 において 締 結 す

就 業 規 則 ( 福 利 厚 生 ) 第 章 福 利 厚 生 ( 死 亡 弔 慰 金 等 ) 第 条 法 人 が 群 馬 県 社 会 福 祉 協 議 会 民 間 社 会 福 祉 施 設 等 職 員 共 済 規 程 に 基 づき 群 馬 県 社 会 福 祉 協 議 会 との 間 において 締 結 す 9 退 職 金 事 務 に 関 する 注 意 事 項 1 労 務 管 理 の 観 点 から( 労 働 契 約 法 労 働 基 準 法 関 係 ) そもそも 退 職 金 の 支 給 は 法 人 の 任 意 で 必 ず 支 払 わなくてはならないものではありませんが 賃 金 の 後 払 いとして あるいは 長 年 の 功 労 への 報 償 や 退 職 後 の 生 活 保 障 として 制 度 を 設 ける

More information

為 が 行 われるおそれがある 場 合 に 都 道 府 県 公 安 委 員 会 がその 指 定 暴 力 団 等 を 特 定 抗 争 指 定 暴 力 団 等 として 指 定 し その 所 属 する 指 定 暴 力 団 員 が 警 戒 区 域 内 において 暴 力 団 の 事 務 所 を 新 たに 設

為 が 行 われるおそれがある 場 合 に 都 道 府 県 公 安 委 員 会 がその 指 定 暴 力 団 等 を 特 定 抗 争 指 定 暴 力 団 等 として 指 定 し その 所 属 する 指 定 暴 力 団 員 が 警 戒 区 域 内 において 暴 力 団 の 事 務 所 を 新 たに 設 暴 力 団 員 による 不 当 な 行 為 の 防 止 等 に 関 する 法 律 の 一 部 を 改 正 する 法 律 暴 力 団 員 による 不 当 な 行 為 の 防 止 等 に 関 する 法 律 例 規 整 備 * 暴 力 団 員 による 不 当 な 行 為 の 防 止 等 に 関 する 法 律 の 一 部 を 改 正 する 法 律 例 規 整 備 公 布 年 月 日 番 号 平 成 24 年

More information

第 2 問 問 4 問 5 1ロ 2チ 3ヲ 4ホ ⅰ)Aさんは 今 年 の 誕 生 日 で 40 歳 となるので 公 的 介 護 保 険 の(1 第 2 号 ) 被 保 険 者 資 格 を 取 得 し 介 護 保 険 料 を 負 担 することになる 40 歳 以 上 65 歳 未 満 の 医 療

第 2 問 問 4 問 5 1ロ 2チ 3ヲ 4ホ ⅰ)Aさんは 今 年 の 誕 生 日 で 40 歳 となるので 公 的 介 護 保 険 の(1 第 2 号 ) 被 保 険 者 資 格 を 取 得 し 介 護 保 険 料 を 負 担 することになる 40 歳 以 上 65 歳 未 満 の 医 療 一 発 合 格!FP 技 能 士 2 級 AFP 完 全 攻 略 実 戦 問 題 集 14-15 年 版 別 冊 FP 技 能 士 2 級 AFP 2014 年 1 月 実 施 試 験 解 答 & 解 説 実 技 試 験 生 保 顧 客 資 産 相 談 業 務 ( 金 融 財 政 事 情 研 究 会 ) 問 題 解 答 解 説 第 1 問 問 1 1ハ 2ニ 3ト 国 民 年 金 の 毎 月 の 保

More information

目 標 を 達 成 するための 指 標 第 4 章 計 画 における 環 境 施 策 世 界 遺 産 への 登 録 早 期 登 録 の 実 現 史 跡 の 公 有 地 化 平 成 27 年 度 (2015 年 度 )までに 235,022.30m 2 施 策 の 体 系 1 歴 史 的 遺 産 とこ

目 標 を 達 成 するための 指 標 第 4 章 計 画 における 環 境 施 策 世 界 遺 産 への 登 録 早 期 登 録 の 実 現 史 跡 の 公 有 地 化 平 成 27 年 度 (2015 年 度 )までに 235,022.30m 2 施 策 の 体 系 1 歴 史 的 遺 産 とこ Ⅲ 歴 史 的 文 化 的 環 境 の 確 保 古 都 鎌 倉 の 歴 史 的 遺 産 を 保 全 活 用 し 世 界 遺 産 に 登 録 されることをめざしま 現 状 と 課 題 わが 国 初 めての 武 家 政 権 が 誕 生 した 本 市 南 東 部 は 三 方 を 山 に 囲 まれ 南 に 相 模 湾 を 望 む 特 徴 ある 地 形 をしており この 地 形 を 生 かした 独 自 の 都

More information

●電力自由化推進法案

●電力自由化推進法案 第 一 八 五 回 参 第 二 号 電 力 自 由 化 推 進 法 案 目 次 第 一 章 総 則 ( 第 一 条 - 第 三 条 ) 第 二 章 電 力 自 由 化 の 基 本 方 針 ( 第 四 条 - 第 九 条 ) 第 三 章 電 力 自 由 化 推 進 本 部 ( 第 十 条 - 第 十 九 条 ) 附 則 第 一 章 総 則 ( 目 的 ) 第 一 条 この 法 律 は 平 成 二 十

More information

0605調査用紙(公民)

0605調査用紙(公民) 社 会 公 民 番 号 2 略 称 東 京 書 籍 書 名 新 編 新 し 公 民 1 基 礎 基 本 確 実 な 定 着 を 図 るため を 促 すため や 個 応 じた 3 単 元 ( 単 元 設 定 4 各 年 ( び や 考 え 展 開 5 特 徴 的 な 単 元 おけ る 課 題 関 わり 等 ア 1 単 位 時 間 ( 見 開 き 2 頁 ) 毎 課 題 を 設 定 し 課 題 関 連

More information

理化学研究所の役職員への兼業(兼職)依頼について

理化学研究所の役職員への兼業(兼職)依頼について 理 化 学 研 究 所 の 役 職 員 への 兼 業 ( 兼 職 ) 依 頼 について 役 職 員 が 兼 業 を 行 なう 場 合 事 前 に 弊 所 の 承 認 が 必 要 です 役 職 員 へ 兼 業 を 依 頼 さ れる 場 合 は 下 記 を 御 一 読 戴 き 役 職 員 本 人 宛 に 御 依 頼 くださいますようお 願 い 致 し ます 1. 兼 業 依 頼 から 承 認 までの 流

More information

2 条 ) ア 育 児 休 業 の 対 象 とならない 職 員 ( 法 第 2 条 及 び 条 例 第 2 条 関 係 ) (ア) 臨 時 的 に 任 用 される 職 員 (イ) 育 児 休 業 に 係 る 期 間 を 任 期 と 定 めて 採 用 された 職 員 (ウ) 勤 務 延 長 職 員 (

2 条 ) ア 育 児 休 業 の 対 象 とならない 職 員 ( 法 第 2 条 及 び 条 例 第 2 条 関 係 ) (ア) 臨 時 的 に 任 用 される 職 員 (イ) 育 児 休 業 に 係 る 期 間 を 任 期 と 定 めて 採 用 された 職 員 (ウ) 勤 務 延 長 職 員 ( 育 児 休 業 等 の 取 扱 いについての 改 正 について 平 成 23 年 8 月 1 日 通 達 ( 務 人 ) 第 44 号 地 方 公 務 員 の 育 児 休 業 等 に 関 する 法 律 ( 平 成 3 年 法 律 第 110 号 以 下 法 という )の 改 正 に 鑑 み このたび 山 梨 県 職 員 の 育 児 休 業 等 に 関 する 条 例 ( 平 成 4 年 山 梨 県 条

More information

平 成 24 年 分 年 末 調 整 チェックシート 氏 名 男 女 年 末 調 整 の 時 期 となりました 下 記 項 目 のチェックと 該 当 書 類 の 提 出 をお 願 いします 今 年 入 社 である はい 本 年 中 前 職 がある 方 は 前 職 の 源 泉 徴 収 票 を 提 出 して 下 さい 源 泉 徴 収 票 の 提 出 有 ( 社 ) 無 住 宅 借 入 金 等 特 別 控

More information

平成24年度開設予定大学院等一覧(判定を「不可」とするもの)

平成24年度開設予定大学院等一覧(判定を「不可」とするもの) 平 成 24 年 度 開 設 予 定 大 学 院 等 一 覧 ( 判 定 を 不 可 とするもの) 1 研 究 科 を 設 置 するもの 1 校 平 成 23 年 12 月 区 分 大 学 院 名 研 究 科 名 専 攻 名 入 学 定 員 位 置 設 置 者 理 由 備 考 人 私 立 東 京 福 祉 大 学 大 学 院 経 営 学 研 究 科 群 馬 県 伊 勢 崎 市 学 校 法 人 ( 別

More information

奨学資金の受領から返還までの手続

奨学資金の受領から返還までの手続 奨 学 資 金 の 受 領 から 返 還 までの 手 続 Ⅰ 奨 学 資 金 の 受 領 1 奨 学 資 金 の 交 付 スケジュールと 貸 与 月 額 奨 学 資 金 は 新 規 採 用 時 や 年 度 初 め 年 度 末 などの 特 別 な 場 合 を 除 いて 毎 月 15 日 頃 に 交 付 されます (4 5 月 分 は 進 級 確 認 に 時 間 を 要 するため 5 月 中 旬 に 交

More information

<6D313588EF8FE991E58A778D9191E5834B C8EAE DC58F4992F18F6F816A F990B32E786C73>

<6D313588EF8FE991E58A778D9191E5834B C8EAE DC58F4992F18F6F816A F990B32E786C73> 国 立 大 学 法 人 茨 城 大 学 の 役 職 員 の 報 酬 給 与 等 について Ⅰ 役 員 報 酬 等 について 1 役 員 報 酬 についての 基 本 方 針 に 関 する 事 項 1 平 成 24 年 度 における 役 員 報 酬 についての 業 績 反 映 のさせ 方 役 員 に 支 給 される 給 与 のうち 期 末 特 別 手 当 については 国 立 大 学 評 価 委 員 会

More information

( 補 助 金 等 交 付 決 定 通 知 に 加 える 条 件 ) 第 7 条 市 長 は 交 付 規 則 第 11 条 に 規 定 するところにより 補 助 金 の 交 付 決 定 に 際 し 次 に 掲 げる 条 件 を 付 するものとする (1) 事 業 完 了 後 に 消 費 税 及 び

( 補 助 金 等 交 付 決 定 通 知 に 加 える 条 件 ) 第 7 条 市 長 は 交 付 規 則 第 11 条 に 規 定 するところにより 補 助 金 の 交 付 決 定 に 際 し 次 に 掲 げる 条 件 を 付 するものとする (1) 事 業 完 了 後 に 消 費 税 及 び 戸 田 市 学 童 保 育 室 運 営 等 事 業 費 補 助 事 業 実 施 要 綱 ( 目 的 ) 第 1 条 この 要 綱 は 市 内 で 放 課 後 児 童 健 全 育 成 事 業 ( 児 童 福 祉 法 ( 昭 和 22 年 法 律 第 164 号 ) 第 6 条 の 3 第 2 項 に 規 定 する 放 課 後 児 童 健 全 育 成 事 業 をい う 以 下 同 じ )を 実 施 するものに

More information

Taro-01 議案概要.jtd

Taro-01 議案概要.jtd 資 料 1 平 成 28 年 第 1 回 志 木 市 議 会 定 例 会 市 長 提 出 議 案 等 概 要 1 2 第 1 号 議 案 企 画 部 政 策 推 進 課 志 木 市 将 来 ビジョン( 第 五 次 志 木 市 総 合 振 興 計 画 将 来 構 想 )の 策 定 について ( 政 策 推 進 課 ) 1 将 来 ビジョンとは? 2 志 木 市 がおかれている 状 況 3 まちづくりの

More information

(3) 育 児 休 業 (この 号 の 規 定 に 該 当 したことにより 当 該 育 児 休 業 に 係 る 子 について 既 にし たものを 除 く )の 終 了 後 3 月 以 上 の 期 間 を 経 過 した 場 合 ( 当 該 育 児 休 業 をした 教 職 員 が 当 該 育 児 休 業

(3) 育 児 休 業 (この 号 の 規 定 に 該 当 したことにより 当 該 育 児 休 業 に 係 る 子 について 既 にし たものを 除 く )の 終 了 後 3 月 以 上 の 期 間 を 経 過 した 場 合 ( 当 該 育 児 休 業 をした 教 職 員 が 当 該 育 児 休 業 公 立 大 学 法 人 首 都 大 学 東 京 平 成 17 年 度 法 人 規 則 第 38 号 制 定 平 成 17 年 4 月 1 日 第 1 章 目 的 ( 目 的 ) 第 1 条 この 規 則 は 公 立 大 学 法 人 首 都 大 学 東 京 教 職 員 の 勤 務 時 間 休 日 休 暇 等 に 関 す る 規 則 ( 以 下 教 職 員 勤 務 時 間 等 規 則 という ) 第 36

More information

(4) 運 転 する 学 校 職 員 が 交 通 事 故 を 起 こし 若 しくは 交 通 法 規 に 違 反 したことにより 刑 法 ( 明 治 40 年 法 律 第 45 号 ) 若 しくは 道 路 交 通 法 に 基 づく 刑 罰 を 科 せられてから1 年 を 経 過 していない 場 合 同

(4) 運 転 する 学 校 職 員 が 交 通 事 故 を 起 こし 若 しくは 交 通 法 規 に 違 反 したことにより 刑 法 ( 明 治 40 年 法 律 第 45 号 ) 若 しくは 道 路 交 通 法 に 基 づく 刑 罰 を 科 せられてから1 年 を 経 過 していない 場 合 同 半 田 市 立 学 校 職 員 に 係 る 自 家 用 自 動 車 の 公 務 使 用 に 関 する 取 扱 要 領 ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 要 領 は 公 務 の 円 滑 な 執 行 に 資 するため 半 田 市 立 学 校 に 勤 務 する 県 費 負 担 教 職 員 ( 以 下 学 校 職 員 という )が 出 張 に 際 し 職 員 等 の 旅 費 に 関 する 条 例 ( 昭 和

More information

平 均 賃 金 を 支 払 わなければならない この 予 告 日 数 は 平 均 賃 金 を 支 払 った 日 数 分 短 縮 される( 労 基 法 20 条 ) 3 試 用 期 間 中 の 労 働 者 であっても 14 日 を 超 えて 雇 用 された 場 合 は 上 記 2の 予 告 の 手 続

平 均 賃 金 を 支 払 わなければならない この 予 告 日 数 は 平 均 賃 金 を 支 払 った 日 数 分 短 縮 される( 労 基 法 20 条 ) 3 試 用 期 間 中 の 労 働 者 であっても 14 日 を 超 えて 雇 用 された 場 合 は 上 記 2の 予 告 の 手 続 (7) 就 業 規 則 の 必 要 記 載 事 項 必 ず 記 載 しなければならない 事 項 ( 労 基 法 89 条 1 号 ~3 号 ) 1 始 業 終 業 時 刻 休 憩 時 間 休 日 休 暇 交 替 制 勤 務 をさせる 場 合 は 就 業 時 転 換 に 関 する 事 項 2 賃 金 の 決 定 計 算 及 び 支 払 の 方 法 賃 金 の 締 切 り 及 び 支 払 の 時 期 並

More information

○ 愛 知 県 都 市 職 員 共 済 組 合 職 員 の 育 児 休 業 等 に 関 する 規 則 ( 平 成 22 年 10 月 1 日 ) 平 成 22 年 規 則 第 9 号 改 正 平 成 22 年 11 月 30 日 規 則 第 11 号 愛 知 県 都 市 職 員 共 済 組 合 職 員 の 育 児 休 業 等 に 関 する 規 則 ( 平 成 10 年 愛 知 県 都 市 職 員 共 済

More information

する ( 評 定 の 時 期 ) 第 条 成 績 評 定 の 時 期 は 第 3 次 評 定 者 にあっては 完 成 検 査 及 び 部 分 引 渡 しに 伴 う 検 査 の 時 とし 第 次 評 定 者 及 び 第 次 評 定 者 にあっては 工 事 の 完 成 の 時 とする ( 成 績 評 定

する ( 評 定 の 時 期 ) 第 条 成 績 評 定 の 時 期 は 第 3 次 評 定 者 にあっては 完 成 検 査 及 び 部 分 引 渡 しに 伴 う 検 査 の 時 とし 第 次 評 定 者 及 び 第 次 評 定 者 にあっては 工 事 の 完 成 の 時 とする ( 成 績 評 定 射 水 市 建 設 工 事 施 行 に 関 する 工 事 成 績 評 定 要 領 平 成 8 年 3 月 7 告 示 第 44 号 ( 目 的 ) 第 条 この 要 領 は 射 水 市 が 所 掌 する 工 事 の 成 績 評 定 ( 以 下 評 定 という )に 必 要 な 事 項 を 定 め 公 正 かつ 的 確 な 評 定 を 行 うことにより もって 請 負 業 者 の 選 定 及 び 指

More information

●労働基準法等の一部を改正する法律案

●労働基準法等の一部を改正する法律案 第 一 八 九 回 参 第 六 号 労 働 基 準 法 等 の 一 部 を 改 正 する 法 律 案 ( 労 働 基 準 法 の 一 部 改 正 ) 第 一 条 労 働 基 準 法 ( 昭 和 二 十 二 年 法 律 第 四 十 九 号 )の 一 部 を 次 のように 改 正 する 第 三 十 五 条 第 一 項 中 少 くとも を 少 なくとも に 改 め 休 日 を の 下 に 直 前 の 休

More information

2 職 員 の 平 均 給 与 月 額 初 任 給 等 の 状 況 (1) 職 員 の 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 及 び 平 均 給 与 月 額 の 状 況 ( 平 成 22 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 一 般 行 政 職 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 平 均 給 与

2 職 員 の 平 均 給 与 月 額 初 任 給 等 の 状 況 (1) 職 員 の 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 及 び 平 均 給 与 月 額 の 状 況 ( 平 成 22 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 一 般 行 政 職 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 平 均 給 与 の 給 与 定 員 管 理 等 について 1 総 括 (1) 件 費 の 状 況 ( 普 通 会 計 決 算 ) 住 民 基 本 台 帳 口 歳 出 額 A 実 質 収 支 件 費 B (21 年 度 末 ) 21 年 度 58,068 22,793,598 272,455 4,911,157 件 費 率 B/A % 21.5 ( 参 考 ) 20 年 度 の 件 費 率 % 24.8 (2) 職

More information

住み慣れたこの町で最期まで 安心して暮らすために

住み慣れたこの町で最期まで 安心して暮らすために 第 6 次 出 入 国 管 理 政 策 懇 談 会 新 宿 区 1 新 宿 区 は 外 国 人 住 民 が 全 国 で 一 番 多 く 暮 らす 自 治 体 で 全 区 民 の10%を 超 えています 地 域 別 全 国 平 成 26 年 1 月 1 日 現 在 住 民 記 録 人 口 総 数 ( 人 ) 日 本 人 住 民 人 口 外 国 人 住 民 人 口 人 数 ( 人 ) 割 合 (%) 人

More information

<31352095DB8CAF97BF97A6955C2E786C73>

<31352095DB8CAF97BF97A6955C2E786C73> 標 準 報 酬 月 額 等 級 表 ( 厚 生 年 金 ) 標 準 報 酬 報 酬 月 額 厚 生 年 金 保 険 料 厚 生 年 金 保 険 料 率 14.642% ( 平 成 18 年 9 月 ~ 平 成 19 年 8 月 ) 等 級 月 額 全 額 ( 円 ) 折 半 額 ( 円 ) 円 以 上 円 未 満 1 98,000 ~ 101,000 14,349.16 7,174.58 2 104,000

More information

第 8 条 本 協 議 会 における 研 修 は 以 下 のとおりとする (1) 座 学 研 修 農 業 講 座 や 先 進 農 家 視 察 など 農 業 経 営 基 礎 講 座 やその 他 担 い 手 のための 研 修 会 等 への 参 加 など 年 24 回 程 度 とする (2) 実 務 研

第 8 条 本 協 議 会 における 研 修 は 以 下 のとおりとする (1) 座 学 研 修 農 業 講 座 や 先 進 農 家 視 察 など 農 業 経 営 基 礎 講 座 やその 他 担 い 手 のための 研 修 会 等 への 参 加 など 年 24 回 程 度 とする (2) 実 務 研 南 阿 蘇 村 農 業 研 修 生 受 入 協 議 会 青 年 就 農 給 付 金 ( 準 備 型 ) 農 業 研 修 生 受 入 要 項 平 成 24 年 4 月 27 日 制 定 平 成 24 年 6 月 13 日 一 部 改 正 平 成 24 年 10 月 31 日 一 部 改 正 ( 目 的 ) 第 1 条 本 要 項 は 新 規 就 農 総 合 支 援 事 業 実 施 要 綱 ( 農 林

More information

定款  変更

定款  変更 公 益 社 団 法 人 宮 崎 県 農 業 振 興 公 社 定 款 公 益 社 団 法 人 宮 崎 県 農 業 振 興 公 社 公 益 社 団 法 人 宮 崎 県 農 業 振 興 公 社 定 款 第 1 章 総 則 ( 名 称 ) 第 1 条 この 法 人 は 公 益 社 団 法 人 宮 崎 県 農 業 振 興 公 社 ( 以 下 公 社 という )と 称 する ( 事 務 所 ) 第 2 条 公

More information

https://www.takara-dic-net.jp/xeditor_ne/xeditor_web/html_gene.

https://www.takara-dic-net.jp/xeditor_ne/xeditor_web/html_gene. 平 成 23 年 3 月 期 第 1 四 半 期 決 算 短 信 日 本 基 準 ( 連 結 ) 平 成 22 年 8 月 11 日 上 場 会 社 名 松 井 建 設 株 式 会 社 上 場 取 引 所 東 コ ー ド 番 号 1810 URL http://www.matsui-ken.co.jp/ 代 表 者 ( 役 職 名 ) 取 締 役 社 長 ( 氏 名 ) 松 井 隆 弘 ( 役 職

More information

災害時の賃貸住宅居住者の居住の安定確保について

災害時の賃貸住宅居住者の居住の安定確保について 参 考 資 料 7 災 害 時 の 賃 貸 住 宅 居 住 者 の 居 住 の 安 定 確 保 について 平 成 24 年 11 月 国 土 交 通 省 住 宅 局 1. 東 日 本 大 震 災 で 住 居 を 失 われた 方 への 居 住 の 安 定 の 確 保 震 災 発 生 復 旧 期 復 興 期 東 日 本 大 震 災 住 宅 が 滅 失 避 難 所 等 2012.3.11 17:00 時

More information

3 避 難 状 況 避 難 指 示 避 難 勧 告 都 道 府 県 名 市 区 町 村 名 指 示 日 時 勧 告 日 時 青 森 県 岩 手 県 山 形 県 埼 玉 県 千 葉 県 東 京 都 鰺 ヶ 沢 町 1 1 10 月 16 日 12 時 55 分 10 月 22 日 10 時 00 分

3 避 難 状 況 避 難 指 示 避 難 勧 告 都 道 府 県 名 市 区 町 村 名 指 示 日 時 勧 告 日 時 青 森 県 岩 手 県 山 形 県 埼 玉 県 千 葉 県 東 京 都 鰺 ヶ 沢 町 1 1 10 月 16 日 12 時 55 分 10 月 22 日 10 時 00 分 平 成 25 年 台 風 第 26 号 による 被 害 状 況 等 について( 第 22 報 ) 平 成 25 年 10 月 25 日 ( 金 )9 時 00 分 消 防 庁 災 害 対 策 本 部 下 線 部 は 前 回 からの 変 更 箇 所 1 気 象 の 状 況 ( 気 象 庁 情 報 ) 10 月 11 日 03 時 にマリアナ 諸 島 付 近 で 発 生 した 台 風 第 26 号 は

More information

- 1 - 総 控 負 傷 疾 病 療 養 産 産 女 性 責 帰 べ 由 試 ~ 8 契 約 契 約 完 了 ほ 契 約 超 締 結 専 門 的 知 識 技 術 験 専 門 的 知 識 高 大 臣 専 門 的 知 識 高 専 門 的 知 識 締 結 契 約 満 歳 締 結 契 約 契 約 係 始

- 1 - 総 控 負 傷 疾 病 療 養 産 産 女 性 責 帰 べ 由 試 ~ 8 契 約 契 約 完 了 ほ 契 約 超 締 結 専 門 的 知 識 技 術 験 専 門 的 知 識 高 大 臣 専 門 的 知 識 高 専 門 的 知 識 締 結 契 約 満 歳 締 結 契 約 契 約 係 始 部 案 参 照 文 目 1 1 持 可 能 療 険 制 構 築 国 民 険 部 9 部 11 1 5 特 別 15 6 17 7 運 確 18 8 0 9 独 立 10 - 1 - 総 控 負 傷 疾 病 療 養 産 産 女 性 責 帰 べ 由 試 ~ 8 契 約 契 約 完 了 ほ 契 約 超 締 結 専 門 的 知 識 技 術 験 専 門 的 知 識 高 大 臣 専 門 的 知 識 高 専 門

More information

untitled

untitled 1 人 事 異 動 表 発 令 年 月 日 平 成 17 年 4 月 1 日 部 長 級 区 長 発 令 発 令 権 者 中 野 区 長 田 中 大 輔 発 令 氏 名 旧 備 考 区 長 室 長 寺 部 守 芳 区 民 生 活 部 ごみ 減 量 清 掃 事 業 担 当 参 事 総 務 部 未 収 金 対 策 担 当 参 事 ( 総 務 部 長 石 神 正 義 兼 務 ) 区 民 生 活

More information

〔自 衛 隊〕

〔自 衛 隊〕 基 交 付 金 及 び 調 整 交 付 金 等 総 務 省 所 管 (1) 基 交 付 金 ( 趣 旨 ) 基 交 付 金 は 国 有 提 供 施 設 等 所 在 市 町 村 助 成 交 付 金 に 関 する 法 律 ( 昭 和 32 年 法 律 104 号 ) の 定 めるところにより 国 が 所 有 する 固 定 資 産 のうち 米 軍 等 に 使 用 させている 固 定 資 産 並 びに 自

More information

駐 車 場 管 理 規 程

駐 車 場 管 理 規 程 駐 車 場 管 理 規 程 ( 昭 和 44 年 11 月 17 日 航 公 協 第 112 号 ) 改 正 昭 和 52 年 3 月 25 日 航 公 協 第 25 号 改 正 昭 和 58 年 7 月 21 日 航 公 協 第 400 号 改 正 平 成 3 年 11 月 11 日 航 公 協 第 907 号 改 正 平 成 5 年 3 月 17 日 航 公 協 第 279 号 改 正 平 成

More information

定款

定款 地 方 公 務 員 共 済 組 合 連 合 会 定 款 ( 昭 和 59 年 4 月 1 日 ) 変 更 昭 和 59 年 12 月 1 日 平 成 11 年 4 月 1 日 平 成 21 年 3 月 31 日 昭 和 60 年 3 月 31 日 平 成 12 年 5 月 12 日 平 成 21 年 8 月 7 日 昭 和 61 年 4 月 1 日 平 成 13 年 5 月 8 日 平 成 24 年

More information

Microsoft PowerPoint - 基金制度

Microsoft PowerPoint - 基金制度 基 金 制 度 の 創 設 ( 医 療 法 施 行 規 則 第 30 条 の37 第 30 条 の38) 医 療 法 人 の 非 営 利 性 の 徹 底 に 伴 い 持 分 の 定 めのない 社 団 医 療 法 人 の 活 動 の 原 資 となる 資 金 の 調 達 手 段 として 定 款 の 定 めるところにより 基 金 の 制 度 を 採 用 することができるものとする ( 社 会 医 療 法

More information

Microsoft Word - 全国エリアマネジメントネットワーク規約.docx

Microsoft Word - 全国エリアマネジメントネットワーク規約.docx 全 国 エリアマネジメントネットワーク 規 約 第 1 章 総 則 ( 名 称 ) 第 1 条 この 会 は 全 国 エリアマネジメントネットワーク( 以 下 本 会 という )と 称 する ( 目 的 ) 第 2 条 本 会 は 全 国 のエリアマネジメント 組 織 による 連 携 協 議 の 場 を 提 供 し エリアマネジメン トに 係 る 政 策 提 案 情 報 共 有 及 び 普 及 啓

More information

<5461726F31322D819B328250944E93788B8B975E814592E888F58AC7979D>

<5461726F31322D819B328250944E93788B8B975E814592E888F58AC7979D> 能 代 市 の 給 与 定 員 管 理 等 について 1 総 括 (1) 人 件 費 の 状 況 ( 普 通 会 計 決 算 ) 住 民 基 本 ( 参 考 ) 区 分 台 帳 人 口 歳 出 額 実 質 収 支 人 件 費 人 件 費 率 前 年 度 の ( 年 度 末 ) A B B/A 人 件 費 率 20 年 度 人 千 円 千 円 千 円 % % 61,416 23,586,992 339,618

More information

該 介 護 休 業 が 終 了 する 日 までに, 当 該 介 護 休 業 に 係 る 対 象 家 族 が 死 亡 したとき 又 は 離 婚, 婚 姻 の 取 消, 離 縁 等 により 当 該 介 護 休 業 に 係 る 対 象 家 族 との 親 族 関 係 が 消 滅 した とき (3) 配 偶

該 介 護 休 業 が 終 了 する 日 までに, 当 該 介 護 休 業 に 係 る 対 象 家 族 が 死 亡 したとき 又 は 離 婚, 婚 姻 の 取 消, 離 縁 等 により 当 該 介 護 休 業 に 係 る 対 象 家 族 との 親 族 関 係 が 消 滅 した とき (3) 配 偶 国 立 大 学 法 人 富 山 大 学 職 員 の 育 児 休 業 等 に 関 する 規 則 平 成 17 年 10 月 1 日 制 定 平 成 21 年 4 月 1 日 改 正 平 成 22 年 6 月 30 日 改 正 平 成 24 年 4 月 1 日 改 正 ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 規 則 は, 国 立 大 学 法 人 富 山 大 学 職 員 就 業 規 則 ( 以 下 職 員 就

More information

2 前 項 前 段 の 規 定 にかかわらず 年 俸 制 教 職 員 から 申 し 出 があった 場 合 においては 労 使 協 定 に 基 づき その 者 に 対 する 給 与 の 全 額 又 は 一 部 を 年 俸 制 教 職 員 が 希 望 する 金 融 機 関 等 の 本 人 名 義 の 口

2 前 項 前 段 の 規 定 にかかわらず 年 俸 制 教 職 員 から 申 し 出 があった 場 合 においては 労 使 協 定 に 基 づき その 者 に 対 する 給 与 の 全 額 又 は 一 部 を 年 俸 制 教 職 員 が 希 望 する 金 融 機 関 等 の 本 人 名 義 の 口 国 立 大 学 法 人 横 浜 国 立 大 学 年 俸 制 教 職 員 給 与 規 則 ( 平 成 19 年 3 月 27 日 規 則 第 56 号 ) 改 正 平 成 19 年 11 月 29 日 規 則 第 130 号 平 成 20 年 2 月 28 日 規 則 第 14 号 平 成 20 年 3 月 27 日 規 則 第 56 号 平 成 21 年 5 月 29 日 規 則 第 67 号 平

More information

(2)大学・学部・研究科等の理念・目的が、大学構成員(教職員および学生)に周知され、社会に公表されているか

(2)大学・学部・研究科等の理念・目的が、大学構成員(教職員および学生)に周知され、社会に公表されているか 平 成 23 年 度 自 己 報 告 書 1 理 念 目 的 (1) 大 学 学 部 研 究 科 等 の 理 念 目 的 は 適 切 に 設 定 されているか 平 成 19 年 6 月 に の 目 標 として 大 学 の 発 展 に 貢 献 する 力 のある 組 織 とい う 共 通 の 目 標 を 掲 げ この 目 標 を 常 に 念 頭 に 置 きながら 日 々の 業 務 に 当 たっている さらに

More information

弁護士報酬規定(抜粋)

弁護士報酬規定(抜粋) はなみずき 法 律 事 務 所 弁 護 士 報 酬 規 定 ( 抜 粋 ) 2008 年 10 月 改 訂 2014 年 4 月 * 以 下 の 弁 護 士 報 酬 は いずれも 税 込 です ただし D E L の2の 表 に 基 づき 算 出 さ れた 金 額 については 消 費 税 を 上 乗 せした 額 を 弁 護 士 報 酬 とします 目 次 A 法 律 相 談 料 B 顧 問 料 C 手

More information

【労働保険事務組合事務処理規約】

【労働保険事務組合事務処理規約】 労 働 保 険 事 務 組 合 事 務 処 理 規 約 第 1 章 総 則 ( 目 的 ) 第 1 条 この 規 約 は 熊 本 商 工 会 議 所 ( 以 下 本 所 という )の 定 款 第 7 条 第 18 項 の 規 定 により 本 所 が 労 働 保 険 の 保 険 料 の 徴 収 等 に 関 する 法 律 ( 以 下 法 という ) 第 4 章 及 び 石 綿 による 健 康 被 害 の

More information

認 し 通 常 の 立 入 検 査 に 際 しても 許 可 内 容 が 遵 守 されていることを 確 認 するこ と 2 学 校 薬 剤 師 業 務 の 兼 任 学 校 薬 剤 師 の 業 務 を 兼 任 する 場 合 の 取 扱 いは 次 のとおりとする (1) 許 可 要 件 1 薬 局 等 の

認 し 通 常 の 立 入 検 査 に 際 しても 許 可 内 容 が 遵 守 されていることを 確 認 するこ と 2 学 校 薬 剤 師 業 務 の 兼 任 学 校 薬 剤 師 の 業 務 を 兼 任 する 場 合 の 取 扱 いは 次 のとおりとする (1) 許 可 要 件 1 薬 局 等 の 別 紙 薬 局 等 における 管 理 薬 剤 師 の 兼 任 の 取 扱 いについて 1 共 通 事 項 管 理 薬 剤 師 兼 任 許 可 申 請 は 平 成 10 年 4 月 27 日 付 け 保 衛 第 283 号 保 健 福 祉 部 長 通 知 薬 局 及 び 医 薬 品 販 売 業 の 構 造 設 備 規 則 及 び 許 可 等 の 取 扱 いについて による 学 校 薬 剤 師 の 兼

More information

社会保険加入促進計画に盛込むべき内容

社会保険加入促進計画に盛込むべき内容 一 般 社 団 法 人 日 本 造 園 建 設 業 協 会 社 会 保 険 等 加 入 促 進 計 画 平 成 24 年 10 月 一 般 社 団 法 人 日 本 造 園 建 設 業 協 会 1 計 画 策 定 の 趣 旨 目 的 この 計 画 は 一 般 社 団 法 人 日 本 造 園 建 設 業 協 会 ( 以 下 日 造 協 という ) 及 び 日 造 協 の 正 会 員 ( 以 下 会 員

More information

は 共 有 名 義 )で 所 有 権 保 存 登 記 又 は 所 有 権 移 転 登 記 を された も の で あ る こと (3) 居 室 便 所 台 所 及 び 風 呂 を 備 え 居 住 の ために 使 用 す る 部 分 の 延 べ 床 面 積 が 5 0 平 方 メ ー ト ル 以 上

は 共 有 名 義 )で 所 有 権 保 存 登 記 又 は 所 有 権 移 転 登 記 を された も の で あ る こと (3) 居 室 便 所 台 所 及 び 風 呂 を 備 え 居 住 の ために 使 用 す る 部 分 の 延 べ 床 面 積 が 5 0 平 方 メ ー ト ル 以 上 蕨 市 三 世 代 ふれあい 家 族 住 宅 取 得 補 助 金 交 付 要 綱 ( 目 的 ) 第 1 条 この 要 綱 は 子 育 て 中 の 子 世 帯 及 びその 親 世 帯 の 同 居 又 は 近 居 ( 以 下 同 居 等 と い う ) を 促 進 す る た め 住 宅 の 取 得 に 係 る 費 用 の 一 部 を 補 助 す る こ と に よ り 三 世 代 の 市 内 定 住

More information

職 員 退 職 手 当 支 給 規 程 平 成 15 年 10 月 1 日 規 程 第 号 改 正 平 成 17 年 1 月 31 日 規 程 第 17-1 号 改 正 平 成 20 年 12 月 22 日 規 程 第 号 改 正 平 成 22 年 3 月 18 日 規 程

職 員 退 職 手 当 支 給 規 程 平 成 15 年 10 月 1 日 規 程 第 号 改 正 平 成 17 年 1 月 31 日 規 程 第 17-1 号 改 正 平 成 20 年 12 月 22 日 規 程 第 号 改 正 平 成 22 年 3 月 18 日 規 程 職 員 退 職 手 当 支 給 規 程 国 立 研 究 開 発 法 人 宇 宙 航 空 研 究 開 発 機 構 職 員 退 職 手 当 支 給 規 程 平 成 15 年 10 月 1 日 規 程 第 15-29 号 改 正 平 成 17 年 1 月 31 日 規 程 第 17-1 号 改 正 平 成 20 年 12 月 22 日 規 程 第 20-92 号 改 正 平 成 22 年 3 月 18 日

More information

<4D6963726F736F667420576F7264202D20313431323235817988C482C682EA817A89BA90BF8E7793B1834B8343836883898343839381698A4F8D91906C8DDE8A889770816A>

<4D6963726F736F667420576F7264202D20313431323235817988C482C682EA817A89BA90BF8E7793B1834B8343836883898343839381698A4F8D91906C8DDE8A889770816A> 外 国 人 建 設 就 労 者 受 入 事 業 に 関 する 下 請 指 導 ガイドライン 第 1 趣 旨 復 興 事 業 の 更 なる 加 速 を 図 りつつ 2020 年 オリンピック パラリンピック 東 京 大 会 の 関 連 施 設 整 備 等 による 一 時 的 な 建 設 需 要 の 増 大 に 対 応 するため 2020 年 度 までの 緊 急 かつ 時 限 的 な 措 置 として 国

More information

Microsoft Word - 101 第1章 定款.doc

Microsoft Word - 101 第1章 定款.doc 第 1 章 定 款 規 約 山 梨 県 土 地 改 良 事 業 団 体 連 合 会 定 款 昭 和 33 年 8 月 1 日 制 定 昭 和 33 年 10 月 9 日 認 可 第 1 章 総 則 ( 目 的 ) 第 1 条 この 会 は 土 地 改 良 事 業 を 行 う 者 ( 国 県 及 び 土 地 改 良 法 第 95 条 第 1 項 の 規 定 により 土 地 改 良 事 業 を 行 う

More information

J A K カ イ ロ プ ラ ク テ ィ ッ ク 協 同 組 合 規 約 ( 目 的 ) 第 1 条 組 合 員 の 権 利 義 務 等 は 定 款 に よ っ て 定 め ら れ て い る が 定 款 の 第 6 条 の 規 定 に よ り 定 款 に 記 載 さ れ な い 必 要 事 項

J A K カ イ ロ プ ラ ク テ ィ ッ ク 協 同 組 合 規 約 ( 目 的 ) 第 1 条 組 合 員 の 権 利 義 務 等 は 定 款 に よ っ て 定 め ら れ て い る が 定 款 の 第 6 条 の 規 定 に よ り 定 款 に 記 載 さ れ な い 必 要 事 項 J A K カ イ ロ プ ラ ク テ ィ ッ ク 協 同 組 合 規 約 J A K カ イ ロ プ ラ ク テ ィ ッ ク 協 同 組 合 H23/4/25 に 第 9 回 通 常 総 会 理 事 会 で 採 択 済 H23/12 月 現 在 J A K カ イ ロ プ ラ ク テ ィ ッ ク 協 同 組 合 規 約 ( 目 的 ) 第 1 条 組 合 員 の 権 利 義 務 等 は 定 款 に

More information

<485020208145944E8BE08F6D2082C682B5905690DD2E786C7378>

<485020208145944E8BE08F6D2082C682B5905690DD2E786C7378> < 年 金 塾 > ( 年 金 判 例. 1/ ) 公 的 年 金 の 逸 失 利 益 性 (その-1) H.. 課 題 < 逸 失 利 益 > 1. 街 頭 相 談 会 ( 当 塾 の 主 催 や ) で 次 のような 質 問 があったとしたら 貴 方 は どう 答 えますか? < 想 定 質 問 > 年 金 受 給 中 のお 爺 さんが 横 断 歩 道 を 通 行 中 に 信 号 無 視 の 車

More information

16 日本学生支援機構

16 日本学生支援機構 様 式 1 公 表 されるべき 事 項 独 立 行 政 法 人 日 本 学 生 支 援 機 構 ( 法 人 番 号 7020005004962)の 役 職 員 の 報 酬 給 与 等 について Ⅰ 役 員 報 酬 等 について 1 役 員 報 酬 についての 基 本 方 針 に 関 する 事 項 1 役 員 報 酬 の 支 給 水 準 の 設 定 についての 考 え 方 日 本 学 生 支 援 機

More information

所 得 の 種 類 と 所 得 金 額 の 計 算 方 法 所 得 の 種 類 要 件 計 算 方 法 事 業 雑 営 業 等 農 業 小 売 業 製 造 業 飲 食 業 理 容 業 保 険 外 交 員 大 工 集 金 人 ピアノ 講 師 など 農 産 物 の 生 産 果 樹 の 栽 培 家 畜 の

所 得 の 種 類 と 所 得 金 額 の 計 算 方 法 所 得 の 種 類 要 件 計 算 方 法 事 業 雑 営 業 等 農 業 小 売 業 製 造 業 飲 食 業 理 容 業 保 険 外 交 員 大 工 集 金 人 ピアノ 講 師 など 農 産 物 の 生 産 果 樹 の 栽 培 家 畜 の 平 成 27 年 度 市 民 税 道 民 税 ( 国 民 健 康 保 険 税 ) 申 告 の 手 引 き この 手 引 きは 平 成 27 年 度 市 民 税 道 民 税 ( 国 民 健 康 保 険 税 ) 申 告 書 の 記 載 にあたって 一 般 的 な 事 項 について 説 明 しています 申 告 や 各 種 計 算 方 法 などについてお 分 かりにならない 点 がありましたら 北 広 島

More information

別紙3

別紙3 別 紙 3 1 総 括 平 成 26 年 度 栃 木 市 の 給 与 定 員 管 理 等 に つ い て (1) 件 費 の 状 況 ( 普 通 会 計 決 算 ) 区 分 住 民 基 本 台 帳 口 歳 出 額 実 質 収 支 件 費 件 費 率 ( 参 考 ) (26 年 1 月 1 日 ) A B B / A 24 年 度 の 件 費 率 % % 25 年 度 146,544 56,331,297

More information

岡山県警察用航空機の運用等に関する訓令

岡山県警察用航空機の運用等に関する訓令 岡 山 県 警 察 用 航 空 機 の 運 用 等 に 関 する 訓 令 ( 平 成 6 年 3 月 22 日 警 察 訓 令 第 9 号 ) 改 正 平 成 6 年 12 月 22 日 警 察 訓 令 第 26 号 平 成 12 年 3 月 14 日 警 察 訓 令 第 8 号 平 成 13 年 7 月 2 日 警 察 訓 令 第 19 号 平 成 21 年 3 月 19 日 警 察 訓 令 第

More information

192 1925 193 1935 194 1945 195 1955 196 1965 197 1975 198 1985 199 1995 2 25 21 215 22 225 23 235 24 245 25 255 26 Ⅰ 人 口 の 現 状 分 析 Ⅰ 人 口 の 現 状 分 析 1 人

192 1925 193 1935 194 1945 195 1955 196 1965 197 1975 198 1985 199 1995 2 25 21 215 22 225 23 235 24 245 25 255 26 Ⅰ 人 口 の 現 状 分 析 Ⅰ 人 口 の 現 状 分 析 1 人 北 海 道 人 口 ビジョン 骨 子 全 体 構 成 Ⅰ 人 口 の 現 状 分 析 1 人 口 動 向 分 析 (1) 時 系 列 による 人 口 動 向 分 析 1 年 齢 3 区 分 別 人 口 の 推 移 と 将 来 推 計 2 自 然 増 減 ( 出 生 死 亡 )の 推 移 (ⅰ) 出 生 数 死 亡 数 の 推 移 (ⅱ) 出 生 数 合 計 特 殊 出 生 率 の 推 移 3 社 会

More information

公 的 年 金 制 度 について 制 度 の 持 続 可 能 性 を 高 め 将 来 の 世 代 の 給 付 水 準 の 確 保 等 を 図 るため 持 続 可 能 な 社 会 保 障 制 度 の 確 立 を 図 るための 改 革 の 推 進 に 関 する 法 律 に 基 づく 社 会 経 済 情

公 的 年 金 制 度 について 制 度 の 持 続 可 能 性 を 高 め 将 来 の 世 代 の 給 付 水 準 の 確 保 等 を 図 るため 持 続 可 能 な 社 会 保 障 制 度 の 確 立 を 図 るための 改 革 の 推 進 に 関 する 法 律 に 基 づく 社 会 経 済 情 資 料 2-1 公 的 年 金 制 度 の 持 続 可 能 性 の 向 上 を 図 るための 国 民 年 金 法 等 の 一 部 を 改 正 する 法 律 案 の 概 要 厚 生 労 働 省 年 金 局 平 成 28 年 4 月 21 日 公 的 年 金 制 度 について 制 度 の 持 続 可 能 性 を 高 め 将 来 の 世 代 の 給 付 水 準 の 確 保 等 を 図 るため 持 続 可

More information

目 次 市 民 税 の 減 免 に つ い て 1 減 免 の 一 般 的 な 留 意 事 項 2 減 免 の 範 囲 お よ び 減 免 割 合 3 1 生 活 保 護 法 の 規 定 に よ る 保 護 を 受 け る 者 3 2 当 該 年 に お い て 所 得 が 皆 無 と な っ た

目 次 市 民 税 の 減 免 に つ い て 1 減 免 の 一 般 的 な 留 意 事 項 2 減 免 の 範 囲 お よ び 減 免 割 合 3 1 生 活 保 護 法 の 規 定 に よ る 保 護 を 受 け る 者 3 2 当 該 年 に お い て 所 得 が 皆 無 と な っ た 市 民 税 減 免 取 扱 要 綱 函 館 市 財 務 部 目 次 市 民 税 の 減 免 に つ い て 1 減 免 の 一 般 的 な 留 意 事 項 2 減 免 の 範 囲 お よ び 減 免 割 合 3 1 生 活 保 護 法 の 規 定 に よ る 保 護 を 受 け る 者 3 2 当 該 年 に お い て 所 得 が 皆 無 と な っ た た め, 生 活 が 著 し く 困 難

More information

<4D6963726F736F667420576F7264202D208E52979C8CA78E598BC68F5790CF91A390698F9590AC8BE08CF0957497768D6A2E646F6378>

<4D6963726F736F667420576F7264202D208E52979C8CA78E598BC68F5790CF91A390698F9590AC8BE08CF0957497768D6A2E646F6378> 山 梨 県 産 業 集 積 促 進 助 成 金 交 付 要 綱 ( 通 則 ) 第 1 条 山 梨 県 産 業 集 積 促 進 助 成 金 ( 以 下 助 成 金 という )の 交 付 については 山 梨 県 補 助 金 等 交 付 規 則 ( 昭 和 36 年 山 梨 県 規 則 第 25 号 以 下 規 則 という )に 定 め るところによるほか この 要 綱 に 定 めるところによる ( 目

More information

目  次

目  次 年 金 手 当 について 障 害 基 礎 年 金 公 的 年 金 制 度 に 加 入 している 期 間 中 に 被 った 傷 病 により 障 害 者 になった 場 合 に 年 金 や 一 時 金 が 支 給 されます( 申 請 は 原 則 65 歳 までとなりま) 制 度 の 種 類 支 給 要 件 年 金 額 中 央 窓 口 センター 国 民 年 金 係 823-9439 国 民 年 金 障 害

More information

Taro-条文.jtd

Taro-条文.jtd - 1 - 部 正 昭 和 部 正 目 ん 養 涵 養 ロ ん ロ 護 在 面 積 並 削 共 化 委 託 共 化 病 害 虫 駆 除 予 防 他 護 削 3 域 各 掲 げ ほ 全 努 - 2 - む ね 道 開 設 良 安 設 削 他 護 削 委 託 促 進 削 病 害 虫 駆 除 予 防 火 災 予 防 他 護 削 - 3 - 応 じ 6 案 作 学 識 験 意 聴 3 各 掲 げ ほ 掲 げ

More information

Microsoft Word - 概況(確定版).doc

Microsoft Word - 概況(確定版).doc 平 成 25 年 2 月 28 日 照 会 先 大 臣 官 房 統 計 情 報 部 人 口 動 態 保 健 社 会 統 計 課 課 長 小 野 暁 史 課 長 補 佐 關 雅 夫 ( 内 線 7471) 計 析 第 一 係 ( 内 線 7470) ( 代 表 電 話 ) 03(5253)1111 ( 直 通 電 話 ) 03(3595)2812 ( F A X ) 03(3595)1670 平 成

More information

大阪府理容環境衛生同業組合支部規程要項

大阪府理容環境衛生同業組合支部規程要項 大 阪 府 理 容 生 活 衛 生 同 業 組 合 吹 田 支 部 規 程 要 項 21 ( 目 的 ) 箏 1 条 吹 田 支 部 は 大 阪 府 理 容 生 活 衛 生 同 業 組 合 の 定 款 で 定 める 目 的 を 達 するために 必 要 な 連 絡 と 事 業 指 導 を 行 うことを 目 的 とする ( 事 業 ) 第 2 条 大 阪 府 理 容 生 活 衛 生 同 業 組 合 吹

More information

類 ( 番 号 を 記 載 ) 施 設 名 事 所 名 所 在 事 開 始 年 月 日 事 規 模 ( 定 員 ) 公 益 事 必 要 な 者 に 対 し 相 談 情 報 提 供 助 言 行 政 や 福 祉 保 健 医 療 サービス 事 者 等 との 連 絡 調 整 を 行 う 等 の 事 必 要

類 ( 番 号 を 記 載 ) 施 設 名 事 所 名 所 在 事 開 始 年 月 日 事 規 模 ( 定 員 ) 公 益 事 必 要 な 者 に 対 し 相 談 情 報 提 供 助 言 行 政 や 福 祉 保 健 医 療 サービス 事 者 等 との 連 絡 調 整 を 行 う 等 の 事 必 要 Ⅰ 基 本 情 報 所 轄 庁 法 人 名 ホーム ページアド レス 代 表 者 祉 法 人 氏 名 人 見 君 子 年 齢 公 表 / 非 公 表 主 たる 事 務 所 の 所 在 メールアド レス 9 祉 法 人 現 況 報 告 書 平 成 6 年 4 月 日 現 在 606-8336 京 都 市 左 京 区 岡 崎 北 御 所 町 番 の 電 話 番 号 075-77 - 388 FAX 番

More information

公表表紙

公表表紙 国 立 大 学 法 人 山 梨 大 学 の 役 の 報 酬 給 与 等 について 国 立 大 学 法 人 等 の 役 員 の 報 酬 等 及 び の 給 与 の 水 準 の 公 表 方 法 等 について(ガイドライン) ( 平 成 17 年 2 月 7 日, 総 務 大 臣 策 定 )に 基 づく 公 表 平 成 26 年 9 月 国 立 大 学 法 人 山 梨 大 学 国 立 大 学 法 人 山

More information

兵庫県公立学校教職員等財産形成貯蓄事務取扱細則

兵庫県公立学校教職員等財産形成貯蓄事務取扱細則 兵 庫 県 公 立 学 校 教 職 員 等 財 産 形 成 貯 蓄 事 務 取 扱 細 則 第 1 総 則 1 趣 旨 この 細 則 は 兵 庫 県 公 立 学 校 教 職 員 等 財 産 形 成 貯 蓄 事 務 取 扱 要 領 ( 以 下 要 領 という ) 第 26 条 の 規 定 に 基 づ き 必 要 な 事 項 を 定 めるものとする 2 財 産 形 成 貯 蓄 残 高 明 細 表 福 利

More information

入 札 参 加 者 は 入 札 の 執 行 完 了 に 至 るまではいつでも 入 札 を 辞 退 することができ これを 理 由 として 以 降 の 指 名 等 において 不 利 益 な 取 扱 いを 受 けることはない 12 入 札 保 証 金 免 除 13 契 約 保 証 金 免 除 14 入

入 札 参 加 者 は 入 札 の 執 行 完 了 に 至 るまではいつでも 入 札 を 辞 退 することができ これを 理 由 として 以 降 の 指 名 等 において 不 利 益 な 取 扱 いを 受 けることはない 12 入 札 保 証 金 免 除 13 契 約 保 証 金 免 除 14 入 入 札 公 告 次 のとおり 一 般 競 争 入 札 に 付 します なお 本 業 務 の 契 約 締 結 は 当 該 業 務 に 係 る 平 成 27 年 度 予 算 の 執 行 が 可 能 となってい ることを 条 件 とします 平 成 27 年 2 月 17 日 独 立 行 政 法 人 鉄 道 建 設 運 輸 施 設 整 備 支 援 機 構 契 約 担 当 役 鉄 道 建 設 本 部 九 州

More information

っては 出 産 予 定 日 から 出 生 した 日 から 起 算 して8 週 間 を 経 過 する 日 の 翌 日 までとする ) の 期 間 内 に 当 該 子 に 係 る 最 初 の 育 児 休 業 を 開 始 し かつ 終 了 した 場 合 であって 当 該 子 に 係 る 再 度 の 育 児

っては 出 産 予 定 日 から 出 生 した 日 から 起 算 して8 週 間 を 経 過 する 日 の 翌 日 までとする ) の 期 間 内 に 当 該 子 に 係 る 最 初 の 育 児 休 業 を 開 始 し かつ 終 了 した 場 合 であって 当 該 子 に 係 る 再 度 の 育 児 公 立 大 学 法 人 大 阪 市 立 大 学 教 職 員 の 育 児 介 護 休 業 等 に 関 する 規 程 制 定 平 成 18. 4. 1 規 程 126 最 近 改 正 平 成 27. 7. 1 規 程 第 1 章 総 則 ( 趣 旨 ) 第 1 条 この 規 程 は 公 立 大 学 法 人 大 阪 市 立 大 学 ( 以 下 法 人 という )の 教 職 員 の 育 児 休 業 育 児

More information

<4D6963726F736F667420576F7264202D2095BD90AC3231944E9378814094ED957D977B8ED28E918A6982C982C282A282C42E646F63>

<4D6963726F736F667420576F7264202D2095BD90AC3231944E9378814094ED957D977B8ED28E918A6982C982C282A282C42E646F63> 健 康 保 険 被 扶 養 者 資 格 について 平 成 21 年 4 月 測 量 地 質 健 康 保 険 組 合 健 康 保 険 の 被 扶 養 者 資 格 について 健 康 保 険 では 被 保 険 者 だけでなく 被 扶 養 者 についても 病 気 やけが 出 産 または 死 亡 に 対 して 保 険 給 付 が 行 われ ます 被 扶 養 者 となるためには 一 定 の 条 件 ( 下 記

More information