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創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

創世記5 創世記2章4節b~25

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

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聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

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大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

夢を超えたもの_Culture A.indd

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

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牧会の祈り

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

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を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

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(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

ヘブル人への手紙1章

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

牧会の祈り

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

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牧会の祈り

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

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イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

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で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/4/12

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05

2 を重んじてきた人たちがいたからでした そういう人たちに対して 自分は宗教に熱心であると思っても つまり 形 を整えることに一生懸命であっても と語りかけているのです 今の私たちに当てはめるならば 洗礼を受けたといっても とか どんなに礼拝を守っているとしても とか あるいは 奉仕を一生懸命やって

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2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

さい あなたはこのために召され また 多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました Ⅱ テモテ 4:7 私は勇敢に戦い 走るべき道のりを走り終え 信仰を守り通しました これらの箇所では 戦い となっています b. 苦闘 コロサイ 2:1 あなたがたとラオデキヤの人たちと そのほか直接私の顔を見たことの

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

2008 年 7 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 6 創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

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人には 非日常性が必要です いつもの生活ではなく これは見たことがない 聞いたことがないという意外性 あるいは奇跡と言ってよいでしょう いつも自分のできること していること中で生きているならば 虚しさが残り 死に至ります しかし これまで経験しなかったこと 知り得ないことを知れば そこに命があり 希

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

大阪インターナショナルチャーチ ダン・ペリー師 2015/8/9

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大阪インターナショナルチャーチジョセフ トッティス牧師 2012 年 10 月 28 日キリストによってのみ! これしなさい これはしてはいけない と言われるのが好きな人はどれくらいいるでしょうか? 私はクリスチャンになる前は そういわれるのは大嫌いでした だからクリスチャンになるのをためらっていたくらいです 自分がしたいことではなく しなければならないことというのは嫌なものです 何をいつするかは 自分で決めたかったのです ですから 聖書の教えの通りに動くことを最後までためらっていました ですが 聖書で神様がおしえておられる教えを拒めば拒むほど 自分の罪の奴隷になることを知ってしまったのです ローマ 6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば その服従する相手の奴隷であって あるいは罪の奴隷となって死に至り あるいは従順の奴隷となって義に至るのです 20 節を見てましょう ローマ 6:20 罪の奴隷であった時は あなたがたは義については 自由にふるまっていました わかりますよね? 聖書で神様がおしえておられる教えを拒めば拒むほど 自分の罪の奴隷になってしまうんです 振り返ってみると 自由や幸せ 満足をもたらしてくれるはずだったものが 実は空虚さをもたらし それをもっと欲していることに気づくのではないでしょうか 21 節以降を見てましょう ローマ 6:21 その当時 今ではあなたがたが恥じているそのようなものから 何か良い実を得たでしょうか それらのものの行き着く所は死です ローマ 6:22 しかし今は 罪から解放されて神の奴隷となり 聖潔に至る実を得たのです その行き着く所は永遠のいのちです ローマ 6:23 罪から来る報酬は死です しかし 神の下さる賜物は 私たちの主キリスト イエスにある永遠のいのちです 永遠のいのちという賜物 : 究極の自由と平和と満足 それはどこにありますか? 私たちの神イエス キリストにあります これこそ コロサイでパウロが言っていることです 私たちの救い 罪と死からの解放はキリストにおいてのみ 見出されるものです コロサイ 2:6 あなたがたは このように主キリスト イエスを受け入れたのですから 彼にあって歩みなさい コロサイ 2:7 キリストの中に根ざし また建てられ また 教えられたとおり信仰を堅くし あふれるばかり感謝しなさい コロサイ 2:8 あのむなしい だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう 注意しなさい それは人の言い伝えによるもの この世の幼稚な教えによるものであって キリストによるものではありません だれにも欺かれることのないようにしてください コロサイ 2:3 には キリストのうちに 知恵と知識との宝がすべて隠されているのです とあります 科学者や医者たちが発見したと言われるものは 大昔に神様が創造なさったものにすぎません 1

もし車を直したいなら 修理屋さんに行ってください オイル交換の方法は聖書には書いてありませんから 骨折したのなら 医者に行ってください 骨折の治し方は聖書には出ていませんから でも ストレスや心配事 疑いや孤独 苦々しい思いといった魂の悲しみはどうしたらいいでしょう セラピストやテレビや親友が癒してくれるよという人もいるかもしれません でも 知っておいてください 聖書は傷ついた心や失われた魂に とても効くんです ダビデ王はこう言います 詩篇 23:3 主は私のたましいを生き返らせ 御名のために 私を義の道に導かれます またイエス様はこう言います マタイ 11:28 すべて 疲れた人 重荷を負っている人は わたしのところに来なさい わたしがあなたがたを休ませてあげます マタイ 11:29 わたしは心優しく へりくだっているから あなたがたもわたしのくびきを負って わたしから学びなさい そうすればたましいに安らぎが来ます コロサイ 2:8 あのむなしい だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう 注意しなさい それは人の言い伝えによるもの この世の幼稚な教えによるものであって キリストによるものではありません ローマ 12:2 この世と調子を合わせてはいけません いや むしろ 神のみこころは何か すなわち 何が良いことで 神に受け入れられ 完全であるのかをわきまえ知るために 心の一新によって自分を変えなさい 人間関係などに悩んで 人が私にカウンセリングや助言を求める時 私は注意深く聖書の言葉を分かち合うようにしています ヘブル 4:12 神のことばは生きていて 力があり 両刃の剣よりも鋭く たましいと霊 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し 心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます 2 コリント 10:4 私たちの戦いの武器は 肉の物ではなく 神の御前で 要塞をも破るほどに力のあるものです 2 コリント 10:5 私たちは さまざまの思弁と 神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ 言いかえれば 人からの助言や伝統 社会的プレッシャー 文化が期待することと神の知識を比べてみてください それは神の言葉に沿っていますか? それとも対照を成していますか? もしそれが対照を成しているのなら 聖書は明確にこう言います それを打ち砕け! と つまり 神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させるのです 神の言葉を聞き 正確に理解しながら 正反対のことをしてしまう人を見る時 私は驚いてしまいます 神の言葉を聞き 気に入らなくて 他の人からのアドバイスに従う人もいます ここに大きな問題があります 人は自分のしたいようにしたいということです これは神様に出会う前の私の人生のようです ノンクリスチャンが 神様の言葉を拒絶するのも理解できます でもクリスチャンと自称する人が神の言葉に従わないのは理解できません 2

でもこうなることも聖書では予測されています 2 テモテ 4:3 というのは 人々が健全な教えに耳を貸そうとせず 自分につごうの良いことを言ってもらうために 気ままな願いをもって 次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め 2 テモテ 4:4 真理から耳をそむけ 空想話にそれて行くような時代になるからです コロサイでパウロはこう語ります コロサイ 2:8 あのむなしい だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう 注意しなさい それは人の言い伝えによるもの この世の幼稚な教えによるものであって キリストによるものではありません コロサイ 2:9 キリストのうちにこそ 神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています 神の満ち満ちたご性質がキリストのうちに形をとって宿っているのですから キリストが 半分神様 でも 神様ジュニア でないこともわかるでしょう これはイエス キリストの神性を堂々と宣言している箇所なんです イエスは 100 パーセント神なのです 1 テモテ 3:16 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です キリストは肉において現れ 霊において義と宣言され 御使いたちに見られ 諸国民の間に宣べ伝えられ 世界中で信じられ 栄光のうちに上げられた キリストは肉において現れました これは 託身 ともよばれるもので 神様が人間の形をとって この世に来られたのです それは クリスマスとして知られています コロサイ 2:10 そしてあなたがたは キリストにあって 満ち満ちているのです キリストはすべての支配と権威のかしらです 新約において 支配と権威 というのは天使について語るときに用いられます それゆえパウロはここで キリストは天使のかしらであり 権威をもっておられると宣言しているのです モルモン教ではイエスは悪魔の兄弟だと説きます また エホバの証人は イエスは大天使ミカエルだと説きます でも違います イエスは神なんです コロサイ 1 章を見てましょう コロサイ 1:16a なぜなら 万物は御子にあって造られたからです 天にあるもの 地にあるもの 見えるもの また見えないもの 王座も主権も支配も権威も すべて御子によって造られたのです 支配も権威も とまた出てきましたね 先程述べたとおり これはサタンも含む天使の勢力をあらわします コロサイ 1:16b 万物は 御子によって造られ 御子のために造られたのです コロサイ 2:11 キリストにあって あなたがたは人の手によらない割礼を受けました 肉のからだを脱ぎ捨て キリストの割礼を受けたのです コロサイのクリスチャンの大半は肉体的には割礼を受けていません 当時 ジュダイザー と呼ばれた ユダヤの慣習に従って生きるクリスチャンは 異邦人も神の目に正しくなるためには割礼を受けないといけないという立場をとっていました ここでパウロは 霊的な割礼は身体的に割礼を受けるのよりもずっと重要であることを断言しています ユダヤ人男性は皆肉体的な割礼を受ける必要がありますが キリストによる割礼はそういうものではありません 旧約聖書でさえ 割礼には 2 種類あると認めています つまり一つは肉体的なもの もう 1 つは心の割礼 3

ということです 申命記 10:16 あなたがたは 心の包皮を切り捨てなさい もううなじのこわい者であってはならない 申命記 30:6 あなたの神 主 は あなたの心と あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて あなたが心を尽くし 精神を尽くし あなたの神 主 を愛し それであなたが生きるようにされる 単なる肉体を切り捨てるのではなく クリスチャンの割礼とは霊的に心から罪をはぎ取ることを意味します ガラテヤ 5:6 キリスト イエスにあっては 割礼を受ける受けないは大事なことではなく 愛によって働く信仰だけが大事なのです 神とともに立ち 愛によって働く信仰だけが大事なのです これが 私たちが神とともに歩む本当の力となり平安となるカギとなります 神との関係が密になると神のすばらしい愛をすべての人 特に信仰を持っている人と分かち合いたくなります キリストの愛が心から湧き上がると 心から純粋な動機をもって他の人のもとへと行きたくなります それはほかの人に良く思われたいとか天国で点数を稼ぐとか そういうものとは全く違います 神を愛するがゆえに 神の子どもを同様に愛するのです 愛によって互いに仕えあうのです 愛ゆえに互いに与えあいます 愛から 互いに奉仕しあうのです 私たちはもはや点数稼ぎのために燃え尽きたり 人に優しくしたのに優しくしてくれないからといって恨む必要はないのです 神の愛ゆえにお返しに優しさ 報酬や喝采を期待することなく 他の人に仕えることができるのです ですから クリスチャン生活の大切な点は 単に儀式を守ることではなく 愛を通してキリストへの信仰を追求することだということがわかるはずです コロサイ 2:12 あなたがたは バプテスマによってキリストとともに葬られ また キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって キリストとともによみがえらされたのです 誰がキリストを死者からよみがえらせましたか? 神様ですよね ヨハネ 2:19 イエスは彼らに答えて言われた この神殿をこわしてみなさい わたしは 三日でそれを建てよう ヨハネ 2:20 そこで ユダヤ人たちは言った この神殿は建てるのに四十六年かかりました あなたはそれを 三日で建てるのですか ヨハネ 2:21 しかし イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである ではここでは イエス様は誰が彼を死からよみがえらせると語られていますか? イエス様自身ですよね ローマ 8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が あなたがたのうちに住んでおられるなら キリスト イエスを死者の中からよみがえらせた方は あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです ここでは 私たちクリスチャンの心に住まわれる聖霊が イエス様を死からよみがえらせたと書かれています ローマ 6:4 私たちは キリストの死にあずかるバプテスマによって キリストとともに葬られたのです それは キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように 私たちも いのちにあって新しい歩みをするためです では どのようにしてキリストは死者の中からよみがえられましたか? 御父の栄光によって です ここに イエス様を死からよみがえらせた三位一体の神が出そろいました コロサイ 2:12 あなたがたは バプテスマによってキリストとともに葬られ また キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって キリストとともによみがえらされたのです 4

父なる神 御子 聖霊ですね さて次にパウロは洗礼について語ります コロサイ 2:12 あなたがたは バプテスマによってキリストとともに葬られ また キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって キリストとともによみがえらされたのです クリスチャンの洗礼というのは イエスの死とよみがえるを私たちが一体となって感じることを表しています つまり キリストとともに葬られ というのは水に浸かることで キリストとともによみがえらされた というのは 水から引き上げられることです コロサイ 2:13 あなたがたは罪によって また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに 神は そのようなあなたがたを キリストとともに生かしてくださいました それは 私たちのすべての罪を赦し パウロは割礼と洗礼が同じものであるとは言っていませんが 洗礼によってイエス様と一体となって感じ それを示したのですから 私たちが救われるために割礼する必要はありません ですから律法に固執したこの命令を何かで置き換えるということをしないように 注意しないといけません もし人が洗礼を受けていないなら 救われていないというグループもいます イエス様自身が私たちに洗礼という権限を与え キリスト自身も洗礼を受け 愛とキリストへの従順から洗礼を受けたいという気持ちになるべきではありますが 水による洗礼によって罪が許されたり 救われたりするわけではありません 違います! そうではなくて 私たちはキリストを信じることを通して得る恵みによって 救われているのです イエス様の両脇で十字架にかけられた罪人のことを覚えていますか? そのうちの一人はキリストを信じ こう言いました ルカ 23:42 そして言った イエスさま あなたの御国の位にお着きになるときには 私を思い出してください イエス様は何と言いましたか? ごめんね でも救われるためには洗礼を受けないといけないんだ 残念だったね 彼はこう言いましたか? いいえ! イエス様は何と言われたでしょう? ルカ 23:43 イエスは 彼に言われた まことに あなたに告げます あなたはきょう わたしとともにパラダイスにいます 私たちは洗礼を通して救われるわけではありませんが それでもイエス様は私たちに洗礼を受けるように言われます 今日とは違い 初期の教会は洗礼を受けていないクリスチャンという考えを理解しようとしませんでした イエス様は言われます ヨハネ 14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら あなたがたはわたしの戒めを守るはずです ですから もしあなたがキリストを愛しているなら 戒めを守るはずです これは義務ではないことに気づきましたか? これは愛による行動です しなければならないから ではなくて したいからなのです これは大きな違いですよね なぜ私たちはキリストを愛するのでしょうか? ヨハネ 4:19 女は言った 先生 あなたは預言者だと思います イエス様は コロサイ 2:14 いろいろな定めのために私たちに不利な いや 私たちを責め立てている債務証書を無効 5

にされたからです 神はこの証書を取りのけ 十字架に釘づけにされました 十字架によって個人的な罪が許されただけでなく 私たちを責め立てている債務証書が無効にされ 十字架にくぎ付けにされたのです コロサイ 2:15 神は キリストにおいて すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし 彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました ここでいう支配と権威というのは サタンと堕天使を示唆します パウロは キリストや私たちの対抗勢力が十字架上でキリストによって打ち負かされたことを描写しているのです このキリストの勝利を描写するのに パウロは武力の勝利という例えを用い 彼らを捕虜として凱旋の行列に加えたという表現を用いました サタンとその勢力は 十字架はキリストではなく彼らの勝利になると思っていたのですが 現実は 私たちの神が敵を打ち破り 彼らを武装解除してさらしものとしたのです パウロは 私たちがキリストにおいてのみ完全であることを コロサイの信者によって表しています キリストにあって コロサイの人々は肉のからだを脱ぎ捨て (11 節 ) 新しいいのちを得て (12,13 節 ) 罪許され 伝統的には課された定めを無効にされ (14 節 ) 支配と権威から解放されました (15 節 ) キリストへの信仰によって受けるものに クリスチャンは何も付け加える必要がありません クリスチャンが完全であるためには何らかの特別な知識や働きが必要であると信じるグノーシス派や ジュダイザー を反駁するために パウロはキリストの完全さを強調しました コロサイ 2:16 こういうわけですから 食べ物と飲み物について あるいは 祭りや新月や安息日のことについて だれにもあなたがたを批評させてはなりません コロサイ 2:17 これらは 次に来るものの影であって 本体はキリストにあるのです イエス様が十字架上で栄光の勝利を勝ち取ったのですから だれにも律法主義によって私たちを裁かせてはいけません キリスト中心の生活や十字架でキリストが成されたことに 律法主義が入り込む隙はありません ここでのポイントは明確です モーセの律法に記された日にちや食べ物についての取り決めは キリストを信じる者への新しい契約とは全く関係がありません これらの取り決めが悪いとは言いませんが ただそれらは次に来るものの影にすぎないということです 一度本体 つまりキリストが来られたら 影の出る幕はないということです 例えば私がしばらく旅行をして 美しい妻エイミーに会えるのを楽しみに家に帰るとします 互いに駆け寄り いよいよ抱きしめあうというその瞬間 エイミーが床に映った私の影にハグしキスする ということがあり得るでしょうか? ここでわかるように クリスチャンにとって影は過ぎ去り 実体であるキリストが来られたのです クリスチャンにとって すべての食べ物は混ざり気がなく すべての日が神に属するのです ローマ 14:5 ある日を 他の日に比べて 大事だと考える人もいますが どの日も同じだと考える人もいます それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい それゆえ コロサイ 2:18 あなたがたは ことさらに自己卑下をしようとしたり 御使い礼拝をしようとする者に ほうびをだまし取られてはなりません 彼らは幻を見たことに安住して 肉の思いによっていたずらに誇 6

り コロサイ 2:19 かしらに堅く結びつくことをしません このかしらがもとになり からだ全体は 関節と筋によって養われ 結び合わされて 神によって成長させられるのです キリストによる救いだけにしがみつかない人は 謙虚に見えることがあるかもしれません でも 新しい霊的体験を模索したり 信仰には努力も必要と吹聴するのは 人間のプライドでしかありません ガラテヤ人への手紙でパウロが言ったことを思い出してください ガラテヤ 1:6 私は キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を あなたがたがそんなにも急に見捨てて ほかの福音に移って行くのに驚いています ガラテヤ 1:7 ほかの福音といっても もう一つ別に福音があるのではありません あなたがたをかき乱す者たちがいて キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです ガラテヤ 1:8 しかし 私たちであろうと 天の御使いであろうと もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら その者はのろわれるべきです ガラテヤ 1:9 私たちが前に言ったように 今もう一度私は言います もしだれかが あなたがたの受けた福音に反することを あなたがたに宣べ伝えているなら その者はのろわれるべきです 人々が何度も 聖書に今まで誰も発見したことのないような洞察をしてきたことは興味深いことです もしあなたが特にどこかの箇所で 今まで誰も知らなかったような目新しい発見をしたと言うなら あなたは間違っています 2 ペテロ 1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません すなわち 聖書の預言はみな 人の私的解釈を施してはならない ということです 今まで誰も見つけられなかったような神秘的な洞察というのは存在しないのです 神の真理を特別に理解できるなんてことは ないでしょう みんな間違っているよ 教会も聖書の注解者も間違っている でも僕は真理を見つけたよ 今の今までこの真理は隠されていたが 神様が僕にこの秘密を明かされたんだ という人がいるかもしれません これは モルモン教会がまさにしたことなのです モロニと呼ばれる天使がジョセフ スミスに来て 彼にすべての教会は間違っており 新しい啓示を与えたと言います でも パウロは何と言っていますか? ガラテヤ 1:8 しかし 私たちであろうと 天の御使いであろうと もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら その者はのろわれるべきです 2 コリント 11:14 b サタンさえ光の御使いに変装するのです ですからこのような者たちには注意しないといけません なぜなら どの聖句にも天使や私的な解釈を加えてはいけないからです 神が意味するところを語り 語られたことの意味を決めるのも神なのです コロサイ 2:20 もしあなたがたが キリストとともに死んで この世の幼稚な教えから離れたのなら どうして まだこの世の生き方をしているかのように コロサイ 2:21 すがるな 味わうな さわるな というような定めに縛られるのですか コロサイ 2:22 そのようなものはすべて 用いれば滅びるものについてであって 人間の戒めと教えによるものです コロサイ 2:23 そのようなものは 人間の好き勝手な礼拝とか 謙遜とか または 肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが 肉のほしいままな欲望に対しては 何のききめもないのです 7

クリスチャンは儀式的な定めから解放されたのに どうしてまたそこにとどめ置こうとするのですか? キリストが成されたことに 私たちが付け加えることは何もありません イエスの十字架だけが神の目にかなったものなのです 律法主義的な要求は好き勝手な礼拝にすぎず 救いには何の関係もありません 私たちの救いは キリストによってのみ成されるのです 8