ヘブル人への手紙1章

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2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

創世記5 創世記2章4節b~25

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

創世記5 創世記2章4節b~25

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

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2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

牧会の祈り

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

牧会の祈り

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

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2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

牧会の祈り

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

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07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

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としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

人には 非日常性が必要です いつもの生活ではなく これは見たことがない 聞いたことがないという意外性 あるいは奇跡と言ってよいでしょう いつも自分のできること していること中で生きているならば 虚しさが残り 死に至ります しかし これまで経験しなかったこと 知り得ないことを知れば そこに命があり 希

Rev 11:19 それから 天にある 神の神殿が開かれた 神殿の中に 契約の箱が見えた また いなずま 声 雷鳴 地震が起こり 大きな雹が降った 1これは 鉢の裁きが始まる前の天の神殿の状況描写である 2 默 15:1 は それを引き継いでいる (2) 天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た 1

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2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

2017 年 9 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 11 回第 3 の警告 (3)- 励ましの言葉 - 第 3 の警告 (3) について学ぶ Ⅰ. 信者の救いに関する確信 (9~12 節 ) 1.9 節 Heb 6:9 だが 愛する人たち 私たちはこのように言いますが あなたがたについ

さい あなたはこのために召され また 多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました Ⅱ テモテ 4:7 私は勇敢に戦い 走るべき道のりを走り終え 信仰を守り通しました これらの箇所では 戦い となっています b. 苦闘 コロサイ 2:1 あなたがたとラオデキヤの人たちと そのほか直接私の顔を見たことの

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た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

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2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

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2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

黙示録 5 章 世界の巻き物 1A 封印を解くにふさわしい方 1-7 1B どこにもいない ふさわしい者 1-4 2B 勝利を得た小羊 5-7 2A 小羊への礼拝 B 血潮によって贖われた者たち B 無数の御使いと全被造物 本文 5 章を今晩は学びます 私たちは

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

ことをはたと思い出します クリスマスは キリストのミサです ミサは礼拝することですが 具体的 にはイエス キリストがご降誕されたことを記念して この方を礼拝します 1A 肉体を取られる神先ほど読んだ箇所は 紀元前 734 年から ユダにアハズという王がいた時に 預言者イザヤに与えられた数々の預言の中

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05

: 目次 : P3 Part1 聖書とは? P4 Part2 神とは? 1 唯一の神 P5 P10 2 イエス キリスト 3 聖霊 P14 4 唯一の神の本質とは? P16 Part3 救いとは? 1 救いをもたらす力 P18 P21 2 救われる ( 義とされる ) 条件 3 信仰と行い この冊子

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2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

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裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

牧会の祈り

                 

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

Transcription:

ヘブル人への手紙 1 章 1-3 節 さらにすぐれた方 1A - ヘブル人に対する手紙 2A 神のことば 1-3 1B 預言者によって 1 2B 御子によって 2-3 1C 万物の相続者 2 2C 神の本質の現われ 3a 3C 罪のきよめ 3b ヘブル人への手紙を学びます 今日のメッセージ題は さらにすぐれた方 です 1A - ヘブル人に対する手紙この手紙に入る前に 私たちがこれまでずっと学んできたことをおさらいしたいと思います 私たちは ずっとパウロによる手紙を読んできました 使徒行伝には 13 章にあるアンテオケの教会からバルナバとパウロが遣わされて以来 異邦人に対する福音宣教の記録が書かれていました そしてローマ人への手紙から 主に 異邦人向けのメッセージとなっていました 福音はユダヤ人をはじめ 異邦人にも救いを与える神の力であり キリストにあって ユダヤ人と異邦人が一つになり 一つのキリストのからだに連なっています 神の恵みによって 信仰によって私たちは救われます 割礼を受けて モーセの律法を守らなくても 異邦人は異邦人のままで救われます パウロは 異邦人に福音を宣べ伝える使徒として召されており 異邦人が多い 小アジヤとヨーロッパの諸教会に手紙を書きました けれども このヘブル人への手紙は その手紙の題名のとおり ヘブル人すなわちユダヤ人への手紙になっています ちなみに ヘブル書の後にあるヤコブの手紙も 国外に散っている12 部族へあいさつを送ります (1:1) と書いてあり ユダヤ人を主に意識した手紙となっています 同じように ペテロの手紙も 離散しているユダヤ人信者を意識しています そこで 使徒行伝の初めのほうにある記録を思い出してください 主がユダヤ人の弟子たちに対して 聖霊があなたがたの上に臨まれ 力を受けます (1:8) と言われました そして 彼らが祈っていたときに 聖霊が臨まれましたが そこはダビデ王の墓の上にある部屋においてでした 集まってきたのは 世界中からエルサレムに五旬節を祝いに来たユダヤ人であり ペテロは ユダヤ人たちに 福音を宣べ伝えて 彼らが救いを得ました そして教会が生まれましたが そこはユダヤ人たちの集まりでした そして 使徒行伝 2 章 46 節を読みますと 毎日 心を一つにして宮に集まり と書いています そしてペテロとヨハネは 午後三時の祈りのために 宮に上っていく生活を送っていました (3:1) このように 彼らは イエスをメシヤと信じながら ユダヤ教の中で 1

生活していました そして また 使徒行伝 15 章においては 異邦人にモーセの律法を要求しないという決議はなされましたが 彼らが割礼を受けるのをやめ また他の律法をやめるようなこともありませんでした これはパウロも勧めていることであり コリント第一 7 章にて彼は 召されたとき割礼を受けていたのなら その跡をなくしてはいけません (18 節 ) と言っています そして パウロがエルサレムに戻ってきたときにヤコブに会いましたが ヤコブはパウロにこう言いました 兄弟よ ご承知のように ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが みな律法に熱心な人たちです ユダヤ人たちは イエスをメシヤと信じていても なおかつ律法を守り行ない 神殿礼拝もささげていたのです しかし 彼らは ユダヤ教の中で生活しながら ユダヤ教の中では激しい迫害の中に入っていました 使徒たちがエルサレムで福音を宣べ伝えているときに むちを打たれたり 牢に入れられたりしました そして ステパノが説教をした後に それを聞いていたユダヤ人たちは彼を石打ちによって殺しました 初めての殉教者です そのときから エルサレムとユダヤ地方にて激しい迫害が起こり ユダヤ人たちは ユダヤ教の中にいながら なおかつユダヤ教の共同体からはつまはじきにされる圧力を受けていました これが ヘブル人への手紙を読むときに必要な 背景知識です ユダヤ人信者の中には この迫害が苦しくて イエス キリストへの信仰を捨てて ユダヤ教の中に戻ろうとしていた人たちがいました けれども ヘブル人への手紙の著者は この信仰の後退について警告を発しています 初めに抱いた確信を最後まで保ちつづけなさい と勧めています そして ヘブル書の著者は この苦しみの中において忍耐する力を与えるのは 何よりも 主イエス キリストを思っていることであることを知っていました ( ヘブル 3:1) 主イエスのご栄光が その人のうちに輝いていればいるほど 人は 直面している困難や悩みにも耐えることができます そこで ヘブル人への著者は イエス キリストがいかにすぐれているかを この手紙のテーマとしています 彼は ユダヤ教の中ですぐれているとされている 三つの事柄を挙げています 一つは御使い (1 2 章 ) 次にモーセ(3 章 ) そして三つ目にレビ人の祭司制度(5 7 章 ) です 御子イエス キリストをこれらの事柄と比較して キリストがさらにすぐれている方であることを証明しています ヘブル人で 頻繁に使われていることばは この さらにすぐれた という言葉です 英語では better です 例えば 1 章 4 節をお読みします 御子は 御使いたちよりも さらにすぐれた御名を相続された とあります 次に7 章の19 節を見てみましょう 律法は何事も全うしなかったのです 他方で さらにすぐれた希望が導き入れられました 私たちはこれによって神に近づくのです とあります さらにすぐれた希望です そして 8 章 6 節です しかし今 キリストはさらにすぐれた務めを得られました それは彼が さらにすぐれた約束に基づいて制定された さらにすぐれた契約の仲介者であるからです 他にもたくさんあります 御使いも モーセも そしてレビ人の祭司制度も それ自体は神から与えられたものであり 悪いものではありません けれども キリ 2

ストがこれらの良いものよりもさらに良い 優れていることを論証しています この手紙はユダヤ人に対して書かれたのですが クリスチャン一般にも教訓を与えてくれます まず この世にある文化や慣習 社会があります 私たちも同じように 自分がクリスチャンになることによって 既存の共同体の中から つまはじきにされることが多いです 日本には 家制度があります 家を受け継がなければいけないので 先祖の墓を守らなければいけないし 先祖供養も欠かすことはできません 地域社会においても 盆踊り大会やその他 神道関係の行事がもりだくさんです 会社においても 飲み会に付き合ったりして 仕事の仲間関係を保っておかなければいけません そして これらの活動は決して悪いものではありません 先祖を尊敬して 家族を大切にすることは とても良いことです 盆踊りは偶像礼拝ですが 地域ぐるみの付き合いそのものは とても良いものです 仕事をスムーズにするために 同僚との関係を保っておくことも良いことです 私たちを悩ますのはこれらの元々の意図は必ずしも悪いものではなく 良いものだからです 悪いものであれば簡単に捨て去ることはできるのですが 良いものだから捨てられないのです けれども そのような 日本人の中にある共同体を失いたくないと願うばかりに 自分の信仰を表明しなくなったり 他の兄弟姉妹との交わりを持たなくなったり 祈らなくなったりしていきます それは ユダヤ人が 自分たちが村八分にされたくないために イエス キリストへの信仰を捨てて ユダヤ教に回帰しようとしたのと似ています もう一つ 世にある文化だけでなく 教会の中にある文化という問題があります このことについては コロサイ書が詳しく取り扱っています そこでも キリストの至上性 この方が万物の創造者であられ この方が万物の中で第一となられるわけなのですが 教会の中に人間の哲学や 天使礼拝など 知的にも また体験的にも かしらなるキリストとの結びつきがある命 また知恵や知識から離れてしまう危険について パウロは警告しています 私たちの周りに吹いてくる教えの風がそれです ですから 私たちは 今 主イエス キリストの栄光を仰ぎ見なければいけません ところで このヘブル人への手紙を書いた人について 聖書学者の間でたくさんに意見に分かれていることを付記したいと思います 多くの人は 著者はパウロであるとしています 手紙の終わりには こう書いています 私たちの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします もし彼が早く来れば 私は彼といっしょにあなたがたに会えるでしょう すべてのあなたがたの指導者たち また すべての聖徒たちによろしく言ってください イタリヤから来た人たちが あなたがたによろしくと言っています 恵みが あなたがたすべてとともにありますように ヨーロッパにいるパウロが テモテとともに ユダヤ地方にいる信者たちに書いた手紙と考えられます そして ヘブル書の流れのあちこちに 熱心なユダヤ教徒だったからこそ論じることのできる新しい契約のすばらしさを見ることができます 3

2A 神のことば 1-3 それでは 本文を読みたいと思います 今日は初めの 3 節だけを学びたいと思います この 3 節 は ヘブル人への手紙のテーマになっています すなわち イエス キリストの栄光の輝きです 1B 預言者によって 1 神は むかし先祖たちに 預言者たちを通して 多くの部分に分け また いろいろな方法で語ら れましたが この終わりの時には 御子によって 私たちに語られました パウロは 神が 語られる神であることを ここで紹介しています 私たちクリスチャンにとっては このことは当たり前のことかもしれませんが しかし 日本人など異教の神々を拝んでいた人たちにとっては 驚くべき事実です 目に見えない神を信じることは ある意味で もどかしいことです 目で見える偶像であれば これがあれば安心であるという思いを抱くことができます とくに 目に見えない神を拝んでいる私たちを その異教徒が見るときに お前の神はどこにいるのか と問い詰めます けれども このことについて詩篇の著者は 非常に面白いことを書いています 詩篇 115 篇 2 節から8 節です なぜ 国々は言うのか 彼らの神は いったいどこにいるのか と 私たちの神は 天におられ その望むところをことごとく行なわれる 彼らの偶像は銀や金で 人の手のわざである 口があっても語れず 目があっても見えない 耳があっても聞こえず 鼻があってもかげない 手があってもさわれず 足があっても歩けない のどがあっても声をたてることもできない これを造る者も これに信頼する者もみな これと同じである 偶像は 目や耳や口 足があるので把握することができますが けれども 見ることはできず 聞くことはできず そして語ることができません 私たちは この方を見ることはできないけれども 神は私たちを見ておられ また私たちに語りかけてくださいます 語りかけてくださるので 人格的な関係を持つことができます これほど幸いなことはありません そこで聖書の本質は ことば のなのです 神は天地創造を言葉によって行われました 人を造られたとき ご自分のかたちに造られましたが 動物と人の区別の一つは 言語を宿しているか そうでないか があります そして旧約時代の神が住まわれる幕屋 また神殿において その中心は至聖所にある契約の箱であります その箱の中に入っているのは 十戒の石の板です 像ではなく 言葉であったのです 実は 人の人格 あるいは人の霊と言ったらよいでしょう これは言葉によって成り立っています 私たちが人として付き合いをする時に 私たちの肉体はその霊を表現するために存在しますが あくまでも言葉を交わすことによって人格と人格の触れ合いがあります 見た目で付き合いをすれば すぐに破綻することは分かります だから 私たちは神の言葉である聖書をこのようにして熱心に調べ 知り そして自分の生活に適用させていくのです 4

パウロはここで 昔に神が語られた時のことと 御子イエス キリストが現われてから語られていることとの対比を行なっています 昔は まず先祖たちに対して神は語られました この 先祖たち とは イスラエル人のことであり旧約の聖徒たちのことです そして 彼らは 預言者たちを通して 語られました 彼らにはアブラハムがおり モーセがいて その他さまざまの 神のことばを取り次ぐ人々がいました 彼らは自分たちで勝手に語ったのではなく 聖霊に動かされて語りました 使徒ペテロは なぜなら 預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく 聖霊に動かされた人たちが 神からのことばを語ったのだからです (2ペテロ1:21) と言っています そして昔は 多くの部分に分け 語られたとあります これは 少しずつ 時代を追って 神がご自分の計画を明らかにされたことを意味します アダムに与えられた神の啓示よりも ノアに与えられた神の啓示のほうが 詳しくなっています ノアよりもアブラハムのほうが アブラハムよりもモーセのほうが モーセよりもダビデのほうが 神のご計画が明らかにされています それぞれの時代に分けて神はお語りになり 前に与えらえた啓示と知識に基づいて それを発展させてご自分の目的とご計画を明らかにされました このことが分かっていると 神のご計画の全体を知るのに役に立ちます 主は初めに アダムに対して語られました 生めよ 増えよ 地に満ちよ 地を支配せよ と語られました その命題に 罪を犯すことによって不従順になりました そして人類は腐敗しました けれども神は憐れまれて セツの子孫であるノアによって 改めて契約を結んでくださいました ところが その子孫がバベルの塔によって 神に反逆しました それで言語を混乱させて 世界に散り散りに住むようにされて 民族が出来上がりました そして 神はアブラハムを選ばれました アブラハムの子孫と国によって アダムに与えられた使命を果たそうとされたのです 子孫が増え 国が強くなり 約束の地に彼らが安心して住むことによって 神の支配を他の諸国民に示そうとされたのです そして モーセによって律法を与えられました 神の命令によって生きる 神の国がイスラエルによって実現するためです そして 神はイスラエルによるご自分の支配を ダビデの世継ぎの子によって確立するべく ダビデに約束を与えてくださいました しかし ユダの国はことごとく主に背きました それでバビロンに捕え移されますが 主はエレミヤを通して 彼らに新しい契約を与えることを約束されたのです ですから アダムからノア ノアからアブラハム アブラハムからモーセ そしてモーセからダビデ ダビデからエレミヤを通して新しい契約が示されました そして いろいろな方法で とあります 昔は 多くの人が 神の音声を聞きました 神が直接 音を出して語られた記述が聖書ではたくさんあります ある人は 夢や幻の中で語られました またある人は 内なる声を聞きました ある人は 祭司のウリムとトンミムによって 神のみこころを知りました このようにして いろいろな方法で神は先祖たちに お語りになりました 5

2B 御子によって 2-3 したがって 預言者による 神の語りかけということ自体 偉大なことであり 驚くべきことです これはユダヤ人たちに与えられていた特権であり 祝福です しかし パウロは この預言者による神の語りかけ以上に すばらしいことばがあることを ここで明らかにしています この終わりの時には 御子によって 私たちに語られました とあります この終わりの時 御子ご自身が 私たちの神からのメッセージとなっています 主が ユダヤ人の弟子たちにお語りになったときに このように言い始めて 神の律法を説き明かされました わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません 廃棄するためにではなく 成就するために来たのです ( マタイ 5:17) イエスさまは 律法と預言の成就そのものなのです ユダヤ人指導者たちには こう言われました あなたがたは 聖書の中に永遠のいのちがあると思うので 聖書を調べています その聖書が わたしについて証言しているのです ( ヨハネ 5:39) このイエスという方にあって 旧約聖書全体が すべて詰まっています パウロはコロサイ人への手紙で こう言いました こういうわけですから 食べ物と飲み物について あるいは 祭りや新月や安息日のことについて だれにもあなたがたを批評させてはなりません これらは 次に来るものの影であって 本体はキリストにあるのです ( コロサイ 2:16-17) 本体はキリストにあり 律法はその本体の影です ですから ヨハネによる福音書は 初めに ことばがあった ことばは神とともにあった ことばは神であった (1:1) と イエス キリストのことを書き始めています そして最後の書物 黙示録は イエス キリストの啓示 であります この方は地上に戻ってこられる時に 神のことば とも呼ばれます この方の啓示によって 新約聖書は終わるのです したがって キリストが私たちにとって神の最終啓示であり 神の全体啓示なのです この方の栄光こそが 神が私たちにお語りになりたい全てなのです だから 私たちはキリストのうちにある者 これこそが全ての解答なのです イエス キリストご自身に全神経を集中させなければいけません キリストがどのような本性を持っておられて どのようなご性質があり この方が行なわれたこと また今行なわれていること そしてこれから行なうことを 見ていく必要があります この方が 神が終わりの時にお語りになる 媒体なのです 1C 万物の相続者 2 そこでパウロはこう語ります 神は 御子を万物の相続者とし また御子によって世界を造られま した 御子は 万物の相続者 です すべての物を所有しておられます この言葉には 詩篇 2 篇 8 節が背景にあります 父なる神が子なるキリストへ あなたは わたしの子 きょう わたしがあなたを生んだ わたしに求めよ わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え 地をその果て果てまで あなたの所有として与える と書いてあります ヨハネ3 章 35 節には 父は御子を愛しておられ 6

万物を御子の手にお渡しになった と書いてあります 父なる神から御子が全てのものを与えられています パウロは コロサイにある教会に対して 御子の相続を詳しく言い表しています なぜなら 万物は御子にあって造られたからです 天にあるもの 地にあるもの 見えるもの また見えないもの 王座も主権も支配も権威も すべて御子によって造られたのです 万物は 御子によって造られ 御子のために造られたのです 御子は 万物よりも先に存在し 万物は御子にあって成り立っています (1:16-17) このことを考えるとき 主が地上におられるときに 心配してはいけません と訓戒されたことを思います 空の鳥を見なさい 種蒔きもせず 刈り入れもせず 倉に納めることもしません けれども あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです あなたがたは 鳥よりも もっとすぐれたものではありませんか ( マタイ 6:26) 主は ご自分がお造りになった鳥を指さして 弟子たちにお語りになっていました 野のゆりがどうして育つのか よくわきまえなさい 働きもせず 紡ぎもしません しかし わたしはあなたがたに言います 栄華を窮めたソロモンでさえ このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした (6:28 29) イエスさまは ご自分がお造りになり また支配されている花を弟子たちに示して お語りになっておられます そして 御子によって世界を造られました とありますが この 世界 は 世々 と訳すことのできる言葉です 数々の一連の時代 とこしえまで続く時代を御子が造られた という意味です それは あとに来る世々において このすぐれて豊かな御恵みを キリスト イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした ( エペソ 1:7) 時の初めから御子はおられ 存在するだけでなく それぞれの時代を御子はすべて動かしておられました その中で起こっている全ての時をキリストはご自分の栄光のために まるでクラシック音楽の交響曲のように美しく編集しておられます イエス様は ユダヤ人と議論された時に 殺されそうになりました その発言は ご自身をモーセに明らかにされたイスラエルの神の名 わたしはある と同一にされたからです ヨハネ 8 章 56 58 節を読みますが 新共同訳のほうがはっきり表れているので それを読みます あなたたちの父アブラハムは わたしの日を見るのを楽しみにしていた そして それを見て 喜んだのである ユダヤ人たちが あなたは まだ五十歳にもならないのに アブラハムを見たのか と言うと イエスは言われた はっきり言っておく アブラハムが生まれる前から わたしはある 神が モーセにアブラハムの神 イサクの神 ヤコブの神であると言われて その名をモーセが聞いたところ わたしは わたしはある というものである とお答えになりました これこそ 他の神々と天地創造の永遠の神を分ける名でありました 御子が 天地創造から人の歴史の変遷のすべてを支配して 動かしておられたのです 7

2C 神の本質の現われ 3a 御子は神の栄光の輝き また神の本質の完全な現われであり その力あるみことばによって万 物を保っておられます 御子は 神のことを表している方ではありません この方そのものが神であり 神ご自身の完全な現われです まず 栄光の輝き でありますが 神は昔 幕屋の中で 神殿の中で栄光を表されました そのとき 雲は会見の天幕をおおい 主の栄光が幕屋に満ちた モーセは会見の天幕にはいることができなかった 雲がその上にとどまり 主の栄光が幕屋に満ちていたからである ( 出エジプト 40:35-36) また神は 天の万象によって 地への働きかけによって栄光を表しました エジプトに災いを下して これらによって わたしがヤハウェであることを知らせる と言われました キリストは この神の栄光の輝きをもって現れました ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られたひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた ( ヨハネ 1:14) そして 神の本質の完全な現れ です むかし預言者たちは 神にことについて語りました ピリポが イエスさまに尋ねました 主よ 私たちに父を見せてください そうすれば満足します すると イエスはこう彼に言われました ピリポ こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに あなたはわたしを知らなかったのですか わたしを見た者は 父を見たのです どうしてあなたは 私たちに父を見せてください と言うのですか 驚くべきことばです イエスを見た者は 神を見ています 神が人のかたちをとって 今 ピリピの目の前におられるのです! 彼らがイエスさまの肩に手を当てたなら 神の肩に手を当てたのと同じです イエスとともに食事を取られたなら 神とともに食事を取っていたのと同じです そして その力あるみことばによって万物を保っておられます と言っています 御子は 万物を創造し 万物を相続しておられるだけではなく 万物を保っておられます 今ある原子や粒子は すべてイエスさまによって それが保たれています ペテロの手紙には その日が来れば そのために 天は燃えくずれ 天の万象は焼け溶けてしまいます (2ペテロ 3:12) と書いてありますが イエスさまは ご自分のみこころによって このことを一瞬にしておできになります なぜなら 今 イエスさまが意識されて この天地万象の秩序を保っておられるからです 3C 罪のきよめ 3b また 罪のきよめを成し遂げて すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました 万物の相続者であり 創造者であり また支配者であられる方が 人になり 仕える者の姿をお とりになり そして最後は罪の供え物となられました そして 十字架の上で流された血は 私たち の罪をみなきよめてくださる力を持っています 使徒ヨハネは言いました しかし もし神が光の 8

中におられるように 私たちも光の中を歩んでいるなら 私たちは互いに交わりを保ち 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます (1ヨハネ1:7) これは 実は 旧約時代の祭司による いけにえの制度 牛や羊の血を流して罪の赦しを得るところから始まっています そしてこれがキリストにあって完成したのだ この方によってもはや動物のいけにえは必要なくなったことを ヘブル書の著者は本書の半ばで詳しく語ります そして 主は すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれています この 着座 されている というところが大事です というのは それは 罪のきよめのため 救いのために必要なことはすべて成し遂げられた ということを意味するからです 主は十字架につけられて 息を引き取られる前に語った最後のことばが 完了した でありました 人を救うために必要なことをすべて成し遂げられたので 主は 立ち歩いてお仕事をされるのではなく 座っておられるのです 主は 私の主に仰せられる わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは わたしの右の座に着いていよ ( 詩篇 110:1) 足台にする というのは ご自身が地上に戻られて敵を服従させることを意味します 右の座 また右というのは力と権威を示しています 父なる神のあらゆる権威と力を付与されている という意味です 主はそのことをおできになるのですが 今は この成し遂げられた御業によって 私たちの執り 成しをしておられます 私たちの大祭司となられたのです ヘブル人への手紙では 大祭司として のイエス キリストがずっと描かれています こうして このヘブル人への手紙に書かれている キリストの本質と働きのテーマとなっている部分を読みました これらの事柄をただ見ていくだけで 私たちは 自分の信仰が不動のものとなっていくのに気づくかと思います 私たちが置かれている周りにあるもので 左右されにくくなっているのに気づくことでしょう 主イエス キリストこそが 私たちが聞くべき 神のメッセージです 9