国連安全保障理事会 文室脩平
第 1 章国際連合安全保障理事会の経緯
1 国際連合の概要 a) 国際連合は193ヵ国で構成ア ) 法的拘束力の保持 b) 国際連合の目的ア ) 戦争の撲滅イ ) 人権の保護と促進ウ ) 正義を持った国際法の尊重と維持エ ) 社会の進歩と諸外国の友好関係の促進
c) 国際連合の部門と目的ア ) 総会 (General Assembly) ⅰ) 国際連合の討議機関 ⅱ) 本部はアメリカ ( ニューヨーク ) に設置イ ) 安全保障理事会 (Security Council) ⅰ) 国際平和と安全の維持責任 ⅱ) アメリカ ( ニューヨーク ) に設置ウ ) 経済社会理事会 (Economic and Social Council) ⅰ) 国際連合とその関連機関や研究機関などの経済 社会活動の運営の調査機関 ⅱ) アメリカ ( ニューヨーク ) に設置
エ ) 国際司法裁判所 (International Court Justice) ⅰ) 機関は国際連合の司法機関 ⅱ) オランダ ( ハーグ ) に設置オ ) 信託統治理事会 (Trusteeship Council) ⅰ) アメリカ ( ニューヨーク ) に設置カ ) 事務局 (Secretariat) ⅰ) 国際連合の業務 関連機関の要請や計画の実施等 ⅱ) アメリカ ( ニューヨーク ) に設置
2 国際連合安全保障理事会の概要と権限 a) 常任理事国と非常任理事国ア ) アメリカ イギリス ロシア ( 旧ソビエト連邦 ) フランス 中国の5ヶ国イ ) 総会によって2 年任期で選出される非常任理事国 10ヶ国
b) 理事国の投票権ア ) 理事国は各国 1 票の投票権を保有イ ) 案件の決定には15ヶ国中 9ヶ国の賛成票が必要常任理事国 5ヶ国すべての賛成票が必要ウ ) 常任理事国の拒否権 (veto power) 常任理事国の内 1ヶ国でも反対又は 無投票の場合否決
第 2 章国際連合 安全保障理事会の発足と歴史
a) 第 1 節大西洋宣言と連合国宣言ア )1941 年 8 月大西洋会談開催 ⅰ) 米 : ルーズベルト英 : チャーチル ⅱ) 新国家間の国際平和機構の原点イ ) 大西洋憲章第 8 項 ⅰ) 武力の破棄 ⅱ) 軍縮の推進 ⅲ) 国家平和機構の協力
ウ ) 連合国宣言 ⅰ)1941 年 12 月 7 日日本が真珠湾に攻撃 アメリカは数日後 20ヶ国以上の国々と供に対日宣言 ⅱ) アメリカ イギリス ソ連 中華民国の 4ヶ国共同宣言 ⅲ) 翌日全ての対日宣言の23ヶ国が署名 大西洋宣言の目的と諸原則に則った連合国宣言
b) 米英ソ三国外相会談とテヘラン会議ア ) アメリカ国防長官のコーデル ハルが新国際平和機構の設立を決意 ⅰ)1940 年 1 月アメリカ国務省に外国関係問題諮問委員会が組織 ⅱ)1943 年 3 月国際機構規約草案を提出 草案は4 大国であるアメリカ イギリス ソ連 中国による神聖同盟
イ ) 米英首脳会談開催 1943 年 7 月カナダケペック ⅰ) 米提出草案に英が同意 後日ソ連も参加 ⅱ)1943 年 10 月 19 日 ~30 日 ⅲ) アメリカ : コーデル ハル国務長官イギリス : アンソニー イーデン外相ソ連 : ヴァチェスラフ モロトフ外相 米英ソ三国外相会談
ウ ) 一般的安全保障問題に関する四国宣言 ⅰ) 1943 年 11 月に駐ソ中国大使の傳秉常 ( フヘイジョウ ) の参加 ⅱ) 4 国宣言は 新国際平和機構の抽象的な原則を決定 ⅲ) 主要な連合国が最初の公式な討議
エ ) テヘラン会議 ⅰ) 1943 年 11 月 28 日から12 月 1 日イランテヘランで開催 ⅱ) アメリカ : ルーズベルトイギリス : チャーチルソ連 : スターリン 3 国首脳会議 ⅲ) 第二戦線の問題が主要議題協議後 戦後の平和維持構想の議題を提訴
c) ダンバートン オークス会議ア ) 8 月 21 日第 1 回米英ソ会談開催 ⅰ) アメリカのワシントン郊外ジョウジタウンのダンバートン オークス邸 ⅱ) アメリカはこの会議を非公式なものに 4 大国の間に合意他国の反対も無意味
イ ) 安全保障理事会の強制措置 ⅰ) ソ連の主張 弱小国は軍事基地の提供国連独立空軍編成 ⅱ) アメリカの主張 弱小国に軍隊の駐留目的と反対独立軍は極めて非効率現存の大国の空軍を利用が現実的
ウ ) 大国の拒否権 ⅰ) 世界平和に影響を及ぼすかもしれない問題においては 4 大国のうちどの一国によってでも拒否権は行使される ⅱ) 紛争 戦争の当事者が大国の場合 当事国の表決権の否認のレベルの決定に疑問 ダンバートン オークス会議では意見の不一致
d) ヤルタ会議ア )1945 年 2 月 米 英 ソによって首脳会談 ⅰ) クリミア半島のヤルタ ⅱ) 主な議題 ダンバートン オークス会議で持ち越された拒否権 植民地支配問題についての問題ポーランド問題等
イ ) 大国の拒否権の考え ⅰ) アメリカ : 常任理事国が紛争 戦争の当事国の場合その問題に対しての投票権はなく 拒否権も与えられない ⅱ) ソ連 : 常任理事国すべての全会一致でのみ決定 ⅲ) 結果アメリカの妥協 常任理事国が戦争 紛争の問題が起こっても その問題について拒否権を発動できるということ
ウ ) 2 月 12 日に会議内容の発表 ⅰ) ロンドン モスクワ ワシントン同時発表 ⅱ) 連合国側はこれを好意的に受諾 ⅲ) 大国の世論も好意的に歓迎
e) サンフランシスコ会議と国際連合発足ア ) 国際機構に関する連合国会議 UNCIO ⅰ) サンフランシスコ会議 ( 国連憲章制定会議 ) ⅱ) 1945 年 4 月 25 日にサンフランシスコのオペラハウスで開催 ⅲ) 国際会議として世界最大
イ ) 米 : ルーズベルト大統領の急死 ⅰ) 4 月 12 日脳溢血で急死 ⅱ) ハリー S トルーマン副大統領が大統領に就任
ウ ) 議題内容の合意 ⅰ) 拒否権問題大国間 合意中小国 反対理由 : 大国と中小国で大きな差 ⅱ) 中小国が妥協案提出 拒否権の行使を多用の禁止大国側は妥協案も拒否
ⅳ) 中小国は拒否権の問題に合意 ⅴ) その他の議題も草案がほぼ合意 エ ) サンフランシスコ会議終了 ⅰ)1945 年 6 月 25 日
オ ) 国際連合の発足する条件 ⅰ) 国際連合が正式に発足には 5 大国と他の調印国過半数が国連憲章を批准 ⅱ) 調印書をアメリカに寄与 カ ) 国際連合発足 ⅰ)1946 年 1 月 11 日 ⅱ) 安全保障理事会含む発会議の開始
第 3 章冷戦と安全保障理事会
a) 冷戦の概要ア )1945 年 8 月 日本の無条件降伏で第二次世界大戦は終戦 ⅰ) 共通の敵の消滅 米ソ間の対立 アメリカ大統領顧問バーナード バルーク政治評論家ウォルター リップマンが 冷たい戦争(Cold War) と命名
イ )1946 年 2 月 9 日スターリンの5か年計画演説 アメリカへの強い敵意を強調 ⅰ) イギリスのチャーチルヨーロッパ大陸に 鉄のカーテン が確立とアメリカ国民に警告
ウ )1947 年 2 月 トルーマン ドクトリンの実施 ⅰ) 英はギリシャ トルコへの軍事 経済的援助を停止 ⅱ) ソ連主導共産主義に加盟への危険性 地中海 中東全域が共産主義加盟への可能性 ⅲ) 米トルーマンは4 億米ドル軍事的 経済的援助を遂行
エ )1947 年 6 月 ヨーロッパ諸国復興の大規模対外援助計画を発表 米国務長官マーシャル ( マーシャル プラン ) ⅰ) トルーマン ドクトリンとマーシャル プラン 中東 地中海 ヨーロッパの共産主義確立 を阻止 アメリカとソ連の冷戦は激化
オ ) ソ連の対抗 ⅰ)1947 年 9 月 COMINFORM 設立 ( 共産党 労働者党情報局 ) ⅱ) 1949 年 1 月 COMECON 設立 ( 東欧経済総合援助会議 ) ⅲ) 1949 年 8 月原爆の開発に成功 アメリカの原爆独占の終焉 冷戦の激化
カ ) 1950 年 6 月 25 日 朝鮮戦争勃発韓国 ( アメリカ )vs 北朝鮮 ( 中国ソ連 ) ⅰ) 1950 年 9 月仁川作戦 GHQのダグラス マッカーサーが国連軍が 38 度線を占拠 ⅱ) 中国が北朝鮮に支援 1953 年 7 月休戦協定
キ ) 水爆 ミサイル 宇宙開発競争 ⅰ) 1952 年 11 月 アメリカは最初の水爆実験を成功 ⅱ) 翌年 8 月 ソ連も最初の水爆実験を成功 ⅲ) 1957 年 8 月 ソ連がアメリカより先に ICBM ( 大陸間弾道弾 ) 実験を成功 ⅳ) アメリカはU2スパイ偵察機を完成 ⅴ) ソ連は最初の人工衛星スプートニクの開発 設置成功
ク ) 冷戦の激化 ⅰ)1958 年 7 月 26 日 キューバ革命が勃発 アメリカ付近に社会主義革命政権が誕生 ⅱ) 1961 年 6 月ウィーンで米ソ首脳会談 両国関係の回復失敗 ⅲ)8 月 ベルリンの壁設置 東西ドイツ分断 ⅳ) 1962 年 10 月 12 日 キューバで建設中のソ連軍のミサイル基地を発見 核戦争の危機
Ⅵ) 同月 24 日 キューバへミサイル運搬途中のソ連船は進路を変更 28 日ソ連はアメリカがキューバへ侵攻の中止を条件でミサイル基地の解体 ( キューバ危機 ) ホワイトハウスとクレムリン直通電話ホットライン開設
ケ ) デタント交渉 デタント ( 緊張緩和 ) ⅰ) 1963 年 8 月 部分的核実験停止条約 ⅱ) 1969 年 ソ連と中国の間で武力衝突社会主義大国同士の紛争 ソ連が弱体化 : デタントを意識 ⅲ) 戦略兵器制限交渉 (SALT) 1972 年 2 月 SALTⅠに調印
コ ) デタント失敗 ⅰ) 1979 年 6 月 SALTⅡがウィーンで調印 ⅱ) SALTⅡの批准実現失敗 ソ連がアフガニスタンに侵攻アメリカ : 1980 年に開催のモスクワ五輪ボイコットを表明 デタント失敗
サ ) 冷戦の終結 ⅰ) 1985 年 3 月 ミハイル ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任 ⅱ) 1987 年 12 月ワシントンの米ソ首脳会談で INF( 中距離核戦力 ) 条約に調印 ⅲ) 1988 年には国連総会で軍縮声明 ⅳ)1989 年 11 月ベルリンの壁は破壊 ⅴ) ョージ H W ブッシュ米大統領とゴルバチョフ書記長が マルタで会談 冷戦の終焉が議題 : 歴史的会談
シ ) ソ連崩壊 ⅰ) ソ連国内各地で民主化を要求 独立運動が激化バルト三国の独立 ⅱ) 1991 年ゴルバチョフはソ連共産党を解散 ⅲ) ソビエト連邦崩壊 世界最大社会主義国家が崩壊 冷戦は終焉
第 4 章国際連合安全保障理事会の改革
a) 安全保障理事会改革の歴史ア )1965 年最初に安全保障理事会が改革 ⅰ) 6ヵ国だった非常任理事国は4ヵ国増 ⅱ) 1972 年中国が台湾と安保理の議席を交代 ⅲ)1991 年ロシアがソ連の議席を継承 国連憲章の正当性 常任理事国の承諾で解決に不満
イ ) 国連安保理改革作業部会 ⅰ) 1992 年 8 月 非同盟諸国首脳会議 安全保障理事会の改革を議題国連の民主化を目的 35ヵ国共同決議案を提出し 採択 ⅱ)1 993 年 6 月 各国が安保理改革意見書を提出 ⅲ) 国連総会に安全保障理事会改革作業部会設立 全加盟国が改革の必要を承認
ウ ) 改革案の討議 ⅰ) 1994 年 1 月 安保理改革作業部会の討議開始 ⅱ) 新常任理事国の候補のドイツ 日本 第二次世界大戦の敗戦国 ⅲ) 途上国の代表として1ヵ国常任理事国に必要 アメリカは反対 ⅳ) 新常任理事国の拒否権など同等の権利
エ ) グローバル ガバナンス委員会設立 ⅰ) 世界中の有識者 28 人が 1993 年に提出された意見書の集約を開始 ⅱ) 1995 年委員会は最終報告書を発表 先進国から 2 ヵ国 ( 日本 ドイツ ) 途上国から 3 ヵ国 ( アフリカ アジア ラテンアメリカから各 1 ヵ国 ) の計 5 ヵ国は拒否権を持たない常勤理事国 ⅲ) 大枠を 3 ヵ国とし 計 23 ヵ国で安全保障理 事会を運営
オ ) ラザリ案と反対勢力 ⅰ) 1997 年 国連総会議長ラザリ イスマイルがラザリ案を発表 グローバル ガバナンス委員会が発表した報告書が基礎 ⅱ) 非常任理事国を4ヵ国に増やす箇所以外は ほとんど同じ
ⅲ) 反対勢力コンセンサスグループ結成 イタリア パキスタン メキシコ 韓国 自国が常任理事国入りはない ⅳ) コンセンサスグループは自国がライバル視するイタリアはドイツ パキスタンはインド メキシコはブラジル 韓国は日本の常任理事国入りを阻止の目的で結成 ⅵ) 総会作業部会は全会一致の決定を原則 1 ヵ国でも反対すれば否決 ⅶ)1992 年からの国連改革の動きは終息
b)g4 と常任理事国問題 ア )2004 年 9 月 Group Four(G4) 結成 ⅰ) 日本 ドイツ インド ブラジル ⅱ) 拒否権は持つが 15 年後の見直し時期まで行使しないとし拒否権を事実上破棄 ⅲ) インドのみ拒否権を要求
イ ) 国連総会での採択 ⅰ) 国際連合の加盟国は 191 ヵ国 ⅱ) 決議案の採択に必要な票数はその 3 分の 2 である 128 票 ゥ )AU( アフリカ連合との協力 ) ⅰ) 加盟国が 53 ヵ国のアフリカ連合 ⅱ) アフリカからの常任理事国を要求
エ )AUの迷走 ⅰ) 決議案の一本化へ議論は進行 ⅱ)G4 案が可決の場合アフリカの新常任理事国候補 最有力国は南アフリカとナイジェリア ⅲ) エジプトやアルジェリアが妨害工作 ライバル国の常任理事国入を阻止
オ )2005 年 リビアのシルテで AU 首脳会議が開催 ⅰ)G4 は AU の分裂を予測 AU が G4 案支持 不支持で分裂 AU 議会の結論は不一致と予測 ⅱ)AU 首脳会議での結論は拒否権付きの常 任理事国を増設 G4 は拒否権の不保持 AU は拒否権を保持 AU と意見の不一致
カ )8 月エチオピアのアディスアベバで 緊急の AU 首脳会議 ⅰ)AU 議長国ナイジェリアのオルセグン オバサンジョ大統領が G4 との連携の必要性を提訴 ⅱ) ジンバブエのロバート ムガベ大統領が反対演説 ⅲ) 結局 AU が従来の立場の再確認 G4 との連携を拒絶で会議は終了 G4 の国連安保理改革は断念
終章
a) 安保理改革と日本ア ) 安保理改革の必要性 多くの加盟国は 国際社会の平和 安全の維持が重要と主張 ⅰ) 安全保障理事会が行動の正当性を維持 : 常任理事国として参加の必要国際平和において重要な役割を担う
イ ) 新常任理事国日本加盟の必要性 ⅰ) 日本の隣国に多くの不安要素 中国 韓国 北朝鮮 ロシア ⅱ)2009 年 5 月に北朝鮮が核実験実行 日本が安全保障理事会の対応に関する議論を主導 ⅲ) アジアの均衡を保持
ゥ ) 国連への貢献 ⅰ)2015 年の国連資金分担額は 約 3 億ドル 円に変換 約 360 億円 ⅱ) 世界 2 位で全体の約 11% 多額の分担金を献金 日本は常任理事国に加盟し強い発言力を得る必要
b) 2005 年の G4 案には Au の他 常任理事国のアメリカ, 中国も反対 ア ) アメリカ途上国の常任理事国加盟に反対 アフリカ諸国は長期的に 紛争や内政にも問題が多数 不安定な要素の多い国が 常任理事国になる資格の正当性を危惧 安保理の構成国が増加し機能の低下の可能性も指摘
イ ) 中国は 2005 年に 日本の常任理事国加盟阻止運動を展開 ⅰ) 靖国神社参拝に抗議 ⅱ) 中国政府が黙認で反日デモ ⅲ) 中国は常任理事国の中で唯一の中進国 アジアの先進国日本が加盟に不満
ゥ ) コンセンサスグループの反対 ⅰ)G4をライバル視する国々で集結 G4に感情的に反発説得は困難
c) 今後の展望 ア ) 現在の国際情勢へ適応の安保理に改革 平和と安全を目的として設立の安全保障理事会は 常任理事国の国益の道具に変化 ⅰ) 安保理発足のままの状態ではなく 今日の世界情勢に適応の公正な改革が必要
イ )G4 日本の常任理事国加盟反対派の理屈 ⅰ) 国際社会の平和より自国の利益を優先 ⅱ) 常任理事国は自国の特権を優先 自国の国益を有利に ⅲ) コンセンサスグループ 感情論 : ライバル国が常任理事国加盟 に反対 世界平和を目的とした安保理の改革に 感情論で反対は論外
ゥ ) 国際社会の平和と安全の維持は安全保障理事会でも重要な課題 ⅰ) 日本は途上国の発展や軍縮など多くの分野で国際社会に貢献 ⅱ) 日本は世界で唯一の交戦権を不保持 世界で 唯一の被爆国 平和を目的の安全保障理事会で公正判断 ⅲ) アジアの安定化
結論 21 世紀にふさわしい安全保障理事会の姿として日本の常任理事国加盟は必要不可欠