日本語受身文の分化と客体化 - 経験主発生の認知メカニズム- 広島大学大学院総合科学研究科町田章 akimachida@hiroshima-u.ac.jp 2. 先行研究 受身文の拡張を動機づけるのは影響性( 他動性 ) である (cf. Tsuboi 2000, 谷口 2005) (5) a. 太郎が花子に褒められた 直接受身 b. 僕は雨に降られた 間接受身 c. 僕は花子に太郎を褒められた 間接受身 1. はじめに日本語受身文の特徴 Ⅰ( 間接受身 ) 一般に日本語受身文には直接受身と間接受身があるといわれている 直接受身 : 対応する能動文がある 間接受身 : 対応する能動文がない (1) a. 太郎が花子に褒められた 直接受身 b. 花子が太郎を褒めた (5a) 直接受身 ビリヤードボールモデル ( 行為連鎖 ) に基づく拡張 (5b) 間接受身 (5c) 間接受身 (2) a. 僕が雨に降られた 間接受身 b. * 雨が僕を降った cf. 意味上の対立から 中立受身 迷惑 ( 被害 ) 受身に分類されることがある 直接受身 間接受身にほぼ対応 日本語受身文の特徴 Ⅱ( 有情者制約 ) 日本語固有の受身では ほとんどの場合 有情者( 有生物 ) が主語となっている 有情者制約 (3) a. John uss this computr. b. This computr is usd by John. (4) a. ジョンがこのコンピュータを使っている b. * このコンピュータはジョンに使われている 本研究の目的以下の問いに対して 認知文法の枠組みを用いて説明を与える なぜ日本語には間接受身が存在するのか なぜ日本語の受身文には有情者制約が存在するのか 他動性に基づく拡張の問題点 (Ⅰ) 1. 有情者制約が説明できない 有情者制約の二つの側面 : 英語にはないのに 日本語にはある 能動文にはないのに 受身文にはある ビリヤードボールモデルでは全く対応できない 他動性に基づく拡張の問題点 (Ⅱ) 2. 次の現象が説明できない 非対格動詞には受身文にできない ( 影山 1993, 高見 久野 2002) 他動性による説明 : 他動性が低いから (6) a. * 太郎は電柱に倒れられた ( 非対格動詞 ) b. * 太郎が電柱に倒れられて 大怪我をした c.? こう次々に電柱に倒れられては 我が社の信用もガタ落ちだ 電柱設置会社の事業主の談話 影響を間接的にする (= 他動性を低くする ) と容認性が上がる 他動性では説明できない 1
英語学者のバイアス (Ⅰ) 受動文の意味は 影響性( 他動性 ) の観点から研究されるべきである Th subjct in a passiv consuction is concivd to b a u patint, i.., to b gnuinly affctd by th action of th vrb. (Bolingr 1975:67) (7) a. John was kickd by Mary. b. * Bob is rsmbld by Tom. 影響性 ( 受影性 :affctdnss) が受動文の容認性に関与している 当然 日本語の受身文も他動性英語学者のバイアス (Ⅱ) 受身文の基本は 直接受身である (= 対応する能動文がある ) 英語学者の主流 (cf. 原田 1974( 再録 2000:525-6)) 日本語の受身は 直接受身文から間接受身に拡張した 国語学者の伝統 日本語の受身には 古くから直接受身 間接受身ともに存在した ( そもそも国語学での関心は 有情者主語から非情者主語への拡張 ) 英語学者にとって不都合な事実 直接受身から間接受身への拡張を主張している史的研究は 原田 (1974) と堀口 (1982, 他 ) と井島 (1988) のみ ( 川村 2008:65) 1. 原田のデータは量的に不十分 (= 枕草子 (996 年頃 ) だけ ) 2. 堀口は古代語に間接受身が無かったとも 迷惑受身が無かったとも言っていない 3. 堀口は自動詞の受身であっても意味的な理由で直接受身に分類しているなど 問題が多い 4. 井島は実際に調査していない 古代の間接受身の例 : (8) 霞にたちこめられて ( 蜻蛉日記 974 年ごろ )( 小田 2007:39) なぜ通時的研究が少ないのか? 古典語分析の難しさ意味的な分類 : 中立受身 被害受身 ( はた迷惑の受身 ) 統語的な分類 : 直接受身 間接受身 意味的な分析は 文脈からある程度判定可能 統語的な分析の決め手は格助詞 (9) a. かばん 盗られちゃった 直接?or 間接? b. かばんが盗られた 直接受身 c. かばんを盗られた 間接受身 (10) a. 学生に見られた 直接?or 間接? b. 僕が学生に見られた 直接受身 c. 僕は パチンコ屋にいるところを学生に見られた 間接受身 英語学者のバイアス ( まとめ ) なぜ直接受身起源説が英語学者の主流になったのか 1. おそらく その当時 原田信一という若きエースのデータが 直接受身と間接受身の深層構造の差異を認めるかどうかという生成文法上の大論争の中でサポートデータとして積極的に使われた 2. 英語の受身文からの類推に引きずられてしまった 統語論 : 受身文には対応する能動文があるはずである 意味論 : 影響性が高い被動作主が受動文の主語であるはずである ここまでの了解 ( まとめ ) 直接受身から間接受身へ説: 証拠不足 反例多数 間接受身から直接受身へ説: この拡張を主張する国語学者は存在しない (cf. 川村 2008:106)(cf. 中村 2004) 日本語の受身文に関して ほぼ一致している見解 日本語の受身文は 有情者を主語とする受身文から非情者を主語とする受身文へと拡張した 結局 先行研究は あまり当てにならない 2
3. 認知文法の思考法 認知文法の基礎 1. symbolic viw of grammar( 記号的文法観 ) 形式と意味の対応関係 2. non-autonomy of grammar 言語現象は認知能力によって発現 3. usag-basd modl( 用法基盤モデル ) 言語表現が使用される現場記号的文法観 ( 形式と意味の対応 ) 英語では 完了形と受身形において 同じ形式( 過去分詞 ) が用いられている 完了と受身には意味的に連続性がある (Langackr 1990) (11) a. My wrist is all swolln. (PRF1) 結果状態 b. Th cathdral is totally dsoyd. (PRF2) 結果状態 影響性 c. Th town was dsoyd hous by hous. (PRF3) 影響性 4. 自己把握の様式 二種類の視点配列と図式化事態外視点 : 認知主体が外側から事態を眺めるタイプ ( 分裂自己 = 観察者 参与者 ) 事態内視点 : 認知主体が事態内に自らをおくタイプ ( 生態的自己 = 観察者 参与者 ) go othr othr ( 事態外視点 ) 焦点が結果状態から影響性へ ( 事態内視点 ) 主観的状況 (Subjctiv Scn) は認知主体の主観的見えの世界を表す (11a) (11b) PRF 2 (11c) PRF 3 は直接スコープ (IS) と一致する 内の要素 ( 認知主体 ) は言語化されない 言語化されないが プロファイルされる領域を設けることにより 言語化されない主語 を Langackr の図式に載せることが可能となる 認知文法学者が忘れていたこと 記号的文法観 ( 形式と意味の対応関係 ) ラレル形式の他の用法と受身のつながり 主観的状況を用いた分析例( 対象のガ格 ) (13) a. 言語学が好きだ b. ラネカーの翻訳本がほしい c. 幽霊が見える (13) (12) a. 8 回の盗塁失敗が悔やまれる 自発 b. 太郎は納豆が食べられる 可能 c. 太郎が先生に褒められた 受身 d. 先生は健康のために歩かれている 尊敬 ラレル形式の多義性の観点 つまり 拡張関係から受身用法を考察する必要 があった 他のラレル用法から見た場合 他動性 ( 影響性 ) は必須の要素ではない 5. 客体化 内の参与者の言語化事態内視点の言語化されない参与者は明示できないのか? (14) a. トンネルの出口がだんだん近づいてきた b. トンネルの出口が私にだんだん近づいてきた 3
一括型客体化のプロセス S1( 自己分裂 ):( 観察者 経験者 参与者 ) ( 観察者 )( 経験者 参与者 ) 脱主観化 ( 消滅 ) S2( 共感度減少 ): 事態参与者と観察者の同一指示が解消 三人称有生名詞 S3( 共感度解消 ): ( 経験者 参与者 ) ( 参与者 ) 三人称無生名詞 内在的参照点構造から二重主語構文へ (19) a. 足が踏まれた ( 活性領域へのプロファイルシフト ) b. カバンが開けられた 潜在的受影者 c. 僕は足が踏まれた 二重主語構文 有情者制約が破られる認知メカニズム S1 S2 S3 (14a) (14b) (15a) (15b) 共感度の減少による客体化 言語化された参与者は 客体化がさらに進むと共感度が下がる cf. 共感度 ( 久野 1978) 潜在的受影者から発生状況描写 (20) 軒下に瓢箪が吊るされていた 発生状況描写 ( 尾上 1998:80) 分割型客体化から間接受身へ (21) a. 花子に足を踏まれた 身体部位の受身 b. 花子にカバンを開けられた 持ち主の受身 (15) a. 見知らぬ人が太郎にだんだん近づいてきた b. * 太郎が見知らぬ人にだんだん近づいてきた 6. 受身文 事態内視点を表すラレル形式( 自発 ) 間接受身の客体化 (22) a. 花子に学校を辞められた b. 僕は花子に学校を辞められた c. 太郎は花子に学校を辞められた (16) a. 盗塁失敗を悔やむ b. 盗塁失敗が悔やまれる 一括型客体化から直接受身へ (17) a. ワンちゃんになめられた b. 僕 ワンちゃんになめられた S (16a) S (16b) 自発 7. 結論 なぜ日本語には間接受身が存在するのか 事態内視点における認知主体が分割して客体化されたために 経験主項が発生したため なぜ日本語の受身文では 有情物主語が好まれるのか もともと受身文の主語は認知主体であったため (cf. 益岡 1991) (18) a. 太郎がワンちゃんになめられた b. カナダでは英語が話されている 属性叙述受身 4
S 一括型 直接受身 (17a) 分割型 S (17b) 事態内視点 S T R (19a) AZ S (17b) 事態外視点 T R S (21a) 身体部位受身 = = R R (19b) (19c) 二重主語構文 (18a) S S (21b) 持ち主の受身 (20) 発生状況描写 (18b) 属性叙述受身 S (22a) 間接受身 参考文献 Bolingr, Dwight (1975) On th Passivs in nglish, LAUS 1, 57-80. 原田真一 (1974) 中古語受身文についての一考察 ( シンタクスと意味 2000 年, 大修館, 東京, に再録 ) 堀口和吉 (1982) 日本語の受身表現 日本語 日本文化 ( 大阪外大 ). 井島正博 (1988) 受身文の多層的分析 防衛大学校紀要 57. 池上嘉彦 (2011) 日本語と主観性 主体性 in 澤田 (2011),49-67. 影山太郎 (1993) 文法と語形成 ひつじ書房, 東京. 川村大 (2008) 受身文をめぐる学説史(8 版 ) 未刊行. 久野暲 (1978) 談話の文法 大修館, 東京. Langackr, Ronald W. (1990) oncpt, Imag and Symbol, Mouton d Gruytr, Brlin. Langackr, Ronald W. (1999) Grammar and oncptualization, Mouton du Gruytr, Brlin. 町田章 (2011) 日本語ラレル構文の形式と意味 - 認知文法からのアプローチ- 大庭幸男 岡田禎之( 編著 ) 意味と形式のはざま 英宝社, 東京,163-177. 益岡隆志 (1991) 受動表現と主観性 仁田義雄( 編 ) 日本語のヴォイスと他動性 くろしお出版, 東京, 105-121. 中村芳久 (2004) 主観性の言語学: 主観性と文法構造 構文 中村芳久 ( 編 ) 認知文法論 Ⅱ 大修館, 東京,3-51. 小田勝 (2007) 古代日本語文法 おうふう, 東京. 尾上圭介 (1998) 文法を考える5 出来文 (1) 日本語学 17 巻 7 号. 澤田治美 ( 編 ) (2011) 主観性と主体性 ひつじ書房, 東京. 高見健一 久野暲 (2002) 日英語の自動詞構文 研究社, 東京. 谷口一美 (2005) 事態概念の記号化に関する認知言語学的研究 ひつじ書房, 東京. Tsuboi, ijiro (2000) ognitiv Modls of Transitiv onsual in th Japans Advrsativ Passiv, In Ad Fooln and Frdrik van dr Lk ds. onsuctions in ognitiv Linguistics, John Bnjamins, Amstrdam, 283-300. 上原聡 (2011) 主観性に関する言語の対照と類型 in 澤田 (2011),69-91. (22c) 間接受身 ( 事態外視点 ) (22b) 間接受身 ( 事態外視点 ) 5