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洋美術史ではキュービズムを始め 現代のオプ アート ( Op art/optical art ) を経て 平面に遠近法とは違う様式で空間性を演出する表現が出現されてきた 東洋美術史では余白以外 空間表現として言及された例がまれであり 本件は従来 装飾的 平面的 などの表現上の問題に焦点が合わせられたために正しく評価できなかった総金箔地屏風絵での空間表現様式の特殊性を改めて彩色技法から解明し 日本美術史における総金箔地屏風絵を再評価する必要性を強調する また その成果を現在の画材環境の範囲の中で適切な技法として応用すれば 近代以降発展動向が留まっている平面絵画において新しい表現の地境が拡張されることが期待できると思う 3) 研究成果 室町時代末期から桃山時代を経て江戸時代 に至るほぼ百数十年 (16 世紀から 17 世紀中葉 ) は大画面の障屏風 ことに金碧障屏風の全盛 であった時期であり 総金箔屏風絵は日本の 屏風絵の発展過程の中で完成段階に位置する 様式である ( 註 1) 図 1-1 の尾形光琳筆 槇 楓図屏風 は以上の美術史の背景の中で金碧 障屏風の全盛期に制作された作品である この作品には 積極的に金の広い平面を豊かな空間に換えよ うと努め始めた俵屋宗達ののちに再び明快な画家の自覚を持って尾形光琳によって制作された総金箔押 地の金屏風である ( 註 2) 金箔地を広い空間として意識した尾形光琳は 槇楓図屏風 を描く際にモチー フの表現を通じてその金箔地の強い金属の物性からくる特有の空間性を生かそうとしたことがわかる 18 世紀前半に制作された東京藝術大学大学美術館蔵尾形光琳は 槇楓図屏風 はその制作時期が約百 年も離れている山種美術館蔵伝俵屋宗達筆 槇楓図屏風 (17 世紀前半に制作 ) を模写したものと推定 されているが ( 註 3) その二つの作品のモチーフの表現を比較してみると尾形光琳筆作品でのモチー フの表現の特徴が明確に確認できる ( 筆者の平成 22 年の博士研究 屏風絵における総金箔地の表現効果に ついて の第 2 章から詳しい内容が確認できる ) 図 2-1 は普段屏風作品が展示される際に展示場の光に よる影響や屏風特有の屈曲ある構造によって金光の反射がモチーフ表現に影響を与えてしまう状況をな るべく除去して モチーフの表現の色彩を見やすく撮影したものである 図 2-1 東京藝術大学大学美術館蔵尾形光琳筆 槇楓図屏風 の部分 図 2-1 は木の根元が位置する順番を根拠にして 木のモチーフを順番ごとに再配置し 前後関係を 整理したものである その結果 木の色彩が木の配置順番によって後ろに行くほど木のモチーフ表現 の彩度が落ちていることがわかる 図 2-2 は尾形光琳筆 槇楓図屏風 での木のモチーフ表現がどの ように彩度を調節していたかをサンプル比較から検証したものである 図 2-2 a b c は絵具の本来の原 色として 本来の色味だけでも a が b より b が c より 金箔の背景上 強い表現である しかし 図 2-2a b c の状態に塗りの厚さは変えない状態から a の条件を変えずそのまま描いたのが d b に白禄 を少量混ぜたのが e c に白禄を大量混ぜたのが f である このように白禄を混ぜることによって d は e より e は f より金箔から浮き出て見える また 塗りの厚さを加え a を厚く塗ったのが g b に白 禄を少量混ぜて g より薄く塗ったのが h c に白禄を大量混ぜて h より薄く塗ったのが i である 図 2-2 g h i のように彩度の差と塗りの厚さの差を付けると g が h より h は i より浮き出て見える効果 27

が確認される 図 2-2ghi グル - プが図 2 2def グル - プよ り前後関係を表現しながら金箔背景から浮き出てみえる効 果があることがわかる 以上から 尾形光琳筆 槇楓図屏風 でのモチーフ表現 が絵具の塗りの厚さの差だけではなく 彩度の差をつける ことで モチ - フを部分的に強調したり位置関係を表現し ていることがわかった 東洋絵画では類例がない方法で背 景からモチーフ表現の前後関係 即ち 空間性を演出して いることがわかる 現代の画材環境に比べて限りのある色 相の色材の中でも その色材に適切な方法で混色を行うこ とを通じて色彩の彩度の差を演出したことである それは 金属の強い物性を持つ金箔地を広い空間として意識した作家が その空間を特有の感覚で解釈したこと から始まった彩色方法ではないかと推定する 要するに以上の内容から筆者は尾形光琳筆 槇楓図屏風 での色材の彩度の差を用い 空間性を演出 していた色彩使用法が現代の画材環境の中で自然に誘導されることができることを確認した 現代には 多様な彩度を持つ色材が登場したからである 本研究の色彩材料に関しては 昔から主に使われてきた 古典材料の中で現在では手に入れることが容易ではない材料が数多くあることを勘案したため 現在日 本画の色彩材料として市販されている新岩絵具に焦点を当てて本研究を進めた また 現在に市販され ている新岩絵具の色相による種類が 約 1500 を超えるほど ( 註 4) その色相は多様である 従って 多角度の彩度の演出という 本研究の趣旨をよく反映することができる利点から 新岩絵具を媒介とし て本研究過程を進めた 図 2-2 白禄を混色によって彩度を変えた槇の枝の表現 筆者は図 3で絵具を混色することによって色彩の彩度の差を演出した尾形光琳筆 槇楓図屏風 の彩色技法とは異なり 新岩絵具が色材として持っている色相の彩度をそのまま用いて 多角度の彩度を持つ色線による前後関係を演出することを試みた 多様な色相の種類を持つ新岩絵具の一部を 4 つの色相群 黄 赤 禄 群 に分類してその色相群に属している新岩絵具 9 番を施して彩度の差を演出してみた 図 3abcd は各々の色相群に属している新岩絵具を一定の間隔で施したものであり 図 3a b c d は各々の色相群に属している異名で命名されている色相を施したものである 例えば 図 3c 群の場合 cは新岩若葉禄青だけを一定の間隔で施したものであり c は左から新岩若葉禄青 青群禄 新岩若葉禄青 新岩草禄 新岩濃口群禄を施したものである 以上のサンプルから図 3abcd より図 3a b c d の方が色線の前後関係を演出していることがわかる 新岩絵具は様々な色相を持っていることから 同じ色相群に属している色相を用いても 色線の前後関係を演出できることが検証できた また 図 3e から見ると 色線による前後関係は多様な色相群を並置することによってさらに多様な方向性を持つ色線の前後関係が演出できることが検 証できた 図 3 新岩絵具の色相における色線による色彩彩度の差 28

しかし 総金箔地屏風絵の色彩表現を言及する際 に欠かせないことがある それは紙 絹 木など他 の素地とは異なる金箔地の物性が色彩表現に与える 影響である 特に総金箔地屏風作品になると 屏風 の屈曲ある構造の特徴はさらに金属の面同士がお互 いに光の反射を広げるため 本来の画面に施された 色材が持っている色相に影響を与える つまり 金 箔地に施された色彩表現は光を反射する背景の金属 による影響から独立的に存在することができないこ とである 図 4 は金箔地と紙素地の背景による色相の変化を 検証したサンプルである 図 4a の場合 金箔地に 描かれた色線が見る角度によって 本来の新岩絵具が色材として持っている色相の明度 彩度とは異 なる印象を与えていることが確認できる 紙素地に描かれた色線の場合 図 4b は見る角度の変化に 関わらず 本来の色線の色相の明度と彩度を保っていることが確認できる つまり 一つの色相であっ ても金箔地に描かれた場合 見る角度の変化によって 背景の光による反射が変わり 金箔地図 4 に 描かれた色線が逆光を帯びた表現になるなど 多様な色相を演出することができることがわかる 図 4a は実際に塗られている色材が持つ色相と観覧者が知覚する色相が相違することがわかる 要するに 総金箔地屏風絵は作品が置かれる環境が施された表現に影響をもたらし 見る側の想像や感情移入を 誘導しやすい要件を持ち 観覧者によって心理的に色相の変化を知覚させる要素を持っていると言え る 図 5 のサンプルは金箔地上での新岩絵具の塗り方による色相の変化を調べたものである 新岩絵 具は粒子の大きさを持つ特徴により その塗り方によって様々な表情で色相が演出できることを検 証したサンプルである まず サンプルにおいても多様な色相の種類を持つ新岩絵具の一部を 4 つの色相群 黄 赤 禄 群 を基本として 9 番の絵具を施してサンプルの比較検証を行なった 黄 は新岩山吹 赤 は新岩緋 禄 は新岩濃口群禄 群 は新岩美群青が用いられた A には新岩山吹 と新岩美群青を B には新岩緋と新岩濃口群禄は用いて検証を行なった 1 番は各々に色相を線と して施し 2 番は二つの新岩絵具を粒子から混ぜて施した 3 番は一つの色相を塗った後にもう一 つの色相を流した 4 番はたらし込み技法を用いた 図 5AB の 1 番から 4 番まで 新岩絵具はそ の塗り方によって変化する粒子の混合状態がサンプ ルの色相の見え方に影響を与えていることがわかる 即ち 新岩絵具はその塗り方によってさらに多角度 の彩度の表現が可能にあることがわかった 金箔地 上での他の色材では演出できない様々な色彩の方向 性を持つ表現が新岩絵具の粒子の大きさを持つ特性 から可能になると言える さらに新岩絵具の混色に 図 4 背景の光の反射と観覧する角度における色線による色相の変化 おいて粒子の大きさを変えることによって 様々な彩度表現が倍加されることが想像できる A B 1 2 3 4 図 5 新岩絵具における金箔地上での塗り方と色相の変化 29

結論本研究では総金箔地作品の特有な空間性が色彩使用法から始まったものであることに焦点を置き 尾形光琳筆 槇楓図屏風 でのモチーフ表現が絵具の塗り厚さの差だけではなく 現代の画材環境に比べて限られた色相の色材の中でもその色材に適切な仕組みで混色を行うことから生じる彩度の差で モチ-フの強調や位置関係を表現していることを検証した また その色彩使用法を現代の画材環境に相応しい技法として応用するため 古典的色材で主に使われて来た材料が現在では手に入れることが難しい材料があることなどを勘案し 現在日本画の色彩材料として市販されている多様な色相を持つ新岩絵具を対象として本研究を進めたのである その内容をまとめると 1 多様な色相を持つ新岩絵具を効果的に用いることで混色を行わずに一つの色相群の新岩絵具をそのまま用いてもモチーフの前後関係を演出することができること 2 背景の金箔地における金属の物性による光の反射が実際に施されている色材の色相が持っている明度 彩度の見え方を変容して知覚させることをもたらし なおかつ その変化は見る側の想像や感情移入を誘導しやすい要件をもたらすことから 観覧者が画面から豊かな心理的な色相の変化を知覚することができることがわかった 3また 新岩絵具は粒子の大きさを持っている特性から その塗り方による粒子の混合状態が色相に影響を与え 他の色材では演出できない様々な色彩の方向性を持つ彩度表現が金箔地上で可能なことがわかった 本研究はそれ以外にも金箔地上での色彩表現が持つ様々な色彩現状の変化に関する問題や 新岩絵具という色材が持つ金箔地上での多様な色彩表現の可能性についてまだたくさんの研究課題が残っているが ここでは 以上の検証結果と共に筆者が先行研究で解明した 総金箔地作品での特有の空間表現の特徴を意識しながら制作した研究作品を以下のように提示することで 本研究を結論づける 色彩の彩度の差を調節することで空間性を創出する試みから制作された本研究作品は その創作の趣旨に焦点を当てたため ある特定対象の形を除いて 色面だけの表現を施した 各々の色面は新岩絵具の色相が持つ彩度に基づいて 色相同士の彩度関係から生まれる空間感を手掛りとして色彩の面を描き加えていく制作方法を取った また 部分的には 色面の方向から類推できる前後関係が色彩度によって逆転されて知覚されるなど視覚的な混沌を試みにし 遠近法による空間表現とは性格が異なる遠心的な中心の存在がなくても多様な方向性をもつことで空間性が創出できることを目指して制作された作品である 図 6 総金箔地屏風絵での表現技法の再解釈による現代の空間表現について 研究作品 註 1 武田恒夫 金碧障屏画について ( 仏教芸術 59 号 1965 年 ) 註 2 山根有三 金碧障屏画の展開 ( 武田恒夫他編 日本屏風絵集成第 1 巻屏風絵の成立と展開 講談社 1981 年 P. 114) 註 3 古田亮 俵屋宗達 平凡社 2010 年 註 4 上田邦介 岩絵具の化学 粒子顔料が織りなす美 ( 化学と教育 61 巻 8 号 2013 年 ) 30