平成 30 年度発掘調査遺跡の紹介 六日町藤塚遺跡 Ⅱ 古墳時代後期のムラ よ 所在地 : 南魚沼市余 かわ川 地内 むいかまちふじつか六せんじょうち うおのがわ しょうのまたがわの 日町藤塚遺跡は魚野川の左岸 庄之又川扇状地の標高 178mに位置します 国道 17 六日町バイパスの建設に伴って 平

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福知山-大地の発掘

○現説資料 2回目作成中 その3


す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査


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公益財団法人 No 新潟県埋蔵文化財調査事業団 平成 29 年度新潟県埋蔵文化財センター巡回展 縄文の造形美 - 六反田南遺跡 - の紹介 ろくたんだみなみ糸魚川市六反田南遺跡は 日本海から約 200m 内陸の標高 3.5~4.5mに位置します 平成 18~25 年に


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新潟県立歴史博物館研究紀要第4号

同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古

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H29 発掘調査 おおすがなみ大 菅波コショウズワリ遺跡 い せきかがし [ 加 賀市 ] 大菅波コショウズワリ遺跡は JR 加賀温泉駅から福井方向へ約 1km の丘陵裾から低地にかかる場所に立地する集落遺跡です 調査は北陸新幹線建設に伴い平成 28 年度から行っています 昨年度のやりさきがたせんと

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第4分冊-ヨコ02学生-19考古01-石井氏.indd

ほんぶん/pdf用表紙


7 火焔型土器の色調は 大きく分けて 2 種類あります 一つは赤色系 もう一つは何色系 でしょうか? a) 黒色系 b) 黄色系 c) 白色系 d) 青色系 8 火焔型土器の容量で最小のものは次のうちどれでしょうか? a)350ml b)420ml c)500ml d)720ml 9 一般的な火焔型

割付原稿

昼飯大塚現説資料 indd

ご寄附いただいた皆さまへ このたびは ふるさと納税制度を活用して青森県五所川原市にご寄附 をいただき 誠にありがとうございました 青森県五所川原市は津軽の美しい自然と歴史的資源に恵まれた田園都市です 地方の小さなまちではありますが 活力ある 明るく住みよい豊かなまち を目指し 精一杯頑張ってまいりま


かない金 しもしんでん 井下新田遺跡 ( 渋川市金井 ) 勾玉の古墳人 と上屋構造がわかる平地建物の発見 主任調査研究員 岩上千鶴 1 平成 29 年度発掘調査の概要 金井下新田遺跡は国道 353 号金井バイパス ( 上信自動車道 ) 建設工事に伴い 渋川土木事務所から委託を受けて平成 29 年 4

06.10教育秋田本文


Ⅳ-3 層土層の一部 ( 幅 113 cm 高さ 29 cm 奥行き 7 cm ) 土壌となった土層(Ⅳ-2 層 ) の下底面の凹み ( 長さ 50 cm 幅 30 cm 厚さ 15 cm ) を切り取り発泡ウレタンで固定して観察を行った 水分が一定程度抜けた状態で詳細な観察ができるようになり 発掘

第十七回 縄文文化講座

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され 南北方向に走る幅約 1 mの壁石列の両側 で 階段を伴う中庭と考えられる石敷きの床面 西側 部屋を区切る立石の柱列 ウィン 部屋C ドウ ウォール 東側 が確認された またフ 部屋B ラスコ彩色壁画の断片多数や 西暦 1 世紀の土 器やコインが出土していた これを受けて第 7 次調査では 調査

H24 発掘調査 なが長 いけ池 いカチジリ遺 せき跡 の 長池ニシタンボ遺跡 野々の いちし市市 長池カチジリ遺跡 長池ニシタンボ遺跡は野々市市長池地内に所在します 二級河川安原川広域河川改修工事に伴う発掘調査で 長池カチジリ遺跡で弥生時代後期 ~ 古墳時代前期の集落を 長池ニシタンボ遺跡では弥生

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表紙


H24年度概況(環境監視)


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博物館ニュース第152号

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◎白本H22継続監視調査全県まとめ

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2. 急流河川の現状と課題 2.1 急流河川の特徴 急流河川では 洪水時の流れが速く 転石や土砂を多く含んだ洪水流の強大なエネルギー により 平均年最大流量程度の中小洪水でも 河岸侵食や護岸の被災が生じる また 澪筋 の変化が激しく流路が固定していないため どの地点においても被災を受ける恐れがある

膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)

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考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)

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Ⅰ~Ⅴ章 平成22年度地域生物多様性保全実証事業報告書(群馬県ニホンジカ個体数調整)3

032_290324_事前評価修正_【新潟県】(防_整_変8)雪や災害に強く安全・安心に暮らせる地域づくり(防災・安全)

0.45m1.00m 1.00m 1.00m 0.33m 0.33m 0.33m 0.45m 1.00m 2


目次 例言 Ⅰ Ⅱ 第 1 章遺跡の目次 1 4 第 2 章調査区の概要 5 8 図版 2 7 写真図版 PL.1 10 図版目次 第 1 図チャシコツ岬上遺跡位置図 2 第 2 図地形測量図 3 第 3 図調査区及びグリッド配置図 4 第 4 図 PIT 1( 土坑墓 ) 及び PIT 2a( 土

研究紀要 第3号 (その2)

縄文時代の海岸線復元と遺跡動態 岡山平野のボーリング調査を踏まえて 2018 年 2 月山本悦世 山口雄治 鈴木茂之

最新レポート Ⅰ 金井東裏遺跡 平成 25 年度の調査 調査統括 友廣哲也 平成 24 年 11 月 渋川市の金井東裏遺跡で 甲を着た古墳人 が発見されました 6 世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火に伴う火山灰や火砕流に覆われ その後の6 世紀中頃に起きた二ツ岳の二回目の大噴火で降下した厚さ2mに及ぶ軽石に


市報かすが12月15日号


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石器の実測は 698 点を対象に業務を外部に委託した 自然科学分析では土壌洗浄 火山灰分析に ついて 業務を外部に委託した 土壌分析は微細な資料を得るとともに 今後の分析方針を決め るために 火山灰分析は 土壌の堆積時期を特定するためにそれぞれ実施した ウ学識者の招聘 今年度は土器の編年 器種 産地

Microsoft Word - ●P0表紙・はじめに・目次


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流域番号 阿賀野市 阿賀町 新潟市 新潟市 新潟市 加茂市 飯山新 平堀 南区白根 秋葉区新保 江南区横越中央 八幡 その他の井戸 生活用水井戸 生活用水井戸 生活用水井戸 生活

鹿児島県内出土のガラス玉の化学分析 中井泉 1, 柳瀬和也 1, 松﨑真弓 1, 澤村大地 1, 永濵功治 Chemical Analysis of glass beads excavated from Kagoshima prefecture Nakai Izumi,Yanase Kazuya,M

69 Sector V / H-11 Grid Layer 3б Пласт 4 No. 301 削器 71 Sector V / M-15 Grid Layer 3б Пласт 5 No. 337 削器 72 Sector V / M-20 Grid Layer 3б Пласт 4 No. 2


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資料 -5 第 5 回岩木川魚がすみやすい川づくり検討委員会現地説明資料 平成 28 年 12 月 2 日 東北地方整備局青森河川国道事務所

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本発掘調査 番号遺跡名事業名所在地調査期間主な時代 1 カかやまちヤマチ遺跡国道 113 号鷹ノ巣道路関川村 7 9 月縄文 きつねやしき狐屋敷遺跡 国道 7 号小川交差点改良 村上市 4 月 中世 3 やまぐちのなか山口野中遺跡 国道 49 号阿賀野バイパス 阿賀野市 4 8 月 古代 中世 4


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イベント詳細 1 公開ライブラリー 埼玉県が製作した映像の上映会とトークショー 古代へのいざない国宝 金錯銘鉄剣 日時 : 2 月 2 日 ( 土 )14:00~16:00 会場 : 彩の国ビジュアルプラザ 4 階映像ホール 料金 : 無料 定員 : 300 名 ( 事前申込制 / 先着順 ) 内容

図 1 平成 19 年首都圏地価分布 出所 ) 東急不動産株式会社作成 1963 年以来 毎年定期的に 1 月現在の地価調査を同社が行い その結果をまとめているもの 2

国立歴史民俗博物館研究報告 第 87 集 204 年 7 月 も含めて 今後資料調査を行うための基礎的な文献データとして集成作業をおこなっている なお 文献集成及びデータの整理作業は一木が行い 工藤が全体をまとめた 縄文時代のアサの研究略史 アサは一般的に 中央アジアや西ヒマラヤが原産地と言われてい

研究成果報告書

千葉寺地区の遺跡展 図録

九州地方の縄紋中期土器編年と14C年代 高 瀬 哲 郎 徳 永 貞 紹 佐賀県教育委員会 1 はじめに 考古学における遺物の型式学的研究 とりわけ土器の編年は 相対年代ではあるが 年代決定の重要な方法であり 遺跡や他の出土遺物の時期を示す精緻な物差としての 役割を果たしている しかし 全ての時代や地

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制定された 発掘の規制関係は 第 6 章 埋蔵文化財 に規定されている 第 93 条に土木工事等のための発掘について規定があり 第 1 項では事業施行者から文化庁長官への届出 第 2 項では文化庁長官から事業施行者へ発掘調査等の実施の指示などが規定されている (4) 埋蔵文化財包蔵地の確認工事の途中

やよい絵画がえがかれた弥生土器をさがしてみよう!( 第 1 展示室 ) 左の絵画にえがかれた建物を何といいますか この建物は何に用いられたのでしょうか 左の絵画は何をえがいたものでしょうか この絵画がえがかれた土器は 奈良県の何という遺跡で見つかりましたか す須 え恵 き器 はじきと土師器 ( 第

同志社大学歴史資料館館報第 15 号 定される A 面は表面の損傷が激しく格子目がうっすらと確認できる程度になっている 縁部より1 mmを除くほぼ全面が白色変化している B 面はA 面よりも損傷が少ない 表面は両面とも全体的にざらついている 4は 残存長 9.1cm 残存幅 5.8cm 厚さ2.5c


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同志社大学歴史資料館館報第 15 号 若江北遺跡採集の土器群について 音村政一氏 豊岡忠雄氏ら採集資料を中心に 若林邦彦 柴田将幹 はじめに 2006 年の7 月 同志社大学文学部卒業生の音村政一氏から 同志社大学歴史資料館に資料の保管依頼があった それらの内容は 弥生土器 土師器 須恵器 サヌカイ

報告:CSJ報告書1008HP.pptx

030801調査結果速報版.PDF

9 箇所名 江戸川区 -1 都道府県東京都 市区町村江戸川区 地区 清新町, 臨海町 2/6 発生面積 中 地形分類 盛土地 液状化発生履歴 近傍では1855 安政江戸地震 1894 東京湾北部地震 1923 大正関東地震の際に履歴あり 土地改変履歴 国道 367 号より北側は昭和 46~5 年 南

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新潟県埋蔵文化財センター 発掘調査整理遺跡紹介 2018 Dec. 第 南魚沼市六日町藤塚遺跡 Ⅱ 阿賀野市土橋北遺跡 南魚沼市六日町藤塚遺跡土器集積遺構平成 30 年 11 月撮影

平成 30 年度発掘調査遺跡の紹介 六日町藤塚遺跡 Ⅱ 古墳時代後期のムラ よ 所在地 : 南魚沼市余 かわ川 地内 むいかまちふじつか六せんじょうち うおのがわ しょうのまたがわの 日町藤塚遺跡は魚野川の左岸 庄之又川扇状地の標高 178mに位置します 国道 17 六日町バイパスの建設に伴って 平成 29 年度から調査しています 遺跡全体を土石流堆積土が覆ったことで 当時の生活の痕跡を良好な状態で検出しました そのしゅうていたいたてあな一つが周堤帯を伴う竪穴建物です 周堤帯とはつつみ掘った土を周囲に積み上げて堤状にしたもので 雨水が建物内に入るのを防いだと思われます 多くの場合は 長年の風雨や耕作などで残りません 周堤帯は幅 2.3m 3.2m 高さ28cm 16cmです 竪穴建物の床面の規模は 南北 6.7m 東西 6.2m しゅちゅうけつのほぼ正方形で 主柱穴は 4 基を確認しました ろしょうこつへん炉は床面中央の西寄りで 炉からは動物の焼骨片へいちしきが出土しました この建物のほかに平地式建物もみつかり 古墳時代のムラであることがわかりました 長軸 1.9m 短軸 1.2mの範囲に127 個の石を集めしゅうせきいこうて 部分的に 3 段に積み上げた集石遺構もありま した これは古墳時代としては大変貴重な事例です 石は焼けておらず その下からは遺構 遺物はありませんでした その用途は不明ですが 石の形態は長い楕円形が中心で 意図的に選んで集めてきたと感じられます このなかには たたい た痕跡や線状の刻みがある石もあります すえきかめはじきたかつき遺物は須恵器の甕やハソウ 土師器の高杯 つぼわんかめといしてつせいひんどせいまるだまかっせき壺 椀 甕など 砥石 鉄製品 土製丸玉 滑石 まがたま うすだま 製の勾玉や臼玉が出土しています 足の踏み場に 困るほどに遺物が多く出土する範囲もありまし た また ほぼ完形の須恵器や土師器が マツリ せきせいもぞうひん の道具である石製模造品や臼玉と共にまとまって 出土した遺構もありました ( 表紙写真 ) 直径 3 mm 4 mmの臼玉といった微細な遺物ふるは 現地で土を採取し 水で洗いながら篩って発 見します それによって 土師器や須恵器の破片 どせいまるだま が密集する地点以外でも土製丸玉や臼玉が出土す ることがわかりました この作業では炭化した種実などもみつけています ( 加藤元康 ) 周堤が残る竪穴建物 土師器の破片が密集して出土する様子 集石遺構 微細な遺物を採取するための水洗選別作業 2

30 年度整理作業から 土橋北遺跡 - 川岸から土器が出土した縄文時代晩期の遺跡 - あがのしももつあざ所在地 : 阿賀野市百津字ヤチ313-1ほか どばしきたいせき 土橋北遺跡は 越後平野の東縁 阿野右岸に位置し 現標高は約 7 mです 旧水原町市街地けんえいたんすいぼうじょじぎょうの南側で現況は水田でした 県営湛水防除事業にあんのがわおおあらかわおさとがわよる排水路 3 路線 ( 安野川 大荒川 小里川 ) の改修に伴って平成 29 年度に発掘調査を行いました 遺跡は 2 時期に別れ 上層が縄文時代晩期 下層が縄文時代中期から後期でした 発掘調査面積は 上層が2,010m2 下層が3,223m2で合計 5,233m2となります 上層では 土器が集中している地点や土坑 川跡などが見つかりました 土器の集中している地点は19か所確認しましたが 完全に復しょうど元できた土器はほとんどありません 炭や焼土が広範囲で確認できた地点もあります この炭の中からは 土器片と共にたくさんのクルミやトチノしゅじつキなどの食用種実 ( 木の実 ) の焼けた破片が出土していることから ここで火を用いて食料加工を行っていたと考えられます また 遺跡の中を幅 あ が賀 の がわ川 約 4 m 深さ約 1 mの蛇行する川が流れています この川の中からも多くの土器や石器が出土しまし た またトチノキ クルミ等の木の実も多くあり ます 土器の時期は晩期後半で 煮炊きに利用しかめふかばちたんかぶつた甕や深鉢がほとんどで 土器の内側には炭化物 が付いています 石器は 石鏃錐製石ふすりいしるいいしざら斧 磨石類 石皿などがありますが少量です に た せきぞくいしきりませいせき 石 磨 今回調査したところは遺跡の一部と考えられ 調査範囲外に建物を含む集落があるものと予想さ れます どこう 下層では土器の集中している地点や土坑が見つたてものあとかりましたが 建物跡は確認できませんでした 出土した遺物は中期後半から後期前葉にかけての土器と石器ですが 出土量は多くありません この地域では 標高の低い平野部に立地する遺跡から縄文時代中期後半の遺物が見つかることは 珍しいことです ( 高橋保 ) 写真 1 調査区全景 ( 西から ) 写真 3 上層写真 5 の土器出土状況 ( 西から ) 写真 2 多くの遺物が出土した川跡 ( 南から ) 写真 4 後期の土器高さ約 36 cm 写真 5 晩期の土器高さ約 47 cm 3

埋文コラム 吉ヶ沢遺跡 B 地点出土の 旧石器時代石器接合資料 あらかいさん阿賀野川は福島 栃木県境の荒海山を源流とし 新潟市で日本海に注ぐ全長 210kmの一級河川でよしがさわす 吉ヶ沢遺跡は 阿賀野川が新潟平野に注ぐ手前左岸の河岸段丘上にある約 2 万 3 千年前の遺跡です 磐越自動車道建設に伴い平成 3 5 6 年に発掘調査が行われ 現在は阿賀野川サービスエリア下り線となっています ここでご紹介するのは 旧石器時代の石器接合資料です 旧石器時代とは 約 4 万年前から 1 万ひょうが 5 千年前に相当し 今よりも気温が数度低い氷河期で 人々は主に狩りによって食料を得ていました シカなどの移動する獲物を追って 1 年の間に住まいを転々と移す生活をおくっていました 旧石器時代の石器は 石を打ち割って作る打製石器が主なので 遺跡からたくさんの石器や石はくへんのかけら ( 剝片 ) 割りとられた残りの芯の部分せきかく ( 石核 ) が出土した場合 それらがくっつくことがせつごうあります これが接合資料で 剥片や石核のくっつき方を検討することで 当時の石器の作り方を知ることができる貴重な資料です 写真 1 左の接合資料では たくさんの縦に細長い剝片が石核に接合しています 日本列島の旧石器時代では 約 3 万年前ごろから縦に長い剝片を連続して打ち割る技術が流行しました この縦にせきじん長い剝片を石刃 石刃を連続的に打ち割る作り方を石刃技術と呼びます 石刃技術はこのころ世界中で流行した技術で 吉ヶ沢遺跡 B 地点でも盛んにこの作り方で石刃が打ち割られ さらにその石やりさき刃を加工して形を整え 主に槍先として使用されたナイフ形石器 動物の皮をなめしたり 木を加ちょうこくとうかたせっき工したりする彫刻刀形石器などの道具が作られました また 鋭い刃を持った石刃はそのままで狩りの獲物の解体などに使われました 接合資料からは 石器の作り方以外の情報も得られます 発掘調査では石器や剝片の出土地点を記録しますが 接合資料の各石器の出土地点を検討して 遺跡内のどこで石器を作ったり 使ったりしたかなどを推定します また 写真 2 の接合 資料には下半分に大きなすき間があります これは 打ち割られた石器が遺跡から持ち出されたためで 住まいを転々と移す生活の証拠です 石器の材料は 遺跡から約 7 km 離れた場所でけつがんとれる頁岩という岩石で 吉ヶ沢遺跡を訪れた人々は この地で石材を獲得し 石器を大量に作って補給していたようです ( 沢田敦 ) 写真 1 左 : 石刃技術の接合資料右上 : ナイフ形石器右下 : 彫刻刀形石器 写真 2 下半分にすき間のある接合資料展開写真 4

埋文インフォメーション 第 23 回遺跡発掘調査報告会 発掘! 新潟の遺跡 2018 展を開催します 第 23 回遺跡発掘調査報告会 シンポジウム 白河荘の考古学 平成 29 30 年度に発掘調査を行った遺跡の最新成果について 発掘担当者が画像を交えて解説します また 当センターが行った阿賀野バイパスの発掘調査の成果に焦点を当てたシンポジウムしらかわのしょう 白河荘の考古学 を開催します 東北地方の中世考古学に詳しい飯村均氏 (( 公財 ) 福島県文化振興財団 ) と中世文書を研究されている前嶋敏氏 ( 新潟県立歴史博物館 ) を招き 中世阿賀野の開発等について検討します 日時 : 平成 31 年 3 月 10 日 10:30 16:00 ( 受付開始は10:00) 会場 : 新潟県立生涯学習推進センター ホール ( 新潟市中央区女池南 3 丁目 1 2) 内容 : 発掘調査報告 10:30 12:00 かみの 村上市上野遺跡 ( 縄文時代後期 ) むいかまちふじつか 南魚沼市六日町藤塚遺跡 ( 古墳時代 ) おかえ 柏崎市丘江遺跡 Ⅵ( 弥生時代 中世 ) おかえ 柏崎市丘江遺跡 Ⅶ ( 中世 ) シンポジウム 13:00 16:00 阿賀野バイパスの調査成果中世奥羽の道とマチ古文書からみた白河庄パネルディスカッション 参加費 : 無料 定員 :175 名 ( 申込不要 当日定員になり次第締切 ) 手話通訳 要約筆記を行います 発掘! 新潟の遺跡 2018 展第 23 回遺跡発掘調査報告会に併設して開催します 遺跡発掘調査報告会で報告する 4 遺跡の最新の調査成果について 出土品とパネルで紹介します 展示品の多くが初公開となりますので お見逃しのないよう ぜひお越しください 日時 : 平成 31 年 3 月 5 日 3 月 17 日 9:30 19:00 土日は17:00まで 会場 : 新潟県立図書館 エントランスホール ( 新潟市中央区女池南 3 丁目 1 2 ) 内容 : 上野遺跡 六日町藤塚遺跡 丘江遺跡 阿賀野バイパス関連遺跡の出土品とパネルを展示 観覧 : 無料上野遺跡の縄文土器 石器 丘江遺跡 Ⅶ( 鎌倉 ~ 室町時代の村 ) 六日町藤塚遺跡 ( 古墳時代の土器出土状況 ) 5

県内の遺跡 遺物 103 佐渡貝塚群 ( 堂の貝塚 藤塚貝塚 三宮貝塚 ) 出土品 125 点 ( 平成 28 年 3 月 25 日新潟県指定有形文化財 ( 考古資料 )) 遺跡所在地 : 佐渡市貝塚 真野新町 吉岡 三宮遺物保管 : 佐渡市 ( 佐渡市立佐渡博物館 佐渡市埋蔵文化財整理事務所 ) どうかいづかの貝 ふじつか さんぐう 縄文時代の堂塚 藤塚貝塚 三宮貝塚は くになかへいやまの佐渡島中央に位置する国中平野から西側の真野湾沿岸にかけての段丘上 砂丘上に立地します かいづか堂の貝塚は佐渡市貝塚に所在します 地元で貝の散布が古くから認識され そのため江戸時代には村名の起源にもなり 貝塚の貝塚 とも呼称されていた遺跡です 貝塚の規模は東西 35m 南北 20m 以上と推定され 昭和 44 年のほ場整備事業に伴う発掘調査では サドシジミを主体とする貝を含む土層から 縄文時代中期前葉 中葉の土こっかくきどこうぼ器 石器 骨角器 土壙墓群に埋葬された人骨 りっせきいこう立石遺構などが見つかりました なかでも第 6 てつせきえいたんぱくせき人骨 ( 写真 1 ) の頭部付近には 鉄石英と蛋白石せきぞく製の精巧なつくりの赤色と白色の石鏃が13 本置かれ 胸部には生息域が温帯 熱帯海域に分布するすいしょくイタチザメの歯を加工した装飾品 ( 垂飾 ) が1 点副葬されていたことが特筆されます ( 写真 2 ) 藤塚貝塚は 昭和 41 年 採砂工事中に貝層の露頭が確認されたため緊急調査が行われ 翌 42 年には保存目的の調査が実施されました 調査の結果 東西 30m 南北 20m 以上の規模と推定され サド シジミを主体とする貝を含む土層からは縄文時代 せきせいひん 中期後葉 後期前葉の土器 石器 石製品 骨角 かいせいひん 器 貝製品などの遺物 人骨が埋葬された土壙墓はいせきいこうや配石遺構が見つかりました さんぐう 三宮貝塚は三宮神社境内にあります 貝塚の規模 は東西 90m 南北 70m 以上と推定され 島内最大の貝塚で 残りが最もよく 現在でも貝などの散布が見られます 昭和 36 年に本格的な発掘調査が行われ 調査の結果 サドシジミを主体とする貝を含む土層から 縄文時代後期前葉 晩期後葉の土器 石器 石製品 骨角器 貝製品などの遺物 人骨が埋葬された土壙墓が見つかりました なかでも骨角製のしとつぐそうしんぐ刺突具や装飾性の高い装身具は注目されます 堂の貝塚は中期 藤塚貝塚は中期 後期 三宮貝塚は後期 晩期と 3 貝塚は縄文時代中期から晩期にかけて形成時期がほぼ連続し 佐渡島における縄文文化の変遷を知る上でも重要です また 新潟県内では類例の乏しい骨角器や貝製品がまとまって出土しており 当時の道具の変遷や食料獲得状況も把握でき 学術的に貴重なものであることから 出土品 125 点が新潟県有形文化財に指定されました ( 佐渡市世界遺産推進課鹿取渉 ) 写真 1 堂の貝塚第 6 人骨 写真 2 堂の貝塚石鏃と垂飾 埋文にいがた第 平成 30 年 12 月 25 日発行発行新潟県埋蔵文化財センター Niigata Prefecture Archaeological Research Center 指定管理者 : 公益財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団 956-0845 新潟市秋葉区金津 93 番地 1 TEL:(0250)25-3981 FAX:(0250)25-3986 E-mail:niigata@maibun.net URL:http://www.maibun.net/ 6