聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

創世記5 創世記2章4節b~25

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

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2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

牧会の祈り

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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牧会の祈り

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

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Taro-小学校第5学年国語科「ゆる

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

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(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

CL8 ええ それで母に相談したら そんな会社に行かずに地元に戻って就職しなさいと言われま した 就職活動はまた始めた方が良いような気がしますけど でも 本当にどうしてよいか わからなくて CO9 今は どうしたらよいかわからないのですね CL9 そうなんです でも 破綻した会社に行くのは不安だし

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

この度は特別 無料レポートをご請求いただきまして 誠にありが とうございます 感謝します このレポートが あなたの人生を好転させるきっかけとなることを 祈りながら作成しました 何か一つでも 今後の人生の糧となるようでしたら この上ない私 の幸せです どうぞ楽しみながら読み進めてください ネットで幸せ

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

小次郎講師のトレーダーズバイブル第33回.pages

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください

第 6 章では7つの封印のうち6つの封印が 神の小羊によって次々と開かれていきます 第一の封印が開かれると 冠をかぶり弓を持つ騎手の乗った白い馬が現れます 強い軍事力で他国を侵略していく帝国主義の象徴です 次に大きな剣を持つ騎手の乗った赤い馬 内戦や反乱で人々を苦しめる象徴です 黒い馬は飢饉を 青白

HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している

「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けて

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

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は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

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第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

満月の祝福の瞑想 : あなたの選んだセッション開始時間に この瞑想テキストを読み始めてください 目を閉じて自分の身体の中に意識を向けてください 自分が座っているクッションや椅子にかかる自分の重み あるいは膝に乗せた

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

年 9 月 24 日 / 浪宏友ビジネス縁起観塾 / 法華経の現代的実践シリーズ 部下を育てない 事例甲課乙係のF 係長が年次有給休暇を 三日間連続でとった F 係長が三日も連続で休暇をとるのは珍しいことであった この三日の間 乙係からN 課長のところへ 決裁文書はあがらなかった N

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

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3 学校教育におけるJSLカリキュラム(中学校編)(国語科)4.指導案 6 報告文を書いて発表しよう

2008 年 7 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 6 創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6

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Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

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ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

長野市門前町周辺のリノベーション事業について はじめ自分は リノベーション事業は行政が関わって行われているものだと思っていたが この門前町で行われている事業はそうではなく住民主体で行われているものだった リノベーション事業を進め始めてから そこに住む住民らは行政である長野市にリノベーションに市として

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

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しイエス様は 5 章 20 節でこう言っておられました わたしはあなたがたに言います あなたがたの義が 律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ あなたがたは決して天の御国に入れません 律法学者やパリサイ人は 当時のユダヤの社会で最も道徳的な人たちと敬われていた人々です 彼らは当然 自分たちは正

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

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3. ➀ 1 1 ➁ 2 ➀ ➁ /

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

聖書マタイによる福音書 11:15~19 ( 第 53 講 ) 題 肉の思いから解放された信仰によって変えられる ( 序 ) 自己願望から物事を見る弊害を理解する * すべての人間は アダムが犯した罪人として 汚染された DNA を受け継ぎ 自己中心の生き方をするようになってしまいました それが当た

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

な声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った ここに上れ この後 必ず起こる事をあなたに示そう (1) ヨハネは 7 つの教会への手紙の啓示を聞いた後 天の御座の幻を見た 1 その後 私は見た とは 時間の流れを示す言葉である (2) 招きの言葉がかかった 1 一つの開いた門があった * ヨ

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北野中学校 30 周年第 1 学年共通道徳学習指導案 人はなぜ働くのか. 日 時 平成 18 年 11 月 24 日 生 徒 札幌市立北野中学校第 1 学年 指導者 教諭 筒井 久保村 石塚 川村 1. 主題名 人はなぜ働くのか 4-(5) 勤労と奉仕の精神 2. 主題設定の理由 人のためにならない

Transcription:

聖書ヨハネの黙示録 21:1~8 その 1( 第 31 講 ) 題 新天新地に入れて頂けることが意味するもの ( 序 ) キリスト信仰の特徴は 待ち望む信仰 * 人間は希望を持って生きることが大事だと言います それは 言わば 目標なしに生きることは虚しくなるからです けれども 世における希望とはどのようなものか 希望と言う言葉を辞書で引きますと 現在と将来に期待や見込みを立て それをあてにする意味だと言います それは 自分の願いを目標に掲げ それに向かって その願いをかなえようと進むことを希望と考えています それは 物質的なものもあれば 精神的なものや地位 名誉などの社会的なものもあるでしょう * 子供たちに 将来何になりたいですかと聞いたりするのは 希望を持つことが大事だと言いたいためでしょう 老人に何になりたいですかとは聞かないものです 聞くとするならば 老後はどのように過ごしたいですかと言う そんなできる範囲のささやかな希望になってしまいます * それでは 信仰者にとって希望とは何でしょうか パウロは 信仰者にとって大事なことは いつまでも存続するものであって それは信仰と希望と愛だと言いました (Ⅰ コリント 13:13) その結論は愛の大事さを語るためでありましたが 信仰と希望の大事さは決して劣るものではありません 今日は希望について見ていきたいのです * それでは 信仰者にとって希望とはどのようなものを指しているのでしょうか ペテロは第 2 の手紙でこう言いました 私たちは 神の約束に従って 義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる と (3:13) 信仰者にとっ 1

ての希望とは 驚くべき最高の 神の約束が実現することだと言い それは 終わりの時に約束されている新しい天と新しい地であって それを 信仰者としてなくてはならない希望として抱き それが実現することを待ち望むのが信仰者だと言っています * ここに世の人が持つ希望と 信仰者が持つべき希望との間に大きな違いがあることが分かります 世の人は 自分の願いが希望の根拠ですが 信仰者は 神が約束された必ず実現する 信仰者が今か今かと待ち望むべきもっとも祝された 必ず受けることができるもののことだと言います しかし うっかりすると 信仰者も 希望よりも 今苦しみから解放され 幸いな人生を送ることができたらいいと考えてしまう人があります こういう人の信仰は ご利益信仰であり 希望も愛もありません * なぜ希望を持つことが大事だと言うのでしょうか キリスト信仰の特徴は 待ち望む信仰だと言っても過言ではありません それは神が真実で 実現されることしか語られないお方であると信じていますから 神の約束のお言葉は 信仰者にとって必ず実現すると信じることができる希望を意味し それを待ち望むように導かれているのです * それ故 希望のない信仰は 言うならば 調味料の入っていない料理のようなもので 食べられなくはありませんが あまりおいしくないものです 終わりの時に用意されている希望を持たない信仰者は 頼りない信仰でしかないでしょう その希望について明確に示している今日の箇所を見ていくことにしましょう (1) 神が新しい天と 新しい地とを創造される 2

* ヨハネに示されている幻は 延々と続いた恐ろしい裁きの光景が終り 悪と罪をもたらした張本人であったサタンも滅ぼされ 後は 信仰者の希望の実現が控えているだけでありました ヨハネは わくわくする思いで期待して見ていると これまでの古い天と古い地は完全に崩れ去り 新しい天と新しい地を見たと言います ここから見て ヨハネが立っているところは 天上であったと考えられます * この言葉は 古い天と地は 古い天が地球を取り巻く宇宙空間の天体を指すと見た場合ですが (Ⅱ ペテロ 3:10) それらは目に見えていたものであります けれども それが太陽や月も含めすべてが滅びて 新しい天と地が一瞬にして現れるのですが それは 目に見えるものではなく 見えない神による 霊的な空間表現であることは言うまでもないことでしょう どうして見える天と地と 見えない天と地を同じ表現で呼び 混乱させているのでしょうか * もう一つの疑問が出てきます それは 天と言うのが 単に天体を指すのではなく 黙示録でも天が開かれたと言っているように 神のおられるところを指す表現でもあるとするなら 古い天が滅びると言うのも理解しにくいことになります 人間の罪の故に汚れた古い地 ( 地上と地上に住むものすべて ) だけが滅びるのであれば 理解できます これがどういう意味なのか考えて見なければなりません * 神は このことをすでにイザヤに示しておられます 65: 17 で 神が新しい天と 新しい地とを創造されることが語られ 同じ 66:22 では 私が造ろうとしている新しい天と 新しい地と言う表現で 最初の天と地を造られた時のように 古い天と地の改訂版ではなく 全く異なった新しい天と 新しい地とを創造されることが言われています 3

この神の啓示が黙示録につながっており これが黙示録の幻の背景であることは言うまでもありません * ここから分かることは 罪と汚れに満ちた最初の世を完全に消去され 新しいと言う言葉で 全く質の違った新たな世界を創造されると強調しているのでしょう そこには海がないと言うことで これはおそらく 不安定で 汚物を吐き出すという ( イザヤ 57:20) 悪しきものの象徴のように語られているところから考えると それらが一切ない きよい世界を意味しているのでしょう * 全く異なった古い天と地と 新しい天と地をここに並べて示しておられる意図は何でしょうか これは 神の最初の創造が 滅ぼすしかないものに堕落してしまい もはや修正 再生ではどうにもならないものとなってしまっているのをご存じですから 神の御心の中では 最初から第 2 の創造が考えられていたのでしょう * しかも 第 2 の創造は 第 1 の創造のように 堕落する可能性のあるものではなく また 目に見える物質的なものではなく 完全な 目に見えないものであることを 並べて示すことによって その違いを明らかにするためだったと考えられます その違いが 海はないと言う この表現の中に込められているのでしょう * この新しい天と 新しい地と言う表現をもって信仰者に語りかけておられる希望とはどのようなものなのでしょうか それは 古い天と地の中でもがき苦しみ 罪と悪に憑りつかれ 抜け出すことができない そんな人間の内に染み込んでいる古い人が ここで完全に処分され 罪と悪が入り込むことのない新しい天と地の中で 全く新しい人に造り変えられた者たちとして招き入れて下さると言う朗報を明 4

らかにすることにあったのでしょう (2) 霊的空間に造られた新天新地と新しいエルサレム * 2 節にも理解しがたい点が幾つかあります 第 1 は 古い天と地は 今の世界のことですから その中心として 神が臨在されるところをエルサレムに定められたことは分かります しかし 古い世界は焼却され 新しく創造された天と地には 神を信じる者しか入られないところでありますから その中心として 神の臨在される新しいエルサレムを定められる必要があるのかと言う点です * 第 2 は この新しいエルサレムが キリスト教会の象徴だと言う人があります 確かに新しいエルサレムが 夫であるキリストのために着飾った花嫁のように用意を整えていると言い 9 節では 小羊の妻なる花嫁と言う表現で キリスト教会を指していると言えるのですが この状態において キリスト教会だけの町を 天から下らせる必要性があるとは到底考えられません * 第 3 は 新しい天と 新しい地とは一体のものと考えるべきか 新しいエルサレムが天から下ってきたと言われているところから考えて見ると 新しい地は下にあって そこに新しいエルサレムが下りてきたと考えるべきか * 第 4 は 新しい地と 新しいエルサレムとの関連はどう考えるべきでしょうか 新しいエルサレムに 神が共にいて下さる幕屋があり そこに神がいて下さると言う事実の故に もはや死も 悲しみも 叫びも 痛みもないと言う 古い世において味わわなければならなかったものが すべて解消されると言っているのはどのような状態を指すのか 信仰者である私たちを迎え入れて下さると言われている新 5

しい世界のイメージがなかなか持てない部分がありますから それを考えていくことにしましょう * 第 1 の疑問は 新しい天と地は創造されたと言い もう一方では新しいエルサレムが神から下りてきたと言う内容に 整合性 一貫性が感じられないことにあります 第 1 の疑問だけではなく 1~4 までの疑問はすべて一つの神の示し方を受けとめることができるかどうかにかかっていると言えるでしょう 全体として見ていくことにしましょう * 新しい天と地と言っても 人間はどうしても物質的 位置的 状態的な受けとめ方をしようとする考え方からなかなか離れられないところに この幻を受けとめる難しさの壁があるのです それは何かと言いますと 新しい天と地は見えないものであり 古い天と地とは全く別の異空間と言うか 見えない 形のないものであり それを創造されたと言われても 人間が感じ取ることも 理解することもできないものです * 更に新しいエルサレムと言われても エルサレムの町を思い浮かべるように言われているのではなく すべて比喩であり 人間が聞きやすいようにと擬人法と比喩とを混ぜ込んでおり 人間の知恵による理解力では全く歯が立たないのです この比喩を通して言われていることは 神を中心とし 神が共にいて下さり 神と完全に結び合わされた状態にされていることを示すことにあったのです * 新しい天と地は創造されたと言い もう一方の 新しいエルサレムは天から下りてきたと言っていますが これは 同じだと考えるべきでしょう 新しい天と地は 御国全体を指し 新しいエルサレムは そこに入れて頂いた者たちの霊的な状態を示すことに この幻の意味があったのだと 6

考えられるからです すなわち 新しい天と地と 新しいエルサレムが同じ状態を示し 一方は人間が考えもできない異空間を指し 新しいエルサレムと言うことによって そこに入れて頂いている者たちの霊的状態を示していると考えるべきでしょう * この新天新地は 神が異空間にと言うよりもっと適切に言うならば 霊的空間に造られ それが 新しいエルサレムとして天から下ったと言うのは 高低差を示しているのではなく 一番高い神の下から霊的空間の新天新地へ注がれたと言う 霊的な状態を比喩的表現で示していると言えます ですから 新天新地も 新しいエルサレムも 御国におけるキリスト教会そのものだと言えます そこには 死も 悲しみも 叫びも 痛みもない神の下だと言うのです (3) 古いものが過ぎ去り すべてが新たになる * こうして先のものがすでに過ぎ去ったと言う事実が 御国に入れて頂いた信仰者にとってどんなにすごい事実であるかを明らかにした上で そこに 御座にいます神から明白な言葉があったと言います 見よ 私はすべてのものを新たにする と 更にこれらのことは信ずべき真理であるから 後世の人が知ることができるように書き記せ と言われたのです この後の語られた内容は もう少し深く学びたいですから 次回に見ることにしましょう * すべてのものを新たにすると言う神の宣言は 古いものをもはや見ることがなくなり 罪のない新しい世界の出発だと言われているのです 何一つ過去にこだわることなく 時間に制約され 時間に追われ 時間の中で格闘し続ける昔の生き方が終わり 時間を超越した新しい今を生きるこ 7

とができることを すべてのものを新たにすると言う言葉で言い表しているのです * そればかりではなく うそと偽りと欺瞞で塗り固められていた古い人生はすべて終わり 全く新しい 義の住む世界で 義の思いに溢れた新しい人生を生きることができるように すべてのものを新たにして下さったのです そこには政治もなく 経済もなく 駆け引きもなく 憎しみもなく 混乱もなく 4 節に記されていたように 死も 悲しみも 叫びも 痛みもない それらのものはすべて過ぎ去ったと言われているからです * 古い世界に生きている者は 古い生き方に染まっているので 政治もなく 経済もなく 駆け引きもなく 憎しみもなく 混乱もなく 死も 悲しみも 叫びも 痛みもないと言う全く新しい世界の情景を理解することができず 果たしてそんな生活はつまらないのではないかと考えたりする人があります 肉の思いからしか見ることができない人は 当然そのような思いになるでしょう 新しいこと 新しい世界が分からないからです * まして あの Ⅱ ペテロ書で言っていた 義の住む新しい天と新しい地と言う世界など理解不可能です もっと分かりやすく言うならば キリストが罪をあがなって下さったと言う福音を信じて 神が義と認められた者たちだけの世界だと言っているのです 終わりの時が来たら 新しいからだが与えられ 救いが完成し 神の前に何の問題もない義人とされた者たちだけがいる世界 それが新天新地だと言っているのです * すべてが新しくなるから 喜ぶことも 楽しむことも うれしいことも 幸いなことも 新しい世界でのものに変化 8

するので 古い世界での感覚では分からないものです そして このことが信ずべき真理であると後世に書き残すようにヨハネに命じられたのです ( 結び ) 信仰者にとって希望がイメージされているか * 信仰者は何を望みとして生きているべきかと言うことについて見てきました しかし 今 肉の世界に住んでいるので 多くの信仰者も 肉の思いに妨げられて 正しい霊的イメージを持つことができていないので ただこのことを なくてはならない大事な希望として抱いていないのではないか ただ御国に入れて頂けると言う かすかな希望で済ませてしまってはいないか問われています * もちろん それが悪いと言っているのではありません 御国に入れて頂くことは希望となりますが もっと明確な希望を持つように示されているのが 黙示録が記された目的であると言えます それでは 今日の箇所からどのような明確な希望をイメージすることができるのでしょうか * 今日は その前半を学んだだけであり 9 節からは新しいエルサレムについての詳細が更に記されており それを学ばない限り正確とは言えませんが 今日の箇所の前半において示されているものを正しくイメージできるなら 最も重要な大枠を理解した 素晴らしい 期待が持てる 信仰者として持つべき希望を抱いていると言っていいでしょう * それは 古いものはすべて過ぎ去って すべてが新しくなると言われたことを イメージを描く前提にする必要があります 新天新地では 古い世界の考え方は全く通用せず 古い世界での生き方 求めていたものはすべてなくなり これまでとは全く異なった新しい霊的世界に突入すると言 9

います そこは 救いが完成した者たちだけの世界であり 神に義とされた者たちだけが住み 罪と悪が入り込むことのない これまで生きてきた世界からするなら 全く異質の世界であり 驚くべき世界だと言います * それでは 古い世界とどう違うのでしょうか 霊的に言えば そこは新しいエルサレムとなり そこを神の幕屋として 一人一人に神が共にいて下さり その住民は神の民 神の子としてどこまでも愛して下さり その住民の歩みすべてに全責任を持って下さり 幼子を見守る母親のように 目を留めておられると言う霊的な光景が記されています * 政治 経済 社会生活 仕事 趣味 娯楽 料理 飲食 音楽 家 車 服装 おしゃれ スポーツ 健康 等々 それはすべて人との比較の中で 人の目を気にし 見栄 ごまかし きれいごと 欲などがうごめいており 誰ひとりそこから逃れることができないものでした しかし 新天新地では それらがすべてなくなり 神との関係において同等であり 比較する者はなく 神が共にいて下さると言う事実の故に 人目を気にする必要がなく 神だけを見上げて 喜びと感謝にあふれるようにされるのです * そして最も理解しているべきことは 私たち人間においても 古いものは過ぎ去ってすべてが新しくなると言う 世にいた時と全く異なった完成された人間となると言う点です それでは以前の私ではなくなるのか そうではありません 以前の私のまま 私と言う自覚を持ったまま霊が 100% 解放され 完成され 肉が入り込んでいたからだがなくなって新しいものが与えられ 肉が染み込んでいた心が 新しい心になって もはや肉の思い 罪と悪が入り込まない 肉欲から解放された者にされると言うことです 10

* それが 人の目から涙を全くぬぐい取って下さると言うことです これは 涙することがない状態にしようと働いて下さると言うことではなく 涙することがない人間に 根底から造り変えて下さると言っているのです 死もなく 悲しみも 叫びも 痛みもないと言う表現で 外側からではなく 内側から人間性をすべて造り変えて 恐れも 不安も 不信も 疑いも 惑いも持たない人間となり 混乱のない 本物の喜びと内なる力を感じ取る者とされると言っているのです 人間はもはや自分を見て嘆く部分は全くなくなり 落ち込む必要はなくなるのです * 何と言う希望 何という変化でしょうか この世の感覚を持ち続けることなく この世の不満 不足 不純な思いはすべて消去されると言う 古いものは過ぎ去って すべてが新しくされると言う 神による最高難度のみわざが 新天新地において実現されると言うのです 信仰者が持つべき希望は この世の延長線上の よりよい希望と言うようなものではなく 全く次元を超えた 人間を完成され 真の喜びと平安を味わえる者にすると言う希望なのです 11