医局長竹内正明 医局長の仕事も二年目となり 一年目と比べると仕事にも慣れ 割と順調に過ぎた感じがします しかし振り返ってみると昨年 3 月 11 日の東日本大震災の影響は医局人事にも大きく影響を及ぼしました ご存じの通り 茨城県東海村の日本原子力研究開発機構には第 2 内科より長年にわたり産業医を送っており 私も二年ほど勤務した経験のある思い出深い場所です 本年度の予定では平成 23 年 4 月より亀﨑医師の後任として藤本医師を派遣する予定で 彼女と平成 22 年の暮れに東海村を訪れ 関係者の方々に施設を案内してもらった矢先の災害でした 現状がはっきりするには時間がかかると考え 亀﨑医師に 4 月いっぱい東海村に残ってもらい 5 月から藤本医師を派遣することにしましたが 震災後の周辺施設の損害 放射能の問題等から産業医の派遣自体を中止する選択をしました 想定外という言葉が昨年はやりましたが 想定外 予想外のことが勃発したときに迅速かつ的確に問題を処理する大切さを改めて痛感した出来事でした 新入医局員に関して今年は良い年であったと思います 産業医大の医局入局制度は学生の時に入局する科を選択し ( 仮入局 ) 二年間の初期研修が終わったところで本入局するシステムです 大学で初期研修できる定員が 8 人のみという現状では私の研修時代とは違い 卒業後大多数の先生は地元あるいは大都市の総合病院で初期研修を行います この間に希望が変わる人が毎年必ず出てきます つまり仮入局をしてくれた先生の数 = 入局する先生の数ではなく この間に 国家試験不合格 二年間の初期研修の間の心変わりという二つの障害が待っています 今年もいろいろと努力をしたのですが仮入局をしていた 2 人の先生が別の科 あるいは別の病院を選んだことは残念でした しかし逆に 3 人の先生が初期研修の間に循環器に興味を持ち 第 2 内科に本入局してくれたため 差し引きプラス 1 の増員で最終的には 8 人の先生が 3 年目の医師として第 2 内科に入局してくれました 毎年同じ人数の新入医局員を獲得することは医局人事にとってきわめて重要ですが最も困難な仕事です 平成 23 年度卒業生からは 3 人が第 2 内科に仮入局しています 彼らが二年の研修を終え 無事に内科に本入局してくれるよう努力するのと同時に 特に他大学出身の新たな人材の獲得に励まねばなりません 医局スタッフ数は今のご時世減ることはあっても増やすことは困難です 産業医大病院救急部充実の目的で救急部のスタッフ枠が最近 5 名新設され 亀﨑医師が平成 24 年の 4 月より救急部に移動し 助教として勤務しています 亀﨑医師には東海村の時も今回も医局のために大きく貢献してもらっています 彼の新天地でのますますの飛躍を期待しています また 4 月より鈴木医師が 修練指導医として大学に戻ってこられました ここでも 3 月末に突然文部科学省より僻地診療に携わる大学病院助教ポストの応募があり 応募期間が 2 日しかなかったのですが 尾辻教授と相談し 彼を推薦したところめでたく承認され 5 月から病院の助教として週に 1.5 日田川市立病院に勤務し 残り 3.5 日を大学勤務することとなりました このことは第 2 内科のスタッフ数増加とともに慢性的な医師不足に悩む田川市立病院にとっても大きなメリットがあり 鈴木医師に大いに活躍していただきたいと思っています 最後にこの 5 月から医局長を芹野医師に引き継ぎます あっという間の二年間であった気がします 7
が 医局員の皆様にはいろいろと無理をお願いしたこともあったと思います この場を借りてお詫びを 平成 24 年 5 月 21 日 撮影 するとともに第 2 内科のますますの発展を祈りこの稿を終わらせていただきます 8
院内カンファの様子 医局会 月曜日 18 00 第 2 内科学教室カンファレンスルーム 循環器内科 腎臓内科カンファ 月曜日 9 病院 3F カンファレンス室
心カテカンファ 木曜日 医局カンファレンスルーム 腎カンファ 金曜日 8A カンファレンスルーム 10
新任 昇任スタッフの自己紹介 准教授竹内正明 平成 23 年 4 月より准教授になった竹内です 私は産業医大の二期生であり 大学卒業後第 2 内科に入局し それぞれ二年間の初期研修 専修医 産業医をしたのち 1991 年 7 月に助教として大学に戻ってきました 当時は現在小倉南区で開業されている南立先生が主任をされていた心臓カテーテル検査を担当し 南立先生が大学を出られた後はドプラーガイドワイヤーによる冠動脈血流速度 ミクロカテーテルによる冠動脈圧測定による FFR 測定を用いていくつかの臨床研究を心カテ室で行っていました カテ室には現在の心カテ部長である園田先生や 捻れの臨床研究で一世を風靡した納富先生がおり 研究を手伝ってくれました その頃診た患者さんの名前や カテ室での風景は今でも脳裏に焼き付いています 現在の本業である心エコーは病棟の奥の検査室で経食道心エコーやドブタミン負荷心エコーをしていただけで心エコー室に行くことは全くといってありませんでした しかしドブタミン負荷心エコーの抄録が初めてアメリカ心臓病学会に通り 高原先生 竹内 荒木先生の三人で渡米し 皆でディズニーランドに行ったことや 負荷エコーの結果をまとめたものが初めて英語論文となったことは良い思い出です その後訳あって 1997 年より留学することになり 2 年間ボストンにあるタフツ大学付属病院ニューイングランドメディカルセンターにリサーチフェローとして留学しました 留学のテーマは心筋コントラストエコーによる動物実験 臨床研究であり 血栓に親和性のあるコントラスト製剤を用いた動物実験のデータを論文にすることができました 金銭的にも英語の点でも辛い二年間でしたが 留学中のデータから 10 本の臨床論文を作成することができたのは一緒に働いていたフェローのおかげです 彼らとは今でも親交があります 日本に帰る半年位前 国立循環器病センターにいらした宮武先生から講演に招待され 一時帰国した際 宮武先生より流動研究員として国立循環器病センターで働かないかと誘われたのですが将来の行方がはっきりしないことを理由にお断りし 吉川純一先生の紹介で大阪西区にある救急病院で働くことになりました ここで芳谷先生 春木先生 技師の旧姓中井博美さんに出会い臨床研究を続けていくことができました しかし内科で一緒に働いていた医師の数が徐々に減少し 将来にやや不安を思えていた頃 尾辻教授より産業医大に戻って来ないかとのお誘いを受け 2007 年 9 月に再び講師として第 2 内科に戻ってくることができました その後は心エコー室で 3 次元心エコー 経食道心エコー 負荷エコーをしつつ現在に至っています 今までの臨床医としての生活を振り返ればいつも周りに研究を手伝ってくれたやる気のある後輩がいたことを痛感します これからも心エコーのおもしろさを少しでも若手の先生に理解してもらえるように努力する所存です ますますのご指導 ご鞭撻の程よろしくお願いいたします 11
講師園田信成 2011 年 4 月 1 日より 産業医科大学循環器内科 腎臓内科の講師を命ぜられました 2007 年に大学に帰任して約 4 年間 学内講師として主に心臓カテーテル治療に携わっております これまでは岡㟢昌博先生が居られ 楽をさせてもらっていた部分もありましたが これからは部門のチーフとして 臨床 研究のレベルアップ 学生教育の充実に努めて行く所存ですので どうぞ宜しくお願いいたします 個人的には昨年の震災以降 本格的にランニングを開始し 2011 年 12 月には門司港マラソン 10km 完走 2012 年 4 月には徳島マラソンで 42.195km( フルマラソン ) を完走しました メタボ対策 体力増強目的で始めた訳ですが 何とかモチベーションを持続させ 昨年 1 年間で 1000km を走破し 体重も 4-5kg 減量しました 食欲もアップするためそれ以上はなかなか痩せないのが悩みですが 基礎代謝は確実にアップしています 高水間先生の後任で学生の部活動の顧問 ( バレーボール ) になりましたが 昨年の OB 戦では試合後筋肉痛にならずフルでプレーできた事は嬉しい限りでした 何をするにも健康 体力があってこそですので 今後も継続していきたいと考えています 医局も徐々に若い先生が増えて 活気があり雰囲気も良くなっています さらに盛り上げていけるよう 微力ですが貢献したいと思っています 今後とも皆様のご指導 ご鞭撻をどうぞよろしくお願い申し上げます 学内講師荒木 優 2011 年 4 月 1 日より産業医科大学第 2 内科学学内講師を拝命しました 簡単に経歴を記しますと平成 3 年 (1991 年 ) に産業医科大学卒業後 (8 期生 ) 産業医科大学病院や門司労災病院 ( 現門司メディカルセンター ) での臨床研修終了後に一年間大学で実験を その後大学院では主に in vitro の基礎系研究に携わりました 留学後に再び門司労災病院勤務となり その 10 年後 実に 12 年ぶりの大学勤務となりました 前任地では優秀な医局の先生方を派遣していただき 彼らから実戦臨床を学びながら循環器疾患を中心にどちらかというと広く浅くの臨床経験を踏ませてもらいました かなり長い期間こうした生活を続けた後に大学勤務となってから教授をはじめとしたスタッフの皆さんの姿勢から感じることは 臨床面においてはディスカッションに耐えられる深い思考の裏打ちを要求され また研究面では論文や研究発表について その数ではなく質を要求されているように思います こういった教室の熱気の中で自分自身は 1 年たった今でもうまく適応できていないように感じています これからこの固いアタマやカラダで大学生活に慣れていけるのかどうか甚だ不安ではありますが 2 年目に入り 1 年間セーブしてもらっていた学生講義など教育面での医局への貢献を果たしつつ 臨床面では虚血性心疾患や心臓リハビリテーション 研究面ではそれに加えて心不全関連のリサーチなどの展開を考えています 今までも皆様には大変お世話になってここまでやってきましたが 今後とも変わらずご指導ご鞭撻を賜りますようどうぞよろしくお願い申し上げます 12
学内講師宮本 哲 2011 年 4 月より産業医科大学循環器内科 腎臓内科学内講師として赴任させていただきました宮本哲と申します 私は平成 13 年 (2001 年 ) に産業医科大学を卒業し 近隣の病院 労災病院に勤務したのち 2006 年より第 2 内科学教室の大学院にすすみ 2009 年から留学させていただきました 北欧でのスローライフを経験し帰国当初は日々の慌しさに戸惑いも感じましたが 今ではアクティビティの高い第 2 内科の諸先生方 研修医 技師 看護師と共に仕事ができる喜びをかみしめて日々を送っています 腎臓内科を担当していますが 腎炎の病理診断からバスキュラーアクセスのトラブル解決やアフェレーシスまでその診療内容は幅広く自分の知識 経験不足を痛感しつつも充実した1 年を過ごさせていただきました 腎臓内科は内科学の中でも確固たるエビデンスの少ない領域であり 我々が行っている診療行為が本当に正しいのか不安になることもあります 例えば腎炎の中で最も多い IgA 腎症の治療として扁桃摘出を積極的に行っておりますが その適応は不明な点が多く信頼に足る RCT もありません また 逆にそれは腎臓内科が今後新しいエビデンスが生まれやすく大きなパラダイムシフトがおきる可能性がある領域であることを意味します そのような中 当科の特色を生かして心腎連関の分野において新しいエビデンスの構築に少しでも貢献できるよう そして診療 研究を通して後進に面白さを伝えられるよう努力する所存です 若輩者の私ですが今後ともどうぞ御指導御鞭撻を賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます 13