大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/4/12

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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

Microsoft Word - ◎中高科

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

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イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2 用されました 古代ギリシアではサフランの黄色が珍重され 王族だけが使うことを許され ロイヤルカラーとされた時代もありました { 日本へは江戸時代に薬として伝わった と言われる } サフラン は めしべを乾燥させて 香辛料や生薬として用います 独特の香りを持ち 水に溶かすと鮮やかな黄色を呈します

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

牧会の祈り

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

大阪インターナショナルチャーチ ダン・ペリー師 2015/8/9

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

牧会の祈り

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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今日 復活日の聖書日課には三人のマリアが出て来ました 日曜日の朝早く イエスの墓に行った二人のマリア マグダラのマリアともうひとりのマリア さらにもうひとりのマリアがその前に登場していました 旧約聖書 出エジプト記第 15 章 20 節です アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると 他の

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

牧会の祈り

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

Windows10の標準機能だけでデータを完全バックアップする方法 | 【ぱそちき】パソコン初心者に教えたい仕事に役立つPC知識

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

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よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

タダでマナべるさかぽん先生.tv 一般動詞の否定文 疑問文 今日の単語今日の授業で使う英単語です しっかり覚えてから授業に進みましょう 単語を 覚えた =その単語を 読める 意味が分かる 書ける 声に出して書きながら覚えていきましょう 1 行く go 2 来る come 3 へ ( 行く

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ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

人には 非日常性が必要です いつもの生活ではなく これは見たことがない 聞いたことがないという意外性 あるいは奇跡と言ってよいでしょう いつも自分のできること していること中で生きているならば 虚しさが残り 死に至ります しかし これまで経験しなかったこと 知り得ないことを知れば そこに命があり 希

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

さまいイエス様は生きておられる! ふくいんしょしょうふくいんしょしょうふくいんしょマタイによる福音書 28 章とマルコによる福音書 16 章とルカによる福音書 24 章ふくいんしょしょうかはなしさいわヨハネによる福音書 20 章に書かれているお話の再話 しょうと せいしょものがたり ミニ聖書物語 フ

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

いろいろな治療の中で して欲しい事 して欲しくない事がありますか? どこで治療やケアを受けたいですか? Step2 あなたの健康について学びましょう 主治医 かかりつけ医や他の医療従事者にあなたの健康について相談する事も大切です 何らかの持病がある場合には あなたがその病気で将来どうなるか 今後どう

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

                 

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聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

スライド 1

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

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  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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大阪インターナショナルチャーチアリステア マッケナ師 2015/4/12 ヨハネ 5:1-47 5:1 その後 ユダヤ人の祭りがあって イエスはエルサレムに上られた 5:2 さて エルサレムには 羊の門の近くに ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって 五つの回廊がついていた 5:3 その中に大ぜいの病人 盲人 足のなえた者 やせ衰えた者たちが伏せっていた ( 彼らは 水が動くのを待っていた それは 主の使いがときどき池に降りて来て 水が動くことがあり 水が動いたとき 真っ先に水に入る者は どんな病気にかかっていても いやされたからである )5:5 そこに 三十八年もの間 病気にかかっている人がいた 5:6 イエスは彼が伏せっているのを見 それがもう長い間のことなのを知って 彼に言われた よくなりたいか 5:7 病人は答えた 主よ 私には 水がかき回されたとき 池の中に私を入れてくれる人がいません 行きかけると もうほかの人が先に降りて行くのです 5:8 イエスは彼に言われた 起きて 床を取り上げて歩きなさい 5:9 すると その人はすぐに直って 床を取り上げて歩き出した ところが その日は安息日であった 5:10 そこでユダヤ人たちは そのいやされた人に言った きょうは安息日だ 床を取り上げてはいけない 5:11 しかし その人は彼らに答えた 私を直してくださった方が 床を取り上げて歩け と言われたのです 5:12 彼らは尋ねた 取り上げて歩け と言った人はだれだ 5:13 しかし いやされた人は それがだれであるか知らなかった 人が大ぜいそこにいる間に イエスは立ち去られたからである 5:14 その後 イエスは宮の中で彼を見つけて言われた 見なさい あなたはよくなった もう罪を犯してはなりません そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから 5:15 その人は行って ユダヤ人たちに 自分を直してくれた方はイエスだと告げた 5:16 このためユダヤ人たちは イエスを迫害した イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである 5:17 イエスは彼らに答えられた わたしの父は今に至るまで働いておられます ですからわたしも働いているのです 5:18 このためユダヤ人たちは ますますイエスを殺そうとするようになった イエスが安息日を破っておられただけでなく ご自身を神と等しくして 神を自分の父と呼んでおられたからである 5:19 そこで イエスは彼らに答えて言われた まことに まことに あなたがたに告げます 子は 父がしておられることを見て行う以外には 自分からは何事も行うことができません 父がなさることは何でも 子も同様に行うのです 5:20 それは 父が子を愛して ご自分のなさることをみな 子にお示しになるからです また これよりもさらに大きなわざを子に示されます それは あなたがたが驚き怪しむためです 5:21 父が死人を生かし いのちをお与えになるように 子もまた 与えたいと思う者にいのちを与えます 5:22 また 父はだれをもさばかず すべてのさばきを子にゆだねられました 5:23 それは すべての者が 父を敬うように子を敬うためです 子を敬わない者は 子を遣わした父をも敬いません 5:24 まことに まことに あなたがたに告げます わたしのことばを聞いて わたしを遣わした方を信じる者は 永遠のいのちを持ち さばきに会うことがなく 死からいのちに移っているのです 5:25 まことに まことに あなたがたに告げます 死人が神の子の声を聞く時が来ます 今がその時です そして 聞く者は生きるのです 5:26 それは 父がご自分のうちにいのちを持っておられるように 子にも 自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです 5:27 また 父はさばきを行う権を子に与えられました 子は人の子だからです 5:28 このことに驚いてはなりません 墓の中にいる者がみな 子の声を聞いて出て来る時が来ます 5:29 善を行った者は よみがえっていのちを受け 悪を行った者は よみがえってさばきを受けるのです 5:30 わたしは 自分からは何事も行うことができません ただ聞くとおりにさばくのです そして わたしのさばきは正しいのです わたし自身の望むことを求めず わたしを遣わした方のみこころを求めるからです 5:31 もしわたしだけが自分のことを証言するのなら わたしの証言は真実ではありません 5:32 わたしについて証言する方がほかにあるのです その方のわたしについて証言される証言が真実であることは わたしが知っています 5:33 あなたがたは ヨハネのところに人をやりましたが 彼は真理について証言しました 5:34 といっても わたしは人の証言を受けるのではありません わたしは あなたがたが救われるために そのことを言うのです 5:35 彼は燃えて輝くともしびであり あなたがたはしばらくの間 その光の中で楽しむことを願ったのです 5:36 しかし わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります 父がわたしに成し遂げさせようとしてお 1

与えになったわざ すなわちわたしが行っているわざそのものが わたしについて 父がわたしを遣わしたことを証言しているのです 5:37 また わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます あなたがたは まだ一度もその御声を聞いたこともなく 御姿を見たこともありません 5:38 また そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません 父が遣わした者をあなたがたが信じないからです 5:39 あなたがたは 聖書の中に永遠のいのちがあると思うので 聖書を調べています その聖書が わたしについて証言しているのです 5:40 それなのに あなたがたは いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません 5:41 わたしは人からの栄誉は受けません 5:42 ただ わたしはあなたがたを知っています あなたがたのうちには 神の愛がありません 5:43 わたしはわたしの父の名によって来ましたが あなたがたはわたしを受け入れません ほかの人がその人自身の名において来れば あなたがたはその人を受け入れるのです 5:44 互いの栄誉は受けても 唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは どうして信じることができますか 5:45 わたしが 父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません あなたがたを訴える者は あなたがたが望みをおいているモーセです 5:46 もしあなたがたがモーセを信じているのなら わたしを信じたはずです モーセが書いたのはわたしのことだからです 5:47 しかし あなたがたがモーセの書を信じないのであれば どうしてわたしのことばを信じるでしょう 導入 5 章から ヨハネの福音書の新しいセクションが始まります この部分は 10 章までです 2-4 章で ヨハネによるイエスの紹介がありました それによると イエスは天から地に来られたお方で この世の罪を取り除く 神の小羊 です イエスは ご自身の救いの御国が来たと宣言され そこに入る条件について教えられます 3 章では 宗教では不十分であり 人は新しく生まれる必要があることがわかりました 4 章では 私たちがどれほど罪深い者であっても 罪を悔い改めてイエスを神の御子として信じるなら イエスは赦してくださると学びました また イエスはご自身が神であることを証明するために奇跡を行われますが 奇跡を見ることなくイエスのことばを人々が信じるならそれに越したことはないということもわかりました 5-10 章で取り上げられるテーマは イエスがご自身をメシヤであると宣言し 神とご自身を同等の立場に置かれたことについてです これらのイエスの主張に ユダヤ人たちは異議を唱えました ユダヤ人は 自分たちがすでに神の契約の民であると考えていました 5 章を理解するためには 旧約聖書の背景が必要になってきます では イザヤ書 35:3-7 を読みましょう この個所では 神がユダヤ民族を救いに来られる未来の出来事についてイザヤが語ります 35:3 弱った手を強め よろめくひざをしっかりさせよ 35:4 心騒ぐ者たちに言え 強くあれ 恐れるな 見よ あなたがたの神を 復讐が 神の報いが来る 神は来て あなたがたを救われる 35:5 そのとき 目の見えない者の目は開き 耳の聞こえない者の耳はあく 35:6 そのとき 足のなえた者は鹿のようにとびはね 口のきけない者の舌は喜び歌う 荒野に水がわき出し 荒地に川が流れるからだ 35:7 焼けた地は沢となり潤いのない地は水のわく所となり ジャッカルの伏したねぐらは 葦やパピルスの茂みとなる 足の不自由な男性を癒すことで イエスは神の救いの時代の到来をはっきりと示されました 次に 5 章に入る前にユダヤ人の安息日の習慣についても知っておく必要があります 申命記 5: 12-15 を読みましょう 2

5:12 安息日を守って これを聖なる日とせよ あなたの神 主 が命じられたとおりに 5:13 六日間 働いて あなたのすべての仕事をしなければならない 5:14 しかし七日目は あなたの神 主 の安息である あなたはどんな仕事もしてはならない あなたも あなたの息子 娘も あなたの男奴隷や女奴隷も あなたの牛 ろばも あなたのどんな家畜も またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も そうすれば あなたの男奴隷も 女奴隷も あなたと同じように休むことができる 5:15 あなたは 自分がエジプトの地で奴隷であったこと そして あなたの神 主 が力強い御手と伸べられた腕とをもって あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない それゆえ あなたの神 主 は 安息日を守るよう あなたに命じられたのである 神は週の一日を特別な日とし すべての人が休息して神のすばらしさに思いをはせる日となさいました また エジプトで奴隷だった民を救い出してくださった神のご親切を覚える日でもありました しかし ユダヤ人指導者たちはこの特別な日を汚し 人々の負担となるような決まり事をいくつも課しました たたえるべき神よりもこの決まり事を守るほうを優先してしまったのです こういった旧約聖書の背景を念頭に 学びを始めたいと思います 1. イエスは 足の不自由な男性を癒し ご自身が神と対等であることを証明された (1-8 節 ) イエスは ユダヤ人が重んじる祭りの最中にエルサレムにおられました そのとき 町に入る羊の門の近くにある池を通りかかりました そこは ヘブル語で ベテスダ と呼ばれていました これは あわれみの家 という意味です 当時の人々は 天使が時折天から降りてきて 池の水をかき回すと信じていました 天使が水をかき回した後 最初に池に入った人は どんな病気でも治ると考えられていました 池のほとりにある男性がいました この人は 38 年も体が動かない状態でした イエスは この男性がそんなに長い間そこにいたことをご存知でした ( イエスは全知のお方だからです ) イエスはこの人に よくなりたいか とおっしゃいました 男性は 池の水がかき回されても 池まで運んでくれる人がいないとぼやきました 誰かに連れて行ってもらおうとしても 他の誰かが先に入ってしまうと言います イエスは続けて 起きて 床を取り上げて歩きなさい とおっしゃいました みことばは 男性がすぐによくなって 床を取り上げて歩き出したと語ります ユダヤ人指導者たちは この日が安息日だったので 癒された男性が床を運んだのを見て腹を立てました 安息日にそういうことをしてはならないという律法があったからです 癒された男性は 自分を癒してくれた人が 床を取り上げて歩け と言ったと説明しました ユダヤ人指導者たちは 神の安息日を守らない者は誰かを突き止めようとしましたが 癒された男性も自分を癒してくれたのが誰であるか知りませんでした 後に 自分を癒してくれたのはイエスだと知った男性は ユダヤ人指導者たちにこれを知らせました イエスが神殿で癒された男性と再会したとき イエスはもう罪を犯さないようにと彼におっしゃいました そしてその理由を 体が動かないことよりもっと悪いことが起こるかもしれないからと説明されました これが聖書の語る話です 3

このお話の中に 重要なことがいくつか記されています まず イエスが権威をもって言葉を男性にかけただけで 男性は癒されました (8 節 ) 聖書は イエスに 天においても 地においても いっさいの権威が与えられています ( マタイ 28:18) と語ります イエスは 私たちの人生にも権威をお持ちです ですから 私たちが究極的に責任を果たすべきお方はイエスです 次に 男性の病気は 人類全体の状態の一端に過ぎません 私たちは堕落した世の中に住んでいますから 病気や死は呪いの一部です イエスは男性に もう罪を犯さないように さもなければもっと悪いことが起こるとおっしゃいました おそらくこれは また別の病気になることではなく 終わりの日に裁かれることを指していると思われます この奇跡は 人間の堕落による影響を終わりの日にイエスが帳消しにしてくださるという証拠となります 先週 私たちはイエスの復活を祝いました イエスに信仰を置いているなら いつの日か私たちの罪の呪いの影響も帳消しにされます 病気や死に悩まされることはなくなります 3 つめは イエスが安息日にあえて癒されたことです なぜでしょう そんなことをすれば 宗教指導者が自分たちの作った律法のことで腹を立てるのは目に見えています イエスは安息日に癒して 神の働きをしているとおっしゃいました これによって ご自身を神と同等の立場に置かれました 安息日は 休息 と 救い の日です 神はユダヤの民に 安息日には休んで エジプトから救われたことを思い出すようにとおっしゃいました 癒された男性は 神殿に行って癒されたことを神に感謝し 神がしてくださったことを考えることができました イエスは ご自身が安息日にしていることは神の働きであると指摘なさいました (17 節 ) 神は今も 体を休めて 神のことと神のすばらしさを思う休日を私たちが持つことを望んでおられます 私たちの休日において大切なのは 安息日に何をすべきかすべきでないかといった規則や決めごとではありません 神は 私たちが神と毎日つながっていることを望まれますが 私たちの休日はとくにイエスとゆっくり過ごし 信徒同士で交わる特別な日です 18 節には このできごとの後 ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしたとあります その理由は イエスが安息日の律法を破り 神と自分を対等としたからです 19-30 節で イエスはユダヤ人指導者たちに答え ご自身について語られました その中で イエスは神と対等であるとおっしゃいました 永遠のいのちを与え 地上を裁く裁き主であるとおっしゃいました ヨハネの福音書の中で ここが イエス キリストの神性 についてもっとも重要な個所です ヨハネの福音書全体を理解するには この個所を理解しなければなりません 19-23 節は 原語のギリシャ語では 4つの単語を中心に書かれています 日本語では そこで それは また などと訳されています ここでは それは を使うことにしましょう 4

ひとつめの それは (19 節 ) 御子が父に対抗する独立した神となるような 身勝手な行動を起こすことはあり得ません それは 御子のなされることはすべて 父の望まれることと完全に一致しているからです つまり イエスが父から離れて行動することはありえません そんなことをすれば イエスの神性を否定することになります 有名な聖書学者ウェスコットは言いました 完全な御子であるには 意志と行動において父と完全に一致することを必要とする ふたつめの それは (20 節 ) 御子 ( イエス ) は 父 ( 神 ) のおできになることが何でもできます それは 父が御子を愛しておられるからです また 父はご自身のなさることをすべて御子に示されます こうして 父と御子は対等にすべてをなさいます 3 つめの それは (21 節 ) 父は人を死からよみがえらせます それによって 御子も人を死からよみがえらせることができます 人々は 神のみが死者をよみがえらせることができると考えていました ( 列王記第二 5:7) イエスはここで ご自身が神と対等であるから 神のおできになるのと同じことができると言っておられるのです 4 つめの それは (22 節 ) 父は誰も裁かれません それは すべての裁きを御子 ( イエス ) にゆだねられたからです 創世記 18:25 は 全世界をさばくお方は 公義を行うべきではありませんか と語ります モーセは 神についてこう記しました さて 全世界を裁くお方である神は すべての裁きをイエスにゆだねられました 神と同じことをイエスがなさると分かっておられるからです 最後に 23 節でイエスは 神を敬うようにイエスを敬うべきだとおっしゃいました ユダヤ人指導者たちは 神を敬うと言いながら イエスは敬いませんでした ですから 結局神のことも敬っていないことになります 次に 24-30 節に進んで イエスのことばを見ていきましょう ここでイエスは イエスのことばを聞いてイエスを遣わされた神を信じる者は 永遠のいのち を得るとおっしゃいました これは現在の可能性であり 将来への確信でもあります 29 節で すべての人が死からよみがえるとイエスは明言なさいます 永遠の裁きを受けるためによみがえる者もいれば イエスとともに過ごす永遠のいのちへとよみがえる者もいます この世でイエスを拒む者は よみがえって永遠の裁きを受ける日に たいへんな衝撃を受けるでしょう 一方 この世でイエスを信じる者は 復活の日に大きな祝福を受けるでしょう 31-41 節で イエスはご自身の主張を裏付ける人や物事を示されます 1. イエスについて告げ知らせ証言したバプテスマのヨハネ (31-35 節 ) 2. イエスの神性を証明するご自身の働き ユダヤ人は 足の不自由な人が癒されるのを目撃したばかりでした 3. 聖書 ( 旧約聖書 ) の証言 イエスは モーセがイエスについて記したとユダヤ人におっしゃいました 聖書の最初の 5 つの書トーラーは すべてイエスにつ 5

いての書です ユダヤ人はモーセの書を理解していると思っていましたが 実際にはそうではありませんでした もし本当に理解していたなら イエスについての真相もわかったはずです ユダヤ人は神を愛していると言いましたが イエスを受け入れなかったことで 本当に神を愛していないことが明らかになりました 彼らの信仰は偽善的でした ヨハネ 5 章から 私たち OIC にあてはめてどんなことが言えるでしょう 1. イエスが神と対等のお方であることを 心と頭の両方で本当に理解する必要があります 2. イエスのことばを信じることによってのみ 神を敬い 永遠のいのちを持つことができます イエスが永遠のいのちを与えるお方であり 裁き主です 3. 地上での神の働きは 永遠のいのちへと人々を救うことです 私たちはこれを理解する必要があります 人が救われるのは イエスがご自身について語られることばを聞き入れて そのご使命を信じるときです イエスのご使命とは 私たちを含む全世界の人々の罪のために十字架で死なれることです 神は今日もイエスのみことばをとおして働いておられます 私たちはイエスのことばを本当に信じているでしょうか 信じるというテストに合格できるでしょうか それとも ユダヤ人のように 不合格になってしまうでしょうか 神について自分なりの解釈をしたり 自分の思うように人生を生きようと思っていたりすると 不合格になってしまいます 自分で勝手な決めごとを作っていませんか 愛に動かされるつながりの中にちゃんと生きていますか 私たちは 壊れた世に生まれました 罪が神と私たちの間を引き離しています 神は その壊れた関係を修復するために 愛とあわれみによってイエスを遣わされました 関係修復のために神がなさったのは ご自身の御子であるイエスに私たちの罪の罰を背負わせることでした 神と正しい関係を築きたいなら イエスというお方を知り 神が私たちをご自身のもとに帰らせるためにしてくださったことを知る必要があります 今日の聖書個所にあるイエスのことばを皆さんは信じますか イエスは 永遠のいのち 罪の赦し そして天国での将来を約束されます 私はクリスチャンで神とイエスを愛していると言うなら 神の望まれることをしたいと思うでしょう それは 人を罪から救うことです 私たちに自分を救うことはできませんが 人間を救ってくださるイエスのことを周囲の人々に紹介することができます 神は 私たちが望むなら 私たちをとおして働くことを望んでくださいます 6