マルコの福音書のヘブル的考察 黙れ 出て行け マルコの福音書 1:23~28 はじめに今日はイエス キリストの十字架の死からの復活を祝う イースター という祭りの日にあたり 世界中の教会でこれにちなんだ催しや取り組みがなされています ところで皆さんは イースター という名前の意味を御存知でしょうか

Similar documents
2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

バプテスマのヨハネが逮捕されました その詳細はこのマルコの福音書 6 章に記されていますが ここではイェシュアが福音を宣べ伝え始めるきっかけとなっているように記されています つまりヨハネが捕らえられることと イェシュアがガリラヤに行って福音を宣べ伝え始めることには何等かの結びつきがあるということです

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

あるそうです 彼についても聖書に記された名はこれのみです アンデレ そしてこの ピリポ ギリシャ語名が連続して記されたこの事実は イスラエルの民に繋がる異邦人に対する神のご計画が繰り返しによって強調されていると考えられます 神は決してイスラエルだけを選んでおられるわけではないのです 神のご計画はイス

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

創世記5 創世記2章4節b~25

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

創世記5 創世記2章4節b~25

Microsoft Word - ◎中高科

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

牧会の祈り

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

このメッセージは ヨセフとキリストに起こったことは私たちにも起こることを学ぼうとする ものである Ⅰ. 第 1のステップ正直な性格 (2 節 ) 1. ヨセフは 17 歳 (1) ビルハの子ら ( ダン ナフタリ ) (2) ジルパの子ら ( ガド アシェル ) (3) ヤコブは レアの子ら ( ル

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

十字架に関するへブル的考察 キリスト教といえば 十字架 です 今回はこの十字架と またこれに関わった幾人かの人物に関するへブ ル的考察を試みてみました 1. 十字架 祭司長たちや役人たちはイエスを見ると 激しく叫んで 十字架につけろ 十字架につけろ と言った ピラトは彼らに言った あなたがたがこの人

2008 年 7 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 6 創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

(3) 彼が得たすべての財産 ( ヤコブは商人でもあった ) (4) 自分自身のものとした家畜 2. 行先は カナンの地にいる父イサクのところ 3. 状況 (1) そのとき ラバンは自分の羊の毛を刈るために出ていたので 1つまり ラバンはその近辺にはいなかった (2) ラケルは父の所有のテラフィムを


2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

(1) イゼベル 彼にとっては ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった それどころか彼は シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり 行ってバアルに仕え それを拝んだ (1 列 16:31) 1オムリの子アハブは イゼベルと結婚し バアル礼拝をイスラエルに導入した 2 預言者

<4D F736F F D B582A C B582A2926E FC92F9>

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

牧会の祈り

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

ミドラーシュ(4月27日)

ヘブル人への手紙1章

24:24 それで わたしたちの仲間が数人 墓に行って見ますと 果して女たちが言ったとおりで イエスは見当りませんでした 24:25 そこでイエスが言われた ああ 愚かで心のにぶいため 預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ 24:26 キリストは必ず これらの苦難を受けて その栄光に入

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

PowerPoint Presentation

(2) ダビデの最後の言葉 (23:1~7) サムエル記第二を通して ダビデの生涯の意味について考える Ⅰ. 権威ある座に上るダビデ (1~10 章 ) 1. サウルとヨナタンの死 (1:1~27) (1) 主によって開かれた扉 1 試練の中にありながら ダビデはすべての状況を主に委ねていた 2 彼

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

2009 年 1 月 25 日 ( 日 ) 26 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 30 創世記 30 創世記 19 章 1 節 ~38 節 ソドムとゴモラの滅び イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 神はアブラムを選び 彼とその子孫を通して全人類を救おうとされた (2) それが

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

Microsoft Word - 09_Jeremiah_2.docx

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

: 目次 : P3 Part1 聖書とは? P4 Part2 神とは? 1 唯一の神 P5 P10 2 イエス キリスト 3 聖霊 P14 4 唯一の神の本質とは? P16 Part3 救いとは? 1 救いをもたらす力 P18 P21 2 救われる ( 義とされる ) 条件 3 信仰と行い この冊子

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

2

夢を超えたもの_Culture A.indd

<4D F736F F D E F C981418BA492CA82B582C482A282E98E9695BF82C682CD89BD82A9>

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

新約聖書の学び

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

<4D F736F F D CDC90E7906C82CC8B8B C681758E6C90E7906C82CC8B8B CC8AEF90D582C98CA982E981758CE48D9182CC959F89B98176>

<4D F736F F D B C838082CC8CA992A382E8906C82C682B582C482CC8FA296BD F9182A982E782CC90E08BB34E6F2E313129>

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

聖書 :Ⅱ サムエル 20:1~26 説教題 : シェバの反乱 日時 :2019 年 2 月 10 日 ( 夕拝 ) サムエル記第二は 24 章までありますが 最後の 21~24 章は 20 章までと区別されます 最後の 4 章はサムエル記を閉じるにあたっての結びあるいは付録の部分です ですから今日

13_寺内.indd

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

いろいろな治療の中で して欲しい事 して欲しくない事がありますか? どこで治療やケアを受けたいですか? Step2 あなたの健康について学びましょう 主治医 かかりつけ医や他の医療従事者にあなたの健康について相談する事も大切です 何らかの持病がある場合には あなたがその病気で将来どうなるか 今後どう

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/4/12

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

Ⅱ. 信仰生活の再建 : エズラの指導 (7~10 章 ) 1. エルサレムに到着するエズラ (7~8 章 ) 2. 民の罪を告白するエズラ (9 章 ) 3. 国を清めるエズラ (10 章 ) 結論 : 私たちへの適用 1. 悔い改めの力 2. みことばの力 エズラ記を通して リバイバルの原則につ

Heb 11:23 信仰によって モーセは生まれてから 両親によって三か月の間隠されていました 彼らはその子の美しいのを見たからです 彼らは王の命令をも恐れませんでした (1) この節は モーセの信仰ではなく モーセの両親の信仰を記録している 1 彼らは その子の美しいのを見た * ギリシア語で ア

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

使徒パウロは この 反キリスト のことを 不法の人 つまり 滅びの子 と表現しています (Ⅱテサロニケ 2:3) 反キリストは サタンによって権威と力を与えられた息子的存在で さまざまな超能力を持って人々を惑わします ちなみに預言者ダニエルは これを 荒らす憎むべき ( 忌むべき ) 者 ( ダニエ

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

Transcription:

黙れ 出て行け マルコの福音書 1:23~28 はじめに今日はイエス キリストの十字架の死からの復活を祝う イースター という祭りの日にあたり 世界中の教会でこれにちなんだ催しや取り組みがなされています ところで皆さんは イースター という名前の意味を御存知でしょうか 実はこの名前は聖書とは何の関係もないものなのです ゲルマン民族の神話に登場する春を司るとされる多産と豊穣の女神 その名をエオストレ (Eostre) と言います イースターはこの名に由来すると言われています イースターには教会できれいに色を塗った卵を配る習慣がありますが それもこのエオストレにまつわる一つの神話から始まったものです 皆さんはこの事実をどう思われるでしょうか 世界中の教会がイエス キリストの復活を祝うと言いながら 聖書とは何の関わりもない いやむしろ神が忌み嫌われる偶像の名を口にし そのしきたりに従っているのです その是非を問うことは今日はしませんが ただ今日私が言いたいことは このイースターという名の由来は 言葉の本来の意味を調べると 思いもよらない事実を知ることになるというその代表的な例だと言うことです 聖書に記された一つひとつの言葉もまた その最初の言及に焦点を当て 本来の意味を調べるならば そこには思いもよらないメッセージが隠されているということを 今日もともに味わっていきたいと思います 新改訳 2017 マルコの福音書 1:23 ちょうどそのとき 汚れた霊につかれた人がその会堂にいて こう叫んだ 1:24 ナザレの人イエスよ 私たちと何の関係があるのですか 私たちを滅ぼしに来たのですか 私はあなたがどなたなのか知っています 神の聖者です 1. 汚れた霊ガリラヤのカペナウムという町に入られたイェシュアとその弟子たちは 安息日に会堂に入り そこでイェシュアは聖書の御言葉について教えておられました するとその会堂の中に 汚れた霊につかれた人 がいたと記されています そしてその人はイェシュアに向かって叫び出しました ではこの 汚れた霊 とは一体何でしょうか その呼び名と言動からして神からのものではないことが分かります が ヘブル語で 汚れる 汚す 汚れている ことをターメー מ א) (ט と言います この言葉の本来の 意味を知るために ターメーが聖書で最初に使われた記述を見てみましょう 新改訳 2017 創世記 34:1 レアがヤコブに産んだ娘ディナは その土地の娘たちを訪ねようと出かけて行った 34:2 すると その土地の族長であるヒビ人ハモルの子シェケムが彼女を見て これを捕らえ これと寝て辱めた 1

34:3 彼はヤコブの娘ディナに心を奪われ この若い娘を愛し 彼女に優しく語りかけた 34:4 シェケムは父のハモルに言った この娘を私の妻にしてください 34:5 ヤコブは シェケムが自分の娘ディナを汚したことを聞いた 息子たちは そのとき 家畜を連れて野にいた それでヤコブは 彼らが帰って来るまで黙っていた これはアブラハムの子イサクの子ヤコブ ( 後のイスラエル ) の家族に起こった事件ですが ヤコブには 12 人の息子たち以外にディナという名の娘がいました 彼女をヒビ人すなわち異邦人のシェケムという男が 汚した という記述が聖書で最初のターメーになります この出来事は 今日ならば婦女暴行事件となるのかもしれませんが 法律も警察もない時代です 若い娘が一人で他人の土地をふらふら歩いていたら たとえ殺されても文句が言えないような状況です つまりシェケムの悪事というだけではなくディナにも落ち度はあるのです しかしこのシェケムという男は悪人ではなく このディナに 優しく語りかけ 彼女を正式に妻として迎えようとしています ですからこの出来事は 今日的な意味においての婦女暴行による 汚した という類のものではないと考えられます それよりも若い娘が他人の土地に不用意に出かけて行ったこと そしてそんな娘が異邦人の男と結婚してしまう ( 実際にはしなかったが ) ことが 汚した と訳されたターメーの持つ本来の意味が指し示すものであると考えられます つまりこのターメーが指し示すものはイスラエルの家の者とそれ以外の者すなわち異邦人との結婚だと考えられます 後に神はイスラエルの民に対して与えられた律法において このような異邦人との結婚を禁じておられます 新改訳 2017 出エジプト記 34:10 主は言われた 今ここで わたしは契約を結ぼう わたしは あなたの民がみないるところで 地のどこにおいても また どの国においても かつてなされたことがない奇しいことを行う あなたがそのただ中にいるこの民はみな 主 のわざを見る わたしがあなたとともに行うことは恐るべきことである 34:11 わたしが今日あなたに命じることを守れ 見よ わたしは アモリ人 カナン人 ヒッタイト人 ペリジ人 ヒビ人 エブス人を あなたの前から追い払う 34:12 あなたは あなたが入って行くその地の住民と契約を結ばないように注意せよ それがあなたのただ中で罠とならないようにするためだ 34:13 いや あなたがたは彼らの祭壇を打ち壊し 彼らの石の柱を打ち砕き アシェラ像を切り倒さなければならない 34:14 あなたは ほかの神を拝んではならない 主 は その名がねたみであり ねたみの神であるから 34:15 あなたはその地の住民と契約を結ばないようにせよ 彼らは自分たちの神々と淫行をし 自分たちの神々にいけにえを献げ あなたを招く あなたは そのいけにえを食べるようになる 34:16 彼らの娘たちをあなたの息子たちの妻とするなら その娘たちは自分たちの神々と淫行を行い あなたの息子たちに自分たちの神々と淫行を行わせるようになる 2

新改訳 2017 エズラ記 9:12 だから今 あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない また 彼らの娘をあなたがたの息子の妻にしてはならない 永久に彼らの平安も幸せも求めてはならない それは あなたがたが強くなり その地の良い物を食べ これを永久にあなたがたの子孫の所有とするためである と 結婚とは 単に二人の男女が交わす約束ではなく 本来は家と家 民族と民族が結びつく 一つになるという契約を意味していました つまりイスラエルの神を信じる民が 他の神々を信じる民と契約を結ぶならば 結果的にその神々をも受け入れることになるということです このようにターメー 汚す が指し示すものはイスラエルの神以外の神々を受け入れる 信仰する 偶像礼拝 のことであると考えられます 神はイスラエルに与えられた 十戒 とも呼ばれる律法の その初めにこの 偶像礼拝 について 御自分の他には神はいないことを 以下のように強く主張しておられます 新改訳 2017 出エジプト記 20:1 それから神は次のすべてのことばを告げられた 20:2 わたしは あなたをエジプトの地 奴隷の家から導き出したあなたの神 主 である 20:3 あなたには わたし以外に ほかの神があってはならない 20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない 上の天にあるものでも 下の地にあるものでも 地の下の水の中にあるものでも いかなる形をも造ってはならない 20:5 それらを拝んではならない それらに仕えてはならない あなたの神 主 であるわたしは ねたみの神 わたしを憎む者には父の咎を子に報い 三代 四代にまで及ぼし 20:6 わたしを愛し わたしの命令を守る者には 恵みを千代にまで施すからである イスラエルの神以外のものを神とする 偶像礼拝 これは神の最も嫌われる 最も憎まれる罪と言っても過言ではありません 実に旧約聖書に記された歴史において 国家としてのイスラエルが滅ぼされた理由がこれでした すなわち彼らがイスラエルの神以外のものを神とし 異邦人の神々 木や石や鉄の像を拝み また神ではなく人の力 また自分たちの知恵と力に頼ったためでした このような罪を犯させる霊 偶像礼拝の霊 それがイェシュアに対して叫び出した 汚れた霊 の正体であると考えられます 2. 叫ぶしかしこの 汚れた霊 が かつてイスラエルを惑わせた 偶像礼拝の霊 であるとして 納得のいかないことがあります それはこの霊が言った 正確には人に言わせたその内容です ナザレの人イエスよ 私たちと何の関係があるのですか 私たちを滅ぼしに来たのですか 私はあなたがどなたなのか知っています 神の聖者です この内容に間違いや嘘はありません 確かにイェシュアはナザレ人と呼ばれており 偶像礼拝とは何の関わりもない イスラエルの神にのみ聞き従われる御方です そしてやがてすべての偶像とそれを礼拝する者 礼拝させる者たちを滅ぼされます そして神の御計画を完成さ 3

せる御方です 汚れた霊 はイェシュアを 神の聖者 と呼びましたが ヘブル語で 聖とする きよ める 聖別する ことをカーダシュ ד ש) (ק と言いますが この本来の意味は 創世記に記された神の 天地創造の御業の完成を指し示すものです 新改訳 2017 創世記 2:1 こうして天と地とその万象が完成した 2:2 神は第七日に なさっていたわざを完成し 第七日に なさっていたすべてのわざをやめられた 2:3 神は第七日を祝福し この日を聖なるものとされた その日に神が なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである 天と地とその万象が完成した この日を 聖なるものとされた これが聖書で最初のカーダシュであり 神の御計画の完成 完了を指し示す言葉であることが分かります イェシュアはまさにそれを果たされるために神から遣わされた 神の聖者 です このように 汚れた霊 であり 人に 偶像礼拝 の罪を犯させる霊でありながら 言っていることはすべて正しいとは一体どういうことなのでしょうか ここで注目したいことがあります それはこの 汚れた霊につかれた人が 叫んだ ということ です ヘブル語で 叫ぶ ことをザーアク ק) (ז ע と言います その本来の意味は出エジプト記の時代 エジプトの奴隷となっていたイスラエルの民が その奴隷の苦しみのゆえに神に向かって助けを求めて叫んだことにあります 新改訳 2017 出エジプト記 2:23 それから何年もたって エジプトの王は死んだ イスラエルの子らは重い労働にうめき 泣き叫んだ 重い労働による彼らの叫びは神に届いた 2:24 神は彼らの嘆きを聞き アブラハム イサク ヤコブとの契約を思い起こされた 2:25 神はイスラエルの子らをご覧になった 神は彼らをみこころに留められた この 泣き叫んだ と訳されている聖書で最初のザーアクは 神にかつて御自身がアブラハム イサク そしてヤコブすなわち後のイスラエルとその子孫と交わされた契約を思い起こさせることとなりました その契約とは イスラエルによって地上のすべての民族を祝福するというものです 新改訳 2017 創世記 28:13 そして 見よ 主 がその上に立って こう言われた わたしは あなたの父アブラハムの神 イサクの神 主 である わたしは あなたが横たわっているこの地を あなたとあなたの子孫に与える 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり あなたは 西へ 東へ 北へ 南へと広がり 地のすべての部族はあなたによって またあなたの子孫によって祝福される 28:15 見よ わたしはあなたとともにいて あなたがどこへ行っても あなたを守り あなたをこの地に連れ帰る わたしは あなたに約束したことを成し遂げるまで 決してあなたを捨てない 4

この契約を神に思い起こさせ イスラエルの民を奴隷の苦しみから解放するための 叫び がこのザーアクの本来の意味であると考えられます ですからイェシュアに向かって叫んだのは 汚れた霊 ではなく 汚れた霊につかれた人 つまり 汚れた霊 の奴隷となっていた人が イェシュアに助けを求めて叫んだのだと考えられます 新改訳 2017 マルコの福音書 1:25 イエスは彼を叱って 黙れ この人から出て行け と言われた 1:26 すると 汚れた霊はその人を引きつけさせ 大声をあげて その人から出て行った 3. 黙れ ( אל ם) そしてイェシュアこの人に向かって 黙れ ヘブル語でアーラム そして 出て行け ヘブル 語でヤーツァー א) (י צ という言葉を使われました 実はこれらの言葉の本来の意味を調べますと この 訳からは想像もできないようなメッセージを導き出すことができます まず 黙る という意味のアーラムについて この最初の言及は創世記 37:7 になります 新改訳 2017 創世記 37:6 ヨセフは彼らに言った 私が見たこの夢について聞いてください 37:7 見ると 私たちは畑で束を作っていました すると突然 私の束が起き上がり まっすぐに立ちました そしてなんと 兄さんたちの束が周りに来て 私の束を伏し拝んだのです これはアブラハムの子イサクの子ヤコブの 11 番目の息子ヨセフが見た夢について彼が話した内容ですが ここで 束を作って と訳されている箇所に聖書で最初のアーラムがあります このようにアーラムとは本来 束ねる 集める 一つにするというような意味であると言えます ヨセフが見たこの夢は 彼がエジプトの王に次ぐ権威に立った時に実現したと考えられますが 究極的にはイェシュアが再びこの地に来臨された時 イスラエルの民を集め イスラエル王国を再建し すべての国々がそれに従うようになる神の御計画 神の国の完成を指し示した夢であるとも考えられます ですから 黙れ と訳されたアーラムには本来 イスラエルの民を一つに束ね 神の国を建て上げる神の御計画が指し示されていると考えられます 4. 出て行けそして 出て行け と訳されたヘブル語ヤーツァーについて これは創世記 1:12 にその最初の言及があります 新改訳 2017 創世記 1:12 地は植物を すなわち 種のできる草を種類ごとに また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた 神はそれを良しと見られた 1:13 夕があり 朝があった 第三日 5

これは神の天地創造の御業の第三日についての内容です ここで 実を結ぶ木を 生じさせた と訳されているのが聖書で最初のヤーツァーです 種のできる草 そして 種の入った実を結ぶ木 を 生じさせる こと つまり種によってさらに増える 増え広がること 種族繁栄 これがヤーツァーの持つ本来の意味だと言えます このように イェシュアが言われた 黙れ この人から出て行け という言葉は 汚れた霊 に対してはこの訳の持つ意味の通りのものであったでしょう しかし 汚れた霊につかれた人 その人に対してはイスラエルの民に対する神の約束 御計画を指し示したものであったと考えられます つまりこの会堂にいた一人の 汚れた霊につかれた人 とは 偶像礼拝の罪を犯したイスラエルの民に対する神の御計画を指し示した 型 たとえであったと考えられます 確かに旧約聖書に記された歴史において イスラエル王国はその偶像礼拝の罪 偶像の奴隷となったことによって滅ぼされました イェシュアが最初に来られた時代も イスラエルの民はローマ帝国の奴隷 またユダヤ人の指導者たちが本来の意味を捻じ曲げてしまった律法の奴隷となっていました しかしこの奴隷となったイスラエルの民が再び神に向かって イェシュアに向かってザーアク 叫ぶ 時 イェシュアは再びこの地に来られ 世界中に散らされたイスラエルの民を集めアーラム 一つに束ね て ヤーツァー 種族繁栄 すなわち あなたの子孫は地のちりのように多くなり あなたは 西へ 東へ 北へ 南へと広がり ( 創世記 28:14) というアブラハム イサク ヤコブとの約束を果たされることが イェシュアとその会堂にいた 汚れた霊につかれた人 との間に起こった出来事の中に 型 として表されていると考えられます このように ヘブル語の視点で捉えるならば 黙れ この人から出て行け という言葉の中には イスラエルの民よ集まれ イスラエルによって祝福され 繁栄せよ というようなメッセージが隠されていると考えられます 5. パラレリズムそして 汚れた霊はその人を引きつけさせ とありますが ここで 引きつけさせ と訳されているヘ ブル語はサーハヴ ח ב) (ס と言い この言葉の本来の意味も 先ほどのアーラムと同じように一つにまと めて縛るという意味合いを持っています 新改訳 2017 Ⅱサムエル記 17:13 もし彼がどこかの町に入るなら イスラエル中の者がその町に縄をかけ その町を川まで引きずって行って そこに一つの石ころも残らないようにしましょう これはイスラエルの王ダビデに謀反を起こした彼の息子アブシャロムが ダビデをどのように攻めるかという作戦を企てた時のものですが ここで 引きずって と訳されているのが聖書で最初のサーハヴです 彼すなわちダビデ王が入った町を 町ごと一つに縛り上げる 一見悪い出来事のように感じてしまいますが 先ほどのアーラムとの関連性から考えるならば これはダビデ王が入った 来られたことで町すなわち人々が一つになる 束ねられ 集められることを指し示していると考えられます このダビデ王とは ダビデの子とも呼ばれるメシアであるイェシュアを指し示していると考えられます そして 大声をあげて 出て行った と記されていますが ここにも先ほど取り上げた 奴隷の苦しみの 6

ゆえに神に叫ぶ ことを意味するザーアク そして 種族繁栄 を意味するヤーツァーが使われています つまり 25 節と 26 節はパラレリズム すなわち同じ内容のメッセージを言い換えて二度繰り返すことで強調しようとしていると考えられます このように 一見ホラー映画などで見るような悪霊払い 怪奇現象のような出来事も ヘブル語の視点で見るならば そこにはメシアであるイェシュアによって果たされる イスラエルの民に対する神の約束 御計画が表されていることが分かります 6. 一つのこと聖書とは 言葉や表現を換え 場所や人物を換えながら ただ一つのこと 一つのメッセージを何度も何度も繰り返しながら補足説明を加え それをより強調して また詳細に伝えようとしている書物と言えます そのメッセージとはもちろん 神の家 神の国 を造るという神の御計画です そこには王なるイェシュア イスラエル 聖霊 教会 天と地など いくつかの重要な要素 存在が不可欠です しかしこれらはすべてその 神の家 神の国 を完成させるために神が用意されたパーツ 各部分であるということです すべてはこの 神の家 神の国 という御計画にかかっているのです 今日取り上げた出来事を通してもその事実を垣間見ることができたと思います 神の御計画を強調するために 少し極端な言い方をしますが 神はイェシュアが人から汚れた霊を追い出されたように 私たちの苦しみや痛みを取り去るための御方 存在ではありません 御自分の御子であるイェシュアを王とし アブラハムの子孫であるイスラエルの民を用いて それに繋がるすべての人を祝福する世界 国 家を建てられる御方 神の家 神の国 の御計画を完成させる御方なのです 私たちはこの真理に固く立たせていただく者でありたいと願います 私たちを取り巻く 目に映る環境 状況は決して良いものではありません 助けてください 癒してください 守ってください ついついこのような祈りが口から出てしまいます しかし私たちが神を自分たちの問題解決や健康や安全 願いを叶えるための道具として捉えるならそれは 汚れた霊 すなわち 偶像礼拝の霊 です 偶像礼拝とは 自分のために神を使う思考を指します 思い違いをしてはいけません 私たちのために神がおられるのではなく 神が御自身の計画のために 私たちを含むこの天と地とそこに生きるすべてのものを創られたのです ですからいつも 神の家 神の国 を思って祈りましょう それは私たちの祈りによってそれがなるためではありません 私たちがそれを忘れることなく いつも覚えているためにです 祈りましょう 新改訳 2017 詩篇 27:4 一つのことを私は 主 に願った それを私は求めている 私のいのちの日の限り 主 の家に住むことを 主 の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために 7