中央部での戦い失敗に対する神の裁き北部での戦いⅠ東部での戦い北部での戦いⅡ南部での戦い偶像礼拝の罪西部での戦いイスラエルの不道徳の罪内戦の罪征服完了の失敗Ⅲ.C. 士師記 士師記は ヨシュア記と非常に対照的な書です ヨシュア記では 従順な人々が神の力への信頼を通して約束の地を征服しました しかし士師記では 不従順で偶像礼拝をする人々が神への反逆のゆえにしばしば打ち負かされています 顕著な 7 つの罪のサイクルにおいて 士師記は イスラエルが神の律法を いかにわきに追いやり めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた (21:25) ことを書き記しています そして その結果として 内部からの腐敗と外部からの圧迫が生じました 折にふれて神は 奴隷のくびきを打ち払い イスラエルに純粋な礼拝を取り戻すために 軍事的擁護者を起こされました しかし イスラエルの霊的温度が着実に冷えていくにつれて あまりにも早く 罪のサイクル が再び始まっています 焦点腐敗救出堕落 梗概 1:1 2:1 3:5 4:1 6:1 10:6 12:8 13:1 17:1 19:1 20:1 1:36 3:4 3:31 5:31 10:5 12:7 12:15 16:31 18:31 19:30 21:25 話題 サイクルの原因 カナン人との生活 サイクルの呪い カナン人との戦い サイクルにおける条件 カナン人のような生活 場所 カナン 時間 約 350 年 51
はじめに ヘブル語の書名は ショフェティーム で その意味は 士師 judges 支配者 rulers 救出者 deliverers 救い手 saviors である ショフェット ( 単数形 ) は 正義を保つとか 論争を終わらせるなどの意味を持つだけではなく 解放し 自由にする ということもかつては意味した 士師たちはまず人々を救出し そのあと 人々を支配し正義を行なった 70 人訳聖書では 同義語の Kritai を用いた ラテン語のウルガータは リベル ユディクム Liber Judicum( 士師の本 ) と呼んだ この書は 失敗の書 と呼ぶこともできる 著者 不明 しかし サムエルまたは彼の預言者学校の生徒の一人が書いたと思われる ユダヤ教の伝承タルムードによれば 士師記はサムエルが書いたとしている 確かに サムエルは 士師の時代と王の時代との間で 重要なつなぎ役であった 士師記は サムエルの時代に書かれた 1 この書が シロから契約の箱が奪われた (1 サムエル 4:3~11) あとに書かれたことは 次の 2 つの節 (18:31 20:27) から明らかである 2 何度も出てくる そのころ イスラエルには王がなく (17:6 18:1 21: 25 19:1) という表現は 士師記が書かれたのが サウルの治世の開始よりもあとで 王国分裂の前であることを示している 3 エブス人がエルサレムに 今日まで (1:2) 住んでいるという事実は 士師記が 1004 年 B.C. にダビデがエブス人を打った (2 サムエル 5:6~9) 時よりも前に書かれたことを意味する サムエルが口伝と書かれたものからこの書を編集したというのは 大いにありえる サムエルの預言者としての働きは 士師記の道徳的状況と一致している 首尾一貫した文体と秩序のある構想は 編集者が一人であることを示している 18:30 に 国の捕囚の日まで という表現が使われていて それゆえに 士師記がサムエルの時代に書かれたものではない という主張につながっている もしこれを 722 年 B.C. のアッシリヤ捕囚と取れば この部分のみ のちの時代の編集者によって挿入されたと考えられる しかし この箇所は 士師の時代にペリシテ人によって捕囚されたことへの言及というのが最もありそうなことである この時の出来事は 詩篇 78:61 では 捕囚 と記述されている ( 佐々木注 日本語の聖書では 何と訳されているのかもわかりづらい ) 年代と背景 もし 士師記がサムエルによって書かれたのでなければ この書は 少なくとも 1043 年 B.C.( サウルの治世の開始 ) から 1004 年 B.C.( ダビデのエルサレム制服 ) の間で サムエルと同時に生きた人のうちの誰かによって書かれた ヨシュア記の 7 年間の征服は大まかなもので 所有すべき地は多く残されていた ( ヨシュア 13:1) 各部族によって取られるべきカナン人の重要な拠点は 残されていた カナン人のうちのいくつかの民族は イスラエルをテストする (3:1 4) ため 残されていた 52
この当時 エジプト人は海岸沿いの土地に対しては強い支配権を振るっていたが イスラエルが主に入り込んだ山岳地帯には関心がなかった 士師記が取り扱っている時代は 1380 年 B.C. ごろから 1045 年 B.C. である しかし 士師が活躍した時代は 実際には さらに 30 年長くなる というのは サムエルが最後の士師であるが サムエルのことは士師記に含まれていないからである 士師記は 南部 (3:7~31) 北部 (4:1~5:31) 中央部 (6:1~10:5) 東部 (10:6~12:15) 西部 (13:1~16:31) での 背教 抑圧 救出のサイクルを記述している 背教の広がりは 全領土に及んでいる テーマと目的 士師記の歴史的な目的は イスラエルの物語をヨシュアの死からサムエルの時代 統一王国の始まりにまでつなぐことである 士師記は サウルの治世 (1043 年 ~1011 年 B.C.) の間か ダビデの治世の最初の 7 年間 (1011 年 ~1004 年 B.C.) の間に書かれた 士師記は イスラエルの王制を説明し 擁護している (17:6 18:1 19:1 21:25) イスラエルは 正しい王によって統一される必要があった 他の歴史的な書と同じく 士師記は テーマに沿って選ばれた歴史的事実を示している たとえば 17 章から 21 章までは 時間的には 3 章から 16 章よりも前のことである しかしこれらの章は 当時を支配していた道徳的状態を示すために 士師記の最後に置かれた 士師記は 背教の広がりを示すために地理的概観を また 背教の深まりを示すために時間的概観を記述している 17 章 ~21 章で そのクライマックスに達し それにふさわしい要約として 21:25 が書かれている 神学的には 士師記は イスラエルの偶像礼拝 不道徳 暴力 と ヤーウェの契約への忠実さと恵み深い救出 との間の明確なコントラストを示している 忍耐深い愛のゆえに 神は イスラエルが悔い改めるたびに彼らを赦された イスラエルは しばしば 愚かで 恩を忘れ 頑固で 反抗的な行動をし これが 敗北へとつながった 罪は常に 災いにつながり 悔い改めは常に救出へとつながる 士師記の鍵 鍵になる言葉 : サイクル 鍵になる節 2:20~21 それで 主 の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった 主は仰せられた この民は わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り わたしの声に聞き従わなかったから わたしもまた ヨシュアが死んだとき残していた国民を 彼らの前から一つも追い払わない 21:25 そのころ イスラエルには王がなく めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた 鍵になる章 :2 章この章は 神に従う世代から従わない世代への移り変わり 罪のサイクルの形 53
式 そして カナン人を滅ぼしつくさなかった神の目的が書かれていて 士師記全体のミニチュアである 士師記の中のキリスト それぞれの士師は 救い手であり支配者であり 霊的 政治的救出者である それゆえ 士師は 民の救い主であり王であるキリストを描写している 士師記は また 正しい王の必要を示している サムエル記第一を含めて 全部で 17 人の士師が書かれている ある者は戦士で支配者 ( たとえば オテニエルやギデオン ) であり 祭司 ( エリ ) であり 預言者 ( サムエル ) であった このことは キリストの 3 つの役割を表現したことになっている キリストは 彼の前に登場したどの人よりも優れており キリストが 究極の預言者 祭司 王である 聖書への貢献 士師記は 信仰と従順の欠如ゆえの神政政治の失敗を記録している 彼らは 神である王に不忠実であって この世の王を追い求めやすいことが のちにわかった 士師記は ヨシュア記とはっきりと対比されるヨシュア記士師記自由くびき前進後退信仰による征服不信仰による敗北 私たちが主を捨てて ほかの神々に こうして イスラエル人は 主の目の前に悪を仕えるなど 絶対にそんなことはありま行ない 彼らの神 主を忘れてバアルやアシェせん (24:16) ラに仕えた (3:7) イスラエルは神に仕えた (24:31) イスラエルは自分自身に仕えた (21:25) イスラエルは 神の人格も神の力も知イスラエルは神の人格も神の力も知らなかったっていた (24:16~18 31) (2:10) 客観的道徳性主観的道徳性イスラエルは前方へ押し進んでいたイスラエルはらせん状に後退していた罪は裁かれた罪は容認された信仰と従順信仰と従順の欠如 概略 ヨシュアの死後 イスラエルは 350 年の暗黒時代に突入した ヨシュアと征服に関わった世代が死ぬと 主 を知らず また 主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった (2:10 2:7~10 ヨシュア 24:31 参照 ) 士師記は イスラエルの腐敗の記述によって始まり 圧迫と救出の 7 つのサイクルが続き イスラエルの堕落の 2 つの物語で終わっている 腐敗 (1:1~3:4) 士師記は ヨシュアの死後の短い期間の軍事的成功をもって始まっているが すぐに 敵を追い払うことに関して すべての部族が失敗を繰り返すという状況に変わっている イスラエルは 中心的なリーダーがいないためだと思っていたが 失敗の根本的な理由は 神への信仰と従順の欠如である (2:1~3) 妥協は 54
争いと混沌へとつながった イスラエルは先住民を追い払わなかった (1:21 27 29~30) カナン人によって広がっていた道徳的癌を取り去る代わりに イスラエルは 癌と契約を結んだ カナン人の神々は 文字通りイスラエルにとってわなとなった (2:3) 2 章 11~23 節は 士師記 3~16 章で見られるパターンの縮図である 救出 (3:5~16:31) この区分は 7 つの背教 ( 神から離れること ) 7 つの隷属 そして 7 つの救出を記述している 7 つのサイクルのそれぞれに 5 つの段階がある : 罪 隷属 嘆願 救出 そして 平安である これらは また 反逆 悪の報い 悔い改め 回復 そして 休息とも記すことができる 7 つのサイクルは 下方へ向かう罪の螺旋 (2:19) として繰り返されている イスラエルは 継続的に失敗を犯し 失敗から学ぶことなしに 従順と背教の間で揺れ動いていた 背教は進んだが 反逆は継続的なものではなかった 休息と平安の時は 束縛の時よりも長かった イスラエルの罪の単調さは 神の救出の方法の創造性と比較できる士師たちは 同盟が弱くなったこの時期の 軍事的市民的リーダであった 13 人が士師記の中で言及され 4 人はサムエル記第一に書かれている ( エリ サムエル ヨエル アビヤ ) 圧迫された平和だったサイクル圧迫者救出者年数年数 1(3:7~11) メソポタミア人 8 オテニエル 40 2(3:12~30) モアブ人 18 エフデ 80 挿入 (3:31) ペリシテ人 ~ シャムガル ~ 3(4:1~5:31) カナン人 20 デボラ / バラク 40 4(6:1~8:32) ミデヤン人 7 ギデオン 40 5(8:33~10:5) アビメレク 3 トラ / ヤイル 45 エフタ / イブツァン 6 7 6(10:6~12:15) アモン人 18 エロン / アブドン 10 8 7(13:1~16:31) ペリシテ人 40 サムソン 20 合計 114 合計 296 堕落 (17:1~21:25) これらの章は 士師の時代の (1) 宗教的背教 (17~18 章 ) と (2) 社会的道徳的堕落 (19~21 章 ) を表している 19~21 章に 聖書の中で最も悪い不名誉な話の 1 つを含んでいる士師記は この時代を理解するために鍵となる表現をもって終わっている そのころ イスラエルには王がなく めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた (21:25) 人々は 自分たちの目に悪いことをしていたのではなかったが 主の目に邪悪なこと をしていた 55