2019 年 10 月 31 日 第 21 講 第二次世界大戦とドイツの戦略 (2)
ノルウェー デンマーク占領 イギリス海上防衛の脇腹 ドイツ海軍 大西洋へのアクセスが容易に http://de.wikipedia.org/wiki/zweiter_weltkrieg
パリ陥落 1940 年 6 月 14 日 http://www.geschichtsthemen.de/verschiebung_frankreichfeldzug.htm
ヒトラー 国会で対英講和を呼びかけ 1940 年 7 月 19 日 私はイギリス帝国に損害を与えることを意図したことは一度もない http://www.stormfront.org/whitehistory/hwr62_files/ah_speech.jpg
ドイツの 2 つの戦略目標 (1) イギリスを早期に屈服させる イギリスと講和して東へ (2) アメリカの参戦を阻止する 第一次世界大戦での苦い経験
イギリス屈服の軍事的手段 (1) ロンドン空爆作戦 http://plaza.rakuten.co.jp/volfnsdap/5007
イギリス屈服の軍事的手段 (2) あしか 作戦 イギリス海軍も強そうだなあ 海が荒れているなあ http://www.historylearningsite.co.uk/operation_sealion.htm
イギリス屈服の軍事的手段 (3) フェリックス 作戦 http://www.rikkyo.ne.jp/~z5000002/africa/060222-gib.htm
そう言われましてもねえ トラック 1 万台いただければねえ ヒトラー 会談 1940 年 10 月 23 日 おいフランコ! 内戦で助けてやったのは俺だぞ! 忘れたのか http://foroelsalvador.blogia.com/upload/20061229170352-franco-hitler-2.jpg
イギリス屈服とアメリカ牽制の外交的手段 日独伊三国同盟調印 1940 年 9 月 27 日 http://www.reformation.org/atomic-bomb.html
ソ連の西漸
アメリカの 主義 Return to Normalcy ハーディング ( のち 29 代アメリカ合衆国大統領 ) の選挙キャンペーン
1940 年 7 月のヨーロッパ http://www.ushmm.org/wlc/es/media_nm.php?moduleid=10007556&mediaid=6799
1940 年 7 月のヒトラーの情勢判断 なぜイギリスは抵抗を続けるのか? http://www.giervalk.bravepages.com/greatbritain/great-britain-map-1.jpg
ヒトラーの判断 1940 年 7 月 31 日 イギリスの希望はロシアとアメリカである もしロシアへの希望が潰えれば アメリカの希望も潰え去る なぜならロシアが脱落すると東アジアにおいて の価値が飛躍的に高まるからである ロシアは に向けられた英米の剣
対ソ政策 2 つの選択肢 1) ソ連を味方に惹きつけて 日独伊 四国同盟を結成する リッベントロップ外務大臣の路線 2) ソ連を軍事的に打倒する ( 独 戦路線 ) の路線
牽制 屈服の手段 日独伊三国同盟調印 1940 年 9 月 27 日 http://www.reformation.org/atomic-bomb.html
日独伊三国同盟 第一条 国はドイツ国及びイタリア国の 州における新 建設に関し 指導的地位を認め 且つこれを尊重す 第二条ドイツ国及びイタリア国は 国の大 における新 建設に関し 指導的地位を認め 且つこれを尊重す 第三条日本国 ドイツ国及イタリア国は 前記の方針に基づく努力に附き相互に協力すべき事を約す 更に三締結国中何れか一国が 現に欧州戦争又は日支紛争に参入し居らざる一国に依り攻撃せられたる時は 三国はあらゆる政治的経済的及び軍事的方法に依り相互に援助すべき事を約す
三国同盟付属文書 在京独逸国大使より外務大臣宛来翰第一 日本国 ソヴィエト 連邦との関係に関しては独逸国は其の力の及ぶ限り友好的了解を増進するに努むべく且つ何時にても右目的のため周旋の労を執るべし
アメリカ合衆国を牽制 外務大臣 岡 右 大統領 www.mofa.go.jp http://www.mbe.doe.gov/me70/manhattan/einstein_letter.htm
ドイツによる日ソの仲介を予定 事件 (1939 年 5 月 ~9 月 ) 以来日ソ関係好転せず http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/nomonhan2.html
日ソ国交調整要綱案 (1940 年 10 月 3 日 ) イソ連は内蒙および北支三省における日本の伝統的関心を承認し 日本は外蒙古および新疆に関するソ連の伝統的関心を承認す ロ ソ連は日本が将来仏印 蘭印方面に進出することを容認すべく 日本はソ連が将来 ペルシャ方面 ( 次第によりては を含む ) に進出することを容認す ハ 日独伊三国はソ連をして世界における新秩序建設に協力せしむ 同盟が同一ベーシスにおいて を加えたる四国同盟に発展することを辞せず
@ 田嶋信雄 日独伊ソ四国同盟構想 ( ユーラシア大陸ブロック構想 )
関東軍にも対ソ提携論 植田謙吉関東軍司令官 1939 年 8 月 27 日 方面のソ軍に対し徹底的打撃を与えつつ 他面ドイツ イタリアを利用してソ連より休戦を提議せしむるとともに 速やかに日ソ不可侵条約を締結し さらに進みて日独伊 の対英同盟を結成し東洋における 国勢力を根本的に芟除すべし
リッベントロップの 国協商案 (1940 年 11 月 13 日 ) 第 1 条 1940 年 9 月 27 日の三国同盟において 日独伊三国は現在の戦争が世界大戦にまで拡大するのを防止すべくあらゆる力をつくし 世界平和の早期回復に向かって協力することに同意した 三国はまた同じ方向を目指して努力を傾ける意向をもつ 世界の各地域の国民と喜んで協力するものであることを明らかにした は これらの目的に同調し 三国とこの目的のために政治的に協力する決意をもつことを宣言する 第 2 条独日伊と は相互の自然的な勢力範囲を尊重することを約束する これらの勢力範囲の相互間に摩擦の生じた場合 四国は発生した問題について 常に友好的に協議する 第 3 条独日伊 は 四国のいずれか一国に敵対する国家結合に参加せず またこれを支持しないことを約束する 四国は あらゆる経済問題に関し相互に援助し 四国間の現存の協定を補強 かつ拡大する
注意! 日独枢軸の仮想敵の変遷 日独防共協定 (1936 年 11 月 ) 仮想敵は ( とコミンテルン ) 防共協定強化交渉 (1938 年夏 -1939 年夏 ) 仮想敵は主として (+ 米ソ ) 日独伊三国同盟 (1940 年 9 月 ) 仮想敵は英 ( ソ連を加えて四国提携へ )
アメリカの反応 東京駐在アメリカ合衆国大使グルー 日米両国の友好関係継続は 絶望 これは過去に私が知っていた ではない
中国 蔣介石の反応 三国同盟の締結はまさに 国の最終勝利への転機であり 同時に日本の失敗への最大の鍵である わが抗戦にとって絶対に 利である
外務大臣 のベルリン訪問 http://www.marxists.org/glossary/people/m/pics/molotov.jpg
モロトフ = ヒトラー会談 http://stevenlehrer.com/reich_chancellery.htm
ソ連のドイツ宛覚書 1940 年 11 月 25 日 (1)1939 年の協定によりソ連邦の勢力圏に属するべきフィンランドからドイツ軍は直ちに撤退すること その際 ソ連邦はフィンランドとの平和的関係を維持し また ドイツのフィンランドにおける経済権益 ( 木材とニッケル ) を保障する (2) 数ヵ月以内のうちにソ連邦とブルガリア ( 同国は地理的状況からみてソ連邦の黒海領域での安全保障圏に属する ) との間で相互援助条約が締結され さらにボスポラス ダーダネルス地域で長期租借によりソ連邦の陸海軍基地の創設が確保されること (3) バツーム バクー地域南方のペルシャ湾へと至る全般的方面がソ連邦の領土的希望の重点として承認されること (4) 日本が北樺太における石油 石炭利権を放棄すること
総統司令第 21 号バルバロッサ計画 1940 年 12 月 18 日 ドイツ国防軍は対英戦終了以前の段階であってもソヴィエト ロシアを迅速に打倒するための準備を整えなければならない 41 年 5 月 15 日までにその準備を終える 攻撃意図を察知されないことが決定的に重要である
参考文献 田嶋信雄 総説 : 東アジア国際関係のなかの日独関係 工藤章 田嶋信雄 ( 編 ) 日独関係史 1890-1945 第 Ⅰ 巻東京大学出版会 2008 年 田嶋信雄 総説 : 国際関係のなかの日中戦争 西村成雄 石島紀之 田嶋信雄 ( 編 ) 国際関係のなかの日中戦争 慶應義塾大学出版会 2011 年 田嶋信雄 日中戦争と欧州戦争 黄自進 劉建輝 戸部良一編 日中戦争 とは何だったのか ミネルヴァ書房 2017 年