尊 厳 死 とはなにか ~ 仏 教 の 立 場 から~ 矢 島 道 彦 尊 厳 死 一 個 の 人 格 としての 尊 厳 を 保 って 死 を 迎 える あるいは 迎 えさせること 近 代 医 学 の 延 命 技 術 などが 死 に 臨 む 人 の 人 間 性 を 無 視 しがちであること への 反 省 として 認 識 されるようになった ( 広 辞 苑 ) 1)はじめに ~ 究 極 の 尊 厳 死? ジャイナ 教 徒 のサッレーカナー~ チャンドラ ヤシャー 尼 (1938~1968)インド グジャラート 州 出 身 13 才 のとき ジャイナ 教 白 衣 派 の 高 僧 ラブデ ィ スーリの 説 法 を 聴 き 感 銘 を 受 けて 出 家 数 年 間 サルヴォーダヤ 尼 のもとで 修 学 に 励 んで 後 16 才 で 正 式 にデ ィークシャーを 受 けて 尼 僧 となる 以 後 裸 足 で 各 地 を 遍 歴 し 禁 欲 と 断 食 行 の 日 々を 過 ごし 1968 年 6 月 29 日 マド ラスに 至 る 同 7 月 14 日 より 最 後 の 断 食 に 入 り その 45 日 目 に 息 を 引 き 取 った 医 師 の 診 断 の 結 果 は 心 不 全 による 自 然 死 であった 尼 の 顔 は 穏 やかで その 両 眼 は 崇 高 な 光 を 放 っていたという 写 真 左 : 断 食 41 日 目 中 : 死 去 したときの 姿 右 :チャンドラ ヤシャーの 感 化 を 受 けて 出 家 した 女 性 たち (cf. V.G.Nair, Tapasvinī Chandrayashā Shrī. A Short Biography and an Outline of Jainism, Madras: The Jaina Sangha, 1969) 断 食 死 (サッレーカナー)の 原 則 : 不 治 の 病 高 齢 飢 饉 で 師 匠 が 許 可 する 場 合 のみ 坂 本 知 忠 氏 の 報 告 :1989 年 インド ラジャスタン 州 のラドゥヌーンで 84 才 のケーサルジー 尼 に 会 う 断 食 14 日 目 で 体 重 は 21 キログラムしかないが 体 は 健 康 で ボケもない 師 匠 にサッレーカナーの 許 可 を 得 るために 親 族 とともにやって 来 た ケーサルジー 尼 は 早 くに 夫 を 亡 くし 31 才 で 出 家 したという 高 齢 を 理 由 にサッレーカナ ーの 許 可 を 懇 願 する 尼 に 師 匠 が 問 う この 人 生 でやり 残 していることはないか 未 練 はないか 魂 を 充 分 に 浄 化 できたか もう 尐 し 心 をよく 調 べたほうがいいのではないか ケーサルジーが 答 える ぜんぶやりました も う 何 もありません サッレーカナーに 入 らせてください 許 可 をお 願 いします 大 丈 夫 です 私 の 心 は 強 くなっ ています このようなやりとりののち 師 匠 が 瞑 想 に 入 ると 室 内 は 息 詰 まるような 緊 張 と 聖 なる 雰 囲 気 に 包 まれた ややあって 瞑 想 を 解 いた 師 匠 は ケーサルジー 尼 にいま 一 度 決 心 の 程 を 尋 ね 確 認 した そして 力 強 い 言 葉 で 許 可 する と 言 った 室 内 はたちまち 歓 喜 にあふれ 尼 僧 たちはサッレーカナーを 称 える 讃 歌 を 歌 った 12
( 坂 本 知 忠 ジャイナ 教 の 瞑 想 法 プレークシャー ディヤーナ ノンブル 社 1999) 2)インド 人 の 倫 理 原 則 ~ 自 己 類 比 (アートマウパムヤ)~ 一 切 の 生 類 に 対 し 楽 苦 愛 憎 をわが 身 の 如 く 感 ずる 者 は わが 身 に 思 い 比 べて 他 の 生 ける 者 を 害 せんとはせざるなり ( ヨーガ シャーストラ Ⅱ.20 鈴 木 重 信 訳 ) 吾 が 身 に 生 命 の 惜 しきごと そは 生 類 もまた 然 り 吾 と 吾 が 身 にひき 較 べ 善 行 の 士 は 生 類 に 憐 を こそ 垂 れるなれ ものを 拒 むも 与 うるも 快 楽 痛 苦 愛 憎 のいずれにてあれ 人 は 皆 吾 と 吾 が 身 にひき 較 べ 行 為 の 指 針 を 定 むなり ( ヒトーパデーシャ I 金 倉 北 川 訳 ) かれらも 私 と 同 様 であり 私 もかれらと 同 様 である わが 身 に 引 き 比 べて 殺 してはならない 殺 させてはならない ( スッタ ニパータ 705) 3) 仏 教 の 原 則 的 立 場 : 自 ら 殺 し 他 をして 殺 させ また 死 を 勧 めれば いずれも 教 団 追 放 波 羅 夷 法 第 三 : 何 れの 比 丘 と 雖 も 知 りつゝ 人 体 の 生 命 を 奪 ひ 或 はそれに 対 して 殺 者 ( 武 器 を 持 つ 者 )を 求 め 或 は 死 の 美 を 讃 嘆 し 或 は 死 を 勧 めて 咄 この 男 この 悪 生 活 は 汝 にとり 何 の 用 ぞ 汝 にとりては 死 は 生 に 勝 るべし と 云 ひ かく 思 ひ かく 決 心 して 種 々の 方 法 を 以 て 死 の 美 を 讃 嘆 し 死 を 勧 むることあらば これも 亦 パーラージカにて 共 住 すべからざるものなり ( 長 五 真 琴 戒 律 の 根 本 昭 50 国 書 刊 行 会 ) 4) 臨 終 の 情 景 ~ブッダの 場 合 ~ ( 釈 迦 涅 槃 図 部 分 ) かくて 世 尊 の 般 涅 槃 したまへる 時 欲 より 離 れざる 比 丘 等 の 或 者 は 腕 を 伸 して 泣 き 砕 かれたる 岩 の 如 くに 打 ち 倒 れて 転 転 反 側 せり 餘 りにも 早 く 世 尊 は 般 涅 槃 したまへり 餘 りにも 早 く 善 逝 は 般 涅 槃 したまへり 餘 りにも 早 く 世 間 の 眼 は 姿 を 隠 したまへり とて 然 るに 欲 を 離 れたる 比 丘 等 は 正 念 あり 自 覚 ありて よく 耐 えぬ 諸 行 は 無 常 なり 如 何 でここに 常 住 なること あり 得 べき とて 時 に 尊 者 阿 那 律 は 比 丘 等 に 告 げぬ 止 めよ 友 よ 悲 しむ 勿 れ 慟 哭 する 勿 れ 友 よ 世 尊 は 予 て 斯 く 説 きたまはずや 凡 ての 愛 しく 好 ましき 者 とも 生 別 し 死 別 し 死 後 は 境 界 を 異 にす と 友 よ 如 何 ぞここに 常 住 なることあり 得 べき かの 生 じたる 存 在 せる 造 られ たる 破 壊 すべき 法 そは 実 に 壊 るること 勿 れ と 斯 かる 處 (ことわり)なし ( 仏 教 聖 典 改 訂 版 東 京 大 学 仏 教 青 年 会 編 修 ) 5) 涅 槃 (ニルヴァーナ)とは 13
ニルヴァーナ(nirvāna < vā 2 ): ( 火 が) 消 えること 動 詞 vā 1 ( 吹 き 消 す)) 2 種 のニルヴァーナ 1 有 余 依 涅 槃 ( 生 前 のニルヴァーナ) 2 無 余 依 涅 槃 ( 命 終 のニルヴァーナ= 般 涅 槃 parinirvāna) 生 前 の 涅 槃 では 火 的 な 成 分 である 煩 悩 が 消 えた では 命 終 に 際 して 消 える 火 とはなにか 般 涅 槃 する 直 前 ブッダは 四 禅 八 等 至 から 滅 尽 定 ( 想 受 滅 )に 入 り 無 呼 吸 の 状 態 となった アーナンダの 問 い: 世 尊 は 般 涅 槃 されたのでしょうか? アヌルッダの 答 え: 世 尊 は 般 涅 槃 したのではなく 想 受 滅 に 入 っておられるのです 呼 吸 の 有 無 では 命 終 と 滅 尽 定 とは 区 別 できない 滅 尽 定 と 区 別 される 死 の 特 徴 : 1. 寿 命 (āyu)の 消 失 2. 諸 認 識 機 能 (indriya)の 崩 壊 3. 体 温 (usmā)の 消 失 解 脱 者 の 命 終 において 消 える 体 内 の 火 = よく 御 された(sudanta) 自 己 (アートマン) 榎 本 文 雄 氏 の 結 論 : 霊 魂 (ātman, jīva)は 常 住 な 火 であり 死 んで 体 温 が 消 え 去 っても 輪 廻 転 生 して 霊 魂 の 火 は 消 滅 することがないというような 考 え 方 が 初 期 仏 教 時 代 に 流 布 していたと 推 定 される これに 対 して 初 期 仏 教 では ブッダのような 解 脱 者 は 命 終 後 輪 廻 転 生 することなく 自 己 (attan, ātman)の 火 は 薪 が 燃 え 尽 きれば 消 えると 捉 えられ これが 般 涅 槃 という 術 語 で 表 現 されていると 考 えられる ( 榎 本 文 雄 初 期 仏 教 における 涅 槃 無 我 説 と 関 連 して 仏 教 研 究 40, 2012.3, pp. 149-160) 6)いのちの 本 質 命 根 の 体 はすなわち 寿 にして 能 く 煖 とおよび 識 とを 持 す ( 命 根 の 本 体 は 寿 すなわち 寿 命 であ って その 寿 命 が 煖 つまり 体 温 と 識 つまり 意 識 とを 保 持 して 人 の 生 命 を 維 持 する ) 俱 舎 論 根 品 第 45 偈 寿 と 煖 と 及 び 識 と 三 法 の 身 を 捨 する 時 所 捨 の 身 は 僵 仆 (きょうふ)す 木 の 思 覚 なきがごとし ( 寿 命 と 体 温 と 意 識 とが 肉 体 を 離 れるとき 肉 体 は 枯 れ 木 のように 倒 れて 死 ぬ ) 雑 阿 含 経 7) 死 体 遺 骨 は モノ か 日 本 人 が 臓 器 移 植 に 対 して 現 代 の 西 洋 人 とは 違 った 拒 否 反 応 を 示 すのも 人 々が 人 情 的 に 冷 淡 であ るとか 公 共 心 が 希 薄 だといった 倫 理 性 の 欠 如 によるためではなく また 無 知 蒙 昧 な 啓 蒙 されるべき 人 々が 多 いからというわけでもない むしろ 永 い 歴 史 の 中 で 人 体 を 精 神 と 肉 体 の 一 体 化 した 存 在 と みなし 生 命 を 失 った 身 体 を 物 質 視 しえない 思 想 を 人 々が 日 常 生 活 の 中 で 抱 いてきたという 点 にこ そある ( 松 長 有 慶 人 体 は 宇 宙 である 仏 教 別 冊 4, 1990.11 所 収 ) 8) 究 極 の 布 施 行 として 生 体 からにせよ 脳 死 後 にせよ 自 分 の 臓 器 を 他 人 に 提 供 するということは 仏 教 的 にいえば 布 施 である 布 施 は 自 己 と 他 者 と 施 物 とを 意 識 し 執 着 する 立 場 でおこなわれては 意 味 がない 布 施 は 布 施 波 羅 蜜 にならねばならない 波 羅 蜜 とは 生 死 一 如 のさとりである 無 我 と 空 のさとりから 他 者 の 幸 福 と 利 益 のために 自 分 の 臓 器 を 提 供 できるならば それは 真 に 自 己 を 生 かすことである ( 梶 山 雄 一 意 識 と 身 体 仏 教 別 冊 4, 1990.11 所 収 ) 9) 尊 厳 死 の 法 制 化 に 対 する 宗 教 界 の 意 見 ( 読 売 新 聞 2006.1.12) 14
尊 厳 死 そのものには 反 対 しない( 幸 福 の 科 学 )/ 過 度 の 延 命 措 置 の 拒 否 は 許 される(カトリック 中 央 協 議 会 )/ 作 為 的 な 延 命 措 置 の 打 ち 切 りには 手 放 しに 賛 成 できない( 臨 済 宗 妙 心 寺 派 )/ 高 齢 者 や 弱 者 に 自 死 を 強 要 する 可 能 性 を 排 除 できず 立 法 は 好 ましくない ( 尊 厳 死 という 用 語 も) 延 命 治 療 の 停 止 による 死 を 美 化 する 価 値 基 準 を 含 み 一 般 的 な 呼 称 としては 適 当 でない( 浄 土 宗 )/ 背 後 に い のちを 選 別 する 意 識 が 働 いていないか( 真 宗 大 谷 派 )/ 経 済 的 な 理 由 等 で 心 ならずも 通 常 の 延 命 治 療 を 中 止 するケースへの 懸 念 を 表 明 ( 金 光 教 )/ 消 極 的 安 楽 死 尊 厳 死 を 認 めることが 最 も 適 切 な 解 決 の 道 とは 言 えない 難 病 患 者 など 弱 者 への 配 慮 が 必 須 条 件 ( 創 価 学 会 )/ 社 会 的 合 意 が 何 よりも 重 要 ( 立 正 佼 成 会 )/ 意 図 的 な 死 は 認 められない( 天 理 教 )/ 患 者 が 苦 しみから 逃 れるための 治 療 行 為 の 停 止 は 認 められない( 日 本 ムスリム 協 会 )/ 自 然 な 成 り 行 きに 任 せることは 神 の 律 法 に 背 かない(も のみの 塔 聖 書 冊 子 協 会 )/ 個 人 の 判 断 にゆだねる( 真 言 宗 豊 山 派 曹 洞 宗 日 本 基 督 教 団 ) ( 法 制 化 への 賛 成 はなし) 10) 交 わりの 死 見 守 りの 器 ナンシー ウッド 今 日 は 死 ぬのにもってこいの 日 だ Today is a very good day to die. 生 きているものすべてが わたしと 呼 吸 を 合 わせている Every living thing is in harmony with me. すべての 声 が わたしの 中 で 合 唱 している Every voice sings a chorus within me. すべての 美 が わたしの 目 の 中 で 休 もうとしてやって 来 た All beauty has come to rest in my eyes. あらゆる 悪 い 考 えは わたしから 立 ち 去 っていった All bad thoughts have departed from me. 今 日 は 死 ぬのにもってこいの 日 だ Today is a very good day to die. わたしの 土 地 は わたしを 静 かに 取 り 巻 いている My land is peaceful around me. わたしの 畑 は もう 耕 されることはない My fields have been turned for the last time. わたしの 家 は 笑 い 声 に 満 ちている My house is filled with laughter. 子 どもたちは うちに 帰 ってきた My children have come home. そう 今 日 は 死 ぬのにもってこいの 日 だ Yes, today is a very good day to die. (ナンシー ウッド 金 関 寿 夫 訳 今 日 は 死 ぬのにもってこいの 日 メルクマール 社 1995) 吉 野 弘 生 命 は/ 自 分 自 身 だけでは 完 結 できないように/つくられているらしい/ 花 も/めしべとおしべが 揃 っているだけでは/ 不 充 分 で/ 虫 や 風 が 訪 れて/めしべとおしべを 仲 立 ちする 生 命 は/その 中 に 欠 如 を 抱 き/それを 他 者 から 満 たしてもらうのだ/ 世 界 は 多 分 / 他 者 の 総 和 / しかし/ 互 いに/ 欠 如 を 満 たすなどとは 知 りもせず/ 知 らされもせず/ばらまかれている 者 同 士 / 無 関 心 でいられる 間 柄 /そのように/ 世 界 がゆるやかに 構 成 されているのは/なぜ? 花 が 咲 いている/すぐ 近 くまで/ 虻 の 姿 をした 他 者 が/ 光 をまとって 飛 んできている/ 私 もあると き/ 誰 かのための 虻 だったろう/あなたも あるとき/ 私 のための 風 だったかもしれない 11) 死 を 迎 える 日 のための 心 得 と 作 法 17 カ 条 ( 藤 腹 明 子 ) 第 1 カ 条 : 人 として 生 まれることは 難 しく 今 あるいのちが 有 難 いということ 第 2 カ 条 : 人 はいつか 必 ず 死 を 迎 えるものであると 自 覚 すること 第 3 カ 条 : 日 々 生 死 一 如 と 心 得 て 生 きること 第 4 カ 条 : 死 ぬとき 死 に 方 死 に 場 所 を 平 生 より 思 いえがくこと 第 5 カ 条 : 限 りあるいのちの 短 さを 知 ることは 死 に 支 度 には 必 要 なこと 15
第 6 カ 条 : 死 ぬということは この 世 からあの 世 へと 旅 立 つこと 第 7 カ 条 : 自 分 の 願 い を 第 一 にして 看 取 られること 第 8 カ 条 : 死 に 向 かう 過 程 で 生 じる 亓 つの 苦 しみを 心 得 ておくこと 第 9 カ 条 : 看 取 ってくれる 人 々の 役 割 立 場 を 心 得 ておくこと 第 10 カ 条 : 看 取 られるということは 本 人 のみならず 家 族 も 含 めて 見 護 られること 第 11 カ 条 : 看 取 られる 者 看 取 る 者 共 々に 目 指 すのは 救 い ということ 第 12 カ 条 : 自 分 の 生 き 様 死 に 様 を 決 めるのは 自 らの 生 死 観 であるということ 第 13 カ 条 : 看 取 りの 善 し 悪 しは 看 取 りを 受 ける 本 人 が 決 めること 第 14 カ 条 : 死 を 迎 える 日 に 心 残 りや 憂 いがないように 努 めること 第 15 カ 条 : 死 にゆくとしても 言 いたい 放 題 わがまま 放 題 は 避 けること 第 16 カ 条 : 自 分 の 臨 終 死 後 処 置 については 自 身 の 願 いを 伝 えること 第 17 カ 条 : 死 に 向 けて 心 得 ておくべきことには 看 取 られた 後 の 事 柄 も 含 まれること ( 絵 : 土 谷 里 美 さん) 重 度 の 認 知 症 である 母 (86 才 )が 久 しぶりに 介 護 施 設 から 寺 に 戻 ってきた 改 修 の 終 わった 本 堂 を 見 せてあげたいという 寺 の 檀 家 でもある 施 設 長 さんのはからいによるもの で じつに 数 年 ぶりの 寺 への 帰 還 であった 母 は 車 椅 子 を 押 してもらって 堂 内 に 入 った ものの みなの 呼 びかけにも 反 応 せず ずっと 眠 ったような 状 態 であったが それがどう したわけか エンマ 様 のお 像 を 祀 るお 堂 の 前 に 来 たとたん パッと 目 を 見 開 いた そして いっとき まじまじとエンマ 像 を 見 つめたのである この 話 を 聞 いた 孫 娘 の 土 谷 里 美 さん( 私 の 姪 )が たぶん おばあちゃんはね と 言 いながら 描 いてくれたのがこの 絵 である たしかに 母 はあのとき エンマ 大 王 の 励 ましの 声 を 聞 いたのであろう きっ とそうに 違 いないのだ もう 尐 しがんばれ 16