教 育 実 践 における 言 語 活 動 主 体 のあり 方 再 検 討 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 を 結 ぶために Reconsider the concept of the executor under language activities by the education practice - To relate Japanese-language education and Japanese studies 細 川 英 雄 ( 早 稲 田 大 学 大 学 院 日 本 語 教 育 研 究 科 ) キーワード:コミュニケーション 能 力 育 成 ; 研 究 と 教 育 ;テーマの 発 見 ;ことばの 市 民 はじめに 日 本 語 教 育 の 世 界 では これまで 多 くの 日 本 語 学 習 者 は 日 本 語 を 学 びその 運 用 を 習 得 することで それが 直 接 的 に 何 かの 役 に 立 つことだと 信 じて 学 習 してきた そし て 日 本 語 教 師 もまた その 学 習 者 の 願 いをニーズとして 受 け 止 め 効 果 的 効 率 的 な 学 習 / 教 育 をめざしてさまざまな 教 室 活 動 を 行 ってきた しかし そのことで 学 習 者 は 自 分 を 取 り 囲 むさまざまな 問 題 についてどのように 考 えることができたのだろうか あるいは これから 日 本 語 を 学 ぶ 人 たちはそのような 学 習 環 境 の 中 で どのように 個 人 と 社 会 の 関 係 について 関 わることができるのだろう か とくに 海 外 での 日 本 語 教 育 について 考 えると 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 の 関 係 は 等 閑 視 できない 重 要 な 課 題 である ここでは 専 門 分 野 としての 日 本 研 究 と 日 本 語 教 育 の 関 係 の 現 状 からはじめ それ ぞれの 分 野 領 域 における 問 題 点 を 指 摘 するとともに 歴 史 的 社 会 的 状 況 を 含 めた 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 の 関 係 を 考 えることによって 両 者 が 陥 っている 闇 と これか ら 切 り 拓 くべき 日 本 語 教 育 学 の 専 門 性 とその 未 来 について 論 ずる 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 の 現 状 -その 分 断 化 の 意 味 するもの 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 の 関 係 は 19 世 紀 半 ばから 存 在 するが(1) その 連 携 について 双 方 において 話 題 となってくるのは 1970 年 代 後 半 から 80 年 代 にかけてであろう この 時 期 には 日 本 経 済 の 発 展 と 日 本 企 業 の 海 外 進 出 により 日 本 語 学 習 への 動 機 が 高 まるとともに 日 本 語 学 習 の 目 的 が 大 衆 化 し むしろ 日 本 語 学 習 者 の 大 半 は 実 用 的 な 日 本 語 習 得 に 走 り 日 本 研 究 の 専 門 家 をめざすものは その 中 の 一 握 りという 状 況 に なっていく(2) このことがまず 教 師 と 学 習 者 の 乖 離 を 生 む いわば 日 本 語 学 習 者 の 飛 躍 的 な 増 加 を 支 える 学 習 ニーズは 疑 いもなく 実 用 的 な 日 本 語 習 得 であったにもかかわらず 教 員 側 の 人 的 構 成 や 制 度 は これに 追 いつくことができず 日 本 研 究 者 がそうした 実 用 的 日 本 語 の 教 育 に 携 わらざるを 得 ない 現 象 が 生 まれた この 現 象 は 次 の 風 潮 を 引 き 起 こす それは 日 本 研 究 者 にとって 実 用 日 本 語 の 教 育 は 自 らの 関 心 の 枠 外 にあるため できるだけ 関 わりたくない 関 わらないように 1
しようという 風 潮 である その 根 底 には 日 本 語 を 教 えるという 行 為 は いわば 余 技 だという 認 識 が 日 本 研 究 者 の 側 にあったのかもしれない こうしたことが 複 合 して 制 度 としては 日 本 語 母 語 話 者 を 日 本 語 教 育 スタッフと して 短 期 契 約 で 雇 用 するという 事 態 が 世 界 的 に 始 まる 国 際 交 流 基 金 の 日 本 語 教 育 専 門 家 派 遣 制 度 は この 風 潮 を 限 りなく 支 援 した さらに 1980 年 前 後 から 世 界 的 な 言 語 教 育 の 流 れとしてコミュニカティブな 教 室 活 動 がコミュニケーション 能 力 育 成 と いう 目 的 が 顕 在 化 し その 意 味 で 日 本 語 教 育 が 技 術 的 に 発 達 したため 訳 読 法 に 慣 れ た 日 本 研 究 者 にとっては コミュニケーション 能 力 育 成 として 日 本 語 を 教 えることは 荷 の 重 い 仕 事 になり 日 本 研 究 者 が 日 本 語 教 育 現 場 から 遠 ざかる 傾 向 に 拍 車 をかけた 一 方 日 本 語 教 育 側 では 自 分 たちを お 手 伝 い と 位 置 づけるような 言 説 も 珍 し くない たとえば 専 門 日 本 語 教 育 ビジネス 日 本 語 の 発 想 は それぞれの 分 野 への 準 備 として 行 われていると 思 われる( 細 川 2007) 最 近 の 医 療 分 野 における 看 護 介 護 の 日 本 語 にもほぼ 同 様 の 現 象 が 見 られる この お 手 伝 い の 発 想 が 日 本 語 教 育 のバターナリズム( 差 別 的 温 情 主 義 )と 深 い 関 係 があることは 別 に 述 べたが( 細 川 2011) 問 題 は 日 本 語 教 育 それ 自 体 が その 準 備 主 義 を 生 む 土 壌 を 自 らすすんで 形 成 していることでもある 以 上 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 の 分 断 化 は 双 方 の 分 野 で 顕 著 に 見 られるが このこ とは 教 育 と 研 究 の 分 業 化 へという 流 れとも 連 動 していると 考 えることができる こ のような 観 点 から もう 一 度 両 者 の 日 本 語 をめぐる 研 究 教 育 観 を 見 直 す 必 要 があ る 両 者 を 分 断 せず いかに 連 続 したものとして 捉 え 直 す 視 点 を 回 復 しなければなら ないからである(3) 日 本 語 教 育 の 有 する 問 題 性 -コミュニケーション 能 力 育 成 という 技 術 主 義 ここで 日 本 語 教 育 の 有 する 問 題 性 に 着 目 するならば これは コミュニケーショ ン 能 力 育 成 という 技 術 主 義 の 立 場 への 批 判 として 現 れるだろう 個 人 の 日 本 語 能 力 だけに 着 目 して これを 訓 練 するという これまでの 日 本 語 教 育 側 の 専 門 性 の 発 想 を 見 直 すことがまず 必 要 となる つまり コミュニケーシヨン 及 びその 能 力 とは 何 か という 議 論 が 必 要 なのである 考 えてみれば コミュニケー ションとは 広 く 自 己 と 他 者 の 人 間 関 係 を 構 築 する 行 為 であると 言 えるし さらにそ のことによって 共 通 のコミュニティを 形 成 していく 行 為 でもある( 細 川 2007) こ のことは それぞれの 価 値 観 の 交 流 やそれに 伴 う 自 己 の 内 省 が 重 要 な 要 素 となるだろ うし それはコミュニティ 当 事 者 自 身 のアイデンティティの 問 題 とも 深 く 関 与 してい ることを 認 識 しなければなるまい この 問 題 は 日 本 語 教 育 の 専 門 性 とは 何 かという 議 論 と 連 動 する 日 本 語 教 育 では 前 述 のように 70 年 代 後 半 から 80 年 代 にかけて コミュニカテ ィプ アプローチの 影 響 のもと コミュニケーション 能 力 育 成 が 謳 われてきた しかし 教 育 の 現 場 では コミュニケーション 能 力 とは 何 かという 本 格 的 な 議 論 もな いまま 例 えば 実 社 会 に 役 立 つコミュニケーションを 育 てるという 観 点 から 教 育 すべき 言 語 知 識 ( 語 彙 文 型 )を 定 め 現 実 場 面 に 合 わせたタスクを 想 定 した そし 2
て これを 展 開 することで 効 果 的 な 日 本 語 教 育 の 実 現 をめざすという 教 室 実 践 が 一 般 的 になってきた いわゆる 文 法 語 彙 発 音 漢 字 といった 項 目 に 限 定 された 運 用 知 識 を 高 めることがすなわち 日 本 語 能 力 を 上 げることであり それがそのままコミュ ニケーション 能 力 育 成 につながるとされてきた この 日 本 語 教 育 の 技 術 意 識 は 一 方 で 言 語 活 動 の 内 容 に 立 ち 入 ることを 拒 否 するとともに その 技 術 を 高 めるところに 徹 底 し それを 専 門 性 とするというような 傾 向 によって 自 らのアイデンティティを 保 つという いわば 表 裏 二 面 の 現 象 が 起 こった 前 述 の お 手 伝 い の 発 想 は こう した 二 面 性 による 矛 盾 の 現 れだと 解 釈 することができる 日 本 語 教 育 のための 研 究 すなわち 日 本 語 教 育 学 とは あらかじめ 定 められた 環 境 の 中 で 指 定 された 教 材 を 手 際 よく 効 率 的 に 言 語 を 教 えることでは 決 してなく 自 らの 教 育 実 践 の 理 念 設 計 実 施 を 根 底 から 問 い 直 し 絶 えず 思 考 試 行 しつづけることであろう( 細 川 2010) 同 時 に その 専 門 性 はと 問 うならば 固 定 的 な 知 識 や 技 能 の 実 体 をさすのでは 決 してなく こ の 動 態 的 な 問 い 直 しの 姿 勢 とプロセスそれ 自 体 をいうものであると 定 義 することにな るからである 日 本 研 究 のあり 方 と 私 の 問 題 - 研 究 と 教 育 の 関 係 一 方 日 本 研 究 では 当 該 分 野 の 必 要 な 専 門 的 知 識 を 身 に 着 けさせ 独 立 した 論 文 が 執 筆 できるような 指 導 が 行 われてきたといっていいだろう しかし 専 門 研 究 という 枠 組 みの 中 での 成 果 発 表 が 重 要 視 されてきたため その 学 生 個 人 にとってなぜそのテーマなのかという 問 いや またその 専 門 性 とは 何 かという 問 題 に 関 しては 中 心 的 な 論 点 としては 取 り 上 げられてこなかった このことは 日 本 事 情 という 教 育 分 野 で 日 本 の 社 会 文 化 に 関 する 通 り 一 遍 の 解 説 が 行 われ るのみで なぜ 日 本 事 情 なのか という 問 いを 専 門 分 野 の 研 究 者 たちが 持 ち 得 なか ったこととも 連 動 している( 細 川 2002) この 課 題 は 学 習 者 の 側 にあるのではなく むしろ 担 当 者 としての 研 究 者 側 のあり 方 にあるのだろう どのような 分 野 領 域 であろうと 研 究 者 自 身 にとって なぜ 私 はこの 研 究 をする のかという 問 題 意 識 がなければ 研 究 活 動 は 成 り 立 たない しかも その 問 題 意 識 の 確 立 にはことばの 活 動 が 不 可 欠 であること その 際 に ことばの 運 用 知 識 の 自 明 性 を 疑 うことの 意 味 すなわちことばができるとはどういうことかを 専 門 分 野 領 域 の 別 を 超 えて 考 える 必 要 がある たとえば 村 上 春 樹 の 文 学 に 興 味 関 心 をもつ 学 生 が 世 界 中 に 増 加 している この 場 合 日 本 研 究 者 はどのように 研 究 対 象 としての 村 上 春 樹 作 品 と 向 き 合 うのだろうか 私 の 知 る 限 りでは 日 本 文 学 研 究 者 の 多 くは 村 上 春 樹 の 作 品 の 解 釈 解 説 あるいは 位 置 づけに 終 始 していて 肝 心 の 学 生 ひとりひとりの 有 り 様 について 考 えてはいない つまり 対 象 としての 事 象 や 作 品 の 解 釈 を 通 して 研 究 者 と 学 生 一 人 ひとりが 教 室 あるいは 研 究 室 という 場 において 切 り 結 ぶことにどのような 意 味 があるかを 研 究 者 は 考 えなければならないのではないか そのことは 担 当 者 が 学 生 一 人 ひとりの 多 様 な 人 間 生 成 の 現 場 に 立 ちあうことではないのか このことは 日 本 語 教 育 も 同 じで 日 本 語 教 育 というのは 日 本 語 による 活 動 を 通 3
して 学 習 者 一 人 ひとりの 多 様 な 言 語 活 動 の 有 り 様 に 立 ち 会 うことであるにもかかわ らず 日 本 語 という 言 語 だけを 見 て その 構 造 や 形 式 を 教 えることだと 思 い 込 んでい る 教 師 のいかに 多 いことか 研 究 対 象 の 解 釈 解 説 あるいは 位 置 づけに 終 始 することが 研 究 で その 成 果 を 未 熟 な 学 生 学 習 者 に 与 えることが 教 育 という 図 式 は もはや 成 り 立 たない 教 育 と 研 究 はともに ことばによる 活 動 を 通 して 学 生 学 習 者 一 人 ひとりの 多 様 な 言 語 活 動 の ありように 立 ち 会 うことを 通 して 自 らのテーマを 求 めているはずなのである すな わち 教 師 も 学 生 学 習 者 も 一 個 の 言 語 活 動 主 体 (4)としてどのような 活 動 が 可 能 なの かと 問 われているのである テーマを 発 見 するということ( 細 川 2012a) では 一 人 ひとりの 言 語 活 動 主 体 としての 自 らのテーマの 発 見 はどのように 形 成 さ れるのか 自 分 の 考 えていること(テーマ)を 相 手 に 伝 え その 内 容 についてやり 取 りす る 行 為 ( 自 己 の 内 省 と 他 者 とのインターアクションの 活 性 化 ) 行 為 者 によるテーマ 主 題 動 機 の 構 築 の 重 要 性 ( 具 体 的 なテーマにもとづく 固 有 性 と 共 有 性 をめぐる 行 為 者 自 身 の 活 動 ) < 情 報 INPUT 認 識 判 断 REFLECTION 他 者 への 表 現 化 OUTPUT 他 者 からの 反 応 NOTICING 情 報 INPUT>という 活 動 循 環 を 螺 旋 状 (スパイラル)に 描 く 全 体 から 部 分 へ 部 分 から 全 体 へ(テーマ/ 動 機 > 文 脈 > 文 章 / 文 ) このように 見 てみると 言 語 関 連 項 目 そのものは 言 語 分 析 の 結 果 に 過 ぎないこと がわかる 分 解 したものを 組 み 立 てて 積 み 上 げても 本 来 の 活 動 にはならない したが って ここでは 活 動 全 体 を 動 態 的 なモデルとして 構 築 されたものを 考 慮 しなければな らない そのために 次 の 三 点 を 挙 げよう 1 言 語 活 動 によってさまざまな 思 考 と 表 現 のあり 方 を 学 ぶこと 2 他 者 の 存 在 を 受 け 止 め コミュニティの 多 様 性 と 複 雑 性 を 理 解 すること 3 複 数 コミュニティのありようの 中 で 自 己 アイデンティティを 確 認 すること そして 最 終 的 には 人 間 とは 何 か という 大 きな 問 いのできる 個 人 の 育 成 が 必 要 になる すなわち 日 本 語 の 活 動 によって 生 じる 諸 問 題 を 対 象 として 自 らのテーマ とは 何 かという 問 いに 真 正 面 から 向 き 合 い 徹 底 的 に 考 える 研 究 的 態 度 の 涵 養 がこの 活 動 の 目 的 となろう このことによって 個 人 と 社 会 を 結 び 人 間 としての 生 を 肯 定 的 に 捉 えられるようになることをめざす ここでは さまざまな 問 いを 自 分 で 立 て そのことをコミュニティ( 教 室 研 究 室 等 )のメンバーと 共 有 していくことが 求 めら れるだろう ことばの 市 民 としての 言 語 活 動 主 体 - 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 を 結 ぶもの この 課 題 を 個 人 としての 枠 を 超 えて 社 会 における 他 者 との 関 係 の 中 で 構 築 してい くことが 重 要 であると 私 は 考 える そしてさらに それを 他 者 との 協 働 において 社 会 そのものへ 働 き 掛 けていくこととして 考 えるとき 一 人 の 人 間 にとって 社 会 におけ 4
る 自 分 の 位 置 づけを 考 えないわけにはいかなくなる それがすなわち 個 人 と 社 会 を 結 ぶことであり このことが 社 会 の 中 での 個 人 すなわち 市 民 として 生 きるこ とになると 私 は 考 える(5) このとき あえて ことばの 市 民 ( 細 川 2012b)という 概 念 が 重 要 であると 私 は 提 案 したい ことばの 市 民 になるという 議 論 は 決 して 母 語 話 者 にのみ 向 けられる ものではなく すべての 言 語 使 用 者 つまり 人 間 としての 個 人 に 宛 てたものであるこ とを 意 味 している ことばに 即 して 厳 密 に 思 考 することによって 自 らのテーマを 発 見 し それを 人 間 探 求 へのたしかな 道 筋 として 認 識 し それを 実 現 する 社 会 を 形 成 す るに 至 るにはどうしたらいいのか このプロセスを 模 索 することこそ ことばの 市 民 たるものの 資 格 である さらに 大 きく 考 えれば そのような 人 格 を 持 った 個 人 はどのように 形 成 されるのか という 問 題 は 分 野 の 別 を 超 えた 人 間 形 成 としての 普 遍 的 な 教 育 課 題 であるといえる だろう ことばによって 自 律 的 に 考 え 他 者 との 対 話 を 通 して 社 会 を 形 成 していく 個 人 を ことばの 市 民 と 呼 ぶとするならば その 行 為 者 自 身 が 一 個 の 言 語 活 動 主 体 として( 主 体 的 に 活 動 する/させる という 意 味 ではなく) 言 語 使 用 の 問 題 の みではなく 人 と 人 のいる 環 境 としての 社 会 全 体 を 構 成 することの 意 味 を 考 えなけれ ばならないだろう 注 : (1) 1855 年 にオランダ ライデン 大 学 に 日 本 学 科 設 立 1863 年 にパリ 東 洋 語 学 校 の 日 本 語 講 座 開 設 が 制 度 としての 日 本 学 の 発 祥 とすれば 海 外 における 日 本 学 と 日 本 語 教 育 の 関 係 の 始 まりはこのあたり か 当 初 は 日 本 学 と 日 本 語 教 育 は ほぼ 一 体 化 したものとして 発 展 し 二 回 の 世 界 大 戦 を 経 て 1960 年 代 まで 続 く 当 時 は おそらく 専 門 分 野 としての 日 本 学 ( 歴 史 文 学 )と 日 本 語 習 得 は 一 つのものとし て 認 識 把 握 されていたか なぜなら 全 体 として 学 習 者 人 口 も 少 なく 日 本 語 習 得 は 明 らかに 文 献 資 料 解 読 のためのツールとして 固 定 化 した 存 在 だったからだ 歴 史 文 学 が 中 心 だった 当 初 の 日 本 学 から 社 会 学 や 経 済 学 の 分 野 も 含 めた 社 会 文 化 を 総 称 した 名 称 としての 日 本 研 究 という 呼 称 が 用 いられるようになるのは 1980 年 代 ごろからか (2) 一 方 で 日 本 研 究 は 盛 んに 行 われるという 現 象 も 見 られる たとえば 中 国 の 北 京 日 本 学 研 究 セ ンターの 開 設 (1980 年 )と 日 本 の 大 学 共 同 利 用 機 関 国 際 日 本 文 化 センター 創 設 (1987 年 )は 中 曽 根 政 権 の 折 の 留 学 生 10 万 人 計 画 (1983 年 )による 日 本 語 学 習 者 の 急 増 とも 関 連 している (3) 日 本 研 究 と 日 本 語 教 育 の 連 携 は 近 年 の 関 連 学 会 の 重 大 関 心 事 である 日 本 語 教 育 学 会 世 界 大 会 では シドニー2009 台 湾 2010 天 津 2011 において 学 会 の 主 要 テーマとして 掲 載 されている また これを 受 けてトムソン 2011 もある (4) 言 語 活 動 主 体 という 考 え 方 そのものは すでに 戦 前 の 国 語 教 育 に 見 られる ( 西 尾 実 1951) また その 継 承 として 言 語 行 動 主 体 の 形 成 ( 田 近 洵 一 1975)という 立 場 も 存 在 する そうした 議 論 も 踏 まえつ つ あえて 日 本 語 教 育 の 文 脈 において 言 語 活 動 主 体 という 用 語 使 用 を 検 討 したい (5) たとえば 2001 年 に 発 表 されたヨーロッパ 言 語 共 通 参 照 枠 (CEFR)では 民 主 的 シチズンシッ プ 教 育 education for democratic Citizenship との 関 連 から ヨーロッパにおいて 社 会 において 共 存 する 人 (a person co-existing in a society) という 個 人 のあり 方 は 複 言 語 複 文 化 主 義 の 理 念 と 個 人 の 5
ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 概 念 と が 一 体 化 し た Citizenship と し て 捉 え ら れ て い る 言 語 教 育 に お け る citizenship に 関 しては ヨーロッパ 評 議 会 の 近 年 の 議 論 が 有 効 であろう この 状 況 については 福 島 青 史 (2011)にくわしい 福 島 によれば citizenship そのものの 定 義 は 決 して 固 定 したものではなく 歴 史 的 には 帰 属 を 中 心 とした 考 え 方 から 個 人 のアイデンティティの 方 向 へと 流 動 的 に 変 容 している ことが 指 摘 されている 引 用 文 献 ( 著 者 50 音 順 ): 田 近 洵 一 (1975) 言 語 行 動 主 体 の 形 成 国 語 教 育 への 視 座 新 光 閣 書 店 トムソン 木 下 千 尋 牧 野 成 一 (2011) 日 本 語 教 育 と 日 本 研 究 の 連 携 ココ 出 版 西 尾 実 (1951) 国 語 教 育 学 の 構 想 筑 摩 書 房 福 島 青 史 (2011) 共 に 生 きる 社 会 のための 言 語 教 育 欧 州 評 議 会 の 活 動 を 例 とし て リテラシーズ 8 2011 細 川 英 雄 (2002) 日 本 語 教 育 は 何 をめざすか- 言 語 文 化 活 動 の 理 論 と 実 践 明 石 書 店 細 川 英 雄 (2007) 日 本 語 教 育 学 のめざすもの 言 語 活 動 環 境 設 計 論 による 教 育 パラダ イム 転 換 とその 意 味 日 本 語 教 育 132 pp.79-88.< 細 川 2012b に 所 収 > 細 川 英 雄 (2010) 実 践 研 究 は 日 本 語 教 育 に 何 をもたらすか 早 稲 田 日 本 語 教 育 学 第 7 号 pp.69-81 < 細 川 2012b に 所 収 > 細 川 英 雄 (2010) 日 本 語 教 育 は 日 本 語 能 力 を 育 成 するためにあるのか 能 力 育 成 から 人 材 育 成 へ 言 語 教 育 とアイデンティティを 考 える 立 場 から 早 稲 田 日 本 語 教 育 学 9 号 pp.21-25 < 細 川 2012b に 所 収 > 細 川 英 雄 (2012a) 研 究 活 動 デザイン- 出 会 いと 対 話 は 何 を 変 えるか 東 京 図 書 細 川 英 雄 (2012b) ことばの 市 民 になる- 言 語 文 化 教 育 学 の 思 想 と 実 践 ココ 出 版 付 記 本 研 究 は 文 部 科 学 省 科 学 研 究 補 助 金 アイデンティティ 形 成 にかかわる 言 語 教 育 とその 教 師 養 成 研 修 プログラムのための 実 践 的 研 究 ( 基 盤 研 究 C 課 題 番 号 :22520540 研 究 代 表 者 : 細 川 英 雄 )の 成 果 の 一 部 である 6