広 島 経 済 大 学 研 究 論 集 第 36 巻 第 1 号 2013 年 6 月 広 島 経 済 大 学 経 済 学 会 2012 年 度 第 6 回 研 究 集 会 2013 年 2 月 15 日 ( 金 ) 報 告 要 旨 地 方 紙 におけるオリンピック 報 道 ロンドン 大 会 と 中 国 新 聞 の 事 例 渡 辺 勇 一 * は じ め に 2012 年 7 月 27 日 から8 月 12 日 まで, 英 国 ロン ドンで 開 催 された 第 30 回 夏 季 オリンピックは, 日 本 にとって 初 参 加 のストックホルム 大 会 (1912 年 )からちょうど100 年 となる 節 目 であっ た 日 本 は 金 メダル7 個 を 含 む 過 去 最 多 のメダ ル 数 38という 成 績 を 挙 げた 本 報 告 では, 日 本 の 新 聞 ジャーナリズムにお けるオリンピック( 以 下 五 輪 ) 報 道 の 歴 史 を 踏 まえて, 通 信 社 への 依 存 度 が 高 くローカル 色 の 濃 い 地 方 紙 がどのように 五 輪 報 道 に 取 り 組 ん できたのか 実 態 を 明 らかにする 中 でも, 広 島 市 に 本 拠 を 置 く 中 国 新 聞 社 ( 以 下 中 国 新 聞 ) の 五 輪 報 道 を 多 角 的 に 実 証 したい 手 法 の 一 つ として, 今 回 のロンドン 五 輪 における 量 的 質 的 分 析 を 試 みた 具 体 的 には 競 技 別 の 総 面 積 や 記 事 量 などを 算 定 し, 掲 載 量 の 多 かった 競 技 や, 結 果 的 に 冷 遇 した 競 技 などの 特 徴 を 示 した さ らに, 取 材 記 者 や 編 集 者 が 最 も 力 点 を 置 く 読 み 物 記 事 の 内 容 を 分 析 し, 記 事 中 のキーワー ドの 頻 度 から 記 事 の 特 性 を 探 った 1. 戦 前 の 五 輪 報 道 史 幕 末 から 明 治 初 期 にかけて 現 代 の 新 聞 の 原 型 が 誕 生 する いち 早 く, 五 輪 に 着 目 したのは 大 阪 毎 日 新 聞 である 1908( 明 治 41) 年 7 月 の 第 * 広 島 経 済 大 学 経 済 学 部 教 授 4 回 ロンドン 大 会 で,たまたま 現 地 に 滞 在 中 の 同 社 通 信 部 長, 相 島 勘 次 郎 はマラソンのレース を 目 撃 している トップのドランド ピエトリ (イタリア)がゴール 前 で 脱 水 症 状 で 倒 れ, 審 判 に 助 け 起 こされて 失 格 となった 壮 絶 なレース を 目 撃 した 相 島 は マラソン 競 走 と 題 して6 回 の 連 載 記 事 を 書 き 送 った 掲 載 されたのは2 か 月 後 の9 月 7 日 からであったが, 本 邦 新 聞 最 初 の 五 輪 現 地 報 告 である 相 島 は 最 終 回, 此 の 次 には 日 本 も 彼 の 運 動 同 盟 に 加 はり, 選 手 を 送 る 様 にしたいものである と 結 び, 日 本 の 五 輪 参 加 を 熱 望 する ロンドンから4 年 後, 大 阪 毎 日 相 島 の 記 事 に 呼 応 するかのように 日 本 は 国 際 オリンピック 委 員 会 (IOC)に 加 盟 し,1912 年 のストックホ ルム 大 会 に 初 めて 代 表 選 手 2 人 を 送 った 報 道 要 員 として 派 遣 登 録 されたのは 大 阪 毎 日, 読 売 両 新 聞 社 の 記 者 計 2 人 である ただし, 当 時 の 通 信 事 情 から 速 報 性 と 呼 ぶには 程 遠 く, 記 事 が 掲 載 されたのは 大 会 後 であり, 多 くの 新 聞 は 外 国 通 信 社 の 記 事 を 転 載 した 五 輪 報 道 が 本 格 化 し, 速 報 が 白 熱 するのは 1932 年 の 第 10 回 ロサンゼルス 大 会 からである 前 回 (1928 年 )アムステルダム 大 会 の 陸 上 三 段 跳 びで 織 田 幹 雄 が 初 めて 金 メダルを 獲 得, 女 子 陸 上 選 手 の 人 見 絹 枝 が 800 m で 銀 メダルを 手 に するなど 日 本 選 手 の 活 躍 が 始 まった ロサンゼ ルス 大 会 の 日 本 選 手 団 は 役 員 61 人, 選 手 192 人 に 増 加 した 五 輪 参 加 は 日 本 の 外 交 戦 略 であり,
64 広 島 経 済 大 学 研 究 論 集 第 36 巻 第 1 号 国 民 のナショナリズムを 鼓 舞 する 格 好 の 舞 台 装 置 であった 新 聞 も 当 然 呼 応 し 開 会 式 では 号 外 を 発 行,メダル 獲 得 を 戦 果 とする 戦 争 用 語 が 氾 濫 するのである 10 回 大 会 に 日 本 から12 社 20 人 の 記 者 が 派 遣 された 現 地 応 援 の 在 米 特 派 員 らを 合 わせると60 人 に 達 したという 海 外 からの 通 信 事 情 が 改 善 し,1936( 昭 和 11) 年 第 11 回 ベルリン 大 会 では 日 本 放 送 協 会 が ラジオ 実 況 放 送 を 開 始 した 大 会 組 織 委 員 会 が 日 本 の 報 道 陣 に 用 意 したチケット( 報 道 用 )は 16 枚 であったが,ベルリンの 日 本 人 記 者 はその 数 を 大 きく 上 回 ったとされる 満 州 事 変 以 後 の 軍 事 体 制 の 中 で 日 本 の 五 輪 報 道 は 国 威 発 揚 の 重 要 な 媒 体 としての 役 割 を 帯 び, 過 熱 の 一 途 をた どった 2. 地 方 紙 の 五 輪 取 材 朝 日, 毎 日 に 代 表 される 全 国 紙 の 五 輪 報 道 合 戦 は, 地 方 に 拠 点 を 置 く 地 方 紙 ( 新 聞 )にも 無 縁 ではなかった 従 来 は 通 信 社 配 信 の 競 技 速 報 を 掲 載 し, 地 元 選 手 が 活 躍 すれば 家 族 の 喜 びを 載 せる 程 度 であった 1936 年 に 国 策 通 信 社 の 同 盟 通 信 が 誕 生 し 情 報 量 が 飛 躍 的 に 向 上 すると, 地 方 紙 の 五 輪 報 道 も 拡 充 した 一 方 で, 有 力 な 新 聞 社 は 独 自 に 五 輪 特 派 員 を 派 遣 し 始 めた ロ サンゼルス 大 会 では 新 愛 知, 三 都 合 同 ( 神 戸 ), 神 戸 又 新 日 報 の3 社 が 記 者 を 送 り 込 んだ 戦 後, 日 本 が 再 び 五 輪 に 参 加 した1952( 昭 和 27) 年 の 第 15 回 ヘルシンキ 大 会 で 現 地 取 材 した のは8 社 計 23 人 であった うち 地 方 紙 は2 社 ( 中 日, 東 京 )の3 人 である 以 後, 日 本 報 道 陣 の 人 員 増 に 比 例 して 地 方 紙 記 者 の 派 遣 も 増 えた 図 は 日 本 体 育 協 会 日 本 オリンピック 委 員 会 発 行 の 各 オリンピック 競 技 大 会 報 告 書 のプレ ス メディアの 項 から, 地 方 紙 に 関 わるものを 抜 き 出 して 作 成 した いずれも 五 輪 の 各 組 織 委 員 会 が 発 給 した 取 材 用 ADカード 枚 数 に 基 づく ものである 24 回 ソウル 大 会 (1988 年 ) の27 社,79 人 の 派 遣 数 が 突 出 している 隣 国 開 催 で あり,カード 発 給 枚 数 が 多 かったことにもよる が, 地 方 紙 の 五 輪 派 遣 に 弾 みをつけた 以 後, 五 輪 取 材 は35 人 から50 人 の 間 で 推 移 する 元 来, 地 方 紙 は 主 として 通 信 社 ( 共 同 時 事 ) の 配 信 記 事 を 掲 載 してきた 海 外 の 五 輪 に 取 材 要 員 を 派 遣 することは 予 算 的 な 制 約 や 送 稿 手 段 などがネックとなり, 躊 躇 するケースが 多 かっ た ところが,ソウル 大 会 が 一 つの 転 換 点 と なった 距 離 的 に 近 い 韓 国 での 大 会 とあって, 79 3 2 7 5 20 18 11 9 19 16 7 8 27 49 49 41 35 22 21 14 14 50 26 44 23 15 '52 16 '56 19 '68 20 '72 21 '76 23 '84 24 '88 注 )15 回 ヘルシンキ,16 回 メルボルン,19 回 メキシコ,20 回 ミュンヘン,21 回 モントリオール,23 回 ロサンゼルス, 24 回 ソウル,25 回 バルセロナ,26 回 アトランタ,27 回 シドニー,28 回 アテネ,29 回 北 京,30 回 ロンドンの 各 大 会 別 17 回 ローマは 資 料 がなく,18 回 東 京 は 日 本 開 催,22 回 モスクワは 日 本 不 参 加 のため 除 外 した 下 段 は 地 方 紙 の 派 遣 新 聞 社 数, 上 段 は 地 方 紙 合 計 人 数 25 '92 26 '96 図 地 方 紙 の 五 輪 取 材 派 遣 人 数 27 '00 28 '04 29 '08 30 '12
地 方 紙 におけるオリンピック 報 道 65 これまで 見 送 っていた 多 くの 地 方 紙 が 派 遣 に 踏 み 切 った ソウル 五 輪 取 材 の 地 方 新 聞 社 で, 過 半 数 の14 社 は 初 の 記 者 派 遣 であった とはいえ, 中 日 東 京, 北 海 道, 西 日 本, 中 国, 河 北 新 報 のブロック 紙 などを 除 けば, 各 紙 はほとんど 単 独 での 五 輪 取 材 である 人 的 物 理 的 にも 新 聞 社 の 発 行 地 である 地 元 出 身 選 手 に 焦 点 を 絞 った 報 道 にならざるを 得 ない 3. 地 方 紙 五 輪 紙 面 の 特 徴 前 述 したように, 近 年 の 地 方 紙 五 輪 報 道 の 傾 向 として, 地 元 ゆかりの 選 手 に 特 化 した 一 点 報 道 が 顕 著 となった 派 遣 記 者 は, 特 定 の 選 手 の 奮 闘 ぶりを 地 元 読 者 向 けに 伝 えるのである 例 え 予 選 敗 退 に 終 わろうとも, 丹 念 にフォローす る 地 元 を 意 識 した, 全 国 紙 との 差 別 化 がそこ に 見 受 けられる 例 えば,2012 年 7 月 31 日 付 愛 媛 新 聞 は1 面 に 中 矢 誇 りの 銀 の 大 見 出 しを 掲 げ, 県 人 28 年 ぶりメダル と 添 えた 柔 道 男 子 73キロ 級 で 銀 メダルの 中 矢 力 選 手 ( 愛 媛 県 出 身 )を 称 賛 し,スポーツ 面 では 同 社 初 となった 派 遣 記 者 が 健 筆 をふるう 小 中 学 生 からの 写 真 を 並 べ 2つの 面 を 埋 めた 社 会 面 には 幼 いころ 通 った 柔 道 場 の 後 輩 たちの 談 話 が 弾 む こうした 紙 面 展 開 は, 地 方 紙 にある 程 度 共 通 した 構 図 である 地 元 選 手 の 偉 業 を 称 え, 県 民 に 勇 気 を 与 える とコラムに 記 した 新 聞 社 もあった 地 元 選 手 偏 重 の 報 道 スタイルは, 県 紙 と 呼 ばれる 地 方 紙 にとりわけ 顕 著 である 郷 土 意 識 を 高 揚 させ, 連 帯 感 を 醸 成 させる お 祭 り 騒 ぎ の 手 法 は 高 校 野 球 の 甲 子 園 報 道 などにも 相 通 じ るものがある 五 輪 組 織 委 からの 取 材 カードがないまま 非 公 式 に 現 地 入 りするケースもある 選 手 の 直 接 取 材 は 不 可 能 だが, 地 元 応 援 団 に 同 行 して 会 場 に 陣 取 り, 家 族, 同 僚 らの 応 援 ぶりを 地 元 に 届 け るのである 青 森 県 八 戸 市 に 本 社 があるデー リー 東 北 の 記 者 は, 女 子 レスリング 応 援 団 の 一 員 として 訪 英 し, 地 元 選 手 の 金 メダル 獲 得 を 競 技 場 から 伝 えた(2012 年 8 月 10 日 付 ) 岡 山 の 山 陽 新 聞 は, 女 子 マラソン 選 手 の 所 属 する 天 満 屋 応 援 団 に 随 行, 沿 道 の 声 援 ぶりを 報 じている 社 会 面 のロンドン 発 の 記 事 の 下 には, 天 満 屋 の 広 告 が 掲 載 ( 同 8 月 6 日 付 )された こうした 地 元 企 業 やスポーツ 団 体 などとタイアップした 五 輪 報 道 が 生 じるのも, 地 域 密 着 を 掲 げる 地 方 紙 紙 面 の 特 徴 ともいえる 4. 中 国 新 聞 のロンドン 五 輪 報 道 広 島 市 に 本 社 を 置 き, 鳥 取 を 除 く 中 国 地 方 4 県 を 配 布 エリアとする 中 国 新 聞 は 販 売 部 数 約 65 万 部 で, 前 述 の 県 紙 とはやや 異 なりブロック 紙 的 性 格 を 持 つ 戦 後 の 五 輪 報 道 では,1976 年 モ ントリオール 大 会 から 少 数 とはいえ 一 貫 して 記 者 を 派 遣 している 今 回 のロンドン 五 輪 において, 中 国 新 聞 がど んな 競 技 を 重 点 的 に 紙 面 化 したのか, 開 会 式 翌 日 の2012 年 7 月 29 日 から8 月 14 日 までの17 日 間 の 朝 刊 紙 面 ( 最 終 版 )から, 競 技 別 の 専 有 面 積 を 算 出 する 処 理 方 法 で 数 量 的 分 析 を 試 みた 測 定 したのは, 競 技 別 の1 総 面 積 2 記 事 量 3 写 真 面 積 である 結 果 は 以 下 のようになった %は 全 体 量 からの 割 合 を 示 す 3つのカテゴリーともほぼ 同 様 の 結 果 を 得 た 最 も 分 量 が 多 かったのは,ワールドカップ 優 勝 で 注 目 を 浴 びた 女 子 チーム なでしこ を 中 心 とし, 若 い 男 子 も4 位 と 健 闘 したサッカーで あった 米 国 との 決 勝 に 進 出 したことで,なで しこブームが 再 燃 した 紙 面 の 扱 いにも 反 映 し たようだ メーン 競 技 とされる 陸 上 は 従 来 の 大 会 であれ ば 首 位 にランクされるはずであった しかし, 男 子 ハンマー 投 げの 室 伏 広 治 の 銅 が 日 本 勢 唯 一 のメダルであり, 期 待 の 男 女 マラソンなどが 不 振 だったことなどが 影 響 した 半 面, 女 子 アス
66 広 島 経 済 大 学 研 究 論 集 第 36 巻 第 1 号 1 総 面 積 表 掲 載 競 技 別 の 量 的 調 査 競 技 サッカー 陸 上 柔 道 レスリング 競 泳 その 他 % 16.6 15.3 12.2 9.7 9.4 36.8 2 記 事 量 競 技 サッカー 陸 上 柔 道 競 泳 レスリング その 他 % 17.0 16.2 10.3 10.2 8.3 38.0 3 写 真 面 積 競 技 サッカー 柔 道 陸 上 レスリング 競 泳 その 他 % 17.0 16.2 12.8 11.0 8.0 35.0 注 ) 特 定 の 競 技 名 が 判 明 する 内 容 を 抽 出 した 総 面 積 は 見 出 し 各 種 記 事 写 真 類 を 含 む 記 事 量 は 本 記 戦 評 読 み 物 雑 感 を 収 録 写 真 のうち 顔 写 真 は 除 いた リートが 好 成 績 を 残 した 柔 道,レスリングが 上 位 に 位 置 し,エース 北 島 康 介 が 平 泳 ぎ3 連 覇 を 逃 した 競 泳 が5 番 目 となった 総 じて, 人 気 競 技 やメダル 獲 得 競 技 が 優 先 される 傾 向 といえる サッカーや 陸 上, 柔 道 などが 連 日 派 手 に 紙 面 を 飾 る 中 で,ほとんど 登 場 しない 競 技 も 存 在 し た 期 間 中,ハンドボールと 水 球 の2 競 技 が, 記 事 として 紹 介 されることは 一 度 もなかった 連 日, 記 録 だけの 紙 面 化 であり, 競 技 の 内 容 は 記 録 でしか 知 り 得 なかった 中 国 新 聞 の 地 元 広 島 は 男 子 湧 永 製 薬, 女 子 メイプルレッズと 日 本 リーグ 上 位 の2チームを 有 しながら,ロン ドン 五 輪 に 関 してのハンドボールの 扱 いにはや や 疑 問 が 残 った 日 本 代 表 が 出 場 しない 球 技 の 報 道 量 は 全 般 的 に 少 なく, 男 子 バスケットボー ルは 大 会 最 終 日 にようやく 米 国 優 勝 を 伝 える 記 事 写 真 が 掲 載 された 競 技 写 真 がまったく 掲 載 されなかったのは, 調 査 対 象 とした33の 競 技 種 目 のうち, 飛 び 込 み, 水 球,オープンウオーター,ボート,ビー チバレー,セーリング,ハンドボール, 射 撃, 近 代 五 種,トライアスロンの10であった 約 三 分 の 一 に 相 当 した 5. 読 み 物 記 事 に 見 る 質 的 分 析 五 輪 報 道 の 紙 面 を 構 成 するうえで, 本 記, 記 録, 戦 評 とともに 重 要 な 役 割 を 演 じるのが 読 み 物 と 呼 ぶ 囲 み 記 事 である 多 くは 記 者 の 署 名 入 りで, 選 手 や 監 督 らの 談 話 を 交 え, 勝 因 や 敗 因, 競 技 のハイライトなどを 織 り 込 む 取 材 記 者 にとっては 力 量 が 問 われ, 文 章 力 や 取 材 力 が 試 される ある 程 度, 競 技 や 選 手 の 情 報 に 精 通 し, 観 察 力 や 技 術 面 の 裏 付 けなどが 要 求 され 読 み 応 えのある 記 事 が 求 められる 17 日 間 の 中 国 新 聞 朝 刊 から, 読 み 物 の 掲 載 状 況 を 調 査 した 1 面,スポーツ( 五 輪 ) 面, 社 会 面 を 合 わせ,192 本 載 った 出 稿 元 の 内 訳 は, 共 同 通 信 155 本 (80.7%), 自 社 33 本 (17.2%), 中 日 グループ4 本 (2%)である 自 社 とは,ロンドンに 派 遣 した 中 国 新 聞 運 動 部 記 者 (1 人 )であり, 中 日 グループとは, 中 日 新 聞 を 核 として 記 事 を 相 互 に 交 換 し 合 う 友 好 社 ( 中 日 東 京, 北 海 道, 河 北, 西 日 本 ) 記 事 を 指 す 今 回, 中 国 新 聞 が 共 同 通 信 の 配 信 記 事 を 多 用 したのは 夕 刊 記 事 との 兼 ね 合 いがある 日 本 と の 時 差 8 時 間 のロンドンでは, 多 くの 競 技 の 結 果 は 日 本 の 深 夜 から 未 明 に 判 明 した 正 午 ごろ
地 方 紙 におけるオリンピック 報 道 67 までに 記 事 を 締 め 切 る 夕 刊 では 中 日 グループの 配 信 を 多 用 し, 朝 刊 では 共 同 と 自 社 記 事 を 優 先 させたとみられる 掲 載 した 読 み 物 の 競 技 別 本 数 は 多 い 順 に 次 の 通 りである 1 陸 上 312 柔 道 273サッカー264 競 泳,レス リング 各 216 卓 球 167バレーボール108 体 操 9 9ボクシング610テニス,ホッケー 各 5など 陸 上, 柔 道, 競 泳,レスリングなどはいずれ も 個 人 競 技 であり, 人 物 もの として 比 較 的 読 み 物 記 事 に 仕 立 てやすい 側 面 があり, 必 然 的 に 上 位 に 位 置 した 半 面, 競 技 別 総 面 積 や 記 事 量 ではトップだったサッカーは 団 体 競 技 であり, チームもの としてまとめる 傾 向 があり, 上 位 を 譲 った 格 好 となった 読 み 物 記 事 の 質 的 分 析 の 尺 度 としたのは キーワード ともいうべきフレーズに 着 目 し た 記 事 の 主 要 テーマとなる 着 眼 点 を 探 り, 分 類 を 試 みた 当 然, 文 中 には 重 複 するキーワー ドがあったが, 個 別 にカウントした キーワー ドの 頻 度 順 は 以 下 のようになった 1 家 族 ( 父, 母, 兄 弟 姉 妹 ら 親 族 ) 27 件 2メダル(あるいは 金 銀 銅 ) 13 件 3 悔 しい( 悔 しさ) 大 舞 台 各 10 件 5 悲 願 雪 辱 惨 ( 完 ) 敗 北 京 各 8 件 9リオ 仲 間 頂 点 各 7 件 12 恩 師 (コーチ) 表 彰 台 各 5 件 14 執 念 涙 各 4 件 読 み 物 記 事 の 骨 格 となる 表 現 の 中 で, 家 族 をテーマとしたものが 最 多 であった 言 い 換 え れば, 選 手 の 人 間 性 を 浮 き 彫 りにするために 家 族 や 肉 親 を 登 場 させて 親 近 感 を 持 たせ, 選 手 の 育 った 背 景 や 心 理 状 態 などを 際 立 たせようとす る 手 法 である 銅 メダルだった 父 親 を 超 えた 女 子 重 量 挙 げ 銀 の 三 宅 宏 美, 自 宅 の 卓 球 台 で 両 親 から 仕 込 まれ,コーチとして 母 親 が 帯 同 する 女 子 卓 球 の 石 川 佳 純 ら, 親 子 家 族 をめぐるエピ ソードは 格 好 の 題 材 となった 金 メダル や 銀 など,そのフレーズだけ で 競 技 の 成 績 が 分 かる 表 現 や 勝 負 へのこだわり を 示 す 言 葉 も 多 用 された 喜 びや 楽 しさなど 明 るいイメージより, 悔 しい という 感 情 の 方 が より 多 数 を 占 めたのは, 敗 者 への 励 ましとみる べきだろうか 古 臭 い, 大 時 代 的 な 表 現 が 頻 発 するのもス ポーツ 記 事 の 特 徴 である 悲 願 雪 辱 偉 業 屈 辱 闘 志 など 日 常 生 活 では 登 場 する 機 会 の 少 ない 用 語 が,むしろ 慣 用 的 に 使 用 され る 6.ま と め 中 国 新 聞 紙 面 にみるロンドン 五 輪 報 道 につい て, 読 み 物 記 事 への 評 価 を 中 心 とする 若 干 の 考 察 を 加 えたい いうまでもなく 新 聞 記 事 の 作 成 は 時 間 との 闘 いである とりわけ 時 差 8 時 間 と いう 厳 しい 時 間 帯 での 今 回 の 記 事 執 筆 には 相 当 苦 心 したであろうことは 想 像 できる 放 映 権 を 持 つテレビ 局 などのインタビューが 優 先 される 取 材 システムの 現 状 において, 新 聞 ジャーナリ ズムが 苦 しい 立 場 となっているのも 事 実 である こうした 環 境 であるがゆえに, 安 易 に 記 事 を 書 き 飛 ばす 風 潮 があるのは 否 定 しきれない 先 に 挙 げたキーワードでの 家 族 が 登 場 する 頻 度 の 高 さ, 紋 切 り 型 の 古 臭 い 常 套 句 の 多 用 が 目 立 つのである メダル の 表 現 に 固 執 する 勝 利 優 先 主 義, がんばれニッポン 的 なスポーツ 版 ナショナリズムによる 独 特 の 高 揚 感 や 感 情 の 押 し 付 けが 漂 ってはいまいか こうした 観 点 から, 読 み 物 記 事 のトーンに 共 通 するある 種 の 同 質 性,あるいは 感 性 の 均 質 化 とも 呼 ぶべきワンパターン, 型 にはまった ステレオタイプな 表 現 が 感 じ 取 れるのである 短 時 間 で 書 き 上 げなければならない 時 間 的 制 約 があるとしても, 選 手 や 読 者 に 迎 合 しがちで 平 板 な 読 み 物 から, 説 得 力 があり, 読 み 応 え のあるオリジナリティにあふれた 個 性 的 な 内 容
68 広 島 経 済 大 学 研 究 論 集 第 36 巻 第 1 号 にするべく 努 力 を 傾 ける 必 要 があるのではない か 付 け 加 えるならば,192 本 の 読 み 物 記 事 のう ち, 外 国 勢 に 触 れたものは9 本 (0.5%)しか 掲 載 されなかった ロンドン 五 輪 では, 全 競 技 に 女 子 選 手 が 参 加 した 特 にイスラム 教 国 のサウ ジアラビア,カタール,ブルネイからは 初 めて の 出 場 だった スカーフに 代 えてキャップを 着 用 した 女 子 柔 道 選 手 など 新 しい 時 代 の 訪 れを 感 じさせた しかし,そうした 国 際 的 感 覚 の 視 点 に 立 脚 した 読 み 物 記 事 は 乏 しかった 全 体 的 に 日 本 選 手 や 地 元 中 国 地 方 関 連 選 手,チームの 動 向,メダル 争 いの 興 味 に 終 始 した 感 が 強 い こ の 傾 向 はとりわけ 共 同 通 信 の 配 信 記 事 に 色 濃 い のである 五 輪 期 間 中 17 日 間 の 全 国 紙 ( 朝 日, 毎 日, 読 売, 産 経 )と 地 方 紙 ( 中 国, 山 陽, 愛 媛 ) 計 7 紙 の 朝 刊 1 面 トップ 記 事 に 占 める 五 輪 関 係 の 回 数 を 調 べた 全 国 紙 では 毎 日 13 日, 読 売 10 日, 朝 日 9 日, 産 経 7 日 に 対 し, 山 陽, 愛 媛 がとも に15 日, 中 国 は13 日 が 五 輪 記 事 を1 面 トップに 置 いた 五 輪 をしのぐ 重 要 なニュースがあった と 思 われる 中 で,( 広 島 地 方 に 届 く) 全 国 紙 が 比 較 的 抑 制 の 効 いた 紙 面 であったのに 比 べ, 地 方 紙 の 五 輪 への 依 存 度 の 高 さ, 過 熱 化 が 目 立 った 点 を 最 後 に 指 摘 しておきたい お わ り に 研 究 集 会 で 発 表 の 機 会 をいただき, 感 謝 しま す 自 らの 記 者 経 験 を 顧 みて 反 省 すべき 点 が 多 々ありました 貴 重 な 指 摘 をいただいたス ポーツ 経 営 学 科 の 諸 先 生 をはじめ, 多 くの 方 か ら 示 唆 に 富 む 質 問 を 投 げかけられました 今 後 の 課 題 と 受 け 止 めさせていただきました 競 技 別 記 事 量 の 調 査 は,2012 年 度 スポーツ 経 営 学 科 2 年 後 期 プレゼミ 生 12 人 が 担 当 してくれ たことを 付 記 します 参 考 文 献 永 代 静 雄 編 (1985) 復 刻 版 日 本 新 聞 年 鑑 11 巻 日 本 図 書 センター 奥 武 則 (2000) 大 衆 新 聞 と 国 民 国 家 平 凡 社 加 藤 博 夫 (1984) 新 聞 報 道 とオリンピック 体 育 の 科 学 第 34 巻 8 号, 体 育 の 科 学 社,pp.597 602 津 金 澤 聰 廣 有 山 輝 雄 編 (1998) 戦 時 期 日 本 のメ ディア イベント 世 界 思 想 社 日 本 体 育 協 会 日 本 オリンピック 委 員 会 (1952~ 2013) 各 オリンピック 競 技 大 会 報 告 書 浜 田 幸 絵 (2010) 戦 前 日 本 のオリンピック コミュ ニケーション 科 学 東 京 経 済 大 学, 第 32 巻, pp. 133 154 毎 日 新 聞 社 (2002) 毎 日 の3 世 紀 上 巻