伊豆大島間伏海岸の海浜変形機構 宇多高明 1 小澤宏樹 星上幸良 清水達也 3 4 野志保仁 1 正会員 ( 一般財団 ) 土木研究センター常務理事なぎさ総合研究室長兼日本大学客員教授理工学部海洋建築工学科 ( 11-16 東京都台東区台東 1-6-4) E-mail:uda@pwrc.or.jp 正会員国際航業株式会社第一技術部 ( 183-57 東京都府中市晴見町 -4-1) E-mail:hiroki_ozawa@kk-grp.jp, yukiyoshi_hoshigami@kk-grp.jp 3 正会員 ( 有 ) アイコムネット環境コンサルティング部 ( 11-54 東京都千代田区神田錦町 3-16-11エルヴァージュ神田錦町 4F) E-mail:shimizu@icomnet.jp 4 正会員 ( 有 ) アイコムネット環境コンサルティング部 ( 同上 ) E-mail: noshi@icomnet.jp 伊豆大島の間伏海岸は, 長さ 65 m のポケットビーチである. この海岸では過去侵食が起きたが, その原因は明らかではなかった. 本研究では, 過去の空中写真を判読し, また深浅データを分析して海浜変形について調べるとともに,11 年 月 4 日には現地踏査を行って侵食原因について考察した. この結果, 間伏海岸では過去に行われた海砂利採取の影響で海浜土砂量が減少したが, 近年はほぼ平衡状態に達していることが分かった. Key Words : Izu-oshima Island, Mabushi coast, erosion, beach nourishment,offshore mining 1. まえがき 間伏海岸は, 図 -1に示すように伊豆大島南東端にある波浮港の西約 5 kmに位置した太平洋を南に望む海岸である. また, 海岸線は北西 ~ 南東方向に走っており, 両端をで挟まれた長さ約 65 mのポケットビーチである. 海浜は三原山山頂近傍から発達する宮の沢から運ばれた火山噴出物が堆積して形成され, 粗砂や礫を多く含む材料でできており, 同時にポケットビーチであるため本来海浜の安定性は良好のはずであった. しかし196 年代以降侵食が進んできており, その原因として地元では沖合で行われた砂利採取の影響が指摘されている 1). 海浜において, バーム高から波による地形変化の限界水深 ( わ 大島 ( アメダス ) 三原山 間伏海岸 図 -1 大島空港分室 ( 東京地方航空気象台 ) 波浮 (NOWPHS) 波浮港 波浮 (NOWPHS) 1km 伊豆大島南東部の間伏海岸の位置 が国では水深 1 m 程度 ) までの海底から砂が採取されると, この間は波による砂移動が活発なため, その影響が周辺域 ( 汀線含む ) へ及ぶ ). これを考慮すれば, 間伏海岸でも同様な現象が起きてよい. しかし正確な原因は特定されていない上, その分析に必要な現地データも十分にないという状況にあった. そこで本研究では, 過去の空中写真の判読や, 過去の深浅データを再度探して海浜変形について調べるとともに,11 年 月 4 日には現地踏査を行って侵食原因について考察した.. 間伏海岸の気象 海象大島での気象観測は, 図 -1 に示すように北部の大島空港気象台, 中部の大島 ( アメダス ) で, 一方, 波浪観測は波浮 (NOWPHS) で行われてきている. これらの地点の観測データのうち, 波浮と間伏海岸とは距離的には約 5 km しか離れていないが, 波浮付近は東 ~ 北側が大きく開いており, これらの方向からの波が入射する. しかし間伏海岸は島を背にしているためこれらの方向からの波の入射はない. このため間伏海岸の波向については波浮の観測結果を参照することができない. そこで間伏海岸の北約 1 km に位置する大島 ( アメダス ) での風 I_678
向風速を参照すると, 例えば 4 年の風向別観測回数を図 - に示すが,1, 月は WSW が著しく卓越するのに対し,4~9 月には SSW 方向の風が卓越している. すなわち風向で見ると, 夏季と冬季で卓越風向に 45 の差があるから, 波向の季節的変動も著しいと推定された. 一方, 波浪条件については,NOWPHS 波浮の波浪観測で得られた 1991~1999 年 1 年間の観測により得られた波浪出現頻度表を基に, 間伏海岸へ入射可能な S~W の範囲の波向に限定して有義波高の平均値 H 1/3 と最多頻度の周期 T を算出すると,S(H 1/3 =1.48 m, T=7.3 s), SSW(H 1/3 =1.69 m, T=7.6 s),sw(h 1/3 =1.95 m, T=7. s), WSW(H 1/3 =.3 m, T=7. s),w(h 1/3 =1.9 m, T=6.1 s) であり,S~W 全波向の波浪の平均有義波高は 1.7 m, 周期は 7. s であった. 3. 間伏海岸の1948~1981 年の汀線変化最初に間伏海岸で著しい侵食が起きた 1948~1981 年の汀線変化について過去の空中写真を基に調べた. 図 -3 3 SSW SW WSW 空中写真 ( 月 ) 空中写真 (11 月 ) 観測回数 1 3 4 5 6 7 8 9 1 11 1 月 図 - 大島 ( アメダス ) での風配図 (4 年 ) (a)1948 年 4 月 は,1948 年から 1981 年まで 4 時期の空中写真を示す. 1948 年と比べて 1963, 1976, 1981 年と経年的に間伏海岸の砂浜が狭まってきた. 図 -4 は, 図 -3 に示す空中写真より汀線位置を読み取った結果を示す.1948 年では東側のの付け根で汀線が大きく前進していたが, この付近を中心に浜幅が狭まってきた. そして 1981 年までに東端では 6 m も浜幅が狭まった. 一方, 図 -4 の汀線変化によれば, 東部での汀線後退と同時に, 西部で汀線が前進するという振動モードの汀線変化も起きている. そこで図示するように東部と西部に測線 1を定め, これらの地点における汀線までの沖向き距離を読み取り図 -5 に示す. これによれば,1948 年以降 1976 年まで変動はあるものの汀線が急激に後退したが,198 年頃からは長期的変化は収束し, 変動のみが大きくなった. このことから, 沖合での砂利採取の影響は 198 年頃まで著しく, その後海浜土砂量はほぼ一定のまま汀線の季節変動が卓越する海岸になったと推定される. 図 -6 は, 間伏海岸の 1948~1981 年の海浜面積の変化を示す. 海浜面積は 1948 年の 6. 1 4 m から 5.3 1 4 m (1963 年 ),4.1 1 4 m (1973 年 ),3.9 1 4 m (1981 年 ) と減少してきており,1973 年までの減少量が大き 岸沖方向距離 Y(m) - 3 4 5 6 沿岸方向距離 X(m) (c)1976 年 11 月 1948 年 4 月 1963 年 11 月 1976 年 11 月 1981 年 9 月 測線 1 図 -4 汀線変化 (1948~1981 年 ) m m (b)1963 年 11 月 (d)1981 年 9 月 m m 図 -3 間伏海岸の変遷 (1948~1981 年 ) I_679
く, その後の海浜面積はほぼ一定値を保つ.1948~1973 年の海浜面積の減少量は.1 1 4 m であるが, 当海岸が太平洋に直面した海岸であることを考慮し, 遠州灘海岸の今切口周辺で得られた漂砂の移動高 9.7 m 3) と同程度の 1 m と仮定すれば, 海浜土砂量の減少量は.1 1 5 m 3 と推定される. また, 図 -5 に示した測線 1における汀線変化と比較すると, 著しい汀線の後退が起きた時期と海浜面積が大きく減少した時期が一致していることから, この間に沖合での砂利採取が行われたことが強く示唆される. 4. 汀線の季節的変化図 -5 によれば,1981 年以降長期的変化は小さく, むしろ変動が大きい. これは季節的変動に伴う汀線変化と考えられることから,1999 年 11 月 9 日撮影の空中写真と 11 年 1 月には改めて空中写真を撮影し, これらをもとに汀線の季節変動について調べた ( 図 -7(a)(b)). 両者の撮影時期は約 11 年の差があるが, 図 -6 によれば汀線の長期的な変化は既に終息していたと見られることから, 空中写真の撮影時期の影響が色濃く残されていると考えられる. 前者は夏季の波浪作用が海浜形状に残された時期に, 一方, 後者は冬季の波浪作用が残された時期に撮影されているので, これらより汀線の季節変動の 11 測線 1 岸沖方向距離 Y(m) 9 8 7 6 5 4 3 1 194 195 196 197 年 198 199 図 -5 測線 1 における汀線位置の経年変化 1 把握が可能と考えられる. まず, 図 -7(a)(b) において, 以後の比較の便を考えてポケットビーチの東端に点 を, 西端に B を定める.B 間の距離は約 6 m である. 1999 年 11 月 9 日には汀線が 付近で後退しており, 逆に B 点付近では大きく突出していたが,11 年 1 月 19 日にはこれと逆に 付近では砂浜幅が広がり,B 付近では汀線が大きく後退して岩盤が露出した. 図 -7 に示すように, 各時期のポケットビーチ中央において汀線に接線を引くとともに, その法線方向を算出すると,1999 年の法線方向は N5 E,11 年 1 月には N5 E となり, 平均海岸線の方向が季節的に 変化しており, 間伏海岸では振動モードの汀線変化が卓越し, 夏季の波浪の作用下では西向きに, 冬季の波浪の作用下では東向きの沿岸漂砂となることが分かる. 汀線変動状況は空中写真のみならず深浅測量データによっても明らかにできる. 図 -8 は,4 年 月 19 日と同年 11 月 5 日深浅測量結果から求めた汀線変化であり, (a)1999 年 11 月 9 日 N5 E B m N5 E (b)11 年 1 月 19 日 N5 E SW B m 図 -7 間伏海岸の空中写真の比較 (1999 年 11 月 9 日 vs. 11 年 1 月 19 日 ) 海浜面積 (m ) 7.E+4 6.E+4 5.E+4 4.E+4 3.E+4.E+4 1.E+4.E+ 194 195 196 年 197 198 199 図 -6 海浜面積の経年変化 岸沖方向距離 Y(m) 測線 1 N5 E SSW N E SW 4 年 月 4 年 11 月 B N95 E N31 E - 3 4 5 6 沿岸方向距離 X(m) 汀線の振動角 15 図 -8 4 年 月 19 日と 4 年 11 月 5 日の汀線変化比較 I_68
4 年には明らかに振動モードで季節的変動を繰り返していたことが分かる. 汀線は,X=6 m 付近に節を持ち, 腕の長さが約 4 m で振幅が約 5 m の変動モードを有している. 5. 深浅図の比較図 -9 は, 既に汀線変化を示した 4 年 月 19 日と同年 11 月 5 日の深浅測量の結果を示す. 汀線変動により明らかにしたように, 図 -9(a) に示す 4 年 月 19 日の海底地形は, 西寄りの波の作用を受けた後の海底形状を示すと考えられるが, この時期では汀線から-4 m までの等深線はほぼ平行に延びていたが, ポケットビーチの西端では-4 m~-6 m 間の等深線間に勾配の緩い海底斜面が形成されているのに対し, 東端近傍では-5 m 以浅の等深線が密に並んでいた. これらに対し,-6 m より沖合の等深線はいずれも平行に延びており, 汀線に近い等深線と明らかに形状が異なる. このような等深線形状は, 西寄りの波が入射して東向きの沿岸漂砂が生じたが, その際の波による地形変化の限界水深がほぼ-6 m であったことを示している. 同様に, 図 -9(b) に示す 4 年 11 月 5 日の深浅図では, 汀線は反時計回りに大きく回転し, 東端近傍で汀線が大きく後退した. この場合, 地形変化は単純な振動モードではなく, 東端近傍では-5 m までの等深線が後退して凹状となったが, 同時にその西側では汀線 付近から斜め沖向きに突出した等深線となり, 沖合では-8 m 付近まで等深線の突出が認められる. このような複雑な等深線形状となった正確な理由は不明であるが, 等深線の凹凸状況から判断して東寄りの入射波条件の下で, ポケットビーチ東端部で反時計回りの循環流が生じたためと推定される. また, 同時に-9 m 付近までの等深線に変形が見られることから,4 年 11 月 5 日には 4 年 月 19 日より高い波の作用を受けたと考えられる. 6. 現地状況海岸線に沿って走る道路上, 宮の沢橋のやや北側から間伏海岸全体を撮影したのが写真 -1 である. 現況汀線の東端はで終わっているが, 後浜には破線で示すように旧浜崖を連ねる線が見え, この線は東端のの背後で大きく湾入していた. この線は現況汀線と斜めに交差していることから, 東寄りから波が斜め入射し, の西側で汀線が大きく後退した痕跡を示すと考えられる. 写真 - は, 海浜地に降り立ち, 写真 -1 に示す背後の砂丘上から海浜を西向き望んだものであるが, 海浜上 (a)4 年 月測量 -1m -5m m 写真 -1 宮の沢橋のやや北側から間伏海岸全体を撮影 m (b)4 年 11 月測量 -1m -5m m 図 -9 m 4 年 月 19 日と 4 年 11 月 5 日の深浅図 写真 - 写真 -1 に示す背後の砂丘上から海浜を西向きに撮影 I_681
には波の打ち上げ痕跡が幾筋も見え, バームを形成していることから, ごく最近砂が堆積したことが分かった. 写真 -3 は海浜中央で撮影したもので, 簡易測量によればポール位置でのバーム高は.4 m で, ポールの海側の前浜勾配は 1/1.5 であった. バーム高.4 m は,S~W 全波向の波浪の平均有義波高 1.7 m( 周期 7. s) とほぼ対応していると考えられる. また, ポール位置で採取した海浜材料の粒度分析結果によれば, 中央粒径は 1.13 mm で, 粗砂分が 66 %, 中砂分が 34 % を占める淘汰の進んだ砂であった. 海浜中央部からポケットビーチ西端へと移動すると前浜勾配が次第に急になり, さらに西端へ接近すると浜崖の発生が見られるようになった. 写真 -4 では浜崖の比高は 1.1 m, 写真 -5 では 1.4 m と浜崖の比高が高まった. なお, この付近の現況汀線付近には礫が堆積し, 低いバームが形成されていた. さらに西端に近づいて撮影したのが写真 -6 で, ここでの浜崖の比高は 1.4 m であった. この位置で特徴的なのは, 浜崖の陸側斜面にも砂の堆積が見られ, その斜面の基部に安息勾配斜面が見られたことである. すなわち現況では植生が見られる部分まで砂が堆積していたが, そこが侵食されたと考えられる. 写真 -7 は西端の状況を示す. 右側の急崖基部に安息勾配斜面が見られるが, その斜面の基部にはごく最近打ち上げられたと見られる砂礫のバームが観察された. このように安息勾配斜面とその前面におけるバームの形成は, この付近が侵食後再び堆積するという履歴作用を受けたことを示しており,4. で述べた汀線の季節変動とよい対応を示している. なお, 写真 -7 の岩の間の矢印 にも安息勾配斜面が見える. これを拡大して示すのが写真 -8 である. 岩の間に大量の砂が堆積していたが, この斜面の基部が削り取られたため安息勾配斜面が形成されていた. 観察者が立つ位置より西側には砂の堆積が見られなかったことを考慮すれば, この付近での堆積はポケットビーチの東部が侵食され, その土砂が西向きに運ばれたときに起きたことを表している. 写真 -9 は, 侵食を受けたポケットビーチ西端部から東向きに海浜の全体状況 写真 -4 侵食により形成された比高 1.1m の浜崖 写真 -5 同じく侵食されてできた比高 1.4m の浜崖 写真 -6 ポケットビーチ西端近傍から端部を望む.4m 写真 -3 海浜中央でのバーム形成状況 写真 -7 ポケットビーチ西端の状況 I_68
を眺めたものであるが, 全体に凹状の縦断形となっており, 西寄りの波により侵食されたことをよく表している. 砂丘地は標高のかなり高い位置まで発達していたが, この砂丘の基部が削り取られて崖が形成された. 写真 -8 安息勾配斜面 ( 写真 -7 の矢印 ) の拡大図 7. まとめ伊豆大島南部に位置する間伏海岸の侵食原因について既往の空中写真や深浅データを基に考察した. この結果, 間伏海岸の侵食は海砂採取に伴って 198 年頃までが著しく, この間汀線が後退してきたが,198 年頃以降は平衡状態に達したと推察された. また,4 年取得の 回の深浅図を見ても, 地形変化が活発な汀線から-1 m 付近までの範囲で, 例え過去に掘削されたとしても現況では掘削によりできた穴は残されていないことから, 過去に形成された掘削穴は既に埋め戻しを受けていると推定された. このことから, 今後間伏海岸から砂を人為的に搬出しない限り侵食は起こらないと考えられる. 現況の間伏海岸は, 波浪の強弱と波向の変動に伴う地形変化は起こるものの, 長期的には安定状態に至っていると考えられる. 謝辞 : 解析に用いた深浅データ等は, 東京都建設局河川部のご厚意により提供頂いた. ここに感謝の意を表する. 参考文献 1) 星上幸良, 宇多高明, 佐々木庸平, 小澤宏樹, 酒井和也, 清水達也 : 伊豆大島間伏海岸の海浜変形機構, 日本沿岸域学会研究討論会講演概要集 (CD), No.4,11. ) 宇多高明 : 海岸侵食の実態と解決策, 山海堂, p.34, 4. 3) 宇多高明 : 日本の海岸侵食, 山海堂, p.44, 1997. 写真 -9 侵食されたポケットビーチ西端部から東向きに海浜の全体状況を遠望 BECH CHNGES OF MBUSHI COST ON IZU-OSHIM ISLND Takaaki UD, Hiroki OZW, Yukiyoshi HOSHIGMI,Tatsuya SHIMIZU and Yasuhito NOSHI The Mabushi coast located on Izu-oshima Island and being a pocket beach with a 65 m length had been eroded. To investigate the cause of the beach erosion, aerial photographs and bathymetric survey data were gathered and analyzed as well as the field observation on February 4, 11. It was found that the beach erosion was triggered by offshore mining in the past, but recently it reached equilibrium state. I_683