福知山市の遺跡 平成18年1月に行われた1市3町の合併により 広大な市域を得た福知山市には現在約500箇所の遺跡が登録さ れています このうち古墳や窯跡など群として登録されているものも 多く 実数としては約2000箇所を越えることとなります 遺跡の位置と立地 福知山市域は本州の内陸部やや北側に位 置し 日本海へと注ぐ由良川とその支流によって形作られた盆地 周辺山岳部からなります 市域の約80パーセント近くは山林であり 河川近くの狭小な平野部 段丘地帯に耕地が広がります このよう な地勢のため遺跡の大多数が河川流域部に集中し 平野部およ び段丘上に集落遺跡 周辺丘陵上に墳墓が点在しています 遺跡の種類と特徴 市域での人類最古の足跡は旧石器時代にさかのぼり つづく縄文 弥生 古墳 奈良 平安 鎌倉 室町 安土桃山と連綿と続く遺跡がこの大地に刻み込まれています 旧石器から縄文 弥生前期に散発的であった集落遺 跡は弥生中期に至って爆発的に増大し 古墳時代中期から後期には墓域を持った群集墳が丘陵上を覆い尽くすことにな ります 遺跡の発掘調査 福知山の市制施行以前の昭和初年までにも表面採集遺物として数件の報告が残されていますが 考 古学的な手法による発掘調査は昭和10年 1935 の牧正一古墳が始まりです その後市制施行のあゆみとともに行なわれ た遺跡発掘調査は 小規模なものも含めて200件を数えます この中には 景初四年銘 盤龍鏡の発見のように国内で大き く報道された調査もありましたが 多くの遺跡は貴重な成果と引き換えに地上から姿を消していきました 今回の展覧会で福知山の隠れた歴史を再発見してください 表の色つきは発掘調査 表の色つきは発掘調査を 発掘調査を 行ったことがある遺跡 遺跡
道具 ものづくり く ら し の 遺 跡 おき かんのん じ 興 観 音寺遺跡(興地区)の石製品 石のおもり 道具 ものづくり すえ 玉砥石 末の窯跡 陶と書いて スエ と読む 日本で初めて青く硬く丈夫な土器が作られたのが古墳時代中期 これを須 石鏃など武器類のほか 石剣や石棒など 恵器と呼び 現在の やきもの の祖先としている 奈良時代に作成された 正倉院文書 にも 陶 と表記 の祭祀具 装身具をつくる玉砥石が発見さ してスエと読み 後に須恵という字があてられる この須恵器の日本最初の量産地が大阪府和泉地域に れている ひろがる陶邑古窯跡である ムラの住居内部からはこれらの石器を作 夜久野町の末 すえ 一帯 この山々には陶邑と同じく須恵器を焼いた窯跡が数多く分布する 国道9 成した際の剥片が発見されており ムラのな 号線 牧川の南に位置する字末地区と北側の字高内地区には 確認されているもので約50数ヶ所 8世 かで道具を作っていたことがわかる 紀代を中心に須恵器が焼かれていた 京都府では亀岡市の篠窯跡と並んで最多級 北近畿でも最大 く ら し の 遺 跡 級の須恵器生産地帯として発展したと考えられる 末の地名はその名残を今に伝え 今でも窯跡の周辺 銅剣形石剣 では数多くの須恵器片が採集できる また このほか釜戸池窯 天田 加茂野窯 猪崎 があり カマ の地名が今に伝えられる 石鏃 石包丁 環状石斧 発見された石製品類 石本遺跡の木製遺物 1983年の発掘調査で水路状の遺構から数 多くの木製品が発見された このうち 加工品 の点数は182点におよび 農具 工具 馬具 狩 高内鎌谷窯跡灰原の様子 猟具 祭祀具 装身具 履物など多種にわたる これら木製品は概ね6世紀後半から7世紀 前半のもので 古墳時代のムラの様子を伝えて 末窯跡分布図 いる 大地を耕し 稲を刈る古代人の息吹を知 ることのできる貴重な遺物群である だん か じ 段遺跡の鍛冶遺跡 大江町河守の家並の背後丘陵上にある平安時代から鎌倉時代にかけての鍛冶遺跡 鉄製品の生産 を行っていたもので 鉄を溶かす鞴 ふいご の 羽口 鉄を加熱 鍛えた際に出る剥片 鉄滓な どが発見されている W1 W4 W6 W2 W3 W5 鍛造薄片 フイゴ羽口 粒状鉄滓 W13 段遺跡の発掘調査風景 石本遺跡の木製品 椀状鉄滓 木製品実測図
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