経 験 の 貧 困 あるいは 生 の 抽 象 化 ムージルと オーストリア 的 なもの を めぐる 議 論 について 桂 元 嗣 序 オーストリア 的 なもの をめぐる 議 論 と 特 性 のない 男 ローベルト ムージルの 未 完 のロマーン 特 性 のない 男 第 一 巻 は 平 行 運 動 (Parallelaktion),すなわち 1918 年 にドイツ 帝 国 で 開 催 される 予 定 のドイツ 皇 帝 即 位 30 周 年 記 念 式 典 に 対 抗 して, 同 じ 年 にオーストリアでも 開 催 予 定 のオース トリア 皇 帝 即 位 70 周 年 記 念 式 典 を 有 利 に 展 開 させようとする 愛 国 運 動 が 舞 台 と なる ロマーンでは,この 運 動 が 民 衆 の 中 心 から 自 発 的 にわき 上 がる 力 強 い 示 威 運 動 (MoE141) 1) となるべく,ウィーンのサロンで 運 動 の 旗 印 となるような 指 導 理 念 が 模 索 されるのだが,サロンの 主 催 者 ディオティーマは, 彼 女 の 協 力 者 であるラインスドルフ 伯 爵 もしばしば 啞 然 とするほどの 熱 心 さで 古 き 良 きオー ストリア 文 化 (MoE101)を 称 揚 する 彼 女 はこれを 平 行 運 動 に 持 ち 込 むことに よって, 文 明 化 された 現 代 社 会 に 失 われてしまった 人 間 らしい 調 和 (Ebd.) をふたたび 実 現 したいと 望 むのである また 彼 女 は, 古 いオーストリア 文 化 の 1)ムージル 作 品 は 以 下 の 全 集 を 用 いる 引 用 の 際 には, 文 献 は 次 のように 略 し, 頁 数 とともに 文 中 に 示 す MoE: Robert Musil: Gesammelte Werke Bd. 1. Hrsg. von Adolf Frisé. Reinbek b. Hamburg 1978. GW: Robert Musil: Gesammelte Werke Bd. 2. Hrsg. von Adolf Frisé. Reinbek b. Hamburg 1978. T: Robert Musil: Tagebücher. 2 Bde. Hrsg. von Adolf Frisé. Reinbek b. Hamburg 1976. B: Robert Musil: Briefe 1901-1942. 2 Bde. Hrsg. von Adolf Frisé. Reinbek b. Hamburg 1978. 333(33)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 バロック 的 魅 力 のなかで[ ]ひと 息 つくために (MoE109)ディオティーマの サロンを 訪 れる 資 産 家 アルンハイムに 恋 をするのだが, 結 果 的 に 彼 女 はドイツに 対 抗 したオーストリアの 愛 国 運 動 に,よりによってプロイセン 出 身 のアルンハイ ムを 引 き 入 れてしまう 外 国 人 が 平 行 運 動 で 指 導 的 役 割 を 演 ずることに 難 色 を 示 したラインスドルフ 伯 爵 に 対 して 彼 女 が 持 ち 出 したのが, 真 のオーストリアは 全 世 界 である (MoE174)という,いささか 論 理 の 飛 躍 した 主 張 である この 世 界 は 彼 女 は 説 明 を 加 えた 世 界 の 諸 国 民 が,オーストリアの 各 種 族 が 自 らの 祖 国 で 暮 らすのと 同 様 の,より 高 次 の 統 一 において 暮 らすのでなければ, 安 らぎを 得 ることはないでしょう 偉 大 なオーストリア, 世 界 オーストリア, [ ]これこそがこれまで 欠 けていた 平 行 運 動 に 冠 すべき 理 念 なのです (Ebd.) ムージルの 描 く 平 行 運 動,なかでも 伝 統 ある 文 化 をはぐくんでいるオーストリ ア=ハンガリー 二 重 帝 国 こそが, 国 や 民 族 の 対 立 を 越 えた 世 界 全 体 の 調 和 のモデ ルとなりうるとみなすディオティーマの 歴 史 認 識 は, 明 らかに 第 一 次 世 界 大 戦 が 勃 発 して 以 来,フーゴー フォン ホーフマンスタールやヘルマン バールをは じめとするオーストリアの 作 家 や 知 識 人 がさかんに 論 じたオーストリアの 独 自 性 をめぐる 議 論 を 踏 まえている たとえばホーフマンスタールは,1916 年 の 講 演 文 学 に 反 映 したオーストリア のなかで,グリルパルツァーの 文 学 にひそむス ラヴ 性 を 指 摘 し,そのうえでハプスブルク 帝 国 の 多 彩 かつ 独 自 性 を 保 ったそれぞ れの 風 土 が, 互 いに 入 り 混 じり, 響 き 合 う 2) ことでドイツ 文 学 とは 異 なるオー ストリア 文 学 の 独 自 性 を 生 み 出 していると 述 べている この 主 張 は, 特 性 のな い 男 で 古 き 良 きオーストリア 文 化 に 人 間 らしい 調 和 を 見 出 そうとした ディオティーマの 文 化 観 と 重 なるであろう またバールは,1917 年 に 発 表 した エッセイ 集 黒 と 黄 (Schwarzgelb) に 収 録 された ドイツとオーストリア のなかで,1526 年 に 神 聖 ローマ 皇 帝 フェルディナント 1 世 がボヘミア 王 冠 とハ ンガリー 王 冠 を 戴 冠 したという 歴 史 的 過 去 にまでさかのぼり,この 出 来 事 がいか なる 流 血 の 事 態 も 生 じず,むしろ 非 ドイツ 系 民 族 の 自 由 意 志 と 必 要 性 から 行 われ 2)Hugo von Hofmannsthal: Österreich im Spiegel seiner Dichtung. In: Gesammelte Werke. Reden und Aufsätze 2. Frankfurt am Main 1979, S. 19. 333(34)
たと 強 調 する そして 多 民 族 の 共 生 するオーストリアこそが, 第 一 次 世 界 大 戦 以 降 の 民 族 の 協 調 を 軸 とした 新 しいヨーロッパの 模 範 3) になりうると 主 張 して いる ホーフマンスタールも, 同 年 に 書 かれた 散 文 オーストリアの 理 念 のな かで,ハプスブルク 帝 国 が 地 理 的 に 西 洋 と 東 洋 との 関 係 を 調 停 する 役 割 を 長 きに わたって 演 じながら 存 続 してきたという 歴 史 に 価 値 を 置 き, 自 然 な 柔 軟 性 4) を もつオーストリアこそが, 新 たなヨーロッパに 必 要 なのだ,とバールと 同 様 の 主 張 をしている こうした 議 論 は,まさにディオティーマが 行 った 真 のオースト リアは 全 世 界 である という 主 張 そのものである ところがムージルは,こうしたオーストリアの 独 自 性 をめぐる 議 論 については はじめから 否 定 的 だった というのもこれから 紹 介 するように, 彼 はこの 議 論 に 世 界 を 破 滅 に 導 いたヨーロッパの 精 神 状 況 のひとつの 典 型 を 見 出 しているからで ある 世 界 の 精 神 的 克 服 への 寄 与 (GW942),そして 新 しいモラル (Ebd.) の 提 示 それが 特 性 のない 男 においてムージルが 描 こうとしたものであっ た 5) だとするならば,まさにハプスブルク 帝 国 が 破 滅 する 1918 年 を 目 標 として 進 められるというきわめてイローニッシュな 設 定 のほどこされた 平 行 運 動 でムー ジルが 提 示 しようとした オーストリア 的 なもの(das Österreichische) をめ ぐる 議 論 の 問 題 点 とはいかなるものだろうか 本 論 では オーストリア 文 化 を 否 定 するムージルの 批 判 の 矛 先 が, 単 なる 特 殊 オーストリア 的 事 情 だけでなく, 1920 年 代 における 彼 の 一 連 の 時 代 診 断 的 なエッセイで 展 開 される 論 理 と 同 様, 歴 史 を 語 る 際 の 近 代 人 の 精 神 における 経 験 の 貧 困 化 と,それによってもたらされ た 非 合 理 的 な 傾 向 に 向 けられていることを 明 らかにしたうえで,この 議 論 と 特 3)Hermann Bahr: Deutschland und Österreich. In: Schwarzgelb. Salzburg 1916, S. 17f. 4)Hugo von Hofmannsthal: Die österreichische Idee. In: Gesammelte Werke. Reden und Aufsätze 2. Frankfurt am Main 1979, S. 457. 5)ムージルは 1926 年 4 月 30 日 におこなわれたオスカル マウルス フォンターナと のインタビューのなかで, 当 時 構 想 を 練 っていた 特 性 のない 男 ( 当 時 は 双 子 の 妹 というタイトルがつけられていた)について, 新 しいモラルへの 素 材 とな るものを 提 供 したい と 述 べたうえで, 自 らのロマーンによって 世 界 の 精 神 的 克 服 に 寄 与 したい と 抱 負 を 述 べている(Vgl. GW942) 333(35)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 性 のない 男 で 描 かれる 登 場 人 物 の 生 といかに 連 関 しているかを,ムージルの 提 示 する 生 の 抽 象 化 という 概 念 をもとに 論 じる 1. 記 憶 の 崩 壊 と 歴 史 の 過 剰 ムージルは,1919 年 に 発 表 されたエッセイ ドイツへの 併 合 のなかで, 多 民 族 国 家 ゆえの 独 自 性 をもつとされるオーストリア 文 化 を 一 度 も 実 証 されたこ とのない 空 論 (GW1041)とはっきりと 退 けている [ ] 少 なからぬ 人 々に よって 実 に 無 邪 気 にオーストリア 文 化 なるものが 形 成 された 彼 らは,オースト リア 文 化 には 民 族 混 合 国 家 の 土 壌 だけに 生 い 茂 るとされる 特 別 な 繊 細 さがある, と 繰 り 返 し 述 べる [ ]この 問 題 については 多 くの 言 葉 を 費 やすまでもない [ ] 君 主 国 内 のスラヴ 人 も,ロマンス 人 も,マジャール 人 も,オーストリア 文 化 なるものを 認 めていなかった 彼 らが 知 っていたのは 自 分 たちの 文 化 と, 彼 ら の 好 まぬドイツ 文 化 だけだった オーストリア 文 化 なるものは,やはりドイツ 文 化 などもちたくなかったドイツ 系 オーストリア 人 の 特 産 品 だったのである [ ] オーストリア 文 化 とは,ウィーンの 立 場 から 見 た 遠 近 法 的 誤 りだった 確 かにそ れは 精 神 を 旅 させれば 大 いに 得 るところのある,さまざまな 独 自 性 の 内 容 豊 かな 集 合 体 だった だからといって, 勘 違 いしてはならない この 文 化 にはいかなる 統 一 もなかったのだ (GW1039) このようにムージルは,オーストリアの 独 自 性 をめぐる 議 論 を,ドイツ 系 オー ストリア 人 の 視 点,とりわけウィーンの 立 場 から 見 た 独 りよがりな 議 論 であると 一 刀 両 断 している 皇 帝 フランツ ヨーゼフ 1 世 の 統 治 するオーストリア=ハン ガリー 二 重 帝 国 が,ドイツ 人 による 支 配 のもと,チェコ 人 やイタリア 人 といった 非 ドイツ 系 民 族 によるナショナリズムの 動 きを 繰 り 返 し 弾 圧 していたこと,そし て 彼 ら 諸 民 族 がそれまで 受 けていたドイツ 人 による 支 配 に 対 して 反 旗 を 翻 したこ とがきっかけで 帝 国 が 解 体 したことを 考 えると, 歴 史 的 にさまざまな 独 自 性 をひ とつの 文 化 にまとめ 上 げてきたオーストリアこそがこれからのヨーロッパの 模 範 333(36)
になりうると 無 邪 気 に 主 張 するのは, グロテスク 6) なまでに 現 実 から 逸 脱 して いる 第 一 次 世 界 大 戦 後 にかつての 国 家 の 残 骸 がゆっくりと 地 平 線 から 姿 を 消 してゆくのを 見 送 った 世 代 7) であるはずのホーフマンスタールやバールが,そ の 破 滅 の 原 因 となった 民 族 間 の 緊 張 状 態 に 一 切 言 及 しないままにオーストリアに おける 調 和 を 唱 えるとき,そこには 自 分 が 目 の 当 たりにしたものと, 歴 史 や 理 念 を 語 る 彼 らの 発 話 内 容 との 著 しい 乖 離 がみられるのである ムージルは 両 者 の 乖 離 をふまえたうえで,オーストリア 文 化 が 存 在 するという 主 張 を ウィーンの 立 場 から 見 た 遠 近 法 的 誤 り(perspektivischer Fehler) (GW1039)であるとして 退 けるのである バールやホーフマンスタールを 含 む 1910 年 代 の 議 論 から 1960 年 代 にいたるま での オーストリア 的 なもの についての 議 論 をまとめたウィリアム M ジョ ンストンは, 第 一 次 世 界 大 戦 を 契 機 に 遅 ればせながらはじまったオーストリアの 独 自 性 を 見 出 そうとする 試 みを 説 明 するうえでピエール ノラの 記 憶 の 場 を とりあげ, 若 干 の 留 保 をつけながらも, 帝 国 の 崩 壊 と 諸 民 族 の 離 反 を 目 の 当 たり にしたドイツ 系 オーストリア 人 が 自 らの 独 自 性 を 確 認 するために 行 う 議 論 が,い わゆる 集 合 的 記 憶 の 観 点 から 考 察 できる 可 能 性 を 示 唆 している 8) ノラはそ の 際 記 憶 と 歴 史 とを 区 別 する 彼 にとって 記 憶 とは, 過 去 と 連 続 しているという 感 情 である その 意 味 で 記 憶 とは 現 在 的 な 現 象 であり,かつ 生 命 であり, 生 き 6)William M. Johnston: Der österreichische Mensch. Kulturgeschichte der Eigenart Österreichs. Wien/Köln/Graz 2010, S. 99. 7)Alphons Lhotsky: Das Problem des österreichischen Menschen. In: Aufsätze und Vorträge. Bd. 4. Wien 1974, S. 311. 8)ジョンストンは, 今 回 論 じている 1910 年 から 1960 年 代 までのドイツと 自 らを 区 別 することを 目 的 としたオーストリアの 独 自 性 をめぐる 議 論 と,1970 年 代 以 降 のオー ストリア 第 二 共 和 国 のアイデンティティをめぐる 議 論 とを 区 別 しており,70 年 代 以 降 の 視 点 を 紹 介 する 過 程 でピエール ノラに 言 及 している そのなかでジョンスト ンは,ヴィルトガンスの オーストリア 的 人 間 という 概 念 とムージルの カカー ニエン が 1970 年 以 降 の 視 点 から 記 憶 の 場 を 形 成 しうるかについて 論 じ,と りわけ オーストリア 的 人 間 については 否 定 的 な 結 論 を 出 している Vgl. Johnston: Der österreichische Mensch, S. 24-35. 333(37)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 る 集 団 によって 担 われる 9) その 一 方 で 歴 史 とは もはや 存 在 しないものの 再 構 成 10) である ノラによると, 近 代 に 顕 著 な 傾 向 として, 過 去 との 断 絶 という 意 識 が 生 まれ, 記 憶 の 崩 壊 という 感 情 と 交 り 合 うことによって, 歴 史 と 記 憶 のあい だの 距 離 がますます 広 がっているという 11) その 結 果, 歴 史 を 根 拠 に 自 らの 独 自 性 を 主 張 するホーフマンスタールやバールらの 議 論 が, 実 際 彼 らが 目 にした 記 憶 と 折 り 合 わないという 事 態 を 生 むのである ニーチェはアライダ アスマンによって 集 合 的 記 憶 の 理 論 家 12) のひとりと みなされているが, 彼 によると,こうした 事 態 は 歴 史 の 過 剰 (Übermaße von Historie) 13) が 原 因 である 彼 は 生 にとっての 歴 史 の 功 罪 について (1874 年 ) のなかで, 人 間 は 過 ぎ 去 ったものを 生 のために 使 用 し, 出 来 事 から 歴 史 をつく り 上 げる 力 によってはじめて 本 当 の 意 味 での 人 間 になる 14) と 述 べている その 意 味 で, 歴 史 とは 本 来 生 に 役 立 つべく 存 在 する ところが 近 代 になり, 歴 史 が 学 問 として 生 から 切 り 離 されると, 過 去 についての 知 識 が 生 と 結 びつくことのない ままに 蓄 積 されるようになった それによって 歴 史 が 生 と 行 動 から 安 易 に 背 を 向 けたり, 身 勝 手 な 生 を 美 化 したり, 卑 劣 で 悪 しき 行 為 を 正 当 化 するため 15) に もちいられることになる こうした 事 態 について,ニーチェは 次 のように 述 べて いる 近 代 人 はついには 莫 大 な 量 の 知 識 の 石 を 未 消 化 なまま 引 きずりまわすこ とになる するとその 石 がまるで 童 話 の 世 界 のように 何 かの 機 会 にお 腹 のなかで 9)Pierre Nora: Entre Mémoire et Histoire. La problématique des lieux. In: Pierre Nora: Les Lieux de Mémoire. La République, La Nation, Les France. Bd. 1. Paris 1997, S. 24. ピエール ノラ 記 憶 と 歴 史 のはざまに (ピエール ノラ 編 記 憶 の 場 フランス 国 民 意 識 の 文 化 = 社 会 史 第 一 巻 対 立 ( 谷 川 稔 監 訳 岩 波 書 店 2002 年 )に 所 収 )31 頁 10)a. a. O., S. 25. 同 訳 書 31 頁 11)a. a. O., S. 23-25. 記 憶 と 歴 史 のはざまに 30-31 頁 12)Aleida Assmann: Erinnerungsräume. Formen und Wandlungen des kulturellen Gedächitnisses. Vierte, durchgesehene Auflage. München 2009, S. 130. 13)Friedrich Nietzsche: Vom Nutzen und Nachteil der Historie für das Leben. In: Friedrich Nietzsche: Unzeitgemäße Betrachtungen. Mit einem Nachwort von Ralph-Rainer Wuthenow. Frankfurt am Main/Leipzig 1981, S. 102. 14)Ebd. 15)a. a. O., S. 95. 333(38)
規 則 正 しくゴロゴロと 音 を 立 てる このゴロゴロという 音 によってこの 近 代 人 の もっとも 固 有 な 特 性 が 露 呈 する つまり 外 面 とまるで 一 致 しない 内 面 と, 内 面 と まるで 一 致 しない 外 面 との 奇 妙 な 対 立 である [ ] 空 腹 でもなく 必 要 もないの に 詰 めこまれた 知 識 は,そうなるともはや 何 かを 作 り 変 えたり 外 に 向 かって 働 き かけたりするような 動 機 としては 作 用 せず,ある 種 混 沌 とした 内 面 世 界 に 隠 され たままだ これをかの 近 代 人 は, 妙 な 誇 りをもって 自 分 に 固 有 の 内 面 性 と 名 づけるのである 16) ニーチェの 言 葉 は 直 接 的 には 19 世 紀 のドイツ 人 に 対 して 向 けられたものだが, ヨーロッパの 模 範 としてのオーストリア を 語 る 第 一 次 世 界 大 戦 以 降 のドイツ 系 オーストリア 人 の 知 識 人 たちにもそのまま 当 てはまるであ ろう ハプスブルク 帝 国 の 長 く 複 雑 な 過 去 を 自 らの 生 に 役 立 つような 歴 史 へ 造 形 することもできずに 単 なる 知 識 としてしまいこみ, 一 歩 踏 み 出 すだけでも 確 実 に 深 淵 へ 向 けてまっさかさまに 落 ちて 17) ゆきそうなオーストリア=ハンガリー 二 重 帝 国 の 現 実 を 目 の 当 たりにしながら, 重 大 なことなど 何 も 起 こらなかったか のように 当 時 を 安 定 の 黄 金 時 代 18) とみなし,ときに 応 じて 自 らの 生 とかけ 離 れた 古 き 良 きオーストリア 帝 国 の 歴 史 をあたかも 自 分 の 内 面 の 表 出 であるかのよ うに 都 合 よく 取 り 出 す こうしたオーストリア 人 の 外 面 とまるで 一 致 しない 内 面 と, 内 面 とまるで 一 致 しない 外 面 との 奇 妙 な 対 立 は,ニーチェによれば 歴 史 の 過 剰 の 結 果 近 代 人 を 襲 った 病,いわゆる 歴 史 病 (die historische Krankheit) 19) なのである 16)a. a. O., S. 121f. 17)Franz Werfel: Ein Versuch über das Kaisertum Österreich. In: Zwischen oben und unten. Prosa, Tagebücher, Aphorismen, Literarische Nachträge. Aus dem Nachlass herausgegeben von Adolf D. Klarmann. München 1975, S. 511. 18)Stefan Zweig: Die Welt von Gestern. Erinnerungen eines Europäers. Berlin/Frankfurt a. M. 1965, S. 13. 19)Nietzsche: Vom Nutzen und Nachteil der Historie für das Leben, S. 181. 333(39)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 2. 経 験 の 貧 困 青 年 時 代 よりニーチェの 影 響 を 自 覚 していた 20) ムージルが 第 一 次 世 界 大 戦 後 の ヨーロッパに 見 出 したのも, 精 神 に 属 するもののこのうえない 無 秩 序 だった つ まり 平 和 主 義 と 軍 国 主 義,ナショナリズムとインターナショナリズム, 宗 教 と 自 然 科 学 など, 数 え 切 れないほどの 矛 盾 し 合 うものを, 一 緒 くたに,しかもまる で 調 和 をはかることのないまま 抱 え 込 み (GW1087)ながら, 自 らの 自 我 を 経 由 せずに 思 考 し, 行 為 する (GW1092)ことによってどうにかこうにかやり 過 ご す,そうした 非 合 理 的 な 精 神 状 況 である 1922 年 に 発 表 されたエッセイ 寄 る 辺 なきヨーロッパ,あるいはとりとめもない 旅 で,ムージルはこの 時 代 の 人 々 の 生 のありようについて 次 のように 述 べている われわれを 包 みこんでいる 生 には, 秩 序 の 概 念 が 欠 けている 過 去 についての 諸 事 実, 個 々の 学 問 についての 諸 事 実,あるいは 生 についての 諸 事 実 が, 無 秩 序 にわれわれを 覆 っている 通 俗 哲 学 や 茶 飲 み 談 義 は,ボロ 切 れ 同 然 になってしまった 理 性 や 進 歩 といったものを 根 拠 もないのに 信 じることで 満 足 している あるいは 新 時 代 のはじまり であ るとか 国 民 国 家 [ ]といったよく 知 られた 呪 物 (Fetische)を 発 明 する いずれも 共 通 しているのは,ネガティヴに 言 えば 悟 性 に 対 するセンチメンタルな 不 平 不 満 であり,ポジティヴに 言 えば 人 間 をかろうじて 構 成 している 何 らかのよ りどころを 得 ようとする 欲 求,すなわちさまざまな 自 分 の 印 象 をゆだねることの できる 巨 人 のような 骸 骨 の 幽 霊 への 欲 求 である [ ]こうして 人 は 自 ら 直 接 判 断 して 作 り 上 げることにあまりに 憶 病 になってしまったので, 現 在 さえも 歴 史 的 に 眺 める 習 慣 が 身 についてしまったのである (GW1087) ムージルがこのエッセイで 指 摘 しているのは, 膨 大 な 知 識 のカオスを 前 にして 自 ら 判 断 し, 自 身 の 経 験 をもとに 生 と 連 関 づけようとする 意 欲 や 力 が 弱 体 化 して しまった 結 果, 不 特 定 の 主 義 主 張 に 根 拠 もないのに 身 をゆだねてしまう 近 代 ヨー 20)ムージルは 1899 年 から 1904 年,あるいはそれ 以 降 まで 書 かれていたとされる 日 記 (ノート 4)に, 運 命 ちょうど 18 歳 のときにはじめてニーチェを 手 に 取 ったこと (T19)と 記 している 333(40)
ロッパ 人 の 非 合 理 的 なありようである それが 特 性 のない 男 第 一 巻 の 同 じ ようなことが 起 こる 世 界,すなわち 自 らの 存 在 に 十 分 な 理 由 を 見 いだせない (MoE35) 男 のない 特 性 (MoE148)の 世 界 を 生 み 出 すのである こうした 世 界 に 生 きる 近 代 人 の 典 型 的 な 姿 は,ロマーンの 冒 頭 に 置 かれた 有 名 な 交 通 事 故 の 場 面 に 象 徴 的 に 描 かれている 特 性 のない 男 第 一 巻 第 1 章 注 目 すべきこと にここからは 何 も 生 じない では,ウィーンのにぎやかな 大 通 りを 特 権 階 級 と 思 しき 一 組 の 紳 士 と 婦 人 が 歩 いてやってくる そこに 突 然 急 ブレーキをかけたト ラックが 横 すべりし, 舗 道 の 縁 石 に 乗 り 上 げる するとミツバチが 巣 の 入 り 口 に 群 がるようにたちまち 群 衆 が 取 り 巻 いて 輪 を 作 り, 舗 道 の 縁 に 死 んだように 横 た わっている 男 を 見 つめる 先 ほどの 紳 士 と 婦 人 も 群 衆 の 頭 越 しに 倒 れている 男 の 様 子 を 観 察 する そのとき 婦 人 は,みぞおちあたりになにかはっきりとしない, 全 身 の 力 を 奪 うような 不 快 感 を 抱 くが, 紳 士 の 当 地 で 利 用 されている 大 型 ト ラックの 制 動 距 離 は 長 すぎるのです (MoE11)という 説 明 を 聞 いてひと 安 心 す る 彼 女 はおそらくこれまでにこの 言 葉 を 何 度 か 聞 いたことがあったが, 制 動 距 離 というものが 何 なのか 知 らなかったし, 知 ろうとも 思 わなかった この 言 葉 でこの 恐 ろしい 事 件 が 何 らかの 形 で 片 づけられて, 彼 女 にはもはや 直 接 関 係 のな い 工 学 の 問 題 に 移 ったので 満 足 した (MoE11)この 婦 人 彼 女 は 語 り 手 に よってディオティーマではないとわざわざ 断 られている は 何 か 特 別 なもの を 体 験 してしまったという 筋 の 通 らない 感 情 (Ebd.)を 抱 く しかし,だから といってその 感 情 を 生 んだ 体 験 が 何 なのかについてそれまでの 彼 女 の 生 の 記 憶 と 照 らし 合 わせて 検 証 することもないし, 制 動 距 離 という 知 識 について 理 解 しよう ともしない 彼 女 はただ 自 分 の 不 快 感 が 自 分 とは 関 係 のない 知 識 の 体 系 に 回 収 さ れたことで 満 足 するのである 333(41)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 ところで,この 場 面 で 死 んだように 横 たわる 男 性 を 目 にしたときの 紳 士 と 婦 人 の 反 応 に,ヴァルター ベンヤミンのいう 経 験 の 貧 困 化 (Erfahrungsarmut) を 指 摘 する 研 究 は 以 前 よりあった 21) ベンヤミンもやはり 経 験 と 貧 困 (1933 年 ),あるいは 物 語 作 者 (1936 年 )といったエッセイのなかで, 占 星 術 やヨ ガの 英 知,クリスティアン サイエンスや 手 相 術, 菜 食 主 義 やグノーシス 主 義 と いった 思 想 が 氾 濫 し, 知 識 が 単 なる 情 報 22) として 人 々の 間 に 浸 透 する (unter)ことなく,むしろ 人 々の 上 を(über) 23) 流 れ 去 ってしまった 結 果, 自 らの 経 験 を 物 語 る 能 力 が 乏 しくなった 第 一 次 世 界 大 戦 以 降 の 人 々の 精 神 状 況 を とりあげているからである このベンヤミンのまなざしは,ムージルが 1921 年 に 発 表 したエッセイ 精 神 と 経 験 における 一 節,つまり われわれの 精 神 状 況 を 特 徴 づけ, 規 定 しているのは,まさにもはや 制 御 できなくなった 豊 富 すぎる 内 容 だ [ ] 経 験 は 自 然 の 表 面 で 溶 けて 流 れ 出 してしまった (GW1045)という 一 節 を 想 起 させる そのことから, 両 者 の 思 想 的 な 共 通 項 を 見 出 すことは 可 能 で ある ただし,ベンヤミンにとって 経 験 とは, 物 語 作 者 というエッセイのな かで 経 験 の 貧 困 化 と 物 語 る 技 術 の 終 焉 とを 連 関 づけているところから 明 らかなよ うに, 常 にその 経 験 の 伝 達 可 能 性 が 問 題 の 中 心 となる その 一 方 でムージルは, 経 験 の 新 たな 伝 達 可 能 性 の 追 求 にそれほど 執 着 していたわけではない 彼 が 生 涯 追 い 求 めたのは,あくまでも 別 の 状 態 と 呼 ばれる 経 験 にも 回 収 できない 一 回 限 りの 神 秘 的 な 体 験 であり,それを 人 類 の 経 験 的 な 知 識 の 集 積 物 にほかなら ない 言 語 によっていかに 記 述 するかというきわめて 困 難 な 試 みであり,それゆえ 常 にユートピアであり 続 けるものであった ムージルのこうしたユートピア 的 な 21)Vgl. Hartmut Böhme: Die Zeit ohne Eigenschaften und die neue Unübersichtlichkeit. Robert Musil und die Posthistoire. In: Josef Strutz (Hrsg.): Kunst, Wissenschaft und Politik von Robert Musil bis Ingeborg Bachmann. Internationales Robert-Musil-Sommerseminar 1985 im Musil-Haus, Klagenfurt (Musil-Studien Bd. 14) München 1986, S. 9-33. 22)Walter Benjamin: Der Erzähler. In: Walter Benjamin: Medienästhetische Schriften. Mit einem Nachwort von Detlev Schöttker. Frankfurt am Main 2002, S. 132. 23)Walter Benjamin: Erfahrung und Armut. In: Walter Benjamin: Gesammelte Schriften. Bd. 2. 1. Frankfurt am Main 1991, S. 214. 333(42)
試 みについては 本 論 の 範 囲 を 越 えてしまうのでこれ 以 上 は 触 れないが, 特 性 の ない 男 のなかで, 交 通 事 故 を 目 の 当 たりにし, 特 別 なものを 体 験 したと 感 じて いたはずの 婦 人 が, 紳 士 の 知 的 な 物 言 いに 満 足 して 自 らの 感 情 をなおざりにして しまう 場 面 を 描 くことによって,ムージルは 経 験 の 伝 達 能 力 が 貧 困 化 したという 事 実 よりも,むしろ 自 らの 体 験 をこれまでの 経 験 と 連 関 づけて 理 解 しようとする 意 欲 や 力 が 弱 体 化 した 結 果, 知 識 のカオスに 安 易 に 身 をゆだねようとする 近 代 ヨーロッパ 人 の 非 合 理 的 な 精 神 状 況 を 描 くことに 力 点 を 置 いていた 彼 はロマー ンのなかでその 原 因 を 近 代 人 の 生 の 抽 象 化 に 見 ているのであるが,このこと が 何 を 意 味 しているのかを 確 認 するために, 最 後 にふたたび 特 性 のない 男 の ディオティーマのサロンに 立 ち 戻 ろう 3. 生 の 抽 象 化 本 論 の 冒 頭 で 紹 介 したように, 平 行 運 動 で オーストリアは 全 世 界 である と いういささか 飛 躍 した 主 張 を 行 ったサロンの 主 催 者 ディオティーマは, 彼 女 の 協 力 者 であるラインスドルフ 伯 爵 がときおり 狼 狽 するほど 自 由 奔 放 に 自 らの 理 想 主 義 を 振 りかざす このような 場 面 でのディオティーマの 心 理 状 況 について,ムー ジルは 特 性 のない 男 第 一 巻 第 24 章 で 次 のように 説 明 している 彼 女 は 女 医 や 社 会 福 祉 事 業 にたずさわる 女 性 がするように,いわゆる 公 務 上 の 慎 みのなさと 私 的 な 慎 み 深 さとのあいだに 一 線 を 画 していた 言 葉 が 彼 女 個 人 にあまりに 近 づ きすぎる 場 合 は,まるで 傷 口 にでも 触 れたように 敏 感 だったが, 彼 女 個 人 と 関 係 ない 場 合 は 何 でも 話 した (MoE102) 自 分 の 生 の 問 題 に 直 接 触 れることのない 事 柄 については 何 でも 話 すというディオティーマの 心 理 状 況 には, 公 務 と 私 的 な 事 柄 とのあいだの 分 離,すなわちニーチェの 言 う 外 面 のまるで 一 致 しない 内 面 と, 内 面 とまるで 一 致 しない 外 面 との 奇 妙 な 対 立 が 見 て 取 れる そのことから もわかるように,ディオティーマにとって 彼 女 の 理 想 主 義 とは, 個 人 の 生 に 根 ざ すことのない,あくまでも 知 識 としての 主 義 主 張 である すでに 確 認 したように,ディオティーマは 古 き 良 きオーストリア 文 化 を 熱 烈 に 称 揚 する ところが 実 際 のところ, 彼 女 はそれが 何 であるかよくわかってい 333(43)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 ない 彼 女 が 古 き 良 きオーストリア 文 化 と 呼 ぶものは,たとえば 宮 廷 博 物 館 に 飾 られているヴェラスケスやルーベンスの 美 しい 絵 画,ベートーヴェンが 言 ってみればオーストリア 人 も 同 然 だという 事 実,モーツァルト,ハイドン, シュテファン 寺 院,ブルク 劇 場, 伝 統 によって 重 々しくなった 宮 廷 の 儀 式, 五 千 万 もの 人 口 を 誇 る 帝 国 でもっとも 洗 練 された 洋 服 や 下 着 の 店 がひしめきあう ウィーン 第 一 区 [ ] (MoE101)といったものである つまりその 多 くが 煩 わしい 学 校 の 暗 記 事 項 (MoE102)ともいうべきとりとめもない 雑 多 な 知 識 の 集 積 である それらの 情 報 の 多 様 性 や 差 異 を, 彼 女 は 区 別 するでもなくひとまとめ に 古 き 良 きオーストリア 文 化 と 呼 ぶことで 満 足 しているのである このこと からわかるとおり, 彼 女 には 雑 多 な 知 識 を 自 らの 経 験 と 結 びつけて 整 理 し, 理 解 する 力 や 意 欲 が 失 われている その 結 果,ひとつの 大 きなよりどころ ここで は 古 き 良 きオーストリア 文 化 という 概 念 に 安 易 に 身 をゆだねようとする 近 代 人 特 有 の 傾 向 がみられるのである ディオティーマが 平 行 運 動 の 指 導 理 念 として 古 き 良 きオーストリア 文 化 を 称 揚 するとき, 実 は 彼 女 にはひそかな 動 機 が 存 在 していた つまり 夫 と 結 婚 した ものの, 夫 婦 生 活 のすべてを 彼 の 仕 事 の 合 間 の 時 間 に 組 み 入 れられてしまい, 彼 に 身 も 心 も 屈 従 させられたことによって 損 なわれてしまった 自 らの 魂 の 回 復 であ る 24) 彼 女 は 夫 とは 異 なる 文 化 的 な 教 養 を 身 につけ, 自 分 のサロンで 平 行 運 動 の 指 導 理 念 を 見 つけ 出 すことによって 夫 の 支 配 から 脱 し, 魂 の 回 復 を 得 ようとする そのために 彼 女 は 自 分 でもよくわかっていない 古 き 良 きオーストリア 文 化 を 曖 昧 なままに 称 揚 するのである このとき, 自 らの 魂 を 回 復 させたいという 彼 女 の 内 なる 動 機 と,ドイツに 対 してオーストリアの 独 自 性 を 提 示 しようとする 平 行 運 動 の 本 来 の 目 的 とのあいだには 著 しい 乖 離 がある ディオティーマが 自 らの 内 面 を 外 に 向 かって 打 ち 出 すことのないままに 古 き 良 きオーストリア 文 化 を 高 らか に 主 張 するとき,そこにはドイツ 系 民 族 と 非 ドイツ 系 民 族 の 間 の 緊 張 に 一 切 言 及 24) 平 行 運 動 に 取 り 組 むディオティーマの 物 の 見 方 は, 本 質 的 に 彼 女 の 個 人 的 な 問 題 状 況 が 影 響 を 与 えている Vgl. Barbara Neymeyr: Psychologie als Kulturdiagnose. Musils Epochenroman Der Mann ohne Eigenschaften. Heidelberg 2005, S. 374. 333(44)
しないままにオーストリアにおける 多 民 族 の 調 和 を 唱 えたバールやホーフマンス タールと 同 じ 遠 近 法 的 誤 り があるのだ 理 想 主 義 をかかげ, 古 き 良 きオーストリア 文 化 を 称 揚 するディオティーマ の 努 力 もあり, 彼 女 のサロンには 多 くの 人 々が 集 まり, 彼 女 の 評 判 も 上 がる け れども 人 々はディオティーマに 対 して 筆 舌 に 尽 くしがたい 精 神 的 な 優 美 さがあ る (MoE92)とか, われわれの 中 でもっとも 美 しく,もっとも 思 慮 深 い 女 性 だ (Ebd.),あるいは 単 純 に 理 想 の 女 性 だ! (Ebd.)と 口 々に 言 うものの, 彼 女 の 特 性 は 何 なのかとたずねても, 誰 も 満 足 のいく 答 えを 返 すことができない ましてや 彼 らは 彼 女 が 黙 する 私 的 な 事 情 など 想 像 もしない その 結 果, 彼 女 を 目 の 当 たりにしているにもかかわらず, 彼 女 の 生 の 多 様 性 は 見 落 とされ, 悟 性 に よる 遠 近 法 的 短 縮 (MoE648)によってある 一 面 だけが 抽 象 化 された 愛 の 教 育 者 (Dozentin der Liebe) (MoE92)ディオティーマとして 人 々の 前 に 姿 を 現 す の で あ る ム ー ジ ル は こ れ を 生 の 抽 象 化 (Abstraktwerden des Lebens) (MoE649)と 呼 ぶが,これはつまり 外 面 的 な 生 のありようである しかしその 遠 近 法 から 一 旦 視 線 を 外 せば, 彼 女 は 結 婚 生 活 に 幻 滅 を 感 じている ひとりの 女 性 にすぎない 実 際 のところ, 彼 女 はディオティーマですらない こ の 名 は, 世 間 の 人 々の 彼 女 に 対 する 評 判 を 聞 きつけた 主 人 公 ウルリヒが, 彼 女 を プラトンの 饗 宴 に 登 場 するマンティネイアの 女 司 祭 25) になぞらえてつけたあ だ 名 にすぎない 実 際 には 単 にヘルミーネという 名 の 中 学 校 教 師 の 娘 である 彼 女 もまた 自 分 の 行 いはどれも 結 局 は 自 分 に 触 れないのだ, 根 本 的 なところは 自 分 とはまったく 関 係 ないのだ (GW160)と 感 じている 愛 の 完 成 のクラウ ディーネのように, 内 面 と 外 面 の 不 一 致 に 苦 しみ,いつか 自 分 自 身 と 完 全 にひ とつになって 同 意 しあいたい (MoE724f.) と 感 じながらもそれが 果 たせずにい るムージルにおなじみの 女 性 登 場 人 物 の 系 譜 のひとりである それでもディオ ティーマは 一 度 だけ, 自 らの 内 面 と 外 面 の 不 一 致 を 自 覚 しながら 自 らの 内 なる 動 25)プラトンの 饗 宴 におけるディオティーマの 形 象 は, 同 時 にドイツの 詩 人 ヘル ダーリンの ヒュペーリオン に 登 場 する 主 人 公 の 恋 人 ディオティーマも 想 起 させ る Vgl. Helmut Arntzen: Musil Kommentar zum Roman Der Mann ohne Eigenschaften München 1982, S. 164. 333(45)
武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 第 43 巻 第 2 号 機 にまかせて 自 らの 魂 と 公 務 である 平 行 運 動 との 合 一 を 模 索 したことがある それが 冒 頭 に 述 べたように,プロイセン 人 であるアルンハイムをオーストリアの 愛 国 運 動 にほかならない 平 行 運 動 に 引 き 入 れたときのことである ただしこの 行 動 には 一 定 の 制 約 があった ムージルはこのときのディオティーマの 心 理 状 況 に ついて 次 のように 説 明 している 彼 女 は 当 時 すでにアルンハイムに 恋 をしてい た 彼 は 合 間 を 見 つけては 彼 女 のところに 数 回 会 いに 来 ていた けれども 彼 女 に は 経 験 がなかったので, 自 分 の 感 情 の 性 質 について 何 もわかっていなかった [ ]ディオティーマは 慎 重 さに 慣 れ, 生 涯 けっして 自 分 をさらけ 出 すことはあ るまいと 考 えていたので,この 親 密 さはあまりに 唐 突 過 ぎるように 思 われた そ こで 彼 女 は 非 常 に 偉 大 な 感 情 を, 実 にまったくもって 偉 大 な 感 情 を 動 員 せざるを 得 なかった ではそんな 感 情 がもっとも 容 易 に 見 つかるのはどこだろう? 世 の 中 の 誰 もが 当 然 そこにあると 思 っているところ,すなわち 歴 史 的 な 出 来 事 の 中 で ある 平 行 運 動 はディオティーマとアルンハイムにとって,ますます 膨 れ 上 がる 魂 の 交 流 の 安 全 地 帯 だった (MoE168)ディオティーマはアルンハイムと 恋 に 落 ちるという 体 験 をするが, 知 識 こそあれ 経 験 が 不 足 していた 彼 女 は,その 体 験 を 適 切 に 自 らの 生 の 連 関 に 置 くすべを 知 らない そのため 結 局 彼 女 は 理 想 主 義 に 燃 える 愛 の 教 育 者 という 抽 象 化 された 自 らの 生 の 役 割 に 身 をゆだねたまま,アル ンハイムがオーストリアにとって 必 要 であると 論 理 をすりかえることで 解 決 をは かろうとする その 結 果, 友 人 の 不 手 際 にひどく 驚 かされたラインスドルフ 伯 爵 を 説 得 するために 真 のオーストリアは 世 界 である というさらに 論 理 の 飛 躍 し た 主 張 をすることで 説 き 伏 せることになるのである 愛 国 運 動 の 第 一 回 大 会 議 が まさにはじまろうとするときにアルンハイムを 参 加 させるという 非 合 理 的 な 状 況 によって, 平 行 運 動 はまさに 出 鼻 をくじかれてしまう 結 局 のところ 本 来 求 めて いた 指 導 理 念 はまるで 見 つからず, 次 第 に 不 満 と 行 動 による 解 決 を 望 む 声 が 大 き くなりはじめ, 最 終 的 に 平 行 運 動 は 単 なるから 騒 ぎの 場 と 化 してしまう そのた め 主 人 公 のウルリヒは 平 行 運 動 からも 世 間 からも 身 を 引 き, 妹 のアガーテととも に 別 の 状 態 という 体 験 の 記 述 という 可 能 的 なものの 限 界 への 旅 (MoE761)を 行 うことになるのであるが,その 背 景 にディオティーマがとらわれ, 非 合 理 的 な 333(46)
行 為 へと 向 かわざるを 得 なかった 第 一 巻 の 舞 台 である 抽 象 化 された 生 の 世 界 を 指 摘 しておくことは 重 要 であろう * 本 稿 は, 日 本 独 文 学 会 2010 年 度 秋 季 研 究 発 表 会 (2010 年 6 月 15 日, 千 葉 大 学 )に おける 口 頭 発 表 経 験 の 貧 困 と 生 の 抽 象 化 ムージルの 特 性 のない 男 と オー ストリア 性 をめぐる 議 論 について で 用 いた 発 表 原 稿 に, 加 筆 修 正 をほどこした ものである 333(47)