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関 東 大 震 災 後 の 寺 院 の 経 営 と 再 建 Financial management and reconstruction of Buddist temples after the Great Kanto Earthquake 東 京 理 科 大 学 総 合 研 究 機 構 火 災 科 学 研 究 センターPD 研 究 員 田 中 傑 TANAKA Masaru 1 はじめに 1) 研 究 の 背 景 と 目 的 わが 国 では 明 治 維 新 以 降 宗 教 組 織 による 土 地 の 所 有 や 処 分 に 様 々な 規 制 が 課 せら れた 後 述 する 上 知 令 は 寺 院 による 土 地 所 有 を 否 定 したし 廃 仏 毀 釈 のなかで 実 体 を 失 った 寺 院 は 廃 止 され i その 土 地 建 物 什 器 は 処 分 されてしまった ii また 寺 院 の 創 立 や 復 興 復 旧 は 基 本 的 には 全 面 禁 止 とされ iii 官 有 民 寺 ) 有 とを 問 わず iv 境 内 地 とされた 土 地 の 地 目 や 境 域 を 変 更 すること v や 境 内 地 を 宗 教 活 動 と 無 関 係 な 用 途 に 供 すること vi が 禁 止 された このような 宗 教 組 織 の 土 地 所 有 土 地 経 営 に 対 する 各 種 の 厳 しい 制 限 は 大 正 時 代 に 入 るとやや 緩 和 され 例 えばそれまで 厳 しい 規 制 がかけられていた 境 内 地 の 縮 減 も 寺 院 仏 堂 ノ 意 ニ 反 しなければ 認 められるようになり vii 昭 和 14 年 に 制 定 された 宗 教 団 体 法 1939 年 4 月 法 律 第 77 号 )は 宗 教 組 織 の 経 営 に 関 して 自 主 性 裁 量 性 を 容 認 するに 至 った viii 本 論 文 はそうした 状 況 下 でおとずれた 大 正 末 期 から 昭 和 初 期 にかけてのいわゆる 帝 都 復 興 期 における 東 京 の 寺 院 を 取 り 上 げ 関 東 大 震 災 による 施 設 の 喪 失 という 苦 境 に 遭 遇 したそれら 寺 院 がどのような 経 営 的 判 断 を 通 じて 施 設 の 復 興 を 遂 げたのかを 解 明 することを 目 的 する 2) 研 究 の 方 法 本 研 究 では 寺 院 施 設 の 復 興 過 程 や 復 興 した 施 設 の 実 態 を 把 握 するため ケーススタ ディをおこなった ケーススタディの 対 象 は 寺 院 の 経 営 資 源 たる 境 内 地 や 墓 地 の 規 模 そして 境 内 地 や 墓 地 の 構 成 を 規 定 した 子 院 塔 頭 の 数 に 着 目 し 1) 単 独 で 大 規 模 な 境 内 地 墓 地 を 有 していた 寺 院 2) 多 数 の 子 院 塔 頭 の 一 つとして 小 規 模 な 境 内 地 墓 地 を 有 し 大 寺 に 連 なっていた 寺 院 3) 前 者 ほど 多 数 ではないが 複 数 の 子 院 塔 頭 の 一 つとして 小 規 模 な 境 内 地 墓 地 を 有 し 大 寺 に 連 なっていた 寺 院 からそれぞれ 選 定 した 利 用 した 主 な 資 料 は 東 京 都 公 文 書 館 所 蔵 の 旧 東 京 府 学 務 部 社 寺 兵 事 課 文 書 以 下 公 文 書 ) 地 籍 図 地 籍 台 帳 1912 年 および 1930 年 代 の 2 時 点 ) 帝 都 復 興 区 画 整 理 誌 第 3 編 各 説 1 巻 第 3 巻 である 3) 用 語 の 定 義 1

a. 寺 院 の 土 地 利 用 に 関 する 用 語 本 論 では 当 時 の 呼 称 に 従 って 境 内 地 や 墓 地 という 言 葉 を 用 いている 現 代 の 語 感 では 境 内 地 とは 伽 藍 のある 土 地 と 墓 地 とを 併 せたものであるが 当 時 は 伽 藍 の ある 土 地 と 墓 地 とのあいだで 所 有 者 や 管 理 者 が 異 なっている 場 合 が 多 かった 次 章 参 照 )ため 伽 藍 のある 土 地 のみが 境 内 地 と 呼 ばれ そこに 墓 地 は 含 まれていなかった b. 換 地 減 歩 社 会 基 盤 の 整 備 手 法 として 土 地 区 画 整 理 事 業 というものがある これはあるエリア を 区 切 り そこに 道 路 や 公 園 学 校 その 他 の 都 市 施 設 を 新 たに 整 備 する 際 に 必 要 と なる 土 地 を エリア 内 に 所 有 権 や 借 地 権 を 有 する 関 係 者 から 少 しずつ 提 供 してもらう 仕 組 みである 従 来 権 利 を 有 していた 土 地 から 一 定 割 合 を 提 供 した 上 で 新 たに 交 付 される 土 地 および 交 付 されること)を 換 地 一 定 割 合 の 土 地 を 提 供 したことで 元 の 土 地 から 面 積 が 減 ることを 減 歩 減 った 面 積 の 元 の 土 地 面 積 に 対 する 比 率 を 減 歩 率 と いう 帝 都 復 興 期 になされたいわゆる 帝 都 復 興 区 画 整 理 事 業 では 一 割 を 越 える 減 歩 に 対 しては 補 償 がなされた 2 国 有 境 内 地 問 題 と 東 京 の 都 市 計 画 1) 国 有 境 内 地 問 題 のはじまり 明 治 維 新 後 政 府 は 1871 年 と 1875 年 に 社 寺 境 内 地 を 官 有 地 に 編 入 する 措 置 をとっ た ix 社 寺 境 内 地 はもともと 国 有 地 と 同 様 の 性 格 にあり 大 名 における 版 籍 奉 還 と 同 様 に 社 寺 の 土 地 の 知 行 権 を 取 り 上 げるというのが 政 府 側 の 論 理 であった x また 寺 院 付 属 の 墓 地 は 共 葬 地 として 地 方 自 治 体 の 所 有 xi となった 国 有 境 内 地 や 寺 院 付 属 墓 地 の 返 還 を 求 める 声 はその 直 後 から 上 がり 明 治 30 年 代 に かけての 一 時 期 に 境 内 地 や 墓 地 の 無 償 下 げ 渡 し 返 還 )が 実 施 されていた xii が やが て 中 止 され 以 後 政 府 側 と 寺 院 側 の 論 争 が 長 く 続 いた 耕 地 整 理 法 1899 年 3 月 法 律 第 82 号 )の 第 3 条 が 社 寺 境 内 地 の 耕 地 整 理 地 区 への 編 入 を 原 則 的 に 制 限 していたこと 国 有 財 産 法 1921 年 4 月 法 律 第 43 号 )の 審 議 に 際 して 政 府 委 員 が 国 有 境 内 地 は) 私 有 地 と 違 って 課 税 されない xiii 国 有 境 内 地 であることは ) 境 内 地 の 所 有 権 )を 寺 院 に 交 付 して 貴 重 な 財 産 を 失 うよりも 安 全 xiv であると 主 張 したこといずれもカッコ 内 筆 者 補 足 )をみると 政 府 側 は 社 寺 境 内 地 を 公 共 性 公 益 性 の 観 点 から 保 全 すべき 空 間 であると 考 え 父 権 主 義 的 な 姿 勢 を 取 っていたと 解 釈 できる 2) 国 有 境 内 地 問 題 と 帝 都 復 興 事 業 の 成 否 この 父 権 主 義 的 な 統 制 は 本 論 冒 頭 で 触 れたように 大 正 初 年 になってやや 緩 和 された が 帝 都 復 興 区 画 整 理 に 際 して 改 めて 大 きな 問 題 となった 特 別 都 市 計 画 法 1923 年 xv 12 月 法 律 第 53 号 )の 第 3 条 は... 耕 地 整 理 法 第 四 十 三 条 ノ 規 定 ニ 拘 ラス 建 物 あ る 宅 地 を 土 地 区 画 整 理 施 行 地 区 に 編 入 できるとしたが この 特 例 に 社 寺 境 内 地 墳 墓 地 が 含 まれていなかった xvi 寺 院 側 がこれを 盾 に 区 画 整 理 への 参 加 を 拒 んだところ 東 京 の 下 町 とくに 浅 草 区 や 下 谷 区 のように 境 内 地 や 墓 地 が 広 い 面 積 を 占 めていたエ リアにおいて 区 画 整 理 によって 強 制 的 に 参 加 させられる 市 民 が 社 寺 に 対 して 不 公 平 感 をもったのである また 国 復 興 局 )や 東 京 市 は 寺 院 を 郊 外 へ 移 転 させ その 境 2

内 地 や 墓 地 の 跡 地 を 道 路 や 公 園 表 1 帝 都 復 興 区 画 整 理 地 区 内 における 境 内 地 と 墓 地 の の 用 地 に 充 当 することで 一 般 の 所 有 区 分 宅 地 からの 減 歩 を 少 なくて 済 ま せようと 考 え 始 めていた そこで 曲 折 を 経 て 特 別 都 市 計 画 法 区 域 内 ニ 於 ケル 寺 院 ノ 国 有 境 内 地 譲 与 等 ニ 関 スル 件 1925 年 3 月 法 律 第 4 号 )が 寺 院 若 ハ 仏 堂 ノ 境 内 地 と 墳 墓 地 の 土 地 区 画 整 理 地 区 への 編 入 を 認 め 第 3 条 ) xvii かりに 1928 年 8 月 31 日 までに 旧 境 内 地 の 換 地 先 以 外 に 移 転 した 場 合 その 換 地 国 有 地 )を 寺 院 に 対 して 無 償 譲 与 する 第 1 条 )ことによって 寺 院 の 郊 外 移 転 を 促 進 することが 法 制 化 された 墓 地 に ついても 1925 年 5 月 に 東 京 市 墓 地 改 葬 規 則 を 改 正 し 一 部 を 改 葬 した 場 合 でも 跡 地 の 無 償 譲 与 を 認 めることとした xviii これにより 明 治 以 来 続 いてきた 境 内 地 と 墓 地 の 所 有 権 をめぐる 争 いが 解 決 をみた 3) 国 有 境 内 地 問 題 の 実 像 とケーススタディ 対 象 以 上 寺 院 の 境 内 地 および 墓 地 の 所 有 権 をめぐる 国 と 寺 院 側 との 争 いを 東 京 の 近 代 都 市 計 画 に 関 わる 部 分 を 中 心 に 記 述 した この 記 述 はもちろん 真 実 であるが 東 京 と 横 浜 の 帝 都 復 興 区 画 整 理 地 区 内 における 境 内 地 と 墓 地 の 所 有 区 分 をみると 境 内 地 に 関 しては 寺 院 数 ベース 面 積 ベースともに 寺 有 が 国 有 の 2 倍 強 また 墓 地 に 関 しても 寺 有 が 市 有 の 1.2 倍 であったと 記 録 されている 表 1 xix ) つまり 明 治 初 年 に 上 知 さ れた 境 内 地 と 墓 地 がその 後 徐 々に 返 還 された 結 果 大 正 末 年 時 点 では 国 有 境 内 地 と 市 有 共 葬 地 を 抱 えていた 寺 院 が 多 数 派 ではなくなっていたのである この 点 を 考 えると 国 有 境 内 地 に 対 する 換 地 )が 無 償 譲 与 されるメリットを 享 受 できた 寺 院 は 少 数 派 で 多 くは 大 したメリットもなく 区 画 整 理 に 参 加 させられていた 可 能 性 が 高 い 本 論 文 のケーススタディで 取 り 上 げた 寺 院 も 墓 地 はすべて 市 有 共 葬 地 )であっ たが 境 内 地 は 日 輪 寺 の 境 内 地 のみが 国 有 で 他 は 寺 有 であった 日 輪 寺 以 外 の 寺 院 には 区 画 整 理 に 参 加 しても 国 有 境 内 地 の 無 償 譲 与 というメリットがなかったこと になる そうしたなか これら 各 寺 院 が 区 画 整 理 という 大 波 をどのように 捉 えて 復 興 を 遂 げていったのか 以 下 順 に 見 ていきたい 3 日 輪 寺 の 再 建 過 程 1) 罹 災 時 の 状 況 日 輪 寺 罹 災 当 時 東 京 市 浅 草 区 芝 崎 町 22 番 地 所 在 )は 時 宗 の 寺 院 で 1912 年 時 点 の 地 籍 台 帳 地 籍 図 図 1)によれば 寺 有 宅 地 として 芝 崎 町 20 番 地 49.35 坪 )お よび 同 24 番 地 164.39 坪 地 籍 図 には 日 輪 寺 塔 頭 の 宝 珠 院 が 記 載 )を 所 有 していた が 境 内 地 22 番 地 )と 墓 地 23 番 地 )は 官 有 であった xx 同 寺 で 罹 災 時 に 土 蔵 造 ノ 観 音 堂 ノ 一 宇 ヲ 除 キ 他 ノ 全 建 築 物 を 焼 失 してしまったという xxi 2) 再 建 方 法 の 模 索 3

図 1 1912 年 当 時 の 地 籍 図 図 2 第 38 地 区 現 況 図 部 分 ) 図 3 1922 年 当 時 の 鳥 瞰 写 真 図 4 第 38 地 区 換 地 位 置 決 定 図 部 分 ) 黒 線 は 地 割 り 数 字 は 地 番 ) 同 寺 の 敷 地 は 罹 災 時 点 は 表 通 りから 路 地 で 奥 に 入 ったところにあったが 帝 都 復 興 区 画 整 理 事 業 において 道 路 網 が 整 備 され それにともなって 街 区 の 形 状 が 大 きく 変 更 された 同 寺 の 東 方 図 2 および 図 4 の 右 方 )においてクランク 状 に 屈 曲 していた 幅 員 9-11m の 道 が 幅 員 33m へと 拡 幅 され まっすぐになり 幹 線 街 路 第 5 号 線 現 在 の 通 称 国 際 通 り ) 同 時 に 幅 員 6-8m の 区 画 整 理 街 路 も 整 備 された 同 寺 の 再 建 は こうした 敷 地 周 辺 の 環 境 変 化 を 踏 まえて 行 われることとなった 同 寺 は 東 京 府 知 事 に 対 して 1928 年 6 月 12 日 付 で... 今 般 特 別 都 市 ママ) 区 画 整 理 ノ 為 道 路 ノ 境 内 ヲ 貫 通 シ 又 従 来 ノ 山 門 前 ノ 道 路 註 図 2 左 ) 中 22 番 地 に 向 かって 南 北 に 走 る 路 地 図 3 の 鳥 瞰 写 真 も 参 照 のこと)ノ 除 去 セラレテ 地 理 上 ノ 不 便 ヲ 生 ジ 且 檀 信 徒 及 寺 有 財 産 等 モ 僅 少 ニシテ 将 来 何 等 ノ 社 会 教 化 事 業 ヲ 為 ス 見 込 無 之 加 之 現 状 ニテハ 到 底 其 ノ 復 興 ノ 見 込 相 立 タ ないため 22 番 地 から 23 番 地 墓 地 があった 場 所 )への 寺 院 移 転 願 を 提 出 した 同 願 には 23 番 地 にあった 墓 地 を 改 葬 し 該 墓 地 跡 地 ヲ 東 京 市 ヨリ 無 償 ニテ 下 附 された 後 にそこに 境 内 地 を 移 した 上 で 現 官 有 境 内 地 註 22 番 地 )ヲ 無 償 ニテ 譲 与 ヲ 受 ケ 従 来 所 有 していた 約 三 百 坪 ノ 寺 有 宅 地 xxii とともに 賃 貸 経 営 をおこ 4

なえば 再 建 及 維 持 ヲ 計 リ 将 来 ノ 活 動 ニ 備 ヘ られるという 考 えが 示 されている 図 5 敷 地 計 画 図 移 転 願 ) 図 6 敷 地 現 況 図 明 細 帳 ) xxiii これは 単 なる 復 興 方 針 ではなく 復 興 後 を 見 据 えた 長 期 経 営 方 針 とでも 呼 ぶべ きものであろう ここで 興 味 深 いのは この 方 針 を 正 当 化 するために 展 開 される 寺 の 経 済 基 盤 を 強 固 にすることが 将 来 の 活 動 = 社 会 教 化 事 業 への 従 事 を 可 能 にする とい う 論 理 である 仏 教 関 係 者 は 明 治 以 降 縮 小 していた 社 会 教 化 の 必 要 性 を 強 く 意 識 して いた 3) 再 建 計 画 の 実 施 と 境 内 地 の 経 営 1928 年 7 月 14 日 東 京 市 は 東 京 府 学 務 部 長 に 対 し 墓 地 改 葬 跡 地 ニ 関 スル 件 回 答 xxiv を 発 し 23 番 地 の 改 葬 跡 地 が 市 参 事 会 ノ 議 決 ヲ 経 所 轄 税 務 署 ノ 地 目 変 換 ヲ 了 シ 下 付 手 続 中 であることを 報 告 した この 報 告 を 受 け 同 年 8 月 23 日 府 知 事 は 日 輪 寺 の 22 番 地 から 23 番 地 への 移 転 を 許 可 した xxv これにより 特 別 都 市 計 画 法 区 域 内 ニ 於 ケル 寺 院 ノ 国 有 境 内 地 譲 与 等 ニ 関 スル 件 前 出 )の 第 1 条 が 定 めた 同 年 8 月 31 日 までに 旧 境 内 地 の 換 地 先 以 外 へ 移 転 した 場 合 の 同 換 地 の 無 償 譲 与 が 実 現 することとな った その 後 同 寺 は 23 番 地 の 南 半 分 に 本 堂 と 庫 裡 を 建 設 し 始 め 1 年 半 後 の 1930 xxvi 年 5 月 に 竣 工 同 年 6 月 30 日 付 で 移 転 完 了 届 xxvii が 提 出 された かつて 提 出 された 移 転 願 に 添 付 された 敷 地 計 画 図 図 5)と 明 細 帳 に 添 付 された 敷 地 現 況 図 図 6)とを 比 較 すると 本 堂 の 西 方 正 面 には 向 拝 部 分 を 付 加 し 庫 裡 は 平 面 計 画 を 変 更 しながらその 東 側 部 分 に 書 院 を 附 置 するように それぞれ 改 められたこ と そして 本 堂 や 庫 裡 が 新 境 内 地 であ る 23 番 地 から 旧 境 内 地 である 22 番 地 へと 突 出 する 格 好 で 建 てられたことが 判 る 図 7 復 興 後 の 日 輪 寺 周 辺 5

再 建 後 の 境 内 地 22 番 地 )は 日 輪 寺 所 有 で 402.78 坪 墓 地 特 設 墓 地 )201 坪 ま 表 2 日 輪 寺 の 土 地 所 有 土 地 利 用 の 状 況 た 境 外 所 有 地 は 1,401.58 坪 うち 262.53 坪 が 旧 来 からの 所 有 で のこり 1,139.05 坪 は 大 蔵 省 東 京 市 ヨリ 無 償 譲 与 又 ハ 無 償 下 附 セラレタルモノ であった xxviii 表 2) 同 寺 が 移 転 した 墓 地 跡 地 23 番 地 一 部 飛 び 地 状 に 換 地 )には 本 堂 庫 裡 特 設 墓 地 xxix のほか タクシー 会 社 や 住 宅 xxx が 旧 所 在 地 の 22 番 地 には 住 宅 やホテルその 他 本 堂 や 庫 裡 の 一 部 が 23 番 地 側 から 突 出 )が そして 20 番 地 と 24 番 地 従 来 からの 寺 有 宅 地 )にも 住 宅 が それぞれ 立 ち 並 んでいた 図 7) 日 輪 寺 の 復 興 戦 略 を 端 的 にい えば 寺 が 境 内 や 墓 地 として 利 用 する 土 地 の 面 積 を 狭 め そこで 賃 貸 経 営 を 始 め 宗 教 活 動 の 新 たな 基 盤 としたのである xxxi 区 画 整 理 後 に 新 しい 地 番 が 付 けられた 際 旧 23 番 地 は 境 内 地 部 分 と 墓 地 とで 地 番 が 分 けられ 地 目 も 前 者 46 番 地 )が 宅 地 後 者 45 番 地 )が 墓 地 とされた xxxii 地 目 を 地 租 の 軽 い 境 内 地 としなかったのは 将 来 的 な 自 由 度 の 確 保 にあったのかも 知 れな い 再 び 寺 院 明 細 帳 をみると 1930 年 6 月 時 点 での 檀 家 は 300 戸 信 徒 は 12 名 とされ ている 実 は 先 に 引 用 した 移 転 願 のなかには 檀 家 三 百 五 十 余 戸 あるという 記 述 がある 移 転 願 は 寺 院 の 財 政 的 裏 付 けを 立 証 する 必 要 があるから 明 細 帳 との 差 50 戸 余 )は 誇 張 に 因 るのかも 知 れない しかし これが 実 際 に 起 きた 檀 家 の 減 少 を 反 映 したものだとしたら 経 営 基 盤 を 強 化 するために 土 地 の 賃 貸 経 営 に 重 点 をおい た 寺 の 選 択 は 正 しかったといえよう 4 築 地 本 願 寺 子 院 敬 覚 寺 真 龍 寺 宝 林 寺 )の 再 建 過 程 1) 罹 災 時 の 状 況 xxxiii 築 地 本 願 寺 は 震 災 当 時 56 の 子 院 を 擁 しており 震 災 ではそれら 全 てが 焼 失 し た 図 8) 敬 覚 寺 真 龍 寺 宝 林 寺 の 3 ヶ 寺 罹 災 当 時 順 に 東 京 市 京 橋 区 築 地 3 丁 目 115 番 地 同 104 番 地 同 98 番 地 に 所 在 以 下 総 称 する 際 は 3 ヶ 寺 と 略 す) は 子 院 群 の 南 東 に 位 置 地 割 上 東 組 と 称 した xxxiv )していて いずれも 境 内 地 前 出 )は 寺 有 墓 地 順 に 東 京 市 京 橋 区 築 地 3 丁 目 116 番 地 同 105 番 地 同 99 番 地 ) は 市 有 であった 図 9 3 ヶ 寺 の 位 置 は 図 8 中 の 黒 枠 部 分 を 参 照 ) 墓 地 は 敬 覚 寺 管 理 のものは 東 組 の 通 り 近 くに 真 龍 寺 と 宝 林 寺 の 管 理 のものは 境 内 地 の 裏 手 にそれぞれ 6

位 置 していた 2) 再 建 方 法 の 模 索 図 8 1908 年 現 在 の 境 内 図 左 ) 図 9 1912 年 当 時 の 地 籍 図 右 ) 震 災 後 築 地 本 願 寺 一 帯 には 幹 線 街 路 第 5 号 現 在 の 通 称 新 大 橋 通 り)と 幹 線 街 路 第 4 号 同 晴 海 通 り) その 他 の 区 画 整 理 街 路 の 敷 設 が 計 画 された 図 10 図 11) 区 画 整 理 事 業 が 進 捗 するなか 3 ヶ 寺 は 1926 年 2 月 寺 院 移 転 並 土 地 売 買 許 可 願 を 府 知 事 に 提 出 した それ によれば 許 可 願 提 出 の 理 由 は 1)... 多 額 ナル 復 興 資 ノ 醵 出 ニ 堪 ヘ 難 キ 事 情 有 之 候 折 柄 偶 々 大 正 拾 四 年 五 月 拾 弐 日 発 布 東 京 ) 市 規 則 第 七 一 号 ニヨリ 東 京 市 内 墳... 墓 改 葬 ヲ 強 要 セラレ カッコ 内 傍 点 筆 者 )たため 2)この 移 転 が 3 ヶ 寺 の 復 興 ト 共 ニ 周 辺 の) 区 画 整 理 ノ 一 助 にもなるた め 3) 移 転 候 補 地 が 図 10 第 22 地 区 現 況 図 部 分 ) 図 11 同 換 地 位 置 決 定 図 部 分 ) * 厳 ノ 境 地 ニシテ 教 化 ノ 上 ニ 於 テ 墓 地 設 置 ノ 上 ニ 於 テ 好 適 地 であったためと 記 されている 一 文 字 判 読 不 能 ) そして この 移 転 と 墓 地 の 改 葬 とは 前 記 表 示 ノ 土 地 註 旧 境 内 地 )ヲ 売 買 シ 其 ノ 売 却 資 金 ヲ 以 テ おこなわれる 算 段 であった この 許 可 願 には 移 転 予 定 地 である 東 京 府 北 豊 島 郡 石 神 井 村 大 字 谷 原 字 北 原 1907 番 地 と 1914 番 地 を 共 同 で 所 有 する 羽 田 ゑん 織 田 らく 中 村 助 三 郎 の 3 名 がこ 7

の 土 地 を 坪 8 円 で 3 ヶ 寺 に 売 却 することに 同 意 連 署 した 土 地 売 却 承 諾 書 1925 年 12 月 付 )が 添 付 されていた xxxv この 3 名 はそれぞれ 3 ヶ 寺 の 関 係 者 であったと 推 察 される というのも 羽 田 は 宝 林 寺 住 職 の 大 江 超 賢 当 時 敬 覚 寺 と 兼 務 )とは 異 姓 であるが 承 諾 書 によればその 住 所 は 宝 林 寺 の 所 在 地 であったし 織 田 は 真 龍 寺 住 職 の 織 田 西 真 と 同 姓 で 住 所 も 真 龍 寺 の 所 在 地 で 中 村 については 敬 覚 寺 の 檀 家 総 代 と 明 記 されていたからである 都 心 部 での 区 画 整 理 の 遅 延 によって 郊 外 の 地 価 が 高 騰 して いた 当 時 3 ヶ 寺 の 意 を 受 けた 3 名 が 行 政 や 檀 家 との 時 間 のかかるやり 取 りに 先 んじ て 移 転 用 地 をとりあえず 確 保 したものと 解 釈 できよう 3 名 による 土 地 の 購 入 は 1925 年 11 月 20 日 付 け xxxviであった 以 上 のように 3 ヶ 寺 の 再 建 構 想 は まず 関 係 者 に 移 転 用 地 を 先 行 取 得 させ その 後 旧 境 内 地 と 払 い 下 げられた 改 葬 跡 地 とを 売 却 して 得 たお 金 で 先 行 取 得 した 移 転 用 地 を 関 係 者 から 譲 り 受 けて 郊 外 に 移 転 するというものであった この 許 可 願 には 東 京 府 北 豊 島 郡 石 神 井 村 大 字 谷 原 字 北 原 千 九 百 七 番 千 九 百 十 四 番 実 測 図 図 12 以 下 実 測 図 )も 添 付 されていた 実 測 図 をみると 予 定 地 の 東 から 西 へ 順 に 真 龍 寺 宝 林 寺 敬 覚 寺 が 南 北 に 細 長 い 敷 地 で 並 び 3 ヶ 寺 の 北 方 と 西 方 には 羽 田 織 田 中 村 の 共 有 地 たる 畑 が 広 がっていた この 実 測 図 は 境 内 地 および 墓 地 の 建 設 予 定 図 でもあり 境 内 地 と 墓 地 の 面 積 が 記 入 されている 3) 移 転 先 での 反 対 運 動 この 計 画 に 対 して 移 転 先 の 地 元 から 反 対 の 声 があがった 北 豊 島 郡 長 xxxviiは 1926 年 2 月 22 日 付 で 府 知 事 宛 に... 本 件 ハ 単 ナル 寺 院 移 転 並 土 地 売 買 ノミ 無 之 墓 地 設 置 ニ ママ) 伴 フコトヲ 御 考 慮 ノ 内 ニ 加 ヘラレ 御 処 理 相 成 候 様 致 度... xxxviiiと 憂 慮 の 念 を 伝 えた 東 京 府 側 ではその 文 書 の 欄 外 に 本 件 ハ 墓 地 出 願 ヲ 俟 テ 処 理 相 成 可 然 哉 と メモ 書 きしている そして 半 年 が 経 過 した 同 年 9 月 4 日 今 度 は 東 京 府 学 務 部 長 から 北 豊 島 郡 石 神 井 村 長 宛 xxxixに 一 本 件 移 転 先 地 ニ 於 テ 反 対 有 之 ヤニ 及 聞 候 ガ 其 ノ 後 ノ 状 況 如 何 二 寺 院 移 転 先 地 ハ 境 内 地 トシテ 適 当 ノ 地 ナリヤ 三 買 入 土 地 価 格 ハ 時 価 相 当 ノモノナリヤ という 照 会 がなされた xl これは 地 元 での 反 対 運 動 については 府 衛 生 課 がすでに 調 査 をしていて 本 照 会 はその 後 の 状 況 を 知 るためのものであった 照 会 への 回 答 が 遅 れ たため 同 年 10 月 21 日 付 で 再 度 の 照 会 がなされている xli これに 対 し 村 長 xliiは 同 年 10 月 26 日 付 で 次 のように 回 答 した xliii 図 12 移 転 予 定 地 の 実 測 図 図 の 下 方 向 が 北 8 ) 図 13 移 転 後 の 3 ヶ 寺 周 辺 の 地 形 図

一 本 件 ハ 移 転 先 地 ニ 於 テ 反 対 有 之 事 ハ 本 年 三 月 十 一 日 付 発 第 四 七 一 号 申 請 ノ 通 リ ニシテ 其 后 状 況 緩 和 セルヲ 認 メス 二 寺 院 移 転 先 地 ハ 境 内 地 トシテ 不 適 当 ト 認 メス 事 由 墓 地 設 置 及 管 理 規 則 第 三 条 第 一 ニ 触 レス 第 二 高 燥 ナラサルモ 低 地 ニアラス 飲 用 水 ニ 関 係 ナキモノト 認 ム 第 三 風 致 及 公 衆 衛 生 ニモ 支 障 ナキモノト 認 ム 三 買 入 土 地 価 格 ハ 時 価 五 円 乃 至 七 円 ヲ 適 当 ト 認 ム 以 上 村 長 は 反 対 の 声 が 根 強 いことを 伝 えながらも 移 転 先 地 ハ 境 内 地 トシテ 不 適 当 ト 認 メス というだけで 強 い 姿 勢 には 出 ていない 結 局 同 年 12 月 13 日 付 で 3 ヶ 寺 の 東 京 府 北 豊 島 郡 石 神 井 村 大 字 谷 原 字 北 原 1907 番 地 敬 覚 寺 と 宝 林 寺 )と 同 1914 番 地 真 龍 寺 )への 移 転 が 許 可 された xliv 但 し この 許 可 文 書 には... 移 転 先 地 ニ 於 テ 墓 地 設 置 ニ 反 対 有 之 仰 裁 遅 延 セルモノナレトモ 今 後 出 願 墓 地 ノ 形 状 ヲ 換 ヘ 許 可 ノ 方 針 ニテ 別 途 衛 生 課 ヨリ 伺 上 ニ 付 本 件 モ 同 時 ニ 許 可 セムトスルモノナリ という 備 考 が 付 されており 移 転 許 可 を 墓 地 の 出 願 にあわ せて 遅 らせたこと 反 対 の 声 を 慮 って 墓 地 の 形 状 を 変 更 させたことが 窺 える この 変 更 は 如 何 なるものであったのか 先 述 の 実 測 図 当 初 の 敷 地 計 画 図 図 12)と 明 細 帳 の 記 述 とでは 敬 覚 寺 の 墓 地 150 坪 100 坪 )と 宝 林 寺 の 墓 地 200 坪 100 坪 )が 縮 小 されていた ただ 実 施 図 面 が 見 当 たらなかったため 形 状 の 変 更 状 況 は 不 明 である 地 形 図 図 13)では 実 測 図 での 敬 覚 寺 境 内 予 定 地 附 近 に 墓 石 の 記 号 が 逆 に 墓 地 予 定 地 附 近 に 建 物 が 描 かれている 実 測 図 敷 地 計 画 図 ) に おいても 3 ヶ 寺 の 西 側 に 畑 が 存 置 されていたことを 考 慮 すると 敷 地 の 西 方 附 近 から 反 対 の 声 が 起 っていた 可 能 性 が 指 摘 できる なお 宝 林 寺 の 檀 家 は 250 戸 で 敬 覚 寺 65 戸 )の 4 倍 弱 もあり これが 当 初 計 画 において 宝 林 寺 の 墓 地 が 他 よりも 大 きく 設 定 さ れていた 一 番 の 理 由 と 考 えられる 4) 再 建 計 画 の 実 施 と 周 辺 への 影 響 許 可 がおりてから 半 年 後 の 1927 年 6 月 13 日 移 転 先 の 土 地 を 共 有 していた 3 名 の うち 敬 覚 寺 の 檀 家 総 代 を 務 めていた 中 村 助 三 郎 の 持 ち 分 を 敬 覚 寺 の 住 職 大 江 超 賢 が 引 き 継 いだ さらに 1 年 後 の 1928 年 6 月 13 日 には 1907 番 地 全 体 を 宝 林 寺 の 所 在 地 に 住 所 があった 羽 田 ゑんが 単 独 で 同 月 18 日 には 1914 番 地 を 真 龍 寺 の 所 在 地 に 住 所 があり 住 職 と 同 じ 姓 をもっていた 織 田 らくが 単 独 で それぞれ 取 得 した xlv 前 者 は 1930 年 5 月 20 日 に 宝 林 寺 の 後 者 は 1928 年 7 月 19 日 に 真 龍 寺 の 所 有 となっ ている 3 ヶ 寺 それぞれの 収 支 決 算 書 をみると 土 地 購 入 費 は 敬 覚 寺 で 坪 9.37 円 xlvi 真 龍 寺 で 坪 13.82 円 xlvii 宝 林 寺 で 坪 8 円 xlviiiである この 金 額 は 現 場 の 状 況 を 認 識 していたと 思 われる 地 元 村 長 が 発 第 2101 号 前 出 )において 適 正 ト 認 めた 時 価 五 円 乃 至 七 円 よりやや 割 高 であった この 移 転 計 画 によって 3 ヶ 寺 の 境 内 地 墓 地 の 面 積 はいかに 変 化 したのであろうか 表 3 に 従 前 のそれらの 値 と 比 較 しながら 示 した まず 従 前 は 境 内 地 面 積 に 対 する 墓 9

地 面 積 の 割 合 は 3 割 敬 覚 寺 ) 6 割 真 龍 寺 )であった この 時 点 の 墓 地 面 積 を 檀 家 数 で 割 った 平 均 面 積 は 檀 信 徒 数 のもっとも 多 い 宝 林 寺 250 戸 )では 0.09 坪 22.52 坪 /250 戸 =0.3 m2/ 戸 ) 檀 家 が 少 ない 敬 覚 寺 でも 0.32 坪 21 坪 /65 戸 =1.06 m2)であり 各 檀 家 に 1 基 ずつの 墓 を 配 分 することは 困 難 であったとみられる 郊 外 移 転 のあかつ きには 檀 家 それぞれに 充 分 な 区 画 を 用 意 し 布 教 および 経 営 基 盤 を 強 化 するために 墓 地 面 積 の 拡 大 が 目 指 された 移 転 後 の 墓 地 面 積 は 計 画 段 階 図 12 時 点 )においては 3 8 倍 に 拡 大 されることとなっていたが 実 施 計 画 明 細 帳 時 点 )においては 3 4 倍 に 落 ち 着 いた その 結 果 例 えば 境 内 地 面 積 に 対 する 墓 地 面 積 の 割 合 がもっとも 高 かった 宝 林 寺 においても その 比 率 が 5 割 程 度 となった 境 外 所 有 地 については 3 ヶ 寺 はいずれも 境 内 跡 地 を 坪 220 円 墓 地 改 葬 跡 地 を 坪 200 表 3 3 ヶ 寺 の 土 地 所 有 土 地 利 用 の 状 況 10

円 でそれぞれ 売 却 する 計 画 であった xlix が 計 画 通 りの 売 却 が 困 難 であったことが 資 料 から 窺 え l 3 ヶ 寺 のうちでは 唯 一 真 龍 寺 のみが 境 内 跡 地 51.06 坪 と 墓 地 改 葬 跡 地 31.54 坪 坪 を 売 却 できた その 売 却 代 金 は 21,579 円 40 銭 li で 当 初 見 込 まれていた 金 額 17,660 円 lii の 1.2 倍 で 売 れた ところで 3 ヶ 寺 の 移 転 とそれに 伴 う 墓 地 設 置 に 対 する 反 対 があった 一 方 で 移 転 先 の 北 隣 にあたる 1903 番 地 付 近 に 古 い 墓 地 が 存 在 していたことが 旧 土 地 台 帳 上 の 記 録 から 判 る おそらくは 地 元 のひとびとが 使 っていた その 墓 地 は 1938 年 4 月 に 使 用 廃 止 となり 一 帯 は 同 年 7 月 に 塵 芥 焼 却 場 用 地 として 地 目 が 変 換 され やがて 東 京 市 の 塵 芥 焼 却 場 が 設 けられた 現 在 の 東 京 二 十 三 区 清 掃 一 部 事 務 組 合 練 馬 清 掃 工 場 である 最 後 に 3 ヶ 寺 の 移 転 跡 地 築 地 )の 状 況 を みたい 3 ヶ 寺 はいずれも 当 初 は 旧 境 内 地 な らびに 墓 地 改 葬 跡 地 を 売 却 する 計 画 であった 図 14 2 ヶ 寺 の 移 転 跡 地 が 明 細 帳 および 内 山 模 型 製 図 社 1932) 東 京 市 京 橋 区 地 籍 台 帳 によれば 売 却 に 成 功 したのは 真 龍 寺 のみで 敬 覚 寺 新 地 番 で 京 橋 区 築 地 4 丁 目 13-12 13-13 番 地 )と 宝 林 寺 同 11-15 番 地 )は 跡 地 を 保 有 し 続 けていた 区 画 整 理 後 の 火 災 保 険 特 殊 地 図 を 見 ると 敬 覚 寺 の 跡 地 には 長 屋 建 て 1 棟 3 戸 )と 1 戸 建 て 3 棟 が 宝 林 寺 の 跡 地 には 長 屋 建 て 2 棟 3 戸 ずつ)が 建 てられていた 図 14) これら 借 地 あるいは 借 家 からの 賃 貸 収 入 も 寺 院 経 営 に 充 てられていたのである 5 広 徳 寺 塔 頭 の 再 建 過 程 1) 罹 災 時 の 状 況 広 徳 寺 罹 災 当 時 は 東 京 市 下 谷 区 北 稲 荷 町 52-1 番 地 に 境 内 同 53 番 地 に 墓 地 ま た 同 49-1 55-1 56 57-1 57-2 58 番 地 に 4 つの 塔 頭 とその 墓 地 がそれぞれ 所 在 ) は 江 戸 時 代 には 11 の 塔 頭 を 有 した 図 15) liiiが 明 治 維 新 後 は 衰 退 が 著 しく 塔 頭 も 廃 院 同 様 で 辛 うじて 四 院 を 残 すのみ であった 本 項 で 取 り 上 げるのはこの 4 つの 塔 頭 のうちの 円 照 院 同 58 番 地 )の 復 興 過 程 である 1912 年 の 地 籍 台 帳 によれ ば 広 徳 寺 と 4 つの 塔 頭 の 境 内 地 は 寺 有 であった 図 16) また 廃 絶 してしまった 塔 頭 の 跡 地 のなかには 地 籍 台 帳 上 に 記 載 がなく 寺 院 は 存 在 しないものの 国 有 境 内 地 として 維 持 されていたとみられる liv 場 所 と 民 間 の 所 有 地 となっていた 場 所 とがあっ た lv 円 照 院 は 江 戸 期 には 小 笠 原 家 の 宿 院 となっていたが 明 治 のはじめに 小 笠 原 家 によ 11

る 維 持 が 困 難 となったため 広 徳 寺 の 住 職 の 隠 棲 地 として 維 持 されていたという lvi 図 15 江 戸 時 代 における 広 徳 寺 山 内 図 16 1912 年 当 時 の 地 籍 図 図 17 第 36 区 画 整 理 現 況 図 部 分 ) 図 18 同 換 地 位 置 決 定 図 部 分 ) 2) 再 建 方 法 の 模 索 広 徳 寺 と 4 つの 塔 頭 が 再 建 方 法 を 模 索 していた 頃 復 興 局 と 東 京 市 も 下 谷 エリアに おける 市 街 地 の 整 備 計 画 の 立 案 に 悩 んでいた 彼 らの 構 想 通 りに 道 路 幹 線 街 路 や 区 画 整 理 街 路 )や 小 学 校 公 園 などの 公 共 施 設 を 設 置 すると 土 地 権 利 者 所 有 者 およ び 借 地 人 )が 無 償 有 償 で 提 供 する 減 歩 される)ことになる 土 地 の 面 積 が 大 きくな り 計 画 の 確 定 や 事 業 の 推 進 が 困 難 になってしまうからであった 図 18) とくに 上 野 駅 前 付 近 は 駅 前 広 場 や 幹 線 街 路 第 一 号 現 在 の 昭 和 通 り)などを 設 ける 関 係 で 減 歩 率 が 非 常 に 高 くなった そこで 当 局 は 広 徳 寺 とその 塔 頭 のあった 場 所 に 目 をつけ そこを 買 収 して 区 役 所 警 察 署 学 校 を 移 転 させることで 他 の 場 所 での 減 歩 率 を 下 げ ようとしたのである lvii その 検 討 の 様 子 を 帝 国 議 会 衆 議 院 会 議 録 は 次 のように 伝 える... 第 ) 三 十 六 ト 第 ) 三 十 四 ノ 此 区 画 整 理 ) 地 区 ハ 薩 張 り 仕 事 ガ 進 マヌ ソレ ハ 何 ダト 云 フト 減 歩 率 ガ 多 過 ギルカラデアル... 暫 ク 待 ツテ 呉 レト 云 フコトデ 暫 クノ 間 図 面 モ 何 モ 出 来 ナイノデアツタ ソレデ 広 徳 寺 ヲ 見 付 ケテ 三 十 六 区 ノ 減 歩 率 ガ 余 リ 多 イカラ... 向 フノ 学 校 ヲ 地 区 註 敷 地 面 積 の 意 味 )ハ 小 サイケレドモ 三 十 四 区 ニ 持 ツテ 来 ヤウ ソレデハマダ 足 リヌカラ 上 野 ノ 警 察 署 ノ 三 十 六 区 ノ 是 モ 地 区 註 同 前 )ハ 小 サイガ 三 十 四 地 区 ニ 持 ツテ 来 ヤウ ソレカラモウ 一 ツ 下 谷 ノ 区 役 所 モ 移 シテシマハウヂヤナイカ... lviii 12

このような 大 掛 かりな 都 市 計 画 事 業 はせっかく 落 ち 着 いて 来 た 市 民 生 活 粗 末 な 小 屋 を 建 てていた)を 再 び 混 乱 させてしまう まして 広 徳 寺 一 帯 には 永 久 ニ 継 続 ス ベキモノ lixとして 帝 都 復 興 土 地 区 画 整 理 事 業 の 根 拠 法 として 準 用 されていた 耕 地 整 理 法 において 編 入 制 限 地 とされていた 寺 院 境 内 地 と 墓 地 が 広 がっていた このため 帝 国 議 会 衆 議 院 議 員 の 高 木 益 太 郎 日 本 橋 区 選 出 弁 護 士 )は 1925 年 2 月 16 日 私 ハ... 唯 々 便 利 ダト 云 ウテ... 自 分 等 ノ 祖 父 サン 祖 母 サンヲ 埋 メタ 所 ヲ 発 あば)イテマ デ 区 画 整 理 ヲヤル 必 要 ガアルノカドウカ... lxと 疑 問 を 呈 した 高 木 は 翌 日 も 此 間 モ 下 谷 ノ 広 徳 寺 ノ 墓 地 ヲ 掘 ツテ 見 テ 以 外 ママ)ニ 驚 イタコトガアル 前 田 侯 ノ 墓 地 ヲ 掘 ルノニザツト 一 万 円 掛 カル 何 百 年 モ 前 ノ 沢 山 ノ 墓 ガ 其 侭 埋 メラレテ 居 ル ソ レヲ 全 部 動 カサナイコトニハ ドウシテモ 此 一 ツノ 石 塔 ガ 動 カセナイ... 彼 処 ニ 何 ノ 位 どのくらい 沢 山 )ノ 骸 骨 ガ 埋 ツテ 居 ルカ 分 ラナイ... カッコ 内 筆 者 ) lxiと 事 業 遂 行 が 困 難 との 見 通 しを 述 べた 結 局 寺 院 境 内 地 と 墓 地 の 区 画 整 理 地 区 への 編 入 が 可 能 となり 広 徳 寺 側 は 下 谷 区 役 所 下 谷 小 学 校 上 野 警 察 署 の 敷 地 として 譲 渡 を 懇 望 されたので 檀 徒 と 協 議 し 大 英 断 をもって 三 百 年 来 の 墓 地 の 移 転 を 決 行 することとなり 練 馬 に 約 一 万 坪 の 土 地 を 購 入 し 移 転 に 着 手 した lxii その 際 広 徳 寺 の 墓 地 53 番 地 )と 円 照 院 境 内 地 は 58 番 地 墓 地 は 59 番 地 lxiii)の 敷 地 が 下 谷 小 学 校 と 下 谷 区 役 所 の 用 地 に 宋 雲 院 57-1 番 地 )の 敷 地 が 上 野 警 察 署 用 地 として 買 収 されたため 前 2 者 は 練 馬 へ 移 転 し 後 者 は 旧 所 在 地 の 西 方 すなわち 広 徳 寺 52-1 番 地 )の 参 道 東 側 で 桂 徳 院 54-4 番 地 )の 東 方 および 徳 雲 院 49-1 番 地 )の 北 方 へと 移 動 した 図 17 と 図 18 とを 比 較 の 上 参 照 のこと) 広 徳 寺 と 桂 徳 院 そして 徳 雲 院 の 位 置 に 大 きな 変 動 はなく 相 対 的 な 位 置 関 係 も 保 っていたから その 一 郭 に 宋 雲 院 を 移 転 させることで 広 徳 寺 の 参 道 脇 に 塔 頭 が 集 約 されたのである なお 桂 徳 院 は 市 区 改 正 によって 稲 荷 町 通 り 現 在 の 浅 草 通 り)が 拡 幅 されるまでは 55-1 番 地 にあった lxivから 広 徳 寺 の 伽 藍 塔 頭 を 含 む)の 近 代 以 降 の 再 編 は 帝 都 復 興 の 以 前 からの 流 れに 沿 ったものであったといえる 図 18) この 移 転 事 業 推 進 のため 円 照 院 は 1925 年 6 月 15 日 府 知 事 宛 に 寺 院 移 転 土 地 売 買 許 可 願 lxvを 出 した そこには 1) 境 内 宅 地 262 坪 8 合 4 勺 lxviを 坪 220 円 lxvii で 売 却 売 却 金 額 5 万 7,824 円 80 銭 )し 2) 畑 1 反 4 畝 16 歩 畦 畔 16 歩 を 坪 18 円 で 購 入 購 入 金 額 1 万 6,542 円 lxviii)する 計 画 が 示 されている また 許 可 を 願 い 出 た 理 由 として... 今 般 本 寺 広 徳 寺 境 内 地 ト 共 ニ 区 画 整 理 ノ 結 果 下 谷 区 役 所 并 ニ 下 谷 小 学 校 ) 上 野 警 察 署 処 地 トシテ 当 院 境 内 地 全 部 及 墓 地 ト 共 ニ 復 興 局 ヨリ 買 収 方 強 要 セラ レ たこと そして 移 転 先 が... 高 燥 閑 雅 ノ 地 境 ニシテ 詣 者 ヲシテ 自 我 ニ 精 神 ノ 慰 安 ト 純 正 ナル 信 仰 ヲ 起 サシ める 土 地 であったことが 挙 げられている この 願 には 開 基 家 子 爵 小 笠 原 丕 lxix 代 理 小 笠 原 家 々 扶 小 野 二 郎 でこの 移 転 計 画 に 異 議 がな いという 寺 院 移 転 承 諾 書 lxxが 添 付 されていた 3) 移 転 先 での 反 対 運 動 と 計 画 の 実 施 移 転 先 のひとびとはこの 計 画 に 反 対 した 1925 年 6 月 19 日 下 練 馬 村 長 は 同 村 会 議 長 lxxiに 対 して... 緊 急 本 村 ノ 意 見 ヲ 決 定 シ 置 ク 必 要 アリト 信 ス 右 意 見 ヲ 諮 問 ス という 広 徳 寺 墓 地 移 転 設 置 ニ 関 スル 諮 問 案 lxxiiを 提 示 し 同 日 村 会 議 長 は... 13

墓 地 計 画 地 ハ 公 園 地 トシテ 最 モ 適 当 ナル 地 形 ニシテ 附 近 稲 荷 社 及 郷 社 氷 川 神 社 所 有 地 アリ ) 従 ツテ 本 村 発 展 ヲ 阻 害 スルコト 著 大 ) 理 想 的 住 宅 地 タルノ 資 格 ヲ 失 滅 ス ルモノニシテ 本 村 ニトリ 百 害 アリテ 一 利 ナキモノト 認 メ 絶 対 反 対 スルモノナリ と 厳 しい 表 現 で 答 申 した lxxiii これを 受 け 同 年 8 月 18 日 村 長 は 府 知 事 に 対 して 反 対 意 見 を 伝 えた lxxiv そこに 添 付 された 墓 地 移 転 許 可 願 ニ 対 スル 副 申 7 月 27 日 付 )によれば 村 長 は 反 対 の 理 由 を... 交 通 至 便 に 加 フル ニ 土 地 高 燥 空 気 清 浄 将 来 市 民 ノ 住 宅 地 ト シテ 絶 好 無 二 ノ 地 域 ニアリト 云 フヲ 得 ベ る 場 所 に 寺 院 や 墓 地 が 移 転 してくると... 数 年 ナラズシテ 他 人 ノ 厭 嫌 スベキ 地 ト 化 シ 昔 日 ノ 繁 栄 ヲ 見 ル 能 ハザルニ 至 ることになると 懸 念 を 示 し 移 転 を 計 画 していた 寺 院 や 墓 地 を 斯 ル 不 浄 物 あ 図 19 円 照 院 移 転 後 の 広 徳 寺 山 内 るいは 他 人 厭 嫌 ノ 建 設 表 4 円 照 院 の 土 地 所 有 土 地 利 用 の 状 況 物 とまで 表 現 して 拒 ん だ しかし この 移 転 が 成 立 しなければ 上 野 駅 の 周 辺 における 復 興 事 業 はど れも 頓 挫 してしまう 結 局 は 1927 年 2 月 24 日 付 で 移 転 が 許 可 lxxv 本 堂 は 同 年 中 に 竣 工 lxxvi し 1929 年 8 月 20 日 に 円 照 院 から 府 知 事 宛 に 寺 院 移 転 完 了 御 届 が 提 出 されるに 至 っ た 移 転 許 可 発 令 の 文 書 丑 学 12143 号 )には 備 考 本 件 ハ 移 転 先 地 住 民 反 対 アリシモ 目 下 鎮 静 ニ 帰 シ 許 可 支 障 ナキモノト 認 メ 発 令 スルモノナリ lxxvii とのメモ 書 きがなされ ている 公 文 書 綴 りに 収 められた 経 費 収 支 決 算 書 lxxviii によれば 境 内 地 と 墓 地 改 葬 跡 地 はいずれも 坪 220 円 で 売 却 され 移 転 先 の 土 地 は 坪 18 円 その 他 土 地 買 入 周 旋 其 他 という 費 目 で 837 円 をかけて 取 得 されている 円 照 院 は 自 らの 境 内 と 墓 地 を 売 却 し その 代 金 や 檀 家 や 本 山 からの 資 金 を 元 手 に 郊 外 に 広 い 土 地 を 購 入 し そこに 寺 院 を 再 建 し 広 徳 寺 の 墓 地 をも 移 したのである 円 照 院 は 広 徳 寺 練 馬 別 院 となり 1934 年 には 東 伏 見 宮 別 邸 が 書 院 として 移 築 された lxxix 別 院 は 墓 地 をもたなかったが 移 転 前 の 境 内 地 墓 地 を 併 せた 面 積 の 3 倍 の 敷 地 を 練 馬 に 得 て 移 転 した 表 4) 下 谷 に 残 った 広 徳 寺 は 旧 前 田 侯 爵 邸 の 建 物 の 一 部 を 買 い 取 って 本 堂 とし 茶 席 も 前 田 邸 のものを 移 し 庫 裡 山 門 鐘 堂 等 昭 和 五 年 に 完 成 lxxx 宋 雲 院 は 移 転 後 に 広 徳 寺 の 旧 堂 を 曳 家 して 本 堂 とし 徳 雲 院 と 桂 徳 院 も 復 興 した 図 19) これらの 建 物 は 15 年 後 徳 雲 院 仮 本 堂 )を 除 き 下 谷 区 役 所 上 野 警 14

察 署 を 守 るために 建 物 疎 開 にあって 取 り 壊 されたという lxxxi 6 おわりに 本 論 文 では 関 東 大 震 災 で 罹 災 した 東 京 下 町 の 寺 院 の 再 建 方 法 の 模 索 や 実 際 の 再 建 状 況 再 建 に 際 しての 障 碍 の 克 服 や 再 建 が 周 辺 に 与 えた 影 響 を 公 文 書 の 記 録 をもとに 明 らかにした そのなかで 1) 子 院 を 有 しないがひとつの 寺 院 としては 境 内 地 や 墓 地 の 規 模 が 大 きな 日 輪 寺 が 従 来 の 所 在 地 で 単 独 で 自 立 的 に 復 興 した 様 子 2) 築 地 本 願 寺 に 連 なる 56 もの 大 量 の 子 院 のうちの 3 ヶ 寺 が 共 同 で 郊 外 移 転 して 復 興 した 様 子 3) 築 地 本 願 寺 より 少 数 であったが 複 数 の 塔 頭 のひとつとして 広 徳 寺 に 連 なっていた 円 照 院 が 公 共 施 設 の 移 転 設 置 を 機 会 に 郊 外 移 転 して 復 興 した 様 子 を 取 り 上 げ 各 寺 院 がそれぞ れの 判 断 に 基 づいて 不 動 産 を 経 営 していた 様 子 が 浮 かび 上 がった そして この 時 代 に 各 寺 院 が 自 主 的 な 判 断 に 基 づいて 復 興 方 法 を 選 択 していた 事 実 からは 明 治 初 年 以 降 に 寺 院 の 境 内 地 墓 地 が 上 知 され その 使 用 が 厳 しく 規 定 され 寺 院 の 創 立 や 復 興 復 旧 が 完 全 禁 止 されていた 過 去 の 時 代 には 考 えられなかった 自 由 があったことが 判 った しかし この 自 由 こそがその 後 の 寺 院 境 内 地 の 風 致 や 緑 地 空 間 としての 価 値 に 影 響 を 及 ぼしてきたことも 忘 れてはならない 今 後 宗 教 施 設 を 維 持 するための 経 営 方 針 と 宗 教 施 設 に 求 められる 荘 厳 さや 趣 深 さとをいかに 両 立 させるのか 議 論 を 深 める 必 要 があると 考 えられる i 1872 年 11 月 8 日 太 政 官 布 告 第 334 号 無 檀 無 住 ノ 寺 院 廃 止 ノ 件 ii 1875 年 9 月 7 日 内 務 省 達 乙 第 113 号 廃 合 寺 院 跡 地 並 建 物 処 分 規 則 iii 1886 年 6 月 8 日 内 務 省 訓 令 第 397 号 社 寺 仏 堂 ノ 創 立 再 興 復 旧 伺 出 ノ 件 iv 1895 年 4 月 6 日 内 務 省 訓 令 第 240 号 民 有 地 内 官 有 境 内 ニ 準 スル 件 v 1891 年 11 月 27 日 内 務 省 訓 令 第 1016 号 従 来 査 定 ノ 境 内 地 輙 ク 変 更 セサル 件 地 租 条 例 1885 年 3 月 太 政 官 布 告 第 7 号 )によれば 民 有 境 内 地 の 地 租 は 宅 地 に 比 べて 軽 く 第 1 条 ) 官 有 境 内 地 は 免 租 であったし 墳 墓 地 は 官 有 民 有 を 問 わず 免 租 第 4 条 )であった vi 1903 年 11 月 20 日 内 務 省 令 第 12 号 寺 院 仏 堂 境 内 使 用 取 締 規 則 vii 1912 年 11 月 16 日 内 務 省 宗 第 401 号 通 牒 境 内 地 域 変 更 及 移 転 ニ 関 シ 稟 議 ヲ 要 セサルモノノ 件 viii 例 えば 同 法 第 22 条 は 寺 院 境 内 地 は 基 本 的 には 免 租 であるが 有 料 で 賃 借 している 場 合 はこの 限 りではないと 規 定 している これは 境 内 地 を 宗 教 活 動 以 外 の 目 的 で 使 用 することを 禁 じた 寺 院 仏 堂 境 内 使 用 取 締 規 則 から 大 きな 転 換 を 示 したものである ix 1871 年 1 月 に 境 外 の 持 地 を 対 象 とした 社 寺 領 の 上 知 令 が 出 され 1875 年 6 月 には 地 租 改 正 事 務 局 達 乙 第 4 号 によって 残 りの 土 地 が 官 有 地 とされた x 帝 国 議 会 衆 議 院 国 有 財 産 法 案 委 員 会 議 録 第 1 回 1921 年 1 月 28 日 p.7. 河 本 文 一 主 計 局 書 記 官 発 言 なお この 行 での 国 有 という 用 語 は 議 事 録 中 のものであり 現 代 でもそのまま 通 じるた め 用 いたが 江 戸 時 代 に 使 用 されていた 訳 ではない xi 市 制 町 村 制 以 前 は たとえば 静 岡 では 札 之 辻 町 他 百 廿 三 町 市 制 施 行 エリア) 共 有 であった... xii 例 えば 築 地 本 願 寺 は 1876 年 8 月 に 境 内 官 有 地 以 外 の 官 有 地 を 1881 年 6 月 に 境 内 官 有 地 を それぞれ 返 還 された 前 者 については 往 事 佃 島 の 信 徒 が 海 を 埋 立 てて 地 形 を 作 った ことが 認 め られて 返 還 されたと 推 測 されている 藤 音 得 忍 編 1937) 築 地 別 院 史 pp.219-220) また 1898 年 12 月 には 増 上 寺 境 内 地 復 旧 請 願 書 が 増 上 寺 から 東 京 府 知 事 に 宛 てて 出 され 1899 年 4 月 に は 国 有 土 地 森 林 原 野 下 戻 法 法 律 第 99 号 )が 公 布 された 前 者 は 増 上 寺 が 徳 川 氏 ノ 建 立 ニ 無 之 候 p.2) ことを 主 張 するものであり 後 者 の 第 1 条 は 官 有 地 とされた) 処 分 ノ 当 時 之 ニ 付 キ 所 有 又 ハ 分 収 ノ 事 実 アリタル 者 がそれらの 土 地 の 下 げ 戻 しを 申 請 できるとしていた 先 述 の 築 地 本 願 寺 の 事 例 をあわせて 考 慮 すると 社 寺 が 幕 府 や 諸 大 名 から 占 有 を 認 められたのではなく) 自 ら 所 有 していたことが 返 還 の 条 件 であったと 判 る xiii 帝 国 議 会 衆 議 院 国 有 財 産 法 案 委 員 会 議 録 第 4 回 1921 年 2 月 1 日 p.1. 西 野 元 大 蔵 省 主 計 局 長 15

発 言 xiv 第 44 回 帝 国 議 会 衆 議 院 国 有 財 産 法 案 委 員 会 議 録 第 1 回 1921 年 1 月 28 日 p.7. 西 野 元 大 蔵 省 主 計 局 長 の 発 言 xv こちらは 既 述 の 耕 地 整 理 法 と 異 なり 1909 年 4 月 法 律 第 30 号 xvi 福 岡 峻 治 1991) 東 京 の 復 興 計 画 - 都 市 再 開 発 行 政 の 構 造, 日 本 評 論 社, 1991 年 7 月 pp.281-295.は 第 36 区 画 整 理 地 区 での 運 動 を 通 じて 寺 院 境 内 地 の 強 制 編 入 が 実 現 されて 行 くプロセ スを 描 いている xvii 羽 貝 正 美 2007) 震 災 復 興 と 都 市 空 間 の 近 代 化 震 災 復 興 土 地 区 画 整 理 を 手 がかりに 都 市 問 題 後 藤 新 平 生 誕 150 周 年 記 念 8 月 号 特 別 増 刊 後 藤 新 平 大 風 呂 敷 の 実 相 東 京 市 政 調 査 会 p.61. では 関 東 大 震 災 時 の 特 別 都 市 計 画 法 で 寺 院 境 内 地 の 強 制 編 入 が 認 められていた という 趣 旨 の 記 述 があるが これは 厳 密 には 誤 りである xviii 福 岡 1991) 前 掲 書 p.291 xix 第 50 回 帝 国 議 会 衆 議 院 特 別 都 市 計 画 区 域 内 ニ 於 ケル 寺 院 ノ 国 有 境 内 地 譲 与 等 ニ 関 スル 法 律 案 委 員 会 議 録 第 5 回 1925 年 2 月 20 日 pp.17-18 大 蔵 政 務 次 官 早 速 整 爾 の 発 言 xx 地 図 資 料 編 纂 会 編 1989) 地 籍 台 帳 地 籍 地 図 [ 東 京 ]3 台 帳 編 3 柏 書 房 p.296 および 同 1989) 地 籍 台 帳 地 籍 地 図 [ 東 京 ]6 台 帳 編 6 柏 書 房 p.299 xxi 日 輪 寺 甲 号 明 細 帳 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 226 ページ 目 ) xxii 先 に 寺 有 宅 地 として 挙 げた 20 番 地 と 24 番 地 の 合 計 は 700 m2 程 度 のため この 他 にも 80 坪 程 度 の 寺 有 宅 地 を 有 していたことになる xxiii 根 本 には 檀 家 三 百 五 十 余 戸 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 250 ページ 目 )の 経 済 的 支 援 布 施 )がもちろんあった xxiv 保 甲 第 28 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 244 ページ 目 ) xxv 辰 兵 第 821 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 245 ページ 目 ) xxvi 日 輪 寺 甲 号 明 細 帳 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 226 ページ 目 xxvii 217 ページ 目 ) xxviii なお この 坪 数 は 合 計 があわない また 二 重 線 で 訂 正 される 前 の 坪 数 は 合 計 があう 理 由 は 不 明 である xxix 特 設 墓 地 墓 の 形 をした 独 立 型 の 納 骨 堂 )の 建 設 コストは 移 転 完 了 届 1930 年 6 月 ) 添 付 の 収 支 決 算 書 支 出 之 部 建 築 費 以 外 之 支 出 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 221 ページ 目 ) を 特 設 墓 地 の 面 積 で 除 すると 坪 148.37 円 このほか 在 来 型 の 墓 地 を 掘 り 起 こし 墓 石 を 整 理 し 遺 物 を 火 葬 するコストがかかった xxx 芝 崎 町 居 住 者 No.1 昭 和 十 一 年 九 月 調 刊 行 者 不 明 )によれば 23 番 地 には 日 輪 寺 と 墓 地 のほ か 宮 本 自 動 車 車 庫 宮 本 金 之 助 宮 本 ハル 小 林 新 次 郎 内 藤 文 雄 小 泉 光 行 服 部 二 郎 宮 内 咲 玉 野 章 以 上 計 9 戸 ) 22 番 地 には 中 村 滝 蔵 中 野 文 太 郎 鯨 井 国 蔵 菅 原 民 五 郎 太 田 梅 吉 島 田 松 太 郎 宇 治 寿 美 代 寺 田 市 太 郎 内 藤 文 雄 再 出 ) 中 島 数 造 曽 根 貞 次 郎 島 村 滝 有 馬 五 郎 一 部 ) 斉 藤 卯 吉 吉 田 巴 河 野 金 太 郎 村 上 鉄 太 郎 石 田 松 寿 江 幡 金 八 伊 藤 壱 美 別 府 ホテル 鴨 下 徳 左 ヱ 門 と 並 記 ) 以 上 21 戸 ) 20 番 地 は 飯 田 多 三 郎 と アパート 以 上 戸 数 不 明 ) 24 番 地 には 菅 沼 美 ね 山 吉 忠 * 一 字 判 読 不 明 ) 高 橋 直 記 鈴 木 康 義 篠 崎 うめ 深 瀬 守 弘 静 家 政 之 助 栗 本 治 信 物 置 ) 柴 崎 銀 三 郎 以 上 9 戸 )の 名 前 がみえる xxxi 1903 年 内 務 省 令 第 12 号 社 寺 仏 堂 境 内 地 使 使 用 取 締 規 則 前 出 ) 第 1 条 は 寺 院 仏 堂 境 内 地 ハ 左 記 各 号 ノ 一 ニ 該 当 スルモノヲ 除 クノ 外 其 寺 院 仏 堂 以 外 ノ 者 ニ 於 テ 之 ヲ 使 用 スルコトヲ 得 ズ と して 一 一 時 限 リノ 使 用 二 参 詣 人 休 息 所 等 其 使 用 一 箇 年 以 内 ニ 止 マルモノ 三 公 益 ノ 為 ニ スル 使 用 という 制 限 を 設 けており この 規 則 に 反 した 賃 貸 借 契 約 を 無 効 とした 大 審 院 判 決 がある 1940 年 11 月 14 日 第 一 民 事 部 オ) 第 436 号 根 本 松 男 1938) 寺 院 境 内 地 の 賃 貸 借 民 商 法 雑 誌 1 月 号 p.37)ことから 国 有 と 寺 有 とを 問 わず 境 内 地 での 賃 貸 経 営 は 少 ないか あっても 表 沙 汰 にはできなかったが 寺 有 の 宅 地 においては 従 来 から 賃 貸 経 営 をしていた 可 能 性 が 高 い xxxii 内 山 模 型 製 図 社 編 1934) 東 京 市 浅 草 区 地 籍 台 帳 芝 崎 町 新 谷 町 p.5 xxxiii もともとは 地 中 56 ヶ 寺 と 衣 番 役 2 ヶ 寺 の 合 計 58 ヶ 寺 があったが 地 中 の 1 ヶ 寺 が 1911 年 に 移 転 したため 罹 災 当 時 は 55 ヶ 寺 が 存 在 していた なお この 移 転 した 1 ヶ 寺 の 建 物 は 残 存 してい たという 藤 音 得 忍 編 1937) 築 地 別 院 史 p.274-275 および p.291 xxxiv 藤 音 得 忍 編 1937) 前 掲 書 p.274 xxxv 承 諾 書 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 117 ページ 目 同 141 ページ 目 同 165 ページ 目 ) xxxvi 東 京 法 務 局 練 馬 出 張 所 保 管 旧 土 地 台 帳 より xxxvii 当 時 の 北 豊 島 郡 長 は 服 部 良 太 郎 xxxviii 寺 院 移 転 並 土 地 売 買 許 可 願 出 ニ 付 副 申 3 ヶ 寺 それぞれに 関 して 寅 庶 第 506 号 508 号 510 16

号 ) 順 に 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 100 ページ 目 同 98 ペー ジ 目 同 99 ページ 目 ) xxxix 同 年 6 月 30 日 時 点 で 郡 制 は 廃 止 本 件 の 担 当 が 石 神 井 村 に 変 更 xl 寺 院 移 転 ニ 付 照 会 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 96 ページ 目 ) xli 寺 院 移 転 ニ 付 再 照 会 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 95 ページ 目 ) xlii 当 時 の 石 神 井 村 長 は 橋 本 忠 三 郎 橋 本 は 旧 字 ) 竹 下 新 田 の 名 主 の 子 孫 東 京 府 北 豊 島 郡 編 1918) 北 豊 島 郡 誌 北 豊 島 郡 農 会 p.510)で 移 転 問 題 で 揺 れていた 旧 谷 保 村 からはやや 離 れた 場 所 の 出 身 である xliii 発 第 2101 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 94 ページ 目 ) xliv 寅 学 第 1996 1997 1998それぞれ 敬 覚 寺 真 龍 寺 宝 林 寺 宛 ) 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 89-93 ページ 目 ) xlv 東 京 法 務 局 練 馬 出 張 所 保 管 旧 土 地 台 帳 より xlvi 敬 覚 寺 から 出 された 移 転 収 支 決 算 書 1930 年 9 月 8 日 付 ) 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 6 ページ 目 ) 中 の 石 神 井 土 地 五 百 坪 買 入 代 金 金 四 千 六 百 八 拾 六 円 七 拾 四 銭 を 500 坪 で 除 した 値 xlvii 真 龍 寺 から 出 された 収 支 決 算 書 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 24 ページ 目 ) 中 の 土 地 買 入 代 金 五 千 五 百 貳 拾 六 円 四 十 銭 を 400 坪 で 除 した 値 xlviii 宝 林 寺 から 出 された 収 支 決 算 書 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 54 ページ 目 ) 中 の 移 転 用 地 五 百 坪 購 入 代 金 坪 八 円 也 ) 金 四 千 円 を 500 坪 で 除 した 値 xlix 宝 林 寺 移 転 ニ 関 スル 収 支 予 算 書 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 118 コマ 目 ) 真 龍 寺 移 転 ニ 関 スル 収 支 予 算 書 同 142 コマ 目 ) 敬 覚 寺 移 転 ニ 関 スル 収 支 予 算 書 同 166 コマ 目 )より l 例 えば 宝 林 寺 は 宝 林 寺 本 堂 及 庫 裡 新 築 工 事 仕 様 書 東 京 府 社 寺 兵 事 課 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 120 ページ 目 ) 日 時 不 明 )において 本 堂 および 庫 裡 付 属 向 拝 を 建 坪 49.25 坪 で 建 築 する 旨 を 届 け 出 ていたが 1930 年 5 月 15 日 に 提 出 した 建 物 設 計 変 更 許 可 願 同 71 ページ 目 ). とそれに 添 付 された 宝 林 寺 仮 本 堂 庫 裡 建 築 仕 様 書 同 73 ページ 目 ) によってその 建 坪 を 28.25 坪 へと 縮 小 している li 真 龍 寺 収 支 決 算 書 前 掲 書 ) lii 真 龍 寺 収 支 予 算 書 前 掲 書 ) liii 福 富 以 清 1956) 広 徳 寺 誌 はしがき 同 書 p.2 掲 載 の 江 戸 時 代 一 山 図 本 論 中 の 図 14)と 1912 年 当 時 の 地 籍 図 図 15) 地 籍 台 帳 を 比 較 すると 桂 香 院 明 治 初 年 に 本 坊 = 広 徳 寺 に 合 併 ) は 40 41 42 番 地 附 近 長 春 院 同 徳 雲 院 に 合 併 ) 仙 真 院 あるいは 松 東 院 ) 慈 眼 院 は 48 番 地 附 近 徳 雲 院 は 49-4 番 地 1912 年 時 点 では 49-1 番 地 ) 泰 寿 院 同 桂 徳 院 に 合 併 )は 51 番 地 附 近 梅 雲 院 同 桂 徳 院 に 合 併 ) 鏡 智 院 同 宋 雲 院 に 合 併 )は 54-1 54-4 番 地 附 近 桂 徳 院 は 55-1 番 地 宋 雲 院 は 57-1 番 地 円 照 院 は 58 番 地 に 所 在 していた 現 存 する 塔 頭 には 下 線 を 付 した) 廃 絶 した 塔 頭 の 跡 にあたる 40 41 42 48 51 番 地 は 一 般 の 所 有 地 となったが 梅 雲 院 鏡 智 院 が 所 在 していた 54-1 54-4 番 地 はそれぞれ 徳 雲 院 と 桂 徳 院 移 転 )が また 桂 徳 院 は 旧 所 在 地 の 55-1 番 地 を 所 有 していた 以 上 塔 頭 の 廃 絶 合 併 については 同 書 pp.31-40 を 参 照 liv たとえば 泰 寿 院 のあった 51-2 番 地 と 梅 雲 院 鏡 智 院 のあった 54-1 番 地 は 1912 年 の 地 籍 台 帳 では 欠 番 である また 図 14 で 梅 雲 院 鏡 智 院 東 方 の 空 地 にあたる 54-4 番 地 も 欠 番 である これ は 官 有 境 内 地 や 市 有 墓 地 共 葬 地 )が 地 籍 台 帳 上 で 欠 番 であるのと 同 様 民 有 地 ではないためであ る 註 1 も 参 照 のこと lv たとえば 48-1 番 地 は 神 谷 伝 兵 衛 醸 造 業 や 神 谷 バーを 経 営 )が 所 有 していた lvi 福 富 以 清 1956) 前 掲 書 p.36 lvii 東 京 市 1931) 帝 都 復 興 区 画 整 理 誌 第 3 編 各 説 第 3 巻 pp.1069-1070 第 36 地 区 ) lviii 第 50 回 帝 国 議 会 衆 議 院 特 別 都 市 計 画 区 域 内 ニ 於 ケル 寺 院 ノ 国 有 境 内 地 譲 与 等 ニ 関 スル 法 律 案 委 員 会 議 録 第 5 回 p.2 lix 同 上 第 2 回 p.4 lx 同 上 第 2 回 p.4 lxi 同 上 第 3 回 p.4 lxii 福 富 以 清 1956) 前 掲 書 p.8 lxiii 墓 地 の 地 番 は 台 東 区 教 育 委 員 会 社 会 教 育 体 育 課 編 1989) 台 東 区 文 化 財 報 告 書 第 8 集 基 礎 資 料 編 IV) 臨 済 宗 真 言 宗 明 細 簿 旧 下 谷 区 浅 草 区 ) 明 治 十 年 p.83 の 絵 図 と 地 籍 図 をもちいて 比 定 した lxiv 東 京 市 下 谷 区 役 所 編 1935) 下 谷 区 史 p.1049 17

. 所 lxv 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 40-42 ページ 目 lxvi 土 地 台 帳 上 での 58 番 地 の 面 積 と 一 致 lxvii この 売 却 金 額 = 買 収 金 額 については 帝 国 議 会 衆 議 院 において 矢 野 鉉 吉 が... 寺 ノ 方 デハ 最 初 三 百 円 坪 デナケレバナラヌ 結 局 段 々 話 ガ 進 ンダ 結 果 二 百 三 十 円 ナラ 宜 シカラウト 言 ツタカラ 区 会 ニ 於 テ 委 員 ミタイナ 者 ガ 出 来 テ 其 委 員 ガ 交 渉 シタ 所 ガ ドウモ 復 興 局 デハコンナ 高 イ 所 ハ 買 ヘ ヌ 平 生 ノ 売 買 デ 百 円 カ 百 五 十 円 ノ 場 所 ヲ 二 百 三 十 円 デハ 買 ヘナイ...... 然 ラバ 東 京 市 及 警 視 庁 ノ 諒 解 ヲ 得 テ 警 視 庁 ニ 於 テ 二 百 二 十 円 デモ 三 十 円 デモ 其 価 格 で 購 入 してくれること)ヲ 認 メテ 来 レバ 宜 シイ... と 発 言 している 矢 野 は 区 画 整 理 の 促 進 のためには... 大 名 ノ 下 屋 敷 デモ 亦 墓 場 デアツテモ 少 シハ 高 クテモ 買 フヨリ 仕 方 ハアリマスマイ lxvii と 述 べている 第 50 回 帝 国 議 会 衆 議 院 特 別 都 市 計 画 区 域 内 ニ 於 ケル 寺 院 ノ 国 有 境 内 地 譲 与 等 ニ 関 スル 法 律 案 委 員 会 議 録 第 5 回 p.2 lxviii ただしこの 面 積 に 単 価 を 乗 しても 金 額 があわない lxix これは 正 確 には 小 笠 原 長 丕 の 誤 り 森 惣 之 祐 編 1909) 最 新 華 族 名 鑑 p.96 lxx 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 43 ページ 目 lxxi いずれも 大 木 金 兵 衛 当 時 の 町 村 制 では 立 法 と 行 政 の 長 が 同 一 町 村 制 1921 年 4 月 9 日 59 号 ) 第 45 条 町 村 会 ハ 町 村 長 ヲ 以 テ 議 長 トス lxxii 諮 第 一 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 38 ページ 目 ) lxxiii 広 徳 寺 墓 地 移 転 設 置 ニ 関 スル 答 申 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 38-39 ページ 目 ) lxxiv 庶 発 第 620 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 34-37 ページ 目 ) lxxv 丑 学 第 12143 号 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 31-2 ページ 目 ) lxxvi 福 富 以 清 1956) 前 掲 書 p.46 lxxvii 東 京 府 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 四 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 5D815) 32 ページ 目 lxxviii 同 上 12 ページ 目 lxxix 福 富 以 清 1956) 前 掲 書 p.46 lxxx 同 上 p.8 なお 東 京 市 下 谷 区 役 所 編 前 掲 書 ) p.1046 によれば 本 寺 の 本 堂 玄 関 等 は 本 郷... 本 富 士 町 の 前 田 侯 爵 家 が 駒 場 移 転 に 際 して その 旧 邸 玄 関 を 寄 する である とある 下 線 筆 者 ) lxxxi 同 上 pp.32-36 図 表 の 出 典 表 1 5 筆 者 作 成 図 1 地 図 資 料 編 纂 会 編 1989) 地 籍 台 帳 地 籍 地 図 [ 東 京 ] 第 6 巻 p.299 図 2 および 図 4 東 京 市 1931) 帝 都 復 興 区 画 整 理 誌 第 3 編 各 説 第 3 巻 第 38 地 区 挿 絵 図 3 内 務 省 復 興 局 1930) 帝 都 復 興 記 念 帖 上 空 より 見 たる 浅 草 公 園 中 央 凌 雲 閣 を 望 む) 大 正 十 一 年 写 真 部 分 ) 図 5 東 京 都 公 文 書 館 所 蔵 東 京 府 学 務 部 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 4D818) 251 ページ 目 計 画 図 仮 題 ) 図 6 同 上 232 ページ 目 明 細 帳 付 図 実 測 図 仮 題 ) 図 7 芝 崎 町 居 住 者 No.1 昭 和 十 一 年 九 月 調 刊 行 者 不 明 ) 部 分 ) 図 8 藤 音 得 忍 編 1937) 築 地 別 院 史 p.274 と p275 のあいだの 挿 絵 図 9 地 図 資 料 編 纂 会 編 1989) 地 籍 台 帳 地 籍 地 図 [ 東 京 ] 第 5 巻 p.186 図 10 および 図 11 東 京 市 1931) 帝 都 復 興 区 画 整 理 誌 第 3 編 各 説 第 1 巻 第 22 地 区 挿 絵 図 12 東 京 都 公 文 書 館 所 蔵 東 京 府 学 務 部 社 寺 兵 事 課 文 書 昭 和 五 年 寺 院 仏 堂 冊 ノ 1D818) 実 測 図 図 13 井 口 悦 男 編 2005) 帝 都 地 形 図 第 1 集 之 潮 p.149 原 図 : 北 田 中 1935 年 1 月 測 図 ) 図 14 都 市 製 図 社 1933) 火 災 保 険 特 殊 地 図 京 橋 区 編 No.14 および 15 部 分 ) 図 15 福 富 以 清 1956) 広 徳 寺 誌 p.2 図 16 地 図 資 料 編 纂 会 編 1989) 地 籍 台 帳 地 籍 地 図 [ 東 京 ] 第 6 巻 p.209 図 17 および 図 18 東 京 市 1931) 帝 都 復 興 区 画 整 理 誌 第 3 編 各 説 第 3 巻 第 36 地 区 挿 絵 図 19 都 市 製 図 社 地 図 研 究 所 )1935) 火 災 保 険 特 殊 地 図 下 谷 区 編 No.13 部 分 ) 18