本のパン四百年史 では 主筆を務めた安達巌が パ 再検証し 文書として伝存するレシピにもとづいた ン祖江川太郎左衛門坦庵公物語り の章を書中に設 復元実験を踏まえて 幕末に韮山で作られていた兵 け 韮山における兵糧パンの開発を詳述している 糧パンの実像に迫りたい 5 同書は 安達自身がその後発表する



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日大生活科研報 Rep. Res. Inst. Sci for Liv., Nihon Univ. 38 3 11, 2015 業績 第791号 論 文 江川坦庵の 兵糧パン とその復元 1 2 淺川 道夫 橋本 敬之 Egawa Tanʼnanʼs Hyorou Pan[Hardtack] and Its Reproduction 1 2 Michio ASAKAWA and Takayuki HASHIMOTO ABSTRACT A Nirayama magistrate, Egawa Tanʼnan (1801-55), in Izu was one of the figures, who introduced modern Western military science and thought into Japan at the end of the Edo period. As part of his work to spread Western military thought and practices, he nationalized the production of hyorou pan [hardtack], a military ration that was common among Western armed forces of the time. This article examines the historical place of Hyorou Pan Seiho-sho [Instructions to Produce Hardtack] by Egawa Tanʼnan and reports on a recent experiment to reproduce Egawaʼs hardtack based on the recipe in his Hyorou Pan Seiho-sho. ことに言及している その後刊行をみた伝記にもこ はじめに 日本におけるパンの歴史を語るうえで 今日 パ の逸話は援用されており2 本邦軍用パンの先駆は ン祖 とされているのは 幕末期に兵糧パンの開発 天保年間の今を去る九四 五年江川太郎左衛門の着 製造を実現した伊豆韮山の代官江川坦庵 ₁8₀₁ ₅₅ 眼に始ま3 ったとの見解が 戦前にはほぼ定着し である 江川坦庵は 幕末の日本に西洋式の近代兵 ていた感がある 学を導入した人物の一人として知られており 西洋 こうした評価は戦後も継承され 昭和₂8 ₁₉₅3 兵学を日本に広めて行く過程で 近代軍が携帯口糧 年には全国パン協会が江川坦庵を顕彰するため 伊 として使用していた乾パンの国産化と普及を図った 豆韮山の江川邸にいわゆる パン祖の碑 を建てた この小論は 韮山の江川文庫に現存する兵糧パン関 碑文を書いたのは徳富蘇峰で それは次のような内 係史料にスポットをあて そこに記された製法にも 容であった4 とづく兵糧パンの復元実験を通じ 史料の歴史的意 パン祖江川坦庵先生邸 義を検証しようとするものである 蘇峰正敬書 江川坦庵先生維新曙期之先覚者也 材兼文武誠通東西百芸皆該乃製麺包 1 先行研究について 江川坦庵が幕末に兵糧パンの開発 製造をおこなっ 術亦本邦之開祖也 たことについては 同人に関する人物研究の中でか なり早い時期から紹介されている 明治3₅ ₁₉₀₂ 昭和後学蘇峰正敬誌 さらに戸羽山瀚が編纂した 江川坦庵全集 が昭 年に出版された矢田七太郎の 幕末之偉人 江川坦 和₂₉ ₁₉₅₄ 年に出版されると 江川坦庵による幕 庵 では 性行及び逸事 の章で パン 製造 を 末の兵糧パン開発という史実が 食糧文化史の分野 取り上げ 後述する柏木総蔵との往復書簡を引用し で注目を浴びるようになった 全日本パン協同組合 つつ 天城江梨等銃猟の 行厨として之を用ひた 連合会の肝煎りで昭和3₁ ₁₉₅₆ 年に刊行された 日 1 1 日本大学国際関係学部国際総合政策学科 教授 Professor, Department of International Studies, College of Interna- tional Relations, Nihon University 2 公益財団法人江川文庫 学芸員 Curator, Public-service juridical foundation Egawa Residence 3

本のパン四百年史 では 主筆を務めた安達巌が パ 再検証し 文書として伝存するレシピにもとづいた ン祖江川太郎左衛門坦庵公物語り の章を書中に設 復元実験を踏まえて 幕末に韮山で作られていた兵 け 韮山における兵糧パンの開発を詳述している 糧パンの実像に迫りたい 5 同書は 安達自身がその後発表する一連の著作 の 6 基礎となる一方で 日本のパンの歴史に関する研究 2 パン製法 に関する史料 の原典的な役割を果たすことにもなった ちなみに 韮山における兵糧パンの製法を記した史料は A パン食普及協会では昭和₅8 ₁₉83 年に 毎年4月 江川坦庵 柏木総蔵の往復書簡 と B 江川太郎 ₁₂日を パンの記念日 と定めたが その根拠となっ 左衛門直筆のパン製法書 という二つの文書から構 たのは 江川坦庵公が韮山の邸宅で 軍用の食パン 成される まず史料の成立時期について見ると A をはじめて焼いたのは 天保十四年 一八四三 癸 の 往復書簡 は天保₁3 ₁8₄3 年4月2日と8日 卯四月十二日のことだつた とする 日本のパン のものであることがほぼ確定されているのに対し 四百年史 中の記述と思われる Bの パン製法書 については₁₀月₂₅日という日付 7 そのほか 仲田正之 江川坦庵 吉川弘文館 ₁₉8₅ 年 韮山町史編纂委員会 韮山町史 第₁₁巻 韮 がわかっているだけで 年号が特定されていない 続いて史料の中身を比べると Aは未知のパン製法 山町史刊行会 ₁₉₉₆年 締木信太郎 パンの百科 を識者に問い合わせたもの Bは既知のパン製法を 中央公論社 ₁₉₇₇年 大塚滋 パンと麺と日本人 松代藩に伝えようとしたものである このことから 集英社 ₁₉₉₇年 岡田哲 とんかつの誕生 講談 パン製法書 は 往復書簡 よりもあとに成立した 社 ₂₀₀₀年 といった著作でも 江川坦庵による兵 ものという両者の前後関係が推定される 前記した 糧パンの開発と製造について触れているが いずれ ように 韮山で初めてパンの焼成に成功したのは天 も 日本のパン四百年史 を敷衍した内容といえる 保₁₄年4月₁₂日とされており 具体的なレシピを記 こうした流れの中で特筆されるのは 江川坦庵と した パン製法書 は それ以降一定の実績を得た 柏木総蔵の往復書簡に記された製法をもとに 兵糧 時期に成立したものと考えてよいだろう それでは パンを復元する試みがおこなわれたことであろう 次に 二つの史料それぞれの内容について検証して ₁₉₉₂年から旧韮山町では 地元で製パン業を営む石 行きたい まずAの 江川坦庵 柏木総蔵の往復書簡 だが 渡食品に依頼して兵糧パンの復元に着手し ₁₉₉₄年 に パン祖のパン と命名して商品化に漕ぎつけ これは江川からの指令書と 柏木からの報告書とい た8 パン祖のパン の製作にあたっては 史料に う2通から成るもので 既に 江川坦庵全集₁₀ や 示された 饂飩粉並饅頭之元9 という記述にした 韮山町史₁₁ などで活字化されている ただし書簡 がって原材料に小麦粉 全粒粉 米糀 塩を使い の原本は見出されておらず 翻刻されたものにも若 二度焼き製法により3 前後まで水分を飛ばしてい 干の異同が認められるため 本稿では未刊の 六六 る このため保存期間は1年と長いが 食感がきわ 世代記₁₂ に収載されたものを引用しつつ その内 めて堅いものになっている 容を見て行くことにする 平成₁₄ ₂₀₀₂ 年から₁₁年間にわたっておこなわ 江川坦庵は天保₁3年4月2日 手代の柏木総蔵宛 れた江川文庫総合調査では 江川坦庵直筆のパン製 に以下のような書簡を送り 出島蘭館の料理方を勤 法書が新たに発見され 韮山で作られていた兵糧パ めた経験を生かして パン製造も心得ている₁3 作 ンの具体的なレシピが明らかになってきた この史 太郎という高島秋帆の門弟から パンの製法につい 料に拠って江川坦庵の兵糧パン開発に言及した著作 て聴き取るよう命じた₁₄ として 橋本敬之 幕末の知られざる巨人 江川英 龍 KADOKAWA ₂₀₁₄年 同 江川家の至宝 長 以手紙申入候 然ハ長崎モノニテ作太郎ト申モノ 倉書店 ₂₀₁₅年 がある また淺川道夫 幕末の兵 当時江戸表ニ罷在候ヨシ 右ハ四郎太夫出府中添 糧パンについて 軍事史学 第₅₁巻第3号 ₂₀₁₅ 居自分儀不断面会定其元ニモ知ル人ニ可有之 右 年₁₂月 では 軍用の携帯口糧開発という観点から ノモノパンノ拵方色々委シク心得居候ヨシ 此間 韮山および諸藩の兵糧パンについて 新たに発見 品川藤兵衛話有之候 一体鹿狩中為ニパンヲ用候 公開された史料を交えての考察をおこなっている 処至極弁理ヨロシク候間 色々之製方承知イタシ 本稿では こうした先行研究の成果を批判的に継 度候ニ付 其元作太郎ニ面会篤ト承リ猶其元手伝 承しつつ 江川文庫所蔵のパン製法に関する史料を 彼ニ為製委シク可申越候 当方ニテ製候ハウトン 4

を踏襲したパン製法と考えられる 粉幷マンジウ之元ニ有之 尤玉子砂糖等ハ味ヨロ シクイタシ度存候ハバ加申候 籐兵衛話ニハ永保 ② 保存期間が 壱ケ年位 と長いことから 水 候イタシ方其外色々製方同人ハ不心得候共作太郎 分を十分に飛ばす焼き方をした 乾パン であっ ハ右様之事ニ携リ候義有之少々心得居候旨精々申 たことが推察される 聞候 法許承リ候テハ不宜逸々彼為製候方ヨロシ ③ この兵糧パンは 厚さ三分 約1cm 差渡 し三寸 約9cm の扁平で丸い形を呈するもの ク候 である 柏木総蔵はこの指令を受けるとすぐに 作太郎と ④ 一人で一つ半ないし二つ食べ 水分を摂るこ 日本橋駿河町の長崎屋で会い パン作りについて 精 とによって満腹感を得るという 携帯口糧の条 しい製法を口述された後 長崎屋の台所に於て実演 件に適応している まで受け た そして4月8日 この成果を江川 ₁₅ ともあれ柏木総蔵が作太郎から伝授されたパンの 製法は 当時長崎で用いられていた技術を基礎とし 坦庵宛の書簡で以下のように報告している ₁₆ たものであり それを応用して兵糧向きの 乾パン 別紙奉上候 然ハ作太郎ヘ面会パン製法承候処 を作ろうとした点に特色がある ちなみに享保3 被 仰下置候通饂飩粉幷饅頭ノ元①尤味能仕候ニ ₁₇₁₉ 年に刊行された 製菓集 には 次のような ハ鶏卵砂糖等モ加ヘ候得共 右ハ長崎ノ工夫ニ有 パンの製法が記されており₁₇ 江戸時代の日本でパ 之 西洋にオヰテハ麦ヲ荒ク挽キ夫エ塩ヲ少々入 ンを作る技術がある程度定着していたことをうかが 味ヲ付焼用候由 勿論平常食シ候分ハ毎日食用丈 わせる 拵候由 出陣等ニ用ヒ候分ハ種ハ矢張同様ニ候得 共 其焼キ方六ケ敷厚五七寸モ有之切石ヲ以薪二十 まづまづ古めんと申すものを仕り候 把余焚カレ候程ノ大釜ヲ築立其上ヲ土ニテ能々塗 之はうどん粉一升を甘酒にて捏ね いかにも軟ら 付一方ニ小サク口ヲ開ケ其口ヨリ薪二十把モ入凡 かにこねて何れへなりとも入れ 一夜おき候得ば 半日モ焚十分火気満チ候処ニテ火ヲ不残取出シ其 よく膨れ申し候 跡エパンヲ入レ右入口ヲ塞キ少モ空気不入様ニ仕 甘酒の作り様 常の麹五合あわせた程に仕り 候ヘハ 聊以焦ルト申事ナク真中フツクリト火通 少し泡立て よき時水甕にてこね申し候 さて リ水気更無之様ニ相成 如斯相製候パンハ壱ケ年 うどんの粉一升に砂糖六百四十匁 古めんとを 位ハ製候時ノ通ニ有之② 既ニ長崎表ニテモ大釜 入れ 水にてよき加減にこね申し候 二ツ築立置 火消其外ノ節相用ヒ候タメ年々製置 パンの作り様 丸パンにても平パンにても望み 篤ト試候由申之 永ク為保候ニハ迚モ鉄ノ焼鍋抔 次第つくり 箱ふたに並べおけば そのパンふ ニテハ参リ兼 乍去差掛候用向片付ケ来ル十五日 くれ申し候 過ニ私宅エ参 製可申旨聞候 且前書被 仰下置 風呂作り様 上方四尺四方程にて パンの出し 候製法ニテハ差当リ味宜候得共 左候テハ却テア 入れもよく候 高さ外にて五尺 内は三尺程に キ 十日ト食シ候訳ニハ参リ兼永キニ堪候ニハ麦 仕り候 粉一品エ塩ニテ味ヲ付候パンニ限候由 パン大サ 脇はねり塀の如くに石かまたは瓦のわれを入 ハ厚三分計差渡三寸計リ③ 夫ヲ一度ニ壱ツ半大 れ 塗りたて申し候 次第に上細に塗り 上の 食ノモノハ二ツモ給ベ 其後湯茶ニテモ呑候ヘハ 取合の所は平石をおきその上を細く丸く塗りこ 別テ腹中ニ至リ殖ヘ候様覚④必軽弁ト奉存候旨ヲ め申し候 その後外は二 三べん上ぬり仕り候 モ申聞候 右大釜ハ何様炭焼釜ト同様ノ工夫ト被 但し脇土の厚さ七八尺ばかり塗り申し候こと 風呂の口一尺ほどに仕り候 口のわき三方は 察候 石にて仕り候下は敷瓦にかかり申し候こと 三 上掲の史料中 下線を引いた① ④までの箇所は 尺まわり薪二束ほど焚き さてそれをかき出し 兵糧パンの製法に関する要締と考えられる部分であ 藁の箒を水をしめして内のゴミをよくかき出し る 以下それぞれについて 若干の解説を加えてお さてパンを並べ申し風呂の口をむしろにても菰 きたい にても水にてもよく よくしめし防ぎ申し候 ① 饂飩粉 すなわち小麦粉と 饅頭之元 す なわち米糀を原材料にしており 在来の酒種法 5

続いてBの 江川太郎左衛門直筆のパン製法書 に モ鉄ノ鍋抔ニテハ参兼₁₉ として切石で築立てた 大 ついて見ると これは松代藩の金児忠兵衛に宛てて 釜 の必要性が報告されていたにもかかわらず 結 同人から問い合わせのあった事柄への回答として書 果的に韮山では鉄鍋を使ってパンを焼いていたこと かれた書簡である この文書には 四種類にわたる を示している ちなみに江川邸に伝存する鉄鍋は 兵糧パンの製法が具体的に示されており 幕末に韮 差渡し2尺7寸 深さ2寸の法量を有する 器壁の 山で作られていたパンがどのようなものだったのか 厚さ3分の鋳鉄製である を窺い知ることのできる格好の史料と言える 以下 パンの製法に関する部分を抜粋して示す これときわめてよく似た形状 法量の鉄鍋が 埼 玉県の川越市立博物館に 焼き芋 を焼くための平 ₁8 鍋として展示されている 江戸時代後期以降 焼き 如図の大サ 註 差渡し約₆₆mm にいたし 芋は安価で手軽な食物として庶民に歓迎され 芋を 厚さハ此位 註 約₁₀mm にて 鉄の平鍋で焼いて売る店 その多くは木戸番の副業だっ 焼ナベに油を引 狐色に焼申候 た が 江戸とその周辺地域に多く現れた 芋を焼 一パン之法 西洋人兵糧 く鍋は はじめは焙烙だったが やがて大きくて浅 麦粉 百六十目 い鉄の平鍋を使うようになったとされる₂₀ 川越藩 砂糖 四十目 からは岩倉鉄三郎という藩士が 西洋兵学を学ぶた 玉子 五ツ め韮山に派遣されており 同人が江川坦庵に提出し 右三味水にてこね 焼なへにて焼 た 覚 には 箇条書きにした修得科目の一つとし 又法 て パン製作之事₂₁ が記されている 麦粉 百六十目 石窯を使ってパンを焼き上げるという本来の方法 醴 五勺 が 在来の鉄鍋を用いる方法に変更された背景には 兵糧パンの製法を各地に広めようとした 江川坦庵 是者饅頭本に相成候品 の意図が大きく影響しているものと思われる 釜で 砂糖 二十目 炊いた米を常食としていた幕末の日本で 不慣れな 又法 麦粉 百六十目 西洋式の石窯を築くこと自体 兵糧パン普及の隘路 醴 五勺 となったであろうことは想像に難くない あくまで 水 適量 推論の域を出ないが 韮山で兵糧パン開発にかかわ 右者いつれも製方手 るようになった川越出身の岩倉鉄三郎が 自身の郷 重にて不宜 支配 里の特産物であった焼き芋をヒントに それを焼く 極山入村方にてハ 鉄鍋の応用を提案した可能性も考えられる 麦粉水にてこね また山形藩士秋元吉順の忘備録 銃礟必書 に収 如図 図省略 まるめ 載された パン法₂₂ には 前掲の パン製法書 おし平めぬく灰 と同一の材料である ウドン 百六十目 甘酒 五 にて焼 塩けを付度 勺 と共に 土鍋ニ油ヲヨクヌリ ソレヘ蕎麦ノ練 候得者程よく塩水 加ケンニテ丸テ入 先下より焼 コケ候ヘハ カヘ にてねる 此法一番 シ 上ヨリ焼 との記述が見える 秋元吉順は高島 手軽候て実用に相成 秋帆の門弟で 同門の江川坦庵からパンの製法を伝 麦粉ト認候者小麦 授されたものと思われるが どの地方でも利用可能 之粉御座候 な 土鍋 を用いてパンを焼くことができることを 示した点が興味深い 他方 前掲 パン製法書 には 麦粉を水にてこ この史料で注目すべき点は パンを焼き上げる際 に 焼ナベ を使用することが明記されていること ね たものを おし平め ぬく灰にて焼 くという であろう 現在江川邸には 幕末当時パンを焼くの 山間僻地の囲炉裏などでも可能なパンの焼成法が付 に用いたとされる大型の鉄鍋2個が残されており 記されており 実用本位に幾通りもの製法を考案し 兵糧パンの焼成にあたってこの製法書に示された方 た 江川坦庵の工夫が認められる 法がとられていた可能性が高い このことは史料A に示した柏木総蔵の書簡で パンの焼成にあたり 迚 6

れて鉄鍋を温め 次にパン生地を鉄鍋に並べて木蓋 3 兵糧パンの復元 江川邸における兵糧パンの復元実験は 以前に パ ン祖のパン を商品化した経験をもつ石渡浩二氏 石 渡食品社長 の協力を得て ₂₀₁₅年3月 7月にかけ をし 置き火で鉄鍋の温度を₁₆₀ 位に保ちながら 焦がさないよう注意しながら₁₀分程で焼き上げる 2 酒種法を応用したパン て実施した これは 公益財団法人江川文庫主催の これは パン製法書 のレシピによれば 小麦粉 江川邸パンフェスタ ₂₀₁₅年4月₁₂日開催 におい ₆₀₀g 醴 ₉₀ml に適量の水を加えて捏ね 生地 て 江川邸主屋内土間にてパン焼き再現と試食 を を作るというシンプルなものである ここにいう 実施するという イベントの企画に連動したもので 醴 については 饅頭之本に相成候品 と説明され ているが 要するに米糀を使って起こした酒種であ もあった 復元実験にあたっては 江川太郎左衛門直筆のパ る 江戸時代の日本 特に長崎 には 酒種法とい ン製法書 に記されたレシピ通りに兵糧パンを焼き う独自の製法でパンを作る技術が定着しており 韮 上げることを主要な課題として 器材や原材料の準 山における製パン技術も これを踏襲したものであ 備をおこなった 特に今回の復元では パン製法書 ることがわかる の中に明記されている 鉄鍋を使ったパンの焼成実 生地は まるめ おし平め て所用の大きさにな 験を重視し 実際に川越地域で幕末 明治期に使わ るよう成形し 温かい場所 ₂₇ ₂8 位 で一晩ね れていた焼き芋用の鉄鍋を入手してこれに臨んだ かせて発酵させる 焼成の手順は前記した通りだが この鉄鍋は 江川邸に現存するものとほぼ同一の形 こちらのパンの場合は鉄鍋の温度を₁8₀ 位に保ちな 状 法量を有する 鋳鉄製の平鍋である 木蓋につ がら 置き火で₂₀分程かけて焼くのである 焼き上 いては 川越市立博物館所蔵のオリジナル資料をも がったパンは この時点では3₀ 位の水分を含んで とに 木工所に依頼して新たに製作した 復元実験 いて まだ長期の保存に耐え得る兵糧パンとはいえ は江川邸 母屋の土間 で実施し そこに残る切石積 ない 兵糧パンへと仕上げるには 水分を3 5 みの竃に火を入れて鉄鍋を掛け 兵糧パンの焼成を にまで減らさなければならず そのための工程がも 試みた う一つ必要となる ちなみに近代の乾パン製造にあ 今回の復元では パン製法書 に記された4種類 たっても 焼成後に水分を飛ばす工程がとられてい のレシピのうち 鉄鍋で焼き上げるもの2種類と ることから 明治の日本陸軍ではこれを 重焼麺包 竃の温灰に埋めて焼くもの1種類の 計3種類につ じゅうしょうパン と呼んでいた₂₅ さて パンの いて焼成実験をおこなった 以下それらの実験結果 水分を飛ばすための工程だが 幕末期に使用されて について 所見を述べて行きたい いた器材 設備を基準にすると 次のような三通り 1 玉子と砂糖で味付けしたパン の方法が考えられる パン製法書 によれば 原材料は小麦粉 ₆₀₀g ① 砂糖 ₁₅₀g 玉子 5個 の三種類で これらに 水を加えてよく捏ね 生地を作る このうち小麦粉 落として一昼夜おく ② は 西洋にオヰテハ麦ヲ荒ク挽キ という柏木書 焼き上がったパンを藁灰の中に埋めて一昼夜 おき 表面と中の水分を一定にした後 再び鉄 ₂3 鍋で焼く 簡中の記述を参考に 小麦の表皮や胚芽を一緒に挽 いた 全粒粉 を用いた また砂糖については 幕 焼成したパンを鉄鍋に入れたまま 竃の火を ③ 別に炭焼釜のような竃を造っておき 火を入 末当時日蘭貿易を通じて大量の 白砂糖 が輸入さ れて内部を熱したら 置き火や灰を掻き出す れ 製菓に用いられていたという史実を考慮し この中に鉄鍋で焼いたパンを入れ 一昼夜おく ₂₄ ①の方法は少量を作るのには便利だが 兵糧とし 和砂糖ではなく 上白糖 を使った 出来上がった生地は水分が多く 掌で丸く扁平に て大量生産するのには向かない ②の方法も 一度 成形することは困難で 焼成にあたっては杓子です 藁灰に埋めたパンを取出して灰を払い 鉄鍋に戻し くって鉄鍋に入れた おそらく幕末当時も 椀の蓋 て再度焼くといった手間がかかるため 大量生産に を使うなどして量目を均一化しつつ 生地を鉄鍋に は不向きである ③の方法であれば 重焼用の竃を 移して焼いたものと考えられる ちなみに上記原材 予め造っておきさえすれば 兵糧パンの量産が比較 料の量目は パン₂₀個程度に相当する分量であり 的容易におこなえる 前記したように 江川邸には これは鉄鍋で一度に焼くことのできる個数とも概ね 切石造りの パン焼き窯 が復元されているが こ 一致している 焼成にあたっては まず竃に火を入 うした加熱設備を使って鉄鍋で焼いたパンの水分を 7

飛ばし 兵糧パンの大量生産を図ったのではなかろ はできるが それを長期保存に適した兵糧パンへと うか 仕上げるためには重焼 再加熱 の工程を加える必 要があり これを効率よくおこなうために石窯が大 3 温灰に埋めて焼いたパン これは 麦粉を水にてこね た生地を扁平に成形 きな役割を果たすということである 現在江川邸に した後 ぬく灰にて焼 くというもので パンとい 残る 鉄鍋 と 土間に切石を組んで復元されてい うよりも 醗酵させるといふ考えが入つてゐない₂₆ る 石窯 の関係は このような兵糧パンの製造工 平焼の一種である 復元実験にあたっては 竃の焚 程を踏まえて考える必要があると思われる き口付近に藁灰を敷いて生地を埋め その上に置き さて江川坦庵が製法を確立した兵糧パンは 韮山 火をのせて3₀ ₄₀分程度の時間をかけて焼成すると で西洋兵学を学んだ諸藩士を通じ さまざまな経路 いう方法をとった 藁灰の中から取り出したパンは を経て各地に伝播されていったと考えられる 維新 灰まみれになっており これを払い落すのにかなり の動乱期を迎えて 藩兵の装備や訓練を洋式化しよ の時間を要した ただし焼き上がったパンを拭浄後 うとする開明的な藩の中には 兵制改革の一環とし に試食してみると 臭みも無く 味は鉄鍋で焼いた て兵糧パンの導入を図ったところもあり 実際いく ものよりも却って美味と感じる程で 戦地などの設 つかの藩の記録には 戊辰戦争に際してパンを携帯 備不如意な環境下において 糧食を手作りで賄う必 口糧に利用した記録が残されている ただし多くの 要のある場合には有効な製法といえる 藩では 兵糧パンを使用するにあたって在来の糒や さて韮山においては 兵糧パンの製造にあたって 餅と併用しており 江川坦庵が意図したような携帯 半年分位を一度に焼いて貯蔵するという方法 を 口糧をパンに一本化するということは なかなか実 ₂₇ 講じていたとされる 半年分というのが具体的にど 現できなかったようである の程度の数量なのかは明確でないが 短期間でパン 似たような状況は明治の日本陸軍でも日露戦争後 を大量生産するための一貫した工程が必要であった まで続いており 明治₄₀ ₁₉₀₇ 年の改正を迎える ことは間違いない そのような条件を考慮すると まで 携帯口糧の主食は 糒三合もしくは重焼パン 鉄鍋で生地を焼き上げ 石窯で重焼 再加熱 して 一八〇匁 と規定されていた3₀ こうした背景には 水分を飛ばすという連続した作業工程が 兵糧パン 日本人の主食に対する嗜好の問題があり 前掲の報 製造にあたってとられていたのではないかというこ 告書に 重焼麺包ヲ口ニスルハ我邦人ノ常トシテ大 とが推察される ニ嫌悪スル所ナリ3₁ と書かれている点などからも 江川坦庵はこのようにして製造した兵糧パンを 伊豆の山中で行われた山猟などの野外演習に際して 食習慣の違いを克服することが容易でなかったこと がうかがえる 門弟に携行 喫食させ その効用をくりかえし試し た 嘉永2 ₁8₄₉ 年4月に天城山で実施された山 註 猟では 演習期間中の米食を禁じ パンのみを使う 1 矢田七太郎 幕末之偉人 江川坦庵 青木嵩山 こととして 米を持たずそれぞれがパンを携行する 方針がとられたが 三 四日すると 多くの者が下 堂 ₁₉₀₂年 ₂₁8頁 2 古見一夫 江川太郎左衛門 啓仁館書房 ₁₉33 痢を患った という これと同様なことは 日清 年 ₁₁頁 ₂8 戦争時に戦地での携帯口糧として 重焼麺包 を喫 3 阿久津正蔵 パン科学 生活社 ₁₉₄3年 8₀3 頁 食した日本陸軍の兵士達の間にもたびたび発生して おり 之ヲ食スレハ湯水ノ多量ヲ飲ミ為ニ下痢症ヲ 4 この碑は現在も江川邸内に建っており 碑文は そこから取材した 惹起シタ という現地部隊からの報告が残されて ₂₉ 5 柴田米作編 日本のパン四百年史 日本のパン いる 四百年史刊行会 ₁₉₅₆年 ₄₇ ₅₇頁 6 韮山の兵糧パンに言及した安達巌の著作として おわりに 今回 文書史料の記載にもとづく原材料と器材を 用いた復元実験により 江川太郎左衛門直筆のパン は パンと日本人 日本経済新聞社 ₁₉₆₅年 ぱん由来記 東京書房社 ₁₉₆₉年 江川太郎 製法書 に記された方法で 実際に幕末の兵糧パン 左衛門製パン事始 歴史と人物 第₁₅₆号 中 を再現できることが確認された この復元実験を通 央公論社 ₁₉8₄年1月 パンの日本史 ジャ じて明らかになったことは 鉄鍋でパンを焼くこと パンタイムズ ₁₉8₉年 パン 法政大学出版 8

₁8 江川太郎左衛門直筆パン製法書 N3₅ ₂3 ₁₀ 局 ₁₉₉₆年 などがある 7 柴田 日本のパン四百年史 ₅₆頁 ただしこの 公益財団法人江川文庫所蔵 日付を特定する一次史料は 現在のところ確認 ₁₉ 前掲 六六世代記 されていない ₂₀ 川越市立博物館の展示説明による 8 朝日新聞 ₁₉₉₄年5月₂₀日 夕刊 ₂₁ 岩倉鉄三郎発 江川太郎左衛門宛書状 N₄₀ 9 戸羽山瀚 江川坦庵全集 巌南堂 ₁₉₇₁年 ₁₄8 頁 公益財団法人江川文庫所蔵 ₅₄3 ₂₂ 川瀬同 山形水野藩秋元家文書と秋元家 山 ₁₀ 同上書 ₁₄8 ₁₅₁頁 形県立博物館研究報告 第₁3号 ₁₉₉₂年3月 ₁₁ 韮山町史編纂委員会 韮山町史 第六巻下 韮 ₁₁頁 山町史刊行委員会 ₁₉₉₄年 ₆₀₁ ₆₀3頁 ₂3 前掲 六六世代記 ₁₂ 六六世代記 ₅₀ ₅8 4 7 公益財団法人江 ₂₄ 山脇悌二郎 長崎のオランダ商館 中央公論社 川文庫所蔵 ₁₉8₀年 ₆₄ ₆₉頁および 片桐一男 出島 集 同史料は 江川家の第3₆代当主であった英龍 英社 ₂₀₀₀年 ₉₉頁を参照 坦庵 の事蹟を顕彰するため 第3₇代当主江川 ₂₅ 若松会 陸軍経理よもやま話 若松会 ₁₉8₂年 ₁₆₆頁 英武が直接編纂を指示する形でまとめられたも のであり 記述内容の信憑性が高い ちなみに ₂₆ 阿久津 パン科学 3頁 表題の 六六 とは 第3₆代当主を示す ₂₇ 柴田 日本のパン四百年史 ₅₅頁 ₁3 戸羽山 江川坦庵全集 ₁₄8頁 ₂8 橋本敬之 幕末の知られざる巨人 江川英龍 ₁₄ 前掲 六六世代記 KADOKAWA ₂₀₁₄年 ₂3₂頁 ₁₅ 戸羽山 江川坦庵全集 ₁₄₉頁 ₂₉ 井上伸次郎 重焼麺麭ト道明寺糒トノ比較研究 ₁₆ 前掲 六六世代記 偕行社記事 第3₅₂号 ₁₉₀₆年₁₂月 ₁8頁 ₁₇ この史料は 安達巌 ぱん由来記 東京書房社 ₁₉₆₉年 の中に復刻 収録されており 本稿で 3₀ 若松会 陸軍経理よもやま話 ₁₆₆頁 3₁ 井上 重焼麺麭と道明寺糒トノ比較研究 ₁8頁 は同書₂8₄ ₂8₅頁から所要の部分を引用した 9

図版1 公益財団法人江川文庫所蔵 江川太郎左衛門直筆パン製法書 パン焼成用の鉄鍋 公益財団法人江川文庫所蔵 江川邸内に建つ パン祖の碑 10

図版2 鉄鍋を用いたパンの焼成実験 復元したパン① 復元したパン② 復元したパン③ 小麦 砂糖 卵を原材料としたもの 小麦 醴を原材料にして 適量の水を加 えて捏ね 生地を作ったもの 小麦を水で捏ねた後 温灰に埋めて焼成 したもの ぬく灰 から取り出した直後のパン ぬく灰 による焼成実験 パン全体が灰にまみれた様子がわかる 11