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朝 鮮 戦 争 と 日 本 の 港 湾 国 連 軍 への 支 援 とその 影 響 石 丸 安 蔵 はじめに 1950( 昭 和 25) 年 6 月 25 日 朝 鮮 戦 争 が 勃 発 した 当 時 日 本 は 連 合 国 の 占 領 下 にあった が 兵 員 物 資 の 供 給 中 継 を 行 い 後 方 基 地 としての 役 割 を 果 たした 戦 場 となった 朝 鮮 半 島 と 後 方 基 地 となった 日 本 を 結 んだのは 海 や 空 を 利 用 した 輸 送 路 であり 海 の 輸 送 路 を 支 えたのは 日 本 の 港 湾 であった 港 湾 は 海 陸 輸 送 の 結 節 点 として 戦 場 と 後 方 基 地 を 結 ぶ 重 要 な 拠 点 になった 朝 鮮 戦 争 の 勃 発 と 同 じ 時 期 に 港 湾 に 関 連 する 新 たな 法 律 が 制 定 されていた 港 湾 法 ( 昭 和 25 年 法 律 第 218 号 )と 旧 軍 港 市 転 換 法 ( 同 法 律 第 220 号 )である 港 湾 法 は 港 湾 管 理 行 政 は 地 方 行 政 のひとつとして 行 われるべき という 考 え 方 に 立 っていた 1 また 旧 軍 港 市 転 換 法 は 旧 軍 港 市 2 を 平 和 産 業 港 湾 都 市 に 転 換 し 平 和 日 本 実 現 の 理 想 達 成 を 目 指 していた このように 新 たに 再 出 発 を 図 ろうとしていた 日 本 の 港 湾 は 朝 鮮 戦 争 に 巻 き 込 まれることとなった 朝 鮮 戦 争 は 戦 後 日 本 の 進 路 に 決 定 的 な 影 響 をあたえた 3 と 言 われ 政 治 面 や 経 済 面 へ の 影 響 開 戦 経 緯 あるいは 日 本 の 再 軍 備 に 関 する 研 究 などがなされてきた 日 本 が 実 施 した 支 援 についてもいくつかの 文 献 4 で 言 及 されているが 港 湾 に 焦 点 をあてたものは 見 当 たらない 本 稿 では 朝 鮮 戦 争 において 日 本 の 港 湾 がどのような 役 割 を 果 たし どのよう な 影 響 を 受 けたのかを 支 援 した 事 例 とともに 考 察 していく 朝 鮮 戦 争 から 50 余 年 を 経 過 しようとしている 今 改 めて 日 本 の 港 湾 が 実 施 した 支 援 とその 影 響 について 問 い 直 す 良 い 時 期 ではないだろうか 1 國 分 和 雄 知 ってもらいたい 日 本 の 港 ( 近 代 文 芸 社 2000 年 )45 頁 2 旧 海 軍 鎮 守 府 が 置 かれていた 横 須 賀 市 呉 市 佐 世 保 市 及 び 舞 鶴 市 3 神 谷 不 二 朝 鮮 戦 争 米 中 対 決 の 原 形 - ( 中 央 公 論 社 1966 年 )178 頁 4 三 木 秀 雄 支 援 という 名 の 防 衛 戦 略 朝 鮮 戦 争 において 果 たした 日 本 の 役 割 - 防 衛 大 学 校 紀 要 第 51 号 (1985 年 9 月 ) 山 崎 静 雄 史 実 で 語 る 朝 鮮 戦 争 協 力 の 全 容 ( 本 の 泉 社 1998 年 ) 靏 田 久 雄 占 領 下 日 本 での 朝 鮮 戦 争 後 方 支 援 防 衛 学 研 究 第 27 号 (2002 年 6 月 ) 田 中 恒 夫 朝 鮮 戦 争 における 日 本 の 国 連 軍 への 協 力 その 基 本 姿 勢 と 役 割 - 防 衛 大 学 校 紀 要 第 88 号 (2004 年 3 月 )など 53

1 朝 鮮 戦 争 前 夜 の 港 湾 (1) 港 湾 法 と 旧 軍 港 市 転 換 法 の 成 立 明 治 以 来 の 港 湾 行 政 に 関 する 根 本 的 な 考 え 方 は 港 湾 は 国 の 営 造 物 であり 国 の 機 関 と しての 地 方 長 官 がこれを 管 理 する という 観 念 であり 不 文 の 慣 習 法 をもって 律 せられて きた 5 港 湾 を 国 の 営 造 物 とする 明 治 以 来 の 伝 統 に 根 本 的 な 変 革 をもたらしたのが 港 湾 法 である 1949( 昭 和 24) 年 12 月 16 日 GHQ( 連 合 国 軍 最 高 司 令 官 総 司 令 部 )の 指 示 に 従 い 主 要 な 港 には 原 則 として 法 律 の 定 めるところにより 管 理 主 体 が 設 けられなければ ならないことになった 港 湾 法 は 港 湾 の 管 理 運 営 に 関 し 最 大 限 の 地 方 自 治 権 を 与 え 且 つ 国 家 的 及 び 地 方 的 利 益 に 最 も 適 合 する 港 湾 管 理 主 体 の 形 態 を 設 置 する 機 能 を 地 方 公 共 団 体 に 与 える ことを 目 的 とし 6 50 年 5 月 31 日 公 布 施 行 された 一 方 軍 港 として 明 治 時 代 から 海 軍 鎮 守 府 が 設 置 されていた 横 須 賀 呉 佐 世 保 舞 鶴 の 各 港 も 占 領 軍 が 進 駐 し 主 要 な 施 設 を 接 収 していた その 後 各 市 において 港 湾 施 設 の 一 部 が 接 収 を 解 除 されはじめ その 跡 地 に 民 間 企 業 が 進 出 するなどして 平 和 産 業 港 湾 都 市 の 建 設 が 始 まっていた そして 旧 軍 港 市 を 平 和 産 業 港 湾 都 市 に 転 換 することにより 平 和 日 本 実 現 の 理 想 達 成 に 寄 与 することを 目 的 とした 旧 軍 港 市 転 換 法 が 1950 年 6 月 28 日 に 成 立 したのである (2) 戦 争 による 港 湾 の 被 害 と 復 興 それでは 第 二 次 世 界 大 戦 により 港 湾 が 受 けた 被 害 はどのような 状 況 下 にあったのか 沈 没 船 の 撤 去 や 機 雷 の 掃 海 などについて 振 り 返 る 港 湾 の 処 理 能 力 は 戦 火 による 損 壊 と 保 守 作 業 が 行 われなかったこととにより 著 しく 低 下 していた 港 湾 部 への 爆 弾 攻 撃 の 被 害 は 主 として 船 舶 に 集 中 し 港 や 航 路 から 沈 没 船 を 撤 去 する 必 要 があった 終 戦 時 には 100 万 トン 以 上 の 船 舶 が 沈 没 もしくは 座 礁 しており この 沈 没 船 を 港 や 航 路 から 撤 去 しなければならなかった 7 主 要 港 における 沈 没 船 の 撤 去 が 完 了 したのは 1948( 昭 和 23) 年 のはじめであった 終 戦 時 には 日 本 近 海 に 日 本 海 軍 が 敷 設 した 係 維 機 雷 約 5 万 5,000 個 とアメリカ 軍 が 敷 設 した 感 応 機 雷 約 6,500 個 が 残 っており 航 行 の 妨 げになっていた こういった 機 雷 の 掃 海 作 業 は GHQ の 指 示 の 下 に 日 本 政 府 が 実 施 することとなり 海 軍 省 内 に 掃 海 部 を 設 5 大 同 通 信 社 編 港 湾 年 鑑 1954 年 版 ( 大 同 通 信 社 1954 年 )1 頁 6 同 上 3 頁 7 竹 前 栄 治 中 村 隆 英 監 修 GHQ 日 本 占 領 史 54 巻 海 上 輸 送 ( 日 本 図 書 センター 1998 年 ) 66 頁 横 須 賀 では 371 隻 合 計 2 万 998 総 トンの 沈 没 船 が 下 関 海 峡 では 36 隻 合 計 6 万 5,963 総 トンの 沈 没 船 が 残 されていた 54

置 し 1945 年 10 月 には 艦 船 348 隻 人 員 約 1 万 人 の 掃 海 作 業 の 組 織 的 な 体 制 が 整 えられ た 以 後 海 軍 省 の 廃 止 に 伴 い 掃 海 作 業 の 担 当 は 第 2 復 員 省 復 員 庁 運 輸 省 海 運 総 局 を 経 て 海 上 保 安 庁 へ 変 わった 8 そして 機 雷 掃 海 作 業 は 航 路 の 安 全 を 確 保 する 必 要 性 から すみやかに 進 められ 48 年 には 主 要 な 港 は 航 行 に 安 全 であると 公 示 された 9 その 後 掃 海 作 業 を 実 施 する 体 制 は GHQ の 指 示 により 縮 小 していった 掃 海 従 事 者 は 旧 職 業 軍 人 公 職 追 放 令 に 定 める 追 放 対 象 者 から 除 外 されたが 掃 海 作 業 に 従 事 する 人 員 は 49 年 には 約 1,400 人 まで 減 少 し 掃 海 に 使 用 する 艦 船 は 50 年 6 月 には 79 隻 になっていた 10 (3) 占 領 軍 による 港 湾 の 接 収 第 二 次 世 界 大 戦 終 了 直 後 日 本 には 大 小 含 め 約 600 の 港 湾 が 存 在 していた そのなかで 横 浜 神 戸 関 門 東 京 及 び 博 多 といった 重 要 港 湾 や 横 須 賀 呉 佐 世 保 及 び 舞 鶴 といっ た 旧 海 軍 基 地 は 占 領 軍 により 接 収 されていた 接 収 の 状 況 について ここでは 横 浜 港 神 戸 港 の 状 況 について 見 てみる まず 横 浜 港 であるが 横 浜 は 日 本 占 領 の 上 で 一 大 拠 点 とされていたため 市 内 都 市 部 の 土 地 建 物 港 湾 施 設 などの 多 くが 占 領 軍 の 軍 用 業 務 のため 接 収 されていた 11 横 浜 港 の 接 収 は 降 伏 文 書 が 調 印 された 1945( 昭 和 20) 年 9 月 2 日 から 3 日 にかけて 実 施 され 国 有 の 大 桟 橋 新 港 埠 頭 市 有 の 表 高 島 町 桟 橋 山 内 町 横 桟 橋 などの 接 岸 岸 壁 が 全 面 接 収 されたのをはじめ 浮 標 錨 地 港 内 航 行 権 の 制 限 管 理 権 上 屋 倉 庫 も 接 収 された 臨 港 地 帯 の 主 要 公 共 施 設 がすべて 接 収 されたことによって 横 浜 港 は 殆 ど 半 身 不 随 の 状 態 に 陥 っていたのである 12 接 収 の 解 除 は 遅 々として 進 まず 部 分 的 な 施 設 の 接 収 解 除 と 再 接 収 が 重 ねられていたが 50 年 3 月 の 時 点 では 公 共 埠 頭 施 設 の 84%が 接 収 された 状 態 で あった 次 に 神 戸 港 の 状 況 について 振 り 返 る 神 戸 港 の 接 収 は 1945 年 9 月 末 から 始 まった 新 港 第 1 突 堤 から 第 6 突 堤 中 突 堤 兵 庫 突 堤 等 その 他 川 西 住 友 三 菱 三 井 の 倉 庫 等 の 主 要 施 設 が 接 収 された 13 46 年 から 47 年 にかけて 兵 庫 突 堤 中 突 堤 の 接 収 が 解 除 さ れたが 50 年 の 時 点 では 主 要 な 港 湾 施 設 は 未 返 還 のままであった (4) 日 本 船 舶 の 管 理 8 海 上 幕 僚 監 部 防 衛 部 編 航 路 啓 開 史 ( 海 上 幕 僚 監 部 1961 年 )4-5 頁 9 竹 前 中 村 監 修 GHQ 日 本 占 領 史 第 54 巻 海 上 輸 送 64 頁 10 同 上 33-34 頁 11 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 編 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 下 ) ( 横 浜 市 2000 年 )327 頁 12 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 編 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 上 ) ( 横 浜 市 1999 年 )321 頁 13 小 林 照 夫 日 本 の 港 の 歴 史 その 現 実 と 課 題 - ( 成 山 堂 書 店 1999 年 )86 頁 55

第 二 次 世 界 大 戦 中 日 本 は 戦 争 遂 行 のため 人 員 と 物 資 の 管 理 統 制 を 強 化 し 戦 時 経 済 体 制 への 途 を 歩 んだ 国 家 総 動 員 法 により 運 輸 の 分 野 においても 統 制 政 策 が 強 化 された 海 運 の 分 野 でも 海 運 組 合 法 海 運 統 制 令 港 湾 運 送 業 等 統 制 令 戦 時 海 運 管 理 令 が 公 布 され 1942( 昭 和 17) 年 4 月 には 船 舶 運 営 会 が 設 置 され この 組 織 が 海 運 の 一 元 的 管 理 を 担 っていた 日 本 降 伏 後 1945 年 8 月 26 日 を 期 して 日 本 船 舶 を 一 斉 に 停 船 させ 現 に 航 行 中 の 船 舶 は 最 寄 りの 寄 港 地 で 停 泊 することなどが 指 令 された 14 降 伏 文 書 の 調 印 が 行 われた 9 月 2 日 には 全 船 舶 の 移 動 禁 止 が 命 令 され 翌 3 日 には 100 総 トン 以 上 の 船 舶 の GHQ に よる 管 理 が 明 確 にされた そして 日 本 船 舶 は アメリカ 太 平 洋 艦 隊 司 令 官 の 指 揮 監 督 下 に 置 かれることとなった 船 舶 の 管 理 は 当 初 GHQ 艦 隊 連 絡 部 が 担 当 したが 10 月 10 日 には GHQ に SCAJAP (Naval Shipping Control Authority for Japanese Merchant Marine: 日 本 商 船 管 理 局 )が 新 設 され 日 本 艦 船 の 運 航 新 造 改 造 修 繕 処 分 などを 総 括 的 に 管 理 する 体 制 が 整 えられた 15 GHQ は 1945 年 11 月 9 日 に 日 本 船 主 代 理 店 業 者 港 湾 荷 役 業 者 港 湾 業 者 燃 料 供 給 業 者 などの 代 表 で 構 成 される 民 間 商 船 委 員 会 を 設 置 することを 命 じた 政 府 は すで にあった 船 舶 運 営 会 を 民 間 商 船 委 員 会 として 機 能 させることを 提 案 し GHQ もそれを 認 めた 戦 時 海 運 管 理 令 を 暫 定 的 に 延 長 して 存 続 することになった 船 舶 運 営 会 が 同 時 に SCAJAP の 下 部 機 構 となったのである このように 商 船 の 運 航 を 一 元 的 に 管 理 する 組 織 を 設 立 したことは 占 領 の 基 本 原 則 である 民 主 化 からやや 逸 脱 したように 思 われるが これ は 当 時 の 複 雑 な 状 況 に 対 処 するために ただひとつの 現 実 的 な 方 法 であった 16 50 年 4 月 1 日 には 日 本 の 船 舶 は 船 舶 運 営 会 の 統 制 下 を 離 れ 民 間 の 自 由 運 営 に 還 元 されることと なり これを 契 機 に 船 舶 運 営 会 の 名 称 を 商 船 管 理 委 員 会 と 改 称 した 17 (5)アメリカからの 貸 与 船 第 二 次 世 界 大 戦 により 日 本 商 船 隊 の 総 量 (100 総 トン 以 上 の 船 舶 の 合 計 )は 610 万 総 ト ンから 120 万 総 トンにまで 激 減 し 戦 時 中 の 船 舶 の 損 失 は 戦 時 中 の 急 造 分 の 被 害 を 含 め て 総 計 でほぼ 830 万 総 トンに 達 していた 18 すぐに 航 行 できる 船 舶 の 数 は 658 隻 91 万 5,408 総 トンであった 19 14 有 吉 義 弥 占 領 下 の 日 本 海 運 ( 国 際 海 運 新 聞 社 1961 年 )44 頁 15 三 和 良 一 占 領 期 の 日 本 海 運 ( 日 本 経 済 評 論 社 1992 年 )88 頁 16 竹 前 中 村 GHQ 日 本 占 領 史 第 54 巻 海 上 輸 送 17 頁 17 運 輸 省 編 海 上 労 働 十 年 史 ( 海 上 労 働 協 会 1957 年 )37 頁 18 竹 前 中 村 GHQ 日 本 占 領 史 第 54 巻 海 上 輸 送 5 頁 19 同 上 7 頁 56

このような 壊 滅 的 な 状 態 にあった 日 本 海 運 の 状 況 に 直 面 して GHQ は 占 領 軍 輸 送 引 揚 げ 輸 送 及 び 国 内 経 済 に 必 要 な 船 腹 を 緊 急 に 確 保 しなければならなかった 船 腹 不 足 を 補 うため 1946( 昭 和 21) 年 1 月 にアメリカから 合 計 215 隻 の 船 舶 が 日 本 政 府 に 貸 与 さ れていた 20 貸 与 船 は 順 次 改 装 され 日 本 船 員 を 配 乗 させ 帰 還 輸 送 に 使 用 された 帰 還 輸 送 は 順 調 に 進 み 46 年 中 には 509 万 人 が 47 年 には 74 万 人 が 48 年 には 30 万 人 が 引 揚 げ ほぼ 3 年 間 でその 任 務 は 終 わっていた 21 引 揚 げ 業 務 が 進 み 船 腹 に 余 裕 が 出 てくると 不 要 になったリバティー 型 輸 送 船 と LST ( 戦 車 揚 陸 艦 )は 順 次 アメリカへ 返 還 され 1950 年 には 数 隻 の 貨 物 船 と 39 隻 の LST が 商 船 管 理 委 員 会 により 運 航 されていた (6) 在 日 アメリカ 軍 と 軍 事 海 上 輸 送 部 隊 第 二 次 世 界 大 戦 後 占 領 軍 の 勢 力 は 当 初 40 万 人 を 数 えたが 朝 鮮 戦 争 直 前 には 11 万 人 程 度 にまで 減 少 していた 在 日 アメリカ 陸 軍 は 第 8 軍 の 4 個 師 団 と 沖 縄 に 1 個 連 隊 がい た 第 8 軍 の 各 部 隊 は 北 海 道 から 九 州 に 至 るまで 合 計 5 万 5,000 人 が 広 範 囲 に 分 散 し 駐 屯 していた 朝 鮮 戦 争 直 前 にいた 在 日 アメリカ 海 軍 は 極 東 海 軍 の 水 上 部 隊 のみであり 航 空 兵 力 はな かった 艦 艇 17 隻 からなる 第 96 任 務 部 隊 が 日 本 を 母 港 としていた また 艦 艇 5 隻 からな る 第 90 任 務 部 隊 が 上 陸 作 戦 演 習 のために 日 本 に 到 着 したところであった 22 在 日 アメリカ 海 軍 の 基 地 施 設 は 最 小 限 度 のものであった 後 方 支 援 司 令 部 組 織 もなく 計 画 調 整 に 当 たる 太 平 洋 艦 隊 支 援 部 隊 の 代 表 機 関 も 設 置 されていなかった 横 須 賀 基 地 には 小 規 模 な 修 理 施 設 はあったが 魚 雷 や 電 子 機 器 を 修 理 するような 専 門 工 場 はなく 約 5,000 人 の 軍 人 とその 家 族 を 支 援 するのに 必 要 な 補 給 部 と 3,000 トンの 弾 薬 を 保 有 す る 兵 器 施 設 と 海 軍 病 院 があった 佐 世 保 基 地 には 士 官 5 名 と 下 士 官 100 名 が 配 員 されて いるのみであったが 旧 日 本 海 軍 が 築 いた 良 港 と 広 大 なドックが 残 されていた 23 アメリカにおいては 1947( 昭 和 22) 年 の 国 家 安 全 保 障 法 に 基 づき MSTS (Military Sea Transportation Service: 軍 事 海 上 輸 送 部 隊 )が 49 年 10 月 に 設 立 されていた MSTS は 全 20 同 上 81-82 頁 215 隻 の 内 訳 は リバティー 型 輸 送 船 100 隻 戦 車 揚 陸 艦 100 隻 病 院 船 6 隻 小 型 補 助 艦 船 9 隻 21 三 和 占 領 期 の 日 本 海 運 84 頁 22 佐 世 保 市 史 編 さん 委 員 会 編 佐 世 保 市 史 軍 港 史 編 下 巻 ( 佐 世 保 市 2003 年 )418-419 頁 第 96 任 務 部 隊 は 軽 巡 洋 艦 1 隻 駆 逐 艦 4 隻 潜 水 艦 1 隻 掃 海 艇 10 隻 及 びオーストラリア 海 軍 のフリゲート 1 隻 第 90 任 務 部 隊 は 揚 陸 指 揮 艦 1 隻 揚 陸 輸 送 艦 1 隻 揚 陸 貨 物 輸 送 艦 1 隻 LST1 隻 艦 隊 曳 船 1 隻 で 構 成 されていた 23 James A. Field, Jr. History of United States Naval Operations Korea (Washington, D.C.: U.S. Government Printing Office, 1962), pp. 46-47. 57

世 界 的 な 船 舶 運 航 機 関 となり ロンドン ニューヨーク サンフランシスコ 及 び 東 京 に 各 司 令 部 が 設 けられようとしていた 西 太 平 洋 方 面 を 担 当 する MSTS 司 令 官 代 理 のジュンカ ー(Alexander F. Junker) 大 佐 が 司 令 部 設 立 のため 50 年 1 月 東 京 に 着 任 し その 開 設 を 7 月 1 日 に 控 えていた 彼 の 指 揮 下 にあった 船 舶 は 業 務 に 適 しておらず 500 トンの 貨 物 輸 送 能 力 を 持 つ 貨 物 船 10 隻 兵 員 100 名 を 輸 送 できる 沿 岸 輸 送 船 2 隻 及 び LST6 隻 など のみであった 24 2 国 連 軍 への 支 援 と 港 湾 の 状 況 1950( 昭 和 25) 年 6 月 港 湾 法 が 成 立 した 頃 には 日 本 の 主 要 な 港 湾 においては 第 二 次 世 界 大 戦 による 被 害 についても 沈 没 船 の 撤 去 や 機 雷 除 去 といった 急 を 要 する 作 業 は 一 段 落 していた また 占 領 軍 輸 送 引 揚 げ 輸 送 も 概 ね 終 了 し アメリカから 貸 与 された 船 舶 も 徐 々に 返 還 されつつあった 日 本 国 憲 法 が 47 年 5 月 3 日 に 施 行 され 平 和 主 義 や 民 主 化 を 基 本 理 念 とし 港 湾 管 理 や 船 員 船 舶 の 管 理 も 民 主 化 されようとしていた しかし 現 に 存 在 する 占 領 軍 の 活 動 に 必 要 な 港 湾 施 設 の 接 収 解 除 は 遅 々として 進 んでいなかった そのような 状 況 にあった 日 本 の 港 湾 は 朝 鮮 戦 争 勃 発 と 同 時 に 大 きな 影 響 を 受 けること となる 日 本 各 地 の 占 領 軍 は 急 きょ 国 連 軍 として 朝 鮮 半 島 に 送 りこまれた ここでは 日 本 の 港 湾 がどのように 国 連 軍 を 支 援 し どのような 状 況 であったのか 港 湾 別 に 述 べて みる まず 日 本 を 代 表 する 港 湾 として 横 浜 港 神 戸 港 を 選 び そして 朝 鮮 半 島 に 近 い 関 門 港 25 ( 北 九 州 港 下 関 港 ) 博 多 港 を 選 んだ また 平 和 産 業 港 湾 都 市 として 再 出 発 を 図 ろ うとしていた 佐 世 保 港 横 須 賀 港 呉 港 を 選 んだ (1) 横 浜 港 日 本 の 表 玄 関 として 発 展 してきた 横 浜 港 は 終 戦 直 後 は 占 領 軍 により 多 くの 港 湾 施 設 が 接 収 されていた 接 収 解 除 は 朝 鮮 戦 争 の 勃 発 により 大 幅 に 遅 れ 商 業 港 としての 機 能 は 完 全 に 麻 痺 していた 横 浜 市 における 接 収 は 1951( 昭 和 26) 年 まで 増 加 傾 向 にあったが 講 和 条 約 の 締 結 を 機 に 52 年 以 降 徐 々に 接 収 解 除 が 進 み 接 収 面 積 は 減 少 した 26 港 湾 施 設 の 24 Ibid., p. 72. 25 港 湾 法 による 分 類 では 関 門 港 とは 北 九 州 港 ( 福 岡 県 北 九 州 市 ) 下 関 港 ( 山 口 県 下 関 市 )を 一 元 化 した 港 である 北 九 州 港 は 1963 年 に 門 司 市 小 倉 市 八 幡 市 若 松 市 戸 畑 市 の 5 市 が 合 併 し 北 九 州 市 が 誕 生 したことに 伴 い 門 司 港 小 倉 港 洞 海 港 を 統 合 したものである 26 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 上 ) 223-224 頁 全 施 設 の 接 収 面 積 は 1945 年 に 約 862 万 m2 51 年 に 約 1,205 万 m2 56 年 に 約 971 万 m2 特 に 港 湾 地 区 を 含 む 中 区 神 奈 川 区 の 接 収 面 積 が 非 常 に 多 かった 58

解 除 は 51 年 12 月 に 市 有 の 山 内 埠 頭 が 52 年 2 月 に 大 桟 橋 が 接 収 解 除 されたが 最 も 重 要 な 部 分 とされた 新 港 埠 頭 及 び 瑞 穂 埠 頭 の 接 収 解 除 は 進 展 しなかった 27 1950 年 7 月 上 旬 には 北 朝 鮮 軍 の 猛 烈 な 進 撃 に 伴 い アメリカ 軍 は 増 援 部 隊 の 派 遣 を 決 定 し 第 1 騎 兵 師 団 ( 埼 玉 県 朝 霞 市 に 駐 屯 )を 7 月 15 日 横 浜 港 から 送 り 出 し 7 月 18 日 から 22 日 に 浦 項 に 到 着 させた 28 横 浜 港 は 兵 員 の 輸 送 拠 点 のみならず 国 連 軍 の 兵 站 基 地 にもなり 瑞 穂 岸 壁 はアメリ カ 軍 弾 薬 庫 から 運 び 出 される 弾 薬 類 の 集 積 地 となった 1950 年 8 月 25 日 には JLC (Japan Logistical Command: 在 日 兵 站 司 令 部 )が 設 けられ その 任 務 は 在 韓 国 連 軍 への 兵 站 と 行 政 の 支 援 駐 日 の 戦 闘 部 隊 業 務 部 隊 への 兵 站 と 行 政 の 支 援 極 東 海 軍 極 東 空 軍 及 び GHQ との 協 調 などであった 29 鉄 道 輸 送 は 第 8 軍 第 3 鉄 道 輸 送 司 令 部 に 管 理 された 鉄 道 運 輸 事 務 所 が 各 主 要 駅 に 設 け られ 九 州 方 面 への 兵 員 輸 送 に 使 用 された 1950 年 7 月 末 からは 横 浜 港 から 佐 世 保 港 ま で 15 両 編 成 の 貨 物 列 車 が 定 期 化 され 佐 世 保 釜 山 間 の 定 期 船 に 連 絡 した 赤 玉 急 行 便 の 運 転 が 開 始 された さらに 仁 川 上 陸 作 戦 を 目 前 にした 時 期 には 韓 国 軍 兵 士 を 韓 国 から 輸 送 し 横 浜 港 経 由 で 富 士 演 習 場 に 輸 送 訓 練 を 実 施 した 後 再 び 横 浜 港 経 由 で 韓 国 まで 輸 送 している 30 港 湾 施 設 の 大 半 が 接 収 されているという 悪 条 件 にもかかわらず 輸 入 を 中 心 とした 国 際 貿 易 港 としての 機 能 を 果 たし トン 税 収 入 外 航 貨 客 数 ともに 神 戸 港 を 凌 ぎ 31 日 本 港 湾 の 主 座 を 保 っていた しかし 岸 壁 が 接 収 により 使 用 できないため 艀 による 運 送 が 物 流 の 主 役 となっていた 朝 鮮 半 島 から 遠 く 離 れた 横 浜 でも 北 朝 鮮 軍 による 攻 撃 の 可 能 性 を 否 定 することはで きなかった 1950 年 10 月 JLC は 防 空 災 害 計 画 の 準 備 に 入 り 根 岸 子 安 台 岡 村 花 見 台 の 各 公 園 を 接 収 し 高 射 砲 陣 地 を 建 設 した 32 マッカーサー(Douglas MacArthur) は 鴨 緑 江 鉄 橋 を 含 む 南 満 州 に 対 する 爆 撃 を 言 明 しており 爆 撃 に 対 する 反 撃 を 想 定 した 防 空 対 策 が 図 られていたのである 33 27 同 上 332 頁 28 靏 田 久 雄 占 領 下 日 本 での 朝 鮮 戦 争 後 方 支 援 防 衛 学 研 究 第 27 号 (2002 年 6 月 )36 頁 29 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 下 ) 58-59 頁 30 日 本 国 有 鉄 道 外 務 部 長 編 鉄 道 終 戦 処 理 史 ( 日 本 国 有 鉄 道 1957 年 )263 頁 1950 年 8 月 19 日 から 23 日 にかけて 横 浜 港 相 武 台 下 駅 から 御 殿 場 富 士 吉 田 西 小 泉 へ 輸 送 ( 鉄 道 便 17 本 73 車 両 使 用 ) 9 月 7 日 から 8 日 にかけて 御 殿 場 富 士 吉 田 西 小 泉 発 横 浜 港 へ 輸 送 ( 鉄 道 便 21 本 46 車 両 使 用 ) 31 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 上 ) 328 頁 1951 年 度 のトン 税 収 入 は 横 浜 2,920 万 円 神 戸 2,360 万 円 1951 年 度 の 外 航 貨 客 数 は 横 浜 2 万 6,837 人 神 戸 9,363 人 である 32 同 上 271 頁 33 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 下 ) 62 頁 59

(2) 神 戸 港 横 浜 港 と 並 んで 日 本 を 代 表 する 港 湾 として 神 戸 港 がある 神 戸 港 も 横 浜 港 と 同 じく 占 領 軍 により 多 くの 施 設 が 接 収 されていた 主 要 施 設 の 接 収 解 除 は 進 まず 食 糧 輸 入 のため 接 収 解 除 となった 第 5 突 堤 も 再 接 収 された 34 1952( 昭 和 27) 年 には 第 1~4 突 堤 などが 解 除 されたが 第 5 第 6 突 堤 と 第 1 突 堤 の 基 部 高 浜 岸 壁 などが 接 収 されたままであっ た 地 上 軍 の 投 入 に 伴 う 兵 員 輸 送 が 神 戸 港 でも 実 施 されている 第 25 歩 兵 師 団 所 属 の 第 27 歩 兵 連 隊 ( 大 阪 府 和 泉 町 に 駐 屯 )を 1950 年 7 月 8 日 神 戸 港 から 送 り 出 し 7 月 10 日 釜 山 に 到 着 させた また 第 25 歩 兵 師 団 所 属 の 第 35 歩 兵 連 隊 ( 滋 賀 県 大 津 市 に 駐 屯 )を 7 月 13 日 神 戸 港 から 送 り 出 し 7 月 15 日 釜 山 に 到 着 させた 35 1950 年 8 月 に 入 り 北 朝 鮮 軍 の 攻 勢 が 続 き ついに 国 連 軍 は 朝 鮮 半 島 南 端 の 釜 山 付 近 まで 追 い 詰 められていた これに 対 し 仁 川 上 陸 作 戦 が 計 画 され 神 戸 港 においても 侵 攻 部 隊 の 搭 載 準 備 が 行 われていた 第 1 海 兵 隊 員 と 軍 事 物 資 を 輸 送 するための 準 備 が 実 施 され LST 輸 送 船 貨 物 船 は 9 月 12 日 までに 神 戸 港 を 出 港 し 36 上 陸 作 戦 攻 撃 部 隊 のトラクター 部 隊 として 参 加 した 47 隻 の LST(うち 30 隻 は 日 本 人 乗 り 組 みの LST)と 66 隻 の 貨 物 船 は 仁 川 沖 に 向 かった 37 1951 年 には 神 戸 市 が 港 湾 管 理 者 となり 接 収 解 除 運 動 方 針 を 樹 立 した 7 月 12 日 神 戸 港 港 湾 地 域 の 接 収 解 除 について の 陳 情 書 をアメリカ 軍 兵 站 司 令 官 神 戸 ベース 司 令 官 運 輸 省 港 務 局 長 などへ 提 出 し 38 以 後 神 戸 市 長 を 中 心 にアメリカ 軍 と 日 本 政 府 に 対 して 接 収 解 除 を 働 き 続 けた (3) 関 門 港 ( 北 九 州 港 下 関 港 ) 朝 鮮 半 島 に 近 い 北 九 州 各 地 と 山 口 県 西 部 は 朝 鮮 戦 争 を 身 近 に 感 じた 地 域 であったかも しれない 1950( 昭 和 25) 年 6 月 29 日 午 後 10 時 15 分 正 体 不 明 の 飛 行 機 1 機 が 北 九 州 に 近 接 してきたため 小 倉 戸 畑 八 幡 門 司 の 4 都 市 に 警 戒 警 報 が 発 せられ 灯 火 管 制 が 実 施 された 同 警 報 は 午 後 10 時 55 分 には 解 除 されたが アメリカ 軍 は 数 台 の 拡 声 機 付 34 神 戸 市 港 湾 総 局 編 神 戸 港 史 概 説 ( 神 戸 市 1961 年 )189 頁 35 靏 田 占 領 下 日 本 での 朝 鮮 戦 争 後 方 支 援 36 頁 36 Roy E. Appleman, United States Army in the Korean War: South to the Naktong, North to the Yalu, (Washington, D.C.: Office of the Chief of Military History, Department of the Army, 1961), p. 501. 37 Field, History of United States Naval Operations Korea, p. 187. 38 神 戸 市 港 湾 総 局 神 戸 港 史 概 説 189-190 頁 60

トラックを 福 岡 市 内 に 出 動 させ 市 民 に 警 戒 を 呼 びかけていた 39 仁 川 上 陸 作 戦 直 後 アメリカ 軍 は 物 資 の 陸 揚 げに 小 船 と 人 が 必 要 であった この 時 期 に 日 本 の 機 帆 船 が 協 力 したが その 機 帆 船 の 集 結 地 は 門 司 港 であった 東 西 汽 船 株 式 会 社 と JLC の 間 で 機 帆 船 120 隻 母 船 1 隻 修 理 船 1 隻 ( 船 員 は 合 計 で 約 1,300 名 )の 傭 船 契 約 が 結 ばれ 機 帆 船 は 1950 年 9 月 18 日 門 司 港 に 集 結 した そして 門 司 港 を 出 発 釜 山 を 経 由 し 97 隻 の 機 帆 船 母 船 1 隻 及 び 修 理 船 1 隻 が 10 月 2 日 から 4 日 にわたって 仁 川 沖 で 軍 需 物 資 から 日 用 品 にわたるあらゆる 物 資 を 軍 の 輸 送 船 から 岸 に 揚 げる 揚 搭 作 業 に 従 事 した 40 元 山 上 陸 作 戦 を 前 に 機 雷 排 除 の 必 要 性 に 迫 られたアメリカ 軍 の 依 頼 により 日 本 は 掃 海 艇 を 派 遣 した この 日 本 特 別 掃 海 隊 の 集 結 地 として 選 ばれたのが 下 関 港 であった 1950 年 10 月 上 旬 に 19 隻 の 掃 海 艇 と 1 隻 の 掃 海 母 船 が 門 司 に 集 結 し 特 別 掃 海 隊 を 編 成 した 41 特 別 掃 海 隊 は 元 山 群 山 仁 川 海 州 鎮 南 浦 における 掃 海 業 務 により 機 雷 27 個 を 処 分 し 国 連 軍 艦 船 が 洋 上 において 作 戦 行 動 する 際 の 航 行 の 自 由 確 保 に 寄 与 した 参 加 した 人 員 は 現 地 において 掃 海 に 従 事 した 者 1,200 名 内 地 にあって 連 絡 補 給 造 修 に 当 たった 者 250 名 合 計 1,450 名 であった 42 門 司 港 小 倉 港 周 辺 では アメリカ 兵 による 集 団 脱 走 事 件 43 が 発 生 したり 朝 鮮 半 島 で 戦 死 した 軍 人 の 遺 体 運 搬 44 が 垣 間 見 えてきたりするなど 戦 争 の 恐 怖 が 港 湾 周 辺 住 民 の 人 心 を 動 揺 させた (4) 博 多 港 朝 鮮 半 島 に 近 い 北 九 州 地 区 にある 博 多 港 も 朝 鮮 戦 争 勃 発 以 降 多 くの 支 援 を 実 施 してい る 福 岡 市 の 中 心 部 では 博 多 港 と 荒 戸 町 にあったアメリカ 軍 病 院 との 間 を 往 復 し 戦 場 から 送 還 されてきた 戦 傷 病 兵 を 運 ぶトラック 群 が 連 日 見 られた 39 福 岡 県 警 察 本 部 編 福 岡 県 警 察 史 昭 和 前 編 ( 福 岡 県 1980 年 )842 頁 40 竹 前 栄 治 尾 崎 毅 田 中 香 織 証 言 戦 後 初 期 海 運 秘 史 朝 鮮 戦 争 と 北 村 正 則 - 東 京 経 済 大 学 人 文 自 然 科 学 論 集 第 105 号 (1998 年 2 月 )141-142 頁 東 西 汽 船 株 式 会 社 編 東 西 汽 船 十 年 の 歩 み 東 西 汽 船 株 式 会 社 1951 年 77-87 頁 41 大 久 保 武 雄 海 鳴 りの 日 々 ( 海 洋 問 題 研 究 会 1978 年 )209-210 頁 42 同 上 259-260 頁 43 福 岡 県 警 察 本 部 福 岡 県 警 察 史 昭 和 前 編 848-856 頁 1950 年 7 月 11 日 岐 阜 市 に 駐 屯 して いた 第 24 歩 兵 連 隊 が 朝 鮮 半 島 に 進 出 するため 小 倉 キャンプ( 現 北 九 州 市 小 倉 北 区 城 野 )に 到 着 した 際 約 200 名 の 完 全 武 装 のアメリカ 兵 が 脱 走 キャンプ 周 辺 において 暴 行 傷 害 強 盗 窃 盗 など 70 数 件 の 事 件 を 起 こしている 44 柳 本 見 一 激 動 20 年 福 岡 県 の 戦 後 史 - ( 毎 日 新 聞 西 部 本 社 1965 年 )168-169 頁 小 倉 キ ャンプには 遺 体 処 理 隊 が 設 けられ 1950 年 11 月 頃 から 遺 体 搬 入 が 本 格 的 となり 扱 った 遺 体 は 約 6 万 体 である 身 元 確 認 後 遺 体 は 門 司 港 から 本 国 に 送 還 された 61

博 多 港 は 兵 員 弾 薬 の 運 送 LST 病 院 船 の 着 岸 乗 降 積 載 と 陸 も 海 も 芋 を 洗 うがごと き 状 況 を 呈 し 朝 鮮 半 島 への 重 要 な 輸 送 基 地 となったため 極 度 の 緊 張 に 包 まれた 福 岡 県 警 察 博 多 水 上 署 では 1950( 昭 和 25) 年 6 月 27 日 から 埠 頭 その 他 の 沿 岸 警 備 を 行 い 不 法 入 国 者 の 警 戒 に 当 たった 45 国 鉄 における 在 日 国 連 軍 の 派 遣 輸 送 を 見 ると 1950 年 7 月 1 日 から 8 日 までの 間 九 州 関 西 方 面 に 向 け 87 本 の 臨 時 列 車 が 運 転 し その 使 用 列 車 は 客 車 619 両 貨 車 1,816 両 であった 46 派 遣 輸 送 開 始 後 2 週 間 における 軍 事 輸 送 は 国 鉄 軍 事 輸 送 史 上 最 高 を 記 録 した 47 国 鉄 は 引 揚 げ 帰 還 輸 送 のため 博 多 と 釜 山 の 間 に 博 釜 航 路 を 開 設 していたが 7 月 3 日 からこの 博 釜 航 路 に 就 航 していた 3 隻 の 船 を 国 連 軍 輸 送 に 従 事 させた 48 (5) 佐 世 保 港 佐 世 保 港 は 旧 日 本 海 軍 により 1889( 明 治 22) 年 に 佐 世 保 鎮 守 府 が 開 庁 して 以 来 軍 港 として 発 展 してきた 戦 後 は 1950 年 1 月 の 佐 世 保 市 長 による 平 和 宣 言 により 平 和 産 業 都 市 として 発 展 を 図 る 進 路 を 示 したところ 朝 鮮 戦 争 の 勃 発 により 施 設 の 大 半 が 連 合 軍 に 再 接 収 された 朝 鮮 戦 争 の 勃 発 とともに 在 韓 アメリカ 人 の 避 難 が 始 まり 佐 世 保 港 が 避 難 港 に 指 定 され た 1950 年 6 月 26 日 から 29 日 にかけて 韓 国 から 日 本 に 避 難 したアメリカ 人 は 1,527 名 いた アメリカ 人 のうち 海 路 による 避 難 者 は 718 名 であり 他 の 809 名 は 空 路 による ものであり 海 路 による 避 難 者 の 多 くは 仁 川 港 から 佐 世 保 港 に 入 港 したノルウェーの 肥 料 運 搬 船 Reinholt 号 に 乗 船 していた 婦 人 や 子 供 あわせて 682 名 であった 49 アメリカ 海 空 軍 の 投 入 に 伴 い 佐 世 保 港 が 備 えていた 海 軍 基 地 としての 機 能 拡 充 が 急 が れた 1950 年 6 月 28 日 には 佐 世 保 基 地 が 第 96.5 任 務 群 ( 駆 逐 艦 4 隻 )の 根 拠 地 に 指 定 され 艦 艇 への 弾 薬 補 給 と 7,500 人 の 食 糧 30 日 分 を 支 援 できるような 体 制 をとることと なった 50 当 時 在 日 アメリカ 海 軍 の 基 地 機 能 は 横 須 賀 基 地 に 集 中 しており 佐 世 保 基 地 はそれに 次 ぐものとして 位 置 づけられていた 佐 世 保 基 地 において 6 月 26 日 には 士 官 7 名 下 士 官 96 名 と 日 本 人 従 業 員 669 名 がいるだけであったが 7 カ 月 後 には 士 官 60 名 以 上 下 士 官 1,000 名 以 上 を 数 えるまでになった 当 初 貯 蔵 弾 薬 がなかったが 8 月 中 旬 に 45 福 岡 県 警 察 本 部 福 岡 県 警 察 史 昭 和 前 編 842-843 頁 46 日 本 国 有 鉄 道 外 務 部 長 鉄 道 終 戦 処 理 史 260 頁 47 同 上 262 頁 列 車 数 は 245 本 使 用 車 両 は 客 車 7,324 両 貨 車 5,208 両 であった 48 同 上 796-797 頁 49 Appleman, United States Army in the Korean War, p. 39. 50 佐 世 保 市 史 編 さん 委 員 会 佐 世 保 市 史 軍 港 史 編 下 巻 421 頁 62

は 5,300 トン 以 上 の 弾 薬 を 扱 うようになった 51 地 上 軍 の 投 入 に 伴 い 福 岡 県 小 倉 市 に 司 令 部 を 置 く 第 24 歩 兵 師 団 に 出 動 命 令 が 下 され た 7 月 1 日 には 第 34 歩 兵 連 隊 ( 佐 世 保 市 駐 屯 )を 佐 世 保 港 から 送 り 出 し 7 月 2 日 に 釜 山 へ 到 着 させた 7 月 3 日 には 第 21 歩 兵 連 隊 ( 熊 本 県 熊 本 市 駐 屯 )の 主 力 と 野 戦 砲 兵 大 隊 ( 福 岡 県 春 日 市 駐 屯 )を 佐 世 保 港 から 送 り 出 し 7 月 4 日 釜 山 へ 到 着 させた 52 このよ うに 佐 世 保 港 は 開 戦 当 初 避 難 民 の 受 け 入 れや 近 傍 に 駐 屯 する 陸 軍 の 兵 員 や 武 器 弾 薬 の 輸 送 拠 点 として 使 用 された 戦 局 の 進 展 に 伴 い 艦 船 の 入 港 隻 数 は 大 きくふくれあがった 53 5 人 の 水 先 案 内 人 が アメリカ 海 軍 作 戦 部 に 詰 めて 次 々に 入 出 港 する 艦 船 を 支 援 した 立 神 岸 壁 では 物 資 の 積 み 込 みが 昼 夜 の 別 なく 行 われた 曳 船 による 離 着 岸 援 助 係 留 索 取 り 給 油 給 水 は ア メリカ 海 軍 の 艦 船 に 対 してはアメリカ 海 軍 基 地 の 港 務 部 他 国 の 艦 船 については 佐 世 保 市 港 湾 課 所 属 の 曳 船 と 水 船 SSK( 株 式 会 社 佐 世 保 船 舶 工 業 )の 曳 船 商 船 管 理 委 員 会 の 水 船 によって 行 われ その 総 括 指 揮 はアメリカ 海 軍 基 地 の 作 戦 部 が 行 った 54 港 湾 施 設 の 大 半 が 再 接 収 され 特 に 外 国 貿 易 船 用 の 大 型 係 船 岸 壁 が 使 用 できなくなった ことにより 外 貨 取 扱 量 は 1948 年 の 25 万 トンから 51 年 には 3 万 トンに 激 減 し 商 港 と しての 機 能 はほとんど 停 止 された 朝 鮮 戦 争 は 佐 世 保 の 街 に 特 需 景 気 と 風 紀 の 乱 れをもた らした 造 船 業 鉄 工 関 係 自 動 車 修 理 やデパートなどのサービス 業 にも 活 気 をもたらし たが その 反 面 戦 地 に 送 られる 兵 隊 たちの 心 は 荒 び 彼 らの 求 めるままに 夜 の 街 も 盛 況 となり 風 紀 が 乱 れた 55 朝 鮮 半 島 に 近 い 海 軍 基 地 には 戦 火 が 再 び 降 りかかってくるかもしれないという 不 安 と 動 揺 が 広 がった 1950 年 6 月 29 日 には 佐 世 保 市 に 空 襲 警 報 が 発 令 され 7 月 8 日 には 佐 世 保 市 役 所 市 民 病 院 における 消 防 員 と 非 常 持 出 要 員 の 選 任 が 指 示 され 佐 世 保 市 灯 火 管 制 規 程 も 定 められた 56 また 8 月 中 旬 には 湾 内 に 潜 水 艦 侵 入 の 警 報 が 出 され 10 月 3 日 からは 防 潜 網 の 敷 設 作 業 が 始 まった 57 51 同 上 418 頁 52 靏 田 占 領 下 日 本 での 朝 鮮 戦 争 後 方 支 援 36 頁 53 佐 世 保 市 史 編 さん 委 員 会 佐 世 保 市 史 軍 港 史 編 下 巻 493 頁 海 軍 艦 船 の 入 港 隻 数 は 1949 年 2,409 隻 50 年 2,208 隻 51 年 3,562 隻 52 年 2,334 隻 53 年 1,709 隻 54 年 1,402 隻 であっ た 54 同 上 430 頁 55 柳 本 見 一 激 動 20 年 長 崎 県 の 戦 後 史 - ( 毎 日 新 聞 西 部 本 社 1965 年 )188 頁 夜 の 街 で 兵 士 を 相 手 にする 女 性 の 数 は 1949 年 末 には 約 1,400~1,500 名 程 度 であったが 1 年 後 には 約 8,000 人 にまで 増 加 した 56 佐 世 保 市 史 編 さん 委 員 会 佐 世 保 市 史 軍 港 史 編 下 巻 422 頁 57 同 上 436 頁 63

(6) 横 須 賀 港 呉 港 横 須 賀 港 は 旧 日 本 海 軍 により 1884( 明 治 17) 年 に 横 須 賀 鎮 守 府 が 開 庁 して 以 来 軍 港 として 発 展 してきた 戦 後 は 旧 軍 施 設 を 転 用 し 平 和 産 業 港 湾 都 市 として 再 出 発 する 市 是 を 定 めていた 58 大 規 模 な 船 舶 修 造 施 設 と 大 型 船 の 泊 地 を 持 つ 横 須 賀 本 港 は 接 収 された ままであった 旧 軍 港 市 転 換 法 により 旧 軍 施 設 の 払 い 下 げが 進 んでいた 朝 鮮 戦 争 の 勃 発 により すでに 接 収 から 解 除 されていた 追 浜 地 区 の 旧 海 軍 航 空 隊 跡 地 は 再 接 収 され アメリカ 陸 軍 追 浜 兵 器 廠 となり すでに 進 出 していた 自 動 車 製 造 会 社 ととも に 軍 都 の 顔 を 再 現 させていた 59 また 横 須 賀 基 地 に 保 管 されていた 掃 海 艇 と 駆 逐 艦 の 再 就 役 工 事 が 開 始 され 横 須 賀 基 地 の 作 業 量 が 増 加 してきた 60 朝 鮮 戦 争 勃 発 当 時 横 須 賀 基 地 には 各 種 弾 薬 が 約 2,000~3,000 トン 貯 蔵 されていたが 対 潜 兵 器 用 の 弾 薬 は 貯 蔵 されて おらず グアムやパールハーバーから 輸 送 され 1950 年 7 月 中 旬 から 横 須 賀 基 地 に 搬 入 さ れはじめた 61 呉 港 は 旧 日 本 海 軍 により 1889 年 に 呉 鎮 守 府 が 開 庁 して 以 来 軍 港 として 発 展 してきた 戦 後 は 旧 軍 施 設 を 転 用 し 平 和 産 業 港 湾 都 市 としての 発 展 を 期 していた 戦 後 当 初 は ア メリカ 軍 が 占 領 していたが 加 えて 1946 年 2 月 以 降 は 英 連 邦 軍 62 が 呉 市 を 中 心 に 中 国 四 国 地 方 に 展 開 した 朝 鮮 戦 争 による 特 需 と 旧 軍 港 市 転 換 法 により 旧 海 軍 工 廠 跡 地 への 企 業 誘 致 が 進 展 し 51 年 頃 には 好 況 感 を 味 わうことができた 63 同 時 に 英 連 邦 軍 による 日 本 人 の 雇 用 が 多 いときには 2 万 人 近 くにまでふくれ 上 がり 有 効 な 失 業 対 策 となっていた その 一 方 朝 鮮 戦 争 当 時 には 英 連 邦 軍 による 殺 人 婦 女 暴 行 窃 盗 などの 犯 罪 が 特 に 多 かった 64 横 須 賀 港 呉 港 ともに 旧 日 本 海 軍 の 基 地 として 発 展 してきたが 旧 軍 港 市 転 換 法 によ る 跡 地 への 企 業 誘 致 が 進 むとともに 特 需 による 恩 恵 と 国 連 軍 の 基 地 使 用 による 治 安 悪 化 の 影 響 を 受 け 軍 港 としての 顔 を 見 せかけていた 3 港 湾 が 果 たした 役 割 と 受 けた 影 響 (1) 母 基 地 輸 送 拠 点 としての 役 割 港 湾 を 介 した 支 援 を 見 ると 国 連 軍 の 支 援 を 実 施 した 港 湾 は 艦 艇 船 舶 の 母 基 地 と 58 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 上 ) 621 頁 59 同 上 623 頁 60 Field, History of United States Naval Operations Korea, p. 58. 61 Ibid., pp. 79-80. 62 オーストラリア イギリス インド ニュージーランド カナダにより 編 成 されていた 63 呉 市 史 編 さん 委 員 会 編 呉 市 制 100 周 年 記 念 版 呉 の 歴 史 - ( 呉 市 2002 年 )307 頁 64 同 上 337 頁 64

しての 港 湾 と 兵 員 物 資 の 輸 送 拠 点 としての 港 湾 に 大 別 できるのではないだろうか 前 者 の 事 例 は 海 軍 基 地 としての 佐 世 保 港 横 須 賀 港 呉 港 である 後 者 の 事 例 は いわ ゆる 商 業 港 を 一 時 的 に 使 用 したものであり 横 浜 港 神 戸 港 関 門 港 ( 北 九 州 港 下 関 港 ) 博 多 港 などがある 今 回 調 査 した 各 種 文 献 には 室 蘭 港 小 樽 港 塩 釜 港 名 古 屋 港 那 覇 港 などの 港 湾 が 関 与 したとの 断 片 的 な 記 述 も 確 認 することができた なお 沖 縄 県 の 港 湾 は 当 時 琉 球 列 島 が 米 国 民 政 府 により 統 治 されており 施 政 権 外 であったため 今 回 取 り 上 げなかったが 今 後 これらの 港 湾 についても 研 究 する 必 要 があると 考 える 佐 世 保 港 横 須 賀 港 呉 港 は 旧 軍 港 市 転 換 法 を 制 定 し 商 業 港 化 への 変 革 を 始 めよう とした 矢 先 に 朝 鮮 戦 争 に 巻 き 込 まれた これらの 港 は もともと 海 軍 基 地 としての 各 種 機 能 を 持 っており 艦 艇 の 整 備 修 理 に 必 要 な 施 設 と 燃 料 や 弾 薬 を 蓄 える 施 設 を 背 後 に 備 えていたため アメリカ 海 軍 艦 船 MSTS 船 舶 の 母 基 地 として 活 用 されたのである 横 浜 港 神 戸 港 は 古 くから 日 本 の 代 表 的 な 港 湾 として 発 展 しており 輸 送 拠 点 として の 潜 在 的 な 能 力 は 強 大 であった 商 業 港 として 備 えていた 各 種 施 設 ( 係 留 施 設 荷 さばき 施 設 臨 港 交 通 施 設 航 行 補 助 施 設 など)は 戦 争 による 被 害 を 受 けてはいたものの 他 の 港 湾 に 比 べれば 復 旧 も 早 く 商 業 港 としての 復 活 を 目 指 していた 特 に 横 浜 港 は 日 本 占 領 の 最 大 拠 点 として 連 合 軍 の 主 要 な 施 設 が 整 っており さらに JLC が 設 置 されたことにより 軍 需 物 資 流 通 の 拠 点 になったのである 北 九 州 港 ( 門 司 港 小 倉 港 ) 下 関 港 博 多 港 は いずれも 地 理 的 に 朝 鮮 半 島 に 近 い 港 湾 であり 輸 送 効 率 の 面 から 言 えば 最 良 の 港 湾 であった なかでも 門 司 港 は 商 業 港 仲 継 港 としての 性 格 を 持 って 発 展 してきており 博 多 港 佐 世 保 港 において 鉄 道 による 輸 送 量 がその 処 理 能 力 を 超 えはじめた 1950( 昭 和 25) 年 11 月 頃 からは その 役 割 が 増 加 した 戦 後 の 困 難 な 時 期 に 港 湾 を 介 した 国 連 軍 支 援 がなぜ 実 施 できたのだろうか 理 由 のひ とつに 占 領 下 という 特 殊 な 環 境 の 下 国 連 軍 が 軍 事 作 戦 を 実 施 する 上 で 必 要 とする 港 湾 を 接 収 し 独 占 的 に 使 用 することができたことが 挙 げられる 港 湾 管 理 に 民 主 化 政 策 を 導 入 しようとした 占 領 軍 は 国 連 軍 として 方 針 を 変 更 し 港 湾 管 理 を 独 占 したのである また 船 腹 不 足 に 対 する 解 決 策 についても 戦 時 中 の 船 舶 運 営 会 が 母 体 となった 商 船 管 理 委 員 会 による 船 舶 の 用 船 事 務 が 設 立 間 もなかった MSTS の 手 助 けとなった 兵 員 や 物 資 の 輸 送 に 大 量 の 海 上 輸 送 が 必 要 な 時 期 商 船 管 理 委 員 会 を 通 じ 一 元 的 に LST や 商 船 を 利 用 できたことは 船 舶 の 民 営 還 元 を 迎 えたばかりの 日 本 において 支 援 体 制 を 確 立 する 上 で 有 効 であった 船 舶 管 理 において 一 元 的 な 管 理 が 実 施 されたのである さらに もうひとつ 理 由 を 挙 げるならば 戦 後 処 理 として 実 施 した 各 種 業 務 で 培 った 知 識 と 経 験 が 活 用 されていたのではないだろうか 占 領 軍 を 日 本 各 地 に 輸 送 する 輸 送 業 務 海 外 に 進 出 していた 日 本 軍 兵 士 の 復 員 輸 送 海 外 にいた 民 間 人 の 引 揚 げ 輸 送 港 湾 に 敷 設 65

された 機 雷 を 除 去 する 航 路 啓 開 業 務 などがあった そして 航 路 啓 開 業 務 においては 掃 海 艇 の 乗 組 員 たちは 公 職 追 放 という 苦 境 に 立 たされながらも 港 湾 の 機 雷 除 去 に 当 たりその 知 識 と 経 験 を 重 ねていたのである 戦 後 処 理 を 通 じて 得 た 知 識 と 経 験 が 皮 肉 にも 朝 鮮 戦 争 においては 国 連 軍 の 味 方 になっていたのである (2) 港 湾 が 受 けた 影 響 朝 鮮 戦 争 により 港 湾 は どのような 影 響 を 受 けたのであろうか 商 業 港 は 接 収 による 商 業 活 動 への 影 響 を 受 け 港 湾 としての 発 展 を 阻 害 された 当 時 日 本 を 代 表 した 横 浜 港 神 戸 港 門 司 港 の 出 入 貨 物 総 量 の 増 加 率 を 比 較 すると 同 時 期 の 川 崎 港 や 東 京 港 の 増 加 率 に 比 べその 発 展 が 甚 だ 緩 慢 であった 65 一 部 の 港 湾 に 限 ったものではあるが 接 収 による 経 済 的 影 響 に 関 する 試 算 がある 横 浜 港 を 例 にとり 最 も 重 要 な 部 分 とされた 新 港 埠 頭 及 び 瑞 穂 埠 頭 の 接 収 に 伴 う 逸 失 利 益 及 び 代 替 施 設 建 設 費 について 1959( 昭 和 34) 年 に 横 浜 市 が 試 算 した 結 果 その 合 計 は 約 17 億 円 となっている 66 53 年 度 前 後 の 横 浜 市 の 一 般 会 計 歳 出 決 算 が 80 億 円 程 度 であったか ら その 巨 額 さが 伺 える 接 収 された 岸 壁 の 代 替 岸 壁 建 設 には 自 治 体 のみならず 国 の 経 費 による 整 備 も 必 要 であった ひとつの 例 として 53 年 に 着 工 した 山 下 埠 頭 の 建 設 には 5 億 5,023 万 円 もの 国 庫 が 支 出 されている 67 一 方 軍 港 として 発 展 してきた 佐 世 保 港 横 須 賀 港 は 旧 軍 港 市 転 換 法 による 平 和 産 業 都 市 としての 新 しい 門 出 を 妨 げられた 軍 港 として 開 発 された 多 くの 施 設 は 朝 鮮 戦 争 休 戦 講 和 条 約 の 締 結 を 経 て 占 領 から 駐 留 へと 変 わるなか 接 収 から 提 供 へと 変 わり 在 日 アメリカ 軍 施 設 海 上 自 衛 隊 基 地 へと 変 貌 したのである 日 本 の 港 湾 は 朝 鮮 特 需 に 沸 き その 恩 恵 を 受 けることとなった 港 湾 の 後 背 地 に 存 在 し た 各 種 工 業 やサービス 業 は 活 気 を 見 せることとなり そこで 働 く 人 たちにも 経 済 的 な 復 興 をもたらした また 基 地 従 業 員 の 雇 用 も 増 加 し 港 湾 周 辺 に 活 況 を 提 供 した しかし 一 方 では 戦 地 へ 赴 くにあたり 明 日 をも 知 れぬ 国 連 軍 兵 士 による 事 件 が 多 発 し 治 安 の 悪 化 や 風 紀 の 乱 れを 招 いている そして 朝 鮮 半 島 に 近 い 九 州 北 部 の 港 湾 では 北 朝 鮮 軍 による 攻 65 港 湾 年 鑑 1954 年 版 168 頁 229 頁 331 頁 出 入 貨 物 総 量 は 横 浜 港 では 1953 年 に 1,069 万 トン 50 年 の 682 万 トンに 比 べ 57% 増 加 神 戸 港 では 53 年 に 979 万 トン 50 年 の 682 万 トン に 比 べ 44%の 増 加 門 司 港 では 53 年 に 318 万 トン 50 年 の 195 万 トンに 比 べ 63%の 増 加 同 時 期 には 川 崎 港 で 約 3 倍 東 京 港 で 約 2 倍 の 増 加 率 を 達 成 している 66 横 浜 市 総 務 局 市 史 編 集 室 横 浜 市 史 Ⅱ 第 2 巻 ( 上 ) 340 頁 試 算 結 果 は 1951 年 度 から 56 年 度 における 倉 庫 敷 上 屋 係 留 施 設 の 収 納 不 能 額 5 億 1,950 万 円 接 収 された 埠 頭 の 代 替 施 設 であ る 山 下 埠 頭 の 増 強 費 3 億 5,065 万 円 新 港 埠 頭 内 の 三 井 倉 庫 新 港 倉 庫 の 冷 凍 倉 庫 の 代 替 施 設 建 設 費 6 億 400 万 円 瑞 穂 埠 頭 接 収 の 代 替 施 設 不 足 分 の 係 留 施 設 建 設 費 7 億 6,585 万 円 などであった 67 同 上 337 頁 66

撃 を 懸 念 し 防 空 警 報 が 発 令 されたり 不 法 入 国 者 に 対 する 港 湾 周 辺 の 警 備 が 強 化 されたり 戦 傷 者 や 戦 死 者 の 運 搬 処 理 が 垣 間 見 えたりすることにより 戦 争 の 悪 夢 が 再 びよみがえ っていた おわりに このように 朝 鮮 戦 争 において 日 本 の 港 湾 は 母 基 地 として 輸 送 拠 点 としての 役 割 を 果 たした それらの 港 湾 は 旧 海 軍 基 地 の 置 かれた 佐 世 保 港 横 須 賀 港 呉 港 など そ して 横 浜 港 神 戸 港 関 門 港 ( 北 九 州 港 下 関 港 ) 博 多 港 などである これらの 港 湾 は 言 い 換 えれば 国 連 軍 の 兵 站 線 としての 役 割 を 果 たしたのである 港 湾 法 や 旧 軍 港 市 転 換 法 により 変 革 を 遂 げようとしていた 港 湾 の 一 部 は 朝 鮮 戦 争 の 勃 発 により 引 き 続 き 接 収 を 受 けることとなった そして 講 和 条 約 の 締 結 や 朝 鮮 戦 争 の 休 戦 を 通 じ 返 還 が 進 み 商 業 港 として 再 出 発 した 港 湾 や 接 収 から 提 供 へと 形 を 変 え 在 日 アメリカ 軍 施 設 として 残 った 港 湾 や 海 上 自 衛 隊 基 地 へと 姿 を 変 えた 港 湾 があっ た 返 還 が 進 まなかった 港 湾 施 設 は 経 済 的 な 負 担 を 背 負 い さらに 代 替 の 港 湾 施 設 建 設 に 莫 大 な 予 算 が 必 要 であった 現 在 も 横 須 賀 港 や 佐 世 保 港 は 事 実 上 のアメリカ 海 軍 第 7 艦 隊 の 母 港 として 使 用 されている 横 浜 港 の 中 心 部 瑞 穂 埠 頭 には 横 浜 ノース ドック という 東 京 ドーム 約 12 個 分 の 広 さに 匹 敵 する 港 湾 施 設 が 依 然 として 残 っているなど 日 本 各 地 には 10 を 数 える 港 湾 施 設 が 存 続 している 朝 鮮 戦 争 を 戦 い 抜 く 上 で アメリカ 軍 は 占 領 国 日 本 の 港 湾 や 船 舶 を 日 本 の 意 図 によら ず 独 占 的 に 使 用 することができた 当 時 日 本 人 の 多 くは 朝 鮮 戦 争 を 対 岸 の 火 事 程 度 にしか 認 識 していなかった そのような 状 況 下 で 日 本 の 港 湾 は 戦 後 処 理 に 尽 力 した 多 く の 人 々の 知 識 と 経 験 に 支 えられ その 役 割 を 果 たすことができたのである 結 果 として 国 連 軍 に 多 くの 支 援 を 実 施 することができたが その 反 面 多 くの 犠 牲 と 代 償 を 払 い 続 けて いる ( 戦 史 研 究 センター 戦 史 研 究 室 所 員 ) 67