2014 年 3 月 から 毎 月 11 日 発 行 未 来 を 考 える 力 を 気 仙 沼 復 興 レポート10 2014.12.11 今 川 悟 震 災 遺 構 とは 被 災 地 からの 視 点 で 復 興 の 課 題 を 考 える 気 仙 沼 復 興 レポート 第 10 弾 は 津 波 の 猛 威 を 伝 える 震 災 遺 構 について 問 題 提 起 する 気 仙 沼 市 では 復 興 交 付 金 を 活 用 した 震 災 遺 構 として 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 被 災 校 舎 の 保 存 を 検 討 しているが 最 大 の 課 題 は 維 持 管 理 の 費 用 だ 鹿 折 地 区 に 津 波 で 打 ち 上 げられた 巻 網 漁 船 第 18 共 徳 丸 の 保 存 を 断 念 した 理 由 南 三 陸 町 の 防 災 庁 舎 保 存 を 巡 る 賛 否 とともに 震 災 遺 構 の 意 義 を 探 った 候 補 は 気 仙 沼 向 洋 高 東 日 本 大 震 災 の 大 津 波 で 無 残 な 姿 となっ た 気 仙 沼 市 沿 岸 部 震 災 直 後 はガレキを 片 付 けることで 精 いっぱいだったが 津 波 の 爪 痕 が 消 えていくにつれ 震 災 遺 構 の 保 存 が 注 目 されてきた 最 初 は 鹿 折 地 区 に 打 ち 上 げられ た 巻 網 漁 船 第 18 共 徳 丸 の 保 存 が 検 討 され たものの 船 主 の 強 い 信 念 によって 解 体 され その 次 に 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 被 災 校 舎 が 候 補 に 挙 がった 気 仙 沼 向 洋 高 校 は 農 漁 業 を 中 心 とした 階 上 地 区 の 沿 岸 部 にあった 昭 和 52 年 に 建 設 された 校 舎 は 老 朽 化 耐 震 性 に 問 題 があり 平 成 23 年 3 月 は 耐 震 補 強 を 中 心 とした 大 規 模 改 修 が 行 われ 授 業 の 一 部 は 校 庭 に 建 てられ た 仮 設 校 舎 を 利 用 していた 地 震 が 発 生 した のは 3 学 期 最 後 の 授 業 の 後 で 1 2 年 生 220 人 のうち 約 160 人 が 部 活 動 などで 学 校 に 残 っ ていた 全 生 徒 が 無 事 残 っていた 生 徒 は 近 くにある 地 福 寺 にい ったん 避 難 した 後 JR 陸 前 階 上 駅 へ さら に 高 台 の 階 上 中 学 校 へと 教 職 員 が 機 転 を 利 かせて 移 動 させたことで 全 員 無 事 だった 大 切 な 書 類 を 上 階 に 移 動 させるために 残 っ た 教 職 員 そして 校 舎 改 修 工 事 の 関 係 者 ら 家 ごと 漂 着 した 住 民 ら 計 51 人 は 屋 上 へ 逃 げて 難 を 逃 れた この 日 は 入 試 の 合 格 に 向 け た 準 備 大 規 模 改 修 によって 校 舎 へ 生 徒 は 立 ち 入 り 禁 止 となったことで 計 画 していた 校 舎 4 階 へ 生 徒 が 避 難 できなかったことが 高 台 避 難 につながったという 新 たな 校 舎 は 内 陸 へ 建 設 することが 決 ま った 被 災 した 校 舎 は 県 教 育 委 員 会 が 解 体 す る 予 定 だったが この 校 舎 で 誰 も 犠 牲 になら なかったことで 地 域 から 震 災 遺 構 として 望 む 声 が 出 た 1
地 域 振 興 の 拠 点 に 震 災 後 に 発 足 した 階 上 地 区 まちづくり 協 議 会 は 平 成 26 年 2 月 14 日 まちづくり 計 画 提 言 書 を 完 成 させた 地 域 住 民 が 専 門 家 のア ドバイスを 受 けながら 話 し 合 ってまとめた 地 域 の 将 来 像 は 行 政 への 要 望 だけでなく 地 域 が 取 り 組 むことも 盛 り 込 んだ 内 容 とな った この 計 画 の 中 で 震 災 を 後 世 へ 伝 えていく ため 気 仙 沼 向 洋 高 の 被 災 校 舎 を 震 災 遺 構 と して 保 存 することを 提 言 教 室 に 震 災 復 興 の 記 録 を 展 示 し 被 害 の 少 ない 校 舎 は 階 上 観 光 協 会 の 事 務 所 として 活 用 するとともに 校 庭 は 芝 生 の 多 目 的 グラウンドにすることで 防 災 と 地 域 振 興 の 拠 点 とすることを 目 指 し ている 学 校 一 帯 を はしかみセントラルパ ーク とする 構 想 だ この 地 区 は 明 治 三 陸 津 波 で 大 きな 被 害 を 受 けた 歴 史 があり 地 元 の 階 上 中 学 校 は 防 災 教 育 に 力 を 入 れ 国 内 外 から 注 目 されてきた 防 災 に 対 する 地 域 の 思 い 入 れは 強 く 被 災 校 舎 を 保 存 して 教 訓 を 後 世 に 伝 えていくとい う 考 えが 自 然 と 受 け 入 れられたのである 遺 構 検 討 会 議 を 設 置 第 18 共 徳 丸 のことは 後 で 詳 しく 記 述 する が 遺 構 候 補 だった 船 体 が 解 体 されたことを 受 け 気 仙 沼 市 は 平 成 25 年 11 月 に 東 日 本 大 震 災 伝 承 検 討 会 議 を 設 置 した 津 波 の 猛 威 や 震 災 の 教 訓 をどうやって 次 の 被 災 地 や 後 世 に 伝 えていくのかを 考 えることが 目 的 で 大 宮 城 県 震 災 遺 構 有 識 者 会 議 で 示 された 写 真 校 舎 4 階 に 水 産 加 工 場 がぶつかった 跡 が あり 想 像 を 絶 する 津 波 の 破 壊 力 という 発 信 力 がある 車 が3 階 に 残 ったままなので インパクトもある と 評 価 された 一 方 で 維 持 費 を 心 配 する 意 見 も 多 かった 2
学 教 授 や 文 化 財 保 護 審 議 会 委 員 観 光 関 係 者 らが3 回 の 会 議 を 開 き 26 年 5 月 に 報 告 書 を まとめた この 時 点 での 震 災 遺 構 の 候 補 となる 構 造 物 は 気 仙 沼 向 洋 高 校 だけでなく 小 泉 海 岸 にあるシーサイドパレス( 海 の 上 に 浮 かぶよ うに 残 されたレジャー 施 設 ) 気 仙 沼 大 川 に 橋 台 だけ 残 ったJR 気 仙 沼 線 の 鉄 橋 破 壊 さ れた 面 瀬 川 水 門 もあったが 復 興 交 付 金 を 活 用 して 保 存 できる 遺 構 は1 自 治 体 1 つという ルールがあった 地 域 からの 要 望 もあり 市 は 遺 構 候 補 を 気 仙 沼 向 洋 高 の 被 災 校 舎 に 絞 り 込 んだ 上 で 26 年 10 月 に 東 日 本 大 震 災 遺 構 検 討 会 議 を 設 置 し 保 存 と 活 用 の 方 法 を 検 討 している 伝 承 検 討 会 議 のメンバーに 階 上 地 区 の 代 表 が 加 わった 構 成 で 来 年 2 月 まで 保 存 整 備 計 画 案 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 震 災 当 時 の 様 子 は 宮 城 県 教 委 HP 県 立 施 設 の 震 災 対 応 で 紹 介 されてい るほか 学 校 が 記 録 誌 を 発 行 している 写 真 は 県 教 委 HPから 引 用 をまとめ 上 げ それをもとに 市 が 年 度 内 に 保 存 の 是 非 を 決 定 する 11 月 の 第 2 回 検 討 会 議 では 現 地 調 査 の 速 報 結 果 として 鉄 骨 の 腐 食 やコンクリートの 老 朽 化 の 状 況 不 同 沈 下 の 有 無 などから 設 計 基 準 強 度 をすべて 上 回 っていると 思 われ る と 報 告 した 今 後 報 告 書 が 作 成 され 12 月 下 旬 に 保 存 方 法 が 提 案 される 見 込 み 保 存 費 用 は 国 負 担 復 興 庁 は 25 年 11 月 震 災 遺 構 の 保 存 に 必 要 な 初 期 費 用 を 復 興 交 付 金 で 支 援 する 異 例 の 方 針 を 決 めた 過 去 の 事 例 にならって 保 存 費 用 は 自 治 体 負 担 か 寄 付 に 頼 るしかないと いう 状 況 下 で 第 18 共 徳 丸 をはじめとする 貴 重 な 被 災 物 が 次 々と 解 体 撤 去 されていく 中 消 極 的 な 姿 勢 を 一 変 させた ただし 1 自 治 体 1つ 初 期 費 用 に 限 定 し 当 時 の 根 本 復 興 大 臣 は 今 回 は 異 例 の 措 置 地 域 の 財 産 として 市 町 村 が 責 任 を 持 って 維 持 管 理 に 当 てってほしい と 釘 を 刺 している 復 興 交 付 金 の 対 象 とした 初 期 費 用 は 解 体 費 程 度 という 制 限 が 付 いた 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 校 舎 解 体 費 は 約 4 億 7000 万 円 これだけ 高 額 なのは 南 北 につながる4 階 建 ての 校 舎 3 階 建 ての 総 合 実 習 棟 などが 残 っているた め 解 体 費 用 で 保 存 をできたとしても いず れ 解 体 することになれば 同 じような 費 用 が 気 仙 沼 市 の 震 災 遺 構 の 保 存 検 討 結 果 候 補 所 有 者 保 存 可 能 性 と 判 断 理 由 26 年 5 月 気 仙 沼 向 洋 高 の 校 舎 大 川 のJR 気 仙 沼 線 鉄 橋 シーサイドパレス 面 瀬 川 の 水 門 宮 城 県 JR 東 日 本 民 間 宮 城 県 県 教 委 との 協 議 により 市 で 保 存 要 望 であれば 柔 軟 に 対 応 との 回 答 あり ただし 全 体 保 存 だと 多 額 の 費 用 負 担 が 見 込 まれる 気 仙 沼 線 復 旧 に 向 け 協 議 中 であり 遺 構 としての 保 存 判 断 は 困 難 地 盤 沈 下 や 浸 食 等 により 海 に 水 没 しており 保 存 は 困 難 保 存 する 場 合 防 潮 堤 等 の 計 画 変 更 が 求 められる ため 保 存 は 困 難 3
市 の 負 担 になるのだ 復 興 庁 は 住 民 意 向 の 集 約 などで 保 存 を 決 めるのに 時 間 がかかることを 想 定 保 存 の 是 非 を 決 めるまでの 応 急 修 理 費 用 も 支 援 対 象 とし 結 果 的 に 解 体 することになった 場 合 の 費 用 も 復 興 交 付 金 で 賄 うことにした 国 から してみれば 県 に 解 体 費 を 出 すのも 復 興 交 付 金 で 保 存 解 体 しても いずれも 復 興 予 算 から 支 出 するので 同 じことなのである 調 査 費 5248 万 円 復 興 交 付 金 の 第 9 回 配 分 で 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 被 災 校 舎 を 震 災 遺 構 として 保 存 するた めの 調 査 費 5248 万 円 が 認 められている 課 題 は 維 持 管 理 費 だ 建 物 の 中 に 見 学 者 が 入 れるようにするのか 周 囲 をフェンスで 囲 って 外 から 見 るだけにするのかによって 管 理 人 の 配 置 や 安 全 管 理 にかかるランニング コストもインパクトも 違 ってくる 第 18 共 徳 丸 解 体 の 理 由 第 18 共 徳 丸 ( 総 重 量 330t)は 定 期 検 査 の ためにコの 字 岸 壁 に 係 留 されていたが 津 波 によって 800m 離 れたJR 大 船 渡 線 鹿 折 唐 桑 駅 前 に 漂 着 鹿 折 地 区 は 津 波 火 災 によって 壊 滅 的 な 被 害 を 受 けた 地 区 で 全 長 60mもの 大 型 巻 網 漁 船 を 流 した 津 波 の 威 力 を 伝 える 震 災 遺 構 として 注 目 された 水 産 業 のまちを 象 徴 するモニュメントで もあり 気 仙 沼 市 は 震 災 4カ 月 の 23 年 7 月 には 船 を 保 存 して 一 帯 を 国 立 震 災 復 興 祈 念 公 園 として 整 備 することを 復 興 大 臣 に 要 望 した 船 主 の 協 力 によって 周 辺 のガレキが 片 づけられても 船 だけは 残 され いつしか 観 光 バスなどで 多 くの 見 学 者 が 訪 れるように なった しかし 当 時 は 国 が 震 災 遺 構 保 存 に 対 する 費 用 負 担 に 消 極 的 で 周 辺 住 民 から 震 災 を 思 い 出 すので 早 く 撤 去 してほしい という 声 も 出 たことで 保 存 に 対 する 地 元 の 合 意 形 成 が 難 航 見 かねた 船 主 が 住 民 感 情 に 配 慮 し て 解 体 する 方 針 を 示 した 市 はドームで 覆 っ たり 外 周 に 樹 木 を 植 えたりすることで 周 囲 の 住 宅 から 見 えなくすることも 検 討 した が ドーム 案 だと 8~9 億 円 樹 木 案 でも 駐 車 場 や 祈 念 館 などの 整 備 に 5 億 円 程 度 かかるこ ともあって 状 況 が 変 わることはなかった アンケートで7 割 反 対 市 は 津 波 避 難 計 画 策 定 に 向 けたアンケー トに 合 わせて 25 年 7 月 船 を 保 存 すること に 対 して 市 民 に 賛 否 を 問 うた しかし 回 答 した 市 民 約 1 万 4 千 人 のうち 68%が 保 存 の 必 要 はない を 選 択 保 存 が 望 ましい は 16% 船 体 の 一 部 や 代 替 物 で 保 存 も 16% にとどまった そして 9 月 に 解 体 工 事 が 始 ま った 保 存 に 反 対 した 市 民 からは 維 持 管 理 費 を 別 な 震 災 対 策 に 使 った 方 がいい などと 将 来 的 な 費 用 負 担 を 心 配 する 理 由 の 記 述 が 多 かった 震 災 を 後 世 に 伝 える 手 法 を 問 う 項 目 ( 複 数 選 択 化 )でも 映 像 の 保 存 83% 防 災 教 育 の 強 化 51%を 選 択 する 市 民 が 圧 倒 的 に 多 く 被 災 建 物 船 舶 などの 現 物 保 存 は 17%だった 初 期 費 用 を 国 が 負 担 しても 維 持 管 理 費 の 問 題 が 解 決 されなければ 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 被 災 校 舎 でも 市 民 の 理 解 は 難 しいというこ とになる この 頃 は 生 活 再 建 が 優 先 され 未 4
来 へメッセージを 残 すための 遺 構 保 存 は 二 の 次 という 雰 囲 気 もあった 南 三 陸 町 防 災 庁 舎 の 行 方 南 三 陸 町 の 防 災 対 策 庁 舎 は 3 階 建 ての 屋 上 まで 津 波 が 襲 い 避 難 していた 町 職 員 ら 43 人 が 犠 牲 になった 庁 舎 に 残 り 最 後 まで 防 災 無 線 で 避 難 を 呼 び 掛 けた 女 性 職 員 が 全 国 的 に 大 きく 報 道 されたこともあり 多 くの 人 が 連 日 訪 れて 手 を 合 わせており 津 波 の 教 訓 を 伝 える 震 災 遺 構 として 注 目 されている しかし 庁 舎 の 保 存 を 巡 っては 賛 成 と 反 対 で 住 民 が 分 裂 遺 族 と 住 民 から 早 期 解 体 解 体 の 一 時 延 期 保 存 の 陳 情 が 出 された ガレ キ 処 理 の 期 限 が 迫 ったことで 24 年 9 月 の 町 議 会 定 例 会 で 早 期 解 体 の 陳 情 が 採 択 された ことを 受 け 佐 藤 仁 町 長 が 解 体 を 表 明 した 11 月 には 解 体 に 向 けて 庁 舎 前 で 慰 霊 祭 が 営 まれたが その 前 月 の 知 事 選 で3 選 を 果 たし た 村 井 嘉 浩 知 事 が 庁 舎 保 存 に 意 欲 を 示 した ことで 震 災 から3 年 8カ 月 過 ぎた 今 も 解 体 されないまま 残 っている 村 井 知 事 の 思 い 県 の 震 災 遺 構 有 識 者 会 議 は 村 井 知 事 が 防 災 庁 舎 保 存 のために 設 置 したともいえる 組 織 で 26 年 11 月 21 日 の 第 6 回 会 議 で 防 災 庁 舎 を 震 災 遺 構 で 最 も 訴 える 力 がある 世 界 的 な 慰 霊 の 場 国 を 挙 げて 残 さなければな らない と 遺 構 としての 価 値 を 高 く 評 価 した 有 識 者 会 議 の 最 終 まとめは 年 末 になる 見 通 しだが 保 存 を 求 める 意 見 が 出 たことを 受 け 25 日 の 定 例 記 者 会 見 で 村 井 知 事 は 仮 に 残 すとなれば どういう 形 で 残 せるのか 町 長 と 議 論 したい と 県 として 保 存 を 支 援 するこ とも 示 唆 している しかし 28 日 には 遺 族 有 志 が 解 体 を 望 む 遺 族 会 を 結 成 遺 族 の 話 も 聞 かずに 保 存 を 求 めた 有 識 者 に 憤 怒 した 声 明 書 を 発 表 した 震 災 遺 構 としての 価 値 を 優 先 するか 遺 族 の 感 情 を 大 切 にするのか 移 設 やモニュメント 化 などによる 折 衷 案 を 模 索 するのか 庁 舎 保 存 を 巡 る 動 きは 年 明 け 早 々に 再 燃 するもの とみられる 宮 城 県 岩 手 県 各 市 町 の 震 災 遺 構 候 補 仙 台 市 石 巻 市 東 松 島 市 名 取 市 山 元 町 女 川 町 宮 古 市 田 野 畑 村 陸 前 高 田 市 大 船 渡 市 大 槌 町 荒 浜 小 学 校 被 災 集 落 の 建 物 基 礎 門 脇 小 学 校 野 蒜 駅 プラットフォーム 野 蒜 小 学 校 浜 市 小 学 校 佐 々 直 かまぼこ 工 場 中 浜 小 学 校 旧 女 川 交 番 たろう 観 光 ホテル 明 戸 防 潮 堤 気 仙 中 学 校 陸 前 高 田 ユースホステル 道 の 駅 タピック 45 雇 用 促 進 住 宅 時 計 塔 旧 町 役 場 求 められる 広 域 連 携 国 は 石 巻 市 と 岩 手 県 陸 前 高 田 市 に 国 立 の 追 悼 施 設 を 整 備 することを 決 めた その 間 に 挟 まれた 気 仙 沼 市 の 役 割 は 何 なのだろうか 特 に 隣 の 陸 前 高 田 市 は 1 億 5 千 万 円 もの 寄 付 を 募 って 保 存 した 奇 跡 の 一 本 松 をはじ 5
め 国 道 45 号 線 沿 いに 気 仙 中 学 校 道 の 駅 雇 用 促 進 住 宅 ユースホステルを 震 災 遺 構 と して 保 存 する 計 画 を 進 めている 復 興 交 付 金 だけでなく 岩 手 県 の 支 援 が 遺 構 保 存 を 後 押 ししているという 表 示 など 地 味 な 取 り 組 みも 忘 れてはいけな い 後 世 に 伝 えるための 教 訓 の 洗 い 出 しも 必 要 だ 児 童 と 教 職 員 計 84 人 が 犠 牲 となった 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 の 卒 業 生 たちが 被 災 した 校 舎 を 残 してほしい と 意 思 表 示 した 気 仙 沼 でも 第 18 共 徳 丸 でも 保 存 を 訴 えた 中 学 生 がいた 未 来 のために 忘 れないでほし い 震 災 遺 構 保 存 の 議 論 の 中 で 決 して 忘 れてはいけない 思 いである 岩 井 崎 龍 の 松 保 存 へ 気 仙 沼 市 は 岩 井 崎 にある 龍 の 松 を 陸 前 高 田 市 の 奇 跡 の 一 本 松 のように 保 存 しようとして いる 開 会 中 の 市 議 会 12 月 定 例 会 に 保 存 費 用 2400 万 円 を 計 上 している 龍 の 松 は 津 波 で 被 害 を 受 けて 一 部 伐 採 され 陸 前 高 田 の 奇 跡 の 一 本 松 あと 数 年 で 全 線 開 通 する 三 陸 道 によって 石 巻 南 三 陸 気 仙 沼 陸 前 高 田 の 時 間 的 距 離 は 一 気 に 縮 まる 震 災 遺 構 だけでなく 観 光 公 共 施 設 などをそれぞれの 自 治 体 だけで 考 えるのではなく 広 域 で 連 携 していく 発 想 が 求 められる いずれの 市 町 も 今 後 の 人 口 減 少 が 深 刻 で 復 興 後 の 財 政 見 通 しも 厳 しく どのように 役 割 分 担 するか 考 えなければな らないのだが 被 災 地 の 職 員 はみんな 忙 しく て そうした 動 きは 見 えていない それぞれ の 復 興 の 動 きもほとんど 共 有 されていない のだ 宮 城 県 が 設 置 した 震 災 遺 構 の 有 識 者 会 議 は 市 町 ごとの 遺 構 の 価 値 を 評 価 しているだ けだが 市 町 のバランスやネットワークを 考 える 役 割 も 期 待 したい 遺 構 の 役 割 は 悲 劇 を 二 度 と 繰 り 返 さない ためである 復 興 交 付 金 が 手 当 てされるた め ついつい 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 被 災 校 舎 に 注 目 が 集 まってしまうが 津 波 浸 水 深 や 海 抜 の たが その 形 が 天 に 昇 る 龍 のようで しかも 震 災 の 翌 年 が 辰 年 だったことから 写 真 スポットと して 人 気 を 集 めた 近 くには 気 仙 沼 出 身 の 横 綱 秀 ノ 山 雷 五 郎 の 銅 像 があり 塩 づくり 体 験 館 もあることから 観 光 地 を 盛 り 上 げるために 地 元 が 保 存 を 要 望 していた 震 災 の 寄 付 金 を 財 源 にす る 市 は 気 仙 沼 向 洋 高 校 の 被 災 校 舎 保 存 だけでな く 岩 井 崎 を 含 めた 一 帯 の 地 域 資 源 活 用 も 検 討 し ている 気 仙 沼 復 興 レポートのバックナンバーは 今 川 悟 ホーム ページで 公 開 中 です http://imakawa.net ❶ 少 子 化 と 人 口 減 少 ❷ 防 潮 堤 問 題 ❸ 復 興 予 算 の 限 界 ❹ 鉄 路 復 旧 とBRT❺ 高 校 再 編 ❻ 災 害 公 営 住 宅 ❼ 仮 設 住 宅 ❽ 財 政 シミュレーション❾ 災 害 危 険 区 域 6