平 成 24 年 8 月 1 日 く ど 久 渡 が もんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう 古 墳 群 から 出 土 した 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 について 上 牧 町 教 育 委 員 会 調 査 地 く ど 奈 良 県 北 葛 城 郡 上 牧 町 大 字 上 牧 字 久 渡 83 番 1 調 査 原 因 第 1 次 調 査 ( 試 掘 調 査 ): 宅 地 開 発 第 2 次 調 査 ( 補 足 調 査 ): 上 牧 町 事 業 調 査 期 間 第 1 次 調 査 : 平 成 23 年 11 月 7 日 ~3 月 21 日 第 2 次 調 査 : 平 成 24 年 5 月 28 日 ~7 月 31 日 調 査 面 積 第 1 次 調 査 :346m2 第 2 次 調 査 :65m2 主 な 遺 構 久 渡 1 号 墳 の 周 溝 及 び 久 渡 3~4 号 墳 の 墳 形 墳 丘 及 び 埋 葬 施 設 を 確 認 主 な 遺 物 要 旨 は じ き と う す 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 1 面 土 師 器 須 恵 器 鉄 槍 2 点 鉄 鏃 3 点 刀 子 うすだま はくへん 1 点 臼 玉 5 点 サヌカイト 剥 片 久 渡 古 墳 群 は 標 高 約 70m 前 後 の 丘 陵 上 に 位 置 します 今 回 までの 調 査 で 7 基 の 多 彩 な 内 容 を 持 つ 古 墳 からなる 古 墳 群 を 確 認 しました 久 渡 3 号 墳 は 丘 陵 北 側 に 所 在 する 古 墳 時 代 前 期 初 頭 の 古 墳 で 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 鉄 ご か ん 槍 鉄 鏃 等 が 出 土 しました 今 回 出 土 した 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 は 後 漢 時 代 に 中 国 で 製 作 さ れた 鏡 です 近 年 の 発 掘 調 査 で 鏡 片 を 除 くと 中 国 製 の 画 文 帯 神 獣 鏡 としては 奈 良 県 内 で ホケノ 山 古 墳 以 来 12 年 ぶりの 出 土 となります また この 鏡 は 橿 原 考 古 学 研 究 所 の 分 こ が ね づか 析 により 大 阪 府 和 泉 黄 金 塚 古 墳 の 東 側 埋 葬 施 設 から 出 土 した 鏡 と 同 型 鏡 であること が 判 明 しました 従 来 古 墳 時 代 前 期 初 頭 の 古 墳 は 奈 良 盆 地 東 南 部 に 集 中 して 築 造 され 奈 良 盆 地 内 の 他 の 地 域 にはほとんど 存 在 しないことが 指 摘 されてきました 今 回 久 渡 3 号 墳 が 盆 地 北 西 部 の 空 白 地 域 で 発 見 されたことは 古 墳 時 代 の 初 めにおける 初 期 ヤマト 政 権 の 構 造 を 考 える 上 で 重 要 な 手 がかりを 提 供 するものといえます 1
1.はじめに (1) 位 置 と 環 境 上 牧 町 は 奈 良 県 北 西 部 を 占 める 奈 良 盆 地 の 西 部 に 位 置 します 青 垣 山 に 囲 まれた 平 らな 盆 地 の 西 よりに 低 く 起 伏 する 丘 からなる 馬 見 丘 陵 がありますが 本 町 はその 西 側 を 占 めて います 本 町 の 西 北 部 は 王 寺 町 と 接 し 西 より 南 は 香 芝 市 東 よりは 広 陵 町 河 合 町 と 接 しています 久 渡 古 墳 群 は 上 牧 町 西 南 端 部 で 西 に 葛 下 川 を 望 む 平 坦 地 に 位 置 します 久 渡 古 墳 群 のある 北 側 丘 陵 には 弥 生 時 代 中 期 前 半 の 上 牧 銅 鐸 出 土 伝 承 地 があります 古 墳 時 代 前 期 初 頭 の 奈 良 県 東 南 部 では 大 型 の 前 方 後 円 墳 が 造 られる 中 類 例 が 少 ない 馬 見 丘 陵 の 遺 跡 としては 広 陵 町 黒 石 10 号 墳 が 挙 げられます この 古 墳 は 一 辺 10.4m しんやま の 方 墳 に 陸 橋 が 付 きます 古 墳 時 代 前 期 後 半 の 古 墳 は 広 陵 町 新 山 さ み 古 墳 河 合 町 佐 味 古 墳 などがあります 新 山 古 墳 は 前 方 後 方 墳 で 全 長 137m 佐 味 田 宝 塚 古 墳 は 前 方 後 円 墳 で 全 長 111.5m を 測 ります た 田 宝 塚 (2) 経 緯 平 成 23 年 5 月 24 日 開 発 業 者 から 久 渡 古 墳 ( 久 渡 1 号 墳 )が 所 在 する 丘 陵 全 体 の 宅 地 開 発 計 画 が 上 牧 町 教 育 委 員 会 に 提 出 されました この 話 を 受 けて5 月 30 31 日 に 上 牧 町 教 育 委 員 会 奈 良 県 教 育 委 員 会 橿 原 考 古 学 研 究 所 で 現 地 踏 査 を 行 った 結 果 久 渡 古 墳 の 他 に 丘 陵 南 側 で 2 号 墳 を 新 たに 確 認 しま した その 後 橿 原 考 古 学 研 究 所 により 久 渡 古 墳 群 が 所 在 する 丘 陵 全 体 の 航 空 測 量 調 査 が 実 施 されました その 結 果 1 号 墳 は 全 長 約 60mの 東 向 きの 前 方 後 円 墳 である 可 能 性 が 高 くなりました また 2 号 墳 は 墳 丘 の 背 後 に 東 西 30m 高 さ3mの 背 面 カットを 有 する 直 径 約 16mの 円 墳 であることが 判 明 しました 墳 丘 の 中 央 には 盗 掘 坑 があり 凝 灰 岩 片 も 採 取 されたことから 終 末 期 古 墳 とみられます 平 成 23 年 7~10 月 にかけて 奈 良 県 教 育 委 員 会 と 連 携 して 上 牧 町 教 育 委 員 会 と 開 発 業 者 で 協 議 を 行 いました その 中 で 丘 陵 南 側 である 久 渡 1 2 号 墳 は 保 存 すべき 地 区 北 側 は 開 発 を 前 提 に 開 発 業 者 の 費 用 で 上 牧 町 教 育 委 員 会 による 試 掘 調 査 を 実 施 することとなりま した 平 成 23 年 11 月 7 日 から 平 成 24 年 3 月 21 日 まで 上 牧 町 教 育 委 員 会 が 丘 陵 北 側 の 第 1 次 調 査 を 行 った 結 果 北 側 にも 古 墳 が 存 在 することを 確 認 しました 開 発 地 にも 古 墳 が みられることから 上 牧 町 教 育 委 員 会 が 開 発 業 者 と 協 議 を 行 った 結 果 北 側 も 土 地 所 有 者 の 協 力 により 開 発 を 凍 結 することになりました 平 成 24 年 度 は 町 内 遺 跡 発 掘 調 査 等 の 国 庫 補 助 事 業 を 活 用 した 第 2 次 調 査 ( 久 渡 3 4 号 墳 )を5 月 28 日 から 7 月 31 日 まで 実 施 しました 2. 調 査 の 概 要 平 成 23 年 度 と 平 成 24 年 度 に 北 側 の 調 査 を 行 い 久 渡 1 号 墳 の 周 溝 と 久 渡 3~5 号 墳 2
の3 基 を 新 たに 確 認 しました さくへい 久 渡 4 号 墳 は 直 径 約 18mの 円 墳 で 久 渡 3 号 墳 の 墳 丘 を 一 部 削 平 して 築 造 されていま す 埋 葬 施 設 は 木 棺 直 葬 で 1 基 を 検 出 しました この 施 設 から 須 恵 器 6 点 と 臼 玉 5 点 が 出 土 しました 古 墳 の 築 造 時 期 は 古 墳 時 代 後 期 と 考 えられます く か く みぞ 久 渡 3 号 墳 は 古 墳 時 代 前 期 初 頭 の 古 墳 で 久 渡 4 号 墳 に 埋 葬 施 設 と 区 画 溝 及 び 墳 丘 を 一 部 壊 されています 区 画 溝 幅 は 最 大 部 分 で 約 5.20m 現 況 の 深 さは 約 0.60m で きちょう じきそう す 墳 丘 は 1 辺 15m 前 後 の 方 形 を 基 調 とした 古 墳 と 考 えられます 埋 葬 施 設 は 木 棺 直 葬 で が もんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう 3 基 を 検 出 しました 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 (1 面 ) 鉄 槍 (2 点 ) 鉄 鏃 (3 点 ) 土 師 かめ つぼ 器 の 甕 片 と 壺 が 出 土 しました が もんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 かんじょう 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 は 内 区 に 環 状 の 乳 が8つ 配 され 4 匹 の 神 獣 の 肩 と 腰 に 置 かれま はく が とうおう ふ せ い お う ぼ こうてい す それぞれの 神 獣 に 対 応 して 伯 牙 東 王 父 西 王 母 黄 帝 など 神 仙 像 が 配 置 されてい ます 外 区 の 画 文 帯 は 時 計 周 りの 図 像 が 配 置 されています それは 下 方 に 配 された 雲 ひ き ん 車 とそれを 曳 く6 匹 の 龍 を 中 心 に 走 獣 飛 禽 亀 とともに 騎 仙 が 続 き その 中 に 神 仙 が 円 形 の 像 を 捧 げている 像 が 二 つ ほぼ 対 角 の 位 置 に 描 かれており この 図 像 は 中 国 の 日 月 の 運 行 を 表 現 しているものといわれています 古 墳 時 代 前 期 の 遺 跡 から 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 が 出 土 している 破 片 も 含 めた 完 形 鏡 は 全 国 では 29 面 出 土 しており 今 回 の 出 土 では30 例 目 奈 良 県 内 では8 例 目 にあたります 奈 良 県 内 の 鏡 は 奈 良 市 衛 門 戸 丸 塚 古 墳 の 粘 土 槨 から 出 土 した1 面 天 理 市 大 和 天 神 山 古 墳 の 竪 穴 式 石 室 から 出 土 した2 面 桜 井 市 茶 臼 山 古 墳 から 出 土 した 1 面 広 陵 町 新 山 古 墳 の 竪 穴 式 石 室 から 出 土 した2 面 伝 北 和 城 南 古 墳 の 1 面 です そのうち 古 墳 時 代 前 期 前 半 の 古 墳 は 茶 臼 山 古 墳 と 大 和 天 神 山 古 墳 です 今 回 出 土 した 銅 鏡 の 大 きさは 直 径 約 14.2cm 重 量 は511.43gです 銅 鏡 の 文 様 せ い ち は 精 緻 で 遺 存 状 況 が 非 常 に 良 好 です 半 円 方 形 帯 には6mm 角 の 方 形 が12 個 あり 一 個 につき 四 文 字 ずつ 計 48 文 字 の 銘 文 を 確 認 しました 銘 文 は 以 下 のとおりです 吾 作 明 竟 幽 涷 三 商 周 刻 無 配 像 萬 疆 白 牙 樂 衆 神 天 禽 四 守 銜 持 維 ( 祉 ) ( 學 ) ( 見 容 ) ( 綱 ) 従 富 貴 安 楽 子 孫 番 昌 大 吉 其 師 命 長 ( 是 ) : 判 読 不 能 文 字 あり 報 告 時 に 一 部 修 正 の 可 能 性 があります こ が ね づか 銅 鏡 は 橿 原 考 古 学 研 究 所 の 分 析 により 大 阪 府 和 泉 黄 金 塚 古 墳 のものと 同 型 鏡 と 判 明 しました 和 泉 黄 金 塚 古 墳 は 古 墳 時 代 前 期 末 ~ 中 期 初 めの 前 方 後 円 墳 で 全 長 は 約 94 mあります 埋 葬 施 設 は 後 円 部 に3ヶ 所 確 認 され 中 央 の 埋 葬 施 設 からは 景 初 三 年 (239 3
年 )の 紀 年 銘 がある 画 文 帯 同 向 式 神 獣 鏡 が 出 土 しました 今 回 同 型 鏡 と 判 断 された 鏡 は 東 側 の 埋 葬 施 設 から 出 土 した 鏡 です 3.まとめ 今 回 の 調 査 で 次 のことが 判 明 しました (A) 久 渡 3 号 墳 は 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 鉄 槍 鉄 鏃 という 中 国 鏡 と 鉄 製 武 器 の 副 葬 品 を 有 する 古 墳 時 代 前 期 初 頭 の 古 墳 と 判 明 しました 従 来 こうした 古 墳 時 代 前 期 初 頭 の 古 墳 は 奈 良 盆 地 東 南 部 に 集 中 して 築 造 され 奈 良 盆 地 内 の 他 の 地 域 にはほとんど 存 在 しない ことが 想 定 されてきました 今 回 小 規 模 な 古 墳 とはいいながら 久 渡 3 号 墳 が 盆 地 北 西 部 の 空 白 地 域 で 銅 鏡 が 発 見 された 古 墳 であることから 古 墳 時 代 の 初 めにおける 初 期 ヤマ ト 政 権 の 構 造 を 考 える 上 で 重 要 な 手 がかりを 提 供 するものといえます また 古 墳 時 代 前 期 全 体 を 見 渡 しても 馬 見 丘 陵 周 辺 を 中 心 とする 北 葛 城 地 域 では 広 陵 町 黒 石 10 号 墳 ( 前 期 初 頭 )のような 副 葬 品 を 持 たない 小 規 模 古 墳 の 存 在 は 断 片 的 に 知 られていましたが 新 山 古 墳 ( 前 期 後 半 ) 佐 味 田 宝 塚 古 墳 ( 前 期 末 )の 出 現 以 前 の 様 相 は ほとんど 不 明 でした 久 渡 3 号 墳 の 発 見 は 前 期 初 頭 の 古 墳 の 空 白 域 を 埋 める 資 料 となり ました (B)3 号 墳 の 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 は 近 年 の 奈 良 県 内 における 発 掘 調 査 で 出 土 した 鏡 片 を 除 く 中 国 製 の 画 文 帯 神 獣 鏡 としては 桜 井 市 ホケノ 山 古 墳 以 来 12 年 ぶりの 出 土 となりま す( 第 4 表 ) 文 様 は 精 緻 で 遺 存 状 況 が 非 常 に 良 好 な 優 品 です (C) 今 回 調 査 した3 号 墳 は 前 期 初 頭 に 遡 る 一 辺 15m 前 後 の 方 形 を 基 調 とした 古 墳 4 号 墳 は 後 期 の 直 径 18mの 円 墳 と 判 明 しました 久 渡 古 墳 群 にはこの 他 に 全 長 60mの 前 方 後 円 墳 である1 号 墳 大 規 模 な 背 面 カットを 持 つ 終 末 期 古 墳 とみられる 2 号 墳 内 容 がまだ よくわかっていない5~7 号 墳 があります このように 一 つの 小 さな 丘 陵 上 に 古 墳 時 代 前 期 初 頭 から 終 末 期 に 至 る 各 時 期 の 多 様 な 古 墳 が 存 在 することは 非 常 に 珍 しいことと 言 え ます このような 多 彩 な 内 容 を 持 つ 久 渡 古 墳 群 の 実 態 を 解 明 していくことが 今 後 の 課 題 と 言 え ます 4. 今 後 について ど の う 久 渡 5 号 墳 に 関 しては 土 層 断 面 図 の 記 録 を 行 った 後 壁 面 の 崩 落 を 防 止 するため 土 嚢 を 積 み シートで 養 生 をしています 今 後 平 成 24 年 度 の 下 半 期 に 国 庫 補 助 事 業 による 調 査 を 行 い 内 容 を 明 らかにしていく 予 定 です 久 渡 1 号 墳 2 号 墳 については 平 成 25 年 度 ~26 年 度 の2 年 間 で 範 囲 確 認 調 査 を 行 い 内 容 を 明 らかにする 予 定 です 上 牧 町 としては これらの 調 査 成 果 を 踏 まえ 古 墳 群 全 体 の 国 指 定 史 跡 化 を 目 指 します 4
第 1 表 久 渡 古 墳 群 の 墳 形 と 規 模 古 墳 名 墳 形 規 模 備 考 久 渡 1 号 墳 前 方 後 円 墳 全 長 約 60m 埋 葬 施 設 に 盗 掘 坑 あり 久 渡 2 号 墳 円 墳 直 径 約 16m 北 側 斜 面 を 背 面 カット 埋 葬 施 設 に 盗 掘 坑 あり 久 渡 3 号 墳 方 形 を 基 調 とする 古 墳 一 辺 15m 前 後 4 号 墳 造 成 時 に 一 部 削 平 を 受 ける ( 方 墳 かまたは 前 方 後 方 墳 ) 久 渡 4 号 墳 円 墳 直 径 約 18m 久 渡 5 号 墳 方 墳 一 辺 20m 久 渡 6 号 墳 円 墳 直 径 約 12m 久 渡 7 号 墳 円 墳 直 径 約 18m 第 2 表 久 渡 3 4 号 墳 群 埋 葬 施 設 の 規 模 ( 木 棺 長 については 未 掘 削 があるため 推 定 ) 古 墳 名 墓 壙 ( 長 ) 墓 壙 ( 幅 ) 棺 の 形 態 木 棺 ( 長 ) 木 棺 ( 幅 ) 埋 葬 頭 位 遺 物 3 号 墳 第 1 埋 葬 施 設 5.40m 1.50m 組 合 式 木 棺 (4.34m) 0.60m 東 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 鉄 槍 鉄 鏃 土 師 器 3 号 墳 第 2 2.50m 0.95m 組 合 式 木 棺 (2.10m) 0.60m 東 - 埋 葬 施 設 3 号 墳 第 3 4.96m 1.60m 組 合 式 木 棺 (3.60m) 0.60m 東 鉄 器 片 埋 葬 施 設 4 号 墳 8.25m 5.0m 割 竹 式 木 棺 (3.50m) 0.62m 東 須 恵 器 鉄 器 片 臼 玉 が もんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう 第 3 表 奈 良 県 内 における 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 出 土 地 古 墳 名 埋 葬 施 設 枚 数 古 墳 の 時 期 まるづか 衛 門 戸 丸 塚 古 墳 ( 奈 良 市 ) 粘 土 槨 1 面 前 期 後 半 てんじんやま 大 和 天 神 山 古 墳 ( 天 理 市 ) 竪 穴 式 石 室 2 面 前 期 前 半 ちゃ うすやま 桜 井 茶 臼 山 古 墳 ( 桜 井 市 ) 竪 穴 式 石 室 1 面 前 期 前 半 ほくわじょうなん しんやま 新 山 古 墳 ( 広 陵 町 ) 竪 穴 式 石 室 2 面 前 期 後 半 伝 北 和 城 南 古 墳 ( 奈 良 市 北 部 ないし 京 都 南 部 ) 2010 年 桜 井 茶 臼 山 古 墳 の 調 査 において 鏡 の 破 片 が 多 く 出 土 したが 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 の 詳 細 については 未 発 表 である 5 1 面
第 4 表 奈 良 県 内 における 銅 鏡 出 土 事 例 ( 破 片 を 除 く) 年 度 古 墳 名 製 作 地 別 鏡 種 類 古 墳 の 時 期 平 成 ホケノ 山 古 墳 ( 桜 井 市 ) 中 国 鏡 画 文 帯 同 向 式 神 獣 鏡 前 期 11 12 平 成 13 古 市 場 古 宮 谷 1 号 墳 ( 宇 陀 市 ) 倭 鏡 仿 製 画 文 帯 神 獣 鏡 前 期 ~ 中 期 平 成 14 赤 尾 熊 ヶ 谷 古 墳 群 倭 鏡 仿 製 内 行 花 文 鏡 2 面 前 期 2 号 墳 ( 桜 井 市 ) 平 成 16 薩 摩 5 号 墳 ( 高 取 町 ) 倭 鏡 仿 製 鏡 中 期 平 成 18 薩 摩 11 号 墳 ( 高 取 町 ) 倭 鏡 方 格 規 矩 鏡 中 期 倭 鏡 珠 文 鏡 平 成 24 久 渡 3 号 墳 ( 上 牧 町 ) 中 国 鏡 画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 前 期 6
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右 側 の 丘 陵 が 上 牧 銅 鐸 出 土 伝 承 地 ( 南 から) 久 渡 3 号 墳 第 3 第 1 埋 葬 施 設 ( 西 から) 久 渡 3 号 墳 第 1 埋 葬 施 設 内 出 土 土 器 ( 西 から) 10
久 渡 3 号 墳 第 2 埋 葬 施 設 ( 東 から) 久 渡 4 号 墳 埋 葬 施 設 ( 北 東 から) 久 渡 4 号 墳 埋 葬 施 設 内 出 土 土 器 ( 東 から) 11
画 文 帯 環 状 乳 神 獣 鏡 12