2014 年 発 行 所 石 井 記 念 友 愛 園 3 月 10 日 宮 崎 県 児 湯 郡 木 城 町 椎 木 644 番 地 ゆうあい 通 信 第 264 号 884-0102 0983-32-2025 子 ども 達 の 出 会 い 園 長 児 嶋 草 次 郎 あでやかな 河 津 桜 は 盛 りをすぎ 現 在 園 庭 のあちこちで 花 桃 が 満 開 です 山 桜 も 負 けじと 咲 き 始 めています そんなのどかな 春 を 感 じさせる3 月 1 日 高 鍋 町 美 術 館 において 宮 崎 日 日 新 聞 社 主 催 の 石 井 十 次 没 後 100 年 記 念 シンポジ ウム だれも 知 らない~みやざき 子 どもの 貧 困 が 開 催 されました 大 型 連 載 の 中 間 の 総 括 みたいなものでしたので 関 心 も 高 く 入 場 整 理 券 は 二 日 間 で 完 売 だっ たそうです 私 もシンポジストの 一 人 としてお 招 きいただいたのですが 私 にと っての 楽 しみは 茨 城 県 高 萩 市 市 長 草 間 吉 夫 氏 にお 会 いできることでした 石 井 記 念 友 愛 社 主 催 の 夏 の 石 井 十 次 セミナー の 講 師 としてお 招 きするために 石 井 十 次 映 画 の DVD や 資 料 を 送 って 高 萩 市 役 所 と 交 渉 したことがあります 私 が 今 一 番 お 会 いしたい 人 の 一 人 でした この 草 間 氏 がこのシンポジウムの 最 初 に 講 演 をされるのです 私 だけではもったいないので 友 愛 園 の 中 高 校 生 も 連 れ て 行 きました 人 生 は 出 会 いによっても 決 まっていきます 最 近 志 を 高 く 持 つ 子 ども 達 も 増 えて 来 ていますので 草 間 氏 の 話 を 聞 いて さらに 自 らの 思 いを 奮 い 立 たせ 10 年 後 20 年 後 草 間 氏 を 越 える 人 間 に 成 長 してくれるのではない か そんな 願 いもあります 草 間 吉 夫 氏 知 る 人 ぞ 知 るです 家 庭 の 事 情 で 生 後 3 日 目 に 乳 児 院 に 入 所 し 2 歳 の 時 児 童 養 護 施 設 へ 移 され 高 校 卒 業 までその 高 萩 市 内 の 児 童 養 護 施 設 で 生 活 をされた 方 なのです 氏 はその 後 東 北 福 祉 大 学 で 学 び 卒 業 後 5 年 間 ほど 児 童 養 護 施 設 の 指 導 員 として 働 きます その 中 で 政 治 を 志 すようになり 松 下 政 経 塾 へ 入 塾 卒 塾 後 は 東 北 福 祉 大 学 の 職 員 をしながら 大 学 院 に 進 学 修 了 後 講 師 を している 時 に 高 萩 市 長 選 挙 に 挑 戦 して 当 選 現 在 二 期 目 です 石 井 十 次 の 時 代 ほどの 偏 見 や 差 別 はなくなったとは 言 っても 自 分 が 施 設 育 ち だったと 公 言 するには 随 分 勇 気 のいることでしょう 振 り 返 る 経 歴 は 簡 単 に 何 行 かでまとめられるけど その 一 つ 一 つの 壁 を 超 える 際 には 人 には 言 えない 苦 労 も 色 々あったことでしょう 数 年 前 に 氏 の 書 かれた ひとりぼっちの 私 が 市 長 に 1
なった! は 数 冊 買 って 子 ども 達 の 図 書 にも 収 めています 別 の 本 で( 高 萩 市 長 草 間 吉 夫 の 1600 日 )で 次 のようにも 書 かれています この 文 はそのま まコピーして 子 ども 達 の 生 活 手 帳 にも 掲 載 しています 私 は 自 分 はかけがいのない 存 在 だと 思 えるまでに 相 当 に 時 間 を 要 した そ れは 血 を 分 けた 両 親 から 愛 情 を 注 がれなかったのが 大 きく 影 響 していると 思 う 生 まれてすぐ 私 は 児 童 養 護 施 設 に 預 けられ 高 校 卒 業 まで 育 ったからだ 施 設 の 生 活 は 俺 の 弁 当 箱 洗 っておけよ と 使 われることは 日 常 茶 飯 事 だっ た 友 達 とも 気 の 向 くままに 自 由 に 出 掛 けられなかった 施 設 仲 間 のほとんどは 盆 暮 れに 帰 る 家 があるのに 私 にはなかった このハンディは 当 時 の 私 には 辛 かった このような 環 境 の 中 では とても とても 自 分 の 置 かれた 状 況 を 受 け 止 めることは 無 理 だった 何 度 運 命 を 呪 ったか 数 知 れない そして 氏 は 自 分 の 運 命 を 変 えた 後 次 のようにも 書 かれているのです 松 下 ( 幸 之 助 )さんの 生 き 様 からは 人 生 を 前 向 きにプラス 思 考 で 考 えて 努 力 することを 教 えられた 13 年 前 私 は 70 倍 の 難 関 を 突 破 して 松 下 政 経 塾 に 合 格 した 5 年 前 大 学 院 に 入 り 修 士 号 を 取 得 した 昨 年 5 人 が 出 馬 する 市 長 選 に 挑 戦 し 当 選 を 果 たした 松 下 さんに 出 会 わなければきっと 成 し 得 なかったと 思 う 世 間 は 格 差 社 会 が 問 題 だという 確 かにその 通 りだ しかし 私 は 格 差 を 嘆 く 前 に 自 分 自 身 の 生 き 方 はどうなのかを 問 うことも 必 要 ではないかと 思 う 少 なく とも 私 はそうありたい 不 透 明 でしかも 厳 しい 社 会 だからこそ 私 は 自 分 の 子 ど もには 人 のせいにしていないか 前 向 きに 生 きているか 感 謝 しているか 努 力 しているか を 問 い 掛 けたい 21 世 紀 を 生 きる 子 どもたちへの 父 からの 実 体 験 から 得 た 贈 る 言 葉 だ 岡 山 孤 児 院 卒 院 生 の 中 にも 大 成 した 人 はいくらでもいます 実 業 家 になった 人 もいるし 医 者 になった 人 もいるし 大 学 の 先 生 になった 人 もいます 友 愛 社 に なってからも 立 派 な 生 き 方 をしている 人 はいくらでもいます しかし 自 分 の 出 生 から 心 情 そして 経 歴 までこれほど 赤 裸 々に 語 られた 人 は 初 めてです すごい 所 は マイナス 思 考 をみごとにプラス 思 考 に 転 換 させているというところです な かなか 凡 人 にはできることではありません 様 々な 苦 悩 から 逃 げずに 対 峙 しよう とする 勇 気 と 決 断 力 誘 惑 から 自 らを 守 ろうとする 自 律 力 と 習 慣 力 そして 人 間 2
を 信 じようとする 感 性 とが 結 集 してできることです 先 ほどの4つの 問 いかけは 友 愛 園 の 子 ども 達 への 問 いかけともなっています 友 愛 園 の 子 ども 達 も 表 面 上 は 明 るく 元 気 にがんばっていますが 一 人 になった 時 あるいは 友 人 との 比 較 の 中 で 悶 々とすることも 多 いはずです 私 は 宿 命 は 変 えられないけど 運 命 は 変 えられると 常 に 言 うようにしているのですが 子 ど も 達 にとって 草 間 氏 の 人 生 姿 勢 は 模 範 となり 得 ます 私 達 職 員 が 偉 そうに 人 生 を 語 るより 草 間 氏 の 言 葉 の 方 が 何 倍 も 説 得 力 があるでしょう そして 生 の 声 を 直 接 目 の 前 で 聞 くチャンスが 与 えられたのです 子 ども 達 にとっては 千 載 一 隅 のチャンスなのです シンポジウムは 午 後 1 時 からでしたが 私 達 講 師 は 早 目 に 集 まり 控 室 で 昼 食 をいただきました 延 岡 市 内 にフリースクールを 開 設 し 不 登 校 や 引 きこもりの 子 どもの 相 談 に 乗 ってこられた 他 のシンポジストの 喜 多 裕 二 氏 進 行 役 の 宮 崎 大 学 教 育 学 部 講 師 盛 満 弥 生 氏 は 私 が 行 った 時 にはすでに 来 られていました そのうちにもう 一 人 のシンポジスト 宮 崎 市 生 目 台 地 区 で 青 少 年 育 成 協 議 会 を 組 織 し 20 年 にわたっ て 非 行 や 貧 困 家 庭 の 子 どもたちをボランティアとして 支 援 してこられた 矢 方 幸 氏 も 到 着 そして 最 後 に 草 間 氏 がさっそうとスーツケースを 持 って 現 れました なんだ このさわやかさは! これが 私 の 第 一 印 象 でしょうか こんなすがすがしい 笑 顔 の 首 長 に 会 ったこと はないし 一 流 企 業 のセールスマンか TV 局 のスポーツキャスターのような 洗 練 された 物 腰 で 名 刺 を 出 されます 名 刺 には 退 任 挨 拶 というゴム 印 が 押 してあ り 市 長 は 今 日 まで 4 月 からは 母 校 で 教 授 をします と 説 明 をされまし た 選 挙 で 負 けたわけではなく 2 期 で 勇 退 されたようです このオーラから 言 って 大 学 教 授 に 納 まるような 人 ではなく いずれ 国 会 議 員 にでも 出 られる 器 の 人 なのだろう そう 私 は 読 みました 講 演 の 内 容 については 重 複 しますのでここでは 省 略 させていただきますが 時 々 笑 いも 誘 いながら 深 刻 な 問 題 も 明 るく 話 されました お 母 さんのことを 話 されている 時 は 一 瞬 絶 句 された 時 もありましたが 明 るい 性 格 に 生 んでくれた ことに 感 謝 する というような 言 葉 は 印 象 に 残 りました 子 ども 達 は どのように 受 け 止 めたのでしょうか 子 ども 達 の 書 いた 感 想 文 か らいくつか 拾 ってみます 同 じ 養 護 施 設 出 身 としてつらい 経 験 や 施 設 にいて 思 うこと 等 とても 共 感 する ことがありました しかし 施 設 出 身 者 でもここまで 出 来 るんだなと 勇 気 をもらい ました ( 高 2アキ) 3
母 に 明 るい 性 格 に 生 んでくれたことに 感 謝 している この 言 葉 を 聞 いた 時 自 分 は 母 の 大 切 さを 改 めて 考 えさせられました ( 中 3リュウ) 僕 はこれから 感 謝 の 心 と あきらめない 心 を 大 切 にしようと 思 いまし た なぜならこの 二 つがあれば 自 分 も 草 間 さんのようなとても 立 派 な 人 間 になれ ると 思 ったからです ( 中 2シン) 自 分 も 自 分 の 弱 さに 負 けず 努 力 して 草 間 先 生 を 抜 かすような 人 になりたい です ( 中 3タヒロ) 宮 崎 日 日 新 聞 の 記 者 に 草 間 氏 のシンポジウム 後 の 予 定 を 聞 いた 時 には えびの 市 の 大 学 時 代 の 友 人 宅 に 行 かれるということでしたので 会 が 始 まる 前 の 雑 談 の 時 に 草 間 氏 に 確 認 すると 友 人 が 迎 えに 来 ると 言 われます 石 井 十 次 資 料 館 見 学 と 石 井 十 次 墓 地 参 拝 を 誘 うと 友 人 に 聞 いてみない と と 友 人 の 意 思 を 気 にされているようですし あまり 乗 り 気 でもない ようでした 会 の 終 了 後 ホールで 著 書 のサインをされている 間 に 玄 関 に 出 てそ の 友 人 に 接 触 先 手 を 打 って 友 愛 社 に 立 ち 寄 ることに 了 解 を 得 ました これは 私 に 与 えられたチャンスです 草 間 氏 の 福 祉 世 界 における 今 後 の 御 活 躍 を 考 えると 少 々 無 理 を 言 ってでも 資 料 館 を 見 ておいていただかなくてならないし 石 井 十 次 墓 地 にも 参 っていただいておくべきである そう 判 断 したのです 強 引 ではあり ましたが 素 直 に 従 って 下 さいました 石 井 十 次 のお 墓 の 前 では 長 いこと 手 を 合 わせておられました 私 は 私 の 責 任 を 果 たせたような 気 分 になり 安 堵 してお2 人 を 見 送 ることができました 子 ども 達 と 一 緒 に 写 真 にも 入 って 下 さったし 励 ましの 言 葉 の 入 った 色 紙 も 書 いて 下 さったし(どちらもこちら 側 からの 要 請 ) 私 は 最 近 出 版 されたばかり の 御 著 書 高 萩 市 長 草 間 吉 夫 の 1500 日 もいただきましたし 子 ども 達 にとっ ても 私 達 職 員 にとっても 最 高 の 出 会 いの 一 日 となりました 草 間 吉 夫 氏 に 心 より 感 謝 申 し 上 げます また 草 間 氏 を 導 いて 下 さった 宮 崎 日 日 新 聞 社 の 皆 様 にも 感 謝 申 し 上 げます 草 間 氏 はいただいた 著 書 の 中 で 私 は 市 長 就 任 以 来 市 民 の 郷 土 愛 と 誇 りを 呼 び 覚 ましてまちを 再 興 する ことを 念 頭 に 様 々な 手 を 打 ってきました 手 法 は ズバリ 歴 史 を 再 発 掘 してまちを 再 興 していくことです と 振 りかえっておら れます その 具 体 的 な 実 績 の 一 つが 中 心 地 の 松 岡 城 内 にある 松 岡 小 学 校 を 改 築 した 際 に 郷 土 資 料 室 松 岡 藩 藩 校 就 将 館 を 設 置 したことだそうです 子 ども 達 の 精 神 の 骨 格 づくり を 行 うためだとも 書 いてあられます これは 画 期 的 な ことでしょう この 取 り 組 みは 現 在 私 がやろうとしている 石 井 十 次 資 料 館 の 子 ども 達 の 心 の 4
教 育 のための 充 実 整 備 事 業 ともつながるものだと 思 いますし 拝 読 しながら 意 を 強 くしました やはり まず 先 人 に 学 べです 草 間 氏 のような 実 践 力 行 動 力 思 考 力 は 私 にはありませんが 老 体 にムチ 打 ちながら 残 された 時 間 自 らの 使 命 にエネルギーを 注 ぎたいと 思 います 喜 多 裕 二 氏 矢 方 幸 氏 のことを 書 く 余 裕 がなくなりました 新 聞 でもそのボラ ンティア 活 動 の 詳 細 は 報 じられましたのでここでは 出 会 いに 感 謝 します とい う 言 葉 だけを 記 しておきたいと 思 います これからの 地 域 における 共 助 を 構 築 していくためには その 地 域 地 域 に 眠 る 共 生 の 福 祉 文 化 を 掘 り 起 こしながら さらにもう 一 歩 地 域 に 足 を 踏 み 出 し 喜 多 氏 や 矢 方 氏 のような 垣 根 を 越 えたボランティアグループとの 連 携 協 働 を 築 き あげていくことが 必 要 だと 改 めて 思 い 知 らされました 関 係 者 の 皆 様 このよう な 勉 強 の 機 会 を 作 っていただき ありがとうございました 5