2 世界農業遺産 クヌギ林とため池がつなぐ国東半島 宇佐の農林水産循環 での重要特用作物シチトウイ 1. は じ め に 大分県国東半島宇佐地域は九州の北東部にあり 宇佐市 豊後高田市 姫 島村 国東市 杵築市 日出町からなる 図1A 瀬戸内海西部に突き出 た円形の半島部は 中心に位置する両子山 721m から放射状の谷が海ま で連なる特徴的な地形を示している 図1B 平野部は河口周辺に限られ 図1 国東半島宇佐地域の位置と景観 A 大分県北東部に位置する国東半島宇佐地域 宇佐市 豊後高田市 姫島村 国東市 杵築市 日出町より構成される B 半島中心部から半島東部瀬戸内海方向を見下ろす Aの矢印始点より 矢印方向の写真を示した 細い谷にへばりつくように人家 田畑 そして谷の最上流域にはため池 が見える 尾根付近からは クヌギ林を中心にした広葉樹林が広がる 短くて急な川が削った谷底に大部分の細い耕作地が連なる典型的な中山間地 である 平均の年間降水量は1400mm 程度であり 地域全体が降水量の少な い瀬戸内海式気候である また 地域内では 明治時代から植林され続けて きた広大なクヌギ広葉樹林が維持されており 萌芽更新による循環型森林利 用が大規模に行われている その中心にある生産活動が原木シイタケ生産 であり シイタケ生産農家は クヌギ広葉樹林の維持管理から 原木シイタ ケ生産そして収穫したシイタケの乾燥までを行い十分な生計の糧を得ている 原木シイタケ生産農家が クヌギ広葉樹林を循環的に利用することにより 図らずも 厚い A0層を持つ褐色森林土壌の生成を促すことで 少ない降水
2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 7 図3 シチトウイの花序と雄しべ A シチトウイの花序 B 開花した花の雄しべ拡大図 目盛りは1mm. 図4 シチトウイの地上部と断面の写真 A 1mに生育した地上部をおよそ17cm ごとに切断し基部から並べた a f また その断面 を示した 茎の最下部切断面より ラック赤色素 2g/L水耕液 を24時間吸収させた後に切断 B それぞれの切断面の拡大図 目盛り間隔は1mm.
2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 9 11 上げるように成長してくる 梅雨期以降伸長最盛期には 茎の伸長はとて 図6 シチトウイ伸長部位の特定 A 基部より5cm 間隔で白シールはり 24時間の伸長を観察 下2枚のシールは葉鞘の上 B 同一個体の葉鞘をはぎ取り 茎のさらに基部での33時間の伸長の様子を観察 も旺盛で一日に5 10cm も伸びるとされている11 その伸長の様子を改め て観察してみたのが図6である 水耕栽培されたシチトウイの地上茎基部 の伸長程度をみたものであるが 葉鞘や茎にシールを張り その24時間の動 きを写真で示した Aでは 下から2番目の印と3番目の印の間が 24時間 で5cm 広がっていることが観察できる 葉鞘の間から地上茎が押し出され ている様子がよくわかるが 葉鞘や茎の他の部位は伸長していない さらに 翌日に同一個体の葉鞘を剥き 地上茎最下部からの伸長の様子を調べてみた 図6B 33時間経過後 最下部が5cm 伸長していることが分かる この ような地上茎最下部が伸長し茎を押し上げていく性質は栽培上重要である シチトウイの収量を上げるためには 次々に出てくる茎をある程度太さや長 さがそろった形で収穫することが必要である そのために 1.4m以上にな った地上茎を1.3m程度に切りそろえる梢切り うらきり 作業を数回行な うことで 生育のそろったしかも地上茎の充実したシチトウイを最終的には 1.5m程度の長さで収穫することができる このような栽培管理は 地下茎
10 世界農業遺産 クヌギ林とため池がつなぐ国東半島 宇佐の農林水産循環 での重要特用作物シチトウイ から地上茎が押し出されてくる性質があるからこそ可能となるのである 図7は 昭和40年代頃のシチトウイ畳表生産までの様子を 平成23年 図7 シチトウイ栽培から畳表織りまでの作業過程 1960年代の再現 A 植え付け 6月 B 収穫前のシチトウイ 7月 C 鎌で収穫 8月 D 割台での分 割作業 8月 E 天日乾燥 8月 F 半自動織機により畳表織りの作業 26年に再現したものをまとめたものである 普通期のイネの田植えよりも 前 5 6月 に 昨年の株から伸びてきた苗を堀り上げ水田に植え付ける 水が多く必要な時期は植え付けてから2週間ほどで その後は間断灌漑 を繰り返しながら むしろ深水による根腐れに注意しながら水管理を行って いくが 少ない灌漑水を稲作に重点的に使うためにも水の需要期が重ならな い点が重要である 肥培管理を確実に行い また最も重要な病害であるべっ 甲病に注意しながら 7 8月の収穫期を迎える B,C 収穫後はすぐに 針金を張った木作りの道具で茎を2分割していく シチトウイはイグサに 比べ太く三角の茎を持つために そのままでは畳表に織りあげることが難し いからである 最後に 天日乾燥 に織り上げていくのである した原草を農閑期に半自動織機で畳表 江戸時代から続くこの産業は 筆者の幼少 期 1960年代 までその原型のまま継承されていたことに驚きを覚える そ
2 シチトウイの作物としての特徴と栽培 11 の後1970年代に入り 分割作業 乾燥過程は機械化され 収穫作業が天候に 大きく左右されることはなくなった 半自動織機は今でも使われているが 2014年になってイグサ畳表用の全自動織機がシチトウイ用に改良されつつあ る 図 8 は シ チ ト ウ イ 栽 培 上 主 要 な 病 害 で あ る べ っ 甲 病 病 原 菌 図8 重要病害であるべっ甲病の病徴 A 健全茎 からべっ甲病徴が激しくなるように b f で茎を並べた は健全苞葉 はべ っ甲病に冒された苞葉 B 断面の拡大図 は病班部位 は健全部位 目盛りは1mm Ideta S. Ito の病徴を示したものである 図8Aに は 健全茎 から病徴が激しくなる茎 b f 健全包葉 と罹患包葉 を 示した 病徴が激しくなると べっ甲様の茶色模様が全体に広がり 最終的 には病徴より上部が枯れてしまう 図8Bには 病徴部分 と健全茎の の 切断面を示した 病徴が茎の内部まで侵入し大部分の維管束を覆っている様 子がわかる 激しい病徴では その上部が枯れ上がるが 茎の一部に病徴が 現れただけでも畳表の原草としては使用できず 栽培農家には恐れられた病 害であった 栽培管理や薬剤の研究が進み 最大の懸念材料であったこの病 気もようやくコントロールできるようになってきている14 図9は 大分県でのシチトウイ栽培面積の変遷をまとめたものである そ れとともに大分県の試験研究機関の編成 とりわけシチトウイ関連の研究
14 世界農業遺産 クヌギ林とため池がつなぐ国東半島 宇佐の農林水産循環 での重要特用作物シチトウイ 図10 国東半島中心部の土地利用の変遷 国東市安岐町両子付近 A 1975年2月24日 航 空 写 真 CKU748 C16C-15 B 2013年 1 月12日 の 同 じ 場 所 の 航 空 写 真 CKU20122X C2-29 いずれも 国土地理院 地図 空中写真閲覧サービスより が水の供給源であったが いずれも現在は使用できないほど朽ちてしてしま っている どのような形で水田農業を後世に伝えていくかに関して この地 域と先に述べた田染荘小崎地区での耕地利用の変遷過程を比較することは 地元住民の合意形成過程に関する社会学的研究にとっても重要な示唆を与え るものと思われる 3. シ チ ト ウ イ 生 産 の 歴 史 と 経 営 シチトウイに関しては 江戸時代から注目され研究普及されてきたことは 先に述べたが 廣益国産考 10 によれば 元肥としてよく発酵させた人糞 を 梅雨前に追肥として人糞尿 油粕あるいは干鰯粉を1反当たり銀30 40 目分 さらに土用前に同様の追肥をすることが記されている イネと違い 肥料を多く入れた方が良いできになるとされた このころの1反あたりの収 量は 筵にして600枚であり 代金として銀900目であり 税金 銀250目
18 世界農業遺産 クヌギ林とため池がつなぐ国東半島 宇佐の農林水産循環 での重要特用作物シチトウイ 20 200 75.6 甲第三区は 資料では抜け落ちているが 結果の表 1. 括弧内の数字は kg/10a に換算 2. より推定し書き入れた 3. 施肥方法および時期 甲試験 第一 第三区は 全量田植え前に施肥 第四区は 過燐酸石灰 木灰は全量 硫酸アンモニアは半量 田植え前に施肥 植え付け後30日 目に硫酸アンモニア1/4量追肥 約270Lの水に溶かして 植え付け後56日目硫酸アンモニア1/4追 肥 容積2倍強の砂土に混和して 乙試験 第一区は 半量田植え前に施肥 植え付け後30日目 に1/4量追肥 約270Lの水に溶かして 植え付け後59日目に1/4追肥 容積2倍強の砂土に混和し て 第二 第四区は 全量田植え前に施肥 第六区は 鰊粕は全量田植え前に施肥 食塩は 植 え付け後40日目に施肥 乙試験第五区に関しては 資料に言及なし 1. 良藺量 内の数字は kg 換算 いずれも乾物 2. 長さ 内の数字は cm 換算 3. 総価 格には畳表に使えない原草 撰出イやクゼ の価格を含む