名古屋高等教育研究 第 16 号 2016 戦前における私立大学校友会の役割 関西地区私立大学を中心に 原 裕 美* 要 旨 本稿の目的は 私立大学校友会の形成過程及び設立初期における大 学 卒業生に対して果たした役割を明らかにすることである これら を通じて 校友会と大学 卒業生との間で構築されていた関係を俯瞰 する 分析の対象は 関西大学 関西学院大学 同志社大学 立命館 大学の 4 校 以下 関西四大学 における校友会とする 分析には 1890 年から 1941 年までの関西四大学の年史 当時の広報物 校友会 資料を用いる 本稿において明らかになったことは以下のとおりである 校友会は 卒業生の母校に対する想いと 創立者の逝去や大学昇 格などの大学を取り巻く独自の環境の変化が重なって設立された 大学に対して校友会は ① 大学経営の担い手 ② 卒業生と大学 との仲介役としての役割を果たしてきた 卒業生に対して校友会は 卒業生の社会基盤形成の場としての役 割を果たしてきた 私立大学校友会の特徴は 戦前から卒業生の高い自主性のもと 大 学経営 卒業生 学生の活動に貢献してきたことである 戦前には 校友会の活動を通じた母校の発展が卒業生の社会的地位を高めるとい う 校友会と大学 卒業生それぞれとの互恵関係が構築されていた 1 問題背景と目的 本稿の目的は 私立大学校友会の形成過程をその設立背景や目的から明 らかにするとともに 大学と卒業生に対する校友会の役割を校友会活動の 諸側面から解明することである これらを通じて 戦前において校友会と 大学 卒業生との間で構築されていた関係を俯瞰する 神戸大学大学院国際協力研究科 博士後期課程大学院生 155
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戦前における私立大学校友会の役割 を主な資料として用いる 各大学の年史は 後代の大学や校友会 その関 係者の手で編纂されたものであって分析には注意を要するが 校友会の設 立初期の実態を表す一次資料であり 当時の広報物 校友会資料と比較検 討することで 当時の校友会の実態を可能な限り明らかにすることができ る 以下では まず各大学の校友会設立に至るまでの背景や目的をたどり その形成過程を明らかにする 次に校友会の役割を その活動 大学と卒 業生との相互関係から整理する そして最後に 私立大学校友会が果たし た役割を明確にして 校友会と大学 卒業生との関係を全体的に考察する 4 私立大学校友会の歴史的展開 4.1 校友会設立の背景 まずは 関西四大学の校友会がどのように形成されたのかを確認してい くこととする 卒業生が 校友会 という名で組織化される前には 主に 卒業生同士の親睦を目的として形成された小規模の有志の集まりが存在し た 具体的には 1885 年には同志社大学 当時は同志社英学校 に欧米の 大学の同窓会組織にならって アルムニ會 が創設された 上野編 1979: 624 関西学院大学 当時関西学院 には 1890 年代に卒業生だけでなく新旧教 職員や在校生をも会員とした 院友会 が存在した記録が残されている 関 西学院同窓会編 2014: 182 立命館大学には 1903 年 9 月 同大学の前身 である京都法政専門学校の 校友会規則 が定められており これが同大学 における 校友会 の初出である 立命館百年史編纂委員会編 2000: 201 また 1904 年 11 月 13 日には在京校友茶話会や 校友小会 など小規模の 会が同時期に開催されている 立命館百年史編纂委員会編 1999: 664 関 西大学校友会においては校友会の前身の存在が確認できなかった 関西四大学における校友会設立日及び設立背景は 表 1 のとおりである 表1 関西四大学における校友会設立日及び設立背景 校友会設立日 及び校友会名 1890 年 1 月 28 日 同志社校友会 アルムニ會の設 立は 1885 年 校友会設立の背景 動機 創立者の逝去 彼等がアルムニ會から一歩を進めて 更に廣く校友會を組織す るに至つたのは 要するに彼らの胸裡に燃えて止まなかつた 母 159
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戦前における私立大学校友会の役割 の 1898 年から 1908 年まで同学院長が同窓会長を務めた 関西学院同窓会 編 2014: 271 同志社校友会では 1907 年から 1919 年の間のみ 大学開 設準備の基金募集もあり 同志社社長原田助が校友会長を兼任した 第二に校友会事務所である 設立時の関西四大学の校友会規則には い ずれも校友会事務所を大学事務所内に置くことが規定化されている 一方で 大学から校友会への資金提供について 同志社大学以外 大学 から校友会への運営資金提供の有無に関する資料や記録は見当たらなかっ た 同志社校友会綱領には 同志社との特約 4 として校友会の通信等の 諸雑費は同志社が負担することが定められていたが 大学側の財政状況に より大学側から同特約を廃止したい旨照会があり 1905 年 3 月に廃止され た 上野編 1979: 645-6 その後 校友会本部は同志社事務所に置いたま ま 専任事務員を校友会で雇い 事務処理を行ったことが 1906 年同志社校 友会発行の 同志社時報 で卒業生に伝達されている 同志社校友会 1906: 3 5.3 大学に対する校友会の役割 大学にとって校友会はどのような役割を果たしていたのだろうか 結論 から言えば 関西四大学校友会は共通して 大学経営の担い手として大学 の動きを牽制する役割と大学を取り巻く諸団体との調整役という役割を 担っていた 校友会設立後 校友会と大学の関係は常に順調ではなく 時 には校友会は大学の決定に対し 強い反対行動を起こすこともあった 戦 前 関西四大学の校友会と大学が対立した事例が表 2 である 各問題の詳 細には紙幅の関係上触れないが 問題が起きた際には 卒業生が団結し 臨時校友大会を開催することが常であった 同大会で校友会は大学側の役 員の出席と説明を求め 激しく大学の責任を追及した 例えば 1898 年の 同志社綱領削除問題は 同志社の運営理念そのものを問う重大事件であっ た 各地の校友会 校友有志は反対運動を展開したものの 最終的に校友 会としては 社員会の綱領削除はみとめるが その決定の手続きが不十分 であった この削除によってキリスト教主義教育は消滅したとはみとめな い 上野編 1979: 447 と大学側に理解する姿勢を示した 165
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