絆 ベルリン 第 2 回 翼 プロジェクト 報 告 (2014 年 7 月 30 日 ~8 月 7 日 ) 日 本 語 での 抄 訳 Dr. Frank Brose 絆 ベルリン 副 会 長
7 月 30 日 から8 月 7 日 まで 津 波 と 大 地 震 に 被 災 した 岩 手 県 に 住 んでいる6 人 の 高 校 生 が 絆 ベルリンの 招 待 で 8 日 間 ベルリンに 来 ました この 滞 在 の 目 的 は 他 の 国 を 知 ることと ドイツ 人 の 若 者 との 交 流 でした 私 たちは 翼 プロジェクト をNPO 遠 野 まごころネット(TMN)と 共 同 で 行 いました 3 人 の 引 率 者 も 日 本 から 来 ました ドイツのロベルト ボッシュ 財 団 から 今 年 で2 回 目 の 翼 プロジェックト に 1 万 ユーロ の 財 政 援 助 をうけました 我 々はボッシュ 財 団 に 本 当 に 心 から 感 謝 して います そして 後 援 者 は 在 ドイツ 日 本 国 大 使 館 と 岩 手 県 教 育 委 員 会 それに 様 々 な 岩 手 県 のテレビ 局 と 新 聞 でした 被 災 地 を 離 れて ドイツ 社 会 を 体 験 し 同 世 代 の 若 者 と8 日 間 過 ごし 異 文 化 経 験 をすることによって 将 来 の 地 域 復 興 活 性 化 に 役 立 たせてほしいと 願 いからでした そして 日 独 の 友 好 関 係 を 深 めることも 願 っています 4 月 の 下 旬 に 遠 野 市 民 センターで 面 接 者 の20 人 から 4 人 の 女 子 高 校 生 と2 人 の 男 子 高 校 生 が 選 ばれました 6 月 ~7 月 に 高 校 生 がTMNの 指 導 で プロジェクト のオリエンテーションを 受 けました 岩 手 県 被 災 地 の 現 状 を 学 ぶと 同 時 に ドイツ 現 地 でのプレゼンテーションの 準 備 を 進 めてきました
ベルリンでは 高 校 生 はドイツ 人 家 庭 でホームステイしました そして 2 泊 3 日 のワークキャンプがありました 7 月 31 日 は 一 日 中 ベルリン 市 内 史 跡 観 光 をしました ブランデンブルク 門 か ら 都 心 を 歩 き 回 りました
まず ホロコースト 記 念 碑 を 観 光 しました そして Global Stone Projekt (グローバル ストーン プロジェクト) も 観 光 し ました ストーン プロジェクトの5つの 石 は 平 和 に 不 可 欠 な5つのステップの 象 徴 です
昼 に ベルリン 壁 記 念 館 の 案 内 (Gedenkstätte Berliner Mauer)にいきました
午 後 高 校 生 は 市 内 史 跡 観 光 を 続 けました たとえば ベルリン ドームへ 行 き ました 私 はTMNの 理 事 長 と 一 緒 に USE 障 害 者 のための 工 場 を 訪 問 しました 大 槌 では 新 しい 障 害 者 のための 工 場 も 建 てられましたので 将 来 における 協 力 の 可 能 性 について 話 しました
8 月 1 日 に ドイツ 森 林 保 護 団 体 青 年 部 の 自 然 保 護 塔 の 前 に 植 樹 運 動 をしました 日 本 とドイツの 友 好 を 深 めるために リンゴの 木 と 桜 の 木 を 植 えました 次 の 日 その 植 樹 運 動 についての 記 事 が 二 つ 新 聞 に 出 ました 自 然 保 護 塔 はベルリンの 旧 壁 の 道 にあります 25 年 前 に ベルリンの 壁 が 崩 壊 し ました
その 時 から 今 までに 旧 壁 地 域 ではドイツの 高 校 生 が 平 和 のシンボルとして 8 万 の 木 を 植 えました 8 月 1 日 の 晩 から3 日 の 昼 まで ワークキャンプがありました 日 本 人 の 高 校 生 とドイツ 人 の 大 学 生 が 参 加 しました 自 己 紹 介 の 後 で 津 波 の 被 災 地 についてプレゼンテーショ ンと 討 論 が 行 われました
8 月 2 日 の 午 後 に 歓 迎 パーティーを 庭 で 行 いました パーティーには 出 席 者 が50 名 以 上 いました 細 貝 萌 さんも 来 賓 の 一 人 でした 細 貝 萌 さんは 2013 年 からサッカー ブンデスリーガのヘルタBSCでプレーして います
満 座 の 中 で 高 校 生 はもう 一 度 岩 手 県 被 災 地 の 現 状 についてのプレゼンテーションを しました
8 月 3 日 の 昼 に ホストファミリーは 高 校 生 を 迎 えに 来 ました 午 後 はホストファミリ ーと 一 緒 に 自 由 行 動 をとりました 妻 と 私 は 日 本 人 の 引 率 者 と 一 緒 にシュプレー 川 へ 船 遊 びに 行 きました 8 月 4 日 に 私 たちは ベルリン ターフェル( 食 べ 物 配 布 NPO) を 訪 問 しました 日 本 人 の 高 校 生 はベルリン ターフェルで2 3 時 間 ボランティア 活 動 をしました その 後 で パワーポイント プレゼンテーションを 見 て 食 べ 物 の 浪 費 について 論 じま した テー ブルを 意 味 する ベルリン ターフェル の 基 本 理 念 は 余 った 食 材 を 廃 棄 する 代 わりにホームレスの 人 達 と 貧 しい 人 達 に 分 配 できないだろうかという 発 想 に 基 づい ています スーパーなどにある 賞 味 期 限 が 迫 った 食 料 品 や 前 日 に 売 れ 残 ったパンや 市 場 で 売 れ 残 った 果 物 や 野 菜 さらにはお 祭 りやバイキングで 残 った 料 理 などがその 対 象 です こういった 食 材 をボランティアが 引 き 取 りに 行 き 社 会 福 祉 施 設 に 届 け そこで 調 理 して 分 配 するという 訳 です ホームレス 支 援 機 関 も 一 般 の 社 会 援 助 機 関 も ターフェル か ら 食 材 の 供 給 を 受 けています そして 1ユーロという 名 目 上 の 価 格 で 袋 に 入 った 食 料 品 をいろいろなと ころ( 教 会 など)に 配 布 しています
8 月 4 日 の 午 後 に 高 校 生 が 学 校 の 制 服 を 着 て 日 本 大 使 館 を 訪 問 しました 大 使 の 挨 拶 の 後 で 高 校 生 はプレゼンテーションをしました パワーポイント プレゼンテーシ ョンの 後 で 草 稿 を 離 れて 被 災 地 の 復 興 についての 自 分 自 身 の 見 解 を 述 べました
8 月 5 日 に ドレスデンに 行 きまし た まず ドレスデン 市 内 史 跡 を 観 光 しました 聖 母 教 会 (Frauenkirch e)を 例 にとって ドレスデンの 復 興 について 詳 しく 述 べました 聖 母 教 会 の 復 興 には ドレスデンの 市 民 運 動 が 大 きな 役 割 を 果 たしました 右 の 写 真 は1945 年 ( 終 戦 )で す 上 の 写 真 は2014 年 (2002 年 ~2005 年 再 建 しました)
そして Pillnitz 城 とエルベ 砂 岩 山 地 (Bastei)を 訪 問 しました 8 月 6 日 に 高 校 生 は 友 の 会 の 案 内 で 博 物 館 島 (Museumsinsel)とドイツ 技 術 博 物 館 ( 語 : Deutsches Technikmuseum Berlin)を 観 光 しました その 後 カイザー ヴィルヘルム 記 念 教 会 (Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)ではヒロシマ 原 爆 の 被 爆 者 の 記 念 としてろうそくをつけました 69 年 前 の 今 日 に 広 島 はピカドンで 焼 け 野 原 となりました
同 じ 時 妻 と 私 はTMNの 理 事 長 と 一 緒 に まず Jugendwohnen-im-Kiez( 登 録 協 会 ) の Familienzentrum ( 家 族 のセンター) を 訪 問 しました そして EUREF(ヨーロッパのエネルギー フォーラム) を 見 学 しました EUREF は ヨーロッパのネル ギー フォーラム と 言 う 意 味 です EUREFキャンパスで は 将 来 のモデルとなる 小 規 模 なスマートグリッド 技 術 の 地 区 が 旧 工 業 用 地 に 建 設 され ました その 目 的 は 可 能 な 限 り 最 もカーボンニュートラルな 方 法 でエネルギーを 生 産 し 使 用 することです 他 の 目 的 は 新 エネルギーの 持 つ 独 立 のエネルギー 源 として 利 用 可 能 の 探 求 です 2011 年 末 から このグリッドは 太 陽 熱 風 力 熱 ポンプ 施 設 をコージェネレーショ ンに 接 続 しました EUREFは2018 年 までに すべての 電 力 / 冷 暖 房 システム のインテリジェント 地 域 ネットワークを 設 置 し ほぼカーボンニュートラルな 冷 房 や 電 力 などを 生 産 する 予 定 です 独 立 の 新 エネルギー 源 は 災 害 地 にも 大 いに 役 に 立 つと 思 います EUREF 地 域 の 中 にInnoZという 研 究 センターがあります そこでは 未 来 の 交 通 や 新 エネルギーなどを 研 究 しています InnoZでは 研 究 所 の 国 際 部 の 主 任 の レナート 氏 と 面 会 しました フロリアン レナート 氏 は 我 々に 移 動 性 について 持 続 可 能 な 移 動 性 には 高 度 な 技 術 に 基 づく 社 会 基 盤 (ス マートインフラ)を 組 み 合 わせる ことが 必 要 だと 言 いました
被 災 地 の 復 興 との 関 連 で 代 替 エネルギー 資 源 について 本 当 に 面 白 い 意 見 の 交 換 をしま した この 先 も 意 見 と 情 報 交 換 を 続 けていくつもりです
8 月 7 日 に 日 本 人 の 高 校 生 がテーゲル 空 港 から 日 本 へ 帰 りました
レジュメ 今 年 は 日 本 人 の 高 校 生 はドイツの 学 校 の 休 暇 の 間 にベルリンに 来 ました 当 初 は 学 校 が 休 暇 中 だと 言 うことは 不 利 な 点 だと 思 っていましたが 全 く 反 対 でした 日 本 人 の 高 校 生 は 学 校 の 授 業 に 参 加 することはできませんでしたが ドイツ 高 校 生 が 全 部 の 翼 プログラムに 加 わることができました それで 日 本 人 とドイツ 人 がた くさんの 活 動 ( 植 樹 運 動 やドレスデンへの 旅 行 ベルリン ターフェルでのボランテ ィアなど)を 共 同 ですることができて 前 年 度 以 上 に 深 く 知 り 合 いになることがで きました ベルリンとドレスデンでは 古 い 建 物 と 現 代 の 建 物 がぎっしりと 並 んでいます 廃 墟 の 中 からよみがえって 新 しい 家 々が 建 られましたが 今 でも 戦 争 の 傷 が 残 っています 古 いものを 保 存 しながら それに 現 在 のものを 結 び 合 わせているということは 高 校 生 に 深 い 感 銘 を 与 えました 高 校 生 は 過 去 に 起 きたことを 忘 れないが 楽 天 的 に 未 来 を 見 る という 考 えを 伝 え ていくべきだと 言 いました 惨 害 後 の 復 興 が 長 くかかることは わかっていますが 高 校 生 は 東 北 の 復 興 について の 希 望 を 持 つことができました ドイツ 人 と 日 本 人 の 若 者 あいだで 日 本 の 政 治 についての 活 発 な 議 論 が 行 われました とりわけ 原 子 エネルギーの 政 治 を 巡 って 激 論 が 始 まりました 最 初 はその 問 題 に ついてのドイツ 人 からの 多 大 な 関 心 は 日 本 の 高 校 生 にとっては 戸 惑 いでしたが その ことに 関 して 彼 らの 中 に 新 しい 観 点 が 生 まれたので そ の 議 論 は 本 当 に 有 益 だ ったと 思 います 2 回 目 の 翼 プロジェクト も 大 成 功 だったので 絆 ベルリンは 来 年 もプロジェ クトのスポンサーシップを 続 けるつもりです
後 書 9 月 23 日 に 遠 野 では 高 校 生 は 帰 朝 報 告 会 が 行 われました 6 人 が 東 日 本 大 震 災 被 害 の 英 語 でのプレゼンテーションを 披 露 し それぞれの 感 想 を 発 表 しました
ドイツ 滞 在 の 見 聞 録 と 日 本 とドイツの 違 い ドイツの 歴 史 や 風 習 ドイ ツと 日 本 の 教 育 制 度 の 違 い ベルリンターフェルから 学 ん だ 事 ベル リンから 学 ぶ 日 本 の 復 興 について 報 道 しました 第 2 次 世 界 大 戦 や 東 西 統 一 を 経 て 発 展 を 続 けるドイツに 震 災 復 興 のヒントがある と 指 摘 したと 言 いました 自 らの 意 見 を 持 ち 発 信 する 主 体 的 にコミュニケーションを 図 る 重 要 性 など 各 自 が 感 じた 成 果 を 披 露 しました フランク ブローゼ ベルリン 2014 年 9 月 30 日