Microsoft Word - 06池麗梅_You-tiantai-shan-fu



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Transcription:

2004 年 12 月 頁 173-202 天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 A study of the Tendai Reio Hondenshu 池 麗 梅 ( 釋 孝 順 ) Chyr Li Mei(Shyh Shiau Shuenn) 摘 要 在 相 傳 由 日 本 留 華 高 僧 最 澄 所 編 的 天 台 靈 應 圖 本 傳 集 中 收 錄 了 一 篇 名 為 遊 天 台 山 賦 的 文 章 其 內 容 不 僅 包 含 了 孫 綽 遊 天 台 山 賦 的 本 文 同 時 附 有 針 對 該 文 的 雙 行 小 字 註 解 筆 者 嘗 試 將 其 內 容 與 現 存 的 各 種 文 選 李 善 注 本 作 了 對 照 和 分 析 結 果 顯 示 天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 的 遊 天 台 山 賦 ( 註 ) 中 保 存 了 李 善 注 本 的 最 古 老 形 態 此 本 實 屬 珍 本 這 一 發 現 將 向 歷 史 悠 久 的 文 選 學 研 究 提 供 又 一 珍 貴 資 料 同 時 筆 者 希 望 通 過 這 一 發 現 凸 顯 天 台 靈 應 圖 本 傳 集 這 一 文 集 的 文 獻 價 值 喚 起 專 家 們 對 本 書 的 關 注 關 鍵 詞 : 天 台 靈 應 圖 本 傳 集 遊 天 台 山 賦 最 澄 李 善 文 選 日 本 東 京 大 學 博 士 班 肄 業 173

Abstract In the Tendai Reio Hondenshu ( 天 台 靈 應 圖 本 傳 集 ), a work alleged to Tenkyo Daishi Saicho ( 最 澄, 766-822) of Japan, there is a piece titled You-tiantaishan-fu ( 遊 天 台 山 賦 ), which consists of You-tiantaishan-fu by Sunchuo ( 孫 綽, 314?-371?), and two-line commentary inserted among the former. This piece, as this article is to prove, can be regarded as quotation from the oldest version of the Wenxuan annotated by Lishan ( 李 善 ). This discovery is not only to provide a precious resource for the research of Wenxuan that has a long and excellent tradition in Chinese literature studies, but also to stress the importance of the Tendai Reio Hondenshu in order to direct the attention of Buddhist researchers to the present collection. Keywords: the Tendai Reio Hondenshu, the You-tiantaishan-fu, Saicho, Lishan, Wenxuan 174

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 はじめに 伝 教 大 師 全 集 ( 以 下 伝 全 と 略 す) 第 四 巻 に 天 台 霊 応 図 本 伝 集 ( 以 下 本 伝 集 と 略 す)という 書 が 収 められている 本 伝 集 はもともと 十 巻 構 成 の 書 であったと 伝 えられているが 現 行 本 はいずれ も 二 巻 のみの 残 卷 である その 第 一 巻 には 孫 興 公 遊 天 台 山 賦 と 章 安 灌 頂 撰 天 台 山 国 清 寺 智 者 大 師 別 伝 とが 載 せてあり 第 二 巻 には 顔 真 卿 智 者 大 師 伝 道 澄 智 者 大 師 述 讃 序 天 台 大 師 略 伝 曇 羿 国 清 寺 智 者 大 師 影 堂 記 といった 四 種 の 文 献 が 収 録 されている その 中 で 本 論 文 で 取 り 上 げるのは 本 伝 集 の 文 頭 を 飾 る 遊 天 台 山 賦 である 論 述 は 概 ね 考 察 対 象 となる 文 献 について 解 説 した 上 で それ らの 考 察 対 象 となる 文 献 の 内 容 を 関 連 文 献 本 論 では 文 選 と 照 ら し 合 わせながら 比 較 分 析 していく という 基 礎 作 業 より 構 築 される この 考 察 の 目 的 は 本 伝 集 本 遊 天 台 山 賦 という 文 献 の 性 質 文 献 的 価 値 に 対 する 精 確 な 認 識 を 得 ることであり さらには 貴 重 な 文 献 を 保 存 している 本 伝 集 への 注 意 を 喚 起 することにある なお 本 論 中 ( ) 内 のアラビア 数 字 は 胡 刻 本 の 頁 数 である 一 天 台 霊 応 伝 図 と 天 台 霊 応 図 本 伝 集 紀 元 804 年 伝 教 大 師 最 澄 (766-822)は 入 唐 し 国 清 寺 所 蔵 の 天 台 霊 応 図 と 呼 ばれる 絵 画 の 模 本 を 入 手 それを 日 本 に 齎 したと 伝 えられる その 伝 来 記 録 は 最 澄 の 伝 教 大 師 將 來 台 州 録 (T55 No.2159) 進 官 録 上 表 1 特 にその 目 録 本 文 に 天 台 山 智 者 大 師 霊 應 圖 一 張 (1056a18) と 明 記 されている けれども この 絵 画 に 関 する 情 報 は 885 年 成 立 の 2 安 然 諸 阿 闍 梨 真 言 密 教 部 類 總 録 (T55 No.2176)の 記 載 を 最 後 にし 1 天 台 智 者 大 師 靈 應 図 一 張 (1055b3)とある 2 天 台 大 師 感 得 聖 僧 影 一 鋪 ( 三 副 綵 色 仁 澄 ) (1132b10); 天 台 山 智 者 大 師 霊 應 図 一 張 ( 有 感 神 僧 影 六 副 九 尺 澄 ) (1132b11) 175

て 完 全 に 絶 たれてしまうこととなる 現 在 でも 唯 一 絵 の 内 容 を 髣 髴 とさせてくれるものは 最 澄 編 と 伝 えられる 本 伝 集 という 文 集 であ る 本 伝 集 は 元 々 題 目 の 通 り 天 台 霊 応 図 に 附 された いわば 解 説 書 の 役 割 を 果 たす 文 集 であったようであり その 絵 の 内 容 に 関 して 本 書 の 序 文 は 以 下 のように 記 している 今 図 像 者 天 台 智 者 霊 応 之 図 也 模 国 清 蔵 本 写 貞 元 仲 冬 城 則 隋 都 陳 京 寺 則 国 清 玉 泉 加 以 山 称 天 台 青 溪 江 乃 揚 子 臨 海 其 峰 石 橋 瀑 布 造 化 所 造 其 槌 金 地 銀 地 兩 師 所 居 墜 松 門 松 大 風 不 韻 渓 水 江 水 大 雨 不 漲 奇 哉! 馬 馬 不 洗 其 毛 尚 潔 人 人 不 食 其 身 猶 肥 梵 僧 唐 僧 或 行 或 坐 漢 男 秦 女 臥 室 立 門 不 出 庭 戸 普 知 天 下 其 謂 斯 也 これによれば 天 台 霊 応 図 とは 天 台 智 者 即 ち 智 顗 (538-597)にま つわる 物 語 を 具 現 化 した 絵 画 のように 思 われる そして 智 顗 の 生 涯 または 師 の 滅 後 における 国 清 寺 の 建 立 などを 概 括 するために 時 代 的 に は 陳 隋 の 両 朝 空 間 的 には 南 の 金 陵 ( 陳 京 )より 北 の 長 安 ( 隋 都 )に 亘 る 場 面 特 に 天 台 山 などを 中 心 とした 一 連 の 場 面 が 描 かれている 様 子 が 伺 える これだけの 豊 富 な 内 容 を 収 めるためには 大 師 の 生 涯 を 象 徴 する 典 型 的 な 出 来 事 だけを そしてかなり 抽 象 的 な 手 法 で 描 写 する 必 要 があっ たであろうと 想 定 される したがって 後 世 の 人 に 個 々の 絵 を 理 解 させ るためには 文 章 による 解 説 を 附 する 必 要 性 が 生 じたのであろう 前 文 に 引 き 続 いて 然 図 像 略 畫 不 伝 難 解 所 以 略 集 本 勒 成 十 卷 號 曰 霊 應 本 伝 集 以 副 應 図 流 布 來 緣 伏 願 令 一 覽 者 萌 三 德 性 令 兩 看 者 昇 一 乘 176

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 車 但 此 伝 數 本 廣 略 不 同 孟 子 多 疑 悉 存 眾 本 冀 莫 厭 繁 重 讚 佛 讚 人 人 讚 功 重 是 以 聚 我 師 德 敬 繫 來 緣 云 爾 とある このように 霊 応 図 は 解 説 しなければ 図 像 だけでは 理 解 し にくいであろうという 配 慮 から 生 まれたのが 本 伝 集 であった 編 集 者 が 智 者 大 師 の 伝 記 資 料 を おそらく 可 能 な 限 り 集 めて 十 巻 の 書 物 にま とめあげ それを 霊 應 本 伝 集 と 名 づけたことがわかる そして こ れらの 資 料 には 分 量 の 大 きいものもあれば 短 篇 のものもあり 互 い の 内 容 が 重 複 する 部 分 も 少 なくない しかしながら 霊 応 図 そのものが 失 われた 現 在 では 本 伝 集 編 集 者 の 聚 我 師 德 敬 繫 來 緣 という 敬 虔 な 願 いは 文 字 で 絵 の 内 容 を 伝 えると 共 に 貴 重 な 唐 代 の 文 献 を 伝 承 させた という 意 味 では 実 ったと 言 えよう 本 書 の 日 本 における 流 伝 に 関 しては 914 年 に 成 立 した 玄 日 編 天 台 宗 章 疏 (T55 No.2178)にみえる 天 台 霊 應 伝 一 卷 ( 伝 教 述 ) (1137a22) という 記 載 が 最 も 古 い その 後 1094 年 成 立 の 永 超 東 域 伝 燈 目 録 (T55 No.2183)には 天 台 霊 應 伝 十 卷 ( 最 澄 集 ) (1162c2)と 霊 應 図 集 伝 十 卷 (1164b24)と 前 後 二 箇 所 に 記 載 されている 天 台 宗 章 疏 には 一 巻 東 域 伝 燈 目 録 では 十 巻 と 異 なる 調 卷 が 記 されているが この 卷 數 の 相 違 が 同 一 の 内 容 を 持 つ 文 献 の 調 卷 上 の 違 いなのか それとも 年 月 が 経 つにつれて 文 献 の 内 容 が 増 補 されたことによって 生 じたのか は 定 かではない ただ 現 行 本 が 二 巻 構 成 のものであり そしてその 序 文 には 略 集 本 勒 成 十 巻 と 明 記 されているため 現 行 本 の 内 容 は 元 々 十 巻 本 の 一 部 を 為 していた という 可 能 性 のほうが 高 い 177

本 伝 集 には 七 つの 写 本 の 存 在 が 知 られている 所 蔵 現 存 巻 数 識 語 1 山 梨 県 身 延 山 図 書 館 蔵 第 二 巻 のみ 3 不 詳 4 2 叡 山 文 庫 真 如 蔵 書 全 二 巻 (2 冊 ) 無 3 比 叡 山 実 蔵 坊 全 二 巻 不 詳 4 京 都 妙 法 院 全 二 巻 不 詳 5 叡 山 文 庫 横 川 別 当 代 蔵 書 全 二 巻 (1 冊 ) 享 保 癸 卯 (1723) 秋 九 月 行 光 沖 寂 天 写 之 6 叡 山 文 庫 無 動 寺 蔵 書 全 二 巻 (1 冊 ) 享 保 癸 卯 秋 九 月 行 光 沖 寂 天 写 之 此 霊 應 伝 集 一 二 合 卷 者 予 能 化 山 門 西 谷 行 光 坊 第 二 十 六 世 以 淵 沖 法 印 写 本 写 之 也 延 享 改 元 甲 子 (1744) 冬 十 一 月 下 旬 西 山 善 峰 寺 谷 坊 圓 徴 文 化 十 二 年 乙 亥 (1815) 八 月 以 善 峰 寺 谷 之 坊 之 本 令 書 写 之 台 嶽 法 曼 院 大 僧 都 真 超 7 魚 山 勝 林 院 全 二 巻 文 化 十 四 丁 巳 年 (1817) 十 二 月 豪 雄 師 写 本 このうち 6は 伝 全 本 が 校 定 する 際 に 用 いた 底 本 であり 1 3 7はその 対 校 本 であるが 4は 再 刊 時 に 使 われた 対 校 本 である 5 3 伝 全 では 全 二 巻 とする ところで 清 田 寂 雲 [1980]32 頁 によれば 身 延 山 本 本 伝 集 は 現 在 では 全 二 巻 でなく 巻 二 の 一 巻 のみであり つまりロ 本 ( 筆 者 注 : 身 延 山 本 を 指 す)には 章 安 撰 の 別 伝 は 含 まれず 顔 真 卿 撰 の 傳 一 巻 と 貝 山 道 澄 述 の 智 者 大 師 述 讃 序 第 二 との 二 篇 のみ であると 明 らかにした よって ここでは 第 二 巻 と 改 めた 4 叡 山 文 庫 では この 写 本 の 蔵 書 カードに 江 戸 初 期 と 注 記 されている 5 伝 全 第 四 巻 225 頁 筆 者 が 実 際 に 接 触 できたのは 叡 山 文 庫 所 蔵 の2 5と6の 三 種 の 写 本 だけである 178

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 二 遊 天 台 山 賦 と 文 選 遊 天 台 山 賦 は 東 晋 代 の 文 人 孫 綽 (314-371) 6 の 傑 作 の 一 つであ る 著 者 孫 綽 は 字 は 興 公 太 原 郡 中 都 県 ( 現 在 の 山 西 省 平 遥 )の 出 身 で 伝 記 は 晋 書 巻 56 の 孫 楚 伝 に 附 されている 孫 綽 は 博 學 善 屬 文 少 い 頃 より 高 志 と 文 才 の 故 に 名 を 馳 せており 玄 学 に 精 通 し 許 詢 や 習 鑿 齒 らの 名 士 と 交 遊 していたと 伝 えられる 彼 は 會 稽 に おいて 十 餘 年 ほど 隠 遁 の 生 活 を 送 った 後 出 世 を 果 たし 參 軍 補 章 安 令 太 學 博 士 尚 書 郎 や 永 嘉 太 守 などの 官 職 を 経 て 廷 尉 卿 に 至 った 伝 記 に 于 時 文 士 綽 為 其 冠 と 讃 えられるほど 文 名 を 高 くしていた 孫 綽 には 孫 尉 卿 集 があったと 言 われるが 散 逸 し 現 在 では 全 晋 文 巻 61-62 全 晋 詩 巻 5 晋 詩 巻 13 に 収 録 されたもののみが 伝 わっ ている また 昭 明 文 選 に 収 められた 遊 天 台 山 賦 がある 遊 天 台 山 賦 は 孫 綽 が 永 嘉 太 守 の 職 を 解 かれる 直 前 に 書 かれた ものであり しかも それは 実 際 に 天 台 山 を 遊 覧 して 生 まれた 作 品 では なく 人 に 天 台 山 を 画 かせ その 絵 を 吟 味 しながらできた 遊 記 であ る と 伝 えられる 7 しかしながら こうして 完 成 した 賦 が 孫 綽 の 自 信 作 になったことは 伝 記 に 見 える 嘗 作 天 台 山 賦 辭 致 甚 工 初 成 以 示 友 人 范 榮 期 云 : 卿 試 擲 地 當 作 金 石 聲 也 榮 期 曰 : 恐 此 金 石 非 中 宮 商 然 每 至 佳 句 輒 云 : 應 是 我 輩 語 6 孫 綽 の 生 存 年 代 は 明 確 ではない ここでは 一 応 戸 川 芳 郎 高 橋 忠 彦 [1989]549 頁 の 説 を 採 ったが このほか 小 尾 郊 一 [1977]65 頁 また 長 谷 川 滋 成 [2000]2 頁 詳 解 0 には (310?-367?) という 説 もある 7 六 臣 注 文 選 では 李 周 瀚 が 孫 興 公 條 を 注 する 際 に 晋 書 を 引 用 して [ 孫 綽 ] 為 永 嘉 太 守 意 将 解 印 以 向 幽 寂 聞 此 山 神 秀 可 以 長 往 因 使 図 其 状 為 之 賦 とある しかし 長 谷 川 滋 成 [2000]3 頁 詳 解 4 でも 指 摘 されているように 李 周 瀚 が 引 用 した 文 は 現 行 本 晋 書 では 見 られない 佚 文 である 179

という 逸 話 によって 知 られる 8 またそれが 後 に 孫 綽 の 作 品 として 唯 一 文 選 に 選 ばれたという 事 実 も その 傑 出 さの 動 かぬ 証 拠 と 言 えるだ ろう 文 選 はもともと 三 十 巻 の 構 成 で 凡 そ 八 百 の 詩 文 を 三 十 七 種 の 文 体 ごとに 分 類 して 編 まれた 現 存 最 古 の 文 集 である その 編 集 者 は 伝 統 的 には 南 朝 梁 武 帝 (502-549 年 在 位 )の 太 子 蕭 統 (501-531)と 見 られ ていたが 近 年 斯 波 六 郎 氏 や 清 水 凱 夫 氏 らの 研 究 によって 劉 孝 綽 主 導 説 が 提 唱 されるに 至 った 9 研 究 者 によれば 本 集 の 収 録 作 品 の 時 代 範 囲 は 古 くは 周 漢 より 近 くは 南 朝 の 斉 梁 に 至 るまでの 約 一 千 年 間 つまり 長 い 中 国 の 文 学 史 上 おおむねその 第 一 次 黄 金 時 代 の 全 般 を 包 摂 している そして その 収 録 作 品 の 採 択 基 準 は 作 品 の 内 容 は 作 者 の 深 い 思 索 から 生 まれ その 本 質 は 修 辞 を 凝 らし 美 麗 な 文 学 的 表 現 を 心 掛 けた いわば 純 文 学 の 名 作 だけに 限 定 した とされている 10 しかしながら 三 十 巻 本 文 選 の 完 全 な 写 本 刊 本 は 残 っておら ず 現 在 最 もよく 用 いられているのは 注 釈 付 きの 六 十 巻 本 文 選 である これには 版 本 が 多 く 伝 わり 注 釈 の 内 容 構 成 によって 大 まか に 李 善 単 注 本 李 善 五 臣 注 本 五 臣 李 善 注 本 という 三 種 類 に 分 かれ る これらの 六 十 巻 本 文 選 の 中 に 遊 天 台 山 賦 は 賦 作 として いずれも 第 十 一 巻 に 収 められている 三 天 台 霊 応 図 本 伝 集 における 遊 天 台 山 賦 本 伝 集 に 収 められた 遊 天 台 山 賦 も 本 文 だけではなく 注 釈 付 きのものである その 特 徴 的 な 形 態 によって それが 文 選 李 善 注 六 0 巻 本 の 巻 十 一 所 載 からの 抄 写 と 認 められる 11 とする 説 がある し 8 この 逸 話 は 世 説 新 語 文 学 篇 にも 載 せてある 9 斯 波 六 郎 [1948]58-63 頁 ; 清 水 凱 夫 [1995] 10 この 二 段 の 引 用 文 は 岡 村 繁 [1999]4 頁 に 拠 る 11 清 田 寂 天 [2001]49 頁 180

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 かしながら 本 伝 集 本 の 遊 天 台 山 賦 が 現 行 本 と 同 系 統 の 六 十 巻 本 文 選 から 摘 出 したものでは 決 してないことは 明 確 にしておくべ 12 きだと 思 われる というのは 本 伝 集 本 を 現 行 の 五 種 類 の 版 本 に 見 られる 相 当 箇 所 と 照 らし 合 わせたところ 前 者 の 注 釈 内 容 の 殆 どが 版 本 の 李 善 注 に 求 められるものの かなりの 省 略 と 相 異 も 認 められたから である 以 下 正 文 と 注 釈 文 に 見 られる 相 異 点 をそれぞれに 指 摘 してい きたい ここでは 注 釈 の 増 減 相 違 を 判 別 しやすくするために 本 13 伝 集 本 ( 以 下 伝 本 と 略 す)と 胡 刻 本 の 内 容 を 左 右 に 対 照 し 両 者 に 異 同 のある 箇 所 はそれぞれに 下 線 を 附 する ただし 書 写 字 体 に 関 して 俗 字 略 字 と 正 字 との 違 いは 考 察 の 外 におく 第 一 に 正 文 に 見 られる 語 句 の 相 違 について 考 察 することにする 文 選 の 各 版 本 と 比 べて 明 らかに 伝 本 の 誤 写 (No.1-12) 脱 落 (No.13-14)と 判 断 できる 箇 所 をあらかじめ 摘 出 して 以 下 に 示 しておく No. 伝 本 胡 刻 本 1 然 図 像 之 興 豈 虛 也 哉 非 天 遺 世 翫 道 絶 粒 茄 芝 者 焉 能 輕 舉 而 宅 之 2 非 失 遠 寄 冥 搜 篤 信 通 神 者 何 肯 遙 想 而 存 之 然 図 像 之 興 豈 虛 也 哉 非 夫 遺 世 翫 道 絶 粒 茹 芝 者 烏 能 輕 舉 而 宅 之 ( 163b15-16) 非 夫 遠 寄 冥 搜 篤 信 通 神 者 何 肯 遙 想 而 存 之 (163b18-19) 3 大 虛 遼 廓 而 無 閡 運 自 然 之 妙 有 太 虛 遼 廓 而 無 閡 運 自 然 之 妙 有 (164a4) 4 嗟 台 嶽 之 所 奇 挺 寔 神 妙 之 所 扶 持 嗟 台 嶽 之 所 奇 挺 寔 神 明 之 所 扶 持 (164a9-10) 5 理 無 陰 而 不 彰 啟 二 奇 以 示 兆 理 無 隱 而 不 彰 啟 二 奇 以 示 兆 ( 164a19-20) 12 本 論 文 では 文 選 のテキストを 略 称 で 呼 ぶ 各 略 称 の 対 応 するテキストに 関 し ては 文 末 に 附 した 略 号 および 使 用 テキスト を 参 照 されたい 13 胡 刻 本 は 後 に 言 及 する 尤 本 の 覆 刻 本 であり 両 者 は 共 に 文 選 の 李 善 単 注 本 であ るが 胡 刻 本 が 附 録 の 胡 氏 考 異 ( 十 巻 )と 共 に 研 究 のために 広 く 使 用 されている ゆえに ここでも 主 として 胡 刻 本 と 対 校 する 形 で 伝 本 の 内 容 を 解 説 していく 181

6 披 荒 榛 之 蒙 蘢 涉 峭 崿 之 崢 嶸 披 荒 榛 之 蒙 蘢 陟 峭 崿 之 崢 嶸 ( 164b10-11) 7 雖 一 昌 於 垂 堂 乃 永 存 乎 長 生 雖 一 冒 於 垂 堂 乃 永 存 乎 長 生 (165a1-2) 8 必 契 誠 於 幽 昧 履 重 嶮 而 愈 平 必 契 誠 於 幽 昧 履 重 嶮 而 逾 平 (165a3) 9 恣 心 目 之 寥 朗 任 緩 步 之 縱 容 恣 心 目 之 寥 登 任 緩 步 之 從 容 (165a5-6) 10 雙 闕 雲 竦 以 夾 路 瓊 臺 中 天 而 懸 居 朱 門 玲 瓏 於 林 間 玉 堂 陰 映 于 高 隅 雙 闕 雲 竦 以 夾 路 瓊 臺 中 天 而 懸 居 朱 闕 玲 瓏 於 林 間 玉 堂 陰 映 于 高 隅 ( 165a19-20) 11 彫 雲 斐 亹 以 翼 櫺 曒 日 炯 晃 於 綺 疏 彤 雲 斐 亹 亡 匪 以 翼 櫺 曒 公 鳥 日 炯 晃 於 綺 踵 (165b2-3) 12 睹 霊 驗 而 遂 徂 忽 乎 吾 將 行 仍 羽 人 於 丹 丘 尋 不 死 之 福 庭 睹 霊 驗 而 遂 徂 忽 乎 吾 之 將 行 仍 羽 人 於 丹 丘 尋 不 死 之 福 庭 (164b4-5) 13 卒 踐 無 人 之 境 始 經 魑 魅 之 塗 卒 踐 無 人 之 境 (163a9-10) 本 伝 集 という 書 物 はその 成 立 以 後 宗 祖 所 集 の 書 として 珍 重 さ れて 天 台 宗 の 後 継 者 によって 代 々 抄 写 されていったことは 想 像 に 難 く ない 事 実 かれらの 努 力 によって この 書 物 が 我 々の 目 に 触 れること になったのである しかしながら 抄 写 が 長 い 年 月 の 中 で 繰 り 返 されて いくうちに 次 第 に 字 句 の 誤 認 誤 字 脱 落 が 増 えてしまうことは 一 般 に 避 けられないことでもある 特 に 抄 写 する 本 に 対 校 本 がない 場 合 は 新 写 される 写 本 は 底 本 の 誤 字 と 脱 文 をそのまま 踏 襲 するしかない 上 にあげた 伝 本 に 認 められた 13 点 にわたる 現 行 本 との 相 異 はそう した 事 情 から 生 じたものであろう しかし これらの 誤 字 と 欠 文 は 同 時 に 伝 本 に 留 められた 文 献 内 容 が 可 能 な 限 り 古 いバージョンに 近 似 する 形 で 保 存 伝 写 されてき たことを 伺 わせる 前 述 したように 伝 本 遊 天 台 山 賦 は その 内 容 のほとんどが 李 善 注 文 選 に 求 められる 伝 本 の 抄 写 者 が 文 選 注 本 によって 対 校 することは 不 可 能 ではなかったであろう だが 上 の 13 点 にものぼる 本 文 内 容 の 誤 字 などから 見 て そうした 対 校 の 形 182

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 跡 は 決 して 認 められないのである この 事 実 は 角 度 をかえれば この 伝 本 に 見 える 遊 天 台 山 賦 の 内 容 は 文 選 現 行 本 や それら が 基 にした 宋 代 刊 本 などから 摘 出 されたものではないことを 示 唆 する ものである 更 に 言 うと 伝 本 遊 天 台 山 賦 は 文 選 の 本 文 及 びそれに 対 する 李 善 注 の 現 在 では 最 早 見 ることのできない 古 い 形 態 を 留 めている という 可 能 性 も 浮 上 してくる もし そうだとすれば 伝 本 のこの 部 分 は 今 まで 報 告 された 文 選 の 敦 煌 写 本 と 較 べて 写 本 の 古 さや 文 選 そのものの 写 本 断 片 ではない という 点 では 価 値 的 に 劣 るが しかし 内 容 としては それらに 次 いで 重 要 なものと 見 られ るべきであろう 伝 本 には 皆 無 であるが 文 選 各 版 本 における 賦 作 本 文 だ けに 見 える 音 義 の 混 入 No. 伝 本 胡 刻 本 1 濟 楢 溪 而 直 進 落 五 界 而 迅 征 濟 楢 由 溪 而 直 進 落 五 界 而 迅 征 (164b12) 2 跨 穹 隆 之 懸 磴 臨 萬 丈 之 絶 冥 跨 穹 隆 之 懸 磴 丁 鄧 臨 萬 丈 之 絶 冥 (164b15) 3 攬 樛 木 之 長 蘿 援 葛 藟 之 飛 莖 攬 樛 居 求 木 之 長 蘿 援 葛 藟 力 鬼 之 飛 莖 (164b19-20) 4 藉 萋 萋 之 纖 草 蔭 落 落 之 長 松 藉 慈 夜 萋 萋 之 纖 草 蔭 落 落 之 長 松 (165a7-8) 5 赤 城 霞 起 以 建 標 瀑 布 飛 流 以 界 道 赤 城 霞 起 而 建 標 卑 遙 瀑 布 飛 流 以 界 道 (164a20-b1) 6 彫 雲 斐 亹 以 翼 櫺 曒 日 炯 晃 於 綺 疏 彤 雲 斐 亹 亡 匪 以 翼 櫺 曒 公 鳥 日 炯 晃 於 綺 踵 (165b2-3) -2 3 5 6については 本 文 の 中 に 音 注 が 見 えるのは 尤 本 胡 刻 本 だけであって 胡 氏 考 異 でも 指 摘 されたように 袁 本 茶 陵 本 では 音 注 が 本 文 ではなく 注 釈 文 中 に 取 り 込 まれている 例 えば -2 の 場 合 袁 本 明 州 本 四 部 本 ではいずれも 李 善 注 に 磴, 丁 鄧 切 と あるが 胡 刻 本 などには 相 当 する 文 が 見 られない そして -1-4 に 見 える 音 注 の 本 文 への 混 入 は 現 行 各 本 に 共 通 して 見 られる また 183

尤 本 胡 刻 本 にはないが ほかの 諸 本 では 音 注 が 本 文 に 書 き 込 まれて いる 場 合 もある たとえば 太 虛 遼 廓 而 無 閡 魚 代 運 自 然 之 妙 有 と 蔭 牛 宿 秀 以 曜 峯 託 霊 越 以 正 基 とであるが この 二 箇 所 と -1-4 の 場 合 は 本 文 中 にある 音 注 に 対 応 する 注 釈 文 が 李 善 注 にないため こ れ ら は 五 臣 注 か ら 影 響 を 受 け た も の と 考 え ら れ る ま た 富 永 一 登 [1998.4]が 敦 煌 本 の 校 勘 に 際 して 張 雲 璈 選 学 膠 言 ( 選 学 叢 書 所 収 )の 李 氏 注 例 に 関 する 音 釈 多 在 注 末 而 不 在 正 文 下 凡 音 之 在 正 文 下 者 皆 非 李 氏 舊 也 という 説 を 引 用 している(p. 21)が 本 文 に 音 注 が 決 して 見 られない 点 に 関 して 伝 本 は 敦 煌 本 と 同 様 である また 音 注 を 李 善 注 に 含 む 場 合 に 袁 本 尤 本 四 部 本 では 一 貫 して 丁 鄧 切 14 のように 切 字 が 用 いられているが 伝 本 では 一 箇 所 を 除 い て すべて 反 としており この 点 に 関 しても 敦 煌 本 と 同 じである 15 文 選 各 版 本 の 相 互 に 字 句 の 出 入 りが 見 られて 伝 本 がい ずれかの 文 選 版 本 と 一 致 する 場 合 No 伝 本 胡 刻 本 1 天 台 山 者 蓋 山 岳 之 神 秀 者 也 天 台 山 者 蓋 山 嶽 之 神 秀 也 (163b3) 2 非 天 ( 夫 ) 遺 世 翫 道 絶 粒 茄 ( 茹 ) 芝 者 焉 能 輕 舉 而 宅 之 3 赤 城 霞 起 以 建 標 瀑 布 飛 流 以 界 道 非 夫 遺 世 翫 道 絶 粒 茹 芝 者 烏 能 輕 舉 而 宅 之 (163b15-16) 赤 城 霞 起 而 建 標 < 卑 遙 > 瀑 布 飛 流 以 界 道 (164a20-b1) 4 既 克 濟 於 九 折 路 威 夷 而 脩 通 既 克 隮 於 九 折 路 威 夷 而 脩 通 (165a4) -1 に 関 して 胡 氏 考 異 に 袁 本 茶 陵 本 無 者 字 という 指 摘 があり また 明 州 本 と 四 部 本 にも 者 という 字 は 見 えない つ 14 反 切 に 関 して 伝 本 には 反 が 九 箇 所 に 見 られるのに 対 して 切 は 一 箇 所 にしか 見 られない それは 輕 舉 而 宅 之 注 の 中 の 舉 居 御 切 であるが この 音 注 は 文 選 各 版 本 には 見 られない 15 富 永 一 登 [1998.4]23 頁 は 敦 煌 本 甲 卷 西 京 賦 注 を 校 勘 する 際 に 反 切 に 関 して 唐 写 本 作 反 各 本 皆 作 切 下 同 としている 184

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 まり 伝 本 と 同 じく 者 を 有 する 版 本 は 尤 本 と 胡 刻 本 だけであ る ほかに 藝 文 類 聚 第 七 卷 山 部 上 天 台 山 に 引 用 された 遊 天 台 山 賦 序 の 中 では この 一 句 が 天 台 山 者 蓋 山 岳 之 神 秀 者 也 と なっており 伝 本 などと 一 致 している -2 は 尤 本 胡 本 四 部 本 では 烏 とあるが 伝 本 では 焉 とされ 明 州 本 は 伝 本 と 同 じである 四 部 本 には 烏 とするが 校 記 に 五 臣 本 作 焉 字 とある -3 については 尤 本 胡 本 だけは 而 とするが 明 州 本 袁 本 四 部 本 はいずれも 伝 本 と 同 じく 以 とする -4 に 関 して 尤 本 胡 本 四 部 本 では 隮 とされており 四 部 本 の 校 記 に 五 臣 本 作 濟 字 とある ところが 明 州 本 と 袁 本 ではいず れも 伝 本 と 同 じく 濟 としており それぞれの 校 記 に 善 本 作 隮 字 とある 文 選 各 版 本 とは 違 うものの 伝 本 の 誤 写 とは 考 えられな い 場 合 No 伝 本 胡 刻 本 1 所 以 不 列 於 五 嶽 闕 載 於 常 典 者 豈 不 以 其 所 立 冥 奧 其 路 幽 迥 所 以 不 列 於 五 嶽 闕 載 於 常 典 者 豈 不 以 所 立 冥 奧 其 路 幽 迥 (163b8-9) 2 融 而 成 川 瀆 結 而 為 山 阜 融 而 為 川 瀆 結 而 為 山 阜 (164a8-9) 3 結 根 彌 於 華 岱 直 植 高 於 九 嶷 結 根 彌 於 華 岱 直 指 高 於 九 疑 (164a12) 4 近 智 以 守 見 不 之 之 者 以 路 絶 莫 曉 近 智 以 守 見 而 不 之 之 者 以 路 絶 而 莫 曉 (164a5-6) 5 苟 台 嶺 之 可 攀 亦 何 羨 於 曾 城 苟 台 嶺 之 可 攀 亦 何 羨 於 層 城 (164b6-7) -1 では 伝 本 に 豈 不 以 其 所 立 冥 奧 とあって 現 行 の 文 選 諸 版 本 には 其 が 見 えない ところが 前 述 した 藝 文 類 聚 山 部 上 天 台 山 に 見 える 遊 天 台 山 賦 序 の 引 用 文 では この 一 文 はや はり 豈 不 以 其 所 立 冥 奧 其 路 幽 迥 となっており 伝 本 との 一 致 を 示 している 185

-2 の 本 文 については 李 善 は 班 固 終 南 山 賦 ( 佚 )に 見 える 流 澤 遂 而 成 水 停 積 結 而 為 山 を 引 いて 注 釈 している この 引 用 文 を 注 釈 対 象 の 本 文 と 照 らし 合 わせてみると 伝 本 のように 成 す と 為 す という 同 じ 意 味 を 持 つ 二 つの 動 詞 を 使 い 分 けたほうがその 出 典 によ り 即 していることがわかる そして 何 より 胡 刻 本 のように 対 を 為 す 前 後 二 句 に 全 く 同 じ 動 詞 が 使 われるのは この 賦 作 の 中 では 異 例 なことで ある ここは 融 而 為 川 瀆 結 而 為 山 阜 を 伝 本 によって 融 而 成 川 瀆 結 而 為 山 阜 と 訂 正 すべきであろう -3 に 見 える 九 嶷 と 九 疑 は 字 こそ 違 うが ともに 同 一 の 山 の 名 前 としてしばしば 古 典 文 献 に 登 場 している 山 海 經 巻 第 十 八 海 內 經 に 見 える 南 方 蒼 梧 之 丘 蒼 梧 之 淵 其 中 有 九 嶷 山 舜 之 所 葬 在 長 沙 零 陵 界 中 16 の 一 文 に 対 して 郭 璞 はまず 嶷 の 音 注 を 音 疑 と 施 して さらにその 場 所 について 山 今 在 零 陵 營 道 縣 南 其 山 九 谿 皆 相 似 故 云 九 疑 ; 古 者 總 名 其 地 為 蒼 梧 也 と 解 釈 している ま た 清 代 の 郝 懿 行 が 九 嶷 について 説 文 ( 九 ) 云 : 九 嶷 山 舜 所 葬 在 零 陵 營 道 楚 詞 離 騷 史 記 五 帝 本 紀 並 作 九 疑 初 學 記 八 卷 及 文 選 上 林 賦 注 引 此 經 亦 作 九 疑 琴 賦 注 又 作 九 嶷 蓋 古 字 通 也 と 釈 して 疑 と 嶷 とは 相 通 ずる 古 い 字 だと 説 明 している だと すれば -3 の 場 合 も 伝 本 にある 九 嶷 と 胡 刻 本 の 九 嶷 は いずれも 間 違 いではないことがわかる -4 については 既 に 胡 氏 考 異 では 近 智 以 守 見 而 不 之 : 袁 本 茶 陵 本 智 下 有 者 字 案 : 二 本 不 載 校 語 無 可 考 也 と 指 摘 され ている しかし より 厳 密 に 言 うと 袁 本 明 州 本 四 部 本 を 見 ればわ 16 山 海 経 校 注 海 経 卷 十 三 蒼 梧 丘 ( 舜 葬 所 ) 186

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 かるように それぞれの 本 文 には 者 があるかわりに 而 の 字 が ないことにも 言 及 しなければならないであろう 以 下 伝 本 と 文 選 版 本 の 該 当 箇 所 を 対 比 しよう 伝 本 : 近 智 以 守 見 不 之 之 者 以 路 絶 莫 曉 袁 本 明 州 本 四 部 本 : 近 智 者 以 守 見 不 之 之 者 以 路 絶 而 莫 曉 尤 本 胡 刻 本 : 近 智 以 守 見 而 不 之 之 者 以 路 絶 而 莫 曉 伝 本 では 近 智 以 守 見 不 之 と 之 者 以 路 絶 莫 曉 という 二 句 はそれぞれ 七 字 より 構 成 されており 対 をなしている ところが 版 本 となると 前 後 の 二 句 にそれぞれ 一 字 が 増 えている 後 ろの 一 句 にある 而 に 関 しては すべての 版 本 が 一 致 するため 仮 にこの 一 字 が 増 補 だとしても かなり 早 い 段 階 に 行 われたものであろう 問 題 は 後 半 の 一 句 に 一 字 が 増 えたことによって 前 後 の 対 句 関 係 に 影 響 が 及 ぶことで ある 袁 本 と 尤 本 との 違 いは そうした 対 句 の 均 衡 を 取 り 戻 そうとする ために 起 こったものであると 考 えられる つまり 袁 本 などでは 後 半 句 の 之 者 という 語 に 着 目 し それと 対 応 させようとして 近 智 を 近 智 者 に 直 した と 思 われる ところが この 本 文 に 対 して 李 善 が 言 近 智 守 所 見 而 不 之 假 有 之 者 以 其 路 斷 絶 莫 之 能 曉 也 と 注 釈 し ており ここでは 近 智 を 近 智 の 者 という 意 味 で 捉 えていることが わかる そこで 本 文 に 改 めて 者 を 加 えることが 不 適 切 と 判 断 され たか あるいは 近 智 守 所 見 而 不 之 という 李 善 注 に 影 響 を 受 けたか 尤 本 をはじめとして 近 智 に 者 を 加 えず 守 見 の 後 に 而 を 付 け 加 えるに 至 ったのであろう -5 に 関 しては 本 文 だけではなく 注 釈 文 と 合 わせて 考 える 必 要 がある 伝 本 と 胡 刻 本 の 内 容 は 以 下 の 通 りである 伝 本 胡 刻 本 苟 台 嶺 之 可 攀 亦 何 羨 於 曾 城 淮 南 子 曰 : 掘 崩 砲 虚 以 下 地 中 有 增 城 九 重 苟 台 嶺 之 可 攀 亦 何 羨 於 層 城 ( 前 略 ) 淮 南 子 曰 : 掘 崑 崙 墟 以 下 地 中 有 層 城 九 重 是 也 (164b6-8) 187

李 善 は 本 文 の 層 城 を 注 釈 する 際 に その 典 故 を 淮 南 子 に 求 めている 現 行 本 淮 南 子 墬 形 篇 では この 一 文 は 掘 昆 侖 虛 以 下 地 中 有 增 城 九 重 となっており 伝 本 に 見 られる 注 釈 内 容 とほ ぼ 一 致 している 增 城 とは 崑 崙 山 の 頂 上 に 位 置 する 伝 説 上 の 天 国 を 指 しており 用 語 としては 古 くから 見 られるものである 最 も 古 い 用 例 は 楚 辭 卷 第 三 天 問 の 增 城 九 重 其 高 幾 里 にまで 遡 るこ とができる また 梁 元 帝 玄 圃 牛 渚 磯 碑 にも 增 城 九 重 仙 林 八 樹 17 とあり 更 に 時 代 を 下 ると 北 魏 の 酈 道 元 水 經 注 に 崑 崙 之 山 三 級 : 下 曰 樊 桐 一 名 板 松 ; 二 曰 玄 圃 一 名 閬 風 ; 上 曰 增 城 一 名 天 庭 是 謂 太 帝 之 居 とある ところが この 意 味 での 增 城 は 曾 城 と 書 かれる 場 合 がむ しろ 多 いのである 例 えば 藝 文 類 聚 には 前 述 した 淮 南 子 の 文 が 数 回 にわたって 引 用 されているが いずれも 曾 城 九 重 となって いる 18 また 後 漢 の 服 虔 は 漢 書 揚 雄 伝 に 見 える 帝 居 之 縣 圃 を 曾 城 縣 圃 閬 風 昆 侖 之 山 三 重 也 天 帝 神 在 其 上 と 注 釈 して いる 19 さらに 西 晉 陸 機 贈 潘 正 叔 詩 に 執 笏 崇 賢 内 振 纓 曾 城 阿 20 とあり また 文 選 李 善 注 の 別 の 箇 所 に 引 用 される 東 晋 王 彪 之 遊 仙 詩 にも 遠 遊 絶 塵 霧 輕 舉 觀 滄 溟 蓬 萊 陰 倒 景 崩 砲 罩 曾 城 21 とある 以 上 見 てきたように 曾 城 という 言 葉 は 增 城 よりは すこし 遅 れるが 後 漢 代 から 既 に 文 献 に 登 場 しており 両 晋 を 中 心 に 17 藝 文 類 聚 第 七 卷 山 部 上 總 載 山 18 たとえば 藝 文 類 聚 第 六 十 三 卷 居 處 部 三 城 に 淮 南 子 曰 崑 崙 山 有 曾 城 九 重 とあり また 第 六 十 五 卷 產 業 部 上 圃 そして 第 六 十 七 卷 衣 冠 部 玦 珮 にも 全 く 同 じ 内 容 が 見 える 19 漢 書 卷 八 十 七 上 列 傳 第 五 十 七 上 揚 雄 傳 に 収 められた 甘 泉 賦 にあ る 配 帝 居 之 縣 圃 兮 象 泰 壹 之 威 神 に 対 する 服 虔 の 注 である 因 みに この 賦 作 は 文 選 ( 第 七 卷 )にも 採 録 されており この 箇 所 に 対 する 李 善 注 には 服 虔 曰 : 曾 城 縣 圃 閬 風 崑 崙 之 山 三 重 と 服 虔 の 注 をそのまま 踏 襲 している 20 この 詩 句 は 藝 文 類 聚 においては 第 二 十 九 卷 人 部 十 三 別 上 そして 第 六 十 七 卷 衣 冠 部 衣 冠 と 前 後 二 箇 所 に 引 用 されている 21 文 選 第 二 十 二 卷 謝 霊 運 從 遊 京 口 北 固 應 詔 の 張 組 眺 倒 景 列 筵 矚 歸 潮 に 対 する 李 善 注 である 188

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 更 に 南 北 朝 時 代 を 経 て 唐 代 までも 使 われていたことがわかる 胡 刻 本 文 選 の 本 文 には 曾 城 が 一 箇 所 出 てくるほか 層 城 は 二 箇 所 に 見 える 前 者 に 関 して 第 二 十 八 卷 陸 機 ( 士 衡 )の 前 緩 聲 歌 には 遊 仙 聚 霊 族 高 會 曾 城 阿 22 とあり 後 者 に 関 しては 遊 天 台 山 賦 のほかに 第 十 五 卷 の 張 衡 ( 平 子 ) 思 玄 賦 に 登 閬 風 之 層 城 兮 搆 不 死 而 為 床 という 一 句 がある この 思 玄 賦 とは 文 23 選 が 劉 宋 范 曄 編 後 漢 書 と 共 有 する 十 三 編 の 作 品 の 一 つである ところが 後 漢 書 卷 五 十 九 張 衡 伝 に 見 える 思 玄 賦 の 相 当 箇 所 では 登 閬 風 之 曾 城 兮 搆 不 死 而 為 床 となっている 後 漢 書 の 成 立 は 大 体 宋 元 嘉 九 年 から 十 六 年 まで(432-439 年 )とされており 他 方 文 選 の 編 纂 時 期 は 梁 の 普 通 七 年 (526)より 以 後 中 大 通 三 年 (531)ごろまでと 推 定 されている 24 したがって 両 者 の 成 立 時 期 にはおよそ 百 年 の 差 があり 文 選 が 思 玄 賦 を 採 録 するに 際 して 後 漢 書 を 参 考 にした 可 能 性 は 十 分 に 考 えられる だとすれば 文 選 所 収 思 玄 賦 の 層 城 は 後 漢 書 に 従 って 曾 城 と 訂 正 すべきであろう そうなると 胡 刻 本 文 選 に 見 える 作 品 の 本 文 で 層 城 とするのは 遊 天 台 山 賦 だけになる しかし その 箇 所 も 伝 本 では 明 確 に 曾 城 と 書 かれており この 事 実 と 以 上 に 見 てきたことと を 総 合 的 に 考 えれば 文 選 所 収 の 遊 天 台 山 賦 もやはり 伝 本 に 従 って 曾 城 とすべきと 思 われる 層 城 という 表 記 の 出 現 は 魏 末 晋 初 に 遡 ることができる 25 が 曾 城 と 比 べれば 用 例 は 比 較 的 に 少 ない それが 文 選 本 文 に 導 入 さ れたのは おそらく 注 釈 文 からの 影 響 によるものだと 考 えられる 胡 刻 22 ただし 藝 文 類 聚 第 四 十 二 卷 樂 部 二 樂 府 に 収 められた 前 緩 聲 歌 には 遊 仙 聚 霊 族 高 宴 層 城 阿 とある 23 富 永 一 登 [1998]83-84 頁 は 文 選 に 直 接 范 曄 後 漢 書 から 採 録 した 五 編 を 含 めて 十 三 編 の 共 通 する 作 品 の 存 在 を 認 めている 24 岡 村 繁 [1999]8 頁 25 たとえば 成 公 綏 (231-273)の 正 旦 大 會 行 禮 歌 に 大 禮 既 行 樂 無 極 登 崑 崙 上 層 城 乘 飛 龍 升 泰 清 ( 晉 書 卷 二 十 二 志 第 十 二 樂 上 )とある 189

本 文 選 では 問 題 となる 三 箇 所 の 曾 城 ( 或 いは 層 城 )に 対 し ては いずれも 李 善 注 が 附 されている 遊 天 台 山 賦 の 場 合 は 既 に 示 した 如 くであり 前 緩 聲 歌 の 李 善 注 もそれとほぼ 同 じで 淮 南 子 曰 : 掘 崑 崙 墟 以 下 地 中 有 層 城 九 重 (1314)となっている そこで 残 る 思 玄 賦 の 李 善 注 に 関 して 李 賢 後 漢 書 注 を 見 ながら 少 し 詳 しく 述 べよう 李 賢 の 後 漢 書 注 と 李 善 の 文 選 注 に 関 して 富 永 一 登 [1998] は 両 者 の 類 似 性 を 指 摘 し 李 賢 注 が 先 立 って 成 立 していた 李 善 注 を 参 照 した 可 能 性 と 後 世 による 李 善 注 の 増 補 に 李 賢 注 が 参 考 にされた 可 能 性 を 提 示 し 立 証 している それでは 当 該 思 玄 賦 の 登 閬 風 之 曾 城 兮 搆 不 死 而 為 床 という 一 文 をめぐっては どうであろうか 以 下 この 文 に 対 する 李 善 注 と 李 賢 注 を 上 下 に 示 した 李 善 注 ( 胡 刻 本 ): 閬 風 崑 崙 山 名 也 善 曰 (A) 淮 南 子 曰 崑 崙 虛 有 三 山 : 閬 風 桐 版 玄 圃 層 城 九 重 禹 云 : 崑 崙 有 此 城 高 一 萬 一 千 里 十 洲 記 曰 : 崑 崙 北 角 曰 閬 風 之 顛 山 海 經 曰 : 崑 崙 開 明 北 有 不 死 樹 (B) 食 之 長 壽 郭 璞 曰 : 言 常 生 也 (C) 古 今 通 論 曰 : 不 死 樹 在 層 城 西 (670) 李 賢 注 : 閬 風 山 名 在 崩 砲 山 上 楚 詞 曰 登 閬 風 而 絏 馬 淮 南 子 曰 崩 砲 山 有 曾 城 九 重 高 萬 一 千 里 上 有 不 死 樹 在 其 西 今 以 不 死 木 為 床 也 26 両 注 は ある 程 度 類 似 しているものの 相 異 がより 多 く 目 につく 特 に 両 注 は 共 に 淮 南 子 を 引 いていながらも 内 容 には 異 同 がある 26 後 漢 書 卷 五 十 九 列 傳 第 四 十 九 190

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 しかし 引 用 文 の 相 違 部 分 つまり 李 善 注 にしか 見 られない 崑 崙 虛 有 三 山 : 閬 風 桐 版 玄 圃 という 一 文 は 現 行 本 淮 南 子 には 相 当 箇 所 が 見 当 たらないものである その 上 この 内 容 は 李 善 の 甘 泉 賦 ( 文 選 第 七 卷 ) 注 に 引 用 された 服 虔 漢 書 注 ( 前 述 ) つまり 曾 城 縣 圃 閬 風 崑 崙 之 山 三 重 というものとはかなり 異 なっている 崑 崙 三 山 に 関 しては このほかに 前 述 した 酈 道 元 水 經 注 の 独 自 の 説 もあるが これらの 三 説 の 中 で 最 も 現 行 本 淮 南 子 27 に 近 いのは 李 善 甘 泉 賦 注 にも 引 用 された 服 虔 の 説 である さらに この 箇 所 を 含 めて 上 掲 引 用 文 中 の 下 線 部 分 A B C の 三 箇 所 は 胡 氏 考 異 によれば 袁 本 と 茶 陵 本 には 見 られない 文 であ る とされている 28 この 三 箇 所 がいずれも 後 世 の 増 補 とすれば 思 玄 賦 に 対 する 李 善 注 にはもともと 層 城 に 関 する 注 釈 そして 層 城 という 言 葉 自 体 もなかったことになるだろう これまでに 進 めてきた 考 察 に 大 きな 間 違 いがなければ 李 善 注 にお ける 層 城 は 遊 天 台 山 賦 注 と 前 緩 聲 歌 注 にのみ 現 れる と いうことになる 前 にも 述 べたように 二 注 はともに 淮 南 子 からの 引 用 で 内 容 もほぼ 同 様 である しかし 現 行 本 淮 南 子 には 增 城 としており そして 古 典 文 献 に 引 用 された 淮 南 子 では 多 くの 場 合 曾 城 とされている すると 李 善 が 参 照 した 淮 南 子 だけは 層 城 となっていた という 可 能 性 も 否 定 できないものの それは 非 常 に 低 いと 思 われる むしろ 李 善 注 に 現 れる 層 城 は 後 人 の 書 き 換 えに よるものとしたほうが 自 然 である そして 文 選 本 文 の 層 城 と いう 表 記 も 李 善 注 の 書 き 換 え 以 後 に その 影 響 によって 導 入 されたも のであると 考 えられるだろう 27 淮 南 子 第 四 巻 墜 形 訓 に 懸 圃 樊 桐 凉 风 在 昆 侖 阊 阖 之 中 昆 侖 之 丘 或 上 倍 之 是 謂 涼 風 之 山 登 之 而 不 死 或 上 倍 之 是 謂 懸 圃 登 之 乃 霊 能 使 風 雨 或 上 倍 之 乃 維 上 天 登 之 乃 神 是 謂 太 帝 之 居 とある 28 胡 氏 考 異 には これらの 三 箇 所 について 以 下 の 校 語 がある (A) 淮 南 子 曰 崑 崙 虛 下 至 高 一 萬 一 千 里 : 袁 本 茶 陵 本 無 此 三 十 三 字 ;(B) 食 之 長 壽 : 袁 本 茶 陵 本 無 此 四 字 ;(C) 古 今 通 論 曰 不 死 樹 在 層 城 西 : 袁 本 茶 陵 本 無 此 十 二 字 191

第 二 に 李 善 注 部 分 に 関 わる 語 句 の 相 違 について 考 察 すること にする 胡 刻 本 をはじめとする 現 行 本 文 選 に 収 められた 李 善 注 の 不 備 が しばしば 指 摘 されているが その 多 くは 李 善 の 注 釈 の 仕 方 によるもので はなく 文 選 が 流 伝 する 中 で 次 第 に 行 われた 内 容 の 増 補 と 伝 写 上 の 誤 りなどが 原 因 となったと 考 えられる その 実 態 は 敦 煌 写 本 や 文 選 集 注 などの 校 勘 研 究 によって 判 明 してきている そして 伝 本 と 文 選 各 版 本 とを 対 校 することによっても この 問 題 に 関 する 貴 重 な 示 唆 が 得 られるのである 以 下 特 に 伝 本 との 対 校 作 業 を 通 して 浮 かび 上 がる 現 行 李 善 注 の 問 題 箇 所 を 見 ていくことにする まず 既 に 胡 氏 考 異 で 指 摘 されたところから 見 てみよう 伝 本 には 踐 莓 苔 之 滑 石 搏 壁 立 之 翠 屏 莓 苔 即 石 橋 之 苔 也 翠 屏 石 橋 上 石 壁 之 名 也 異 苑 曰 : 天 台 山 石 有 莓 苔 之 險 とあ り この 部 分 は 現 行 各 本 も 同 様 である 異 苑 曰 天 台 山 石 に 関 して 胡 氏 考 異 は 何 校 石 下 添 橋 字 各 本 皆 脫 と 指 摘 する しかし 異 苑 からの 引 用 文 は 伝 本 も 各 版 本 と 同 様 に 天 台 山 石 有 莓 苔 之 險 としている また 現 行 本 異 苑 ( 巻 第 一 )でも この 箇 所 は 会 稽 天 台 山 雖 非 遐 遠 自 非 卒 生 忘 形 則 不 能 躋 也 赤 城 阻 其 径 瀑 布 激 其 衝 石 有 莓 苔 之 險 淵 有 不 測 之 深 となっている このよ うに 現 行 本 異 苑 には 橋 字 はなく 前 後 の 文 脈 から 見 ても こ の 箇 所 に 橋 字 があったとも 思 えないのである また 何 氏 が 文 選 を 校 する 際 に ことさらに 橋 字 を 付 加 して 石 橋 と 特 定 する 必 要 性 がないように 思 われる 伝 本 に 既 克 濟 於 九 折 路 威 夷 而 脩 通 ( 中 略 ) 韓 詩 曰 : 29 周 道 威 夷 とある この 韓 詩 からの 引 用 文 が 胡 刻 本 では 道 威 夷 29 十 三 経 注 疏 における 毛 詩 正 義 小 雅 四 牡 には 四 牡 騑 騑 周 道 倭 遲 ( 中 略 ) 周 道 歧 周 之 道 也 倭 遲 歷 遠 之 貌 文 王 率 諸 侯 撫 叛 國 而 朝 聘 乎 紂 故 周 公 作 樂 以 歌 文 王 之 道 為 後 世 法 騑 芳 非 反 倭 本 又 作 委 於 危 反 遲 韓 詩 作 倭 夷 とある 192

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 者 也 となっている 胡 氏 考 異 は 道 威 夷 者 也 : 陳 云 別 本 道 上 有 周 字 無 者 也 案 : 此 脫 周 字 衍 者 字 別 本 今 未 見 としている つまり 胡 氏 によれば 陳 氏 がかつて 別 本 即 ち 異 本 を 見 たことがあり そこでは 韓 詩 からの 引 用 文 が 道 威 夷 者 也 で はなく 周 道 威 夷 となっていたようであるが 胡 氏 本 人 はその 別 本 を 見 たことがない と 言 う ところが この 陳 氏 の 説 を 裏 付 けるか のように 伝 本 でも 確 かに 周 道 威 夷 とされているのである 実 際 に 韓 詩 からこの 一 句 を 引 用 する 例 は 文 選 ではもう 一 箇 所 に 見 られ その 第 十 八 卷 にある 嵇 叔 夜 琴 賦 并 序 の 指 蒼 梧 之 迢 遞 臨 迴 江 之 威 夷 (839)に 対 する 李 善 注 も 韓 詩 より 周 道 威 夷 という 形 で 引 いて 典 拠 としている したがって 遊 天 台 山 賦 の 場 合 も 伝 本 に 従 って 訂 正 すべきであろう 伝 本 に 惠 風 勤 芳 於 陽 林 醴 泉 涌 溜 於 陰 渠 邊 讓 章 華 臺 賦 曰 : 惠 風 春 施 守 猶 積 也 勤 與 守 通 毛 萇 詩 伝 曰 : 山 南 曰 陽 鄭 玄 周 禮 注 曰 : 陽 木 生 於 山 南 とある しかし 現 行 各 本 では 鄭 玄 周 禮 注 から 陽 林 生 於 山 南 と 引 用 されている ところが 現 行 本 周 禮 注 疏 卷 十 六 山 虞 にある 仲 冬 斬 陽 木 に 対 する 鄭 玄 注 には 陽 木 生 山 南 と 見 える では なぜ 元 々の 陽 木 という 表 現 が 現 行 の 李 善 注 文 選 では 陽 林 となったのであろうか 胡 氏 考 異 は 林 當 作 木 此 地 官 山 虞 注 也 善 以 陽 木 注 陽 林 不 知 者 依 正 文 改 字 非 也 というが その 通 りであろう 伝 本 に 散 以 象 外 之 説 暢 以 無 生 之 篇 象 外 謂 道 也 周 易 曰 : 易 者 象, 象 者 像 也 荀 粲 別 伝 粲 答 兄 俁 云 : 立 象 以 盡 意 此 非 通 乎 象 外 者 也 象 外 之 意 故 蘊 而 不 出 矣 とある しかし そこに 見 える 荀 粲 別 伝 が 現 行 諸 本 では 荀 粲 列 伝 とされているが 胡 氏 考 異 は 列 當 作 別 各 本 皆 誤 三 國 魏 志 荀 彧 伝 注 有 其 證 也 としている 確 かに 胡 氏 が 言 うように 荀 粲 の 名 は 三 國 志 魏 書 巻 十 所 収 の 荀 彧 ( 荀 粲 の 父 )の 列 伝 それも 本 文 に 付 さ 193

れた 注 の 中 にのみ 現 れる そこでは 粲 の 言 葉 として 蓋 理 之 微 者 非 物 象 之 所 舉 也 今 稱 立 象 以 盡 意 此 非 通 于 意 外 者 也 繫 辭 焉 以 盡 言 此 非 言 乎 繫 表 者 也 ; 斯 則 象 外 之 意 繫 表 之 言 固 蘊 而 不 出 矣 とある ただし 同 じ 荀 粲 伝 の 他 の 注 には 何 劭 為 粲 伝 と 記 されていることか ら 子 の 荀 粲 個 人 にも 伝 記 が 存 在 したであろうし それを 李 善 自 身 が 見 て 直 接 引 用 した 可 能 性 もある しかし 荀 粲 の 伝 記 は 言 わば 野 史 であ って 紀 伝 体 史 書 を 構 成 する 格 式 を 具 えた 列 伝 ではない 列 伝 と 称 することが 許 されるのは あくまでも 父 荀 彧 の 伝 なのである した がって 胡 氏 が 指 摘 し また 伝 本 にもあるように ここは 荀 粲 別 伝 とすべきではなかろうか 次 に 胡 刻 本 の 引 用 文 と その 典 拠 となった 文 献 の 現 行 本 の 内 容 との 間 に 字 句 の 出 入 があるが 伝 本 ではそれがない あるいは 胡 刻 本 よ りも 典 拠 の 内 容 に 近 似 する 場 合 がある それらを 以 下 の 表 にまとめ 出 典 とその 現 行 本 に 見 る 文 献 内 容 伝 本 と 胡 刻 本 の 引 用 内 容 と 順 次 に 並 べたが その 際 に 三 者 で 共 通 する 文 に 下 線 を 引 き 異 同 のある 語 句 に は 傍 点 を 施 した 異 同 そのものは 一 目 瞭 然 であり また 紙 数 の 関 係 から 詳 述 は 控 える 引 用 された 文 献 内 容 伝 本 胡 刻 本 ( 宋 書 巻 第 67 列 謝 霊 運 山 居 賦 注 曰 : 謝 霊 運 山 居 賦 注 曰 : 伝 第 27 謝 霊 運 伝 )...... 謝 霊 運 山 居 賦 注 : 天 台 四 明 皆 相 連 接 天 台 四 明 相 接 連 四 天 台 桐 柏 七 縣 餘 地 四 明 方 石 四 面 自 然 開 明 方 石 四 面 自 然 開 窗 南 帶 海 二 韭 四 明 五 窗 (163b4-5) 奧 皆 相 連 接 奇 地 所 無 高 於 五 嶽 便 是 海 中 三 山 之 流 韭 以 菜 為 名 四 明 方 石 四 面 自 然 開 窗 也 194

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 名 山 略 記 ( 佚 ) 30 名 山 略 記 曰 : 天 台 山 即 是 定 光 等 諸 佛 所 降 葛 仙 公 山 也 爾 雅 釋 山 爾 雅 曰 : 泰 山 為 東 嶽 華 山 為 西 泰 山 為 東 嶽 華 山 為 西 嶽 霍 山 為 南 嶽 恆 山 為 嶽 霍 山 為 南 嶽 恆 山 為 北 嶽 嵩 高 為 中 嶽 北 嶽 嵩 山 為 中 嶽 列 仙 伝 ( 校 正 本 ) 巻 下 赤 須 子 : 赤 須 子 好 食 松 實 服 霞 絶 穀 王 考 魯 霊 光 殿 賦 序 ( 文 選 卷 第 11) 旋 室 洪 娟 以 窈 窕 洞 房 叫 窱 而 幽 邃 淮 南 子 原 道 訓 巻 第 一 a. 本 處 榛 巢 高 誘 注 : 聚 木 曰 榛 b. 隠 于 榛 薄 之 中 高 誘 注 : 藂 木 曰 榛 漢 書 卷 四 十 九 列 伝 第 十 九 爰 盎 晁 錯 伝 上 從 霸 陵 上 欲 西 馳 下 峻 阪 盎 轡 上 曰 : 將 軍 怯 邪? 盎 言 曰 : 臣 聞 千 金 之 子 不 垂 堂 百 金 之 子 不 騎 衡 聖 主 不 乘 危 不 徼 幸 列 仙 伝 曰 : 赤 須 子 好 食 松 實 絶 穀 魯 霊 光 殿 賦 曰 : 旋 室 洪 娟 以 窈 窕 洞 房 叫 窱 而 幽 邃 高 誘 淮 南 子 注 曰 : 聚 木 曰 榛 漢 書 盎 諫 上 曰 : 臣 聞 千 金 子 不 垂 堂 名 山 略 記 曰 : 天 台 山 即 是 定 光 寺 諸 佛 所 降 葛 仙 公 山 也 (163b6) 爾 雅 曰 : 太 山 為 東 嶽 華 山 為 西 嶽 衡 山 * 為 南 嶽 常 山 為 北 嶽 嵩 山 為 中 嶽 (163b9) * 袁 本 明 州 本 四 部 本 は 霍 山 とする 列 仙 伝 曰 : 赤 松 子 好 食 松 實 絶 穀 ( 163b16-17) 魯 霊 光 殿 賦 曰 : 琁 室 洪 娟 以 窈 窕 洞 房 叫 窱 而 幽 邃 (164a5) 高 誘 淮 南 子 注 曰 : 叢 木 曰 榛 (164b10-11) 漢 爰 盎 諫 上 曰 : 臣 聞 千 金 之 子 坐 不 垂 堂 (165a1-2) 30 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 101 頁 に ( 名 山 略 記 ) 佚 案 此 疑 是 謝 霊 運 名 山 記 とあ る 佚 文 のため 確 かめることができないが 胡 刻 本 に 定 光 寺 という 寺 院 名 が 出 現 することにはいささか 不 審 を 覚 える というのは 孫 綽 の 時 代 ですら 登 ることが 極 めて 困 難 であった 天 台 山 には それ 以 前 の 時 代 に 寺 が 建 てられていたとは 到 底 考 えら れないからである 一 方 伝 本 のように 定 光 等 諸 佛 とすれば 理 解 しやすくなる 定 光 仏 というのは 燃 灯 仏 とも 翻 訳 され 過 去 世 に 出 現 し 釈 尊 に 授 記 した 代 表 的 な 古 仏 の 一 人 であって 佛 本 行 経 (T4 No.193) 第 二 十 四 歎 定 光 佛 品 をはじめと する 多 くの 経 典 に 出 ている ただ ここでの 名 山 略 記 の 記 述 に 葛 仙 公 山 とあ るのは おそらく 道 家 の 文 献 を 参 照 したものと 推 測 されるが 定 光 らの 過 去 仏 が 登 場 する 葛 仙 公 山 伝 説 の 出 典 はいまだ 不 明 である 195

淮 南 子 巻 第 四 墜 形 篇 曰 : 建 木 在 都 廣 眾 帝 所 自 上 下 周 易 卷 八 繫 辭 下 是 故 易 者 象 也 象 也 者 像 也 方 言 : 間 郭 璞 注 言 間 隟 也 維 摩 詰 所 説 經 (T14 No.475) 入 不 二 法 門 品 第 九 喜 見 菩 薩 曰 : 色 色 空 為 二 色 即 是 空 非 色 滅 空 色 性 自. 空.. 如 是 受 想 行 識 識... 空 為 二.. 識 即.. 是 空 非 識 滅 空 識 性 自 空 於 其 中 而 通 達 者 是 為 入 不 二 法 門 ( 551a19-22) 淮 南 子 曰 : 建 木 在 都 廣, 眾 帝 所 自 上 下 周 易 曰 : 易 者 象, 象 者 像 也 郭 璞 方 言 注 曰 : 間 隙 也 維 摩 經 喜 見 菩 薩 曰 : 色 色 空 為 二 色 即 是 空 非 色 滅 空 色 性 自. 空. 如 是.. 受 想 淮 南 子 曰 : 建 木 在 廣 都 眾 帝 所 自 上 下 (165b10) 周 易 曰 : 象 者 像 也 (166a8) 小 雅 曰 : 間 隙 也 31 (166a11) 維 摩 經 喜 見 菩 薩 曰 : 色 色 空 為 二 色 即 是 空 非 色 滅 空 色 性 自. 空.. 如 是 受 想 行 識 識... 識 空 為 二. 行 識... 識 空 為 二 識 即 識... 即 是 空 非 識 滅 空 識 是 空 非 識 性 自 空 於 其 性 自 空 於 其 中 通 而 達 中 通 而 達 者 為 入 不 二 法 者 為 入 不 二 法 門 門 (166a13-14) 郗 敬 輿 與 慶 謝 緒 ( 謝 慶 緒 ) 書 論 三 幡 義 曰 : 近 論 三 幡 諸 人 猶 多 欲 既 觀 色 空 別 更 觀 識 同 在 一 有 而 重 假 二 觀 於 理 為. 長. 然 敬 輿 之 意 以 色. 色.. 空 及 觀 為 三 釋 幡 識 識 空 及 觀 亦 為 三 幡 也 郤 32 敬 輿 與 謝 慶 緒 書 論 三 幡 義 曰 : 近 論 三 幡 諸 人 猶 多 欲 既 觀 色 空 別 更 觀 識 同 在 一 有 而 重 假 二 觀 於 理.. 為 長 然 敬 輿 之 意. 以. 色 空 及 觀 為 三 幡 識 空 及 觀 亦 為 三 幡 ( 166a20-b1) 最 後 に 李 善 注 の 引 用 文 献 に 関 して 今 まで 不 明 だったところにつ いて 述 べよう 法 華 経 からの 引 用 李 善 注 遊 天 台 山 賦 には 法 華 経 曰 とするところが 二 箇 所 あ る 一 つ 目 の 瀑 布 飛 流 以 界 道 の 界 道 に 対 する 李 善 注 は 法 31 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 103 頁 に ( 小 雅 ) 廣 詁 佚 とある 32 富 永 一 登 [1996]375 頁 に 郗 超 與 謝 慶 緒 書 佚 案 郤 當 作 郗 晋 書 六 十 七 郗 超 傳 云 超 字 景 興 一 字 嘉 賓 呉 士 鑑 斠 注 云 案 景 與 敬 音 近 興 與 輿 形 近 疑 本 作 景 興 也 と ある 196

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 華 經 曰 : 黃 金 為 繩 以 界 八 道 ( 胡 刻 本 164b4 伝 本 も 同 文 )とし ている この 一 句 が 鳩 摩 羅 什 訳 妙 法 蓮 華 経 (T9 No.262) 見 寶 塔 品 第 十 一 からの 引 用 文 であることは 既 に 判 明 しており 33 これについて は 異 議 がない 問 題 は 後 の 一 箇 所 にある そこでは 法 鼓 琅 以 振 響 眾 香 馥 以 揚 煙 に 対 して 李 善 注 は 法 華 經 曰 : 撃 大 法 鼓 又 曰 : 燒 衆 名 香 ( 胡 刻 本 166a4 伝 本 も 同 文 )とする これについて 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 (103 頁 )は 撃 大 法 鼓 の 出 典 は 妙 法 蓮 華 経 の 序 品 に 求 め 得 たが 燒 衆 名 香 の 出 典 は 未 詳 としている 確 かに 燒 衆 名 香 という 表 現 を 妙 法 蓮 華 経 において 見 出 すことはできない これは 李 善 注 の 誤 りでもなければ 経 典 の 佚 文 でもないのである なぜ ならば 李 善 がここで 引 用 した 法 華 経 は 妙 法 蓮 華 経 ではなく その 異 訳 本 である 正 法 華 経 ( 竺 法 護 訳 T09 No.263)だったと 考 え られるからであり 事 実 正 法 華 経 の 七 寶 塔 品 第 十 一 には 遍 布 諸 華 燒 衆 名 香 (103c8)という 表 現 を 見 つけることができるのであ る また 正 法 華 経 光 瑞 品 第 一 にも 散 大 法 雨 撃 大 法 鼓 (65c12) とある 因 みに 妙 法 蓮 華 経 見 寶 塔 品 第 十 一 の 相 当 箇 所 は 燒 大 寶 香 (33b1)となっている 本 草 経 からの 引 用 胡 刻 本 の 李 善 注 に 神 農 本 草 經 34 曰 : 桂 葉 冬 夏 常 青 不 枯 又 曰 : 赤 芝 一 名 丹 芝 黃 芝 一 名 金 芝 白 芝 一 名 玉 芝 黑 芝 一 名 玄 芝 紫 芝 一 名 木 芝 (165b6)とあり 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 (103 頁 )は 神 農 本 草 經 佚 とする 確 かに 前 半 の 引 用 文 は 現 行 の 本 草 経 には 見 出 せ ないが 郭 璞 山 海 經 注 に 類 似 する 文 がある それは 山 海 經 35 巻 33 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 102 頁 34 伝 本 では 本 草 経 とする 引 用 文 は 同 様 である 35 郭 璞 注 山 海 経 子 書 百 家 28 所 収 光 緒 紀 元 夏 月 湖 北 崇 文 書 局 刊 本 197

第 一 南 山 経 の 招 搖 之 山 臨 于 西 海 之 上 多 桂 に 対 する 郭 璞 注 で あり そこには 桂 葉 似 枇 杷 長 二 尺 餘 廣 數 寸 味 辛 白 花 叢 生 山 峰 冬 夏 常 青 間 無 雜 木 とある なお 引 用 文 の 後 半 部 分 は 現 行 本 神 農 本 草 經 ( 巻 第 二 ) 36 に 見 える 赤 芝 一 名 丹 芝 黃 芝 一 名 金 芝 白 芝 一 名 玉 芝 黑 芝 一 名 玄 芝 紫 芝 一 名 木 芝 という 文 とほぼ 一 致 する 百 論 からの 引 用 胡 刻 本 の 李 善 注 に 百 ( 法 ) 論 曰 : 并 及 八 輩 應 真 僧 然 應 真 謂 羅 漢 也 (165b14-15)とあるが 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 (103 頁 ) は この 百 法 論 を 大 正 蔵 第 31 巻 にある 大 乘 百 法 明 門 論 と 推 測 しているが そこには 引 用 文 と 類 似 する 内 容 を 見 つけ 出 すことはで きない 胡 刻 本 の 相 当 箇 所 を 伝 本 で 確 かめてみると この 部 分 は 百 論 曰 : 并 及 [ 八 ] 輩 應 真 僧 羅 漢 也 となっていることがわかった そ こで 百 論 (T30 No.1569)を 調 べたところ 捨 罪 福 品 第 一 冒 頭 の 偈 頌 にある 諸 佛 世 尊 之 所 説 并 及 八 輩 應 真 僧 (168a26)という 一 句 に 辿 りついたのである 梵 網 経 からと 思 われる 引 用 このいわゆる 百 ( 法 ) 論 からの 引 用 文 の 後 胡 刻 本 李 善 注 には 大 智 度 論 曰 : 菩 薩 常 應 二 時 頭 陀 常 用 錫 杖 經 伝 佛 像 (165b15) という 一 文 が 続 く しかし 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 (103 頁 )は 同 内 容 の 文 を 大 智 度 論 には 見 出 せず 未 詳 とした ところが 梵 網 経 (T24 No.1484)には 若 佛 子 常 應 二 時 頭 陀 冬 夏 坐 禪 結 夏 安 居 常 用 楊 枝 澡 豆 三 衣 瓶 鉢 坐 具 錫 杖 香 爐 漉 水 囊 手 巾 刀 子 火 燧 鑷 子 繩 床 經 律 佛 像 菩 薩 形 像 37 (1008a13-16)と 見 36 神 農 本 草 経 1980 年 東 京 有 明 書 房 影 印 嘉 永 七 年 版 本 37 梵 網 経 二 卷 は 上 卷 に 菩 薩 の 階 位 の 内 容 下 巻 は 十 重 四 十 八 軽 戒 の 戒 相 が 説 か れており そのために 菩 薩 戒 経 とも 呼 ばれる ここでの 引 用 文 は 四 十 八 軽 戒 の 一 つに 当 たる 頭 陀 遊 行 の 作 法 に 関 する 規 定 の 一 部 である 同 経 典 によれば 佛 子 菩 薩 198

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 える ただ この 経 文 が 李 善 注 の 典 拠 であるとすれば なぜ 梵 網 経 としてではなく 大 智 度 論 の 文 として 引 用 されたのかは 依 然 とし て 不 明 のままである おわりに 以 上 本 伝 集 本 遊 天 台 山 賦 の 文 献 内 容 を 現 存 各 種 の 文 選 李 善 注 と 対 校 し 分 析 する 作 業 を 進 めてきた その 結 果 本 伝 集 本 遊 天 台 山 賦 が 李 善 注 遊 天 台 山 賦 に 他 ならず しかもそれが 現 行 李 善 注 本 よりも 古 い 形 態 を 保 存 していることも 判 明 した このような 認 識 は 長 い 研 究 史 を 持 つ 文 選 学 のための 一 つの 資 料 提 供 ともなるだろうし 本 伝 集 が 最 澄 作 ではないという 偽 作 説 ( 清 田 寂 天 [2001])すら 出 て いる 今 文 献 内 容 に 即 した 詳 細 な 検 証 を 行 い その 資 料 的 価 値 を 見 直 す 契 機 にもなるのではなかろうか 一 方 そうしたことを 目 指 したばかりに 伝 本 の 内 容 と 較 べて 38 明 らかとなる 現 行 本 李 善 注 の 増 補 に 関 する 指 摘 や さらには その 増 補 の 傾 向 と 特 徴 などの 分 析 や 考 察 はおろそかにされた 実 際 このよう な 問 題 の 解 決 は 文 選 学 の 門 外 漢 である 筆 者 の 手 には 到 底 おえないもの である 筆 者 はただ 小 論 を 通 して 本 伝 集 という 書 物 に 専 門 諸 氏 の 注 意 を 引 くことができれば と 願 うばかりである が 年 間 二 回 ( 正 月 十 五 日 から 三 月 十 五 日 まで 八 月 十 五 日 から 十 月 十 五 日 まで)にわ たって 頭 陀 行 を 行 うべく また その 間 には 常 に 上 に 挙 げた 十 八 種 類 の 法 具 を 身 の 回 りに 備 え 用 いなければならない と 定 められている(1008a16-20) 梵 網 経 は 伝 統 的 には 鳩 摩 羅 什 訳 とされていたが 実 際 は 中 国 で 成 立 した いわゆる 偽 経 である にもかかわらず それが 菩 薩 戒 経 として 東 アジア 仏 教 世 界 においては 量 り 知 れな い 影 響 を 及 ぼしてきていることには 変 わりがない 38そのような 増 補 と 考 えられるところは 典 拠 の 示 された 注 釈 が 35 箇 所 典 拠 のな い 注 釈 が 13 箇 所 に 数 えられる これらの 注 釈 はほとんど 釈 義 の 注 である このほか 特 に 老 子 注 の 増 加 がみられ それが 思 想 的 変 化 すらもたらす 一 面 をもつことに 注 意 を 要 する 199

略 号 および 使 用 テキスト 本 伝 集 最 澄 集 天 台 霊 応 図 本 伝 集 ( 叡 山 文 庫 無 動 寺 蔵 書 文 化 十 二 年 写 本 及 び 叡 山 文 庫 横 川 別 当 代 蔵 書 享 保 八 年 写 本 ) 尤 本 李 善 注 文 選 六 十 卷 宋 淳 熙 八 年 (1181) 尤 氏 刊 本 (1974 年 中 華 書 局 影 印 北 京 図 書 館 藏 本 ) 胡 刻 本 李 善 注 文 選 六 十 卷 附 胡 氏 考 異 十 卷 嘉 慶 十 四 年 (1809) 胡 克 家 據 宋 淳 熙 尤 袤 刊 本 (1977 年 中 華 書 局 影 印 本 ) 袁 本 六 家 文 選 六 十 巻 嘉 靖 十 三 年 至 二 十 八 年 (1534-1549) 袁 褧 嘉 趣 堂 覆 宋 廣 都 裴 宅 刊 本 ( 東 京 大 学 総 合 図 書 館 蔵 本 ) 明 州 本 五 臣 李 善 注 文 選 六 十 巻 足 利 学 校 遺 蹟 図 書 館 蔵 宋 紹 興 中 明 州 刊 本 (1974 年 汲 古 書 院 影 印 本 ) 四 部 本 六 臣 注 文 選 六 十 卷 上 海 涵 芬 樓 藏 宋 刊 本 ( 上 海 商 務 印 書 館 影 印 四 部 叢 刊 初 編 縮 本 集 部 ) 伝 全 伝 教 大 師 全 集 (1975 年 世 界 聖 典 刊 行 協 会 覆 刻 比 叡 山 図 書 刊 行 版 ) 大 正 蔵 (T) 大 正 新 脩 大 蔵 経 参 考 文 献 岡 村 繁 [1999] 文 選 の 研 究 東 京 : 岩 波 書 店 小 尾 郊 一 [1977] 文 選 ( 文 章 編 ) 二 全 釈 漢 文 大 系 第 27 巻 所 収 東 京 : 集 英 社 小 尾 郊 一 富 永 一 登 衣 川 賢 次 [1990] 文 選 李 善 注 引 書 攷 證 東 京 : 研 文 出 版 清 田 寂 雲 [1980] 天 台 大 師 別 伝 について 天 台 学 報 22 26-33 清 田 寂 天 [2001] 天 台 霊 応 図 本 伝 集 真 偽 考 叡 山 学 院 研 究 紀 要 23 45-52 清 水 凱 夫 [1995] 清 水 凱 夫 詩 品 文 選 論 文 集 北 京 : 首 都 師 範 大 学 出 版 社 200

天 台 靈 應 圖 本 傳 集 所 收 之 李 善 註 遊 天 台 山 賦 斯 波 六 郎 [1948] 昭 明 太 子 中 華 六 十 名 家 言 行 録 東 京 : 弘 文 堂 書 房 58-63 戸 川 芳 郎 高 橋 忠 彦 [1989] 中 国 の 古 典 23 文 選 上 東 京 : 学 習 研 究 社 富 永 一 登 [1996] 文 選 李 善 注 引 書 索 引 東 京 : 研 文 出 版 富 永 一 登 [1998a] 唐 鈔 李 善 単 注 本 文 選 残 卷 校 勘 記 ( 一 ) 中 国 学 研 究 論 集 1 17-52 富 永 一 登 [1998b] 文 選 李 善 注 考 後 漢 書 李 賢 注 との 比 較 広 島 大 学 文 学 部 紀 要 58 82-101 長 谷 川 滋 成 [2000] 孫 綽 遊 天 台 山 賦 序 詳 解 広 島 大 学 教 育 学 部 紀 要 ( 第 二 部 ) 49 1-10 201

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