スリランカの 憲 法 問 題 L.フェルナンド ** 浅 野 宜 之 訳 ** 1 はじめに スリランカは 憲 法 を 学 ぶ 人 にとって 二 つの 意 味 で 興 味 深 い 国 だと 思 われる 一 つは 19 20の 両 世 紀 の 間 にスリランカは ₅ つの それぞれ 形 式 及 び 内 容 の 面 でかなり 異 な った 憲 法 を 持 っていたということが 挙 げられる その ₅ つの 憲 法 とは 1833 年 -1931 年 のコールブルック 憲 法 1931 年 -1947 年 のドノモア 憲 法 1947 年 -1972 年 のソウルバリー 憲 法 1972 年 -1978 年 の 第 一 次 共 和 国 憲 法 そして 1978 年 - 現 行 の 第 二 次 共 和 国 憲 法 である さらに 2000 年 には 新 しい 憲 法 草 案 が 提 出 された これは 浅 野 氏 が アジア 憲 法 集 という 本 の 中 に 日 本 語 訳 を 載 せている 二 つめは スリランカの 憲 法 問 題 は 常 に 議 論 の 的 になっていたということがある 20 世 紀 初 頭 には コールブルック 憲 法 の 下 で 不 十 分 な 代 表 選 出 と 宗 教 別 代 表 制 が 論 議 されていた ドノ モア 憲 法 では 不 十 分 な 行 政 権 と 純 粋 に 地 理 的 代 表 選 出 に 対 する 不 満 があった ソウルバリー 憲 法 では それが 外 国 生 まれであること マイノリティの 保 護 が 不 十 分 であることについて 不 満 が 寄 せられた 第 一 次 共 和 国 憲 法 では その 理 想 と 非 効 率 性 とが 問 題 視 された 第 二 次 共 和 国 憲 法 これは 現 行 の 憲 法 であるが さまざまな 側 面 が 議 論 の 対 象 となっている 最 初 に スリランカの 憲 法 史 を 概 観 する 2 憲 法 史 スリランカが 立 憲 主 義 を 取 り 入 れたのは イギリスの 植 民 地 統 治 下 であった おおまかにいえ ば スリランカの 法 システムは イギリスのコモンローとローマン ダッチ 法 を 合 わせたもので 編 集 部 注 * スリランカ コロンボ 大 学 教 授 ( 大 学 院 部 長 ) 本 稿 は 2005 年 11 月 25 日 に 開 催 された 法 学 研 究 所 第 33 回 公 開 講 座 の 報 告 原 稿 に 加 筆 修 正 したものである ** 法 学 研 究 所 委 嘱 研 究 員 聖 母 女 学 院 短 期 大 学 助 教 授 79
ある 1972 年 に 新 たに 自 ら 制 定 した 憲 法 と 共 にそれまでのセイロンから スリランカへと 名 称 を 変 更 した イギリスでは 憲 法 と 普 通 法 との 間 に 差 異 は 設 けられていないが その 植 民 地 には 差 異 が 設 けられた スリランカは 1802 年 には 国 王 政 府 の 直 接 統 治 におかれた しかし イギリスは それ 以 前 1796 年 から 沿 岸 部 の 領 地 (オランダ 領 だった)を インドのマドラス 管 区 から 管 理 してきた 1802 年 から1833 年 の 間 は 憲 法 のようなものはなかった 国 王 により 任 命 された 知 事 が 唯 一 の 権 威 であり 組 織 であった 3 コールブルック 憲 法 (1833) 1833 年 には 新 たな 憲 法 が 導 入 された これは コールブルックとキャメロンが 委 員 長 となっ た 検 討 委 員 会 にもとづき 制 定 されたものである したがって これをコールブルック 憲 法 と 呼 ん でいる キャメロンは 主 に 法 改 革 に 当 たった コールブルック 憲 法 は1931 年 まで 用 いられ そ の 間 1910 年 と1924 年 に 大 きな 改 正 があった 制 度 的 には 知 事 行 政 参 事 会 立 法 参 事 会 の ₃ つ の 主 な 機 関 がおかれていた 司 法 制 度 は キャメロン 改 革 の 下 で 実 施 された 司 法 は 最 高 裁 の 指 揮 の 下 1930 年 代 までに これが 独 立 したものとなった たとえば1937 年 には 最 高 裁 長 官 アラン ローズが その 注 目 す べき 判 例 において アントニー ブレースガードルに 対 する 知 事 の 退 去 命 令 を 破 棄 したことがあ る 1910 年 と1924 年 の 憲 法 の 改 正 は 立 法 参 事 会 および 投 票 権 の 拡 大 と 関 連 があるかもしれない しかし 実 際 には1931 年 まで ₄ %の 人 しか 投 票 権 は 得 られず また 立 法 参 事 会 の 多 数 も 1924 年 まで 公 務 員 が 占 めていた 4 ドノモア 憲 法 (1931) ドノモア 憲 法 は 大 きな 変 更 で これは ドノモア 卿 を 長 とする 検 討 委 員 会 から 名 前 を 付 けた ものである これはスリランカに 準 自 治 領 の 地 位 を 与 えたものであった 自 治 領 とは イギリス がその 白 人 植 民 地 (カナダ オーストラリア ニュージーランド)に1910 年 に 与 えた 自 治 の 権 限 を 認 めるものである 大 きな 憲 法 上 の 変 更 点 は 普 通 選 挙 権 にあった ドノモア 憲 法 では 選 挙 で 選 ばれた 議 員 50 名 と 任 命 された 議 員 ₈ 名 とで 構 成 される 国 家 評 議 会 を 設 置 した これは 準 自 治 的 議 会 であった すな わちその 自 治 は 完 全 なものではなく 立 法 に 関 してみれば 治 安 や 外 交 に 関 しては 立 法 権 限 がな く 独 立 を 宣 言 することもできなかった 治 安 と 外 交 に 関 しては 完 全 に 知 事 の 指 導 下 にあった のである また 行 政 事 項 についてみると 財 務 大 臣 公 共 事 業 大 臣 司 法 大 臣 とのつながりが 十 分 ではなかった しかし 国 家 評 議 会 は 普 通 選 挙 権 を 通 じて 選 出 されるという 点 で 議 会 のようなものであった 国 家 評 議 会 は 既 に 述 べたいくつかの 点 を 除 くと 10 分 の ₇ の 分 野 で 行 政 権 限 を 保 持 していた 80
すなわち10の 省 庁 のうち ₇ は 現 地 の 者 が ₃ つはイギリス 統 治 の 下 で 公 務 員 が 握 っていた しかしドノモア 憲 法 は 議 院 内 閣 制 を 導 入 したものではないく 行 政 委 員 会 制 度 を 導 入 した 国 家 評 議 会 の58 名 のメンバーは ₇ つの 行 政 委 員 会 に 分 かれ その 活 動 を 監 督 した 委 員 会 には 委 員 長 が 置 かれた 彼 らは 元 々 大 臣 (ministers) と 呼 ばれていたが これらの 組 織 は 徐 々 に 省 庁 のようなものに 変 わっていったのである したがって 委 員 会 制 度 は 徐 々に 内 閣 制 度 に 移 行 してきたと 言 える 行 政 委 員 会 は 大 きな 実 験 だったにもかかわらず もう 一 度 これを 導 入 すべきという 意 見 がある メリットとしては すべ ての 被 選 出 メンバーが 行 政 事 項 に 関 して 集 団 的 に 参 加 できるという 点 にあった これに 対 して こうした 制 度 の 弱 点 として 仕 事 の 遅 さと 非 効 率 性 が 挙 げられた 5 ソウルバリー 憲 法 (1947) スリランカは セイロンの 名 で1948 年 に ソウルバリー 憲 法 (1947 年 制 定 )の 下 で 独 立 した この 憲 法 は ソウルバリー 卿 を 委 員 長 とする 検 討 委 員 会 において 起 草 された これはまた 1943 年 の 政 府 草 案 にも 基 づいている この 憲 法 の 大 きなメリットの 一 つは すべての 政 党 や 民 族 集 団 が 合 意 したという 点 にある これは 1972 年 1978 年 の 憲 法 にはないことである ソウルバリー 憲 法 により スリランカは 内 閣 制 を 導 入 した 1972 年 までこの 憲 法 は 用 いられた が 内 閣 制 は1978 年 まで 続 いた また 両 院 制 も 導 入 された すなわち 上 院 と 下 院 である 憲 法 では 議 会 の 拡 大 を 認 めており 選 挙 区 画 定 のガイドラインを 導 入 することで 代 表 の 原 理 を 定 めている 議 員 の 数 は 1947 年 から1970 年 の 選 挙 までの 間 に 106 名 から196 名 に 増 えてきている この 憲 法 の 重 要 な 点 としては 次 の 三 点 が 挙 げられる 司 法 の 独 立 公 務 員 の 独 立 違 憲 立 法 審 査 制 もちろん 問 題 もあった この 憲 法 には 基 本 権 に 関 する 規 定 がない 第 29 条 では マイノリ ティの 権 利 保 護 のみが 認 められている これは 民 族 的 宗 教 的 少 数 者 に 対 する 差 別 的 立 法 を 禁 じるものである しかし 1948/1949 年 の 差 別 的 な 市 民 権 法 1956 年 シンハラ 人 法 1963 年 の 教 育 機 関 の 管 理 権 取 得 などを 防 ぐことはできなかった このほかにも 問 題 点 があった それは スリランカ 人 によって 起 草 されたものではないという ことである セイロンは 当 時 イギリスの 統 治 下 にあった このことは 非 同 盟 政 策 と 衝 突 する ものであった イギリスの 枢 密 院 が 控 訴 の 最 終 審 であり これは 屈 辱 的 なことでもあった あま りに 多 くのチェック バランス 関 係 は 発 展 途 上 国 にとっては 不 適 当 なものだったと 言 えよう 6 第 一 次 共 和 国 憲 法 (1972) これは 大 きな 憲 法 上 の 変 化 をもたらしたものであったが ₆ 年 ももたなかった この 憲 法 は 81
コルヴィン デ シルバ 博 士 という 憲 法 学 者 が 中 心 となって 起 草 したものである その 制 定 の 過 程 でも 大 きな 変 化 が 見 られた すなわち 憲 法 制 定 議 会 における 単 純 過 半 数 の 賛 成 を 通 じて 制 定 がなされたのである 1970 年 の 選 挙 において 選 出 された 議 員 が 憲 法 制 定 議 会 を 構 成 すること が 定 められていた この 憲 法 で 先 に 述 べたように 国 名 がセイロンからスリランカに 変 更 され た この 憲 法 では スリランカは 社 会 主 義 国 であることを 宣 言 し イギリスの 君 主 制 の 下 から 脱 し て 一 院 制 の 導 入 を 行 った これは 遅 れてきた 憲 法 改 革 と 呼 ばれていた かつてのイギリ ス 君 主 制 の 下 から 脱 したということで 本 当 に 革 命 的 なことであった しかし 独 立 から25 年 が 経 過 していた ということで 遅 れてきた といわれるのである また 外 見 的 革 命 とも 呼 ばれ ており これは 変 化 は 実 際 には 外 見 的 なものである ということからきている 制 度 的 には イ ギリス 的 な 議 院 内 閣 制 や 小 選 挙 区 制 を 維 持 している この 憲 法 は 高 い 理 想 を 掲 げて 制 定 されたものである 人 民 主 権 と 議 会 の 優 位 とを 非 常 に あるいは 必 要 以 上 に 重 視 したものであった その 結 果 チェック バランス 関 係 は 崩 れ 違 憲 審 査 制 は 廃 止 された これに 代 わり 立 法 前 の 段 階 での 諮 問 制 度 が 導 入 された 公 務 員 は 政 治 の 管 理 下 に 置 かれることになった これは 効 率 性 と 説 明 責 任 とを 目 的 としていたが 結 果 としては 不 公 平 さと 介 入 とを 招 くことになった 憲 法 では スリランカを 単 一 国 家 と 宣 言 していた タミル 人 の 連 邦 主 義 者 は したがってこの 憲 法 に 反 対 していた また 憲 法 では 仏 教 に 第 一 の 地 位 が 与 えられた そのため 宗 教 的 少 数 者 (ヒンドゥー 教 徒 イスラーム 教 徒 キリスト 教 徒 )の 失 望 を 招 いている この 憲 法 は 良 い 面 ももっていた まず 基 本 的 権 利 の 章 が 設 けられた 国 家 政 策 の 指 導 原 則 もまた 導 入 された これらは うまく 起 草 された 包 括 的 な 法 文 であった また 司 法 の 独 立 も 維 持 された 7 第 二 次 共 和 国 憲 法 (1978) 現 行 の 憲 法 である 第 二 次 共 和 国 憲 法 は 第 一 次 共 和 国 憲 法 に 代 わり 制 定 された 名 称 は 同 じ で スリランカ 民 主 社 会 主 義 共 和 国 憲 法 である 第 一 次 共 和 国 憲 法 が 形 式 の 面 でイギリス 的 制 度 からの 脱 却 を 図 ったものだとすれば この 憲 法 は 内 容 の 面 でもそれを 図 ったものだと 言 える この 憲 法 で 大 統 領 制 が 内 閣 制 に 代 わって 導 入 され フランスやアメリカと 同 様 の 制 度 を 設 けた この 憲 法 はまた 比 例 代 表 制 を 初 めて 導 入 し た 憲 法 改 正 手 続 は 議 会 における ₃ 分 の ₂ の 多 数 によることになった 8 現 行 憲 法 の 特 質 社 会 主 義 憲 法 というのは あくまでも 名 目 だけのことである 主 たる 枠 組 みは 自 由 主 義 に 基 づ いており 権 威 主 義 的 な 側 面 も 一 部 には 存 在 している 私 的 所 有 権 私 企 業 市 場 経 済 を 保 護 し 82
ており したがって 社 会 主 義 というのはあくまでも 文 言 上 のことがらに 過 ぎない この 憲 法 は 24の 章 で 構 成 されている いくつかの 章 のタイトルは この 憲 法 の 基 本 的 性 質 と 構 成 に 関 する 考 え 方 を 示 している 構 成 は 次 の 通 りである 人 民 国 家 及 び 主 権 仏 教 基 本 的 権 利 言 語 市 民 権 国 家 政 策 の 指 導 原 則 及 び 国 民 の 義 務 行 政 ( ₃ 章 ) 立 法 ( ₃ 章 ) 国 民 投 票 選 挙 権 及 び 選 挙 司 法 ( ₂ 章 ) 財 政 治 安 議 会 行 政 コミッショナー(オンブズマン) 総 則 ( ₅ 章 ) 9 憲 法 上 の 諸 問 題 憲 法 第 ₂ 条 は スリランカ 共 和 国 は 単 一 の 国 家 である と 規 定 している この 条 文 は 1972 年 憲 法 にもあり スリランカにおいては 連 邦 主 義 を 明 確 に 否 定 したものと 考 えられている 連 邦 主 義 は 少 数 者 であるタミル 人 にとって 強 い 要 望 であった そのため こ うした 条 文 は 良 い 条 文 であるとは 思 われていない たとえ 国 家 が 単 一 のものだとしても 憲 法 に これを 規 定 する 必 要 はない 分 類 学 的 な 記 述 は 憲 法 の 発 展 を 阻 害 する 1987 年 インド スリ ランカ 合 意 の 下 で 県 協 議 会 を 設 置 するための 第 13 次 改 正 がなされた この 草 案 が 最 高 裁 に 持 ち 込 まれたとき 評 決 は ₅ 対 ₄ に 分 かれた このことが この 条 文 の 阻 害 的 な 性 質 を 表 している 仏 教 に 関 する 第 ₂ 章 もまた 議 論 の 的 となっている 第 ₂ 章 は 第 ₉ 条 のみで 構 成 され ス リランカ 共 和 国 は 仏 教 に 第 一 の 地 位 を 与 え これにしたがい 国 は 第 10 条 及 び 第 14 条 aによる 権 利 をすべての 宗 教 に 保 障 するとともに 仏 教 を 保 護 し 促 進 する 義 務 を 負 う と 規 定 している これは 多 宗 教 国 家 では 問 題 となる 条 文 である スリランカでは 74%が 仏 教 徒 で その 他 の 宗 教 の 信 者 は ヒンドゥー 教 徒 が12% イスラーム 教 徒 が ₇ % キリスト 教 徒 が ₇ %となっている この 第 ₉ 条 は 憲 法 の 非 宗 教 的 原 則 と 牴 触 するものである また 現 在 とくに 憲 法 上 問 題 となっているのは 次 に 述 べるような 事 柄 である ( ₁ )スリランカでは 深 刻 な 民 族 紛 争 が 起 こっている この 民 族 問 題 の 原 因 は けっして 最 近 の 83
ものではない この 問 題 は 過 去 ₂ つの 憲 法 が 制 定 された 頃 から 存 在 していたものであった し かし いずれの 憲 法 もこの 民 族 問 題 に 対 処 することに 失 敗 し この 問 題 の 解 決 策 を 呈 示 すること ができなかった その 結 果 1983 年 には 戦 争 状 態 となり 人 的 被 害 や 荒 廃 をもたらした この 問 題 の 解 決 には 新 たな 憲 法 秩 序 の 導 入 が 求 められるであろう ( ₂ ) 現 行 憲 法 は 大 統 領 制 の 憲 法 であり 主 たる 行 政 権 限 は 一 人 の 手 に 委 ねられている こ のことについては 以 前 の 議 院 内 閣 制 又 はそれに 類 似 した 制 度 に 戻 すべきだという 合 意 が 広 く 存 在 している そのことで 民 主 主 義 と 良 い 統 治 とが 強 化 されるであろう ( ₃ ) 現 在 は 完 全 な 比 例 代 表 制 をとっている スリランカは 伝 統 的 に 小 選 挙 区 制 をとってきた この 新 しいシステムは 現 行 憲 法 で 導 入 され 1989 年 から 施 行 されたものである 現 行 憲 法 の 下 では 議 員 は 投 票 者 から 切 り 離 され 彼 らへの 責 任 をほとんど 負 わない 形 になっている この 制 度 の 下 では 単 独 の 政 党 が 議 会 でも 多 数 を 占 め 安 定 した 政 権 を 運 営 していくことが 困 難 になる また 憲 法 改 革 の 障 害 ともなりうる したがって 二 大 政 党 による 合 意 に 基 づき 選 挙 区 制 と 並 立 した 制 度 を 導 入 することが 求 められている 10 2000 年 憲 法 草 案 2000 年 に 憲 法 改 正 への 動 きが 見 られた しかし その 試 みは 失 敗 に 終 わった 2000 年 初 頭 二 大 政 党 が ₂ 月 から ₅ 月 の 数 ヶ 月 間 協 議 し 憲 法 草 案 につき 合 意 がなされた この 草 案 は 良 くでき ていたもので 先 に 述 べた 通 り 浅 野 氏 が 翻 訳 をしている この 草 案 は 手 続 にしたがい 2000 年 ₈ 月 に 議 会 に 提 出 された しかし 政 治 的 理 由 から 野 党 の 抵 抗 を 受 けた 議 会 は 解 散 され 選 挙 が 実 施 されねばならないことになった 政 治 的 対 立 が 頂 点 に 達 したためである 政 治 的 要 因 は 別 にして 手 続 は 現 行 のものにしたがっている それは 厳 格 で 政 治 的 には 閉 鎖 的 なものである これは 正 統 性 の 面 で 問 題 ともなりえ また 憲 法 会 議 へのより 広 範 な 参 加 という 点 でも 問 題 になる 憲 法 改 正 手 続 きは 憲 法 第 12 章 とくに 第 82 条 と 第 83 条 に 規 定 されている 第 82 条 は 憲 法 の いかなる 規 定 の 改 正 又 は 憲 法 の 廃 止 若 しくは 差 し 替 えを 行 うための 法 案 は 全 議 員 の ₃ 分 の ₂ 以 上 の 賛 成 により 法 律 となる というものである また 第 83 条 によれば 憲 法 の 特 定 の 条 文 は 議 会 での ₃ 分 の ₂ 以 上 の 賛 成 とともに 国 民 投 票 での 承 認 を 通 じてのみ 改 正 できることになっている すなわち 新 しい 憲 法 を 現 行 の 手 続 きで 制 定 するためには 議 会 での ₃ 分 の ₂ 以 上 の 多 数 と 国 民 投 票 とが 必 要 にな るのである 憲 法 改 正 手 続 もまた スリランカでは 議 論 の 対 象 になっている 現 行 の 手 続 きを 守 るのか よ り 広 く 参 加 者 を 招 く 憲 法 会 議 を 開 催 するのか あるいは 憲 法 制 定 議 会 を 通 じて 行 うのか という 点 が 問 題 の 焦 点 になっている 84
11 まとめ 以 上 スリランカの 憲 法 史 と 憲 法 改 正 について 概 要 を 述 べたが 詳 細 について 議 論 しきれてい ない 部 分 も 多 くある とくに 今 後 の 憲 法 改 革 の 展 望 について 言 えば 多 民 族 多 文 化 国 家 にお ける 連 邦 制 の 導 入 や 分 権 化 のあり 方 など 検 討 されるべき 課 題 は 多 い また スリランカ 国 内 の 和 平 と 憲 法 のあり 方 とは 密 接 に 関 連 しているものであるので 今 後 の 動 きにも 注 目 していただき たい 85