研究紀要 第17号(横組:定源(王招國)).pdf

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1 国 際 仏 教 学 大 学 院 大 学 研 究 紀 要 第 17 号 ( 平 成 25 年 ) Journal of the International College for Postgraduate Buddhist Studies Vol. XVII, 2013 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 定 源 ( 王 招 國 )

2 国 際 仏 教 学 大 学 院 大 学 研 究 紀 要 第 17 号 平 成 25 年 3 月 1 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 定 源 ( 王 招 國 ) はじめに 中 日 兩 國 は 一 衣 帶 水 の 隣 國 で 長 い 友 好 的 な 交 流 の 歴 史 があるそ の 長 い 歴 史 において 友 好 の 使 者 として 兩 國 の 間 を 往 來 した 佛 教 徒 の 姿 に 注 目 すべきである 日 本 には 奈 良 時 代 から 多 くの 僧 侶 が 波 濤 を 乘 り 越 えて 中 國 に 渡 り 逆 に 中 國 からも 多 くの 渡 來 僧 を 迎 えてきた 鎌 倉 時 代 になる と 入 宋 僧 渡 來 僧 を 通 じて 兩 國 の 佛 教 交 流 は 次 第 に 盛 んになった 入 宋 僧 は 宋 での 滯 在 期 間 も 長 く 各 地 の 名 刹 を 遊 歴 し 當 時 の 高 僧 のもとで 教 學 の 理 解 に 努 めたことによって 宋 代 の 佛 教 々 團 において 高 い 評 價 を 得 る ものも 現 れた 宋 における 日 本 僧 の 活 躍 は 中 國 佛 教 史 のみならず 日 本 佛 教 史 上 においても 重 視 すべきである 三 百 十 餘 年 の 歴 史 をもつ 宋 代 は 北 宋 ( )と 南 宋 ( ) に 分 かれている 北 宋 期 は 日 本 平 安 朝 の 藤 原 氏 全 盛 期 にあたり 南 宋 期 は 武 士 の 興 隆 期 となった 鎌 倉 前 期 に 相 當 する 周 知 のように 北 宋 期 におい て 日 本 側 は 海 外 に 出 ることを 禁 じ 一 種 の 鎖 國 時 代 ともいえるので 兩 國 の 交 通 はほぼ 宋 の 商 船 に 限 られていた 當 時 中 國 に 渡 った 入 宋 僧 は 僅 かに 奝 然 ( ) 寂 照 ( 生 卒 年 未 詳 ) 成 尋 ( )などに 過 ぎなか ったしかしながら 南 宋 期 になって 特 に 南 宋 中 期 から 兩 國 の 間 に 積 極 的 な 友 好 政 策 が 展 開 し 入 宋 僧 の 數 は 前 期 に 比 べて 何 倍 も 増 えてきたの である 1 本 稿 で 取 り 上 げる 俊 芿 ( )は 南 宋 中 期 に 入 宋 した 日 本 僧 で 1 木 宮 泰 彦 日 華 文 化 交 流 史 ( 冨 山 房 1955 年 5 月 ) 北 宋 時 代 における 入 宋 僧 一 覧 表 (20 人 )と 南 宋 時 代 における 入 宋 僧 一 覧 表 (109 人 ) 參 照 この 數 は 木 宮 氏 が 言 われたように 寓 目 したもののみ であるから この 他 にもなお 多 數 あったことは 言 うまでもない 216

3 2 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) あり 歸 國 後 京 都 泉 涌 寺 を 開 山 し 新 しい 宋 代 佛 教 を 取 り 入 れ 特 に 律 學 の 宣 揚 に 力 を 注 ぎ 鎌 倉 佛 教 において 北 京 律 の 開 祖 として 高 く 評 價 され ている 俊 芿 は 三 十 四 歳 で 入 宋 し その 滯 在 はおよそ 十 二 年 に 及 んだその 期 間 はほぼ 同 時 期 に 入 宋 した 榮 西 ( 二 回 約 五 年 ) 道 元 ( 約 五 年 ) 圓 爾 ( 約 五 年 )と 比 べ 最 も 長 かったのである 俊 芿 の 六 十 一 年 の 生 涯 は 概 ね 入 宋 前 宋 地 滯 在 歸 國 後 の 三 期 に 大 別 することができる 三 期 のうち 四 十 六 歳 で 歸 國 してからの 活 躍 は 鎌 倉 佛 教 の 研 究 において 特 筆 すべきであるが 宋 地 滯 在 の 行 歴 も 無 視 することができないだろうただし 俊 芿 に 關 する 先 行 研 究 については 多 くの 論 考 は 彼 の 歸 國 後 の 活 動 に 着 目 しており 宋 地 滯 在 の 動 向 については 十 分 に 注 目 されていなかったようである 2 しか し 俊 芿 の 最 も 早 い 傳 記 資 料 とされている 信 瑞 撰 の 泉 涌 寺 不 可 棄 法 師 傳 ( 寛 元 二 年 (1244) 成 立 以 下 不 可 棄 傳 と 略 稱 )は 宋 地 滯 在 の 記 事 が 全 體 の 半 分 近 くを 占 めており 俊 芿 の 入 宋 とその 成 果 は 後 世 において 極 めて 重 要 視 されているまた 俊 芿 渡 宋 の 行 歴 に 關 して 南 宋 から 明 代 までに 成 立 した 中 國 文 獻 においても 幾 つかの 貴 重 な 記 述 が 散 見 される 3 本 稿 では 俊 芿 の 傳 歴 を 全 面 的 に 理 解 するため 中 日 兩 國 の 文 獻 を 取 り 上 げ 俊 芿 渡 宋 の 行 歴 に 絞 って 檢 討 を 試 みたい 一 俊 芿 入 宋 の 目 的 とその 時 代 背 景 俊 芿 入 宋 の 目 的 については 從 來 不 可 棄 傳 にいう 至 三 十 有 三 謂 二 三 子 曰 爲 傳 律 欲 渡 宋 朝 4 によって 戒 律 のため 入 宋 したと 言 われ 2 俊 芿 に 關 する 先 行 研 究 について 高 雄 義 堅 不 可 棄 法 師 俊 芿 の 入 宋 に 就 いて ( 支 那 佛 教 史 學 第 5 號 1942 年 )をはじめ 少 なくとも 40 餘 篇 の 論 文 を 擧 げる ことができるそのうち 石 田 充 之 編 鎌 倉 佛 教 成 立 の 研 究 衾 俊 芿 律 師 ( 法 藏 館 1972 年 )の 一 書 には 17 篇 の 論 考 が 收 められており 俊 芿 研 究 の 大 集 成 とも 言 える 3 俊 芿 に 關 する 記 述 は 中 國 の 資 料 にも 幾 つか 殘 されているこれらを 列 舉 して みると 次 の 如 くである1 宋 宗 鑑 釋 門 正 統 2 宋 志 磬 佛 祖 統 紀 3 宋 北 礀 居 簡 北 礀 集 4 宋 妙 蓮 蓬 折 箴 5 宋 了 然 等 俊 芿 律 宗 問 答 6 宋 守 一 終 南 家 業 7 宋 樓 鑰 攻 媿 集 8 宋 楊 簡 慈 湖 遺 書 9 元 盛 如 梓 老 學 叢 談 10 明 克 勤 書 215

4 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 3 ている 問 題 は なぜ 戒 律 のために 入 宋 したのかであるこれに 關 して まず 俊 芿 入 宋 前 の 修 學 情 況 當 時 の 時 代 背 景 特 に 戒 律 の 状 況 をすこし 考 える 必 要 がある 俊 芿 は 仁 安 元 年 (1166) 八 月 十 日 肥 後 國 飽 田 郡 甘 木 莊 ( 現 在 の 熊 本 縣 上 益 城 益 城 町 甘 木 )に 生 まれ 父 の 名 は 不 明 母 は 藤 原 氏 の 出 であった 生 まれて 三 日 目 に 道 に 捨 てられたことから 不 可 棄 と 號 した 5 七 歳 か ら 佛 典 を 讀 み 始 め 十 歳 のとき 吾 平 山 の 學 頭 禪 坊 莊 嚴 から 法 華 經 を 授 けられた 十 四 歳 になって 飯 田 山 ( 現 在 の 益 城 町 ) 常 樂 寺 の 眞 俊 法 師 6 に 師 事 し 十 八 歳 で 正 式 に 得 度 した 翌 年 文 治 元 年 (1185) 四 月 八 日 十 九 歳 で 大 宰 府 觀 音 寺 において 具 足 戒 を 受 けた 十 四 歳 から 十 九 歳 にかけて 主 に 眞 俊 のもとで 天 台 密 教 の 教 理 を 刻 苦 勉 學 し 年 少 にもかかわらず 眞 俊 撰 の 秘 密 莊 嚴 記 百 卷 の 筆 録 を 任 せられたという 7 眞 俊 の 示 寂 後 その 法 弟 である 相 俊 に 師 事 して 引 き 續 き 天 台 密 教 を 學 び その 奥 義 を 傳 授 された 實 際 に 俊 芿 は 天 台 と 密 教 を 勉 學 しながら 律 の 教 學 にも 志 を 向 けたこ とになる 不 可 棄 傳 に 曁 二 十 七 歳 喟 然 歎 曰 生 死 難 斷 輪 轉 無 窮 若 不 戒 行 專 精 如 何 證 菩 提 8 4 大 日 佛 書 115 p 不 可 棄 傳 師 曽 語 曰 十 八 部 主 中 有 大 不 可 棄 彼 生 已 即 棄 大 池 中 魚 鼈 戴 之 三 日 不 死 人 奇 收 養 我 被 棄 事 似 彼 相 故 自 號 不 可 棄 參 照 ( 大 日 佛 書 115 p. 519) 6 常 樂 寺 の 眞 俊 について 叡 山 西 塔 院 の 東 陽 座 主 で 天 台 密 教 者 である 谷 の 阿 闍 梨 皇 慶 四 代 の 法 孫 であった 忠 尋 ( )から 天 台 教 學 を 受 け 不 可 棄 傳 には 顯 密 兼 學 大 小 並 達 と 記 述 されている 田 中 恵 春 氏 天 台 座 主 東 陽 房 忠 尋 師 傳 考 參 照 ( 大 崎 學 報 年 pp ) 7 不 可 棄 傳 撰 秘 密 莊 嚴 記 一 百 卷 法 師 雖 少 年 掌 執 筆 事 參 照 ( 大 日 佛 書 115 p. 519) 8 大 日 佛 書 115 p

5 4 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) と 述 べられている 即 ち 二 十 七 歳 になって 戒 行 に 專 念 しなければ い かに 菩 提 を 證 し 得 るかと 歎 き 禁 戒 の 修 行 を 志 したことになるその 後 二 十 九 歳 までの 二 年 間 南 北 二 京 いわゆる 奈 良 と 京 都 を 往 復 して 大 小 乘 の 戒 律 を 尋 ねていた 凝 然 ( ) 撰 の 東 大 寺 圓 照 上 人 行 状 の 卷 中 に 昔 俊 芿 法 師 來 至 南 都 値 勝 願 院 蓮 迎 上 人 聽 行 事 鈔 後 往 大 宋 値 如 庵 了 宏 律 師 大 傳 律 藏 9 とあるこれによって 入 宋 前 の 俊 芿 は 南 都 ( 奈 良 )において 勝 願 院 の 蓮 迎 上 人 から 唐 の 道 宣 ( ) 四 分 律 行 事 鈔 を 學 んだことが 分 かる 俊 芿 が 南 都 において 中 國 の 律 學 を 研 修 したことは 後 に 入 宋 の 意 志 を 固 め た 契 機 の 一 つとなった 可 能 性 がある なお 俊 芿 は 南 北 二 京 を 往 來 して 戒 律 を 研 鑽 したが なかなか 滿 足 でき ず ついに 二 十 九 歳 で 故 郷 の 肥 後 に 歸 り 筒 嶽 ( 現 在 の 熊 本 縣 荒 尾 市 附 本 町 ) に 正 法 寺 を 建 て 坐 禪 勤 行 を 重 ねたほか 僧 徒 や 在 家 者 に 菩 薩 戒 を 授 け たのである 三 十 歳 の 時 密 教 作 法 を 行 い 不 動 明 王 を 祈 願 して 大 檀 那 で あった 秦 小 大 夫 の 娘 の 病 氣 を 治 したこともあった 10 要 するに 入 宋 前 の 俊 芿 は 律 學 を 勉 強 しながら 天 台 や 密 教 を 併 修 したことが 窺 い 知 られる 俊 芿 の 入 宋 前 は いわゆる 鎌 倉 前 期 にあたり 當 時 は 奈 良 と 京 都 におけ る 律 學 の 傳 統 は 必 ずしも 一 致 していなかったようである 周 知 のように 鑑 眞 ( )が 唐 の 天 寳 十 二 年 (753)に 日 本 に 渡 來 し 翌 年 道 宣 の 戒 壇 圖 經 によって 東 大 寺 に 戒 壇 を 設 け 具 足 戒 を 授 けたのであるのち に 唐 招 提 寺 を 建 立 して 主 に 道 宣 の 南 山 律 宗 という 律 學 を 宣 揚 したつまり 南 都 における 律 學 は 唐 僧 鑑 眞 の 影 響 によって 奈 良 の 東 大 寺 と 唐 招 提 寺 を 據 9 凝 然 撰 東 大 寺 圓 照 上 人 行 状 東 大 寺 教 學 部 編 1977 年 p 二 十 九 歸 于 本 國 蟄 居 筒 嶽 伐 拂 松 杉 芟 夷 荊 棘 建 一 伽 藍 號 正 法 寺 二 時 坐 禪 三 時 勤 行 ( 中 略 ) 又 檀 那 當 國 在 廰 秦 小 大 夫 娘 生 年 十 九 腹 病 彌 留 ( 中 略 ) 法 師 獨 演 說 不 動 明 王 能 延 六 月 ( 中 略 ) 病 苦 遂 愈 身 心 爽 淑 父 母 愉 悅 將 歸 于 家 參 照 ( 大 日 佛 書 115 pp ) 213

6 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 5 點 とし 主 に 四 分 律 による 道 宣 の 南 山 律 を 重 視 する 傳 統 を 持 ったこと になる 一 方 北 京 の 場 合 は 入 唐 の 經 驗 を 持 つ 最 澄 ( )によっ て 菩 薩 戒 本 の 梵 網 經 に 基 づいて 大 乘 圓 頓 戒 壇 の 獨 立 を 宣 言 した 最 澄 の 立 場 は 梵 網 經 に 説 く 戒 律 だけで 僧 の 資 格 が 十 分 備 わることを 主 張 し 戒 律 條 規 の 形 式 に 拘 らず 大 乘 の 精 神 を 重 視 した 更 に 四 分 律 を 中 心 とした 南 都 の 自 利 的 な 小 乘 律 を 痛 烈 に 批 判 したこともある 實 は 平 安 末 期 まで いちおう 大 小 戒 律 の 條 規 に 從 っていたが 戒 律 の 詳 細 的 な 實 踐 方 法 を 知 らず 戒 制 行 儀 に 對 する 解 説 の 見 解 にも 分 岐 を 生 じたのである 例 え ば 無 住 ( ) 撰 の 沙 石 集 ( 弘 安 二 年 (1279) 成 立 ) 第 三 律 學 者 之 學 與 行 相 違 セリ 事 の 項 には 唐 龍 興 寺 ノ 鑑 眞 和 尚 聖 武 天 皇 御 宇 ( 本 ) 朝 來 テ 南 都 ノ 東 大 寺 鎮 西 ノ 觀 音 世 寺 下 野 ノ 藥 師 寺 三 ノ 戒 壇 ヲ 立 給 シ 毘 尼 ノ 正 法 ヲヒ ロメ 如 法 ノ 受 戒 ヲ 始 メ 行 セシカトモ 時 キウツリ 儀 スタレテ 中 古 ヨリ 只 受 戒 トイヒテ 諸 國 ヨリ 上 アツマリ 戒 壇 ハシリメクリタル 計 テ 大 小 ノ 戒 相 モシラス 化 制 ノ 行 儀 モ 辯 ス 11 と 指 摘 されているこのように 當 時 の 僧 團 において 僧 侶 らが 興 に 乘 じて 戒 律 を 守 らないという 事 態 が 生 じ 戒 律 の 條 規 は 次 第 に 形 式 化 して 衰 微 し ていった 同 集 第 三 は 次 のように 傳 えている 戒 行 ヲ 守 ルト 雖 モ 涅 槃 ヲ 期 セスシテ 渡 世 ヲ 意 トスル 故 也 此 ノ 人 供 養 ヲ 受 クヘカラスト 云 ヘリマシテ 破 戒 無 慚 ニシテ 出 家 ノ 形 トシ テ 解 脱 ヲ 期 セサリカ 空 ク 供 養 ヲウルヲハ 賊 分 齋 トテ 賊 分 ト 云 ヘ リ 或 禿 居 士 トモナツク 袈 裟 ヲキタル 獵 師 トモ 云 ヘリ 悲 シカルヘキ 末 代 也 土 屋 由 里 子 内 閣 文 庫 藏 沙 石 集 翻 刻 と 研 究 笠 間 書 院 2003 年 3 月 p. 127また 凝 然 撰 東 大 寺 圓 照 上 人 行 狀 に 然 震 旦 古 來 解 四 分 律 將 二 十 家 傳 日 域 者 智 首 法 礪 懷 素 三 家 現 行 于 世 定 賓 律 師 唯 釋 礪 疏 講 師 聽 衆 於 三 家 疏 各 隨 所 樂 料 簡 律 文 參 照 ( 東 大 寺 教 學 部 編 1977 年 p. 2) 212

7 6 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) こうした 状 況 を 受 けて 當 時 の 佛 教 界 では 實 に 戒 律 復 興 の 動 きが 見 られ たこともあった 例 えば 實 範 (? 1144)は 多 くの 戒 律 著 作 をなし 南 都 の 中 川 寺 と 興 福 寺 を 中 心 に 戒 法 を 復 興 した 13 實 範 の 戒 法 復 興 への 志 は 興 福 寺 の 藏 俊 そして 藏 俊 からその 弟 子 覺 憲 および 貞 慶 まで 受 け 繼 がれ ていった 14 このように 鎌 倉 時 代 における 戒 律 状 況 はようやく 復 興 の 兆 しが 見 えてきたようである 先 にも 触 れたように 俊 芿 は 二 十 七 歳 から 二 十 九 歳 までの 二 年 間 南 北 兩 京 を 往 復 し 特 に 南 京 における 勝 願 院 の 蓮 迎 上 人 のもとで 四 分 律 行 事 鈔 を 聽 講 したが 當 時 の 佛 教 々 團 における 僧 侶 生 活 は 物 質 的 享 樂 を 求 め 墮 落 の 一 途 をたどったのが 事 實 であるこれは 戒 行 に 專 念 した 俊 芿 にとっ て 戒 律 のための 入 宋 志 願 を 一 層 固 くさせる 要 因 となったこのように 俊 芿 入 宋 の 目 的 は ほぼ 同 時 期 に 入 宋 した 榮 西 道 元 など 禪 僧 らと 比 べて 見 ると 極 めて 異 なっており ある 意 味 で 當 時 の 實 情 の 一 面 を 反 映 したと いえよう また 俊 芿 入 宋 の 念 願 を 實 現 した 背 景 には 當 時 の 宋 日 兩 國 間 の 交 通 を 無 視 することができない 北 宋 の 初 め 太 宗 の 時 期 ( )から 杭 州 に 兩 浙 市 舶 司 を 設 置 して 海 外 貿 易 を 統 制 した 眞 宗 の 咸 平 二 年 (999) 九 月 杭 州 と 明 州 にそれぞ れ 市 舶 司 を 増 置 したが 神 宗 の 元 豊 三 年 (1080)になって 日 本 への 商 船 を 明 州 舶 司 の 管 轄 に 限 定 した 當 時 日 本 では 海 外 に 出 ることは 禁 じられ ていたが 二 年 ごとの 貿 易 通 航 が 許 可 されたようであるそのため 北 宋 期 の 入 宋 僧 は 大 體 商 船 を 通 じて 中 國 に 渡 り 五 臺 山 天 台 山 などの 聖 地 を 巡 禮 したのが 殆 どである 12 土 屋 由 里 子 内 閣 文 庫 藏 沙 石 集 翻 刻 と 研 究 ( 笠 間 書 院 2003 年 3 月 pp ) 13 凝 然 撰 東 大 寺 圓 照 上 人 行 狀 に 保 安 三 年 壬 寅 鑑 眞 和 尚 來 朝 已 後 惣 經 三 百 七 十 一 年 其 時 中 川 本 願 實 範 上 人 酬 興 福 寺 西 金 堂 衆 欣 西 大 德 之 請 廣 撿 律 藏 專 依 律 抄 造 戒 壇 式 一 卷 製 別 解 脫 一 軸 中 興 戒 法 參 照 ( 東 大 寺 教 學 部 編 1977 年 p. 2) 14 アジア 佛 教 史 日 本 編 V 鎌 倉 佛 教 3 第 三 章 南 都 佛 教 の 復 興 戒 律 の 廢 頽 參 照 ( 佼 成 出 版 社 1972 年 pp ) 211

8 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 7 ところが 南 宋 期 になって 兩 國 の 間 に 積 極 的 な 友 好 政 策 を 展 開 してお り 宋 日 の 交 通 が 再 び 活 潑 になってきたしかし 日 本 との 直 接 貿 易 地 と しては 北 宋 と 同 じく 兩 浙 の 地 方 に 限 られていた 南 宋 の 高 宗 期 ( )には 兩 浙 の 市 舶 司 が 秀 州 華 亭 縣 に 置 かれ 杭 州 明 州 温 州 江 陰 軍 ( 現 在 の 江 蘇 常 州 市 江 陰 縣 )の 四 つの 市 舶 司 が 統 轄 されたことになる 光 宗 の 紹 熙 元 年 (1190)には 杭 州 の 市 舶 司 が さらに 寧 宗 の 慶 元 元 年 (1195)に 温 州 秀 州 江 陰 軍 の 市 舶 司 が 廢 され 殘 るのは 明 州 の 市 舶 司 だけとなった 宋 史 卷 四 百 九 十 一 の 記 事 によれば 淳 熙 三 年 (1176) に 日 本 船 が 明 州 に 漂 着 し 淳 熙 十 年 (1183)には 日 本 人 七 十 三 名 が 秀 州 に 着 き 紹 熙 四 年 (1193)には 同 じ 秀 州 また 泰 州 に 到 着 した 日 本 人 があっ たという 15 一 方 南 宋 期 にあたる 日 本 側 では ちょうど 平 氏 の 政 權 から 鎌 倉 時 代 に 移 り 民 間 の 自 由 貿 易 が 認 められ 貿 易 港 として 前 期 と 同 様 筑 前 の 博 多 津 が 主 要 な 役 割 を 担 ったのである 俊 芿 は 入 宋 の 際 弟 子 の 安 秀 長 賀 とと もに 商 人 莊 次 郎 の 商 船 に 乘 って 博 多 津 を 出 港 し およそ 半 月 かかって 常 州 の 江 陰 軍 に 着 いたのである 先 にも 触 れたように 慶 元 元 年 (1195) 以 降 兩 浙 の 市 舶 司 は 明 州 の 貿 易 港 のみとされたが 俊 芿 入 宋 の 場 合 をみ ると 實 際 に 例 外 もあったことが 認 められ この 事 實 は 注 意 すべきである 俊 芿 入 宋 の 時 期 は 宋 室 南 渡 (1127) 後 の 七 十 二 年 にあたり 南 宋 中 期 と 言 ってもよいこの 期 間 宋 日 の 通 商 が 更 に 盛 んとなり それに 伴 って 當 時 入 宋 した 日 本 僧 の 數 は 以 前 より 格 段 に 増 加 していったそれと 同 時 に 南 宋 から 日 本 に 渡 航 する いわゆる 中 國 の 渡 來 僧 も 現 れてきた 16 要 する に 宋 日 間 の 頻 繁 な 交 通 は 俊 芿 入 宋 の 悲 願 を 果 たす 有 利 な 條 件 となった わけである 15 ( 淳 熙 ) 三 年 風 泊 日 本 舟 至 明 州 ( 中 略 ) 十 年 日 本 七 十 三 人 復 飄 至 秀 州 華 亭 縣 給 常 平 義 倉 錢 米 以 振 之 紹 熙 四 年 泰 州 及 秀 州 華 亭 縣 復 有 倭 人 爲 風 所 泊 而 至 と 見 える( 二 十 五 史 36 宋 史 臺 灣 藝 文 印 書 館 1967 年 p. 5866) 16 木 宮 泰 彦 日 華 文 化 交 流 史 の 來 朝 宋 僧 一 覧 表 (14 人 ) 參 照 ( 冨 山 房 1955 年 5 月 pp ) 210

9 8 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 二 南 宋 において 遊 學 した 寺 院 周 知 のように 京 都 泉 涌 寺 は 俊 芿 によって 創 建 された 伽 藍 であるその 創 建 にあたり 承 久 元 年 (1219) 十 月 俊 芿 の 手 による 造 泉 涌 寺 勸 進 疏 には 次 のように 記 されている 俊 芿 去 建 久 末 年 志 道 度 大 洋 在 唐 一 紀 遊 學 積 歳 歸 朝 九 春 守 (ママ) 拙 從 容 事 不 獲 已 將 遂 宿 懷 所 以 親 臨 中 華 之 寺 模 兼 尋 西 幹 之 古 風 建 立 伽 藍 之 依 規 17 建 久 末 年 ( 正 治 元 年 ) 南 宋 慶 元 五 年 (1199)に 俊 芿 は 佛 法 を 志 して 入 宋 し 一 紀 ( 十 二 年 )にわたって 遊 學 した 歸 國 の 九 年 後 渡 宋 の 宿 志 をは たすため 中 華 ( 宋 ) 寺 院 の 様 式 に 基 づき さらに 西 乾 18 の 古 風 を 探 り 泉 涌 寺 を 建 立 した 不 可 棄 傳 で 親 模 大 宋 儀 則 者 唯 此 一 寺 而 已 19 と 指 摘 されたように 泉 涌 寺 の 儀 則 はかなり 宋 代 寺 院 に 倣 ったものであった 20 それでは 俊 芿 は 宋 地 滯 在 の 間 にどのような 寺 院 を 遊 學 したのか 北 宋 期 の 入 宋 僧 と 違 い 南 宋 期 の 入 宋 僧 はほとんど 五 臺 山 などの 北 方 へ 赴 こうとしても 結 局 志 が 果 たされず 南 方 の 天 台 山 を 中 心 にして 兩 浙 17 泉 涌 寺 史 資 料 篇 ( 法 藏 館 1981 年 p. 6) 18 明 の 元 賢 撰 禪 林 疏 語 考 證 巻 一 に 事 苑 を 引 いて 西 乾 即 天 竺 國 五 印 土 或 云 西 天 と 見 える( 續 藏 經 112 p. 797) 19 大 日 佛 書 115 p その 中 宋 代 寺 院 の 十 六 觀 堂 が 泉 涌 寺 に 建 立 されたことについては 既 に 高 雄 義 堅 氏 と 小 川 貫 弌 氏 の 論 考 がある 高 雄 氏 不 可 棄 法 師 俊 芿 の 入 宋 に 就 いて ( 支 那 佛 教 史 學 年 ) 參 照 小 川 氏 十 六 觀 堂 とその 實 踐 ( 小 笠 原 宮 崎 兩 博 士 華 甲 記 念 史 學 論 集 龍 谷 大 學 史 學 會 1966 年 ) 參 照 それ 以 外 に 宋 儀 則 の 泉 涌 寺 への 影 響 として 注 目 すべきなのは 泉 涌 寺 における 宋 代 寺 院 の 三 世 佛 制 轉 輪 寶 藏 建 立 である 三 世 佛 制 の 場 合 は 泉 涌 寺 殿 堂 房 寮 色 目 において 右 佛 殿 者 安 置 釋 迦 過 去 佛 丈 六 彌 陀 現 在 佛 丈 六 彌 勒 未 來 佛 丈 六 三 世 之 教 主 以 爲 一 寺 崇 仰 之 本 尊 也 大 唐 諸 寺 並 皆 如 此 寶 輪 法 藏 の 場 合 は 右 輪 藏 者 安 置 唐 本 一 切 經 於 八 角 輪 層 之 中 若 有 人 一 轉 此 藏 則 擬 轉 讀 一 切 經 一 藏 也 起 自 梁 傅 大 士 彌 勒 化 身 也 利 生 之 門 至 今 宋 朝 以 爲 盛 矣 とある 209

10 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 9 路 の 境 内 で 參 學 した 理 由 は 宋 室 南 渡 の 後 北 方 が 戰 乱 の 地 となったこと によるだろう 南 宋 における 俊 芿 の 足 蹟 については 不 可 棄 傳 では 遊 兩 浙 名 境 と 述 べられているこの 兩 浙 名 境 は 元 亨 釋 書 では 兩 浙 名 藍 21 となっており 即 ち 兩 浙 22 の 名 刹 を 遍 遊 したことを 意 味 して いる 以 下 では 俊 芿 が 遊 學 した 寺 院 所 謂 兩 浙 の 名 藍 を 檢 討 してみたい ( 一 ) 天 台 山 の 寺 院 天 台 山 といえば 國 清 寺 を 始 め 多 くの 寺 院 があり 天 台 宗 の 本 據 地 とし て 知 られている 從 來 北 方 の 五 臺 山 とともに 唐 宋 時 代 において 空 海 最 澄 圓 仁 圓 珍 成 尋 重 源 など 日 本 僧 が 訪 れた 聖 なる 巡 禮 地 の 一 つで ある 天 台 山 の 寺 院 と 日 本 僧 の 關 係 は すでに 齋 藤 忠 氏 23 によって 詳 しく 論 考 されているここでは 齋 藤 氏 の 研 究 を 踏 まえ 不 可 棄 傳 の 記 録 に より 俊 芿 の 歴 訪 した 天 台 山 の 寺 院 を 紹 介 したい 南 宋 における 俊 芿 の 足 蹟 を 考 察 すると 少 なくとも 三 回 にわたって 天 台 山 を 訪 れたことがあり 計 一 年 ほど 天 台 山 に 滯 在 したことが 知 られる 慶 元 五 年 (1199) 五 月 俊 芿 が 商 船 で 常 州 の 江 陰 軍 に 着 いた 直 後 都 の 杭 州 を 經 由 して まず 天 台 山 に 參 詣 し 石 橋 の 五 百 羅 漢 に 茶 を 以 って 供 養 した 天 台 山 の 石 橋 は 石 が 橋 のように 斷 崖 にまたがっており 山 中 の 景 勝 地 の 一 つであるそこには 瀑 布 寺 ( 石 梁 寺 ) 24 という 寺 院 があり 從 來 五 百 21 大 日 佛 書 115 p 兩 浙 とは 宋 史 卷 八 十 八 地 理 志 第 四 十 一 ( 二 十 五 史 31 宋 史 二 臺 灣 藝 文 印 書 館 1967 年 p. 1072)によれば 北 宋 の 神 宗 熙 寧 七 年 (1074)に 浙 東 路 と 浙 西 路 に 分 けられ その 後 合 わせて 一 路 とされた 南 宋 期 になって 浙 西 路 には 帝 都 臨 安 ( 杭 州 )をはじめ 平 江 鎮 江 嘉 興 の 四 府 安 吉 常 嚴 の 三 州 江 陰 の 一 軍 が 含 まれ 浙 東 路 には 紹 興 慶 元 瑞 安 の 三 府 婺 台 衢 處 の 四 州 が 含 まれたその 地 域 の 範 圍 は 現 在 浙 江 省 の 全 域 上 海 及 び 江 蘇 省 の 一 部 に 相 當 する 23 齋 藤 忠 中 國 天 台 山 諸 寺 院 の 研 究 ( 第 一 書 房 1999 年 pp )の 第 四 章 には 天 台 山 と 俊 芿 の 一 節 がある 24 道 宣 撰 續 高 僧 傳 卷 二 十 九 に 隋 天 台 山 瀑 布 寺 慧 達 傳 と 見 える( 大 正 藏 208

11 10 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 羅 漢 の 應 身 地 としてよく 知 られている 天 台 山 における 五 百 羅 漢 は 唐 代 か ら 寒 山 拾 得 の 物 語 によって 中 國 社 會 において 根 強 く 信 仰 されている 俊 芿 以 前 に 入 宋 した 日 本 僧 の 成 尋 は 天 台 山 を 訪 れた 時 俊 芿 と 同 じく 茶 を 以 って 五 百 羅 漢 に 供 養 したと 傳 えられる 25 俊 芿 は 天 台 山 の 五 百 羅 漢 に 供 養 し 暫 くして 四 明 の 雪 竇 中 巖 に 移 ったこれは 初 回 目 の 登 山 である 二 回 目 の 天 台 山 の 歴 訪 について 不 可 棄 傳 では 次 のように 記 述 して いる 又 嘉 泰 二 年 十 月 初 五 日 離 四 明 去 到 天 台 山 道 猷 開 山 赤 城 寺 過 一 冬 同 三 年 春 到 佛 隴 智 者 塔 院 旦 歇 四 月 初 五 日 到 天 台 隱 居 銀 地 道 場 佛 隴 大 慈 寺 結 夏 安 居 26 俊 芿 が 再 び 天 台 山 に 登 った 時 は 初 回 から 二 年 五 ヵ 月 後 嘉 泰 二 年 (1202) 十 月 五 日 であった 今 回 俊 芿 が 遊 歴 したところは 赤 城 寺 智 者 塔 院 佛 隴 大 慈 寺 の 三 つの 寺 院 であることが 確 認 できた 赤 城 寺 は 道 猷 27 によって 開 山 され 山 名 に 因 んで 寺 名 とした 道 猷 以 降 章 安 灌 頂 ( ) 荊 溪 湛 然 ( )が 歴 住 し 天 台 教 學 の 傳 統 をもつ 寺 院 として 有 名 である 嘉 泰 二 年 (1202) 十 月 俊 芿 は 四 明 を 離 れて 天 台 山 に 登 り 最 初 に 赤 城 寺 に 一 冬 ( 三 ヵ 月 )ほど 住 居 した 翌 年 嘉 泰 三 年 (1203)の 春 赤 城 寺 より 近 くの 智 者 塔 院 に 赴 き 暫 く 滯 在 して 同 年 四 月 五 日 に 銀 地 道 場 と 呼 ばれている 佛 隴 の 大 慈 寺 に 移 り 結 夏 安 居 に 參 加 した 智 者 塔 院 は 天 台 宗 の 開 祖 であった 智 顗 ( )の 眞 身 舎 利 を 安 置 したところであり 眞 覺 寺 とも 稱 する 智 顗 が 開 創 した 天 台 宗 は 50 pp. 694ab) 25 辰 時 參 石 橋 以 茶 供 羅 漢 とある 平 林 文 雄 參 天 台 五 臺 山 記 衾 校 本 並 に 研 究 衾 ( 風 間 書 房 1978 年 p. 32) 26 大 日 佛 書 115 p 道 猷 の 傳 記 については 高 僧 傳 卷 十 一 法 苑 珠 林 卷 三 十 九 などの 資 料 が 見 出 せる 道 猷 の 生 卒 年 は 未 詳 であるが 西 晉 期 敦 煌 の 人 曇 猷 あるいは 法 猷 と もいい 幼 年 から 苦 行 して 禪 定 を 學 び 南 方 に 移 って 剡 州 ( 現 在 の 浙 江 嵊 州 市 )の 石 城 山 に 止 住 し のち 天 台 赤 城 山 に 赴 き 石 室 を 築 いて 坐 禪 したと 傳 えられている 207

12 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 11 日 本 佛 教 へ 重 大 な 影 響 を 與 えたので 天 台 山 に 登 った 日 本 僧 の 殆 どが 智 者 塔 院 まで 訪 れている また 大 慈 寺 について 嘉 定 赤 城 志 卷 二 十 八 教 院 の 項 に 天 台 教 學 の 寺 院 として 著 録 されている 南 北 朝 の 齊 の 中 興 二 年 (502)に 建 て られ 隋 代 になって 修 禪 寺 と 謂 い 國 清 寺 の 創 建 後 寺 を 改 めて 道 場 28 と なった 唐 代 になって 禪 林 寺 を 改 め 白 色 の 土 地 に 因 んで 銀 地 道 場 と 稱 される 唐 末 の 會 昌 廢 佛 で 破 壊 され 咸 通 八 年 (867)に 再 建 された 29 宋 大 中 祥 符 元 年 (1008) 七 月 今 の 寺 額 を 下 賜 されたという 30 今 回 天 台 山 に 登 った 俊 芿 の 主 な 活 動 は やはり 大 慈 寺 で 行 われた 結 夏 安 居 に 參 加 したことである 結 夏 安 居 とは そもそもインドの 佛 教 徒 が 四 月 十 五 日 から 七 月 十 五 日 までの 三 ヵ 月 の 雨 季 の 間 洞 窟 や 寺 院 に 籠 もり 修 行 に 專 心 した 行 事 の 一 つである 中 國 佛 教 の 寺 院 ではそれを 繼 承 して 年 中 の 行 事 としてほぼ 毎 年 行 われている 明 の 田 汝 成 西 湖 遊 覧 志 餘 卷 十 四 に 宋 時 僧 家 以 四 月 十 五 日 結 制 安 居 刹 院 不 敢 起 單 雲 遊 ( 中 略 ) 至 七 月 十 五 日 設 齋 解 制 謂 之 法 歳 周 圓 31 といったように 宋 代 寺 院 の 結 夏 安 居 は 傳 統 と 同 じ 四 月 十 五 日 から 禁 足 し 28 寺 を 道 場 と 爲 したのは 恐 らく 唐 の 梁 肅 撰 台 州 隋 故 智 者 大 師 修 禪 道 場 碑 銘 の 陳 朝 崇 之 置 寺 曰 修 禪 及 隋 建 國 清 廢 修 禪 號 爲 道 場 によるものである 台 州 金 石 録 卷 一 石 刻 資 料 新 編 15 新 文 豊 出 版 p 大 慈 寺 の 歴 史 については 嘉 定 赤 城 志 卷 二 十 八 に 舊 經 云 齊 中 興 二 年 建 蓋 顗 思 修 初 地 及 定 光 授 記 銀 地 之 所 定 光 所 居 號 金 地 此 號 銀 地 皆 以 土 色 名 之 ( 中 略 ) 隋 剏 國 淸 乃 更 寺 爲 道 場 唐 會 昌 中 廢 咸 通 八 年 重 建 國 朝 大 祥 符 元 年 改 今 額 其 法 堂 曰 淨 名 以 顗 嘗 講 是 經 故 也 參 照 ( 宋 元 方 志 叢 刊 7 中 華 書 局 1990 年 p. 7498) 30 成 尋 參 天 台 五 臺 山 記 卷 一 に 大 宋 三 朝 大 中 祥 符 元 年 戊 申 七 月 初 三 日 辛 酉 敕 改 禪 林 寺 名 大 慈 寺 參 照 平 林 文 雄 參 天 台 五 臺 山 記 衾 校 本 並 に 研 究 衾 ( 風 間 書 房 1978 年 p. 28) 31 明 の 田 汝 成 西 湖 遊 覧 志 餘 上 海 古 籍 出 版 社 1980 年 10 月 p

13 12 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 七 月 十 五 日 の 解 制 日 まで 外 出 することができないこれは 法 歳 周 圓 と 呼 ばれる 俊 芿 は 大 慈 寺 で 結 夏 安 居 に 參 加 したので 二 回 目 の 天 台 山 滯 在 時 期 は 少 なくとも 嘉 泰 二 年 の 冬 から 同 三 年 (1203)の 七 月 十 五 日 までに 限 定 することが 可 能 である 不 可 棄 傳 によれば 32 俊 芿 が 大 慈 寺 を 去 る 契 機 となったのは 安 居 の 期 間 中 天 台 學 の 最 高 權 威 とも 言 うべき 華 亭 超 果 寺 の 北 峰 宗 印 の 名 を 聞 き その 學 風 を 慕 って 超 果 寺 に 行 くことを 決 意 したことがあるという 大 慈 寺 を 辭 去 した 時 期 について 嘉 泰 三 年 (1203) 七 月 十 五 日 以 降 と 推 測 したが これは 華 亭 の 超 果 寺 に 到 着 した 日 から 逆 算 しても 分 かる 北 峰 宗 印 の 手 による 法 語 の 中 に 日 本 俊 芿 法 師 慶 元 之 末 來 遊 大 宋 ( 中 略 ) 嘉 泰 四 年 抵 華 亭 超 果 33 とあり 華 亭 の 超 果 寺 に 至 る 年 次 は 嘉 泰 四 年 (1204)と 明 記 している 天 台 山 から 浙 西 の 華 亭 まで 約 三 百 五 十 キロの 距 離 があり 嘉 泰 三 年 (1203) 七 月 十 五 日 以 降 に 天 台 山 から 退 去 しても 時 間 的 餘 裕 が 十 分 にあるので 經 由 地 であった 都 の 杭 州 寺 院 を 訪 問 しても 不 思 議 ではなかろう 三 回 目 の 天 台 山 の 訪 問 については 不 可 棄 傳 にある 次 の 記 録 から 推 測 できる 於 今 度 者 縱 雖 師 命 其 不 可 赴 逮 至 三 月 出 超 果 遊 台 州 34 不 可 棄 傳 は 開 禧 三 年 (1207) 三 月 華 亭 の 超 果 寺 に 住 居 した 俊 芿 は 北 峰 宗 印 の 師 命 により 三 年 間 臥 床 した 華 亭 章 氏 のため 密 教 の 不 動 法 を 32 結 夏 安 居 其 閒 毎 聞 浙 西 有 印 講 師 實 爲 法 門 之 棟 梁 世 閒 之 明 眼 於 是 法 師 深 慕 其 道 荷 笈 千 里 到 秀 州 超 果 教 院 北 峰 輪 下 禮 師 請 業 參 照 ( 大 日 佛 書 115 p. 521) 33 淸 衆 規 式 並 十 六 觀 堂 記 法 語 ( 俊 芿 研 究 p. 399) 34 大 日 佛 書 115 p

14 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 13 修 じたが 再 び 發 病 して 師 命 による 不 動 法 を 再 修 しても 治 らないので 超 果 寺 を 離 れ 台 州 に 赴 いたと 傳 えている 台 州 は 現 在 の 天 台 臨 海 黄 巖 を 含 む 廣 い 地 域 を 指 すが 當 時 天 台 山 を 中 心 とした 佛 教 の 状 況 を 考 慮 する ならば 台 州 とはやはり 俊 芿 がかつて 二 度 遊 學 した 天 台 山 を 指 すと 考 えて よかろう ( 二 ) 奉 化 の 雪 竇 中 巖 と 餘 杭 の 徑 山 寺 まず 雪 竇 中 巖 は 四 明 奉 化 縣 の 雪 竇 山 を 指 し その 山 は 四 明 山 の 支 脈 で 應 夢 山 乳 峰 山 ともいう 山 中 の 千 丈 巖 の 近 くに 彌 勒 道 場 と 言 われる 雪 竇 寺 がある 五 代 の 永 明 延 壽 ( )が 雪 竇 寺 に 住 した 時 孤 猿 叫 落 中 巖 月 夜 客 吟 殘 半 夜 燈 此 境 此 時 誰 會 意 白 雲 深 處 坐 禪 僧 35 という 有 名 な 偈 を 殘 したまたこの 寺 は 雪 竇 重 顯 ( )の 住 居 地 としても よく 知 られている 前 にも 触 れたが 俊 芿 入 宋 の 慶 元 五 年 (1199) 五 月 天 台 山 に 參 詣 して 五 百 羅 漢 に 供 養 した 後 直 ちに 奉 化 雪 竇 中 巖 に 行 き 同 年 十 月 頃 までそこ に 滯 在 したその 時 思 岳 禪 師 ( 後 述 )に 師 事 して 禪 に 參 じたが 暫 くし て 餘 杭 の 徑 山 寺 に 移 り 雪 竇 中 巖 における 俊 芿 の 詳 細 な 行 動 は 不 明 である 次 に 餘 杭 の 徑 山 寺 について 杭 州 の 西 北 五 十 里 にあり 唐 玄 宗 の 天 寶 の 初 め(742 頃 )に 國 一 法 欽 ( ) 禪 師 が 庵 を 結 んで 幽 居 し 大 暦 四 年 (769) 代 宗 の 勅 命 によって 建 立 された 宋 代 になって 臨 濟 僧 の 無 畏 維 琳 (? 1119) 圜 悟 克 勤 ( )が 歴 住 しており 特 に 大 慧 宗 杲 ( )がそこで 看 話 禪 を 提 唱 した 俊 芿 以 後 東 福 寺 の 開 山 である 圓 爾 辨 圓 が 徑 山 寺 で 無 準 師 範 ( )に 師 事 して 臨 濟 系 の 楊 岐 禪 を 日 本 に 傳 えてきたことは 最 も 注 目 するところである 俊 芿 は 慶 元 五 年 (1199) 十 月 十 四 日 徑 山 寺 に 到 着 し 翌 年 の 春 まで 約 三 ヵ 月 ほど 滯 在 した 當 時 徑 山 寺 の 住 持 は 蒙 庵 元 聰 であった 蒙 庵 元 聰 に 關 する 行 實 は 後 述 するが ここでは 俊 芿 が 徑 山 寺 に 在 住 していた 間 に 火 災 に 遭 遇 した 可 能 性 に 言 及 したい 即 ち 樓 鑰 ( )が 書 いた 35 大 正 藏 49 p. 857a 204

15 14 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 重 建 徑 山 興 聖 萬 壽 禪 寺 之 記 の 中 に 次 の 記 事 が 見 られる 蒙 庵 禪 師 元 聰 以 慶 元 三 年 自 福 州 之 雪 峰 被 旨 而 來 道 譽 隆 洽 不 媿 前 人 五 年 仲 冬 行 化 浙 西 而 回 祿 挺 災 烈 風 佐 之 延 燔 棟 宇 一 息 而 盡 36 上 記 の 引 文 によれば 慶 元 三 年 (1197)に 蒙 庵 元 聰 は 勅 命 により 福 州 の 雪 峰 から 徑 山 寺 に 移 住 した 同 五 年 (1199) 十 一 月 に 教 化 のため 浙 西 に 行 った 間 に 徑 山 寺 は 回 祿 ( 火 災 )にかかり 殿 宇 が 烏 有 に 歸 したこれと 同 様 の 記 述 は 呉 詠 撰 の 徑 山 禪 寺 重 建 記 にも 見 える 即 ち 先 是 慶 元 己 未 冬 龍 王 殿 災 精 盧 佛 宇 一 夕 而 盡 住 持 僧 元 聰 治 故 而 復 新 之 37 慶 元 己 未 は 慶 元 五 年 (1199)であるこの 内 容 は 樓 鑰 の 記 事 とほぼ 合 致 しているが 龍 王 殿 をも 燒 失 してしまったと 傳 えられている 火 災 が 起 きたのは 慶 元 五 年 の 冬 で これはちょうど 俊 芿 の 徑 山 寺 到 着 後 一 ヵ 月 未 滿 の 出 來 事 であった 前 掲 した 樓 鑰 の 重 建 徑 山 興 聖 萬 壽 禪 寺 之 記 によ れば 火 災 の 翌 年 (1200)の 春 38 住 持 僧 であった 蒙 庵 元 聰 が 再 建 を 始 め 36 清 の 阮 元 編 兩 浙 金 石 志 卷 十 石 刻 資 料 新 編 14 地 方 類 浙 江 臺 灣 新 文 豊 出 版 1977 年 p 徑 山 志 所 收 ( 中 國 佛 寺 史 志 彙 刊 第 一 輯 32 冊 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 p. 634) 實 は 後 掲 する 後 樂 集 十 八 卷 收 載 の 徑 山 蒙 菴 佛 智 禪 師 塔 銘 の 冒 頭 にも 慶 元 丁 巳 夏 徑 山 寺 闕 住 持 有 旨 以 命 僧 元 聰 後 數 年 寺 燼 於 火 不 二 年 元 聰 新 之 と 見 える 慶 元 丁 巳 は 慶 元 三 年 (1197)で 數 年 後 の 火 災 は 慶 元 五 年 (1199)のことであろう 文 淵 閣 四 庫 全 書 1169 集 部 上 海 古 籍 出 版 社 1989 年 pp 樓 鑰 の 重 建 徑 山 興 聖 萬 壽 禪 寺 之 記 に 蓋 其 百 工 兢 起 衆 志 孚 應 始 於 六 年 之 春 成 於 嘉 泰 改 元 之 夏 閲 月 才 十 餘 而 變 瓦 礫 之 區 爲 大 寳 坊 とみえる 阮 元 編 兩 浙 金 石 志 卷 十 石 刻 資 料 新 編 14 地 方 類 浙 江 臺 灣 新 文 豊 出 版 1977 年 p

16 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 15 ていた 不 可 棄 傳 の 記 録 を 照 らしてみれば その 時 俊 芿 は 徑 山 寺 を 離 れ 復 び 四 明 に 往 き 景 福 寺 の 如 庵 律 師 に 依 止 39 したという 徑 山 寺 は 當 時 南 宋 の 五 山 第 一 となっていなかったが 有 名 な 禪 刹 に 間 違 いない にもかかわらず 俊 芿 はなぜ 徑 山 寺 に 三 ヵ 月 しか 滯 在 しなかったのかこ れはやはり 慶 元 五 年 十 一 月 の 火 災 の 影 響 が 大 きかったのではないかと 考 え られる 徑 山 寺 と 雪 竇 中 巖 とはいずれも 當 時 の 有 名 な 禪 刹 である 俊 芿 が 宋 地 滯 在 の 初 期 にこの 二 つの 禪 寺 に 訪 問 したことは 宋 禪 への 關 心 を 持 っていた ことを 示 唆 しているちなみに 俊 芿 は 恐 らく 徑 山 寺 を 訪 れた 最 初 の 日 本 僧 である ( 三 ) 四 明 の 景 福 寺 四 明 ( 現 在 の 浙 江 省 寧 波 市 )は 明 州 ともいい 宋 代 において 對 外 の 貿 易 港 として 日 本 との 交 流 が 盛 んであった 俊 芿 入 宋 の 直 前 日 本 僧 の 榮 西 が 四 明 天 童 寺 の 住 持 である 虚 庵 懷 敞 のもとで 禪 を 學 び 同 寺 の 千 佛 閣 を 修 建 したこともあったと 傳 えられている 40 慶 元 六 年 (1200)の 春 俊 芿 は 徑 山 寺 を 去 り 四 明 に 赴 き 景 福 寺 の 如 庵 了 宏 律 師 に 師 事 し 律 學 の 研 鑽 に 努 めていた 寶 慶 四 明 志 卷 十 一 によれば 41 景 福 寺 は 子 城 ( 現 在 の 寧 波 市 内 )から 南 二 里 半 に 位 置 し もと 水 陸 蓮 花 院 といい 宋 の 太 祖 建 隆 二 年 (961)に 再 建 され 大 中 祥 符 三 年 (1010)に 宋 眞 宗 の 勅 により 景 福 寺 の 名 が 下 賜 さ れたという 俊 芿 の 景 福 寺 での 動 向 について 日 山 守 一 述 の 終 南 家 業 39 大 日 佛 書 115 p 樓 鑰 の 天 童 山 千 佛 閣 記 に 日 本 國 僧 千 光 法 師 榮 西 者 奮 發 願 心 欲 往 西 域 求 教 外 別 傳 之 宗 若 有 告 以 天 台 萬 年 爲 可 依 者 航 海 而 來 以 師 爲 及 遷 天 童 ( 中 略 ) 它 日 歸 國 當 致 良 材 以 爲 助 師 曰 未 幾 遂 歸 越 二 年 果 致 百 圍 之 木 とみえる 攻 媿 集 卷 五 十 七 四 部 叢 刊 初 編 集 部 臺 灣 商 務 印 書 館 1975 年 pp 寶 慶 四 明 志 卷 十 一 に 景 福 寺 子 城 南 二 里 半 舊 號 水 陸 蓮 花 院 皇 朝 建 隆 二 年 建 大 中 祥 符 三 年 改 賜 今 額 とある( 宋 元 方 志 叢 刊 5 中 華 書 局 1990 年 p. 5132) 202

17 16 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) の 卷 二 に 日 本 芿 師 爲 法 之 切 於 慶 元 間 泛 舶 東 來 彼 時 先 師 如 庵 開 法 景 福 芿 即 依 學 十 有 餘 年 42 と 記 されている 修 學 の 期 間 は 上 文 末 に 十 有 餘 年 と 言 われているが 不 可 棄 傳 では 僅 跨 三 年 と 記 しており 實 際 には 慶 元 六 年 (1200) の 春 から 嘉 泰 二 年 (1202) 十 月 五 日 にかけて ただ 三 年 のみだと 考 えら れる また 不 可 棄 傳 によれば 嘉 定 四 年 (1211)の 春 歸 國 直 前 の 俊 芿 は 約 八 年 半 ぶりに 景 福 寺 を 再 訪 したという 43 當 時 如 庵 了 宏 がすでに 示 寂 しており 俊 芿 を 迎 えてくれた 人 は 景 福 寺 の 道 常 であった 俊 芿 以 降 理 宗 端 平 二 年 (1235)に 入 宋 した 圓 爾 は 宋 地 に 到 着 した 直 後 景 福 寺 にも 行 ったようであるこれは 東 福 開 山 聖 一 國 師 年 譜 の 嘉 禎 元 年 (1235) の 項 に 次 のように 記 されている 四 月 船 出 平 戸 津 經 十 寅 夕 到 宋 明 州 即 理 宗 端 平 二 年 寓 城 景 福 律 院 聽 月 公 開 遮 之 説 44 圓 爾 は 景 福 寺 に 寓 居 した 時 月 公 ( 未 詳 )から 律 學 の 開 遮 の 説 ( 開 は 行 爲 の 許 可 遮 は 禁 止 をいう)を 聽 いたこれは 俊 芿 が 遊 學 した 三 十 四 年 後 のことであるこれによって 景 福 寺 が 依 然 として 律 の 教 學 を 維 持 し し かも 入 宋 僧 との 關 係 を 持 ち 續 けていたことがわかるただし 殘 念 なこと に 宋 代 以 降 景 福 寺 に 關 する 記 録 が 乏 しく 日 本 僧 との 關 係 は 不 明 であ る 現 在 寧 波 の 城 隍 廟 となり 昔 日 の 寺 院 の 面 影 はまったく 失 われてし まった 42 續 藏 經 105 p 大 日 佛 書 115 p 大 日 佛 書 95 p

18 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 17 ( 四 ) 華 亭 の 超 果 寺 華 亭 は 現 在 の 上 海 市 松 江 縣 に 位 置 する 唐 の 天 寶 元 年 (742)に 華 亭 縣 が 置 かれた 慶 元 元 年 (1195) 兩 浙 の 浙 西 路 の 秀 州 に 屬 し 雲 間 ともい う 南 宋 期 における 華 亭 の 佛 教 状 況 について 宋 の 楊 潛 撰 紹 熙 雲 間 志 卷 中 寺 觀 の 項 には 次 のように 記 述 されている 浙 右 喜 奉 佛 而 華 亭 爲 甚 一 邑 之 間 爲 佛 祠 凡 四 十 六 緇 徒 又 能 張 大 事 亦 可 謂 盛 矣 45 この 記 録 は 紹 熙 年 間 ( ) 頃 の 浙 右 ( 浙 西 ) 華 亭 佛 教 の 盛 況 を 述 べているものである 俊 芿 が 華 亭 超 果 寺 に 至 った 年 は 嘉 泰 四 年 (1204)で あったので ちょうど 紹 熙 年 間 の 直 後 にあたる 超 果 寺 は 紹 熙 雲 間 志 卷 中 寺 觀 の 項 にも 收 められているこれによ れば 46 唐 の 咸 通 十 五 年 47 に 心 鏡 ( 鑑 ) 禪 師 48 によって 開 山 され 初 めに 長 壽 寺 といい 宋 の 治 平 元 年 (1064)に 超 果 寺 と 改 稱 された 有 名 な 天 台 僧 であった 惟 湛 ( ) 49 が 居 住 し 積 極 的 な 教 化 活 動 を 行 い 熙 寧 五 年 (1072)に 天 台 教 院 50 が 設 置 され まさに 天 台 教 學 の 傳 承 を 有 した 寺 院 である 45 宋 元 方 志 叢 刊 1 中 華 書 局 1990 年 p 超 果 寺 在 縣 西 三 里 本 名 長 壽 寺 唐 咸 通 十 五 年 心 鏡 禪 師 造 ( 中 略 ) 治 平 元 年 改 今 額 有 觀 音 大 士 像 參 照 宋 元 方 志 叢 刊 1 中 華 書 局 1990 年 p 咸 通 の 年 號 は 十 四 年 のみで 紹 熙 雲 閒 志 の 記 録 は 誤 りである 48 心 鑑 禪 師 ( 釋 藏 奐 )は 贊 寧 宋 高 僧 傳 卷 十 二 の 立 傳 ( 大 藏 經 50 pp )があり これによれば 釋 藏 奐 は 華 亭 の 人 早 年 に 道 曠 禪 師 につき 出 家 し 長 壽 寺 を 建 て 住 居 した 七 十 七 歳 で 示 寂 奉 勅 して 心 鑑 と 名 づけられた 從 來 鏡 と 鑑 の 二 字 ( 廣 雅 釋 器 鑑 謂 之 鏡 )は 通 用 なので 心 鏡 禪 師 は 心 鑑 禪 師 では ないかと 考 えられる 49 秀 州 超 果 惟 湛 法 師 行 業 記 參 照 元 照 芝 園 集 卷 上 に 所 收 ( 續 藏 經 105 pp ) 50 天 台 教 院 について 宋 の 陳 舜 兪 撰 超 果 寺 天 台 教 院 に 院 既 大 成 嚴 像 且 畢 ( 中 略 ) 熙 寧 五 年 正 月 辛 巳 記 と 見 える 至 元 嘉 禾 志 卷 十 九 所 收 ( 宋 元 方 志 叢 刊 5 中 華 書 局 1990 年 pp ) 200

19 18 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 俊 芿 の 超 果 寺 の 滯 在 期 間 について 從 來 の 研 究 では 言 及 しておらず た だ 不 可 棄 傳 に 八 年 ほど 北 峰 宗 印 に 師 事 したとの 記 録 があるのみである 北 峰 宗 印 の 傳 歴 については 後 述 するが 釋 門 正 統 卷 七 の 記 録 によれば 北 峰 宗 印 は 杭 州 の 上 天 竺 寺 華 亭 の 超 果 寺 平 江 の 北 禪 寺 を 歴 住 したが 超 果 寺 の 住 持 年 次 は 不 明 である 51 不 可 棄 傳 の 記 録 からみると 俊 芿 が 北 峰 宗 印 に 出 會 った 時 と 別 れを 告 げた 時 いずれも 超 果 寺 に 止 住 してい た 時 期 の 出 來 事 なので 北 峰 宗 印 に 師 事 した 八 年 とは 超 果 寺 の 滯 在 期 間 と 見 なすことができるかもしれない ただし 北 峰 宗 印 に 八 年 ほど 師 事 したことに 些 か 疑 問 があるというの は 北 峰 宗 印 の 手 になる 資 料 の 内 容 と 八 年 師 事 したこととは 齟 齬 をきた すからである 前 掲 した 北 峰 宗 印 の 法 語 で 示 したように 俊 芿 が 始 め に 超 果 寺 に 至 った 年 は 嘉 泰 四 年 52 (1204)であって 少 なくともこの 年 か ら 北 峰 宗 印 に 師 事 したと 見 なければならない 問 題 は 俊 芿 がいつ 北 峰 宗 印 のもとを 離 れたのかこれについては 北 峰 宗 印 の 唯 心 淨 土 説 に 次 の ように 記 載 されている 今 告 別 歸 本 國 水 陸 千 萬 里 吾 年 逾 耳 順 忍 土 難 期 再 會 ( 中 略 ) 旹 大 宋 嘉 定 三 年 大 歳 庚 午 解 制 日 住 嘉 興 府 嘉 亭 縣 超 果 天 台 教 院 北 峰 沙 門 宗 印 書 53 上 文 は 嘉 定 三 年 (1210)の 解 制 日 ( 七 月 十 五 日 )に 北 峰 宗 印 によって 華 亭 の 超 果 寺 で 書 かれたものであるここで 六 十 歳 を 過 ぎた 北 峰 宗 印 は 俊 芿 の 歸 國 にあたって もはや 再 會 の 時 はあるまいと 述 懷 しているこの 記 事 によって 分 かるように 俊 芿 の 北 峰 宗 印 に 師 事 した 期 間 は 嘉 泰 四 年 51 續 藏 經 130 pp 俊 芿 が 嘉 泰 四 年 超 華 寺 に 到 着 したという 別 の 傍 證 として 不 可 棄 傳 に 俊 芿 が 初 めて 華 亭 超 果 寺 に 到 着 したとき 北 峰 宗 印 が 語 った 法 師 自 二 十 七 歳 斷 蚕 衣 十 有 餘 年 内 外 著 布 の 語 がある 嘉 泰 四 年 (1204) 俊 芿 は 三 十 八 歳 で 二 十 七 歳 の 頃 から 蚕 衣 をつけないことから 數 えて 十 有 餘 年 と 一 致 する 53 唯 心 淨 土 說 ( 俊 芿 研 究 p. 400) 199

20 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 19 (1204)から 嘉 定 三 年 (1210)までおよそ 七 年 のみである 實 は 俊 芿 が 華 亭 超 果 寺 に 滯 在 した 期 間 に 少 なくとも 三 回 周 邊 の 地 域 へ 足 を 延 ばしたことが 知 られている 初 回 目 は 既 述 したように 開 禧 三 年 (1207)の 春 台 州 に 行 ったこと 二 回 目 は 北 峰 宗 印 南 翔 寺 の 遠 法 師 とともに 湖 州 の 寶 雲 寺 に 行 ったこと( 後 述 )そして 三 回 目 は 嘉 定 元 年 (1208) 超 果 寺 を 去 り 杭 州 に 赴 き 律 學 に 關 する 五 十 問 などの 活 動 を 行 っ たことであるこれによって 嘉 定 三 年 (1210)に 書 かれた 唯 心 淨 土 説 は 俊 芿 が 杭 州 から 再 び 超 果 寺 に 戻 った 時 北 峰 宗 印 から 授 けられたも のではないかと 考 えられる 華 亭 の 超 果 寺 における 俊 芿 の 活 躍 について 北 峰 宗 印 に 師 事 して 天 台 學 に 努 めていた 一 方 更 に 注 目 すべきなのは 超 果 寺 において 密 教 の 不 動 法 七 佛 藥 師 法 を 修 じたことである 密 教 の 作 法 を 修 じた 契 機 となったのは 何 かの 病 氣 にかかった 華 亭 在 家 者 の 要 請 である 俊 芿 は 作 法 によって 多 く の 靈 驗 を 感 得 しており ついに 在 家 者 の 病 氣 を 治 した 靈 驗 の 説 話 は 別 に して ただ 俊 芿 と 交 流 した 華 亭 の 在 家 者 を 列 舉 すれば 章 氏 官 人 周 大 孺 人 54 周 阿 兄 及 び 官 人 貢 士 の 周 冕 官 人 錢 家 55 などが 見 えているかれら の 詳 細 については 不 明 であるが 官 人 貢 士 の 肩 書 きなどからみると 一 般 の 在 家 者 といっても 一 定 の 地 位 をもつ 當 地 の 知 識 人 と 見 てよかろう ( 五 ) 杭 州 の 寺 院 宋 室 南 渡 以 降 杭 州 は 全 國 の 政 治 經 濟 文 化 の 中 心 地 となった 當 時 54 北 礀 居 簡 の 北 礀 詩 集 卷 一 に 化 周 大 孺 人 長 明 燈 の 詩 がある( 禪 門 逸 書 初 編 5 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 p. 7) 北 礀 居 簡 の 文 集 には 華 亭 の 寺 院 にかかわ る 文 章 が 幾 つか 見 出 せるという 事 實 から 見 て 北 礀 居 簡 は 華 亭 佛 教 との 關 係 が 深 い ことが 豫 想 されるしたがって 北 礀 詩 集 卷 一 にいう 周 大 孺 人 とは 俊 芿 と 交 渉 した 周 大 孺 人 と 同 一 人 物 ではないかと 考 えられる 55 華 亭 での 官 人 錢 家 が 誰 かは 分 からないが 釋 門 正 統 卷 七 北 峰 宗 印 傳 に ( 前 略 ) 繼 領 超 果 易 門 南 向 講 閣 懺 院 肅 圓 通 香 火 朝 旨 優 之 縣 尹 錢 誾 苦 旱 師 曰 勉 釋 疑 誤 結 觀 音 期 七 日 必 得 雨 至 ( 續 藏 經 年 p. 0884)と 見 える 華 亭 縣 尹 の 錢 誾 は 苦 旱 のため 北 峰 宗 印 に 依 頼 して 祈 雨 を 行 ったことがあっ たので この 縣 尹 の 錢 誾 は 俊 芿 と 交 渉 した 官 人 錢 家 と 同 一 人 物 である 可 能 性 が 高 い 198

21 20 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) の 杭 州 における 佛 教 寺 院 は 明 の 田 汝 成 西 湖 遊 覧 志 餘 卷 十 四 の 方 外 玄 蹤 に 杭 州 内 外 及 湖 山 之 間 唐 已 前 爲 三 百 六 十 寺 錢 氏 立 國 及 宋 朝 南 渡 増 爲 四 百 八 十 寺 海 内 都 會 未 有 加 於 此 者 也 56 と 記 されている 當 時 杭 州 の 寺 院 數 は 四 百 八 十 寺 にのぼり 他 の 都 會 と 比 較 して 最 も 多 かった 杭 州 における 俊 芿 の 行 歴 について 不 可 棄 傳 では 嘉 定 初 去 超 果 遊 帝 都 住 下 天 竺 重 練 台 教 57 と 記 録 しているように 嘉 定 の 初 め 頃 超 果 寺 を 去 り 杭 州 に 遊 び 下 天 竺 に 住 居 して 天 台 學 を 勉 強 した 下 天 竺 寺 は 東 晉 の 慧 理 により 創 建 され 北 宋 の 天 聖 年 間 ( )に 天 台 僧 であった 慈 雲 遵 式 ( )の 住 持 で 有 名 な 天 台 學 の 寺 院 となった 大 中 祥 符 の 初 (1008 頃 ) 靈 山 寺 と 稱 し 天 禧 四 年 (1020)に 天 竺 寺 慶 元 三 年 (1197)に 天 竺 靈 隱 寺 としばしば 改 稱 されている 58 從 來 上 中 の 天 竺 寺 に 加 えて 三 天 竺 寺 ともいう 杭 州 での 俊 芿 の 活 動 といえば 律 學 などに 關 して 當 時 の 律 師 達 と 様 々な 論 議 を 行 ったことを 擧 げなくてはならない 即 ち 杭 州 の 不 空 教 院 の 了 然 芝 巖 蘭 若 の 淨 懷 淨 梵 院 59 の 妙 音 及 び 會 稽 姚 江 の 極 樂 院 の 智 瑞 律 師 との 問 答 を 行 ったことである 現 存 する 律 宗 問 答 は 當 時 の 問 答 内 容 を 纏 め たものであるなお 杭 州 に 遊 學 した 時 期 について 不 可 棄 傳 では 嘉 定 初 と 記 しているが 具 體 的 に 何 時 だったのであろうかこれに 關 連 して 律 宗 問 答 の 冒 頭 において 次 のように 記 されている 56 明 の 田 汝 成 撰 西 湖 遊 覧 志 餘 上 海 古 籍 出 版 社 1980 年 10 月 p 大 日 佛 書 115 p 下 天 竺 寺 名 の 變 遷 について 明 の 呉 之 鯨 撰 武 林 梵 刹 志 卷 五 に 記 述 がある 中 國 佛 寺 史 志 彙 刊 第 1 輯 第 7 冊 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 1 月 pp 咸 淳 臨 安 志 卷 七 十 八 に 淨 梵 院 廣 運 中 ( ) 呉 越 王 建 舊 名 瑞 峰 大 中 祥 符 元 年 (1008) 改 今 額 とある( 宋 元 方 志 叢 刊 4 中 華 書 局 1990 年 p. 4063) 197

22 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 21 嘉 定 己 巳 仲 秋 忽 得 教 觀 五 十 問 乃 審 所 云 云 60 教 觀 五 十 問 については 後 述 するが(p. 37) 上 文 によれば 俊 芿 は 遅 くとも 嘉 定 二 年 (1209) 八 月 に 杭 州 に 遊 學 したのであろうここで 留 意 す べきなのは 俊 芿 は 杭 州 での 律 學 の 問 答 を 通 して 諸 律 師 から 大 いに 感 服 され 一 層 高 名 を 馳 せたことになるもし 誰 かが 俊 芿 の 質 問 に 回 答 できれ ば 寺 院 の 住 持 になる 資 格 を 得 られるほどに 至 ったのである 即 ち 不 可 棄 傳 には 次 のように 記 している 臨 安 府 菩 提 律 寺 住 持 亡 名 遷 化 之 後 未 有 其 人 諸 寺 律 師 集 會 公 定 欲 官 奏 時 衆 議 曰 不 可 揀 別 德 行 唯 以 能 答 日 本 芿 法 師 難 問 之 人 可 爲 其 仁 61 上 文 には 杭 州 菩 提 律 寺 の 住 持 が 遷 化 した 際 に 俊 芿 の 難 問 に 回 答 さえ できれば その 人 は 寺 院 の 住 持 に 適 任 であると 諸 の 律 師 によって 取 り 沙 汰 されている 菩 提 律 寺 の 名 は 咸 淳 臨 安 志 において 見 出 せないが 同 志 の 卷 七 十 九 に 菩 提 院 という 院 名 が 見 えるので もしこれが 菩 提 律 寺 のことである ならば その 沿 革 62 については 以 下 の 通 りである 宋 の 太 平 興 國 二 年 (977) 呉 越 王 錢 俶 の 次 子 であった 錢 惟 演 ( )によって 建 立 され 惠 巖 寺 と 名 づけられ 同 七 年 (982) 菩 提 院 と 改 稱 された 寺 中 には 孔 仁 謙 63 作 の 千 手 大 悲 觀 音 像 があり 觀 音 信 仰 の 寺 院 として 知 られている 60 續 藏 經 105 p 大 日 佛 書 115 p. 525c 62 菩 提 院 太 平 天 國 二 年 錢 惟 演 建 名 惠 巖 七 年 改 賜 今 額 建 炎 間 燬 先 是 寺 僧 募 良 工 孔 仁 謙 作 大 悲 像 千 手 錯 出 不 能 盡 布 參 照 ( 宋 元 方 志 叢 刊 4 中 華 書 局 1990 年 p. 4075) 63 孔 仁 謙 については 石 川 重 雄 宋 代 祭 祀 社 会 と 觀 音 信 仰 衾 迎 請 をめぐっ て の 中 にも 言 及 がある 柳 田 節 子 先 生 古 稀 記 念 中 國 の 傳 統 社 会 と 家 族 汲 古 書 院 1993 年 5 月 p. 277それ 以 外 では 資 料 として 七 修 類 稿 物 事 類 卷 四 十 七 の 天 竺 觀 音 項 武 林 高 僧 事 略 の 五 代 白 雲 翊 禪 師 傳 また 觀 音 慈 196

23 22 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) ちなみに 上 文 にいう 菩 提 律 寺 で 遷 化 した 亡 名 の 住 持 はいったい 誰 だったのかこれを 解 明 するため まず 北 礀 居 簡 ( ) 北 礀 集 卷 五 收 載 の 菩 提 簡 宗 師 傳 を 取 り 上 げて 檢 討 してみたい 菩 提 簡 宗 師 傳 によれば 簡 宗 師 ( )は 字 を 仲 廉 號 を 止 堂 と 言 い 嚴 州 建 德 ( 現 在 の 浙 江 省 建 德 市 ) 任 氏 の 子 であった 杭 州 法 顯 寺 の 景 瑫 法 師 について 具 足 戒 を 受 け のち 普 救 寺 の 首 座 元 印 に 師 事 して 資 持 會 正 派 の 律 學 を 研 修 したまた 智 曇 法 師 64 について 唯 識 百 法 華 嚴 天 台 の 諸 學 を 受 けたのちのことは 宗 師 傳 に 次 のように 述 べられてい る 取 舎 適 中 臨 壇 巋 然 有 南 山 家 法 晩 居 菩 提 九 年 而 寂 嘉 定 元 年 十 二 月 十 二 日 也 度 弟 子 紹 聞 行 依 孫 曰 文 秀 得 其 傳 而 潛 符 密 證 者 梵 威 首 選 垂 寂 之 頃 謂 行 依 曰 平 生 苦 心 以 律 自 嚴 不 空 了 然 師 之 深 知 之 舎 是 莫 可 囑 身 後 言 既 而 寂 端 莊 如 生 壽 七 十 一 臘 四 十 七 65 簡 宗 は 最 晩 年 の 時 凡 そ 九 年 ほど 菩 提 ( 寺 )に 住 持 し 嘉 定 元 年 (1208) 十 二 月 十 二 日 に 七 十 一 歳 で 示 寂 した 臨 終 の 前 弟 子 の 行 依 に 遺 囑 を 殘 し そのなかでの 次 の 後 繼 者 として 不 空 了 然 の 名 を 擧 げた 俊 芿 が 嘉 定 二 年 (1209) 八 月 に 杭 州 で 教 觀 などの 問 答 を 行 ったのは ちょうど 簡 宗 が 寂 し た 九 ヵ 月 後 のことであり まさに 不 可 棄 傳 にいう 遷 化 の 後 未 だ 其 の 人 ( 住 持 ) 有 らず という 菩 提 律 寺 の 住 持 空 席 の 時 期 にあたる また 簡 宗 の 遺 囑 で 菩 提 律 寺 の 後 繼 者 として 指 名 された 不 空 了 然 66 林 集 卷 下 の 釋 道 翊 傳 にもかかわる 記 事 が 見 える 64 智 曇 は 杭 州 六 和 塔 開 化 寺 の 住 持 で 紹 興 二 十 二 年 (1152) 勅 命 を 奉 じて 六 和 塔 を 重 建 した 慈 恩 教 僧 であった 兩 浙 金 石 志 卷 九 に 智 曇 撰 六 和 塔 碑 狀 があ るまた 智 曇 が 六 和 塔 を 建 てたことに 關 する 記 事 は 管 見 の 限 り 宋 の 曹 勛 松 隱 集 ( 四 庫 全 書 集 部 1129) 卷 三 十 收 載 の 六 和 塔 記 にもみられる 65 禪 門 逸 書 初 編 5 北 礀 集 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 p 中 國 佛 教 において 同 時 同 名 の 僧 侶 が 散 見 するが 南 宋 期 には 了 然 という 僧 名 は 佛 祖 統 紀 卷 十 五 に 所 收 の 安 國 元 惠 の 法 嗣 であり 宗 圓 記 五 卷 釋 止 觀 195

24 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 23 は 俊 芿 と 問 答 した 杭 州 の 不 空 教 院 の 了 然 律 師 と 同 寺 同 名 かつ 同 時 期 で あるので 兩 者 は 同 一 人 物 であると 見 てよかろうつまり 亡 名 した 菩 提 律 寺 の 住 持 は 簡 宗 であったのではないかと 考 えられる 宋 代 寺 院 の 住 持 制 について 政 府 からの 任 命 にせよ 地 方 からの 推 選 に せよ いずれも 選 任 條 件 として 住 持 の 德 行 を 考 慮 する 必 要 がある 67 了 然 律 師 が 簡 宗 の 遺 囑 に 從 って 菩 提 寺 の 住 持 になったかどうかは 知 りえない が 俊 芿 の 難 問 に 答 えれば 菩 提 律 寺 の 住 持 の 最 適 者 として 推 選 されたこと から 南 宋 の 佛 教 々 團 において 俊 芿 がどれほど 高 名 を 馳 せたのかを 想 像 す ることができる 以 上 の 考 察 によって 俊 芿 が 遊 學 した 寺 院 とその 所 在 地 域 ( 以 下 南 宋 兩 浙 地 圖 に 參 照 ) 及 び 遊 歴 の 期 間 を 年 代 順 に 表 示 すれば 以 下 のように なる 樞 要 二 卷 虎 溪 集 八 卷 の 著 者 であった 智 涌 了 然 を 指 しているこの 智 涌 了 然 は 佛 祖 統 紀 によって 紹 興 十 一 年 (1141)に 示 寂 したことが 分 かる( 大 正 藏 49 pp ) 67 宋 正 直 院 碑 に 歴 代 祖 師 迭 興 未 嘗 不 以 經 律 論 學 爲 住 持 之 眉 宇 焉 と 見 える( 兩 浙 金 石 志 卷 七 石 刻 資 料 新 編 14 臺 灣 新 文 豊 出 版 1977 年 p ) 194

25 24 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 俊 芿 が 南 宋 中 期 の 入 宋 僧 として 遊 歴 した 寺 院 の 範 圍 は 確 かに 兩 浙 の 地 域 に 限 られていた 宋 地 滯 在 の 十 二 年 間 初 期 には 雪 竇 徑 山 の 禪 寺 中 期 には 景 福 律 寺 後 期 には 嘉 泰 四 年 (1204)から 華 亭 の 超 果 寺 杭 州 の 下 天 竺 寺 などの 教 寺 において 禪 律 教 學 を 研 鑽 したことが 推 察 される また 上 表 には 幾 つかの 補 足 説 明 が 必 要 であるまず 文 獻 上 の 制 約 で 南 宋 兩 浙 地 圖 193

26 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 25 慶 元 六 年 春 嘉 泰 三 年 春 のように 具 體 的 な 日 時 を 明 確 できない 場 合 が ある 次 に 後 述 するように 俊 芿 は 華 亭 の 超 果 寺 に 滯 在 した 時 湖 州 の 寶 雲 寺 に 赴 いたこと また 嘉 定 三 年 (1210)の 秋 頃 に 温 州 に 赴 き 德 廣 律 師 に 依 止 して 七 滅 諍 法 を 學 んだことがあった 温 州 に 住 居 した 寺 院 の 名 は 不 明 であるので 上 表 には 加 えなかった 要 するに 俊 芿 が 遊 學 した 寺 院 は 決 して 上 表 の 數 にとどまらず もっと 多 かったのである 三 南 宋 高 僧 との 交 流 俊 芿 は 兩 浙 の 禪 教 律 の 寺 院 を 遍 遊 したと 同 時 に 各 寺 院 の 住 持 者 など いわゆる 南 宋 の 高 僧 との 交 流 も 持 った 不 可 棄 傳 で 或 與 三 宗 禪 教 律 名 德 論 道 推 以 爲 至 68 というように 俊 芿 は 禪 教 律 三 宗 の 名 德 と 道 を 論 じて 名 德 から 高 い 稱 讃 を 得 た 周 知 のように 宋 代 佛 教 に おいては 純 粹 な 禪 僧 教 僧 律 僧 とは 言 えないが それぞれ 教 學 の 傾 向 か ら 禪 教 律 の 僧 にわけて 尊 稱 する 場 合 があるまた 各 住 持 者 の 教 學 に 從 って 寺 院 には 禪 寺 教 寺 律 寺 に 分 けて 呼 稱 する 場 合 もある さて 渡 宋 中 の 俊 芿 はいったいどのような 高 僧 に 師 事 し 交 流 を 行 った のか 以 下 便 宜 上 不 可 棄 傳 にいう 三 宗 の 概 念 によって 禪 僧 教 僧 律 僧 に 分 けて 紹 介 しつつ 渡 宋 中 の 俊 芿 の 動 きを 明 らかにしてみたい ( 一 ) 禪 僧 との 交 流 日 本 僧 と 南 宋 の 禪 僧 との 交 流 については 俊 芿 入 宋 の 前 後 に 榮 西 と 虚 庵 懷 敞 覺 阿 と 瞎 堂 慧 遠 圓 爾 と 無 準 師 範 など 數 多 くの 名 前 を 擧 げるこ とができるその 交 流 の 大 きな 成 果 が 南 宋 禪 學 の 日 本 傳 來 である それでは 禪 僧 を 輩 出 した 南 宋 の 禪 林 において 俊 芿 はどのような 禪 僧 と 交 流 したのかこれに 關 しては 俊 芿 入 宋 の 年 天 台 山 から 四 明 の 雪 竇 中 巖 に 移 住 した 時 に 大 日 本 佛 教 全 書 所 收 本 の 不 可 棄 傳 では 到 雪 竇 中 巖 咨 受 禪 法 禪 師 亡 名 69 と 記 しているが 同 傳 の 泉 涌 寺 藏 本 に 68 大 日 佛 書 115 p 大 日 佛 書 115 p

27 26 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) よれば 亡 名 の 禪 師 は 福 州 東 禪 思 岳 禪 師 江 州 人 妙 喜 老 師 嗣 70 とな っており 思 岳 禪 師 に 師 事 して 禪 法 を 受 けたことが 明 らかとなる 思 岳 禪 師 について 嘉 泰 普 燈 録 卷 十 八 聯 燈 會 要 卷 七 五 燈 會 元 卷 二 十 續 傳 燈 録 卷 三 十 二 などに 簡 單 な 記 録 が 見 られるが これ らの 禪 籍 は 彼 のいくつかの 禪 機 問 答 を 記 しただけで 行 歴 にかかわる 情 報 にはあまり 触 れていないただし 彼 は 俊 芿 が 入 宋 後 最 も 早 い 段 階 で 師 事 した 禪 僧 の 一 人 としてその 名 を 忘 れてはならないだろう 俊 芿 は 雪 竇 中 巖 にしばらく 滯 在 して 同 年 十 月 十 四 日 餘 杭 の 徑 山 寺 を 訪 れ 當 時 徑 山 寺 の 住 持 であった 蒙 庵 元 聰 に 師 事 して 續 いて 禪 を 學 んだよう である 蒙 庵 元 聰 ( )の 傳 記 資 料 については 枯 崖 和 尚 漫 録 卷 上 續 指 月 録 卷 二 増 集 續 燈 録 卷 一 71 に 散 見 するが 宋 の 衛 涇 撰 後 樂 集 卷 十 八 收 載 の 徑 山 蒙 庵 佛 智 禪 師 塔 銘 72 に 最 も 詳 しいこれによれ ば 元 聰 は 字 を 蒙 叟 號 を 蒙 庵 という 俗 姓 は 朱 福 州 長 樂 の 人 で 十 九 歳 からもっぱら 生 死 大 事 を 考 え 晦 庵 慧 光 の 嗣 法 で 臨 濟 楊 岐 派 に 屬 す 禪 僧 となった 73 その 後 同 じ 福 州 出 身 の 密 庵 咸 傑 ( )に 師 事 し 續 いて 長 蘆 の 且 庵 守 仁 靈 隱 の 瞎 堂 慧 遠 淨 慈 の 水 庵 宗 一 高 亭 の 誰 庵 宗 演 光 孝 の 佛 照 德 光 保 安 の 復 庵 可 宗 などに 歴 訪 し 嘉 定 二 年 (1209) 十 一 月 十 一 日 示 寂 年 は 七 十 四 であった 徑 山 蒙 庵 佛 智 禪 師 塔 銘 によれば 密 庵 咸 傑 が 勅 命 により 淳 熙 四 年 (1177) 徑 山 寺 に 遷 した 時 蒙 庵 元 聰 も 行 動 を 共 にし 徑 山 の 第 一 座 ( 首 座 )となったという 74 その 後 蒙 庵 元 聰 が 徑 山 寺 から 離 れ 江 西 福 建 などの 名 刹 を 歴 住 して 再 び 徑 山 寺 に 戻 った 年 次 について 前 掲 した 徑 70 泉 涌 寺 史 本 文 篇 參 照 ( 法 藏 館 1981 年 p. 12) 71 續 藏 經 83 p. 277b 72 文 淵 閣 四 庫 全 書 1169 集 部 上 海 古 籍 出 版 社 1989 年 pp 不 可 棄 傳 の 泉 涌 寺 本 割 註 に 聰 嗣 法 於 晦 庵 光 臨 濟 下 十 四 世 孫 參 照 ( 大 日 佛 書 115 p. 521) 74 密 庵 遷 徑 山 師 爲 第 一 座 由 是 聲 名 益 起 四 方 衲 子 皆 宗 之 參 照 ( 文 淵 閣 四 庫 全 書 1169 集 部 上 海 古 籍 出 版 社 1989 年 p. 736) 191

28 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 27 山 蒙 庵 佛 智 禪 師 塔 銘 では 次 のように 記 している 慶 元 丁 巳 夏 徑 山 寺 闕 住 持 有 旨 以 命 僧 元 聰 75 この 記 述 によって 慶 元 丁 巳 ( 慶 元 三 年 1197)の 夏 蒙 庵 元 聰 が 勅 命 に より 福 州 雪 峰 から 徑 山 寺 に 移 り 住 んだことがわかる 同 記 事 は 樓 鑰 撰 の 重 建 徑 山 興 聖 萬 壽 禪 寺 之 記 76 續 指 月 録 卷 二 77 にも 見 られるつまり 俊 芿 が 慶 元 五 年 (1199) 十 月 十 四 日 に 徑 山 寺 に 訪 問 したのは 蒙 庵 元 聰 が 徑 山 寺 に 再 住 した 約 二 年 後 のことである 先 述 したように 俊 芿 は 慶 元 五 年 (1199) 十 月 十 四 に 徑 山 寺 へ 赴 いた 後 一 ヵ 月 未 滿 の 間 に 起 きた 徑 山 寺 の 火 災 によるのであろうか 結 局 ただ 三 ヵ 月 ほど 滯 在 して 翌 年 の 春 蒙 庵 元 聰 のもとを 離 れ 四 明 景 福 寺 に 赴 いた ことになる また 俊 芿 が 交 流 した 禪 僧 の 中 に 佛 照 德 光 の 門 人 である 山 陰 義 銛 と 北 礀 居 簡 の 二 人 も 數 えられる まず 山 陰 義 銛 に 關 する 記 述 は 北 礀 居 簡 の 北 礀 集 叢 林 盛 事 卷 下 元 叟 端 禪 師 語 録 卷 八 了 菴 淸 欲 和 尚 語 録 卷 九 周 密 の 癸 辛 雜 識 玄 極 輯 續 傳 燈 録 卷 三 十 五 性 統 集 續 燈 正 統 卷 十 一 超 永 編 五 燈 全 書 卷 九 卷 四 十 七 などに 散 見 しているこれらの 文 獻 によると 山 陰 義 銛 は 山 陰 ( 現 在 の 浙 江 紹 興 市 )の 出 身 であり 樸 翁 と 號 し 北 礀 居 簡 とともに 佛 照 德 光 禪 師 の 法 嗣 78 として 天 資 奇 逸 辯 博 無 礙 79 と 絶 贊 75 文 淵 閣 四 庫 全 書 1169 集 部 上 海 古 籍 出 版 社 1989 年 p 蒙 庵 禪 師 元 聰 以 慶 元 三 年 自 福 州 之 雪 峰 被 旨 而 來 道 譽 隆 洽 不 媿 前 人 とある( 阮 元 編 兩 浙 金 石 志 卷 十 石 刻 資 料 新 編 14 地 方 類 浙 江 臺 灣 新 文 豊 出 版 1977 年 p ) 77 臨 濟 宗 慶 元 徑 山 蒙 庵 聰 禪 師 福 州 朱 氏 子 晦 庵 會 中 會 心 要 衆 推 爲 高 弟 慶 元 三 年 自 福 之 雪 峰 被 旨 遷 徑 山 參 照 ( 續 藏 經 84 p. 32) 78 山 陰 義 銛 は 佛 照 德 光 禪 師 の 法 嗣 として 叢 林 盛 事 卷 下 に 紹 興 末 塗 毒 既 沒 而 雙 徑 交 代 乃 育 王 佛 照 禪 師 入 院 之 初 首 詣 巖 主 塔 頭 置 祭 有 義 銛 書 記 者 爲 其 文 兄 弟 甚 推 其 公 因 筆 録 于 此 と 見 える( 續 藏 經 148 p. 90) 79 五 燈 全 書 卷 九 に 育 王 光 禪 師 法 嗣 參 照 ( 續 藏 經 81 p. 375)また 續 190

29 28 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) されたが 晩 年 に 還 俗 したようである 80 彼 の 禪 學 の 傳 承 は 大 慧 宗 杲 佛 照 德 光 山 陰 義 銛 となり 思 岳 禪 師 と 同 様 に 大 慧 派 を 代 表 する 禪 僧 であっ た 著 作 は 後 述 する 不 可 刹 那 無 此 君 のほか 西 丘 和 尚 樸 翁 禪 師 吟 稿 81 の 詩 文 集 もあったが 現 存 していない 俊 芿 と 山 陰 義 銛 との 交 流 については 不 可 棄 傳 や 元 亨 釋 書 卷 十 三 にその 記 述 が 見 える 元 亨 釋 書 にはやや 詳 しいので それを 引 用 し よう 又 山 陰 義 銛 述 不 可 刹 那 無 此 君 贈 芿 銛 號 樸 翁 内 外 兼 明 禪 教 竝 通 所 謂 會 稽 名 士 葛 天 民 無 懷 者 也 銛 又 寫 南 山 靈 芝 二 師 像 (ママ) 倩 四 明 樓 鑰 述 贊 其 上 以 送 82 上 文 では 山 陰 義 銛 は 自 ら 撰 述 した 不 可 刹 那 無 此 君 83 南 山 道 宣 傳 燈 録 卷 三 十 五 に 上 方 樸 翁 銛 禪 師 天 資 奇 逸 辯 博 無 礙 とある( 大 正 藏 51 p. 707b) 80 山 陰 義 銛 の 生 卒 年 については 未 詳 であるが 北 礀 居 簡 が 書 いた 祭 葛 無 懷 樸 翁 葛 無 懷 訃 至 銛 樸 翁 の 文 章 からみると 遅 くとも 北 礀 居 簡 の 示 寂 年 (1246) 以 前 に 歿 したことが 判 明 する 北 礀 集 卷 十 に 師 謹 槖 卿 詩 藳 來 謁 銘 乃 亡 友 上 方 樸 翁 義 銛 編 次 と 見 えるまた 同 集 卷 六 明 無 礙 銘 において 明 無 礙 吾 孤 雲 權 之 子 以 諸 父 事 餘 與 樸 翁 兄 銛 樸 翁 稱 之 曰 無 礙 とあり この 樸 翁 兄 の 措 辭 か ら 北 礀 居 簡 より 年 長 であると 推 測 される 81 了 菴 淸 欲 和 尚 語 録 卷 九 の 西 丘 和 尚 樸 翁 禪 師 吟 稿 に 佛 照 禪 師 居 鄮 峰 時 道 福 相 勝 學 者 景 從 天 目 老 祖 上 方 樸 翁 尤 嶄 嶄 出 頭 角 者 ( 中 略 ) 樸 翁 晩 年 亦 爲 葛 天 氏 之 民 參 照 ( 續 藏 經 71 p. 393) 西 丘 和 尚 樸 翁 禪 師 吟 稿 は 現 在 散 佚 したようであるが 卍 新 纂 藏 經 57 所 收 山 陰 義 銛 の 不 可 刹 那 無 此 君 の 末 尾 に 樸 翁 詩 七 首 が 收 められているさらに 禪 宗 頌 古 聯 珠 通 集 宗 鑑 法 林 の 中 に 十 五 首 の 樸 翁 詩 が 散 見 する 淸 厲 鶚 編 宋 詩 紀 事 卷 五 十 九 に 十 三 首 の 樸 翁 詩 が 載 せられている 北 礀 詩 集 の 中 に 北 礀 居 簡 と 樸 翁 との 酬 唱 の 詩 がいくつあり また 北 礀 集 卷 七 に 跋 樸 翁 詩 がある ので 注 意 を 必 要 する 82 大 日 佛 書 101 pp 續 藏 經 57 p. 121また 當 該 文 獻 は 俊 芿 研 究 に 收 載 されるが 兩 本 を 對 照 してみると 後 者 の 場 合 は 最 後 の 部 分 で 四 句 の 偈 が 遺 漏 していることが 分 かる 189

30 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 29 靈 芝 元 照 の 兩 律 師 の 像 また 樓 鑰 に 書 いた 贊 文 を 渡 宋 の 俊 芿 に 贈 ったと 記 している 樓 鑰 による 題 贊 が 加 えられた 南 山 道 宣 靈 芝 元 照 の 畫 像 原 本 は 京 都 の 涌 泉 寺 に 現 存 しており すでに 重 要 文 化 財 に 指 定 されている 兩 律 師 の 畫 像 容 姿 をみると ともに 法 被 をかけ 曲 彔 上 に 結 跏 して 道 宣 律 師 は 兩 手 を 膝 に 置 き 右 手 に 拂 子 元 照 律 師 は 右 手 に 筆 左 手 に 卷 子 を 持 ち まさに 南 宋 の 基 本 的 形 態 をもつ 禪 師 の 頂 相 と 見 える 不 可 刹 那 無 此 君 は 一 句 七 字 三 十 六 句 の 偈 頌 からなり 天 台 の 一 心 三 觀 一 境 三 諦 一 念 三 千 の 義 を 述 べ 摩 訶 止 觀 の 綱 要 を 提 示 する 短 篇 の 書 物 である 同 書 の 跋 84 には 次 のように 記 されている 大 唐 宋 天 台 宗 達 磨 山 陰 沙 門 義 銛 開 禧 丁 卯 暮 春 述 天 台 宗 大 旨 嘉 定 二 年 己 巳 仲 春 四 日 録 贈 日 本 國 芿 法 師 85 上 文 の 天 台 宗 大 旨 とは 不 可 刹 那 無 此 君 を 指 すのであろう 山 陰 義 銛 は 即 ち 開 禧 三 年 (1207) 三 月 に 不 可 刹 那 無 此 君 を 著 していたが 二 年 後 の 嘉 定 二 年 (1209) 二 月 四 日 に 再 び 録 文 して 俊 芿 に 贈 った 不 可 刹 那 無 此 君 の 書 名 は 東 晉 王 羲 之 の 子 であった 王 徽 之 の 言 葉 に 由 來 す る 即 ち 晉 書 卷 八 十 に 嘗 寄 居 空 宅 中 便 令 種 竹 或 問 其 故 徽 之 但 嘯 詠 指 竹 曰 何 可 一 日 無 此 君 邪 86 とあるように 王 徽 之 は 自 家 に 竹 を 植 え ある 人 がその 理 由 を 尋 ねたとこ ろ 一 日 もその 竹 なしではすごせん と 答 えたこの 物 語 によってわか るように 山 陰 義 銛 は 一 日 を 刹 那 にして 自 分 の 書 名 にしたわけで あるただし 問 題 は 王 徽 之 の 場 合 此 君 とは 竹 のことを 意 味 するが 山 陰 義 銛 は 何 を 指 したのであろうか 不 可 刹 那 無 此 君 にある 三 周 正 84 續 藏 經 57 p. 121その 書 題 に 宋 達 磨 山 沙 門 義 銛 述 と 見 える 85 淸 衆 規 式 並 十 六 觀 堂 記 不 可 刹 那 無 此 君 ( 俊 芿 研 究 pp ) 86 百 衲 本 二 十 四 史 10 晉 書 下 臺 灣 商 務 印 書 館 1988 年 1 月 p

31 30 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 體 不 出 此 只 在 平 常 一 念 中 87 の 文 意 から 見 ると 此 君 は 天 台 教 學 の 一 心 三 觀 の 一 心 と 理 解 すればよいが 贈 る 書 物 として 題 名 にいう 此 の 君 は 著 者 自 身 が 親 交 した 俊 芿 のことを 指 す 可 能 性 が 高 いだろう ちなみに 不 可 刹 那 無 此 君 は 俊 芿 を 通 じて 日 本 に 傳 來 してから 寶 永 三 年 (1706)に 叡 山 の 沙 門 秀 雲 孤 巖 が 纂 註 を 施 しており 後 世 において もその 影 響 を 與 えたことは 留 意 すべきである 次 に 北 礀 居 簡 ( )について その 傳 歴 資 料 は 枯 崖 和 尚 漫 録 卷 中 續 傳 燈 録 卷 三 十 五 増 續 傳 燈 録 卷 一 續 燈 存 稾 卷 一 五 燈 嚴 統 卷 二 十 などが 擧 げられるが 彼 の 門 人 と 言 うべき 物 初 大 觀 に よって 淳 祐 十 一 年 (1251)に 書 かれた 居 簡 の 行 状 88 に 最 も 詳 しい 著 作 には 北 礀 集 十 卷 北 礀 詩 集 四 卷 北 礀 居 簡 禪 師 語 録 一 卷 89 など がある 特 に 彼 の 詩 文 は 日 本 五 山 文 學 に 大 きな 影 響 を 與 えたことは 周 知 の 通 りである 北 礀 居 簡 は 字 は 敬 叟 潼 川 ( 現 在 の 四 川 綿 陽 市 )の 人 であり 南 宋 期 の 文 僧 として 有 名 であった 山 陰 義 銛 と 同 じ 佛 照 德 光 の 門 人 であり 十 年 ほ ど 杭 州 靈 隱 寺 の 飛 來 峰 の 北 側 に 止 住 したので 北 礀 と 稱 する 俊 芿 との 間 に 一 體 どのような 交 渉 があったのかまず 元 亨 釋 書 卷 十 三 收 載 の 俊 芿 傳 から 次 の 文 を 擧 げてみよう (ママ) 獨 其 釋 門 正 統 者 繫 芿 而 列 古 雲 之 上 也 豈 有 抑 而 不 得 已 者 與 簡 北 礀 又 稱 芿 者 屢 見 其 集 焉 今 考 其 事 迹 誠 一 代 之 魁 才 也 續 藏 經 57 p. 121b 88 北 礀 居 簡 の 行 狀 は 物 初 大 觀 撰 北 礀 續 集 卷 末 及 び 物 初 賸 語 卷 二 十 四 に 收 録 されているしかし その 兩 書 は 入 手 し 難 いので 本 稿 では 道 津 綾 乃 氏 北 礀 居 簡 の 文 化 的 素 地 について 中 の 引 用 文 に 據 った( 駒 澤 大 學 禪 研 究 所 年 報 年 pp ) 89 北 礀 居 簡 の 著 作 については 椎 名 宏 雄 宋 元 版 禪 籍 研 究 ( 七 ) 衾 北 礀 語 録 外 集 文 集 詩 集 全 集 衾 參 照 ( 印 佛 研 年 pp )また 同 氏 北 礀 と 物 初 の 著 作 に 關 する 書 誌 的 考 察 參 照 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 研 究 紀 要 年 p 大 日 佛 書 101 p

32 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 31 上 文 にいう 列 古 雲 之 上 と 一 代 之 魁 才 とは いずれも 虎 關 師 錬 の 俊 芿 への 敬 意 を 現 わした 言 葉 である 古 雲 とは 北 峰 宗 印 の 門 人 であっ た 古 雲 元 粹 を 指 すのであろう 實 際 に 釋 門 正 統 において 俊 芿 の 名 は 古 雲 元 粹 の 前 に 列 擧 されていたのであるなお 上 文 では 北 礀 居 簡 の 文 集 からしばしば 俊 芿 の 事 蹟 が 見 出 せると 提 示 したが 北 礀 集 と 北 礀 詩 集 を 調 べてみると 前 者 卷 二 收 載 の 湖 州 寶 雲 彬 文 仲 淨 業 記 では 次 の ように 記 している 公 名 了 彬 字 文 仲 湖 州 烏 程 縣 計 氏 子 寶 雲 寺 淸 湛 則 受 業 師 也 十 五 能 誦 妙 法 蓮 花 經 二 十 七 則 發 古 方 書 之 秘 ( 中 略 ) 五 十 而 修 淨 業 即 寶 雲 舊 環 堵 建 繫 念 之 所 結 構 象 設 體 製 大 備 十 友 會 盟 一 志 無 移 日 課 有 常 風 雨 不 渝 剋 期 薰 修 則 北 峰 印 爲 之 主 南 翔 遠 日 本 芿 爲 之 伴 綴 輯 藏 乘 則 諸 子 稽 其 費 諸 孫 相 其 役 凡 根 椽 片 瓦 皆 公 爲 之 倡 七 十 八 而 績 用 成 居 無 何 厭 世 之 念 作 夢 三 僧 雲 間 來 覺 而 笑 曰 此 其 兆 矣 使 速 印 印 至 則 爲 著 解 疑 一 章 91 了 彬 文 仲 ( )は 湖 州 烏 程 縣 の 人 計 氏 の 子 である 十 五 歳 で 妙 法 蓮 華 經 を 誦 じ 五 十 歳 で 淨 業 を 修 したため 寶 雲 寺 を 念 佛 の 道 場 に 建 て 直 し 同 志 者 の 十 人 を 集 め 一 定 の 期 間 中 に 修 行 した 興 味 深 いの は 修 業 に 參 加 した 人 の 中 には 北 峰 宗 印 を 中 心 に 南 翔 ( 寺 )の 遠 や 俊 芿 が 含 まれていたことである 南 翔 遠 とは 南 翔 寺 の 遠 法 師 であったが 詳 細 な 傳 歴 は 不 明 である 前 掲 した 文 中 の 作 夢 三 僧 雲 間 來 とその 後 にある 使 速 印 印 至 という 言 葉 から 見 て 三 僧 とは 恐 らく 北 峰 宗 印 南 翔 遠 俊 芿 の 三 人 を 指 すのであ ろう 雲 間 とは 華 亭 の 別 名 であるつまり 了 彬 文 仲 の 要 請 に 應 じてこの 三 人 は 華 亭 から 湖 州 の 寶 雲 寺 に 赴 いたわけであるこの 記 事 によって 俊 芿 が 華 亭 超 果 寺 に 滯 在 した 時 北 峰 宗 印 南 翔 遠 とともに 湖 州 まで 足 を 運 び 了 彬 文 仲 の 念 佛 修 業 に 參 加 したことが 確 認 できる 91 禪 門 逸 書 初 編 5 北 礀 集 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 p

33 32 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) この 文 は 北 礀 居 簡 の 手 になるので 當 然 ながら 俊 芿 の 動 きを 知 りえた 上 で 書 かれたものであるしかし 二 人 の 間 の 具 體 的 な 交 渉 については 明 確 な 記 録 が 見 えないただし 俊 芿 と 交 流 のあった 山 陰 義 銛 92 や 南 翔 遠 93 そして 後 述 する 樓 鑰 楊 簡 らはすべて 北 礀 居 簡 と 親 しく 往 來 したことがあ り 北 礀 居 簡 の 交 流 した 人 間 關 係 からみると 俊 芿 との 間 には 何 かの 交 流 があっても 不 思 議 ではない 實 際 には 俊 芿 以 降 に 入 宋 した 圓 爾 94 や 天 祐 思 順 95 はいずれも 北 礀 居 簡 について 禪 法 を 學 んだことが 知 られている ( 二 ) 律 僧 との 交 流 宋 代 の 律 學 を 宣 揚 した 人 物 といえば 允 堪 ( )と 元 照 ( )との 名 がよく 知 られている 二 人 ともに 唐 の 道 宣 の 南 山 律 宗 を 復 興 することに 力 を 入 れ 杭 州 を 據 點 として 教 化 に 力 を 入 れたただし 南 山 律 宗 の 作 法 などに 對 して 兩 者 の 見 解 が 異 なり それぞれ 四 分 律 行 事 鈔 會 正 記 と 四 分 律 資 持 記 を 著 し 自 分 の 論 説 を 主 張 し ついに 會 正 派 と 資 持 派 に 分 かれた 96 そのうち 允 堪 の 會 正 派 より 元 照 の 資 持 派 のほ うが 後 繼 者 を 輩 出 し 南 宋 の 佛 教 に 多 大 な 影 響 を 及 ぼしていた 俊 芿 が 依 止 した 律 師 はほとんど 資 持 派 の 系 統 に 屬 した 人 物 である 以 下 俊 芿 が 師 事 した 如 庵 了 宏 を 始 め 南 宋 の 律 僧 との 交 流 を 檢 討 してみたい 如 庵 了 宏 に 關 する 資 料 は 意 外 に 少 ない 元 禄 二 年 (1689)に 成 立 した 慧 92 北 礀 詩 集 卷 二 に 酬 銛 樸 翁 梅 花 四 首 劉 改 之 題 王 揔 幹 虜 中 懷 親 帖 拉 樸 翁 與 余 同 賦 樸 翁 加 冠 巾 蘇 召 叟 訝 予 不 嘲 同 書 卷 三 に 樸 翁 約 効 誠 齋 分 題 得 月 色 參 照 ( 禪 門 逸 書 初 編 5 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 p ) 93 北 礀 集 には 南 翔 遠 老 幹 麥 豆 莊 疏 一 文 も 見 出 せる( 禪 門 逸 書 初 編 5 北 礀 集 臺 灣 明 文 書 局 1980 年 p. 138) 94 東 福 開 山 聖 一 國 師 年 譜 の 仁 治 元 年 庚 子 ( 嘉 熙 四 年 1240)の 項 に 師 三 十 九 歳 敬 叟 簡 棲 飛 來 峰 北 礀 望 尊 一 時 師 往 求 法 語 簡 曰 徑 山 執 不 立 文 字 之 柄 拂 儞 知 解 之 塵 吾 豈 說 葛 藤 禪 參 照 ( 大 日 佛 書 95 p. 133) 95 高 橋 秀 榮 入 宋 僧 天 祐 思 順 について 參 照 ( 印 佛 研 年 pp ) 96 會 正 派 と 資 持 派 に 關 する 研 究 は 岡 平 本 一 北 宋 代 の 律 宗 における 會 正 家 と 資 持 家 について 參 照 ( 駒 澤 大 學 禪 研 究 所 年 報 年 3 月 pp ) 185

34 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 33 堅 撰 律 苑 僧 寶 傳 卷 九 の 宋 四 明 景 福 寺 如 庵 宏 律 師 傳 に 以 下 の 記 述 が 見 られる 律 師 諱 了 宏 字 如 庵 未 詳 其 族 里 受 業 於 法 政 律 師 諸 部 毘 尼 無 不 穿 穴 而 名 声 炳 燿 出 住 四 明 景 福 寺 開 闡 律 教 訓 導 學 子 而 從 之 遊 者 偃 然 若 風 之 於 草 沛 然 若 水 之 於 壑 也 有 嗣 法 上 首 兩 人 日 山 守 一 律 師 本 邦 俊 芿 律 師 97 如 庵 は 諱 を 了 宏 字 を 如 庵 という 出 身 は 未 詳 法 政 律 師 について 修 行 を 受 け 諸 部 の 毘 尼 に 通 じ 四 明 景 福 寺 に 住 して 律 教 を 弘 め 名 声 を 馳 せ た 嗣 法 者 には 日 山 守 一 や 俊 芿 などがあった 如 庵 了 宏 は 法 政 律 師 の 門 人 であったので その 律 學 傳 承 について 少 なく とも 北 宋 の 元 照 まで 遡 ることができる 即 ち 元 照 律 師 道 標 律 師 惟 一 律 師 法 政 律 師 了 宏 律 師 實 は 法 政 律 師 の 門 下 に また 上 翁 妙 蓮 ( ) 98 がおり さらに 上 翁 妙 蓮 の 門 下 から 石 林 行 居 や 日 本 の 眞 照 律 師 99 などが 輩 出 した 一 方 如 庵 了 宏 の 門 下 から 日 山 守 一 や 俊 芿 が 出 ており また 日 山 守 一 の 門 下 に 日 本 僧 の 曇 照 律 師 100 もいた 要 するに 法 政 律 師 から 日 山 守 一 までの 門 下 周 邊 において 入 宋 僧 も 活 躍 したことに 注 目 すべきである 日 山 守 一 は 鐵 翁 守 一 101 ともいうその 傳 歴 について 不 明 であるが 97 大 日 佛 書 105 p この 生 卒 年 は 大 野 法 道 の 指 摘 による( 佛 書 解 說 大 辭 典 10 大 東 出 版 社 1965 年 11 月 p. 135) 99 律 苑 僧 寶 傳 卷 十 三 律 師 眞 照 俗 姓 未 詳 ( 中 略 ) 遂 以 正 元 初 航 海 入 宋 當 理 宗 開 慶 元 年 依 妙 蓮 律 師 於 廣 福 行 居 律 師 于 竹 林 參 照 ( 大 日 佛 書 105 p. 277) 100 律 苑 僧 寶 傳 卷 十 一 律 師 諱 淨 業 字 法 忍 其 號 曰 曇 照 ( 中 略 ) 値 寧 宗 嘉 定 七 年 事 鐵 翁 一 律 師 踞 巾 峰 名 高 當 代 師 登 其 門 重 受 具 戒 參 照 ( 大 日 佛 書 105 p. 252) 184

35 34 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 終 南 家 業 と 律 宗 會 元 の 著 作 が 現 存 している 俊 芿 と 日 山 守 一 との 交 流 について 終 南 家 業 卷 二 收 載 の 答 日 本 芿 法 師 教 觀 諸 問 から 確 認 することができるなお 答 日 本 芿 法 師 教 觀 諸 問 を 一 見 して 南 宋 滯 在 中 の 俊 芿 に 送 ったものと 思 われるかもしれないが 實 は 俊 芿 歸 國 後 に 書 かれたものと 見 なすべきである 102 何 故 なら 文 の 冒 頭 に 以 下 の 記 載 が 見 えるからである 日 本 芿 師 爲 法 之 切 於 慶 元 間 泛 舶 東 來 彼 時 先 師 如 庵 開 法 景 福 芿 即 依 學 十 有 餘 年 縁 異 音 不 解 毎 別 席 指 教 芿 乃 討 論 分 陰 不 廢 大 小 部 文 一 宗 教 觀 無 不 通 達 後 遊 參 諸 方 彼 有 不 入 其 門 者 妄 測 堂 奧 之 淺 深 於 是 作 疑 而 激 學 者 余 嘗 會 語 扣 知 彼 懷 而 非 實 疑 也 彼 文 一 出 餘 二 十 年 將 謂 公 心 義 士 能 洞 也 ( 中 略 ) 庚 寅 中 制 日 山 述 103 文 末 に 庚 寅 中 制 と 記 されているように 紹 定 三 年 (1230)に 書 かれ たものである 主 に 俊 芿 入 宋 後 景 福 寺 如 庵 了 宏 のもとで 律 學 や 天 台 など を 孜 孜 として 研 學 したことを 述 べている 紹 定 三 年 は 俊 芿 が 示 寂 した 三 年 後 のことである 日 山 守 一 が 俊 芿 の 示 寂 を 知 っていたかどうか 不 明 であ るが 文 を 書 いた 紹 定 三 年 から 逆 算 してみると 文 中 にいう 彼 文 一 出 餘 二 十 年 云 々とは やはり 嘉 定 二 年 (1209)に 杭 州 において 律 宗 問 答 を 行 った 際 に 俊 芿 から 投 じられた 質 問 の 内 容 を 振 り 返 って 述 べたものであ ろう 即 ち 俊 芿 が 打 ち 出 した 彼 文 とは 律 宗 問 答 所 收 の 三 十 問 と 答 日 本 芿 法 師 教 觀 諸 問 104 にみられる 彼 云 五 義 分 通 疑 彼 云 増 受 101 鐵 翁 守 一 の 別 稱 については 西 巖 了 慧 禪 師 語 録 卷 下 に 福 源 鐵 翁 律 師 像 吉 祥 嗣 法 大 宗 師 請 の 著 律 宗 會 元 眞 破 律 之 宗 主 集 祖 師 家 業 乃 謗 祖 之 師 門 によって 鐵 翁 守 一 は 福 源 鐵 翁 ともいうことが 知 られるこの 福 源 は 未 詳 であるが 寺 名 あるいは 地 名 であろう( 續 藏 經 122 p. 367) 102 この 記 事 について 律 宗 問 答 卷 上 の 割 註 に 俊 芿 皈 國 後 守 一 作 答 釋 遥 寄 於 日 本 國 其 答 釋 戴 在 終 南 家 業 卷 上 末 とある( 續 藏 經 105 p. 684) 103 續 藏 經 105 pp 續 藏 經 105 pp

36 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 35 菩 薩 戒 疑 などの 二 十 問 を 合 わせた 五 十 問 の 内 容 を 指 すのである 答 日 本 芿 法 師 教 觀 諸 問 に 取 り 上 げた 律 學 とくに 菩 薩 戒 の 重 受 か 不 重 受 かな どの 議 論 に 對 して 日 山 守 一 は 不 重 受 の 立 場 を 主 張 したのである 105 俊 芿 は 日 山 守 一 と 教 學 的 な 交 流 を 行 った 一 方 上 翁 妙 蓮 との 交 流 もあっ たようであるこれについて 上 翁 妙 蓮 著 の 蓬 折 箴 では 次 のように 述 べている 噫 一 百 二 十 州 之 大 訓 兩 浙 僅 在 其 名 可 謂 中 間 笑 法 笑 法 矣 妙 蓮 下 壇 時 日 本 芿 法 師 來 略 得 識 面 惜 乎 不 曾 與 言 後 見 其 所 出 問 答 知 彼 解 行 可 歸 ( 中 略 ) 乙 卯 十 月 旦 滄 洲 祖 關 上 翁 妙 蓮 云 爾 106 上 文 の 内 容 は 文 末 の 乙 卯 十 月 から 分 かるように 寶 祐 三 年 (1255) に 書 かれ 俊 芿 歸 國 後 の 四 十 四 年 ほどにあたる 記 録 である 上 翁 妙 蓮 の 傳 記 は 未 詳 であるが 彼 の 生 卒 年 からみると 俊 芿 より 十 六 歳 下 の 後 輩 で 俊 芿 が 宋 地 にいた 當 時 二 十 五 歳 前 後 であったと 推 測 される 上 掲 の 文 意 を 見 る 限 り 上 翁 妙 蓮 と 俊 芿 とは 面 識 を 交 わすのみで 言 葉 の 遣 り 取 りが なかったようである 實 は 上 翁 妙 蓮 と 日 本 僧 との 交 渉 については 上 文 の 中 略 のところに (ママ) 嘉 定 至 於 淳 祐 果 有 學 律 者 來 唯 忍 敬 二 法 師 相 聚 連 年 與 之 義 論 頗 得 稠 密 一 別 再 化 各 處 天 一 涯 不 知 其 回 國 之 道 況 何 如 107 と 記 されているこれによって 上 翁 妙 蓮 は 嘉 定 ( )から 淳 祐 ( )までの 間 に 日 本 僧 の 忍 敬 二 法 師 と 長 年 にわたって 律 學 などを 議 論 したことが 分 かるここで 忍 は 前 掲 した 曇 照 法 忍 の 可 能 性 が 高 いが 敬 は 俊 芿 弟 子 の 思 敬 であるかもしれない 105 重 受 という 問 題 は 土 橋 秀 高 俊 芿 律 師 の 提 起 せる 菩 薩 戒 重 受 の 問 題 に 詳 しい( 俊 芿 研 究 pp ) 106 續 藏 經 60 p 續 藏 經 60 p

37 36 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) ちょっと 話 は 戻 るが 如 庵 了 宏 に 師 事 した 期 間 については 各 文 獻 によ って 異 なっている 前 掲 した 答 日 本 芿 法 師 教 觀 諸 問 の 冒 頭 にいう 十 有 餘 年 を 含 め 北 峰 宗 印 の 法 語 にいう 一 坐 五 年 108 本 朝 高 僧 傳 の 隨 事 六 載 109 そして 不 可 棄 傳 にいう 僅 跨 三 年 110 などの 四 説 が 見 出 せる 四 説 のうち 俊 芿 の 行 歴 を 全 體 的 に 考 えてみると 如 庵 了 宏 に 師 事 した 期 間 はやはり 不 可 棄 傳 にいう 僅 跨 三 年 が 一 番 事 實 に 近 く 即 ち 慶 元 六 年 (1200)の 春 から 嘉 泰 二 年 (1202) 十 月 五 日 にかけて の 三 年 間 であると 思 われる 如 庵 了 宏 の 生 卒 年 については 資 料 が 乏 しく 不 明 であるが 俊 芿 將 來 品 の 中 に 如 庵 舎 利 三 粒 111 があるので 歸 國 の 前 にすでに 示 寂 したのではな いかと 考 えられるこれに 關 連 して 前 にも 述 べたように 嘉 定 四 年 (1211)の 春 歸 國 直 前 の 俊 芿 が 景 福 寺 に 再 訪 した 際 に 住 持 者 の 道 常 が 出 迎 えたということからも 推 測 可 能 である また 嘉 定 二 年 (1209)に 杭 州 において 律 學 の 論 議 を 行 った 際 に 日 山 守 一 だけではなく ほかの 律 師 とも 交 渉 したことは 注 目 に 値 する 當 時 の 論 議 にどれほどの 人 が 參 加 したかは 不 明 であるが 律 宗 問 答 によれば 俊 芿 の 質 問 に 對 して 回 答 を 出 した 人 は 少 なくとも 杭 州 不 空 教 院 住 持 の 了 然 律 師 會 稽 郡 姚 江 ( 現 在 の 浙 江 省 餘 姚 市 ) 極 樂 院 の 智 瑞 律 師 杭 州 無 相 芝 巖 蘭 若 の 淨 懷 そして 杭 州 淨 梵 院 の 妙 音 などの 四 人 であったという この 四 人 の 傳 歴 について 淨 懷 を 除 き ほかの 三 人 は 律 苑 高 僧 傳 卷 108 日 本 俊 芿 法 師 慶 元 之 末 來 遊 大 宋 掛 錫 明 州 景 福 院 有 宏 律 師 坐 下 一 坐 五 年 精 通 律 學 遂 遍 入 諸 山 禪 講 之 室 嘉 泰 四 年 抵 華 亭 超 果 參 照 淸 衆 規 式 並 十 六 觀 堂 記 法 語 ( 俊 芿 研 究 所 收 p. 399) 109 本 朝 高 僧 傳 卷 五 十 八 淨 律 五 之 二 京 兆 泉 涌 寺 沙 門 俊 芿 傳 に 六 年 春 往 四 明 依 景 福 寺 如 庵 了 宏 律 師 肄 習 毘 尼 随 事 六 載 開 遮 持 犯 渙 然 氷 釋 嘉 泰 二 年 冬 又 登 台 山 とみえるこの 文 の 冒 頭 にある 六 年 春 は 慶 元 六 年 (1200)の 春 こ とで 嘉 泰 二 年 (1202)までは 三 年 未 滿 の 期 間 しかないしたがって 該 書 の 記 事 には 矛 盾 があるので 六 載 というのは 誤 寫 の 可 能 性 がある( 大 日 佛 書 103 p. 763) 110 大 日 佛 書 115 p 同 上 p

38 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) 37 九 に 宋 了 然 智 瑞 妙 音 三 律 師 傳 112 と 題 する 簡 略 な 記 述 が 見 える 先 にも 言 及 したように 了 然 は 杭 州 菩 提 律 寺 の 住 持 後 繼 者 とされる 人 物 であ り 著 作 に 授 菩 薩 戒 儀 一 卷 釋 門 歸 敬 儀 通 眞 記 113 三 卷 があるが 現 存 するのは 後 者 のみである 智 瑞 は 洞 微 集 十 卷 を 著 したが 現 存 して いないようである 律 宗 問 答 の 冒 頭 には 智 瑞 によって 書 かれた 次 の 一 文 がある 智 瑞 久 聞 名 字 之 香 未 瞻 庭 角 之 秀 嘉 定 己 巳 仲 秋 忽 得 教 觀 五 十 問 乃 審 所 云 云 異 科 欲 兩 國 學 宗 徹 見 律 海 ( 中 略 ) 是 月 望 日 會 稽 郡 姚 江 極 樂 座 主 智 瑞 頓 首 拜 上 114 久 聞 名 字 之 香 未 瞻 庭 角 之 秀 の 二 句 は 俊 芿 に 對 する 智 瑞 の 贊 辭 と 見 てよかろうただし 上 文 の 書 式 と 言 葉 からみると この 書 はただ 俊 芿 に 呈 出 したものであり 智 瑞 と 俊 芿 とは 實 際 には 面 會 していなかったようで あるまた 不 可 棄 傳 では 智 瑞 は 俊 芿 の 智 德 を 仰 ぎ 畫 工 に 命 じて 俊 芿 の 像 を 描 かせ それに 像 贊 を 付 して 祖 堂 に 掛 けて 供 養 したと 傳 えられて いる 115 教 觀 五 十 問 というのは 俊 芿 の 質 問 に 對 して 日 山 守 一 や 了 然 などの 律 僧 から 得 た 回 答 内 容 を 纏 めたものであるこれらの 論 題 はまさに 當 時 の 佛 教 々 學 の 中 心 問 題 であり こうした 質 問 を 通 じて 宋 代 の 佛 教 教 學 に 大 きな 波 紋 をなげかけたに 違 いないし 俊 芿 自 身 が 關 心 を 持 った 教 學 がどの へんにあったのかを 多 少 とも 推 し 量 ることができるだろうなお これに 關 する 詳 細 な 論 考 は 別 稿 に 譲 りたい 112 大 日 佛 書 105 p 具 體 的 な 名 稱 は 釋 門 歸 敬 儀 通 眞 記 と 言 うべきである 該 書 は 續 藏 經 105 所 收 本 の 題 名 下 に 大 宋 蕭 山 沙 門 了 然 述 と 見 える 114 續 藏 經 105 p 大 日 佛 書 115 p

39 38 南 宋 における 俊 芿 の 行 歴 ( 定 源 ) ( 三 ) 教 僧 との 交 流 俊 芿 が 交 流 した 教 僧 といえば まず 北 峰 宗 印 ( )の 名 を 擧 げ るべきである 周 知 のように 中 國 の 天 台 學 史 において 隋 の 天 台 智 顗 ( ) 唐 の 荊 溪 湛 然 ( ) 宋 の 四 明 知 禮 ( )などが 重 要 な 人 物 である また 知 禮 以 降 の 宋 代 において 四 明 三 家 と 呼 ば れる 神 照 本 如 ( ) 廣 智 尚 賢 ( 生 卒 年 未 詳 ) 南 屛 梵 臻 (? 1103)がよく 知 られて いる 俊 芿 の 宋 地 滯 在 中 に 神 照 系 の 天 台 學 はすでに 衰 退 しており ただ 廣 智 系 と 南 屛 系 の 二 家 が 存 續 していたようである 北 峰 宗 印 は 竹 庵 可 觀 の 門 下 から 出 た 天 台 僧 であり 南 屛 系 に 屬 していた 天 台 學 の 相 承 系 譜 は 次 の 通 りである 四 明 知 禮 南 屛 梵 臻 慈 辯 從 諫 車 溪 擇 卿 竹 庵 可 觀 北 峰 宗 印 北 峰 宗 印 の 傳 記 については 釋 門 正 統 卷 七 佛 祖 統 紀 卷 十 六 佛 祖 歴 代 通 載 卷 二 十 一 補 續 高 僧 傳 卷 三 などに 見 えるこれまで 大 松 博 典 による 北 峰 宗 印 の 傳 記 とその 思 想 について 幾 つかの 論 考 があり 116 參 照 すべきであるここでは 本 題 に 關 連 して 北 峰 宗 印 と 俊 芿 との 交 渉 を 中 心 に 檢 討 してみたい 宗 印 は 字 を 元 實 號 を 北 峰 といい 塩 官 ( 現 在 の 浙 江 海 寧 市 )の 出 身 であ った 十 五 歳 で 具 足 戒 を 受 け 初 めに 四 明 知 禮 山 家 派 の 南 屛 系 の 竹 庵 可 觀 ( )に 師 事 して 天 台 教 觀 を 研 鑽 したが しばらくして 象 田 寺 の 圓 悟 演 117 に 參 じて 圓 悟 演 から 西 來 意 を 問 われ 禪 も 修 學 したのち 通 守 蘇 116 その 三 つの 論 文 は 1 北 峰 宗 印 の 教 學 とその 背 景 ( 印 佛 研 年 pp ) 2 南 宋 天 台 研 究 序 說 宗 印 法 照 の 場 合 ( 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 年 pp ) 3 北 峰 宗 印 の 研 究 ( 駒 澤 大 學 大 學 院 佛 教 學 研 究 年 報 年 pp ) 117 象 田 寺 の 圓 悟 演 は いったい 誰 であろうか 大 松 博 典 は 北 峰 宗 印 の 研 究 において 安 藤 俊 雄 の 臨 濟 宗 の 五 祖 法 演 であるという 説 に 對 して 五 祖 法 演 の 卒 年 が 1104 年 であることから 圓 悟 演 ではないといえようと 指 摘 している( 駒 澤 大 學 大 學 院 佛 教 學 研 究 年 報 年 p. 35) 179

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