トマス アクィナス 教師論 三上茂訳 以下に翻訳した 教師論 はトマス アクィナスの 真理論 の第 1 1 問題として トマスが 年から 年の間にパリ大学神学部で教えていた間に行われた討論 d i s p u t a t i o の結果である これは中世大学の教師 m

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1 トマス アクィナス 教師論 三上茂訳 以下に翻訳した 教師論 はトマス アクィナスの 真理論 の第 1 1 問題として トマスが 年から 年の間にパリ大学神学部で教えていた間に行われた討論 d i s p u t a t i o の結果である これは中世大学の教師 m a g i s t e r が定期的に行われなければならなかった正規の公開討論の結果を討論問題集 q u a e s t i o n e s d i s p u t a t a e という形式に纏めたものである トマスは 真理論 に おいて 2 9 の問題を論じたが 教師論 はその中の一つであり 聖アウグスティヌスの対話編 教師論 の主題を引き継ぎながら アリストテレスの認識論の線に沿って 人間的教師の果たす役割に積極的な意味を認めている 使用したテキストは S. T h o m a e A q u i n a t i s Q u a e s t i o n e s D i s p u t a t a e, V o l u m e n I. D e V e r i t a t e, C u r a e t s t u d i o P. F r. R a y m u n d i S p i a z z i, O. P., E d i t i o V I I I r e v i s a, T a u r i n i / R o m a, M a r i e t t i, のうちの第 1 1 問題 D e M a g i s t r o ( p p ) と S. T h o m a e A q u i n a t i s S u m m a T h e o l o g i a e, C u r a e t s t u d i o S a c. P e t r i C a r a m e l l o c u m t e x t u e x r e c e n s i o n e L e o n i n a, P a r s P r i m a e t P r i m a S e c u n d a e, R o m a, M a r i e t t i, のうちの第 問題 D e h i s q u a e p e r t i n e t a d a c t i o n e m h o m i n i s の第 1 項 U t r u m u n u s h o m o p o s s i t a l i u m d o c e r e ( p p ) である なお S a i n t T h o m a s d ' A q u i n, Q u e s t i o n s D i s p u t e e s s u r l a V e r i t e, Q u e s t i o n X I : L e M a i t r e ( D e m a g i s t r o ), P r e f a c e d e J e a n C h a t i l l o n, T e x t e l a t i n d e l ' e d i t i o n L e o n i n e, I n t r o d u c t i o n, t r a d u c t i o n e t n o t e s p a r B e r n a d e t t e J o l l e s, S e c o n d e e d i t i o n, P a r i s, J. V r i n, のテキストも参照 した その他 T h o m a s v o n A q u i n, U e b e r d e n L e h r e r D e m a g i s t r o, Q u a e s t i o n e s d i s p u t a t a e - 1 -

2 d e v e r i t a t e Q u a e s t i o X I, S u m m a t h e o l o g i a e P a r s I, q u a e s t i o 1 1 7, a r t i c u l u s 1, H e r a u s g e g e b e n, u e b e r s e t z t u n d k o m m e n t i e r t v o n G. J u e s s e n, G. K r i e g e r, J. H. J. S c h n e i d e r. M i t e i n e r E i n l e i t u n g v o n H. P a u l i. L a t e i n i s c h - D e u t s c h, F e l i x M e i n e r V e r l a g, H a m b u r g, および S t. T h o m a s A q u i n a s, T r u t h, T r a n s l a t e d f r o m t h e d e f i n i t i v e L e o n i n e t e x t b y J a m e s V. M c G l y n n, S. J. V o l u m e I I, Q u e s t i o n s X - X X, H e n r y R e g n e r y C o., C h i c a g o, をも参照した 真理論 第 1 1 問題 教師論 第一に問われることは 人間は教えることができ 教師と言われ得るか それとも神だけがそうなのかということである 第二に ある人は自分自身の教師と言われ得るかどうか 第三に 人間は天使によって教えられ得るかどうか 第四に 教えることは活動的生活の行為であるのか それとも観想的生活の行為であるのか 第 1 項 第一に 人間は教えることができ 教師と言われ得るのか それとも神だけがそうなのかが問われる 1 ) 神だけが教え 教師と言われるべきであると思われる 1. マタイ 2 3, 8 に 2 ) こう言われている あなたがたの教師はただひとりである そしてそれに先行して ラビと呼ばれてはならない と言われている それに関してヒエロニムスの注釈 3 ) は次のように言う それは あなたがたが神の栄誉を人間に帰したり あるいは神に属するものをあなたがたのために奪う - 2 -

3 ことがないためである それゆえに 教師であること あるいは教えることは神にのみ属することであると思われる 2. さらに もし人間が教えるとすれば そのことはある記号による以外にない なぜならば 誰かある人が歩くこととは何かと問われて 歩いてみせる場合のように たとえ事柄それ自体によってあることが教えられるように思われるとして も このことは アウグスティヌスが 教師論 という書物 [ 第 3 章 ] で 4 ) 言って いるように ある記号が付け加えられるのでなければ 教えるために十分ではないからである そして彼はそのことを 同一の事柄のうちには多くの要素が合流しているということから証明している それゆえ その事柄から何に関して すなわち実体に関してか それとも実体のある付帯性に関してか 演示がなされているのかは知られないであろう しかし 記号によって事柄の認識へと到達することはできない というのは 事柄の認識は記号の認識よりもすぐれているからである 5 ) なんとなれば 記号の認識は ちょうど手段が目的へと秩序づけられているように 事柄の認識へと秩序づけられているからである しかるに 結果はその原因よりもすぐれていることはない 6 ) それゆえ 誰もある人にある事柄の認識を伝えることはできず このようにして その人を教えることはできない 3. さらに もし人間によって 事柄のある記号がある人に提示されるならば その記号を提示されるその人は その記号がそれの記号であるところのあの事柄を認識しているか それとも認識していないかのいずれかである しかるに もし彼がその事柄を認識しているならば 彼はそれについて教えられることはない しかし もし彼が認識していないとすれば その事柄を知らないのであるから その記号の意味もまた認識され得ない なぜなら 石であるこの事物を知らない人は 石 というこの名が何を意味しているかを知ることはできないからである しかし もし記号の意味を知らないならば われわれは記号によってある事柄を学ぶことはできない それゆえ もし人が記号を提示することよりほかに 教えるために何もしないとすれば 人間は人間によって教えられることはできないと思われる 7 ) 4. さらに 教えることは他の人のうちに何らかの仕方で知識を原因することにほかならない しかし 知識の主体は知性である しかるに 人間がそれによってのみ教えられ得ると思われる可感的記号は知性的部分にまでは到達せず 可感 - 3 -

4 的能力のうちにとどまる 8 ) それゆえ 人間は人間によって教えられることはできない 5. さらに もし知識が他の人からひとりの人のうちに原因されるのであれば その知識は学ぶ者のうちに内在していたか それとも内在していなかったかのいずれかである もし内在していなかったとすれば その結果ひとりの人間は他の人間のうちに知識を原因することになるが このことは不可能である しかるに もし知識が内在していたとすれば それは完全な現実態において内在していたのか - そしてこのようにして その知識は原因されることはできない というのは 存在しているものは生ずることはないからである - それとも 種的原理に従って内在していたのかのいずれかである 種的原理はいかなる創造された力によっても現実態へと引き出されることは不可能なのであって ただ神によってのみ自然のうちに植えつけられていることはアウグスティヌスが 創世記逐語的注解 9 ) において言っているとおりである それゆえ 残るところは ひとりの人間は他の人間をいかなる仕方でも教えることはできないということである 6. さらに 知識はある種の付帯的なものである しかるに 付帯的なものは基体を変化させない 1 0 ) それゆえ 教授は教師から生徒への知識の注入にほかならないと思われるから ひとりの人間は他の人間を教えることはできない 7. さらに ローマ人への手紙 1 0, 1 7 の 信仰は聞くことによる 1 1 ) に関して 注釈 は次のように言っている 神が内面において教えたもうことは明らかである しかしながら 説教者は外的に宣べ伝えるのである 1 2 ) しかし 知識は精神のうちに内的に原因されるのであって 感覚のうちに外的に原因されるのではない それゆえ 人間はただ神によってのみ教えられるのであって 他の人間によって教えられるのではない 8. さらに アウグスティヌスは 教師論 において次のように言っている ただ神のみが天に玉座を持っておられるのであって この方が真理を内的に教えたもうのである しかるに 人間はこの玉座に対して ちょうど農夫が樹木に対するのと同じ関係にある 1 3 ) しかし 農夫は樹木を造る者ではなくて 樹木を育てる者である それゆえ 人間は知識を与える者と言われることはできないのであって 知識へ向かって援助する者と言われるのである - 4 -

5 9. さらに もし人間が真に教える者であるとすれば 彼は真理を教えなければならない しかし 誰であれ真理を教える者は精神を照明する というのは 真理は精神の光であるからである それゆえ 人間は もし彼が教えるとすれば 精神を照明するのである しかし このことは誤りである なぜなら 神は 世 に来てすべての人を照らす ( ヨハ 1, 9 ) お方だからである それゆえに 人間 は他の人間を真に教えることはできない 1 0. さらに もしひとりの人間が他の人間を教えるとすれば その人は彼を可能的に知れる者から現実的に知れる者にしなければならない それゆえ 彼の知識は可能態から現実態へと引き上げられなければならない しかし 可能態から現実態へと引き上げられるものは変化させられることが必要である それゆえ 学知ないし叡智は変化させられることになるであろう そのことは 8 3 問題集 1 4 ) において次のように言っているアウグスティヌスに反する 人間に近づいてくる叡智はそれ自身が変化させられるのではなくて 人間を変化させるのである 1 1. さらに 学知は知る物の知られる物への同化であると言われるから それは事物の魂への書き込みにほかならない 1 5 ) しかし 人間は他者の魂のなかに事物の似像を書き込むことはできない なぜなら そのようにして彼は他者のうちに内的に働きかけることになるであろうが そのことはただ神にのみ属することである 1 6 ) それゆえ 人間は他者を教えることはできない 1 2. さらに ボエティウスは 哲学の慰め ( 第 5 巻第 5 散文 ) において次のように言っている 人間の精神はただ教授によってのみ知ることへと動かされる 1 7 ) しかし 知性を知ることへと動かす者は ちょうど誰かを肉眼で見ることへと動かす者が 彼を見えるようにするのではないのと同じように 彼を知るようにするのではない それゆえ 人間は他者を知るようにするのではない そしてそのようにして 彼は厳密には他者を教えると言われることはできない 1 3. さらに 学知には認識の確実さが要求される さもなければ それはアウグスティヌスが 教師論 1 8 ) で言っているように 意見か軽信であって 学知ではないであろう しかし ひとりの人間は他者のうちに彼が提示する可感的な記号によって確実性を作ることはできない なぜなら 感覚のうちにあるものは知性のうちにあるものよりもはっきりしないからである しかし 確実性はいつもよ - 5 -

6 り正しいあるものに対して与えられる それゆえ ひとりの人間は他者を教えることはできない 1 4. さらに 学知のために要求されるのは可知的光と形象以外のものではない しかし そのいずれもひとりの人間のうちに他者によって原因されることはできない なぜなら そのように単純な形相は創造によって以外には産み出され得ないと思われるから 人間はあるものを創造することが必要となるであろうからである それゆえ 人間は他者のうちに学知を原因することはできない そしてそのように教えることもできない 1 5. さらに アウグスティヌスが 自由意志 ( 第 1 巻 第 1 3 章 ) 1 9 ) において言っているように ただ神以外には何者も人間の精神を形相づけることはできない しかし 学知は精神のある種の形相である それゆえ ただ神だけが魂のうちに学知を原因したもうのである 1 6. さらに ちょうど罪が精神のうちにあるように 無知もまた精神のうちにある しかし ひとり神だけが罪から精神を清められる わたし このわたしは わたし自身のために あなたの背きの罪をぬぐい ( イザ 4 3, 2 5 ) それゆえ ひとり神だけが精神を無知から清められる そしてそのように ひとり神だけが教えたもう 1 7. さらに 学知は確実な認識であるから 2 0 ) ある人はその言葉によって確証される人から学知を受け取る しかし ある人は人間が話すのを聞くことから確証を得るのではない もしそうでなければ 何であれある人にある人間によって言われることは その人に確実なものとして確証を与えることになろう しかし 人が確証を与えられるのはただ真理が語るのを内部で聞くことによってだけである 2 1 ) 人間から聞くことについてさえ それが確実なものとなるように 彼は内部で語る真理に助言を求めるのである それゆえに 人間は教えないのであって 内部で語る真理 すなわち神が教えたもうのである 1 8. さらに 誰も質問されて 他者が語る前にも答えるであろう事柄を他者の言葉によって学ぶ者はない しかし 生徒は教師が語る前にも 教師が提示する事柄について質問されれば 答えるであろう なぜなら 生徒は教師が提示するように事柄がそのような状態にあるということを認識するのでない限り 教師の言葉から教えられることはないからである 2 2 ) それゆえに ひとりの人間は他者の - 6 -

7 言葉によって教えられないであろう 他面 その反対の論に言う 1. テモテへの手紙二 には次のように言われている箇所がある わたしは宣教者 教師に任命されました ( 1, 1 1 ) それゆえに 人間は教師であり得るし 教師と言われ得る 2. さらに テモテへの手紙二 に次のように言われている これらのことを人々に思い起こさせ 言葉をあげつらわないようにと 神の御前で厳かに命じなさい ( 3, 1 4 ) このことについて 注釈 は次のように言う 真の教師からのようにわたしから ( 聞きなさい ) 2 3 ) それゆえ このように前項と同じである 3. さらに マタイによる福音書 で同時に次のように言われている あなたがたは 先生 と呼ばれてはならない あなたがたの父は天の父おひとりだけだ しかし 神がすべての者の父であるというこのことは 実際 人間もまた真に父と言われ得るということを排除しない それゆえ このことによっても 実際人間が教師と言われ得るということを排除しないのである 4. ローマの信徒への手紙 の 良い知らせを伝える者の足は なんと美しいことか 2 4 ) ( 1 0, 1 5 ) という箇所について 注釈 は次のように言う それは教会を照らす足である 2 5 ) しかし 語られているのは使徒パウロについてである それゆえ 照明することは教師の行為であるから 教えることは人間に属すると思われる 5. さらに 形而上学 第 3 巻 2 6 ) において言われているように 各々のものは自らに似たものを産み出すことができるとき 完全である しかし 学知はある種の完全な認識である それゆえ 学知を持っている人間は他者を教えることができる 6. さらに アウグスティヌスは マニ教徒駁論 において 2 7 ) 次のように言っている 地が罪の前には泉によって潤されたが 罪の後には雲から下ってくる雨を必要としたように 人間の精神 - それは地によって示されている - は罪の前 - 7 -

8 には真理の泉によって養われたが 罪の後には実際 あたかも雲から下ってくる 雨のように 他者の教授を必要としている ( 第 2 巻 第 4 章 ) それゆえ 罪の後には人間は人間によって教えられるのである 以上に答えて わたしはこう言うべきだとする 次の三つの問題において同じ意見の相違がある すなわち 形相を存在へともたらすこと 徳の獲得 学知の獲得の三つにおいてである A ) ある人々は 可感的形相はすべて外部から すなわち 実体あるいは分離された形相から来ると言った 彼らはそれを形相の与え手あるいは能動知性と呼ぶ またすべてのより劣った自然的能動者は形相の受容のために質料を準備するようなものにほかならないと言った 2 8 ) 同様に アヴィセンナもまた彼の 形而上学 において われわれの行為は道徳的に尊敬に値する習慣の原因ではなくて 行為はその反対を禁じ 人間の魂を完成させる実体 - それは能動知性あるいはそれに似た実体であるが - によってこの習慣が生ずるようにこの習慣へと修正するのだと言っている 2 9 ) 同様にまた彼らは 学知は分離された能動者によってでなければわれわれのうちには生ぜしめられないと主張している それゆえ アヴィセンナは 自然について 第 6 部において ( 第 4 巻 第 2 章 ) 可知的形相は能動知性からわれわれの精神の中へと流入すると主張するのである 3 0 ) B ) ある者はそれらとはまったく正反対の意見である すなわち すべてこれらのものは事物に与えられてあるのであって 外的なものから原因を得るのではなく ただただ外的な行為によって顕わにされるということなのである なぜなら ある人々は 3 1 ) すべての自然的形相は質料のうちに隠されて現実的に存在し そして自然的能動者はそれらを隠された状態から顕わな状態へともたらす以外のことをしないのだと主張したからである 同様にまたある人々は 3 2 ) 徳のすべての習慣はわれわれに自然から与えられてあるのであって ちょうど鉄の輝きが見得るものとされるために 錆が鑢をかけることによって取り除かれるように 上述の習慣がそれによっていわば隠されている妨げが取り除かれるのだと主張した 同様にまたある人々は 3 3 ) すべてのものの学知が魂と一緒に創造されており - 8 -

9 そして そのような教授によって またそのような学知の外的な援助によって 魂が想起へと導かれ あるいは魂が以前に既に知っていたものの考察へと導かれるということ以外には何も生じないと言った それゆえ 彼らは学習は想起にほかならないと言うのである C ) しかし それらの意見のうちいずれも根拠を欠いている なぜなら 第一の意見は 低次のもののうちに生ずるすべての結果をただ第一原因にのみ帰することによって 近接的原因を排除しているからである ここにおいては諸原因の秩序と関連によって織りなされている全体的な秩序から何かが取り去られている 第一原因はその善性の卓越性から他の事物にただ存在することだけではなく また原因であることをも賦与しているのであるから 3 4 ) 第二の意見もまた多かれ少なかれ同じ矛盾に陥る なぜなら 妨げているものを取り除くことは 自然学 第 8 巻において 3 5 ) 言われているように 付帯的に動かすことにほかならないからである もし低次の能動者が それによって徳や学知の形相とハビトゥスが隠されている妨げを取り除くことによって 隠された状態から顕わな状態へともたらすこと以外に何もしないとすれば すべての低次の能動者は付帯的にしか行為しないということが帰結する D ) そしてそれゆえに アリストテレスの説 ( 自然学 第 1 巻 7 8 ) 3 6 ) によれば 上述のすべてのことにおいてこれら二つの間の中間の道が取られるべきである なぜなら 自然的形相は実際 他の人々が言ったように 質料のうちに現実態において先在するのではなくて ただ可能態においてのみ先在するのであって その可能態から現実態へともたらされるのは 他の意見が主張したように 単に 第一の能動者によるだけでなくて 近接的な外的能動者によるからである 同 様に ニコマコス倫理学 第 6 巻 ( 第 2 章 ) 3 7 ) におけるアリストテレスの意見に従えば 徳のハビトゥスはその完成の前にはわれわれのうちにある種の自然的な傾き - それはある種の徳の出発点であるが - において先在するが しかし後には行為の実践によってしかるべき完成へともたらされるのである 同様にまた学知の獲得についても次のことが言われなければならない すなわち われわれのうちにはある種の学知の種子 - すなわち 知性の第一の概念 - が先在するのであって それは能動知性の光によって可感的なものから抽象された - 9 -

10 形相を通じて直ちに認識される 3 8 ) それらは公理のように複雑なもの 3 9 ) もあれば 存在 一などの概念のように 単純なものもあるが 知性はそれらを直ちに把握するのである 4 0 ) しかし それらの普遍的原理からすべての原理は結果するのであるが それはある種の種的原理から結果するのと似ている それゆえ これらの普遍的認識から精神が 以前には可能態において そしていわば普遍的なものにおいて 認識されていた個別的なものを現実的に認識するように 引き出されるとき ある人は学知を獲得すると言われるのである E ) しかしながら 自然的事物においてあるものは二通りの仕方で可能態において先在するということを知らなければならない 一つの仕方では 完全な能動的可能態においてである すなわち 治癒において明らかなように 内的原理が十分に完全な現実態へと導くことができる場合である なぜなら 病人のうちにある力から病人は健康へと導かれるからである 他の仕方は受動的可能態においてである すなわち 空気から火が生ずる場合に明らかなように 内的原理が現実態へと導くためには不十分な場合である なぜなら このこと ( 空気から火が生ずること ) は空気のうちに存在する何らかの力によっては生じ得ないからである それゆえに あるものが完全な能動的可能態において先在するときには 外的行為者は内的行為者を援助し それによって内的行為者が現実態へと入って行くことができるものを彼に提供することによってしか行為しないのである それはちょうど 医者が治療において自然に奉仕する者であるのと同じである 自然は 自然を強化することによって そして自然が治療のために道具として使用する薬を与えることによって 主たる行為者なのである 他方において あるものが受動的可能態のみにおいて先在するときには 外的行為者は可能態から現実態へと導く主たる行為者である ちょうど火が 火の可能態である空気から現実的に火を作るように 4 1 ) それゆえ 学知は学ぶ者のうちに 純粋に受動的な可能態においてではなく 能動的な可能態において先在する そうでないとすれば 人間は自分自身で学知を獲得できないことになろう F ) それゆえ ある人が二重の仕方で すなわち 一つは自然だけの働きによって 他は医薬の援助と一緒に自然から 癒されるように 学知の獲得の仕方も

11 また二重である 一つは自然的な理性が自分自身で未だ知られていないものの認識へと到達する場合である そしてこの仕方は発見と言われる 他はある人が自然的な理性に外的に援助を与える場合であり この仕方は教授と言われる しかし 自然から生ずるものと技術から生ずるものにおいて 技術は自然が働くのと同じ仕方で また同じ手段によって働く なぜなら ちょうど自然が風邪のために苦しんでいる者において 暖めることによって健康へ導くように 医者もまたそのようにする それゆえ 技術も自然を模倣すると言われる 4 2 ) 学知の獲得においても同様のことが生ずる すなわち 教える者は ある人が発見することによって未だ知られていないものの認識へと自らを導くのと同じ仕方で 他の人を未だ知られていないものの学知へと導くのである しかし 発見することにおいて未だ知られていないものの認識へと到達する理性の進行は自明的な一般的原理を特定の問題へと適用し そしてそこから ある個別的な結論へと進んで行き さらにそれらから他の結論へと進んで行くというやり方である それゆえに 自らのうちで自然的理性によって為す理性の進行をある人が他の人に記号によって示す限りで ひとりの人間は他の人間を教えると言われるのである そしてこのようにして 生徒の自然的理性は自らに提示されるそのようなものによって ちょうどある種の道具によってのように 未だ知られていないものの認識へと到達するのである 4 3 ) それゆえ 医者が自然に働きかけることによって患者のうちに健康を原因すると言われるように 人間もまた他の人のうちにその人の自然的理性の働きによって学知を原因すると言われるのである そしてこのことが教えることなのである それゆえ ひとりの人間は他の人を教え そして彼の教師と言われるのである アリストテレスが 分析論後書 第 1 巻 ( 5 7 ) で 論証は人を知るようにさせる三段論法である と言っているのはこの意味においてである 4 4 ) しかし ある人が自明的原理のうちには含まれていないものを あるいは含まれていることが明示されていなものを ある人に示すとすれば 彼はその人のうちに学知を作り出すのではなくて 恐らく憶見あるいは信念を作り出すことになろう 4 5 ) これらもまたある仕方では生得的な諸原理から原因せられるのではあるが なぜなら これらの自明的な諸原理から 彼は その諸原理から必然的に帰結することは確実性を伴って主張されるべきであり 反対に諸原理に反するものは完全に拒否さ

12 れるべきだと考えるからである しかし 彼はそれ以外の他の帰結に対しては承認を与えることができるか あるいはそうではないかのいずれかである しかし そのような諸原理がそれによってわれわれに知られるそのような理性の光は神からわれわれに注入されたのであって それはわれわれのうちに反響している創造されない真理のある種の似像である 4 6 ) それゆえ すべての人間的な教授はその光の力によらなければ有効性を持つことができないのであるから ちょうど自然が内的にまた第一に癒すように ひとり神のみが内的にそして第一に教えたもう方であるということは明らかである しかしそれにもかかわらず 治療することと教えることは 上述した仕方において適切に語られるのである 第 1 の異論については それゆえ こう言わなければならない 主は弟子たちに師と呼ばれることのないようにと命じられたので この禁止が絶対的に理解され得ないようにと 注釈 はこの禁止がどのように理解されるべきかを説明している なぜなら われわれは神に属する教師職の首位性を人間に帰すというこのような仕方で人間を師と呼ぶことを禁じられているからである それは あたかも人間の知恵に希望を置き むしろ人間からわれわれが聞くことに関して神の真理に助言を求めないようなものである この神の真理はその似像の刻印によってわれわれのうちに語りたもうのであり すべてのものについてわれわれが判断することができるのはこの神の真理によってなのである 第 2 の異論についてはこう言わなければならない われわれのうちにある事物の認識は記号の認識によって生ぜしめられるのではなくて もっと確実なある事物 すなわち諸原理の認識によって生ぜしめられるのである 諸原理はある記号によってわれわれに提示され そして項の主文において言われているように 4 7 ) ある点ではわれわれに知られているのだけれども 以前には端的にわれわれに知られていなかった他のものへと適用されるのである なぜなら 諸原理の認識はわれわれのうちに結論の学知を作り出すが 記号の認識はそうではないからである 第 3 の異論についてはこう言わなければならない 記号によって教えられる事柄についてわれわれは実際 ある程度は知っており そしてある程度は知らない 例えば もしわれわれが人間とは何かを教えられる

13 とすれば われわれはそのことについて何かを予め知っていることが必要である すなわち 動物 実体の概念 あるいは少なくとも われわれに知られていないことが不可能である有そのものの概念を そして同様に もしわれわれがある結論を教えられるならば 主語や述語についてそれらが何であるかを予め知っておくことが必要である また それによって結論が教えられる諸原理が予め認識されていなければならない なぜなら 分析論後書 第 1 巻において言われているように 4 8 ) すべての教授は先在する認識から生ずるからである 第 4 の異論についてはこう言わなければならない 感覚的な能力のうちに受け取られる可感的な記号から 知性は自分自身のうちに学知を作り出すために用いるところの可知的形相を受け取るのである なぜなら 項の主文において言われたように 学知の近接的な作動因は記号ではなくて 諸原理から結論へと進行する理性だからである 第 5 の異論についてはこう言わなければならない 教えられる者のうちに学知が先在するのは 実際 完全な現実態においてではなくて いわば種的な原理においてである それが意味するところは それらの認識がわれわれに自然的に注入されている普遍的諸概念はいわば帰結してくるすべての認識されるもののある種の種子だということである しかし 創造された力によって種的原理は いわばある創造された力によって注入されるような仕方では現実態へと引き上げられることはないけれども にもかかわらず 種的原理のうちにもともと そして潜在的に存在しているものは創造された力の働きによって現実態へと引き上げられ得るのである 第 6 の異論についてはこう言わなければならない 教える者は いわば教師のうちにある学知が生徒のうちにも同数生ずるかのように 生徒のうちに学知を注入するとは言われない しかし 項の主文において言われたように 教授によって生徒のうちには教師のうちにあるのと似た学知が 可能態から現実態へと引き上げられて 生ずるのである 第 7 の異論についてはこう言わなければならない 医者が外的に働き 自然だけが内的に働くけれども 健康を作り出すと言われるように 人間も 神が内的に教えたもうのに 彼は外的に告知するのだけれども 真理を教えると言われるのである

14 第 8 の異論についてはこう言われなければならない アウグスティヌスは 教師論 において ひとり神のみが教えたもうということを論証しているが そのことによって彼は人間が外的に教えることを排除しようと意図しているのではなくて その理由はひとり神のみが内的に教えたもうからである 第 9 の異論についてはこう言わなければならない 人間は真理を教え 精神を実際照明する真の教師と正当に呼ばれ得るが 彼がそう呼ばれるのは 理性に光を注入する者としてではなく 彼が外的に提示するものによって理性の光を学知の完成へ向かって援助する者としてなのである エフェソの信徒への手紙 第 3 章で言われていることはその意味においてである この恵みは 聖なる者たちのすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました わたしは この恵みにより キリストの計り知れない富について 異邦人に福音を告げ知らせており すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が どのように実現されるのかを すべての人々に説き明かしています ( 8-9 ) 第 1 0 の異論についてはこう言わなければならない 叡智は二重である すなわち 創造された叡智と創造されない叡智と その両方とも人間に注入される そしてその注入によって人間は前進しながらよりよい方向へと変化させられ得る ところで 創造されない叡智は決して変化するものではない しかし 創造された叡智はわれわれにおいて変化するが それは付帯的にであって 自体的にではない このことは二つの仕方で考察されなければならない 一つの仕方では それが由来するところの永遠的な事物への関係に従ってであり この仕方ではそれはまったく変化しない 他の仕方では それが主体において持っている存在に従ってであり そしてこの仕方では付帯的に すなわち叡知を可能的に持っている主体がそれを現実的に持っている主体へと変えられるという仕方で 変化する 実際 叡知がそのうちに存するところの可知的形相は諸事物の類似像でもあり また知性を完成する形相でもある 第 1 1 の異論についてはこう言わなければならない

15 学習者のうちに そこから学知が教授によって受け取られて構成される可知的形相が能動知性によって直接的に しかし教える者によって間接的に書かれる 実際 教える者は能動知性がそこから可知的形相を受け取り そしてそれらを可能的知性のうちに書き込む可知的諸事物の記号を提示するのである それゆえに 教える者の言葉そのものは 聞かれるにせよ あるいは書かれたものにおいて見られるにせよ 知性のうちに学知を原因することに対して 魂の外部にある事物と同じ関係にあるのである というのは そのいずれもから知性は可知的形相を受け取るからである 教える者の言葉は それが可知的形相の記号である限りで 魂の外部に存在する可感的なものよりも学知を原因することに対してより近い関係にある 第 1 2 の異論についてはこう言わなければならない 知性と身体的な視覚については同じではない 実際 身体的な視覚は比量的な力ではないので その諸対象のあるものから他のものへと到達するということはなくて その対象のすべては視覚に向けられるや否や直ちに視覚にとって見得るものである それゆえに 視覚の能力を持つ者はこのような仕方で見られるべきすべての可視的事物に対して ちょうどハビトゥスを持つ者が 彼が考察されるべきものとしてハビトゥス的に知るものに対して持っているのと同じ関係にある そしてそれゆえ 見る者は 彼が他の者によってその視覚を 例えば指で あるいは他のなにかそういうもので ある可視的なものの方へ向けられる以外には 他の者によって刺激される必要はないのである 4 9 ) しかし 知性的な能力は比量的な能力であるから あるものから他のものへと到達する それゆえに 考察されるべきすべての可知的なものに対して等しい関係にはない 知性的な能力はあるものを 例えば自明的なものを 直ちに見る 諸原理のうちに暗黙的に含まれているものを理性の働きによって展開することによって以外には知性認識できない他のあるものはその中に暗黙的に含まれている それゆえに そのような認識すべきものに対しては それがハビトゥスを持つ以前には それは単に付帯的可能態においてばかりではなく 本質的可能態において存在する 実際 自然学 第 8 巻 [ 4 ] において言われているように 5 0 ) それは教授によってそれを現実態へもたらす動因を必要とする あるものを既にハ

16 ビトゥス的に知っている者はそれを必要としない それゆえに 教える者は彼が教える事柄を学知すべく知性を刺激するが それは可能態から現実態へ導く本質的動因としてである しかし ある事物を身体的な視覚に示しながら 教える者はその人を付帯的動因のように刺激する それと同様にまた学知のハビトゥスを持つ者は他の者について考察へと刺激されることができる 第 1 3 の異論についてはこう言わなければならない 学知の確実性はすべて諸原理の確実性から出て来る 実際 結論はそれが諸原理へと還元されるときに 確実性によって知られる そしてそれゆえ あるものが確実性によって知られるということは神によってわれわれのうちに注入された理性の光 - 神はそれによってわれわれのうちに語りたもう - からであって われわれを教えながら結論を諸原理へと還元するのでない限り 外的に教える人間からではない にもかかわらず 結論が還元される諸原理の確実性がわれわれのうちに内在していないとすれば われわれはそれから学知の確実性を受け取ることはないであろう 第 1 4 の異論についてはこう言わなければならない 外的に教える人間は可知的光を注入するのではなくて 彼がわれわれに われわれの知性がそれらの記号から受け取る可知的形相のある種の記号を 提示し そしてそれをそれ自身において再建する限りで 何らかの仕方で可知的形相の原因である 第 1 5 の異論についてはこう言わなければならない 神以外に精神を形成することができる者は誰もいないと言われるとき そこで理解されているのは精神の最終的な形相であって それなしには精神は他のいかなる形相を持っていようとも 形相を持たないと判断されるのである しかるに これはそれによって精神が御言葉へと転じ そして御言葉に固着するあの形相である アウグスティヌスの 創世記逐語的注解 ( 第 9 巻第 2 5 章および 8 3 問題集 第 5 問題 ) によって明らかなように 5 1 ) それによってのみ理性的本性は形相化されたと言われるのである 第 1 6 の異論についてはこう言わなければならない 罪は情念のうちにある 次の節において明らかとなるように 5 2 ) ひとり神のみ

17 が情念のうちに刻印することが御出来になる しかるに 無知は知性のうちにあり 知性のうちには創造された力もまた刻印することができる ちょうど能動知性が可能的知性のうちに可知的形相を刻印するように 項の主文において言われたように それを媒介としてわれわれの魂のうちに学知は可感的事物から そして人間の教授から原因されるのである 第 1 7 の異論についてはこう言わなければならない 言われたように ある人は学知の確実性をただ神からのみ得る 神はわれわれに理性の光を植えつけられるのであり われわれはそのことによって諸原理を把握する 学知の確実性は諸原理から生ずるのである にもかかわらず 項の主文において言われたように 5 3 ) 学知はわれわれのうちにある仕方によって人間から原因されるのである 第 1 8 の異論についてはこう言わなければならない 生徒は教師の話の前に質問されれば それによって彼が教えられる諸原理については答えるであろうが しかし誰かが彼に教える結論については答えないであろう それゆえに 生徒は教師から諸原理を学ぶのではなくて ただ結論だけを学ぶのである 第 2 項 第二に ある人は自分自身の教師と言われ得るかどうかが問われる そうだと思われる 1. 行為は道具的原因よりも主要原因に帰せられるべきである しかし 能動知性はわれわれのうちに引き起こされた学知のいわば主要原因である しかるに 外的に教える人間は それによって学知へと導く道具を能動知性に提示するいわば道具的原因である それゆえに 外的人間よりはむしろ能動知性が教えるのである それゆえもし外的に語る外的な話のゆえに彼がそれを聞く者の教師と言われるとすれば 聞く者は能動知性の光のゆえに はるかにそれ以上に彼自身の教師と言われるべきである 2. さらに 人は認識の確実性へと到達することに従ってでなければ 何かあるものを学ぶことはない しかし認識の確実性は能動知性の光によって自然的に知

18 られる諸原理によってわれわれのうちに内在する それゆえに 教えることは主として能動知性に適合する そしてこのように前と同じことが言える 3. さらに 教えることは人間によりもむしろ神に適切に適合する それゆえに マタイによる福音書 2 3, 8 は次のように言う あなたがたの教師は一人である しかし 神は われわれがそれによってすべてのものについて判断することができる理性の光をわれわれに与えたもう限りで 我々を教えたもう それゆえに 教える行為は主としてあの光に帰さなければならない そしてこのように前と同じことが言える 4. さらに 発見によってあるものを知ることは 倫理学 第 1 巻 ( 第 4 章 ) において明らかなように 5 4 ) 他の者から学ぶことよりもより完全である それゆえもし 教師の名称が ある人が学知を獲得するのに他の者から学ぶというその仕方から取られているとすれば それ以上にもっと発見による学知の獲得の仕方から取られるべきであり ある人は自分自身の教師と呼ばれる 5. さらに ある人が自分自身によって また他の者によって徳へと導かれるように 発見しながら自分自身によって そして学びながら他の者によって 学知へと導かれる しかし 徳の行為へと外的な教師あるいは立法者なしに到達する人々は自分自身に対する法であると呼ばれる ローマの信徒への手紙 2, 1 4 にはこう言われている たとえ律法を持たない異邦人も 律法の命じるところを自然に行えば 自分自身が律法なのです それゆえに 学知を自分自身によって獲得する人は自分自身教師と言われるべきである 6. さらに 教える者は 言われたように 5 5 ) 医者が健康の原因であるように 学知の原因である しかし 医者は自分自身を治療する それゆえに またある人は自分自身を教えることができる 他面 その反対の論に言う 1. 哲学者は 自然学 第 8 巻で次のように言っている 5 6 ) 教える者は学ぶことは不可能である というのは 教える者は学知を持つ必要があるが 学ぶ者は持つ必要がないからである それゆえに ある人が自分自身を教えること あるいは自分自身の教師であることは不可能である 2. さらに 教師職は 主人がそうであるように 優位性の関係を含意している

19 しかしこのような関係はあるものの自分自身に対する関係ではあり得ない 実際 ある人は自分自身の父 あるいは主人ではない それゆえに またある人は自分 自身の教師と言われることはできない 以上に答えて わたしはこう言うべきだとする 発見によって学知を獲得するすべての人において明らかなように ある人は明らかに 自らに植えつけられた理性の光によって 教師の外的な教授あるいは援助なしに多くの未知のものの認識へと達することができる そしてこのようにある仕方である人は自分自身知ることの原因であるが にもかかわらず 自分自身の教師であるとか あるいは自分自身を教えると言うことはできない 哲学者の 形而上学 第 7 巻 ( 2 2, 2 8 ) 5 7 ) から明らかなように われわれは自 然的諸事物のうちに能動的原理の二つの様式を見出す 実際 自らのうちに 自らによって原因される結果のうちにあるものをすべて持っている行為者がある 一つは同名同義的な行為者においてのように 同じ仕方においてであり 他は同名異義的な行為者においてのように より優れた仕方においてである しかるに 行為されるもののあるものにおいては部分以外には先在していない行為者がある 運動が健康を原因するように あるいはある暖かい薬 - そこにおいては熱が現実的にあるいは潜在的に見出される - のように しかるに熱は健康全体ではなくて 健康の部分である それゆえに 第一の行為者においては行為の完全な根拠がある しかし 第二の様式の行為者においてはそうではない というのは 後者に従えば あるものはそれが現実態においてある限りで行為するからである 5 8 ) それゆえに 部分において以外にはもたらされるべき結果は現実態のうちにはないから それは完全な行為者ではないであろう しかるに 教授は教える者あるいは教師における学知の完全な行為を意味する それゆえに 教える者あるいは教師である者は 教授によって学ぶ者のうちにあるのと同じように 他者のうちに原因する学知を明示的にそして完全に持っていなければならない しかるに 学知が内的原理によってある人に獲得されるとき 学知の能動的原因は部分において以外には すなわち 学知の種的原理 一般的諸原理に関しては 獲得すべき学知を持たない そしてそれゆえ そのような原因性からは 厳

20 密に言えば 教える者あるいは教師の名称を引き出すことはできないのである 第 1 の異論についてはこう言わなければならない 能動知性は外的に教える人間よりもある事柄に対するより主要な原因ではあるけれども にもかかわらず 教える者のうちにあるような完全な学知はそのうちには先在していない それゆえに その根拠は当てはまらない 第 2 の異論については言われたことから解決は明らかである 第 3 の異論についてはこう言わなければならない 神は 人間が神によって教えられるすべてのことを明示的に知っておられる それゆえに 教師の本性は神により適切に帰せられ得る 能動知性については既に言われた理由によって 5 9 ) 同じではない 第 4 の異論についてはこう言わなければならない 学知の獲得における発見による様式は それが知るべきものに対してより扱い易いものとして示される限りで 学知を受ける者の側からはより完全であるが にもかかわらず 原因する学知の側からは教授による様式の方がより完全である というのは 学知全体を明示的に知っている教える者は ある人が彼自身によって導かれ得るよりも学知へとより確実に導かれることができるからである 彼はこのことによって学知の諸原理をある種の共通性において認識するのである 第 5 の異論についてはこう言わなければならない 行為可能なものにおける法は思弁的なものにおける原理と同じような関係にあるが 教師とは同じではない それゆえに ある人が自分自身に対して法であるとしても 自分自身に対して教師であり得るということは帰結しない 第 6 の異論についてはこう言わなければならない 医者は 現実態においてではなくて 技術の認識において健康を予め持っている限りで治療する しかし 教師は彼が現実的に学知を持っている限りで教える それゆえに 現実態において健康を持たない者は 彼が技術の認識において健康を持つことから 自分自身のうちに健康を原因することができる しかるに ある人が学知を現実的に持っていて そして持っていないということ そして自分自身から教えられるということは不可能である

21 第 3 項第三に 人間は天使によって教えられるかどうかが問われる 6 0 ) 教えられないと思われる 1. というのは もし天使が教えるとすれば 内的に教えるか それとも外的に教えるかのいずれかである しかるに 天使は内的に教えない というのはこのことは アウグスティヌスが言うように 6 1 ) ひとり神のみに属することだからである 天使は外的にも教えないと思われる というのは 外的に教えることは アウグスティヌスが 教師論 において 6 2 ) 言っているように 可感的ななんらかの記号によって教えることである 天使は 彼らが恐らく可感的に現れる者 - このことは通常の経過を除いて いわば奇跡によって起こることである - でないとすれば このような仕方で可感的記号によって教えるのではない 2. しかし 天使たちは 彼らがわれわれの想像力のうちに刻印する限りで ある仕方で内的にわれわれに教える と言わなければならない - 他面 その反対に 想像力に刻印された形相は 三位一体論 6 3 ) [ 8 3 問題集 5 1 ] におけるアウグスティヌスによって明らかなように 意図が存在していないならば 現実態において想像するためには不十分である しかし 天使たちはわれわれのうちに意図を引き起こすことはできない 意図は意志の行為であるから ただ神のみがそのうちに刻印することができる 6 4 ) それゆえに われわれは現実的に何かを想像することによってしか 想像力を媒介にしては 教えられることはできないから 想像力のうちに刻印することによってもまた天使たちはわれわれを教えることができないのである 3. さらに もしわれわれが可感的な現れなしに天使たちから教えられるとするならば このことは彼らが知性を照明する限りで以外には不可能である 彼らが知性を照明することは不可能であると思われる というのは 天使たちは自然的な光を与えるのでもなく - これはただ神からのみ与えられる - また彼らは恩寵の光を与えるのでもない - これも神のみが注入なさる - からである それゆえに 天使たちは可視的現れなしにはわれわれを教えることはできないのである 4. さらに ある人が他の人から教えられるときはいつでも 学ぶ者は教える者の概念を吟味しなければならない そしてこのような仕方で 学ぶ者の精神にお

22 ける学知への過程は 教える者の精神における学知への過程と同様でなければならない しかるに 人間は天使の概念を見ることはできない 実際 人間は他の人間の概念を見ないと同様に 天使の概念をそれ自身において見ないのである それらの概念は さらに異なっていることを考えれば 確かに遥かに少なくしか見られないのである さらにまた 可感的記号のうちにも 人間は見ない 恐らく天使たちが可感的に現れるのでなければ しかしそのことについては今は問題にならない それゆえに 天使たちは他の仕方でもわれわれを教えることはできない 5. さらに マタイによる福音書 あなたがたの教師は一人である ( 2 3, 8 ) の 注釈 6 5 ) において明らかなように 教えることはこの世に来るすべての人を照らす御方に属することである しかし このことは天使には為し得るこ とではなくて ヨハネによる福音書 1, 9 に明らかなように ただ創造されな い光にのみ属することである それゆえに 同じことが言える 6. さらに 他者を教える者は誰であれ 彼を真理へと導き そしてそのようにその人の魂のうちに真理を原因する しかし ただ神のみが真理に対する原因性を持っておられる というのは 真理は可知的な光そして単純形相であるから それは継続的な存在のうちに生成するのではなく そしてそのように 創造によって以外には産出され得ないが これは神にのみ可能なことである それゆえに ダマスケヌスが 正統信仰 第 2 巻第 3 章において言っているように 6 6 ) 天使たちは創造者ではないから 教えることはできないと思われる 7. さらに 絶えることのない照明は絶えることのない光から以外には発出することはできない 光が去れば主体が照らされることは止むからである しかし 教授においてはある種の絶えることのない照明が要求される 学知は常に存在する必然的なものに関係するからである 6 7 ) それゆえに 教授は絶えることのない光から以外には出て来ない しかるに 天使の光はそのようなものではない 彼らの光は神によって保たれない限り衰えるからである それゆえに 天使は教えることができない 8. さらに ヨハネによる福音書 1, 3 8 でこう言われている イエスに従って来るヨハネの二人の弟子にこう尋ねられた 何を求めているのか 彼らはこう答えた ラビ どこに泊まっておられるのですか その箇所について 注

23 釈 はこう言っている この名称によって彼らはその信仰を示している 6 8 ) そして他の 注釈 はこう言っている イエスが彼らに尋ねられたのは 知らなかったからではなくて 彼らが答えることによって利益を得るためである そして彼らが何を求めているかと尋ねた人に 彼らは物ではなくて 人格を答えたのである 6 9 ) これらすべてのことから その答えにおいて彼らはイエスが人格であると告白したということ この告白によって彼らはその信仰を示したということ そしてこのことにおいて彼らは利益を得たということが生じたのである しかし キリスト教的信仰の功績はキリストが神的ペルソナであるとわれわれが告白することに存している それゆえに 教師であることはただ神的ペルソナにのみ属することである 9. さらに 誰であれ教える者は真理を明らかにするのでなければならない しかし 真理は ある種の可知的光であるので 天使によりもわれわれにより多く知られている それゆえに より多く知られたものはより少なく知られたものによって明らかにされないから われわれは天使によって教えられないのである 1 0. さらに アウグスティヌスは 三位一体論 において次のように言っている われわれの精神は いかなる被造物も介在せずに 神から直接的に造られている 7 0 ) しかるに天使は被造物の一種である それゆえに 天使はいわば精神よりは優れ 神よりは劣ったものとして神と人間精神の間に介在するのではない そしてそのように 人間は天使によって教えられることはできない 1 1. さらに われわれの情念が神御自身にまで達するのと同じように われわれの知性も神の本質の観想にまで達することができる しかし神御自身が天使の介在なしに 直接的にわれわれの情念を形成される それゆえに 神はわれわれの知性をも何ら介在なしに教授によって形成されるのである 1 2. さらに すべての認識はある形相によって生ずる それゆえもし天使が人間を教えるとすれば 天使はそれによって人間が認識するある形相を人間のうちに原因しなければならない 天使はこのことを あるいは形相を創造することによって以外には為すことができない ダマスケヌスが 正統信仰 第 2 巻第 3 章で言っているように 7 1 ) 形相を創造することは天使には決してできない あるいは天使はこのことを 表象像のうちに存する形相を照明してそれから可知的形相を人間の可能的知性に結果することによって以外には為すことができない そして

24 このことは その役割が表象像を照明することである能動知性が分離された実体であると主張するあの哲学者たちの誤謬 7 2 ) に戻ることである そしてこのように 天使は教えることはできないのである 1 3. さらに 人間の知性が人間の想像力から離れている以上に天使の知性は人間の知性から離れている しかし 想像力は人間の知性のうちにあるものを受け取ることはできない なぜなら 想像力は個別的な形相以外には把握することはできないが そのようなものを知性は含んでいない それゆえに 人間知性は天使の精神のうちにあるものを入れ得るものではない そしてそのように 人間は天使によって教えられることはできない 1 4. さらに それによってある人が照明される光は 物体的な光が色彩のあるものに適合したものであるように 照明されるものに適合したものでなければならない しかし 天使的な光は 純粋に霊的なものであるから 身体的な器官によって保持されるものとしてある仕方で物体的なものである表象像には適合したものではない それゆえに 言われたように 7 3 ) 天使たちはわれわれの表象像を照明することによって教えることはできない 1 5. さらに 認識されるすべてのものは その本質によってか あるいは類似像によってかのいずれかで 認識される しかし 事物がそれによって人間の精神からその本質によって認識される認識は天使によって原因されることはできない というのは そのようなものがその本質によって認識されるとき そのように諸徳そして魂のうちに含まれる他のものは天使自身によって刻印されなければならないからである 同じように その類似像によって認識される認識も天使たちによって原因されることはできない 認識する者のうちにある類似像そのものにとって認識されるべき事物の方が天使よりも近接的であるからである それゆえに 天使は決して人間にとって認識の原因 - これが教えることであるが - であることはできない 1 6. さらに アウグスティヌスの 創世記逐語的注解 ( 第 1 巻第 1 3 章 ) 7 4 ) によって明らかなように 農夫は自然的な結果のために外的に刺激するするけれども にもかかわらず 創造者とは呼ばれない それゆえに 同じ理由で天使たちも 人間の知性を知るべきものへと刺激するけれども 教える者あるいは教師と呼ばれてはならない

25 1 7. さらに 天使は人間よりも優れているから もし天使が教えるならば その教授は人間の教授よりも優れたものでなければならない しかし このことはそうであることはできない なぜなら 人間は自然において限定された原因を持つものについて教えることができるからである しかるに 例えば未来の偶然的なもののような他のものは天使から教えられることはできない というのは それらは天使たちの自然的な認識そのものには知られず ただ神のみがそのような未来の知識を持っておられるからである それゆえに 天使は人間を教えることはできない 他面 その反対の論に言う 1. ディオニシウスは 天上位階論 第 4 巻にこう言っている わたしは天使たちが最初にキリストの人間性についての神的神秘を教え 次に彼らを通して知識の恩寵がわれわれのうちに下るのを見る 7 5 ) 2. さらに 劣ったものができることを優れたものもまたできる しかし 天使 は人間よりも優れている [ 訳者注 : マリエッティ版ではここで E r g o e t c. で文章 が終わっているが ジョレスの用いている t e x t e l a t i n d e l ' e d i t i o n L e o n i n e には以下の文章が続く ] そして 天上位階論 におけるディオニシウスによって明らかなように 7 6 ) より高貴な仕方でそうである しかし 人間の秩序は天使の秩序よりも劣っている したがって 人間は人間を教えることができるから 天使ははるかに強力な仕方で人間を教えることができる 3. さらに 神的知恵の秩序は天使においては このより劣ったもののうちに刻印するところの天上の物体においてよりも小さくはない [ 訳者注 : マリエッティ版とジョレス版ではテキストが異なっており ジョレス版では以下のようになっている ] さらに 神的知恵の秩序は物体的実体においてよりも 霊的実体においてより完全な仕方で見出される しかし 劣った物体が優れた物体 7 6 b ) の刻印からその完成へと達するということがこの劣った物体の秩序に属する それゆえに 劣った霊 すなわち人間の霊もまた優れた霊 すなわち天使の霊の刻印から学知の完成に達するのである 4. さらに 可能態においてあるものは現実態においてあるものによって現実態

26 へと導かれ得る そして現実態においてより小であるものは現実態においてより完全であるものによって [ 現実態へと導かれ得る ] しかし 天使の知性は人間の知性よりも現実態においてより大である 7 7 ) それゆえに 人間的知性は天使的知性によって学知の現実態へと導かれる そしてそのように 天使は人間を教えることができる 5. さらに アウグスティヌスは 堅忍の賜物 7 8 ) において 救いの教えをある人は神から直接的に受け ある人は天使から ある人は人間から受けると言っている それゆえに 6. さらに 太陽のような光を入れる人 光を妨げている窓を開く人は家を照明すると言われる 7 9 ) しかし ひとり神のみが真理の光を精神に注がれるけれども にもかかわらず 天使あるいは人間は光を受けるものの何かある妨げを取り除くことができる それゆえに 神だけでなく 天使あるいは人間も教えることができる 以上に答えて わたしはこう言うべきだとする 天使は人間に対して二重の仕方で働きかける 一つの仕方では われわれの仕方に従って すなわち人間に可感的に現れるとき あるいは身体を自分のものとするとき あるいは他の仕方で 可感的な話によって人間を教えるときである そしてそのように われわれは今そのような天使の教授を求めていない というのはこの仕方では天使は人間となんら変わった仕方で教えないからである 他の仕方では 天使はわれわれに対して彼らの仕方によって すなわち 不可視的に 働きかける そしてこの仕方に従って人間がどのように天使によって教えられ得るかということが この問題の意図である それゆえ 天使は神と人間の中間にいるので その秩序に従って神よりは劣り 人間よりは優れた 教授の中間の様式が彼らに適合している このことがどれほど真であるかということは神がどのように教えたまい 人間がどのように教えるかを見なければ 理解することはできない このことを明らかにするためには 知性と身体的な視覚との間に区別があるということを知らなければならない 8 0 ) 身体的な視覚にとってはそのすべての対象

27 は認知のために等しい近さにある なぜなら 感覚は比量の力ではないので その対象の一つから他のものへと達する必要がないからである しかし知性にとっては認識するためにすべての可知的なものは等しい近さにあるのではなくて あるものは直ちに認識され得るが あるものは他の諸原理から洞察されなければ認識されない それゆえこのように 人間は知らないものの認識を二つのもの すなわち 知性的な光と自明的な第一の諸概念によって把握する 後者は能動知性のあの光に対して 職人のその道具に対するのと同じようなものと考えられる 8 1 ) それゆえ これら両方の様式に関する限り 神は最も優れた仕方において人間の知識の原因である というのは 神は魂それ自体を知性的な光によって標しづけられ ちょうど神が産出されるすべての結果の理性的種子を他の自然的諸事物に刻印されのと同じように いわば諸知識の種子である第一の諸原理の知を魂に刻印されるからである しかるに 人間は 自然の秩序に従って知性的光の種において他の人間と等しいので 決して他の人間のうちに光を原因する あるいはそれを増大させることにおいて 彼の知識の原因として存在することはできないのである しかし 知らないものの知識がそれによって自明的な諸原理によって原因される側面からは 他の人間の知ることの原因はある仕方で存在する しかし それは上述の主文の項において言われたように 諸原理の知を与える者としてではなくて 暗黙的に そしてある仕方で可能態において 諸原理のうちに含まれているものを ある可感的な記号を外的感覚に示すことによって現実態へと引き出す者としてである 8 2 ) しかるに 天使は人間よりも完全な知性的光を本性的に持っているので 両方の側面から人間の知ることの原因であり得る しかしそれは神よりも劣った仕方で 人間よりは優れた仕方で そうである 光の側からは 天使は 神が為したもうように 知性的光を注ぐことはできないけれども にもかかわらず より完全に把握するために注がれた光を強化することはできる 実際 ある不完全な類のうちにあるすべてのものはその類におけるより完全なものと関連づけられるときには むしろその力が強化される 物体においてはわれわれもまた 置かれた物体が置く物体によって強化されることを

28 見る それは 自然学 第 4 巻において言われているように 8 3 ) 可能態に対する現実態の関係に比較されるのと同じようなものである 諸原理の側からもまた 天使は人間を教えることができる しかしそれは 神が為さるように 諸原理そのものの知を与えることによってではなく また人間がするように 可感的記号の下で諸原理からの結論の導出を約束することによってでもなくて 身体的器官の刺激から形成され得るある形相を想像力のうちに形成することによってである このことは眠っている人 また精神を病んでいる人において明らかである 彼らは多様な表象像に従って頭へと上って来るものの異なった表象像を経験する 8 4 ) そしてこのような仕方で アウグスティヌスが 創世記逐語的注解 第 1 2 巻第 1 2 章で言っているように 8 5 ) 他の形相の混合によって天使自身が知っているものをそのような表象像によって加えられる人に示すことができる それゆえに 第 1 の異論についてはこう言わなければならない 天使は不可視的な仕方で教える しかし 天使は 外的感覚によって教授を提供する人間の教授と比較して内的に教える しかし 光を注ぎながら精神の内部で働きたもう神の教授と比較して 天使の教授は外的だと考えられる 第 2 の異論についてはこう言わなければならない 意志の意図は強制されることはできないけれども にもかかわらず 感覚的部分の意図は強制されることができる 誰かが傷つけられるとき 彼はその傷に対して注意を向けることが必要であるように 身体的器官を用いる他のすべての感覚的な力についても同様である そしてそのような注意は想像に対して十分である 第 3 の異論についてはこう言わなければならない 項の主文において言われたように 天使は恩寵の光も本性の光も注がないが 神によって注がれた本性の光を強化する 第 4 の異論についてはこう言わなければならない 自然的なものにおいて同名同義的 ( u n i v o c u m ) な行為者があって それが持っている形相と同じ形相を同じ仕方で刻印するように そして同名異義的 ( a e q u i v o c u m ) な行為者があって それが持っている形相を他の仕方で刻印するように 8 6 ) 教

29 授についても同じことが言える というのは 人間は人間を同名同義的な行為者として教えるからである それゆえに その仕方によって人間は彼が持っている学知を他の者に 原因を原因されたものへと還元しながら 与えるのである それゆえに 教える者自身の概念がある記号によって学ぶ者に開示されなければならない しかし 天使は同名異義的な行為者として教える 実際 天使自身は 理性の道によって人間に示されたことを知性的に認識している それゆえに 天使の概念が人間に開示されるという仕方で人間は天使から教えられるのではなくて 人間においては学知は 天使がまったく異なった仕方で認識している事柄を 人間自身の仕方によって原因されるのである 第 5 の異論についてはこういわなければならない 主は この節の 注釈 によって明らかなように ただ神にのみ適合するあの教授の様式について語られたのである そして教授のこの様式をわれわれは天使には帰さないのである 第 6 の異論についてはこう言わなければならない 教える者は学ぶ者のうちに真理を原因するのではなくて 真理の認識を原因するのである なぜなら 教えられる命題は知られる以前に真であるからである というのは 真理はわれわれの学知に依存しているのではなくて 事柄の存在に依存しているからである 第 7 の異論についてはこう言わなければならない 教授によってわれわれが獲得する学知は尽きることのない事物についてであるが にもかかわらず 学知そのものは尽きることができる それゆえに 教授の照明は尽きることのない光からのものである必要はない あるいは もしそれが第一諸原理からのように 尽きることのない光からであるならば それはにもかかわらず 尽きるものである創造された光 - 中間的な原理のようなものであり得る - をまったく排除するものではない 第 8 の異論についてはこう言わなければならない キリストの弟子たちにおいては確かに信仰の前進が認められる それで彼等は最初はキリストを知恵のある人そして教師として尊敬したが 後には教えたもう神としてキリストに注意を向けた それゆえに ある 注釈 はすこし後の方で

30 こう言っている ナタナエルはキリストが不在であったのに ナタナエルが他の場所で行ったことを御覧になったこと - それは神であることのしるしである - を知って キリストは単に教師であるばかりでなく また神の子であることを告白した 8 7 ) 第 9 の異論についてはこう言わなければならない 天使は知られていない真理を その実体を示すということによって明らかにしたのではなくて 他のよりよく知られた真理を提示することによって あるいはまた知性の光を強化することによってそうしたのである それゆえに その異論は成り立たない 第 1 0 の異論についてはこう言わなければならない アウグスティヌスの意図は天使の精神が人間の精神よりも優れていないと言うことにあるのではなくて 天使は ある人が主張したように 人間精神が天使との結びつきによって究極の形成によって形成されるという仕方で 神と人間精神の中間にあるのではないということである 彼らは人間の究極的な幸福は われわれの知性がその至福が神御自身に接続される知性的存在者に接続されることに存すると主張する 8 8 ) 第 1 1 の異論についてはこう言わなければならない われわれのうちには 感覚的能力のように 主体によって強制されるある種の力がある それは器官の結合によって そして対象の形成によって刺激される しかるに 知性は身体的器官を用いないので 主体から強制されることはない 8 9 ) しかし 対象からは強制される というのは 結論に同意する者は論証の効力から強制されるからである しかるに情念は主体からも対象からも強制されずに それ自身の固有の本能によってこれへ あるいはあれへと動かされる それゆえに 内的に働きたもう神以外には情念に刻印することはできないのである しかし 人間あるいは天使は 知性がそれによって強制される対象を提示することによって ある仕方で知性に刻印することができる 第 1 2 の異論についてはこう言わなければならない 天使はわれわれの精神のうちに形相を造ることも 表象像を直接照明することもできないのであって その光のわれわれの知性の光との接続によって われわれの知性は表象像をより有効に照明することができるのである そしてにもかか

31 わらず 天使が表象像を直接的に照明するとしても このことのゆえにあの哲学者たちの意見が正しいということは帰結しない なぜなら 表象像を照明することは能動知性に属することであるけれども にもかかわらず それは神にのみ属することではない 第 1 3 の異論についてはこう言わなければならない 想像力は人間の知性のうちにあるものを受け取ることができるが しかし異なった仕方によってである そして同じように 人間の知性は天使の知性のうちにあるものを 彼の仕方で受け取ることができる しかしにもかからわず 人間の知性は主体における想像力とより多く適合するので それらが一つの魂の力である限りで にもかかわらず天使の知性と類においてより多く適合する というのは 両者は非物質的な力だからである 第 1 4 の異論についてはこう言わなければならない 霊的なものは物体的なものにおいて働くものに釣り合ったものであることを何ら禁じない というのは より劣ったものがより優れたものから影響を受けることを何者も禁じないからである 第 1 5 の異論についてはこう言わなければならない 天使は 事物を本質によって認識するあの認識に関する限り 人間の認識の原因ではないが 類似像によって認識するあの認識に関する限りは 原因である これは天使が事物の類似像よりも事物により近いということではなく 精神のうちに事物の類似像を 想像力を動かし あるいは知性を強化しながら 作る限りでである 第 1 6 の異論についてはこう言わなければならない 創造するということは神にのみ帰せられなければならない第一の原因性を意味する しかるに 作るということは一般的に原因性を意味する そして同じように 教えるということは学知に関する限り 同じことが言える そしてそれゆえ 神のみが創造者と言われる しかし 作る者とか教える者とかとは 神も天使も人間も言われ得る 第 1 7 の異論についてはこう言わなければならない 自然における限定された原因を持っているものについても 天使は 彼が他の多くのものを認識しているのと同じように 人間よりも多くのものを教えることができる そして彼が教えるものをまた 天使はより優れた仕方で教える それゆえに その論議は成立しな

32 い 第 4 項 教えることは観想的生活の行為であるか それとも活動的生活の行為で あるか 9 0 ) それは観想的生活の行為であると思われる 1. グレゴリウスが エゼキエルに関する説教 ( 第 3 説教 ) 9 1 ) で言っているように 活動的生活は身体と共に尽きる しかし 教えることは 言われているように 9 2 ) 身体と共に尽きない というのは 身体を欠いている天使も教えるからである それゆえに 教えることは観想的生活に属していると思われる 2. さらに グレゴリウスが エゼキエルに関する説教 ( 第 1 4 説教 ) で言っているように 活動的生活から後に観想的生活が出て来るように 人は行為する 9 3 ) しかし 教授は後に続くが しかるに観想は先行する それゆえに 教えることは活動的生活には属さない 3. さらに グレゴリウスが同じ箇所で言っているように 活動的生活は それが働いているときは 少ししか見ない しかし 教える者は単純に観想する者よりも多く見る必要がある それゆえに 教えることは活動的生活であるよりはむしろ観想的生活である 4. さらに それ自身において完全なものと他のものに自分に似た完全を与える者とは同じ完全である それはちょうど同じ熱によって火は熱いしまた熱を与えるものであるのと同じである しかし 神的なものの考察においてある人が完全であることは観想的生活に属する それゆえに 同じ完全さの他の人への注入である教授は観想的生活に属する 5. さらに 活動的生活はこの世的なものに関して取扱う しかし 教授は主として永遠的なものに関して取扱う その教授はまたより優れており より完全である それゆえに 教授は活動的生活ではなくて 観想的生活に属する 他面 その反対の論に言う 1. グレゴリウスが エゼキエルに関する説教 ( 第 1 4 説教 ) で言っているよう

33 に 飢えている者にパンを与えることは活動的生活であるが 知恵の言葉によって知らない者に教えることもそうである 9 4 ) 2. さらに 憐れみの業は活動的生活に属する しかし 教えることは霊的な施しの中に数えられる 9 5 ) ゆえに 教えることは活動的生活に属する 以上に答えて わたしはこう言うべきだとする 観想的生活と活動的生活とは主題と目的によってお互いに区別される なぜなら 活動的生活の主題はこの世的なものであり それに関して人間の行為は取扱うからである しかるに 観想的生活の主題は事物の可知的本性であって 観想する者はそれを追究する そしてこの主題の多様さは目的の多様さから出て来る 他のすべてのものにおいても主題は目的の必要に従って決定されるのと同様である 9 6 ) われわれが今観想的生活について考察しているように 観想的生活の目的は真理の考察 - わたしは観想する者に可能な仕方に従った創造されない真理の考察だと言うが - である それはこの世の生においては不完全に しかし未来においては完全に見られる それゆえに グレゴリウスも エゼキエルに関する説教 ( 第 1 4 説教 ) で 観想的生活は 未来の生において完成されるためにこの世において始まると言っている 9 7 ) しかし 活動的生活の目的は それによって隣人の幸福が意図される働きである しかるに 教える行為のうちにわれわれは二重の主題を見出す その記号のうちに教える行為も二重の対格に結びつけられる 9 8 ) すなわち 一つはその主題は教えられる事物そのものであるが 他は学知が伝えられる者である それゆえに 第一の主題の理由によって 教授の行為は観想的生活に属するが 第二の主題の理由によって それは活動的生活に属する しかし 目的の側からは教授はただ活動的生活にのみ属すると思われる というのは そこにおいて意図された目的に従うその究極の主題は 活動的生活の主題だからである それゆえに 言われたことから明らかなように ある仕方でそれは観想的生活に属するけれども 観想的生活よりはもしろ活動的生活に属するのである

34 それゆえに 第 1 の異論についてはこう言わなければならない 活動的生活は それが身体を欠いている場合 労働によって駆り立てられている場合は このことに従って 隣人の無能さを援助に来る グレゴリウスは同じ箇所でそのことに従ってこう言っている 活動的生活は苦しみの多いものである というのは それは働きにおいて汗だらけにするからである 9 9 ) その二つ共未来の生活には存在しないであろう それにもかかわらず ディオニシウスが 天上位階論 第 1 0 章 ) で言っているように 天上の霊たちのうちには位階的な活動が存在するのである そしてその活動はわれわれが現在この世の生活において為している活動的生活とは別の仕方のものである それゆえに かの世にあるであろうあの教授もこの世の教授よりは遥かに異なったものである 第 2 の異論についてはこう言わなければならない グレゴリウスが同じ箇所で言っているように 生きることの善い秩序が活動的生活から観想的生活へと向けられる それと同様に 多くの者の魂は観想的生活から活動的生活へと有益に向きを変えられ その結果観想的生活が より完全に活動的生活が保たれるように 精神を燃え立たせる ) にもかかわらず 活動的生活は 観想的生活と決して一致しないような行為に関する限り 観想的生活よりも先行するが 質料を観想的生活から受け取る行為に関する限り 活動的生活が観想的生活に従う必要があるということを知らなければならない 第 3 の異論についてはこう言わなければならない 教える者の洞察は教授の原理である しかし 教授そのものは見られる事物の洞察によりはむしろ見られる事物の知識の伝達に存する それゆえに 教える者の洞察は観想に属するよりはむしろ活動に属する 第 4 の異論についてはこう言わなければならない この議論は 観想的生活が教授の原理であるということを証明している 熱が熱することそれ自体ではなくて 熱が熱することへ向かう限りで 熱することの原理であるように ちょうど逆に活動的生活は観想的生活へと向かうのである 第 5 の異論についてはこう言わなければならない 言われたことから解答は明らかである というのは 第一質料に関しては教授は 項の本文で言われたように 観想的生活に一致するからである

35 神学大全 第 問題人間の行為に属する事柄について 第 1 項 人間は他の人間を教えることができるかどうか 第 1 については次のように進められる 人間は他の人間を教えることはできないと思われる なぜなら 1. 主は マタイによる福音書 2 3, 8 において あなたがたは 先生 と呼ばれてはならない と言われているからである その箇所についてヒエロニムスの 注解 はこう言っている ) それはあなたが神の栄誉を人間に帰さないためである それゆえに 教師であることは固有の仕方で神の栄誉に属することである しかし 教えることは教師に固有の事柄である それゆえに 人間は教えることはできないのであって このことは神の固有の事柄である ) 2. さらに もし人間が他の者を教えるとすれば これは彼が自分の知識によって他の者のうちに知識を原因することのために働くことにほかならない しかし それによってある人が自分に似たものを作るために働く性質は能動的性質である それゆえに 知識は熱のような能動的性質であるということが帰結する ) 3. さらに 知識のためには可知的光と知性認識される事物の形象が必要とされる しかし人間は他の者のうちにそれらのいずれをも原因することはできない ) それゆえに 人間は教えることによって他の者のうちに知識を原因することはできない 4. さらに 教える者は生徒に対して 彼に音声あるいは身振りによってあることを表示しながら ある記号を提示する以外のことを何もしない しかし 記号を提示することによっては ある人は他の人を 彼のうちに知識を原因しながら 教えることはできない というのは その人は知られている事物の記号を提示するか それとも知られていない事物の記号を提示するかのいずれかである もしそれが知られている事物の記号であるならば その記号を提示される人はすでに知識を持っており その知識を教師から獲得するのではない しかし もしそれ

36 が知られていない事物の記号であるならば その人はそのような記号からは何も学ばない それはちょうど ある人があるラテン人に 彼がその意味を知らないギリシャ語を提示するとしても このことによって彼を教えることはできないのと同じである ) それゆえに いかなる仕方によっても人間は他の者を教えることによって彼のうちに知識を原因することはできない 他面 その反対の論に言う 使徒は テモテへの手紙一 2, 7 においてこう言っている わたしは その証しのために宣教者また使徒として すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです ) 以上に答えて わたしはこう言うべきだとする このことに関しては様々な意見が存在した 実際 アヴェロエスは デ アニマ注解 第 3 巻において ) 上に言われたように ) すべての人間に一つの可能的知性があると主張した そしてこのことから すべての人間に同一の可知的形象があるということが帰結した そしてこのことに従って 彼は人間は自分が持っているのとは別の知識を他の者のうちに原因するのではなく 他の者の魂の中で表象像を整えさせるために彼を動かすというこのことによって 可知的な把握のために好都合に配置されたものへ向かって 自分が持っているのと同じ知識を彼に伝達するのだと主張する - 確かにこの意見は 知られる事物の単一性に従ってその同一性が考えられるならば 同一の知識が生徒のうちにも教師のうちにもあるという点に関する限り 真である なぜなら 生徒と教師が認識しているのは同一の事物の真理だからである しかし 彼がすべての人間に一つの可能的知性があり そして同一の可知的形象があるのであって それらが異なるのはただ異なった表象像に従ってであると主張するこのことに関する限り 上に述べたように ) 彼の意見は誤っている 他は プラトン学派の意見であって 上に述べたように ) 彼らは知識は分離された形相の分有によって最初からわれわれの魂に内在しているが 魂は身体との結合によって 魂がそれの知識を持っているものを自由に考察することができないように妨げられていると主張した そしてこのことに従えば 生徒は教師

37 から知識を新たに獲得するのではなくて 彼がそれの知識を持っているものを考察することへと教師によって励まされるということになる このようにして 学習するということは想起することにほかならないとされる ) それは ちょうど彼らが自然的な行為者はただ諸形相の受容のために態勢づけをするだけであり 物体的形相はこれらの形相を分離された諸形相の分有によって獲得すると主張したのと同様である ) - しかしこれとは反対に 上に示したように ) アリストテレスが 霊魂論 第 3 巻で言っていることに従えば ) 人間の魂の可能的知性は可知的なものに対しては純粋に可能態にあるのである それゆえ 異なった仕方でこう言わなければならない 自然学 第 8 巻で言われているように ) 教える者は学ぶ者のうちに 彼を可能態から現実態へと導くことによって 知識を原因する このことを明らかにするためには次のことを考察しなければならない 外的原理に由来する結果のうち あるものは外的原理だけに由来するものがある それはちょうど家の形相が技術によってのみ質料のうちに原因されるような場合である ) しかし ある結果は ある場合には外的原理によって しかしある場合には内的原理によって原因される それはちょうど健康がある場合には外的原理によって すなわち医療の技術によって ある場合には内的原理によって - 例えばある人が自然の力によって癒される場合 - 原因されるような場合である そしてそのような結果においては二つのことが注目されなければならない 第一は 技術はその働きにおいて自然を模倣するということである 実際 自然は病気を原因する素材を変化させたり 分解したり 放逐したりすることによって 病人を治療するが 技術もまたそのようにする 第二に注目すべきことは外的原理 すなわち技術は主要な能動者として働くのではなく 内的原理である主要な能動者を 強化し そして彼が結果を生み出すために用いるところの道具や補助を彼に提供することによって 援助するものとして働くということである それはちょうど医者が自然を強化し 自然が意図した目的のために用いる食物や薬を自然に適用するような場合である しかし 知識は 自分自身での発見によって知識を獲得する人において明らかなように 内的原理によって人間のうちに獲得されるし また学ぶ人において明らかなように 外的原理によっても獲得される 実際 各々の人間には知識のあ

38 る原理 すなわち能動知性の光が内在しており それによってすべての知識のある普遍的な諸原理が最初から直ちに自然本性的に認識されるのである しかし ある人がそのように普遍的な諸原理を - 彼はそれらの記憶や経験を感覚を通じて得るのであるが - ある個別的な事柄に適用する場合に 彼の知らないものの知識を自分自身の発見によって 知られたものから知られていないものへと進みながら 獲得するのである それゆえに 分析論後書 第 1 巻に すべての教授とすべての学習は先在する認識から生ずる と言われていることに従えば 誰であれ教える者は生徒が知っているものから知らなかったものの認識へと彼を導くのである しかし 教師は二通りの仕方で生徒を先に知られた事柄から知られていない事柄の認識へと導く 一つの仕方は ある補助あるいは道具を生徒に提示することによってである 生徒の知性は獲得すべき知識のためにそれらを用いる 例えば 教師は生徒にそれほど普遍的でないある命題を提示するが 生徒はにもかかわらずそれらを先に認識されたものから判断することができる場合がある あるいは 教師は学ぶ者の知性がそれらから知られていない真理の認識へと導かれるところのある可感的なもの - 類似的であれ 対立的であれ あるいはそのようなあるものであれ - を生徒に提示する場合である - 他の仕方は 教師が学ぶ者の知性を強化する場合である それは確かに 照明する天使について上に言われたような より優れた本性に属するものとしてのある能動的な力によってではない というのは すべての人間の知性は自然の秩序においては同一の段階にあるからである そうではなくて 彼が自分では 諸原理から結論を導き出すことができるだけの比量の力をおそらく持っていない生徒に諸原理から結論への筋道を提示する限りでである そしてそれゆえに 分析論後書 第 1 巻においては 論証は知ることを作り出す三段論法である と言われるのである 論証する者がそれを聞く者を知る者とするのはこの仕方によってである それゆえに 第 1 の異論に対してはこう言わなければならない すでに言われたように 教える人間は 治療する医者と同じように ただ外的な援助を与えるだけであって 内的な自然が治療の主要原因であるように そのようにまた内的な知性の光が知識の主要原因である しかしそれらのうちのいず

39 れも神に由来する そしてそれゆえに 神について あなたのすべての病を癒し たもう方 ( 詩 c i i, 3 ) と言われているように また神について 人間に知識を教 えたもう方 ( 詩 x c i i i, 1 0 ) と言われるのは 神の御顔の光がわれわれの上にしるされている ( 詩 i v, 7 ) 限りにおいてであり その光によってわれわれにすべてのものが示されるのである 第 2 の異論に対してはこう言わなければならない 教える者は アヴェロエスが異論で述べているように 自然的能動者の仕方によって生徒のうちに知識を原因するのではない それゆえに 知識は能動的性質のものでなければならないことはないのであって ちょうど技術がそれによってある人が働く際に導かれる原理であるように 知識はそれによってある人が教える際に導かれる原理なのである 第 3 の異論に対してはこう言わなければならない 教師は生徒のうちに可知的光を原因するのではないし また直接に可知的形象を原因するのでもない 彼はその教授によって生徒を 彼自身がその知性の力によって可知的概念 - 教師はそれの記号を生徒に外的に提示するのだが - を形成することへと動かすのである 第 4 の異論に対してはこう言わなければならない 教師が生徒に提示する記号は 普遍的に ある混乱の下には知られているが しかし個別的に ある判然性の下には知られていない事物の記号である そしてそれゆえに 誰かが自分自身で知識を獲得するときも 自分自身を教えるとか あるいは自分自身の教師であると言われることはできない というのは 彼のうちには教師において要求されるような完全な知識は先在していないからである トマス アクィナス 教師論 訳注 * 以下の注は主として S a i n t T h o m a s d ' A q u i n, Q u e s t i o n s D i s p u t e e s s u r l a V e r i t e, Q u e s t i o n X I : L e M a i t r e ( D e m a g i s t r o ), P r e f a c e d e J e a n C h a t i l l o n, T e x t e l a t i n d e l ' e d i t i o n L e o n i n e, I n t r o d u c t i o n, t r a d u c t i o n e t n o t e s p a r B e r n a d e t t e J o l l e s, S e c

40 o n d e e d i t i o n, P a r i s, J. V r i n, の J o l l e s の注および T h o m a s v o n A q u i n, U e b e r d e n L e h r e r D e m a g i s t r o, Q u a e s t i o n e s d i s p u t a t a e d e v e r i t a t e Q u a e s t i o X I, S u m m a t h e o l o g i a e P a r s I, q u a e s t i o 1 1 7, a r t i c u l u s 1, H e r a u s g e g e b e n, u e b e r s e t z t u n d k o m m e n t i e r t v o n G. J u e s s e n, G. K r i e g e r, J. H. J. S c h n e i d e r. M i t e i n e r E i n l e i t u n g v o n H. P a u l i. L a t e i n i s c h - D e u t s c h, F e l i x M e i n e r V e r l a g, H a m b u r g, の注によって作成した 注の中の参考 引用文献で邦語が手に入るものは それによった 1 ) 平行箇所 : S u p e r S e n t., I I, d. 9, q. 1, a. 2, a d 4 ; i b i d., d. 2 8, q. 1, a. 5, a d 3 ; S. t h., I, q , a. 1 ; C. G e n t., I I, c ) マタイ 2 3, 8 および 1 0 の あなたがたは教師と呼ばれてはならない あなたがたはただ一人の教師 すなわち キリストしか持たないからである はアウグスティヌスによってしばしば引用されている 教師論 c. 1 4, 4 7. われわれは地上においては誰をもわれわれの教師と呼んではならない なぜなら すべてのものの教師はただひとり 天に在す者のみだから [ マタイによる福音書 2 3, ] ( 石井 三上訳 p. 8 9 ) I n e p i s t. J o a n n. a d P a r t h o s, t r. 3, 1 3. 魂を教える方は天に教授の座を持っておられる それゆえに 彼ご自身が福音書においてこう言われている 地上ではあなたがたを教師と呼ばせてはならない あなたがたの教師は一人 キリストである ( マタイによる福音書 2 3, 8, 9. ) 3 ) G l o s s a i n t e r l i n e a r i s s u p e r M t 2 3, 8 これは P s e u d o - C h r y s o s t o m e, O p u s i m p e r f e c t u m i n M t. h o m. 4 3 の再現である この注釈が 1 2 世紀の始めから主として構成された しかし その決定的な形式は 1 3 世紀の前半の間しか見出されない一つの幅広い集録である その中では聖書のテキストが教父の あるいはもっと古い中世の注釈から借用された説明を伴っている これらの説明の大部分は聖書のテキ ストの欄外における再現である ( G l o s s a m a r g i n a l i s ) もっと短い他のものは行内 の再現 ( G l o s s a i n t e r l i n e a r i s ) である 4 ) アウグスティヌス 教師論 c. 3, 6 記号なしで示しうるものは何一つな い ( アウグスティヌス教師論 石井次郎 三上茂訳 世界教育学選集 9 8 明治 図書 p. 2 0 )

41 5 ) アウグスティヌス 教師論 c. 9, 2 5 それでは 表示される事物は記号よりも高く評価されるべきであるということを お前はもう理解してくれてもよいと思う というのは なんであれ他のもののために存在するものは それ自身のために存在するものよりも必然的に価値が低いからだ ( 石井 三上訳 p. 6 0 ) 6 ) 同じ考え方は 神学大全 I, q. 6 0, a. 4 o b j. 2 ; 対異教徒大全 I I I, c のうちに見られる アウグスティヌス 8 3 問題集 q. 2 : 生み出さ れたものはそれを生み出す者と同列にされることはない を参照せよ 7 ) アウグスティヌス 教師論 c. 1 9, おそらくお前は その記号によ って学ばれるものは何一つないことがわかるだろう なぜなら わたしに記号が 与えられるとしても もしわたしがそれがどの事物の記号なのかを知らないとす れば その記号はわたしに何一つ教えることができなからだ ところが もしわ たしがすでに知っているとすれば わたしは記号によっていったい何を学ぶこと になるのだろう.... したがって 与えられた記号によって事物そのものを学ぶ のではない むしろ すでに認識した事物によって記号を学ぶのだ ( 石井 三上訳 p p ) 8 ) ジョレスによれば この反対論はアウグスティヌスの感覚論から霊感を受けて いる それによれば 感覚的認識はその注意が 物体的実在がわれわれの感覚に 受けさせる修正に向けられる霊魂全体を鼓舞するのである 音楽論 V I, c. 5, 8-9 ; 創世記逐語的注解 I I I, c. 5, 7 ; X I I, c. 1 6, 3 3 を参照せよ 9 ) アウグスティヌス 創世記逐語的注解 V I, c. 1 0 e t 1 4 ; I X, c P L ( 3 4 ) 3 4 6, 3 4 9, 三位一体論 I I I, c. 8-9 ; Q u a e s t i o n e s i n E x o d u m, I I, q. 2 1 をも見よ 1 0 ) 同じ主張は 対異教徒大全 I I I, c. 6 9 および 霊的被造物について a. 9, 7 にも見られる 1 1 ) 信仰は聞くことにより しかも キリストの言葉を聞くことによって始ま るのです ( 新共同訳 ) 1 2 ) G l o s s a m a r g i n a l i s s u p e r R m 1 0, 1 7. これはペトゥルス ロンバルドゥス C o l l e c t a n e a i n e p i s t. P a u l i, a d l o c., P. L., 1 9 1, c o l に再現されている 1 3 ) アウグスティヌス 教師論 c. 1 4, 4 7 を参照せよ また注 2 ) で挙げた I n

42 e p i s t. J o a n n. a d P a r t h o s, t r. 3, 1 3 を参照せよ 魂を教える方者は天に教授の座を持っておられる.... 同様に わたしたちが外部で語るこれらの言葉は 兄弟たちよ 農夫が樹木に対するのと同じ関係にある 農夫は外側から樹木に働きかけ 水と耕作の注意深い配慮を与える しかし 外側から何を与えるにせよ 果実を形成するのは樹木ではないか アウグスティヌスは 天にある教授の座 ( c a t h e d r a i n c o e l o ) というこの表現を幾度も繰り返して採用する ジョレ スによれば その起源はおそらく マタイ 2 3, 8 の一つの古い翻訳における " q u i i n c o e l i s e s t " という語にある 1 4 ) アウグスティヌス 8 3 問題集 q を参照せよ 変化し得ない真理についてのアウグスティヌスの思想は 自由意志 I I, c. 1 2, 3 4 において展開されている ところで 真理がわれわれの精神と等しいのであれば 真理自体も可変的であるだろう なぜなら われわれの精神は ある時は真理をよく見るが ある時は殆ど見ないのであって その点で自らが可変的であることを示しているからである しかし 真理は自らの中にとどまるゆえ われわれによってよく見られたために増大したり 少ししか見られなかったために減少したりはせず 完全であって朽ちることがないのである そして 自分に向かう者を光によって喜ばせ 自分に背く者を盲目にして罰する ( アウグスティヌス著作集 3 初期哲学論集 ( 3 ) 自由意志泉治典訳 教文館 p p ) 1 5 ) トマス 真理論 q. 1, a. 1, c. : すべての認識は認識する主体の認識される対象への同化によって実現される S u p e r S e n t., I, d q. 3, a. 1, o b j. 4, e t d. 3 5, q. 1, a. 1, o b j. 4 において 聖トマスはこの命題を 哲学者 に帰している 彼は S u p e r B o e t. d e T r i n., q. 5, a. 3 ( c f. e d. B. D e c k e r, p ) の第一編集においてこれについてはっきりとアルガゼルとアリストテレスを引用している そこで彼はこう書いている 知性の働きは知性が可知的事物に一致するとき完成される それはアルガゼルが知識は認識する主体の認識される事物への同化である そして哲学者が 形而上学 第 1 1 巻において知性はそれが可知的なものを所有するときに理解する と言う理由である C f. A l g a z e l, M e t a p h., I, t r. 3, s e n t. 2 ; アリストテレス 形而上学 X I I, 7 ( b 2 0 ). 1 6 ) C f. P s e u d o - A u g u s t i n, D e e c c l e s i a s t i c i s d o g m a t i b u s, c. 8 3 ; 精神の中へ入

43 り込むことは精神を創造されたお方にしか可能ではない トマス 真理論 q. 8, a. 7, o b j. 4 ; q. 2 8, a. 2, o b j. 8 ; 神学大全 I I I, q. 8, a. 8, a d 1 をも見よ 1 7 ) ボエティウス 哲学の慰め V, m e t r. 4 ; i b i d., p r o s e 5 ; C C S L, 9 4, 9 9. ボエティウスはここで アウグスティヌスによってしばしば 特に 教師論 c. 1 4, 4 6 において展開された主題から霊感を受けている すなわち 言葉は学 ぶように人間に注意する以外には何も為さない 1 8 ) アウグスティヌス 教師論 c. 1 2, を参照せよ しかし そこには聖トマスがここで引用している言い回しは見出されない ジョレスはここで 聖トマスがむしろアリストテレスの 分析論後書 I, 2 ( 7 1 b 1 0 ) 特に I, 3 3 ( 8 8 b 3 0 ) を想起すべきである と言う 知識 [ 科学的知識 ] として知られるもの および 知識 は 臆断されるもの および 臆断 とは違う それは 知識が全体についてのものであり 必然的なものを通じて得られるものであって 必然なものは [ それがいまあるところと異なって ] 他ではありえないという点による ( アリ ストテレス全集 1 分析論後書 加藤信朗訳 岩波書店 p ) 聖ト マスは意見及び信仰の不確実性に対する 学問における認識の確実性のこの主題 をしばしば取り上げた 例えば 神学大全 I I - I I, q. 1, a. 4, c. およびさら になお q. 1, a. 5, a d 4 を見よ ひとが別様であることができないものとして知 られるものを考察するということが 学問に本質的である しかし ひとが別様 であることができるものとして推測する事柄を評価することは意見の本性に属す る i b i d., q. 2, a. 1, c. ; 真理論 q. 1 4, a. 1, c. および q. 2, a. 1, a d 4 を参照せよ 1 9 ) 聖トマスはここで明らかに 彼が 神学大全 I, q , a. 1, o b j. 3 におけ る そしてそこにおいてアウグスティヌスが 精神はいかなる実体の媒介もなし に真理それ自身によって形成される と主張している テキスト ( 8 3 問題 集 q. 6 1, 4 ) を思い起こしている アウグスティヌス 自由意志 I I, c. 1 7, 4 5 をも見よ 可変的なものはみな 必ず形をもちうるものである.... しか し どんなものも自分自身で形を与えることはできない なぜなら どんなもの も自分のもたないものを自分に与えることはできないからである.... そこで 魂も身体も ある不変で常にありつづける形相によって形づくられる と結論さ

44 れる.... そして その形相についてまた それは常に自らの中にとどまりつつ 万物を新たにする ( ソロ知恵 7, 2 7 ) といわれている ( アウグスティヌス著作集 3 初期哲学論集 ( 3 ) 泉治典訳 p p ) 2 0 ) トマス 教師論 o b j. 1 3 および注 1 7 を参照せよ 2 1 ) アウグスティヌス 教師論 c. 1 1, 3 8. しかし われわれが理解しうるいっさいの事柄に関しては 外部で音声を響かせる者にたずねる ( c o n s u l e r e ) のでなく むしろ内部にあって精神そのものを支配する真理にたずねる おそらく ことばはこの真理にたずねるように勧めることであろう ( 石井 三上訳 p. 7 7 ) 2 2 ) ソクラテス的産婆術 特に教育における問いの役割が暗にほのめかされてい る この役割について アウグスティヌスは 教師論 c , におい て長々と論じた そこでは 彼は特に彼が教える生徒について語りながら 次のように書いている わたしは相手が真理を見ている場合でも 真理を語ることによって彼を教えるのではない なぜなら 彼はわたしのことばによって教えられるのではなく むしろ神が彼の内面にそれを示し給うことによって教えられるからである こういうわけで 彼はもし質問されれば その事柄について答えることができる したがって もしある人が質問された事柄について わたしが話す以前に自分で説明しうるにもかかわらず もしそれをわたしの話によって教えられたと思うとすれば これほど不合理なことはあるまい ( 石井 三上訳 p. 8 1 ) 2 3 ) C f. G l o s s a i n t e r l i n e a r i s s u p e r 2 T m 3, 1 4 ペトゥルス ロンバルドゥス, C o l l e c t a n e a i n e p i s t. P a u l i, a d l o c., P. L., 1 9 2, c o l が再現している 2 4 ) この引用はロマ 1 0, 1 5 良い知らせを伝える者の足は なんと美しいことか とイザ 5 2, 7 平和の知らせを伝える者の足は 山の上でなんと美しいことか を混合している 2 5 ) C f. G l o s s a i n t e r l i n e a r i s s u p e r R m 1 0, 1 5, ペトゥルス ロンバルドゥス, C o l l e c t a n e a i n e p i s t. P a u l i, a d l o c., P. L., 1 9 1, c o l ) マリエッティ版では 形而上学 第 3 巻となっているが ジョレスの使った テキストでは以下の 気象論 の第 4 巻が挙げられている アリストテレス

45 気象論 I V, 3 ( a 1 2 ) 熟 は加熱の一種である というのも 果物のなかの栄養物の加熱が熟と呼ばれるのだから だが加熱は完成であるので 熱する過程は 果実のなかの種子が自分と同じような他のものを生み出すことができて始めて完成にいたるのである われわれは 果実以外のものについても 完全なもの という言葉はこのような意味で言う ( アリストテレス全集 5 泉治典訳 岩波書店 p ) 形而上学 I X, 8 ( b 2 4 ) および 霊魂論 I I, 4 ( b 2 3 ) をも見よ 2 7 ) アウグスティヌス 創世記についてマニ教徒駁論 I I, c を参照せよ 2 8 ) この意見に関しては 神学大全 I, q , a. 2, c. を見よ : プラトン学派のひとびとは 質料においてある諸々の形相は非質料的形相から原因されてくるものであるとなした.... アヴィセンナもある意味ではやはり彼らに随っているのであって 彼は質料においてある諸々の形相は いずれも 知性実体の 抱懐するところ c o n c e p t i o I n t e l l i g e n t i a e から発出するのであり 物体的能動 者は単に質料を形相のために態勢づけるにとどまる となした - 彼らはいずれも 形相というものを あたかも それ自体独立に生じてくる何ものかのごとく考えた ( だからそれが何らかの形相的根源から発出するものであるとなした ) 点において誤りをおかしたと考えられる ( 神学大全 8 横山哲夫訳 創文社 p p ) S u p e r S e n t., I I I, d. 3 3, q. 1, a. 2, s o l. 2 ; D e v i r t. i n c o m m., q. u n., a. 8, c. ; C. G e n t., I I I, c. 6 9 をも参照せよ 2 9 ) アヴィセンナ 形而上学 I X, c. 2 ( e d. V e n i s e , f r a D ) を参照せよ 3 0 ) アヴィセンナ 霊魂論 V, c. 5-6 を参照せよ アヴィセンナによれば 人間知性はいかなる仕方においても可感的なものから可知的なものを抽象する能 力を持っていない 知性的認識は唯一の分離した能動知性 ( i n t e l l i g e n t i a a g e n s ) の働きから結果する 3 1 ) アリストテレス 自然学 I, 4, a 2 6 ところで アナクサゴラスがそれらをこのように無限であると考えるようになったのは ( a ) あらぬものからはなにものも生じない という自然学者たちに共通の見解を真であると想定してい たがゆえにであるように思われる ( アリストテレス全集 3 出隆 岩崎允胤 訳 岩波書店 p. 1 8 ) 聖トマスによって D e v i r t. i n c o m m., q. u n., a

46 8, c において説明されたアナクサゴラスの見解をも参照せよ ある人々は 実際 形相は質料ののうちに現実態において 潜在的な仕方で先在し そしてそれは自然的行為者によって隠された状態から明白な状態へともたらされると主張した この見解はアナクサラスの見解であって 彼は すべてのものがすべてのものから生み出されることができるために すべてのものはすべてのもののうちに存在する と主張した 3 2 ) この見解はヨハネス ダマスケヌスの見解である 正統信仰について I I I, 1 4. 徳は実際自然的であり たとえわれわれがわれわれの本性に一致する ものをすべて等しく達成しないとしても われわれの内部に自然的に そしてすべての者において等しい仕方で 存在している このテキストは S u p e r S e n t., I I I, d. 3 3, q. 2 1, a. 2, q a 1, o b j. 1 において聖トマスによってすでに引用されている 3 3 ) 三位一体論 X I I, c. 1 5, 2 4 それで かの高名な愛智者プラトンも人間の魂はその肉体を担う前にも この世で生きていたこと またわたしたちが学んだものは新たに知られるというよりは すでに知っていたものが想起されるのであることを わたしたちに説得しようと努めたのである 彼はわたしたちに或る少年が幾何学について質問されたとき あたかも その学問に深く精通しているように 答えたと語る たしかに順序を追って巧みに質問されたとき その少年は見られるべきであったものを見 そして見たものを語ったのである しかし これが以前に認識されていたものの想起であるなら たしかにすべての人 あるいは殆どすべての人はこのように質問されたとき答えることは出来ないであろう なぜなら 先の生において すべての人が幾何学者ではなく また人間の中で幾何学者は殆ど見出され得ないほど稀な存在であるから それゆえ むしろ次のように思うべきである 叡知的な精神の本性は創造主の御計画によって 本性的な秩序において叡知的なものに結合され それを特有の或る非物体的な光によって 観るように造られている ( 中沢宣夫訳 東京大学出版会 p ) S u p e r S e n t., I I I, d. 3 3, q. 1, a. 2, a d 1 ; 真理論 q. 1 8, a. 7, c. をも参照せよ 3 4 ) プラトン アヴェロエス そしてアヴィセンナの理論 - それに従えば 分離された形相 ( プラトン ) 神 ( アヴェロエス ) あるいは能動知性 ( アヴィセン

47 ナ ) だけが形相の産出者である - に対して聖トマスによって際立たせられた 創 造された存在に固有の原因性の重要性に関しては 対異教徒大全 I I I, c. 7 0 を 参照せよ 聖トマスにとっては 被造物に対して一つの固有の活動を拒否することは神の知恵 神の偉大さと善性を否定することであろう 3 5 ) アリストテレス 自然学 V I I I, 4 ( b b 2 4 ) を参照せよ 動かしまたは動かされる [ 動く ] ものどものうち 或るものどもは付帯的に動かしまたは動かされ [ 動き ] 他のものどもはそれ自体として動かしまたは動かされる [ 動く ].... たとえば屋根の下から柱をひきぬく人や水中に沈めた酒袋から石を取り除く人は 或る意味では [ 邪魔されていた当のものを動かす意味では ] 動かしてはいるが 他の意味では動かしていない というのは [ この場合 運動の真の原因は屋根や酒袋の ( それぞれ ) 下方なり上方なりへの自然的な衝動であり ] かの動かす人は [ これを妨げているものを ] 付帯的に動かすにとどまるからである それは ちょうど 壁から跳ね返ってくる球は 壁によって動かされたのではなく 投げ る人によって動かされたのである ( アリストテレス全集 3 出隆 岩崎允胤 訳 岩波書店 p ) 3 6 ) アリストテレス 自然学 I, 8 ( b 2 7 ) ; I I I, 1 ( a 9 e t b 5 ) ; 形而上学 X I I, 5 ( a 5 ) を参照せよ 3 7 ) アリストテレス ニコマコス倫理学 V I, 1 3 ( b 4 ) 各種の人柄はすべてのひとに或る意味では自然的にそなわると考えられている ( アリストテレス全集 1 3 加藤信朗訳 岩波書店 p ) および I I, 1 ( a 2 4 ) それゆえ さまざまな器量がひとのうちに生れそなわってくるのは自然の本性によるのでも 自然の本性に反するのでもなく 自然の本性によって これを受容するように生れついているわれわれが 習慣によって この天与の素質を完成させることによるのである ( 同上 p p ) を参照せよ 3 8 ) 真理論 q. 1 0, a. 1 2, s e d c o n t r a 3 を参照せよ これはアリストテレス 分析論後書 I, 3 ( 7 2 b 1 9 ) を引用している そこではこう言われている われわれの教説は われわれにとって すべての知識は論証的ではなく 直接的命題の知識は反対に論証から独立しているということである.. 聖トマスにとっては アリストテレスにとってと同様に 学問的認識は要するに感覚的経

48 験から精神によって直接的な仕方で把握された 論証不可能な諸原理に基づく 3 9 ) 聖トマスが他の箇所で ( 例えば 神学大全 I - I I, q. 9 4, a. 2, c ) 全体は部分よりも大きい あるいは 一つの同じ第三のものに等しい二つの量はそれらの間で等しい というような その真理がすべての者によって知られている自明的命題を表すために借用しているラテン語の d i g n i t a t e s という語はここで 公理 と訳された 4 0 ) トマス 真理論 q. 1, a. 1, c : 知性が第一に 知性にもっともよく知られているものとして了解するもの そして知性がそれが了解するすべてのものをそれに帰するところのもの それは アヴィセンナが 形而上学 の始めに言っているように 存在である アヴィセンナ 形而上学 I, c. 6 ( e d. V e n i s e f. 7 2 r b A ) を見よ 4 1 ) 受動的可能態と能動的可能態の間の区別に関しては アリストテレス 形而上学 I X, 1 ( a ) を見よ : 或るものは受動する能力であるが これがそう言われるは これが その受動する当のもののうちで 他のものによりまたは他のものとしてのそのもの自らによって ひきおこされるところの この受動的な転化の原理であるからである.... 或る仕方では 能動する能力と受動する能力とは一つである ( というのは ものが能がると言われるのは そのもの自らが受動する能力を有するがゆえにであるかあるいは他のものがそのものによって受動する能力を有するがゆえにであるかのいずれであるから )..... しかるに 他方の能力は 能動するもののうちにある ( たとえば 熱とか建築術とかがそうである すなわち 熱は熱を発するもののうちにあり 建築術は建築する者のうちにある ) ( アリストテレス全集 1 2, 出隆訳 岩波書店 p p ) i b i d., V I I, 9 ( a ) を参照せよ 生成する事物の或るもの ( たとえば家 ) は技術を有する者 ( 建築家 ) がいなくては存在し得ないであろうが 他の或るもの ( たとえば健康 ) は技術家 ( 医師 ) がいなくても存在しうる ( 出隆訳 p ) 対異教徒大全 I I, c をも参照せよ 4 2 ) 技術は自然を模倣する アリストテレス 自然学 I I, 2 ( a 2 1 ) を参照せよ 対異教徒大全 I I, c. 7 5 および 神学大全 I - I I, q. 2 1, a. 1, o b j. 1 をも見よ 4 3 ) 教授が何であるか そして教授と発見との関係についての この明瞭で徹底

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