[1] 開祭 2014 年 1 月 日 降誕第三主日 主の洗礼 の礼拝を始めます しばらく間をおいてから入祭唱を唱 ( とな ) えます 入祭唱 ( マラキ 3:1 歴代上 29:12 参照 ) 主が洗礼を受けられると 天が開け 神の霊が鳩のように下り 父の声が聞こえた これはわたしの愛する子 わたしの喜び 主イエス キリストよ おいでください 弟子たちの中に立ち 復活のみ姿を現されたように わたしたちのうちにもお臨みください 懺悔と赦しの祈り しばらく自らを省みた後で唱えます 全能の神に告白します わたしは 思い ことば 行ない 怠りによってたびたび罪を犯しました 全能の神がわたしたちを憐れみ 罪をゆるし 永遠のいのちに導いてくださいますように アーメンあわれみの賛歌 ( キリエ ) ひとりで礼拝しているときは 先唱だけを歌います 先唱キリエ エレイソン 後唱 先唱 後唱 キリエ エレイソン クリステ エレイソン クリステ エレイソン 先唱キリエ エレイソン後唱キリエ エレイソン栄光の賛歌 ( グロリア ) いと高きところには神に栄光 地にはみ心にかなう人びとに平和がありますように全能の父 天の王 主なる神よ 主を拝み 主に感謝し 主の栄光をほめたたえます父のひとり子 主イエス キリスト 世の罪を除く神の子羊 主なる神よ わたしたちに憐れみをお与えください父の右に座しておられる主よ わたしたちの祈りを受け入れてくださいイエス キリストよ 主のみ聖 主のみ王 主のみ聖霊とともに 父なる神の栄光のうちに 最も高くおられますアーメン
集会祈願全能永遠の神よ ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ 愛する子であることを示してくださいました 洗礼によって新たに生まれ あなたの子どもとされたわたしたちが いつもみ心に従うことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に行き 支配しておられるみ子 わたしたちの 主イエス キリストによって アーメン [2] みことばの典礼第一朗読イザヤ書 42:1-4 6-7 最初に第一朗読 記 章 節からといって読み始めます 本文の ( ) は聖書の接続詞 代名詞を補うためのことばですので 音読します 本文の冒頭の数字 : は文章番号ですので読みません ( 主は言われる ) 見よ わたしの僕 わたしが支える者を わたしが選び 喜び迎える者を 彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す 彼は叫ばず 呼ばわらず 声を巷 ( ちまた ) に響かせない 傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して 確かなものとする 暗くなることも 傷つき果てることもないこの地に裁きを置くときまでは 島々は彼の教えを待ち望む 主であるわたしは 恵みをもってあなたを呼びあなたの手を取った 民の契約 諸国の光としてあなたを形づくり あなたを立てた 見ることのできない目を開き捕らわれ人をその枷 ( かせ ) から
闇に住む人をその牢獄から救い出すために 朗読の終わりは次のように唱える 第一朗読を終わります 第二朗読使徒言行録 10:34-38 第二朗読 章 節からといって読み始める ( その日 ) ペトロは口を開きこう言った 神は人を分け隔てなさらないことが よく分かりました どんな国の人でも 神を畏れて正しいことを行う人は 神に受け入れられるのです 神がイエス キリストによって この方こそ すべての人の主です 平和を告げ知らせて イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を あなたがたはご存じでしょう ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です つまり ナザレのイエスのことです 神は 聖霊と力によってこの方を油注 ( あぶらそそ ) がれた者となさいました イエスは 方々を巡り歩いて人々を助け 悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが それは 神が御一緒だったからです 朗読の終わりは次のように唱える 第二朗読を終わります 福音朗読マタイによる福音 3 章 13 節以下に記された主イエス キリストの福音 朗読者はここで十字をきる 利き腕の指を額 くちびる 左肩 右肩の順番におく 主に栄光 主に栄光がありますように そのとき イエスが ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた 彼から洗礼を受けるためである ところが ヨハネは それを思いとどまらせようとして言った わたしこそ あなたから洗礼を受けるべきなのに あなたが わたしのところへ来られたのですか しかし イエスはお答えになった 今は 止めないでほしい 正しいことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです そこで ヨハネはイエスの言われるとおりにした イエスは洗礼を受けると すぐ水の中から上がられた そのとき 天がイエスに向かって開いた イエスは 神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった そのとき これはわたしの愛する子 わたしの心に適う者 と言う声が 天から聞こえた 朗読の終わりは次のように唱える 主に感謝 主に感謝します
説教 説教は黙読でもかまいません 何人かで礼拝していれば 一人が音読します 降誕節第三主日 1 月第 2 週説教 2014.1.12 主の洗礼 マタイ 3 章 13-17 節きょうは 主の洗礼 降誕節最後の祝日です イエスが洗礼を受けたのは 30 歳ぐらいのことです 教会暦は誕生から洗礼までを降誕節と定めています イエスが洗礼者ヨハネのところに洗礼を受けにやってくるところから始まります そこでイエスとヨハネのやり取りの後 イエスが受洗します すると 神の霊がイエスにくだったとテキストは証言します 誰もが疑問におもうことでしょうが イエスがヨハネから洗礼を受けることは変な感じがします ふつうに考えればイエスはヨハネの格下になってしまい ヨハネの弟子扱いになってしまいます また ヨハネの洗礼は罪の悔い改めのためのものなのに 罪のないイエスが受ける必要はないでしょう マタイ福音書はこの件について 14-15 節にやり取りを記録します ところが ヨハネは それを思いとどまらせようとして言った わたしこそ あなたから洗礼を受けるべきなのに あなたが わたしのところへ来られたのですか しかし イエスはお答えになった 今は 止めないでほしい 正しいことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです そこで ヨハネはイエスの言われるとおりにした 3:14-15 これを読むと 洗礼に躊躇するヨハネをイエスが押し切ったように読み取れます しかし イエス受洗の理由として記されたやりとりから 逆に洗礼にはそれほど意味はなかった イエスにとっては洗礼より洗礼後の出来事に意味があったと読み取ることもできます 天が開く 霊が降る 天から声が下る この出来事がこそ重要です 凡百の人が洗礼を受けていました でも何か起こったか? 何も起きません 変わりません それでも人々はこぞって洗礼を受けにきました さばきの火に焼かれるとヨハネが言うので 人は洗礼を受けるのでしょうか とかく一生懸命に信仰すると そうなりがちです 一種の熱狂状態です また洗礼を授けるほうもそれに応じて憑かれたようになりがちです でもイエスは違います 恐縮するヨハネに反してイエスは軽やかな感じがします よ
し おれもいっちょう洗礼を受けるか それで水からあがると霊が降りた 洗礼を受けることはみんなと同じだけど その後はみんなとは違った 授ける人が同 じでも 受ける人がイエスだと結果は違う 天が開ける 神の霊が鳩のように降る ヨハネがいなければ洗礼はありませんでした 洗礼者ヨハネはその意味において重要です でもイエスが受けない限りはヨハネの洗礼の意味が成り立ちません 大元である神はこのように洗礼を計画しました イエス 30 歳にしてようやく機が熟し神の救いの計画が始動した 主の洗礼とはそういうことです 新しい時代が始まった イエスを救い主とする時代が始まったということです このような意味をもつ 主の洗礼 で教会暦の降誕節は幕を閉じます 一人ひとりが主の洗礼を救いの喜びの中で祝うことができますように 使徒信条わたしは 天地の造り主 全能の父である神を信じます また その独り子 わたしたちの主イエス キリストを信じます 主は聖霊によって宿り おとめマリヤから生まれ ( ここで礼をする ) ポンテオ ピラトのもとで苦しみを受け 十字架につけられ 死んで葬られ よみに降り 三日目に死人のうちからよみがえり 天に昇られました そして全能の父である神の右に座しておられます そこから主は生きている人と死んだ人とを審くために来られます また 聖霊を信じます 聖なる共同の公会 聖徒の交わり 罪の赦し 体のよみがえり 永遠の命を信じますアーメン共同祈願神の救いに招かれた喜びのうちに祈りましょう み子キリストの洗礼を記念して祈るわたしたちが日々 聖霊に生かされ 救いの福音を周りの人々に告げ知らせることができますように 戦争や紛争によって困難や窮乏をしいられている人々を顧みてください 闇に輝くあなたの光によって真の平和への道が示されますように 成人式を迎える人々が これからの出会いや体験をとおして あなたの導き
を感じ 豊かに学び 成長することができますように ( いまあなたに必要な祈りがあれば追加して祈りましょう ) 父である神よ 聖霊のいぶきに満たされ キリストと共に歩むわたしたちをたえず見守り 導いてください すべての人にそそがれるあなたの愛をのべ伝えることができますように わたしたちの主イエス キリストによって アーメン [3] 感謝の典礼 ( にうつります ) 聖餐をおこなわない場合は以下を省略して [4] の 主の祈り をおこなう 聖餐のパンとぶどう酒は ここでテーブルのうえにおく しばらく黙想する 叙唱 黙読する 二人以上で礼拝している時は一人が音読する 聖なる父 全能永遠の神 いつもあなたをたたえ 感謝の祈りをささげます イエス がヨルダン川で洗礼を受けられたとき あなたは御ひとり子が人となって世に来られ たことを天からの声によって示されました また聖霊は鳩の姿をして下り イエスが 油を注がれた神のしもべ 貧しい人に福音を告げるかたであることを知らせてくださ いました あなたの栄光をたたえる天使とともに 救いの神秘を祝い わたしたちも 感謝の賛歌をささげます 感謝の賛歌 ( サンクトゥス ) 奉献文 聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな 万軍の神主の栄光は天地に満つい と高きところにホサナ ほめたたえよ主のみ名によってこられる方をいと高きところにホサナ 黙読する 二人以上で礼拝している時は一人が音読する 天の父よ 救い主 み子イエス キリストによってわたしたちの感謝 賛美をお受け ください わたしたちはみ子の模範にならい そのみ定めに従ってこの式典を行いま す どうかみ言葉と聖霊により 主の賜物であるこのパンとぶどう酒を祝し 聖とし て わたしたちのために主イエス キリストの ( パンとぶどう酒に向い十字を切りながら唱える ) 尊い体と血にしてください 主は渡される夜 パンを取り 感謝してこれを裂き 弟子たちに与えて仰せになりま した
取って食べなさい これはあなたがたのために与えるわたしの体です わたしを記念するためにこのように行いなさい 合掌して深く礼をする すこし間をおく また食事ののち 杯を取り 感謝して彼らに与えて仰せになりました 皆 この杯から飲みなさい これは罪の赦しを得させるようにと あなたがたおよび多くの人のために流すわたしの新しい契約の血です 飲むたびにわたしの記念としてこのように行いなさい 合掌して深く礼をする すこし間をおいて歌う キリストは死に / キリストはよみがえり / キリストは再び来られます記念唱 以下は途中まで黙読し 黒文字の部分から音読する 二人以上で礼拝している時は一人がグレーの部分も音読する わたしたちはいま 主イエスの死と復活の記念を行い ここであなたに奉仕できることを感謝し いのちのパンと救いの杯をささげます キリストの体と血にともにあずかるわたしたちが 聖霊によって一つに結ばれますように 世界に広がるあなたの教会を思い起こし 全教会を愛の完成に導いてください 復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟とすべての死者を心に留め あなたの光の中に受け入れてください なお わたしたちをあわれみ 永遠のいのちにあずからせてください み子イエス キリストを通してあなたをほめたたえることができますように キリストによってキリストとともに キリストのうちに 聖霊の交わりの中で 全能の神 父であるあなたに ( ここから音読 ) わたしたちのうちに働く力によって わたしたちが求めまた思うところの一切を はるかに超えてかなえてくださることができる方に 教会により またキリスト イエスによって 栄光が世々に限りなくありますように アーメン [4] 交わりの儀式主の祈り天におられるわたしたちの父よ み名が聖とされますように み国が来ますように みこころが天に行なわれるとおり地にも行なわれますように わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください
わたしたちの罪をおゆるしください わたしたちも人をゆるします わたしたちを誘惑におちいらせず 悪からお救いください 国と力と栄光は 限りなくあなたのものです アーメン 聖餐を行わない時は以下を省略して 感謝祈願 の II の祈りを唱え閉祭へと進む ここでパンを裂くときは次のようにいう わたしたちがパンを裂くときキリストの体にあずかります パンが一つであるからわたしたちは多くいてもひとつの体です 拝領唱 ( ヨハネ 1:32,34 参照 ) 黙読する 二人以上で礼拝している時は一人が音読する ヨハネはイエスについて証言していった わたしはこの方が神の子であるとあかし する 平和の賛歌 ( アニュス デイ ) 世の罪を除く神の小羊よ 憐れみをお与えください 世の罪を除く神の小羊よ 主の平安をお与えください 拝領 テーブルまたは祭壇に近づき ひざまづく ( 沈黙のまま祈る ) キリストの体が永遠のいのちの糧になりますように 十字を切り アーメンと唱えてパンを頂く ( 沈黙のまま祈る ) キリストの血が永遠のいのちの糧になりますように 十字を切り アーメンと唱えてぶどう酒を頂く 拝領後は着席し 沈黙のうちにしばらく祈る 拝領祈願 I いつくしみ深い父よ いのちの糧に養われて心からの祈りをささげます わた したちがみ子に聞き従い あなたの子どもとなることができますように わたしたち の主 イエス キリストによって アーメン II 主なる神よ わたしたちに限りない恵みをあたえてくださることを感謝します どうか あなたのみ言葉の光でわたしたちの心を照らし導いてください わたしたち があなたを賛美し み言葉に従い ともに主の愛のうちに生活することができますよ うに わたしたちの主 イエス キリストによって アーメン [5] 閉祭 祝祷
父と子と聖霊なる全能の神の恵みが 常にわたしたちとともにありますように アーメン派遣の唱和主の日の礼拝を終わります 行きましょう 主の平和のうちに ( 間をおいて ) 主の平和がありますように アーメン これで礼拝は終わりです しばらく黙想したのち 礼拝のために準備したものを片付けます