BC121 年グラックス兄弟の改革失敗 18 国教となったキリスト教 内乱の 1 世紀 BC27 年帝政に移行 ネロ帝 五賢帝時代 AD180 キリスト教徒大迫害を行う スパルタクスの大反乱三頭政治 No16の復習 ローマの平和 PAcheck 3 世紀の危機 都市の衰退 経済的混乱軍人皇帝時代 2 3 世紀のローマ帝国 1: ゲルマン人 の侵入 2: ササン朝ペルシア の侵入 を防ぐため軍事費増大 経済的混乱 税収不足を貨幣の改悪や 3: 都市に対する重税 でまか なおうとした 3 3 世紀のローマ帝国 貨幣の改悪 都市への重税 都市の衰退難民流入 上層市民の移動 平和が続き 4: 奴隷の供給 が途絶 える ラティフンディアの衰退 3 世紀頃から 5: コロヌス 制 ( コロ ナトゥス ) へ移行した 4 3 世紀の危機 の中で 6: カラカラ帝 は 212 年 7: アントニヌス勅令 で帝国内の全自由民にローマ市民権を与えた 税収拡大のためとされているが アントニヌスは彼の本名 在位 211-217 5 カラカラ浴場 216 年完成 市民権を持つ者に安く使用させた 浴場を中心とする娯楽 文化センターのようなもの 火災防止のため 個人が自宅に浴室を設けるのを禁止した代償との説もある 6 1
軍人皇帝時代 8: マクシミヌス帝 ( 位 235-238) の即位以降が軍隊が勝手に皇帝を擁立する軍人皇帝時代 (235 年 ~284 年 ) で 50 年間に実に26 人の軍人皇帝が次々と交替した 260 年 エデッサ ( 現ウルファ ) の戦いで 12: ウァレリアヌス帝 はサ サン朝ペルシアのシャープール1 世に敗れ捕虜となった ローマの軍事力の衰退! 7 恐るべしササン朝ペルシア アルダシール 1 世 ( 位 224-241) 諸王の王 シャープール1 世 ( 位 241-272) 第 2 代 イラン人と非イラン人の諸王の王 エデッサの戦いに勝利 ワァレリアヌス帝を捕虜に ホスロー 1 世 ( 位 531-579) 建国者 最盛期の王 8 260 年エデッサの戦い そもそも迫害は エデッサはここ ローマ皇帝が敵国に捕らえられたのはローマ史上初めて この後には例がある ササン朝ペルシア 9 BC27 帝政開始 ネロ帝 ( 位 54-68) 五賢帝時代 ローマの平和 時代の暴君 AD64 年のローマ大火の責任をキリスト教徒に帰し大迫害を実行 これ以外の迫害は民衆主導の地域的なものだった ところが 3 世紀になると 10 3 世紀には 帝国政府主導の全帝国規模のキリスト教迫害は軍人皇帝時代 (235-284) のデキウス帝 ( 位 249-251) の迫害に始まる 3 世紀の危機 軍人皇帝時代 専制君主制四分統治制 国力衰退と混乱各地の軍団が皇帝を擁立して政権を奪い合う ディオクレティアヌス帝 ( 位 284-305) が事態を収拾 専制君主制 四分統治制を行う ゴート人と戦って戦死 キリスト教は まず下層民や奴隷の間で広まった 各地に信徒の団体 ( 教会 ) が作られ 3 世紀には上層民にも広まった 11 統一回復 西ローマ帝国 476 年オドアケルにより滅亡 コンスタンティヌス帝 が統一を回復テオドシウス帝 ( 位 379-395) は 死に際して帝国を東西に分割 東ローマ帝国 1453 年まで存続 12 2
3 世紀の危機 軍人皇帝時代 デキウス帝 ( 位 249-251) の迫害 ディオクレティアヌス帝専制君主制 ( 位 284-305) の大迫害四分統治制 最後で最大の 313 年コンスタンティヌス帝 統一回復 キリスト教公認ミラノ勅令エウセビオスの神寵帝理念ユリアヌス帝 ( 位 361-363) の迫害 392 年テオドシウス帝 ( 位 379-395) は キリス 13 ト教を国教とし 他の宗教を禁止 10: ディオクレティアヌス帝 大迫害を行う ( 位 284-305) 最後にして最大の 治世末期の 303 年 ~305 年 ローマの伝統的神々を守護神として皇帝崇拝を強化するため キリスト教徒を迫害した 302 年にはマニ教も禁止している これは失敗に終わった これが最後の大迫害である 14 ディオクレティアヌス帝の業績 ( 位 284-305) 彼が即位した284 年以降は オリエント的君主政で 3 世紀の危機 を収拾 11: 専制君主政 (= ドミナートゥ ス ) という 共和政の伝統は完全に失われた 彼は 2 正帝 2 副帝による 12: 四分統治 ( テトラ ルキア ) を創始 彼自身は東方正帝 15 ディオクレティアヌス帝 テトラルキアの東方正帝 東方のニコメディア ( 現イズミット ) を皇帝の在所とした ( 首都はローマのまま ) 16 13: コンスタンティヌス帝 は ミラノ勅令 313 年 14: を発し キリスト教を公認した 実際はニコメディアで発した 教会組織を帝国の統治機構に組み込み 皇帝権を強化 324 年 四分統治 を止め 単独統治へ戻した ( ローマ帝国再統一 ) 17 325 年 15: ニケーア公会議 を召集した ここでは 16: アタナシウス派 が正統とされた 17: 三位一体説 に発 展 (5 世紀 ) 18: アリウス派 は異端とされた 18 3
コンスタンティノープル ニケーア 325 アリウス派 = 異端 公会議開催地 カルケドン 451 単性論派 = 異端 ニコメディア 431 エフェソスネストリウス派 = 異端 19 徴税しやすくするため 322 年 農奴の先駆 19: 土地緊縛令 でコロヌスの移 動の自由を奪った 都市では住民の職業を固定化し世襲させた コロヌスが奴隷よりマシな点は 20: 家族 を持てること 21: 農具 を保有できること 20 330 年 仮首都のニコメディアから ビザンティウムに遷都し 22: コンスタンティノープル と改称した 21 23: ソリドゥス金貨 ( 純度の 高い金貨 ) を新たに発行 地中海交易の基軸通貨とした ソリドゥス ( ラテン語 ) とは 完全な純度を持つ という意味 ドル記号 $ の起源はこれ ギリシア語 (7 世紀以降ビザンツ帝国の公用語 ) ではノミスマ 22 ところで 不思議だと思わないか? 紀元 1 世紀のローマ帝国の属州で成立し ユダヤ教の指導者 = 富裕層と戦い 皇帝権力の迫害とも血を流して戦ってきたキリスト教が なぜローマ帝国の公認の宗教となり さらに国教となりうるのだろうか? 本来反権力 反体制の宗教という面を持ってきたキリスト教が いわば 体制側の 宗教に変わっていったのはなぜ? 23 24: エウセビオス 260/265-339 キリスト教会最初の教会史家 教会史 年代記 ニケーア公会議にも出席コンスタンティヌス帝の死後 コンスタンティヌス伝 で 25: 神寵帝理念 ( しんちょうていりねん ) を打ち出した 皇帝位は神の恩寵神の代理人である教皇が皇帝を任命 24 王権神授説の根拠 4
教会から 背教者 と呼ばれている と言えば 26: ユリアヌス帝 位 361-363 4 世紀後半 ギリシア古典と密儀宗教のミトラス教 ( ミトラ教 ) に心酔し 改宗して異教復興を企て失敗 ミラノ勅令に則り キリスト教偏重を止め 全宗派を平等に扱っただけだという説も 25 ついに国教となる 27: テオドシウス帝 ( 位 379-395) は (380 年の正教信奉令でアタナシウス派を強制し 次いで ) 392 年 キリスト教を国教とし 他の宗教を禁止した 395 年 彼は 死に際して帝国を東西に分割した 帝国の中心は東地中海世界に移る! 26 西ローマ帝国の滅亡 テオドシウス帝は 395 年 死に際して帝国を東西に分割した 帝国の中心は東地中海世界に! 28: 西ローマ帝国 は 476 年 ゲルマン人傭兵隊長 29: オドアケル がロムルス帝 を廃し滅亡した 超頻出 27 西ローマ帝国は 476 年滅亡 395 年東西分割線 28 431 年の ニケーア以降の公会議 (1) 30: エフェソス公会議 は 神たるイエス と 人たるイエス を分離するネストリウス派を異端とした ネストリウスは北魏の頃中国に伝えられ 景教と呼ばれた 唐代には大秦景教流行中国碑も建つ ゾロアスター教は中国では ( 祆教 ) 29 ニケーア以降の公会議 (2) 451 年のカルケドン公会議は イエスに神性のみを認める単性論派を異端とした コプト教会 ( エジプト ) カルケドン公会議での論争を通じて 正統派は三位一体説を確立した 神とイエスと聖霊の三者は位格は異なるが同一の本質を持つ とする 30 5
325 ニケーア公会議 392 国教化 431 エフェソス公会議 正統 アタナシウス派 異端 アリウス派 ゲルマン人に布教 ネストリウス派 ペルシア 中国 超頻出 異端 = 単性論三位一体説を整備 451 年カルケドン公会議 325 年ニケーア公会議 正統 =アタナシウス派異端 =アリウス派 451 カルケドン公会議 三位一体説 単性論 景教 エジプト ( コプト教 ) 31 431 年エフェソス公会議 異端 = ネストリウス派 32 神 イエス神の子 = 神 基本的に人 聖霊? アタナシウス派 アリウス派 人性神性ネストリウス派 神そのもの 単性論 位格は異なるが本質は同じ = 三位一体説 33 正統教義が確立すると 教父 後に 31: と呼ばれる指導者たちが優れた著作を残した 教父 32: アウグスティヌス (354-430) は 中世神学の基礎を築いた 最大の教父 とも呼ばれる 主著 神の国 告白 ( あるいは 告白録 ) 34 教父アウグスティヌス 354-430 元マニ教徒 約 700 年後の時を隔てて 中世神学 (12 世紀 ~15 世紀 ) の基礎となった 補足 プロティノス (205-270) の始めた神秘主義的傾向の強い 33: 新プラトン哲学はアウグスティヌスに影響を与えた 主義 の アルクイン (735?-804) とともに 中世神学を語る上で非常に重要である 35 36 6
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